四国八十八カ所フォトアルバム



1996年6月11日(第8日)

第60番 横峰寺 〜 第65番 三角寺

 

横峰寺本堂 60番 石鎚山横峰寺−−−登山バスの利用

 初めてお参りした頃、乗り合い登山バスで上った山の上の駐車場からお寺までは、歩いて25分から30分くらいかかる登りだった。かなりきつい勾配の道を息を弾ませて上って、遠くに本堂の屋根が見えたとき、車の遍路だったけれど、歩き遍路の喜びの何百分の一かを味わったような感動があった。
 それ以来、このお寺のお参りがお遍路の一つの楽しみになっている。今年お参りに行ったら、自動車道が更に上までのびており、駐車場からお寺までホンの5分ほどになっていた。 
 さて、この横峰山は、麓から乗り合いの登山バスが出ている。確かに自家用車でも上がれるのだが、途中の道が離合が大変難しく、しかも登山バスが走っている。登山バス同士は無線で連絡を取り、すれ違いのできる場所で待機してうまくすれ違っているようだ。山上の駐車場も、以前は乗用車7台分のスペースしかなかったが、今はもっとたくさんおけるようになっている。自家用車でも上れるとは思うが、シーズンには登山バスの方が確実だし、何より乗り合いバスの方が、少しでも排気ガスから山の緑を守れると言うこともあるような気がする。
横峰寺大師堂


香園寺本堂 61番 栴檀山香園寺−−−子安大師の思い出

 このお寺のお大師様は、子安大師様で小さな子供の成長をお守り下さる。一番はじめにお遍路に来た6年前、母は私の姉の子供達のため、一心にこのお大師様にお願いしていた。そのころ、姉の長男は先天的な心臓の奇形で手術の順番待ちをしていた。母は、1日も早く手術の順番が来るようにと、祈ったらしい。結果として、私達が東京に帰って半年も経たないうちに手術の順番がとれ、甥は今は元気で小学校に通っている。母はお大師様のおかげと大喜びしていた。
 更に、2年前に来たときは、四国についてすぐに連れていた子猫に命に関わる大病をされて、私は、ここで猫の子供の無事成長することをお願いした。その間、車で待っていた子猫に、隣に車を止めてお客さんを待っていたタクシーの運転手さんがミルクをお接待してくださった思い出もある。猫は無事に大きくなった。(大きくなりすぎたという話もある。)
 このお寺の無事成育(ぶじじょういく)というお守りは、小さい子供の成長のお守りである。
香園寺大師堂


宝寿寺本堂 62番 天養山宝寿寺−−−お遍路と季節・冬

 夏の暑さも厳しいけれど、雲辺寺、横峰寺などの高い所にお寺がある難所もあり、なんだかんだ言って一年で一番厳しいのは冬のお参りだろう。日没も早いし、寒さは人の心を暗くするし、お遍路するのに結構精神力を要するだろうからだ。特に歩き遍路の場合は、衣類そのものが重くなるので、負担がきつくなる。それに、寒さで縮こまって歩けば、転倒して怪我をする確率も高くなる。
 せっかくの修行だから、がんばって、艱難辛苦を乗り越えることに意味があるという見解もあるので、いい修行ができることは間違いないと思う。
宝寿寺大師堂


吉祥寺本堂 63番 密教山吉祥寺−−−お守りの話

 お遍路に限らず、神社仏閣にお参りして、お守りを受けることは誰でもあるだろう。しかしそのときに、私があるお坊さんから教わって、実行していることがある。それは、お参りをしてそれからお守りを受けたら、もう一度お参りをして、どうぞお守り下さいとお願いするのだ。
 これは、本当は仏教的にどんな意味があるのかないのか、それは私にはわからない。しかし、お守りと一緒に仏様に我が家まで起こし頂いて、以後ずっとお守り頂くのだから、ちゃんとお願いするのかな、という程度にしか理解できていない。お金を払ってお守りを頂けば、それだけでオッケーって言うのも、何となく虫が良すぎるような気がしていたから、こういう考えに簡単に同調したのかも知れない。でも、お参りは謙虚に素直にした方がいいというのは、経験上あっているような気がする。

 
吉祥寺大師堂


前神寺境内 64番 石つち山前神寺−−−お遍路道の詐欺師(その1)

 これは、私が騙された話だから、又聞きではない。2年前に、あるお寺に本堂の壁画を描きながら居候生活をしている画家がいた。彼は、アトリエ代わりに本堂の片隅に工房を設けていて、何枚か仏画が飾ってあった。ふとした拍子に口をきいた私は、彼の誘いに応じて自分の守り本尊の仏画を、料金先払いで5000円を渡し、注文した。お遍路に行ったのが10月のことで、彼は年内には書き上げて送ると言って何度も大丈夫と繰り返した。
 その翌年1995年の寺に出した画家宛の年賀状は戻ってこなかった。そしてずっと待っていたが、絵は送られてこなかった。今年出した年賀状は、受取人不在で戻されてきた。そして今回遍路に行って、お寺の住職に確かめたところ、色々なお遍路さんからお金を借りたり、私のように仏画の前払い金ということでお金を方々から預かって、いつの間にか姿を消したという。住職自身もお金を貸していたので、やられたといって笑っていた。

 
前神寺大師堂


三角寺本堂 65番 由霊山三角寺−−−お遍路道の詐欺師(その2)

 しかし、今にして思えば、彼はお寺の敷地内に仮の住まいを設けていたし、本堂の中にアトリエも持っていた。それで、無意識のうちにお寺に対する信用を彼にも広げてしまい、お金を前払いしたり、空手形を信じたりしたのだという心理も私にはあったように思う。私にも油断があったし、彼にそういう場を与えたお寺にも甘さがあったのではないか。
 お遍路に行ったお寺にいる人でも、そういう人間もいるという意味では、いい勉強になったとは思うが、そのことでお大師様が私に何をお教え下さろうとしているのかは、未だによくわからない。お大師様が、人を無闇に信用するなという意味のことをお示し下さるとも思えない。きっとお大師様は、人を信用して裏切られても、自分の不明を反省することが先だというようなことをおっしゃるだろうし、裏切られてもめげない強さを持つことをよしとされると思うのだ。
 未だ結論は出ていない。
三角寺石段

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