四国八十八カ所フォトアルバム

1996年6月15日(第9日)

第66番 雲辺寺 〜 第73番 出釈迦寺

 

雲辺寺本堂 66番 巨ごう山雲辺寺−−−ロープウェイからの景色
 96年の夏現在、88ヶ所には2つのロープウェイと1つのケーブルカーがある。
 ケーブルカーは、85番の八栗寺にある。これは景色を見ると言っても、だんだんに山に登っていくという実感の方が楽しめるかも知れない。
 しかし、太龍寺と雲辺寺のロープウェイはそれぞれにすばらしいパノラマが楽しめる。歩き遍路はこれを歩いて上るのかと思うと、本当に頭が下がる。
 太龍寺のロープウェイでは、途中の小高いところに、鹿とか、狼とかの置物が形よくおかれていたり、岩山のてっぺんにお大師様が座って修行していらっしゃるお姿の像がしつらえてあったりで、見所がいっぱい。
 雲辺寺のロープウェイは、晴れた日には遠く瀬戸内海まで見渡せて、春には桜、夏には深緑、秋には紅葉、冬には雪がそれぞれに彩りを添える。まことに豊かな風景だ。
 こうした自然の風景に親しみ、目の貯金をするのも、お遍路の一つの喜びだと私は常々思っている。
 
雲辺寺大師堂


大興寺本堂 67番 小松尾山大興寺−−−お遍路用具について

 お遍路道具の工夫が凝らされていて便利なものを、お遍路のたびに少しずつ買い集めるのも私の密かな楽しみになっている。私はまだお遍路さんとしては若い方なので、いつかは自分の2本の足で歩き遍路をしてみたいと願っているし、まだまだ車でのお遍路も何回かすると思う。
 そのために、色々気を付けて便利なものをお遍路をしながら、買い集めている。正直言えば、1カ所で全部揃うと行っても、本当に気に入ったものが揃うわけではない。3回回った間に、結果的に同じ品物を二つ買ったものもある。しかし、私の周囲で、新しくお遍路に出かける人にいらなくなった方を(まだ充分使えるので)もしよければということで差し上げたりもしているので、ものは粗末にはしていない。
 一生使うものだから、そろえた用具は大切に保存して、お遍路のたびに取り出して使って行くつもりだ。  
 
大興寺大師堂


神恵院本堂 68番 琴弾山神恵院−−−ご縁をいただくお寺と出会うために

 折角お遍路に出かけたら、なるべく明るく人とふれあうことも大切だと思う。勿論、無言の行(お大師様に、お遍路中は口をきかないという誓願を立ててお遍路すること)をするのであればそれも難しくなるが、それでも、和顔施といってほほえみを浮かべた表情を保つことで、出会った人に優しさや安らぎやもろもろの良い感情を伝えることはできる。
 私は今回までのお遍路で、お遍路する事に集中し、一心にお経を唱えてお札所を回った、それだけしかしなかったけれど、3回のお遍路で、6ヶ寺ほどお参りに行ってちょっとだけお話しすることができるお寺ができた。それらのお寺の存在は、私の心の中でのお四国、お遍路というものをより身近にさせているし、それらのお寺の方々に又お会いしたいという気持ちからも、また、お遍路に出かけたいという気持ちになる。
 もし、お遍路に出かけられることがあったら、そういう思い出も作って下さるようにお願いしたい。そういう思い出は人生を豊かにするからだ。  
 
神恵院大師堂


観音寺本堂 69番 七宝山観音寺−−−母と数珠

 はじめてお遍路に出た6年前、私は、戦時中の薬不足で充分な手当ができずに左手に疾患を持っている母のために、善通寺の大師堂前の売店で母の干支の守り腕輪念珠を購入した。そして、それを持って大師堂にお参りして母をお守りいただけるようによくよくお願いした後、それを母にプレゼントした。それ以来、母はお風呂に入る時以外は、寝るときもお数珠をしているが、年に数回、疲れたり重いものを持ったりすると熱を持って腫れ上がり、長年母を悩ませた左手が、悪くなることがほとんどなくなった。母が今使っている腕輪念珠は、それから何代目かのものだが、これは本当に不思議なくらい効果がある。これもありがたいご功徳である。  
観音寺大師堂


本山寺本堂 70番 七宝山本山寺−−−犬さんや猫さんの仏様

 このお寺のご本尊は、88ヶ所でここだけにしかない馬頭観音様だ。この馬頭観音様は、家畜をお守り下さる仏様だという。私は今回のお遍路中に、東京で留守番させていた飼い猫に家出されてしまった。そして彼をもう一度腕に抱きしめたい一心で、あるお寺で相談し、そのお寺の紹介でこの本山寺さんで猫のために拝んで頂いた。純粋な意味の家畜ではないかも知れないが、でもペットの猫はやはり人間ではなく(当たり前だ)どちらかというと家畜に近いと思ったからだ。
 お寺の奥さんの言葉が心に残った。「ねこさん、いぬさんと言えども、大切な家族ですものね、戻ってきますよ、きっと。ちゃんと拝んでおきますからね。」
 猫は、お大師様からのメッセージを私の心に刻み込み、お大師様の日とされる毎月21日の21にそろえるかのように、いなくなってから21日目に、家の近くで私が発見し、今は家で無事に暮らしている。
本山寺大師堂


弥谷寺の石段 71番 剣五山弥谷寺−−−私の思う、最後の難所

 横峰寺の登りも短くなったし、太龍寺もロープウェイができた。これで、文字通り、人間の二本の足で石段を登り山に登る最後の難所がこの弥谷寺となったわけだ。このお寺のお参りは、ずいぶん歩いてやっと庫裏と大師堂のある所につき、そこから更に山肌にへばりついているような石段を登って本堂にたどり着く。
 私は太っているし、両親は年を取っているので、ここはお参りに時間がかかった。車遍路の場合でもお参りの時間を少し余分目に見た方が安全である。  
 
弥谷寺本堂


曼茶羅寺本堂 72番 我拝師山曼茶羅寺−−−私と遍路と猫

 前回と今回のお遍路は二回とも私にとって、猫が大きな役割を果たした。前回は、子猫を連れていたのでより多くの人とふれあうチャンスに恵まれたし、その子猫がお遍路の最中に大腸炎で意識不明になるに及んで、一心に薬師如来のご真言を唱えて一晩を過ごす経験をさせてもらった。
 また、今回は、お遍路中に東京においてきた猫の一匹が家出してしまって、そのおかげで、日頃彼らを家族だと標榜していた私が、実は、飼い猫のためにはその日まで一度も祈ってやらなかったことに気づかせてもらった。家出猫は、お大師様に縁のある数字の21に関係するのか、21日目に家のすぐ近くで、私が発見して連れ帰った。また、86番の志度寺では、4匹目の家族を拾うことになった。お遍路のたびに猫を通じて、本当にいろいろなことを教えてもらっている。彼らは、私にとっての福猫である。
曼茶羅寺大師堂


出釈迦寺山門と石段 73番 我拝師山出釈迦寺−−−お遍路の思い出

 2年前に、猫を連れてお遍路に来たとき、納経所に若くてきれいでお優しそうな女性が座っていらした。納経をしながら、出発直前に子猫を拾い、預かって貰う宛もなくて一緒に連れてきたこと、毎日車の中で一緒に寝ていること、お遍路に来てから猫が病気になったこと、獣医さんの連係プレーでやっと助けていただいたことなどを何となくお話ししたら、このお寺の若奥様から、猫のミルク代ということでお接待をいただいた。正直言ってびっくりした。猫の病院代がかかったことを察してのお接待だった。固辞しようとしたが、これは猫ちゃんへのお接待ですから、とおっしゃられて、結局ありがたく頂いて帰った。そのお金は今でもうちの仏壇に封筒ごとそっくりあがっている。猫達に緊急のことがあったらおろして使おうと思って大切にしてあるのだ。
 今回、このお寺について、納経所に若奥様がいらっしゃったので、納経印を頂きながら、2年ほど前に子猫とお遍路に来たものですが、そのときにはお接待をいただいたりしてお世話になりましたと話しかけると、若奥様は、にこにこと笑って「ああ、たびちゃん(うちの長男猫の名前である)のお母さん。ごめんなさい、お母さんのお名前はちょっと忘れてしまったけれど、たびちゃん元気ですか」とよく覚えていて下さった。東京に帰ってから、お礼状も書いたけれど、こうしてご縁をいただくお寺が出来、ますます四国が身近になる。これも、お大師様のおはからいと本当に嬉しくなった。
 別れ際に、「また猫ちゃんとお参りにいらして下さいね」と声をかけていただいたが、あれから飼い猫が四匹に増えてしまったとは言えず、にっこり笑ってお別れした。掃除の行き届いたお堂と若奥様の優しい笑顔が忘れられないお寺である。
出釈迦寺本堂
出釈迦寺大師堂

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