四国八十八カ所フォトアルバム



1996年6月16日(第10日)

第74番 甲山寺 〜 第83番 一宮寺

 

甲山寺本堂 74番 医王山甲山寺−−−お遍路の金融機関

 今回四国を運転していて、実によく目にもつき、しかも本当に便利だったのは、郵便局だった。ステンレスなのか、アルミなのかわからないが、ぴっかぴかの目印の柱が立っているのだ。これはきっと全国的に行われている目印付けなのだろうが、遠くからも郵便局を見つけられて大変有効だった。
 歩き遍路の場合はもちろん、車で回っていた今回も、予備の費用を私は郵便局の貯金に預けていた。大金を持って歩くというのは、どうもお遍路とはそぐわないし、車といえどもあまり安全ではないからだ。郵便局の通帳とキャッシュカードはお遍路旅の定番といえるかもしれない。
 
甲山寺大師堂


善通寺本堂 75番 五岳山善通寺−−−お大師様の出生地

 このお寺は、お大師様の誕生地である。だから、前回の猫連れのお遍路の時もここだけは、朝の勤行に出たくて宿坊に泊めていただいた。今回のお遍路では、お遍路旅日記をリアルタイム送信するのでファクスの回線を使わせていただきたいと事務所でお願いして、快諾していただいた。朝のお勤めの時、国宝の三国伝来の御錫杖などの宝物を見せてもいただける。このお寺だけは、宿坊に泊めていただくことをおすすめする。
 

金倉寺本堂

76番 鶏足山金倉寺−−−とある霊能力者の話(その1)

 2年前にお遍路に出たとき、私は途中の寺で知り合った人から、俗に言う「何でもよく当たる先生」を紹介された。
 そして、ちょうど悩み事を抱えていた私が、その「先生」を訪ねた後の3ヶ月ほどの間にあったことは、今にして見ればばかばかしい限りだが、私と私の家族がその「先生」とその周囲の人たちから被った精神的損害は計り知れない。その後、統一協会の信者の脱会騒ぎなどがあったが、私から見るとある側面では、その「先生」と彼女の所属していた宗教法人のしていることはほとんど同じことだった。
 お遍路の道の上には、こうした宗教を武器にいろいろな願いを抱いてお遍路に来ている人たちを食い物にする人たちも居る。残念ながら、きれいなものばかりではない。そういうトラブルに巻き込まれないためにも、偽物を見破る冷徹な目を育てることも大切な修行のうちだと現在の私は考えている。
 本来なら、この手のトラブルに巻き込まれたことを告白するのは、私が馬鹿だと言うことを天下に広告するようなものだが、これからの人の参考になればと恥を承知で敢えてここに書く。一方で、いろいろな悩み事を抱えてお遍路に出ている人を、「私の霊能力(あるいは信仰?)で解決して上げましょう」と、言葉巧みに近寄って、食い物にしている人がいることも事実だからだ。 
 
金倉寺大師堂


道隆寺本堂 77番 桑多山道隆寺−−−とある霊能力者の話(その2)

 問題を抱えている時、自分の見えない将来のことを見通す力があるとか、問題解決の特殊能力を持っているなどと言われることは、藁にもすがりたいほど弱った人の心に悪魔のささやきのように忍び込む。
 その「先生」のところで、信者として出入りしていた人たちは、一人の例外もなく、性格の欠点を激しく指摘され、だんだんに自分に自信を失っていき、それと反比例するように、「先生」の意志が行動規範の中に重き地位を持つようになっていった。そして、もう一つその「先生」のところで見聞きしたことでこれはなんだかおかしいと思ったのは、自分のところの信者とその家族を故意に反目させることだった。その結果、「先生」を頼って来た信者は、帰る家や心のよりどころを失い、精神的にますます「先生」に依存するようになる。
 なぜ私がそこと縁を切ることができたかは、何かおかしいという感覚が次第に強くなっていったことが大きな理由となって、すべてを冷静に分析した結果、このままでは取り返しのつかないことになると判断して、ある日身の回りの荷物をまとめて、そのお寺を逃げ出したのだ。たまたま乗せていただいたタクシーの運転手さんと無線室の協力を得て、血相を変えて探し回る他の信者の追っ手を振りきり、空港まで行って警察の協力をもらって次の便で東京に帰ったのだった。
 
道隆寺大師堂


郷照寺山門 78番 仏光山郷照寺−−−とある霊能力者の話(その3)
 以上の話とは別件だが、ふとしたことで知り合った修験道の修行をしたという拝み屋さんは、四国にお客さんを捜しに行く、という表現をよく用いていた。お札所などでカモとにらんだ人に話しかけ、最初はお参りの仕方などをアドバイスしながら、少しずつ事情を聞き出してここぞというタイミングで、「そういう問題にはこういう祈祷があって、たまたま自分は修験道に心得があるので、拝んであげてもいい」と切り出すと言っていた。
 お金を払ったことはないが、精神的に結構高いお月謝を払った経験から言えば、一番確かなことは、自分で拝むことが一番の基本だということだ。それをきちんとしてから、さらに何かを望むときは、専門の伝統のある神社やお寺のお力を借りる。今回の遍路中に、飼い猫が居なくなって、私は70番の本山寺さんでご祈祷をお願いした。そのときに私に心得違いがあって、お寺のご住職に戒められたのだが、本職の仏に仕える人と拝み屋さんとは違うものだ。私は自分の願いを神様仏さまに伝えるときに、本職にお手伝いしていただくのであって、願い自体はあくまで自分が主体なものだと思う。だから、拝み屋さんなどがよくおっしゃる「私が祈祷をすれば」というような発想には主体の転換があって、どうもそのあたりに神仏にお願い事をする、という際の肝心な部分を損なうような考え違いが潜んでいるように、今は感じている。あくまで素人考えだけれど。 
 
郷照寺本堂
郷照寺大師堂


高照院本堂 79番 金華山高照院−−−金剛杖の正式な使い方(その1)

 杖は、お大師様の化身だと言われている。それぞれのお遍路さんと行をともにして、心の支えとなってくださるのだ。だから、自分が休むときは、お杖を先に休ませ、それから腰をおろす。トイレに行くときは外においてから入る。宿屋に着いたら先を洗って、タオルで拭き取り、部屋の床の間か上座に安置する。そのときは、合掌してご宝号を唱える。 
 朝、出発するときも、杖に合掌して、今日一日のお導きをお願いしてから出発する。
 
高照院大師堂


国分寺本堂 80番 白牛山国分寺−−−金剛杖の正式な使い方(その2)

 お遍路は、橋の上で杖を突いてはいけない。これは、以下のような理由がある。その昔、お大師さまが愛媛県大洲を通られたとき、一夜の宿を求められたが貸してくれるところがなく、しかたなく寒さの中、橋の下で野宿することになった。あまりの寒さに一晩がまるで十夜にも勝るほどの思いだったという。お遍路中は、橋の下で休んおられるお大師さまの眠りを、杖の音で妨げることのないよう、橋の上で杖をつかないという習わしになっている。  
国分寺大師堂


白峰寺大師堂

81番 綾松山白峰寺−−−金剛杖の正式な使い方(その3)

 歩き遍路の場合、杖を使いこなして通し打ちをし、八十八ヶ所を打ち終えると、約10センチほどもすり減ると言う。磨耗して、先がささらのようになって広がってしまったら、早いうちに路上でこすってその部分を取り除く。そのとき間違っても、ナイフなどで削ってはいけない。お大師様を削ることになるのだ。 
 

根香寺本堂 82番 青峯山根香寺−−−金剛杖の正式な使い方(その4)

 他人の置き忘れた杖をひろって使ってはいけない。置き忘れた人の業を拾ってしまうことになる。
 私は、お遍路中は、落ちているもの、人の置き忘れたものなどは、拾わないように注意している。その物には罪はないとはいえ、前の持ち主のどのような因縁、業などが宿っているかわからないからだ。 
根香寺大師堂


一宮寺本堂 83番 神豪山一宮寺−−−お遍路中の食べ物について

 私の場合は、お遍路中はお肉はなるべく食べない。宿屋のご飯で出たときは、ありがたくいただくが、求めてまでは食べようと思わない。
 魚は、普通にいただく。
 飲み物は、砂糖の入っている物を飲むとかえって喉が乾くので、スポーツドリンクか、砂糖の入っていない物を飲む。ことにスポーツドリンクは、発汗によって失われた塩分や電解質を補う働きをするので、汗をたくさんかいたときにはおすすめである。
一宮寺大師堂

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