四国八十八カ所フォトアルバム



1996年6月3日(第1日)

第1番 霊山寺 〜 第10番 切幡寺

 

霊山寺本堂 1番 竺和山霊山寺−−−さあ、まず四国へ。

 このお寺から、いよいよお遍路に出発だ。家が四国にあれば家の最寄りのお寺から始めてもいいし、たとえば東日本から入るのではなく、中国、九州などから入るなら、本四架橋の近くから打ち始めてもいいし、フェリーの港の近くから打ち始めてもいい。とにかく出発すること、それが大切なのだ。今は何処のお寺から始めても、たいていのお寺で最低限必要な物は購入できるようだし、スタイルよりまず四国の風土に触れることが大切なのだと思うのだ。本職のお寺の方がどうおっしゃるかわからないが、よほどの思い入れとか、一生に一度と思い定めて全行程徒歩で回るなどの特別な場合をのぞいて、最初からあまり堅苦しく考えない方が良さそうな気がするのだ。
 
霊山寺大師堂


極楽寺本堂 2番 日照山極楽寺−−−どうやって四国に入るか?私の場合

 私の場合、毎回東京からのルートが決まっているので、(私はこれまでに、車で通し打ち3回、部分打ち1回、徒歩で1番からホンの少しを回ったことがある)四国にあがるのは、和歌山の北の深日から淡路島に渡ってそこから鳴門大橋を渡るか、和歌山港から小松島港へ渡るかそのどちらかだ。どうして和歌山かというと、まず高野山の奥の院に道中無事のお願いをしてから出発するので、関西にでるのでは遠回りになるのだ。
 このルートなら、1番の霊山寺から打ち始めるのが順当なので、私は部分打ちの時をのぞいて、4回とも1番から打ち始めた。
 
極楽寺大師堂


金泉寺本堂 3番 亀光山金泉寺−−−初めてお寺の人と話した時

 今から約2年前に家の長男猫『たび』(私のプロフィール参照)をつれて、お遍路にでたことがある。そのときに、このお寺でまだ500gくらいしかない『たび』を見たお寺の奥さんが、「無事に育って一緒に帰れますように」と祈ってくれたのだった。そのころの『たび』は、毛もまばらで本当にひ弱な子猫だった。そして、まだ、拾って日の浅かった『たび』が、重い病気になろうとしていることには、私は全く気がついていなかった。奥さんの口を借りて、そのことをお大師様が教えて下さっていたことに私が気がついたのは、それから3日目だった。
金泉寺大師堂


大日寺本堂 4番 黒巖山大日寺−−−印象に残る部分

 不思議なもので、この1番から10番までは、ほぼ一直線に並んでいるせいもあって毎回初日に打ち終えるのだが、このあたりの記憶は実に鮮明なのだ。同じように短い距離にお寺のたくさんある、松山の回りとか後半の方になると、逆に記憶が薄くなるのだ。これは、半ばを打ち終えたという安心感から来る効果なのだろうか。
 今、こうやって資料を整理しているときでも、やはり最初の方とか、何か特徴のあるお寺、あるいはご縁を頂いているお寺の印象は鮮明である。このあたりは普通の旅行と一緒である。 
大日寺大師堂


地蔵寺本堂 5番 無盡山地蔵寺−−−お遍路は遊山ではない

 この前の項に、普通の旅行と一緒と書いたが、私はお遍路と旅行は違うものだと思っている。私は今までに車で都合3回、四国を一周しているが、観光らしい観光はしたことがない。というのは、お遍路にでている間は、私は「ありがたいことにお大師様にご縁を頂いて修行をさせていただいている」という思いでいるので、お遍路の期間中に遊びの入る余地がないのだ。最も3回目の今回は、家族の都合でお遍路が途中で中休みしたりしたが、それでも途中の休養日には、家族揃って、ひたすら体を休めることに専念していた。
 と、言うわけで、四国に行きながら観光地四国を見ていない、私はお遍路専念の四国旅しかしたことがないのだ。  
地蔵寺大師堂


温泉寺本堂 6番 温泉山安楽寺−−−服装について

 お遍路には、いくつかの決まりがある。その一つが服装だ。白に限られている。というより、お遍路さんというとたいていの人が思い浮かべるあの白い上着(白衣)と白のもんぺ様のズボンと、手甲脚絆が正式なファッションだ。これは、それぞれに願い事やご供養を胸に抱いて、お大師様のお導きで巡拝・修行をさせて頂くのだから、心身の清らかさを表す白が一番ふさわしいのだ。
 しかし、車を運転する都合とかいろいろあって、私の場合には服装は原則白という程度。下着は簡単なので、これは白にする。車は急に白くはならないので、(パールホワイトだ)これは仕方がないとして、白い物が手に入らなかったり、作る暇がとれなかったりしたものは、家にある物をそのまま使った。同行した両親に関しては、一応「白っぽくしてね」とは話しはしたが、現実には真っ赤なシャツとか、青いスラックスとかが登場してしまった。団体でバスなどで回っている人たちの中には、先達が厳しいので何もかも白でなくてはならないとおっしゃっている人もあったけれど、私はとにかく無理はしないことに決めているので、できる範囲でベストを尽くすことにしている。
温泉寺大師堂


十楽寺本堂 7番 光明山十楽寺−−−お遍路の足拵え

 はいている靴についてだが、車でのお遍路なら普通の靴でも可能だろう。しかし雨が降ったりして、石段が滑るという場合もあるし、苔や落ち葉などで滑りやすくなっている所もないわけではない。石段が大変なのは、10番の切幡寺、45番の岩屋寺、71番の弥谷寺などだ。数年前までは、60番の横峰山も、駐車場からかなりの登りがあったのだが、今年行ったら、更に上まで自動車道が延びていて、ずいぶん楽になっていた。
 私は、車で回るときは底の厚いスニーカーにしている。徒歩の時は、重いのだけが心配だったが、登山靴にした。足回りがしっかりしていないと、苦しむのは自分だからだ。歩き始めて最初の1週間は、本当に足の痛みとの戦いだった。私は、高野山の奥の院から始めて和歌山まで歩き、そこから高速船で徳島にでて、徳島から鳴門の西の1番寺の霊山寺まで歩いたのだが、本当に足は痛かったのだ。これで、靴がしっかりしていなかったら、きっと和歌山にも着かなかったのではないだろうか。

十楽寺大師堂


熊谷寺参道 8番 普明山熊谷寺−−−お接待で交通事故がなくなった話

 今から、6年前、私は病み上がりの両親と初めてお遍路にでた。母は、胃ガンで胃を全摘(胃を全部切り取る手術)したばかりだった。父は、怪我をしていた野鳩を保護して面倒を見ている間に、クリプトコッカスというばい菌に感染してしまい、その菌が脊髄の中に入り込んでしまって脳膜炎を起こして、九死に一生を得た。その後、病気の影響で何年か重い鬱病に悩まされていた。
 その両親が、「死ぬまでに一度、お遍路に行きたい」と言い出したので、私は仕事をやめて両親を連れて、四国に出たのだった。
 その初めてのお遍路で、これ又初めてお接待を受けたのがこの熊谷寺だった。東京生まれの東京育ちの私にとっては、見ず知らずの人に湯茶の接待を受け、お菓子を貰うというのは、ちょっとびっくりの体験だった。
 春の盛りの日差しのうららかな坂道の途中に机を出し、白い布を掛けて、家族総出で、お遍路さんにお接待をしていらっしゃった。何にも知らないと言うことは、本当に怖いものがないということで、私はそのおうちの人に、どうしてお接待をなさるのですか、と聞いたのだった。
 返事は、「こうして、お遍路さんにお接待することで、お大師様のお手伝いをさせていただいているおかげで、それまで、家族の中で年に1回、2回あった交通事故が一切なくなったのです。本当にありがたい事です」という。お接待にそういう功徳があることも知らなかったから、私は本当に心の底から感心したので、その話を今でも良く覚えている。
 私は、仏教の勉強をしたことがないので、お接待の本当の意味、お布施の本当の意味を知らない。お遍路に数回出た後の今でも、よくわかっていないのだ。それでも、自分が楽々できることではなく、努力して分かち合えるようなものを、お遍路さんに接待すると言うことの意味は何となく分かるような気がする。余っているものをくれてやるのではない。大げさに言えば、自分の何かを削って人に施すことに意味があるように思っている。
 私も、お遍路に出ている間は、及ばずながら回りに気を配って、人がして貰ったら嬉しいと思うようなことをなるだけ見つけてしようと努力するし、一つの蜜柑を二つに割って人と分かち合えるような精神になりたいと思っている。そして、お遍路から帰っても、その気持ち、そのフィーリングはなかなかなくならないのだ。これも、私にとっては大きな「おかげ」というものだろう。
熊谷寺の塔
熊谷寺本堂
熊谷寺大師堂


法輪寺山門 9番 正覚山法輪寺−−−お遍路用品・金剛杖

 お杖はお大師様の分身として大切に扱うべきものである。以前、お寺のご縁で歩き遍路に出たときは、お寺でお祈りをしていただいてお杖を頂いた。本来なら、宿についたらお大師様のおみ足を洗うように杖の先を洗って、そのまま部屋の床の間に立てるべきものだが、この実行はなかなか難しい。
 杖自体は、仁王様の持つ金剛杵をかたどっていて、上部は地・水・風・空・火の五行を表す五輪になっており、お大師様のご加護で無事に巡拝できるという、お守りの意味もある。側面には、「南無大師遍照金剛」と「同行二人」と書いてある。お寺についてお参りするときには、お杖立に立てたり、そばの木に立てかけたりするので忘れやすい。他の人の杖と紛れないように、自分の名前を書いておく。人によっては、手製の杖のカバーを上部に掛けて、ひと目でわかるようにしている人もある。
 杖にも長さという形でサイズがある。自分の身長にあった杖を選ぶことが大切。求めるときに相談してみるといいかも。実際に歩き遍路だったり、車での遍路でもお寺の急な坂などでは、お杖があるととても歩きやすい。本当に必需品である。
法輪寺本堂と大師堂


切幡寺 奥の院遠景 10番 得度山切幡寺−−−お遍路用品・菅笠

 歩き遍路の場合、40日以上の行程を行くけれど、その間の強い日差しと雨からお遍路さんを守ってくれるのが菅笠だ。笠には、「同行二人」と自分の氏名を書く。この「同行二人」の意味は、一人で修行していても、常にお大師様が一緒に歩いて下さるという意味があって、本当に心強い言葉なのだ。
 札所や仏具店などで笠を購入したら、自分の頭にあわせて結びひもを調節したり、必要ならひもを付け足してかぶりやすく、風などでとばされないようにきちんと縛れるように調節するといい。
切幡寺本堂
切幡寺大師堂

 


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