第9話

心の在り処

原画

志村 良 松坂定俊 中沢勇一 吉岡 勝

後藤潤二 内納健治 内田 考

99年5月30日放送 (TV埼玉、千葉TV)

脚  本:山口 宏 作画監督:斉藤英子

絵コンテ:岩崎良明 演  出:村田和也

(アイキャッチBGM)

Aパート直後 

 Bパート直前

智子

あかり

 

 その責任をとってるだけや

・アバンタイトル

 時は学園祭直前3日前。学校中がその準備でにぎわっている描写から始まり、あかりの2−Bは喫茶店をやるということである。

・Aパート

 画用紙をもらいに校舎を出たあかりは、芹香、琴音を見つけ、葵と会話を交す。以前登場した人物もしっかりとこの学園に溶け込んでいたという描写といえよう。

 岡田達の提案で、喫茶店をやるにあたって机や椅子を搬入し本格的にやろうということになる。乗り気の彼女達だが、智子は問題点を指摘した後に素直に了承する。実際、この土壇場での変更は大変なのだが、智子は何ら不満も乗り気の様子も見せず、あくまで事務的だった。それが岡田達には気にくわない。
気を使うあかりだが、それにも智子は「みんなが楽しかったらそれでええ」と自分の感情を表に出さなかった。

 学園祭前日の放課後、搬入の車がなかなかこない。

・Bパート

 机や椅子の搬入が遅れ、下校時間までには何ら準備ができなかった。岡田達は無理にでも残りたいと主張するが、智子はそれでは喫茶店自体中止になりかねないとたしなめる。結局は浩之の介入もあり、朝早く来て準備するしかないということになる。

 しかし、皆が下校したというのに、智子は一人準備をしていた。体裁上皆で残るのはまずいが、自分一人ならどうとでもなる。改装の許可を出したのは自分であり、その責任をとっているのだと、彼女は彼女の筋を通そうとしていた。ここでもクラスのためではなく、あくまで「委員長の立場」としてのみの行動をしている。

 あかりと浩之も許可をとって手伝うこととなるが、そんな二人に智子は自分のことを語りだした。それは両親の離婚により、周りを信用できず自分を出すことがためらわれたため「ここは自分の居場所やない」と思うことで、周りと距離をとっていたのだと。そんな智子を皆は「一人もの」と思っただろうし、智子自身も「誰も自分と関わりたがるはずない」と思ったいた。けれど、そうやって距離をとりながらも自分の使命だけを確実にこなす智子を、「いつもみんなが困らないように気配りしてるし」とあかりは評価した。自分で自分を「そうだ」と決めつけていた事以外にも、自分の見方、価値があると聞かされて智子はびっくりしただろう。

 翌日朝早く、岡田達は学校に来た。彼女達も彼女達なりに、自分がやろうとしたことには筋を通すつもりだった。だが、すでに智子とあかりが来ていた。びっくりする彼女だが、経緯はどうあれあとはやるべきことをやるだけである。

・総評

 委員長として行動し発言した智子。融通がきかないようにも見えるが、「許可がいる」「バレたら中止になる」等、彼女の意見は非常にもっともである。ただの頑固物や面倒くさがりやではなく、ちゃんとしたクラスの責任者として見えた。本編で対立した岡田にしても、ただのいじわるや無責任な人間ではなく、彼女なりのやりたいこと目指すものがあるというのは十分見てとれた。このように、どちらかを悪にしたてるでも非があると見せるでもなく、どちらも対等な人物として扱ったのが非常によいと思えた。どちらにもそれぞれの意見や考え方、立場があるのであり、そうした「価値観の違い」を見事に描いた秀逸の回である。
 同じ智子にしても、岡田とあかりではまるで違うように評価、認識していたという価値観の違い。だからこそ、最後で「砂糖とミルクがないと飲まれへん」という、智子自身と浩之達の思う智子の違いがあらわになったシーンがあるのだろう。

 ただひたすら、自分がどうかは別に「クラスのみんながよければええ」という趣旨に基づいて行動した智子。クラスの一員ではなく、委員長としてのみ存在し、その価値が認められていると自ら思っていた。ただその価値も絶対ではないということを、あかりによってほんの少し感じることができたのではないだろうか。

 この回のサイブタイトルである「心の在り処」とは、心をどこに置くかということである。自分自身の価値にこだわった智子はそれを自分の中にしか持とうとしなかった。自分の価値を許容できる人、同じ価値観を持ている人には、自分の心の置きどころがあると思えるのではないだろうか。

 2−Bの喫茶店は「Be Loved」(愛されよう)という名前である。これは同時に「愛される価値を持とう」という意味かもしれない。

 

 

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