ソーメン流しにとりつかれた男の記録営業編

 
 
東京国際展示場にて発表

1999年10月     
レオナルド経営するマナスル電子で、毎年、国際展示場で行われる中小企業展の人寄せ用に「珍発明」を出しているが、今回は当然「ソーメン流し」を出展。
こわい顔をしたおじさんたちも、わが社のブースの前に来ると、にっこりして話がはずむ。
商談は予想通り何も無し。
 
福島で見たソーメン流し

2000年4月30日 
季節の流れと共にあんなに一生懸命になった、「ソーメン流し」もいつしか思い出となり、木枯らしが吹く頃には考えることさえ空寒く思える。
そして年が明け、桜が咲き、草木が芽吹き、この世の万物に恋心が芽生える5月のある日の事です。

妻と福島を温泉旅行中に「日本一のソーメン流し」の看板にむらむらと、去年の夏の闘志がよみがえり、看板を頼りに山道を車で登ること延々2時間。
行き着いたところは林道の終点にある、釣り堀と「ソーメン流し」を売り物にしている山小屋であった。

山から湧き出す水を、写真のように流し、そこで「ソーメン流し」をやります、そこを流れた水は残ったソーメンと共に下の池に流します。
その池にはマスが泳いでおり、おいしそうに残ったソーメンを食べています。よく見るとお客さんはソーメンとマスの塩焼きをおいしそうに食べています。
魚も人も幸せそうな、山の上の、すばらしい循環型社会でした。
           
                      
 
2000年夏300人のソーメン流しに挑戦

2000年7月1日  
横浜市港北区の港北幼稚園より300人のソーメン流しを依頼される。
開発した回転式だけでは足りないので、オーソドックスな竹で流す方式を試みる。
港北幼稚園はテレビで放映中の盲目の主人(美人)と盲導犬の愛情ドラマ「ハッピー2」の舞台となっています。

    
     嵐の前の静けさ      回転式もさらに増強       それー流すぞー 
 
     
     お母さんたべていい?     おいしくて気持ちいい    ほらきたきた
 
いよいよ出前始める

2000年8月5日
同郷の川崎市宮前区の佐多氏宅に出前「ソーメン流し」に行く、この時より屋号を「ソーメン流しと天ぷらの池田屋」と決定。
いよいよ世界初「ソーメン流し出前」行動開始か。

          

         

世のあらゆる事に才能、いや興味があるレオナルドにもアキレス腱がある、料理ばかりは苦手である。
これを機に「野天ぷら」の達人を目指して一念発起する。(注 野天ぷらとは野外で揚げる天ぷらのこと レオナルドの造語)
前日には自宅の庭で、リハーサルと言う気の入れようであった。

何事にも研究心旺盛なレオナルドは、この日も温度と上がり具合は?材料は?庭のいろいろな葉っぱを上げると味は?などと、揚げてはパクパク試食するのでありました。

佐多ファミリー、山田嬢も大喜び、大満足で我が家に帰り、ほっとして我に返ると、なにやらムカムカ、・:@¥#$  「もう天ぷらは3年くらいは食べたくない」と言う気分になってきたのであります。
この夜は一晩中ムカムカして眠れず、何とか一命はとりとめたものの「天ぷらは食べ過ぎるべからず」を悟った、レオナルドでありました。
 
なつかしい丹波で再び

2000年8月13日
ソーメン流しをここまで育ててくれたギター仲間の一年ぶりの合宿です。
今回は天ぷらとセットの豪華版、山に囲まれた丹波で、切ったばかりの青い竹の壺、自然いっぱいの中で、皆さん大喜びでした。
ちなみにレオナルドは小さな天ぷらを一切れ食べただけで、もう幸せいっぱいでした。

            

                  
 
 
 
横浜から千葉へ出前
2000年8月19日
いよいよ千葉へ進出、横浜よりアクアラインで東京湾をくぐり、君津の日高宅へ出前です。
車の中には道具一式を積んだままなので準備も手慣れたものです。また、だんだんと余裕が出てきて今回はビデオも撮影しました。
日高宅は娘二人に息子一人、かわいい、なっちゃんとあきなちゃんがキャーキャー喜ぶ姿を見てこの上ない満足感のレオナルドでありました。

             
 

                     

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