徒然過去日記・2005年1月

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01/01 あけましておめでとうございます

2005/01/01 12:15
 怒涛の2004年も去り、未だどうなるか未知数の2005年がやって来た。思えば日本では10個も台風が上陸したり、2ヶ月も経つのにまだ余震がなくなり切らない大地震が来たりと、カタストロフを感じさせるような大変な年になってしまった。わたしの高校時代からの友人で、今は新潟県に住む人も、7月の台風で床上1m以上も浸水した3ヵ月後に地震に遭ったらしい。地震の被害はなかったものの、床上浸水では避難所生活を経験したのだという。小さい子供たち2人を抱えてどんなにか大変だったろう。
 年の瀬押し詰まってからの巨大津波で遭難した方々は10万人を軽く超える大惨事。のんびりお正月を迎えるどころではない人たちが世界中に山ほどいらっしゃる訳で、どうかその人たちが1日も早く「いつもの生活」に戻れるように、と願ってやまない。
 できたら2005年はせめてもうちょっとだけでも穏やかな、平和な年になりますように。

 世界中がそんなに大変なことになっているのに、ウチでは申し訳ないくらいに平々凡々な年越しをすることができた。のんびりと過ごせることの有り難さをしみじみと噛み締めつつ、いつ何があっても対処できるだけの備えや心構えと、「困った時はお互いさま」と気軽に人助けできる物心両面の余裕を持っていなくてはならないな、と思うのである。
 手始めに身近なところで気配りを発揮する練習をしようと頑張った「大晦日恒例鍋パーティ」は、サーヴィス精神を振り絞ったおかげでやっぱり疲れ果ててしまった。幸い鍋&餃子&オードブル&こんにゃくの煮物はだいたい好評で安心である。かなり口の肥えている義弟君が「この餃子はアンコールだねえ♪」とコメントをくれたのが個人的に何よりの褒め言葉で、あれだけ喜んで食べてもらえるのならば、大晦日は手作り餃子も恒例にしてもいいかな、などと思っている。1年後に気が変わっていなければの話だが。

 大晦日の個人的な注目ポイントは、ケーブルTVで放送していた「ベートーヴェンの交響曲全曲一括公演」の生中継だった。半日以上かけて第1番から第9番「合唱付き」まで一挙に演奏するという、まるでFCLAの耐久オフのような体育会系のコンサートである。わたしも延々と台所仕事を続けながら、横目でTVをちらちら眺めつつ、聴くともなしに演奏を聴いていたのだった。
 司会者役だったのか何なのか良く判らないのだが、とある有名作曲家が舞台でウンチクを垂れていて、それがあまりに的外れだったのでかなりアタマに来てしまった。大先生いわく「器楽曲は論理的で歌曲は情緒的」、「ロジカルな構成を持つ器楽曲は主にヨーロッパだけで発達した」、「高尚なメッセージ性のない流行音楽なんてカス」、「オペラより交響曲の方が格上」、「ヨーロッパ音楽は常に革新的だが日本の音楽は伝統を固持する傾向がある」、「偉大な作曲家はほとんどドイツ人」なのだそうだ。

 注釈として「そういう風に言う人々も居ますけど」という枕詞が付いていたが、当の大先生ご自身がそう考えているというのがほぼ見え見えで、注釈が付いているのが却って言い訳がましくてイヤな感じ。しかもそれらの問題発言に突入する前に「歌は女性的で器楽曲は男性的ですかね」などと言っていた。もんのすごーくマッチョで西洋崇拝的な思想の持ち主でいらっしゃるらしい。
 大先生よりは音楽的知識はもちろん少ないが、東洋の器楽曲と言えばガムランや日本の雅楽、韓国のチュンアク、唐の燕楽などについて聞いたことがある。わたしが思うにこういう音楽だって分析してみれば非常に数学的な構成をしているハズだろう。日本の伝統芸能・歌舞伎だって元々は流行の芸能アトラクションだった。根本的本質的にエモーショナルな「音楽」で、高尚なメッセージ性とやらだけを追求するとどれほどつまらないものが出来上がるかも経験的に明らかだと思う。
 要はベートーヴェンの偉大さを語りたかったのだろうが、引き換えに他のジャンルを貶すという手法を用いるあたり非常に阿呆である。こういうことを言うから「クラシック音楽は堅苦しくてイヤ」などと思われてしまうのではないだろうか。良く考えたらこの大先生、先日呆れ果てた『ジュニア・バタフライ』の作曲者なのであった。ソリが合わないのもむべなるかな、かもしれない。

 そんなことはさておき、全曲を指揮した岩城宏之さんが非常に素敵だったのが嬉しいのである。長丁場だったので、もちろん全部通してじっくり観られた訳ではないのだが、どの曲もメリハリの利いたいい演奏だったと思う。特にわたしの大好きな交響曲7番と9番「合唱付き」が良かった。小気味の良いテンポ感、カタルシスに向かって駆け上がっていく高揚感、それでいてけれん味のない、ベートーヴェンらしい実直な感じ。聴いていて思わずわくわくしてくる演奏で、指揮している岩城宏之さんもオケのメンバーも、ノリノリで楽しんで弾いているのが良く判るのが素晴らしかった。
 今まで岩城宏之さんと言うと、有名な指揮者というよりは『棒ふりの休日』や『九段坂から』などの、面白くて時々じんわり来るエッセイの作者としての認識の方が強かった。指揮するコンサートに出掛けて行ったこともない。恥ずかしながら、こんなに熱くて胸に迫る指揮者さんだとは知らなかった。大反省である。

 エッセイで読んだのだが、岩城さんは元々マリンバ奏者で、NHK交響楽団でもパーカッション担当でいらしたと思う。リズムセクションの人だから、ああいうメリハリの利いたビート感のある演奏なのかなあなどとシロートながら考えていたのだった。できたらあの演奏、特に7番と9番はぜひとももう1度聴きたいし、叶うことなら録画して残しておきたい。いっぺんにあれだけの長い枠を取るのは難しいだろうが、何日かに分けて再放送してくれないだろうか。
 DVDソフトとして発売されるということも考えられる。そういう場合はきっとBOXセットだろうけれど、高価く付いてしまうからできたらバラ売りもして欲しいなあ。相変わらず先走った身勝手な意見である(我ながら呆れ)。




01/02 1年の計は元旦にあるらしい

2005/01/02 08:45
 子供の頃は良くそう言われて、元旦くらいは品行方正にスケジュール通り、ダレることなく過ごすことを要求されていたのだった。最近でもそういう習慣が残っているのかどうか知らないが、正月3が日は着物を着ることになっていたもので、普段と違う雰囲気に心浮き立つものを感じつつ、足元がメチャクチャに寒いので困ったものだった。裾がバサバサでスースーするし、足袋が短いのがまた寒い。あれがせめてハイソックス並みの膝丈まであれば、炬燵から出られなくなるようなあの心許なさも軽減したのではないかと思う。
 おかしなもので、その頃に父が教えてくれた「福助足袋」のコマーシャルソングは今でも覚えていたりする。「♪昨夜ミミズの鳴く声聞いた、あれはケラだよオケラだよ」で始まる陽気で愉快な歌で、妙に気に入って良く歌ったものだった。あの歌のおかげで、足袋に付いている留め具のことを「こはぜ」と呼ぶのだということを覚えたのだが、その後和服を着る機会は激減、最後に着物を着たのは成人式の記念写真を撮る時である。「こはぜ」のトリビアはまったく出番がないのが寂しい。

 もう言い飽きたことなのだが、冷え性の人間にとって何より辛いのは手先・足先の寒さである。以下続いて首筋(肩)、背中、お腹の順番に寒さが堪える。これはわたしの基準なので万人共通ではないかもしれないが。ともかく脚、しかも膝から下をガンガンに温めてもらえれば、かなりの気温まで耐えられると思う。
 この「膝から下の切なさ」は家人にはまったく判らないようで、いつも揶揄の対象にされるのが腹が立つ。昨夜もPCをいじりつつ足元の電熱ヒーターを点け、ついでに膝の上には湯たんぽを抱えていた。湯たんぽは別にその時必要だったのではなくて、就寝時の必需品を早めに準備していただけだったのだが、その有様があまりに重装備に見えたらしい。「そんなに寒いの? ストーヴだって点いてるじゃん。バッカみたい」と家人は呆れて言うのである。
 「バッカみたい」というのは家人の口癖のような言い草だが、何度言われても無性に腹が立つ。愚かな行動を嗤われるのであればまだ我慢もできるが、特にこういう寒がりなんてどうにもならないではないか。家人のように自前の肉襦袢を着込んでいる訳ではないからな、と思いつつ、そう口に出したらまた喧嘩になる。元旦から喧嘩というのもあまりに何なので、そのまま黙って寝室に引き上げたのだった。

 今日は寒がりにはちょっとばかり辛いが、毎年楽しみにしている恒例のラグビー大学選手権の準決勝観戦である。しかも天気予報によれば今日の最低気温は0℃だとかで、とりわけ寒いらしい。困ったものである。普段観戦するメインスタンドではなくて、一応日の当たるバックスタンドでの観戦予定なのだが、わたしの場合身体に日が当たろうが何だろうが手元足元が寒いのは変わりない。2試合分もじーっと座っていると、寒さがしんしんと昇ってきて本当にキビシイのである。
 とりあえず重装備のつもりではいるが、冷え性人間にとって、重ね着というのは実はあまり意味を成さない。家に居る時からずっと重装備をしていて、手元や足元を冷やさないまま競技場へ辿り着ければまたちょっとだけ違って来るのだが、途中のどこかで手先足先が一端冷えてしまうと、後はもうずっと切ないままだったりする。身体が温かければその血が足や手に巡っているハズだとは思うのだが、なぜ末端だけいつもいつもこんなに冷たいのだろう。謎である。

 ストッキングを履き、上からタイツを履き、半タイツを重ねて腹巻をして、背中にはミニサイズの「貼るカイロ」をくっつけるつもりなのだが、これで大丈夫だろうか。もちろん競技場の固くて冷たい椅子対策に、ムートンの座布団と下敷き用古新聞も持参予定。靴は中敷がふかふかの丈短ブーツ。経験上、靴の中に入れるタイプの携帯カイロはあまり役に立たないので却下。代わりにタイツの膝上くらいのところに、ミニサイズの「貼るカイロ」を1枚ずつ貼り付けたらどうだろうと思っている。
 わたしの場合、寒さ対策はやり過ぎるということはほとんどないのだが、競技場のステイタスを基準とすると途中の地下鉄の中でのぼせるかもしれない。この辺りもなかなか難しい。本当に毎年悩んでしまうのである(阿呆)。




01/03 第41回全国大学ラグビー選手権・準決勝

2005/01/03 17:58
 昨年と対戦相手は同じで同志社大学。あの時は前半はゼロ封だったのに後半思いがけない猛烈反撃を喰らい、5点差でギリギリ逃げ切った冷や汗ものの勝利だった。ロスタイム終了間際、同大のCTB・平浩二選手の激走を、キャプテンのSO・大田尾竜彦選手がワセダゴール前5mで辛うじてタッチラインの外へ押し出したのである。当然、同志社の選手たちは死ぬほど悔しい思いをしたために「あの5mを取り返せ!」を合言葉に打倒ワセダに燃えている。メチャクチャ気合の入った状態で試合に臨むだろうと予想された。
 1回戦、2回戦共にやや不完全燃焼気味の試合内容で、対抗戦の途中にピークを迎えてしまって現在の調子は下降線にあるのではないかと心配していた。同志社が死に物狂いで来るとしたら、今年もまた苦戦してしまうのではないか。第1試合の法政大学 vs 関東学院大学戦が予想外の接戦となったので、微妙に落ち着かない気分でキックオフを迎えた国立競技場の午後2時だった。

 予想はいい方向に外れてくれて、第2試合はほぼワセダの完全勝利に終わった。昨年と違うもう1点は、大贔屓のWTB・首藤甲子郎選手がピッチに立っていたこと。昨年は2回戦で、接触プレイの際に顎の骨を折るという大怪我をしてしまい、準決勝も決勝も出られなかったのである。
 さらに昨年の今頃は「最近スランプなのではないか」などと心配されていたSH・後藤翔太選手(もう1人の大贔屓)は、この1年で見違えるほどに成長してくれた。球出しの早さとパスやキックの的確な判断など、大学ラグビー界でも屈指のSHに育ったと言っても過言ではないと思う。前の試合で右肘を少々傷めたらしいと心配していたのだが、この準決勝でも無事に元気に活躍してくれた。

 好きなものだけを特異的に選り分けて観察する傾向を持つわたしのおメメであるが、そういう贔屓目を差し引いても、後藤選手と首藤選手の活躍は目覚しかったと思う。前半29分、LO・内橋徹選手のクイックリスタート(←FWの選手がこういうことをするのは結構珍しいような気がする)からSH・後藤翔太選手へボールが回り、後藤選手が奇跡のような2人飛ばしのワイドパスを出してそれが見事にWTB・首藤甲子郎選手へ通る。首藤選手はライン際ギリギリを同大選手2人をかわして駆け抜け、同大のSH・竹山森選手(この選手もお気に入り)のタックルを絶妙のボディコントロールで外して左隅にトライ。
 もう我を忘れてゼッキョーするような美しいプレイであった。ラグビー解説者の小林深緑郎さんがいつだったか首藤選手のことを「ライン際の魔術師」と称したけれど、まさに芸術的とさえ言えるような素晴らしい身のこなしである。ボールを抱え、追いすがる同大の選手たちをかわしつつ、不安定な姿勢でごく狭いスペースを走らねばならない。ちょっとでもタッチラインを踏んだらアウトである。そこを小柄な首藤選手はスルスルーッと抜けていくのだが、帰宅してから録画のスロー再生シーンで熟視しても、推定あと1cmとか2cmとかの際どさでやっぱり踏んでいないのだ。

 柔道の経験があるために下半身が強くて重心を低く保ったまま走れるというのがその秘密だろうと思う。そういうランはこのトライシーン以外でも随所で見られていた。同大の選手がボールを持って走り出すと、首藤選手はどこからともなく走って来て低く突き刺さるような果敢なタックルを決めるのである。小柄だというのが却ってメリットになって、見えないところからいきなりタックルされ、同大の選手たちはかなり驚いた場面もあったのではないだろうか。
 パスを受け取る時の確実性がもう少し上がれば、この試合、少なくともあと2、3個はトライを取れていただろうと思う。ハンドリングエラーがやや多かったのは、1シーズンフルに出ていなかったためにゲーム感覚が完全ではなかったのかもしれない。体格に比例して手が小さいとか、腕が短いとかももしかしたらあるだろうか。どういう練習をすればノックオンが減らせるのかは判らないのだが、体格を練習で補完できる方法があるのなら、ぜひその点を補強してほしいなあと思う。
 自分では「ディフェンス面が少し弱い」とどこかで語っていたけれど、少なくともここ数試合ではそういう感じはもう受けない。運動量が際立って多いこともあるし、確実に脚を狙うタックルはかなり効果的だったように見える。今後の課題として、チェイスする時の技術的なディテールが残っていないこともないのだが、試合で経験を積むにつれて熟練するものだろう。あとはゲームフィットネスで、後半の後半は多少足が止まっていたかもしれない。

 首藤選手の話ばかりになってしまったが、そんな訳で、久しぶりに安心して観戦できる会心の勝利であった。FW陣は相変わらず強かったし、前の試合不安が残ったBK陣も意思統一が取れた美しいパス回しができていた。後半の後半、メンバーが大勢交代してからはちょっとだけ気が抜けてしまったけれども、早くも来シーズンを視野に入れた選手起用と考えれば理解できないこともない。実戦感覚を養うためにはやはり実際の試合に出るのが一番だろう。リザーヴの選手たちには良い経験だったと思う。
 学生スポーツの哀しいところは、どんなに強いチームができても、選手たちがどんどん入れ替わってしまうためにそのレヴェルをなかなか維持できないという点である。昨年あれほどの無敵ぶりを誇った関東学院大学然り、おそらくは来シーズンのワセダも然り。それはまた学生スポーツの「面白いところ」でもあるのだが。
 とは言えやっぱり、来シーズンは「ワセダの後藤翔太選手」が居ないのが寂しくて仕方ない。最強のFW陣も、レギュラーはほとんどが抜けてしまう。対戦相手となる他の大学でも、同志社のSH・竹山森選手とかCTB・平浩二選手、法政大学の穂坂亘選手などが来年は居なくなる。トップリーグのチームでラグビーを続けてくれる場合は活躍を見続けられるのだが、例えば一昨年のワセダのFL・羽生憲久選手のように、卒業後はラグビーは趣味の範囲に留める道を選ぶ人も居る。

 来シーズンも気になるが、とりあえず目前の大問題は来週の決勝戦である。準決勝第1試合の法政大学戦を観た感じでは、関東学院大学はやはり去年の圧倒的強さを取り戻すところまでは行っていないように見える。しかし今シーズン最初の頃にボロボロだった時よりは、ずっとずっと立て直して試合巧者っぷりを身に付けているのは間違いない。特にFWのスクラムは実にイヤな感じで、非常にクレヴァーというかテクニカルというか、相手チームのFW陣が力を最大限に発揮しづらい組み方をしている。
 ワセダ史上最強のFWが押し負けることもよもやあるまいが、FWのプレッシャーを受ければ受けるほど、BK陣のランの自由度が下がるのは間違いない。モットーの「アルティメットクラッシュ」を目指し、ぜひぜひ最後のひと踏ん張りに向けて、ワセダの選手ひとりひとり、気を抜かずに万全の調整をして欲しいと思う。
 そしてできれば後藤翔太選手の華麗なパスで首藤甲子郎選手がガンガン走りまくるところを観たいのである(←個人的シュミ)。




01/04 手遅れにならないうちに

2005/01/04 18:48
 なんだかここ2、3日カラダが重い。どうしたのかなあと、入浴後に体重計に乗ってみて仰天した。なんということか、この1週間で2kgも肥えているのである。年末年始で美味しいものを暴飲暴食していたし、多忙をいいことにスポーツクラブもサボり気味だったし、まあ全然不思議な現象ではないのだが驚いた。この調子で増え続けたら大変である。美味しいものを食べる口の習慣も付いてしまっているし、ダラダラ喰いの気配もある。ヤヴァイ。激しくヤヴァイ。
 それだけ喰えるほどに胃袋が復調した証でもあるのだが、胃袋不調の1年間にじわじわ5kg痩せたのが、年末年始カーニヴァルの1週間で2kg戻ってしまうのには虚しさも感じる。全然苦労せずに5kg落ちたので、不遜にも「ダイエットなんて簡単だね」などと嘯いていたのだが、やはり訂正せねばなるまい。ダイエットというかシェイプアップって、やっぱりとっても難しいのである。

 ともあれ、少なくともこれ以上増えないように、運動の習慣だけはせめて取り戻さねばならない。手始めに早速今日からスポーツクラブ通いを復活させようと思った。仕事始めで出勤する家人を送り出して、多少の日常業務を済ませてから出掛けよう。ただし洗濯だけは、スポーツクラブから帰って来た後、びしょびしょの運動着を追加して始めることにしよう。
 家人の今日のスケジュールは夜勤シフトなので、午前中少々遅くなっての出勤となる。わたしも家を出るのは11時くらいだろうかと腹積もりをしていた。怠け癖が付き始めていて、面倒臭いなあという気持ちが出て来る前にとりあえず動き出してしまった方が良いので、実はもうちょっと早目に行動開始したかったが仕方ない。モロモロの雑用を終え、あまり乗り気ではない怠け心を宥めすかし、準備万端さて出掛けるかというところで隣家直通のインターフォンが鳴った。

 義母の愛用ノートPCの調子が悪くて、ネットに全然繋がらないので様子を見てほしい、という。よりによってまた時間のかかりそうな突発事項発生である。内心ぎょえーっと思いつつ冷静を装って詳細を訊くと、義母のお気に入りのアプリが「取り消されたナントカ」という画面から動かないのだそうだ。
 隣家のノートPCの不調は今に始まったことではなく、それはPC本体というよりもネット接続環境の問題である。ウチのADSLが時々メチャクチャに不安定になる上に隣家のノートとは無線LAN接続で、元々大層不安定なのだ。わたしとしてはどうしてもセキュリティ上の不安も残るので無線LANは好きではないのだが、隣家の限定された用途のために独立加入するのはもったいないし、有線でLANを組む時のゴチャゴチャ配線を考えるとゾッとする。どっちみち義父母にメンテナンスはおそらく無理だろう。それならやはりターミナルをウチに置いておいた方が結局は手間が省ける。
 運が良ければADSLモデムの電源をOFF/ONするだけで直ることもある。その程度で復活してくれれば、家を出るのが単に5分か10分遅れるだけでスポーツクラブ行きには影響はない。どうか、どうか…と祈りつつモデムのACアダプタを引っこ抜いた。

 電源を入れ直してからウチのPCでネットに繋いでみる。順調。これで復活したかと訊いたがやはりダメらしい。思い当たることはないのだが、とりあえず隣家に出張してノートを見れば、なるほど確かに特定のアプリだけがおかしい。試しにIEを起動するとちゃんと繋がるので、どうやら回線の問題ではないようである。もしかしたら義母の接続先サーバが落ちているのだろうか。そうだとするとわたしに出来ることは何もなくなる。
 たまたま同じアプリがウチのPCにも入っているので、念のためにウチから接続を試みる。およ、繋がるぞ? ということはやっぱり隣家のノートがおかしいということになる。ヘンだなあ、義母は「自分で使う以外の機能は触らない」主義で、テキストエディタやメーラさえ立ち上げたことがない人なのだ。何かの設定を弄ってどうにかしてしまったということは考えられない。

 むーんと1分考えて、昨日このノートで何か特別な作業はしましたか? と訊いてみる。すると夕方、家人が期限切れのウイルスソフトを更新したらしい。わたしはコロリと忘れていたのだが、そう言われれば確かに黄色と青の箱が脳裏に浮かぶ。なるほどそれで判った。おそらく家人がウイルスソフトの更新作業後に、義母のお気に入りアプリの例外設定をし忘れたに違いない。たぶんIEはデフォルトで接続設定されるために、他のアプリが遮断されることを忘れてしまったのだろう。
 ウイルスソフトを開いてみると案の定である。やれやれと思いつつ設定を変更し、念のために再起動をかける。義母のアプリは無事に繋がるようになってメデタシメデタシ。義父母が「まとりさんも実はコンピュータに詳しいんじゃないの」と感心して下さるので恐縮する。ここここんなの詳しい部類に入りませんってば(汗)。とは言え家人が今までに少々過剰気味にわたしのPCスキルを低く宣伝していたのは確からしい。実はその方がサポートに駆り出される頻度が低くて好都合なのだが、どれだけけなしていたのかと思うと少々ムッとする。どのみち今回のことで「多少頼りになるらしい」フラグが立ってしまった。

 なし崩しに雑談に雪崩れ込み、帰って来たのは出かける予定時刻の1時間後だった。さすがにもう面倒臭さの方が先に立ってしまったので、今日のスポーツクラブ行きはキャンセルである(根性ナシ)。仕方ないから遅ればせに洗濯でも始めることにする。家人のうっかりミスのせいで、増えた2kgの手当てが明日以降に延期になってしまった。サボリ癖が本格化したらどうしてくれるんだ!
 とは言うもののこの怒りは半ば八つ当たりである。良く良く考えたら、いっちばん最初に義母が直通インターフォンで言っていた「どういうことか良く判らないのだけれど、“取り消されたアクション”がどうとか出て動かないのよー」でピンと来るべきだったのだ。その後ちゃんと自分の目でそのエラー画面だって見ているのに。そこでちゃんと気が付いていれば、時間のロスも10分かそこらで済んだだろう。行こうと思えばそれからだってじゅうぶんスポーツクラブへ行けたに違いない。

 何となく言い訳がましいが、とりあえず絶対何が何でも明日から、ちゃんと運動も再開するし暴飲暴食もヤメにするぞ。「明日から」という台詞がどれだけダイエットに禁物か判ってはいるのだが、今日のこの自己嫌悪を解消するにはおやつの力を借りずにはいられない。結局今日も、家人が正月に買った「お菓子福袋」に入っていたクッキーを食べてしまったのだった。
 間食習慣をコントロールするために、しばらくお菓子の買い置きはやめなければなるまい。やれやれ。まったく意思が弱くて困ってしまう(とほほ)。




01/05 見分け方が難しいんだよね

2005/01/05 17:46
 メールアドレスを持っている人の、きっと9割以上がスパムメールに困っていると思う。ウイルスがくっついてるような悪質なものは当然問題外の有害ゴミ。そうでないものも、有用なメールを埋もれさせて見落とす危険性をもたらすという点ではやっぱりゴミである。外国からのスパムで多いのはアダルト系やクスリ系。タイトルしか見てないのでもしかしたら違うかもしれないがどうでも良い。日本語のスパムはより分別しにくいのが困る。最近は友人を装って「おひさしぶり、元気?」などというタイトルで送って寄越すので、プロバイダのスパムフィルタが機能しないのである。
 前々から思っているのだが、それでなくても大抵のスパムフィルタは性能が甘い。どういうアルゴリズムで仕分けているのか判らないが、明らかにヘンなアドレスから送られてきていたり、タイトルが (no subject) だったりするスパムを分け損ねていることが多々あって、そのたびに心狭いわたしは「おまえ、なんという無能ぶりだ」とフィルタに毒づいてしまうのである。特にアダルト系のスパムはタイトルをちらりと見ただけで不愉快になってしまうようなドギツイのもある。ああいうキイワードはさっさと覚えろよ、と思う。

 スパムなんか何通来ようが気にしなければいいのだが、やはり人間の器が小さいのだろう、どうしてもいちいち気になってしまう。特にメインのアドレスとして使っているニフティ宛のが数的にも一番多く、タイトルや差出人にはその時その時の流行があるのか、同じものがズラーッとおいでになったりする。
 「ニフティID@nifty.com」というメールアドレスだと、アルファベットと数字の順列組み合わせでスパムの対象になりやすい。いつからかそういうアドレスに送られて来るメールは受信しないという設定もできるようになっているのだが、わたしの場合、ニフIDのアドレスで登録しているモロモロがあまりに多いために、下手にシャットアウトすることもできない。登録アドレスをいちいち変更すればいいのだがそれも面倒臭いのである(横着者)。

 一昨日のこと、ニフティのwebメールを覗きに行ったら特にアヤシイのがまたまた来ていた。タイトルは「遅ればせの年賀状」というようなニュアンスで、メールアドレス以外に差出人を推定できる情報はない。名前のイニシャルと苗字を組み合わせたと思われるアドレスにもまったく覚えがない。しかもファイルサイズが300kb以上もあって添付ファイル付き。
 これはたぶんまたスパムだろう、と思ったのだが、よっくよく考え直してみると、アドレスに含まれる文字列の苗字には1件だけ心当たりがある。ありふれた姓ではないがそれほど珍しくもないので確信は持てない。もしかして心当たりの人から送られてきたものだとしたら読まなきゃイカンしなあと、試しに本文を開いてみてさらに困ってしまった。

 本文を読んでも誰から送られて来たのか判らないのだ。年末年始が忙しかったので年賀状はメールで送りますという言葉と、じゃっかんの近況らしきエピソードが短く書かれているのだが、たった2行のそれでは差出人が誰なのか見当も付かない。本文中で名乗ってもいないし署名もない。添付ファイル(jpg)のタイトルからも全然判断できない。
 捨てるべきか、開くべきか、ううむと悩んでしまった。思いつく限りの友人知人には、この手の謎メールを送って寄越す「厨房」は居ないハズである。もしかしたら手の込んだウイルスメールだろうか。プロバイダで一応のウイルスチェックはしているが、そこを潜り抜ける新種が皆無とは言い切れまい。
 たっぷり3分は悩んだ挙句、念のためにもう1度ウイルスチェックをしてから添付ファイルを開いてみた。途端にガックリ来た。やっぱりというか、心当たりの叔父その人からだった。あの叔父はこんなアホメール送るタイプには思えなかったのだが…。

 最近はそういうサーヴィスがあるのだろうか、年賀状の表書きと裏書きを横に2枚並べたものを画像にしてあって、それを丸ごと送って来ちゃったのである。なるほどサイズが300kb以上なのも納得だが、もしや叔父さんたらコレをあちこちにバラ撒いたのだろうか。昔と違ってデカいメールはそれほど迷惑ではないだろうけれど、誰だか判らない人から300kbのメールが来たら、やっぱり警戒する人の方が多いだろう。ウイルス付きでなくても、グロだのエロだのの画像を無差別に送りつける輩も居ると聞くし。
 わたしの想像するに、送られた人たちのうち少なからぬ人数が、このメールは読まずにそのままゴミ箱へ放り込んだのではないだろうか。わたしだってもうちょっとでゴミ箱直行させるところだった。タイトルで誰からか判っていれば、メールアドレスに差出人の名前が添えられていれば、せめて本文でちゃんと名乗っていてくれれば良かったのだが、見事なまでに全滅だったしなあ。

 叔父がどういう経緯でこのメールを送ろうと思いついたのか謎なのだが、どうせなら誰か「グリーティングカードにすれば?」とかアドヴァイスしてあげて欲しかった。普段ほとんど交流のない人ではあるが、今までの印象からすると、ここまでスゴイ演出をするタイプには思えない。差出人名をうっかり書き忘れたのかなあ、それにしても本文もあまりにあんまりだし。
 何となく釈然としないものを感じつつ、返事を書くべきだろうかと悩んでいるのであった。ウチから叔父夫婦宛の年賀状は出してあるから(投函は大晦日とは言え)、行って帰って今年のご挨拶は済んだと放置してもいいだろう。ただお節介人間としてはちょっとだけ「差出人は判りやすく、できればタイトルは具体的に。本文は適宜改行を入れて、末尾には必ず署名。いきなり巨大な添付ファイルを送るのはなるべく避けた方がいいですよ」と伝えた方がいいだろうかと思ったりする。全然「ちょっとだけ」ではないか(汗)。

 これが母とか祖父母とか、10歳上の別の叔父とかの、割と気のおけない人だったら気軽に電話でもかけて「何やってんの、もう少しでほかすとこやったやんかぁ」と笑い飛ばせるのだが。普段ご無沙汰しているだけに、こういう時だけ図々しくしゃしゃり出るのもどうかと躊躇われる。ううむ。やっぱり日和って見なかったフリをしてしまおうか。本当に悩んでいるのである。




01/06 無茶のツケが回ってきたのか

2005/01/06 18:49
 不明だが、今朝からメチャメチャ体調が悪い。腹は痛いし、もっと不愉快なのは胃の痛みで、最近良くなったかと喜んでいた例の不調がまたまたブリ返した様子である。キリキリとズドンとムカムカのミックスというか、不快過ぎて何がどうなっているのか良く判らない。いつもの朝の用事を済ませた後、とてもすぐには朝食が食べられそうにないので、「まろ茶」をお湯でうんと薄めたものを電子レンジで温め、そのカップを抱えて石油ファンヒーターの前にうずくまっていた。
 今日は何としても胃痛を克服してスポーツクラブへ行きたいと思っていた。例のバレエ風体操の新年初レッスンが今日なのである。1週間に1度しかないチャンス、しかも先週は年末でお休みだったので2週間ぶりのこととなる。「チャコット」で張り切って買ってきたバレエシューズもまだ1度しか履いていないのだ。

 1週間に1度のレッスンでは、ちゃんとダンス・クラシックを踊るレヴェルまでは到底辿り着けないだろう。その辺がちょっとだけ寂しいが、わたしとしては今のところ、バレエ・エクササイズの真似事をできるだけでもじゅうぶん楽しい。もしかしたら今後ずっと続けて行くうちに物足りなくなって来ることも有り得るが、それはその時になってから考えれば良い。マッハの飽きっぽさを誇るこのわたし、そもそもちゃんと続けられるかどうかが一番アヤシイのだ。
 とは言えやっぱり運動で流す汗は気持ちいいなと思う。それが大好きなダンス・クラシック風の体操ならばなおさらで、できたらせめて週に2回くらいはレッスンがあればいいのにと残念である。

 先日母と話していた時、前々から疑問に思っていたことを訊いてみた。「わたしがバレエをやめちゃった理由って何だったっけ?」
 以前書いたこともあると思うのだが、小学校に上がる前に住んでいた団地の集会所で、週に1度、子供向けのバレエ教室が開かれていた。幼稚園に上がるかどうかのわたしはおそらくそれを見て、子供心に強烈にアピールされたのだろう。自分から「バレエを習いたい」と言い出して、毎週毎週楽しみに通っていたのである。
 どんな風にレッスンしていたか細かいことは全部忘れてしまったが、大層楽しかったことだけは覚えている。子供の頃から運動音痴だったので上手ではなかったに決まっているが、それでもそこそこの進歩はしていたのだろう。最後に覚えているレッスンで「じゃあ来週から試しにトウシューズを履いてみましょうね」と言われ、心底わくわくしたものだ。

 不思議なのはそれからどうしたかである。トウシューズと言っても子供用のもので、おそらく実際にトウで立ったりはさせてもらえないハズである。それでもバレエをやっている子供ならば誰でも憧れるのがトウシューズ、履いた感じがどうだったか覚えていない訳がない。しかしわたしの場合、トウシューズの記憶もまったくないし、その後のレッスンを受けたことさえどう頑張っても思い出せないのだ。
 飽きっぽいから続かなくてやめちゃったのかとずっと思っていたのだが、普通に考えて「来週からトウシューズ履いてみましょう」という時点でコケるというのも変である。あんなに好きだったバレエのレッスン、何故やめてしまったのだろう。母ならその辺りの事情を覚えているだろうかと思ったのだった。

 母の答えは単純だった。ちょうどその頃、引っ越して横浜に移ったためだというのである。新しい住まいはよくある「ニュータウン」の名が付いた新興住宅地で、有体に言えばかなりの田舎だった。家の近所にはずらりと住宅用区画(造成済み空き地)が並んでいたのを覚えている。新しい小学校は子供の足で30分以上かかる場所にあり、軟弱なわたしは通うだけでヘトヘトになった。
 さらに近所にバレエ教室もなかったし、仮にあったとしてもお月謝がベラボウだったハズである。団地の集会所(なぜか管理事務所と呼ばれていた)で開かれているものだったから、わたしが通えるだけのリーズナブルな教室だったのだ。
 なんだそんな理由か、と、ちょっと拍子抜けした。何かに挫折するとしたら総て自分の飽きっぽさの所為だろうと思っていたのだが、バレエの場合はどうやら違ったらしい。続けられなくて結構がっかりしたハズだが、幸いそういう記憶も抜け落ちている。新しい小学校に馴染めなくて鬱々としていたので、バレエのことを考える余裕もなかったのかもしれない。

 ともかくそういう理由で遅ればせというか焼けぼっくいというか、ぜひとも出たかったバレエ風体操のレッスンだったのだが、朝の調子ではとても運動どころではない。ビロウな話だがお腹も壊してしまった。もしかして何か悪いものでも喰ったのだろうかと心配になったものの、家人はケロリとしているとかで食中りということでもなさそうである。一安心。
 つまりまあ、年末年始の暴飲暴食が祟って胃腸がダウンした、ということなのだろう。今日などいきなり寒くなったからそれが顕著に現れたという訳だ。こうなる危険性があると判り過ぎるくらい判っているのに、それでも目の前に美味しい食べ物が並べば自制が利かなくなる。まったく困ったものである。

 あまりにも調子が悪いものだから、今朝の御機嫌もサイアクであった。普段なら「しょーがないなあ(汗)」でスルーできる家人の「出したら出しっぱなし」などにもいちいち無闇に腹が立つ。おかげで朝から大喧嘩である。ふと我に返ると、何と言う下らない理由で喧嘩しとるんじゃと自己嫌悪にどっぷり浸ってしまうので、できたら家人には年長者の余裕を発揮してくれないだろうか。わたしが多少イライラしていても、へーほーふーんでいなしてもらえたら喧嘩にもならないだろうに。
 生憎と家人は「売られた喧嘩はもれなく買います」な性格。無理な相談なのである。




01/07 子供の頃の記憶

2005/01/07 17:03
 大層忘れっぽい性格なので、小学校以前のことはあまり良く覚えていない。中学校時代のこともアヤフヤである。はっきりと時系列的に覚えているのは高校に入ってからではないだろうか。我ながらアッタマ悪過ぎ、と呆れてしまう。
 そういう時代のことで覚えているのは、好きだったものに関するポイントポイントのエピソードである。幼稚園時代には(昨日書いたけれど)団地の管理事務所で毎週木曜日に習っていたバレエ。小学校時代は合唱。後はモロモロの本と、友達に貸してもらってこっそり読んだ漫画の数々である。両親に漫画を禁じられていなければ、当時話題だった漫画作品をもう少しリアルタイムで体験できたハズなのがちょっと残念だったりする。

 他の人は小さい頃のことをどのくらい覚えているものなのだろう。関西在住の妹などは2歳の頃のエピソードを覚えているそうだし、家人も時々そんなようなことを言っている。「できるかな」のノッポさんこと高見映さんは『五歳の記憶』の中で、5歳くらいの時の出来事やそれに関する自分の感情をはっきり書いていらっしゃる。ということは、みんな5歳くらいになればしっかり物心も付いて、記憶もちゃんと残るようになっているのだろうか。わたしの忘れっぽさというのはどうやら筋金入りである。
 というか、普通5歳にもなれば結構しっかり自我も芽生えてきて、自分の欲求と外界との軋轢に悩み苦しんだりするものなのかもしれない。わたしはぽやや〜んと生きていたのでそういう苦悩がなかったのだろう。母によれば「良く言えば天衣無縫、悪く言えばメチャクチャ」な幼児だったらしく、つまりは何も考えてなかったと見える。

 そういう境地とは対極にありそうな、とんでもない5歳児のニュースを先日目にした。1月4日のネットニュースなのだが、長野で行方不明になった5歳の男の子が、翌日新宿駅で発見されたというのである。
 3日のお昼過ぎに長野で居なくなり、新宿で身元が判明したのは丸1日近く経過した4日の正午くらいだという。保護されたのはもう少し前だったらしいが、どういう理由か自分のファーストネームしか言わないので、どこの誰ちゃんか判らなかったのだ。すごいなあと思ったのは移動方法で、この男の子、自分で新幹線などを乗り継いで単独で東京まで来ちゃったと話したらしい。

 ネットの路線案内で調べてみると、この子が居なくなったところから新宿まで、やはり直通の電車は走っていない。とりあえず新幹線に乗ってみたとしても、上野か大宮か東京駅で乗り換えなければ絶対に新宿には到着できないようである。この子が最初から新宿に行こうとしていたのか、適当に歩き回って目に付いた電車に乗ったら新宿に着いたのかは謎だけれど、どちらにせよこの男の子、電車の乗り方についてはちゃんと認識していたのは間違いないだろう。
 ぽやや〜んとしたわたしなどと比べてはいけないかもしれないが、自分が5歳の時、果たして独りで改札を潜る勇気があっただろうか。昔と違って自動改札だから多少ハードルは低くなっているとしても、5歳児にとって駅の改札口というのは何となく「異世界への入り口」っぽく見えてちょっと怖いのではないだろうか。そこを躊躇わずにどんどん行っちゃったとすると、この男の子、「鉄」のニホイがかなり濃厚に漂っているような気がする。個人的な思い込みに過ぎないが。

 ニュースの記事を元に地図など調べてみると、男の子が居なくなったスーパーからほんの200mかそこらのところにJRの駅がある。3日の午後3時過ぎ、彼はここまで歩いて行って、そこで新幹線「あさま」に乗った。発見されたのは約9時間後の3日深夜、都営地下鉄に独りで乗っているところだったらしい。なんでこんなところに、と思った女性乗客が大江戸線の新宿駅に連れて行ったというから、これはおそらく都営新宿線の中だったのだろう。
 居なくなったスーパーではそう遠からず騒ぎになっていただろうし、最寄の駅でも独りぽっちの幼児は結構目立つだろう。駅で2時間もうろうろしていたらここで見付かっちゃうような気がするから、午後4時台の新幹線には乗っていたとする。東京駅まで2時間弱で着いてしまうから、3日の夕方6時くらいから発見されるまでの最低5〜6時間、彼は独りで延々と電車を乗り継いでいたということになる。

 東京駅から都営新宿線に乗り継ごうとしたら、最短だと丸の内線に乗って淡路町乗り換えだろう。ただし所要時間から考えてそんな単純なルートを辿ったとは思えない。もしかしたらこの男の子、東京駅ではなくて上野駅で降りたのかもしれないし、ひょっとすると大宮駅で降りたのかもしれないのだ。所持金はほとんどなかったというから(5歳だし当たり前か)、どこかで休憩したとしてもせいぜいベンチに座る程度。
 お腹も減るだろうしトイレにだって行きたくなるかもしれない。心細くなったら普通の迷子のように泣き出してしまうだろうに、そんなこともなく、発見されたのも電車の中。電車賃は幼児はタダと言っても、独りで改札を潜ろうとしたらピンポンが鳴ると思うので、意図したかしなかったかは措くとしても誰か大人の直後に付いて改札を通ったのだ。それを延々5時間以上。匂う。ぷんぷんと「鉄」のカホリが…。

 そもそも何故居なくなったかというと、一緒に来ていたお祖母さんに何かの理由で怒られて、機嫌を損ねてプイとその場を離れたのが最初らしい。我の強い子供ならば良くあることだろう。別に「おばあちゃんを困らせてやろう」と思ったこともあるまいが、近所をうろうろした挙句ふと新幹線に乗ってしまった後、電車に乗るのが楽しくなって時間を忘れたのではないだろうか。
 おそらく家人ならば、この子の気持ちが良く判るのではないかと思う。好きなことならば夢中になるのが幼児の特徴ではあるが、それにしてもご飯もトイレも忘れてということだとよっぽどである。わたしにはちょっと理解できない心境だったりする。

 小さい子供を狙う誘拐事件も起こったばかりだし、親御さんやお祖母さんなどはさぞかし心配しただろう。探し回った警察関係者にも相当の迷惑をかけたことだし、この5歳児君のやらかしたことは紛れもなく相当レヴェルの「おイタ」である。とは言え、保護された直後にはファーストネームしか言えなかったというから、かなり疲れて動揺していたのではないだろうか。個人的にはこの男の子、決断力といい行動力といいかなり末頼もしく感じるので、あんまりこっぴどく怒られてなきゃいいけど、と思ったりする。
 ともあれこの子にとって、これは忘れられない5歳の記憶となったのではないだろうか。2度とやってもらっては困ることだけれど。




01/08 とんでもニュース

2005/01/08 15:14
 昨日の「5歳男児・長野〜東京新幹線独り旅」も相当なものだと思うが(特に時期が時期だけに)、今までにも2つ3つ、聞いて思わずナンダソリャと驚いてしまったものがある。日記ネタにするなら詳細をどこかにメモっておけば良かったのだが、わたしはやっぱり面倒臭がりなので、そんなマメなことはやらなかった。せっかく面白いニュースだったのにもったいなかった。
 ほとんど忘れてしまったのだが、1つだけあまりにも可笑しかったので覚えているものがある。去年の7月頃に聞いたニュースで、「ニュージーランド首相がスピード違反で捕まった」というものである。

 CNNのネットニュースで見たものだった記憶がある。調べてみると2004年7月22日のニュースだったようだが、直後に報道されたソースとなるページがもう削除されてしまっているので確認することはできなかった(残念)。後に警護の警察官ら6人が起訴された時のニュースだけはあったけれど、いつまで見られるかはちょっと判らない。興味のある方はこちらをご覧ください。
 ともかくこのニュースによれば、ニュージーランドのヘレン・クラーク首相はトライネイションズのオールブラックス vs ワラビーズ(オーストラリア代表)戦を観たかったため、試合が行なわれるウェリントン行きの飛行機に間に合わせようとして南島のワイマティ〜クライストチャーチ空港間を猛スピードでぶっ飛ばしたのだそうである。ワイマティ〜クライストチャーチ間は200km以上あるのだが所要時間はわずか96分で、平均すると時速120km以上のメチャクチャなスピードを出していたらしい。

 平均120km/hとはまたベラボウである。高速道路だけを走ったのならばまだ「ちょっと出し過ぎかな」程度で済むかもしれないが、なぜ捕まったかというと沿線の住民からの苦情が元だったらしい。「首相の車列が猛スピードで走り抜けていった、迷惑な」と言われたということは、ルートの途中には市街地もあったのだろう。「平均」120km/hだから、市街地を時速120kmで走ったとは限らないが、それにしたって制限速度に毛の生えた程度のスピードではなかったハズである。
 ちなみにニュージーランドの交通法規では、制限速度は幹線道路で100km/h、市街地で50km/hだという。

 このニュースを聞くちょっと前にケーブルTVでこの首相がガイド役を務めるニュージーランドの山歩きを紹介する番組を観たことがある。陽気でコロコロッとして愛嬌のある、それでいて堂々とした体格の女性だった。確かにその時、ニュージーランドの自然とラグビーが大好きだ、と語っていたのを覚えている。
 自分がラグビーファンだから、こういう理由でスピード違反と聞いても「まったく困ったおばちゃんだなあ(汗)」程度で済んでしまうのだが、良く考えると確かにまあ、1国の首相ともあろう人間がやっていいことではない。無事故で通過できたから良いようなものの、万が一どこかで事故でも起こしていたら大問題である。ついでに、起訴されたのが「首相を除く警護の警察官ら6人」ということで、クラーク首相はお咎めナシかという辺りにもちょっとだけモニョる。同乗者と話をしていてスピードには気付かなかったということらしいけれど、責任者としてやっぱりそれでは済ませられないだろう。

 今はちゃんと反省しているのだろうか、クラーク首相。ウチでも明日、ラグビー大学選手権の決勝戦を観に国立競技場へ出掛ける予定である。もしもワセダが優勝したら大隈講堂で祝勝イヴェントがあるらしいので、その移動に便利だから最初からクルマで行こうか? という話も出ている。
 家人の運転もつくづく荒っぽい。できるだけの時間的余裕を持って、よっぽどのことがあっても急いだり慌てたりしないで済むように家を出発しなくてはならない。というかそもそも、家人の運転だと、わたしは体調によって車酔いしてしまったりするのである。結婚してたぶん今年で10年目だと思うのだが未だに全然慣れることができない。楽しい観戦のためにも、明日はぜひぜひ、安全運転で願いたいものである。




01/09 いずれ買い換えるとしたら

2005/01/09 07:30
 どんなものにしようか、と計画を立てるのは結構楽しい。今のところの対象物件は冷蔵庫とクルマであるが、両方ともまだまだ元気で働いてくれそうなので、具体的な買い換えの予定はない。ただ何となく「次はこんなのがいいな」と考えるのである。例えば冷蔵庫だと、次に買うとしたらサイズの割に収納容量が大きいもの。2人暮らしだし、そんなにバカでかいものは必要ないが、野菜室と冷凍庫の収納容量が大きいものがいい。自動製氷機能は不要。電気代節約のためには観音開きドアの方がいいのだろうか。ドアポケットも使いやすく工夫されていると嬉しい。もちろんノンフロン製品で、省エネ設計がいい。
 クルマはつい最近話題に上るようになった。ウチで今乗っているのはTOYOTAヴィッツの初代のものである。色はパールピンク。個人的に非常に気に入っているクルマなので、できれば乗り潰したいなあと思っている。維持費などなどの兼ね合いもあるのか、家人としては2、3年後にやって来る次の車検時に、買い換えるか乗り続けるか判断することになるだろうと思っているらしい。

 来月1日に、愛車ヴィッツがフルモデルチェンジするそうである。もしもクルマを買い換えるとしたら何になるだろうかという話題が出てきたのはそのニュースのせいもある。今までにマイナーチェンジを1度やっていて、パッと見た感じではデザインが少々変更されているようである。ヘッドライトの目元の膨らみは付けない方が良かったが、アンテナが後部に移ったのは取り外しがし易くなっていいなと思う。
 フルモデルチェンジでは、当然のことだが相当変わるらしい。一番びっくりしたのは車幅が35mmも大きくなるらしいということである。全体的に大きくなるのか、車体重量も200kgほど増えてとうとう1トンを超える様子。車両価格もずいぶん上がってしまう。

 わたしがなぜヴィッツを気に入っているかというと、コンパクトカーの名の通り非常にコンパクトだったからである。試乗車に初めて乗り込んだ時の「おおっ広い!」という感動は未だに忘れられない。内部の収納スペースの充実や丸まっちいデザインも気に入った。当時としてはかなり先進的なクルマだったと今でも思う。
 サイズは小さいのに広く使えて、取り回しが楽で、価格もリーズナブルで、しかも可愛い。それがヴィッツの最高の売りだったと思うので、フルモデルチェンジでの巨大化には疑問だけが沸く。35mmって結構大きいぞ。仮に回転半径が今までより小さくなったとしても、車幅が増えたら間違いなく車庫入れはやりにくくなる。狭い道でのすれ違いも然り。車体重量が1トンを超えたら、ウチのように1000ccクラスのエンジンだとちょっと辛くなるだろう。1300ccは欲しいということだと、諸々ひっくるめると150万円くらいかかってしまいそうである。これって「コンパクトなお値段」なのだろうか?

 例えば試乗してみて、ウチの車庫へ入れさせてもらって、あーら不思議と扱いやすいぞ、車幅が増えたのに車庫入れもらっくらく! とかいう状況になればまた別だが、おそらくそんなこともないだろう。わたしとしては車幅35mm増と聞いた時点で、次に乗るクルマの候補から新型ヴィッツは外れている。大層気に入っているクルマだけに、どうして無闇に大型化するのだろうと哀しく思う。初代ヴィッツが馬鹿売れしたのは、コンパクトというコンセプトにこだわった点が受けたのだろうに。追随車種がどんどん出たのなら、今度はそれを凌駕するコンパクトなフルモデルチェンジで顧客をあっと言わせて欲しかった。
 家人がお気に入りで毎週観ている「新車情報2005」の三本和彦さんだったら、このモデルチェンジ、おそらくあんまり褒めてくれないのではないだろうか。

 わたしが乗りたいクルマは「とにかく小さくて扱い易いもの」である。小さければ小さいほど嬉しい。憧れの車はFIATのチンクェチェントだし、ROVER MINIも可愛いし、smartもいい。まだテスト車の段階だけれど、トヨタのPMもチェックしている。FIATやROVERは扱い易くはないらしいが、まあそこは憧れということで。
 いっそのこと軽自動車でもいい。小さくて扱い易くて、できれば走るクルマがいい。とは言うものの、家人の好みでは軽自動車は却下らしい。輸入車も値段が上がってしまうのでダメ。とすると残念ながらわたしのお気に入りは全滅である。

 今のTOYOTAの営業担当さんがかなりまめまめしい人で、何くれとなく気遣いしてくれるので、できたらこの人から買いたいな、と思う。しかし新型ヴィッツは候補から外れるし、一番小さいパッソはこの人の居る系列では買えないらしい。いっそ他社の車種だとどうかというと、候補に挙がるのはHONDAフィットか日産マーチ、ダイハツのブーンあたりだろう。昔のマーチは好きだったが、新型マーチは今ひとつ顔が気に入らない。HONDA車は相性があるらしいし、フィットは回転半径が結構大きかった気がする。ダイハツのブーンは案外イイのではないかと思う。
 TOYOTAに拘るとしたらやっぱりパッソだが、家人はどうもメーターのデザインが気に入らないらしい。RACYという1グレード上のスポーツタイプのは格好いいのだが、これだと価格が30万円ほど上がってしまう。「そんなに高くなるのなら、もっと上の車種を狙ったっていいじゃん」と不満顔である。

 わたしから見れば「もっと上の車種」イコール「もっとでかいクルマ」なので問題外。少々高くてもサイズの小さいクルマに凝るのも一種の贅沢ではないかと思うのだが、その辺は家人と感覚が違うらしい。とは言え家人だって普段、街中でトロい3ナンバーなどを見掛けると「その腕前でそんなでっかい車に乗るな! 軽に乗れ!」と毒づいているのだ。わたしの腕前はまさにそのレヴェル、本当なら軽自動車がお似合いである。無駄にでっかいクルマなんか買うと、運転できなくなっちゃうんですが…。
 そんな調子で、ウチの次世代自家用車は全然決まらぬままである。一番望ましいパターンでは、TOYOTAが頑張ってこの2、3年のうちに、今のヴィッツを凌ぐ素晴らしいコンパクトカーを開発してくれることだったりするのだが。無理かな。無理だろうな。




01/10 第41回全国大学ラグビー選手権・決勝

2005/01/10 14:21
 やっぱりカントウは強かった。そしてワセダも頑張った。この1年、必死になってラグビー観てて良かった、と思えるような、息詰まる熱戦を見せてもらった。
 シーズンが始まった頃は、昨年王者の関東学院大学は4年生がごっそり抜け、チーム力がガタ落ちしていたものだった。6月のオープン戦でも8月の菅平でもワセダはかなり余裕のある勝利を収めたし、このシーズンのリーグ戦では、カントウは法政大学に敗れてしまったりしているのだ。大学選手権の一連の試合の中で、よくぞここまで修正したものだと感心する。先週の準決勝、法政大学に24対21とリヴェンジ勝利したことは記憶に新しく、おそらく調子は恐ろしいまでの上り調子。
 対するワセダは下馬評では「無敵」とか「隙なし」とか言われていて、言葉通り非常に危なげない勝利を上げて来た。しかしやはり勝つか負けるかギリギリの瀬戸際を渡って来る時のような切磋琢磨が足りなくて、特に対抗戦終盤、大学選手権の1、2回戦など、「もうちょっと気合が入った試合ができるハズなのに」という印象がない訳でもなかったのだ。気合バリバリのカントウとぶつかった時、それがどう転ぶだろうか。

 家人は「久しぶりに安心して観られる試合になるだろう」と言っていたけれど、わたしはとても安心どころではなかった。その不安はある意味的中し、ワセダは予想通りの苦戦をしたのである。
 カントウFWのプレッシャーは恐ろしく早くて強く、ワセダ伝統のBKが自由に動き回れない。今までのように、ラックから球出し後に余裕を持ってパスを出すことができないし、パスを回して行っても大外のWTBの選手まで渡せないのだ。CTBの選手までパスが渡ったところでカントウ選手とぶつかってしまい、そこでラックを形成せざるを得なくなる。その間にカントウのDFが揃ってしまうので、またラックの球出しシーンからやり直しをしなくてはならない。攻撃フェイズは寸断され、リズムに乗り切れないことになる。つまりはジリ貧という訳だ。

 ラインアウトでもスクラムでも、ワセダのパターンを非常に良く研究しているらしく、ワセダ自慢のFWが押されるという信じられないシーンも続出した。特に前半は気持ちの面でもカントウに負けていたと思う。前半3分にSH・後藤翔太選手の素晴らしいゲインからトライを決め、7対0とリードしたものの、その後は延々と前半30分を過ぎるまで両チームとも無得点。前半32分にFB・五郎丸歩選手が2トライ目を決めて12対0とするが、その数分後にはチャージからあっという間に1トライ返されて12対7で前半を終了した。
 ワセダはどうにもペースを掴み切れないし、カントウは何が何でもペースを掴ませないようにしている。お互い相手チームを研究し尽くしていることもあり、どうしてもその辺りは非常に「イヤな感じ」の試合展開とならざるを得ないのだ。前半の後半、カントウに攻め込まれてワセダが苦しいシーンが続いたが、押しているように見えるカントウにしてもたぶん「やりにくいなあ」と感じていただろう。

 後半に入ってもその印象は変わらず、ワセダは攻め込んでも決定的なチャンスを作れない。それどころか、後藤選手からの長いパスをCTBまたはWTBの選手に繋いでライン際を走り抜けさせてトライ、という黄金パターンを読まれ、カントウSH・吉田正明選手にインターセプトされてしまう。トライもゴールも決まって12対14とカントウ逆転である。インターセプトの瞬間、わたしは悲鳴も出なかった。思わず口を押さえて息を詰め、吉田選手からWTB・北川智規選手へパスが繋がってトライされる場面をずーっと目で追っていたのである。
 「ラグビーらしいラグビー」をしているのはどっちか? と訊かれれば、それはたぶんワセダだろう。カントウFWは早い強いプレッシャーでしぶといし、何より集中力が素晴らしい。さらにカントウCTB・有賀剛選手は憎たらしいまでに強力なタックルをかけてくるし、うっかり彼にボールを持たせて走られるのも恐怖である。しかしBKの総合評価で言えばワセダの方がまとまっているし、後半の前半あたりからラインアウトでも優勢となってきた。
 ひょっとして「ラグビーで勝って試合に負ける」というパターンで終わるのだろうか…と、ほんの一瞬、思った。今晩の大隈講堂前での祝勝会は取止めの憂き目を見るのだろうか、と。

 一気に浮き足立ったらヤラレてしまうと思ったが、今年のワセダはゲーム中での修正・建て直しが非常に巧い。3分後SO・安藤栄次選手が素晴らしい判断でギャップを突きすぐに再逆転、17分にはLO・内橋徹選手がカントウラインアウトボールを奪って独走、追加トライ。さらに後半の後半にかけて、ラインアウトの優勢がはっきりしてきた。
 やっと少しは息がつけるけれどまだまだ安心はできないと思いつつ観ていた。そのまま延々と白熱の攻防が続き、とうとう39分にCTB・今村雄太選手がギャップをすり抜けてダメ押しのトライ。これで試合が決定する。ロスタイム、試合終了直前に1トライ返されてしまったのがちょっとミソだけれど、最終的には31対19でノーサイドとなった。

 表彰式と、2年ぶりのグラウンドでの「荒ぶる」斉唱は感動的だった。そしてア○ィダス特製の優勝記念Tシャツに着替えての場内一周。この試合、メインS指定という超いい席で観られたので、わたしはそのまま一番下まで降りて行き、戻ってくるワセダ選手たちに夢中になって声援を送っていたのだった(ミーハー…)。お父さん宛のボードを持っていた後藤選手にニッコリしてもらってうっとり、安藤選手に「今日はすっっっっごく良かったです!」と伝えられて満足。しかし一番の大贔屓・首藤選手とは目が合わなかったのが残念である(つくづく阿呆)。

 大隈講堂前の祝勝会も、寒かったけれど楽しかった。午後5時少し過ぎに到着した時はまだ空いていて、一昨年よりもずいぶん人が少なかったのだが、祝勝会が始まる頃には黒山の人だかりとなった。選手たちはみんな満面の笑顔。ア○ィダスジャパンの社長からお祝いにもらったシャンパンのマグナムボトルの栓が抜けない、というハプニングもあってまた会場が沸く。何をやっても嬉しい楽しい、本当に素敵な時間だった。舞台上の選手たちの中で、首藤選手が埋もれてしまっていたのがちょっと可哀想だったけれど。
 今年のワセダは本当に良くまとまっていて、FWとBKのバランスも非常に良い。まだまだこれからどんどん強くなるマージンがあると思う。それなのに大学ラグビーの宿命で、次シーズンはまたがらりと面子が入れ替わってしまう。チームとしては最初から作り直しである。お気に入りの選手たち、後藤選手や安藤選手や古島選手、諸岡キャプテンが抜けてしまうのが本当に寂しい。
 諸岡キャプテンは「このチームでまだやりたいので、日本選手権も頑張る」と語っていた。その気持ち、大層良く判る。わたしも日本選手権は力一杯応援しようと思う。もちろん次シーズンの、佐々木隆道選手を新キャプテンと戴くチームも応援するに決まってるけどね♪

 来年は諸岡キャプテンは普通の就職をして、本格的なラグビーからは離れてしまう。後藤選手は神戸製鋼、安藤選手はNEC(詳細不明)。もしかしたら古島選手も普通の就職かもしれない。内橋選手は留年らしいが、来年もプレイを続けてくれるかどうかは判らない。お気に入り選手たちが見られなくなるのがとても哀しいので、これから日本選手権まで、どうにかして上井草へ行って、サインをもらって来たいなあ…と呟いては家人に呆れられているのだった。
 でもやっぱり欲しいではないか。サインしていただく地として、いつもの応援旗を4枚繋げて大きいのを作ろうか、何とかして「荒ぶる」Tシャツをゲットしてそれに書いていただこうか、またもやしょうもないことを悩んでいる昨日の今日なのである(とことん阿呆)。




01/11 母校の校歌

2005/01/11 16:54
 まだまだワセダ優勝の余韻に浸ってニヘラとしている連休明けである。今頃は選手たちも、お祝いの飲み会疲れから抜け出して日常生活に戻っているだろうか。それともまだ実感がなくて夢の中のような気分だったりするのだろうか。何にせよ、こういう晴れがましい勝利というのは一生のうちでもそうそうないことだし、心行くまで味わって欲しいと思う。昨年の悔しさから血の滲むような努力を積み重ねて掴み取った果実である。選手だけでなく、裏方さんや各方面スタッフなど関係者全員の手柄である。皆さん本当におめでとうございます。
 ラグビーの基本理念である「All for one, one for all」が素晴らしく思えるのはこういう時である。わたしは基本的に団体活動が性に合わない我が侭人間なのだが、1人の力では決して辿り着けないこういう境地には激しく憧れる。そのまとまりが「学校」という単位なのも、学校生活にあまりいい思い出のない人間としては、ちょっと羨ましいシチュエーションだったりするのだ。

 学校に通っていて本当に心から楽しかったのは、高校時代の3年間だけかもしれない。最初の小学校は2年間しか行かなかったのでほとんど記憶がない。転校後の小学校時代はまさに暗黒の時であった(大袈裟)。ニュータウン内の学区だったので中学校は小学校の面子がほぼ全員持ち上がりで、必然的に中学校時代も鬱屈したまま過ぎた。高校入学後、生まれて初めて学校へ行くのが楽しいと思った。当時を振り返って母は「まるで水を得た魚のように元気になった」と言ったことがある。
 1年間しか行かなかった最初の大学も思いの他楽しかったのだが、いかんせん仮面浪人の生活は厳しかった。2校目の大学〜大学院は、遠距離通学と長時間実習に疲れて磨り減った記憶しかない。もうちょっと体力を付けてあれば、大学生活を楽しむこともできただろう。己の不甲斐なさにつくづくもったいないなあと後悔する。

 そんな訳で、「母校の校歌」と言われてもいまひとつピンと来ない。輝ける高校時代の懐かしい校歌だけは忘れがたいのだが、高校3年の時、「歌詞が軍国主義的だ」という理由で新しいのに変わってしまった。個人的に新校歌は全然好みに合わず、多少内容がヤバめだろうが旧校歌の高揚感を今でも愛するのである。あの歌だけがわたしにとって「母校の校歌」なのだ。
 小学校の校歌は2つとも今でも覚えている。2年生までしか居なかった1校目のを歌えるのは自分でも不思議だが、2校目のは恩師であるイーダ先生(仮名)が作曲なさったものなので、忘れようにも忘れられないのだ。高校の旧校歌もまだしっかり歌えるが、新校歌は意地になって歌わなかった。大学のは2つとも朧気にしか覚えていないし、中学校のに至っては欠片も思い出せない。歌に関しての記憶力はいい方なので、これだけキレイに忘れるというのはやはり「覚えてなんかいたくなかった」のだろう。

 ところで何というミーハー根性か、「都の西北」はしっかり3番までフルコーラス完璧に覚えこんでいる。先日の大隈講堂前の祝勝会で校歌斉唱タイムがあって、1番と3番を歌ったのだった。1番が終わる時、音頭取りをしていた応援団の方々が「3ばーん!」と叫んだのだが、3番ってどんなのだっけと思う間もなく自動的に口から出てきたのには我ながら驚くやら呆れるやらである。
 個人的には3番の歌詞を最も気に入っている。有名過ぎるほど有名な1番も大好きで、2番が実は一番印象が薄かったりする。なぜ3番の歌詞がイイかと言うと、中に出て来る「♪集まり散じて人は変われど仰ぐは同じき理想の光」というフレーズが学生スポーツに、つまりはワセダラグビー部の雰囲気にぴったりじゃないかと思うからである。そんでもってその後、声を揃えて母校の名を歌いましょう、というフレーズが続き、例の「ワセダ×7」のコーダに雪崩れ込む。ちょっと他にないくらい感動的なストーリーだと思う。
 そんな話を決勝戦観戦で一緒だった早稲田OB3名にしたら笑われてしまったのだが、わたしとしては、あの歌を「母校の校歌」として歌える立場にある皆さまのことを本当に羨ましく思う。ワセダが母校だったら良かったのにな、高校時代にラグビーのことを知っていたら、もしかしたらダメ元で早稲田を受験したかもしれないのにな、などとしょーもないことを考えたりする。当時ハマっていたバイオテクノロジー関連の学部が早稲田大学にはなかったし、仮にあったとしても理工学部には受からなかっただろうけれども。

 ともあれあまりにもミーハーだが、そういう理由でわたしにとって思い入れ深い校歌の第2位が「都の西北」である。ついでにラグビー部の優勝記念歌(?)「荒ぶる」もとうとう覚えてしまった。早稲田大学のOGでもないし、ましてやラグビー部との関連もまったくないのに。本当は歌う資格がないのになあと思うと大層寂しいので、そこは意識して忘れるようにしている。
 とは言え、自分にとって通った学校を「母校」と思えるかどうかは、やはり自分の意識というか生活態度というか、本人の姿勢に影響されるものだろう。小中学校時代のように「こんな学校イヤだ嫌いだ行きたくない」と思い続けていれば、どんなにいい学校だったとしても愛することなどできまい。もうちょっと依怙地にならず、周囲の環境と折り合いを付ける努力をしておくべきだったなあと今ではちょっと反省している。

 ただしその学校との相性があるのも確かだろうとも思う。入ってみるまで相性がいいかどうか判らないのが学校選びの難しい点で、ダメだったと思っても気楽に変われないのも辛い。体験入学という訳にも行くまいし、その辺りは丸っきり運を天に任せるしかないのだろうか。
 小学校時代、担任の先生もわたしに手を焼いたようで、密かに両親に私立中学受験を勧めていたのだそうだ。「お宅のお嬢さんは公立学校には向かないのかもしれません」と言われてショックを受けたらしい。どうしようか悩んだ挙句、苦境から逃げ出す道を選ぶのはわたしの将来のためにならないし、1人を私学に入れれば残りもそうさせない訳に行かなくなる。経済的にそんな余裕はないので、やはり公立中学校に入れようと父が決断したという。
 「今から準備しても入れるだろう私立中学」ということで勧められたのが、家人の通った中高一貫校だったらしい。惜しいところで先輩後輩になり損ねたことになるが、どの道、女子部と男子部が分かれているし、5歳離れているので出会うことはなかっただろう。

 在学当時のエピソードを家人に聞けば聞くほど「入らなくて良かったかも」と思ってしまう。雰囲気が合うかどうかは行ってみないと判らないのだが、文武両道を目指すこの学校、かなり体育に力を入れていたそうなので、わたしにとってはそのことだけで相性の悪さがぷんぷんと漂うのである。中高の全学生徒がバス60台を連ねて某サーキットへ出向き、1周10kmだかのコースを使ってマラソン大会をやるのが恒例行事だったなど、考えただけで震えが止まらなくなる。
 家人は母校である早稲田大学のことは大好きらしいが、この中高一貫校はどうだったのだろう。この学校を「母校」と意識しているのかどうか、ちゃんと校歌を覚えているのかどうか、今度訊いてみようと思ったりする。




01/12 ふたりのロッテ?

2005/01/12 15:03
 導入時期未定ながら、ウチの次世代コンパクトカーは何がいいだろうと下調べを始めた時から、なんとまあ良く似たクルマだろう、とは思っていた。外見も、インテリアも、エンジン性能から燃費から価格までそっくり同じ。もしもこのどっちかに決めるとしたら、これは実際に試乗して比べるしかないなあなどと先走ったことを考えていたのだ。TOYOTAのパッソとダイハツのブーンのことである。わたしの愛するヴィッツがフルモデルチェンジして、妙に図体のデカいクルマに様変わりしてしまった後、もしも新しく買い換えるとしたら何がいいかねという何気ない話題がきっかけだった。
 HONDAフィットか日産マーチ、TOYOTAパッソかダイハツのブーンの4車種が、ちょっと調べた感じでは、わたしの許せるサイズのクルマである。もっと小さいと家人の嫌いな軽自動車になってしまうし、輸入車は予算面で選択肢から外れている。そしてフィットは今ひとつサイズと回転半径が大きいのが気に入らないし、新型マーチは顔がイヤだと思った。残ったのがパッソとブーンなのである。

 そうしたら昨日帰宅した家人が言うには、実はパッソとブーン、名前と売り出し元メーカーが違うだけで、中身は丸っきり同じクルマなのだそうだ。そういえば「新車情報2005」で司会の三本和彦さんも、TOYOTAの何とかとダイハツのかんとかは同一車である、と以前言っていたことを今さらながらに思い出す。「どうしてそんなことするんですか? 違う名前だったら混乱するでしょうに」といつもの毒舌を飛ばしていたものだ。てっきり違うペアのことだろうと思っていたのだが、他でもない、パッソとブーンがその双子だったらしい。
 つまりウチに残された選択肢は事実上1車種のみということになる。なんと寂しい事態だろう。先日行き着けの大型スーパーへ買出しに出掛けた時、駐車場でカシスピンクのパッソを目にしたのだった。実物は写真よりもずっと可愛かったので、じゃあブーンはどんな感じかな? と非常に楽しみにしていたのに。選ぶ喜びがなくなってしまった。

 ウチのヴィッツの買い替えを家人が決心するまでにどこぞのメーカーが新型コンパクトカーの傑作を発表すれば別だが、そうでない場合、わたしはどこまでもパッソ(ブーン)に拘らなければならない。やはりあのサイズと小回りの利くあたりは魅力的である。メーター類がちょっとショボいのと、マニュアルミッションの選択肢がないのが家人は気に入らないようだが、スポーツタイプのRACYにすれば格好いいメーターが選べるし、最近のATはそこそこ走るから大丈夫だろう。
 残る問題はどこから買うか、しかない。同じクルマを2つのメーカーから発売しているなんてあまりに面倒臭いと思う。中身は同じなのだから、こうなるとじゃあどっちがどのくらいオマケを付けてくれるか、下取り価格をどのくらい上乗せしてくれるか、という実にセコいレヴェルの話に堕ちて行く。アフターサーヴィス等に関してもきっと似たり寄ったりだろうし、今ひとつ決め手に欠けるのである。せめてパッソがネッツ販売店で扱われていれば、担当の営業マンさんから買うことで決まりだったろうけれど。

 例えば○村屋のあんまんのように、同じ名前の市販品でも売っている店によって品質が違うこともあるらしく、それはそれであまり感心しない事態だと思う。本当かどうかは知らないが、あんまん大好物の義母によれば、本店で売られているあんまんは他店のものと比べて明らかに美味しいのだそうだ。
 しかしまったく逆というか、違う店で売られている違う名前の品物が、実はまったく同一であるというのもどうだろうか。海外で選びに選んでお土産を買って来て、ふと裏を返してみたら「MADE IN JAPAN」とシールが貼ってあったという笑えない小咄のような印象を受けてしまう。ちょっとシチュエーションとしては違うかもしれないけれど。

 それにしても、こういう張り合い方をした場合、業界最大手のTOYOTAにダイハツはちゃんと太刀打ち出来ているのだろうか。ブーンの方が価格設定が多少なりとも安いとかだったら判らないが、どう考えてもTOYOTAの方が分がいいような気がする。パッソとブーンの間で迷っているんです、とお客に言われたら、意地でもこっちにゲットしちゃる、と思うのではないだろうか。大手の強みであざとい下取り価格を提示してくるとか、オプションを奮発しちゃうとか、いろいろ思いつくのは勘繰りすぎだろうか。
 判官びいきというのか、わたしとしてはどちらかというと「じゃあブーンにしたいかも」と思うのである。問題がひとつあって、ウチの近所にダイハツのメンテナンス工場が見当たらないのが困りものかもしれない。何かトラブルがあった時、方向音痴のわたしに、おそらくは少し遠くにあるだろうダイハツメンテナンス工場まで行けるかどうか。
 中身はTOYOTA車と同じなんだから、と言って、いつも来てくれる営業さんに持ち込んだらどうだろうか。やっぱり困った顔されちゃうのだろうか。買うとも買わないとも決まってないのに、妄想だけが本当に先走っているのである。




01/13 鳥はむを作ってみた

2005/01/13 17:54
 某巨大匿名掲示板の、料理を主な話題にしている板で、かなり前からもちきりになっているレシピがある。鶏の胸肉を使った自家製ハムである。その名も「鳥はむ」。もも肉に比べて安価だがどうしてもパサつきがちな胸肉を、風味良く美味しく食べられる超スグレモノだということを小耳に挟んでいた。脂肪分が少ないのでカロリーも低い。手間はさほどでもないが出来上がるまでに時間がかかるので、あまりに忙しい時に手を付けると途中で忘れてしまう可能性もある。いつ作ろうかなあと思ったまま半年ほど経ってしまった。
 先日近所のスーパーに買出しに行った時、国産鶏胸肉3枚で600円、という超特価パックを見つけた。しかもレジにて3割引だそうで、800gほど入っているのでなんとグラム53円という破格の値段である。たまたま翌日、翌々日と予定がない時だったので、これは鳥はむに挑戦するまたとないチャンスであると、喜んで買って帰って来たのである。重かった…。

 レシピによれば作り方は割と簡単である。蜂蜜または砂糖を塗った胸肉に塩・コショウ・スパイスを振って密封し、冷蔵庫で2日間寝かせるだけ。その後で塩抜きをして茹でるなりグリルするなりして食するのである。スパイスはお好み次第、塩抜きの加減も各自の好きな具合にすればいい。最初の漬け込むところで思い切ってどっさり塩とスパイス類を使うこと、という他には特にコツもない。ぐーたらなわたしにお誂え向きなレシピである。
 皮は剥いても剥かなくてもいいということだが、なにしろお買い得品なので安全面を考えて今回はむしっておくことにする。肉1枚あたり小さじ1杯程度の蜂蜜を塗り、ミネラルの入った塩の方が美味しいというので、奮発してちょっと高めの粗塩をふんだんに揉み込む。黒コショウをガリガリ挽いてさらに揉み込み、鶏肉に合いそうなスパイスは何だろうとしばし考え、ウチにある中でタイム、ローリエ、フェンネルを選んだ。ちょっと多いかなというくらいが適量だそうなので、肉の表面が覆い尽くされるほどに振り掛ける。
 あとはジップロック等の袋に詰め込み、ストローで空気を吸い出して可能な限りの真空状態に近づけ、冷蔵庫に放り込んで2日間待つのである。レシピによれば水分が抜けて出て来るかもしれないということだが、今回は塩や黒コショウを揉み込む段階でモタクサしたために程好く抜けてしまった後だったのか、2日経ってもそれほど水は出なかった。

 漬かった後は軽く水洗いをし、迎え塩状態で塩抜きをする。3枚あるので1枚はレシピ通り茹でることにする。あとは1枚を「応用編」を参考に低温のオーヴンでグリル、もう1枚をお気に入りのキッチンスモークで燻製にするつもりだった。スモークについてはレシピに載っていないので美味しく出来るかどうかは不明。ただしまあ、こういう場合、1回はお試しにチャレンジというか、バクチを打ってみたくなるのは人情だろう。
 茹でる1枚は茹で汁に漬けたまま最低6時間味を馴染ませること、とあるので、その日の晩御飯には間に合わない。よって残りの2枚、グリルしたのとスモークしたのをメインディッシュにしたのだった。

 ちょっとばかり塩抜きが足りなかったようで、わたしの好みとしては少々しょっぱかったが、味は両方とも上々である。スモークした方は酒の肴にピッタリな感じ。キッチンスモークにしては長時間燻煙(30分弱)なのでかなり風味がキツいが、これはウイスキーのおつまみにしたら美味そうである。赤ワインもいいかもしれない。ただし香り系が苦手な家人にはあまり受けなかった。
 もう1方のグリルしたのは家人にも好評である。レシピによると100〜120℃の低温で焼くということだったのだが、それだとあまりにも火の通りが遅いので、痺れを切らして途中から150℃に設定温度を上げてしまった。とりあえずそれでもちゃんとジューシーに仕上がったので良いことにする。
 後日食べた茹でたやつも美味しかった。食感はまさにハムで、茹で汁に漬けていた時間が長かったために今度は少々塩が抜け過ぎだったかもしれない。これはサンドイッチなどに入れたら豪華な感じになるのではないだろうか。そのままオードブルとして食べても、サラダにトッピングしても◎である。
 茹で汁はそのままで、大層美味しいスープとなるのも重宝な点だった。鶏のだしが存分に出ているので、具は野菜オンリーでじゅうぶんである。特売品の胸肉でスープもハムもできちゃうとなると、セコいわたしには打って付けのレシピなのである。茹でるヴァージョンとグリルヴァージョンは絶対今後もリピート確実だと思う。

 レシピの載っていたページで面白いのは、鳥はむに関する科学的な考察をしているところがあることだった。例えば漬け込む時、まず蜂蜜(または砂糖)を塗ってから塩を揉み込むこととなっているのは、塩を先に入れてしまった場合、NaClよりも分子量の大きい糖分がなかなか染み込みにくくなるからだとある。和食で煮物を作る時などもそう言えば「砂糖を先に」が鉄則だし、例の有名な「さしすせそ」もつまりはそういうことだろう。
 塩抜きの時の「迎え塩」についても同様。この辺りの考察をどなたがやったのかはちょっと判らないが、こういったコーナーが付いているのは大変楽しかった。大学院時代の先輩で料理の好きな人が居たのだが、この方の口癖が「料理は化学だ!」だったのを思い出すのである。

 ともかく簡単で安価でメチャクチャ美味しい鳥はむ、もしもまだトライしたことのない方はぜひ一度お試しあれ。ちなみに鳥はむまとめページはこちらである。




01/14 シーズンは続くよどこまでも?

2005/01/14 16:24
 最近どうも慌しい。スポーツクラブ通いのために外出が増えているせいだろうかと思っていたのだが、どうもそれだけではないようである。とっくりと考えてみると、どうも、のんべんだらりんと過ごしてウイークデイの疲れを取る週末に、何だかんだと出歩いているせいではないかと思われる。行く先はもちろんラグビー観戦。

 軟弱モノなので、ウイークデイに溜まった疲れが1日では抜け切らないのだ。サラリーマン時代には、休日出勤が続いた挙句の過労から肺炎を起こし、自宅休養の末に最前線から外されるという何ともトホホな顛末を辿ったこともある。ただし最近のコレは、もしかしたら寄る年波のせいもあるかもしれない(涙)。不惑まであとン年、大台に乗るとどっと来るという話を良く聞くが、その暁にはどんなことになるのか想像するだに恐ろしい。
 スポーツクラブ通いがあと3ヶ月くらい経過してきちんと体力が付いて来ればまた違うだろうと期待しているのだが、今のところ、金曜日あたりになると結構ヘロヘロである。一応サラリーマンである家人もそれは同様で、金曜日の夜のスポーツクラブ通いは時々パスすることもある。わたしはと言えば例の「ローインパクトエアロビクス」とか言うクラスを取ってしまったので、残る元気を振り絞ってえっちらおっちらと踊っている。今はまだキツいけれど、いずれラクにこなせるようになると信じながら。

 そんな訳で本当なら土日は家でゆっくり過ごした方がいいのだろうが、年が明けてから2週連続でラグビーを観に行っている。大学選手権の準決勝と決勝では見逃す訳には行かなかったのだが、三が日の準決勝はともかく、正月ボケの収まりきらない9日の決勝戦の後はちょっとばかりしんどかった。大隈講堂前の祝勝会まで行ってしまったせいもある。10日が成人の日で本当に助かった…。
 今週こそ土日はゆっくりするぞと最初は決心していたのだが、どうやらまたしてもお出掛けすることになりそうである。というのは、明日15日にワセダラグビー部の祝勝パレードが執り行われるからである。場所は阿佐ヶ谷駅前と、ラグビー部のグラウンドがある上井草。両方ともに出向くか、どちらか片方だけで我慢するかは当日の体調と天気次第である。
 間の悪いことに予報では、明日の関東地方はなんと雪である。朝からガンガン降っていたらさすがに止められるだろうが、予報を見た感じでは何とも微妙な降り具合。パレード自体、雨天中止だそうなのだが、明日昼12時の予想で「みぞれ・降水量2mm/h」である。決行するか中止するかは行ってみないと判らない。

 大隈講堂前の祝勝会を観たのだから、パレードはもういいじゃないかと心のどこかで一応思っている自分も居るのだが、やっぱりどうしても行ってみたい事情もある。9日の決勝戦後に買いそびれた優勝記念の「荒ぶるTシャツ」を、どーしても欲しい! のである(ミーハー)。パレードで販売するという話なので、わたしとしてはやはり見過ごせない。数日前までは「どうしようかな。行こうかな。やめとこうかな」と揺れていたのだが、そのうちどんどんテンションが上がって来てしまった。自分でも多少はヤバいと思うのだが、こうなるともうどうにも止まらない。
 もちろん家人は呆れ顔である。ラグビーファン歴で言えばわたしよりもずっと長いし詳しいが、わたしのようなミーハーな嵌まり方はしていない。家人によれば、「今までずいぶんたくさんの人間をラグビー観戦に連れて行ったけれど、一番ハマったのは君だよな(汗)」ということらしい。何しろ自分では、応援旗の1本も買ったことがないというのだから、わたしからするとそちらの方が信じられないのである。

 雪が降るくらいだからかなり寒そうだし、パレード自体が中止になったら無駄足を踏むことになる。ウイークデイの疲れを引きずっている家人にあまり無理もさせたくないので、明日はわたし単独で遠征するつもりである。幾ら何でも迷子になることはないだろうし、もしも無駄足を踏んでもわたし独りならば、しみじみおのれの阿呆さ加減を噛み締めながらトボトボ帰って来ればいい。
 せめてもうちょっと阿佐ヶ谷やら上井草やらが近ければなあ。もしくは、明日がせめて今日なみの気温と天気を保ってくれればなあ。明日・明後日は大学センター入試が実施される予定で、雪が降ったりしたら受験生の皆さんはわたしなぞよりももっともっと切実に困るだろう。巡り合わせとは言え、何とも運の悪いことである。どうか誰も滑ったり転んだりしませんように。

 明後日の16日は大学ラグビーの東西オールスター戦が予定されているのだが、こんな調子なのでさすがに出掛けるのは自粛する予定である。発表されたメンバー表によれば、大贔屓の後藤翔太選手が出場する予定らしいので、本当のことを言えば観に行きたい気持ちはかなりある。しかし土日両日、しかもかなりの寒さが予想される中を連荘で出掛けたりしたら、その次の週に体力が持たない。もう1人の大贔屓、首藤甲子郎選手はWTB部門でファン投票1位になっていたけれど、何か出られない理由があって辞退してしまったらしい。首藤選手が出ないのなら諦めもつくか…と、しぶしぶ自重することに決めたのだった。
 それに、自分で良く良く考えてみると、首藤選手や後藤選手の大ファンであるのは間違いないとしても、わたしが何より好きなのは「ワセダのラグビー」なのだなあ、と思ったりもする。わたしが思うにラグビーとは、チーム内の各選手間での意思疎通がどのくらい出来ているかで強さがまったく違って来るスポーツの最たるものなので、1回限りの豪華チームにはそれほど魅力を感じないのである。そのいい例が今の日本代表チームで、あれほど豪華なメンバーが揃っていながら大敗を繰り返すのは、やっぱり合同練習とかブリーフィングとか、そういうものが決定的に足りないせいだと思ったりする。

 ともあれ明日が終わったら、しばらくラグビーはオフシーズンだな、と思っていたのだが、昨日の夕方そういう訳にも行かないことが判明した。1週間ほど前、購読している某新聞の愛読者プレゼントとやらで、23日から開催されるラグビートップリーグのマイクロソフトカップのチケットに応募していた。何も音沙汰がないのでどうやら外れたらしいと思っていたが、昨晩帰宅した家人が持っている郵便物の中に1通、新聞販売店からのものがある。さてはとわくわくしながら開けてみる。予想通りチケットだったのだが、その枚数に驚いた。マイクロソフトカップの3試合×2人分、合計6枚もあるのである。
 応募できるのはどれか1日分だけだったのに。添付の手紙によれば「今回はチケットの枚数に余裕があったため、3枚1セットでお届けいたします」ということらしい。ウチのラグビーシーズンはまだまだ続くことが決定。家人は大笑い、わたしは呆然である。そうか。ラグビーってあんまり人気ないんだなあ。チケットをもらえて嬉しいのは本当だけれど、一抹の哀しみも混じったプレゼントだったりする。




01/15 「荒ぶるTシャツ」GET!

2005/01/15 18:33
 キミのミーハーさ加減にはほとほと呆れ返る、ラグビー観戦の面白さを教えたのは確かに僕だけれど、こーゆー形で、何もここまでの嵌まり方をしろとは誰も言わなかった…と、常々家人に呆れられている。今日はそのミーハーっぷりが大爆発してしまった。ワセダラグビー部の優勝記念パレード&祝賀会が、阿佐ヶ谷駅前と上井草グラウンドで執り行われたのである。
 わたしの個人的なチェックポイントは、1:記念パレード&杉並区役所の優勝報告会見物 2:上井草商店街「ビストロ・ベルゲン」で販売される「荒ぶるTシャツ」GET 3:上井草グラウンドでのファンの集い見物 の3つだった。最後のファンの集いは、上井草でのパレードが雨天中止な関係上、もしかしたら中止になるかもしれない。ただしイヴェントが中止になるかどうかは行ってみないと判らないので、Tシャツ獲得もせねばならないことだし、雪が降ろうが槍が降ろうが、上井草まで出掛ける決心を付けた昨晩であった。

 ミーハー根性に付き合わせるのも気の毒だし、当初はわたし単独で出向くつもりだった。計画としては、まず朝10時(「ビストロ・ベルゲン」の開店予想時刻)に上井草に到着、Tシャツを購入→阿佐ヶ谷駅前〜杉並区役所のパレードを見物、優勝報告会を見る→上井草に戻り、ワセダクラブハウスで行なわれるのだろうイヴェントを見物、というスケジュール。かなりハードだが止むを得ない。もしもよっぽど天候等の条件が悪ければ、阿佐ヶ谷行きはパスするかもしれない。
 そういう予定を説明したら、家人が「上井草〜阿佐ヶ谷間は距離的には近いけれど、電車で移動するのはあまりに遠回りだ」と言い出した。破格のサーヴィス精神発揮で、朝起きた段階で雪が積もっていたりしなければ、クルマを出してあげるから一緒に行こうと言う。おお〜何と言うありがたいお申し出。ウイークデイの疲れもあるだろうに、感謝感激である。もしかしたら「こんな阿呆を独りで出すのはヤバいかも」と思ったのかもしれないが。

 心配されていた天気は、積雪だけはとにかく免れた。予定通り上井草に10時に着。「ビストロ・ベルゲン」はまだ閉まっている。折り良くいらしたワセダクラブの方に販売開始時間を伺うと11時からとのこと。まあいい、そのくらいなら平気で待てますとも。他に、上井草商店街でのパレードは中止になったこと、ファンの集いとサイン会はおそらく行なわれるだろうことも教えていただいた。
 11時になるや否やでTシャツも無事GET。サインをしていただく白地のスペースができるだけ多く取れるよう、サイズはXOを選んだ。自分で着る訳ではないので大きければ大きいほど良いのである。
 売り子の方々としばらく雑談、ワセダクラブへ入りませんか? と勧誘をされる。年会費は5000円だが、例えばTシャツなど、一般価格と会員価格で500円の差額があるし、その他の特典を考えれば必ずしも高価くはない…ような気もしてきた。とりあえず入会申込書をもらい、これからとっくり悩もうと思っている。どうしようかなあ…。

 阿佐ヶ谷へ移動し、早々に杉並区役所に陣取る。あまりに寒いのでパレードはパスし、区役所の優勝報告会に絞ることにしたのである。早目に行ったおかげでなかなか良い場所へ陣取ることもできて御機嫌、家人はせっせとデジカメのシャッターを押すのに余念がないのだった。早稲田大学の総長さんや杉並区長さんなどいろいろなゲストがいらしていたが、中でもスピーチの面白かったのは衆議院議員の石原伸晃氏で、ユーモアとメリハリの効いたトークで観客を沸かせていた。いや、さすがである。
 式典終了後、再び上井草に取って返す。阿佐ヶ谷駅前でも上井草でも、コインパーキングのスペースが取れたのでラッキーであった。いよいよ本日のメインイヴェント、優勝祝賀会の始まりである。一般の見学者は予想よりも少なく、ざっと見た感じ200名ほどだろうか。それでも気温4℃、みぞれ混じりの雨降りという天候を考えれば大した人出だろう。体育館の入り口が受付になっていたのでそこで記名し、会場へ案内していただく。中学や高校の卒業式の時のように、床や廊下にはビニールシートが敷き詰められ、端っこをガムテープで止めてある。ただしどんなに用意しても土足で入れば床は汚れるし、後片付けなども大変だろう。部員やスタッフの方々のお気遣いにちょっと感激するのだった。

 祝賀会の最初の方は一般観客は場外へ出ていなければならない。祝辞や鏡開きなどが行なわれていたようだが、まあとりあえずわたしにとってはそーゆーことはどうでもいい(失礼)のでじっと我慢して待つ。それにしても目の前に並んでいるラグビー部員さんたち、皆さん揃いも揃って体格がいいので、印象としてはまるで黒い壁のようだった。部員さんたちの肩の線が完全にわたしの視線よりも上にあるので、前に立たれると本当に何も見えないのである。ちょっと怖かった。
 乾杯が済んでしばし、ようやく歓談というかサイン会の時間になった。横長テーブルに選手の皆さんがズラリと並んで流れ作業かと思っていたらさにあらず。最初はそういう予定だったのかもしれないのだが、始めてみたらすぐにそれでは余りにも時間が掛かり過ぎると判明したらしい。各々色紙や「荒ぶるTシャツ」、優勝記念応援旗などを抱えたファンたちが、各自お気に入りの選手へ突撃をかける形式に変更されたようである。ひええええ、最低15人分「すみません、サインお願いします!」攻撃をせねばならないのか。ご飯を食べたりお酒を呑んだりして気持ちよく過ごしていらっしゃるところを申し訳ないなあ…。

 とは言うものの、いざ行動開始したら案外勢いで何とかなった。他のファンの方たちがサインの列を作っているところへ並べば、選手の飲食や歓談の邪魔も最低限で済む。清宮監督を始め選手の皆さんは本当に気持ちよくファンサーヴィスをして下さるのでまたまた大感激。ほんとなら学生さんなんだし、何回も何回もサインする義理などないだろうに(ありがとうございました)。
 いつもはちょっと怖そうな清宮監督も今日は上機嫌で、わたしはなんと「ビールいかがですか?」と勧めていただいちゃったりしたのだった。アトピーの関連でアルコール御法度なのだが、間近で見る監督の笑顔に心臓バクバクである。熱烈な清宮監督ファンの友人なら、悲鳴を上げて倒れてしまいかねない。やっぱ格好いいのである。
 選手たちの負担を少しでも軽くするためか、予め監督や優勝メンバー15人全員のサインがしてある色紙を販売していたのも用意周到で感心した。サイン欲しさに集まったファンのうちかなりの人たちが、この色紙を購入して大にこにこだった。15人の間を駆けずり回る手間隙が省けるのだから、これも大したファンサーヴィスである。しかも1枚100円! 原価割れしてるんじゃないだろうか。わたしも友人へのお土産用に(あと自分用にも)ありがたく購入させていただく。

 どきどきしながらGETした「荒ぶるTシャツ」を抱えて選手の皆さんの間を走り回るのは、大変だったけれども非常に楽しかった。間近で拝見した諸岡キャプテンは予想以上の好青年で、思わず「1年間ホントに楽しかったです、このチーム大好きです!」と伝える言葉も詰まるのである(阿呆?)。青木佑輔選手や古島直選手など、一般観客に混ざっているご家族のこともまめまめしく気遣って飲み物や食べ物を運んでいたりする。後藤翔太選手の笑顔は相変わらず眩しいし、首藤甲子郎選手のシャイな笑顔も可愛い。いや〜ん、おばさんお姉さん貢いじゃいたい感じ♪(どうしようもないほど阿呆)。
 体育館の寒さも空きっ腹も忘れ(飲み食いしている暇なぞあるものか)、アドレナリン大放出で会場を走り回ること1時間弱、突撃を繰り返したおかげで無事優勝メンバー15人の皆さん全員にサインをいただくことができた。もちろん清宮監督も♪ さらに来年期待の小吹和也選手と、去年の大贔屓選手だった山岡正典コーチのサインもGET。サインを集めるには「荒ぶるTシャツ」持参で上井草に通い詰めるしかないかと思っていたのに、たった1日で目的は完遂されてしまった。今日は何と言う良い日だったのだろう。

 サイン入り荒ぶるTシャツ
 こちらがサイン入りの「荒ぶるTシャツ」画像である。XOサイズを選んだ甲斐あって、見事全員分のサインが表面に収まった。
 来年もこういう楽しみがあるといいのだが、関東学院大学という強大なライヴァルも居る。ともあれ、わたしは次のシーズンも、誠心誠意ワセダラグビーを応援しちゃうつもりなのである。「大概にしとけよ」という家人の声も聞こえてきそうではあるが。




01/16 1日が半分しかなかった

2005/01/16 19:09
 そんなこんなでグタグタに疲れていたのだろう。今日起床して行動を開始したのは実に午後1時半を過ぎていたのだった(汗)。メチャクチャ反省である。しかもまだ身体の芯がぐったりした感じも抜けなくて、日常業務をこなすのもいちいちおっくうだったりする。その癖気分的にはまだ高揚感が抜けないというか、思い出すだけでわくわくするというか。肉体と精神の乖離、極まれり(大袈裟)。

 本当は朝の9時半くらいだったか、いつもお世話になっている自動車ディーラーの営業さんから電話があって、1回目が覚めている。一昨日、12ヶ月点検について電話をくれていて、その時は家人が留守だったので詳しい返事ができなかった。そこに頼むつもりなのは知っていたのだが、今週半ばから週末にかけて、3泊4日で家を空ける用事がある。残るわたしが手続き等すればいいのだが、とりあえず正確な意向を訊いてからでないと迂闊に予約もできない。うっかりすると家人が、ネットで調べた格安点検ナントカに目星を付けていることもあるからである。
 週末なら居るから、追って沙汰すると言って電話を切ったのだが、この営業さんのスゴイところは、こちらから連絡を入れるまで悠長に待っていたことがほとんどない点である。大抵こちらの意向が固まった頃を見計らい、改めてジャストタイミングで「いかがですか?」と追加の問い合わせをくれるのだ。今日はたまたまこちらが寝過ごしていたので寝込みを襲われた形になってしまったが、わたしはこういう気の利かせ方をしてくれるこの営業さんを大層気に入っている。打てば響くというか、痒いところに手が届くというか、営業とはかくあるべしなんだなあと思うのである。

 以前にも日記のネタにしたことがあるかもしれないが、同じく感服しているのが行き付けのパン屋さんのヴェテラン店員さんである。パンを選んでいる時うっかりトングを落としたのだが、拾い上げてレジに持って行こうと振り返ったらそこにもう新しいトングを持ったこの店員さんが立っていた、という驚異的なサーヴィスをしてくれる。この方は先日、支払い時にカード利用明細にサインをするためにボールペンを取ろうと右手を伸ばしたら、その手の中に準備万端になったペンをスッと持たせてくれるという新技も繰り出した。
 芯を出したボールペンを明細に添えて出してくれる、という人ならたくさんいらっしゃる。けれどペンを「持たせてくれた」店員さんはやっぱりこの方の他には居ない。わたしは内心「ぎょえーっなんかこういうのってホストみたいぢゃん」と少々焦りつつ、スポーツの超美技に酔うような爽やかな気分で店を出たのだった。
 わたしには残念ながら、こういう細やかな気の利かせ方はどうしてもできない。どっちかというと鈍いしぐーたらなので、極力仕事の手間隙を省こう省こうという方向へ流れるからである。こういうスーパー営業さんたちを見習ってみたい気持ちもないではないのだが、気力体力時の運がなかなか揃わない。

 彼らに共通するのはやはりプロ意識の高さだろう。上っ面だけではなく、顧客を本当に喜ばせるためにはどうすればいいかを、たぶん日常的にずっと考え続けているのではないかと思う。
 厳密な意味では「プロ」ではないが、同じプロフェッショナル的な意識を感じるのがワセダラグビー部員さんたちであった。優勝した後に果てしなく続く祝勝会やパレードやファンの集い、嬉しくない訳でもないだろうが、あまりに続くといい加減疲れてくるのではないかと思う。時期的にもそろそろ後期試験だし、本当だったら土日はゆっくり過ごして勉強したいと思ったとしても不思議ではない。少なくともわたしだったらこういう時、うんざりしてしまって笑顔を保つのも難しくなるだろう。
 もしかしたら外部の人間の目に触れない寮の中などでは「サイン会なんて面倒臭いよなあ」とボヤいている部員さんもいらっしゃるかもしれない。無理もないとは思いつつ、実際にそういう言葉を聞いてしまったら哀しくなるのもファン心理である。ON/OFFの切り替えが徹底しているというか、外部の人間の目のあるところではあくまでもプロとして振舞えるのは本当にすごいと思う。「ワセダラグビー」を完全な1つのブランドとして意識しているというのか、この辺りはやはり清宮監督の薫陶だろうか。
 本当はまだ学生さんなのに偉いなあ。こちらファン側としても、そういうON/OFFをちゃんと弁えて、節度ある応援をしなければいけないなと自戒するのである。

 卓球の福原愛選手に掛け声のことをしつこく訊いて嫌がられているとか、メジャー・リーグのランディ・ジョンソン選手に執拗なカメラ撮影を続けたとか、そういう話を聞くと胸が痛む。スポーツ選手がベストコンディションで試合に臨めるよう配慮する、というのは、取材する側やファンとしても最低限のマナーではないのだろうか。
 特にランディ・ジョンソン選手の場合、「いい加減にしてくれ」とカメラを手で押さえた写真をスポーツ各紙が挙って掲載し、バッシングの嵐が吹き荒れたという。悪いのはどう考えてもしつこいカメラ取材をしたマスコミ側だと思うのだが、どうしてそこを責められなければならないのか判らない。ジョンソン選手は「プロ意識に欠ける行動だった」と謝罪したそうだが、取材側もちゃんと同じ理由でジョンソン選手に詫びを入れるのが当然だろう。
 心無い取材側やファンの態度で、スポーツ選手の皆さんが不愉快な思いをし、ファンやマスコミを鬱陶しく思うようになってしまったら本当に哀しい。好きになって欲しいとまでは望まないが、やっぱり「憧れの君」には、ほんのちょっぴりでも嫌われたくないではないか。

 そんなことをくどくど考えていたらもうこんな時間である。気分的にはまだお昼過ぎなのに、もう1日が終わろうとしている。ものすごくもったいない日曜日の無駄遣いをしてしまった。大反省…(とほほ)。




01/17 今シーズンのN○Kの朝ドラ

2005/01/17 16:53
 前期があまりにもスゴかったので、今後いったいどうなることやらと、ある意味興味深く観始めた『わかば』だけれど、これが思いの他面白い。主人公の若葉ちゃんは、どちらかというとわたしとしては苦手なタイプの女の子なのだが、それでも彼女が夢に向かって一生懸命「ゴー、ファイ、ウィン!」な生活を送っている様子には好感が持てる。弟の光君がまた可愛いくて、個性の強い姉に圧倒されつつもしっかりと自分の道を模索する、ちょっと繊細な男の子というのはなかなかツボ。
 個人的にこのドラマで一番素晴らしいと思っているのが、若葉と光の母・詩子役の田中裕子さんである。脚本のキャラ性格設定もしっかりしているのだろうが、普段はマイペースに飄々と生きている詩子さんが時折見せる深い哀しみ、心の傷を抱えつつもきちんと自分の足で立とうとしている様子など、田中裕子さんならではのさすがの説得力ある演技だと思う。

 阪神淡路大震災から10年ということで、トピックとしてタイムリーを狙っているなと思わないでもないが、それでもこういうふうに丁寧に作られたドラマを観ることで何らかの慰めを得られる人もいらっしゃるだろう。幸運にもわたしの場合、あの震災で命を落とした友人・知人は居ないのだが、知人で近しい人を亡くした方もかなりおいでだし、神戸在住の祖母や叔母たちの窮状も見聞きしている。
 被災地に住まう人々に取っては、あの地震はまだまだ「済んだこと」では収まるまい。あの日以来ずっと続く哀しみと苦難の中で、精一杯日々を送っていらっしゃるのだろう。そういったことを見せてくれる点で『わかば』のような直球勝負なドラマ、なかなか心に染みるのでいいなあと思ったりする。今朝の回、公園での若葉と雅也のシーンでは思わずホロリとしてしまった。

 他の局でも今朝から「震災10年」の特集を放送しているようである。わたしを含め、日常に追われてついつい「あの日」のことを忘れてしまいそうになる日本の皆さんが、年に1ぺんくらいじっくりと思い出して考える日があってもいい。阪神淡路大震災の記憶が、どこでどんな風に役立たないとも限らない。その割にウチの防災装備はオソマツなのがトホホなのだが。
 とはいえ一部で聞いた「10年という区切り」の言葉には、ちょっと心無いものを感じてしまった。被災した人々、親しい人を亡くした人々にとっては、10年経とうが20年経とうが全然「区切り」など感じられないのではないだろうか。「区切り」という言葉には「早く忘れた方が」的なニュアンスも感じられてあまりにも残酷である。いつまでも引きずっているのは良くないと言われても、そんなこと判っていても、忘れようにも忘れられないのが人情な気がする。

 父や友人など、ここ数年で近しい人間を何人か亡くした。立ち直れないくらいのショックからは抜け出したけれども、それでもやっぱり到底、忘れてしまったり「区切り」を付けたりすることはできないな、と思う。折に触れては思い出さずにいられないし、ついでに「どうしてあの時もっと…」という後悔から逃れることも未だにできない。
 突然の大地震で、昨日まで元気だった親を、子供を、友人や恋人を亡くした人ならばなおさらそう感じるのではないだろうか。そういう人たちに「区切りですね」とは、やっぱりわたしには言えない。

 ともあれ『わかば』を観ていると、あの当時の混乱や不安を思い出すのと同時に、若葉たちの一生懸命さに感心できるのが嬉しい。サイアクの出会いをした雅也と若葉の今後にも大注目、ついでにこれから始まるだろう光君のパティシエ修行と、口の悪いパティシエ・ジュディさんの活躍も楽しみだったりする。個性的なもう1人の下宿人・瞳しずかとジュディの掛け合いも笑える。
 そしてやっぱり、詩子さんが再びケーキを食べられるようになるのか、神戸に帰って来ることができるのか、その辺りもドキドキしながら見守りたいのである。久しぶりに朝ドラが楽しみな毎日、ちょっと照れ臭いながらも嬉しかったりする。




01/18 ぬかよろこび【▼糠喜び】(名)スル 持ち上げられ、その後、落とされる状態

2005/01/18 17:43
 毎週観ているCATVの番組に「ラグビー・プラネット」というのがある。タイトル通り、1週間のラグビーに関する話題だけを取り扱った、それはそれはマニアックな情報番組で、オフシーズンだと15分、シーズン中だと30分の枠で放送されている。他の局では絶対に出て来ないゲストとか、コア〜なお知らせや視聴者プレゼントがあったりしてお気に入りなのだ。
 マニアックなのは宣伝にも一貫していて、昨シーズンまでは、この番組のスポットCMはどういう訳か「イタリア語でちょっとダルに歌われる童謡」だった。昨シーズンは「チム・チム・チェリー」、その前の年は「黒猫のタンゴ」である。どっちの歌も面白かったのでついつい丸暗記してしまった。このシーズンは当たり障りのないものだったのが不満で、わたしとしてはぜひあのイタリア語の歌に復活して欲しいと思っている。

 それはさておき、前回の「ラグビー・プラネット」で紹介されていた情報の1つが、今度の日曜日に開幕するマイクロソフトカップについてであった。ラグビーの1部リーグであるトップリーグのシーズン終了直後に行なわれるトーナメント戦で、トップリーグの上位8チームが対戦する。冠の「マイクロソフト」はもちろん例の巨大企業のことである。これが「マイクロフト」だったらどんなに楽しいだろうと時々思うのだが、それはまた別の話。
 そのマイクロソフト社が、このトーナメント開幕に合わせてかどうかしらないが、ラグビーのスコア付け用ソフトを開発したのだという。ラグビー用スコアブックなるものが市販されているのかは不明だが、わたしの感覚だと、ラグビーの試合のスコア付けは結構面倒臭い。得点関係だけでもペナルティ・ゴールとドロップ・ゴール、トライ、コンヴァージョン・キックによるものがあり、何分に誰がトライしてキックは誰で、成功したのか不成功だったのか…などなど、かなりの情報量になってしまう。
 試合分析をしようとしたら、ライン攻撃はどっち側が何次攻撃までやったとか、どこのラックでターンオーヴァーがあったとか、どこの地点で反則があってラインアウトが云々かんぬんと、記録しておきたいことは山のように出て来る。当然、わたしは今までにきちんと記録できたことはない。せいぜいメンバー表の片隅にトライとゴールと選手入替えを書き付ける程度である。

 発表されたソフトは、その面倒臭いスコア付けを簡単にできる優れものらしい。しかもボールや選手の動きも記録できて、試合が終わった後にはフォーメーション分析なんかも可能だというから相当の出来である。いいないいな、面白そうだなこのソフト。そう思いながら注目していたら、ナレーターさんがコーナーの最後にこうコメントした。
 「ファンの方も簡単に試合分析できるこのソフト、ご覧のサイトから無料でダウンロードできますので、どうぞご利用下さい!」

 もちろんわたしは飛び上がって喜んだ。分析とか解析とかはメチャクチャ好きなのである。こういう作業は想像力を大活躍させられる非常に楽しいものだと思う。わたしの場合は時として妄想が混じったりもするのだが。「Gotcha! Gotcha!」とふざけて叫びつつPC前に座る家人にキューを出す。家人は苦笑しつつもサイトにアクセスし、さくっとダウンロード完了。
 ちょうど良く、マイクロソフト・カップの入場券は某新聞の販売店さんに3試合分全部いただいちゃっている。買ったはいいものの休眠状態にある家人のノートPCにこのソフトをインストールして、早速秩父宮へ持って行こう。当日が晴れならばメインスタンドでもバックスタンドでもいいけれど、雨が降ったらPCが濡れてしまうから当然メインスタンドに陣取らなければならない。寒さでバッテリの持ちが悪くなるといけないから、PC保温用の携帯カイロも余分に持って行かなくては。
 アタマの中でわたしがわくわくと楽しい計画を転がしていると、問題のソフトについて参照していた家人がふと呟いた。「このソフト、どうも単独では動かないものみたいだぞ?」。

 その通り、この「Visco for Rugby」というアプリ、実はマイクロソフト社の「Visio 2003」のアドインなのであった。このVisioが何のソフトかというと、簡単に言えばPower Pointの進化版のようなビジネス用グラフィックソフトらしい。プレゼン用文書とか各種さまざまな図式の入った報告書、技術文書やレイアウトやチャートがドラッグ&ドロップでカンタンに作れます、というのが謳い文句。
 悪いけどVisioなんて聞いたこともなかったくらいだし、下手するとオフィスユースだってまだまだPower Pointでじゅうぶん、という人の方が多いかもしれない。使ってみたら便利なのかもしれないけれど、どっちにしろ一般ピープルには全然縁もゆかりもない代物ではないか。そして問題のお値段はやっぱりなーの18648円。しかもこれは1つ前のヴァージョン「Visio 2002」の、さらに価格comでの最安値である。「Visio 2003」だったらたぶんもうちょっとするに違いない。

 アドインが例え無料でダウンロードできたとしても、大元のアプリが2万円近くするのでは無意味である。普通にお絵描きができる訳でもないからウチで使うとしたらほぼ「Visco for Rugby」専用のアプリということになる。いくら面白そうなソフトでも、ラグビー用スコア付けだけのために2万円は出せないのである。がっかり。
 最初のわくわくが大きかっただけに落胆も激しい。ついでに番組への恨み節も唸りたくなろうというものである。無償でダウンロードなんて詐欺みたいな煽り文句ではないか。アドインならアドインと、ちゃんと言っておいて下さいよう(涙)。「ラグビー・プラネット」の録画を改めて観直すと、確かに取材されているマイクロソフトの方の背景にはデモ用ディスプレイがあって、その前の札には小さく「…テンプレート」という文字が映っている。けれどナレーターさんはそんなこと、やっぱり一言もおっしゃっていないのである。

 まさか「ラグビー・プラネット」の制作担当の方々が、アドインとかテンプレートの何たるかをご存知なかった、のだろうか。いくらなんでも今時と思うのだが、特集内での煽りっぷりからすると、あながち…と思ってしまう。そして今回はほとんど逆恨みだけれど、何と言うかこういう時、つくづく「マイクロソフトなんかキライだ(涙目)」という気分になるのだった。




01/19 ペーパードライヴァーへの道

2005/01/19 19:25
 今乗っているヴィッツを買い換えるかどうか、まだ全然決まっていないのだが、ウチの住人は2人ともせっかちなのでもう早速「次に乗るとしたら何か」を調べ始めているのだった。しかも2人別々に、それぞれの思惑丸出しに(汗)。わたしは普段から家人にも口を酸っぱくして主張するのだが、とにかくできるだけ小さいクルマがいい。現状のヴィッツのサイズを超えるものは御免こうむる。長さが多少伸びるくらいならなんとか我慢しないでもないが、車幅が増えるのは真っ平である。
 5ナンバーぎりぎりのサイズに膨張してしまう新型ヴィッツは、そういう訳でわたしの視界には既にない。担当の営業さんがそろそろカタログを持ってやって来るタイミングだなとは思うのだが、よっぽどのことがない限り新型ヴィッツという線を考え直すことはないだろう。TOYOTAの最先端技術により、車幅が35mmも増えても現行のような取り回しのし易さ、車体感覚の取り易さを保ってくれるのならば別だが。

 一方家人は、何だかんだ言って結局「大きい車」に食指が動いているようである。わたしが今のところ目を付けているTOYOTAパッソ(またの名をダイハツのブーン)には少々ご不満らしい。口コミサイトで内装がちゃちいと書き込みがあったなどとマイナスポイントを列挙してみせるのだが、わたしの睨んだところ、内装への不満は2次的なものなように思える。おそらくは「5人楽に乗れるクルマ」というのに、そろそろ嗜好がシフトしているのだろう。
 男性の場合、40歳を越えると重厚なものを好むようになるのかもしれない。新型ヴィッツが35mm車幅が広くなったと文句を付けつつ、高級感とか重厚感が増すのならば別にいいかなと考えているフシがある。確かにまあ、家人にはパッソだと少々可愛らし過ぎるだろうかという気がしないでもない。どうしても大き目のクルマでなければ嫌だというのならば、まあスポンサーは家人なのだし、最終的には家人の好きにさせてあげようと思っている。

 隣家の義父母もあと数年で70歳になる。2人とも、70歳を越えたらもう余程のことがない限りクルマの運転をするのは止めにしようと思っているそうで、確かに高齢者の事故が増えている最近の状況を考えればそれは賢い選択だろう。もしもウチが近いうちにヴィッツを買い換えるのならば、運転から引退するのを多少前倒しにしてもいいのではないか、とも仰っている。隣家用のクルマを処分してしまって、ウチのクルマを多少大きいものに買い換え、4〜5人で移動できるもの1台にまとめてしまってはどうかというご提案である。
 メインユーザはウチの人間(というかつまり家人)ということにしておいて、買い物などでどうしても必要な場合のみ貸してもらえればいいから、という。今は無理矢理2台駐車しているウチのガレージも、1台になれば楽々車庫入れができるようになる。車にかかる経費も節約できるしいいこと尽くめであると。

 まあそうかもしれないなあと思いつつ、もしも大きいクルマになってしまったら、わたしもいよいよ運転からは引退しちゃおうかなあと本気で考えている。どうしようもないいざという時に頼りにされるくらいなら役に立てるだろうが、基本的にもうわたしの免許はないものと思ってもらえるとしたら、それはそれで気楽かもしれない。

 運転に不向きな人種が居るとしたら、とにかくわたしはその純血種なのである。免許を取ってかれこれ20年近くが経過しようというのに、未だにハンドルを握るだけで大汗をかくほど緊張する。車庫入れや縦列駐車はどんなに練習してもほとんど上達していない。今のヴィッツでさえ、行き付けのスーパーの駐車場で何度も何度も切り返さないと駐車できないことさえある。1発で入る時と何度もやり直さなければ入れられない時と、何かが違うのだろうと自分でも思うのだが、それがどういうタイミングの違いなのか未だにまったく見当も付かない。
 自分でどうにもならないなあと思うのが車体感覚のなさである。今のヴィッツとか、その前に乗っていた旧型の日産マーチくらいのサイズならば何とかハンドルできるのだが、それより大きくなるとどこに先端があるのかさっぱり判らなくなる。「判る」範囲が自分を中心とした球体の中だとすると、わたしの場合、その球がみみっちいまでに小さいのだ。はみ出た部分はわたしにとって、無理矢理着せられた十二単の裾のように遠い。どこに引っ掛かろうが関知などできない。

 慣れの問題ではない。まだ実家に居た頃に乗っていた(乗らされていた)のはTOYOTAのカムリ(AT車)だったのだが、あの当時のカムリはエンジン排気量の割に車体が大きいことで有名だったらしい。それこそ「5ナンバーぎりぎり」のサイズだったのだろう。ともかく扱いにくくて取り回しができなくて往生したものだ。車庫入れ時には大汗をかいたし、細い道でのすれ違いでは凍りついた。狭い道でUターンしなくてはならなかった時など、途中でクルマを捨てて逃げ出したくなった。木の葉に隠れていた標識に気付かずに一方通行の出口から入り込み、バックで戻らなければならない羽目に陥ってエライ目に遭ったのもこのカムリである。
 免許を取ってから大学院を修了するまでの数年間、もちろん毎日乗っていた訳でもないのだが、結局わたしは最後までカムリの車体感覚は掴めないままだった。大きいクルマ&狭い道恐怖症がじっくりと培われたのはこの時期である。結婚した後で初めてマーチに乗った時、やっと「クルマが手の内に入る感じ」を味わった。4輪の運転が多少なりとも怖くなくなったのはそれからである。

 もしも新型ヴィッツ以上のサイズのクルマに乗り換えるとすると、あの当時のカムリの恐怖再びということになる。ぶるぶるぶる、冗談ではない。自宅の車庫入れが多少楽になるとしても、余所の駐車場の幅が広くなる訳もないではないか。センターラインのない狭い道が日本中から消えてなくなることがない限り、わたしは5ナンバーぎりぎりのサイズのクルマの運転はもうしたくない。買ったばかりの新車がギタギタになるくらいならまだしも、他人の愛車に傷を付けてしまったり、うっかりひとさまに怪我などさせてしまったりという危険は冒せない。
 わたしの場合、加えて方向音痴という致命的な欠陥も抱えている。車体感覚のない方向音痴の人間にデカいクルマを運転させようというのはやはり酷である。家人は「練習すれば大丈夫じゃないか」などと気楽なことをのたまうが、そんな生易しいものではないのは自分が一番良く知っている。まあ、こういう気持ち、ちゃんと運転できる人には決して理解してはもらえないだろうとも思うのだが。




01/20 気ままなお留守番

2005/01/20 09:38
 昨日の午後から家人が留守にしている。よんどころない事情で不承不承出掛けて行ったのだが、嫌がっていても仕方がないし、せいぜい出来る限り羽根を伸ばして来るよなどと負け惜しみを言っていた。簡単に言えば一種の島流しである。予測では土曜日に帰宅できるハズだったらしいのだが、打ち合わせ等でスケジュール完遂が1日延びると判ったらしく、昨夜「帰りは日曜日になりそうだなあ」と連絡があった。
 日曜日というと、マイクロソフトカップの1回戦が行なわれる日ではないか。トップリーグの神戸製鋼vsNEC、東芝府中vsサントリーというかなりの好カードだというのに、新聞屋さんにチケットももらってあるというのに、行けないなんて哀し過ぎる。いっそ独りで観に行ってやろうかとも一瞬考えないでもなかったのだが、家人の恨みの目を想像するといまいち踏ん切りが付かない。帰宅が夜遅くなると判っていれば単独観戦決行できるのだが、どうもそういう訳にも行かなそうだし。

 考えてみれば元々、1回戦には行けると思っていなかったのだし、当初の予定に戻っただけだと納得することにした。家人が4夜連続で不在なのも最近ではかなり珍しい事態なので、この際だから普段手を付けられていない場所の整理整頓や掃除をしようと思い付く。いつもだと、どんなにキレイに片付けても家人の帰宅後30分で元の木阿弥になるのだが、今回は多少は長くキレイな家で暮らせるかもしれない。
 ついでに、いつぞやお土産でもらったバブルバスなんかも立ててしまおうか。家人の性格上、バブルバスはあまりお好みではないらしい。1人分のお風呂をわざわざ入れ直すのはもったいないと思っているようでもある。確かにその点は問題だが、いい香りのするふわふわの泡のお風呂というのは、わたしはやっぱり大好きなのだ。パッケージには残り湯は洗濯に使えると書いてあるからまあいいか。学生時代は学会で遠出をするたびに、宿泊先のビジネスホテルでバブルバスを堪能したものだった。

 思う存分マイペースで掃除をし、ついでだからどっさりと洗濯もし、家人の嫌いなシイタケと長ネギをたらふく食う。シイタケはもちろん網焼きでレモン醤油、長ネギは先日ネットで見かけて美味しそうだった、フライパンで表裏15分ずつじーっくりと焼いて甘味を出し、そこへ和風でも何でもいい、適当に作ったたれをかけて食すべしというレシピを取り入れる。こんな料理、家人に出しても絶対食べない。美味しいと思うのだが、食べ物の好き嫌いだけは他人がどうこう言っても本当にどうにもならない。
 やはり家人の苦手な大根の煮物も作ろうと思ったが、これは今日食べるよりは明日以降に取っておいた方がより美味になるのではなかろうか。肉厚のシイタケをまるまる1パック、長ネギも欲張って2本焼いてしまったので、どの道お腹もいっぱいである。

 家人が羽根を伸ばすとか嘯くのならば、負けずとこっちもやってやると思って精一杯好きなことをやってみたのだが、久しぶりのお留守番だとやっぱり家が妙に広く感じる。この家こんなに静かだったっけ、と思う。家人が居る時は四六時中TVが点いているので、特に夜間にわたし独りだと本当にひっそり閑という状態になるのだ。どちらかというと独りで過ごす方が好きだし、留守番が寂しいということもまったくないのだが、こういう日は実に久しぶりなので調子が狂っているのかもしれない。
 ついでに気が付いたのだが、家人が居ないとこの家、常にも増して寒いのである。どうやらあの熊熊しい図体が発する熱量は馬鹿にできるものではないらしい。いつも通り石油ファンヒーターを点けていても、なんだか暖房の効きが微妙に悪いような気がする。ヘンだなと室内温度計を見ると、やっぱりいつもよりも多少低いように思う。
 人間1人が発する熱量は白熱電球1個分と聞いたことがあるのだが、おそらく家人の場合、白熱電球1.5個から2個分はあるのではないだろうか。その分がいきなり減ると、なるほど暖房効率にも影響してくるものなのだろう(ホントだろうか)。

 熱源の不在で寒いのは閉口するのだが、家人は熱源であると同時に散らかし源でもある。昨夜から家の中がずーっとキレイなまま保たれていて、整理整頓状態がこんなに長く続いたのも久しぶりだと、我ながらちょっと感動していたりするのである。




01/21 睡眠時無呼吸症候群

2005/01/21 16:20
 面会に行って訊いてみたら、家人の留守の理由を公表してもいいよと本人が言うので、遠慮なく日記ネタにさせてもらうことにする。実は家人、現在「睡眠時無呼吸症候群」の治療のために某病院に入院中なのである。目的はCPAPという器械の取り扱い練習および設定条件の調整である。CPAPとは眠る間に鼻に付けるマスクで、強制的に空気を送り込み続けることで咽喉の奥がたるむのを防ぎ、結果としていびきや無呼吸状態を防止する性能を持つ。

 結婚当初から家人のいびきは凄まじいものだったが、わたしはそれほど気にせずに眠っていた。それが今の在所に越して来てしばらく後だろうか、夜中にちょくちょく目が覚めるようになった。元々わたしは、不眠症の気は全然ないものの眠り自体が浅い時間帯が多い。おかげで長時間だらだらと寝汚く眠る必要があるのだが、ともかくちょっとしたことで割合にすぐ目が開く。具体的には大きめの地震があった時とか、家人が起床して、隣の気配がしなくなった時などである。
 最初はなぜ目が覚めたのか判らなかった。別に地震があった訳でもないし、家人は隣でいつもと変わらず眠っている。怖い夢を見ていたのでも、トイレに行きたくなったのでもない。おっかしーなー、と思っていたら、何度目かの時にふと気付いた。隣のベッドで家人が眠っているのだが、良く良く聞いてみると、息をしていないのである。どっひゃー。

 爆音のようないびきがストップしたばかりか寝息も聞こえなくなったことで、わたしの無意識が異常事態を感知し、それで目が覚めたという訳だ。眠りながらも夫の健康状態を気に掛けているとは何と言う健気さ、妻の鑑…というのは冗談としても、寝息の止まった状態は相当におっかない。5、6年は前の話だから、まだ睡眠時無呼吸症候群のことは今ほど有名ではなかった。真面目な話、何かの原因で急死してしまったのだろうか、と震え上がったものである。
 慌てて覗き込んでみると微妙に口がもぐもぐしている。良かった生きてると思いつつ様子を窺うこと数十秒、「んごご」という切れ切れのいびきと共に呼吸が再開された。ちゃんとした連続いびき状態になるまではやたらと苦しそうなのが気になるが、それでも急病という訳でもなさそうだし…と、わたしもベッドに戻ったのだった。
 翌日家人に尋ねてみても、息が止まっていたことなど覚えていなかった。眠っている間に苦しい思いをしたこともないらしい。釈然としないものを感じつつ、本人がケロリとしているのであまり強く「医者に行け」とは言えないまま。その後もたまたま眠りの浅い時に家人の息が止まると仰天して目が覚める、という状況を繰り返しつつ時が過ぎた。良く考えるといびきよりも迷惑である。

 2、3年前の電車事故で「睡眠時無呼吸症候群」が急遽有名になり、ついでに放置してはいけない病気であることも判って青くなった。面倒臭いからいいよという家人に任せていては話が進まないので、とりあえず事後承諾で「検査キット」とかいうのに申し込む。新聞記事に出ていた愛知(だったっけ?)の民間研究所で、鼻の下と指先にセンサを付けて一晩眠ると、息の止まった回数や血中酸素濃度を測定、治療の要・不要を判定してくれるのである。
 電話を掛けてみたらなんとびっくりの3ヶ月待ちだった。忘れた頃に届いたキットでデータを取って送ると、案の定返って来た診断は「要治療」である。そこの担当さんと相談して診療科のある病院を探し、改めて診察を受けたらとんとん拍子に(?)入院が決まってしまった。
 ちょっと調べてみた範囲では、睡眠時無呼吸症候群の治療には3つあるらしい。1つはマウスピースによる下顎の矯正、2つ目がCPAPによる強制通気、3つ目は外科手術。外科手術の場合は原因となっている場所が特定されていなければならず、複合的要因によるケースの多い成人にはあまり勧められない。マウスピースはごく軽度な場合のみらしい。よって家人の場合、必然的にCPAP治療しか道がない。

 そもそもなぜ睡眠時無呼吸症候群なんかになったかというと、原因の大部分は肥満である。思えば、職場の担当が変わってデスクワークが増え、比例して加速度的に体重が増加した頃と「息が、息が止まってるよ!」の出現は一致していたような気もする。加えて家人の場合、扁桃腺もずいぶん大きいらしい。小さい頃に切っちゃえば良かったのに、後生大事に持っているからこういうことになる。ともあれ「睡眠時無呼吸症候群患者」の見本のようなケースであることは確かだろう。
 家人の場合、日中に眠気を感じたりつい眠り込んでしまったりという不具合は生じていないようだが、こちらの参照サイトによると意識しないままで生活の質がずいぶん低下している場合が多いらしい。ちゃんと眠れていないのだから、疲れやすくなったり意欲が低下したりということがあっても不思議ではないだろう。確かに家人も時々頭痛に悩まされているし、いつも疲れているし、ここ数年は目立って怒りっぽくなった。これがみんな睡眠時無呼吸症候群のせいだとしたら、家人もわたしもずいぶん損したことになる。それに言うまでもなく一番怖いのは脳梗塞や虚血性心疾患である。

 命に関わることもあると気付いて真剣に治療するつもりになってくれたのはいいのだが、CPAP治療は大層とっかかりが面倒臭いらしい。鼻にマスクを付け、空気がシューシュー送られて来る状態でなんか眠れない! 一昨日も昨日もほとんど一睡も出来なかったもんね、と文句をぶうぶう言っていた。特に家人の場合、鼻炎持ちなので元々鼻が詰まり気味である。そこを無理矢理空気を通そうというのだから、確かに結構な負担になるだろう。入院しなければならないのは、こういう空気の圧力調整が多少難しいからでもあるのだそうだ。
 装置がくっついていることそのものが気になって眠れないこともあるようだけれど、これはおいおい慣れて行くしかないらしい。先述のサイト等によれば、使っているうちに大抵の人がマスクを気にせずに眠れるようになるようではある。いびきがなくなって熟睡できるようになれば、日中の倦怠感や週末の疲れも軽くなるだろう。そうなればしめたものなのだが、そこへ至るまでが結構長そうだなと心配だったりする。短気な家人にちゃんと使いこなせるだろうか。

 根本的な解決方法として避けて通れないのが減量だが、わたしの睨んだところこれが一番の難問である。一応スポーツクラブに入会して定期的な運動も始め、それなりの意欲も認められるのだが、何せ家人の場合は最大のストレス解消法が「食べること」。病院の食事では全然足りなくて、ひもじくてひもじくて仕方がないらしい。メニューをちらりと見せてもらった感じでは、思ったよりもずっと豪勢じゃないかと思ったのだが、確かに家人にしてみれば少な過ぎるのだろう。
 いつもほんの少しだけ「小腹が空いたな」という状態を保てば自然に痩せると思うのだが、家人の場合、満腹感がないとダメらしい。それなら先日観た『スーパーサイズ・ミー』のように、胃袋を半分くらい切っちゃったらどうかと思い詰めることもあるのだが、その方法も絶対イヤなのだそうだ。健康な胃を切除することでどんな弊害が出ないとも限らないし、そもそもこういう肥満治療法は日本では認められていないだろう。減量への道は果てしなく険しいのである。タメイキ。

 そんな訳で、いつも強気な家人もさすがに少々ヘコんでいるようだった。一生懸命冗談を言ったりして励まして来たのだが、柄にもなくしょんぼりしている。「キミのサイトの読者の中で、いつも虐げられている“家人”さんのファンって居ないの?」などと半分本気めいた発言が出ていたので、もしも万が一「家人ファン」という方がおいででしたら、掲示板なり御意見箱経由なりで励ましの書き込みをしてやって下さいませ(ぺこり)。
 何日経過してもだーれもなーんにも言って来てくれなかったら余計切ないぞー、とクギを刺してはある。来て下さるお客さまだってそんなにたくさんはいらっしゃらないのだし、そこまで甘えるのもどうか、と思うのだが…。

 ともあれ、睡眠時無呼吸症候群に関しては、たかがいびきと放置することは厳禁だそうである。お心当たりのある方、パートナーに指摘を受けたことのある方は、ぜひとも早めに一度、病院へお出掛けになることをお勧めいたします。




01/22 完全なる制御

2005/01/22 19:19
 別に太ってたっていいじゃないさと、正直なところそう思う。特に家人のように、食べることが大好きで大好きで、美味しいものを食べている時に本当に幸せそうな顔をしてくれる人を見ていると、「この人に痩せろなんてとても言えない」としみじみ思う。別に太っていたら見てくれが悪いとも、それほどまでには感じない。太っていようが痩せていようが、中身が面白い人ならば喜んで付き合うというのが、わたしの基本的ポリシーである。横幅だけではなくてべらぼうに背も高いような、あまりに「体格のいい」男性に対しては恐怖感を持ってしまうこともあるのだが、できるだけ先入観を持たずに接する努力だけはしてきた。
 ただしそれもやっぱり「健康を害します」というレヴェルになってくるとちょっと考えなければいけないのだろうか、と、最近思うようになってきた。ただでさえ家人はわたしよりも5歳年上なので、平均余命の男女差を加えて単純に考えると、家人が寿命をまっとうした後10年くらい、わたしは独りでしんねりと暮らさなければならない。それはちょっと寂しいので、できればその10年を縮める方向に努力して欲しいのである。
 さらに肥満者が増えることで糖尿病その他の生活習慣病患者さんが増えれば、その分医療費もどんどん膨れ上がる。結局はそれらの負担は全部末端の庶民に還って来るのだと言われたら、確かにのほほんとしては居られない。

 だいぶ前にCATVで「肥満の科学」という番組を放送していたことがあった。録画するだけしてまだ全部観てはいないのだが、それによると人間が太るのは宿命なのだという。長い歴史の中で、飢饉があっても皮下脂肪を蓄えてあったおかげで生き延びることができた、そういう遺伝子が選択されて来たのだからと。真偽はともかくこういう説は以前にも見聞きしたことがあるし、何より恐ろしく説得力がある。
 人間が好きなだけ食事をできるようになったのはたかだかここ100年程度のことである。それまでは常に食料は欠乏状態だったから、いかに効率良くエネルギーを摂取できるかが生き残るためのキーだった。カロリーの高い食べ物ほど「美味しい」と感じるのは、だから当然のことなのだと言う。ううむ確かにそういうこともあるかもね。こんにゃくやきのこ類など、低カロリーで美味しいものもいっぱいあるよなとも思うけれど。

 明日家人が退院して来たら、やっぱり今までよりもカロリー制限しなければならないのだろうかと気が塞ぐ。家人にとって食べることは何よりも楽しい行動だから、できれば枷は填めたくないのだが、「そろそろ痩せないと健康を害します」とはっきりしてしまった以上野放しにもできない。なかなか辛いところである。食事制限にイライラした挙句、もうどうなってもいいから僕は食べるもんね、などとキレてしまわないだろうか。
 運動音痴でぐーたら者のわたしと違い、義父によれば家人はもともと結構スポーツ好きだったのだそうだ。運動神経だって悪くないらしい。ということは、それなりに「肉体をコントロールすることの楽しみ」を知っているハズである。思いのままに何かを制御する楽しみを、ウエイトコントロールにも見出してくれるといいのだが、なかなかそうは上手く行かないだろうなあ(タメイキ)。

 わたしはとことん運動神経がないので、「自分の肉体を思い通りに動かす」ことには大変憧れる。今までの人生において、そんなスゴイことが出来たためしがないから余計である。その分ウエイトコントロールやシェイプアップを代償行為にしていた部分はあるのだが、基本的に意思薄弱なので、今に至るまで「理想の体型」を実現できたことはない。正月に暴飲暴食をしてあっという間に稼いでしまった2kgも、やっと最近元に戻ったくらいなのだ。4、5日で2kg肥えて、戻すのに3週間弱。ほとんど不条理劇である。

 偶然の一致というか必然なのか、先日の「バレエ風体操」のレッスンの中でインストラクターの先生が「身体を思いのままに操れるように各所の筋肉を鍛えることが、バレエの基本的な喜びなんですよ」と仰っていた。バレエに限らずスポーツとはそもそもそういう目的を持つものだろう。フィジカル面でもメンタル面でも、自分という存在をきちんと制御できないと、大舞台で美しく踊ったり良い記録を出したりすることができない。なんともストイックな話で、個人的にそういうストイックさにメチャクチャに惹かれるのである。いやあ、スポーツ選手って格好いいなあ、と思う。
 そしてスポーツの中でも「踊り」の分野に属するものは、そのストイックさは最高クラスを誇るだろう。なぜまたダンサーは揃いも揃って皆さんあんなに細くなければならないのか。「肉体の美しさ」という観点から言えば明らかに細過ぎると思うのだが、ジャンプの高さや身ごなしのキレなどを考えると、骨と筋肉以外のものは排除すべしということになってしまうのかもしれない。

 先日N○Kの「トップランナー」というインタヴュー番組に出演していたバレリーナの上野水香さんのお話だと、バレエダンサーもウエイトコントロールには苦労なさるらしい。日常的にあれだけ激しい運動をこなしていても、ちょっと油断するとすぐ太ってしまうものなのだそうだ。ごく稀に「食べても食べても太らない」人も居るようだが、生き残り遺伝子の関係上、やはりそういった人は少数派である。食べても太れないということは筋肉も付き難いのだろうから、もしかするとスポーツ選手としてもあまり望ましくないことなのかもしれない。
 ついうっかり食べ過ぎて太ってしまったら? という質問に、上野さんがあっさりと「1週間とか10日とかのスパンで調整すればいいだけのことですから」と答えていたのが印象的だった。いやそれ、普通の人ができなくてできなくて、ダイエットに挫折する理由のナンバー1なんじゃないだろうか。あんなに苦労してウエイトダウンしたのに、ちょっと油断しただけで元通りか。くそうそんならヤケ食いしてやる、という最悪のパターン、わたしにも覚えがあったりする。

 肉体以上にコントロールが難しいのが精神だろう。その中でも欲望のコントロールが一番難しいような気がするのだが、例え習慣としても、こうまで軽々と食欲を手なづけるとは、さすがトップクラスのダンサーの「完全なる統御」である。できたら家人にも、こういうダンサーのどなたかに憧れてもらえると、今後のウエイトコントロール面で有効な気がする。
 とは言うものの、家人とダンスの組み合わせほど違和感があるものもそうはない。家人の好みはやはり「豪快に喰って豪快に運動する」パターンで、食欲を制御しようという気持ちはハナからないと思われる。どう転んでも前途多難な減量計画、明日からどうやって進めたらいいのだろう。本当に困ってしまう。




01/23 家人退院

2005/01/23 17:38
 ということで今日の午後イチ、家人は無事退院して帰って来た。無事も何も、元々特別に「病気」だった訳ではないのだが。入院中に同じ病棟にいらした方々は、当然のことだが大抵は家人よりもシリアスな事情で病院暮らしを強いられている場合がほとんどである。そんな中、家人のように丸々ぴちぴちした(比較的)若いのが紛れていると悪目立ちしたらしく、病棟内をウロウロしているとあちこちで「あなたはどこがお悪いんですか」と訊かれたという。
 さしも磊落な家人といえどもこれにはちょっとばかり居心地が悪かったようで、帰宅後こっそりと「僕なんだか申し訳ないような気分になっちゃったよ…」とコメントしていた。確かに家人の顔色や体格からすると、病気に見えなくても不思議ではないのだが。

 1つ所にじっとしているのが何より苦手な性格上、相当にメゲていたようで、今朝はずいぶん早くから退院の支度に余念がなかったらしい。わたしや義父母が到着したお昼過ぎには、荷物のパックも着替えも全部済ませて準備万端、迎えを廊下で待ち兼ねているというせっかちぶりであった。入院の話を見聞きなさった友人・知人からいろいろと励ましのメールや書き込みをいただいたのも、ちゃんと全部伝えてあったので喜んでいたようである。コメント下さった皆さま、本当にありがとうございました(ぺこり)。

 病院から借り出したCPAPの器械も一緒である。装置一式はランドセル1つ分くらいの大きさのナイロンバッグに入っている。中身は鼻に付けるマスクと、空気を送り出すポンプ、その2つを繋ぐチューブに分けられるようである。眠っている間このポンプで常に空気を送り込み、その圧力で咽喉の奥を広げていびき(というか無呼吸状態)が起こらないようにする仕組みである。
 圧力が弱すぎると気道がきちんと広がらないし、圧力が強すぎると息が吐けなくて呼吸そのものが出来なくなってしまう。かなり微妙な調整を必要とするらしく、家人の場合は結局4晩かけてやっとちょうど良い具合に落ち着いたらしい。わたしがネットで調べたことと同じく「マスクの違和感に慣れてしまえば、却って熟睡できるようになって体調も良くなりますよ」と主治医の先生も仰っているそうで、家人が週末の倦怠感や起床後の偏頭痛などから解放されてくれるといいと期待するのである。

 マスクの違和感よりも差し迫っているのが、送られて来る空気による咽喉や口の中の乾燥であるらしい。言われてみれば確かに、シューシュー空気が通い続けている状態なのだから、それは咽喉も渇くだろう。口を開けっ放しで眠るのよりもひどい渇きで、ちょっと耐え難いまでに不愉快だったとコボしている。
 そういう不快感を軽減させるために、CPAPに繋ぐための加湿器もあるらしい。昨日の夜、やっとその加湿器をレンタルできて試しに使ってみたのだが、やはりあるとないとでは大違いだということだった。空気が程好く湿っていることも好都合なのだが、ついでに加湿器を通る時にほんのりと温められることによる不快感軽減効果も高かったと御機嫌である。この加湿器もレンタルなので、とりあえず3月いっぱいくらいまでの契約はしてしまったらしい。その後は気温の上がり具合により、期間を延長してもしなくてもいい。

 CPAPにはきっとフィルタも付いているのだろうし、もしかしたら夜間だけでも、花粉症による不快感が軽減される効果が期待できないかなと思ったりする。特に今年の花粉飛散量は去年の10倍とか20倍とかの恐ろしい予測が出ているし、わたしもそろそろ抗アレルギー剤を飲み始めなければならないかと思っているところである。しっとり湿った空気で鼻の粘膜を労わりつつ花粉をシャットアウトしてくれるとしたら好都合なのではないだろうか。
 ちょっと笑ってしまったのは、CPAPの本体そのものは保険適用になるのに、CPAP用の加湿器は適用外だということである。わたしはもちろんCPAPを使ったことはないのだが、話を聞いただけで判断するに、やはり何もしない状態の空気だけ送り込まれたら辛いのではないかと思う。家人が特別に神経質で、大抵の人は慣れられるものなのか、それともほとんどの場合加湿器も込みで借り出されるものなのかは知らない。けれどもし加湿器が事実上必須アイテムだとしたら、加湿器だけは保険適用外だというのもなんだか不親切だなあと思わずにはいられない。医療費節約のためには多少は我慢しなくてはならないのだろうけれど。

 ともあれ平均で3年間、長いケースでは5年でも6年でも、このCPAPのお世話にならなくてはいけないらしい。その間に減量作戦が成功すればメデタシメデタシということになるのだろう。感心にも早速スポーツクラブへ出掛けて行った家人だが、経験上、運動「だけ」で痩せることは不可能である。どんなに不満だろうとも、「ちょっとお腹が減ったな」と思う程度に食事の量を減らさなければ絶対に体重は落ちない。
 人間の根本的欲望というか本能そのものである食欲を、家人がちゃんと抑えてくれるかどうか、それが今後の鍵である。この際だからお昼ご飯も、外食ではなくて弁当持参に切り替えてくれるとカロリー計算し易くなるのだが。呑み会にほとんど出席しない家人の四方山的な情報収集はランチタイムにほぼ限定されているため、弁当持参でそのチャンスを失う訳にも行かないらしい。職場のコミュニケーションも確かに疎かにはできないし、あちらを立てればこちらが立たず、いろいろと難しいのである。




01/24 普通ってなーに

2005/01/24 17:56
 相変わらず、「次に乗り換えるとしたらどんなクルマか」問題では、家人もわたしもそれぞれ独自の思惑に突っ走っている。とりあえずウチの事情では、ウチの住人2人プラス義父母プラス母の最大5人を乗せられる広さがなければならない。若いとは言えない3人のためには、それなりの居住性も追求したい。つまりわたしのお気に入りTOYOTAのパッソ(またの名をダイハツのブーン)では、残念ながら多少寸足らずということになる。これが「両親プラス子供3人」とかであれば、ともかく乗れちゃえばいいやという感じなのだが。
 最大積載人数が大人5人と言っても、それだけ乗って移動する機会はそんなに滅多にあるものでもない。個人的にはパッソでもいいじゃないかと思わないでもないのだが、家人はやはり首を縦に振る気配はない。わたしとしてはそういう考え方が、家人が時々悪し様に罵っている「3ナンバーのデカいワンボックスにドライヴァー1人きり」状態にも繋がるのではないかと思うのだが…。

 ただしまあ、良く良く調べてみるとやはりパッソも、特にインパネ周辺がじゃっかんチープであるという感じは否めない。先日ヴィッツの12ヶ月点検の時、担当の営業さんが乗ってみえたのがパッソだった。家人は「それってサンプルを見てもらおうという密かな配慮なんじゃないの」と言っていたがまさかそんなこともないような気がする。あの営業さんなら有り得る状況でもあるのだが、本当のところはどうだったのだろう。
 ともあれその時覗かせてもらった印象では、贔屓目で見てもなおかつやはりちょっとメーター周辺がチャチかった。スポーツタイプであるRACYだともうちょっと重厚&高級感漂うらしいのだが、どのくらいまでグレードアップしているのかが少々心許ない気はする。全体のデザインとかサイズはやはり超お気に入りで、車高はかなりあるのに重心が低そうなのも良さ気である。

 コストとか実現の可能性とかをまったく除外すれば、わたしの理想のクルマというのはこんな感じである。
 ・現状のヴィッツくらいのサイズ。最小回転半径4.3m以下。
 ・サイズに比べて内部が広い。大人5人乗って長距離の移動はちょっと厳しいかな? という程度なら許す。
 ・低速トルクが太く、特にセカンドでの加速性能がいい。その分高速度の加速性能は多少劣っていてもまあ良い。
 ・サイドやリアの視認がしやすい。ピラーが邪魔にならないように工夫されている。
 ・収納スペースがふんだんにある。トランクスペースも見かけより大きい。
 ・燃費が良くて、街乗りモードで15km以上を実現。
 ・インテリアは「可愛い系」と「重厚系」をオプションで選べるようになっている。車体カラーのヴァリエーションも豊富。

 こんなクルマが、経費下取りその他コミコミで150万円以内で買えたらどうだろう。少なくともわたしだったら、本当にこの通りのクルマがもしもあったりしたら相当強硬に執着すると思う。走り屋志向の人とか、本当に大家族でしょっちゅう移動しなければならない家庭、高速道路での移動が多い場合、荷物を山のように積まなくてはならない輸送が中心目的ならこういうクルマは言下に却下だろう。けれど核家族で、普段の用途はお母さんと赤ちゃんまたは小さい子供のちょっとしたお出掛け&お買い物、休日は親子4人で郊外のショッピングモールで外食するのが楽しみ…などという場合だったら、こういうクルマ結構重宝するのではないだろうか。
 あんまり可愛い外観だとお父さんが恥ずかしいといけないから、ファブリックなんかもちょっとだけ張り込んでいい物を使う。40歳の男性が独りで乗っても様になるようなデザインを目指すのである。可愛さと渋さを程好く両立させるというのは、あながち不可能なことではないと思う。そして本当に「いい車」だったら、じゃっかん高めでもやっぱり売れるような気がするのである。

 最近の傾向では、特に若い女性を中心に輸入車を選択するケースが増えているのだという。具体的にはフォルクスワーゲンのポロとか、シトロエンのナントカ言う小さめなクルマが人気だと聞いた。もしかするとそういう選択をする人たちは、わたしと同じようなニーズを持っているのではないだろうか。すなわち小さくて、取り回しがしやすくて、そこそこ走って、なおかつ安っぽくないクルマである。国産車より多少割高だろうけれど、選ばれている理由とはその辺りにあるような気がする。
 というようなことを家人に話したら、それはキミ独自の超パーソナルで特殊すぎるニーズだろう、と鼻で嗤われてしまった。輸入車を選ぶ女性たちにしたって、キミと同じような目的で買っている人なんかほとんど居ないね、と言う。そういうちょっとリッチな女性たちは、きっと「輸入車に乗っているワタシ」というイメージを買うんじゃないの? と。

 そーかなー? 確かにわたしほどヒドイ運転音痴もそうそう居ないだろうし、そもそもここまで運転が怖いなら潔くペーパードライヴァーになるのが一般的かもしれない。けれど女性の方向音痴は珍しいものではないし、運転が苦手でも完全に止めてしまう訳にいかない事情がある方々も少なくないだろう。若い女性ったって、家人が思うほどイメージ先行で買い物をする訳でもないハズで、きょうび若い女性たちほど「いいもの」へのアンテナが鋭敏な人たちも居ない。
 わたしが「こんなの欲しいな」と思うということは、他にもそういうニーズを持った人たちは山のように居るような気がする。ほんとにこういうクルマがあったら結構売れるんじゃないかと思うのだが、家人はまったくの反対意見である。いわく、「キミのニーズなんて全然一般的じゃないよ。キミが自分のことを普通過ぎるほど普通だと思っているとしたら、そりゃ認識違いもいいトコだ。だってキミは変人だもんよ」だそうである。

 変人? そうかなあ。自分では本当に平均的な人間で、どっこもとんがった部分のない、地味で当たり障りのない一般ピーポーのひとりだと思っているのだが。こればっかりは自分で判断できることでもないが、家人に変人呼ばわりされるのもなんとなく業腹である。わたしから見たら家人の方がよっぽど変人だと思う。こういうのを五十歩百歩とかメクソハナクソとか言うのかもしれないけれど。




01/25 お気に入りのキッチンタイマー

2005/01/25 15:42
 結婚以来ずっと、いや良く考えると家人宅の台所でホコリを被っていたのを発掘した覚えがあるので結婚前から、大層愛用しているキッチンタイマーがある。大きさは野球の硬球よりもやや小さいくらい、わたしの両手にすっぽりと収まるなんとも素敵なサイズで、形は洋梨型をしている。ヘタは茶色でくるくる回るが取れはしない。時間目盛りは赤でラ・フランス色の地に良く映える。ぜんまい式のタイマーなので秒単位の計測はできないが、時間が来るとチリリリと可愛い音で知らせてくれるのだ。
 野菜を茹でたり煮物を作ったりする時、いつもこの洋梨君のお世話になってきた。実はタイマーとしてはもう1個、白衣のポケットに入れっ放しにしていたら退職時にそのまま持って帰ってしまった(すみませんすみません)SEIKOのデジタルタイマーもある。こっちの方が多機能でよっぽど正確なのだが、わたしのお気に入りはお手軽な洋梨型タイマーだった。その洋梨君が先日、とうとうお亡くなりになってしまったから大ショックである。

 かなりの年季ものだし、過去に数度、手酷く床に落っことしたこともある。そういうことが積み重なってか、しばらく前から動く時と動かない時があるようになってきた。計りたい時間を合わせて手を放してもチクタク言わないのである。大抵は2、3度ペンペン叩くと思い出したように動き出したが、1週間ほど前にとうとうウンともスンとも反応しなくなってしまった。
 仕方がないのでSEIKOデジタル君を使うようにしたのだが、やっぱりどうも勝手が悪い。ジャストタイムの3秒前からカウントダウンしてくれる親切さはあるのだが、いかんせんお知らせ音がじゃっかん小さいのである。TVが大音量で鳴っていると、首から提げていてもたまに聞き逃すことがある。ましてや調理台の隅っこに置いてあろうものならまず間違いなく気が付かない。周りが静かな実験室で使っていた時はこの音量で充分だったのだが、どうもデイリーユースには向かないようである。

 しかもいちいちスイッチを切らなくてはならない。こちらとしてはタイマーが鳴ってからが多忙なのだから、タイマー君はお役御免になったら自分で勝手に活動停止していてくれると嬉しいのだが、SEIKOデジタル君はお知らせ音を鳴らした後も律儀に時を刻み続けてしまう。スイッチの切り忘れに気が付くのは大抵次に使おうとした時で、「あれから49分56秒経っています」などと表示が刻々と変わるのを見るとついついとほほな気分に陥るのである。
 もちろん電池式なので、そういう使い方だと電池が無駄になる。挙句の果てに、ふと手に取ってスイッチを入れるとちょうど電池切れで、この肝心な時にかい! と八つ当たりされたりする。気の毒なSEIKOデジタル君なのだが、やはりどう考えてもこれはキッチンにはオーヴァースペックなのだろう。

 多少大雑把でもいいからやっぱりお手軽なタイマーが欲しい、と切に願うここ数日間だった。濡れた手で扱っても大丈夫なウォータープルーフなどの高級品もあるらしいが、別にそこまで拘らない。どちらかというと、わたしの愛しい洋梨君がどこかにまだ存在しているのではないかと、2代目洋梨タイマーを探すのに熱中していたのだった。家人がどこでこれを入手したのか今ひとつ判らないし、何せ古いものなのでなかなか見付からない。野菜や果物型キッチンタイマーは結構あるのだけれど、トマトやリンゴやレモンばかりで洋梨はない。
 困った時にいつも頼りになってくれたヤ○ーオークションでも見付からなかった。これはもう諦めて、リンゴかレモンで妥協するか…と思いかけた時、とある卸問屋さん(たぶん)のサイトでそっくりなものを発見したのである。しかも1個350円という格安。フルーツタイマーというシリーズの1種類で、他にはオークションに出品されていたのを見掛けたリンゴ型やレモン型もある。「輸入品」とあるのがじゃっかん気になるが、再び巡りあえた洋梨タイマーを逃してなるものかと、さっそく注文することにした。
 基本的に業者向けなようだが、個人使用目的で1個からでも配達してくれるらしい。どう考えても送料の方が高価いのだが、同じものを足で探し回る手間隙と電車賃を思えば大した額ではない。また壊れた時にこの会社が見付からないとイヤなので、予備を入れて2個、同じ洋梨型タイマーを送ってくれるように頼んだのだった。

 対応の早さは素晴らしく、依頼の翌々日にはもう手元に品物が届いた。わくわくと梱包を開き、愛しい洋梨君(2代目)とご対面する。初代とまったく同じという訳ではないようで、全体的な色調がちょっと明るい。ヘタが固定されていたり、時間目盛りが臙脂色だったりとディテールも違う。持ち重りの感じも少々軽いので、初代のコピー商品とか廉価版とかそういう印象である。とはいえそんなことは些細な違いだと、早速使ってみることにした。まずは手始めに紅茶でも淹れようかと3分。
 しばらく経過して首尾良くチリリリとお知らせベルが鳴ったのだが、なんかどうも変である。3分ってこんなに短かったっけ? 2代目洋梨タイマー君を見やると目盛りはまだ1分半を残している。チクタク刻むペースが合っているのなら、このタイマー、セット時間より1分半も早くしびれが切れてしまうのだった。がーん。

 急遽SEIKOデジタル君を引っ張り出し、今度は5分を計ってみる。ううむやはり残り1分半くらいのところで鳴ってしまう。分目盛りのラップタイムはそこそこ正確なのだが、いかんせんゴール地点が早過ぎるのである。しかももう1個もまったく同じ。手で捻ったりしてゼロ時間を調整できないかと思ったがダメだった。
 諦め切れずに裏返してみると、底面にネジ止めしてある部分が見付かった。おお、これを外して中を開けたら、もしかしたら調整できるところがあるかもしれない。工具箱を引っ繰り返して精密ドライヴァーを探し出す。開ける。ダメだ。ぜんまいの入ったタイマー本体と、時間目盛りのあるケーシング部分は凹凸で組み合わさって固定されるようになっているので、ゼロ時間を戻したり進めたりすることは到底できない。

 期待が大きかっただけに落胆もデカかった。外箱には「ぜんまい式なので多少の誤差はあります、ご了承下さい」と注意書きがしてあるが、いくらなんでも1分半の誤差はカンベンして欲しい。最大譲って30秒、笑って許せるのは15秒までの誤差である。だいたい1分半のところにゼロ時間があるのだったら、1分半より短い時間は計れないということではないか。これがきっかり1分とか2分とかの誤差ならば、1万歩譲ってゲタを履かせて使うことも考えないでもないのだが、ほんとに計りたい分数プラス1分半なんてあまりにも面倒臭いではないか。
 しばらく考えて、結局返品することにした。ちゃんとした品があるのならば交換してもらえればいいのだが、届いた2個が揃って同じ症状を示すということは、おそらく製造段階で狂っているのだろう。ロットが丸々1分半の誤差があるのだとしたらどうしようもない。

 1個350円だし、メチャクチャ気に入っている洋梨型だし、目を瞑って使いたい気持ちはヤマヤマである。けれどやっぱり1分半の誤差は実用レヴェルを外れているような気がする。どうなのだろう。こういう場合、1分半の誤差に目くじら立てる方がおかしいのだろうか。外箱によればこの洋梨君が作られたのは、先日人口が10億人を超えたというあのお国であった。大陸の大らかな気質では、そんな誤差を気にするのはみみっちいことなのだろうか。
 みみっちくても我慢できないものはできないので、発売元の問屋さんにメールをしてみることにした。幸い、返品または交換についての返事も超特急で、サンプルを調べてちゃんとしたのがあるかどうか見て下さるという内容のものが来た。願わくば良品の在庫がありますように。なかったら…どうしよう。根性で誤差(できれば)20秒以内の、洋梨型タイマーを売っているお店を探すべきなのだろうか。それとももう諦めて違うのを買うべきなのだろうか。ちょっと悩んでいるのである。




01/26 瀕死のHDD

2005/01/26 15:01
 ちょっと前から時々変な音がするな、と思ってはいた。これが飛んだらあまりにダメージがでかいので、ちゃんと2階の仕事用PCにバックアップを取っておかなくてはいけないな、と。ここのところバタバタして忙しかったのと、バックアップ作業が面倒臭かったのとで先延ばし先延ばしにしていたら、とうとうやってしまった。HDD大不調。
 電源を入れてもDIAGとかいう赤ランプが点滅して、シャットダウンしてしまうのである。メインスイッチを切ってもう1度やり直しても結果は同じ。電源が入らないということもないし、ディスクに読みに行っている音はしているようなので、何か別の原因だろうと思われた。家人の部屋のどこかにBUFFALOのマニュアルもあるハズなのだが、どこに何があるのか本人以外には誰にも判らない状態なので、やむなくネットサーフィンで心当たりを探す。検索キイワードは「LinkStation、DIAG、4回点滅」である。

 あちこちの書き込みを総合した結果、電源を入れるとDIAGの赤LEDが4回点滅を繰り返してシャットダウンしてしまうサインは、どうもファン異常を示すらしい。ディスク本体のクラッシュではないのかもしれない。ほんの少しだけ安心する。逆に言うとハードそのものの故障であることがはっきりしたので、自宅でわたしなり家人なりが何とかできる状況ではなくなってしまったことでもある。遅かれ早かれ修理に出さなければならないだろうが、じゃあその間に必要なデータはどうしよう。
 このHDD、ストレージとして使っているのだが、わたしも家人も面倒臭がってコピーを作っていないのである。倉庫に直接ものを仕舞い込んだり、直接アプリを読み出したりして使っている。HDDクラッシュが怖いからバックアップをもう1台買わなきゃいけないと思いつつ、ケチったのと面倒がったのとでついつい後回しにしてしまった。後悔先に立たずというか後の祭りというか、しまったと臍を噛んでももう遅すぎる。

 蓄積データは膨大過ぎて、どんなものが入っていたのかの詳細さえ思い出せない。思い出せないようなデータは最悪の場合、消滅してしまってもまだ何とか納得も諦めもできるが、咽喉から手が出るほど欲しいのが仕事のデータ、サイトのデータとコレクションした星雲などの天体画像である。特に日記などのテキストデータは今日にでも必要である。まあ日記を書かなければならない義務はないのだが、せっかく貯め込んだものを捨ててしまうのももったいない。どうしたらいいのだろう。事態の深刻さが判明するに従い、頭痛はするは眩暈はするはお腹の調子はおかしくなるは、覿面に体調の変化が表れた。つくづくストレスに弱いヤツである(とほほ)。
 あまりお勧めされないだろうなと思いつつ、ファンだけの故障なのであれば、とりあえず稼動温度のうちはなんとか動いてくれるかもしれないと、物置きを引っ繰り返してハンディファンを探し出す。家人が100円ショップだったか露天商だったかで買ったちゃっちいミニミニ扇風機だが、人間用に使うにはあまりに風力が弱くてどうにもならず、お蔵入りになっていたものだった。これを通風孔に近づけて電源を入れたらどうだろう。祈るような数十秒が経過し、やっぱり赤LEDは4回点滅を始めた。ダメだ。
 ミニミニ扇風機では風量が足りないのかも知れないと、通風孔にふーふー息を吹きかけてもみる。万が一唾液が飛んだら最悪なので細心の注意を払ったが、やっちゃイケナイことなのは変わりはない。そしてこれでもやっぱりダメだった。たぶんファンのモーターと本体の電源が直結していて、モーターが回り始めないとシャットダウンするとかの賢い(けど嬉しくない)設定になっているのだろう。

 BUFFALOのサイトへ飛んで行き、サポートのページを熟読する。うむうむやはりウチで出来ることはもう何もないようだ。否が応でも修理に出さなければならないのは確からしい。オンライン受付から必要事項を打ち込み、とりあえず受け付けだけは済ませておくことにする。受付番号の入った「修理票」とやらが出来上がるのでそれをプリントアウトし、HDDに添付して窓口へ送ればいいらしい。ひとつ気になるのは「ご注意」と書かれた項目である。何なに、「修理に出したらHDDのデータは確認のために消去します」だ? 冗っ談じゃない、そんなことをされてたまるものか。ディスク本体がイカレているのならともかく、ファンだけの故障であるのならば、そこだけ直してくれればいいんじゃんよう(涙目)。
 仕方がないから混雑しているのは承知の上で無料サポートデスクへ電話を掛け続ける。10回リダイヤルしても15回リダイヤルしても繋がらない。だんだん眩暈がひどくなって来て、もう耐えられないと思ったところでようやくサポート担当さんが現れた。簡単に事情を説明し、ファンの修理でもデータは消されてしまうのか尋ねる。幸い、もしも本当にファンだけの故障であるならばデータは温存できるので、修理票にその旨を明記しておいて下さい、という返事を得た。ファンを修理してもダメだった場合、追って沙汰をするそうである。
 となればまだ一縷の望みはある。保証書とかユーザ登録番号とかが判らないので、荷物を作るのは家人が帰宅した後になる。わたしに出来ることがまだあるだろうかと、駄目元で担当さんに訊いてみる。やっぱりないらしい。ついでにこっそりと「あのう、中身のデータが欲しいんですけど、通風孔から空気を吹き込んだら稼動するとかいうことは…」と尋ねると、案の定あっさり「それはおやめ下さい。モーターと直結してますので無理です」と怒られてしまったのだった。

 さて次は差し当たり必要なデータたちである。仕事のデータベースはもう救い出す術はない。何か来たら手持ちのハードコピーやネット検索だけで何とかするしかない。頼むから向こう10日くらいはどこからも音沙汰がありませんようにとお祈りするのだが、こういう時に限って面倒臭いのが来ることが多いのもまた「マーフィーの法則」なのである。
 日記等のサイトのデータはネットからダウンロードしてくるしかない。ところがFTPソフトも問題のHDDの中である。仕方がないので再びFTP Exchangeをダウンロードして設定をやり直し、PC本体にテンポラリの拠点を作ることにした。死んだのが本体でなかっただけマシかもしれないが、失くしたデータの量から行くと本体クラッシュの比ではない。何故さっさともう1台、バックアップ用のHDDを作っておかなかったのだろう。おのれの阿呆さ加減にイライラしてくる。

 下書きとか構想とか今後の予定などはアップロードしていないので救出不可能だが、とりあえずネット上にあるデータや画像たちだけは救えるし、今日以降の日記も何とか書き続けられる。倉庫として使っているのは3つのサーバ上のスペースで、1つはあっさりとダウンロードできた。やれやれひと安心…と思ったら、残る2つが頑として読み込みに行ってくれない。接続はしているのだがアクセスできないというのか、「サーバが拡張情報を返しました」とかいうエラーが出て止まってしまうのだ。
 何でやねん! 本日既に数十回目となる癇癪が破裂する。アタマを掻き毟り、落ち着くためにお茶を飲んでとっくり冷静に考える。1つはダウンロードできたということは、接続回線やFTPソフトに問題はない訳である。無事にダウンロードできたサーバと他の2つのサーバ、相違点は何だろう。

 思いついたら簡単なことだったのだが、2つともログインしないといけないところなのであった。クローズドなネットというのか、データをアップロードする時はいちいちうるさいことを言われないのに、ダウンロードする時はいろいろ制限があるらしい。そんなこと、サイトの設定のページに書いてあったっけ? おのれの不注意を棚に上げて、ケチくさいじゃないかとひとしきり文句を垂れるのであった。
 某巨大匿名掲示板を読みに行くためのソフトもHDDの中だったので、こちらも頒布先から再入手。一番青くなったのはメーラだったのだが、これはHDDから直接読み出そうとしたら立ち上がりが異常に遅くなったので、やむなくPCに直置きするしかなかったのが幸いした。メインのメールアカウントはそこからやり取りできるし、サブで使っているアカウントはほとんどがwebメールである。他にいろいろ使えなくなってしまったアプリもあるが、これはとりあえず放置しても構わないことにしよう。Excelの家計簿のデータが読み出せなくなったのがちと痛いのだが。

 そんな訳で、やっと一段落して日記を書き始めたのがつい先ほどである。まだちゃんとこの日記をアップデートできるのかどうかは判らない辺りが情けないが、いろいろ予定もあったのに全部おじゃんになってしまった(とほほ)。せっかく映画のレディスデイだったのに、日常業務を片付けたら『ネバーランド』を観に行こうと思っていたのに、来週以降に繰り延べである。お気に入り俳優のジョニー・デップが主演しているし、あえて読まないようにしているのだが各方面の評判も上々なので、絶対に観たい作品だったのだが…。
 来週のレディスデイには万障繰り合わせて『オペラ座の怪人』を観に行くつもりだったので、『ネバーランド』の予定をどこに突っ込もうか悩んでしまう。その頃までにはHDD騒動もちゃんとケリが付いているといいのだが、どうなることやら…。




01/27 いろいろ後日談

2005/01/27 17:36
 なんだかここのところ、常にも増してわたわたしているような気がする。最近で一番でかいショックだったのはやはり昨日のHDD半死半生事件だが、これはさっそく今日、荷物を作って修理センターに発送したのでとりあえずしばらくは忘れていられる。修理には1週間から10日ほどかかるそうなのだが、果たして中のデータたちは無事で戻ってきてくれるだろうか。もちろんBUFFALOのサイトでは「データに関しての保証は一切しません」と断っているし、そういう方針は当然のことだと理解もできるのだが、こちらとしてはやはり祈りたくなるのであった。
 ちなみに家人は昨日帰宅後、即座に電器店へ出掛けて行って新しいHDDを買ってきた。たった1年半後のモデルだというのに、新しいHDDは容量も早さも値段も先住HDDより優等生になっている。しかもファンレスで、筐体そのものに高い放熱効果があるため、故障の元となる通気ファンがないのだという。運転音も静かだし願ったり叶ったり。この新しいHDDと修理から戻って来る先代HDDとをしっかり同期させて、今度こそ万全のバックアップ体制を取るつもりである。とはいえ時間がかかるからやっぱり月イチペースが精一杯だろうか。

 お気に入り洋梨型キッチンタイマーは販売元へ返品したのだが、最初の予定では明日頃に、代替品を送り直してもらえるハズだった。なにしろ対応が早くて丁寧なので、この点に関しては何一つ不満はない。これだけ精一杯面倒を見てくれるのであれば、大負けに負けて30秒くらいの誤差だったなら目を瞑れたかもしれないななどとセコいことを思ったりしていた。何にしろ1分半は問題外なのだが。
 代替品は検査の結果良品らしかったのだが、今日追加のメールが来て、発送元の倉庫でちゃんと検品をやり直したらやっぱり全滅だった、のだそうだ。在庫がいくつあるのか、サンプルをいくつ調べたのか知らないが、計測した限りのすべてのタイマーが1分程度の誤差を生じているらしい。明日到着する予定の代替品は着払いで返送し、別送してある請求書は破棄して下さいという連絡である。

 ううむやっぱりなと正直思った。どういうラインで作っているタイマーなのかは知らないが、そもそも作業指示書に間違いがあったとしか思えない誤差だったからである。普通、ぜんまい式のタイマーだとベルが鳴ったあとしばらくはまだカウントを続けている。言うなれば「遊び」というかマージンなのだろうと思うが、それが止まるジャストの時点でゼロ時間になるように合わせてあったのだ。
 最初に届いた2つともがそうだったので、逆に言うとちゃんとゼロ時間さえ間違えなければ、本来誤差は10秒ちょっとで済んでいたハズだろう。作業担当者さんたちはそういう意味で普通だったのに、最初の「ここで合わせて下さいね」という指示が不適切だったのではないかと思う。なんとももったいない話で、最低数十個はあるだろう不良在庫の行く末はどうなるのか、ちょっと気になってしまう。

 家人のCPAPは素晴らしい効果を示している。先日、後付けのCPAP用加湿器もやって来て、本格的な使用を始めたのだった。マスクや加湿器の水タンクの洗浄やメンテナンスがじゃっかん面倒臭そうなのと、加湿器に使う水はコンタクト用などの精製水にして下さいねという指示があったのがちょっと手間隙かかるのだが、その辺は家人本人の担当にしてしまった(わはは)。ベッドサイドに台を持ち込み、CPAP本体と加湿器をセットした状態は何やら物々しい。加えて鼻マスクを付けた家人の寝姿は、まるで酸素マスクを填めた病人のようでちょっと見ていて落ち着かない。
 とはいえいびきはほぼ解消してしまった。さすが最新医療器具と言うべきか、あの爆音のようないびきを何とかできる方法があるとは思いもしなかった。CPAPと一緒に眠っている家人を眺めてみると、微かに「んこー」というような寝息は時々聞こえるのだが、いびき特有の雑音はまったく発していなかった。もちろん観察していた間ずっと、1度も無呼吸状態は起こらなかった。付け心地はまだ悪そうなのだが、これも慣れて来ればほとんど意識せずに眠れるようになるらしい。

 家人本人が最近減量作戦に本腰を入れ始めたこともあり、これで将来的に適正体重を達成できたらCPAPからも卒業できるだろう。とりあえずわたしの個人的な予想というか勝手な目標としては、やっぱり3年で20kg減量くらいがいいかな、と思う。脂肪1kg落とすのには9000kcal消費しなければいけないので(以前日記に書いた7000kcal/kgはタンパク質のエネルギーだった)、3年間、平均で1日あたり約167kcal分だけ、摂取よりも消費カロリーを多くすればいい計算である。
 腹8分目を守り、できるだけ動いてスポーツクラブも賢く利用すれば、決して無理な数字ではないと思う。たまに御馳走をお腹いっぱい食べる日があったとしても、それこそ先日バレエダンサーの上野水香さんが仰っていたように、1週間単位での調整をすればいいのである。最初からあんまり根を詰めて過激な減量をすると後が絶対に続かないから、焦らず無理せず気張り過ぎずにのんびり構えて欲しいなと思う。ともかく頑張れ家人! わたしもできるだけの応援はするぞ!

 家人のいびきに関するCPAPの効果は、そんな訳で目覚しいものがあるのだが、わたし個人はまだまだ慣れていなくてちょっと困っている。眠っている家人が静か過ぎるのだ。大人しく布団に入って鼻マスクを付けて眠っている家人は、仰々しい装置のインパクトもあって、ちょっと見にはまるで重病人のようである。そこへ持って来て10年来の爆音いびきが解消してしまったから、隣で眠っているわたしとしては「ホントに息、してるんかな?」と不安になってしまうのだ。じーっと耳を澄ませていれば時々聞こえる「んこー」という寝息に、やっと安心してまた布団に戻るという繰り返しである。
 まさか家人のいびきが収まった結果、わたしの方が寝付きが悪くなるとは思わなかった。時々出張などで不在の時は、最初から「今日は家人は居ないからいびきが聞こえなくてもOK」というように納得していたのだろう。家人が居るのにいびきがしない、という状況は、わたしの潜在意識にとっては未だに異常事態であるらしい。寝付けないし、夜中にちょくちょく目が覚めて寝息を確認しているし、ここ数日寝不足で超眠いのである。ううむ困ったものだ。




01/28 小鳥たちの驚異的な視力

2005/01/28 16:40
 ウチの車庫上空には電線が架かっている。しかもその途中からウチへの引き込み電線が出ている部分もあったりして、格好の鳥たちの休憩所となっている。明け方などちょっとした群れが大騒ぎしながら止まっていたりと賑やかしく、なかなか可愛らしいものである。可愛いのは可愛いのだが、ちょっと困ったこともある。鳥たちが休憩したその後には、大量の落し物が土産としてウチの2台のクルマの上に降り注ぐのである。
 ひどい時だとボンネットはおろかフロントウインドウまで全面やられて、運転しようとしてもどうにもならないこともある。家人が洗車した翌朝にやられた時など、家人も気の毒だがわたしでさえうんざりした気分になる。今の在所に越してきた直後からずーっとこうなのだが、この状況には一向に慣れることができない。なんとか対処方法はないものだろうかと常々考えていた。

 東京電力に頼んで、電線に何かそういう種類の器具を付けるなどして、鳥たちが止まれないようにするのはどうだろう。確か何かで見聞きしたのだが、鳥が集まると困るような場所では、電力会社にもそれ相応の防御方法があるらしいのだ。いずれ問い合わせてみようとずっと思っていたが、単なる一般家庭のそういったお願いを果たして東京電力が聞き入れてくれるとはやはり思えず、どうしても電話を掛ける勇気が出ないままだった。
 落し物が降り注ぐとは言え、その都度きれいに洗い流せばいいのだし、あまり神経質に考えることもないだろうか。どのみち主な洗車担当は家人である。わたしも洗車をまったくしない訳ではないのだが、頻度としてはたかが知れている。どうしても我慢できなければ、家人が自分でいい方法を考え出すのではないか。そう思って放置した結果、あっという間に8年も経ってしまった。

 先日の家人の入院中、次のウチの乗用車は何がいいかをあちらこちら調べているうちに、やっぱりどうしても鳥たちの落し物が気になってきた。何になるかは未定としても、新車に降り注ぐ落し物攻撃を考えると、あまりにも不憫な気分になるのである。今の愛車・ヴィッツにしても、買ったばっかりの頃の落し物攻撃は気の毒だった。ぴかぴかのパールピンクのボディにポツポツと散らばるフンの跡、すぐさま流せばダメージはそれほどはないとしても、どうしても気分のいいものではない。
 先代のエメラルドグリーンのマーチや可愛いヴィッツは救えなかったとしても、次のクルマはできるだけキレイにしておいてあげたいと思った。東京電力に問い合わせするのは最後の手段として、他に何か自力でできる対策はないだろうか。考えた末に思い出したのが、アイドルグループTOKIOの人気番組「ザ・鉄腕! DASH!!」のDASH村で使っていた鳥避けである。何かピラピラしたものをぶら下げたりすると、鳥たちが警戒して寄り付かなくなるというアレだ。ついでに通りすがりの畑や田んぼで見かけたことがあるのだが、同心円が描いてある平たいビーチボールのようなもの。聞くところによればあれもやはり鳥避けだということである。

 これも聞きかじりの知識なのだが、小鳥にとって同心円は警戒すべき模様らしい。なんでも天敵である猛禽類の目のアナログとして捉える習性があるのだそうだ。あのでっかいビーチボールをウチの軒先だとか玄関先にぶら下げるのはあまりに格好が悪いが、DASH村で使っていたぴらぴら・きらきらするものと、同心円が描いてある平たいビーチボール、両者を組み合わせたもので何かあるかもしれない。
 良く良く考えると、使い古しのCDとかDVDは「ぴかぴかする同心円」の条件に当てはまるような気がしてきた。都合のいいことに、しばらく前に不良品であると判明したDVD-RAMが1枚手元に残っている。わたしは捨てようと主張したのだが、家人は製造元に送り返せば良品と取り替えてもらえるハズだと言い、例によってそのままになっていたものである。ネットで調べてみると、やはり使い古しの光ディスクを鳥避けに再利用しているケースもあるらしい。これはイケるかもしれないと思い、さっそく軒下に吊るしてみることにした。
 風に吹かれてしょっちゅうぴらぴらしてくれるように、木綿の縫い糸を何筋か束ねて所々に結び目を作り、よじれのある1本の紐を作った。その紐でDVD-RAMを1枚、ぴらりと引き込み線のすぐ傍にぶら下げる。確認のために外に出て眺めたがあまりに目立たない。確かにぴらぴらと太陽光線を反射してはいるが、これが本当に鳥避けになってくれるだろうか。疑わしい気分だった。

 ところがそれ以来、どうも鳥たちの落し物攻撃が減ったような気がするのである。ここしばらく朝は非常に冷え込んでいるから、鳥たちの活動もささやかなのでそのおかげかもしれない。家人も半信半疑といったところで、もう少々様子を見ないと結論は出せないねと言う。ただわたしの感触では、このたった1枚のDVD-RAM、ある程度の効果はあるのではないかと思っている。昨日買い物帰りに近所のとある車庫を通りかかった時、そこのクルマが盛大な落し物攻撃を喰らっていたのに、ウチの車庫は無事だったからである。
 ほんの数十メートル離れたところであれだけ鳥たちが集っているのなら、今までだったら間違いなくウチの上空も溜り場になっていたハズである。当然、落し物攻撃は免れまい。そこのガレージとウチとの条件の違いと言えば、どう考えてもDVD-RAMが吊るしてあるかないかだけなのだ。

 きちんと結論付けるのはもうちょっと待たなくてはならないだろうが、このDVD-RAMが本当に鳥避けとして機能しているのであれば、鳥たちの視力というのはずいぶん優秀なものだと思わずにいられない。多少ぴらぴらしているが、そこにDVD-RAMがあると知らなければ人間なら気が付かない程度のものである。現に家人はわたしが得意になって指し示すまで判らなかったのだ。それを鳥たちは目敏く見付けて休憩所を引っ越してしまうのだから驚いてしまう。
 鳥の目ってあまり良く見えないのだと思っていたが、こういう警戒マークなどは特異的に見分ける能力があるのだろうか。こちらとしては多少申し訳ないと思いつつ、あまりに簡単に鳥避け効果を得られて拍子抜けするやら嬉しいやらである。願わくばあの鳥たちが、ウチのDVD-RAMを観察した結果無害であると判断したり、存在に慣れてしまったりすることがありませんように。新車(いつ買うか予定はまったく未定だが)が落し物攻撃をずっと免れますようにと願うのだった。




01/29 ダメダメな日

2005/01/29 21:25
 家人のいびきに…というよりは家人のいびきの欠落に熟睡できなくて、相変わらずくらくらするほど眠い。昨日は2ヶ月ぶりにカットハウスへ行ったのだが、またしてもカットされている最中にうとうと居眠りをしてしまった。何となくげっそりした顔をしてもいたらしく、担当さんに大丈夫なんですかと心配されてしまったのだった。恥ずかしい。「いやちょっと最近眠れなくて」と慌てて誤魔化したものの、たぶん忙しくて眠る暇がないなどと誤解されたのだろう。訂正すべきかとも思うが、まさかいびき改善で静か過ぎて眠れない、などとはとても言えないのである。

 朝寝ができる日はいつもよりもたっぷりと寝坊を決め込む家人だが、今まではそういう日の起き抜けには「アタマが痛い」とこぼすことが多かった。わたしは単に眠り過ぎて頭痛がするのでは? などとからかっていたのだが、睡眠時無呼吸症候群の症状のひとつとして、起床直後の頭痛というのもあるのだそうだ。眠り過ぎで頭痛とか、肩凝りが極まって頭痛とか、そういうことが原因ではないらしい。本当にいろいろな不調の原因になるものだとちょっと呆れる。
 CPAPを付けて眠ったら、今朝の目覚めは大変よろしかったそうである。肩凝りはしていると言うが、頭痛に苦しんでいる様子はなかった。たまたま今日がそうだったのか、CPAPのれっきとした威力なのかは不明だが、もしも治療の効果が出ているのだとすると覿面である。鼻から空気を通すだけでそこまで違うものなのか…(驚嘆)。

 一方のわたしは、無音状態に慣れるまではもう少々かかりそうである。寝不足でボーッとしているのを何とかしたいのだが、作業効率が落ちているので片付けなければならない用事が一向に減らない。減らないから休憩や昼寝をしている余裕もなく、抜けない疲れがさらに作業効率を悪くする。悪循環である。
 さらに昨夜はとんでもない大チョンボをやってしまい、貴重な睡眠時間を自ら減らすという阿呆なことをやらかしてしまったのだった。
 夕食後洗い物を澄ませてからスポーツクラブへ出掛け、帰宅後溜まっている録画を観たりPCをいじったり風呂に入ったりして、さて寝ようかと思ったのが午前2時だった。この土曜日は出勤日なので、家人は一足先に寝室へ引き上げて行った。わたしはもうちょっとだけメールやその他の巡回先を読んでからにしよう、と、独り階下に残ったのだった。

 人間が1人減ったせいか寒いなと感じて、ちょっとの間だけと石油ファンヒーターの前に移動したのが午前2時半くらい。尻あぶりをしながら新聞を読んでいるうちにその場でうっかり眠り込んだらしい。明け方の寒さにゾクリとして目が覚めるとかれこれ7時になろうという時間である。おーまいがっ。
 ウチの石油ファンヒーターは2時間ごとにアラームメロディを流し、継続スイッチを押さないと自動的に切れてしまう親切(余計なお世話)設計をされている。だからこの時、推定6時半くらいに自動的に切れて目覚める前、絶対に1回はアラームが鳴っているハズである。継続スイッチを押さずに2時間前に暖房が止まっていれば、幾らなんでもその時に寒くて目が覚めるだろう。そうならなかったということは、4時半頃に眠ったまま1度アラームを更新して、また眠り込んでしまったのだ。全然覚えていないのだが。

 土曜日だというのにずいぶん早く起きてしまったので、ちょっとトホホな気分になりつつ活動を開始する。とりあえず最近は積み残したままの、HDDレコーダの中身の整頓でもしようと思い付いた。エアチェック後に保存するつもりのアレコレを、きちんとDVDに保存し直してHDDの容量を空けなければならないからである。それでなくてもこの頃、ラグビーの試合を毎週のように録画するせいで、HDDの残量が10時間を切るような状況も出て来ている。空き容量が減ると機械の挙動が不審になるので、わたしも家人もちょっとだけ慌てているのだった。
 手始めに前の晩に録画した三谷幸喜監督の『みんなのいえ』と、三谷幸喜特別インタヴューをDVD-Rに焼くことにする。そのままではDVD-R1枚に入り切らないので、インタヴューの部分だけ画質を落として保存し直そうと思った。あちこち切ったり貼ったりセーヴしたりした後、要らない項目を削除してからふと異変に気付く。削除したハズの枠が1つ残っているのだ。おかしいな、じゃあさっきわたしが消した枠は何だったのだろう? 背筋をざわざわさせながらHDDの見出しページを繰っていて最悪の状況に気付く。やはりDVD-RAMに保存しようと編集を終えたばかりの『MONSTER』第39話が見当たらないのだ。要らない枠と間違えて消したのは、よりによって『MONSTER』だったらしい。がーーーーーーん。
 CATVで再放送をやってはいるのだが、録り損なった39話まで辿り着くにはあと半年近くかかりそうである。1回観たらそれで気が済んで削除するという枠だっていっぱいあったのに、何故また保存用の『MONSTER』を消してしまったのか。我が身をぽかぽか殴りつつ、こういう時はやっぱりマーフィーの法則が威力を発揮するのだなあと、変なところで感心してしまうのだった。

 そのショックが尾を引いていることもあるのか、おかげで今日は何をやっても上手く行かない。今までに録り貯めた映画のDVDを整頓しようとしたらケースを割るし、収集したタイトルのデータベースを作ろうとしたら途中でまたまた間違って削除してしまうし、注意力が恐ろしく落ちているようである。やはりちゃんと眠っていないのでボケているのだろうか。
 明け方に寒い思いをしたせいもあって、何となくゾクゾクするような気もする。ここで熱を出したりすると、明日のマイクロソフトカップ観戦に出掛ける予定がパーになってしまうので、今日はちょっと早いけれどもう眠ることにしよう。せっかくの土曜日、何とも阿呆な休日の使い方をしてしまった。大反省である。とほほほほ。




01/30 MS杯と新型ヴィッツ

2005/01/30 21:09
 先週は家人の退院日に当たってしまって行けなかった秩父宮ラグビー場に、今週は何がなんでも行くぞと思い定めていた。準決勝のカードは東芝ブレイヴルーパス対神戸製鋼(コベルコ)スティーラーズ。トップリーグの緒戦では神戸が勝ったのだが、その後両チームの調子は対照的な経過を辿った。強いFWを武器にどんどん勝ち星を重ねてトップリーグ優勝した東芝に対し、だんだんチグハグになってしまって結局5位に終わった神戸。わたしとしては神戸がどの程度東芝に対抗できるか、がこの試合の見所だった。次シーズンから神戸にはワセダの後藤翔太選手が入ると決まっているので、個人的には頑張って欲しいものである。
 前座の試合は全国クラブ大会の決勝戦。タマリバクラブvs六甲シーホークスの一戦で、この試合の勝者とワセダが、日本選手権の1回戦で対戦するのである。2月5日に予定されているその試合で、ワセダが当たるチームはどんな感じだろうかと偵察する気分でもあった。タマリバクラブにはワセダ出身の選手がたくさん居るので、家人としてはその辺りも見所だったらしい。

 タマリバvs六甲の試合は、どの選手もとってもラグビーが好きで、楽しんでプレイしているという雰囲気が伝わって来るのが素敵だったのだが、やはりフルタイムで練習できない哀しさで、両チーム共にだいぶぎくしゃくした試合運びだった。出だしこそ緊迫していたのだが、前半の途中からタマリバの歯車が噛み合い始めて優勢がハッキリして来る。観ているこちらとしては先が読めてしまう感じで、わたしはついつい居眠りをしてしまった。バックスタンドの日向とは言え、こんな寒いところで居眠ったら風邪を引く。家人に何度かど突かれてその都度目が覚めるのだが、数分経たないうちにまた意識が遠ざかる。結局後半はほとんど覚えていない。かなりの点差でタマリバが勝ったということだけしか判らないまま前座の試合は終わってしまった(トホホ)。
 肝心の準決勝も試合内容的にはハラハラドキドキしないものだった。東芝がチームとして大変良く調整されていて、意思統一がきっちり取れている点は見事の一言。ラックからの球出しも早いし、パスの連携もいいし、残念ながら神戸はほとんど太刀打ちできず状態だった。神戸も選手個人個人のタレントは素晴らしいのだが、チームとしての印象がバラバラなのである。フィールドに響く選手の声もほとんどが東芝サイドで、でっかい声で的確な指示がばんばん飛ぶ東芝に対し、神戸サイドはその点でもちょっと控えめだったように思う。組織として有機的に上手く回っている印象で、なるほど確かに東芝がリーグ優勝したのもすこぶる納得。

 結局神戸は得点することができず、40点以上の差を付けられて完敗してしまった。大畑大介選手とかピエーレ・ホラ選手とか、トライゲッターがほとんど仕事をさせてもらえなかったゲームだった。神戸ファンはさぞかし悔しかっただろう。わたしも来年から後藤翔太選手が加わることだし、と、神戸の赤い応援旗をもらったり神戸サイドに座ったり、サポーター気分満々だったのだが、折角の応援旗は神戸の得点シーンに振られることはなかったのである。残念…。
 日本選手権に神戸は出られないので、これで2004年のシーズンは終わり。来年はもう少し盛り返してくれるといいな、と思う。後藤選手と大畑選手の揃い踏みなんかメチャクチャ格好良さそうで楽しみだったりする(ミーハー)。

 帰宅後、明後日に発表となる新型ヴィッツの詳しいパンフレットがディーラーさんに届いてはいないかと、担当の販売店まで出掛けることにした。来週試乗車が来るだろうからご案内しますと担当さんが仰ってはいるのだが、家人としてはできるだけ早くディテールを検討したかったらしい。
 残念ながら詳しいパンフレットはまだ公表できないそうだった。以前は新型モデルの発表前1ヶ月ほどにもなれば、かなり詳しいパンフレットが出揃っていたものだが、最近は本当に直前になるまで秘密が保たれるらしい。これは無駄足だったかなと思っていたら、副店長さんが「近くの店に1台だけ実車が届いたばかりなので、良かったらご覧になりますか?」と仰る。本当は発表前は見せてはいけないことになっているのだが、内緒でこっそり…ということで、喜んで1も2もなくOKし、車で10分ほど離れた場所にあるお店まで連れて行っていただいた。

 途中の車中で「社内限」の新型ヴィッツパンフレットをこっそり読ませていただく。他社のライヴァル車との比較や、どういう点を営業としてはアピールできるかなど、かなり赤裸々に書いてあって面白かった。TOYOTAの人が書いたパンフレットだからどうしたって新型ヴィッツ贔屓になっているだろうが、それでも確かに相当工夫された自信作だということが良く判る。2月1日になるまで陸運局に登録もできず、届いている実車もナンバープレートがないのでまだ走らせることはできないが、パンフレットを読んだら来週の試乗が楽しみになった。
 実物をパッと見た感じではそれほどドデカくなったという印象はない。むしろ案外にコンパクトで、恐れていたほどの威圧感もなかったのが意外であった。現行ヴィッツを隣に並べたらたぶん歴然と大きさに違いはあるのだろうが、新型ヴィッツを1台だけ置いた雰囲気では、手に余るような図体とは感じられない。走行感がどうかは実際に走らせてみないと当然判らないのだが。

 車内はかなり広く感じられる。車体のノーズが本当に短いし、内部のダッシュボード部分がずいぶん幅狭く作ってあるので、その分居住空間が広がったようである。現行ヴィッツと同じく収納スペースはふんだんに作ってあるし、インパネやファブリックの高級感もそこそこある。現行ヴィッツの泣き所だった後部シートの座り心地も相当改善されていて、これならまあ、義父母や母など高齢者を座らせても大丈夫かなと思った。
 太くて視認がしづらかったAピラーの根っこ部分に小さい窓が作ってあるとか、助手席からは見えなかった時計が改善されているとか、ユーザからのフィードバックもできているらしい。助手席シートには「お買い物袋ストッパー」が標準装備されているなど、スタッフに女性を多く入れたというのも納得の細かい気配りもなされている。

 取り回しのしやすさや低速トルクの太さなど、後は実際に走らせてみるまで判らない点も残るのだが、外観とインテリアに関しては、思ったよりもずっといいじゃないかというのがわたしの感想である。ノーズの先っぽがどこにあるのか判らないので、できたらポールは標準装備にしてくれたらいいのにとか、アンテナが後部中央なのがちょっと届きにくいなとか、細かい不満もないではないのだが。「新車情報2005」の三本和彦さんならば、アンテナの位置とハッチバックの内部取っ手(右側にしかない)についてチクリと仰るだろうと思うとちょっと可笑しかった。
 あと気になるのはバンパーで、前後とも華奢なボディ一体型になっているのが不安点かもしれない。デザインの関係上ゴツいバンパーは付けられないのかもしれないが、もし擦ってしまったらパネルごと総取替えなのかなあ、お金掛かるんじゃないかなあ、と思う。それともナンバーワンメーカーTOYOTAのことだから、その辺りもちゃんと考えてあるのだろうか。

 ともあれ試乗するのが俄然待ち遠しくなった新型ヴィッツ。買うか買わないかは相変わらず未定なものの、わたしとしてはだいぶ気持ち動いてます、という感じである。家人は「ほらまた始まったよ…」と警戒を強めているのだが。




01/31 験担ぎ

2005/01/31 16:14
 先日スポーツクラブでTVを観ながら室内バイクをせっせと漕いでいたら、ローカルニュース放送チャンネルでちょっと面白いニュースをやっていた。とあるローカル鉄道会社が、自社の路線内にある「希望ウンチャラ駅」と「夢ウンチャラ駅」の間の乗車券を、受験生向けにお守りとしてネット通信販売している、というのである。夢と希望の間を行ったり来たりということで、確かにちょっと素敵なイメージを持つ区間ではあるかもしれない。額面260円だが、販売価格が幾らだったかは忘れてしまった。
 鉄っちゃんである家人ならともかく非鉄人間のわたしは、普段ならこの手のニュースには特に心を惹かれたりはしない。それが何故これに限定して印象に残ったかと言うと、この「希望ウンチャラ駅」は、わたしの懐かしい高校があった駅だからである。駅名と同じ名前を持つその高校、旧制中学時代から延々と続く歴史を持ち、数年前には創立100周年を迎えている。以前書いたけれど、わたしが通った中で唯一心から学校生活を楽しむことのできた高校である。

 へえ、あの駅、通っていた頃からいい名前だとは思っていたけれど、とうとうそんな験担ぎに使われるようになったのかと思うと何やら感慨深いものもある。今はどうなっているのか知らないが、わたしの高校生時代には、大層ささやかな各駅停車の駅だった。線路を挟むように上りと下りのプラットフォームが2本あり、出口もそれぞれ1つずつ。故に一端駅の外へ出ないと上りと下りのプラットフォーム間を移動することはできない構造になっていた。この構造のせいで、わたしは帰宅時、何度も何度も全力疾走をする羽目に陥ったものである。
 わたしの自宅の最寄駅は、この「希望ウンチャラ駅」を上り方面へ1つ行った隣駅だった。高校があるのは下りホーム側だったので、登校時は駅を出てすぐ学校へ続く道を歩き出すことができた。遅刻ギリギリの電車に乗ることも多かったわたしにはこれはラッキーなことで、1分1秒を争う時に、電車の通過を踏切で待たされてイライラすることもなかったのである。
 ただし帰宅時には、踏切を挟んだ向こう側の出口まで行かねばならない。電車の時間を見計らったつもりで学校を出て、うっかりタイミングを間違えて踏切に引っ掛かり、乗るつもりだった電車が行ってしまうのを指を咥えて見送ることも度々だった。次の電車まで下手をすると20分待たなくてはならないこともあったため、短気なわたしにはそれが我慢できなかったのである。自宅の最寄り駅から自宅まではバスに乗らねばならず、このバスがまた間遠で間遠でどうしようもなく、電車1本間違えると延々と待たされる羽目になるという事情もあったのだが。

 そんな訳で、高校から駅までの10分ほどの道のりは、腕時計を横目で睨みながら歩くのが常だった。ただし大抵の日は友人と一緒に下校していて、そういう時はまずおしゃべりに夢中になってしまう。時計を気にしているつもりでペース配分を誤り、踏切まで辿り着かないうちに警報機が鳴り出してしまうという状況も、また日常茶飯事だった。もう少しというところで敢え無く遮断機に道を塞がれ、何故あともうちょっと早く歩かなかったのだろうと臍を噛むこともしょっちゅうあった。
 駅から高校へ続く道は一直線のなだらかな坂道だった。下校時は下り坂で、その坂道を下っている途中で踏切が鳴り出すのが聞こえるとさあ大変である。あまりに遠い場合は仕方ないので諦めるのだが、もしかしたらイケそうだという時、わたしは友人に「諦めは愚か者の結論!」と一声掛けてお先に失礼することにしていた。残り数十メートルの全力疾走である。

 首尾よく遮断機が下りる前に踏切を渡り終えると気持ちがいい。向かいのホームに居る友人に、電車の窓からバイバイと手を振る時は何となく得意気な気分になったものである。ダメだった日はメチャクチャにバツが悪い。踏切手前でじとーっと立ったまま、友人が追いついて下りホームの改札を潜るのを改めて見送らねばならない。「諦めは愚か者の結論」などと言いおいた分余計に気恥ずかしくて、背中に「愚か者」と大書した看板を背負っているような気分になったものだ。
 完全に閉まった踏切を突破したことはさすがになかったが、1本目の遮断機を通過して2本目に辿り着く前に黄色と黒のだんだら棒が降りて来てしまうことは結構あって、仕方ないからそういう時は下を潜ったり隙間を通り抜けたりする。息せき切って改札を通ろうとすると、既に顔を覚えられている駅員さんに「危ないですから次の電車を待ってくださいね〜」とお小言を喰らう。その場ではスミマセンと小さくなるものの、2、3日もすればまた同じことの繰り返しだった。

 そういうエピソードが、ニュースに出て来た駅名を聞いているうちにふわりと脳裏に蘇った。もう何年もあの駅には降り立っていないのだが、まだあの当時のままなのだろうか。少しはキレイに改修されてしまったりしたのだろうか。上りと下りのホームを繋ぐ跨線橋などできていたらズルイなあ。駅前広場にあって、しょっちゅう立ち読みをした小さな本屋さんもまだ営業しているのだろうか。
 その気になればちょっと遊びに行ける距離にあるのだが、なかなか時間を作れなくて立ち寄らないままである。ただし懐かしい気分ついでに良く良く思い出しても、お守り乗車券のもう1方の「夢ウンチャラ駅」というのに心当たりがない。そんな駅どこにあったっけ? 帰宅して訊いてみたら、たまたま家人も同じニュースを見ていたそうである。話が早いとばかりに「夢ウンチャラ駅」について尋ねると、その鉄道会社の支線に、割に最近出来たばかりの新しい駅だということだった。本家(?)の「希望ウンチャラ駅」にあやかって名付けられたのかどうかは知らないが、少々イージーなネーミングではあるかもしれない。

 アナウンサーの女性が「受験生だけではなくて、ちょっとした記念品に贈るのにも素敵ですね」などとコメントしている。まさか全国的に有名になったりはしまいが、思い出の駅があんまりミーハーっぽく扱われるのも…と少々複雑な心境だった。今はもう無い北海道の「幸福駅←→愛国駅」とか、島原鉄道にある「愛野駅→吾妻駅」とか、もしかすると全国探せばそういう験担ぎ記念乗車券は結構あるのかもしれない。ミーハーでイヤと言いつつ、今度あの駅へ遊びに行くことがもしもあったら、「希望←→夢」の記念乗車券、1枚買ってもいいかななどと密かに思ったりしている(呆れ)。