徒然過去日記・2005年2月

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02/01 新型ヴィッツは今日発表

2005/02/01 16:00
 今日から2月なのだけれど、1月の日記過去ログをHDDごと修理に出してしまったので、途中まで出来ていた「1月過去日記」ファイルを完成させることができない。新しく作ればいいのだが、そうするとあのHDDの中身データを諦めたような気になってしまうので、験担ぎの意味もあって変則的な更新にしようと思った。HDDが無事修理されて戻って来るとか、内部データがダメになってしまうとハッキリするかしたら改めて通常の構成にするつもりである。
 1つのファイルが長くなり過ぎると読み込みが重かったりするかもしれないが、あと1週間くらいで決着が付くと思うので、どうかご寛恕下さいませ(ぺこり)。

 そして今日がTOYOTA新型ヴィッツの発表日である。ディーラーさんに詳しいカタログを下さるようにお願いしてあるのだが、未だにお店に来ていないのか、まだウチにはない。ただしTOYOTAのサイトは早速更新されているようなので、見てみたい人はこちらをご覧になるとどんなクルマか少しはイメージできると思う。わたしとしては先日、ディーラーさんでこっそり見せていただいた実車で大体のところは見た(つもり)なので、後は実際に乗ってみてどうかがポイントとして残るのみである。
 個人的にはかなり気に入ったクルマなので、以前日記に書いた「新型ヴィッツは大き過ぎる」という意見は撤回しようかと思っている。横浜の実家で乗っていたTOYOTAカムリ(初代)と同じ横幅とはとても思えないほど低重心でコンパクトなボディだった。実際に乗ってみて取り回しがそれほど辛くなければ、買い替え先が新型ヴィッツでもいいかな、と考えを変えつつある。

 メインユーザでありスポンサーでもある家人はどう思っているかというと、HONDAのフィットと日産のNOTEと新型ヴィッツの間でまだ揺れているようである。わたしのイチオシであるTOYOTAパッソ(またの名をダイハツのブーン)は射程外、ほぼ一目惚れレヴェルに気に入ったスバルR1は軽自動車なのでそもそも眼中にないらしい。小さきクルマ好きのわたしとしては困った事態なのである。
 何事にも徹底的な家人は、Excelで新型ヴィッツとフィットとノートのスペック&仕様&見積もりの比較一覧表を作っている。傍から眺めた限りではどのクルマも一長一短というところか。最終的に家人のココロを動かすのは「どのくらいお安くなるか」が一番だと思うのだが、そういう点では出たばかりの新型ヴィッツは旗色が悪そうである。買うかどうかハッキリして、いざどのクルマにするかという段になったら、この一覧表をノートPCに詰めてディーラーさんへ持参するのだと言う。これを参照しながら値切り交渉するつもりなのだそうだ。鬼畜である。

 65歳を超える義父母や60歳オーヴァーの母を乗せるシーンが避けられないことを考えると、やはりパッソ(ブーン)のシートはキツそうである。その点を言われればわたしとしても仕方ないかなと諦めが付くのだが、個人的にはどうしてもあのキュートなパッソやスバルのR1に惚れてしまう。今回クルマを買い換えるかもしれないということでいろいろサイト巡りなどをしてみた限りでは、わたしの身の丈に合っているのはやっぱり軽自動車だという結論に落ち着く。家人の言葉によれば「軽自動車だからと言って車両本体価格が今はそれほど安くはないし、基本的に2人乗り、詰め込んで4人乗りなどというクルマに大枚はたくのは馬鹿らしい」ということだが、そーゆーことが問題なのではないのだ。この辺り、どんなに説明しても肌で納得させることは難しそうである。
 軽自動車を断念してコンパクトカーをターゲットとし、家人が目星を付けている3車種のどれがいいかと言われれば、わたしの個人的希望としては新型ヴィッツがトップを走っている。ハナの差でHONDAフィットが続き、1馬身離れてしんがりが日産NOTEという印象だろうか。実際に乗ってみたらまた違う考えになるかもしれないが。

 思い込みも甚だしいと自分で判ってもいるのだが、クルマ関係のサイトを巡っているうちに、それぞれのクルマが主張する言葉が何となく聞こえて来るような気になって来る。新型ヴィッツは一応実車に乗り込んでみているので、その声がやはり一番大きく聞こえる気がする。新型ヴィッツ君はどうやらわたしを歓迎してくれそうな雰囲気だった。「どうぞどうぞまとりさん、あなたに運転してもらうのは嬉しいことです」と、新型ヴィッツ君は品良く声をかけてくれた。
 一方HONDAフィットはもうちょっとばかりつれない感じ。カタログ上で研究すればするほど、基本的にHONDA車なので「走る性能」に重点が置かれているのがひしひしと伝わって来る。スポーツカーのように「まとりさん? あんな運転音痴に乗られるなんて冗談じゃない」というほど冷たくはないが、運転手としてあまり歓迎されていないな、という印象が強くなるばかりである。乗ってみたら変わるかもしれないけれど、やっぱりわたしはフィットには愛されていない気がしてしまう。
 不思議なのが日産のNOTEで、このクルマについていくらカタログやスペック表を眺めても、主張する声が聞こえて来ないのである。何か言っているのかもしれないが、その声はあまりに小さくてわたしの耳には届かない。デザインといい性能といい、かなり考えられているのは良く判るのだが、あまり個性というかそういうものを感じない。この印象はまったくわたし個人的なものだけれど、おそらくわたしがNOTEを選ぶことはないだろう。

 そういう意味で一番好意的だったのはやっぱりパッソ(ブーン)とかR1なのである。サイトからは「まとりちゃん、一緒にどっか遊びに行きましょうよ」という楽しそうな声が聞こえて来るような気がする。ああいうサイズで、ナヴィゲーションと車庫入れ&縦列駐車サポートシステムが付いていて、できたらもうちょっとシートの座り心地が良いクルマがあったらいいのになと思う。先日コミコミ150万円だったらと書いたが、さすがにそれで150万は辛いだろう。大奮発してコミコミ170万円でそういう「理想の軽自動車」があったら、クルマを運転するのも今ほど恐ろしい試練ではなくなるのではないかと思うのだが。無いものねだりだろうか。…無いものねだりなのだろうなあ(タメイキ)。




02/02 アレルギーをやっつけろ!

2005/02/02 12:42
 現代人なので(汗)、要りもしなかったのだが数種類のアレルギーを抱えている。抗体検査でクロとハッキリしている代表選手たちが、杉や檜やブタクサなどの花粉、ハウスダスト、猫の毛やフケ、日本蕎麦。ハウスダストは慢性の鼻炎を引き起こし、掃除している最中にうっかり顔を触ると、体調によっては真っ赤に腫れ上がるという厄介なアレルゲンだし、猫アレルギーのおかげで人生の悦楽の何%かは味わえずに終わる気がする。日本蕎麦はヘタすると命に関わるらしいので洒落にならない。そして言うまでもなく、春先の憂鬱が花粉症である。
 今年は例年の10倍、花粉の飛散量の少なかった去年に比べると30倍とかのモーレツな花粉たちがやって来るらしい。2月に入って俄然TV各局が花粉症対策についてアナウンスし始めた。家人の同僚で超敏感な方は、昨日あたりから既に症状が出始めているという。わたしも1月下旬から抗アレルギー剤を呑み始めた。鼻などの粘膜の炎症が酷くなってからではクスリの効きが悪くなるので先手必勝に限るのだが、おかげで眠くて仕方がない。

 杉林の丸々と太った雄花の映像や過去の花粉飛散シーンなどを放映されると、それだけで目がむずむずして来る気がする。できたらああいう煽り的なものは流さないで欲しい。また素朴な疑問として、花粉が飛び始める前に雄花を全部刈り取ってしまったらどうなのだろうと思うのだが、そうできない理由は何なのだろう。やはり人件費か? 高い場所での作業になって危険だし、そういう刈り込みができる人材そのものも少ないのかもしれない。せいぜい脚立をかけてどうにかできる程度だったら、「杉雄花刈り込みヴォランティア」を募ったら結構何とかなったような気がするのに、まったくもって残念である。
 ともかく花粉を体内に入れない、家の中にも入れないというのが最も手軽で確実な対策でもあるようだ。外出する時はスカーフを被ることにしようかとマジで悩んでいる。多少見た目が悪くても、背に腹は代えられないのだ。

 先日買出しだったかスポーツクラブ通いだったかでクルマに乗っていたら、カーラジオで面白いクイズを流していた。10年ちょっと前、富山県かどこかで偶然「花粉のまったく出ない杉」というのが見付かっているのだが、その名前は何でしょう、というものである。全国から名前候補を募った結果、付いた名前が「はるよこい」。思わず笑ってしまうくらいイカすセンスだと思う。シュミとしては「春よ(来るなら)来い」的なニュアンスだとより面白いのだが、命名者はそこまでガサツではないだろう。
 同じように花粉をまったく出さない杉が、太平洋側でも見付かっているのだという。茨城の林木育種センターが昨年後半に開発し、先日「爽春」と名付けて品種登録出願したらしい。40年前に採取した雄花のサンプルを調べていたら偶然、ということだが、サンプルを全部調べ終わるまでに40年かかったのか、見つけた後で大量供給できる品種として確立させるのに時間がかかってしまったのか、今ひとつ良く判らない。富山の例から考えると前者なのだが、40年かかって調べるサンプルっていったいどれだけあったのだろう。気が遠くなりそうである。

 参考記事はこちらなので、興味のある向きはぜひご覧下さい。富山の「はるよこい」は母樹が1本しかないのに対し、茨城の「爽春」は60本くらいあるので、普及の面では断然有利だという。60本が遺伝的に多少のヴァリエーションを持つのなら、今後遺伝子操作で数種類の亜系統を作っておけば、病気や害虫などで一気に全滅する危険性も減らせるだろう。「はるよこい」も混ぜるという手も使えそうだし、こういう研究はやってて楽しいだろうなあと思う。世の中のためにもなるし。
 とは言え日本中の杉林を全部無花粉杉に世代交代させようと思ったら、どんなに短くても30年から50年はかかるのだそうだ。わたしらの世代には到底間に合わないが、アトピー性皮膚炎の赤ちゃんは杉花粉で症状が悪化して花粉症どころの騒ぎでなくなるので(乳幼児の時に経験あり)、50年後のアレルギーベイビーたちのためにも普及を頑張って欲しいと思う。

 現役花粉症患者たちはじゃあただ耐え忍ぶ他にないのかというとそうでもないらしい。昨日の「NHKスペシャル」で放送していたのだが、アレルゲンの減感作療法に新しい手法が出て来ているようで、思わず身を乗り出して観てしまった。杉のエキスを舌下に垂らすことで血中の拮抗抗体(IgGやIgMだと思う)を作らせるのだという。今までの減感作だとエキスを静脈注射していたのだが、それだとうっかりするとアナフィラキシー・ショックが起こってしまうので、ものすごーく薄い濃度のエキスしか使えなかった。そのせいで治療が終わるまでに年単位の時間がかかる上、成功率も非常に低かったのだ。
 舌下に垂らす方式なら杉エキスの濃度を数十倍に上げられるから成功率も高まるし、治療終了までの時間もだいぶ短くて済むという。スポイトで口の中に垂らせばいいので自分で出来て手間隙も省ける。いいこと尽くめである。まだ治験段階なので「じゃあわたしも」という訳には行かないが、上手く行けば数年以内にポピュラーになる治療法なのではないだろうか。メチャクチャ楽しみに思う。

 杉エキスだけじゃなくて、猫エキスとかハウスダストエキスとか、日本蕎麦エキスなんかでも応用できるといいのだが。日本蕎麦と同じ鍋で茹でたうどんでアタるなど、極々微量でエライことになってしまう日本蕎麦アレルギーの場合はちょっと難しそうだけれど、猫アレルギーなんかは克服できそうな気がする。もしかしたら将来、冬場の湯たんぽ代わりに猫ちゃんと一緒にぬくぬく眠るという憧れが実現するかもしれないと思うとココロが踊る。舌下式減感作療法、ぜひとも確立して欲しいものである。




02/03 イヴェントにはとんと縁がない

2005/02/03 17:11
 朝からTVのニュースでコメントされていたり、行きつけのスーパーで大々的なフェアをやっていたりするので忘れようもないのだが、今日は節分の日なのである。とは言え、ウチでは節分らしき行事はきれいさっぱり何もやらない。先日、新型ヴィッツのカタログが出ていないかとディーラーさんを訪れた時、ついでだからどうぞと言われてガラガラ籤を引かせていただいて見事に末等賞「節分の炒り豆ひと袋」をGETしたのだが、その豆が本日撒かれることはない。着々と家人の胃袋の中に消えつつあったりするのである。
 最近急にメジャーになった「恵方巻」も、当然ウチで食べることもないだろう。聞いたところによるとあの風習、関西方面に見られるものだというが、本当にそうだろうかと少々怪しんでいる。ウチは両親とも関西出身(大阪市内)なのだが、そんな習慣は見たことも聞いたこともないと断言したからである。祖母に訊いても知らなかったが、祖母は元々石川県の出身なので参考にはならないだろうか。

 子供の頃はそれなりに季節季節のイヴェントをこなしたものだった。雛祭りには母が苦労して重たい荷物を引っ張り出し、当時流行りの7段飾りをセットしていたし、子供の日には菖蒲湯に入って柏餅を食べた。七夕飾りもお月見も、もちろんクリスマスやお正月、家族それぞれのお誕生日なんかも祝ったっけなあと思い出す。今はウチに子供が居ないこともあって、そういうイヴェントには極端に無頓着になっている気がする。家人の性格的に「年中行事を律儀にこなすなんて俗っぽい」と思っている様子なので、仮に子供が居たとしても「ウチは方針としてやらないの」と無視を決め込んだかもしれない。
 あまりに派手っちいイヴェントはどうかと思うが、特に節分の豆撒きや七夕など、古来からの謂われがしっかりとあるものについては、きちんとそういうものを教えつつ親子一緒に楽しむのがよろしいのではないかと思う。常識とか教養とか、家庭生活の中でさり気なく教えられるし、親子間で話題が増えて楽しいかもしれない。
 四季のはっきりした日本らしく、ハレとケのメリハリを付けるのもいいと思う。まあ、子供の頃を思い返せば、誕生日やクリスマスはともかく節分の日の豆撒きを「ハレ」と認識して楽しみに待ったなどということは全然ないのだが。

 ともかく本日、スーパーはどこもかしこもヴァレンタインのチョコレートと節分の恵方巻で溢れていた。個人的には太巻きそのものはかなり好きなのだが、中に入っているかんぴょうの煮たやつが、時々苦手な味付けをされていることがある。あんまり甘いのは好きではないので、万全を期すとすれば自分で作ってしまうのが一番ではある。ただし太巻きというシロモノ、ジャパニーズ・ファストフードである割にはやたらと手間隙かかる料理だと思う。穴子とかんぴょうとシイタケはそれぞれ別々に煮付けないといけないだろうし、エビを蒸したり卵を焼いたりでんぶを炒ったりもしなくてはならない。さらに家人の分だけシイタケを抜かなくてはならなかったりしてとにかくややこしそうで、面倒臭がりのわたしとしてはとてもとても自分で作ろうなどという気が起こらない。
 鮮魚コーナーにずらりと並んだ太巻きを眺めつつ、美味しそうだなと思いはするものの、今日この日に太巻きを買って帰ったりしたら家人の嘲笑を浴びるのが目に見えている。流行に流される俗物め、大衆に迎合するポリシー無しめ、という訳だ。それも癪なので、結局太巻きもメザシも買わないまま帰って来てしまった。どの道わたしは恵方がどっちだか判らない方向音痴だし、家人はイワシアレルギーだし、仕方ないのである。

 ひねくれた見方をすると、あの「恵方巻」の風習、ヴァレンタインデイやホワイトデイのようにどこかの御寿司屋さんが仕掛けたものだろう。真偽は定かでないものの個人的には、小○寿司などのお持ち帰りお手軽寿司チェーンが怪しいと踏んでいる。確かに日本のどこかには「節分の日にその年の恵方を向いて無言で太巻きを丸齧りにすると息災で居られる」という風習がある土地があるのかもしれないが、おそらく驚くほどローカル限定イヴェントだった筈だろう。何しろ5、6年前には、ほとんどの人が知らなかった慣わしなのだから。
 わたしが初めて「恵方巻」なるものを知ったのは、確か川原泉さんの何かの漫画に出て来た1/3ハシラだったように記憶している。ほとんど意識もせずに過ごして来たのだが、5、6年前、当時良く覗きに行っていたあるサイトで「恵方巻のルーツを探ろうアンケート」が行なわれたことがあり、改めて思い出したのである。その頃ぽつりぽつりと耳にするようになった「恵方巻」、いったいどこから広まった風習なのかとサイト管理人さんが不思議に思って、来訪者にアンケートを取ったのだ。
 関東以北ではほとんど誰も知らないし、関西でもごく限られた地域の人しかやったことがない、という結果が出た。参加者がせいぜい3桁に乗るか乗らないかという数なので、統計的に信頼できる数字かどうかは不明だが。

 おそらく最近になってドッと「恵方巻」の風習がメジャーになったのも、仕掛けたメーカーさんたちの弛まぬ営業努力と、「その年によって恵方がどっち向きか変わる」という多少の物珍しさが受けたことがあるのだろう。「無言で丸齧り」というのもちょっと面白い。1人1本だから家族の人数分売れる。単なる巻き寿司ではなくて作るのがかなり面倒で単価もそこそこに設定できる太巻き限定というのもポイントかもしれない。なかなかいいところに目を付けて上手い売り方をするものだなあと感心してしまう。
 メーカーさんによっては、この日の太巻きは丸齧りしやすいように特別に細めに作ってあったり、周りに巻く海苔をしっかり焼いて噛み千切りやすくしたりするらしい。齧ったら太巻きの反対側から具がトコロテンのように出て来てしまったら、確かにものすごく哀しいことになるし、細かい心配りである。そのうち「お子様サイズ」とか「食いしん坊用の特大太巻き」などというのも出て来るのではないだろうか。
 家族みんなで豆を撒いて歳の数だけ福豆を食べ、その後で恵方を向いて無言で太巻きを齧る。そういう光景が日本各地で繰り広げられるのだろう。賑やかな豆撒きはともかく無言で恵方巻を齧る光景は、ちょっと不気味かもしれないと思うのだが。




02/04 1ヶ月遅れのカレンダー

2005/02/04 16:30
 2004年版は確か、正月2日の国立競技場の売店で家人が買って来てくれたのだった。ニュージーランドオールブラックスのカレンダーである。1月のページに超ご贔屓のカーロス・スペンサー選手が載っていて、そのあまりの格好良さに2月になってもめくることができず、結局去年1年間、わたしの仕事部屋のカレンダーはずっと1月のままだった。作業をしながらふと「ええと来週の水曜日って何日だったっけな」などとカレンダーに目をやると、ハカのリーダーをしているシーンのスペンサー選手が目に入る。思わずそこで照れてしまって「えへへ」と俯くのである。もちろんそのカレンダーは全然役には立っていない。
 読めもしないのに思い切って買ってしまったスペンサー選手の半生記『Carlos』も、デスクの上、ディスプレイの横に立てかけて飾ってある。ボールを抱えたスペンサー選手がニッコリ笑っている写真が表紙である。こちらはついうっかり視線をやると、表紙のスペンサー選手と「目が合ってしまう」のでますます照れる。捗らないこと夥しいのだが、どこか他へ仕舞ったり裏返したりするのも忍びなく、未だにそのまま「目が合っては照れる」の繰り返しをしているのだ。

 我ながらしみじみ呆れつつ思う。ほんっとーにヴァカである。イイ歳して、アイドルの生写真に話しかけたりするような、夢見る女子中学生も真っ青の痴態だよなあ、と。でもそう自覚しつつもやっぱり止められないあたりが「終わっている」。遠く離れた日本から、スペンサー選手を応援したりミーハーしたりするのはどうしても卒業できそうにない。
 いにしえの時代、平安貴族たちは今上に直接目通りしたり話しかけたりすることは叶わなかったのだという。今上は文字通りの雲上人で、御簾越し几帳越しはおろか、設えられた何段ものきざはしの下から、コメント仲介係を通して言上したりお言葉をいただいたりした。中国の皇帝でもヨーロッパの王様でも似たような状況だったらしい。身分の高い人への敬称である「陛下」とは元々、そのきざはしの下に居たコメント仲介係を意味するのだという。敬称まで回りくどいんだなと思ったことを覚えている。英語だと「Your Highness」等だから「陛下」よりは多少直接的にも思えるが、それでも古今東西通じて「身分の高い人」は文字通り「高いところ」におわしたようである。

 そういうふうに高い玉座へ祭り上げるのは、もちろん威厳だとか神聖不可侵な感じを演出したりする意味もあっただろうけれど、下々の者たちへの配慮も大きいのではないかな、などと時々思う。王族・貴族を敬うココロというのは今ひとつ実感が沸かないのだが、これが例えばスペンサー選手に対するミーハー心と似たようなものだとすると、たちまちひしひしと理解できるような気がする。直接話しかけるなどとは滅相も無い(実際問題としてたぶんわたしの英語じゃ通じないだろうし)。生スペンサー選手に会う機会が今後あるとはとても思えないが、仮にそういうチャンスがもしもあったとしても、わたしはおそらく顔が上げられないのではないだろうか。
 生スペンサー選手の半径2m以内に近づいたら、心臓ばくばく眩暈くらくらのアドレナリン大放出状態に陥るのが目に見えている。せいぜい3mは離れたところから遠巻きに眺めるのがやっとだろう。きざはしの下から平伏して「恐れながら申し上げます〜」の状況そのもので、去年7月に上井草のワセダグラウンドにイングランド代表のウィルキンソン選手が来た時も、実際そんな状態だったのである。近寄るのをア○ィダス関係者さんにブロックされてはいたが、関係者さんが居なくても同じだったろう。

 とまあまったく阿呆丸出しなのだが、さすがに自分でこういうのめり込み方をするのもどうかと思われた。今年もオールブラックスのカレンダーが出るとしたらぜひ欲しいが、スペンサー選手の登場月がまた1月だったりするとまたまた残りの11ヶ月分がお蔵入りになってしまう。それはまだいいとしても、この上「目が合って照れる」ポートレイトを増やすのもどうだろう。ガマの油ではあるまいし、自室に居て血圧が上がるのも笑える状況ではないか。
 とっくり考えた末、正月の国立競技場で売っていたら迷うことなくGETするけれど、大学選手権の準決勝や決勝戦で販売されていなかったら諦めることにしようか、と思った。カンタベリーショップでも売っていないのは確認済みだし、入手方法が判らないのであればどうしようもないからである。そして幸か不幸か、正月2日も9日も、国立競技場の売店では2005年版オールブラックスカレンダーは販売されていなかった。

 しょうがないから2004年版のを大事に飾り続けることにしよう、と思ったその矢先、家人が買ってきた「ラグビーマガジン」の2月号に「カレンダープレゼント」のコーナーがあるのを発見。どうやら2005年版のカレンダーがこの世に存在するのは間違いないようである。プレゼントに応募したとしてもまず間違いなくハズレるだろうが、それより気になるのは「どうしても欲しい方は以下の会社に問い合わせてください」と添えられた連絡先だった。
 ううむどうしよう。国立競技場でGETできなかったら諦めるつもりで居たが、こういう状況になるとまた迷ってしまう。おのれのミーハー心もいい加減にコントロールしなければいけないような気がするし、それでなくても少々タガが外れ気味なのは自分でも良く判っている。しかししかし、モノがカレンダーだけに時期を逸したらもう入手できなくなりそうだし、そもそもスペンサー選手がオールブラックスで活躍してくれるのも、ひょっとするともうあまり長い間ではないかもしれない。あの漆黒のジャージが何より似合うスペンサー選手のポートレイト、逃したら絶対に後々悔やむことになるだろう。

 1ヶ月近く悩んだ挙句、結局我慢できずに今日、カレンダーの注文を出してしまったのだった。販売元のサイトではウィルキンソン選手のイングランドのカレンダーも売られていたが、そこは死に物狂いでクリックする手を止めた。近いうちに2005年版のオールブラックスカレンダーが送られて来るだろう。メチャクチャ待ち遠しいのである。
 ひとつだけ気がかりがあって、それは「スペンサー選手の登場月は何月だろう」ということである。去年と同じく1月だったりしたら、もう今は2月、カレンダー本来の用途としてはそのページは既に用済みである。とは言えわたしからするとそのページが何よりも重大なのだから、仮にそうだったとしてもやはり迷うことなく1月を開き続けることになるだろう。そうすると、延々悩み続けて買ったシロモノは一体何なのだろう、という疑問が沸いてしまう。こんなことならもっと早く買えば良かったのにと、またまたオノレの阿呆さ加減を呪う羽目になる。

 それも哀しいから、できたら今年のカレンダー、スペンサー選手の登場月は12月だといいなと思っている。そうしてくれたら他の選手の登場月もちゃんと飾れる。ダグ・ハウレット選手やダン・カーター選手も大変好きだから、心置きなく愛でられるとしたらその方が嬉しい。カレンダーとしても役に立つし、スペンサー選手の登場月を指折り数える、待つ楽しみというのもなかなかオツではないかと思うのである(やっぱり阿呆)。




02/05 いたちごっこ

2005/02/05 07:45
 偽札や偽硬貨の発見報告が相次いでいる。紙幣の偽造であれば、カラーコピー技術が向上しているからパーソナルユースの機器でも問題なくこなせるだろうが、貨幣の偽造って結構難しくないのだろうか。韓国の500ウォン硬貨を削るという手口が多発したために新500円になったらしいが、今度見つかった偽500円硬貨は、銀行に持って行って鑑定してみないと判らないものさえあるらしい。素人が見ても判別できないのだとしたら、ホンモノから型を取って鋳造するとか、そういう手法で作られたものかもしれない。プロの鋳造屋さんが良からぬことを思いついたのか、暴力団が絡んでいるのか、たぶん両方だろうとは思うが、そういう人たちが本気になったら偽札や偽硬貨は割合カンタンに作れてしまうということだ。ちょっと困った事態である。
 個人的にはこの際だからいっそ、500円硬貨は廃止して紙幣に戻してしまえばいのに、と思う。額面500円分もの高額硬貨は、世界でも他にあまり例がないほどらしい。紙幣と違って透かしを入れたりホログラムシールを付けたりという贋作防止の工夫がしにくいし、特殊な鋳造技術を駆使したとしても、使っているうちに磨耗して判らなくなることも多かろう。現にわたしが今手元に持っている新500円玉、斜めにすると見えるハズの文字はかなり薄れて消えかかってしまっている。

 硬貨と紙幣、どっちが贋作を作りにくいのか、詳しいことは判らない。けれどある程度の技術と設備を持っている場合には、硬貨の方がじゃっかん作りやすいかな、と思ったりする。どの道プロが本気になったら早晩…というのが実情だろう。
 そうするといよいよ脱キャッシュ時代へと突き進まざるを得なくなる。最近になってようやく、クレジットカードでのお買い物(月単位の割引目当て)をそれほどビビらずに出来るようになったというくらい、わたしはカードを敬遠していた。落としたら大変なことになるし、最近はスキミングの被害についても頻々とニュースが流れる。わたしの持っているカードなぞ、もともとの口座残高が笑っちゃうくらいに少額しかないし、キャッシングやローンの限度額もゼロもしくは設定可能な最低額である。それでも小心者としては、カードを紛失したらどれほどのダメージがあるかと、想像してはおちおちしていられなくなってしまうのだ。
 できたらいつもニコニコ現金払いがいいのだけれどなあ、と今でも本音では思っている。

 銀行でキャッシュカードを使う時でも、スキミングや暗証番号ハッキングについての用心が怠れなくなっているらしい。秋葉原で売られているような超小型のカメラなら、暗証番号を押している手元を信じられないようなクリアさで盗撮できるのだという。コンビニ等のATMコーナーでショルダーハックされるケースも多いとかで、小心者はさらにビビりまくりである。
 生体情報を使った本人確認が早く一般的になるといいなあと思う。指の静脈の模様を使うというのが、こういったキャッシュカードやクレジットカードでは適当であるようだ。今までよりも多少は認証に時間がかかるようになるだろうから、ユーザとしてはあまり嬉しくない事態も出て来るかもしれないが、安心して使えるのが一番だと思う。
 どんなセキュリティシステムを構築しても、いずれプロが本気になったら破られるだろう。まさにいたちごっこだけれど、やっぱりお金に関することではこの種のレース、手抜きしてもらっては困るのである。

 そういえば財布やID、車のキイ、その他の機能をぜーんぶ集めた携帯電話、というアイデアも出ているらしいが、セキュリティ上あまり興味を感じない。まずは落としたら一巻の終わりというのが怖い。携帯電話というシロモノ、どういう訳かしょっちゅう家の中でも迷子になるし、わたしの場合は外出時に忘れて出掛けることもままある。家に置き忘れるのならまだマシだが、出掛けた先で見失って青くなったこともない訳ではない。そんな携帯電話に、財布機能はおろかIDとしての役割も付けるなんて、滅相も無いと思う。
 マーフィーの法則よろしく、携帯電話というのは肝心な時に電池切れを起こしやすい物体でもある。電池切れしたら財布もIDも車のキイも使えなくなるのだったら、これはとんでもなく不便になってしまうのではないかと思うのだが、それはわたしがマメに充電しない不精者だからだろうか。

 今使っている携帯電話は、そういうお財布機能どころかカメラも付いていないシンプルなものである。別にわたしはそれでじゅうぶんなのだが、最近ではカメラ機能を使った2次元バーコードによる情報伝達も普及してきているらしい。そういうのがデフォルトになってしまったら、否応無くカメラ付き携帯電話にしなければならないのだろうかと思うと、ちょっと癪に障る。
 とはいえセキュリティアップに関して、携帯電話が少しでも役に立つのなら我慢しなくてはいけないのかもしれない。自動販売機など、これからも偽札や偽硬貨に狙われるものナンバー1であり続けるだろう。キャッシュレス時代の自動販売機だったら、本人認証に携帯電話のような小さな器械に対応していたり、指の静脈読み取り装置を備えていたりするのだろうか。なんだかそれも果てしなく面倒臭く、ついでにコストがかかって大変だろう。ここまで普及したら無くしてしまう訳にも行かないだろうし。




02/06 第42回ラグビー日本選手権1回戦

2005/02/06 22:12
 昨日今日とメチャクチャに多忙だったので、日記を書くのがこんなに遅くなってしまった。既に観戦した時の印象は遠い日の記憶のように薄れかけているのだが、その中にもやはり、忘れようもなく際立っているシーンはあるので、その辺りをメモしておこうと思う。
 大学選手権以来、久しぶりのワセダ戦ということでかなりわくわくして待っていた。一昨日の晩は遠足前日の幼稚園児よろしく、興奮してなかなか眠れなかったくらいである(阿呆)。「徒然落書日記」のラグビー感想文がご縁でお知り合いになったRさんと、初めて観戦をご一緒することになっていたこともある。後藤翔太選手の大ファンでいらっしゃるこの方、ミーハーチックにきゃーきゃー騒げるラグビー仲間で、しかも萌え選手が近いという、わたしとしては初めて出会う「同士」的存在なのだ。個人的特等席である「ワセダ学生席直下」で一緒に騒げるという期待が募ったのも無理ないと思う。
 事情があって、観戦当日にいきなりドタキャンせざるを得ない可能性もわずかながら残っていた。そんなことにならないようにと祈りながら待っていたこともあって、ケッコーな寝不足状態で迎えた当日だったのである。小心者だなあと少々呆れる。

 ラッキーなことにドタキャンはせずに済んだ。当日は余裕を持って開場待ちの列に並ぶために、開場時間30分前に秩父宮ラグビー場に到着するつもりで、いつもよりもかなり早く家を出た。そんなに早く起きられないと主張する家人を残し、思い切ってわたしだけ先遣部隊として出発である。
 秩父宮に着いたのは朝10時。わたしの記憶によれば開場は10時半なので、とりあえず予定通りの到着だったのだが、出ていた貼り紙によると会場時間は朝11時だと判明した。がーん。おかげで開場待ち1番乗りだったのだが、まだグッズ売り場も組み立てられていないガラーンとしたゲート前、ぽつねんと佇む姿は我ながらマヌケっぽい。吹きっ晒しの中、ガチガチ震えながら開場を待つ。Rさんとは無事に落ち合えたものの、寝不足と方向音痴の所為で、学生席直下の列のうち、間違えてセンターから遠い方の端っこに陣取ってしまった。再びがーん。

 いい加減疲れていた上、着席しておにぎりを食べて満腹したら急に眠気が差した。こんなに寒い中で居眠りしたら風邪を引くかもしれない。そう思いはするし、隣席の家人もつねったり叩いたりして起こしてくれたのだが、睡魔は全然去ってくれなかった。冬山で遭難する人はこんな気分なのかと思いつつ、結局半分くらいは意識のないまま終わってしまった。第1試合の関東学院大学 vs 福岡サニックスボムズの様子は、そんな訳でごくオボロゲな印象しか残っていないのである(とほほほほ)。
 できたら関東学院大学に勝って欲しかったのだが、善戦及ばずというゲームだったように思う。切れ切れのシーンを思い返して強く印象に残っているのは、CTB・有賀剛選手、WTB・北川智規選手と小柳泰貴選手である。この3選手がバックスにいる限り、次シーズンのワセダは必ず苦戦させられるだろうと恐ろしく思える、それほどキレと粘りのある素晴らしいプレイだった。

 第2試合の早稲田大学 vs タマリバクラブのゲームは、大方の予想通り、ワセダの圧勝に終わった。最初のトライはタマリバだった上にワセダがトライを取るまで17分もかかったので、序盤はどうなることかとちょっとだけ冷やりとさせられたが、流れを掴んだ後のワセダはやっぱり強かった。関東学院大学のゲームにも感じたのだが、大学選手権の決勝戦のような緊張感にピリピリする雰囲気はなかったので、実戦から離れていた時間の長さが災いしたのだろう。後期試験が挟まっていたという事情もあり、その辺りは学生スポーツの宿命的な不利ポイントである。
 前半21分、パスを受けた超ご贔屓選手のWTB・首藤甲子郎選手が、タマリバ選手のタックルを強烈なハンドオフでかわすシーンに競技場がどよめく。さらにタッチに出されつつも驚異的な粘りでボールを生かす根性にまた感動。30分には芸術的なライン際のランで美しくトライを決め、ファンとしては満足至極だった。この辺りでは血中アドレナリン濃度が異常に高くなっているので、眠気はいつの間にやらどこかへ吹っ飛んでいる。寒さもほとんど感じなかった。ゲーム全体として、細かい点にいろいろ不安は残るものの、とりあえず安心して観ることのできた楽しい試合だった。

 来週12日はいよいよトップリーグのチーム、トヨタ自動車との対戦である。正直な予想としてワセダはかなり苦しい試合を強いられることになるだろうが、近年最強の諸岡組がどこまで通用するか、なかなか見所も多そうで楽しみ。すでにRさんとは「また学生席直下で一緒に応援しましょうねっ♪」ということになっているので、ドタキャンせざるを得ない状況にならないよう、お祈りしながらの1週間となるだろう。
 そしてわたしのボーンヘッドで間違えて座ってしまった「ワセダ学生席直下・ただし通路側」だが、災い転じて非常な福となる場面もあった。膝の靱帯の故障で未だリハビリ中のSO・曽我部佳憲選手に、とうとうサインをいただくことに成功したのである。ゲームに出ていない選手にサインをおねだりするのは自粛、と思っていたのだが、学生席の選手たちにサインをお願いするファンが相当数いらっしゃったので決心が崩れてしまった。さらに曽我部選手、前半の間中ずっと熱心に大声で首藤選手(←大の仲良しらしい)を応援しておいでだったので、これなら大丈夫かなと思ったこともある。

 ハーフタイム、席を離れてどこかへ行っていた曽我部選手が戻って来たところを呼び止めて、8年モノの赤黒応援旗に見事サインをGETしたのだった。真ん中に首藤甲子郎選手、左隣が後藤翔太選手、右隣に曽我部佳憲選手のサインが3つペカーッと輝く宝物である。「サインらしいサインってないんですけどいいですか?」と、普通に「曽我部佳憲」と書いて下さった様子も初々しくて惚れ直す。ぜひとも次シーズンは完全復活を果たし、曽我部選手と首藤選手のコンビを見せて欲しいと熱烈願望だったりする。
 ちなみにこの時サインをいただくのに使ったマジックペンはRさんにお借りしたのだった。いつもだったら念のために…と、ラグビー観戦時にはマジックペンを常に携帯しているのだが、昨日はたまたま忘れて来たので、通路側のチャンスはフイになるかと思っていた。「大丈夫、わたしマジック持ってますよ♪」とおっしゃって快く貸して下さったRさんに大感謝、なのである。




02/07 NOTEとフィットとヴィッツの試乗、そして祝御成約(汗)

2005/02/07 16:11
 ラグビー日本選手権1回戦観戦から帰宅後、少し離れた場所にある大き目の日産販売店へ出掛けて行き、先月末に発表された新型コンパクトカー・NOTEの試乗をしてきた。いろいろ検討を重ねた結果、最終的に候補に残りそうなのがNOTEとフィットと新型ヴィッツだったのである。デミオやマーチも対象車種と言えば言えるのだが、デミオはちょっとサイズが大きいし、フロントデザインがどうにもわたしの好みに合わない。逆にマーチは家人にとって「可愛らし過ぎる」ようである。あんまり手を広げ過ぎても困るだけだし、とりあえずこの3種を乗り比べてみようということになったのだ。
 カタログを読んだ時から思っていたことなのだが、わたしにはNOTEは少々没個性なように思えた。パッと見た感じではいい車だし、実際に走らせても素直な乗り味で悪くない。うっかり免許証を忘れて行ったので自分で運転はできなかったのが残念だが、運転席に座った印象もそこそこ。何よりも重要視している「クルマが手の内に納まる感じ」も合格点。それなのに、帰って来て思い出すと全然印象に残っていないという、何とも不思議な車であった。もちろんわたしの個人的な印象だけれども。

 家人と話していたのだが、ショールームのすぐ隣にティーダが展示されていたのがマズかったのではなかろうか。ティーダはNOTEの上級車で、プラットフォームはほとんど一緒だそうである。シートや内装などにもっとお金がかけてあって、サイズが少々大きくなっている感じなのだが、そういう車と比べるとNOTEはどうしたって旗色が悪くなる。乗り比べてみたらシートの座り心地は断然ティーダの方がいいに決まっているし、内装だってNOTEの方が貧相に見えてしまう。NOTEを見に行ってティーダを買って帰ったというお客さんがかなり居るらしいが、なるほどこれでは無理もないと思ってしまった。
 ウチの目的にはティーダは大き過ぎるし、後部ドアの意味不明な切れ込みが印象最悪(服が引っ掛かるではないか)。NOTEにも、イイ車なんだけどサイドミラーが小さいのと、サイドブレーキが踏み込み式なのがどうにも気に入らないというマイナス印象しか残らなかった。大人しい性格のクルマが好きな人にはぴったりだろうがどうもウチの住人2人は向いていないようなので、この時点でほぼNOTEは候補から外れることになる。

 翌日はフィットと新型ヴィッツの試乗である。乗ってみた感じ、前に聞いていた話ほどフィットは「走り屋向け」ではないなあと印象を新たにした。ディーラーさんの駐車場で取り回しをさせていただいた印象では、多少は車長が気になるものの思っていたほど怖くもなく、慣れれば手の内に入って来るだろうと予想された。
 ただし乗り味は正直わたしの好みではない。マイナーチェンジ前と比べて改善されたそうなのだが、それでもやっぱりかなり固い感じがするのである。助手席よりも後部座席でその印象はより強く、シートのクッションが効いていないこともあってダイレクトな突き上げが来る。ステアリングの反応はメチャクチャ良いのだが、そのためにハンドルが少々軽過ぎるように感じた。家人の運転するフィットに乗って揺さぶられたら絶っ対に酔う。

 車体感覚がないため、サイドミラーは出来る限り大きく、バンパーは可能な限りシンプルに、というわたしの好みからもじゃっかん外れている。サイドミラーの電動格納をオプションで付けようと思ったら、自動的に方向指示器もくっついて来てしまうらしい。電気系統を収めるため、ミラーの斜め上方部がほんの少しだけ犠牲になるのである。気にするほどのことはないが、個人的には「余計なことをしてくれて」というマイナス印象が残ってしまう。
 そしてバンパーはエアロタイプが標準である。前後とも、バンパー下部にスカートのような出っ張りが付いているのである。これも普通なら気にするほどのことはないのだろうが、わたしとしては、こんな余計なものがくっついたらどこかに擦る危険性が増えるじゃないかと嬉しくない。バンパーのコーナーガードを付けても下がはみ出るし、そもそもフィットのオプションにはコーナーガードの設定がないらしい。つまりフィットの想定オーナーは「よりスポーティな走り」を求めていると思われている訳で、「擦る心配」などというセコイことを考えている人間はお呼びでないのだ。思いっきり我が侭に言えば「まとりフレンドリー」ではない車ということになる。

 一方の新型ヴィッツだが、家人の好みからすると内装はフィットよりも貧相に見えるらしい。ホンダ独特のフロント三角窓が素晴らしかっただけに、Aピラー付け根の小型窓もじゃっかん力不足に感じる。ただし取り回しはやはりフィットよりもし易い印象だし、シートの感じや乗り味は断然ヴィッツの方がわたしの好みだった。足回りは現行のヴィッツよりもかなりしっかりしていて不愉快なロールがなくなっている。ステアリングに程好い手応えがあるのもいい感じ。
 バリバリの走り屋さんには物足りないかもしれないが、3車種の試乗を終えた時点でわたしのプッシュは断然新型ヴィッツだな、と思った。CVTのエンジン音がうるさいとかレスポンスが生温いとか一部では言われているらしいが、そんなもの、街乗りオンリーなわたしのニーズにはまったく関係ない話である。それよりも、これでもかこれでもかと言わんばかりに工夫されている収納スペースや助手席お買い物袋ストッパーなどのディテールが嬉しい。強いて難癖を付けるとすればデザインが現行よりも男性的になってしまったことくらい。いっそ徹底的にヨーロピアンな感じとか女性向けなデザインを貫いてくれても良かったかもしれない。

 内心「わたしは新型ヴィッツ一押しだな。でも家人はフィットにも揺れているみたい」と思いつつ担当の営業さんと打ち合わせに突入する。家人は腹蔵のない意見を開陳し、事実上フィットと新型ヴィッツのどちらにするか、この1週間をかけてゆっくり決定したいという意向を述べていた。営業さんは日頃からマメにウチにおいでになって何くれとなく気を配って下さったのだが、その中にも「できたら早く決めて欲しいよう」というセツジツな焦りが見え隠れしていたので、わたしとしてはあんまり引っ張るのも気の毒だなあとギャラリーに徹する。
 いろいろ話をしているうちに、案の定営業さんがしびれを切らした。ファイナルアンサーとしてどの位の金額ならば即決していただけるでしょうか? と切り出したのである。新車を買うなどという楽しいイヴェントは5、6年に1度あるかないかだから、家人としてはもっとじっくり楽しみたかったようだが、営業さんとしても新車発表会であるこの2日間に出さなければならないある程度の数字があるらしい。努めて冷静に振舞おうとしつつも隠し切れない、ホンットーに切羽詰った目の色をしていらして、わたしは正直ビビってしまった。これ以上引っ張るのはあまりにむごい。下回ったら即決という金額の提示くらいはしてあげようよ、と、ついつい営業さんの助け船を出してしまった。

 家人が口にした、多少吹っ掛け気味の金額を持って営業さんは上司の方と相談しに一端引っ込む。10分ほどして現れた彼が出したお値段は、家人のファイナルアンサーを余裕で下回る金額だった。さらにその上、ウルトラCの実質プライスダウン案も携えている。あんまりすごい値段なので、わたしは一瞬本気で「この人もしや身銭を切るつもりなのでは」と疑ったくらいである。正直今でもひょっとしたらと思っている。ウチのヴィッツの下取りをどれだけ頑張っても、登録手続き代行等の費用を全部削っても、あんな金額は出ないのではないだろうか。
 担当営業さんの誠意と必死さの勝利というか、怒涛の寄り切りに耐え切れなかった感じ。家人は驚き感心しつつも「もうちょっと駆引きを楽しみたかった」と少々不満顔である。9回裏同点のシーンで、次のバッターから交代するつもりでウォームアップしていたら、1人前の投手がサヨナラホームランを打たれた時のクローザーのような心境だと語っていた。

 とは言えわたしは大満足である。CVT車だからもう坂道発進は怖くない。低速のトルクもだいぶ太くなっていたから、ウチの近所の坂を登る時にストレスを溜めることももうないだろう。リアシートの座り心地を補強するためにクッションを買おうなどと、既に心はそちらの方へ向いているのだった。
 担当の営業さんから買ってあげられて良かったという思いも正直ある。この人が最初にやって来てからの数年間、ウチのヴィッツにしてくれた心配りは本当に、そんじょそこらの営業マンには到底できないものだった。スゴイのはそもそもこの人、前任者から引き継いだとかではなく、トヨタ車が駐められているガレージを虱潰しに回った飛び込み担当さんなのである。何年もかけて畑を耕し、種を蒔いて水や肥料をやり、マメに草引きをして今に至る訳だ。その過程をずっと見て来たわたしからすると、その努力が報われてもいいんじゃないかと思えるのだ。

 泣き落としに弱いヤツめ、と家人は思っているかもしれない。でも新型ヴィッツはやっぱりイイ車だし、大変お得にGETできて不満が残ることもないだろう。それにしても商品として一長一短ある場合、最後にモノを言うのは末端の営業さんの地道な努力なんだなあ、ということをしみじみ痛感した1日であった。
 後は来月納車されるのを楽しみに待つばかり。それまでによもや今のヴィッツをどっかにぶつけたりすることのないように、以前にも増しておっかなびっくりで運転しなくてはならない。わたしにとってはストレス倍増の数週間到来である(とほほ)。




02/08 訃報

2005/02/07 23:45
 長らく患っていた神戸在住の祖母(家人の母方)が、1時間半ほど前に亡くなりました。今から神戸へ向かいますので、2、3日留守にします。危篤状態が続いていたのである程度の覚悟はしていたけれど、やはり可愛がってくれた祖母の死は、ちょっと堪えていたりします。




02/09〜02/11 大往生

2005/02/11 10:21
 7日の夜、家でじっと待っているのも変だからちゃんと日常の習慣を守ろうとスポーツクラブへ出掛け、一通りメニューをこなして汗びっしょりになったところで神戸からの連絡を受けた。ぎょえー何と言うタイミング。慌てて帰宅してざっと風呂に入り、荷造りをして義父と家人と3人で車に飛び乗り一路神戸へ向かう。義母は一日早く神戸入りしていたので間に合ったらしい。後から聞いた話では、子供たち5人(プラス一部その配偶者たち)全員が見守る中、文字通り眠るように息を引き取ったのだという。様子を見守っていた義母がふと気付くと呼吸をしていなかったというくらい、穏やかで安らかな最期だったそうである。
 93という歳も歳だったし、ここ2年間ほどずっと入院生活を送っていた祖母だったので、関係者一同ある程度の準備は出来ていたと思う。けれど、ここまで「誰の心にも激しい後悔が残らない」状況も珍しいような気がする。親族の末席に居るわたしでさえ、昨年10月に見舞いに行った時の元気そうな顔を思い出して心慰むくらいだった。強いて言えばもう1度お見舞いしたかったが。

 年齢からは到底考えられないようなお肌のハリと艶を保った祖母の死に顔で、葬儀屋さんも歳を聞いてびっくり仰天するほどだったらしい。うっすらと微笑さえ浮かべているので、今にも目を覚まして「よう来たねえ」と言葉をかけてくれそうである。何とも祖母らしい、実に見事な去り際だった。義父母や伯父叔母の皆さんによると、こういう人を「子供孝行」と呼ぶのだそうだ。初めて聞いた。
 もちろん家人と結婚してからのお付き合いしかないのでせいぜいこの10年だけしか「義理の孫」では居られなかったのだが、実にこまやかな気配りをして下さって、ずいぶん可愛がってもらったと思う。主に母方の祖母にだが、初孫ということでそれこそ目に入れても痛くない式の可愛がられ方をしたため、わたしにしても「おばあちゃま」というと無条件に懐く習性がある(らしい)。基本的に初対面の人に会う時はメチャクチャに緊張するのだが、相手が高齢女性である時に限り、そういえば割と気楽に話せるような気もする。もちろん例外もあるのだが。

 ともかく大好きな祖母だった。もう会えないのかと思うと大層寂しい。とはいえお通夜も告別式も、それ以上を望むべくもないほどの大往生ということで比較的明るい雰囲気だったので、ちょっとばかり無理をしてでも行って良かったと思っている。そういえばここ数年、葬儀に出席することもずいぶんあったのだが、今回のはピカ1に素敵な葬儀だった。こういう言い方は不謹慎かもしれないが、他に印象がないので仕方がない。
 よっぽどのことがない限り先のスケジュールを確定させたり、ましてや何かの前売りチケットを買ったりの事態は避けて来たのだが、これからはそういう用心も無用になってしまった。確かに多少なりとも気が楽になったものの、やはり一抹の寂しさが残るのである。

 今回1番困ったのは届けてもらうことになっていた荷物の数々であった。こちらが出歩くスケジュールは出来るだけ絞り込んで、留守になったり連絡が付かなくなったりということのないよう考えていたのだが、向こうからやってくるモロモロについてはつい失念した。夜中に神戸に行くという段階になって遅ればせながら「そういえばあの本は」とか「修理に出してあったHDDは」とか、やって来る予定の荷物たちのことを思い出して大慌てする。普段だと、例えウチが留守でも隣家の義父母に預けてくれる手筈になっているのだが、今回ばかりは隣家もろともに留守となる。
 不在配達票がポストに入っていたとしても神戸からはとても見られないし、出荷予定を知らせてくれるメールも間に合っていない。出掛けてしまった後でメールをもらっても、携帯から読めないのでは意味がない。転送するにも数が問題となる。宅配便業者さんからのメールだけ抽出して携帯に転送するという芸当までは、今使っているメーラではさすがにできないらしい。
 特にHDDのお届けは修理費用の代金引換え荷物となる筈である。宅配便業者さんが宛先の不在にぶつかった場合、荷物を発送元に送り返してしまう期限が何日くらいなのかは知らないが、精密機械でもあることだし、できたらあんまりガタゴト運ばれない方がいいのではないだろうか。ちゃんと梱包してあれば大丈夫なのかなあ…。

 困り果てた末、近所に住む母にヘルプコールをする。さすがにいつ来るか判らない荷物をウチで待っていてもらう訳には行かないので、1日1回夕方にでも、ウチのポストに不在配達票が入っていないかどうかチェックしてもらうことにしたのである。不在配達票があったらそこへ連絡を入れて、例えば今日金曜日の午前中など、確実に帰宅している日時を指定して再配達を依頼してくれればいい。
 ともあれ母のおかげでHDDもちゃんと受け取ることができた。超心配だったドライヴの内部データも無事だった。何よりも先に、新しく買い足したHDDにバックアップを取ってやれやれと一安心する。今後はマメにバックアップを更新して、新旧HDDのデータをちゃんと刷り合わせておかねばならない。ちょっと面倒だけれど、何かあった時の「しまった!」はもう懲り懲りである。
 細かいデータまで全部チェックしている訳でもないが、確かこの中には元気だった頃の祖母の画像データも入っている。確か露光とかピント合わせとかが難しかったので、ポートレイト並みにキレイな画像ではなかったハズだが、それでももう見られない祖母のにっこり笑った表情を救い出せるものなら救いたかった。データにまで大往生されてしまったら大弱りなのである。

 そんな訳で大層くたびれた神戸行きも無事に終わった。HDDの復活も合わせ、珍しくウチでは先の用心について熱心に考えていたりする。万が一のことを考えて、1年に1回正月にでも、家族で記念写真を撮っておくのは悪くないねとか、データのバックアップは定期的にやろうね、などである。決心は立派なのだが、家人もわたしと同じく咽喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプ。一体いつまで続くものやら、甚だ心許ないのだった。




02/12 洗い物の流儀

2005/02/12 08:08
 大昔、研究室に居た頃は洗い物が大嫌いだった。大体の場合時間に追いまくられて実験しているものだったし、一段落したら今度はデータをまとめたり考察したりする作業が残っている。結果を整理して、仮説を補強するものか反するものか詳しく検証するのと、流しでちまちまと洗い物するのと、どちらが楽しいかは明らかだろう。たまにはボーッと無我の境地に浸りつつ、洗い物のような単純作業に耽るのも悪くはなかったが。
 そんな中でも本っ当にキライな洗い物当番があった。細胞培養班で使う培地の入ったビンを洗う当番で、ホーロー引きの寸胴一杯に漬けられた使用済みの培地ビンは重いし手順は複雑かつ面倒臭いため、わたし以外にもすべての人間が敬遠していたものである。培地ビンが欠品すると実験が滞るため、一応上級生下級生の区別なく割り当てられた当番だったのだが、そこはやはり下級生の方がマメに動く。ほんの時たま「その日は終夜実験に当たっちゃうから」と、培地ビン洗い当番を下級生に押し付ける不届きな上級生も居たとか居ないとか。

 寸胴にはアルカリ性の特別な洗剤が入っている。培地ビンを空っぽにしてしまった人は、ビンを軽く濯いでからこの洗剤液に漬ける。タンパク質などこびりつき易い成分を落とすための洗剤なので、浸漬時間も8時間以上とか半日が望ましいとかマニュアルに書いてある。所定の時間が経過したら寸胴ごと流しに持って行き、ビンの中の洗剤液を少量残して捨てる。寸胴に入る培地ビンの数はだいたい7本から8本ほど。寸胴全体だと10kgから12kgはあったと思う。流しに運ぶまでが重労働だった。
 次にビン洗いブラシで磨く。タンパク質等が落ちきっていない場合に備えて、特殊な洗剤液が残っている状態で洗うのである。それが済んだら軽く濯ぎ、今度は普通の台所用洗剤でもう一度中も外もキレイに擦り上げる。その次は濯ぎだが、汚れや洗剤成分がほんの少しも残らないように濯がなければならないので、ビンをためつすがめつの神経の要る工程となる。ビンの表面がつるーっと水で一面まんべんなく濡れている状態が合格ポイントである。水を弾く部分があったら、そこには油分が残っているという証拠なので洗い直し。

 濯ぎ終わったら水を切り、乾燥しないうちに最終濯ぎをする。RO水、イオン交換水、超純水の順番に3種類の水で濯いで、水道水の成分を除くのが目的である。RO水とは逆浸透膜という特殊な膜を通した水道水で、イオン交換水とはRO水を、イオン交換樹脂の詰まったカラムを通過させて混在イオンを除いた水。超純水はもっと面倒な工程を経た「混じりっ気のない水」ということになっている。
 実験室用水差しに3種類の水を汲んで来てそれぞれ3回ずつ濯ぐのだが、特に超純水の水汲み順番待ちに引っ掛かったりすると大層イライラする。この水汲みも面倒な作業の代表格なので、水差しは大抵の場合、満杯からは程遠い状態にあるのが常である。水差しは途中で折れ曲がった細い管が付いた半透明の樹脂製の容れ物で、横腹を押すと管の先から水がぴゅーっと飛び出す仕組みになっている。濯ぐ時はみんな景気良くぴゅーぴゅーやるが補充は面倒なので、用意のいい人は予め水差しを確保して満水にしてから洗い物に取り掛かるものだった。
 全部済んだら口を下にして金属籠に入れて乾燥機にかける。乾いたら、ビンの口の大きさ相応に切ったアルミホイルを被せて埃が入らないようにし、そこでやっと培養ビン保管棚にしまうことができる。後半は付きっ切りになる必要まではないものの、大抵は1日仕事だった。

 この面倒な洗い物に比べれば、食後の食器洗いなんか楽勝だね、と最初は思っていた。しかし人間何にでも慣れるし、放っておけば際限なく堕落するものである。今ではやっぱり、食器洗いは面倒な単純作業の代表格になりおおせてしまったのだった。炊事用ゴム手袋を填めてもどうしても手荒れしてしまうので、冬場など、ぱっくりアカギレの手が辛い。食器洗い乾燥機が大人気になるのも道理だなと思うのだが、以前日記に書いたように、ウチは家人があの器械を信用していない。手で洗った方が絶対にキレイになると思い込んでいるらしい。
 実験室レヴェルであれば、確かに人間の手で洗った方が確実だとは思う。しかしまあ、家庭の食器に関して言えば、人力で洗わないと気持ち悪いほどのことももうないだろう。関西在住の妹や友人など、食器洗い乾燥機を導入した人の感想を聞けばみんな一様に「アレは便利だよ」とのコメントが返って来る。こびりついた汚れなどにはある程度の下処理が必要らしいが、特に手荒れ改善にはものすごい威力を発揮するらしい。

 冬場、アカギレで手が痛い時など特に「いいなー」と思うのだが、家人の偏見が解消されるのはいったいいつになることやら見当も付かない。面倒とは言えウチは2人暮らしだし、洗い物の量もそれほどではないので、わたしも敢えて食器洗い乾燥機導入に拘りはしないのだが。
 そんな家人がたまに洗い物をする時は、ちょっとハラハラしてしまうのでなるべく見ないようにしている。隣家の義父の洗い物も同じだと義母が言っていたので男性特有の習性なのかもしれないのだが、とにかく水を盛大に流し、洗剤も景気良く泡立てて洗うのである。油分の付いていないご飯茶碗などならば、洗い桶にしばらく漬けておけば洗剤を使わないでも汚れは落ちるし、その方が水も洗剤も節約できる上環境に優しいんじゃないかとわたしは思う。しかしその辺り潔癖症なのか、急須ひとつ洗うにも洗剤を使わないと気が済まないらしい。
 そうかと思うと、牛乳や飲むヨーグルトを飲んだマグカップを、濯ぎもせずに流しに放置してくれたりする。わたしはタンパク質汚れを嫌悪する習性が付いているので、朝起きた時に乾ききった牛乳のこびりついたマグカップを発見しようものなら癇癪玉が破裂しそうになる。今まで何度これが原因で大喧嘩したことやら(阿呆である)。

 さすがに最近は家人もちゃんと1回濯いでから流しに置くようにはなったのだが、時々油断ならないこともある。食器洗いの面倒臭さ、やはり担当者でないとなかなか実感しにくいものなのだろう。たまに家人がやってくれることもあるものの、その後でびしょびしょになった流し台の拭き上げをしなくてはならないのはやっぱりわたしだし、水の消費量にハラハラするケチ臭さも我ながら嫌になる。結局は自分でやる方が精神的には楽なのだが、家電売り場で食器洗い乾燥機を目にするたび、やっぱり「いいなー」と思ってしまう。
 家人の先入観が解消されるのはいつになるのだろう。ううむ待ち遠しいのである。




02/13 第42回ラグビー日本選手権2回戦

2005/02/14 00:27
 率いる清宮克幸監督も、この4年では最強のチームと認めている「諸岡組」だけれど、果たして社会人相手に通用するだろうか。しかも今回対戦するトヨタ自動車ヴェルブリッツは今年のトップリーグ第4位である。もしかしたらもしかするかもしれない、と思いつつ、あんまり期待し過ぎないようにしなくちゃと揺れ動きながら出掛けた秩父宮ラグビー場だった。
 ワセダの布陣は、現段階で考えられる限りのベストメンバー。トヨタもその辺り手加減している様子は皆無。やっぱりそうそう油断してくれたりはしないらしい。侮れない相手であると思われている訳で、そこは誇らしい気もするのだが、ファンとしてはちょっぴりだけ複雑だった。なにせ元ニュージーランド代表選手が2人も居るチームなのである。正直ズルイなあと思う。

 試合開始直後から両チームの猛烈なぶつかり合いが始まった。特にワセダの選手たちはみんな文字通り死に物狂いの様子である。体格に勝るトヨタの選手たちに、身体を張った気迫のタックルをがんがん仕掛けて行く。1人で倒せなければ2人掛かり3人掛かりのしつこさで、さすがトップリーグのトヨタメンバーにも苛立ちが見えた。
 特に右WTBの内藤慎平選手のタックルはものすごかった。来年から内藤選手はトヨタでプレイすることが決まっているのだが、今から強烈な印象を残すプレイだったと思う。他の選手たちもやっぱり同じ。自分の身体がどうにかなることなど意に介していない感じの迫力で、事実、大贔屓の首藤甲子郎選手はタックルでの激しいコンタクトのために右肩を脱臼、途中交代を余儀なくされてしまったのだった。超ショックである。怪我が長引いたりしないといいのだが…。

 ワセダの選手たちのひたむきさに吊り込まれたのか、秩父宮ラグビー場はほとんどがワセダの応援団と化していた。例によってワセダ学生席の直下に陣取ったのだが、部員さんたちも今回は応援っぷりがマジである。必死の声援と、ディフェンスの穴などについてのアドヴァイスが引っ切り無しに飛び交い、雰囲気は否が応にも盛り上がる。先週同様「ミーハー仲間」のRさんと一緒に観戦したのだが、わたしもRさんもどんどんヒートアップしてアドレナリン大放出である。メチャクチャ寒い日だったのだが、第2試合はまったく寒さを感じなかった。

 格上トヨタに挑むということで、清宮監督や選手たちも、とにかく小刻みに得点することを第1の目的としたゲーム展開。しつこいタックルのディフェンスとPG狙いのオフェンス戦略は奏功し、先取点はワセダであった。FB・五郎丸歩選手の長いPGが2本立て続けに決まり6対0。その後力づくのトライを奪われはしたものの、前半終了時のスコアはワセダ6対トヨタ7の大接戦である。
 後半開始直後には、再三チャレンジした末にSO・安藤栄次選手が見事なDGを決めて9対7と逆転。秩父宮全体が揺れるような歓声の中、もしかしたら本当に勝ててしまう、かもしれない、という期待がチラリと胸を過ぎった。とは言うもののやはりトップリーグのチームはそこでは終わってくれず、情け容赦のないメンバー交代で、元気一杯の外国人選手がどんどん入れ替わるのである。ワセダの選手たちも本当に本当に頑張ったのだが、後先考えないプレイはさすがのフィットネス自慢たちも消耗させる。後半の後半、ついに逆転トライを奪われた後はちょっとだけ焦りが勝ってしまった感があった。

 それでも最後まで緊張感の途切れることのない、近年まれに見る素晴らしい試合だったと思う。試合の終盤、足を攣らせながら苦痛に顔をゆがめ、なおかつボールをチェイスするワセダの選手たちの姿に胸が痛くなった。常々感じることなのだが、彼らをあそこまで駆り立てるものはいったい何なのだろう? 単に「勝利」などという言葉だけでは説明できないような、ある意味「超越した」境地を、選手たちは見つめながら走っているとしか思えないのである。
 結局9対28でワセダは敗れた。スポーツ番組の解説者の方々の発言とか、いろいろな掲示板の書き込みには「結構ミスがあったので、あれがなければ勝てた試合だった」というような意見もぽつりぽつりと見受けられる。しかし個人的には、そういうミスも含めてベストの力を出し切った試合だったと思う。たらればを悔いるのはある意味仕方ないことだけれど、それは選手たち本人だけが口にして良い言葉だろう。あれだけの気迫溢れるプレイを見せてもらったギャラリーが言っていいことではないような気がする。贔屓の引き倒しかもしれないけれど。

 ノーサイドのホイッスルが鳴った後のワセダ選手たちの悔しそうな表情が忘れられない。彼らは最後まで絶対に勝つつもりで居たんだ、ということをひしひしと感じた。悔し涙に暮れる五郎丸選手や佐々木隆道選手が印象的だった。彼らは、きっとその悔しさをバネにして、また次のシーズンへ挑んでくれるだろう。勝ったゲームよりは負けたゲームの後にこそ、より一層成長するものなのかもしれない。次の「佐々木組」への期待が高まってしまう。
 一緒に観戦していたRさんも、後ろの学生席のワセダラグビー部員さんたちもみんな泣いていて、すれっからしのわたしは妙に新鮮な感動を覚えたのだった。いいなあ。セーシュンって感じするなあ。そしてわたしはこういう感動を何度でも味わいたくて、どんどんワセダラグビーに深入りし続けるのだろう。

 そんな訳で、2004年の長い長いシーズンはようやく終幕を迎えた。とは言うものの、5月にはもうオープン戦の予定が決まっている。今年も早々のシーズンインとなるのだろうか(てへ)。そしてワセダラグビー部のサイトによれば、明後日15日には「諸岡組」の追い出し試合が予定されているとかで、時間によっては観戦しに行ってしまおうかどうしようか、うずうずしているのであった。
 なにはともあれ選手の皆さん、お疲れ様でした。素晴らしい試合を見せてもらって感動で一杯である。あの激しい試合で負傷した首藤甲子郎選手や佐々木隆道選手の容態が、どうか深刻なものではありませんようにと祈って止まない。ゆっくり休んで、またベストの状態で元気なプレイを見せてくれるといいなと思っている。




02/14 思い出のガッチャマン

2005/02/14 17:30
 CATVでまとめて再放送されている『科学忍者隊ガッチャマン』が、先週ついに最終回に辿り着いたのだった。ちょっと前に週1本ペースで放送が始まり、内心「全部録画終了できるのは2年後か」と思いつつエアチェックしていたのだが、昨年末頃から別のチャンネルで週6本ずつの一挙放送がお目見えして非常に助かった。無事に全105話の録画に成功し、「早まってDVDBOXを買わないで良かった…」と胸を撫で下ろしたのである。
 もちろん市販のDVDBOXだと、パンフレットや特典フィギュアなどが付いていたりもする。それはそれで「いいなあ」と思わないでもないのだが、とりあえず『ガッチャマン』に関しては、本放送を堪能し直すことができさえすればいいことにしたのだ。子供の時と変わらず、やはりご贔屓キャラはG2ことコンドルのジョー、そして渋いおじさま南部博士である。一貫してシュミが変わらないのも頑固というのか何というのか、我ながらちょっと笑ってしまった。

 一番最初の本放送を観て以来、『ガッチャマン』の再放送は逃し続けて来た。1回通して観たっきりで、あれからウン十年が経とうというのに、子供の頃の記憶が結構正確なのでちょっと驚くのである。まずOPとEDの歌だけれど、わたしの記憶ではOPが例の有名な「誰だ、誰だ、誰だ〜♪」なのだが、昨秋の再放送開始を観たら、OPとEDが記憶と逆だった。しばらく後で主題歌が交代し、OPが勢いのいい「誰だ、誰だ、誰だ〜♪」、EDにちょっとしっとりした「シュバーシュバシュバ」ということで落ち着いたようである。第1話の放送時、わたしは5歳になるやならずだったので、その後の主題歌交代だけが記憶に残ったのだろう。
 ベルクカッツェの謎とか、レッドインパルスのエピソードとか、終盤のG2ことコンドルのジョーの壮絶な最期などもかなり詳細に覚えている。ギャラクターの総本部に潜入した瀕死のジョーが、階段の下に身を隠して下っ端たちをやり過ごすシーンの映像も記憶にあるそのままだった。子供心に相当インパクトがあったらしい。もしかすると6歳児にしてみたら、台詞の中の難しい単語は判らないこともあるから、映像と音楽を丸覚えする方が楽だったのかもしれない。

 EDの膝上ブーツ姿の白鳥のジュンに憧れたこととか、科学忍者隊のメンバーがバイクに乗るシーンで「格好いいなあ」と思ったことなどもオボロゲに思い出す。長じてからバイク乗りに憧れたのは、この番組の刷り込みがあったからと考えて間違いなかろう。三つ子の魂とは良く言ったものである。
 再放送を通して観直したところでは、途中ショボいストーリーは多々あるものの、トータルで考えるとやはり当時としては相当に斬新でハードな設定のなされた世界観だったのだな、と改めて感心する。特に子供心に強烈な印象を残した「ベルクカッツェの設定」と「レッドインパルスのエピソード」、最終回に向けてのコンドルのジョーの痛々しいやられっぷりは、今観てもかなりレヴェルが高いと思う。『ガッチャマン』が後のコミックやアニメーション番組に与えた影響も非常に大きいらしく、アニメーションの手法やら小道具の使い方などが挙って参考にされたという。例えば和田慎二氏の『スケバン刑事』でヒロイン・麻宮サキがヨーヨーを武器にしているのは白鳥のジュンがルーツなのだそうだ。さらにそこから『コンバトラーV』の超電磁ヨーヨーに繋がっているというから面白い。

 わたしの中では『ガッチャマン』はそこで完結していたのだが、CATVの深夜放送では続けて『科学忍者隊ガッチャマンII』が始まってしまった。こんなのあったっけ? と不思議に思いつつ成り行きで観始めたのだが、ページをめくるたびに「そうそう、そうだった」と思い出す絵本のように、わたしも間違いなくリアルタイムで『ガッチャマンII』を観ていたのだという記憶が蘇る。言われてみれば主題歌は今でも歌えるし、当時妹たちと替え歌まで作って遊んだものだった。総裁Xが帰って来たところも、ゲルサドラのエピソードも、改めて再放送を観てみるとハッキリと思い出すことができる。
 不思議なのはどうしてここまでキレイさっぱり忘れてしまっていたのだろうか、ということである。死んだハズのコンドルのジョーが帰って来たシーンには子供心に「それはちょっと安易過ぎないか」と思ったことだとか、ニュー・ゴッドフェニックスのデザインが気に入らなかったことまで、あまりにも見事に記憶を封印していたのはなぜだったのだろう。

 良く良く思い出してみると、死んだハズのコンドルのジョーは生きていた。しかし彼は実はサイボーグにされて蘇ったのである…という設定だった気がする。ネット検索で調べてみると確かにそういうことになっているようで、わたしの記憶が確かならば、このサイボーグ設定は今後またまたコンドルのジョーを痛めつける絶好のネタになるのである。
 自慢できたことではないが、幼い頃から少々よろしくないシュミをしていたようで、物語の主人公が悶々と苦しんだり危機に陥ったりというシチュエーションが大好きだった。例えば「科学忍法・火の鳥」で、メンバーが苦悶の表情を浮かべつつ美しい火の鳥に変身するところなんかメチャメチャに萌えた。サイボーグにされてしまったことで苦悩するコンドルのジョーなんか、結構ツボだったのではないかと思うのだが。

 どんなにアタマを捻っても、『ガッチャマンII』のラストがどういうストーリーだったのか思い出せないので、おそらく途中で観るのを止めたのだろう。もしかすると「こんなのガッチャマンじゃないやい」と哀しくなって、自分の中から『ガッチャマンII』を消去してしまったのかもしれない。
 ひとつの予感としては、ギャラクターの新リーダー・ゲルサドラが気に入らなかったのではないかということがある。『ガッチャマン』のベルクカッツェの、居丈高な総裁Xと無能な下っ端たちの間に挟まってオロオロしている様子とか、妙に計算高いのにマヌケなところとかを、子供の頃のわたしは非常に気に入っていた。それだけにゲルサドラがベルクカッツェの劣化コピーにしか見えなかったのだろう。今思い返してもベルクカッツェの「ああまた総裁に怒られるぅ」を超える名文句はなかなかないと思う。

 どのあたりでギヴアップしたのか、面白いから追跡調査してみようと思っている。『ガッチャマンII』のクライマックスがどんなものだったのか、改めて知りたい気がするからである。そしてネット検索していて知ったのだが、『ガッチャマンII』の演出担当には若き日の押井守氏が名を連ねているのだった。もうひとつの見所として、押井氏が演出したエピソードがどんなものかということがあったりする。脚本担当だったらもうちょっとはっきりと「押井節」が嗅ぎ取れたかもしれないのだが。




02/15 諸岡組追い出し試合

2005/02/15 20:31
 日本選手権で負けてしまったので、もう諸岡組のアカクロジャージを観ることはできない。今年のシーズンはあまりに長い長いものだったし、じゅうぶん堪能したから、次のシーズンまで我慢できるかなと思っていた。のだが、ワセダのサイトで「2/15の13:30から上井草グラウンドで追い出しゲームをやります」という案内が出ていたのを見つけて、やっぱりざわざわと胸騒ぎが納まらなくなってしまった。どうしよう。諸岡省吾選手や後藤翔太選手のアカクロジャージがもう1度だけ観られるこの機会、やはり万難を排して掴まない法があろうか(いやない)。
 確定申告の書類作りに取り掛かっていたのを放り出し、必要最小限の日常業務を片付けてから家を飛び出す。諸岡組のメンバーとまとめて会えるチャンスはもうないだろうしと、年期の入った応援旗とサイン用マジックペン、写真撮影用デジカメを取り揃えているのは言うまでもない。日本選手権で負傷した首藤甲子郎選手と佐々木隆道選手の容態も、グラウンドに行ってみたら誰かにお訊きすることができるだろうという目論見もあった。

 追い出し試合なので、アカクロジャージを着ているのはみんな4年生。下級生選抜、3年生、2年生、1年生のそれぞれのチームを相手に4年生たちが胸を貸すという趣向である。40分ハーフのちゃんとした試合だと選手たちが死んでしまうので、だいたい15分から10分ハーフの短縮ヴァージョンだったのだが、これがなかなか面白かった。
 一番見応えがあったのは、やはり4年生チーム vs 下級生選抜チームの試合である。大きな試合の前に行なわれるという「内ゲバ」ほど真剣勝負でもなかっただろうが、4年生も下級生も、いい加減な態度で試合に臨むのは相手に失礼だからだろう、結構みんなマジ。FWは4年生チームが強いがBKは下級生選抜もなかなかの素材が揃っている。抜きつ抜かれつのシーソーゲームの末、21対21の同点で終わったのだった。(と思ったのだが、ワセダサイトを確認したら21対26で下級生選抜チームの勝ちだった。そういえば時間ギリギリにトライしていたっけと思い出した…)

 下級生選抜では今村雄太選手と三原拓郎選手(たぶん)のキレキレのランからのトライが印象的だった。メンバー表がある訳もないので、もしかしたら三原選手の顔を見間違っている可能性もあるのだが、下級生選抜の11番を付けていた小柄な選手がなかなか良かったのである。「重戦車」今村選手の突進も見応えがあった。
 目の前でラックになっていたところがこの画像である。4年生チームのNO.8はなんと内橋徹選手だった。相手が3年生チーム、2年生チーム…と変わるにつれて場の雰囲気もくだけて来て、真剣な中にも楽しいゲームが繰り広げられた。久しぶりに嗅ぐ土ぼこりの匂い、周りの部員さんたちの声援。アタマの中にはいつの間にかユーミンの「ノーサイド」がエンドレスで流れて来る。選手たちはきっとこの時間がずーっと続けばいいとさえ感じているのではないかとふと思い、なんだかじーんとしてしまった。1年生チーム相手の試合では、最後にトライを決めたのはなんと女子マネージャの中村有希さんだった。メチャクチャに微笑ましいシーンで、ここでもちょっと感動である。

 試合終了後はグラウンドで記念撮影が行なわれていた。持っているデジカメの望遠機能では、とてもとてもちゃんとした写真が撮れないので、他の皆さんが持参しているような長〜い望遠レンズを羨ましく思っていた。諦め切れずにピッチサイドをうろうろしていたら、部員同士の記念写真が一段落したのだろうか、部員さんたちがギャラリーに向かって「グラウンド入って来ちゃっていいですよ」と声をかけて下さった。大喜びで一生懸命写真撮影させていただく。諸岡組集合写真とか、バックスリー集合写真、超お気に入り選手たちとの2ショットなど大豊作で御機嫌なのである。
 右肩を脱臼してしまった首藤選手も、詳しい検査結果はまだ出ていないものの、夏までには復活できるだろう、とおっしゃっていた。春のオープン戦には間に合わないかもしれないとすると、それほど軽かった訳でもないのだろうが、靱帯を痛めたりという長引く負傷ではなかったらしいので本当にホッとした。

 12日の試合後、男泣きしている様子を拝見して思わず胸きゅんしてしまった遠藤隆明選手にもサインをいただいた。卒業後はワセダクラブでプレイを続けるご予定だそうで、わたしも大変嬉しかった。やっぱりワセダラグビーと完全に切れてしまうのはもったいないと思える。できたら諸岡省吾選手とか桑江崇行選手、古島直選手もワセダクラブでプレイというご予定だといいのになあ…と夢想するのだった。家人が「いずれワセダクラブというクラブチームにするつもりなのだろうね」と話していたことがあるのだが、どうやら本当にそういう方向へ進みつつあるのかもしれない。わくわくしてしまう。
 本当はもっとずーっとその場に居たかったのだが、あんまり長居して帰宅が遅れるとまた後が大変である。後ろ髪を引かれつつ、上井草グラウンドを後にしたのだった。激しい練習のために傷んだ芝生と、そこに一面に刻まれたスパイクの跡が印象的で、ついつい写真を撮ってしまった。単なる地面だけれど、この穴ぼこに一体どれほどのものが詰まっているかと想像すると、またまたじーんとするのである。

 セーシュンの穴ぼこ




02/16 男の子って何で出来てる?

2005/02/16 18:33
 という歌がマザー・グースにあったと思う。この歌では、女の子がお菓子その他の可愛いもの、男の子はカエルや虫で出来ている、ということになっていたような記憶がある。初めて歌詞を見た子供の頃、それは幾らなんでも不公平な形容ではないだろうかと疑問を感じたものだった。お菓子とカエルでは、ちょっと男の子たちの分が悪過ぎないだろうか、と。
 とは言え、キャンディよりもカエルに興味を覚えるタイプの人間とか、人生でのそういう時期とかがあるような気がするのも確かなのだ。男の子同士の秘密の世界とか、彼らの間だけで通じる絆とか、わたしには窺い知ることもできない何か、どこかに絶対あるハズだと思う。

 昨日の追い出し試合後に4年生たちが、下級生の着ている「荒ぶるTシャツ」に心からのメッセージを書いている光景をそこここで目にした。一言二言ではなくて、本当にTシャツの白地部分が埋まるような、彼らの思いのたけを込めた長文である。しげしげと眺める訳にも行かないがチラリと読み取った限りでは、主にアドヴァイスと激励の言葉であるらしい。「お前はもっと出来るハズだ」とか「手を抜いて生きてはいけない」とか、「女に現を抜かしている暇はないぞ」などというのもあってちょっと微笑ましい。
 少女時代、人生は何のために生きるのかとか、「自分」とは一体何ぞやとか、そういうちょっとヘヴィな話を出来る人間が周囲にまったく居なくて寂しかった。周りのみんなはそういうことを悩まずに生きて行けるのだろうかとか、自分だけがそういう話題から仲間ハズレにされているのだろうかとか、そんな風に思っていたからである。もしかしたら体育会系の仲間たちを持っていれば、そういうチャンスもあったのかもしれない。あのTシャツのメッセージをチラ見した限りでは、あの仲間たちにならば、人生の目的について話題にしても場を白々と凍り付かせる心配もないような気がして、本当に羨ましく感じる。

 最近CATVで再放送されているOVAがある。もうだいぶ前の少女コミックが原作で、男子寮を舞台に少年たちの日常生活が活き活きと描かれる大ヒット作品のアニメ化だった。那須雪絵さんの『ここはグリーン・ウッド』というこの作品、わたしも大好きで原作は今でも大事に読み返している。女性が描いた作品だから多少のドリームが入っているのは仕方ないとしても、少年たちの瑞々しい生活や心の動き、セーシュンの諸々が眩しいのである。
 緑都学園という男子校の「緑林寮」で起こる日常風景のほか、主要キャラたちそれぞれの悩みや苦しみ、将来への希望や不安、片思いの相手への果敢なチャレンジの様子が、キャラたちと同年代の男性ファンにも大受けしたらしい。どこからどう見ても美少女というキャラにとんでもない数のファンが付いていたこともあるようだが、それだけではなく、思春期真っ只中の主人公たちの心境にみんなが共感したことが主な魅力だったのだろうと思う。

 一種独特の連帯感というか、「仲間」というか、「帰属意識の拠り所」というか、そんなものがワセダラグビー部や「グリーン・ウッド」にはあるようで羨ましくてならない。わたしは我が侭な性格なので集団生活には馴染めないだろうとは思うけれど、こういう風に寝食を共にする濃密な人間関係の場があったならば、いつもどこかで感じている寂しい気持ちとか疎外感とか、そういうものが和らぐのではないかと夢見てしまう。

 そういえば以前TVのとあるコーナーで観たのだが、一部の大学では、入学後の1年間は強制的に寮に住まわせて集団生活や人間関係確立の訓練をするのだそうだ。寮のある場所は北海道の小さな町で、寮の周りには遊ぶ場所はほとんどない。勉強するか他の寮生と遊ぶかしかやることがない。つまり快適に暮らそうと思ったら、イヤでも周囲と上手く折り合いを付けるしかないのだ。最初は他人との共同生活にとまどうばかりの新入生たちが、夏休みを過ぎる頃にはすっかり「仲間」になりおおせている姿にちょっと感心した。
 インタヴューなどを聞いても、最初はどうなることかと思ったけれど、今では携帯電話を手にする機会が激減するほど寮の仲間たちと楽しくやっている、という意見が主だった。もちろん中にはどうしても集団生活に馴染めないという人も居るのだろうとは思うのだが、やってみれば大抵のことは何とかなると見える。そして1年間の全寮制生活の後、彼らの間にはどこか「連帯感」が生まれているようで、ちょっといいなあと思ってしまった。

 主にインタヴューを受けていたのは男子学生だったから、女子学生たちにも同じ「仲間意識」が出来るものなのかは知らない。けれど話を聞いていると、多かれ少なかれ誰でもやっぱ寂しいんじゃん、ヘヴィな話だってしたいんじゃん、と思えて来る。たぶん女の子同士の間にも、こういう絆はやっぱり生まれるのだろう。
 結局は男の子も女の子も、基本的には同じようなものでできているのだろう。「同じ釜のメシを食う」間柄同士の絆、ついに持つことが出来なかった、憧れてやまない繋がりだったりする。こういうのって実情を知らないからこそのドリームだろうか。女性ばかりの集団生活は陰湿で怖いことになりやすいと聞いたこともあるのだが、全部が全部そういうことになりもしないだろうと思う。1度でいいからそういう生活をしてみたかったと、今でもちょっぴり思うのである。




02/17 超多忙な日

2005/02/17 22:49
 木曜日なので例の「バレエ体操」のクラスに出掛けなければならなかった。その帰りに税務署の出張事務所へ行って、確定申告の書類を完成・提出してしまうつもりでもあった。帰り際に買出しを済ませて、帰宅後すぐに晩御飯の支度と洗濯に取り掛かればいつもと同じタイムテーブルに戻れるだろう。ネックは税務署の出張事務所である。どのくらい混雑しているのか見当も付かないので、所要時間の予想も立てられない。提出期間の序盤戦とは言え空いていることは考えられないが、3月に入ってからのような殺人的混雑とまでは行かないのではないだろうか。それともこれも希望的観測か。
 予定では、国税庁のサイトでちゃちゃっと書類を作ってしまって、郵送でとっとと送って済ませるつもりだった。既におおかたの入力は終わって、後はプリントアウトするだけという段階まで漕ぎ着けていたのだ。中断したのは一昨日の「諸岡組追い出し試合」に行ってしまったからもあるのだが、もっと重大な理由がひとつあった。大事な資料が1つ、どうしても足りないのである。

 各種源泉徴収票とか寄付金の領収書などは、仕事部屋や重要書類入れを引っ繰り返してなんとか発掘できた。毎年こういうハメに陥るので、いつもいつも「来年こそはきちんと必要書類をファイルしておこう」と思うのだが、夏休みの宿題と同じでやっぱり以下同文、という体たらくに終わる。今回も重要書類はあっちに1枚こっちに1枚という状態で埋もれていて、全部探し出すのに非常に難儀してしまった。
 それでも最終的に見つかってくれればまだ良い。探して探してどうしても出て来なかった今回のボトルネックは、去年の確定申告の申告書控えである。とある特例を使えば去年の膨大な赤字から今年の所得を相殺できるのだが、その肝心の「去年の赤字額」が幾らだったかさて判らない。去年の申告書には確かに書いたのだが(当たり前だ)、同じ数字が載っているハズの申告書控えがどうしても出て来ない。

 去年分の計算をもう1度やり直せばいいようなものだが、あまりに不毛で面倒臭いのでやる気にならない。諦め切れずに探しているうち、ふととんでもないことに思い当たった。もしや、そもそも申告書控えなるもの、去年は作成していなかったのではなかったか。良く良く思い返すとどうもそれが正解である。去年は何らかの理由で確定申告が期間ギリギリになってしまった。ラスト1日かそこらでようやく作業に取り掛かり、大慌てで書類を作って郵送で提出したのだった。郵送の場合、控えが欲しかったら返信用封筒を同封しなければならないのだが、返信用封筒を入れた記憶がまったくない。「やれやれやっとできた、さあ送るか」と、申告書だけをさくっと発送してオワリにしてしまった。後の祭りと呼ぶにもあまりにも遅すぎる。
 ともあれ繰越損失の金額が判らないことにはどうしようもない。諦めて税務署に電話をかけてどうしたらいいのか訊くと、出張事務所か税務署本家に身分証明書持参で行けば教えてもらえるという答えが帰って来た。郵送やメールによる回答とか、ましてや電話の口頭での回答とかはやっていないらしい。あわよくば今年も申告書類は郵送しちゃろうと思っていたのだがその計画はパーである。

 オノレの迂闊さを心底悔やみながら支度をする。バレエ体操の前にちょっとだけマシントレーニングもして、全部済んだらその足で出張事務所へ行こう。おそらく長時間待たされるだろうから、どこかで昼食を取る時間が少々惜しい。出張事務所近辺でリーズナブルなお店と言うとファストフードがほとんどでもあるし、とりあえず弁当を作って行くことにした。着替え、申告書類、弁当、水筒、トレーニングシューズとバレエシューズを詰め込んだ大荷物の出来上がりである。
 結局、持参した弁当を食べるヒマもなかった。確定申告を完了させて税務署の出張事務所を出たのが午後3時少し前。もう目が回りそうなほどお腹が空いている。とても家まで保ちそうにない。かといって、腰を据えて弁当を広げることのできる場所もない。困り果てた末、背に腹は代えられないと、コーヒーショップに転がり込んでコーヒー1杯だけオーダーし、2階席の隅っこでこっそり弁当を広げたのだった。

 帰宅したのは午後4時半になろうかという時間である。こんなに遅くなるとは夢にも思わなかったので、米も砥いでないし味噌汁用のだし昆布も漬けてない。もちろん下拵えもなーんにもやってない。家人の帰宅までに間に合うのだろうかと不安に思いつつあたふたと台所に突進したのだった。ついでに汗びっしょりのトレーニングウェアを洗濯機に放り込んで、同時進行で洗濯もやっつけようとするからなお忙しいことになる。
 そんな訳でここしばらくなかったほどの多忙な日となってしまった。午前中に家を出てから3時過ぎにコーヒー屋さんへ入るまで、ろくに休憩もナシだったので本当にくたびれた。スポーツクラブをサボればもうちょっとマシだったハズではあるけれど、バレエ体操のクラスは1週間に1度しか設定されておらず、こんなことで欠席するのもあまりに口惜しい。

 とりあえず今日はもうさっさと風呂に入って寝てしまおう。こうやって日記を書いていてもつい意識が飛ぶくらいに草臥れてしまった(とほほ)。明日あたりはゆっくりできると良かったのだが、生憎既にもう皮膚科に行かねばならないのが決定している。本当は眼科にも行かなくてはならないのだ。さすがに掛け持ちで1日2病院はできないが、本来なら先月検診に行っているべきだったので、今度行ったら怒られるだろうなあと気が重いのである。何でもかんでも先延ばし先延ばしするツケが回っただけとは言え、ちょっとしんどい1週間なのだった。やれやれ。




02/18 お気に入りソング

2005/02/18 17:12
 誰でも1曲や2曲はそういう歌を持っていると思うのだが、日常のシーンシーンでついつい口ずさんでしまう歌がある。大昔のコマーシャルソングだったタイトル不詳の曲で、記憶によればちょうど今頃の時期に放送されていた。何のCMだったか詳しいことは覚えていない。歌詞の印象からすると何か温かい飲食物の宣伝で、さらにイメージ的には白い「何か」。ハ○スのホワイトシチューのルーか、もしくはホットカル○スのどちらかだろうと思うのだが。
 1シーズン限りのCMソングだったのか、何年間か続けて放送されたのかも覚えていない。ただし印象的な歌なので、同年代の人々は皆さん懐かしく思い出すことだろう。「るふるん、るふるん、雪ウサギ」という歌い出しで始まるあの歌は、誰が作詞・作曲したのかも判らないのだが、印象の強烈さと来たらトップクラスである。CMソングとしては傑作の部類に入ると思う。

 覚えている限りの歌詞はこんな感じだった。(もしかすると全文引用はよろしくないのかも。ごめんなさい)
「るふるん るふるん 雪ウサギ(雪ウサギ)
 るふるん るふるん 真っ白だ(真っ白だ)
 雪降る夜は雪ウサギ 真っ白真っ白 らりらりらりらり
 るふるん るふるん 雪ウサギ
 雪降る夜には」

 メインの歌い手はお父さんっぽい男性の声で、カッコ内は子供の声による合いの手だった。そしてラスト、歌い手さんの声でしみじみと「あったかいなあ〜」という台詞が入るのである。歌詞や曲調、合いの手や最後の呟きの印象で「ホワイトシチューのCMだった」と思い込んでいるが、確か放送枠が今は無き「カル○ス劇場」の時間帯だったので、ホットカル○スのCMソングだった可能性も高いという訳だ。
 画像についてはどんなだったかキレイに忘れてしまった。オボロゲな印象からは、やはり昔懐かしい東京ガスのアナグマアニメーションが思い出される。スーザン・バーレイ氏のアナグマキャラがR・コルサコフの「シェヘラザード」3楽章「幼い王子と王女」をBGMに動いていたあのCMである。ただし「るふるん」の絵がスーザン・バーレイ作ということはないと思う。アニメーションだったのは確かだろう。キャラはウサギか猫だったような…(あやふや)。

 で、この歌を、わたしはついついことあるごとに口ずさんでしまうのである。全曲ではなくて1部分だけ、特に「真っ白真っ白らりらりらりらり」以降のフレーズを歌っていることが多い。しかも替え歌で、状況によって「真っ白」の部分がいろいろ変わるのだ。風呂上りには「さっぱりさっぱりらりらりらりらり」だし、就寝時に消灯したままの階段を昇る時は「真っ暗真っ暗らりらりらりらり」になる。だいたいにおいて御機嫌麗しい時に出て来るようだが、先日くたくたに草臥れていた時は気が付いたら「ぐったりぐったりらりらりらりらり」と歌っていて我ながらちょっと驚いた。
 一部の例外を除けば、無意識にこの歌が出て来るようである。自分で歌っているのに気が付かないのを、家人に「またその歌かい」と揶揄われてやっと認識する。さすがに人前で大っぴらに歌ってしまったことはない(と思われる)ので、ぎりぎりのところである程度のブレーキはかかっているらしい。数ある癖の中でも最も阿呆っぽい癖だが、いったいいつからこんなことになったのかは全然判らない。あのCM以降なのは間違いないのだが。

 先日も風呂上りに「さっぱりさっぱりらりらりらりらり」と歌いながらリヴィングに戻って来て、家人に指摘されて歌っていたことに気が付いた。ちょっと恥ずかしいが別に害になる癖でもないし、特別に迷惑をかけていることもない(ような気がする)。無理に直そうというつもりもないのだが、そこでハタと気付いたことがあった。この歌、わたしと同年代の方々にならば「あのCMソングだ」とすぐに判っていただけるだろうが、いかんせんかなり古い歌である。最近の知名度はガタ落ちしているに違いない。
 おそらく家の中限定の癖だろうが、まかり間違って人前で歌ってしまったらかなり恥ずかしい。特に「らりらりらりらり」はイカンだろう、と思う。可愛いメロディではあるが、あと数年で不惑を迎えんとするオバサンの歌う曲ではない。うっかり人前で歌ってしまったらどうしよう。改めて冷や汗がタラリと背中を伝ったのだった。

 さらに意外なのは、家人がこの歌を知らなかったことである。5歳の年齢差と観ていたTV番組の違いを考えれば不思議でもないのだが、とするとこの歌の知名度はわたしが思っていた以上にもともと低かったのかもしれない。いよいよ「家庭内限定にしとかなきゃ」と内心誓っていたりする。
 そして意識して思い出してみるとやっぱり懐かしい。この歌、何年頃の放送で、何のCMソングだったのだろう。今ちょっと調べてみたら、どうやらホットカル○スの宣伝に使われていたらしいと判明した。ただし作詞・作曲がどなただったかは不明。これだけ印象的なメロディを考えると、個人的には小林亜星氏の楽曲ではないかと疑っているのだが、詳細はやはり不明なままである。カル○スに問い合わせても判らないだろうか。こんな阿呆っぽいことでメールするのも恥ずかしいが、なんだかどうしても気になってしまう。




02/19 お気に入りソング・その2

2005/02/19 15:58
 以前から好きな曲だったけれど、最近再び自分の中で人気急上昇中なのが、ユーミンの「ノーサイド」である。1984年末に発表されたアルバム『NO SIDE』の収録曲で、花園で行なわれた高校ラグビーの試合からユーミンがインスピレーションを得て作られたらしい。特に学生ラグビーのファンならば、この曲ほどに自分のファン心理を巧く歌い上げているものはないと感じるだろう、切なくて感動的な傑作なのだ。ちなみに発表当時、世の中の一部女の子の間で一世を風靡していたサッカー漫画があって、その子たちは高校サッカーへのトリビュートとしてこの曲を愛したものだった。
 わたしもその時はまだラグビーについてはほとんど知らず、例に漏れず某サッカー漫画関連で「ノーサイド」を愛聴していたのだが、今とっくり考え直すとやっぱりこの曲、サッカーよりはラグビーの歌だなあと感じるのである。贔屓目かもしれないが。何にしろもう20年以上も前の楽曲なのかと思うとちょっと気が遠くなりそうになる。ワセダの首藤甲子郎選手とか五郎丸歩選手などまだ生まれてもいない訳だ(ひえー)。

 先日の「諸岡組追い出し試合」を観に上井草グラウンドへ行った時、試合観戦中にいつしかアタマの中で「ノーサイド」が流れ始めた。最近ではあの試合ほど、穏やかで切なくて、ある種敬虔な感動に浸れる時間はなかったように思う。運動場から立ち上る土ぼこりの匂いなど嗅いだのはそれこそ20年ぶりで、その匂いがわたしを高校時代のグラウンドへ連れて戻った。小耳に挟んだ話によれば、人間の5感の中で嗅覚がもっとも「記憶」に深く関与するのだというが、それは本当なんじゃないかと思えるような感覚だった。
 勝ち負けは関係ない真剣勝負、プレイしている選手たちはただただラグビーが好きなだけで、もうメチャクチャに楽しそうにボールを追っかけたり蹴ったりしている。4年生チームのFBは遠藤隆明選手だった。12日のトヨタ戦、わたしの背後の席で目を真っ赤にして泣いていたのが忘れられない選手である。2004年シーズンの初期には何度かアカクロを着て試合に出ていたものの、シーズン後半ではなかなか出場のチャンスがなかったらしい。どれほどの思いがあの涙に込められていたのか、それを思うとこっちもうっかりもらい泣きしそうになったものだった(泣かなかったけど)。

 トヨタ戦のことがあるので遠藤選手の活き活きとした様子は一際輝いて見えた。「ノーサイド」をBGMにした追い出し試合の静かな感動があまりにも印象的だったので、わたしは帰宅後、ついついワセダのサイトから遠藤選手にファンメールを出したのである(ミーハー)。お疲れさま、楽しいシーズンをありがとうございます。古い曲だけれど有名なのでもしかしたらご存知かもしれないけれど、「ノーサイド」っていい歌ですよ。卒業後もぜひワセダクラブでいいプレイしてくださいね、と。
 このところ音沙汰ナシで心配しているのだが、以前この日記を読んで掲示板に書き込みをしてくれた中学生ラガーメン君が居た。中学生はカンペキに生まれる前の曲だけれど、ラガーメンなら判るだろうと思ってお勧めしてみたら、コーチの先生にCDを借りて聴いてくれたらしい。いい曲で気に入ったとコメントがあったので、大学生ラガーメンにもアピールするだろうと思った。それに「ノーサイド」の中で歌われる1ラグビーファン「わたし」の気持ち、プレイヤーの皆さんに少しでも伝わればこれほど嬉しいことはない。

 とは言えああいったサイトから送られるファンメールなどそれこそ雨あられだろうし、郵政省メールと違って相手に確実に届く保証もない。ちらりとでも読んでいただけて、ほんのちょっとでも印象に残ったら嬉しいな、くらいのつもりだった。そうしたら、一昨日だったか、遠藤選手からお返事メールをいただいてしまったのである(感動)。
 「ノーサイド」はお気に入りの1曲で、夏合宿でも良く聴いていらっしゃったらしい。卒部は寂しいけれど、今後もワセダラグビーに関わって行くつもりだし、ちびっ子ラグビーの指導もするかもしれない。何はともあれ今後もワセダを応援して下さいね、ということだった。

 ええ子じゃのう(24倍角)。実際に言葉を交わしたことは一言二言くらいしかないけれど、よそ行きの顔だったのだろうあの時々でもほの見える人柄があまりにも誠実真面目かつ純情で可愛い。そんな様子を見せられたらもう、おばさんお姉さんメロメロである。くうう辛抱堪らん!
 超御贔屓選手の後藤翔太選手は神戸製鋼コベルコスティーラーズでプレイを続けてくれるし、首藤甲子郎選手はまだワセダのアカクロでプレイする姿を観続けることができる。けれど、遠藤隆明選手のその後を仄聞したかったら、これはワセダクラブサポーター会員になって会員特典の何かに期待するしかない。この思い付きが駱駝の背を折る最後の藁の1本となった。メーラを開いたまま、わたしはワセダクラブのサイトへ飛んで行って、入会手続きと会費振込みを完了してしまったのだった。

 遠藤選手がお気に入りだったのならば、きっと他の選手たちも「ノーサイド」を聴いているのだろうな。あまりにもウェット過ぎると御気に召さない可能性もあるけれど、応援しているファンの気持ち、あの歌から少しでも受け取ってもらえたらやっぱり嬉しい。そんな訳でわたしとしては、以前にも増して「ノーサイド」がお気に入りになってしまった。トヨタ戦を思い出しながら口ずさめば思わずじんわりとする程に(阿呆?)。
 それにしても1つショックというか、やはり時代を感じるなあと思ったことがある。遠藤選手のメールの中、彼が「ノーサイド」を知るきっかけとなったのが、お母様のお勧めだった、というくだりである。20年以上前の曲だから世代間ギャップはあるだろうし、そういえば上井草でも隣に座ったご夫婦(どう見てもわたしより20歳は年上)に「選手のお母さんなんですか?」と訊かれて愕然とした。10代で子供を産んでればそういう状況も有り得ない訳ではないと気が付いたら尚更ヘコんだのだった…。




02/20 健全な魂は健全な身体に宿る

2005/02/20 14:20
 というのは、あながち間違いではないのだなと思うことがある。ただしこの言葉、もともとは古代ギリシアの詩人が書いた祈りの言葉だったそうで、必ずしも事実を示すものではないらしい。一流スポーツマンが不祥事を起こしたり、命に関わる重病を患いながらも高潔な精神を保ち続ける方が珍しくなかったりするし、確かに「健康な魂」と「健康な肉体」は完璧な対ではないのだろう。とは言え、わたしに関しては、メンタル面とフィジカル面は密接な相関性を持っているように思える。
 何とかして家人の減量作戦を成功させたいと、2年ほど前からいろいろ工夫して来た。ついでに自分の食事内容も見直そうと思って、手始めに「朝御飯をちゃんと食べる」ことを心掛けるようにしてみたら、何だかそれ以来体調がずいぶん良くなった。最初は起き抜けに食べ物なんか咽喉を通らないと思っていたし、食べたら気分が悪くなってしまったことも多々あったのだが、我慢して食べ続けたらだんだんイケるようになってきたのである。我ながらこれはかなり感動的なことだった。

 メニューはいろいろ変遷を辿ったが、今は「マンゴージュース入り自家製ヨーグルト、トマトサラダ、干しプルーン、パン」という組み合わせが定着して来た。食物繊維を摂ろうと思ってヨーグルトにオール○ランを混ぜる試みもしてみたのだが、あの食感にどうしても馴染めずに結局挫折してしまったのがちょっと残念である。
 ともあれこうやってきちんきちんと1日に3回食事をするようになったら、まず風邪を引くことが激減した。季節の変わり目には毎度毎度必ずと言っていいほど熱を出していたものだが、それもだんだん少なくなった。関係があるのかどうか不明だが、アトピーの症状も近年ないほどに軽くなったし、以前ちょくちょくやらかした、原因不明の微熱が続く体調不良に陥ることもなくなったのである。

 自分自身に関して言えば、体調が悪い時は精神の調子もダメダメである。精神の調子が悪い時に、例えば止むを得ず終夜実験などしてしまうと、能率の悪化も手伝ってトラブル満載・疲労困憊な大仕事になる。疲れ果てればさらに体調は悪くなり、精神状態もさらに悪化する。ところが能率が悪くなっているものだから、積み残された仕事が山になって待っていて、到底放置できない状況に陥る。無理して仕事を片付けようとしてさらに…という立派な悪循環を律儀にぐるぐるしていたものだった。
 研究室時代にせめてもうちょっとちゃんとご飯を食べて適度な運動をして、ついでに無茶な実験計画は避けて…と言うマトモな生活をしていたら、もしかしたらやりたかった勉強をもうしばらく続けられただろうか、と時々思う。「卒業研究は参加賞、マスターは努力賞、ドクター以上は要才能」という言葉がある通り、「やりたかったな」の気持ちだけでは何ともならないこともあるが、少なくとも修士課程の終わりのような、「こんな生活が続いたら死んでしまう」というダメダメな状況にはならなかっただろう。

 ちゃんとご飯を食べて運動して…という生活がいかに大事か、気が付くのが15年少々遅かった訳で、この点に関してはつくづく自分を阿呆だなあ、と思う。どんなにお金持ちでも、どんなにアタマが良くても、身体を壊したら持てる能力をきちんと発揮することができなくなってしまう。それがどんなに苛立たしい、不甲斐ない状況か…。
 別に虚弱体質ということはないのだが、例えば家人などと比べると、多少病気がちなのかなという気がする。研究室時代には、他のメンバーと同じペースで仕事をすると、真っ先に草臥れてしまってダウンするのがわたしだった(これはほんっとに情けない)。他人よりトロいペースでしか仕事できないのだから、もうそもそもその時点で研究者としてはダメだったのかもしれない。けれど、無茶してなお事態を悪化させるよりは自分のペースを守ってそこそこの仕事をした方が良かったハズだと思うと、自分の愚かさにほとほと愛想が尽きる気がする。

 今後はとりあえず、せいぜいマイペースを守って生活しよう。朝起きてダルくないとか、微熱がないとか、呼吸する時にぜいぜい言わないとか、身体のどこも痒くないとか、そんな些細なことがこんなに快調だとは思わなかった。
 自分の健康管理のついでに、家人の健康管理もキリキリやろうと決意を新たにしている。底なしの体力に任せて無理をして、年齢を重ねるうちにドーッと来るのが家人タイプの人間のパターンである気がするからである。健康状態と体力になまじ自信があるものだから、とんでもない無茶も時々やらかしてしまうのだ。
 睡眠時無呼吸症候群の治療のためのCPAPも、夜中に起きた後などは「鬱陶しい」と言って外して寝直してしまうらしい。わたしがふと目覚めて隣を見ると、相変わらず息をしてなかったりすることもあるので困ってしまう。不味いからと言ってクスリを飲まないでいれば病気が治らないのは当たり前なのだから、多少鬱陶しくてもちゃんとマスクをして眠らなくてはなるまい。マスクをするようになってまだ1ヶ月足らず、もうちょっと頑張ればもっと慣れて鬱陶しさも減るかもしれないのだし。

 とは思うものの、これを家人にどうやって説得するか、だったりする。家人の意思の強さはかなりのものなので、一端やる気になると強いのだが、「イヤなものはイヤ」というのもまた根強いのだ。ううむどうしたら良いものやら…。




02/21 歩いて脳みそをリセット

2005/02/21 18:30
 近所で最近ご不幸があった。ウチから駅まで歩いて行く途中のお宅なのだが、亡くなった方がかなりの重要人物だったらしく、お宅の映像が全国放送で流されてしまうわ、報道陣が雲霞のごとく群がって来るわで大変だったようである。幸いマスコミの人々がごった返す最中に通りかかることはなくて済んだのだが、そういえばこの数ヶ月ほど、近所に不審な車(黒塗り緑ナンバー・夜間でもエンジン掛けっぱなし)が駐まっていたりして不可解だったことを思い出す。張り込み中だったのだろう。
 こういう事態に陥ったのも、夜昼構わず追いかけられ、マークされて神経が痛めつけられてしまったからなのかもしれない。亡くなった後に張り込みしたってどうしようもないのだし、せめて遺族をそっとしといてやれよと思うのだが、今日、買い物帰りに通ったらまだ張り込んでいる人が居るので呆れてしまった。黒塗りではないけれど、他県ナンバーで、車内が独特の散らかり方をしているので一目でマスコミ関係者の車だと判る。しかも運転席ででっかい望遠レンズ付きのカメラを構えっぱなしである。御苦労なことだが、正直「下衆なヤツだ」とむかむかする。

 ご近所とは言え自治会のブロックも違うし、実際にお会いしたこともない。しかし亡くなった父と歳周りが近いようなので、残された方々がどれだけショックだろうかと思うと心が痛む。こんな事になる前にどうして…と、さぞかし辛い思いをしているだろう。陰ながらお悔やみとお見舞いの黙祷を捧げたい。

 こんな深刻な例と引き比べるのも不謹慎かと思わないでもないのだが、人間追い詰められると突飛な行動に出るものだということには身に覚えがあったりする。以前日記にもチラリと書いたかもしれない。修士課程2年目の夏、実験が行き詰まってどうしようもなくなった時期、無性に歩き回りたくなったことがある。夜毎に実験室を抜け出して最寄の駅まで歩いて行き、そこからさらに線路沿いに次の急行停車駅まで歩いて駅前のコーヒーショップで一休みした後、また歩いて大学へ戻って来る。距離にして往復10km、休憩を入れた所要時間は約2時間のコースだった。
 気分転換にはなったけれどかなり草臥れたし、そんなことをしても行き詰まった実験がどうにかなる訳はない。悶々としたまま1ヶ月ほどもそんな日課を続けたら、食欲不振が続いていたこともあってみるみる体重が落ちた。ヤバい、この調子だと早晩倒れてしまうと思うのだが、自分でもうコントロールができなくなっている。どういう思考回路でそんな流れになったのか未だに不明だが、いっそそれなら思いっ切り馬鹿げたことをやって、脳みそをリセットできないかとふと思いついた。下宿から実家まで歩いて帰る計画の始動である。

 地図上の距離はおよそ30km。できるだけ真っ直ぐなルートを辿っても途中で1つ山越えしなければならない。普段の10kmコースはずっと平坦地だから、万が一途中でバテて動けなくなったら困ってしまう。水分・エネルギー補給もしっかり考え、日射病や熱射病予防に麦藁帽子・長袖長ズボン・うちわ・濡れタオルなどを用意した。ペースメーカとしてカウンタ(通行人数調査などで使う、銀色のカチカチ押すやつ)も持って行く。10歩ごとに1回かちりと押して、今何歩目か数えたりリズムを取ったりするのである。
 決行の日、朝4時過ぎに下宿を出発した。予め入念に調べておいた地図を片手にひたすら黙々と歩き続ける。道に迷ったらシャレにならないので、電信柱の住所表記と地図の住所を首っ引きにしながらの行軍となった。基本的に南下すればいいので、方位磁石を持っていたら良かったのにと思ったものだ。

 予習しておいたポイントが次々に現れて、順調に想定ルートを進んでいると実感できるのは楽しかった。「こうなるハズ」という実験計画がことごとくハズレていた時期だったので尚更に、「計画通りにことが進む」のが快く感じられたのだろう。そうこうしているうちに山越えルートに入り、迷子になりようもない1本道を延々と歩かなくてはならなくなった。道の両側は寂れた感じの工場とか廃材置き場とか倉庫とかだったりする。だいたいこの頃には太陽も昇って、そろそろ真夏の朝の陽射しが照り始めている。
 適当に休憩を挟みつつまだまだ歩く。夜が明け切ってからは多少落ちたものの、だいたい予定通り6km/h程度の上出来ペースだった。まだ疲れるところまでは行っていないし、陽射しは強いけれど気温はそれほど高くない。朝早いので人影もまばらで、歌を歌いながらでも歩けそうである(さすがに黙って歩いた)。巡航状態というかランナーズハイというか、このまま何100kmでも歩けそうな錯覚さえ覚えたものだ。

 とは言え、行程の2/3も消化するとだいぶバテて来る。朝8時を回ってそろそろ気温も上がり始め、足はかなりパリパリして来ている。通勤・通学の人々が足繁く行き交う中、オノレの姿に相当の居心地悪さも感じる。ここらで公園でも見つけて休憩するか、いっそファストフード店に入って冷たいコーヒーでも…と思ったところで呼び止められた。おまわりさんだった。
 「キミキミ、どこ行くところ? ナニチュウノセートかな?」。10歩数えてはカウンタのボタンをひと押しし、また10歩数えては…という作業を繰り返していた脳みそは、とっさに言われたことを理解できない。「ナニチュウノセート」が「何中の生徒」だと気が付くまでに10秒ほどかかってしまった。その間におまわりさんはだんだん不審の色を濃くし、「ちょっとそこまで一緒に来てもらえる?」などと言い始める。どうやら家出中学生と間違われているらしい。
 いくらなんでも中学生には見えないハズなのだが、小汚い麦藁帽子に汗でヨレヨレの長袖Tシャツとジーパン、でっかいスポーツバッグを担いだ姿は確かに怪しすぎる。埃塗れの顔はもちろんノーメイク。大学院生だと主張しても信じてもらえず、結局免許証を見せてやっと無罪放免になったのだった。

 この出来事が後を引いた訳でもないが、ここからの残り1/3がキツかった。陽射しはどんどん厳しくなり、気温はぐんぐん上昇する。ふくらはぎは既にパンパン、足の裏にもそろそろマメが出来かけているらしい。呪文のようにイチ、ニ、サン…と歩数を数えてはカウンタのボタンを押すのだが、その作業も何がどうなっているのやらだんだん判らなくなって来る。ランナーズハイ状態は解消されてアタマの中は真っ白である。
 予想よりも少々遅く、11時少し前に実家に到着した時には疲労困憊で口も利けなかった。下宿から歩いて帰って来たと内心得意気に説明したのに、母のリアクションが思ったよりもシンプルなので少々がっかりする。とりあえずシャワーを浴び、びしょびしょの服を着替えて水分をがぶ呑みし、後は夕方までひたすら爆睡したのだった。

 またやれと言われてもちょっとカンベンではある。とは言え炎天下を黙々と歩いてアタマの中が真っ白になり、歩数を呟く自分の声だけに集中していたあの時間、ある意味なかなか気持ちの良いものだったのは確かである。無理かと思ったけどちゃんと30km歩けたじゃないかということも多少の自信に繋がったし、ちょっとしたトランス状態を通り抜けたせいか、鬱屈した気分もだいぶスッキリした。
 普段のわたしからすると「真夏に30km歩いて帰宅」などは正気の沙汰ではないのだが、結果的にこの荒療治は大成功だったと言える。脳みそがリセットされてとりあえず実験を続ける気力も出てきたし、このトライアルの後は多少食欲も戻って来た。もしも今後何かで煮詰まるようなことがあったら、ピンチ脱出の最後の手段として、またこういう小旅行をやってみてもいいかな、と思わないでもない。家人あたりには「馬鹿なことはやめなさい」と御小言を喰らうような気はするのだが。




02/22 12本の素敵なマンゴージュース

2005/02/22 17:51
 大好物がマンゴー味のもので、特にお気に入りのマンゴージュースがあって、毎日毎日ヨーグルトに混ぜて美味しく食べているという話はこの日記でも繰り返し書いた。お気に入りマンゴージュースとは1度疎遠になったものの、成城石井でコンスタントに売られているのを見つけて寄りを戻したということも、良く探してみたら行き着けの大規模スーパーに成城石井のコーナーがあって、通常の買出し時に気軽に寄れると判ったことも、書いたことがあったと思う。
 つまりこのお気に入り、「トロピカルアイランド」印のマンゴージュースとの蜜月はいつまでもいつまでも続く…ハズだったのだ。先日ストックが切れたために、買出しのついでにいつもの成城石井コーナーに足を向けるまでは。

 このコーナー、普通の生鮮食料品売り場からはちょっと奥まった場所にあるために、そこにあるということになかなか気が付かなかったりする。長いこと行き着けにしていたのに、家人が去年見つけるまで存在を知らなかったくらいだし、もしかしたら他のお客さんたちもそうだったのだろうか。見つけにくい場所にあることがネックだったのかどうか、先日行ってみたらお店のあった場所にはのっぺりとした板が全面打ち付けられ、「2/10をもって閉店させていただきました」という貼り紙が1枚あるばかり。
 潰れてしまったのか、成城石井がこの大規模スーパーを見限ったのか、どちらなのかは知らない。だがしかし、細々とマンゴージュースを買い続けて来たわたしには大ショックである。今後どこでトロピカルアイランド印のマンゴージュースを買ったらいいのだ?

 もちろんウチから行ける範囲で、ここの他にも成城石井がない訳ではない。ぱっと思いつくだけで2店はあるし、実際、行き着けスーパーの成城石井でマンゴージュースが品切れだった時など、家人を拝み倒して他の店に買出しに行ったりしている。問題はこの2店、普段の行動範囲からは微妙にハズレた場所にあり、しかも駐車場が狭かったり無かったりしてクルマを駐めにくいのである。電車で行けないこともないが、よほどのついでがない限り立ち寄らない中途半端な駅が最寄。わざわざマンゴージュースのために電車賃を使うのはどうかと思う。いかに愛するジュースとはいえども。
 となると困った時のネット通販をしているところはないかと探してみた。輸入販売元のアッシュ・クワトロ社のサイトとか、無添加食品販売のOisixとかで売られているのは見つかったのだが、惜しいことに定価販売である。成城石井で470円以下だったことを考えると1本税込み525円はちと高価い。しかも送料がかかってしまう。家人を拝み倒してクルマを出してもらい、お駄賃にマロンペースト(美味しいけど高価い、家人のお気に入りブランド)を買わされるのとどっちがいいだろうか? という話になる。

 クルマを出してもらった時にまとめ買いをして、マロンペーストのリスクを減らせばいいだろうか。どのみち成城石井には、やはり大好物「みよし堂」のゆべしラインナップも置いてある。カロリーもお値段もちょっとゴージャスなのでしょっちゅう食べるのも良ろしくないが、くるみゆべしや柚子ゆべしとこれっきりさようならするのも哀しい。どうしようかなあと未練がましく検索を続けていたら、とある通販サイトのキャッシュページで「トロピカルアイランド印のマンゴージュース、12本5040円」というのを見つけてしまった。おおっリーズナブル!
 ただしもともとがキャッシュのページだけあって、どうやら在庫はないらしい。商品ページへ行こうと画像をクリックすると「商品が存在しません」というエラーページに飛ばされてしまうのだ。うぬう、ぬか喜びか。送料525円を足しても、この値段ならば相当お買い得なのだが、ひょっとすると季節限定商品だったのかもしれない。なおも諦め切れずにあちこち探していたら、1ヶ所だけ、購入ページへのリンクが切れていない場所が見つかった。

 さあどうしよう。他のページ状況から考えて、このサイトでの「12本5040円」フェアが終了しているのは間違いなかろう。とは言え成城石井で時々特売していた値段からすると、それほど出血大サーヴィスという赤字価格ではない。もしここで敢えて注文してしまったら、「すいませんフェアは終わってます」と返事が来るか、リンク切り忘れのミスを被って売ってくれるか、どっちの反応が返って来るだろう? お買い得マンゴージュースの魅力も捨て難いし、ここはちょっくら試してみるのも悪くない。
 半分以上「すいませんフェア終了につき…」だろうと思いつつ買い物かごへ入れる。初めて利用するとは言え大手通販サイトだから心配あるまいが、念のために支払い方法を代金引換にしておけば安心である。ちょっとしたギャンブル気分だった。すなわち注文が受け付けられたらこっちの負け、「すいませんフェア終了につき…」メールが来たら「してやったり」でこっちの勝ち。どちらに転んでもそれほどのダメージは受けない。メチャクチャに性格悪い所業だとは思うが。

 そしてわたしはあっさり賭けに負けたのだった。通販サイトからは何事もなかったように「ご注文ありがとうございます」とメールが送られて来た。配達日も予想以上に素早く、今度の金曜日の午前中だという。
 これで当分マンゴージュースのストックについて心配しなくて済むのだが、ラッキー♪ と単純に喜んでも居られない。先日買い込んで来た2本のストックの他に、さらに12本のマンゴージュースがやって来てしまうのである。ショッキングブルーのレンガが〆て14個。保管場所を考えておくのをコロリと失念していた。いったいどこに仕舞っておけば良いものやら。
 賞味期限は3ヶ月くらいあるハズだし、真空パックだから開封前は冷暗所保存でOKとは言え、少々アタマの痛い状況になってしまった。後先考えずに行動するからこういうことになるのだが、鶏アタマなので懲りるということを知らないらしい(とほほ)。




02/23 ヘンなグッズ

2005/02/23 15:39
 去年のクリスマス前だったか、マシンガンのような関西弁と可愛い声のギャップが大好きな浜田マリさんの番組「あしたま」の「あしたまにあ〜な的年末スペシャル2004」とかいうのを観た。この番組のコンセプトは「明日から上映開始になる映画や、明日出掛ける時にちょっとチェックしておきたい諸々の品々の紹介」である。明日の予定は決まりましたか? の決め台詞と共にトークを展開する浜田マリさん独特の突っ込みが楽しく、またうっかりノーチェックだった面白そうなものを再確認できたりもするので、気が付いた時には観てみることにしている。

 この特集中でいろいろなランキングをやっていて、その中の1つ「2004年 グッズ 買ってはみたものの…ランキング」というのが面白かった。読んで字のごとく、買ってみたけどイマイチだったものを10個紹介していて、堂々の1位は「ひざまくら」というグッズだった。このグッズ、実体は単なる枕なのだが、形が少々変わっている。ミニスカートを履いた女性が正座をしているところ(下半身のみ)、なのである。利用者は正座をした女性の膝(というか腿)の部分に頭を載せる趣向である。
 膝枕なんて、生身の人間にやってもらってこその嬉し恥ずかし気分だろうよ、と思わなくもない。モノが女性を模しているということはこの品物は男性向けなのだろうが、例えば独り暮らしの男性がこの枕を使ったら、かえって寂しい気分になっちゃったりしないのだろうか。シャレで買うのならともかく、たまたま遊びに行った先の部屋にこの「ひざまくら」が置いてあったとしたら、申し訳ないが思いっ切り引いてしまう。

 アイデアとしては面白いし、「ひざまくら」というネーミングもシンプルで可愛いと言えなくもない(ような気がする)。それがどうして「買ってはみたものの…」な気持ちを呼び起こすかというと、おそらく少々リアル過ぎるその形状のせいではないかと思う。もうちょっと記号化された「ひざまくら」であれば、見る者の心に生々しさとか物欲しげなドロドロ感とか、笑い飛ばすに飛ばせないシリアスな印象を残さないデザインだったならば、この枕はもうちょっとヒットしたのではないだろうか。
 「あしたま」を観てから、時々「そういえばあんなのあったな」と思い出すことがあったので、わたしが個人的に受けた印象はかなり強かったと見える。自分で買うことは絶対に有り得ないけれど、どんな人が買うんだろうというささやかな疑問を感じたりもした。それから2ヶ月、先週の某新聞土曜版に出ていた通信販売の広告ページに、この「ひざまくら」が載っていたので笑ってしまった。在庫が掃けないのか、息長く細々と売れ続けているのか知らないが、とりあえず今でも買おうと思ったら買えるらしい。

 その他このスペシャルで初めて知ったのは、横濱カレーミュージアムで売られていたという「カレーかき氷」と「まつたけの焼きカレー」。どっちも人気商品らしいのだが、わたしとしては食べてみたいようなやめときたいようなビミョーな気分である。カレー味のかき氷って、一歩間違うと水っぽいカレールウになってしまうような気がする。そしてカレーに松茸なんか入れたら、松茸独特のあの香りが飛んでしまいはしないだろうか。
 明智抄さんの短編に、そういえばまさにそういうストーリーのものがあった。ちょっとイイ感じの会社の先輩に誘われ、ウキウキ気分で先輩の実家へ遊びに行ったはいいのだが、思いがけない山奥に連れて行かれて松茸狩りをやらされるハメに陥るOLさんの物語である。憎からず思っている先輩のご招待。期待に胸膨らむOLさんの思惑がだんだん外れて行く「そんな馬鹿な」感と、松茸狩りの悪戦苦闘・疲労困憊っぷり、最後のオチが秀逸だった。明智抄さんは主に漫画家として活動なさっているのだが、時々発表する短編小説も、漫画と同じく一筋縄で行かない作品ばかりで大変面白い。

 もうひとつ思い出したヘンなグッズといえば「サンクステイル」がある。これは「あしたま」ではない何か別の番組コーナーで観たもので、自動車の車体後方上部にくっつけて後続車へ感謝の気持ちを伝えるためのギミックだそうだ。発案したのはpostpetの八谷和彦氏。単なる犬の尻尾的アクセサリではなく、運転席のステアリングに取り付けたコントローラで操作することができる。進路変更などで割り込ませてもらった時など、「どうもありがとう」の気持ちを表現するためにフリフリするらしい。
 今でもそういう場合の謝辞表明にはハザードランプの数回点滅をしたりするが、それでは少々無機質な感じがするし、ハザードランプ本来の使用目的からすると誤解を招きかねないということで企画されたという。どこか商品化してくれる企業はないかと募集していたのだが、カー用品の会社・ワコーが手を挙げてくれて、去年の12月にめでたく製品化・販売開始の運びとなったのだ。

 ホンモノの尻尾のようにふさふさしてはいないが、一応「尻尾風」のフォルムで、多少しなりのあるウレタンで出来ているらしい。両面テープとマグネットで車体に取り付け、ラジコンカーのように操作する。最初に見た時からメチャクチャ気になっているのだが、家人は「どーしてキミはそういう子供騙しなものに弱いかなあ」と呆れて相手にしてくれない。価格も5000円弱だというし、いいなあ、欲しいなあ…と諦め切れない気分なのだ。
 ただし話題になっていた割には実装車を見かけたことがないので、現実に使うとするとやはり少々気恥ずかしいものなのかもしれない。仲間内なら確かに受けも狙えるだろうが、シャレの判らない(かもしれない)見知らぬドライヴァー相手にふりふりするのも勇気が要りそうである。今後じわじわと普及していったら面白いのだがどうなることやら。個人的にかなりの要注目アイテムなのだ。




02/24 お犬様

2005/02/24 17:46
 ペットを飼いたいなあと時々思うことがある。ただしわたしは重度の猫アレルギーを持っているので、よほどの無謀さと覚悟がないと猫は飼えない。さらにウチの住人は2人とも気管支喘息の気があるため、羽毛の散乱する小鳥関係も無理である。そもそもアレルギー科の医師に「部屋の中で飼うとしたらトカゲとかカメとか、毛や皮膚片の落ちない動物にしなさい」と厳命されてしまっている。世の中にはイグアナファンやリクガメファンも多いと知っていても、わたしが愛でたいのはむくむくふわふわの小動物で、すべすべひんやりの爬虫類ではない。
 家の外で犬を飼うにしても、玄関を出たら即ガレージというウチの敷地状況では、犬小屋を置く場所もない。どれだけ一生懸命散歩に連れて行ってもらっても、自分が犬だったらこんな庭のない家で飼われるのはちょっとイヤだなと思う。家人があまり動物好きではないこともあり、ウチでペットを飼うのは夢物語だと半ば諦めている。

 犬を触りたいなーと思ったら散歩にでも出て、よそのお宅の飼い犬君たちと戯れるしかない。少女時代も同じようなことをやっていた。高校生になって迷子のロックちゃん(雑種・メス)と一緒に暮らすようになるまでは、近隣の飼い犬巡りがほとんど日課だった。ご近所のお宅の苗字が判らなくても、例えば「白いマルチーズを飼っている家」とか「尻尾の丸まった柴犬の家」と説明されれば判るという具合である。
 今の在所でも似たようなことをやっているのだが、最近の流行のせいなのか、それとも世の中物騒になったためか、庭や玄関先に繋いで飼われている犬がずいぶん減ってしまった。住宅事情もあるのかもしれないが、大抵はミニチュアダックスフントとかロングコートチワワとかの小型愛玩犬で、そういう子たちは当然部屋の中で飼われている。通りすがりの人間が気軽に挨拶できる環境には居ないのである。大変寂しい。

 近所のショッピングモールはどういう訳か、そういったペットの犬たちの社交場のようになっているらしい。モールができた当初から大々的に宣伝を打っていたペットショップもある。平日の昼間などに通りかかると、色とりどりの洋服を着た小型愛玩犬君たちで通路は溢れ返っている。じゃあここに集まる犬たちときっと仲良くなれるだろう、そう思ってわたしは大変楽しみにしていた。運が良ければ、顔馴染みになってくれる犬も出て来るかもしれない。ところがその目論見はハズレだった。
 これだけぞろぞろ歩いていると、どれか1匹だけ特別に愛でるのも何だかヘンな気がするし、そもそもよそ様の大事なペットちゃんにみだりに触るのも遠慮しなくてはいけないだろうか、と尻込みしてしまうのだ。モールの外でペット君たちに出会えるかというとそういうチャンスもない。彼らはおうちからクルマに乗せられてモールにやって来て、モール内を散策し、またクルマに乗っておうちへ帰って行くのである。見事な深窓のお嬢さま&おぼっちゃま揃いで、結局ここでも犬たちをただ眺めるだけで我慢しなくてはならない。

 そういえばここの有名ペットショップでは、開店当初、モール内を散歩する犬を貸し出しますというサーヴィスをしていた。ひと時だけでも「自分の犬」が居るような気分になるためというよりは、散策時のアクセサリーとして犬を貸し出しているような印象が強かった。貸し出される犬たちだって相当なストレスを受けるだろうし、そういうサーヴィスはどうだろうと思っていたのだが、やはり無理があったのだろう。最近はそれほど大っぴらに散歩犬レンタルはしていないようである。もしかしたらサーヴィスそのものを止めてしまったのかもしれない。犬たちのためにはそうであって欲しいと願うが。
 世の中の一部の人たちには、このモールを闊歩しているような小型愛玩犬君たちを「軟弱なイキモノ」として軽く見る人々も居るらしい。家人なども多少そういう傾向がある。「洋服を着せられて、靴を履かされて、帽子まで被せられてまるでオモチャ扱いだ」と、憤慨したり阿呆臭く思ったりするのだそうだ。口の悪い家人は「ペット馬鹿と馬鹿ペット」と陰口を叩いている。

 帽子やアクセサリーはもちろん行き過ぎだけれど、わたしとしては、服や靴くらいは大目に見てあげて欲しいなと思う。確かに自分に属するファッションアイテムのひとつとして愛玩犬を扱い、その延長線上で無闇に着飾らせるトンデモな飼い主さんたちも少なくない。とは言え、本当に我が子同然に可愛がり、当然の愛情表現としてお気に入りの服に凝ってしまう飼い主さんも居る。もしかしたら少々いびつな愛情表現かもしれないけれど、「馬鹿」と切り捨てるのはちょっと切ない。
 聞いた話では、特に最近の小型愛玩犬君たちはどんどんサイズの小型化が進んでいて、既に自分で体温調節ができなくなっているのだという。ヨークシャーテリアとかロングコートチワワなど、少しでも小さく育つように極端に小柄な両親を選ぶことも少なくないらしい。小さく生まれた犬たちは、普通サイズの仲間たちに比べてもともと体力がない。冬場などちゃんと服を着せてもらわないと風邪を引いて、それが命取りにならないとも限らないと言うのだ。

 犬たちをそんな運命に追い込んだのはもちろん人間である。個人的により罪深いと思うのは、実際にペットとして家に迎え入れ、精一杯可愛がる善良な飼い主たちよりも、流行の犬種や流行のサイズを無闇に作って売ろうとする、一部の心無い業者である。ちょっと前にも『動物のお医者さん』に出てきたシベリアン・ハスキー騒動があったし、最近ではティーカップ・プードルが難産になってしまって悲惨な目に遭っているらしい。犬と言ったら安産のしるしというのはもう当たらないのだ。
 もうちょっと自然な状態の犬たちを愛する、そういうブームが来ないものだろうか。昔の愛犬・ロックちゃんのような、丈夫で可愛くて賢かった雑種なら、タダでもらえちゃったりするんだけどなあ。ファーレイ・モウワット氏の名著『犬になりたくなかった犬』のマットだって雑種だったのになあ。そんなことを時々考えるのである。




02/25 熊の霍乱

2005/02/25 20:43
 家人が風邪を引いた。昨夜から調子が悪いとボヤいていたし、いつもと違う変な顔をしてもいたので、おかしいなと思っていたら案の定である。昼過ぎに携帯メールが入り「熱出しちゃった」と言う。さっさと帰って来られれば良かったのだが、そういう時に限って外せない仕事があるらしく、とりあえず青息吐息で仕事をしているらしい。ご苦労なことである。調子が悪いのなら、昨夜だってとっとと床に就けば良かったのに、今朝訊いてみたら家人の就寝時間は2時半だったというからちょっと呆れる。そんなことしてるから悪化するんだってば。
 ともあれそういうことならば晩御飯のメニューを変更しなければなるまい。家人は社会人になりたての頃、義弟君に麻疹を感染されて40度の熱を出したことがあるのだが、そんな状況でもマカロニグラタンを大皿に2杯平らげたという伝説を持っている。わたしから見れば奇人変人大集合の境地である。体調不良でも食欲があるのはいいこととは言え、この時期の風邪というと、ひょっとしたらインフルエンザの可能性もある。若い時と今とでは、さすがの家人も体力が違うだろう。あんまり胃にもたれるメニューを食べさせたら、かえって戻してしまったりして消耗する恐れがある。

 そういうわたしも今日はちょっぴりお疲れモードである。別に風邪を引いたとかいうことではないのだが、今朝起きたら雪がかなり積もっていて、玄関ドアから表の道までかき氷のようなじゅくじゅくの雪が一面に広がっている。こんな中を歩いたら足が濡れて不愉快だし、玄関先で誰かがうっかり滑って転んだりしたら申し訳ない。特に隣家の義父母は心配である。休日の積雪であれば問答無用で家人に雪かきしてもらうのだが、あいにく今日は他にやる人間が居ない。それほど深い雪ではないので1時間ほどで済んだが、やりつけない作業なので相当な重労働に感じたのだった。
 終わったと思ったらそこへ宅配便屋さんが登場。例のトロピカルアイランド印のマンゴージュースのご到着である。1リットル入りのが12本なので、荷物は当然12kg。玄関先から台所まで運ぶのに、雪かき後の疲労もあってヒーフー言ってしまった。収納場所にも苦労する。あちこちに分散させて仕舞い込み、やっと朝の一仕事が終了である。とは言え今後しばらくはマンゴージュースを飲み放題かと思うと、ちょっと頬が緩んだりもするのだが。

 風邪引き家人とお疲れのわたし、消化が良くて栄養があって美味しいメニューと言ったら中華粥が一番だと思う。幸い、家人からの連絡が早めに入ったので、ことことお粥を煮込む時間はじゅうぶん取れる。やはり美味しいお粥を食べたかったら米から炊くに限る。
 具を何にしようかと食糧倉庫を捜索したら、ちょうど良く干し貝柱と干しえびと、白・黒2種類のきくらげが出てきた。干し貝柱や干しえびからは美味しいだしが出るし、よーく煮込んだぷるぷるのきくらげはメチャクチャに好物である。この際だからどっさりと贅沢に放り込むことにする。
 にんにくと長ネギのみじん切りをごま油で炒め、研いで水に漬けた米を加えてさらに炒める。干し貝柱の戻し汁を加えた水を入れ、とりがらスープの素と紹興酒も入れ、ほぐした貝柱に干しえびときくらげも放り込んであとはひたすら煮るだけ。アクさえ引いておけばまず失敗することもない。

 目分量で作ったので思ったよりたくさん出来てしまったが、残ったのは明日食べることにする。胃腸の調子が良ければ、これにラー油をひと垂らしするとか、粗挽きコショウでアクセントを付けるとかしてもいい。ざく切りのレタスを加えてさっと火を通すのでも、歯ざわりが変わっていい感じである。レストランでは良くトッピングとして、揚げたにんにくチップや春巻の皮などを添えてあるのだが、わたしは揚げ物が怖いのでこういうのは却下である。無駄にカロリーを上げることもないと思うし。
 ところで自分が風邪を引いた場合なら、昆布だしで炊いた白粥に梅干が一番なのだが、そういう場合に果たして家人がちゃんと米からお粥を炊けるだろうか。ううむ無理だろうなあ。教えても覚えてくれるとは限らないしなあ。そう思うとちょっと切ないのだった。




02/26 メチャクチャやかましい病人

2005/02/26 22:49
 相変わらず風邪でダウン中の家人である。いつもであれば体調不良を訴えても、大概は頭痛がするとかくしゃみ・鼻水が出るとか、そういった軽い症状だけで済むことが多い。しかし今回は8度を超える熱を出しているのでかなりしんどそうである。この時期に発熱ということは、もしかしたらインフルエンザかもしれない。もしそうだとしたらおそらくわたしも無事では済まないだろう。内心困ったことになったと、ちょっとだけ舌打ちする気分であった。今までの例からすると、同じインフルエンザに罹っても、より重症化するのはわたしなのだ。
 近所にできた中規模病院を心底ありがたく思いつつ、待合室が開く8時になるやならずで連れて行く。土曜日なので相当混むことが予想され、しんどそうな家人を人混みの中で長時間待たせるのは忍びないと思ったのだった。本当は保険証だけ持たせて自力で歩いて行かせるつもりだったのだけれど、滅多に出さない8度台の熱にヨレヨレの家人は「歩けるもんか」とゴネる。仕方ないので車を出すことにした。徒歩5分の病院に行くのに車でお見送り。なかなかの甘やかしっぷりだと思うが、たまのことだし、許されるだろう。

 検査の結果、インフルエンザは陰性だそうなので一安心である。家人にいろいろ訊いてみたところ筋肉痛とか関節痛がないということだったので、まあ普通の風邪だろうと思ってはいたのだが、晴れてそれが証明された訳だ。ざっくばらんな感想を言えば、もし今回の家人の風邪が本当にインフルエンザだったならば、こんな程度の騒ぎでは納まっていなかったハズだと思う。病気慣れしていない家人のこと、体調不良についてのリアクションはお見事と呼ぶほかないほど大々的なのだ。
 唸る。大袈裟にヘタレた顔をする。床を転がったり椅子の上で丸まったりする。ともかく全身で「体調不良でしんどいぞ!」というのをアピールし尽くすのである。千葉に居た頃、最初にこういう状態の家人を見た時は、いったいどんな瀕死の重病に罹ってしまったのかと思って心底仰天したものだった。7度5分以上の熱でこうなると判った後は正直拍子抜けしてしまった。7度5分なんてわたしの標準から言うと微熱である。家人と平熱はそう大して変わらないのだが。

 隣家の義母に聞いたことがあるのだが、家人のこの傾向は子供の頃から変わらないらしい。普段滅多に熱なんか出さないものだから、たまにちょっとした発熱をするとこの世の終わりのごとく騒ぎ回るのだそうだ。対するに義弟君が病気になった時は、じーっと黙って大人しく床に就いているらしい。どちらの病状がより深刻かと言うと、大抵の場合は義弟君の方がずっと重いのだというからちょっと笑ってしまう。
 具合が悪い時は、わたしも義弟君タイプの「じーっと黙って寝ている」クチである。というよりも、基礎体力の関係で、病気の時に騒ぎ回るなんてことは到底できない、というのが正解なのだ。唸ったり、しんどさを表情でアピールしたり、ましてや床を転がったりするような余分な体力がない。家人の騒がしい病人っぷりは有り余る体力のなせる業という訳で、逆に言えば家人が静かになった時こそが本当の緊急事態なのだろう。

 という訳で今回も、家人の騒がしさは相当のものだろうなと予想された。万が一インフルエンザだった時のことを考え、まあ無駄だろうとは思いつつもやらないよりはマシだと隔離政策を取った。つまり家人を寝室に落ち着かせた後、わたしは階下の居間で寝ることにしたのである。よりによってこの冬一番の寒波が来ているらしいが、ホットカーペットと石油ファンヒーターを併用すれば何とか耐えられないこともないだろう。とは言えホットカーペットを敷いただけの固い床で寝るのはちょっとばかりしんどかった。ソファもあるのだが、ソファには電熱線が通ってないから仕方がない。
 しかしこの隔離政策は甘かった。ほぼ2時間ごとに、咽喉が渇いたとか小腹が減ったとか、氷枕の氷が融けたとか、単に目が覚めちゃったとかで家人が階下に下りてくるのである。その度に否応なくわたしも起こされる。多少しんどくて居たたまれなくても、我慢して横になっていなければ余分な体力を消耗するから無闇に歩き回らずに寝ていなさいと忠告すれども、熊の耳に念仏状態である。

 この立場が逆だった場合どうかというと、風邪を引いたわたしは寝室を放逐され、暖房もない仕事部屋に床を延べなければならないのである。動き回る元気もないからじーっと回復するまで眠っているのだが、その間家人は家中を好き放題に使い倒し、口うるさいわたしの居ない束の間の楽園を満喫する。起きられるようになった後、居間を覗いてみて散らかり具合にびっくり、ということも珍しくない。
 年に1回あるかないかの家人の風邪引きに対し、わたしがダウンするのは年中行事だから、この待遇格差も止むを得ないと家人は主張する。確かにこれまではそうかもしれないけれど、朝御飯奨励とスポーツクラブ通いでだいぶ丈夫になったわたしとしては、今後はその頻度が逆転するかもしれないじゃないか、と密かに思ったりもする。そうなった後もこういう状況が続いたら、これはかなりの不条理である。断固改善を要求せねばなるまい。

 それにしてもつくづく思うのは、麻疹で40度のマカロニグラタン2皿伝説の物凄さである。義母は笑い話のように語っていたが、40度の発熱中の家人が一体どんな風に唸ったり転がったりして大騒ぎしたのか、想像するだにげんなりした気分になる。その上要求される食事がマカロニグラタン(しかも2皿)なのだから、義母もさぞかし呆れたことだろう。母の愛は海より深いんだなあとしみじみ思うのであった。




02/27 アロマテラピー

2005/02/27 23:02
 家人の場合、今までは熱を出してもせいぜい1晩寝込めば回復していたのだが、今回はどうも勝手が違うようで、2晩経っても8度台から下がらない。医者でもらった頓服を呑んだ後しばらくは6度台まで下がるのだが、クスリの効果が切れるとまた元の木阿弥である。症状的には咳・咽喉の痛み・鼻水・くしゃみなどのいわゆる風邪症状が顕著になってきたし、初期には全然出なかった汗もだいぶかくようになったらしい。とりあえず順調に風邪のステージを消化しつつあるので、後は消化の良いものを適宜食べさせ、水分をどっさり摂らせて暖かくして寝かせておけば良い。
 ともかく安静にするのが一番なのに、今日は休日出勤しなければならないという。しかも夜勤。あまりに心配なので誰かに代わってもらってはどうかと訊いてみたのだが、普段の休日夜勤と違って家人本人がやらなければならない作業が入っていて抜けられないらしい。よりによってかつてないキツい風邪引きが、ここしばらくで一番の繁忙期に重なってしまったと言うのだ。家人の顔付きからすると峠は越えているようなのだが、そこで無理をすると長引くというのは経験から身に染みて知っている。できれば休ませたいのだが、どうしても行かなくてはと言うので、休日の大混雑の駅まで送って行くことにする。

 せめて少しでも快適に過ごせるようにと、タオルや着替えなどを少々余分に詰めた。マスクが欲しいそうなので、去年買ったガーゼのを出して来る。おでこに熱冷まし用シートを貼り付け、その上からバンダナなどを被ってカモフラージュしてはどうかという提案は却下された。その出で立ちならば多少無精ひげを生やしていても、服装がちょっとばかりヨレヨレしていても目立たないよと言ったのだが、キャラというか美意識に合わないらしい。
 ちょっと思いついて、ガーゼマスクの中綿というか折り畳まれた中心部に、ペパーミントのエッセンシャルオイルを垂らすことにした。鼻がぐずぐずするとボヤいているので、ペパーミントオイルの清涼感が呼吸を少しは楽にしてくれるかもしれない。3滴にしようか4滴にしようか迷っていたら手元が狂い、ポタポタッと5滴ばかり落ちてしまった。ちょっと多かったかな? と内心思いつつ家人に手渡すと、さっそく着けてみて息を吸い込み「うひゃあ」と飛び上がった。やっぱり多かったらしい。とりあえずしばらく放置して、香りが多少飛んだところで使ってもらうしかない。

 特にアロマテラピーに凝っている訳でもないのだが、アロマキャンドルやお香をいただくことが結構多いので、成り行きでウチにはアロマポットも置いてある。肝心のエッセンシャルオイルは今はペパーミントしかないのだが、ちょっと前はジュニパーベリーとラヴェンダーを時々使っていた。ペパーミントオイルを家人のマスクに垂らしたのでちょっと思い立ち、ついでに半自家製の洗顔フォームを調合してみることにする。
 先日まで「コラージュD」という洗顔フォームを使っていて、乾燥肌・敏感肌用を謳っているだけあってずいぶん洗い心地が良かった。ポンプを押すと洗顔料が空気と混ぜ合わされて泡になって出て来るという最近流行りの方式で、洗顔料を無駄なくきちんと泡にできて気に入っていたのだが、とうとうなくなってしまったのだ。次も同じものを買おうかなと思ったのだが、1本1500円というのがちょっと高価いし、以前ストックしてあるチューブ入りのを消化してしまってからの方がいいような気もする。考えた末、チューブ入りの洗顔料を水で溶いたものを「コラージュD」の空きポンプに詰め替えて使ってみることにした。

 本当はそういうマニュアル外の使い方はしない方がいいのだが、2〜3回分くらいの少量ずつをその都度薄めて詰めるのであれば特に問題はないだろう。試しにやってみたところ、泡立ち具合はまあ合格点なのだが、どうも洗い心地が少々突っ張る感じがある。「コラージュD」が特別良かっただけで、このチューブ入りのもちゃんとクリーム入りだったりするのだが、うるおい成分か何かがやはり違うのだろう。むーんとしばし熟考。半自家製使い切りのメリットを活かし、うるおい成分をこっちで足しちゃったらどうかと思いつく。
 折り良く(?)家人の使っていた氷枕に穴が開いたので、新しいものを買いにドラッグストアに行くことになった。ついでにグリセリンの小さいボトルを買って来る。オリーヴオイルという手も考えたのだが、洗顔フォームは水溶液状態なので、ちゃんとミセルになるかどうか確信が持てなかった。たまたまウチにあるのが不純物の多いエキストラヴァージン(料理用)だけだったこともあり、今回はグリセリンだけでいいことにする。エキストラヴァージンを使い切ったら次に新しく買う時にピュアオリーヴオイルを選ぶことにしよう。

 空きボトルには水で薄めたチューブ入り市販の洗顔料とグリセリンにペパーミントオイルが数滴。試しに洗ってみたら「コラージュD」よりは劣るもののなかなかいい感じである。ただしやっぱりペパーミントオイルがちょっとだけ多かったようで、相当にメントール風味の「目が覚める」洗顔フォームになってしまった。夏場だったら大層気持ちいいような気がするが、いくら花粉症の季節とは言え、もうちょっと穏やかなレシピでも良かったかもしれない。
 本当はアトピー性皮膚炎にいいというジャーマンカモミールオイルを入れてみたいのだが、生憎手持ちを切らせている。半自家製洗顔フォームがなかなか良さそうなので、よせばいいのについついまたネット通販でジャーマンカモミールオイルを注文してしまったのだった。ついでに花粉症の症状を和らげる配合の、季節限定アロマオイルとやらも買い物かごに入れてみずに居られなくなる。久しぶりにアロマポットでこのオイルを焚いたら、家人の花粉症も軽くなるかなと思ったのだった。

 2本のオイルが届くのが楽しみなのだが、良く考えるとこのアロマオイル2本で、「コラージュD」1本よりもずいぶん高価く付いていることになる。半自家製洗顔フォームで節約したつもりが飛んだ無駄遣い。何やってんだろうと我ながら呆れるのだった(とほほ)。




02/28 長引いている

2005/02/28 23:03
 わたしの知る限り、今回ほど家人の風邪の回復が遅れているケースは初めてである。熱は未だに上がったり下がったりを繰り返し、顕著な症状として新たに「咽喉の痛み」が強くなってきたらしい。覗いてみると咽喉の奥が真っ赤になっていて、声を出すのも辛い様子である。そのせいで唸り声は止んだのだが、明け方近くまでの2時間置きの活動は相変わらずで、わたしも寝不足突入後4日が経ってしまった。
 インフルエンザではないと判明したのだし、感染る時はどうせ感染るのだから、寝場所を寝室に戻そうかとも思うのだが、おそらく家人の隣ではやっぱり安眠できないだろうなと思ったりする。2時間置きに階下へ降りて来るということは、ベッドの中ではそれ以上に苦しがってジタバタしているはずで、経験上そういう人物の隣ではわたしは碌に眠れたことがない。いっそのことわたし自身が風邪を引いた時に隔離される仕事部屋へ避難しようかとちらりと考えたが、この部屋には暖房できるエアコンがない上に底冷えがする。そんな訳で相変わらず、居間のホットカーペットの上で肩を凝らせつつまんじりとしているのだった。

 熱が出て、その後いろいろな呼吸器症状に移る。まあ大抵の風邪はこういうコースを辿るのだろうが、今回の家人の風邪、最近大流行しているものとそっくりに思える。身近な例では3週間ほど前、神戸の祖母が亡くなった頃に母が引いていた風邪の症状とほぼ一致している。8度台の熱がしぶとく続き、その後咳と咽喉の痛みが激しくなるのだと母は言っていた。さらにその後、熱が下がってから胃腸の症状が出るらしく、母の談では「ホントになーんにも食べられなくなっちゃったよ」だそうである。
 今のところ家人の食欲はそれほど衰えていないが、今後もしかしたら「なーんにも食べられない」状態に陥るのだろうか。減量作戦中の家人のこと、もしもそういうことになったら勿怪の幸いである気もするが、良く考えればやはりそういった形でのウエイトダウンは長続きしないし不健康である。だいたい「食欲ないからご飯食べたくない」などと家人が言い出したら、なんだかこの世の終わりっぽい気分になるだろう。咽喉が痛くても、胃の調子が悪くても、比較的食べやすいメニューはどんなのがいいだろうかと考えて、この2、3日は料理ばかりしているのだった。

 真っ先に思いつくのは流動食、つまりはスープの類である。そして病気の時にサラダを食べるのはしんどい(ような気がする)が、その分不足しがちな野菜をスープにしたら良いかもしれない。特に緑黄色野菜のスープなら咽喉にもいいだろう。仕事が早く終わったら家人が早退して来る予定だったため、今日はわたしもできるだけ留守をしないようにしていたので、その間にちょっと時間をかけて野菜スープを作ってみることにした。
 材料はブロッコリー(軸の部分)、タマネギ、キャベツ、白菜、にんにく。ウチでは温野菜サラダに良くブロッコリーを使うのだが、その軸の部分をサイコロに切って、ミネストローネ用に冷凍庫にストックしてある。しばらく前から、その在庫を一端全部片付けるチャンスを狙っていたこともある。にんにくはみじん切り、ブロッコリーの軸はサイの目、他の材料は全部粗みじんに刻んで鍋に放り込む。油は敷かずに弱火でじっくり炒め、しんなりしたら白ワインと水とコンソメキューブとローリエの葉っぱを放り込んでひたすら煮るだけである。

 1時間も煮れば鍋の中身はおおよそ原型を留めないシロモノに変化する。しゃもじで大雑把に潰し、ハンドミキサーでペーストにした後、いつもならかけないひと手間でこのペーストを裏ごしした。野菜の繊維が残っているのが咽喉に当たったら痛かろうと思ったからだったが、この裏ごし作業が今回のスープ作りのボトルネックと判明する。半分ほど裏ごし終わった段階で草臥れ果て、裏ごし行程はギヴアップしようか半ば本気で悩んだものの、ここで挫折したら終わった分の裏ごしの苦労が水の泡になると思い直したのだった。いつかTVの料理番組で見たハンドル付きの裏ごし器・ムーランが欲しいなあとちょっと心惹かれる。
 四苦八苦の末に裏ごしが済んだら、水と無脂肪乳を加えてとろみを調整する。最後に味を見て、白コショウをひと振りすればうぐいす色のポタージュの出来上がりである。バターもクリームも使っていないのでかなり低カロリーだが、野菜の密度が高いのでそれなりに旨味もコクもあるのではないかと思う。

 ちょうどそこへ、仕事を早仕舞いした家人から「迎えに来てくれ」と連絡が入る。咽喉が痛くてお昼ご飯をちゃんと食べられなかったと言うので、できたてホヤホヤの野菜スープを試してもらうことにした。普段なら省いてしまう裏ごしの手間、ひりひり痛む家人の咽喉に優しいだろうか。ちょっとわくわくしつつ見守り、飲み終わったところで訊いてみる。「どないだす?」
 返って来た家人の返事にわたしは少々がっくりしたのだった。「うん、美味しいんじゃないかな? 今クチが馬鹿になってるから、ほんとはどんな味なのか、いまいち良く判んないんだけどね」。なるほどうっかり忘れていたが、風邪引きの時は確かに微妙な味なんか判らないものだっけね。病気の子供のリクエスト定番「桃の缶詰め」のように、口当たりと咽喉越しの良し悪しが決め手となる訳だ。

 ということは、今なら家人が苦手とする野菜も、スープにしてしまえば食べてもらえちゃうのかもしれない。密かに「よし次はセロリスープだな」と目論みつつ、他にはどんなものを作ろうかとネット検索に励むのであった。