徒然過去日記・2005年4月

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04/01 エイプリル・フール

2005/04/01 16:45
 といっても、最近は全然「四月馬鹿遊び」をやっていない。凝った仕掛けを考えるのも面倒臭くなってしまったのと、担いで遊ぼうにも想定される対象者がウルトラ・スーパー・リアリストの家人しか居ないため、労多くして功少なしな状況が予想されるためである。うっかりキレイに騙してしまったりしたら、憤懣やる方ない(と見せかけてもしかしたら照れ隠しの)家人が怒り出すことも有り得る。平穏な家庭を保つためには、余計なことはしないに限るのである(ちょっと詰まらないけど)。
 遊び心満載の母などは、昔はエイプリル・フールに子供たち3人を巻き込んでの大掛かりな芝居を打っていたものだった。記憶に残っている一番大規模なものは「末の妹が階段から落ちて骨折してしまい、母と娘3人は病院に行っています」という一幕物である。父が帰って来る頃合いを見計らい、玄関の灯や門灯を除いて総ての照明を落とす。ダイニング・テーブルの上に母の書いた「病院へ行っています」の置手紙を残し、女4人は銘々押し入れの中とかソファの後ろなど、自分の取って置きの隠れ場所へ身を潜めるのである。

 父が大慌てでクルマに飛び乗って病院に向かおうとしたらネタばらしする予定だった。普段あまり驚いたり取り乱したりの表情を出さない父の慌てっぷりを見てみたいという、何とも人の悪い動機から仕組まれた四月馬鹿である。「迷惑を掛けない可愛い嘘で他人を騙しても許される日」という定義からは少々外れるだろうが、結果として不発だったのでお咎めナシでもいいだろう。
 母と娘3人がドキドキして待つことしばらく、父が帰って来た。ピンポンを鳴らしても誰も出ないので自分の鍵でドアを開けて入って来た様子が聞こえる。アクリル製の玉暖簾(というのだろうか、十円玉大のアクリルビーズが連なった良くあるヤツ)を潜って、今キッチンに入った。電灯を点けた音がする。とするとそろそろダイニング・テーブルの上の置手紙に気付いたのではないか? うむきっと今頃読んでいるに違いない。

 父が踵を返し、キッチンから出た気配がする。おおいよいよ病院へ向かってご出立だろうか? そう思いきや、彼はキッチンの隣にあるトイレ照明を点け、おもむろにドアを開けたのだった。その中には母が息を殺して立っている。置手紙作戦はバレてしまうだろうが、ひっそり隠れている母と鉢合わせして驚く父の声が聞こえるかと耳を澄ませていると、さも呆れたような「…阿呆か、お前たちときたら」という父の声と、「ごめーんバレちゃってた。みんな出ておいで」という母の苦笑めいた声が聞こえて来てドキドキ大作戦は終了してしまった。
 夕飯時にタネ明かしをした父によると、幾ら息を潜めていても、4人もの人間が隠れていれば(しかもうち3人は子供で、全員1階に居たとなれば余計に)人の気配がするものなのだそうだ。それに照明は落ちていても「さっきまで人が居た」雰囲気の温もりや空気の流れなどが感じられるし、ほぼ完成品である晩御飯のおかずの匂いもぷんぷんしていたらしい。そもそもバスを降りた段階で「今日はエイプリル・フールだから何かやらかすのだろう」と予想がついていたというから可愛くない。そこまで見抜いていたのなら軽くノッてくれたって良かったのに。

 とはいえ、エイプリル・フールのつもりで吐いた可愛い嘘を本気と思われても困ってしまうかもしれない。今はなきBBCの日本語放送では毎年エイプリル・フールの嘘放送が恒例だったのだが、ある年「ビッグ・ベンをデジタル時計にする。ついては不要になる時計の針8本を先着順で希望者にお譲りするので、欲しい方はご連絡下さい」とやった。そんなこと嘘だと判りそうなものだが、信じ込んだリスナーからの希望が世界中から殺到して大騒ぎになってしまったらしい。一番乗りは太平洋上かどこかの船乗りさんだったそうである。
 わたしが短波ラジオでBBC日本語放送を聞くようになる遥か以前の有名なエピソードなのだが、スタッフは相当懲りたらしい。恒例の嘘放送自体はその後もずっと続いていたが、4月1日の放送では冒頭に「今日はエイプリル・フールなので嘘のニュースも流します、ご注意下さい♪」というアナウンスを入れていた。そんなことしないでも見え見えの嘘放送ばっかりだったのだが、「ビッグ・ベンの針プレゼント」を信じる人が山ほど居たとなると、念には念を入れて正解だったのかもしれない。

 某巨大匿名掲示板でも恒例の小ネタが実行されている。例年ちょっとしたお祭騒ぎになる某スレッドは今年は大人しいので面白くないが、代わりに各板ごとに日付の年号が「皇紀2665」とか「プロ野球歴71」とか「2ちゃん歴06」とかに変わっている。どの板がどういう年号なのか見比べるのも楽しそうである。
 そして今日限定ではなく、しばらく前から立っている某スレッドがめちゃくちゃ面白い。「子供の頃から楽天イーグルスのファンだった奴集合!」というスレッドで、読んで字の如く、楽天ゴールデンイーグルスの架空年代史が語られている。このスレッドによれば楽天は日本プロ野球黎明期から存在し、数々の名(迷)監督、名(迷)選手、名(迷)助っ人外人たちを輩出したオモロイ球団ということになっている。本拠地は静岡草薙や川崎球場、仙台を始めとして満州、ローマ、山手線各駅(山手線一周時代と呼ぶらしい)と様々に変遷しているのだ。

 先日はついに簡単なものながらまとめサイトまでできてしまった。プロ野球に詳しい方ならば抱腹絶倒間違いなしの、稀に見る良スレッドと言えるだろう。それぞれの選手のエピソードなど、一部は水島新司氏の『あぶさん』から来ているらしいのだが、モデルが判ったらもっと楽しいと思う。ちなみに珍プレーで必ず登場する元中日・宇野選手のフライおでこキャッチも登場していた。
 ちなみにわたしが一番気に入ったのは「三振→三振→三振振り逃げ→三振振り逃げ→さよならホームラン」の1イニング4三振を奪いながら敗戦投手となった「小松投手」であった。こういうのを読んでしまうと、リアルの楽天も応援したくなるから不思議である。




04/02 突発的大流行

2005/04/02 19:03
 平均して毎日トータル250gほどのヨーグルトを食べている。一般的な100g入りカップで考えれば2個半だから、摂取量としてはかなり多いのではないだろうか。以前TVで観たところによればトルコでは、1日1人平均ヨーグルト摂取量は1リットル(!)というから、それに比べればまだまだ可愛いものだ。500ml入りパックでも2日で空いてしまって不経済だし、乳脂肪分も馬鹿にできないので、無脂肪乳を使って自宅でヨーグルトを仕込んでいる訳である。
 無脂肪乳そのままでは醗酵させてヨーグルトになっても粘度が低い。ドリンク・ヨーグルトにしては流動性が少ないし、かなり中途半端な出来なので、仕込む時にスキムミルクを足している。無脂肪乳を鍋で一端加熱殺菌するのだが、その段階でスキムミルクを入れて溶かしておくのである。無脂乳固形分が増えるからだろう、仕上がりのヨーグルトは程好い固さになってくれて、スプーンでも掬い易くなる。1度に1.6リットルくらい仕込めば、次のバッチの種ヨーグルトを足して、ほぼ1週間で食べ切るサイクルが確立している。

 数日前に某巨大匿名掲示板の「自家製ヨーグルト」スレに書き込みがあった。なんでも少し前に「スパスパ人間学」という番組でスキムミルクが取り上げられたために、全国のスーパーの店頭からスキムミルクが消えたのだそうだ。おそらく低脂肪なのでダイエットにいいとかそういう紹介のされ方だろうとは思うのだが、おかげでスキムミルクが突然馬鹿売れし始めた。空っぽの棚の前には「生産が追い付かないため次回入荷は未定です」という札が出されているのだという。無脂肪乳ヨーグルト作成組としては大きな迷惑である。
 少し前には「花粉症にはヨーグルト!」という内容が、また別のTV番組で放送されたことがあるとかで、その時も各メーカーのプレーン・ヨーグルトが軒並み品薄になったり、店頭価格が跳ね上がったりという事態に陥った。1ヶ月ほどで熱も冷めたのか、増産体制が整ったのか、一時の狂乱状態は収束した。今回のスキムミルク騒動もそのくらいで収まるだろうとは思うのだが、困るのはウチのスキムミルクの在庫である。あと1回仕込む分くらいしか残っていないのに、次のが買えなかったらどうしよう。見掛けたら買っておいた方がいいのだが、今日ついつい買い逃してしまった。最寄のスーパーで早く店頭に復帰してくれるといいのだが…。

 話に聞いたところではこういう事態に素早く対応するために、大手スーパーの仕入れ担当さんたちが毎週チェックしている番組があるのだという。今回の「スパスパ人間学」のほか、「あるある大辞典」とか「おもいっきりテレビ」とかが要チェックらしい。メーカーさんサイドではそういう番組で取り上げてもらうための丁々発止が日々なされているのではないか、と勘繰ったりもしてしまう。ただもしもそんな風に出来試合めいた騒動なのだとすれば、店頭からブツが消えるという事態も起こりえないだろうか。
 誰かが笛を吹けばたちまち踊りだす、なんとも単純というか素直というか、右向け右の日本人気質が現れているのかもしれない。いやだなあ、と思ったりもするけれど、良く良く考えると、数年前にはTVでシジュウム茶の効能を知らされて飲み始め、つい最近はやはり各方面の紹介記事を読んでコエンザイムQ10を呑み始めたわたしも、紛うことなき日本人気質を発揮しちゃっていることになる。シジュウム茶もコエンザイムQ10も、そういえば2回目購入時くらいから急に品薄になって、定期的に確保するのがずいぶん難しかったっけ…。

 健康食品関係ではそういう「猫も杓子もスキムミルク」現象が起こるのは理解できるとしても、どうしても不思議に思うのは、なぜファッション関係でも同様のことが有り得るのだろう、ということである。最近、近所のショッピング・モールなどへ出掛けると、「ジーパンに細身のショート丈テイラード・ジャケット」な人々がうじゃうじゃしていて驚いてしまう。確かにシルエットはすっきりしているし、ジャケットを春色にすれば可愛い系、落ち着いた色にすればシック系とヴァリエーションも豊富だろう。いいな、と思わないでもない。
 けれど例えばお友達と誘い合わせて遊びに行く時、そういうコンビネーションを選んだらモロに「かぶる」危険性はないのだろうか。まさかわざとお揃いにしている訳もあるまいが、そっくり同じアイテムを色違いで着ているとしか思えない集団を見るにつけ、なんとも説明しようもない不可思議な気分に囚われてしまうのだった。ファッション音痴のわたしがコメントすることでもないのだろうけれど。




04/03 内と外

2005/04/03 18:37
 洗濯しながらぼんやりとBSを観ていたら、海外ドキュメンタリーの時間に宇宙物理学(?)の話をやっていた。ひも理論とM理論のお話で、宇宙を説明する統一理論はどこまで完成しているか、というような内容である。10次元とか11次元とかが舞台の、しかも数学的アレコレを説明されても視聴者にはさっぱり判らないので、ごくごく簡単に端折って(おそらくはほんのアウトラインを)紹介してくれていた。ビッグバンの瞬間だとか、平行宇宙の存在とか、どこまで説明できてどこからが「まだこれから」なのか、ちょっとだけ覗いたような気分である。
 グラビトンとか超対称性粒子とか、ひも理論を証明する理論粒子の数々を、米国フェルミ研究所のでっかい加速器を使ってずっと探しているのだという。見つかったら全世界の物理学者たちは大パーティを開いてお祝いするらしい。メンデレーエフが元素の周期律を発見して未知の元素の存在を予言した後、ガリウムが発見された時の化学者たちの感動と似ているのだろうか(ううむ古い例しか思いつかない)。

 案内役である有名な物理学者の先生(お名前を失念してしまった)によれば、ひも理論にしろM理論にしろ、研究すればするほどその底なしぶりが判ってくるらしい。2部屋のアパートを借りたつもりが、入居してみたら部屋数がいくつか見当もつかない大邸宅だった、という表現をしていた。研究とはそういうふうに、探ってみたら奥深かったというケースが多いだろうが、「これだけ数学的に完璧な理論がハズレだということはあまり考えたくない」そうなM理論、正しい方向に進んでいるという印の物的証拠であるグラビトンや超対称性粒子が早く見つかるといいなと思う。
 底が知れないというとやはり人間の脳とかココロとかもそうだろう。良く言われる「人間は脳の機能の10%しか使っていない」という言葉を思い出す(50%だったっけ?)。ココロに至っては人体のどこに存在するのかも、確実には判明していないのではないだろうか。どう考えてもココロの所在が脳だけとは、わたしには思えないからである。大部分は脳みそなんだろうけど。

 個人的な考えというか妄想では、人間のココロをずっとずっと奥深く探っていくと、一番奥底には地球生物共通の「集合意識」のようなものがあるのではないか、と思っている。で、その集合意識みたいなものは、どこかで外側の宇宙そのものに繋がっているのではないか、とも思う。おそらく子供の頃に読んだトンデモ本の記事でそういうことを思いついたのだろうが、「自分の中に宇宙がある」という可能性を想像するだに素敵なので、気に入って今でもなんとなく信じているのだ。
 地球が歴史を重ねてのべ人数がどんどん増えるにつれ、その集合意識もどんどん複雑になっているような気がする。宇宙のヒミツというのがニュートン物理学からアインシュタインを経てM理論まで到達したのも、「宇宙そのもの」と繋がっている「集合意識」が、どんどん複雑になっているからじゃないかな、などとも感じたりする(はっきり妄想だけれど)。ジュリー・アンドリュースの『偉大なるワンドゥードゥルさいごのいっぴき』ではないけれど、「そう信じる人が居るからそのものが存在する」のかもしれない。大昔は本当に地球は平らだったのかもしれないし、地球の周りを星々が巡っていたのかもしれないのだ(なーんちゃって)。
 そんなことをぼーっと考えるのは大層楽しい。何の役にも立たないけれど。

 自分の想像と現実世界、内的宇宙と外的宇宙がごっちゃになるのがわたしの悪い癖だとも思う。しかもその妄想にしても、特にオリジナリティに溢れているという訳でもないのがショボい。どうせ白昼夢を見るならば、もっとぶっ飛んだ飛び切りオリジナルなヴィジョンがやって来ないものだろうか。

 内と外がごっちゃになる、と言えば、全然関係ないが、今日面白い貼り紙を見てしまった。行き着けスポーツクラブの最寄駅近くにあるスーパーで時々買い物をするのだが、たまたま今日、いつもは使わない側の玄関から入店することになった。そうしたらそこに「歯医者さんへ。ここに医療器具を捨てないで下さい」という看板が出ていたのである。場所は玄関自動ドアのすぐ脇にあるゴミ箱横。
 どうやら近所の歯医者さんが、何だか判らないが普段の治療後の医療ゴミを、そこのゴミ箱に捨てたことがあるらしい。研究所時代も口うるさく言われていたことだが、例えば注射針などの医療ゴミは、特別な捨て方をしなければならないのだ。ひょっとしたら今はもっと規制が厳しくなっているかもしれない。あまりと言えばあんまりな行動で、思わず笑ってしまったのだった。ヤバすぎる…。




04/04 Fと12

2005/04/04 16:45
 昨晩はラグビー・スーパー12のご贔屓チーム、ブルーズの試合がCATVで放送されたのだった。ここ2試合敗戦が続いている(さらに問題なのがなかなかトライが取れないこと)ブルーズ首脳陣は梃子入れの必要性を感じたらしい。某巨大匿名掲示板のオールブラックススレッドでちらりと出ていたように、ブルーズのSO(スタンドオフ、背番号10)はキング・カーロスことカーロス・スペンサー選手ではなくなってしまったのだった。大ショック…!
 オールブラックスのメルマガにもそんなようなことが触れられていたように思う。例によって文字が細かすぎるので読む気が起こらず斜め読みして済ませていたのだが、こんなことならもっときちんと読んでおけば良かった。せめてテキスト形式の配信ならまだマシなのだが、残念ながらオールブラックスのメルマガ、html方式オンリーなのである。

 非常に眠かったので前半の前半までしかTV観戦しなかったのだが、ブルーズは実力派チームであるブランビーズに17対0で勝利したらしい。しかもトライを3つも取ったという。わたしの観た限りでは、この試合から背番号10を背負ったラヴェア選手がスペンサー選手に比べてメチャクチャに優れているということもなく、訳の判らないキックも結構蹴っていたのだが、メンバー編成を変えて流れが変わり、ともかくも勝ってしまったのがスペンサーファンとしては痛恨である(いやブルーズ勝利は嬉しいけど)。
 スペンサー選手の他にも2、3人のレギュラー入替えがあったようである。流れを停滞させていたのが果たしてスペンサー選手だったのかどうか不明だが(ファンとしてはそんなこと信じたくない)、どうやら以後、ブルーズの背番号10にスペンサー選手が返り咲くのは望み薄かもしれない。どよ〜ん。

 こうなると以前囁かれていた「スペンサー選手日本のトップリーグ入り」という噂が俄然信憑性を帯びてくる。日本でプレイしてくれたら本気で追っかけをしてしまいそうなので、円満な家庭生活のためには嬉しいような苦しいような、フクザツな心境なのであった。どうせ来るならぜひとも東京に本拠地のあるチームに来て欲しい。できたらユニフォームが黒のリコーブラックラムズだともっと嬉しい。ブラックラムズのグラウンドは世田谷区砧にあるそうなので、ウチから通うとしてもまあまあ許容範囲なのである。
 SH(スクラムハーフ)の月田選手からスペンサー選手へのパスのシーンなど想像しただけで麗しくて悶絶モノなのだが、ここ数年トップリーグの入れ替え戦常連となってしまったブラックラムズに、スペンサー選手を活用する懐の深さがあるだろうか。スペンサー選手はかなりの日本贔屓だそうなので、日本に来てくれるとしても渋々ということもあるまいが(とはいえやはり都落ち感は否めないような)、彼のスキルを活かせないとしたらもったいないし申し訳ない。
 美人の奥様と息子のペイトン君が日本に来てくれるかどうかも心配だし…(ひとさまの家庭事情だというのに)。

 スーパー12の試合放映と時間が重なっている『ガッチャマン』だが、先日めでたく『ガッチャマンII』の集中再放送が終了した。わたしの記憶にないストーリー後半部分は、とりあえずショボい回も多々あるものの、それなりに破綻することもなく適度にまとまっていたと思う。しかし視聴者のお子様連中に媚びず、情け容赦のないハードなストーリーを展開したファースト・シリーズのクライマックスに比べれば、やはりご都合主義的ハッピーエンドという印象が拭えない。あの状況で全員生き残るって何やねん!
 3部作最終シリーズの『ガッチャマンF』は観ないつもりだったのだが、各ファンサイト等でつまみ食いをした結果、キャラクター設定に天野喜孝さんが名を連ねていたりというチャーム・ポイントを発見。どうせあと48話分頑張ればいいのだからと、急遽来週からもエアチェックに励むことにしてしまった。我ながらまったく気が変わりやすい。

 次回は『ガッチャマンF』のオンエアとブルーズの試合が完全にバッティングしているのだが、どう楽観的に予測してもカーロス・スペンサー選手のベンチ入りはないだろう。仕方ないのでブルーズの試合は翌朝の放映分を観ることにして、HDDレコーダーの録画予約を組みなおすのだった。
 それにしても早くスペンサー選手がスランプ脱出してゲームに復帰してくれることを願ってやまない。「寄り抜きスペンサー」のストックが増えないのは寂しくてたまらないのである。くっすん(涙)。




04/05 利便性とリスク

2005/04/05 17:05
 お財布携帯どころかカメラ機能さえ付いてない携帯電話を愛用している。写真を撮るのも撮られるのもキライなので別にカメラ機能なんぞ要らないやと思っていたのだが、もしも今の携帯電話を今後新しい機種に変えるとすると、カメラ機能ナシのものを探す方が難しいし高価く付く可能性もあるらしい。最近普及しているQRコードも、今は全然利用する機会がないのだが、もしかしたら今後「ううむこれが読めれば…」と思うようになるかもしれない。こうなると次は否応なしにカメラ携帯だろうか。なんだか主義を枉げるようでちょっと悔しいのだった。
 シンプルが一番、と言いきるほどでもないが、基本的に携帯電話は通話とメール機能、若干のネット機能があるだけで良いと思っている。カメラ機能も着うたも要らない。どれだけ性能が向上しようが、携帯電話の貧弱なスピーカーで音楽を聴こうという気にはちょっとなれないから、SDカードが使える必要もない。着メロは最初面白がってずいぶんダウンロードしたのだが、じき鬱陶しくなって常時マナー・モードに変えてしまった。

 スポーツクラブでトレーニングしている時、たまに携帯電話で音楽を聴きながらエアロバイクを漕いでいる人を見掛ける。そういう使い方もあるのかと思いはするものの、いいなとはやっぱり思わない。TVチューナー付きのエアロバイク(限定5台)を選べば自転車漕ぎ中の暇潰しに困りはしないし、満員でもちょっと待っていれば比較的すぐに順番が廻って来る。どうしてもダメなら本でも読みながら旧式エアロバイクを漕げば良い。トレーニングに集中するという手もある。
 片道2時間の長距離通勤(通学)をしていた頃はウォークマンが欠かせなかったが、それを携帯電話で代用したいかというとやっぱりそれも好みに合わない。MDウォークマンとかiPodとかならまだ許容範囲だろうか。

 そんな訳で、一部で推進しようという動きのあるらしい「携帯電話で決済も身分証明も定期券もクルマや自宅のキイ機能も」というアイディアにはとてもとても賛成できない。確かに携帯電話さえ持っていれば小銭を大慌てで探り出す手間も、改札口前で切符や定期を探す焦りもないというのは便利だろうなとは思う。自家用車を新型ヴィッツにしたら、クルマのキイのボタンを押せばオートでロックの開閉ができるようになったのも結構イイなと思っている(特に両手が荷物でいっぱいの時は)。最近はスマートエントリとかで、キイを身につけてさえいればロックが自動的に開閉されたり、ボタン1つでエンジンスタートできたりするという。それも、たぶん便利だろうな、と思う。
 とはいえそれらを全部携帯電話1つに集約するのはどうだろう。仮に超高性能なバッテリが出来て電池切れの心配がほぼなくなったとしても、絶対に消せない危険性として「落としたらどうする」ということがある。こればっかりは、いくら携帯電話そのものが高性能になってもどうしようもない。使う人間の阿呆さ加減まではフォローできないだろう。わたしはかなりの阿呆だと自認しているので、落としたら手も足も出なくなるようなアイテムは持ちたくない。かなりの確率で「やらかす」だろうという自信があったりするのだ(自慢にならない)。

 『攻殻機動隊』に出て来るように、人体を電脳化して脳みそそのものを携帯電話にしてしまうのならば紛失しようがないからまだ良いだろうか。とは言え最近の「非接触スキミング」を試みるような怪しからぬ輩が、そういう時代になっても絶滅するとは思えないし、実際あの世界にも「電脳ハッキング」という犯罪が存在する。あまり親しくない人を自宅に招き入れるのさえイヤな性分なのに、自覚しないうちに自分の脳に侵入されるかもしれないなんて冗談ではないと思う。電脳化時代になってもわたしはたぶん可能な限り生身のままで通すだろう。仮に電脳化してもネットには繋がないでスタンドアローンのままかもしれない(電脳化する意味がないよ…)。
 良く言われることだが、利便性とリスクは本当に表裏なのだなあと思う。特にネットが絡むとどうしても脆弱性という問題が出て来るし、穴は塞ぎ切れるものではない。プロが本気になったら破れない鍵はないらしいし、開けられないのは利用者本人ばかりなりということもあり得る。生体認証がもっと簡単に一般的になったら良いのだろうか。

 この辺り、突き詰めて考えると「自分が自分であると確実に証明することができるか否か」という問題にぶつかってしまい、それはわたしとしては大変キケンな無限ループなので、できたら考えずに済ませたかったりする。
 何故いきなりこんなことを思い出したかというと、今朝新聞のTV欄で『攻殻機動隊 Stand Alone Complex 2』の放映が始まるのを見つけたからなのだった。第1話と第2話は友人がDVDを貸して下さったので(借りっ放しだ…汗)既に観たことがあるのだが、面白くなるのはやはりシリーズ後半かららしい。前シリーズではTV放送の方がOPが良かったこともあるし(「Get 9」は最高だった)、やっぱり見逃す訳には行かない。とはいえ、DVDだとオマケに『タチコマな日々』が付いている。TV放送を観ればそれで完結しないあたり苦しいのである。




04/06 フレッシュな季節

2005/04/06 22:48
 最寄駅の近所には公園があって、今日など傍を通りかかったら桜がキレイだった。桜の名所というほどではないかもしれないが、毎年この季節の週末ともなると花見客がごまんと訪れ、近くの道路が路上駐車でいっぱいになる。これには閉口するのだが平日の昼間には、近隣の幼稚園あたりから遠足に来ていたり、ベビーカーを押したお母さんの集団が続々と集まってきたりして、なんとも微笑ましい光景を繰り広げている。
 ちょっとだけいいなーと思うのだが、そのほのぼのした光景の中に混ざるには自分がとんでもなく異質の存在な気がして、ついつい敬遠してしまう。「ベビーカー」というのはわたしにはちょっぴり厳しい記号なのである。そもそもこのご時勢、うかつに乳幼児に近づいたら警戒されてしまうかもしれない。そんな事態も寂し過ぎる。

 夕方5時過ぎに電車に乗れば、車内に一目で「お、新入社員諸君だな」と判る初々しいスーツ姿の人々を見掛ける時期でもある。わたしが就職した頃もバブルが弾けた直後で職探しはそれなりに厳しかったが、最近の状況に比べればまだまだヌルかったことだろう。おかげでわたしでさえ、何とか本性を隠して一般企業に潜り込むことができた。今だったらおそらく職にあぶれて途方に暮れているに違いない。
 それなのに研修中は居眠りしていた記憶しかないから呆れてしまう。以前日記にも書いたと思うのだが、同期入社の仲間に「居眠りのまとり(仮名)」という綽名を頂戴するほどの寝コケっぷりであった。実際に研究所へ配属された後、本社研修で習って役に立った知識はほぼゼロだったとはいえ、あまりにもあんまりな給料泥棒状態である。

 それはさておき。今日電車で見掛けた「推定新入社員さん」は、車内でもずっと参考資料らしい書物を熱心に読んでいた。大人しい色彩のグレイのスーツ姿で、全身から「これ早く覚えなくては」という緊張感が漂ってくる。何となく『魔女の宅急便』のキキを思い出す雰囲気である。宮崎駿監督はあの作品でキキを「就職したての初々しい女の子」に見立てていたという話だが、そのイメージはこんな感じだったのだろうかと大納得してしまった。今後キャリアを積むにつれスーツも華やかなものに変わったりして、格好いい「働く女性」になって行くのだろう。
 同じ車両にはやっぱり初々しいスーツ姿の一団も乗っていて、こちらは何やら楽しそうにおしゃべりに興じている。ネクタイの結び方がちょっと曲がっていたりするのがいかにもフレッシュマンという印象だった。ワセダラグビー部の卒業生たちも、今頃はこんなふうに研修に励んでいるのだろうかと思うと、ミーハー心でついつい「頑張ってね〜」などとこっそり声援を送りたくなる。

 友人に「男性が一番素敵なのは、かっちりしたビジネススーツを着ている時だ」と主張する女性が居るのだが、わたしもその意見には大賛成だったりする。やり手ビジネスマンが格好良く着こなしている姿もいいが、フレッシュメンのように「スーツに着られている」状態もまた趣があっていい。某缶コーヒーのCMで女優さんがスーツを着ているシリーズものがあったが、個人的シュミから行くとやはり女性が着たのでは、あの格好良さは出ないのではないかと思う。スタイル抜群の女優さんが着てもそう感じるのだから、肩幅など、男女の体格の違いが大きいのだろうか。
 ただしやはり個人的シュミなのだが、ビジネススーツを着ている時は、できたらガムは噛まないでほしいなあ、と思ったりする。わたしが古臭い感覚の持ち主なのかもしれないけれど、とりあえず人前で(特に電車の中で)口をもぐもぐさせるのはあまり見目良いものではないと感じるからである。カジュアルな服装ならばまだいいとして、かっちりしたビジネススーツでそれをやられると違和感アリアリである。偏見だけれど何となくアタマ悪そうにも見えてしまう。特にスーツが板についていない新入社員諸君だと、学校帰りの高校生に間違えそうになる。

 ガム自体はわたしも好きなのだが、電車の中で噛むのはやはり好きではない。飴玉やグミなら割に平気なのに、なぜかガムだけはどうしても抵抗がある。飴玉やグミに比べてカジュアル感が高いからだろうか。自分でもその辺りの心理は判らないのだが。
 そんな訳で、野球やサッカーの試合中に選手たちがガムを噛んでいるのもあまり好きではない。プロスポーツ選手ならば、試合中はれっきとした「仕事中」なのに、ガム噛んでるなんてヘンじゃないかと思ったりする。接触プレイなどで、うっかり気管に詰まらせたりしたら大変なことになりはしないだろうか。顎の筋肉を鍛えるなどのちゃんとした理由があるのだろうか。
 ましてやフーセンガムを膨らませたりするのはあんまりである。あの手の風習、どうやらメジャー・リーグの選手たちから広まったのだろうと思うが、そういうヘンなところまでメジャー流になってくれなくてもいいのになあ。




04/07 遅れて来た人

2005/04/07 22:50
 先週と先々週の「バレエ体操」は体調不良で泣く泣くお休みしてしまったのだった。3週間ぶりのレッスンを受けてきたら、経験値はゼロにはなっていないもののだいぶ減衰していて、2番プリエ(外またスクワットのような動作)の時に脚がぷるぷるしてしまった。とりあえず風呂上りのストレッチだけは欠かさずやっていたのだが、我が筋肉の物忘れの激しさと来たら落涙モノである。身体を使う習い事の場合、1日レッスンをサボったらその分を取り戻すのに3日かかるという。その計算で行くと2ヶ月少々、ガッカリしてしまう。
 とはいえインストラクターさんや、一緒にレッスンを受けている方たち(当然と言えば当然だが全員女性)に心配していただいたり励ましていただいたりしてちょっと嬉しかった。カメの歩みのようでも少しずつ頑張って、いつかバレリーナの優雅さを身につけたいと思う(無謀)。

 寝込んでいた時期にふとN○Kを眺めていたら、バレエダンサーの熊川哲也さんがゲストに出演している番組に目が留まった。近々始まる『白鳥の湖』のプロモーションを兼ねてのトーク番組らしかった。自分にも他人にも厳しい熊川氏のコメントに唸り、時折挟まる舞台映像に釘付けとなってしまった。やっぱホンモノのバレエダンサーってスゴイなあ。バー・レッスンのほんの端っこを齧り始めたら尚更に、ダンサーたちが軽々とやってのける動作のいちいちが実際はどれだけ大変か判るようになり、感嘆のタメイキが漏れるのである。
 日本バレエ界のカリスマ・熊川氏のコメントで一番印象的だったのは「どんな時でも身体の隅々を意識していなければ変な筋肉が付いてしまう」というものだった。バレエ体操の先生もほぼ同じ意味のことを毎回おっしゃっている。ずっと以前に立ち読みした『バレエ・ダイエット』とかいう本にもそういうことが書いてあった。超基礎的で大切なのに、皆うっかり忘れがちなことでもあるらしい。

 身体の隅々を意識するのはつまり、アン・デオール(身体を外側に開くこと)、首をすんなりさせておくこと、上半身はリラックスしつつ下半身は中心軸に集めること、である。言うは易し行なうは難しで、一生懸命気をつけているつもりでもついつい弛んだ姿勢になってしまう。ダンサーのようなすんなりと優美な立ち姿、やってみると痛切に実感するのだが、本っ当に大変でキツくて筋肉がぷるぷるするのだ。
 先述の『バレエ・ダイエット』では、日常生活から弛んだ意識を追放するために推奨されているのが「部屋着をレオタードにすべし」であった。常にそういうぴったりとした服を着ていれば、姿勢がだらけたり体型が緩んだりしたらすぐに自覚できる。ゆったりとした服のようなごまかしが利かない、ということらしい。厳しすぎる…。

 多少恥ずかしくても家の中だからいいのです、だそうだ。もし宅配便の配達等来客があったらその都度、腰にショールでも巻いて応対すれば別に奇妙でもないでしょう、と。理屈は判るけれど、やっぱりそれって相当恥ずかしいのではないだろうか。レオタードにバレエシューズという出で立ちは、家事などこなすにしてもかなり動きやすくて具合がいいだろうなあとは思うのだが。
 ウチでそんな格好していたら、まず家人に相当面白がられてしまうだろう。そんなことをバレエ体操の先生と四方山話で口にしたら、先生は「レオタードが普段着、結構いいと思いますよ〜♪」などとおっしゃるのだった。人間の身体というものは鍛錬すれば必ず変化するものなので、少しずつそうやって努力を積み重ねて行けば、ある日家人も改めて驚くようなプロポーションになれるハズだそうだ。本当かなあ。

 ともかく先生と生徒たちの体型があまりにも違うので、やっぱりバレエって子供の頃からやっていないとそういう体型にはならないのだろうかとちょっぴり悄気ていた。しかし先生のおっしゃるには、子供から始めるのと大人になって始めるのとでは、それぞれ一長一短があるのだという。子供はとにかく実際に身体で覚えさせるしかないが、身体も脳みそも柔らかいので呑み込みは早い。大人は心身の柔軟性に欠ける分、頭脳を使って論理的なトレーニングができる。掛かる時間に多少の違いはあるだろうけれど、いずれは大人になってから始めた人でも、そこそこのところまでは辿り着けますよ、と。
 ちょっと驚いた。この理屈、かつてのばよりんの師匠がおっしゃっていたこととほぼ同じなのである。ばよりんとバレエ、高度な身体的技術を要するという意味では似ているのは確かだけれど、大人になってから始めても遅すぎることはないというのは、わたしのような「出遅れ組」にも大いなる希望である。もちろん厳然とした限界はある。例えば今後どんなに頑張っても、わたしがポワントを履いて踊れるようになることはないだろう。

 夢物語というか妄想だが、アタマの中身は今のままで、身体だけ3歳くらいに戻れたら面白いのにな、と思う。ばよりんもバレエも、どーしてこの身体は言うことを聞いてくれないのだと嘆かずに済むかもしれない。それともアタマの中に理想形が出来てしまっていたら、やっぱり今と同じようにイライラするだろうか。幼児は呑み込みが早いというだけで万能という訳ではないのだし。
 そもそも記憶は30代で身体は3歳だったら、周囲に溶け込めなくてメチャクチャ寂しい思いをすることになるのは必至。周りの大人たちにしたってすっごい不気味だろう。3歳児の身体に戻る妄想は、夢物語にしておいて正解なのである。




04/08 出たとこ勝負

2005/04/08 13:28
 基本的に好奇心が強い方だと思うが、一方で超絶的に面倒臭がりでもあるので、興味のあることにしか勉強意欲が沸かない。しかも熱意が続く期間が往々にして大変短いために、ちょっと齧って気が済んだら後は投げっぱなしということも良くある。つい最近の例で言えばhtml文書の作り方や各種タグの使い方である。今さら参考資料を買って読むのも面倒だったので、手持ちの古いhtml文書作成あんちょこ1冊と、ネット上のいろいろなタグ紹介サイトを参照しまくり、この日記サイトのhtml文書は作られている。
 そこら中にボロがあるだろうと思うのだが、自分では気付かないし、「ここ間違ってますよ、トラブルの元ですよ」というご指摘もないのをいいことに放置したまま検証はしていない。テキストメインのシンプルなつくりだし、凝ったことをする気力もシュミもスキルもない。一番面倒そうな掲示板はレンタルで済ませている(自作なんて真っ平だもんね)。

 そういう訳で自分でも驚くほど「基礎的な知識」がないし、突貫工事中の1週間で覚えたタグの数々も既に忘却の彼方である。特に表作成のタグなぞどっちが行でどっちが列だったかさえもう怪しい。サイト更新の際は、何とかでっち上げたテンプレートに従えばいいからそれでOKだということにしてしまった。万が一PCトラブル等でデータが消えたら一巻の終わり、2度とあんな面倒なことはしたくないので、日記を続ける気力が残っているとしたらブログへ引っ越すだろう。
 ということを徒然と考えていた昨夜、PCに向かって何やらしている家人が急に訊いてきた。「テキスト文書をExcelで読み出すとしたらどーするんだっけ?」。数年前、仕事先からヴァージョンの違いで読み出せない文書を送られて困った時に選んだ方法が「リッチテキスト方式(うろ覚え)で保存したものを送り直してもらう」だったので、リッチテキストファイルなら大丈夫なんじゃない? と適当に返事をする。しかし文字化けの嵐になってダメらしい。おかしいなあ。

 家人の向かっているPCを覗き込むと、Word文書をリッチテキスト方式で保存している。もしやこれが原因かも。リッチテキストファイルというのは、ひょっとしたらExcelのヴァージョン間で通用する特別なファイル形式とかいうことも考えられる。しばらく使っていないのでどういう時に使ったかも忘却の彼方なのだ。ともかくWord文書というのが原因なように思えたので、シンプルにメモ帳でテキスト文書を作ってみる。おお今度は読めた。ラッキー♪
 何故家人がそんなことをしているかというと、きちんと縦横が合った表を、niftyのWebフォーラムで表示する方法を探っているからなのであった。等幅フォントが使えればいいのだが、デフォルトがプロポーショナルなのである。普通に書き込む分には問題ないが、オフ会の多いフォーラムであるため、参加表明を一覧表にする時には等幅フォントでないと都合が良くない。それでいっそのこと、出された個々の参加表明をひとまとめの文書に編集・保存してExcel文書に変換し、さらにそれをhtml文書に書き換えてどこかのサーバに打ち上げ、そこへのリンクを張るという手間暇のかかることをしてはどうか、ということになったのである。

 なし崩しに試行錯誤に突入してすぐ、家人は実はサイト構築に関してはほぼ何も知らないということが判明した。自分のHPを作ることに興味がまったくないのだから当たり前だが、ftp転送も「なにそれ」状態だったのには少々驚いた。カンは良いのでちょっと調べればマスターするだろうが、問題は更新の手間を面倒がらずにちゃんとやれるかということである。なにしろ先日の栄養相談で指導された「食事メニュー記録」も2日しか続かなかった。もちろん今までの人生、日記を書こうとしたこともない。
 掲示板やブログのように、テキストをだだだっと書き込んでそのまま「投稿する」ボタンを押せばできあがり、という方が確かに楽だけれど、設定を済ませてやり方を呑み込んでしまいさえすれば、ftp転送もそれほど面倒には感じないのだがどうなのだろう。職場で仕事の合間に更新したいのなら、休眠状態のノートPCを更新専用にしてしまえばいいのだし。

 ホーム○ージビルダを使えば、Excel文書を簡単にhtmlの表ページに変えられるらしい。ボタン1つと便利な機能だが、ソースを覗くと何やらえらく複雑なことになっている。面倒がりとしてはもっとシンプルで美しい文書がいいなあと思う。この辺りが、何かとホーム○ージビルダが評判悪い原因なのだろうか。家人は直感的に「等幅フォントでも表が少しズレるので、半角文字×2が必ずしもイコール全角文字1つにならないのではないか? 例えば半角スペースとか…」と言っているので、厳密に揃った表にするには必要なタグの数々なのかもしれない。
 個人的には、顧客に提出するのでもないのだし、いいじゃん多少ズレてるくらいなら、とヌルいことを考えて日和っている。ファイルサイズが大きくなったらサーバに負担もかけるだろうし、塵も積もればというから、タグはできるだけシンプルな方がいいと思うのがその理由である。

 ようやくできた表ページをftp(わたしの使っているヤツを急遽提供)で打ち上げるも開けない。1つステップを進むごとにご丁寧にトラブルに引っ掛かっているのには笑ってしまう。ちゃんとした知識をお持ちの方々からすればあまりに基礎的なことばかりだろうが、そこが素人の悲しさなのだった。
 あちこちほじってみた結果、どうも拡張子が.htmlの時と.htmの時で読めたり読めなかったりするらしい。○ルダで変換すると自動的に.htmファイルとして保存されてしまうのだ。無理矢理拡張子を.htmlに書き直すと「上書きしますか」と訊かれるから本質的には同じものだと思うが、現実に.htmだと開けないのだからどうしようもない。

 今朝になってからどうしても気になったので調べてみたら、.htmlというのはロングファイルネーム対象の拡張子だということがやっと判った。16ビットが32ビット主流になるにつれ、拡張子の「半角3文字」という縛りも消えたらしい。そしてWebサーバによっては.htmを認識できないのだという。良く判らないが○ルダは16ビットの性格を引き継ぎ、niftyのサーバは32ビットなのだろう。○ルダめ、余計なタグを駆使するばかりかこんな面倒な手間暇まで…(怒)。
 システマティックに勉強していれば、.htmと.htmlの違いなぞ一番最初に出て来るだろうに、出たとこ勝負ででっち上げることを繰り返してきたおかげでえらく時間を使ってしまった。ずいぶんと奥が深いことだし、一度ちゃんと勉強し直した方がいいのかなあ。面倒だなあ…(またまたこうして先延ばしの予感)。




04/09 爛漫の春

2005/04/09 18:51
 真っ盛りである。買い物途中のあちこちの桜の木は、白に近い色から薄紅色までさまざまなグラデーションでこんもりと咲き誇り、こぼれる花びらは風花のようにひらひら舞っている。風情である。近所の公園脇道路は例年のごとくお花見客の路上駐車で埋め尽くされ、雰囲気に舞い上がったのか、あろうことか道路でスケートボードを乗り回す少年も居たりする。こちらは危ないし迷惑甚だしいのでご遠慮願いたい。
 もちろん駐車禁止の道なので、最寄の警察署から違法駐車取締りにやって来られたら一網打尽だと思うのだが、自分だけは大丈夫だという意識が働くのか、この道の路上駐車は増える一方である。お花見でついついお酒呑んじゃってる人も居るのではないだろうか。近隣で事故など起こされたらたまらないので、何とかならないだろうかと思う。ウチは今年度、自治会の交通班か何かの役員になってしまったそうなので、もし機会があったら提案してみても良いかもしれない。住民パトロールチームもあるようだから、その人たちが路駐取締りもさせてもらえたらさぞかしスッキリするだろう。それとも民間委託には何か資格が要るのだったっけか。

 他に盛り上がっているのは近所の猫ちゃんたちの恋のシーズンである。去年まではこんなに大騒ぎしてパートナー探しをしていたっけと不思議になるくらい、猫たちはやかましく鳴き交わしている。わたしには雄猫雌猫の声の違いは聞き分けられないのだが、便宜上ちょっとしわがれてトーンの低い「アーオアーオ」というような声が雄猫で、もうちょっとトーンが高くて比較的可愛らしい「ミャオウミャオウ」を雌猫の声と思っている。
 雄猫(推定)で確認できたのは4匹。黒が1匹、青サバが2匹、茶トラが1匹で、どの子が飼い猫でどの子が野良なのかは不明である。雌猫(推定)はずっと少なくて1匹だけ。ほっそり小柄な青サバ模様で、見た目小奇麗なので飼い猫ではないかと思う。彼女は雄猫4匹から集中的にラヴコールを送られているのだが、まだ初心で決められないのか小悪魔的に焦らしているのか、それとも単なる優柔不断なのか、どの雄猫にも色好い返事をしていないと見える。

 雌猫密度が少ないのは、外に出してもらえない猫たちが結構居るからではないかと推定される。この時期うっかり外に出せば赤ちゃんが増えてしまい、里親探しで大変なことになるだろう。子猫たちを全員飼える余裕があるならいいが、余程の猫好きでも限界はある。仮にわたしが雌猫の飼い主だったら、おそらくシーズンが終了するまで完全家猫として屋内に閉じ込めるだろう。ちょっと可哀想だが仕方がない。
 実情はどうあれ、4匹の雄猫たちは毎日必死に鳴きながらパトロールに精出している。ウチのリヴィング横がどうやらパトロールの巡回路に当たっているようで、しかもここを通るのは1匹だけではない。普段は声を出さずに通るので気付かなかったのだがこのルート、青サバ×2と茶トラ×1の共通の通り道となっているらしいことが判明した。ほぼ数十分おきに「アーオアーオ」が通る。猫アレルギーなので触れないのだがかなりの猫好きであるわたしでも、さすがにちょっとうるさいなあと思う。いつまで続くのだろう、猫の恋の季節…。

 春になると動き出すのは各種の企画も同様であるとみえる。良く覗きに行くチャットルームで昨日読んだのだが、浦沢直樹氏作の『MONSTER』、わたしの大好きなあの作品が、ハリウッドで実写映画化されるのだという。ひょえー。しばらく前からちらほらと噂は聞いていたのだが、まさかなあと思って半分ネタ扱いしていた。本当だったのか。期待半分不安半分で手放しでは喜べない気分である。18巻もある原作のどこからどこまでを取り上げるのか、全体の雰囲気をどう色づけするのか。
 個人的なシュミとしては、予算を出すのはハリウッドでもいいから、実際に制作するに当たってはヨーロッパのスタッフを多用して欲しい。主な舞台はドイツだし、サイド・ストーリーもプラハ、対決の地はオーストリアの片田舎ではなかったろうか。仄暗い黄昏時の雰囲気をスタイリッシュに出せるのは、やはりヨーロッパの人に任せた方がいいと思うのだ。ヨハンを人外として強調したり、妙にオカルティック色に傾くのも嬉しくない。『セブン』とか『羊たちの沈黙』くらいまでだったら許容できるだろうか。でも評判がどうあれ、結局は観に行っちゃうだろうなあ…。

 もう1つは何を今さらなアニメの企画である。知っている人は知っているが知らない人はまったく興味がない、某長編有名ファンタジーがとうとう劇場アニメーションになるのだという。昨日めでたく(もありめでたくもないのだが)本編第100巻が発売されたアレである。内容のとほほな凋落ぶりに読まなくなって久しいのだが、話に聞いたところによると本当にとんでもない所まで堕ちてしまっているらしい。もともとは100巻で完結するハズだったのも、この調子ではいつになったら終わるものやら見当も付かない。作者自ら200巻を目指すと発言したとかしないとかで、読者たちもいい加減息切れする人続出という話である。
 新規読者開拓&脱落組を引き止める作戦がこのアニメ化企画なのだろうか。世は歴史ファンタジー・ブームとは言え、そろそろジャンル的にマンネリ化している気がするし(その証拠が『アレキサンダー』の滑りっぷりである)、高齢化したアニメ・ファンは目が肥えてしまっているから生半可なクオリティの作品では満足してもらえないだろう。他人事ながらこの企画、大丈夫なんだろうかと心配になってしまう。

 原作の5巻まで限定で脚本が書かれるとしたら、少なくともストーリー的には絶対に面白いものになると思う。もしそうだったら、何だかんだ言いながらやっぱり観に行ってしまうような予感がする。
 つまらなかったら「やっぱりなあ」で済むが、もし途方もなく面白くて素晴らしい作品になってしまったら、原作の新規読者もどっと増えるだろうか。その人たちが読み進むにつれて感じるだろう「何かがおかしい…」という気分、ついに耐え切れなくなって読破を断念する時の寂寥感、想像するだに気の毒である。最初の5巻が傑作なだけに、なんとも罪深い作品なのだ。タメイキ…。




04/10 インナーマッスル

2005/04/10 17:17
 運動にはざっくり分けて2種類ある。マシンエクササイズに代表される筋肉トレーニングと、エアロビクス等の有酸素運動である。この2種類を適切に組み合わせて行なえば、効率の良いシェイプアップができる…ハズである。わたしの場合、体重を落とすことはさておくとして、ケツや太もものタルタルした贅肉を何とかしたいというのが至上命題で、とするとどっちに重点を置いたら良いものやら、未だに少々悩んでいる。
 11月の末にスポーツクラブに入会して3ヶ月間は、もっぱらエアロビクス運動に重点を置いていた。室内バイク漕ぎとか初心者向けのローインパクト・エアロビクスのレッスンなどをせっせと行なっていたのである。もちろんマシンエクササイズやバレエ体操などの筋トレ系もサボらなかった。その結果、体重は確かに落ちたし筋肉も付いたのだが、気になっていたケツや太もも、それに身体の歪みそのものは全然改善されていないようである。肩凝りもさっぱり軽くならない。

 3月はほぼ1ヶ月、体調不良などでサボってしまった。その間に食べ過ぎたこともあり、せっかく落とした贅肉はあっという間に戻って来てしまった。もちろん元の木阿弥までは行かないが、あれだけ苦労して落とした3kgが、たった1ヶ月の気の緩みでお帰りになるというのは本当に理不尽だと思う。ダイエットというかシェイプアップというか、真にネヴァーエンディングなモノなのだろう。
 面白いのは、お帰りになった贅肉の所在がはっきり判る点である。下腹、太もも、腰の3ヶ所に集中して付いているのだ。腰というのは、「前へ習え」の最前列の人の、親指があたる下の付近である。ローライズのパンツのウエストが引っ掛かるところというか、部位で言えばロース(豚の場合)、ランプ(牛の場合)だと思う。下半身に見事に集中しており、全体的に見ると重心が下がって見苦しいこと甚だしい。わたしの場合、もともと下半身の贅肉が付きやすいのだが、どうしてここまでとタメイキが漏れるほどの下半身特異性である。

 最近よく耳にする言葉で「ピラティス」というものがある。乱暴に言えばヨガの親戚で、マシンエクササイズではトレーニングできない身体の中心部分の筋肉を鍛える運動だそうである。ヨガのクラスは木曜日のバレエ体操の直後にあるのだが、大人気のためにもんのすごく混んでいる。バレエ体操参加者の皆さんの中にも、レッスン終了後にヨガのクラスへ流れる方がたくさんいらっしゃるのだが、わたしとしては1日にあまり長時間スポーツクラブに入り浸ることもナニだし、あの混雑はちょっとと思うので、参加したことはない。
 他にいいのはないかなあとスタジオレッスン時間割表を見ると、「マットサイエンス」というものがあると判った。ヨガやピラティスの要素を取り入れたレッスンで、骨格の歪みを矯正し、インナーマッスルを鍛えるのが目的です、と解説されている。「骨格の歪み矯正」に「インナーマッスル強化」と来れば願ったり叶ったりではないか。金曜日夜のローインパクト・エアロビクスをしばらくお休みして、こっちのマットサイエンスを頑張ってみよう。

 前にも日記で書いたことがあったと思うが、以前からわたしの身体は相当に歪んでいる。ハタチそこそこの頃通っていた歯医者さんでは噛み合わせの悪さを指摘され、ついでに骨格の歪みも酷いとお叱りを受けた。頭痛も肩凝りも身体の歪みから来ているらしい。20代でこの身体とは嘆かわしい、整体に通ってついでにきちんと運動もしなさい、と怒られたのだが、そんな時間も金もなかった。歯医者さんのお知り合いの整体師さんは健康保険が効かなかったのである。
 歪んでいるという自覚もきっちりある。例えば背中の筋肉は、右と左で明らかに付き方が違う。真っ直ぐ立って背中に手を当てると、右より左の方が厚みがあるのである。どっちが正しい付き方かは判らない。そのせいか、左右に開脚してストレッチを行なう時は、左側に伏せる場合よりも右側の方が苦しい。さらに左足の甲は右足よりも薄いため、踵ストラップのないサンダルを履くと左足だけスッポーンと抜けてしまう。左右の肩の位置も微妙に違う。

 嘘か本当かは知らないが、こういう歪んだ身体だと理想的な筋肉の付き方が望めないのだという。すっきりしたプロポーションを目指すのであれば、まず骨格の歪みを矯正して、ちゃんとした位置に肉が付くように整えてやらなければならないらしい。下半身特異的なわたしの贅肉を見る限り非常に説得力のある説である。新しく始めてみることにした「マットサイエンス」とやらは、まさにこの矯正を目的としたトレーニングなのだ。
 バレエ体操の先生に相談してみたところ先生もお勧めなレッスンだということだった。ドキドキしながら参加した初のレッスンは、思っていたよりも混雑していて慌ててしまった。新参者でも大丈夫なのだろうか。毎週参加するとしたら場所取りが大変そうである。

 ストレッチ用のマットを敷いて行なうトレーニングもあるとのことだったので、柔軟体操のようなことをやるのかと思っていたら違った。ヨガとかピラティスとかが何なのかイマイチ良く知らないのだが、この「マットサイエンス」、最初から最後までバリバリに腹筋を苛める運動がメインだったのだ。
 インストラクターさんの指示に従っていろいろなポーズで静止するのだが、これがものすごくキツい。3ヶ月と少しの間、バレエ体操に参加して多少なりとも腹筋などが鍛えられているハズなのだが、それでも付いていくのがやっとである。一番しんどかったのは腕立て伏せの要領で静止するポーズで、身体と脚を一直線にして腕で支えるものだった。自慢ではないがわたしは、腕立て伏せなぞ1回もできないのである。腹筋よりも先に腕が参ってしまい、インストラクターさんのカウントダウンよりもずっと早く潰れてしまった(情けない)。

 そんな訳でメチャクチャにしんどかった1時間なのだが、このキツさをキツいと感じなくなる頃には、きっと身体の歪みも多少は改善されるのではないだろうか。そうなってくれたらバレエ体操での脚上げもずっと楽に高くできるようになるだろうし、もしかしたら下半身の贅肉も取れてくれるかもしれない。ひょっとしたら肩凝りも解消したりして。
 まだ1回しかやってないのに取らぬ狸の皮算用もいいところだが、理想的なプロポーション目指して、さらなるインナーマッスル鍛錬のチャレンジが続くのであった。




04/11 王様のご帰還

2005/04/12 00:18
 と言っても、某長編ファンタジー3部作完結編のことではない。超御贔屓の、ニュージーランドはオークランドのブルーズに所属するカーロス・スペンサー選手のことである。彼のニックネームが「キング」だということは、もうこの日記でも散々書いてきた。天才肌のプレイヤーで、調子の良い時には文字通り神技とも思えるスーパー・プレイを連発するものの、一端スランプに陥るとチーム全体の調子まで下げてくれてしまったりする。その辺りの波の大きさもまた、ファンとしては目を離せない要因のひとつなのだ。

 ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの12チームで構成されるリーグ「スーパー12」では、現在2005年のシーズン真っ盛りである。もちろんわたしはブルーズを応援しているのだが、お目当てのスペンサー選手はちょうどスランプのど真ん中。チームは大苦戦した挙句、とうとう前回の試合ではスペンサー選手をスタメンから外すという思い切った策に出た。わたしのがっかりした事と言ったら説明するまでもない。と言いつつ、先週だったか先々週だったかの日記には、しっかり書いたような気がするが。
 今週のブルーズ対キャッツの試合が今朝早く放送されたのだが、スペンサー選手はやっぱりスタメンには入っていなかった。また今日も「寄り抜きスペンサー」映像は増えないままか…と思いつつ、諦め切れずになおも眺めていると、この試合のリザーヴ(補欠)メンバーの中には、キングの名前があるではないか。もしかしたら試合の途中で交代・出場の機会があるかもしれない。

 試合を中継しているアナウンサーさんも解説者さんも、キング・カーロスの名声と最近の不調については良く知っている。リザーヴのメンバー紹介の時に映ったスペンサー選手の映像を見て、どことなーく歯切れの悪いトークを展開しているのが聞いていてちょっと辛い。しかも映像のスペンサー選手はジャージの上にウォームアップ・コートを着てベンチに腰掛けている。何と言うおいたわしい姿だろうか(涙)。
 プロ・スポーツ選手たるもの、やはりフィールドの上で過ごす時間が一番幸せに違いない。もしかしたらのチャンスに賭けてベンチで試合展開を眺めるのと、いっそのことリザーヴにも入らずに自主トレしているのと、どっちがマシなのだろう? ベンチに座るスペンサー選手はさながら幽閉中の王侯貴族という風情で、しょんぼりしているように見えたのが哀しいのである。

 代わりにSO(スタンド・オフ)のポジションに入っているラヴェア選手の調子が今ひとつだったためか、23−6のスコアでリードしているからもう大丈夫だろうと思ったのか(まさかね)、ラッキーにも後半の後半、とうとうスペンサー選手の出番がやって来た。わたしも諦めずに録画観戦していた甲斐があったと、とりわけ念入りにスペンサー選手の活躍シーンだけ切り抜いて「寄り抜きスペンサー」に加えたのだった。
 とは言え、まだまだキングの調子もホンモノとは言えないようである。ミスはしなかったし、キング自身のモティベーションは相当に高かったのだが、いかんせん許された時間は20分しかない。結局目覚しいスーパー・プレイは飛び出すこともなく、次回の試合はどうなるのだろうと不安が残るのである。
 「寄り抜きスペンサー」へ追加できたのも、ないよりマシなトータル1分30秒。メチャクチャ寂しすぎるので、早いところ完全復活してバリバリ走り回って欲しい。待ってるぞ〜♪




04/12 シンプル・イズ・ベスト

2005/04/12 14:23
 家人はとある演奏オフの幹事長である。なんだかんだともう10年、今度の5月に開催するものでついに第30回を数える長寿オフで、コンセプトは「何でもアリ」。このルーズさというかいい加減さが、30回も続いた理由かもしれない。
 niftyがwebフォーラムに移行したのに伴って、この演奏オフの開催がアナウンスされる場所もweb上の掲示板式会議室に引っ越した。まだ開店直後の大混乱が続いており、今までごく普通に使っていた数々の機能(例えば等幅フォントなど)が使えなくなっている。一時的な急場しのぎかパーマネント・キャンプの確立かどちらか知らないが、家人はとうとう自分のサイトを立ち上げる決心をしたらしい。

 そこでいじり始めたのがPCにプレ・インストールされていたホームページ・○ルダである。タグを全然知らなくても、例えば年賀状ソフトで年賀状を作る時のように、各種部品を組み合わせてレイアウトすれば簡単お手軽にhtml文書が作れるのだそうだ。8日の日記で「○ルダで保存するとデフォルトが.htmになってしまって困る」という現象が出ていたのだが、.html形式保存をデフォルトに変更する方法も判明した。とりあえず、必要最小限度のことはできるようになっているらしい。
 とは言うものの、個人的にこのソフトで作ったページはどうも気に入らない。シロート目にも明らかに、余分なタグがごちゃごちゃどっさり使われているし、どうしてそんなところまで表にしてしまうのだろう、という部分でテーブルを組んであったりする。どこか1箇所で指定すればいいハズの細かい条件を、段落ごとにいちいち念押しで設定してもいるようだ。部品をはめ込む方式だから致し方ないのだろうが、見た目がちょっと美しくない。

 好き好きだろうが、わたしとしては、同じページを表示するのならば可能な限り少ない文字数でhtml文書を書くのがスマートで格好いいと思っている。ごちゃごちゃと微に入り細を穿つような条件設定をしてあるのは美しくない。単に、わたしがよそのページのソースを拝見して自分のサイト作りの参考にする時、あまりにフクザツだと良く判らないから、というのがその理由であるのだが。
 自分のサイトのページも可能な限りシンプルにしたいと思っているのだが、各種タグ解説ページなどをランダムに参考にして作ったせいで、自分でも意味が判らずに使っているタグがちらほらあったりする。おそらく本来の用途とは違う場面で使っているタグもあるに違いない。わたしの考える「真のサイト職人」さんがご覧になったらさぞかし顰蹙なさるだろうが、今のところまだ、系統立てて勉強し直そうという気が起こらない。あくまでも経験則によるタグ利用である。少々(いやかなり)恥ずかしいことだと思う。

 ○ルダで作ったhtml文書はあまりにクドくてイヤだったのだが、家人のサイトで家人のスペースだし、好きにさせるべきだろうと最初は思っていた。しかし色々と話を聞いているうちに、PCにくっついてきた簡易版の○ルダでは、一端作った文書のソースを開いて直に手直しすることはできないと判った。もちろん○ルダの外でテキスト・エディタを使えば中身を弄ることはできるが、○ルダの各種機能を参照にしながらタグをとっかえひっかえするのは無理なのだ。そういう機能があったらタグの理解だってずいぶん早くなるだろうに、やりたかったらフル機能の製品版を買ってくれ、ということらしい。ムカーッ。
 タグの文法が間違っている時に指摘してくれたり、自動で直してくれたりするのも、外のエディタで弄った場合は無効っぽい。弄った後のファイルを○ルダで開けば「エラーがあったので修正しました」と出て来るらしいが、どこをどう直したのか判らないので気持ち悪くて仕方ないのだ。初心者にはもう少し懇切丁寧に、基礎的なことをちゃんと教えて欲しいなあ、と思う。

 IEとNETSCAPEでは有効なタグの種類が違うらしいし、同じページでも見え方が違うこともあると聞く。とすると○ルダのてんこ盛りのタグたちは、そういう違いを出さないために必要なものなのかもしれない。そーゆーことになってしまっている状況を呪うしかないが、ブラウザ間の差異、なくす訳にはいかないのだろうか。いかないんだろうなあ…。
 そして何より困るのが、○ルダでは、スペースに打ち上げたファイルたちのうち、もう要らなくなったものを削除する方法が良く判らないということだったりする。できない訳はないと思うのだが、あちこちほじってみてもそれらしい機能は何も出て来ない。仕方がないのでファイルたちのアップロードは、○ルダではなくてFTP Exchangeというソフトを使うことにした。これだと、手元のデータ・フォルダを弄ればそれが反映されるので、消したファイルはちゃんと「削除しますか?」と訊いてもらえる。

 なんだかんだ言いつつ面白そうなので、家人に頼み込んでサイト作りをやらせてもらうことにしてしまった。当然ノーギャラである。基本的に手打ちだけれど、判らないところが出てきたら○ルダのヘルプを使うようにしたら、少しはマシなものができるのではないかと思う。面倒な作業ではあるが、基本的にこういうこと、やっぱりわたしは好きなのだろう。いろいろなところで拾ってきた楽器関係の壁紙やアイコンなどのストックを、いいチャンスだから使ってみたいというのが一番の動機である辺り、我ながら物好きだと呆れてしまうのだが。




04/13 本末転倒

2005/04/13 16:59
 そんな訳で、家人が不定期に開催しているオフのためのサイトを作ってみることになった。活動の本体はnifty・webフォーラムの掲示板で行なわれるので、必要なのは参加表明やタイムテーブル、各種のフォーマット、最低限守って欲しいお願い事などを参照できるデータ・ライブラリとしての機能である。とってもフクザツな表を書かなくてはならないページは、集計係のメンバーが作って下さったものがあるし、家人がExcel〜○ルダで作ったものをとりあえず流用してしまってもいいや、ということにした。
 結局本当に必要で、○ルダで作って気に入らないのはトップページだけである。今まで自分のサイトを弄って来た(曲がりなりにも)記憶はあるのだから、それほどの時間をかけないで作れるだろうと思っていたのだが、やっぱりそうは行かなかった。

 適当に作ったページをアップして、会社に居る家人の昼休み時間に見てもらい、変更希望点などをおやつ時間頃までにファクシミリで送ってもらう。いろいろあるが一番問題なのはやっぱりテーブル用のタグをどう使いこなすか、である。もう消滅してしまったgaiax系のとあるサイトで、行と列の数をそれぞれ指定するとその分のタグがセットになって出て来る、というページがあった。そこで出力した2×3とか3×2とかの基本的なマトリクスのタグを雛形にして、わたしは今までテーブルを作ってきたのである。
 雛形のタグのあちこちをコピー&ペーストして、ブラウザでうまく表示できないところが出てきたらあちこち変えてまた様子をみる。文法が判っていないがゆえの、あまりにまどろっこしい経験則応用型テーブル作りであった。さすがに今回はそれほど時間をかける訳にも行かないので、他に「タグの辞書」的なサイトを2、3探して参照することにした。今まで自分がものすごく恥ずかしい間違いをしていたことが判った。

 trとtdしかないと思っていたのである。で、どっちかが横移動する時のタグで、どっちかが縦移動する時のタグだろうと勘違いしていた。そうではなくてtrというのは「table row」の頭文字、tdが「table data」、thが「table header」の頭文字であると思えば大層良く理解できる、ということが、昨日初めて判ったのだった。うっわ遅すぎる(汗)。表を作りますよと宣言して、行の始まりを指定し、見出し用のセルかデータセルか区別しながら1個ずつ設定して、最後に行の終わりを宣言し、次の行へ移る。
 ただそれだけのことが判らなかったので、今まで何度も何度も「どこに/tdを置いたらいいんだろう」と悩んだり、行末に/trを書き忘れてぐちゃぐちゃ表になってしまったりしていた。見出しセルの文字を強調したい時には、わざわざフォントタグで個別に指定を付けるという2度手間をやっていたのである。我ながらどえらい回り道をしていたものだ、と思う。

 兼ねてから気になっていた「スタイルシート」なるシロモノが便利らしい(でも面倒臭そう)ということや、表の中身には等幅フォント用の指定タグが無効らしいこと、IEとNetscape間の見え方の違いは思った以上のものであることなどなども、改めて見えてきた。表作りに無駄な時間を使っていたことを考えると、やっぱりここらできちんと「html用の教科書」を読み込んだ方がいいだろうか…という気にもなってくる。どうしようかなあ。わたしのアタマだと理解できない教科書もいっぱいありそうだしなあ…。
 とりあえず現段階でできるだけ見やすいようにと頑張ったトップページは出来上がった。縦に3つ並べた表の間が、IEで見た時は不必要に空いてしまう現象だけがどうにもならないままである。Netscapeだとそんなことにはならないので、どこがどうオカシイのか判らない。改行タグを入れてある訳でもないのに変だなあと思ったのだが、どのあんちょこサイトを参照しても理由が判らないのでペンディング。

 一応出来上がったのが夕方5時半ちょっと過ぎ。目の前に<やスラッシュがちらちらして来たので一休みしてから晩御飯の支度に取り掛かることにして、コロリとソファに横になった。ほんの30分くらいで起きようと思っていた。眠り込んでも、家人の「今から帰るメール」の着信震動で起きられるだろうと。
 何か物音と声がして次に目が覚めたのはそろそろ8時になろうかという時間だった。家人が帰宅してやっと我に返ったのである。携帯メールの着信バイブ(常時マナーモードなので着信音は鳴らない)になど全然気が付かなかった。おやあ?(汗)。熱中すると、本当にやらねばならないことを忘れてしまうという本末転倒の悪い癖がまたまた出た。家人は呆れ果てているものの、作っていたものがものだけに、大っぴらに文句を言うのも躊躇われた様子である。お気の毒…。

 何にしろhtmlの謎は深くて面白そうなので、今後もハマりそうな予感である。掲示板でhtml文書の修正にフリーソフトを導入したらどうか、というご提案もいただいた。早速「Homepage Manager」という人気のあるらしいソフトを拾ってきたのだが、これはどうもXPでは上手く動作しないようである。他に何かいいのはないか、鋭意捜索中なのであった。
 タグの手打ちは苦にならないので、判りやすくて応用の利く教科書とか、スタイルシートの解説書などをご存知でしたら、ぜひぜひ教えていただきたいと思っております。どうかよろしく〜♪




04/14 ニュー・ディール政策

2005/04/14 18:38
 というと少々大袈裟だけれど、テーブル・タグについてちょっとだけ正しい理解を深めたこの機会に、自分のサイトのソースを点検してみることにした。まず手始めは日記の文書である。「日記下書き」と名前を付けて、題名や日付や本文を空白にした雛形文書を作ってあるのだが、改めてチェックしてみるとやはりメチャクチャである。「tbody」「tr」「td」を指定した行の後になぜかまた「table border="0"」が入っていて、さらにまた「tbody」「tr」「td align="top"」と書き連ねてあったりする。
 生まれて初めて書いたテーブル用文書がこの日記のテンプレートだったので、意味も何も判らずひたすらブラウザで開いてチェックしては書き直し…ということを繰り返したためにこういうことになったのだろう。意味不明な「/font」タグがあったり、冒頭でテキスト色を指定してあるのにまたまた「font color=black」と念押ししていたり、涙ぐましい試行錯誤・右往左往ぶりが手に取るように良く判って大爆笑である。
 本文が終わった後も、tbodyとかtableタグが2セットあるものだから、終了タグも2セット書いてあるのがメチャクチャ可笑しい。うむうむ、そういえばこの辺り、表がおかしくなって闇雲に終了コードを足してみたんだっけと思い出す。なんと御馬鹿なことをやっていたのだろう、8ヶ月前のわたしときたら(汗)。

 とりあえず今日の分のテンプレートからは、少し賢くなったワタシがタグを添削して、ちゃんと以前の分と同じ見え方をするように変えてみた。ひょっとするとまだ間違っている箇所が残っているかもしれないが、今後少しずつ賢くなって行ければ、おいおい訂正できるチャンスも出て来るだろう。
 家人のオフ用サイトのトップ・ページなども、できればもう少し手を加えて見やすく美しく更新しやすくしたいと思っているのだが、あんまり熱中するとまた寝食や日常業務を忘れてしまう恐れがある。ちょっと一休みのつもりでソファで寝こけてしまって晩御飯を作り忘れた1件以来、家人も過度ののめり込みは御法度だと牽制を掛けて来ている。迷惑行動を起こさないで済む程度に一生懸命工夫することにしよう。

 自分のサイトは特に気にしないが、家人のサイトはオフに参加してくれるメンバー以外の不特定多数にはあまり公開したくない。検索ロボットに引っ掛からないためにはどうすればいいか調べたら、「robots.txt」という文書を作ればいいらしいということが判った。index.htmlと同じディレクトリにこの文書をアップしておけば良いそうである。同じディレクトリとは言え別の文書なのに、どうしてこれでロボット避けになるのかが良く判らないのだが、この文書1つでサイト丸ごと全部に有効だというから便利だと思い、採用したのだった。
 ページごとに各々ロボット避けをすることも可能で、それはメタ情報として付け加える方法らしい。わたしはあのmetaナントカカントカ…というタグの意味がまだイマイチ判らないのと、ページごとに書き込まなければならないのが面倒臭いために、こちらの方法は選ばなかった。robots文書方式にしろメタ情報方式にしろ、100%検索ロボットを避けることは不可能らしく、各検索サイトの紳士協定的なものだという。部外者に見られたくなかったらパスワードを設定して認証する方がずっと確かだし、絶対確実に秘密にしたかったらインターネットにアップロードしてはいけないとのことだった。
 インターネットの大前提から考えれば確かにそうだろうけれど、なんだかそれもすっごく本末転倒だよなあ、と思ってしまった。

 もうひとつ、新規巻き直しを図っているのがシェイプ・アップである(飽きもせず続行中)。3月にサボり倒して増えた3kgは、もう残り10日を切った友人の結婚披露宴までにどうにもならないことがハッキリしてきたが、ではせめて贅肉がタルタルすることだけはもう少し何とかしたいという未練も捨てられない。ドレスのデザインから言って、サイアク腰や太ももの辺りは後回しにできそうだから、とりあえず外から見える首・背中・二の腕・ふくらはぎを鍛えたいものである。
 腹筋・背筋を強くして姿勢を良くするのも重要なポイントである。これらのことを充足するとしたらやっぱり有効なのはお気に入りのバレエ体操だと思う。オール・オア・ナッシングの傾向があるので、このシェイプ・アップ作戦は失敗だなあと思った時点でだいぶモティベーションは下がってしまっているのだが、レッスンをサボったら先生や他のメンバーに心配をかけてしまう。怠け心を叱咤しつつ多少泥縄的ではあるが、今日もよろよろとレッスンに行って来たのだった。

 根が単純なので、出掛けるまではウジウジグダグダとサボる口実を探すのだが、一端スタジオに到着してしまえば後は結構ノリノリで運動に汗を流すのが常である。エンジンがかかるのが遅いというか、果てしなくケツが重いというか、我ながらもう少しフットワークの軽さが欲しい。
 『未来世紀ブラジル』とか某信販会社のCMのように、時間が来たら自動的に強制的に身支度と荷物作りをさせて、玄関ドアから蹴り出してくれる装置があったらいいのにと思う(つくづく不精)。




04/15 「もっとがんばりましょう」

2005/04/15 14:00
 シンプルで判りやすいhtml文法講座サイトがないかなあとネットをうろうろしていたら、html文書の文法をチェック・採点してくれるサイトを見つけた。もちろん文法のみのチェックなので、中身がどれだけ面白かろうがヘボかろうが、採点結果にはなんら影響しない。たぶん実際の見栄えというポイントもスルーだろう。面白いのでトップページをこのチェックにかけてみた。
 そうしたらまあ出るわ出るわ、100個以上のエラーが検出され、採点結果はマイナス100点近い。当然評価は「がんばりましょう」。おまけに「このHTMLには重要な問題が多く含まれています。環境によっては閲覧できない可能性が非常に高いと言えます。」などという恐ろしいコメントまで付けられている。これはマズい。
 文法がメチャクチャなのは予期していたことだが、「環境によっては閲覧できない可能性」があることはついうっかり失念していた。自分のIEで一応表示できているのだから、わたしの喋る出鱈目英語と同じく、ブロークンでも何とか通じるレヴェルだろうと楽観していたのだ。

 相手が人間ならば、多少文法がダメでもこちらの意図を読み取って、適当に解釈してくれるだろう(限界はあるけれど)。しかし血も涙もない(当然だ)各種ブラウザにはそういう芸当は望めない。マスター時代の先輩の口癖「機械は馬鹿だから、こっちが命令したことだけしか出来ないんだぞ」をまたもやしみじみと噛み締めた。お馬鹿な機械君たちにも理解できるよう、せめてもうちょっとは改善しなくてはなるまい。
 エラーには重要度別にポイントが付けられている。0〜9までの段階に分けられ、数字が大きいほど致命的なのだそうだ。とりあえず5以上のものをピックアップして訂正することにした。まず「DOCTYPEが指定されていません」とな。そんなもの知らなかった。手元にある古いhtmlの教科書には「html文書は<html>というタグで始まります」と書いてあって、びっくりマークで始まる暗号めいた文字の羅列のことなどどこにも触れられていなかったぞ。

 あちこち参照し、どうも「HTML 4.01 Transitional」とかいうのを指定するのが無難そうだ、と判断する。しかし欄外には「MSIEをフォローするDOCTYPEはありません」と注釈が付けられていて、結局どうすればいいのか良く判らないままお茶を濁した形である。ついでに「言語を指定しましょう」とあるので、htmlタグに「日本語です」というものも書き加えた。
 知らなかったことはまだまだいっぱい出てきた。「bodyタグは/headタグの直後に書かなくてはいけません」とか、「imgタグにはalt属性が必要です」とか、「scriptタグにはtype属性が必要です」、「meta情報をそこに書いてはいけません」などなどである。scriptタグなんて自分で書いた覚えはなかったのだが、レンタル・カウンターを貼り付けた時のもろもろの中に、そういうタグが出て来ているらしい。同じところにmetaで始まる行も含まれている。この辺は自分では訂正しようにも判らないのでやむなく見なかった振りをすることにした。

 指摘されたエラーとその解説、参考となりそうな諸々のサイトを見比べつつ、呆れるほどの数の細かい訂正を行なった。よーし今度はどうだ? ページをアップロードし直し、再度チェックをかけてみる。結果は「ふつうです。」で、69個のエラーが検出され、採点結果は38点。渋い。レンタル・カウンターの行で出ているエラーはどうしようもないとして、訂正しようにも方法が判らないものも結構ある。
 例えば「MSIE 用の属性 `BGPROPERTIES` が指定されています。」と怒られてしまったのだが、だってMSIE用のDOCTYPEはないって書いてあったではないか。DOCTYPEを指定しないともっと怒られるのに、これ以上どうしろと言うのだ(涙)。リンク先のアドレスに含まれる文字列を「不明な実体参照です。」と論われている箇所もある。そういう文句をわたしに言われても…。
 さらに重要度は0や1で低いのだが、「br」を多用し過ぎる、という指摘には思い当たるフシがある。段落タグと組み合わせればいいのだろうか。alignやborder、alinkやvlinkなどなどは「あまり薦められない属性」で、fontや文字強調のb、下線のuなども「あまり薦められないタグ」だというチェックも入った。「スタイルシートを使いましょう」ということだが、この上さらにスタイルシートの勉強が必須なのかと思うとちょっとげっそりしてしまう。

 成り行きでスタイルシート講座的なサイトを覗いてみた。簡単に言うとスタイルシートとは、設計書に別添する説明書のようなものらしい。フォントの色や大きさ、背景画像やリンクなどなどについての設定をまとめて載せておいて、各html文書がそれを適宜参照しながらページを表示するという段取りになっている。いちいち設定を読み込み直さなくてもいいので合理的なのと、設定が同じページを何枚も何枚も作る場合、スタイルシートだけ弄れば全部のページを変更することができてメンテナンスが楽になるというメリットがある。
 過去の日記ページなどは確かに全部同じ体裁だが、一端文書を作ってしまえば後のメンテなんてしないしなあ。雛形も作ってあってそこに本文コピー&ペーストするだけだし。どうもわたしとしては余り便利な説明書には思えない。html文書に書き加える方式の「インラインスタイルシート」とかいうのもあるそうで、こちらの方がまだ使い勝手がいいかもしれないとは思う。

 とは言え最大の難点は「htmlと文法や単語が違うではないか」というポイントである。htmlの文法や単語を覚えるだけでも今はいっぱいいっぱいなのに、この上スタイルシート用の文法&単語まで覚えなくてはならないというのか。しかもスタイルシートを指定するmeta情報やら、読み込むタグやら、設定のどの部分を使うか指定するタグやらが新たに出て来る訳である。
 採点してくれるサイトには申し訳ない気もするが、別にこれ以上点数が良くならなくてもいいから、スタイルシートはまだカンベンしてくれ〜という気分になった。もうちょっとやる気が出てきたら考え直さないでもない。

 ちなみに家人のオフ用トップページの採点・評価も惨憺たる有様だった(直さねば)。そして腹の立つのは、丸々○ルダで作った気に食わないエントリー結果のページが100点満点中96点、「よくできました」の桜マークを貰っているという事実なのである。覚えてろよ(←捨て台詞)。




04/16 ぶ、物欲が…

2005/04/16 14:19
 この数年間、時々思い出してはその辺を駆け回りたくなるほど欲しいものがある。それはグラナダTV版『シャーロック・ホームズの冒険』のDVD全巻セットで、TV放送された「ホームズ物語」としては異例の世界的な大ヒットとなったシリーズなのだ。日本での放映はちょうど今から20年前の4月13日、N○Kの日曜日夜8時あたりの時間帯に始まった記憶がある。
 それまで映像的な「シャーロック・ホームズ」のイメージぴったり俳優には、モノクロ時代のアメリカ映画俳優ベイジル・ラズボーン氏を挙げる人が圧倒的に多かった。個人的には『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』のニコル・ウィリアムソン氏も面白かったのだが、このホームズさん、黒髪・灰色の目ではないのが惜しいのである。

 そういう中でグラナダTVのジェレミー・ブレット・ホームズは、最初はかなりの冒険的キャストだと捉えられていた。わたしとしても、ジェレミー・ブレット氏というと一番最初に思い出すのが『マイ・フェア・レディ』の阿呆のフレディだったし、初回放映にババーンと出てきたホームズがかなりのエキセントリック強調型で、強い違和感を覚えたものである。吹き替えの声が露□茂氏だったことも一因だろうか。「山さん」しか思い出せなかったもんね…。
 ところが放送を重ねるにつれ、ブレット・ホームズは当初の違和感を払拭し、みんなのイメージにすっぽりと収まるようになってきた。当時わたしは「日本シャーロック・ホームズ・クラブ」に入会してしばらく経った頃のハズなのだが、クラブ内でも「ホームズはあんな喋り方しないよね」という嘆き節から、次第次第に「このホームズもなかなかいいではないか」という好意的な感想へ移り変わって行ったものである。

 「シャーロック・ホームズ」と言えば今ではおそらくベイジル・ラズボーン氏のイメージよりも、ジェレミー・ブレット氏を思い浮かべる人の方が多くなったのではないだろうか。それほどまでにこのホームズさんはハマリ役であった。1つには、製作スタッフの綿密な時代考証、ベイカー街221bのセットが素晴らしかったしロケ場面も美しかったことなどなどにより、ヴィクトリア朝時代のイギリスやロンドンの雰囲気作りが大成功していたからだろう。
 そればかりではなく、スタッフもキャストも原作を熱心に読み込んでいたそうで、各エピソードの解釈がこれまた説得力に溢れるものだった。一部では「原作以上に原作に忠実なTVシリーズ」と賞賛される所以である。オープニング、セピア色からフルカラーに切り替わるロンドン・ベイカー街の映像とそこへかぶるヴァイオリンによるテーマ曲に、わたしはどれだけ胸をわくわくさせただろう。繰り広げられるホームズ&ワトソンの冒険を、どれだけ毎週楽しみに指折り数えて待っていたことだろう。

 ホームズ物語との付き合いは大変古い。物心付く頃にはすでに子供向けの「めいたんていほーむず」か何かを読んでいたものである。ホームズがパイプの煙を「フッフー。」と吐いてはワトスン君に事件の解説をしたりしていた(どこの出版社から出ていたシリーズかは今は謎)。長じてからは延原訳の新潮版を、毎月のお小遣いを遣り繰りして1冊ずつ大事に大事に買い揃えた。本文なんかもう真っ茶色になってしまったが今でも捨てられない。延原版ホームズがほぼわたしの原点であろう。
 長編4作は別格として、短編の中でのマイ・ベスト3は『3人ガリデブ』、『空き家の冒険』、『悪魔の足』である。このラインナップにピンと来た人とはお友達になれそうだ。わたしが入会した頃のホームズ・クラブ(JSHC)はおじさまたちが多く、会長さん家の娘さんなどを除けばほぼ最年少会員だったために、この手の話が全然通じなかったのだ。
 グラナダ版ホームズが始まってしばらくして、JSHCにも入会希望者が殺到した。同年代かつ同類項の女の子たちがぞろぞろ仲間に加わった。わたしがどれだけわくわく期待したかは説明するまでもない。

 今から思えばわたしの「ストイック萌え」も「ヴァイオリンへの憧れ」も「闇雲な英国への好意」もすべてホームズ物語に端を発している。お互いを苗字で呼び合う親しい友人同士に萌えるのも(『ファントム無頼』しかり『踊る大捜査線』しかり)、おっさんシュミもここが原点だろう。「ホームズ物語」と『ガッチャマン』で、ほぼわたしの美意識は完成していたのかもしれない。齢7つかそこらの話である。三つ子の魂というのは恐ろしいまでに後を引くと見える。
 幾らなんでも関係はないだろうが、ついでにワトスン君は「学生時代はラグビー選手だった」という設定もある(「サセックスの吸血鬼」)。まさかこれが意識下に残っていたのだとすると…。

 ともあれいろいろな意味でエポック・メイキングなグラナダ版「ホームズ物語」だが、2001年にとうとうDVDボックスが発売された。N○Kでカットされたシーンも収録した完全版ということで、咽喉から手が出るほど欲しかったものの、BOX1が41800円、BOX2が38000円という値段はとてもわたしの予算範囲外。JSHCの会報とともに送られて来たチラシを大切に取って置いて、時々取り出しては眺めてため息を吐く、という日々を送った。
 さすがにその未練も振っ切ることができたか? と思っていたら昨年末、「グラナダ版製作20周年記念」ということで、またまたDVDの完全版がリリースされてしまったのだった。DVD1巻ごとなら3500円で、2001年版よりも440円お安くなっている。しかし全部で23巻という大部である(涙)。DVDボックスで買えばHMV価格で78200円と多少お得なのだが、1度に払う金額としてはやっぱり馬鹿にできない。

 どうしようかなあ。1巻ずつ23ヶ月かけて全部揃えるというのが、最終的な値段は多少高くなっても、一番現実的な入手方法だろうか。しかししかしDVDボックスには特典映像ディスクと特製ブックレットが付いている。ちょっと諦めがたいオマケなので、緊縮財政覚悟の上で一気買いすべきだろうか。とりあえず今月はご祝儀ビンボーなので来月以降の懸案事項だが、悩む。悩むのである…!




04/17 寝冷え? 風邪?

2005/04/17 14:58
 花粉症の時期は毎年、鼻や目、咽喉などの粘膜系の大乱調の他に、微熱を出したり頭痛がしたりと身体全体がおかしくなる。子供の頃は周囲にそういう症状を示す人があまり居なかったというか、人数比率的に目立っていなかったために、サボり癖と思われて少々悔しい思いをしたものである。アトピー性皮膚炎もそうだけれど、わたしが子供の頃には全校生徒中せいぜい数人程度の出現率だったのではないかと思う。そういえば日本蕎麦アレルギーも、昔は数千人だか数万人だかに1人の確率という話だった。
 周囲を探せば日本蕎麦アレルギーの人は結構居ることが判った。とても数千分の1とは思えない。市販食品のアレルギー表示義務5項目「蕎麦、卵、乳、小麦、落花生」に入るくらいだからかなりポピュラーなのかと思ったが、参考ページによるとまだそれほど広く認知されている訳でもないようだ。ちなみにわたしはこのページの症例6つ目「そば殻の枕で寝ても必ずしも発症しない」はアウトである。今まで何度、蕎麦殻枕で死にそーな目に遭ったことやら。ある意味、口から入るものよりも要注意だったりする。

 話がズレてしまったので元に戻そう。ともあれ昔よりもアレルギー症状に苦しむ人は数段増えているようで、本当に本当にお気の毒である。環境が過度に清潔になったからだとか、大気や水質汚染が進んでアレルゲンの毒性が相対的に高まったからだとかいろいろ言われているが、アレルギー持ち本人からすれば原因は正直どうでもいい。辛く苦しいアレルギーを根治する療法が早いところ見つからないかというのが共通の願いだと思うが、残念ながら万人に有効な治療方法は今のところまだない。
 物心付いた時にはもう各種アレルギー症状が花盛りの人生を送って来たので、花粉症もアトピーも蕎麦や猫のアレルギーもなーんにもない状態というのが想像できない。夏場に汗塗れになっても痒くならないとか、猫を触っても胸がひゅーひゅー言わないとか、外食時に目の前の皿をひと通りチェックしなければならないとか、そういう面倒ないろいろがなかったら楽だろうなあとは思うけれど。

 今年の花粉は飛散量も要注意時期の長さも例年を大幅に超える規模だそうで、いつもならそろそろ回復しているハズのこの時期でも、わたしはやっぱりまだ調子が悪いままである。風邪に似た症状の他、ここ数日はどういう訳か盛大にお腹を壊してしまって難儀している。先日、数日間花冷えする日が続いたが、その時に冷えてしまったのだろうか。家人などは「夜寝る時に、キミ布団を蹴り飛ばしてるんだもん。そりゃあ寝冷えもするよな」と嘲笑するのだが、本人としてはそんなことをしているつもりは毛頭ない。
 お腹を壊してはいるが幸い食欲が落ちてはいないので、消化の良さそうなものを少しずつ、数時間おきに食べるようにしている。1度にたくさん食べるよりは胃腸への負担が少ないのではないかと思ったからだが、実際のところどうなのかは不明。少しずつ何度も何度も食べていると、1日トータルではかなりのカロリー数を摂取しているような気もする。お腹を壊してなおかつ太ってしまった…ということになったらちょっと恥ずかしいかもしれない。

 水分を控えると逆効果だと小耳に挟んだこともあるので、飲むヨーグルトとか葛湯などを努めて摂るようにしている。いつもだったらせいぜいこのくらいの用心で収まるものなのだが、今回はちょっとばかりしつこいので鬱陶しい。家の中に入り込んだ花粉を呑み込んで、それが胃腸の粘膜に悪さをしているのだろうかと疑いたくなってくるが、そんな話を聞いたことはないしなあ…。
 今朝も5時半頃、急にとてつもない違和感を覚えて目が開いた。半分意識が朦朧としたまま、とにかく「ヤバい」という衝動に駆られてトイレに飛び込んだのだが、いやあ大変であった。尾篭な話で申し訳ないが、気分にぴったり来る擬音としては『撲殺天使ドクロちゃん』に出て来る「ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ〜♪」しか思い当たらないのである(お下品ですみません)。辛かった…。

 昨夜はそれほど冷え込まなかったし、毛布や掛け布団もちゃんと被って寝ていたハズなのだが、やはりこれは寝冷えなのだろうか。それとも花粉症の症状に隠れて見逃されているが、お腹に来る風邪を引いてしまったということなのだろうか。あるいは恐るべき花粉が、どういう経路を辿ってそこへ到達したのか判らないが、腸粘膜に何やら悪さを働いているのだろうか。
 同じものを食べている家人が何ともないところを見ると食中毒という可能性はなさそうなのが幸いだが、体力ごと搾り取られてしまった気がするここ数日間である。とりあえず、また葛湯でも飲んでちょっと眠っておこうと思う。
 どうか皆さん、この時期の寝冷えにはくれぐれもご注意を。そして花粉が腸粘膜に悪さをしでかす可能性もあるので、ぜひ消化の良いものをお召し上がり下さいませ(ぺこり)。ではおやすみなさい…。




04/18 古くて美しいもの

2005/04/18 16:12
 わたし自身はお腹を壊していた&具合が悪くて臥せっていたために見ていないのだが、先日亡くなった家人の祖母の遺品から、いろいろと古いものが出てきたらしい。義母が形見分けで神戸から持ち帰ったのを家人に見せて、「これはどういう物だと思う?」と訊かれたのだそうだ。金色をしたメダルで、直径26mmほどの大きさ。かなり持ち重りがするらしい。
メダル  片面はどこかの建物を背景に、オリーヴの葉や鳩、腕を差し伸べた女神像が描かれている。女神の足元には「平和」と「造幣局製」らしき言葉が右→左方向に書かれており、思いっ切り旧字体なので判読はなかなか難しい。もう片面はぐるりに「大正八年六月二十八日」、「世界戦争講和条約調印記念」ではないかと思われる文字が配置され、真ん中にはシュロと菊(推定)の葉と「I.SATO」というサインを背景に、米・英・日・仏(推定)・不明国と、5カ国の国旗が描かれている。
 当然と言えば当然なのだが、「第1次世界大戦」ではなくて、ただの「世界戦争」なのが面白い。これをデザインした人も、まさかこの後ほんの十数年後に、またまた大規模な戦争が起こるなんて思っていなかったのだろう。

 5番目の国旗は縦縞三色旗の中央に紋章が配置されていると見えるデザインだが、ざっと調べても該当する国旗はヒットしない。横縞三色旗+紋章ならば、スペインとかクロアチアとかいろいろあるのだけれど、当時の情勢から考えてスペインではないだろうし、国体としてのクロアチアはまだなかったような気がする。露仏同盟を考えると、ロマノフ王家の紋章入りロシア国旗かとも思うのだが、これもやっぱり縞は横。そもそもロシア帝国は第1次世界大戦が終わる前に消滅しているのではなかったか。

 縦縞三色旗+紋章というデザインだけ見ると、アフガニスタン、アンドラ、グァテマラ、ペルー、メキシコ、モルドバが似ている。しかしこの国々は第1次世界大戦には何の関連もないだろう。地理的にアンドラやモルドバならかすっているような気もするけれど、アンドラが参戦していたか疑問だし、この時代、国体としてのモルドバは(以下略)な訳だし…。
 いい加減錆び付いた世界史の知識を総動員し、ネット検索を掛けまくる。日付から言ってヴェルサイユ講和条約への調印記念メダルであるのは間違いなかろう。家人によれば描かれている建物はヴェルサイユ宮殿そのものだそうなので、これは確定と見て良い。記念メダルと言えば、戦争に勝った方の国々が鼻高々に「これからは平和な世界にしましょうね」的意味合いで発行するものだろう。とすると、パリ講和会議の出席者を調べればいい。…と思ったのだが、主なキャストは米ウィルソン大統領、英ロイド・ジョージ首相、仏クレマンソー大統領あたりで打ち止めらしい。
 その他の出席者は、もちろん会議には参加しているのだが、あんまり表舞台には出て来ない様子である。N○Kの「その時歴史が動いた」過去番組紹介で、日本の全権大使が健闘虚しく要望を通してもらえなかったエピソードが引っ掛かる程度。

 大戦の途中でイタリアが、三国同盟を脱退して協商国側に付いたんだったか? と思い出して調べてみると、確かにイタリアも連合国に含まれているらしい。パリ講和会議から一端脱退したり、また復帰したりという記述が年表にある。とすると5番目の国旗はイタリアのものなのだろうか。イタリアなら縦縞三色旗である。ただし中央の紋章はどうなってしまったのだろう。
 昔のイタリア国旗は今のとは違ったかもしれないと思い付き、またまたネット検索してみると、おお、出て来た。こちらがイタリアの旧国旗らしい。そう言われてから記念メダルを眺めてみると、確かに中央に十字のある盾型紋章っぽく見える。記念メダルの国旗の紋章には、モットーが書かれた巻物が載っているようにも、クレストが付いているようにも取れるが、これらの付属品は省略することもできるのかもしれない。

 という訳で、記念メダル1個で思わぬ歴史トリップを味わうことができてしまった。世界史も、教科書と年表だけではなくて、こういうアイテムを添えて学ぶことができると大層興味深いものである。
 この記念メダルが発行された1919年というと、思いっ切りフィクションの世界だが、『はいからさんが通る』の紅緒さんが少尉の行方不明の報せを受け取った頃だろうか。そしてシャーロック・ホームズは『最後の挨拶』で対独諜報活動をしたりした後に、引退してサセックスのどこかで養蜂業を営んでいるハズである。そう思うとなんだか楽しい。

 神戸の叔母の元には祖母の遺品から出て来たコインなどがまだあって、その中には明治7年発行の1円金貨も混じっているのだという。今のアルミの1円玉くらいの大きさで、もっと薄くてあまり有難みのなさそうなコインらしい。しかし明治7年というと1874年くらいだろうか? シャーロッキアンの作った資料によれば、1854年1月6日がホームズの誕生日という説が有力である。ホームズさん二十歳の年に発行された金貨! メチャクチャ萌える。今度神戸に遊びに行ったら、ぜひ叔母にコインを見せていただこうと今から楽しみなのだ。




04/19 はぢけた選手紹介

2005/04/19 16:22
 昨夜は南半球のラグビー・スーパー12の御贔屓チーム、ブルーズとシャークスの試合録画中継があった。一番贔屓の「キング」ことカーロス・スペンサー選手はまたまたリザーヴ(控え)選手にも入っていない。前の試合では後半の途中で交代出場していて、特に調子悪そうでもなかったので不審かつ不満である。
 スペンサー選手の代わりとしてSO(スタンドオフ)レギュラーになったラヴェア選手がメチャクチャ素晴らしい出来というのであれば、納得して泣く泣く諦めもするけれど、わたしの見た限りではどっちもどっちという感じ。贔屓目かもしれないけれど、むしろスペンサー選手の方がまだ良かったような気がする。ハーフ団の連携が悪いのか、ともかく生きたボールが出ないし前に進まない。圧倒的にブルーズが攻め込んでいるのに、最後の最後でトライに結びつかない。
 滅茶苦茶にイライラする類の試合である。一応勝ったけれど、到底満足はできない感じ。3、4年前のワセダを見るようである…とまで言うのは酷評に過ぎるけれど。個々のスキルは段違いに素晴らしいのだから。

 なんとなくモヤモヤしたまま試合が終わった後も放送を眺めていたら、スーパー12のチーム別選手紹介のような短いおまけ番組が始まった。ノリノリな曲に合わせて選手たちの選りすぐり格好いいシーンを取り上げ、どーんとアップにして、名前と所属チーム、ポジション、身長と体重を画面に出してくれるのである。1チーム2分ほどの紹介で、出て来たのはブランビーズ、クルセイダーズ、ストーマーズ、チーフス、そして御贔屓のブルーズであった。
 ブルーズの一番手はもちろん「キング」。重心を低く保ったままジグザグのコースで相手チーム選手をかわしながらランする姿とか、ボールを受け取ってそのままノールック・パスを出すところとか、死ぬほど格好良かった。はう〜♪ 試合中の姿が観られなくて、もちろん「寄り抜きスペンサー」用の映像も増えなかったためにものすごくガッカリしていたのだが、この2分間のためにだいぶ気分が上昇する。他の選手の紹介シーンでも、スペンサー選手はパスを渡す側の役目なので、一緒に映っていることが多かったのでますます嬉しい。やったね♪

 バックに流れている曲目は、良く聞いたら全部ディズニーのメドレーだった。「ミッキー・マウス・マーチ」、「イッツ・ア・スモール・ワールド」、「星に願いを」、「エレクトリカルパレード」、「Under the Sea」の5曲だったのだが、アレンジがトンでいたのが面白かった。ちょっとヘヴィメタ調のビートの効いたアップテンポなアレンジで、歌っているのは男性歌手のグループだろう。アタマに浮かんだイメージは、紹介に出て来るラグビー選手たちが手に手に楽器を構え、ヘッド・バンキングしながらシャウトしている映像である。
 きっとディズニー曲ばかりをカヴァーしたロック・バンドのCDが出ているのだろう。メチャメチャ面白かったので、残り7チームの選手紹介もどんどんやってって欲しいなと思う。もちろん今回のミニミニ番組はしっかり録画してしまったのだった。

 今まで名前しか知らなかったのだが、ストーマーズのブレイトン・ポールセ選手が非常に格好良くて好みなのである。WTBで、180cm・78kgというのは小柄な部類に入るだろうけれど、キレの良いランは黒い弾丸のようであった♪ 一昨年のラグビーW杯に出場していたサモアの選手で(確かWTBだったような)、やっぱり大層ステップのキレがいい選手が居たのだが(名前を忘れてしまった…)、あの選手をもうちょっと細くしてきかん気坊主にしたような印象。またまたチェックする対象が増えてしまって嬉しい悲鳴である。
 それにしてもクルセイダーズのジャスティン・マーシャル選手(SH)が身長179cm・体重94kgというのはサバ読んでないだろうか。ついでに言えば「キング」の184cm・95kgというのもちょっと怪しい気がする。ブルーズのマリリ・ムリアイナ選手(FB)が183cm・84kgとあったが、どう見てもスペンサー選手はムリアイナ選手と同じくらいの重さにしか見えないし、マーシャル選手は絶対もっと軽いのではないかと思う。女性は体重を軽目にサバ読むけれど、スポーツ選手は重く言い張るのかもしれない。
 ともあれ、ちょっと大柄だなと思う選手だと軽く身長2m・体重100kg越えというのが怖い。こういう選手たちが全力で走ってきてぶつかったら、その時の運動エネルギーはどのくらいなのだろう。ジャパンの選手たちが太刀打ちできないのもむべなるかな…。

 などと、浮かれて録画を繰り返し観ながら覗いたオールブラックスのサイトでショッキングなニュースを見つけてしまった。カーロス・スペンサー選手が先日練習中に、頬骨を骨折してしまったのだという。復帰は早くて3週間後だというが、今度の土曜日に手術というからかなりの大怪我だったようで、そんなに短時間で回復できるかどうか心配である。公式サイトも一時的(であるといいのだが)見られない。不安が募る。
 怪我してしまったのなら焦っても仕方ないので、良いチャンスだと思ってゆっくり確実に治して、復帰したらまたばりばり「キング」なプレイを見せて欲しいと思う。無事の復帰を祈らずに居られない(頼むよホント…)。




04/20 宗教的改名

2005/04/20 18:30
 今朝早くと午前中に、また福岡で震度5の地震があったらしい。先日の大地震の余震だということだけれど、明け方に震度5で揺さぶられたら相当に怖かったに違いない。ニュースでは、商品が散乱したスーパーの売り場などが映し出され、怪我をした人も50人を越えていると報道されている。ワイン売り場など一面ワイン浸しだった。先日の被害がやっと片付いたかどうかというタイミング、本当にサイアクだと思う。被災地の方々に心からのお見舞いを申し上げたい。
 千葉で震度5の地震があった時はさすがに気が付いたが、九州の震度5だと東京地方は全然影響がなかったようで、わたしはその時間、太平楽に眠りこけていた。揺れで飛び起きて怖い思いをした人々が大勢おいでなのにと、ちょっと申し訳ないような気持ちになる。とはいえもしも人間が遠方の大惨事を漏れなく察知できるような感覚器官を備えていたら、天災人災取り混ぜて頻々としている昨今、おおかたの人はきっと早晩神経を病んでしまうだろう。鈍感であるということも、身を守る上で大切な能力なのかもしれない。

 今朝の地震が東京近辺で起こって、ウチのある辺りが震度3くらいの揺れを観測しました…という場合でも、もしかしたら気が付かずに眠っていたかもしれない。ウチの近所で震度5ならば幾ら何でも飛び起きただろうと思うが、今日はわたしも家人ももう少しで朝寝坊をしそうになる程に眠り込んでいた。昨夜床に就いたのが3時を回っていたからである。理由は新ローマ教皇決定のニュースを延々と観ていたからだったりする(物好き)。
 あまり揉めずに決まったのは良いことだろうが、投票権を持っている枢機卿の皆さんのアタマには、実はもう次の教皇についての青写真というか根回しプランがあって、それで今回は穏やかに決まったのでは、という気もする。BBCとCNNのニュースを観ていたのだが、インタヴューを受けていたうちの1人(何かの学者さんだったか)も、同じようなことを言っていた。ある意味モラトリアム的な人選ということだろうか。個人的には78歳のお年寄りにこんな激務を割り当てるなんて非人道的だと思う。本人がやりたがったのなら仕方がないだろうが。

 新教皇の名前は「ベネディクト16世」ということで、西欧で初めて修道院制度を確立させた聖ベネディクトゥスの名前をもらった形である。ヨーロッパの守護聖人でもあるらしい。カトリックの洗礼を受ける時にも洗礼名を付けるが、この時も大体同じような命名をすることが多い。欧州貴族が5個も6個も名前を持っていたりするのもこのためで、親戚たちが寄ってたかって守護聖人の名前をくっつける結果そういうことになる。
 男性はいろいろヴァリエーションがあるようだが、女性だと圧倒的に「マリア」が多い。マリアさまの他に聖女の名前をいただくこともあるし、「マリア・なんとか」という形でささやかなオリジナリティを演出する場合もある。「マリア・フェリシア」なら「幸福なるマリア」、「マリア・クレメンス」なら「慈悲深いマリア」という具合である。形容詞的「なんとか」の部分はラテン語だったりギリシア語だったりして、特に厳密な形式は決まってはいない。

 信仰の道に入る時に名前を変えるというのは仏教も同じで、戒名はつまり洗礼名なのだそうだ。かなり大きくなるまで戒名とは「死んでから付けるもの」だと思っていた(恥)。戒名は自分で選ぶよりはお坊様に付けていただくのが一般的らしくて、俗名の1文字と宗教的な文字を組み合わせてあるという。父の戒名も確かにそんな感じだった。
 聞きかじりなので本当にそうかどうか不確かなのだが、仏門に入って僧侶になる時は、俗名を音読みにして名乗るらしい。俗名が「信長さん」なら「シンチョウ和尚」、「秀吉さん」なら「シュウキツ和尚」になるということだろうか。「太郎さん」とか「真(シン)さん」のような場合はどうするのかとちょっと不思議に思う。

 ワセダラグビー部の2002年度卒業生でHO(フッカー)だった阿部元選手は、先日のオール早明戦限りで引退し、仏門に入って住職さんになるための修行を始めたのだという。現役選手だった頃から、姿を眺めているだけで何やら心和む、見るからに穏やかな人格者という印象だったので、さぞかし良いお坊様になるだろうと思う。
 宗教的改名のことを思いついたのは、阿部選手の仏門入りというニュースを目にしたからでもある。ちなみに阿部選手のファースト・ネームは「一樹さん」なので、お坊様としては「イツジュ和尚」になるのだろうか。調べてみたところ、音読は音読でも「呉音」でないといけないらしい。日本に仏教が伝わったのが中国経由で、その時の漢字が「呉音」で読まれていたからなのだそうだ。仏教用語は今でも大体が呉音読みで、例えば「声明」はニュースだと「セイメイ」だけれど、仏教用語では「ショウミョウ」ということになる。

 「一樹さん」を呉音で読むと「イツジュさん」になるのか良く判らないのだが、残念ながら少々発音しにくい読みになってしまう。こういう時はどうするのだろう。宗門によっては、呉音に相応しくない名前は使ってはいけないことになっていて、場合によっては強制的に改名させられるらしい。「タロウ和尚」を聞いたことがないのは、もしかすると「太郎さん」は要改名なのかもしれない。
 宗教的人生を背負う訳だから重大事とはいえ、名前の付け方一つ取ってもなかなか難しい。そういえば女性が尼僧になる時というのは、いったいどういう命名方法を採るのだろう。作家の瀬戸内晴美さんは出家なさって「寂聴」さんにおなりだが、「晴美さん」とはあまり関連があるようには思えない。女性の場合は好きな漢字を組み合わせて自由に付けて良いのだろうか。




04/21 言葉変われば名も変わる

2005/04/21 17:40
 昨日の未明(一昨日の深夜)に、新ローマ教皇ベネディクト16世誕生のCNNとBBCのニュースを観ていて、ついつい大笑いしてしまったことがあった。当たり前と言えば当たり前なのだが、「サン・ピエトロ広場」とか「ヨハネ・パウロ2世」とかを英語で言われると、激しくイメージが変わってしまうのである。一生懸命聞いていて何とか聞き取れたのはその程度なのだが、実際はもっともっと面白い単語がいっぱい出てきていたのかもしれない。ちょっと悔しい。
 日本のニュースでは最近、人名や地名はできる限り元の言語の発音に近付けるという方針が一般的になっているようだが、英語圏では何語でも問答無用に英語読みするらしい。作家の佐藤亜紀さんが以前エッセイでご自分の名前を、何度訂正しても「エイキ・セイトウ」と発音されてしまうと怒っていらしたことを思い出す。また「チャゲ&飛鳥」の飛鳥涼さんが以前「Ryo Asuka」と綴っていたら「リョー・アシューカ」と読まれてしまうので、綴りを「Aska」に変えたとおっしゃっていた。いよいよクルマの名前みたいだと思った(すみません)。

 聞き取れた範囲での爆笑ポイント、「サン・ピエトロ広場」と「ヨハネ・パウロ2世」のインパクトは素晴らしかった。それぞれ英語読みすると「セント・ピーターズ・スクエア」および「ジョン・ポール・セカンド」になってしまうのである。もちろんこっちの勝手なイメージだが、「セント・ピーターズ・スクエア」と言われても咄嗟にヴァティカン市国のあの広場を思い出すのは結構辛いし、「ジョン・ポール・セカンド」に至っては『エロイカより愛をこめて』に出て来るグローリア伯爵の部下に、そういう名前の人が居たような気がして余計に違和感がある。
 大昔の話だが、わたしの大好きなアニメーション映画『王立宇宙軍〜オネアミスの翼』がアメリカで初めて公開された時、ヒロインのリイクニ・ノンデライコは「ダイアナ」に、主人公のシロツグ・ラーダットもジェイムズだかピーターだかのごく一般的な名前に変えられてしまったというエピソードもある。そういえば高校時代の英会話の授業でまず一番最初にやったのは「生徒1人ずつの授業内限定英語名を付ける」ことでもあった。
 英語とは種々雑多な言語の寄せ集めだというから、外来語に対する許容度はもっと高くても良さそうなのにと思うと不思議である。

 元の名前をまったく無関係な英語名に変えるのは論外として、ヨーロッパでも、同じ人物名で国によって読み方が全然違う。カール(ドイツ)=シャルル(フランス)=チャールズ(英米)とか、スティーヴン(英米)=イシュトヴァーン(ハンガリー)=エステバン(スペイン)などなど例はどっさりある。「ラインの王族」というサイトの各国語別の人物名対照表ページなど参照すると大変に面白い。
 これらの名前で浮かぶイメージは、個人的にはやはり全然違うよな、と思わずに居られない。某長編ファンタジーのメイン・キャラクターがアメリカに行った途端に「スティーヴン」になったらずっこけるし、『ベルサイユのばら』のアンドレがアンドリュー、オスカルさまがオスカーと呼ばれていたらイメージ的に優雅さが逆転してしまう気がする。『ヘンゼルとグレーテル』のグレーテルが英語だとマーガレットになるのにも驚くし、名探偵エルキュール・ポワロ氏はドイツに行ったらヘラクレスと、いきなり強そうに大変身する。

 フランス人は「H」の発音が出来ないというのが本当かどうかは知らないが、そういう場合のように母国語にない音だったりすると、やっぱり外国語名前でもアレンジして読まざるを得ないだろうか、という気はする。名探偵ホームズがフランスだと「ムッシュー・オルメ」になるのは何かヘンな気がするが、逆にフランス名の「ラウール」を日本人が正しく発音できるとは思えないし…。
 最近大流行のハングルも、母音が結構たくさんあるから難儀するかもしれない。大学院時代、韓国からの留学生さんにハングルを教えてもらったのだが、オとンがそれぞれ4つずつくらいあって、わたしはとうとう発音し分けることも聞き分けることもできずに終わった。2人居た留学生さんの名前を「ちゃんとハングル語っぽく」発音することもできなかった。やっとのことで覚えたハングル語はたったの3つ。「こんにちは」と「ありがとう」と「もしもし」だけで、これさえも正しい発音ができるか自信はない(とほほ)。

 母国語でない以上限界はあるだろうが、やっぱりせめて名前くらいは、イメージを壊さない程度にきちんと呼びたいし呼んでもらいたいものだな、と思う。とは言え例えば「ミスター・マオ・ツァートン」と言われてパッと「毛沢東氏」が思いつかないあたり、まだまだ修行が足りないのである。




04/22 1番好きなジブリ作品

2005/04/22 22:52
 は何かと訊かれたら、わたしは文句ナシに『紅の豚』であると答えよう。1929年のイタリア・アドリア海を舞台に繰り広げられる、空と海のロマン満載の傑作である。公開された時の映画館でのわくわくする気持ちを今でもはっきりと覚えている。ポルコが機体を急旋回させる時とか、「木の葉落とし」のように急降下する時とか、椅子に座りながらこっちまで微妙に身体が動いてしまったものだ。
 家でもぜひ観たくてヴィデオを買ってしまったのだが、今晩のようにTV放送されるとまた飽きずに観てしまう。いいなあ、飛行機。中でも1番好きなシーンは、エンジンの調子が悪くてミラノへ飛ぶ途中、ポルコの愛機の遠景である。雲の切れ目から差し込む陽の光に機体が一瞬キラリと輝く、何とも言えない美しいシーンである。BGMも言うことなし。2番目に好きなシーンは、再建成った機体をジーナに見せに行ってアクロバット飛行するところ。顔に風を受けながらの曲芸飛行なんてどんなに気持ち良いだろうと思う。
 乗ってみたいけれど、いざ実際にあんな宙返りなどやられたら、あっという間に酔ってしまう気もするが(情けない)。

 そして今さらだが、ポルコの愛機の垂直尾翼を見て、先日の「ヴェルサイユ条約記念メダル」にデザインされていた、詳細不明の5番目の国旗だと気が付いたのだった。この作品中に出て来る旗はファシスト党の緑の旗しかなかったっけかと思っていたのだが、何のことはない、うっとり眺めていたあの真っ赤っかな飛行艇に、答えはちゃーんとくっ付いていたのである。
 先日調べた旧イタリア国旗の画像では、中央部分は真ん中に十字の模様のある盾型紋章だけなのだが、ポルコの飛行艇の垂直尾翼を良く見ると、その上に「R」という文字が書いてある。メダルの盾型紋章の上に書いてあったのが「R」かどうか不明だけれど、もしこれが正解だとするとRは何の頭文字なのだろう。素直に考えると「REGINA」か「ROSSO」ではないかと思うのだが…。
 ただし空中戦のシーンで翻っていたイタリア国旗はやっぱり盾型紋章のみ。あのメダルの謎は深まるばかりである。

 以前どこかで「Porco Rosso」が「紅の豚」というのは間違いで、porcoだと「豚肉」の意味に近くなってしまう、と聞いたことがあった。英語でも「豚」はpigだけれど「豚肉」はporkだから説得力がある。「紅の豚肉」じゃイヤだなあ…と思っていたのだが、とするとこの場合、『紅の豚』のイタリア語訳に相応しい単語はどれなのだろう。イタリア語辞書サイトを覗いてみたのだが、イタリア語には「豚」に関する単語が驚くほど多数存在するのだった。雄豚(去勢してないのとしてるのとでまた違うらしい)、雌豚、子豚(使い分けは不明だがニュアンスの違いで3種類もある)。日本よりもずっと長く家畜としての豚たちと付き合って来ているからこその使い分けだろう。
 動物としての「豚」をシンプルに表す単語がどれか見当も付かないが、「suino」とか「verro」あたりが男性名詞なので、このどちらかだろうか。suinoは英語の「swine」とご親戚だろうが、この単語は軽蔑的意味合いがあるので不適当かもしれない。とは言え話中でポルコのことを「豚野郎」と呼んでいたので、そう思えばこれが一番だろうか。どっちみち「Suino Rosso」も「Verro Rosso」もあんまり語呂が良くない。やっぱり「Porco Rosso」がしっくり来る。

 ポルコの本名は「マルコ・パゴット」なので、ニュアンスが豚肉に近かろうが、音として似ている「Porco」を敢えて選んだとも考えられる。ともかくその辺りのアレコレも全部ひっくるめて、ポルコの格好良さには痺れてしまう。おやじシュミにはこたえられない。
 ちなみに本作品のヒロイン、フィオ・ピッコロ嬢の名前がoで終わるのは女性名としてヘンかな? と思っていたのだが、どうやら「フィオ」は省略形らしい。「美津子さん」が「みっちゃん」になるようなもので、おそらく本当の名前は「Fiorentina」あたりと思われる。そうだとすると、意味は案外シンプルな「花子さん」なのだった。推測だが、彼女も実は「Maria Fiorentina」なのではないだろうか。
 と書いているうちに『紅の豚』も終わってしまった。何度観てもいいなあ。今まで我慢していたけど、やっぱりサントラとDVDも欲しいなあ…。




04/23 大安吉日

2005/04/23 21:10
 という訳で、しばらく前からああでもないこうでもない…と着て行くものを考えていた、友人の結婚披露宴が今日つつがなく執り行われたのだった。服と靴とバッグやアクセサリーはとりあえず前以って決めてあった。問題はボサボサの髪の毛と、数年に1回しかやらない化粧である。どちらもいきなり試して上手く行く訳がない。もうここは割り切ってカットハウスの担当スタイリストさんにお任せしてしまおうと、今朝は9時に予約を入れたのだった。
 前回カットしてからそろそろ3ヶ月が経とうとしているので、この1週間は前髪が鬱陶しくてたまらなかった。工作鋏を引っ掴み、いっそ自分で前髪だけ(いつものように)切ってしまおうか…と思ったのだが、ガチャガチャに切ったらきっとスタイリストさんを困らせるだろう。危ういところで踏みとどまることができてホッとした。

 ゴールデン・ウィーク直前の週末、しかも大安吉日ということで、カットハウスも大繁盛だったらしい。わたしが到着した時には既に和装用のアップヘアをセットしているお客さんが居たし、さらにその前にもう1人、セットを済ませたお客さんも来ていたそうである。スタイリストさんは今朝は5時起きで仕事に入っているとおっしゃっていたので驚いてしまった。わたしが鏡の前に座っている間にも続々と披露宴前のお客さんがやって来る。3〜4歳の小さな女の子とお母さんも揃っておめかしに来ていて、スタイリストさんがむずかる女の子をなだめたりすかしたりキャンディで釣ったり、あの手この手でカットとセットをこなしていたのが微笑ましかった。
 せっかく塗った顔が台無しにならないように出掛ける前に鼻炎用カプセルでドーピングしていたので、カットとセットとメイクにかかった2時間半、本当に死ぬほど眠かった。まぶたを閉じて下さいとか開けて下さいとかの細かい指示や、崩れないようにキチキチに縛り上げた髪の毛がなかったら、きっとついつい眠り込んだと思う。

 肝心のウェディング・パーティは新郎・新婦の人柄が反映されたような心温まる集まりとなった。大学時代の友人たちとも実に久し振りに会って、積もる話に花を咲かせることができた。学生だった頃、わたしは新婦のノートに散々お世話になったのだが、他にもそういう人がぞろぞろ居たと判って安心した。しかもマスター・コースに進んだ某大学でも、彼女のマスター試験向けポイント整理ノートが「修士試験用バイブル」として後年珍重され続けているというスピーチまで出て来た。相変わらず真面目で几帳面な性格は変わっていないらしい。
 新郎には今日初めてお会いしたのだが、友人が伴侶として選んだのもなるほどと納得できるような、朴訥そうで真面目そうな好人物だった。この2人ならきっと末永く幸せに暮らしてくれることだろう。2人とも研究者でしかもテーマが似ているので、夫婦共著の論文なんかもこれからガンガン書いて実績を積み重ねて行くだろうと思う。

 パーティ会場は都内の某イタリアン・レストランだったのだが、ここのオリジナル・イヴェントとして「新郎・新婦が一緒に作るピザ」というものがあって面白かった。あらかじめ粉を練って寝かしてあり、丸めて伸ばしてソースや具をトッピングして釜に入れるという部分だけを披露するのだが、イタリアン・レストランならではの趣向で結構楽しかった。ウェディング・ケーキも新郎・新婦の意向に沿ったものをオリジナルで作ってもらったそうだが、デコレーションが2人の研究テーマに少しだけ引っ掛けてあって場内の微笑みを誘う。なんとデコレーションとして、おそらくマジパンか砂糖菓子でできた色とりどりのキノコがたくさん載っけてあったのだ。ケーキ本体はキノコが生える地面というか木をイメージしてチョコレート・ケーキ。徹底ぶりが楽しかった。
 とまあそういう風に、ごくごく普通のウェディング・パーティにしては多少テクニカル・タームが多発する、ある意味不思議な雰囲気の会ではあった。新郎が学部生だったのが某N大学だったため、デザート・タイムには名物「大根踊り」まで飛び出した。アレも知らない人が見たらきっと異様だったろうなあと思う。

 パーティがハネた後、招待された大学時代の友人たちと6人でちょっとだけお茶をしてから帰宅した。やりつけない格好を1日していたためにぐったりとくたびれてしまい、帰りの電車内に危うくバッグを置き忘れそうになって冷や汗をかいた。ブラシとハンカチとティッシュくらいしか入っていなかったのだが、何せ先日用意したばっかりのパーティ・バッグである。危なかった…。
 そして最寄駅までクルマで迎えに来てくれた家人が、化粧したわたしの顔を見るなり発した言葉は「やっぱキミのそーゆー顔は違和感あるなあ。似合わない…」。もうちょっとおだてるなりすれば、わたしだって少しは化粧する気になるかもしれないのに、サーヴィス精神のないヤツである。しかし帰宅して改めて鏡を見て、やっぱり自分でも「ケバかったかな。もうちょっと大人しくても良かったかな」と思ったので、基本的に根本的に化粧が似合わない顔であるのかもしれない。やれやれ。




04/24 幼児の美意識

2005/04/24 22:34
 昨日久し振りに会った大学時代の友人たちはみんな子持ちで、ひとりは既に8歳をカシラとする3兄妹のお母さんとなっていた。ついこの間「生まれました」というお知らせをもらったばかりのような気がするのに、もうそれから8年も経ったらしい。時はまるで華厳の滝のようにドーッと流れ去ってしまったのだ。自分がその間一体何をやってただろうかと考えると、思わず背中をたらりと汗が伝う。何もやってない。まあいいんだけど。
 総勢8人分の子育てエピソードを聞くのは大層楽しかった。一口に子育てと言っても、子供の個性は本当に1人1人千差万別で、「こうやっておけば大丈夫」という王道もセオリーもないらしい。大抵1人目の時は他家の子供と比べたりしてピリピリするのだが、2人目になるとかなり肩の力が抜けるのだそうだ。3人目ともなると「その辺に転がしておけば勝手に育つわよ」とカラカラ笑っている。会社勤めを続けながら3人分の子育てとは相当苦労するだろうに、何とも太っ腹で素敵なお母さんぶりである。

 友人Mさん家の子供たちが3兄妹である。一番上が8歳の男の子で、下に4歳と3歳の女の子が2人居るのだそうだ。お兄ちゃんはいかにも長男らしくおっとりとして生真面目で、既に妹たちに圧倒され気味らしい。競争心もまったくないので、そんなことではこれからやっていけるのだろうかと心配になる…とMさんは案じている。しかし話を聞いた限りでは妹さんたちがかなりおしゃまなので、お兄ちゃんは鍛えられてそこそこ上手に世渡りできるようになるのではないかと思った。
 特に面白かったのは4歳になる上の女の子である。どこで覚えて来たのか彼女には「きれいな女性のあるべき姿」というヴィジョンがはっきりあって、母親たるMさんにもそれを要求するらしい。Gパンにスニーカーで買い物に出ようものなら「お母さんたらそんな格好で外に出るの?」とクレームが付く。Mさんの成人式や結婚式の写真を見ては、そういう格好をして欲しがっている様子だという。保育園でもファッション・チェックの厳しさは有名で、保母さんや他のお母さんたちからは、Mさん自身がさぞや隙のない身なりをしていると思われているのだろうと困り果てていた。

 この女の子、鏡に向かっては髪の毛を念入りに整えたりするのが好きらしい。どうしてそうするのか訊いたら答えは驚くなかれ「だって女ですもの」だったのだそうだ。ひょえー。もしわたしがMさん家に遊びに行ったら、「おばちゃんみたいな汚い格好の人は見たことないわ」と追い出されてしまうかもしれない。彼女の好きなひらひらのスカートとハイヒールなぞ、それこそ誰かの結婚披露宴でもない限り身につけることはない。それこそ年柄年中Gパンとスニーカー(またはローファー)である。

 そしてどこで覚えてきたのか言葉遣いもお姫様なのだそうだ。外出先でいきなり「ねえお母様、わたしあのお菓子が食べたいですわ」とか言い出してMさんを仰天させたという。とは言え家の中ではそういう言葉は絶対に使わないので、彼女にもその言い回しが普段着向きではないと判ってはいるらしい。Mさんが驚くのが面白くてわざとそういう言葉遣いをしているフシがあり、もし本当にそうだとすると末恐ろしい子であると言えよう。
 「女ですもの」発言といいファッション・チェックといいお姫様言葉といい、どこでどう仕入れたのか不明というのがまた面白い。保育園で流行っているのではないのなら一体どこで、と、Mさんも不思議そうだった。ううむ、このまま厳しい美意識を保ちつつ育ったら、Mさんもやりにくいだろうなあ…。

 そういえば関西在住の姪っ子も5歳の時、○ンリオ・ピューロ・ランドに連れて行ったら、キティちゃんミュージカルのクサい歌詞が恥ずかしいと言って耳を塞いで聴いていたことがあって驚いたものだ。キティちゃんそのものは大好きで、着ぐるみにも嬉しそうに走って行くのに、ミュージカルのクサい歌詞には我慢できないらしい。『ウエストサイド・ストーリー』のラヴ・シーンでも耳を塞いでいた。
 誰が教えた訳でもないのに、4歳とか5歳とかでどうしてここまではっきりと自己主張できるのだろう。そしてまた同じ親から生まれて同じような環境で育っても、必ずしも同じような嗜好に育たないというのも実に面白い。美意識というのは先天的なものなのだろうか。とは言え例えば「女ですもの」のようなセリフは絶対にどこかで聞いて覚えたに違いないし、とするとやはり美意識も4年なり5年なりの人生を歩むうちに身につけた後天的なものなのだろうか。
 どこで何を見聞きして覚え込むか判ったものではないということで、小さな子の前ではうっかり不用意な発言もできないらしい。それにしてもこういうおしゃまな子、面白いなあ。




04/25 王の行方

2005/04/25 18:38
 所属チームでスタメン落ち傾向にある上に頬骨を骨折して要手術、しかも公式サイトがなぜか閲覧できない状態になっていてさんざん心配させられたカーロス・スペンサー選手だが、昨日ようやく公式サイトが復活した模様である。掲示板などを覗いてみると、わたしが接続できなかった期間でも投稿されているようなので、NZ国内からは見られたのだろうか。どうしてそういう事態が起こるのかは判らない。もしかしたら掲示板に直接ブックマークしていれば良かったのだろうか。何にせよ、事情不明のままなし崩しにフェイド・アウトということにならなくて一安心である。

 とは言え掲示板の書き込みを読んでみると、状況はそれほど一安心できそうなものでもない。カーロス・スペンサーご本人の日記コーナーとかスタッフからの公式アナウンス・ページにはもちろん何も書いていないのだが、流石に熱心なファンの集まる掲示板には最もフレッシュな情報が投下される。ここしばらくの書き込みをちまちまと読んでいくと、どうやらスペンサー選手に本格的に移籍のオファーが来ているらしい。
 一瞬「おお、じゃあ日本に来るとかいう噂は本当だったのか?」と思ったものの、オファーを寄越した相手は日本のチームではなかった。良く考えれば当たり前である。最近スランプ気味とは言え「キング」と綽名されるほどの選手を獲得できる気前の良いチームは日本のラグビー界には存在しない。たまにトップ・リーグのどこかのチームに「元オール・ブラックス選手」という人材が来てくれることもあるが、幾らなんでもスペンサー選手クラスを納得させられるギャラは出せなかろう。がっかり…。

 実際の(想定)移籍先はどうやらヨーロッパのチームらしい。掲示板に貼ってあったリンク先に飛んでいってみると、オファーを掛けて来たのはイギリスのプレミア・リーグのウォリアーズだということである。プレミア・リーグは良く知らないのだが、伝統的にイングランドのラグビーとニュージーランドのラグビーは性格がまったく異なるので、スペンサー選手がちゃんと活躍できるだろうかとちょっと不安になる。記事によれば他にもイギリス、フランスから各1チームずつ打診があるらしい。どちらかというとフランスのチームの方が合うのではないかと思うのだが…。
 もちろんわたしとしてはスペンサー選手にはNZでずっとプレイしていて欲しい。何より似合うのがオール・ブラックスの漆黒ジャージだからである。ハカのリーダーだってまだまだ交代させちゃイヤだ、と思っている。公式サイトのファンも同様の心境らしく、掲示板はちょっとした愁嘆場というか阿鼻叫喚の様相を呈しているのだった。省略とか流行の言い回しがガンガン出て来る掲示板の文章がさらにはじけたものになっていて梃子摺ってしまった。とは言えリンク先のニュース・サイトの記事も、知らない単語がいっぱい出て来るのでやっぱり読みにくい。「switch of codes」って何のことだろう。「移籍」のことをこう呼ぶのだろうか。辞書にも載ってないしなあ。
 そして駄目元で掛けてみた翻訳サイトのページ翻訳はやっぱり使い物にならないのだった…。

 NZの他の選手たちがどうかは知らないのだが、贔屓目を抜きに考えても、スペンサー選手はかなりファンを大切にするタイプであるらしい。スポンサーが付いていることもあるが、そもそも公式のファン向けサイトを開いている人そのものがあまり居ないのである。そんな中、週に1度程度とは言え新着画像をアップしたり、採れたて動画をダウンロードさせてくれたりと、なかなかサーヴィス精神に富んでいると思う。以前はハカの映像が出ていたし、先日も「Torpedo kick」の動画が登場してご機嫌なのである。
 動画の内容は、スペンサー選手がキックのやり方を説明しつつ実地に蹴ってみせてくれるという1分ほどの短いものだが、肉声付きというのが何といってもポイント高である。思ったよりもオージー訛りはキツくない。これから頑張ってディテールを聞き取るつもりなのだ(るん♪)。そして映像の中のスペンサー選手が被っているのは、先日通販で買ってしまった特製ロゴ入りキャップなのだった。つい嬉しくて「あれと同じ帽子、ウチにもあるよ」と家人に自慢したら、返って来たのはやはり「ばーか」の一言であった。意地悪め。

 全然関係ないがファンへのサーヴィス精神旺盛と言えば、やはり昨夜の日本プロ野球、ヤクルト・スワローズの古田敦也選手も外せない。千葉に居た頃に仲良くしてくれた方(家人の同僚)が大の古田ファンだったので、それ以来古田選手だけは別格で応援していたのだが、ここ1年ほどの古田選手の活躍には滂沱の涙を禁じ得ないのである。昨日の2000本安打達成のシーンもじーんとしたが、記念ボールにサインを入れてスタンドへ投げ込んだところには感動してしまった。わたしだったら絶対自分で持っていたいと思うだろう。それを惜し気もなくファンにプレゼント。いやーいい男だなあ…。
 そんなこんなで、スポーツ選手に萌え萌えする季節はまだまだ続くのであった。




04/26 げっそりぐったりな日

2005/04/26 17:17
 そろそろ花粉症の症状も沈静化してくれる頃だと思うのに、今年は前評判通り、体調不良が実にしつこく続いている。そして先週土曜日の結婚披露宴で珍しくワンピースなど着て化粧をし、いつになくキンチョーして半日過ごしたからか、それ以来どうも風邪気味である。自分では「まさかたったあれだけのことで?」と信じたくない気持ちなのだが、とっくり考えてみると、帰りの電車に危うくバッグを忘れそうになったのも、妙に寒くてアタマがボーッとしていたからなのだった。冷えないようにちゃんとショールもカーディガンも着ていったのだが…。
 ワンピースの下にはちゃんと防寒用ハーフパンツ(早く言えば股引き)を履いていたし、さらに念を入れて腹巻きもしていたのに、足元が冷えるとどうやら覿面である。割と暖かい日だったので大丈夫だと思っていたのだが、春の日とは言え、夕方以降は少し冷えたところで油断があったのかもしれない。

 そんな調子で今週に入ってからずっと体調サイアクである。そして悪い時には悪いことが重なるもので、いろいろとポカをやらかしたことまで判明したのだった。しかもミスとしての規模は元々小さかったのが、その後のフォローが悪かった。一体全体なぜそんなに大袈裟なことに発展するのだろう、という成長振りを示してしまった。良く考えればわたしが悪いのだろうが、正直なところ、少々うんざりする気持ちも押し殺せない。
 悪い癖で、こういう風に気分が滅入って来ると何もかもがイヤになる。やらかしたミスの後処理を考えるのもうざったいし、日常業務も果てしなく鬱陶しくなってくる。息をするのもイヤ、というぐーたら状態に陥る。気の毒に、とばっちりを喰うのは家人である。

 とりあえず動き出さないことには始まらないので、愚痴モードでも日記など書き、晩御飯の下拵えをし、少しでも日課の遂行に努めてみる。郵便物を取り込み、必要なものには目を通す。幸い今日は返事をしなくてはならない面倒な手紙はない。先ほどまでの雨のため、水濡れ防止のビニール袋に入った夕刊を取り出し、1面を眺める。生きてるのが面倒クサイ、などと考えていた自分が途端に恥ずかしくなる。
 兵庫の脱線事故は、第1報が入った時に予想したよりも、ずっとずっと大規模な惨事になってしまった。亡くなった方は73名、負傷者は441名。乗客の9割近くが死傷したというとんでもなさである。普段では考えられないまでにぺったんこになった電車のボディ、不謹慎だけれど、わたしはつい喫茶店で出されるストローの包み紙を連想してしまった。あの中に乗っていたら、確かに無事では済まされまい。

 被害者はおそらく今後当分の間は電車になど怖くて乗れないだろうし、ぶつかられたマンションの住民の方々も相当なショックを受けたことだろう。自分は1ミリたりとも悪くないのにこんな目に遭い、以後ずっと事故の記憶を背負って行かねばならない理不尽。この種の災難の前には、多少イヤなことがあったからとヘコむオノレがまるで阿呆に思えて来る。しっかりしなくては。

 脱線の原因はまだ不明だが、どうやら人災なのは間違いなさそうである。今さら遅いかもしれないけれど、原因だけはせめてはっきりさせて、今後2度とこんな事故が起こらないように対処して欲しいと思う。亡くなったり怪我をしたりした方々には当然の「後始末」だし、全国の電車ファンの人たちも少なからず心を痛めている筈である。そういう人たちに見苦しい真似を晒すことのないよう願う。
 そしてこの事故で災難に巻き込まれた方々には、まったくの部外者だけれど、心からのお見舞いを申し上げます。




04/27 謎のご近所

2005/04/27 21:30
 今年度、ウチは自治会の役員になってしまった。もちろん引き受けたくなんかないのだが、ブロック内の1年交代の持ち回りで、否応なく当たってしまったのである。寄り合いなどに実際に顔を出すのは隣家の義父がメインになってくれている。会合が開かれるのが大抵「日曜日の朝9時から」とかなので、朝寝坊な家人には到底出席できるものではない。女性陣(義母とわたし)は「出しゃばりたくない」を言い訳に最初から出席する気はさらさらない。義父にしてみればとんだ貧乏くじだろう。
 ご町内の年齢別人口構成比の示す通り、自治会運営は事実上、リタイア後の年配男性で牛耳られているらしい。この町に越してきて8年経つウチでさえ新参者の部類に入る、かなり古くから続く住宅街である。おかげで20年来の慣習や通例がどっちゃりしていて、自然と古参メンバーの発言力が強くなると見える。いろいろな面で多少非合理的なこともあるのか、義父や家人などは相当不満が溜まっているらしい。今度の月例総会でバクダンを投下してやろうか、などと恐ろしいことを言っている。やめてくれ〜(汗)。

 面倒臭いことが何よりキライなわたしとしては、別に自治会組織を改善する義理もないのだし、必要最低限の仕事だけやってさっさと来年のお当番さんにバトン・タッチすればいいじゃないかと無責任に考えている。『エロイカより愛をこめて』のエーベルバッハ少佐の言葉「汚物の山の中は鼻を摘んで一気に駆け抜けることだ」に賛成なのである。生活に密着した自治会なら参加する意義も感じるが、8年住んだ上でのこの自治会に対する感想としては「政治ごっこの好きな人はどこにでも居るらしい」ということしかない。真面目に付き合っていたらくたびれるだけ馬鹿を見る。
 とは言え、未だにご近所さんの名前と顔が一致しないわたしにしてみれば、近隣の方々と(改めて)きちんとご挨拶できる良いチャンスかもしれない。とりあえずできる仕事は喜んでやることにしたのだった。

 そして今日はブロック班長としての初仕事があった。今年度初の回覧板である。隣家の義父母は所用でしばらく留守にしているので、日中動けるのは事実上わたししか居ない。必要書類などは義父が予め作成してくれてあったし、回覧板用のクリア・フォルダも用意されている。わたしがすることはただ、リストの1番最初のお家へ出掛けて行って「今年度どうかよろしく」とご挨拶して回覧板を手渡すことだけ。さすがに楽勝で片付けられることだと思っていた。
 合理的に回覧板を回すため、ブロックの1番遠い端っこのお宅を出発点にしてある。遠い端っこということはつまりわたしには「どこの何さんか存じ上げない」お宅である。しかもつい最近越して来たばかりのお家らしく、Iさんというそのお名前さえ初耳だった。家人経由で義父から「ブロックからは少し離れた場所にある」ということは聞いていたのだが、狭い町内、よもや見つからないこともないと高を括っていたらこれが大間違い。探せども探せどもIさんのお宅が見当たらないのである。

 順番としてはIさん→Oさん→Mさん→Kさん→Kさん…(以下略)という並びになっている。Oさん家までは簡単に見つかったのだが、肝心のスタートラインたるIさん家はどこなのだろう。聞いていた付近を彷徨い歩いても該当するお宅には行き当たらない。そうかと言ってあまり行き過ぎると住所の番地が変わってしまう。見当を付けたあたりでやむなく「すいません、このご近所にIさんというおうちは…」と訊いてみても知らないという返事が来るばかり。
 ご町内(しかもウチのブロック近辺)を彷徨い歩くこと30分以上、自力でIさん宅を発見するのは無理だと判断した。こうなればOさんに訊いてみるしかない。回覧板で並ぶくらいなのだから、きっとOさんならばIさん宅の所在地をご存知だろう。初対面でドキドキするが止むを得ない、回覧板はどうあってもスタートさせねばならないのだ。意を決して呼び鈴を押す。ピンポーン。…お留守らしい。緊張が切れてドーッと疲れる。
 その隣のMさんも、そのまた隣のKさんもお留守。4軒目でようやく応答があったが、肝心のIさん家の場所はやっぱりご存知ないのだった。

 万策尽き果ててしょんぼりと踵を返す。一端帰宅して町内会名簿や近隣地図などに目を通してみたのだが、引っ越していらしたばかりなので地図にも載っていないし、電話番号も住所の番地も判らない。仕方がないので最後にもう1度だけ探そう、それでダメならIさん家は飛ばしてOさん家からスタートしよう、そう決めてまた家を出た。
 再びOさん家近辺をウロウロするもやっぱりIさん家は見つからない。そこへ郵便配達のおじさんがバイクに乗って通りかかった。郵便局の人ならば近隣住民については詳しいだろうか。謎に包まれたIさん家の所在地を、教えてもらえたりはしないだろうか。でも訊くとしたら何と言う? 「すみません、この近辺でIさんというお宅はありませんか?」だろうか。ダメだ。苗字だけしか知らないし、番地も判らないと来ている。そんなアヤフヤなことでわざわざバイクを止めてはイカンだろう。

 通り過ぎる郵便配達のおじさんのバイクを未練たらしく縋るような目で追いかけていたら、おじさんも視線を感じて気になったらしい。振り返り振り返りしつつ、それでも断固として職務遂行のため、どんどん走り去ってしまったのだった。呼び止める勇気が出なかった(とほほ)。
 仕方なくOさん家のポストに回覧板を押し込んで帰宅したのだが、結局未だにIさん家の所在地は不明のままである。上部組織の広報係の方にお訊きしてもご存知なかった。果たしてIさんとは本当に実在するのだろうか。もしや座敷童子…? そんな阿呆な考えもアタマをかすめる、くたびれもうけな初仕事であった。




04/28 誰にあげるの? どこへ行くの?

2005/04/28 18:08
 日常良く耳にする言葉に関して、またまた小姑的に引っ掛かっていることがある。特に料理番組で著しい表現なのだが、どうも「〜してあげる」とか「〜していく」という言い回しがあまりにも多発していないだろうか。例えば麻婆豆腐を作る手順の紹介中、「ここでにんにく1欠けをみじん切りにして“あげます”」とか「このように、挽き肉から油が染み出すくらいに炒めて“行きます”」とか、本当にしょっちゅう出て来るのである。気になりだすと止まらない。
 「にんにく1欠けをみじん切りにします」、「挽き肉を炒めます」で充分なのではないかと思う。アゲマスイキマスとあまりにも連続して出て来ると、誰にやねん、どこへやねん、とついつい独りでTVに向かって突っ込みを入れてしまう。あまりにも阿呆な光景である。

 理屈では、日本語特有でしかも最近その傾向が顕著に現れているという「婉曲表現」なのだな、と理解はできる。「〜します」と断言することが嫌がられているのだ。メイクアップのテクニックを紹介する時なども、「このようにアイラインを入れます」ではなくて「入れて“行きます”」の方が、遠まわしっぽくて現代風で好まれる表現なのだろう。
 その理屈は理解できる。できるのだが、やっぱりやっぱりどーしても気になるのである。センテンスごとに語尾が「行きます」や「あげます」だったりすると、なんだか無性にイライラして来るのである。語尾が気になって肝心のレシピをすっかり忘れてしまったということさえある。単細胞というかシングル・タスクというか、我ながら情けなかった(とほほほ)。

 断定を避けて婉曲にという表現傾向は、何も今に始まったことではないらしい。参照した文献が氷室冴子さんの『なんて素敵にジャパネスク』シリーズくらいしかないというのがちょっと弱いが、平安朝から既にそういう表現が好まれていたのだという。和歌にメチャメチャ深い意味を持たせてやり取りするのも意図としては同じなのかもしれない。平安朝の文化を日本で一番良く継承している京言葉(単にわたしの個人的な思い込みだが)も、そういえば伝統的に二重三重の意味を持つフレーズが多いような気がする。それが全国規模になりつつあるということは、日本語全体が雅に雅に傾いているのだろうか。
 平安朝の言葉の傾向には「省略」もある。極端な例がミカドの言葉遣いで、あの時代、やんごとなき貴人の肉声を徒に下々の人間に聞かせる訳に行かなかった。それで、意味不明になるギリギリまで発音数を減らし、ちま、ちま、と喋ったことから全体の意味を推し量るのだという。具体例を思い出せないのだが、例えば「良きに。九条は」が「では万事あなたが思った通りに手配して下さい。ところで九条(地名)に住んでいる例の人物の動向はどうなっていますか」だったりするのだろう。ほとんど推理ゲームである。
 ここまで激しくはないが、そういえばここ数十年、何でもかんでも省略される傾向にあるのは今さら言うまでもない。やっぱり言語の平安朝化が進んでいるのかしらん、と思うとちょっと楽しい。

 小栗左多里さんの『ダーリンの頭ン中』でも触れられていたが、いにしえから脈々と続く日本語の「婉曲表現傾向」は、翻訳する時に大変面倒くさいことになるのだという。婉曲表現の1つに「断定を避けるための受身形」があって、これがニュースなどでもしょっちゅう出て来る。「こういった方向と思われる」とか「重要とみられる要素は」とか「市場でこれが嫌気され」などなどなど。そういえば「とか」も婉曲表現の1種らしい。ともかく、それらを全部直訳すると文章が受身形の連続になる。見苦しいので言い回しを変えようにも主語があいまいだったりする。仕方なく翻訳者が創作しなければならないハメに陥る。
 翻訳者さんであればそれなりに日本語にも母国語にも長けているだろうからまだいいが、余計な苦労を背負い込むのは「最近日本語の勉強を始めました」という初心者さんたちであろう。直訳では限りなく訳しにくい受身形の連発に、「とか」や「〜とする」等のあいまい語。加えて「〜してあげます」や「〜していきます」のような新種の語尾。「とか」も「〜とする」も日本語独特の概念ではないかと思うし、「あげますいきます」語尾も直訳で理解するのはどうも無理そうだ。日本語とは非ネイティヴに限りなく厳しい言語かもしれない。

 中学校で初めて英作文をさせられた時、そういえばセンテンスが全部受身形になってしまって困ったことがある。在日外国人対象の日本語教室でヴォランティアをしていた時も、「とか」の概念を説明するのには苦労した。当時は「あげますいきます」語尾はなかったが、今だったら間違いなく生徒さんから「これはどういう意味だ」と質問を受けるに違いない。説明が滅茶苦茶難しそうである。
 とはいえ『ダーリンの頭ン中』によれば、最近は英語でもあいまい表現が出現しているらしい。「とか」にあたるフレーズもあるようで、文中に出ている例には混乱してしまった。文字で見ればまだ読みこなせるが、音声で聞いたらたぶん何のことやら判らないに違いない。きっと「あげますいきます」語尾などは、逆の立場に居る日本語ビギナーさんには混乱の元なのではないだろうか。別に日本語ビギナーに優しくしなくちゃというつもりもないし、平安朝から続く婉曲表現傾向をなくす訳にも行かないだろうが、せめてレシピの説明くらい、ビシーッと断定しちゃってもいいような気がする。




04/29 4月が終わってしまう…!

2005/04/29 19:41
 そしてハッと気が付けば今日からゴールデン・ウィークなのである。2005年がちょうど1/3終わってしまったことになる。顔から血の気がザーッと引くような気がする。今年の目標にしていたことなど、1/3どころかまだ手も付けていないものがゴロゴロしているではないか。おっそろしい…。
 毎日毎日、それほど怠惰に過ごしているつもりもないのだが(もちろん勤勉極まりないなどとは言えない)、日常のルーティン・ワークだとか細々とした割り込み雑用とか日課だとかをこなすだけで精一杯で、あれよあれよという間に時間だけがどんどん経ってしまうのが哀しい。日常ルーティン・ワークもとりあえず消化するだけでいっぱいいっぱいなので、費やす時間が多い割にあんまり合理化も上達もしないままなのである。タメイキ。

 スポーツ・クラブ通いもほぼ5ヶ月、来月からは6ヶ月目に突入である。途中3月はほとんど1ヶ月サボり倒したから実質キャリアは4ヶ月なのだが、そろそろ体力的にも体型的にも、効果のほどが現れて来ても良さそうな気がする。しかし現実は厳しく、わたしのケツは相変わらず重厚な存在感を示すし、肥えるのはカンタンで痩せるのは超難しいままなのだった。運動をして筋肉量が増えたら基礎代謝量がアップして、太りにくく痩せやすい体質になるとかの宣伝文句はどうなったのだろう。
 とは言えちょっぴりだけ向上したものがないでもない。身体の柔軟性がほんの少しアップした(ような気がする)のである。床に脚を伸ばして座って前屈したら、爪先を上から足の裏半分くらいまでは掴めるようになった。顔面が膝に付くところまではまだ行かないが、身体カチカチだったわたしからすると大した進歩なのだ。左右開脚も以前は90度がやっとという情けなさだったのだが、このところ、120度くらいは開くようになってきた。右脚膝裏から内腿にかけての筋肉が突っ張って痛いのだが、この痛みが引いたらもうちょっと開くようになるだろう。

 お気に入りバレエ体操も、感心なことに、まだ続いている。足1番がきちんとぴったり付くようになったので、少なくともO脚傾向の改善には多大なる効果があったことになる。相変わらず太いのは太いけれど、先生おっしゃるには「気長に続けていくうちに、必ず変化は現れますから頑張りましょう」だそうなので、諦めずに続けているのだ。何より、バー・レッスンっぽい基礎的筋力アップ体操は、オノレの身体を意のままにコントロールしてみたいわたしのニーズにぴったりである。しんどいことはしんどいけれど、レッスン後に爽快な気持ち良さを味わえるしんどさで、キライなタイプの試練ではない。
 所作が優雅になって来ているかどうかはまったく不明だが、脚上げなどがもうちょっとできるようになりたくて、支持筋肉である体幹部の筋肉を鍛えるクラスを最近始めた。以前日記に書いた「マット・サイエンス」というもので、マシン・エクササイズでは強化できない「インナー・マッスル」を強くし、ついでに骨格の歪みを矯正するためのレッスンである。

 こちらも今のところ感心にも通い続けることができているのだが、インナー・マッスル強化というのは平たく言うと腹筋のトレーニングである。今日も実はそのレッスンに行って来た。参加し始めてからそろそろ4回目くらいになるが、未だに死ぬほどお腹がプルプルする。そして筋肉トレーニングというのはどうしてこんなに汗をかくかな、というほど大量の汗が噴き出して来るのも変わらない。ヴェテラン参加者さんは「このクラスはあまり汗をかかないから楽ね」と言っていたが、慣れたらわたしもそういうふうになれるのだろうか。疑問。
 骨格の歪みも治ってくれたらどんなにいいかと思うが、さすがにまだ4回目ではそっち方面への効果は感じられない。身体を右に捻る時と左に捻る時で抵抗が違うのがハッキリ判るので、この感覚が同じになってきたら矯正は順調ということだろうか、と楽しみにしているのだった。

 バレエ体操の翌日とかマット・サイエンスの翌日には、身体中がくがくするほどの筋肉痛に襲われるのも相変わらずである。週に1度のレッスンでは頻度が充分ではないのだろう。せめて週に2回くらいできるとまた違って来るのだろうが、例えクラスを設定してもらえたとしても、わたしの方できちんと時間を作れるかどうかが怪しい。
 何にしても、しなやかな理想のボディまでは遥か遠い。「諦めは愚か者の結論である」とオノレに言い聞かせつつ、頑張って続けてみるしかない。なまるのはあっという間なのに、鍛えるのは本当に時間も手間もかかる。不条理だなあ…。




04/30 愛しのヴィッツたんが

2005/04/30 16:23
 今日からピット・インしてしまった。人間で言えば検査入院ということになろうか。別に故障した訳ではないのだが、オーディオのCDプレーヤがどうも音飛びするため、原因究明をお願いするのである。音飛びは特定のCDによるものではないので、トラックの傷が原因ではないと見える。走り出してからおよそ20分後あたりから始まり、タイミング的に電装品のスイッチが入る時に起こることが多い。ワイパーが動作した時とか、ウインカーを作動させた時とか、ブレーキを踏んだ時などである。なーんにもしていない時でも発生することもある。
 最初はCDデッキの不良かと思われ、先日プレーヤを取り替えてもらったばかりなのだ。ところがプレーヤの交換後、1人でスポーツ・クラブへ出掛けて行った家人が帰宅するなり「まだ音飛び直ってないよぉ」と報告して来た。どうやらプレーヤの不具合によるものでもなかったらしい。

 販売店さんで定期点検してもらった時にも音飛びをチェックするよう伝えてあったし、その後も何度か同乗してもらうなど骨折りは充分にしていただいている。ただどういう訳か今のところ、ウチの住人以外の前では音飛びが起こったことがないのである。家人が「音飛び音飛び」と独りで騒いでいた時は、わたし自身もそんな現象に行き当たったことがなかったので、気のせいではないかと真面目に取り合っていなかった。しかしやがてわたしが同乗している時にも問題の音飛び現象が起こり、信じざるを得なくなってしまった。
 昨晩とその前の晩、点検に出す直前のチェックとして、また家人と2人で夜中のドライヴを決行した。ところがどういう訳かその両日とも音飛びが全然起こらない。まさかとは思うが自然に直ったなんてことが有り得るのだろうか。このままでは現象の再現性が皆無なので、販売店のメンテナンスさんたちなどを無駄に悩ませることになってしまう。たった1度でいいから実際に聞いてもらえるといいのだが、現状ではウチは単なる口煩いクレーマーである。嫌だなあ…。

 引き取りの営業さんたちが到着する直前になって家人が「もしかしたら静電気のせいかも」と言い出した。良く良く考えていたらついさっき思い出したそうなのだが、職場でたまに何かを録音するような時、そういえばあんな具合の音飛びが起こることがあるらしい。静電気でパチッとする時、スピーカに過剰な負荷がかかる。破損を防ぐために瞬間的に出力が絞られると、ちょうどウチのCDプレーヤで起こるような音飛びになりはしないかというのだ。
 もしそうだとするとプレーヤを取り替えてもらったのはまったくの無駄ということになる。ちょっと前の超乾燥していた時期に多発して、昨日一昨日起こらなかった理由もそれで説明できるかもしれない。やはり静電気のせいなのだろうか。ぎょえー申し訳ない…。
 ともかく今までに気付いたことなどを洗いざらい説明し、ヴィッツたんを担当さんとメンテさんにお任せしたのだった。原因がちゃんと判明するといいなあ。ついでに家人はCVTのセッティングで、特にアクセルの繋がるタイミングが気に入らない点も説明して、もし調整できるようなら直して欲しいとリクエストしていた。

 ヴィッツたんが帰って来るのは連休明けの11日以降だそうである。代車としてやって来たのは同じTOYOTAのbB君。新型ヴィッツよりは車幅がじゃっかん狭く、その代わり無闇に背の高い、箱のようなシルエットのコンパクトカーである。もともとは試乗車だったのを無理を言ってこちらに回してもらったらしい。できたらPassoに乗ってみたいなあと思っていたのだが、これ以上営業さんを困らせる訳にも行かない。
 乗ってみたらbBは、ずいぶんと若者向けという印象のヤンチャな車だった。車幅は新型ヴィッツよりも小さいはずなのだが、角ばっているためにだいぶ「手の中からはみ出る感じ」がする。前方の見切りができないのはヴィッツも同様だが、左右後方角っこがどこにあるかの感覚が掴みにくい。まだ助手席にしか座っていないが、たぶんこの車、わたしの手には余るのではないかという印象である。

 しかもシフト・レヴァーがコラム式。前列フラット・シートだからどうしてもそういう作りになるのだろうが、わたしは今までにコラム・シフトの車を運転したことなどない。AT車だからギア・チェンジの頻度は少ないのだが、車庫入れの時など、ただでさえいっぱいいっぱいなのにさらにパニクりそうである。しかもサイド・ブレーキも当然のように足踏み式なので、クラッチと間違えそうで怖い。
 運転した家人によれば、ヴィッツよりもハンドルの感覚がずいぶん重いらしい。一応パワー・ステアリングなのだが、運転するのが好きな人はそういう手応えのあるハンドル捌きの方が楽しいのかもしれない。個人的にはそれもマイナス印象で、予想というか結論というか、わたしはおそらくこのbB君、運転することはないだろう。

 新型ヴィッツのCVTよりもアクセルを踏んだ後のレスポンスが早く、その点はbBの方が気持ちいいと家人は言う。しかしbBの固い乗り味(滅茶苦茶ゴツゴツしている)に急加速・急発進と来たら、わたしはあっという間に車酔いを起こしそうで嬉しくないのだった。個人的には新型ヴィッツのCVTのセッティングはキライではない。軽〜く踏んでいるうちにじわ〜っと加速し、とんがった走りをしようにもできない設定になっているような気がする。じわ〜っと加速してじわ〜っと止まる、大人しい運転をする人間には打って付けだと思う。
 ただし家人を始めとした「キビキビした走り」が好きな人には、このセッティングはあまり嬉しくないらしい。特に合流時や進路変更時のダッシュが、新型ヴィッツのアクセル・レスポンスだとやりにくいのだと言う。家人にとって理想はマニュアル・トランスミッションに匹敵するレスポンスなのだ。判らないでもないが、あまりにキビキビし過ぎると、同乗しているわたしは車酔いしちゃうのである。できたら新型ヴィッツのじわ〜っと加速するCVTに染まってくれないかなあ。…無理だろうなあ。