徒然過去日記・2005年5月

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05/01 メイデイ、メイデイ!

2005/05/01 15:01
 阿呆な話だが、結構大きくなるまで救難信号の「メイデイ」は「May day」だと思っていた。英語だと綴りもその通りなので、何の疑いもなく「5月1日」が「助けてサイン」を意味するものと信じていたものだ。「立て万国の労働者〜」の日として知られる5月1日が救難要請のコールサインとなった理由もきっとまた何かそれっぽい由来があるのだろう、だって10月10日は「体育の日」と「目の日」を兼ねていて、それぞれちゃんとした謂われだってあるもんね、と。
 生まれて初めて「メイデイ」という言葉を見たのはジュリー・アンドリュースの『偉大なるワンドゥードゥル最後の1匹』に出て来た時である。救難要請コールサインというと「SOS」しか知らなかった小学生のわたしには、5月1日という麗らかな印象のある日付と救難信号の逼迫感のミスマッチがスリリングに思えて、それからしばらくことあるごとに「メイデイ」を連発したものだった。TPOを弁えない、とんでもないガキである。

 それからゆうに10年は経ってから、救難要請コールサイン「メイデイ」の語源はフランス語である、という話を聞いた。陽光煌めく5月とは何の関係もなく、単に英語の「Aid me」を意味する「M'aider」から来ているだけ、と。フランス語の発音は全然知らないので「M'aider」がどうして「メイデイ」になるのか、今でも実は良く判らない。『ロング・エンゲージメント』に出て来た「MMM」が、なぜ「マネクはマチルドを愛する」になるのかも判らなかった。
 パンフレットを見たらフランス語で「愛する」は「aim」で、発音が「エム」に近いからそうなるのだと書いてあった。なるほど「ジュテイム」の後半部分だと思えば納得する。フランス語にはリエゾンがいっぱい出て来るので、文字の綴りを思い浮かべながら聞いてもさっぱり理解できないのだ。「コート・ジボワール」と「コート・ダジュール」が、それぞれ「象牙(ivory)」と「青(azure)」に結び付いた時のうっちゃられ感はひとしおであった。フランス語圏の人は熟語1つ丸ごと1繋がりで覚えてしまうのだろうか。

 それはさておき「メイデイ」である。
 幸いなことに今までの人生、メイデイを発信しなければならない羽目に陥ったことはない。亡くなった方がとうとう107人になってしまった尼崎の脱線・転覆事故くらいになると、助けを求める余裕もなくすべてがあっという間に起こってしまったのだろう。「エスオーエス」と悠長に言っている暇はないだろうからより短い「メイデイ」の方が、というのも判る気がする。徒や疎かにしてはならない言葉だとしみじみ思う。
 亡くなった107名のプロフィールなどをA新聞が1ページ使って載せていて、あまりにも突然断ち切られた107の人生を思うと胸が詰まる。通勤や通学の途中だった人たち、いつもは後部車両に乗る習慣だったのがたまたまあの日だけ先頭に乗って事故に遭った人、生まれて初めて海外旅行へ出掛ける途中だった人たち…。詳しい事故原因は不明のままだがおそらくスピードの出し過ぎが主たる要因だったらしいとは言え、ブレーキを握り締めたまま亡くなっていたという運転士さんも、その時の恐慌状態を思うとやり切れない。心からご冥福を祈る。

 ともかく二進も三進も行かなくなってから叫ぶ言葉だから、本当なら「メイデイ」を言う羽目に陥らないように備えるのが正しい危機管理である筈で、電車の運行ダイヤを優先させがちなJR西日本の体質はその点まったくなっていなかったと言えるだろう。1分2分遅れたら確かに乗客たちからは苦情の嵐が来るだろうが、「クレーム回避のためにスピード違反」が常態だったとすると、やはりどう考えても本末転倒である。ダイヤ遅れやオーヴァー・ランを起こした後の「講習」とやらも、技術研修やちゃんとした座学ではなかったらしい。草むしりなんて、「講習」じゃなくて単なるイジメではないか。
 とは言え乗客たちのニーズをどんどん取り入れた結果が過密ダイヤや時刻表厳守主義でもあったのだろう。ユーティリティを過剰に追求することは、もしかしたら何かを犠牲にしなくてはならないことを意味するのかも…ということ、アタマの隅に置いておくべきかもしれないな、とチラリと思った。

 何かミスをしでかしたとしても、その後のフォローさえ適切に行なわれれば、即座に滅茶苦茶な大騒ぎに突入ということもあまりない筈である。先日ちょっとしたポカをやらかしてその後フォローを忘れていたために、思いも寄らない事態になってしまって慌てたことを思い出す。オーヴァー・ラン1回でボーナス○万円引き、ダイヤ遅れ1分につきドウノコウノと、JR西日本の規定で細かく決められていたのが本当だとすると、小さなミスを糊塗するためのマズい対応が雪だるま式に大きくなったのではないかとも思えてなんだか寂しい。
 おんなじ失敗を何度も何度も繰り返すとしたら確かに問題だけれど、単にそれを罰するのではなく、じゃあどうしたらミスをしないようになるかについて考えた方が絶対建設的だし、部下はもちろん叱る立場の上司たちの精神衛生にだっていい筈である。やっちゃったものは仕方がないんだし、ミスした状態をスタート地点にして、どこまで失点を取り戻せるかを考えたいものだ。

 そんなことを思ったのは、昨日ヴィッツたんの代車としてウチにやって来たbB君にカーナビが付いていたからである。自他共に太鼓判を押すほどの方向音痴たるわたしだが、カーナビを利用したのは実は生まれて初めてだった。ルートを地図で示してくれ、音声で右左折を指示してくれ、右折レーンなどの現場状況まで細かく表示してくれる。ああこれがあったらわたしも知らない場所へ行くのが怖くはなくなるかもしれない。カーナビ、なんと素晴らしい器械だろう。
 何より感動したのは、ルート・ガイダンスに従って走行中、表示されるルートを外れても自動的に再検索をかけて新しくルートを更新してくれることだった。昨夜買出しに出掛けた際、行き着けスーパーまでの道を設定してみた家人が、わざとカーナビお勧めルートから外れた道を通ったのである。アラームを鳴らしたり「ルートを外れました」とうるさく文句を言ったりすることもなく、ただ黙々と「その地点」から目的地まで行くにはどうしたらいいかを、慌てず騒がず冷静にカーナビは調べてくれたのだ。

 これこそ望みうる最高のフォローだよなあ、と嬉しくなってしまった。地理に不案内なドライヴァーがたまたまカーナビの指示ルートから外れたとして、下手にアラームを鳴らされようものならパニクってしまう。道を間違えても自力で元のルートへ復帰できるような人ならば、そもそも最初からカーナビなんか要らないもんね。いいなあカーナビ。欲しいなあ。家人は「高価過ぎるオモチャだね」と相変わらず取り合ってくれないのだが。

 ともあれ、こういうカーナビのようなフォローをしてくれる人が、脱線した電車の運転士さんにも居たら良かったのに。たった23歳、業務経験11ヶ月の人間にちゃんとした補佐役も付いていなかったのだろうか。「メイデイ」も言えずに独りでカタストロフに突っ込んで行った運転士さんの心境を思うとなんだか切ない。巻き添えを食った乗客の方々の怒りや悲しみも、そのご家族や友人・知人の方々の遣り切れなさも、想像するに余りある。
 あの事故で亡くなった方々のご冥福と、係累の皆さんの心の平安を、重ねて祈らずには居られない。




05/02 燃えているのは

2005/05/02 15:10
 CATVで昨日から『帰ってきたウルトラマン』の再放送が始まった。かつて怪獣小僧であった家人はいそいそとチャンネルを合わせ、初回の2話連続放送を楽しんでいる。昔懐かしいOPのシルエット映像と主題歌、どうやらわたしもこの辺からリアル・タイム鑑賞の記憶がある。『できるかな』と同じく、幼稚園に上がる前の時期に観ていたのだろう。
 ストーリーはないに等しい『できるかな』はともかく、『帰ってきたウルトラマン』についても、各話の細かい展開はほとんど覚えていない。3歳ちょっとなので仕方ないだろうが、主人公・郷秀樹が元レーサーだったという設定も、今回の再放送で改めて認識した。それにしても郷秀樹というネーミングがすごい。今だったらさしずめ「中井拓哉」とか「香取拓哉」とかだろうか。元ネタバレバレだが一応ヒーローの名前だからクレームも付かなかったのか、当時はそういうことに大らかだったのか。

 ということで『帰ってきたウルトラマン』ではむしろ主題歌の印象が強い。ストーリーはどんどん進むが主題歌は毎週同じものが流れるので、幼児だったわたしの記憶にも染み込みやすかったのだろう。翌年放送の(だったと思う)『ウルトラマンA』や『トリプルファイター』もはっきり覚えているのは主題歌だけ。最後のフレーズ「♪宇宙のエース」と「♪トリプルファイター」がそっくりで混乱したことがなぜか鮮明に記憶に残っている。『ウルトラマンA』の主題歌は転調する前の前半部分が好きだった。
 主題歌を覚えていると言ってもやはりそこは4歳にもならない幼児の記憶で、本人はしっかり理解しているつもりでもいろいろ勘違いがあるらしい。昨夜の『帰ってきたウルトラマン』再放送第1話OPを観ながら長年の疑問を何気なく家人に問いかけたら、歌詞が思っていたものと実は違っていたということが初めて判った。

 30年以上にわたり、わたしは『帰ってきたウルトラマン』主題歌の一節を「♪燃えるマーチにあとわずか」だと思い込んで過ごして来た。歌詞の全文引用は避けるが(参照ページはこちら)、助けを求める人々の声に応えて遠いウルトラの星からたった独りでやってきたウルトラマンが、怪獣退治の使命を着々と果たして大願成就まであと少し、もうひと頑張りで平和な地球が達成できる…というハレルヤな歌だと思っていたのである。
 地球が怪獣来襲の恐怖から解き放たれるその時、どういうものかは不明だが、どこからともなく高らかに「燃えるマーチ」が鳴り響くのだろう。きっと明るく誇らしげなメロディに違いない。3〜4歳当時はそういう言葉はもちろん知らなかったが、イメージ的に『アイーダ』の「凱旋行進曲」のような格好いい曲だと信じていた。
 もしかしたら最終回あたりで「燃えるマーチ」が流れたのかもしれないが記憶にない。30年以上ずーっと「燃えるマーチ」ってどんな曲だろうと思っていた。それで家人に訊いた。「いったいどんな曲なんだろうね、“燃えるマーチ”って?」。

 反応は馬鹿笑いといつも通りの「バッカじゃないの?」であった(憮然)。家人の言うにはあの歌詞は「燃えるマーチ」ではなくて「燃える街」なのだそうだ。え〜? 思いっ切り気分高揚を誘うあの曲想で、「あとわずか」なのは「手の届きそうな素晴らしいゴール」ではないと言うのか? 今しもウルトラマンが、怪獣に襲われて炎上するどこかの街へ飛んで行く、その様子を描写した阿鼻叫喚な歌詞だと? そんなあっ。
 30年来の思い込みとは恐ろしいもので、どうしても信じられないわたしは即座にネットで検索をした。結果はもちろん惨敗である。どの参照ページを開いてもきっちりと「燃える街」と明記されているのだった。コード進行がどういうのかもちろん知らないけれど、いかにもハッピーエンディング! 的なカタルシスばっちりのシーンなのに。ううむ納得行かない。まるでウルトラマンが炎に包まれた街へ出動する時、「うっほほーい、出番だ出番♪」とわくわくしているように聞こえるではないか。

 他に『帰ってきたウルトラマン』挿入歌で記憶鮮明なのは、男性コーラスの「ランダバダバ…」というものだった。ずいぶん後に「ランバダ」ブームが起こった時、てっきりあの手の曲かと思ったのだが違ったので拍子抜けしたことがある。主題歌の歌詞を探しているうちにやっと判ったのだが、あの挿入歌は「ワンダバ」という曲らしい。
 何だかんだとあちこちいろいろ勘違いがあるようだ。他にもよもやまさかな思い込みはあるのだろうか。あるんだろうなあ…。

 そしてこちらも相変わらず思い込んでいるのだが、ウルトラマンのカラー・タイマーとインスタント・ラーメンはやっぱり深い関係にあるような気がする。『帰ってきたウルトラマン』の第1話で、シリーズを通して初めて「ウルトラマンは地上には3分間しか存在できない」というナレーションが入る。初代『ウルトラマン』では「ウルトラマンの太陽エネルギーは、地上では急速に減少する」としか言及されておらず、『ウルトラセブン』ではそもそもカラー・タイマーの設定自体がなかった。
 1958年に「チキンラーメン」が発売されてからこの頃までに、インスタント・ラーメンは急激に日本全国に普及した。『帰ってきたウルトラマン』放映時は市場はほとんど飽和状態に達していたそうである。「3分間」という時間が人々の意識に強烈に刷り込まれていたために、ウルトラマンのカラー・タイマーも3分間になったのではないだろうか。以前からずーっとそういう仮説(妄想とも呼ぶ)を立てているのだが、残念ながら今のところ立証できる見込みはない。

 『帰ってきたウルトラマン』の本放送が始まって5ヶ月後の1971年9月に、日本初のカップヌードルが発売となっている。『帰ってきた…』でカラー・タイマーの3分間について初めて言及されるのが1971年末くらいであれば、制作スタッフの誰かがカップヌードルを食べて「3分間」が決定したのだと言えるのではないかと思っていたのだが、これは思惑違いである。『帰ってきた…』を制作中、スタッフの誰かがカップヌードルの試作品を食べた、なんてことは…ないんだろうなあ…。
 ともかく『帰ってきた…』で公式にカラー・タイマーのリミットが決定される以前に、あの「3分間」はファンの間に広まっていたのは間違いないと思う。その設定が本編に逆輸入され、いわば後付け的に「3分間」は定着したのだ。傍証を挙げるとしたら、膨大な「ウルトラマン・シリーズ」のムック本の中で初めてカラー・タイマーの制限時間について触れたものを探し出す必要がある。さらにその発行日は『帰ってきたウルトラマン』制作開始より前でなければならない。
 大層興味はあるがとてもそんな大仕事に手を付ける気にはなれない。わたしはぐーたら者だし、「カラー・タイマーの制限時間はインスタント・ラーメン由来」説がトンデモである可能性も大きい。「燃えるマーチ」の二の舞を踏まないという保証はまったくないのである。




05/03 オフなのに

2005/05/03 14:45
 家人が中心になって運営している恒例オフの、今日は本番だったのだ。今頃みんな会場の小ホールに集まって、思い思いのプログラムを演奏したり聴き入ったりしているハズである。わたしも本当なら参加するつもりだったのだが、昨日の夕方、庭に水撒きをしている途中でうっかりアタマからざんぶりとシャワーを浴びてしまった。タオルを取りに一端家に入るのが面倒臭かったので水撒き続行したらゾクリと来た。お定まりのように昨日の晩から頭痛咽喉痛発熱のトリオ攻撃を喰らってしまった。
 ちょっとしたことで体調を崩し過ぎな気がして情けないが、おそらく原因はアレだろうなと思い当たるフシがある。人間にバイオリズムとやらがあるのならば、わたしのバイオリズムは毎年この時期が最低に落ち込むのである。気分も暗いので何をやっても上手く運ばない。加えて今年は長引く花粉症で鼻がまだぐずぐずしていることもある。

 バイオリズム低下の原因にも心当たりがある。ちょうど5年前の今日が、わたしの今までの人生ワースト3にランク・インする厄日だったのだ。もう正午に近い時間、のんべんだらりんと朝寝坊を決め込んでいたわたしを叩き起こした1本の電話から始まった最低サイアクな数日間。あれ以来どうもこの時期は調子が悪い。意識しないように、忘れるようにしているのだが、鍛錬が足りないのか、未だに乗り越えることができていない。
 眠ってもイヤな夢ばかり見るし、先日は盛大にうなされてもいたらしい。おかげでここしばらくちゃんと眠れた気がしない。そこへ持って来て水なぞ浴びたのがいけなかったのだろう。

 体調がメンタル面に引きずられ過ぎるように思う。落ち込むたびに風邪を引いていたら家人にも迷惑をかけてしまうし、わたし本人だって結構しんどい。都合の悪い記憶とか感情の波を、表層意識からスッパリと切り捨てることができるようになりたいなあ。でなければせめて、例えどん底まで落ち込んでいても、体調だけは独立して維持できるといいのだが。昔やってみて挫折した「自己コントロール法」にもう1度チャレンジしてみたらいいかもしれない。

 せっかく久し振りに会える友達も来ているのに。参加者の1人が演奏する予定のプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタを聴くのも楽しみにしていたのに。ちぇっ。
 とりあえず帰宅した家人に「またかい」と呆れられないよう、クスリを呑んで眠ることにしよう。いい天気の休日がもったいない…(タメイキ)。




05/04 最近の鉄の馬

2005/05/04 20:56
 バイク乗りになるという野望を捨てて10年以上が経つが、相変わらず街行くオートバイについつい目が留まる癖は直らない。もしも限定解除なんか出来たらアレに乗りたいなあと思っていたのはDUCATIで、あのコロッとしつつもスタイリッシュなフォルムと、イタリアンなカラーリングが大好きだった。真っ赤なDUCATIに同じ色のメットを被って、かっちょいいライダー・スーツなどを身に纏い、颯爽と走れたらどんなに気持ちいいだろうかと妄想したものだ。
 もちろん実際には当時のわたしにはDUCATIに見合う実力はなかった。Uターンが出来なくて立ちゴケの常習者だったとか、挙句に降りて回すのがデフォルトだったとか、そんなレヴェルの人間がDUCATIに乗っていたら却って恥晒しである。Uターンでいちいち降りるDUCATI乗りが居たらわたしだって失笑する。「車庫入れに四苦八苦するフェラーリとかポルシェ」と同じくらいかそれ以上にみっともないことだと思う。

 そもそも仮にDUCATIに相応しい実力を持っていたとしても、DUCATIオーナーになる経済力はまったくなかった。例えば「いかにもDUCATI!」という感じがする2005年モデル999Rなど、新車で買ったら本体価格だけで393万7500円もするのである。下手な高級国産車よりも高価く付いてしまう。わたしの手が届くとしたらせいぜいその1/10程度、まあ頑張っても国産ユーズド・バイクがいい所だろう。
 永遠に見果てぬ夢、それがわたしにとっての真っ赤な大型DUCATIである。外出中にたまたま行き会ったりすると、思わず助手席の窓に貼り付いてうっとり眺めてしまう。はう〜格好いいなあ…。
 しかもDUCATIは基本的にタンデム向きではない。無理矢理乗れば2ケツできないこともないだろうと思うけれど、そもそもは独りで乗り回すのが前提のバイクである。その辺も大層渋い。派手派手ボディなのに滅茶苦茶硬派なのだ。イメージ的に『紅の豚』そのもの、「格好いいとはこういうことさ」という感じがする。

 そんな風に、わたしのイメージする「バイク乗り」とは相当にクラシックである。間違っても『ローマの休日』の2人乗りVESPAではない。あれはあれで可愛らしいとは思うが、「鉄の馬=オートバイ」とは似て非なる乗り物だと思っている。夏はカンカン照りの太陽に炙られ、冬は吹きっ晒しの北風に身体の芯まで凍え、雨が降ったら濡れ鼠。BGMもエアコンもなしにたった独りで黙々と走り続け、気に入った風景に出会ったら気軽に停まって路肩で一休み。禁欲的で、風のように気ままなのが身上なのだ。
 もちろん隊列を組んでツーリングするのも一般的だし、無線とヘッド・セットでコミュニケーションを取りながら走ることもできなくはない。でもやっぱり、バイクで走るということはクルマでのドライヴに比べて内省的で孤独な行動であるように思う。

 とは言え最近の事情はだいぶ様変わりしているかもしれない。このところ富に増えたスクーター・タイプの中型&大型バイクは、ややもすると偏屈に傾き勝ちなわたしのイメージに合わないのだ。BGMもエアコンもナシなのは同じだけれど、ロードランナー型のオートバイに比べてライディング・スタイルがかなりカジュアルである。ハーレーに代表されるアメリカン・タイプのようなこだわり感も薄い。どーも「原チャリのでっかいの」にしか見えなくて、なんとなくチープな印象を受ける。もちろんディーラーさんの値段表を参照すれば、チープどころではないのであるが。
 さらにスクーター型の中型&大型バイクはタンデムもずっとし易いらしい。実際に乗ったことはないから詳しいことは不明だが、タンデム・シートは従来型バイクに比べてかなりゆったりしているように見えるし、後部席用のステップもひょっとするとデフォルト装備かもしれない。従来型のバイクよりも重心が低いから、ライディング・テクニックが多少怪しくても楽に2ケツできるのではないかと思う。基本的に1人乗りだけど2人でも何とか乗れます、ではなくて、そもそも「定員2名」に設定されているのだろうか。
 エコロジー面から考えても1人乗りよりは2人乗りの方が有利だし、移動手段としても合理的だとは思う。従来型バイクがシュミに特化した乗り物だとすると、スクーター型のはより気軽なアシとしての役割に重点が置かれているのだろう。

 完全に個人的な好き嫌いの問題だが、わたしとしてはやっぱり、大型バイクが「サンダル」になってしまうのはちょっと哀しい。中型→大型のステップ・アップが超難関の限定解除に限られていた昔と違って、今では教習所で「大型コース」を選べば試験場に行くことなく大型2輪免許が取れる。限定解除なんかに挑戦するのは相当のバイク好きでこだわり屋さんで、もちろんそれなりの経験と技術を持っていたバイク乗りにある程度限られていたのだが、その辺りの事情も少々変化している。スクーター型の大型バイクが大人気になっても不思議ではない。
 教習所で大型2輪免許が取れるようになってからこっち、でっかいバイクに乗っている人たちのマナーが低下したような気がする。さらに偏見かもしれないけれど、スクーター・タイプの乗り手には「ちょっとそれはどうだろう」という乗り方が散見されるように思う。少なくとも、以前のような「ステイタス」とか「難関を通過した誇り」といった気概をもって走っている人が減ってしまったのではないだろうか。やっぱり偏見かなあ。

 そしてまた思い込みかもしれないけれど、最近原チャリの2人乗りをやたらに見掛けるようになった気がする。先月1日からだったか、高速道路での2輪車2人乗りが解禁されたのだが、どうもそれが誤解されているのではないかと思う。「高速道路での」という条件がスッポ抜けて、「2輪車の2人乗り」が全面的に解禁された、と思い込んでいる人が少なからず存在するのではないだろうか。
 以前は原チャリの2人乗りをしているような人というのは決まって「ちょっとヤンキー風」な若者たちに限られていた。このところちょくちょく出会う2人乗り原チャリは、ごくごくフツーに見える人たちが乗っている場合も多い。もしかして中型&大型スクーターの普及と4月からの「高速道路タンデム解禁」で、原チャリでも2人乗りしてもいいのだと勘違いしているのではないかと心配になる。
 原チャリ免許を取る時にもちろんその辺はきっちり習うハズだけれど、自転車とおんなじような無法な乗り方をしている人々もたくさん居るので油断はできないような気がする。原チャリで2ケツしたら捕まっちゃうし、出力的に原チャリでの2ケツは本当に危ない。知らないぞ〜と思いつつ、2人乗り原チャリを見掛けたら可能な限り離れて運転するようにしている今日この頃であった。




05/05 チーズ・チーズ・チーズ

2005/05/05 22:23
 暑くなったり寒くなったり、朝晩は結構冷えるのに昼間は蒸し蒸ししたり、ってなことで、相変わらず風邪気味が治らない。こういう時にはちゃんとしたご飯を食べるのが面倒臭くなってくる。食指が動くのがマンゴー・アイスとかマンゴー・プリンとかマンゴー・ジュースとかマンゴー・ソルベとかマンゴー味の「こんにゃく畑」とかドライ・マンゴーとか、家人に言わせれば「いい加減な食い物」ばっかりになる。要するにマンゴー味がしていれば咽喉を通る、という訳だ。
 わたしがマンゴーの魅力に取り付かれたのは今から約5年前、最寄駅近辺が再開発されて「ちょっとお高めのスーパー」が出来、そこでトロピカル・アイランド印の100%マンゴー・ジュースと出会ってからである。当時は他にマンゴー味のものを探すのは結構苦労したものだが、ここ1年ほど急激にその手のデザート類が増えたので、もう本当に嬉しい限りなのだ。ファミレスのデ○ーズでは折り良く「マンゴー・フェスタ」っぽいイヴェントを開催していたりする。できたらマンゴー・メニュー全制覇したいところなのだが、行動半径内に残念ながらデ○ーズがない。クルマを使えば割に近いのだが、生憎わたしは(以下略)…。

 さすがにマンゴーばかり食べて生きていくのはアカンだろうか、と思ったので、他にも気持ちよく食べられるものを探すことにした。その結果「これなら何とか」なレヴェルにあると判ったのはチーズだった。カッテージ・チーズ(裏ごししててもしてなくてもOK)にブルーベリー・ジャム(マンゴー・ジャムなら完璧)を添えたものならいつでも美味しい。カマンベール・チーズも大丈夫だし、いつぞや日記に書いたことがある「ブルサン」のアイユやパルミジャーノ・レッジャーノもちろん大好きである。
 先日駅前の行きつけスーパーのチーズ・コーナーで、賞味期限ギリギリのリコッタとサンタンドレを見つけ、それぞれ半額だったので思わず両方とも買ってしまった。サンタンドレはともかくリコッタを熟成させる訳にもいかないので、その日の晩御飯はリコッタ山盛りのりんごサラダが半ばメインのようになってしまったものだ。りんごのスライスとリコッタの相性は抜群だった♪

 しかしより感激的に美味だったのはサンタンドレである。パッケージを開けたら白カビふかふかの円柱が出てきて、ナイフを入れたら中はいい具合に熟成が進んでとろ〜りとしていた。個人的好みだが、カマンベールやブリーなど、箱に書いてある賞味期限よりも少し置いておいたくらいの方が柔らかくなっていて美味しいと思う。
 サンタンドレの皮を齧ってみたら、カマンベールの皮よりもちょっとピリッとする感じが強かった。そのまま食べてもいいかと思ったが、とりあえず食に保守的な家人は嫌がるだろうと予想されたので、多少もったいないが中身だけを切り出してサラダに添えた。ちょびっとずつ箸で削り取ってレタスやキュウリと一緒に口に入れたら、チーズのこくと強めの塩味がまさに絶妙。サンタンドレがあったらドレッシングなんて必要ないと思える素晴らしいコンビネーションである。病み付きっ。
 アトピーが悪化するので飲酒は禁じられているのだが、このチーズ、辛口の白ワイン(例えばシャブリとか)や辛口の大吟醸なんかに合わせたら超絶に旨いのではないだろうか。想像したら呑みたくなってしまった。

 残りをどうしようかなーと考え、ふと思い付いて中身だけすくい取り、軽い塩味のプレーン・クラッカーに塗って食してみる。劇的な美味。暑くてあんまり食欲のないお昼時だったのだが、6枚入りクラッカーを2袋、ペロリと平らげてしまったのだった。こりゃいいやと思ったものの、このチーズ、200g入りのパッケージが普段は1000円以上する。たまに安売りしている時でも840円。今回のように半額になっている大ラッキー・チャンスなど滅多にない。やはり皆さんご存知で、半額チャンスを虎視眈々と狙っているのだろう。わたしもとりあえず半額チャンスは逃さないようチェックを入れるつもりだが、そうそう食べられるチーズではなさそうだ(残念)。
 ふと気になったのでネットのチーズ関係サイトで「サンタンドレ」を調べてみることにした。白カビ・タイプなのは間違いないとして、他にどういった特徴のあるチーズなのだろうと思ったのだ。そうしたらこのチーズ、とろ〜りとしているのは当たり前で、なんと固形分中の脂肪分は75%もあるらしい。原料となるミルクに生クリームを加えた「トリプル・クリーム製法」とやらで作られるそうで、食べ方としては果物に添えたりトーストに塗ったりというのが一般的ということだった。元々はアメリカ向けの輸出用チーズとして開発されたのが、だんだん幅広く人気を誇るようになったようである。

 サラダに添えたりクラッカーに塗ったり、自分なりの食べ方をしたのはまずまず正解だったのだとホッとはしたものの、脂肪分75%には仰天してしまった。おそらく例の大好物クリーム・チーズ「ブルサン」と同じくらいかそれ以上のアンチ・ダイエット食品に違いない。油断してバクバク食べたらあっという間に肥えてしまうだろう。
 マンゴー味のものにしても結局は全部お菓子類である。単純糖質食品だから、これらもうっかり食い過ぎたら即座に脂身となって身体のあちこちに蓄えられてしまうだろう。そしておそらくその主な行き先はケツと太ももなのだ。
 ダメじゃん。やっぱり多少食欲がなくても、好物のお菓子やらチーズやらで誤魔化すのではなく、ちゃんとした食事をするのがシェイプ・アップの戦略的にも正解であると思われる。夏ばてした挙句にデブになるなどというサイアクの事態を防ぐためにも、ご飯、食べるようにしなくては…(タメイキ)。




05/06 明朗? 不明朗?

2005/05/06 10:20
 いろいろなサイトのフリー・マーケットやオークションで主に絶版書籍などを良くGETする。最初に始めたのは5年くらい前で、その頃はシステムも確立していないし売り手も買い手も慣れていないので相当におっかなびっくりだった。わたしはそれほど激しいのに出会ったことはないが、現にかなりのトラブルもあったらしい。最近はネット通販にしろフリマやオークションにしろそれなりのコンセンサスが出来上がっているようなので、以前よりはトラブル発生頻度も減っているのではないかと思う。
 そんな訳で油断していたのか、実に久し振りに不可解な取引に当たってしまった。

 ブツは総額1200円の古書である。売り手さんは個人だが、出品件数は4000点で過去実績が2000件以上あり、しかも取引相手からも総じて高評価だったので安心してお願いした。ちょっとだけ気になったのは「梱包手数料として購入料金の5%を徴収」という一文だったが、売り手をやったこともある経験上、こういう設定をしたくなる気持ちは判らないでもない。冊子小包やゆうパックにしても宅配便にしても、輸送中の扱いまではフォローすることができない。途中で多少手荒なことをされても中身は無事で済むように、発送元としてはしつこく包みたくなるのが人情である。個人とは言えこれだけ大規模に販売活動を展開していたら、梱包材費もバカにできないだろう。
 そう思ったので「梱包手数料」については問い合わせなかった。売り手さんの対応は素早く丁寧で、荷物を発送した後にはちゃんと連絡も入れてくれた。ごくごく普通の売り手さんだと思った。…問題の荷物が届くまでは。

 届いたブツを見てちょっと驚いた。中身をビニール袋で包んでセロファン・テープで留め、それを事務用茶封筒に入れてあちこちガムテープで貼り付けただけなのである。売り手さんの責任ではないが配達途中でどこかに引っ掛かったのか、端っこが破れて中のビニールにも傷が付いている。肝心の本は無傷なので安堵したのだが、ケチなわたしとしては「なんだこれ」と思わずにいられなかった。
 外側は別に茶封筒でも構わないけど、中身はもうちょっと何とかならなかったのだろうか。梱包手数料さえ取られていなければ「あんまり気遣いをしない人なんだな」で済ますことだが、たった60円とは言え別料金である。プチプチで包んでおいてくれるとか、本の角が傷まないように厚紙で挟んでおいてくれる程度のことは期待していた。わたしが不要の古本を売った時は少なくともそのくらいはやった。例え配達途中で傷ついても、それなりに厳重な梱包をしてあれば売り手への悪感情は出て来ないだろう、と思うからである。

 かろうじて中身は無事だったのだし、それほど気にもせずに評価欄から「無事到着」の連絡を入れた。ただし梱包手数料についてはどうしても納得が行かなかったので最高から1ランク下の評価を付け、コメント欄に梱包についての正直な感想を書いた。返って来たのが激烈にヒステリックな返事だったので驚いた。商品紹介ページにちゃんと「茶封筒とビニール袋で包装する」と書いてあったのにこのコメントは言いがかりだ、という。疑問点があったらメールで問い合わせるのも買い手の義務ではないか、とも。
 それはそうかもしれないが、経験上、梱包手数料を取る売り手さんがここまでシンプル包装だったことはなかったから、まさか茶封筒とビニール袋「だけ」とは思わず、届いた荷物を見るまでは何の疑問も持たなかったのだ。その点こちらの落ち度と言われれば確かにそうだが、別にわたしとしてもクレームを付けたつもりは全然なく、ほんとに単なる感想だったのになと思うとうんざりしてしまった。少なからずムッともしたので、申し訳ないがこちらも先方と同じランクに「評価」を変更させていただく。大人気ない態度である(反省)。

 もうちょっと丁寧に梱包しておいてくれたら良かったのに、というコメントのどこが失礼な言いがかりだったのか、自分で読み直していくら考えても良く判らない。「茶封筒とビニール袋で包装します」という但書にしたって、これが例えば茶封筒を2重にしてある等の配慮があれば、外側が破れていても「なんだこれ」とは思わなかったに違いない。要は気持ちの問題なのだ。
 「5%の梱包料」と言っても、購入代金が5000円なら250円、1万円なら500円である。下手したら送料と同じくらいの追加料金がかかってしまうのに、それが全部一律あの梱包なのだとしたら、たとえ「茶封筒とビニール袋」と明記してあってもちょっと阿漕な気がする。手数料とは文字通り「包む手間」だけにかかる代金という訳だ。あちらにもさすがにそんな勇気はなかろうが、いっそ「梱包するための人件費」とでも書いておいてくれたら良かったのに。

 他の買い手さんたちはその辺気にならなかったのかなあ。とすると単にわたしが貧乏臭くて気難しいのだろうか。とりあえず今回のことはわたしの気の緩みが招いた事態だと反省し、次にフリマやオークションを利用する時はちゃんと気をつけることにしようと決心するのだった。




05/07 A rose by any other name....

2005/05/07 17:23
 食欲のない時の友、わたしにとって最近のそれは「マンゴーとチーズ」であるというのは一昨日書いた。そしてチーズの中でもリコッタとかカッテージ・チーズは食事だけではなく、デザートとしても活躍してくれる。塩気の薄いクリームチーズも然り。はちみつをかけたりジャムを添えたりして果物と盛り合わせると、いっぱしのドルチェとかデセールとお呼びして差し支えない1皿の出来上がりである。
 はちみつやジャムなどに工夫を凝らすのも今風であるらしい。先日TVで紹介しているのを小耳に挟んだところでは、何でも最近は「皇居のはちみつ」とやらが大人気だという。詳細は忘れてしまったのだが、おそらく皇居に咲き乱れる花々の蜜由来のはちみつ、ということらしい。ちょっと調べてみたらこれは岩手の藤原養蜂場の限定商品で、社民党ビルの屋上に設置した巣箱で蜜蜂を飼い、皇居内に咲く花のみつを集めているのだという。もちろん宮内庁の許可を取得している。
 ちなみにお堀のソメイヨシノから採れる一番みつのお値段は250g入り1680円、500gで3150円。もちろん相場はピンキリだが、キリの方(ウチで日常的に使うようなやつ)は200g入りで500円とか、1kg入りで2400円とかそんな程度。比べるのも何だがえらい高級なはちみつ様でおわす訳である。普通のとどこが違うのかは、食べたことがないのでもちろん判らない。

 ついでにジャムも最近は付加価値ががっつり付いて「おジャム様」になっているらしい。甘いものマニアの間ではしばらく前からちょっとしたブームになっていて、呼び名ももう「ジャム」ではなくて「コンフィチュール」なのだそうだ。特別な意味はなく、単にフランス語で「ジャム」である。ただし有名パティシエがプロデュースしたサイトでも「コンフィチュールとはオリジナル製法による低糖のジャムで…」などと解説されていたりする。じゃあジャムって言ってればいいじゃん。名前を格好良くして目先を変えるのはマーケティングの1戦法とは言え、こういうのはちょっと安易な気がするのである。
 ブームだけあって種類はドカンと増えている。先日は行き着けスーパーで「マンゴー・ジャム」なんてのも発見した。激しくそそられたのだが問題はお値段で、185g入りの小ぶりな瓶が700円近くする。ア○ハタなどのジャム普及品の軽く2倍以上、とてもとても手が出ない。他にネットをうろうろしたら、紅茶、ワイン、桑の実、つるこけもも、さくらんぼ、巨峰、ラ・フランス、白スイカ、イチジク、薔薇の花びらなどなど、オーソドックスなものの他にも変わり種が山のように発売されているらしい。ルバーブやかぼちゃなどの野菜ジャムもポピュラーになっている。野菜のジャムはスイーツとしてだけでなく、肉や魚料理のソースに仕立てても美味だということだ。

 従来のジャムよりはかなり守備範囲が広がっているから「コンフィチュール」と呼ぶべし、なのだろうか。気持ちは判らないでもないけれど、「いちごジャム」が「コンフィチュール・フレーズ」になっちゃうのもどうだかなあと思う。もちろん原材料も全然違うのだろうが、300g入り1575円とかいう価格を見てしまうとクラクラする。気軽にトーストに塗ったくって食べたりできないような…。
 子供の頃に大好きだった絵本に『ジャムつきパンとフランシス』というのがあった。ジャムつきパンが大好きなあなぐまの女の子の物語である。他に何にも要らないと言い張るフランシスに、お母さんは「じゃあ毎日3食ジャムつきパンだけ食べなさい」と言い渡す。他のものは食べちゃダメなのだ。
 最初は大喜びしたフランシスだが、すぐにジャムつきパン責めに飽きてしまう。家族が食べている肉団子入りスパゲティ・ミートソースがどんなに美味しそうに見えても、フランシスが食べていいのはジャムつきパンだけ。とうとう泣きが入ってお母さんの作戦勝ち、という結末である。ジャムとパンにうんざりしたフランシスが言う「あたしは今ビンの気持ち。咽喉までジャムが詰まってる」というようなフレーズは子供心に衝撃的であった。

 お母さんの素晴らしいアイディアも、いちごジャム300g入りが1瓶1575円とかだったら、フランシスの執着との根競べになるだろうなあ…などと阿呆なことを考えてしまった。そしてわたしも、できることなら毎日マンゴー責めに遭ってみたいような気がする。マンゴーに執り付かれたわたしはいったい何日くらいでギヴ・アップするのだろうか。




05/08 一昨日の『タモリ倶楽部』

2005/05/08 22:37
 ネタはなんと「ジョン・ケージ」だったのである。音楽番組以外でジョン・ケージの特集をやっているのを見たのは初めてだったし、さらに「4分33秒」以外のケージの曲を耳にしたのも最初である。さすがは『タモリ倶楽部』、どこまでも侮れない…。
 「4分33秒」を最初に聴いた…というかその存在を知った時は「そんなのアリなのか?」と思ったものだ。場内のざわめき総てが音楽であり、それに耳を傾けるべしという理屈はかろうじて判らないでもないが、わたしとしてはやはりこれを「作品としての音楽」と呼んでいいものやら悩んでしまう。とりあえず最初にやった者勝ちというか、発想の柔軟性は確かに天才的だとは思うけれど、音楽的な意味としては「奇を衒っている」以外のものは感じない。

 楽器指定はナシで、何で演奏してもいいのかと思っていたのだが、どうやら大元の「4分33秒」は一応ピアノ曲ということになっているらしい。笑ってしまったのは2番もあるということで、こちらは「トロンボーンのための4分33秒」なのだそうだ。4分33秒間トロンボーンを構えたまま何もしないというのは、ピアノの場合よりも演奏者もツラいのではないだろうか。腕がぷるぷるしそうである。それとも楽章が分かれていて大丈夫、という仕組みになっていたりするのだろうか。
 この調子で「ヴァイオリンのための4分33秒」とか「フルートのための4分33秒」とか、3番以降もどんどん作ったらいっそ面白かったのに。どうせなら「オーケストラのための4分33秒」も書いて欲しかった(これはもしかしたらもうあったかもしれない)。フルスコアがズドーンと全休符で終わりの真っ白な譜面、ちょっと見てみたい。チューニングの音とか、楽章間の聴衆の咳払いの方がよっぽど大きな音になる気がする。この場合、指揮者は何をどうしているのが正しいのかちょっと悩む。指定時間が近づいたらおもむろにタクトを構えてエンド・サインだけ出せばいいのだろうか。それともやはり、自分の好きな拍子とテンポとダイナミクスでずっと振り続けているべきなのだろうか。

 ケージ作曲のその他のものでは「ピアノとオーケストラのためのコンツェルト」とかいうのが紹介されていた。譜面A〜ACまではとりあえず存在するらしいので、モティーフだか楽章だか知らないが、最低でも29個はあるのだろう。かなりの大曲と思われる。
 しかし中身はやはり「4分33秒」の作曲者の手になるもので、ぱっと見ても「演奏に関する注釈」を聞いても、何がどうなっているのやらサッパリ判らない。例えば譜面「A」など五線譜が2段あって、そのところどころにいろいろ音符が散らしてある。問題はその音符が全部線で結ばれていて、全体で見ると不定形アメーバ状の円になっていることだった。音符と音符の間の線は何をどう弾いても良くて、演奏順は右回りでも左回りでもOK。何周するのも気まま、テンポもダイナミクスも演奏者のお好み次第である。
 ゲストの芸大講師・青島広志先生が実際に演奏したのを聴けば、なるほど何となく現代音楽っぽい、曲の「ようなもの」に思えなくもない。ただしわたしの趣味として、聴いて心地良い音の並びではないし、「理屈は良く判らないがなんだか感情が動かされる」ということもない。タイプは全然違うもののとりあえず同じ「現代音楽」というカテゴリーから言えば、アルヴォ・ペルトの方がずっといいなあ、と思った。

 他の譜面も似たような感じ。「譜面」というよりは「回路」とでも呼んだ方がしっくり来る気がする。演奏者がどういう感性でアウトプットするかにも依るのだろうが、設計図である譜面を見た時のインパクトに比べて、出てきた音楽はそれほど「前衛的」には思えない。いかにも1950年代風現代音楽という印象で、コンテンポラリーとしてはありがちな印象であった。もちろん当時としては信じられないほど画期的な音楽だったのだろうけれど。
 さらにピアノ用の譜面なのに演奏時に使うものは「ピアノの内部の弦」と「ピアノの外側」と「その他のノイズ」だったりする。内部の弦を弾かなければいけないということは、アップライトではどう演奏したらよいのだろう。天板と前面の板を外したら何とかなるだろうか。青島先生いわく「ピアノというものは鍵盤以外の外側を叩いたとしても、やはりピアノ独特の音がするものです」だそうである。なるほど確かに「ピアノ曲」なのだという拘りが感じられる。ただし素人としてはどうしても「鍵盤の立場はどうなるのだろう」と考えてしまうのだった。

 既成概念の打破とかの意図は判らないでもないが、大真面目にしゃちほこばってこの手の曲を書くのも演奏するのも楽しくなさそうな気がする。理論とテクに溺れて「音を楽しむ」という音楽の本質をどっかにやっちゃっているのではないだろうか(偉そう)。『タモリ倶楽部』での紹介のように「なんじゃこりゃ〜」と突っ込みを入れつつ弾き散らかして遊ぶ、というのが、もしかしたら一番本質的な味わい方かもしれない。
 ところであのA〜ACまであるのだろう「ピアノとオーケストラのためのコンツェルト」、伴奏オーケストラの譜面はどういうことになっているのだろう。オケはしっかり決まったパートを演奏し、独奏ピアノが限りなくアドリブに近い弾き方をするということも考えられるが、「A」の譜面のように始まりも終わりも演奏時間もはっきりしていない曲ばかりに見えた。オケも気ままに弾いていいのだとすると、全体としては単なるメッチャクチャになってしまいはしないだろうか。
 『タモリ倶楽部』番組内ではオケ伴奏については紹介されていなかったが、実際のところはどうなのだろう。気になってしまう。




05/09 災難は忘れた頃に

2005/05/09 22:37
 やって来るのであった(タメイキ)。
 確かにしばらく前から兆候はあった。もしかしたらこの日記にも書いたような気がする。PCの電源が突然、何の前触れもなく落ちてしまうという症状である。改めて電源を入れようとしてもウンともスンとも言わない。こういうトラブルは初めてで少々慌てたのだが、家人にメールで心当たりを訊いたところメーカーさんのサイトを覗きに行ってくれ、そこで「主電源コードを一端抜いて挿し直すと復活するらしい」という項目を報せてくれた。
 ここしばらく「そろそろやらなくては…」と思っていたデータ・ベース整理に、今日重い腰を上げてやっとこさ手を付けた。Accessに4件目のデータを打ち込んでいる時に電源が落ちた。「チッまたか」と思いつつ主電源コードを引っこ抜き、挿し直して再起動。Excelと違って入力したデータがパーにはなっていないのが救いである。資料ページも開き、気を取り直して再び入力開始。またもや4件目くらいで電源が落ちる。ムカッ。

 家人の推測ではこのトラブルの原因は「熱暴走の防止」ではないかということだった。本体の上にいろいろ書類を載せていたのだが、それがたまたま換気口を塞いでしまい、本体内部が過熱した。決定的ダメージを受ける前に、PCが自分で勝手に強制終了するという仕組みになっているのではないか、という。確かに有り得るシチュエーションである。賢いような賢くないようなビミョーな仕様、どうせなら原因のヒントくらい教えてくれればいいのに。
 懲りたのでPC本体の上には何も置かないようにしていたのだが、どうも横に立てかけてあるノート類が怪しい気がする。ノート類をどけるとそこにも換気口らしき穴が開いていたので、おそらくここを塞いだせいで強制終了を喰らったのだろうと一人合点、排除して主電源コードを引っこ抜き(以下略)。
 今度こそ大丈夫だろうと安心して入力を再開したら、またまた4件目かそこらで電源が落ちた。ムッキー!

 念のためにPC本体のそよ風が当たるよう、扇風機を点けていてこの状態なので、熱暴走防止という仮説はほぼ消えたと見ていい。問題は、では真の原因は何だろう? ということである。残念ながら見当も付かない。以前にぶっつり行った時は何をしていた時だっけ。忘れてしまったが、今回は3回の電源落ち共にAccess作業中である。よっぽどAccessとの相性が悪いとか、そんなことがあるのだろうか。
 ともかくあちこちのデータのバックアップを取ってからスキャンディスクとデフラグでもかけてみようと気を取り直す。バックアップ中に再度強制終了を喰らったら困るなあと冷や冷やしながらの作業だったが、幸い無事完了した。こうなるとますます原因が判らなくなる。家人愛用の「すっきりデフラグ」というアプリが入っているので、こちらのウィザードに従ってスキャンディスクとデフラグの条件を設定し、メンテナンス開始。さてその間に遅くなったが昼ご飯でも食べて、エア・チェックしてあった『戦場のメリークリスマス』と『科学忍者隊ガッチャマンF』を整頓することにしよう。

 うっかり外付けHDD2台のチェックもするという設定にしてしまったので果てしなく時間がかかる。出さなくてはならないメールも今日は山ほどあるのだが、メーラはトラブルPCに入っている。例え外付けHDDから読み出すアプリだったとしても、どの道HDD全部チェックにしてしまったから、2階の98を使うという奥の手も利かないだろう。
 軽く1時間は経った頃、ようやく外付け2台のチェックを終えて、PC本体内部のHDDチェックに入ったらしい。スキャンディスクさえ終われば、少なくともトラブルのあるセクタを自動修復してくれるハズだから、ちゃんとまた使えるようになるだろう。安心して晩御飯の下拵えに取り掛かる。今のうちにサラダ用の温野菜を茹でてしまおう。にんじんとブロッコリーとスナップえんどう、それに副菜の「いんげんまめと鮭の中骨の和え物」に使ういんげんまめである。鮭の中骨の缶詰めを汁ごとほぐし、茹でたいんげんまめに和えて醤油ひと垂らしするという超カンタンメニューだが、栄養バランスも彩りもばっちりでしかも美味い1品なのだ。

 1段落ついてディスプレイを覗き込む。あれえっ、ステップ4が7%終了した時点で止まっているぞ。さっき見た時から20分は経っているのにまだ「7%終了」のままということは、何かが空回りしてるとか引っ掛かったとかそういうことだろう。やむなく強制終了して再立ち上げを試みる。なぜかセーフ・モードで立ち上がって一瞬肝を冷やす。とりあえずWindows起動は上手く行ったので、今度はシステム・ツールのスキャンディスクをかけてみることにした。
 ところが探し方が悪いのか、いつもの場所にスキャンディスクがないのである。後から聞いたらXPでは「スキャンディスク」ではなくて「チェックディスク」と呼ばれているのだそうだ。「チェックディスク」なんてのもなかった気がするが、デフラグ・ツールの分析をしてみたら必要ないということだったので、ごちゃごちゃにフラグネートした結果のトラブルではないらしいと判断する。

 仕方ないので再び「すっきりデフラグ」を立ち上げてチェックディスクをかける。やはり先ほどと同じところでストップする。ううむ困ったなあと思いながら晩御飯を作っているところへ家人が帰って来た。やれやれどっこいしょと丸投げする(汗)。
 しばらくあちこち眺めた家人は、こうなったら仕方ないねと言ってXPを1週間前の状態に戻してしまった。そうか、XPにはそーゆー奥の手があったんだっけ…。ああでもないこうでもないと苦労したわたしは草臥れ儲けである。
 とはいえ1週間前に戻しただけで肝心なトラブル原因は不明のまま。遅かれ早かれまたまた連続電源落ちの症状が出て来るのではないかと心配で仕方がない。明日にでもネットをうろついて原因探しをしてみるつもりだが、とりあえず今は、本日やるハズだったアレコレを片付けないとならないのである。ああ面倒臭い…。




05/10 あれこれ

2005/05/10 17:02
 ・電源が突然落ちてしまうという症状は、昨日家人が帰宅後、XPを1週間ほど前の状態に復元しても収まらなかった。とりあえず復元したから大丈夫だろうかとAccessデータ入力の続きを始めたら、やっぱり8件目くらいで電源落ちしたのである。主電源コードを挿し直してキリの良いところまでデータ入力のカタを付け、後の処理は放置してフテ寝してしまった。今朝になって家人を送り出してから改めてチェックディスクをかけることにする。チェックディスクは「マイ・コンピュータ」のCドライヴのプロパティを開けば見つかると、昨晩家人に教わっていたからである。こんなところに移動しているなんて…(顰蹙)。もっと判りやすい場所に置いといて欲しかった。
 たぶんまた途中で引っ掛かるだろうと思いながら実行してみたら、意外や意外、最後まですんなりとチェックは終了した。もしかしたら昨夜、家人が寝る前に何か処置をしたせいかもしれない。もしくはやはり「すっきりデフラグ」経由でのチェックは多少不安定になるもので、今回のようにWindowsツールで直接チェックする方が確実なのだろうか。
 とりあえず不良セクタは修復されたものと考えて忘れることにする。またAccessを使う時におかしくなったら、その時はその時である。それにしてもAccessとXPとの相性が悪くてこういう症状が出るのだろうか。そんな話は聞かないのだが…。

 ・「マンゴーとチーズ」マンゴー編。一昨日は友人たちが集まって、室内楽アンサンブルの練習をしていたのだった。課題曲は本来はドヴォルザークの弦楽四重奏曲の何かだったハズなのだが、家人が最近入手した物好きネタのおかげで多少方針変更されたらしい。それは弦楽五重奏版某ソナタで、CD音源を聴くだけで草臥れてしまうような難曲である。編成はヴァイオリン×2、ヴィオラ×1、チェロ×2だが、低弦部も情け容赦なく細かいパッセージを要求されているので、チェロの2人は死にそうだったに違いない。
 わたしは家人の単独練習中に耳タコになってしまったCD音源だけでげっそりなので、隣家の音楽室を使った友人たちの練習風景は見学しなかった。帰って来たストバイのYさんは半分死にかけだったが、残りの4人のうち男性陣はまだまだ元気たっぷりなので少々驚く。お茶を飲みながら口三味線で1曲歌い通せる元気、弦楽合奏版アレを弾いた後に残っているとは…。

 晩御飯にはわたしのリクエストでデ○ーズに出向く。もちろんデザートの「マンゴー・フェスタ」目当てである。先日は「マンゴー・ソルベ」を選んだのだが、今回はちょっと頑張って「マンゴーのガレット」にしてみた。薄焼きパンケーキの上に各種果物と、もちろん多量のマンゴー、クリームなどがトッピングされている豪華版デザートである。
 なかなか美味しかったのだが、個人的な好みとしては、マンゴーはやはり温かいデザートにするのは不向きだろうか、と思った。どちらかというとこってり系の甘さなので、温めるとやや印象が散漫になるような気がする。特に生クリームと同居させるとしたら、絶対に冷たいデザートの方が合うと思う。
 残りのデザート・メニューには「マンゴー添え生チョコケーキ」、「マンゴーのタルト」、「マンゴー・パルフェ」、「マンゴー・サンデー」などがある。チョコレートとマンゴーの相性にも疑問が沸くので、あと食べてみたいのはタルトとパルフェとサンデーの3種類。キャンペーン期間が終わるまでにあと3回も行けるだろうか、デ○ーズ…。

 ・「マンゴーとチーズ」チーズ編。近所の外資系スーパーで「お試し盛り合わせ」を購入してみた。ブリー、カマンベール、ミモレット、ショーム、カンボゾラという5種類のチーズが入っているセットである。普段はケチって国産の密閉パック入りカマンベールしか食べさせていない家人は、いつものより匂いがキツいと尻込みしていたのだが(ショームとミモレットは結構気に入ったらしい)、わたしはむしろ多少クサい方が美味しいと味を占めた。
 特に気に入ったのがカンボゾラ。中身は青かびのマーブル模様で、外側に白カビのふわふわがついている。噛んだ後で口から鼻に抜ける香りがいかにもチーズという感じで、美味しかった。先日ネットのチーズ通販サイトオーダーチーズ・ドットコムに辿り着き、ヨダレを垂らしながらいろいろ眺めていたのだが、残念ながらカンボゾラや、家人お気に入りのショームの取り扱いはないらしい。カンボゾラは白カビ&青カビのミックス・タイプ、ショームは軽目のウォッシュ・タイプのチーズということである。
 もし機会があったら、カンボゾラもぜひ扱って欲しいなと思う。本当にチーズの種類はいろいろで楽しい♪

 ・大枚はたいた買い物が本日届いた。グラナダTV版の『シャーロック・ホームズの冒険』DVDボックスを、とうとう我慢できずに購入してしまったのである。これでN○K放映時にはカットされた名場面や、原語でのブレット・ホームズたちのトークを堪能することができる。中身を愛で愛でしているのだが、きっと次のクレジット・カードの決済通知が来たら冷静では居られるまい。相当な節約をしなければならないのだが、10年越しの念願叶ったりということで、あんまり反省はしないのだろうなあ…。
 ホームズものは汲めども尽きせぬ泉のように、全世界から果てしなく沸いて出るものである。わたしとしてはとっくにコレクターとしての活動は諦めてしまったが(予算は足りないし読んだり観たりする暇もない)、ヴィジュアル・ホームズをもうちょっと集めたいなあという気持ちは押し殺しても押し殺してもしつこく顔を出すのであった。
 特にヴァイオリン演奏中のホームズさんは非常に格好いい。そして今のところ個人的思い込みの「提琴を弾けるホームズ氏」の決定版は、かの名ヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツの姿なのである。演奏中の映像など観るとついイメージをホームズさんに重ねて萌え萌えしてしまう。…お馬鹿である(とほほ)。




05/11 去り行く「キング」

2005/05/11 17:57
 アンサンブル練習をウチでやった日、お茶を飲みながらダベっていた時に友人Yさんが「6月以降にニュージーランドに行くかもしれない。ついでだからラグビーの試合も観たいんだけど、オール・ブラックスの試合予定はあるだろうか?」と言っていた。これはいいチャンス、オール・ブラックスとイギリス&アイルランドの合同チームであるライオンズとの国際試合を観てもいいし、規模やレヴェルとしてはじゃっかん落ちるが州対抗のNPCリーグを観戦するのもいい。
 「絶対絶対、北島のオークランドに行って来てね♪ そしてエスクワイア・カフェに立ち寄ってスペンサー選手グッズを買ってきて〜♪」と早手回しにおねだりしていたワクワク気分も落ち着かない翌9日、当の「キング・カーロス」ことカーロス・スペンサー選手の移籍が公式発表されてしまったのだった。がーん。

 移籍先はイングランド。プレミアシップ・リーグのノーサンプトン・セインツというチームである。ロンドンよりちょっと北、バーミンガムよりちょっと南の小規模都市で、確か靴の聖地として名高かったような覚えがある。残念ながらまだ行ったことはない。気候も穏やかでいいところだという評判も聞いたことがある。
 気分的にニュージーランドと英国では英国の方がだいぶ遠く感じる。わたし個人としては英国旅行には激烈なる熱意を抱いているのだが、現状ではよほどのことがないと家人をほったらかして独り旅を決行できる状況にはない。一緒に行ければ問題はないのだが、胃袋でモノを考える家人には「イギリスのメシは不味い」という強固な思い込みがあって、今まで何度水を向けても乗り気を示さないのだった。ラグビーの発祥地であり、聖地トゥイッケナムもあるというのに…。
 Yさんがニュージーランド旅行の計画を話していた時は家人も「いいなあ」と言っていたので、こちらに関しては食指が動くらしい。食事の傾向は英国と似たり寄ったりなのではないかと予想するのだが、家人の好みとしてイングランドのラグビーよりもニュージーランドのラグビーの方が好きだという点が大きいのだろう。

 ともかくこれで、生スペンサーに将来もしかしたら会いに行けるかもしれないかすかな望みが、またまたグンと低い確率にダウンしてしまった。さすがに海外、ワセダの追っかけをして上井草に出掛けるどころの気軽さではない。距離や時差を考えても、ヨーロッパはやっぱり遠いのである。
 今のところ冗談半分以上だが、2007年のラグビーW杯フランス大会に向けて今から準備をしておいて、長期休暇を取ってフランスへ行こう! という企画を出したりもしている。イギリスに立ち寄るとしたらそのついでがチャンスかもしれないが、良く考えたらその時期、当然のことながらプレミアシップ・リーグはオフ・シーズンである。もちろん肝心のスペンサー選手はニュージーランドへ帰ってしまうに違いない。仮にW杯観戦していたとしても、偶然ばったりスペンサー選手と出会う確率なぞ砂浜の砂に紛れた塩粒を探すようなものである。それにわたしとしてはやっぱり、「プレイしているスペンサー選手」を観たいのだ。
 2007年シーズンにスペンサー選手がオール・ブラックスに選出されていればピッチでプレイしている姿を拝めるのだが、最近の不調ぶりを見ると下手な期待はしない方がよさそうである。ただでさえオール・ブラックスのSO(スタンドオフ。1st5/8とも呼ばれる)候補は粒揃いな上、2007年にはスペンサー選手は31歳。年齢的にもちょっとキツいかもしれない…。

 そんな訳で昨日はじゃっかんヘコみ気味の1日だった。普通に考えれば有り得ないことだが、1日待ってみたら急転直下で「やっぱりブルーズに残留することが決まりました!」とかいうどんでん返しがあるのではないかと、公式サイトを出たり入ったり出たり入ったりしていた時間帯もあるくらいである(←阿呆)。もちろんBBSは嘆き悲しむキウイたちで阿鼻叫喚状態、ただでさえ意味の取り辛い砕けたオージー英語が、さらにまた訳の判らないことになっている。ところどころに混ざるイングランド在住のファンの喜びの声がまた憎たらしいのだった。
 わずかな慰めと言えば、日記ページでご本人が「ファン・サイトは継続するし、向こうでも頑張るから応援してね(大意)」とコメントしていることと、ノーサンプトン・セインツのユニフォームがなかなか格好良くてお似合いであること。しかししかし、スペンサー選手のプレイ・スタイルが、イングランドのラグビーに馴染めるかどうか、大層大層不安なのであった。
 移籍したはいいけれど出場チャンスがなかなか来ない、なんてのはイヤだなあ。ともあれ今後はCATVの、プレミアシップ・リーグの試合中継をばっちりチェックしなくてはならない。やれやれ。




05/12 方向音痴が身を滅ぼす(?)

2005/05/12 18:00
 しばらく前から東京湾に迷い込んでいたクジラが、定置網に引っ掛かって死んでいるのが見つかったという。溺死だそうだ。クジラが溺れるのかと不思議になるが、どうも定置網に閉じ込められて海面に浮上できなくなった結果らしい。本当に気の毒なことだ。投網ならともかく定置網であれば仕掛けてあるのが見えそうなものなのに、魚もクジラもじゃんじゃん引っ掛かるということは、海の中ではあんまり目が良く見える必要はないのだろうか。
 哀れなクジラは1歳半から2歳のメスのコククジラで、網にかかる前から相当衰弱していたらしい。ニュースのインタヴューに応えていたクジラの専門家によれば、あまり餌を食べられなかったのではないか、ということである。コククジラの主な餌は、沿岸の浅瀬に住む小型の底生動物で、海底の砂や泥をばっくり浚い込んでヒゲで漉し取って食べるのだそうだ。

 東京湾に存在したそういう浅瀬のかなりの部分が、開発されて今では埋め立てられてしまっていると思う。残っているので有名な場所はあの三番瀬くらいではないだろうか。つまりこのクジラ、餌を獲ろうにも餌場が見つからなかったのかもしれない。病気で弱っていたから食欲がなかったということも考えられるが、もし飢えた理由が餌場の不足だとしたら、またまたさらにお気の毒な事情である。
 このクジラがなぜ東京湾などに迷い込んで来たかのそもそもの理由は判っていないのだろうが、おそらくかなりの確率で、彼女は別にこんなところに来たくて来た訳ではないと思う。病気か事故で方向感覚を狂わせてしまったとかで、ついうっかり入り込んで出られなくなったのではないだろうか。もともと方向感覚皆無のわたしはつい「他人事じゃないよな…」と身につまされてしまうのだった。

 そういう訳で、ニュースに登場し始めた4月の末からこっち、迷いクジラに見物人が群がっているというニュースを目にしては憤懣やるかたない思いをしていた。道に迷って困っている外国からの観光客(しかも子供)を、「あらまあなんて可愛い娘さんなんでしょう、見て、金髪よ、青い目よ、外国語喋ってる〜」と遠巻きにするようなものである。あまりにひどいではないか。
 もしかしたら必死で出口を探していたのかもしれないクジラに手を振るとか、呼びかけるとか、ましてや「潮吹いてる〜♪」と歓声を上げるなんてのはちょっと心無い気がする。その上見物に来ていた人たちからは「GWのいい思い出ができました」とか「子供に自然と触れ合わせてあげられて良かった」とのコメントまで出ていた。「自然との触れ合い」ってこーゆーことなの? 激しく何かが違うと思う。さらにトドメとして、上空からヘリコプターで追いかけ回した新聞社まであったという。

 クジラに道案内の言葉は通じないし、もし外洋へ誘導できる方法があればきっと誰か専門家のチームがやっていただろう。餌の食べ方が少々特殊だから撒き餌をする訳にも行くまい。強者生存の厳しい自然界に住んでいる以上、どういう理由であれこんな迷子になるクジラの方がお馬鹿だったのだとも思うが、迷い込んだのが浅瀬のほとんど消失した東京湾なんかでなければ、自力で帰れる体力もまだ残っていたかもしれない。つくづく不運だったのだ。
 別に某環境保護団体のように「クジラは友達、手厚く保護しなければ。食べるなんて野蛮人の仕業」とは思わないけれど、迷子クジラを散々見物した挙句に「自然と触れ合った」気分になるのも、なんだか似非自然主義っぽく綺麗ごとっぽく胡散臭く感じる。いくらなんでもクジラから見物人は見えないだろうが、新聞社のヘリだとか小型船舶なんかには、もしかしたら脅威を感じたかもしれない。助け出してやれないのならせめてそっとしておけば良かったのに…。

 などということを話していたら、憎たらしくも家人は「野生動物にもまとり並みのが居るんだな」とコメントしやがった(顰蹙)。なるほど確かにわたしは、初めて遊びに行った友人宅でお手洗いを借りたら、元の部屋に戻れなくなるくらいの方向感覚皆無人間である。けれど自分でも結構それを気にしているのだから、こういう時にあげつらうのはヤメレ、と思うのだ。まったく可愛くない。
 ということで本当に「他人事でない」と思った迷子クジラの末路である。魂の安らかならんことを。




05/13 ヴィッツたん一時帰宅

2005/05/13 23:03
 先月30日にドック入りしていた新型ヴィッツが帰って来た。本当なら一昨日11日には修理完了しているハズだったのだが、ディーラーさんの工場に検査入院したものの、トラブルの原因さえ皆目見当が付かない状態が続いていたために延びてしまったのだ。今回の帰宅も「おそらく原因はあの辺なのではないか」という手掛かりが掴めたかどうか程度で、はっきりコレだと断定はできないらしい。ともあれこの週末、もしかしたらクルマを使う用事ができるかもしれないために受け出した訳である。
 代車だったbB君の運転席には、結局わたしは1度も座らないままで終わった(汗)。助手席に座ってみた感じだけで「これはわたしの手には負えない」と思ったからである。おそらく車長がヴィッツよりもかなり長いのだろう、後方の車体感覚が全然掴めない。回転半径もセルシオ並みだとかで、家人でさえ取り回ししづらいとボヤいていたくらいなので、到底わたしの力の及ぶ車ではない。君子危うきに近寄らずと嘯きつつ敬して遠ざけていた。借り物だし。

 ドック入りの原因はCDデッキの音飛びだった。まったくランダムなタイミングで、CDの音が一瞬消えるという症状がずっと続いていたのである。ドック入りして数日後、メカニックさんから症状確認の電話をいただいたので、とりあえずウチの住人の気のせいではないということは確実になっていた。その後エンジンをアイドリング状態にしたままCDをかけていたら、停車中にやっぱりその現象が起こったので、どうやら駆動系とは無関係な原因によるものだろうというところまで見当がついたらしい。
 とは言え新型ヴィッツ販売開始後4ヶ月、全国見渡しても同じ現象での修理依頼はないという。ウチでもどこかネットの車関係掲示板でそういう書き込みがありはしないかとずいぶん探したのだが、とうとう1件もヒットしないままである。今までにざっと4万台弱は売れている車で、うち半数に純正オーディオを積んでいて、さらにネット普及率6割と言うことを考えると、ウチのヴィッツたんと同じ条件のクルマは1万台くらいは走っている計算になると思う。1/10000のトラブルに当たってしまったというのはかなりの確率である。どうせならいい方にジャック・ポットすればいいのに…。

 ともあれ、お世話になっているディーラーさんの皆さんが本当にいい方ばっかりなので、わたしも家人も実に気持ち良く愛車をお任せすることができている。直接の担当であるHさんがいかにこまめに気が利く好青年かというのは、以前この日記にも何度か書いたことがあると思う。今回さらにサーヴィス担当のYさん(←SMAPの草なぎ剛さんにそっくり)とメカニックのYさんにお世話になったのだが、この方たちも本当に丁寧で信頼できるいい人だった。
 今回のトラブル、言ってみれば典型的な初期不良である。フルモデル・チェンジ後とか新製品発売後とか、製造ラインが落ち着くまではどうしても一定の割合で起こるもので、ウチは単に運が悪かっただけなのだ。そもそも作った人と売る人は別なのだから、営業担当さんたちが申し訳なく思う必要は、実はあんまりないことになる。
 もちろんここで「ボクが作った訳じゃないですし」的な態度を取られたらおそらくカチンと来てしまうだろう。しかし担当Hさんのように泣かんばかりに恐縮し、自分が売ったクルマがトラブルを起こして申し訳ないと悔しがってくれると、わたしは他愛もなくほだされてしまうのだった。浪花節である。
 きっと自分の仕事にも、TOYOTA車にも、相当の愛着とプライドを持っている人なのだろうと思う。自動車販売というと実にハードな仕事だろうに、夜昼なく一生懸命走り回っている姿を見ると素直に応援したくなる(単純?)。お節介おばさんとしては「ちゃんとご飯食べてるのかなあ」とか「ストレス溜まってないだろうか」と心配になってくる。ステロタイプなイメージで言うと典型的な「A型人間」で、真面目でいい人なだけにいろいろ損もしているのではないだろうか。

 とりあえずオーディオ近辺の配線のどこかに接触不良があって、それでランダムな音飛びが起こるのではないか、という仮説が出ている。ワイヤーハーネスとかいう部品を取り寄せ、届き次第またピット・インして配線の交換する予定である。予想外に長引いたトラブルだし、原因究明も確定的な結論は出ていない。もしかしたらまだまだ続く泥濘なのかもしれないが、わたしとしてはぜひぜひ今度の部品交換で一件落着して欲しいのだった。
 もしこれで修理完了にならないと、またまた原因探しからやり直しになってしまう。ピット・イン状態が長引けば長引くほど、こちらも不便が募るし担当さんたちもますます恐縮してしまう。隣家の義母などからは既に「もう面倒だから新車に取り替えて、って言えばいいのに」という意見も出ているほどで、もしそうなったらさらにとんでもない面倒をHさんやYさん×2に背負い込ませることになる。最悪の場合、Hさんたちのペナルティとならないとも限らない。いつでもワリを喰うのは現場なのだ。
 わたしはバリバリにHさんやYさんのシンパなので、どうかそんなことにならないように…と願っている。頼んだぜヴィッツたん♪

 全然関係ない話だが、ついでに家人をせっついてカーナビの導入をしたらどうか、と言っている。bB君に付いていたカーナビを使ってみたら実に便利だったので、改めて「あったらいいなあ」と思ったのだ。予算によりけりでまだ導入決定ではないのだが、導入されたらわたしの行動半径はずいぶん広がることだろう。導入成るといいなあ。欲しいなあ…。




05/14 6m超!

2005/05/14 16:14
 ロールス・ロイスというと「超高級自動車」の代名詞のような車で、わたしは実物を見たこともないし、ましてや乗ったこともない。せいぜい「007シリーズ」の中を走っているのを見たくらいである。無闇と英国贔屓だった少女時代、ロールス・ロイスが英国の自動車会社であることが無性に誇らしかったものだが、今では自動車部門は実質的には消滅してしまった。諸行無常…。
 とは言えブランド・イメージとしては今でもやっぱり最高級。BMWとしても名前を引き継いだ「ファントム」というモデルを販売しているらしい。もともと「ファントム」という車種はロールス・ロイスに古くからあったのを、エンジンや主要部分にBMWの技術を使い、新しいモデルとして復活させたのだという。

 2003年に復活したその「ファントム」、全長が5.8m、全幅2.1m、高さ1.6m。排気量6750ccのV型12気筒エンジンを搭載していて最高出力は450馬力だというから、セダンというよりはちょっとした路線バス並みのサイズである。価格は4100万円(!)。ウチの可愛いヴィッツたんと比べると、全長は1.5倍以上、全幅1.2倍以上、排気量は5倍以上、価格は軽く25倍以上。きっとこれで定員は10人以下なのだろうから、何から何までが贅沢なクルマだと感心してしまう。
 ところで疑問なのだが、これだけでっかくても運転するのに普通免許で大丈夫なのだろうか。運転免許のカテゴライズがどういう仕組みになっていたか忘れてしまった。確か大型自動車の定義が「車両総重量8000kg以上、最大積載量5000kg以上、乗車定員11名以上のいずれかの条件を満たすバス・トラックなど」なので、微妙なところで「ファントム」はこのカテゴリーに該当しないような気がする。とすると「ファントム」の運転手さんは普通免許だけで何とかするしかないのだろうか。メチャクチャ無理があるのでは…。

 日本の狭苦しい道路事情では、この手のクルマはどうにも使いようがないのではと思うが、2004年には42台が売れていて、アメリカ、ヨーロッパに次ぐ市場となっているのだそうだ。このクルマが楽に走れる土地など北海道にしか存在しないような気がするのだが、ともかく少なくとも42名の人が「大型免許か普通免許か」でしばし悩んだということになるのだろうか。
 もちろんわたしだったらこんな車を運転しようなどという大それたことは考えようもないが、もしも仮に「ファントム」を運転しなければならない立場に立ったとしたら、怖いから絶対に大型免許を取得するだろうなと思う。バスやトラックを運転できる人ならば、きっと「ファントム」の運転もそれほど苦にならないだろう。とはいえ車高がバス・トラックよりもずいぶん低いので、車体後方の見切りなどはもしかしたらずっと難しいかもしれない。
 そして当然わたしが大型免許を取得できる日など来る訳がないので(10年教習所に通っても無理だと思う)、「ファントム」を運転できる自信が付く日も永久に来ないのである。別にしたいとも思わないけど。

 ただでさえでっかいこの「ファントム」だが、昨日ネット・ニュースをちらりと目にしたところによれば、さらにでっかい「ファントム・エクステンディッド・ホイールベース」が発売されたらしい。幅や車高、エンジンの排気量は今までの「ファントム」と変わりないのだが、全長が25cm長くなってとうとう6m8cmと大台を突破。お値段は5092万5000円、新築マンションおおよそ2軒分と考えると気が遠くなりそうである。いったいどんな人がこんな車を買うのか見てみたい。当然受注生産だが、日本を含むアジア・中東地域で先行販売ということは結構人気があるようだ。それにしても気になるのは普通と大型、どっちの免許なのだろうか(まだ拘っている)。
 ダイムラークライスラーでもこういうタイプの超高級車を販売していて、こっちは「マイバッハ」という名前なのだそうだ。印象的な名前なので聞いた覚えだけはある。お値段もサイズも「ファントム」に匹敵する豪快さで、こちらも2004年に日本国内だけで38台が売れているというから驚いてしまう。走っているところ、1度でいいから見てみたいなあ♪

 これだけ桁外れに高級な車だと、もしかすると自動車泥棒も敬遠するのだろうか、とちょっと気になってしまった。完全受注生産だろうから世界的に顧客管理はがっちりされているハズで、仮にまんまと盗み出したとしても目立ち過ぎて公道は走れまい。解体して海外に密輸するのも大変そうだし、持って行った先でもどうせ死ぬほど目立つに決まっている。そこまでのリスクを負う覚悟と経済力のある顧客なら、さくっと正規品を買ってしまうに違いない。
 「ファントム」や「マイバッハ」のような最高級自動車、果たしてイモビライザーは装備されているのだろうかというのも気になるポイントだったりする。こういう車が置いてあるお屋敷なら、そもそも往来から見えるようなところにガレージがあるとも考えにくい。敷地内に侵入したら即座にドーベルマンとかがすっ飛んで来そうな気がする。イモビライザーなんて要らなかったりして。
 さらにカーナビの有無はどうなのだろう。きっと運転するのはお抱えの専属運転手さんに違いない。そういう人はプライドにかけてカーナビなどに頼らない運転をするのだろうか。方向音痴の運転手なんて即座にクビになりそうだしなあ。




05/15 強行軍

2005/05/15 23:36
 この1週間は本当にスケジュールが立てられなくて困った。自分の阿呆なミスも重なりキャンセルせざるを得なくなったお楽しみもある(涙)。名古屋の瑞穂ラグビー場で開催された早稲田大学vs同志社大学のラグビーの試合も、土壇場でどうなることやらワカランが7:3くらいで多分ポシャるだろうと思っていた。何とか調整したくてもコチラの事情を斟酌してくれない要因が多過ぎるのでどうしようもない。
 昨晩行なわれた町内会の月例会とやらも、何やら良く判らないが長引くだけ長引き、終了したのは22時近く。それから用事を済ませたり風呂に入ったりすれば結構な時間になる。とてもではないが名古屋までの遠征ができるだけの充分な睡眠は取れないから諦めよう…。
 と思っていたのだが、気が付いたら諸々の悪条件をぶっ飛ばし、名古屋に向かって東名高速をひた走っていたのだった(汗)。ラッキーが重なったこともあるが、やっぱりウチの住人は2人とも、相当に物好きで向こう見ずというのでファイナル・アンサーだろう(とほほ)。帰宅したのはつい先ほど。ヘトヘトになってしまってどーすんだ今週1週間…。

 初めてクルマで訪れた名古屋は大変素敵な街だった。道路はあくまでもゆったりと広く、路肩も充分なスペースが確保されていて実に走りやすい。駐車場がふんだんに用意されているからか、都内で常態となっている路駐渋滞も見られない。ドライヴァーの皆さんも割に優雅に運転しているので、接触しそうになって怖い、という状況もあんまりなかった。いいなあ名古屋。
 瑞穂ラグビー場で駐車場の案内をしていた係の人も、隣の競技場付属の駐車場の係員さんも、物腰丁寧で気持ちの良い応対をしてくれて嬉しかった。そういえばコンビニの店員さんも心なしか気さくだった気がする。愛・地球博で他地域の人間が訪れるケースに慣れているからだろうか。

 試合終了後は家人の希望で「リニモ」に乗りに行くことにする(試合の感想文は明日にでも)。時間も遅いので万博そのものの見学をするつもりはないのだが、始発駅である「藤が岡」から「万博八草」までを、リニモで往復するのである(物好き)。最初は瑞穂ラグビー場隣の駐車場にクルマを置いておき、地下鉄で藤が岡駅まで行こうと家人は主張したのだが、そんな面倒なことはイヤだった。地元の人だって余所からの旅行者だって、万博はともかくリニモにも乗りたいと思う人間は必ず居る。だから藤が岡駅の周辺には絶対に駐車場がいっぱいあるに違いない。往復の時間と地下鉄代を考えたら、藤が岡までクルマで行って、駅周辺の駐車場に駐めてリニモに乗る方が絶対いい。
 調べてみたら藤が岡駅周辺には商店街があり、そこの利用客向けの駐車場もどっさりあると判明した。かくしてわたしの主張は珍しく家人の意見に打ち勝つことができたのだった。ここしばらくなかった快挙である(えっへん)。
 リニモの風景
 こちらがリニモの運転席や内部、きっぷ売り場など。家人が嬉しそうにいっぱい写真を撮ったので、その中から4枚借りて来た。
 リニモの乗り心地はなるほど普通の電車とは違った感じで、レールがないからもちろん「ガタンゴトン」という衝撃はまったく感じられない。とは言え想像していたほど滑らかかというとそこまでではなく、細かい上下の震動は結構あった。電車の線路よりアップダウンが激しかったのと、各駅に独自のマークが付いていて、日本語が判らない人でも駅の判別をしやすくしてあるのが印象的。
 リニモ乗車記念に何かお土産が欲しいかなあ、と思ったのだが、万博グッズの他に目に付いたのは「リニモなか」だけであった。そして万博グッズの購入はミーハーを嫌う家人によって敢無く却下を喰らってしまった(がっかり)。

 晩御飯には好物の「ひつまぶし」をいただき、気分良く帰途に着く。家人もわたしも草臥れ果てているのだが、さすがに家人だけに運転させるのも気の毒だし、わたしが比較的安心してクルマを運転できるのは程好く空いた高速道路だけ。理由が「曲がり角も道に迷う心配もないから」だというのは我ながら情けない。
 とりあえず家人が仮眠を取っている間だけでも運転代わろうか、と言い出そうとして気が付いた。免許証を持って来るのを忘れた…。出掛けに大慌てで支度をしたので、いつも使っているバッグから免許の入っているカード入れを移しておくのをうっかり忘れてしまったのだ。家人の負担を減らす役には全然立たなかったし、わたしとしても久し振りのドライヴのチャンスを逸してしまった。やれやれ。




05/16 春のラグビーオープン戦・早稲田大学vs同志社大学

2005/05/16 15:35
 ラグビーを判り易く説明するとしたら、やっぱり「バケツリレー」だろうか。井戸があって、そこからバケツで水を汲み出し、味方の選手に順々に渡しつつ前進を続け、相手ゴール・ラインの向こうに水を届けたらトライで5点もらえる。バケツを持っている間は前後左右自由に走れるが、味方に手渡しする時は前に投げてはいけない(キックなら前へでもいいけれど、楕円形ボールをちゃんと味方に渡るように蹴るのは至難の業である)。
 落ちたバケツ(ボール)に敵味方合わせて3人以上の人間が群がった地点が「井戸」。両チームとも自分たちの側にバケツを出そうとして集まるのだが、バケツを汲み上げる力自慢たちは大雑把に分けてフォワード(FW)の役目である。もちろん汲み上げたFWがそのままバケツを抱えて相手陣地へ突進してもOK。ただしFWよりはバックス(BK)の選手たちの方が韋駄天揃いと相場が決まっているため、ちょろちょろ走って相手チームの選手たちを撒くにはBKに任せる方が効率がいい。

 井戸からバケツを汲み上げるのがトロければ相手に奪われてしまうし、バケツの受け渡しが下手なら前に進めない。FWからBKへバケツを振り分ける役目を担うハーフ陣(SH、SO)も重要で、バケツを奪おうと殺到する相手チームの選手や自分のチームの選手たちの位置関係などから状況を素早く判断し、最適なルートを取れるようにリレーを開始する。特にSO(スタンドオフ)がチームの「司令塔」と呼ばれる所以である。
 つまりラグビーとは徹底的に「システム」のスポーツなのだ。個人のスキルももちろん大切だが、意思疎通が完璧に徹底されたチームAと、それより個々の能力は高いがてんでんバラバラなチームBとが対戦したら、かなりの確率でAが勝つ。ラグビーに限らず、チームで対戦するスポーツなら大抵の場合そうであるように。

 で、昨日の試合だが、FWとBKの橋渡しを受け持つハーフ陣の出来が非常に心配になってしまう内容だった。怪我をして試合に出られないレギュラーが多いとか、まだ春でチーム全体の完成度としてはこれから上げて行けばいい段階だとか、情状酌量の余地は少なくない。けれど特にハーフ陣、「システム」ということをもしや忘れているのではなかろうかと思う場面が多すぎた。
 スクラムやラック(←井戸)からボールを取り出すSH(スクラムハーフ)の選手が、司令塔・SOの選手にボールをパスしないで、自分で持ったまま突っ走って行ってしまうのである。当然あっという間に敵チームの選手にタックルを喰らって捕まってしまう。フィールドに散らばる選手の密度がもっと低ければ、SHが隙を突いて突進という奇襲が通用する余地も多々あるのだが、残念ながら15人制のラグビーではそういう隙はそうそう生まれるものではない。同志社大学のような強敵ならばなおさらである。

 ボールが回って来ないものだから、俊足自慢のBK選手たちも走りようがない。さらにこのSH、自分で突進しないまでもSOへ出すパスのタイミングが遅すぎる。ボールを掘り出して次の行動へ移るまでに、1拍か2拍、さてどうしようか…と考え込んでいるのではないかと思えるラグがあるのだ。
 さらにSOも次の選手へパスを出す前にまた1、2拍悩んだまま延々と横に走ってしまう。敵チームの選手たちがドーッと走って来る場面でのこれらのタイム・ロスは致命的で、わずかに迷っている間に彼我の距離はあっという間に縮められてしまう。BK選手たちの行動の自由は狭められ、動作に余裕がなくなり、判断にもボール捌きにもミスが出やすくなる。
 縦にしか走らないSHと、いつまでもボールを持ったまま横に走ってしまうSO。こうなるといくらバック3(CTB、WTB、FBの走り屋さんたち)の足が速くてもどうにもならない。まともに陣地を稼ぐ前にタックルを喰らって新しい井戸が形成されてしまうという悪循環である。

 史上最強のチームと謳われた去年の「諸岡組」より幾分パワー・ダウンしたとは言え、FWの選手たちは結構頑張っていた。BKにボールを渡してもきちんと展開しないから仕方ないのだが、力自慢たちが寄ってたかってゴリ押しして陣地を稼ぐ(つまり井戸ごとジリジリ前進するような感じ)パターンのトライしか奪えないのだ。もちろんFWが強いのはいいことなのだが、そういうワンパターンではいずれ手の内を読まれるようになる。FWの選手たちにかかる負担も増えるから、ひょっとすると怪我人が出やすくもなるかもしれない。
 FWには去年のチームからHO・青木佑輔選手、LO・内橋徹選手、FL・松本允選手、NO.8・佐々木隆道選手の4人が残っている。減ったとは言え半分は同じメンバーなのだ。一方BKの7人中、去年レギュラーだったと言えるのはCTB・今村雄太選手だけ。後はみんな卒業したり怪我の治療中だったりして不在である。なるほどこれではシステムとか組織化が多少マズくても仕方ない部分はあるだろう。

 春シーズンから最強無敵のチームを創り上げなければならないということはない。多少粗が目立っても、これはと見込んだ選手を使い続けてヴェテランに育て上げるのもヴィジョンとしてはアリだと思う。現に昨年度SHの後藤翔太選手も、3年生の後期にはスランプに陥って散々な言われようをしていた時期もある。監督が我慢して使い続けた結果、チーム・メイトにも信頼されるBKの要に成長してくれたのだ。
 とは言え今シーズン、ここまでのところSHのレギュラーとなっている選手と後藤選手とでは、やや状況が違うのではないだろうかという気がしないでもない。後藤選手も確かに「球出しが遅い」と言われ続けたものだが、状況判断に迷うというのとはちょっと違った。一方今年のSHの選手、7人制ラグビーでは類稀な活躍を示している。7人制の感覚で15人制ラグビーのSHをつとめている部分があるのではないだろうか。とすると、7人制よりも自由に動けるスペースがずっと少ない15人制で巧く機能しないのは当然かもしれない。
 パスの精度やハンドリング・エラー(ノッコン)の撲滅など、結局は練習の量によってある程度克服できる課題である。しかしスペースに関する感覚とか状況判断のスピードについては、練習で改善するのはなかなか難しいような気がする。どの道、今回のSHとSOの2選手は、1度レギュラーから外して新しい選手の起用を考えるのも手ではないだろうか。後半途中、茂木隼人選手が交代してSHに入ったら途端にリズムが良くなったように見えるし…。

 一応は34対21で勝ったものの、前半折り返し時点では12対14とリードされていた場面もあった。一方、同じ日に三ツ沢グラウンドで行なわれた関東学院大学vs明治大学のオープン戦は、なんと90対0という驚異的スコアでカントウが圧倒的勝利を収めたという。好敵手・カントウは昨年の雪辱を目指し、着々とちからを蓄えている。ワセダもうかうかしていられない。とにかく早いところ、ハーフ陣の最適メンバーを選び出していろいろ使ってみて欲しい。
 途中交代で出場したSH・茂木隼人選手はなかなか良かったし、谷口拓郎選手とか、今はWTBの三原拓郎選手も実はSHとしていいセンスを持っているのではないか、と個人的には思っている。SOに関しては曽我部佳憲選手が完全復帰してくれれば悩むことはなくなるのだが、長期間実戦から離れていたことだし、復帰後即座に万全とは行かないかもしれない。CTBとして途中交代した高橋銀太郎選手は良かったし、南園洋一選手とか長尾岳人選手という期待の持てるメンバーも居て、なぜここまで悩ましい起用を続けるのか疑問なのである。
 ともかく来月には関東学院大学とのオープン戦も予定されている。前哨戦とは言え、ここであんまり実力差を見せ付けられるようだと2連覇は危ない。1ヶ月でぜひとも新生・ハーフ陣を叩き上げてもらいたいものである。




05/17 悔しい忘れ方

2005/05/17 20:59
 日々思いついたことをのんべんだらりんと書いているこの日記だが、時々ネタ切れすることもある。一応「ネタメモ」も書き留めてあることはあるものの、時期を逃すと「今さらこのネタもなあ」とボツにしてしまうケースも多い。例えばしばらく前にネット・ニュースで見た「溜め込んだ膨大な書籍や雑誌の重みで床が抜けたアパートの2階の部屋」など、あまりに面白い(しかし手放しでは笑えない)話だったにも関わらず、書くタイミングを逃してしまった。
 その後、問題の部屋の住人さんはどうしたのだろう。後日談がどこかに出ないかと注意しているのだが消息は聞こえて来ない。真下の部屋の住人さんは崩落の瞬間、まさにその危険性について相談しに警察へ出掛けていたために無事だったという。天井なんかがよっぽどミシミシ鳴って怖かったのであろう。『大脱走』で、掘ったトンネルの土を屋根裏に隠したためにオソロシゲな音を立てるようになってしまった天井のシーンが思い出される。

 「ネタメモ」には「これは面白い日記が書けるかもしれない」と思いついたテーマを二言三言書き付けて○で囲ったものが並んでいる。使ったネタには×を付けて、間違って再利用しないよう気を付けている。日記だから以前と同じテーマについて同じことを書いてもいいかなあと思うが、そこはなけなしの美意識がしゃしゃり出て文句を付けるのであった。
 眺めてみると、書こうと思った内容をちゃんと思い出せるものもあれば、どういう筋書きでどういうファクターを絡めて書こうと思ったのか、すっかり忘れてしまったものもある。例えば「学問はみなリンクしている・イスファハン・好奇心」という言葉が入った○など、今となってはどういう日記にするつもりだったのかさっぱり判らない。何のためのメモだか…。
 さらに、1度使ったネタに×印を付けるのを忘れて、危ういところでおんなじ内容の日記を書こうとしてしまったこともある。書いている途中で「なんだかこのフレーズには覚えがある」と思い、調べてみてやっと気が付いたのだ。ここまで来ると自分の脳みその老化を心配したくなる。

 先日は「ネタメモ」に書いていないことで「お、これは」と思いついたネタがあったらしい。らしい、というのは、それが何だったかどうしても思い出せないからである。
 いつもの通り、入浴中歯磨きをしている時にそのネタはぽかりとアタマに浮かんだ。ちょっと面白そうだと乗り気になったのだが、もしかしたら以前の日記で同じネタについて書いたことがあったような気がする。あるいはニアミスしている日記があったとしたら、できればそのネタと絡めてみたいものである。考え付いたことと違う、もっと面白い展開も有り得るかもしれない。
 風呂から上がってアフター・バスの保湿剤を塗ったり髪の毛を梳いたりしている時はまだ覚えていた。パジャマに着替えてドライヤーで髪を乾かしている間も大丈夫だった。ところがいざPCの前に座り、過去の日記に同じネタはないかなと検索ウィンドウを開いたところでふと手が止まってしまったのだ。ハテ何について調べようとしてたんだっけ?

 おそらくその瞬間に、TVで何か気になるCMが流れたとか、家人が何か言ったとか、ともかく注意を削がれるような出来事がなにかあったのだろう。ポロリと取り落としたそのネタが何だったのか、実は今でも思い出せないままである。以前にも買い物帰りに駅から歩いている途中で日記ネタを考えていて、帰宅後、買って来たアイテムを冷蔵庫に仕舞っているわずかな隙にうっかり忘れてしまったことがある。ただしこの時は忘れてしまったものが「ほぼ完成したストーリー」だったために、しばらくウンウン唸っていたらキイ・ワードを思い出すことができた。
 キイ・ワードを思い出せれば後は芋づる式におおよその内容が出て来るのだが、生憎今回忘れてしまったのは肝心なそのキイ・ワードである。当然ストーリーもまだ骨組みもできていないために思い出しようもない。咽喉元にその言葉が引っ掛かっているような、夢で口にしたフレーズの感触がまだ口元に残っているような、ビミョーな記憶の残り方が余計にイライラする。どうせなら綺麗さっぱり跡形もなく忘れてしまったのなら良かったのに。

 こんなこともあるから、やっぱりネタを思いついたらちゃんとメモっておくべきなのだよなあ。忘れてしまったネタほど面白かったような気がするのは「逃した魚は大きい」心理作用なのだろうとは思うが、もうちょっとで思い出せそうなのにどうしてもぼやけた輪郭が掴めないこのもどかしさ、近頃最高に悔しい「物忘れ」なのであった。




05/18 親愛なるルートヴィッヒ

2005/05/18 16:58
 ミーハーというか在り来たりかもしれないが、一番好きだなあと思う作曲家はやっぱりベートーヴェンである。とは言え交響曲の他は「月光」や「悲愴」とか「春」や「クロイツェル」などの有名どころのソナタ、「皇帝」、「セリオーソ」や「ラズモフスキー」などの弦楽四重奏曲くらいしか知らないような気がするので、ファンと名乗るには勉強が全然足りない。曲を聴けば「あ、知ってる。これ好きなんだよね」と思い出すものもあるハズである(と言い訳)。
 中でもお気に入りは奇数番号の交響曲である。9番は別格で、次に7番と5番が同じくらい好きだ。1番も3番も素敵だと思う。どういう訳か偶数番号の交響曲はあまり記憶に残っていない。せいぜい6番を何とか思い出せる程度である。周囲に訊いてみると不思議と同じような意見の人が多かったりするので、面白い現象だなあと思っている。
 中には「ベートーヴェンの交響曲は偶数のに限る」というコアな人ももちろんいらっしゃるけれど。

 音楽の好みにも「不幸萌え」が口を出すのか、わたしが気に入るのはなぜか圧倒的に短調の曲が多い。家人はワン・パターンだと嘲笑するのだが、その数少ない「長調で好きな曲」のうち1つが7番である。特に終楽章はたまらない。アレを聴いてワクワクしない人がもし居たら、相当な不感症だと決め付けてしまいたいくらいである。CDをかけるといつも、サッカーのサポーターのようにピョンピョン跳ね回って踊らずにいられない。演奏会に行ったらヤバい曲目かもしれない。
 そんな実力もないのだが、もしどこかの市民オーケストラに入れてもらえるとしたら、ぜひ7番を弾きたいなあと夢見てしまう。格好いいなあ…。

 5番を最初に聴いたのは小学校高学年くらいの音楽鑑賞の時間だったと思う。天才ピアニストから天才作曲家へ名を上げ、一転して難聴という悲劇に見舞われて絶望した。「ハイリゲンシュタットの遺書」はこの曲が書かれたのと同じ時期です…と、「楽聖」の生涯について授業で習ったような気がする。時期的なものは丸っきり間違って覚えているかもしれないが、ともかくすでに不幸萌えだったわたしとしては、「悲劇の天才の運命」と冒頭の超有名フレーズが強烈にシンクロしたものだ。
 今はどちらかというと有名な1楽章よりも4楽章の方が好きである。特にちょっと暗めの3楽章からataccaで4楽章へ繋がる部分にゾクゾクする。単なる個人的な思い込みなのだけれど、「死を克服して生へ」とでも呼びたいような、再生の歓喜に溢れた曲だと思う。

 同じ気分は9番の4楽章の途中でも感じている。この「歓喜の主題」へぐわーっと繋がる部分や5番の4楽章冒頭とかを聴くと、イメージとして沸いて出て来るのは復活祭の光景である。
 「復活徹夜祭」というのがメイン・イヴェントで、これはイースター・サンデーの前夜遅くに始められる。土曜日の午後12時までは灯も落としてしんみりした雰囲気に包まれている教会に、日付が変わるとすぐに「復活のろうそく」を持った司祭が入って来る。教会内部に座っている人たちは銘々小さなろうそくを持っていて、後ろの席から順番に司祭のろうそくの火を移してもらう。全員のろうそくに火が点ったら、そこで初めて全体の照明を点けるのである。「光の祭儀」と呼ばれる冒頭の儀式で、これは本当に本当にきれいなのだ。
 真っ暗な中、朧なろうそくの光で少しずつ周りが見えるようになってから一気に照明がともされる時の印象が、9番4楽章の「歓喜の主題」が出て来るところとか5番の4楽章冒頭とかの、ほのかな予感から一気にカタルシスへ展開する場面にぴったりだと思う。あの辺りを聴いていると、何と言うか「しんどい人生でも、いつかは何かが報われる時も来るのではないだろうか、Magnifico〜!」という気分になる。演奏会なら大抵ベーっと泣いてしまう(汗)。

 Magnificoなカタルシス気分の最大級がやっぱり9番で、どうしても4楽章でなくちゃね、と思う。冷静に聴いたら、もしかすると1〜3楽章の方が音楽的なシステムとしては良く出来ているのかなという気はするが、理屈をすべてぶっ飛ばして本能的な何かに訴えるものが4楽章にはあるのではないだろうか。もちろん1〜3楽章もそれぞれ大層格好いいのでわたしは大好きである。
 そして妄想かもしれないけれど、4楽章を聴いていると作曲中のベートーヴェンが「ああでもないこうでもない」と髪の毛を掻き毟りながら机に向かっている姿が目に浮かぶような気がする。結局何をどうやっても気に入らなくて、あろうことか曲の中で言い訳しちゃう辺り、なんだかものすごく親近感を覚えるのである。御本人が「こんな音じゃない」と言ってる音楽は、わたしには文句の付けようもなく素晴らしいものに聴こえるし。

 こんなことを言ったら叱られるかもしれないけれど、そんな訳でわたしにとってベートーヴェンは「楽聖」と言うよりも「ちょっと変わり者の遠縁の叔父さん(ただし天才)」に感じられて非常に親しみやすい。じゃっかん偏屈で根暗かもしれないけれど、そういうところもまた奥深くて魅力的である。弾けたらもっとハマるに違いないと思うのだが、「春」に手も足も出なかった上にサボりまくりでは…(タメイキ)。
 「春」もいつかリヴェンジしたいのだが、まずその前に先生を見つけなければ(というかその前にまずさらえよ)。道は遠いのである。




05/19 事実は小説より奇なり

2005/05/19 10:57
 昨日から今日にかけて、ちょっと俄かには信じられない変わったニュースを複数目にして、まさに「事実は…」な気分になっている。
 筆頭はもちろん「沈黙のピアニスト」さんの話である。先月7日に、英国南東部ケント州シアネスの海岸を、ずぶぬれで彷徨っているところを保護されたこの男性、極端に怯えて鬱状態、一言も口が利けないまま今に至る。グランドピアノの絵とスウェーデン国旗を描いたのでピアノの前に座らせたら、見事なタッチでチャイコフスキーの「白鳥の湖」やビートルズの「Accross the Universe」、その他自作と思われる曲を演奏したのだという。
 保護された時に着ていたのがブランド物のタキシードだったのにラベルが全部切り取られていたとか(なぜブランド物だと判るのかちょっと不思議)、精神的ショックでどうやら記憶を失っているらしいとか、よっぽど怖い目に遭ったのだろうかと気の毒に思う。真贋不明な身元情報が300件以上寄せられているのだが、確認には相当に時間がかかるらしい。

 ピアノ弾きの友人によれば「白鳥の湖」をピアノのレパートリーに入れている人はあんまり居ないのではないか、という。例えばバレエのカンパニーで伴奏ピアノを弾いているなど、ある程度特殊な場合に限られるのでは、と。確かに一般的には「白鳥の湖」が演奏会でピアノ曲として演目に選ばれることはあまりなさそうである。
 記憶喪失については詳しくないが、ピアノの弾き方を覚えているということは、母国語だったら理解できる可能性もあると思う。恐怖とショックで失語状態に陥っていても、話しかける方の言葉がちゃんとヒットすれば、多少の突破口が開けるような気がする。言葉が通じなくても周りの人が親身になって身元捜しをしてくれようとしている状況くらいは判るだろうし、とりあえずは極度の怯え状態を和らげる方針が一番だろうか。

 顰蹙しつつ笑ってしまったのは、ハリウッドから早速この男性を主人公にした作品の打診が来ている、という枝ニュースであった。そりゃあ物語性としては申し分ないけれど、せめて身元が判明して落ち着くところへ落ち着いてから切り出す話ではないだろうか。大変に手の込んだ売名行為という可能性もゼロではないが、現象を素直に解釈すれば、何かとんでもなく恐ろしい目に遭って(おそらくは)消されかけ、ショックで記憶まで失くすという災難の真っ只中に居る人である。
 ショービズの世界では早い者勝ちな部分があるのかもしれないが、あまりに無神経な申し出だと思う。もしもわたしがこの男性で、後に記憶が戻ったとしても、そんな会社のモデルになるのは真っ平である。

 一方日本では「女装した16歳の少年がひったくり」というニュースがあって唖然としてしまった。出会い系サイトでスケベおぢさんに「援助交際しましょう」と持ちかけて呼び出し、値段交渉を装って車に乗り込んで財布をひったくったらしい。
 事件が起こったのは今年2月26日の午後7時頃というから、現場はきっと暗かったのだろう。しかしそれでも、同じ車内で顔を突き合わせて値段交渉していてもバレない女装、というのには少々感心してしまった。この16歳の少年はもともと細身で小柄で長髪で、念入りにメイクもしてもちろんスカートも履いていたらしい。被害者の男性によると「よもや男とは思わなかった」そうである。
 さぞかし驚いたことだろうが、個人的には自業自得という気もする。これに懲りてスケベ心を抑制するがいい、と思う。

 そして今朝になってさらに驚くニュースを目にしてしまった。今度もやっぱり女装ネタなのだが、なんと60歳男性が女装して銭湯の女湯に入り込み、出歯亀を働いたという。さっきの16歳少年の女装ならまだ何とか誤魔化せるような気がしないでもないが、さすがに60歳の女装は厳しいのではないだろうか。単なる個人的な先入観かもしれないが。
 ともかくこの男性、ウィッグやピンクの女物スーツに身を包んで銭湯に行った。女子更衣室で服を脱いでバスタオルを身体に巻きつけ、そのまま湯船に浸かっていたために怪しまれ、従業員に声を掛けられてバレたらしい。返事したのが男の声だったからで、さすがに声までは誤魔化せなかったということだろう。
 銭湯の湯船にタオルを持ち込んではイケマセンというのはかなりの常識なのに、そこでバスタオルを巻いたままだったら余程目立ったに違いない。さらに状況から考えてウィッグは着けたままだろう。不審に思われて声を掛けられるまでがどのくらいの時間だったのか不明だが、相当暑かったのではないかと思う。そこまでして女湯を覗く根性には呆れ返る。覗かれた方にしても、普通の覗きよりは女装の覗きの方が微妙に気持ち悪さがアップする気がする。迷惑極まりない話である。




05/20 不精と嗜好と体型と

2005/05/20 14:00
 わたしの場合「性格:ぐーたら」はあらゆるところに影響を及ぼしている。掃除がキライなのはハウスダストのアレルギーで埃に接触すると痒くなるから、と公式には表明しているが、実際のところ最大の原因は「だって動くの面倒なんだもん」ではないかと思う。毎日少しずつ小規模な掃除をするのも、限界ぎりぎりまで我慢してドカンと中規模掃除するのも、痒くなる度合いはあんまり変わらない。だとしたら可能な限り面倒臭いことからは遠ざかりたいのが人情である。我ながらこのズボラさにはほとほと呆れ返るのだが。
 きっとこの性格のせいで座り仕事が板に付いてしまったため、いつまで経っても下半身の存在感がなくならないのだと思う。ちょっとやそっと運動しても変わるものではないに違いない。スポーツ・クラブ通いを始めて4ヶ月半が経過するが、相変わらず家人には「それにしてもキミの脚は太いよなあ」と言われ続けている。もちろん自分でもそう思うので反論できないのだが、体脂肪率で言ったら男女差を無視してもなお家人の方が脂身リッチなので、内心「良く言うよ自分のことは棚に上げてさ」と愚痴るのであった。

 徹底的に不精だが、気に入ったことならば例外的にのめり込むという現金な面もある。ここ数ヶ月のお気に入りはやはりスポーツ・クラブのバレエ体操が筆頭で、カチカチの身体を柔らかくしたい、あわよくば下半身をもーちょっと絞りたい、という不純な動機も加わり、かなり熱心に取り組んでいる。
 クラスでご一緒するのは9割以上がわたしより年上のおばさま方である。開催時間が平日のお昼時なのでどうしてもこういう年代構成になってしまうらしい。よその支店では平日夜のバレエ・レッスンが設定されているところもあるので、きっとそういう場合はまた違うのだろう。「お若いから上達はすぐよ」などと励ましていただくのだが、自分の年齢を「お若い」と思うのも図々しい気がする。
 最初は気後れしていたのだが、最近はだいぶクラスにも馴染めるようになってきた。他の参加者の皆さんとも、そろそろお友達になれているのだろうかと思うとちょっと嬉しい。何しろこちらから話しかけることがどうしてもできなかったので、クラス前のストレッチなどもなかなか教わるチャンスがなかったのだ。このところ、楽しくおしゃべりしながらストレッチの仲間に混ざれるようになったので、本番の体操の効果も一層上がるのではないかと期待している。

 下手の横好きそのものなので、参加者の皆さんからは「まとりさんって本当に真面目ねえ」と褒めていただくこともある。動機は不純だし、生活の他の面では真面目どころの騒ぎではないので、そう言われるたびに恥ずかしくなる。照れ隠しに「いやー、いつか先生みたいな細い脚になりたいんですよね」と笑ってみせている。バレエ・ダンサーのようなとまでは行かなくとも、せめてもうちょっと細く…と願う気持ちは切実である。
 たいていの場合「なに言ってるの、細いじゃないの」とお世辞を返されるのだが、そうするとついつい、自分で太ももやケツの肉をむにゅーっと摘んで見せずにはいられなくなる。ほら贅肉がこんなに! と嘆いてみせると、お世辞をおっしゃる皆さんも沈黙してしまうのである。クラスの皆さんは本当に脚の細い方々ばかりなので羨ましい。やはり継続が大切なのだろう。

 運動するだけでは絶対に痩せないから、食生活も見直さなくてはなるまいと常々思っているのだが、生憎太りやすいものが大好きである。基本的な食事のメニューは和食が好きなので問題なさそうだが、ともかくお菓子が止められない。さらに改めて自分の好みのスイーツをリスト・アップしてみると、脂身が増えるのも無理はない、という気になってくる。
 つまり食べ物の嗜好は徹底的に「噛まずに飲み込めるものが好き」なのだ。あられよりはキャンディが、スポンジ主体のケーキよりはムースがいい。プリンやゼリーの組み合わせもいい。フルーツがふんだんにあしらわれたムースタルトとか、シュークリームやチーズケーキなどが大好物である。詳しく調べたことはないが、おそらくどれも脂肪分たっぷりに違いない。
 お菓子に限らずパンでも傾向は同じである。フランスパンよりはクロワッサンが好きだし、トーストには家人も呆れるくらいマーガリンを塗りたくらないと飲み込めない。トーストも6枚切りよりは12枚切りの方がずっと好きで、カリカリに焼いた全粒粉の12枚切りパンにマーガリンをたっぷりしみこませて食べるのがお気に入りなのだ。ひょっとすると6枚切りのを1枚食べる場合よりもカロリーは相当高くなっているだろうなあと思うのだが、6枚切りトーストの耳があまり好きではないのでどうしてもそういう食べ方になってしまう。

 以前読んだ何かの小説では、美味しいものの形容として「Hot melting butter」という言葉が出てきた。カリカリに焼いたイングリッシュ・マフィンを2つに割って、間から滴るくらいたっぷりのバターを挟んで食べるのがたまらない、というシーンだったように思う。ほーらやっぱりそういう食べ方が一番美味しいという汎地球的なコンセンサスができているではないか、と自分に都合のいい納得の仕方をしている。
 イギリス映画など観ていると、朝食やアフタヌーン・ティーのシーンなどで時々右手にトースト、左手にミルクティのカップを持ち、トーストをミルクティに突っ込んでから食べている場面が出て来ることがある。右手に持っているのがクッキーでも同様で、やっぱり紅茶に一端どぶんと漬けてからおもむろに口に運ぶ。
 最初にそれを見た時、なるほどああやって食べればトーストのカリカリが口に刺さることもなく、かつ塗りたくるマーガリンの量を減らすこともできるだろうか、と思った。もうだいぶ昔のことだが試しにやってみたこともある。あまり美味しくなかった(がっかり)。カリカリ部分とバターでしっとりの部分のバランスが、問答無用でミルクティに漬けた場合とはやはり全然違う。全体がふにゃふにゃになってしまったトーストはわたしの口には合わないのだった。

 トーストに塗るものがマーガリンではなくてチーズでも同様である。大好物のブルサン・アイユや先日感激の出会いをしたサンタンドレなど、塗るというよりは塊を載せて齧る、という食べ方が好きなのだ。乳脂肪分の高いチーズと薄焼きトーストの相性は絶妙である。家人いわく「それはパンじゃなくてマーガリン(チーズ)喰ってるようなものじゃないか」な状態だが、食後に鼻のアタマがてかてかするようなこういう食べ方、どうしても止められない。
 最近はカロリー・カットのマーガリンとかチーズなども販売されているが、こんなふうにごっそり載せるというえげつない食べ方では無意味な選択であろう。ちょっとは減らした方がいいと重々判っているのだが、トーストの端っこが上顎に刺さる感触がどうしてもイヤで、ついついエッジ部分までまんべんな〜く塗りたくる習慣は変わらないまま。
 いっそトーストを食べるのを止めてしまえればいいのだが、時々無性に食べたくなることもある。スリムな脚はまだまだ遠そうである(タメイキ)。




05/21 ○○したてで失敗した馬鹿大人

2005/05/21 22:47
 TBSラジオの人気番組に「サタデー大人天国! 宮川賢のパカパカ行進曲!!」というのがあって、土曜日買出しに出掛ける時、たまにクルマの中で聴いていたりする。毎週テーマを1つ決め、それにフィットする失敗談をリスナーが電話口の向こうで語る。MCの宮川賢氏と番組スタッフが話の面白さを判定し、「その日の中で一番面白い」と判定された話者には賑々しくベルが打ち鳴らされて「You WIN!」というお褒めの言葉が贈られる。以後挑戦者がどんどん交代し、勝ち抜き方式で優勝者を決定するのである。
 毎週毎週よくぞこれだけと感心するほどクオリティの高い阿呆話が集合するため、ここ1〜2年の間にどんどん枠が拡大し、始めは1時間のコーナーだったものがここ最近では2時間丸々「馬鹿大人」に占められるようになってしまった。ラストマン・スタンディングで3万円、ファースト・チャンプで5千円、「宮川賞」を獲得した2人にも賞金が出るので、挑戦者たちも自然と入魂のトークになるらしい。

 今日のお題を聞いて、わたしにも思い当たる阿呆話があるなとちょっとだけ心揺れた。電話してみたら受けるだろうか。とは言えもちろん見ず知らずの人間相手にちゃんと話なんか出来ないし、自分で良くよく考え直すと「面白い」というよりは「引いてしまう」話である気がしてきた。おそらく電話も繋がらないことだろう。「中島みゆきのオールナイト・ニッポン」とか「チャゲの乗る反る」という深夜ラジオ番組とか、ハガキで参加できるリスナーのコーナーには今まで何度も投稿したことはあるが、こういう当意即妙の受け答えを要求されるシーンは苦手である。反射神経が鈍いのだ。
 ちなみに過去の投稿中ベスト作品は以下の替え歌である。チャゲちゃんに大受けして見事「特製ちゃげあすラベル」をゲットした(メロディは当時大流行していた「リゲイン」のCMソング)。

 学生とサラリーマンでホームも揺れる
 痴漢・酸欠、耐えられますか
 ラッシュアワー、ラッシュアワー
 ジャパニーズ・ラッシュアワー

 閑話休題。今日思い出した阿呆話とは、今からおよそ20年前の「運転免許取り立てで大失敗しちゃった」エピソードである。
 仮免に1度落っこちたものの後は結構順調に免許証を手に入れた日から1週間後のことだった。よせばいいのにわたしは単独で練習走行に出ようと思い立った。使ったクルマは父の「カムリ」、パワステ付きAT車なので教習所の車よりもずっと運転しやすいに決まってる、と軽く考えてのチャレンジである。
 予定では最寄のインターからバイパスに乗って1つ隣の出口で降り、またそこからバイパスの反対車線に乗ってウチに帰って来るつもりだった。高速教習が出来なかったので、1度自動車専用道路を走ってみたかったのだ。隣のインターと言っても良く知った駅の近くだし、怖いことなんか何もないハズだった。ところがバイパスを降りた後で折り返しの入り口を探す時、わたしは見事というか当然のごとくというか、迷子になってしまったのである。気が付いたらどことも知れぬ細い道を震え上がりつつ走っている最中であった。

 なお悪いことに対向車が来てしまった。そして「ここは一方通行だから戻れ」とジェスチュアをするのである。入り口にあった一方通行の標識が庭木に隠れていたために見落として出口から入り込んでしまったらしい。心細さは一気にパニックに昇格である。
 曲がりくねった細い道、前進するだけでも大変だったのに、バックで出口まで戻るなどわたしの力量を遥かに超えることだった。いつもよりずっと重たい気がするハンドルを操り、あっちこっちの電信柱にぶつかりぶつかり、ひょっとするとどこかのお宅のブロック塀の角に横腹を擦り付けちゃったりしつつ、わたしは悪戦苦闘を続けた。対向車の運転手さんが「ぎょえーまさかこんなことになろうとは」という表情で見ているのが判った。どーしても出られなくて「わたしはここで人生を終えるのだろうか」と大袈裟なことを考え始めた頃、運転席の窓を誰かが叩いた。

 既にその頃には結構な人数の見物人が遠巻きにしていたのだが、中から歩み寄った通りすがりの郵便配達のおじさんが「出してやるから降りな?」と運転を代わってくれたのである。冗談抜きで天使か神様に見えた。
 おじさんは運転席に座るなり「お姉ちゃん、サイド・ブレーキ引いたまんまだよ? これじゃちゃんと動く訳ないでしょう」と呆れつつ、あっという間に広い道までカムリを出してくれたのだった。ついでにバイパス入り口までの詳しい道案内までしてくれた。わたしはおじさんに何度も何度も御礼を言い、今度こそちゃんとサイド・ブレーキを解除してから、ほうほうの体で家まで逃げ帰ったのである。

 帰宅後じっくりと被害状況を調べてみたらエライことになっていた。車体左側には一面に見事な擦り傷。さらに助手席のドアはめこめこに凹んで開きさえしない。左側テール・ランプ破損、バンパー損傷。アンテナはもげてどっかに行ってしまい、代わりに木の枝がぶら下がっている。この状態でバイパスを走ったのか、と、改めて穴掘って埋まりたいほどの恥ずかしさに襲われた。状況から考えて、どこかのお宅のブロック塀にも傷が付いてしまっただろうかと青くなりつつ、お詫びに伺おうにもそれが何処だったかさえもう判らない。
 修理代金はン十万円に上った。父は暫く沈黙した後で「とりあえず、怪我がなくて良かった」とだけ言った。あの時ほど父の寛大さに感謝したことはなかったが、後に「アレのせいでおとーさんの保険、ランク下がっちゃったんだぞ〜」とボヤいていたので、父にとってもかなりの打撃だったと思われる(すみませんすみません)。

 もしあの時カミナリを落とされて「もう運転止めろ」と言われていたら、たぶんわたしはあっさりとクルマを降りていただろう。母などは「あれだけのことをやらかして、まだ運転しようという気持ちが残っていたのだから、何はともあれアンタ根性だけはあったのかしらね」と漏らしていたが、その辺は自分でも確かに不思議である。何だかんだ言いつつ、やっぱり運転そのものは嫌いではないらしい。
 とは言うものの、その後の迷子歴などを振り返るにつけ、あの時運転免許を返上しなくて良かったのか悪かったのか、未だに判断に迷うのである。今年の11月には免許書き換え、こんなわたしでもゴールド免許。これはある意味不条理なことかもしれない。




05/22 ガス給湯器 in トラブル

2005/05/22 14:28
 2階のPCでちょっと遅めの日記を書き、ついでに安価で可愛いレオタードを売っている通販サイトがないかを探していた。例のバレエ体操とかマット・サイエンスとかのレッスンでは、身体の線がきちんと外から見える格好で運動する方が上達が早いらしい。今まで恥ずかしくてダボッとした長袖Tシャツで参加していたのだが、この際だから「形から入る」のもアリだろうかと少々考えが変わって来たのである。
 もちろんマシン・エクササイズをする時はレオタード姿ではあまりに恥ずかしいので上に何か羽織らねばならない。さらにそろそろタイツが毛玉だらけになってきたので新しいのを買わなければ。今度は指先が出るトレンカ・タイプのものでもいいなあ。できればついでにスニーカーも買い換えたいと思っていたのだっけ。高校時代の体育館シューズをそのままマシン・エクササイズ用に履いているのだが、どうもキツいと思って確かめてみたら1サイズ小さかった。どうりであの頃、体育館の授業で走るたびに足の爪先が痛くてどうしようもなかったっけ。気が付くのがあまりにも遅すぎる…(呆れ)。

 今のところ気になっているシューズはadidasの「アディジショ」とか「テツリュー」「テツリュー2」などである。要は軽くてソールの衝撃吸収性能の良い、スリッポン・タイプのスニーカーがいいなあと思ったのだ。デザインが可愛ければなお良い。このうちアディジショはリボンで結ぶ履き方があまりにも面倒そうなので却下。テツリュー2には大変惹かれるが、できたらこれで水色があるといいなあと思う。どのみち2004年の限定モデルだったとかで入手困難なのと、安売り店でも1足6000円以上という値段に挫折している。たっけーよ!
 良く良く見たら小学校の上履きが洗練されたような靴なので、月星(MoonStar)のキッズ向け高機能上履きなどイイかもしれない。惜しむらくはデザインで、せめてもう少し可愛かったら決めるのだが。

 いっそのことバレエ・シューズのフルソール・タイプのものをマシン・エクササイズやエアロバイク漕ぎにも履いてしまおうか、とも思う。そうすれば(場合によっては)2足もシューズを持って行かなくて済むから楽である。バレエ・シューズにはソールの衝撃吸収性がほとんどないのだが、足首や膝や腰に負担のかかるランニング・マシンはどうせ使わない。
 ただし家人は「そんなの変じゃない?」と賛成しかねる様子である。変だろうか。別にポアント履いてトレーニングしようというのでもないんだし、おかしくないと思うのだが…。

 ネット巡りにも飽き、先日来1巻から読み返している『のだめカンタービレ』の12巻をぱらぱらと眺めているうちに眠くなったらしい。のだめのリスト、聴いてみたいなあ…と思いつつ、目が覚めたら寝室の自分のベッドで丸くなっていた。夢うつつ状態で知らないうちに移動したのだろう。時刻は午前3時半。お風呂に入り忘れているし、その他の用事で片さなければならないこともまだ残っている。しまったと慌てて起き出して階下に向かった。
 隣のベッドは空だったので、家人はまだ起きているとみえる。今週は仕事が立て込んで疲れていると言っていたのにこんな時間まで夜更かしするなんていけない奴である。とっとと寝るように言わねばならない。しかし家中どこを探しても家人の姿が見えないのである。トイレにも風呂場にも居ない。玄関ドアにはチェーンが掛かっているので、そこから外に出たということは考えられない。リヴィングには煌々と照明が付いたままである。もちろん窓は全部内側からクレセント錠。密室からの脱出イリュージョン? そんなまさか。

 不審に思いつつ洗面所に行く。なんだか人の気配がしたような気がしたのである。耳を澄ますと気のせいではなくて、確かに誰か、風呂場の外を右に行ったり左に行ったりうろうろしている足音が聞こえる。家人だろうか。しかし家人がこんな夜中に何の用があって裏口近辺をうろつかねばならないのか判らない。もし万が一この足音の主が家人でなかったとしたら、わたしはひょっとして絶体絶命なんだろうか。
 一気に高まる緊張感。と、謎の人物が声を発した。「風呂釜壊れちゃったよー」。やっぱり家人であった。

 何でも2時頃、洗い物を済ませた後で風呂に入ろうとしたら、給湯器の電源がいきなり落ちてしまったのだという。家人にしてみればさっきまで順調にお湯が使えていたのに、こんなにも突然故障するなど信じられなかったらしい。あちらこちらを覗いてまわり、給湯器の取扱説明書を引っ張り出して「故障かな?〜こんな時には〜」のページをためつ眇めつし、もしかしたら給湯器の電源コードが抜けているのではないかと思いついた。懐中電灯を手に洗面所の裏口から外に出たところで、寝ぼけ眼のわたしが起きて来た…という状況だったのだ。
 一緒になってマニュアルを読んだりネットで調べたりしたが、やっぱり給湯器は復活しなかった。幸いなことに給湯器メーカーは休日でも朝9時から修理の相談に乗ってくれるとのことだったので、とりあえず9時まで一眠りしよう。日曜日の朝9時に起きるなど滅多にないが、運が良かったら明日中に修理が完了しないとも限らない。連絡は早く入れるに越したことはない。

 朝起きてすぐ電話したのだが、残念ながらやっぱりメンテナンスさんが来てくれるのは月曜日になってしまうとのことだった。まあ仕方がない。入浴ならばスポーツ・クラブのお風呂でできるし、炊事もこの季節、お湯が出ないとツライこともないだろう。家人は出勤前にひと風呂浴びる習慣なのだが、それだけはどうにもならないので、給湯器が直るまで我慢してもらうしかない。
 それにしても先日来、洗濯機は故障するは「干し姫さま」は動かなくなるは、納車後1ヶ月の新型ヴィッツたんのCDデッキは不調だはと故障続きである。クルマは別としても、引越してから8年にもなると、あちこちガタが来るらしい。わたしのカンでは次に調子がおかしくなるのは冷蔵庫とトイレである。これから暑くなる季節を迎えるから、冷蔵庫にはもうちょっと頑張って欲しいのだが、いかんせんこの冷蔵庫は13年モノのヴェテランである。どうもヤヴァイ気がする…。




05/23 好みと刷り込み

2005/05/23 18:49
 先日リニモに乗りに(&ラグビー観戦に)愛知へ行った時、会場周辺の渋滞状況やリニモの混雑ぶりをチェックするために、地元ローカルの「FM・LoveEarth」を流しっ放しにした。男女取り混ぜて複数のDJさんたちが代わる代わる、独特の不思議なコトバで万博の魅力を語ってくれていた。独特のコトバとはもちろん、流暢な日本語なのに英単語のところだけいきなりネイティヴ発音になる、アレである。
 ちなみにわたしも家人も最初「FM・Lover」だと間違って聞き取り、「恋人」と「愛知万博」がどう関連するのか悩んでしまった。どう聞いても「エッフェム・ラヴァ〜」なのだ。番組の宣伝ポスターを見てやっと正しい意味が判った。これはわたしらのプアなヒアリング能力のせいなのか、語尾のthは聞き取れなくても仕方ないものなのか、謎である。

 番組内では情報コーナーの合間合間に時々音楽を流していた。いわゆる70年代から80年代の洋楽、というジャンルだったように思う。というのは、どの曲もどの曲も、わたしにとって非常に馴染みのある懐かしいものばっかりだったからである。ABBAの「Voules-Vous」とかBANANARAMAの「Love in the First Degree」などなどがかかって楽しかった。洋楽関係は熱狂的シルヴィ・バルタンのファンである叔父にアソート・テープを作ってもらって覚えたので、ジャンルに多少偏りはあるが、あの頃聴いていた曲は今でもだいたい歌えたりする(歌詞はいい加減だが)。
 特にビートルズとサイモン&ガーファンクル、ABBAとシーナ・イーストン、それからなぜかフィル・コリンズとクイーンがアソート・テープの常連だった。ヒット・チャートの上位にランク・インするようなものも、叔父はマメにカヴァーしてくれていた。わたしたち3人は取替え引換えテープが伸びてヨレヨレになるまで聴き倒したものである。
 残念ながら曲とタイトルと歌手を対比させて覚える、ということをまったくしなかったので、非常にお気に入りの曲なのに誰の何という曲か判らないということはザラだった。友人たちと洋楽についての話をする時は、好きな曲を歌ってみせ、誰のナニなのか判別してもらうしかなかった。まだるっこしいヤツである。

 FM放送のエア・チェックをしてお気に入りテープを自分で作ることもやったものだが、大学が忙しくなったこともあり、洋楽を聴く機会はめっきり減ってしまった。次から次へとリリースされる新曲を追いかけるのが面倒臭くなってしまったのも1つの理由である。無理に新しいのを開拓しないで、今までのお気に入りをしつこく何回も聴く方が好きだった。
 最近の洋楽となると、あまりにダンサブルでビート中心というのか、わたしの好みには合わなくなってしまった。ヒップホップもラップもどうもダメである。わたしの好みは相変わらずABBAだったりシーナ・イーストンだったりフィル・コリンズだったりのままである。どうも80年代洋楽ブームとかだそうで、あの当時のヒット曲をコンプリートしたCDなどというものも出ていたりする。大昔に作ったアソート・テープはみんな失くしてしまったし、今残っていたとしてもとても聴ける状態ではないだろう。80年代洋楽CD、ちょっと惹かれてしまうのである。

 クラシック・ジャンルの曲もだいたいはラジオで聴いて覚えた。わたしのささやかなお小遣いではとてもクラシックのレコードを買う余裕はなく、身の回りにクラシック・ファンも居なかったのである。かろうじて隣家のおじさんが日曜日になると時々オーディオをズンズン鳴らしていたので、よっぽどレコードを貸して下さいと頼みに行こうかと思ったこともある。もちろん到底言い出せるハズもなく、わたしは隣家の窓から漏れ聞こえる交響曲(後にブラームスの1番と判明)に耳を澄ませたものだった。
 そういう訳でクラシック曲に関しても、曲と題名と作曲者が全然噛み合わない。特にクラシック曲だと題名が番号だったりすることも多いため、余計にタイトルと中身のイメージが結びつきにくいのである。題名を言われても曲が思い浮かばないし、どこかから流れて来る曲に「あ、この曲知ってる、好き〜♪」と思ったとしてもタイトルは判らない。
 歌詞のある曲と違って歌って判別してもらうのが難しいので、ますますまだるっこしいことになっている。困ったものである。

 先日から読み直している『のだめカンタービレ』に出て来る曲をまとめて聴きたいな、とここ2、3日心動いている。ブラームスの交響曲1番とかベートーヴェンの3番とか7番など、あまりにも有名な曲はさすがに読みながらイメージできるのだが、シューマンの「マンフレッド序曲」とかサン=サーンスのチェロ協奏曲などさっぱり出てこない(聴けば思い出すのだろうが)。うーん聴きたいよう。
 一念発起してウチにあるCDを引っ繰り返してアソートMDでも作ろうかと思ったのに、CDライブラリは混乱の極みにあって、誰の何がどこにあるのか全然見当も付かない。家人が一通りジャンル分けして収納したハズなのだが、時を経るに連れて場所が移動したりごちゃごちゃになったりしてしまったのだ。さらに枚数はじゃんじゃん増える一方なので、奥の方に隠れてしまうと探し出すのも一苦労である。

 データ・ベースを作ろうかなと家人が言っていたこともあるが、未だにその難事業は手付かずのままである。一体何枚あるのかさえ確かではないから、よっぽど覚悟を決めないと面倒臭くて取り掛かれないのだ。とはいえリスナーの友人たち(所蔵数3000枚とか4000枚とかザラだそうである)よりはずっと小規模のライブラリなので、始めたら案外すんなりとDB化できるような気もする。
 ともかく、タイトルを聞いて中身がイメージ出来ないドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」とかR・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」など、ウチにそもそもあるのかどうかさえ判らない、という状況はカンベンして欲しい。サン=サーンスのチェロ・コンツェルトも在りや無しや不明、「マンフレッド序曲」はないらしいということがハッキリした。
 ウチにあるCDは室内楽曲がメインなので、『のだめ』に出て来る曲はもしかしたらあまりないかもしれない。ピアノ曲なら隣家の義父母のライブラリにある可能性も高いのだが、貸していただくとしても聴きたくなった理由が『のだめ』というのは、なかなか白状しにくい事情だったりする。家人は既にいつもの「バッカじゃないの?」を連発していることだしなあ(タメイキ)。




05/24 洋楽の中のクラシック

2005/05/24 15:42
 特に避けて通っていた訳でもないのだが、子供の頃からあんまり歌謡曲には食指が動かなかった。辛うじて岩崎宏美さんのファンだったという記憶がある程度である。その他記憶にあるのは、母が(今でも)好きな布施明さんとか、キャンディーズとピンク・レディあたり。キャンディーズは結構好きだったが、ピンク・レディは(当時の)わたしの美意識からするとちょっとばかりエッチっぽい気がして、あんまり真似して歌ったり踊ったりはしなかった。
 今から思えばあれは一種のファッションだったのだから、気にせず面白がっていれば良かったのだろう。子供の頃からどうにも融通が利かないというか洒落が通じないというか、アタマが固かったらしい。そういえば小学校のクラスメイトが「ウォンテッド」の歌詞について「“盗んだ心を返せ”と泥棒扱いしているのになぜ“好きよ、こんなに好きよ”なんだろう?」と議論していたのを小耳に挟み、「心を盗まれる」シチュエーションについて解説するべきかどうか散々悩んだことを思い出す。結局言い出せるハズもなくそのままにしたのだが、あの時もしもしたり顔で会話に割り込んだら、さぞかし可愛くない奴だと思われたことだろう。黙ってて良かった。

 叔父(10歳しか違わないので、既に従兄感覚)の影響で割と早くから洋楽の手解きを受けていたのだが、時期を同じくして聴き始めたクラシックと洋楽が、時々思いがけないコラボレーションをしているのが、子供心に大層面白かった。シルヴィ・バルタンのファンだった叔父のコレクションを聴いていたら、ある時突然モーツァルトの40番のメロディが流れて来て、もんのすごーい大発見をしたような気分になったのが最初である。「イエ・イエの女王」シルヴィ・バルタンが歌うとどう聴いてもシャンソンなのに、ラジオのクラシック番組から流れて来る40番はまったく雰囲気が違う。特にリズムやテンポが変わっている訳でもないのにどうしてここまで「違う曲」になるのか不思議だった。
 阿呆な話だが、シルヴィ・バルタンとモーツァルトと、どっちがどっちを真似したのだろう…と、しばらく本気で悩んだものである。当時のわたしにしてみれば、60年代フレンチ・アイドルも古典派の天才も、どっちも「昔の人」感覚しかなかったのだろう。

 他にもそういったアレンジものは探せば山のように出て来るのだろうが、生憎クラシック曲はそれこそ星のように膨大な数があって、とてもとても「あっこの曲は!」とすぐに思い当たるだけの知識がない。とりあえずメジャーどころの「元ネタ・クラシック」なポップスだと、エマーソン・レイク&パーマーの「庶民のファンファーレ」とかビリー・ジョエルの「This Night」、それからもちろん伊藤君子の「Follow Me」やザ・ピーナッツの「情熱の花」あたりが浮かぶ。最近はホルストの「木星」が引っ張りだこになっているのが印象深い。
 上海太郎舞踏公司の「聴くな!ブラビッシモ」はアルバム1枚丸ごとそうだが、あれはどちらかというとパロディ音楽に分類すべきだろうか。同類項でもっともインパクトあったのは嘉門達夫の「鼻から牛乳」だったりする(汗)。

 そういえばプロコルハルムの「青い影」も元曲は「G線上のアリア」だという話を聞いたことがあるけれど、わたしの耳にはあんまり似ているとは思えない。確かにコード進行は同じ感じなのだが、バッハの曲にはもっとそのものズバリなカンタータとかがあるような気がする。「青い影」を聴けば聴くほどバッハっぽく聞こえて来るのだが、バッハのカンタータは山ほどあるし、わたしはもの知らずなので「これこそ元曲」という候補は挙げられないのが悔しいのである。
 それからもう1曲、「僕が若い頃、誰のことも必要とはしなかった。単なる遊びで恋をしたっけ。でもそんな日々はもう終わったんだ(直訳)」という歌詞の洋楽曲があって、それが誰の何という曲かずっと気になっている。歌い出しの部分がラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の2楽章のメロディで、大層雰囲気ぴったりのいい曲なのだ。サビから考えると「All by Myself」という題ではないかと思うのだが、「All by Myself」でyahoo検索しても、あまりにありふれた言葉なのかそれらしいものにヒットしないのだ。
 Google検索で最初に引っ掛かるのはセリーヌ・ディオンの「All by Myself」、2番目がジェイミー・オニールの「All by Myself」なのだが、わたしが聴いたものは男性歌手なので当てはまらない。下の方にEric Carmenという人の「All by Myself」が引っ掛かるので、もしかするとコレだろうか。80年代に活躍した人らしいのでたぶんそうだと思うのだが、生憎試聴できるサイトはなくて、歌詞だけなのだった。

 最近自動車のCMで使われているのを聴いたのだが、画面の端っこにもタイトル・作曲者は出ていなかったように思う。どうやって調べたらいいのだろうか。メーカーのサイトあたりにCM曲の解説コーナーがあるといいのだが、そもそもどこの自動車会社のCMだったかも定かではない。今度流れたら絶対チェックしようと思いつつ、ついつい忘れて今に至るのだった。気になるなあ。




05/25 クサイ食べ物

2005/05/25 14:34
 いつぞや国産モノではないカマンベールを食べて以来、匂いのキツいチーズが密かな好物である。家人があまり好きではないようなので結婚以来遠慮していたのだが、この数年日本でも輸入チーズの人気が高まって来たのか、以前よりもずっと入手しやすくなった。スーパーのチーズ・コーナーに置いてある種類もどんどん増え、ここ最近、誘惑に負けていろいろ手を出してしまっている。カマンベールにしても、国産のものより確かに臭いが、絶対AOCの付いたヤツの方が美味だと思う。
 カマンベールに飽き足らなくなったこともあり、先日来カンボゾラ→ゴルゴンゾーラ(ドルチェ)→ゴルゴンゾーラ(ピカンテ)→ロックフォールと順調に経験値を上げている。旨い、美味いよ青かびチーズ♪ 今日は駅前のスーパーに行ったら、パルミジャーノ・レッジャーノ200gパックが賞味期限ギリギリで半額になっていた。思わず半額シールの貼ってあった2個とも買って来てしまった(汗)。
 匂い系の苦手な家人はロックフォールはおろかパルミジャーノ・レッジャーノも「う〜ん…」だそうなので、この感激を分かち合う相手が居ないのが寂しい。

 醗酵食品が美味いのは、食材の蛋白質ないしエネルギー成分であるアデノシン3燐酸が酵素によって分解され、アミノ酸や核酸に変化するからである。旨味成分であるグルタミン酸やアスパラギン酸、イノシン酸やグアニル酸が豊富に含まれることになり、言ってみればダシの塊を食べているも同様なのだ。
 とは言え、醗酵とは言葉を変えれば「人間に取って有益である腐敗現象」であり、多くの場合独特の芳香というか臭気というか、そういう成分と無縁ではない。納豆もチーズも「あの臭いがダメで」という人が少なくないし、わたしは食べたことがないのだが、くさやとか馴鮨などの臭いは物凄いらしい。臭いさえ気にしなければ実に美味しいという話だが。

 有名な話だが、ギネス・ブックにも載っている「世界一臭い食べ物」はスウェーデン版馴鮨とも呼べる「シュールストレミング」だそうである。ニシンを濃い塩水に漬け込んだ後で缶詰にし、中で醗酵させてから食する。例年春に仕込んで夏に食べるのだが、初夏の気温が適温よりも高かったりすると醗酵が進み過ぎて中身がペースト状になってしまい、ベスト・コンディションの品物が入手困難になることもあるらしい。
 スウェーデンではシーズンが近づくと「今年はどこそこメーカーのシュールストレミングが美味しい」という特集記事が出るとかで、想像するにかなりの愛好者が居るのだろう。ただしさすがギネス物だけあってその臭いは殺人的だという。開缶時にはレインコート&ビニール手袋着用とか、漬け汁が服に付いたら洗濯しても臭いは取れないから捨てるしかないとか、そもそも室内で缶を開けてはイケナイとか。ホテルの客室内でシュールストレミングを開けて汁でも飛ばしたら、クリーニング代金を弁償させられるという話も耳にしたことがある。真偽のほどは定かではないが。

 この缶詰、中で醗酵させることを前提とした特別な仕様の缶が使われている。通常はぺったんこである上下の丸板部分に、それぞれ同心円状の型押しがしてあるものである。こういう細工をすることにより、丸板はぺったんこだった時よりもずっと柔軟性が出て、内容物が多少膨張しても耐えられるようになる。
 つまり食べ頃を迎えたシュールストレミングはこちらのようにパンパンに膨らんでいるらしい。ちなみにこの画像が載っていたのは<世界で一番臭い食べ物に出会った日>というサイトで、試食したシュールストレミングはSF作家の野尻抱介さんから贈られたシロモノだという。裏蓋に記された野尻氏直筆の素敵なメッセージは必見である。
 残念ながらこの缶は醗酵し過ぎて食べ頃を逃してしまっていたので、中身の状態は「シュールストレミング試食会」というサイトで見た方が良い。

 シュールストレミングには2種類あり、アタマと臓物を除外した「マイルドな臭い」のと、アタマも臓物も一緒くたに仕込んだ「より強烈な臭い」のが作られているらしい。後者のサイトを見た感じではこれでも「マイルド」なので、「強烈」だと一体どういうことになるのかちょっと好奇心が沸く。醗酵ガスでパンパンに膨らんだ缶はもちろん取り扱い厳重注意で、「開缶時は水中で缶切りを使うこと」と定めるケースもあるという。
 別に日本への輸入を禁止されている訳でもないのだが、缶がこういう状態であるため、航空貨物便で運ぶことが出来ない。どうしても運びたかったら船便を使うしかないため、輸入するとなると大変な時間がかかってしまう。シーズンを外すと中身はペースト状になって可食部が消えてしまう危険性もあり、リスクを背負ってまで手を出す輸入業者が居ないのだそうな。
 個人輸入は出来るので、どうしても食べたかったらスウェーデン旅行に出掛ける人に頼んで手荷物として機内持ち込み・輸送してもらうしかない。与圧されているキャビン内ではたぶん破裂することもないハズだが、万が一酸素マスクが降りて来るような危機に陥ったらどうなるかは神のみぞ知る。もしも手荷物の中のシュールストレミング缶が破裂したら、機内のパニックに拍車を掛けることだけは間違いなかろう(怖)。

 他にも検索サイトで試食レポートの様子が結構ヒットするのだが、口に入れた皆さんが撃沈しているのは、おそらく切り身を洗わずに大きいまま食べちゃっているからなのではないだろうか、と思うのだった。スウェーデンでの美味しい食べ方とは、クラッカーに茹でたジャガイモ1切れとシュールストレミング1欠片を載せ、上に刻みタマネギをたっぷりかけて食するというスタイルらしい。タマネギの成分が臭い消しの役割を果たすため、それほど臭い思いをせずに楽しめるのだという。間違っても半身にかぶりついてはイケナイということだろう。
 ちなみにこちらには「臭い食べ物ランキング」が載っている。そしてこのランキングに載っていないが、韓国の「ホンタク」というエイ料理も凄い臭いがするらしい。ウィキペディアで「ホンタク」の項を調べてみてその製法に度肝を抜かれたのだが、こんな料理、本当に実在するのだろうか。

 シュールストレミングもホンタクも、最初に食べた人は勇気があるなあ、と思う。少々ニオイのキツいチーズなど何するものぞ。とは言えわたしも、青かびチーズは喜んで食べるけれど、シュールストレミングやホンタク試食会に参加する勇気が出るかどうかは自信がない。くさやだって食べたことないんだし…。




05/26 形から入る

2005/05/26 22:56
 懸案事項はそれぞれ異なる進行状況を示している。良かった順に1:風呂釜、2:ヴィッツの修理、3:PCの電源落ち、である。風呂釜は月曜日にメンテナンスさんに来てもらい、部品を3つほど取り替えたらあっという間に復活した。洗濯機や「干し姫さま」など、修理を依頼しても1発で直ることが最近とんとなかったので、これは嬉しい誤算であった。家人やわたしが電話口でひとしきり症状を説明してあったので、そこから予想できる故障原因に合わせた部品をあらかじめ用意して来てくれたのだ。
 修理そのものもほんの1時間とかからなかった。あれから3日経つが、故障したことがウソのように風呂釜は快調にお湯を沸かしてくれるのである。さすがプロだと頼もしかったし、メンテナンスさんご本人も非常に気さくな方だったので、わたしは変にびくびくせずに済んで助かった。「ウチは朝晩入浴する人が居るので、風呂釜は酷使されているんですよね。普通より早く壊れたのはそのせいだと思うんです」と言ったら、にこにこーっとした笑顔と「給湯器もその方が喜んでますよ、これからもどんどん使ってやって下さいね」という言葉が返って来た。
 たとえセールス・トークと判っていても、メンテナンスさんがあの手の和み系な方だと嬉しくなる。今度壊れたらまた頼もう、と密かに心に決めたが、もしかすると次に故障したらそろそろ買い換え時なのだろうか。

 新型ヴィッツは部品交換のために再びピット・インしている。確証はないものの、音飛びの原因ではないかと目されたワイヤーハーネスという部品が、ディーラーさんに届いたのである。昨日お迎えが来たのだが、ウチのクルマの代車は旧型ヴィッツ(シルヴァー、レンタカー)であった。前回のbB君について家人やわたしがそれぞれ「運転しにくかった」とか「そもそも乗りませんでした」とコメントしたために、ディーラーさんでも車種選考に苦労したのかもしれない。
 乗ったことのないクルマが来てくれるのではないかと期待していた家人はちょっとつまらなそうだったが、わたしとしてはひと安心。旧型ヴィッツなら何の不安もなく運転できる。レンタカーなのでアクセル・ペダルの遊びが気に入らないのと、付属のカーナビがいまひとつ使いにくい機種なのだが、ディーラーさんの配慮に感謝感激なのだった。
 部品の交換作業は終わった旨の連絡が入ったので、あとは実地走行して音飛びをチェックするらしい。直っているといいなあと思う。

 どうにもならないのがPCの電源落ちで、相変わらずAccessを使っているといきなり落ちてしまう。Accessのヴァージョンが97で多少古いせいなのだろうか。仕方ないからアップグレード版を買おうかと家人は言っているのだが、ネットでどんなに検索してもAccessが原因で電源落ちするPCトラブルはヒットしない。最も類似していると思ったケースは「重いサイトや重いアプリを使うと電源落ちする」症状だが、これは実はノートPCに関する書き込みだった。
 結局自爆覚悟で筐体を開けて、空冷ファンやその付近を掃除したら直ったらしい。ということはウチのもやっぱり熱暴走なのだろうか。そういえばファンの換気口付近にコード類が束になってぶら下がっていて、もしかしたらそのせいで穴が塞がれているのかもしれない、とちょっと思う。電源落ちするのがAccess作業時に限定される理由が判らないのだが、とりあえずコードの束から換気口を離してみて、それでもダメなら蓋を開けて中を掃除してもいいかもしれない。
 家人は「やっぱり熱暴走説」に懐疑的なのだが、Accessをアップグレードしてなおかつダメだった時のことを考えると「熱暴走であって欲しい」という気にもなって来る。Accessのアップグレード版やアカデミック・パックでさえ、ネット・オークションで1万円前後はしているので、ちょっと気軽に試そうと思えないのだった(←ケチ)。

 ネット・オークションと言えば、先週からボチボチとレオタードを探している。バレエ体操のレッスンでご一緒する皆さんと最近おしゃべりをするようになったのだが、やっぱりあの手のトレーニングでは「できるだけ身体の線が出るスタイル」がいいらしい、と知ったからである。仲間の皆さんはわたしよりもずーっと細いのでそういう格好も似合うけれど、わたしのこのぶっとい脚やケツではちょっと…と尻込みしていたら、「そういう格好をしちゃえば、身体をそれに合わせようという努力もしやすくなるかもしれないわよ」というナイスなアドヴァイスをいただいたのだ。
 格好だけはバレリーナ、しかしその実体は…というのも少々みっともないと思っていたのだが、その助言以来「形から入るのもやっぱりアリだな」と決意し、レオタード探しに踏み切った訳である。Chacottやrepett、CAPEZIOなどを正規店で買おうとしたら1着5000〜6000円するし、ネット通販店での安売りレオタードはどうも可愛くない上に着心地が悪そうである。こういう時にどうするかというとやっぱりネット・オークションを頼りにしてしまうのだが、ここ2、3日、連戦連敗と落胆続きだったりする。

 全国的にバレエが大流行しているのか、やたらと競争相手が多いのだ。しかもこの2、3日、わたしが目を付けたアイテムで競り合っているライヴァルに「新規」の人がいらして、こちらからすると「そんな馬鹿な」という入札を仕掛けて来る。1週間ほど前までのデータで相場を想定していたのだが、悉くぶっちぎりで高値落札されてしまう。良く見ると全部同じ人なので、こうなるとこの方が希望する着数を落札し終わって入札を止めるまで待つしかない。
 元々が1着5000円以上のアイテムではあるが、used品に3000円近く出すのなら、海外通販サイトで新品を買っちゃった方が安く手に入るような気がする。わたしとしてはできればもうちょっとリーズナブルに抑えたいので、懲りずに1000円以下のusedアイテムのチェックを続けている。とはいえもう1週間頑張ってダメだったら方針転換も考えなければならないだろうか。
 レオタードなどというシロモノは用途限定なだけに、これまでの落札ノウハウは通用しないに違いない。どんなに安くても、あからさまに「コレクション向け」のアイテムに手を出す気にはなれないし…。困ったものである。




05/27 自家製洗顔料

2005/05/27 14:25
 「自家製」と威張るのはちょっとインチキなのだが、ここ数ヶ月、市販の洗顔料にいろいろ混ぜ物をして好みの使い心地を演出している。お気に入りの洗顔料は以前この日記にも書いたLUSHの「天使の優しさ(何度見ても恥ずかしいネーミングだ)」というクレイ・タイプのもので、これはしっとりとした洗い上がりは申し分ないものの、洗浄能力にじゃっかんの物足りなさが残る。肌から皮脂を過剰に取り過ぎないことと、きっちり汚れを落とすこととの兼ね合いは確かに難しいし、もともとこれは泡立たないタイプなので「洗った!」という実感もあまりない。
 夜の入浴時にダブル洗顔する時、仕上げ洗いには必ずこっちのクレイ洗顔料を使うのだが、最初に洗う時には普通のチューブ入りのものを使っていた。ただしそれだとやっぱり、わたしのヤワな顔の皮には刺激というか洗浄力が強過ぎるような気がする。どうしようかな〜と考えあぐねた結果、じゃあちょっと手を加えてマイルドなものを作ってみようか、という気になったのだった。

 ベースは今まで使っているチューブ入り洗顔料。お気に入りブランドはビ○レのクリーム・インであった。これを30g、グリセリン20g、オリーヴ油20gを容器で良く混ぜる。グリセリンが乳化剤の役割をしてくれるので、洗顔料とオリーヴ油が分離する心配はない。ここに水を100mlほど入れてさらに攪拌し、仕上げにローマン・カモミールのエッセンシャル・オイルを10滴ほど垂らす。ローマン・カモミールには炎症沈静化やアレルギー反応抑制の効果があるのでお気に入りである。
 きれいに混ざったらこれを茶漉しでフィルタリングして出来上がり。わたしはこの溶液を、最近人気が出ている「キレイキレイ」などの泡立つタイプのハンド・ソープのボトルに詰めて使っている。ポンプを押せば泡状になった洗顔料が出て来るので使いやすい。もちろん美容系サイト等で推奨されている「ホイップ・クリームのような肌理細かい泡」にはならないが、「強く擦らずに顔を洗う」目的には別に不都合はないと思っている。
 薄めずに使うのもアリだろうが、出来上がった洗顔料をさて何に入れて風呂場に置いておこうかと考えた末、泡タイプのボトルに落ち着いたのだった。

 他には白色ワセリンとスクワラン・オイルとローマン・カモミールで自家製保湿剤も調合している。アトピー性乾燥肌には1にも2にも保湿が大切で、安価で効果的な保湿剤は何と言っても白色ワセリンであると皮膚科で処方してもらったのだが、ともかく塗り心地が非常に悪いのが難点だった。テカる。伸びない。ネトネトのギタギタで触るところ全てが油っぽくなる。こんなの使ってられないと、折角買い込んだ1kg入りの大瓶はお蔵入りの憂き目を見てしまった。しかし代わりとなる保湿剤にちょうど良いものがない。
 資生堂のフェルゼアDXローションを愛用しているのだが、ポンプ・タイプのものは定価1980円。ドラッグ・ストア等で多少割安に買えることは買えるのだが、しっかり保湿のために盛大に使うとあっという間になくなってしまって不経済である。なにしろ塗りたくる対象が全身の皮膚なので、1回に使う量も半端ではないのだ。しかもこのローション、湿度の高い夏場には在庫切れすることも珍しくなく、ふと気付くと売り場から消えていたりする。最近は通年でネット通販できるようだが。
 最大の問題はわたしの場合、フェルゼアDXローションは顔の皮膚には合わないことだった。仕方なく探し出した顔用クリームはステビア入りで、大変使い心地は良いのだが、いかんせん40g入り4000円とちょっと高価い。ケチらずに使うとしたら結構勇気が要る。

 そんな訳で、白色ワセリンの在庫解消とフェルゼアDXローション&ステビア・クリームの節約を兼ねて、お好み保湿剤の調合を試みたのだった。ワセリンと合わせるのはいろいろ試した結果スクワラン・オイルがベストであった。「人間の皮脂に一番近い組成」と謳うだけあって比較的さらさらしているし、ワセリンと合わせた後もその特徴が残ってくれる。イヤな匂いもない。近所のドラッグ・ストアで150ml入りのが1000円ちょっとで買えるのも嬉しい。もちろんワセリンよりはずっと値が張るが、市販の保湿クリームを買うと考えればずっとリーズナブルである。
 ワセリンとスクワラン・オイルを重量比で2:1〜3:2ほどの割合で混ぜ、ローマン・カモミールのエッセンシャル・オイルをうっすら色と香りが付く程度加えたら出来上がり。調剤用パレット・ナイフがあると便利だが、なければもちろんスプーン等で構わない。カスタード・クリームのようにもったりと流れ落ちる程度の固さが一番使いやすいと思う。

 汗をかいたらこまめに洗い流すか湿らせたハンカチで押さえるかして、その後この薄緑色の保湿剤を塗っておく。紫外線に当たると覿面に炎症を起こして乾燥するので直射日光厳禁。汗をかいたり乾燥した状態で放置しないのがいいのか、カモミール・オイルが効いているのか、最近はアトピーの状態もなかなか良いのである。
 とはいえ油断大敵、いつぞやのように全身真っ赤っかに腫れ上がるほど悪化しないで過ごせる保証はないので、せいぜい食事や休養やスキンケアに気を使うしかない。面倒臭いこと夥しい。1度でいいから日焼けを気にすることなく夏場の外出をしてみたいものだ。ただし今のわたしなどのアトピーはまだまだ軽症で、世の中には死ぬほど辛い思いをしている患者さんもいっぱい居る。根治療法が見つからないかなあ、としみじみ思うのだった。




05/28 新型ヴィッツ未だに in トラブル

2005/05/28 23:23
 ワイヤーハーネスを交換したら今度こそ完全復活か? と思っていたのだが、ディーラーさんに連絡を取ったら「部品交換後、テストしてみたらやっぱり音飛びが出まして…」という困り果てた口調のコメントが返って来た。どうも特定のメーカーの車載用CDデッキの制御プログラムそのものに不具合があるらしく、当のメーカーさんが現在改善プログラムを製作中だという。そのメーカー製品の何割がそのトラブルを抱えていたのか知らないが、一番最初にCDデッキを載せ換えた時も、運悪く連続でハズレを引いてしまったのだろう。
 何度か検索エンジンで「新型ヴィッツ、音飛び」で引っ掛かるサイトや掲示板がないか探しているのだが、相変わらず該当する例は出て来ない。全国でウチ1件だけなのだろうかと不審に思っていたら、どうも類似の修理依頼がぼちぼち他にも現れているようである。車載用CDデッキのメーカーさんで改善プログラム開発中だというのはそういう事情を踏まえてのことなのだろう。素早い反応にはとりあえず好感が持てる。

 とは言うものの、改善用プログラムが出来上がるのはおそらく6月中旬になるとのことで、さすがにそこまでは待てないかなあという気持ちが起こりつつある。CDデッキだけならばいつまでかかろうと構わないのだが、家人が本格的にカーナビの導入を検討し始めたからである。今まで拘っていたのは原因が不明のままではどうしても気持ちが悪いからという理由で、はっきり「CDデッキの制御プログラムの不具合」と判明してしまえば、デッキを別メーカーのものに丸ごと取替えするにやぶさかではない。
 むしろカーナビを導入することになれば、わざわざ6月中旬まで改善用プログラムの完成を待つ必要もない、という訳である。予算との兼ね合いでカーナビがどうなるのかまだはっきりとは決まっていないのだが、わたしとしてはどうしても「あるといいなあ」と思わずにいられない。睨んだところ家人としてもその気結構アリなようなのだが…。

 どうせカーナビを搭載するのならば、ディーラーさんお勧めの純正のを選びたいな、と思っている。初期投資は一般メーカー品よりも確かに少々高いが、その後の地図ソフト更新とか、本体そのもののメンテナンスなどがディーラーさんでやってもらえるのは魅力的である。何よりも今回CDデッキの件で散々残業をさせてしまった(ハズの)営業さんたちに、カーナビ1台分だけでも販売実績が増えるのなら、心ばかりのお礼とお詫びができるかなーとも思うからである。
 問題はやっぱり価格で、どんなに安くてもカーナビなるもの、取り付け工事費込みで15万円くらいはする。家人にとっては必需品にアラズなシロモノな訳で、15万がコスト・パフォーマンス的に見合わないという結論に達したらあえなくボツ。どうなることやら。

 カーナビが付いたらさぞかし安心して運転できるようになるだろうな、と思うのだが、家人によればわたしの方向音痴はカーナビごときでどうにかなるような生易しいものではない、のだそうだ。失礼な。しかし良く考えてみれば確かに、行きたいところの正面玄関の映像が脳裏に浮かんでいても、その場所の最寄り駅がどこだったか、とか、名称や住所や電話番号などを正確に思い出せない場合も多い。曲と題名が結びつかないのとまったく同じ現象である。
 運転席に乗り込みカーナビを立ち上げて、目的地設定をするまでに一苦労とかいうことになるのだろうか。マヌケ過ぎる…(タメイキ)。




05/29 ちょっとだけ遠征

2005/05/29 22:20
 音飛びを抱えたまま再び一時帰宅した新型ヴィッツたんに乗り、今日は茨城県の日立市までラグビーの試合を観戦しに行ったのである。お目当ては春の大学ラグビーオープン戦、早稲田大学 vs 明治大学。先々週名古屋まで行ったことを考えればチョロい距離だが、都内を突っ切らなければならないのでやっぱり気疲れはするだろう。どっちみち主に運転するのは家人だが(ちなみに今日は忘れずに免許を持ってはいた)。
 同じ日に近所で都市対抗野球の茨城県予選があるらしく、駐車場の混雑が予想されるので思い切って早目に家を出た。出発時間は7時過ぎである。試合開始は13時なのでちょっと余裕を見過ぎかと思ったのだが、早いに越したことはないだろうという判断だった。
 余裕をもって9時半には会場付近に到着したのに、既に周囲は車で一杯であった。ラグビーの試合が行なわれる陸上競技場の駐車場も、隣に設置された臨時駐車場も満車の表示。都市対抗野球県予選が開催される野球場の駐車場も、さらにその近隣の臨時駐車場も満車。イヴェントがバッティングするとは言えどうしてここまでと思ったら、その茨城県予選に「欽ちゃん球団」が出場するからなのだった。

 ともあれ何としてもどこかにクルマを駐めて競技場に行かねばならない。付近に駐車できそうなスペースはまったくないので、やむなく日立駅付近まで行ってその辺りで駐車し、バスで競技場まで行こうかという案まで出た。とりあえずわたしだけ競技場付近で降ろして場所取り要員とし、家人は駅までクルマを駐めに行くことにしようと競技場付近まで再び戻る。
 諦め悪く道行く人に穴場の駐車場はないかと訊いたらオドロキの答えが返って来た。「この辺の道は広いから、路駐しちゃっていいですよ。でなきゃ近所の病院の駐車場に入れちゃうとか」だそうである。実はわたしらも、競技場付近にあるスーパーの駐車場に駐めさせてもらえはしないかと訊きに行こうか、でもそれはあまりに図々しいし…と相談したりしていたのだが、地元の方の大らかさには感動してしまった。
 普通こういう場合、他府県ナンバーのクルマだったら余所者として胡散臭い目で見られるものなのではないだろうか。

 よっぽどお言葉に甘えようかと思ったのだが、教えていただいた病院の駐車場は(おそらく欽ちゃん球団を観に来た)水戸ナンバーのクルマでほぼ一杯である。たぶん皆さんが、さっきの男性と同じことを考えたのだろう。もし他にも他府県ナンバーのクルマがたくさん駐車しているならば、あるいは空きスペースがまだまだ残っていたならば、ウチのクルマも駐めさせてねと図々しいことをしただろう。しかし一面の水戸ナンバーの中にぽつんと1台だけ多摩ナンバーがというのはあまりに目立ち過ぎる。
 病院の駐車場に間借りする案は却下し、路駐の望みにすがる。この辺でもう「日立駅近辺で駐めてバスで」案は忘れ去られている。せめて駐車禁止の標識が立っていない道はないかと探し、野球場の外野裏側にある細い道に辿り着いた。既にここもかなりの路上駐車でいっぱいだが、舗道に乗り上げたら駐まれないことはなさそうである。ただし万が一場外ホームランが飛んで来たらタダでは済まないかもしれない。
 家人が四苦八苦しながら縁石を乗り越えようとしていると、付近に佇んでいた男性が「クルマの腹、擦りそうですよ」と声を掛けて下さった。そればかりではなく「こっちに駐めたらいいです」とおっしゃり、数m前に駐車してあったご自分のクルマをずらせて、ウチのヴィッツが割り込めるだけの隙間を開けて下さったのであった。

 東京では考えられない行動である。たまたま出会った2人が飛び抜けて親切だったのかもしれないが、普通に考えると日立の人々は、余所者に対しても分け隔てなくにこやかに対応してくれるお人柄揃いなのだろう。日立市…ええトコや〜♪ さらにこの男性、野球場での欽ちゃん球団の試合についてもちょっと心惹かれているのだと正直に言うと、チケットを持っていなくても球場内に潜り込める秘密のポイントまで教えて下さった(汗)。もっとも「わざわざラグビー観に東京から来たんですか」と呆れてはいたが。
 首尾良く競技場内に腰を落ち着け、ジュニア・チームの試合を眺めてメイン開始までの2時間を潰す。ちなみにその間に、陸上競技場の駐車場に空きが出来たのを見計らい、ヴィッツたんを路上駐車の身の上から救い出すことにも成功。パトカーが巡回していたし、まさかとは思いつつやっぱり場外ホームランも心配だったのでこれで一安心。それもこれもあの親切な2人の男性のおかげである。ありがとう、おじさん♪

 試合については明日の日記にでも書くことにするが、観戦中はともかく寒くて寒くて難儀した。日焼けすると後が大変なので屋根のあるメイン席に座ったのだが、予想外に風が強かった。しかもさすが北関東だけあって、じわっと体温を奪うような冷たい風なのである。日除けと防寒を兼ねて大判のバスタオルを持参していたのだが、それだけではとても足りない。仕方ないので出掛けに積み込んであった朝刊を開き、バスタオルと共に被る。震えつつ家人と身を寄せ合って観戦したのだが、だいぶ冷えてしまった。
 冷えた分くたびれたのか、帰りのクルマに乗り込んだ瞬間に爆睡し、家人の顰蹙を買う。結局今回もやはり免許は使わずに帰宅したのだった。

 家に着いたら留守電が入っていて、誰かと思ったらディーラーの営業担当さんだった。カーナビの見積が出たので連絡をくれという。注目のお値段はまたまた破格の割引額だった。CDデッキの件で迷惑をかけたのでそのお詫びだという。めめめ、滅相もない…。
 先月出たばかりのモデルをただでさえ16%オフしてくれていたのに、家人はさらに端数を値切った。このえげつないドケチ根性粘り強く交渉を続ける姿勢にはひたすら脱帽である。ともあれそんなこんなで、とうとうウチのヴィッツたんにもカーナビ搭載が決定したのだった。
 取り付け作業をしてもらえるのは明々後日の水曜日。どこまでもどこまでも仕事が早い。いつものことながら感動する、営業担当さんの手腕なのであった。はう〜んどこまでも着いて行くぞ〜♪




05/30 春のラグビーオープン戦・早稲田大学vs明治大学

2005/05/30 17:04
 ものすごい強風と寒さのせいだけではないと思うのだが、やや内容的に寂しい試合であった。いつもなら試合前にどんなに寒くても、大抵はホイッスルと同時にアドレナリンが分泌され、結構芯からぽかぽかするものなのである。しかし昨日の試合は最初から最後まで、ぷるぷる震えながらの観戦となった。
 春のオープン戦とはどのチームも未完成で、レギュラーをどう固めるかについてもまだまだ調整中であることが多い。というよりもこの時期に完成してしまうようなチームでは、とても半年間の長丁場をベスト・コンディションを保ちつつ走り続けることはできない。ある意味ボージョレー・ヌーヴォー的というか、味見としての楽しみ方をするものだとは判っている。

 とは言うものの、最近のメイジの喰い足りなさはどうだろう、と愕然とするような展開だった。ボールが流されまくるような強風の中、前半風上に陣取ったのはワセダだったとは言え、メイジのDFにはあまりに穴が多過ぎると感じた。後半サイド・チェンジをして風上になってからも、風上を活かした攻撃というものがまるで出来ていない。かろうじて2本奪ったトライは、両方ともワセダのボール処理ミスからどうにかこうにか押し込んだものである。
 最近は関東学院大学と早稲田大学の2強状態が続いているけれど、やっぱり永遠のライヴァルはメイジだと、どこかでまだ思っているファンは多い。もうちょっと頑張って欲しいと思う。選手個人個人のスキルや素質はワセダに勝るとも劣らないものであるハズで、メイジに足りないものはチームとしてどうシステム構築するか、という面である。
 それでも4月からずっと走り込みに力を入れて来たというだけあって、この時期としてはフィットネス面では合格点と言えるだろう。

 そんなメイジ相手に、関東学院大学は90対0という恐ろしいスコアで圧勝した。ワセダとしても、内容的に同じくらい実力差を見せ付けるような試合だったならば、観ている側にもちゃんと興奮は伝わったと思う。今ひとつ乗り切れなかったのは、ワセダサイドにも拙攻やDF面での凡ミスが連発したからである。
 先々週の瑞穂での対同支社大学戦で自軍のバックスを封印する役割を果たしてしまったSH(スクラムハーフ)は、昨日の試合ではスタメン落ちしていた。この選手、先週の対セコム戦ではイリュージョンのような働きを見せていたそうなので、相手チームのFWの圧力が弱かったり、ラック真横のいわゆる「チャンネル・ゼロ」に穴があるようなチーム相手には素晴らしい働きができるのは間違いなかろう。ただ問題は、例えば関東学院大学にはそういう隙はほぼないと考えて良い、ということである。
 昨日の試合でSHだった茂木隼人選手は、対照的にボールを捌くことに何よりも重点を置くタイプの選手であった。まったくタイプの違う2人のSHを使い分けるのも面白いだろうが、SHが封じられたら途端に攻め手がなくなるのも怖い状況だと思う。前半は茂木選手に任せてシステマチックなライン攻撃を展開し、後半選手たちが疲れて来たところでイリュージョニストSHを投入、というのでもイイかもしれない。

 さらに問題なのは司令塔たるSO(スタンドオフ)で、昨日の試合でSOを務めていた選手は、個人的なスキルは大変高いのだが、やや性格的に大人し過ぎるのかなあという印象がますます強まってしまった。パスを回す時に一瞬躊躇するのとか、相手チームが迫っている時のボールのタッチ処理が遅くてチャージされやすいというのは、おそらく彼の慎重さが裏目に出ているためだろう。もうちょっと良い意味で「キレて」くれると大化けする選手ではないかと、今後への期待が募ってしまう。
 文句はいろいろ出るのだが、良く考えればバックス陣には物凄く怪我人が多い。SOの曽我部佳憲選手、WTBの首藤甲子郎選手、FBの小吹和也選手など、戻って来てくれたらチームが別物になることだろう。曽我部選手は多少ブランクが長いのですぐさま実戦のカンが戻るとは期待してはいけないかもしれないが、肩の脱臼で戦線離脱している首藤選手はそろそろ復帰間近のハズである。小柄なので怪我をしやすいのが心配だが、「飛び道具」とか「ライン際の魔術師」と呼ばれる首藤選手が居るのと居ないのとでは、バックスの攻撃力に段違いの差があるのは間違いない。
 そして現在ジャパン合流中でワセダを離れている脅威のFB・五郎丸歩選手も忘れてはいけない。この4人が欠けてもこれだけできるのだから、まあとりあえずは満足しておかなければいけないのだろうか。ううむでもやっぱ不完全燃焼なんだよなあ…。

 そんな中で頑張っていたのはWTB・勝田譲選手とCTB・池上真介選手だった。やはりさすがの4年生、何よりも行ってやるという意気込みが違ったように思う。後半はやや疲れが見えたが、特に勝田選手のチャンスに対する嗅覚の良さはなかなかのものだった。
 FW陣はみんな相変わらず頑張っていたと思う。先々週に負傷してしまって調整中(もうじき復帰予定らしい)のHO・青木佑輔選手の代わりにスタメン入りした種本直人選手が素晴らしい活躍をしていたのが特に嬉しい。さすがのヴェテランLO・内橋徹選手とキャプテンNO.8・佐々木隆道選手がど迫力だったのも相変わらず。ただしそれだけに、後半途中で内橋選手が左足首を傷めて交代してしまったのが大変な心配事である。かなり痛そうだったけれど大丈夫なのだろうか。万が一長引くようだと、来月の対関東学院大学戦がますます危ういことになる気がする。無理をするよりはじっくり直した方が絶対いいけれど。

 同じ時間帯に秩父宮で行なわれていたスーパー・カップでは、ジャパンは惜しい敗戦を喫してしまった。勝てた試合だったと言うのは簡単だけれど、VTRをちらちら観た限りでは、いろいろある中で選手たちが精一杯頑張っていた良い試合だったと思う。少なくとも箕内キャプテン以下ジャパンの選手たちの熱意だけは、お客さんにじゅうぶん通じたのではないだろうか。この試合も観たかったなあ。日立と青山に同時に存在することなど当然無理な芸当だと判ってはいるが、何とも心残りなゲームであった。




05/31 170年ぶりのこんにちは

2005/05/31 21:29
 今朝N○Kニュースのとあるコーナーで、「幻のオペラが170年以上の時を経て日本で復活」というトピックを取り上げていた。デンマークの作曲家、フリードリッヒ・クーラウが作ったオペラで、大層ファンタジー性の高いお話だという。主人公はルルという若者で、コラッサン王国の王子さま。光の妖精が治める森で虎退治をして、ついでに妖精の娘で悪い魔法使いにさらわれてしまったシディ姫を助け出しに行くことになる。妖精に魔法の指輪と魔法の笛をもらい、機転と勇気を発揮して見事お姫さまを奪還、恋に落ちた2人はめでたく結ばれるのでした…というようなあらすじらしい。
 なんだか『魔笛』と『白鳥の湖』と『眠れる森の美女』が混ざったようなストーリーだなあと思ったのも道理、この『ルル』は『魔笛』と同じ題材から出来た物語なのだそうだ。ヴィーラントの物語集『ジンニスタン』内の『ルル、または魔法の笛』を下敷きにギュンテルベアがリブレットを書き、「フルートのベートーヴェン」と異名を取るクーラウが曲を付けた。クーラウ本人はフルートはほとんど吹けなかったのだが、なぜか素晴らしいフルート曲を沢山書いている人で、そのためこのオペラではフルートが大活躍する。
 元N響フルーティストの石原利矩氏がこのオペラに惚れ込み、20年もの準備期間を経てやっと復活再演に漕ぎ付けたのだという。

 今週末の土曜日、東京文化会館大ホールで上演されるということだが、こちらのページを参照したところ6000円のC席と3000円のD席は既に完売。その他の席も残りわずかとなっているところが多い。オペラとしては破格のリーズナブルなお値段だが、今朝のニュースで初めて知った人が土曜日に「じゃあ行ってみるか」とスケジュールを組むのは結構しんどいような気がする。1月末にはチケットを発売していたのだし、どうせトピックとして扱うのなら、せめてもう少し早く放送すればいいのにと思うのだった。相変わらず少々泥縄なN○Kなのだろうか。
 それにしてもこのオペラのコピーが「『魔笛』よりも魔的」というのはどうだろう。駄洒落…?

 肝心の曲がどんなだかは、特集枠ではあんまり紹介してくれなかった。しかし同じ題材から書かれた『魔笛』がかなりフクザツな脚色を加えられてどんでん返しと謎がいっぱいの奇想天外なストーリーであるのに対し、『ルル』は実に素直で原作に忠実な勧善懲悪の御伽噺を貫いているらしい。フルートの出番が沢山あるとも言うし、とすると相当可愛らしくてファンタジックな、ロマンティックな曲が多いのではないかと思ったのだった。
 イメージ的にはやっぱりディズニーの古き良きアニメーション映画を想像してしまう。歌ありバレエありフルート・ソロありということだと、観ていてかなりわくわく楽しめるオペラなのではないだろうか。ちょっと心惹かれないでもないが、いかんせん、いきなり今度の土曜日にと言われてもスケジュールが合わない。ちょっと残念である。

 オペラ形式の上演は170年ぶりだけれど、演奏会形式では何度か上演されたことがあるし、CDも出ているらしい。もしもご縁があったなら、CDを買って聴いてみるのも悪くないなと思っているのだが、果たしてCDは今でも入手は可能なのだろうか。
 そしてニュースの特集枠を観ていてちょっと残念だったのが、せっかく170年ぶりに再演するこの『ルル』、原語でなくて日本語で歌われるらしいということである。基本的に歌は絶対に原語で聴くのが一番だと思っている。作曲者が言葉の印象やオリジナル言語独特の響きと無関係に曲を作っている訳がないと信じるからで、とするとその歌詞を違う言葉に訳してしまうのは、ある意味作曲者の意図を無視した改変ではないかと疑問が沸いてしまう。
 あらすじだったらパンフレットに詳しく書いておけばいいし、聴きどころのアリアの対訳もついでに載せてしまえばストーリーがちんぷんかんぷんということもないだろう。何だったら字幕を付けたっていいのだし…。どうせ日本語だろうがデンマーク語だろうが、いきなり聴いた歌の歌詞をきちんと全部聞き取れることもないだろう。それだったらデンマーク語で歌えばいいのに、と思う。デンマーク語の歌詞はそんなに覚えにくいのだろうか。

 マチネ1回しか演らないのもちょっともったいない。せめてもう1、2回公演があれば、聴きに行ける人ももっと増えるだろうと思うのだが。オペラの上演にはお金がかかるから、やっぱりこういうマイナーな演目の複数回上演は難しいのかもしれない。