徒然過去日記・2005年9月

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09/01 甘栗たちの行方

2005/09/01 15:57
 今日から9月で、木曜日で、バレエ体操の日である。連続3回お休みしてしまったのは今までになかったので、今日出席したら、先生や他の参加者の皆さんに随分心配していただいた。ううむこういう時には「所属するグループがある」と実感出来てちょっと嬉しい。仕事が仕事だけに(しかも現状はほぼ開店休業だし)、帰属意識を持てるものが家庭しかないので、時々心許ない気分になるのである。
 もっとも大抵の場合は「所属するグループ」をどこにするかをなかなか自分で決められないし、自分で選んだグループの居心地が必ずしも良いとは限らない。「誰にも縛られなくて快適」と「根無し草なようで不安」の境界線はアヤフヤで、わたしの場合は気まぐれなので、往々にしてそれがコロコロ変わるのであった。
 基本的には1人で居るのが一番気楽なのだが、ずーっと独り、どこでも独り、というのはやっぱり寂しいし…(ワガママ)。

 そして例の、母にもらった(押し付けられたとも言う)大量の「むいちゃった甘栗」が、今月末頃には賞味期限を迎えてしまう。食べてみたら予想よりも甘味が弱く、家人や隣家の義父母などは「あんまり美味しくない」と感じたようで、結局売れ行きはサッパリなのであった。まだ30袋以上残っている。1袋100g入りだから、実に3kgもの甘栗をどうやったら消費出来ると言うのか。ほとほと困っていた。
 当初は家人が「僕の食べる分が少なくなっちゃうから、あんまりバラ撒かないで欲しい」と言っていたのだが、もうそろそろその発言を気にする必要はなくなっただろう。ということで、今日はバレエ体操にクルマで行くことにし、スーパーのレジ袋に20袋ほどを詰め込んで出掛けたのだった。バレエ・シューズと飲み物、汗拭きタオルの他に、ぱんぱんに膨れたスーパーのレジ袋を持参してスタジオに入る時はちょっと恥ずかしかった。

 先生と仲間たちに1袋ずつお分けして、残った分は「スタッフの皆さんでどうぞ」とでも言って受付に置いて来るつもりだった。ところがクラスの皆さんはどなたも「甘栗、大好物なんですよ♪」とおっしゃるので、ちょうど良いから1人に2〜3袋ずつ引き取っていただくことにする。先生を含めて今日の参加者は9人(ちょっと少なかった)。わたし以外の8人に配ったら、持って行った20袋はあっという間にハケたのだった。ラッキー♪
 甘栗がダブついて困っている事情と、それから念のために「予想よりも甘くないので不評である」旨を説明する。皆さん「その方がヘルシーだから却って嬉しいわ」と仰ったのだが、食べてみてガッカリしなければいいなあ、と少々不安。来週感想を聞いてみることにしよう。

 ともあれこれで残りは12袋にまで減った。来週月曜日にはバレエ教室の方に持って行って配ることにしよう。先生やコーチを含めて参加者数は毎回8〜10人くらいなので、上手くすれば残り2、3袋くらいにまで減らすことが出来るだろう。そのくらいならば家人も食べてくれるだろうし、わたしも頑張る気になるというものだ。
 もしどうしてもそのままでは美味しくないと言うようなら、いっそシロップで煮含めてみるのもいいかもしれない。あるいは栗ご飯にしてしまうとか。何にしても、残りが5袋以下に減ってくれればどうにかなる。賞味期限の9/27直前になってもまだどっさり残っている…という最悪の事態は避けられたので、ホッと一安心なのだった。いくら何でも、賞味期限まで1週間を切ったら、よそ様には差し上げにくくなる。わたし自身は「賞味期限をぶっ飛ばせ!」スレを愛読しているくらいだし、賞味期限を鵜呑みに厳守したりはしない。しかし他の人にその精神を押し付けるのも、やっぱりどうかと思う。

 身も心も軽くなった気分で帰途に付き、ついでなので駅前のスーパーで買い物をして帰ることにする。クルマだから少々重いものも買えるのだ。スーパーの駐車場に乗り入れたら、どういう訳か満車状態だった。普段からお昼前後は多少混雑するけれど、場内を空きスペース待ちのクルマがうろうろ回っているようなのは珍しい。一応2階もあるのだが、夏場や雨の日に屋根なしスペースを敬遠したくなるのは人情である。
 何とか駐車して店内に入ったら、やけに作業服姿の人が目に付いた。なるほど、そういえば今日は防災の日なので、近所の公園や公共駐車場などで防災訓練をやっていたのだった。スポーツ・クラブに出掛ける途中、訓練会場に止まっている消防庁かどこかのヘリコプターも見掛けたっけ。本当は近くで見せてもらえれば…と思ったものの、とてもそんなことは言い出せないので、未練たらたらでそのまま通り過ぎたのだった。
 その訓練が終了したか一段落したかで、流れた人たちでスーパーも混雑していたらしい。公共の駐車場に駐まれなかった人たちが流入したこともあるのだろう、そのためスーパーの駐車場も普段より随分混んでいたようである。

 ショッピング・モールに新しく出来るシネコンが完成したら、ますますの混雑振りも常態と化すのだろうか。それはあまり嬉しくないが、便利になるのならば多少は我慢しよう。贅沢を言えば、駅前のパチンコ屋さんの代わりにレンタル・ヴィデオ屋さんが入ってくれると嬉しい。銀行の支店が出来るともっと嬉しいのだが、そこまで望むのは贅沢と言うものだろう。
 クルマが増えるに従って、無法な駐車をする輩も増えるものと見える。ショッピング・モールの駐車場内でも、スペース以外のところに無理矢理駐めて、通行の邪魔になっているケースを結構見掛ける。挙句の果てには館内放送で移動を呼び掛けられたりしているのだが、不思議とそういうクルマ、特定の管轄区ナンバーが多い。偶然か偏見か、はたまた本当にそうなのか判らないが、個人的にそういう管轄区のナンバーは運転マナーが悪いと感じることも多いので、やっぱり避けて通っちゃうのだった。




09/02 サイン本来る

2005/09/02 17:42
 「鬼才」という言葉がピッタリな漫画家さんのお一人に、明智抄さんは間違いなく数えられると思う。デビュー作からしばらくは正統派少女漫画を描いていらしたのだが、彼女がその本領を発揮し始めたのはおそらく「始末人」シリーズからである。先日の日記にも書いたが、最近朝日ソノラマのコミック文庫で「始末人」シリーズが復刊され、コアなファン達が大喜びしている。
 万人受けするとはとても言えない作風だが、好きな人はほんっとーに好きで、わたしも20年以上追い掛け続けているのだった。

 明智抄さんの魅力を簡単に説明するのは難しい。「始末人」シリーズにしても、「紙片(特に一万円札)で頚動脈を切る長身美青年・白市高屋&キティちゃんのソーイング・セットで延髄を刺すクォーター美少年・河内入野&動物実験で生まれたスーパーダチョウ・小鳥さんが、伝言ゲームのシステムにより回って来た依頼により、晴らせぬ恨みを晴らしてくれる」物語だ、と言ったら、どう考えてもフツーに出て来る感想は「ヘンな話…」だと思う。
 けれどこれが、波長の合う人に取っては病み付きなのである。このシリーズ、第4巻と第5巻のタイトルはそれぞれ『暗中捜索始末人』および『勧善掌握始末人』。どちらも一般に知られた四字熟語に似た、しかし微妙に違った言葉を戴いている。書名検索の時など、ウロ覚えだったりするとうっかり間違えてしまう。この微妙なズレ具合が、言ってみれば「明智抄の魅力」を象徴するものかもしれない。

 とある少女の報われない恋心と、クローン人間の哀しみとを織り交ぜたSF作品のシリーズも大好きである。『サンプル・キティ』と『砂漠に吹く風』と『死神の惑星』がそれなのだが、こちらは新作が滞ってだいぶ経つ。いろいろ事情があって仕方のない部分もあるのだが、わたしとしては、あの続きをドーンと掲載してくれる度胸のある出版社が早く現れないものか、とイライラするのだった。確か2002年、『死神の惑星』は星雲賞コミック部門の候補になったこともあるので、SFスキーにも明智ファンは多いのではないかと思うのだが…。
 ともあれ作風が、精神的にも肉体的にも生々しかったり痛かったりと容赦ない部分があるので、広く人気が出るのはやはり難しいのだろうか。そういえばやっぱりマニア向けだったからか、『攻殻機動隊GitS』も、1996年の星雲賞メディア部門を逃してずいぶんガッカリしたものだ。ライヴァルがあの傑作『ガメラ』だったので納得したけれど。

 閑話休題。その「始末人」シリーズ復刻第3巻『白花繚乱始末人』について、明智抄さんのWEBサイン会が行なわれた。早く言えばサイン本の販売で、公式ファン・サイトの明智抄の部屋で募集があり、サイン本が欲しい人は応募フォームからエントリーする仕組みである。募集枠は10名なので、応募人数が11人以上の場合は抽選となる。
 実は第2巻『鳥類悲願始末人』の時にもWEBサイン会は開催されていたのだが、わたしはうっかり〆切に間に合わず応募し損ねてしまった。悔しかったのなんの、第2回以降には絶対、何があろうと、応募するんだ…! と決心していた。そして第2回WEBサイン会、名前と住所とメッセージをフォームに書き込んで、入魂の1クリック。念力を込めたのが効いたのか、見事わたしは当選したのだった。ラッキー!
 ちなみにその後、第3回WEBサイン会も行なわれ、欲張ったわたしは今回も応募した。そしてまたまた当選の通知をもらってしまった。う、嬉しい…けど、ちょっとだけフクザツである。もしや応募人数ってメチャ少なかったのか…?

 そして今日、楽しみに待っていた第2回のWEBサイン会の『白花繚乱始末人』サイン本が届いたのだった。わくわくしつつ表紙を開くと、表見返しと中表紙の間の無地ページに、おそらくは丸ペンで描かれたイラストと、「2005.8.吉日 あけちしょうv」というサインと、「何某まとりさまv」という宛名があった。イラストはピンクの花束の陰からこちらを覗いている小鳥さん。クチバシがちゃんと黄色く塗ってあったり、v(ハート)は赤、葉っぱは薄い緑と、所々彩色してあったりしてさり気なく手が込んでいる。
 ミーハーなので、好きな作家さん等のサインをGETするチャンスがあれば逃さずチャレンジする。それほどたくさんではないけれど、ずいぶん昔に新宿駅でばったり遭遇した田中芳樹さんにサインをいただいた『アルスラーン戦記』とか(1988.2.6と日付がある)、サイン会に並んだ田中芳樹さん&天野喜孝さんの『マヴァール年代記』とか、経緯を覚えていないが香山リカさんの『「こころの時代」解体新書』などがある。(当時は田中芳樹さんは飛ぶ鳥を落とす勢いの人気作家だったのだ)

 そういえばどこにしまったか忘れて見付からないが、巣田祐里子さんとかばけこさんのサイン本もあるハズ…。さらに成田美名子さんのサイン会にも並んだ記憶がある。ジャンル出鱈目のミーハーっぷりだが、そのコレクションに明智抄さんのサイン本が加わった訳である。
 作家さん以外ではもちろん川相昌弘選手のサイン入り記念ボールを忘れてはいけない。最近だとそれにワセダラグビー部の追っ掛けなどもプラスされ、応援旗だの優勝記念Tシャツだのと、無軌道ぶりに拍車が掛かっているのだった。書き出してみると我ながら本当にいろいろで、そのミーハー根性につくづく呆れる。

 ところで明智抄さんの特徴が良く出た作品には例えばこんなものがある。「もしも超美形の億万長者からプロポーズされたらどうする?」という、女性なら友達同士で誰でも1度や2度は妄想を繰り広げるような仮定のお話。『モンステラ・デリシオーサ』というエッセイ漫画である。
 漫画の中で、求婚者に(明智)抄さんは「でも子供が居るから結婚出来ない」と断る。求婚者は「キミの子供なら僕の子供さ」と言って引き下がろうとしない。まあここまでならフツーの話。明智さんの明智さんたる所以はその次に出て来るセリフである。「夫も居るからやっぱり結婚出来ないわ」と断る抄さんに対し、求婚者は「キミの夫なら僕の夫さ」と、さらにプロポーズして来るのだ。
 「キミの夫なら僕の夫さ」なんてセリフがさらりと出て来るあたり、非凡なセンスだと思うのだが、どうだろう。面白いですよね? 初めてこのエッセイ漫画を読んだのはコミックスでだったが、その時に受けた衝撃というか笑いの発作というか、未だに忘れることは出来ない。

 悪趣味すれすれのブラックなギャグとシュールな世界、その笑いに紛れている人生の悲哀などなど、明智ワールドの魅力がこの短編に良く出ていると思う。もちろんこれだけでは語り尽くせないので、「面白そう」と思った方は是非是非読んでご覧になるといいと思う。ウチには既刊の明智抄作品はほぼコンプリートされており(未だ単行本になってない分はないけれど)、大部分は自分用と布教用に2セット買ってある。貸して欲しいとおっしゃる友人知人の皆さんには、喜んでお貸しいたしますよ〜♪




09/03 統計と数字は嘘を吐く

2005/09/03 10:51
 『トリビアの泉』の「トリビアの種」コーナーで行なわれる検証で、時々気に入らないことがある。それは「対照群(コントロール)を設定していない」ということ。例えば「双子の姉妹で、男性の外見についての趣味が一致する確率は?」というお題があったが、ああいう場合は双子の姉妹と同じ数だけ、双子じゃない姉妹とか、まったく血縁関係のない2人組について同じ調査をしなければ意味がない。一致する確率を「双子の姉妹は40%で、そうじゃない場合は20%でした」などと比較して初めて、双子の好みが似ているかどうかが判断出来る。どっちも40%だとしたら、双子だろうが何だろうが関係ないということになってしまうのだ。
 「アキバ男性は絡まれている女性を助けるか?」の時も同様。「アキバ男性じゃない男性」について調べないと無意味なんである。や、アキバ男性にしろそうでないにしろ、「助けてあげる確率69%」には少々感動してしまったが。
 「父親が初対面で自分の子供を見分けられる確率は?」というお題だった時も、出来れば赤の他人をコントロールとしたいところだが、3人の新生児を並べてその中から選ぶ、という実験方法だったのでまだ納得出来る。無作為に選べば正解率は1/3になる筈で、父親たちの正解率が80%だったということは、血縁のあるなしで違いがあると判断しても良い。こういうのを「有意差があるかないか」と呼ぶ(ハズである)。

 この有意差を無視すると、数字と表をもっともらしく並べて全然間違った結論を出せてしまう。例えば「某施設の近くに住んでいる人の発ガン率」を調べました、某施設の近くに住んでいる人とそうでない人との間には、発ガン率に2倍の差がありました、と言われた場合。「うわっ高い! やっぱり某施設は怖いんだ」とつい思い込んでしまいがちだが、慌ててはいけない。他地域で30%の確率が60%になった、とかなら有意差があると考えられるが、0.2%が0.4%になった程度の場合、有意差判定は微妙なこともある。
 サンプル数について考えねばならないからで、仮に500人しか調べなかったとすると、0.2%と0.4%の差はたったの1人。1人が2人になった程度なら、それは誤差かもしれないのだ。頻繁に「トリビアの種」で青山学院大学の美添教授が引っ張り出されるのはこの為である。

 サンプル数さえじゅうぶんならばいつでも信頼出来る結果が得られるかというとそうでもない。「某施設の近所」と言っても、発ガン率に影響を与える要素は「某施設」だけではないからである。水や空気の汚染状況、騒音その他のストレスの掛かり具合などが違うかもしれない。ラボで行なわれる実験と違い、こういう疫学調査では、「某施設」以外の環境を同一にすることなど不可能である。
 さらにサンプリングが適正であるかどうか(きちんとランダムになっているか)とか、標本誤差はきちんと設定されているか(誤差が許容範囲であるかどうか)などなど、統計的に意味があるかどうかの判定には、非常にややこしい手間暇が掛かるのである。

 昨夜とある番組を観ていたら、「宝くじの高額当選者にはなぜかイニシャルT.K.の男性が多い」という話が出ていた。姓名判断の専門家がもっともらしい解釈を垂れていたが、こういうのも噴飯ものの「統計的事実」である。
 高額当選者にT.K.のイニシャルの男性が何%居ようと、まずそれは「日本人男性のイニシャルにおけるT.K.の出現確率」とか「宝くじを買う男性のイニシャルでT.K.がどのくらい居るか」を調べてからでないと何がどうとも言えない。極端な話、買った人が偶然全員T.K.だっとしたら、「高額当選者のイニシャルは必ずT.K.」ということになってしまう。もし本当にこういう現象が起こったら、違った意味で興味深い研究対象にはなるだろうが、それはまた別の話。

 そんな訳でふと気になったので、日本の苗字のイニシャルは何が多いのか、ちょっと調べてみた。名前のイニシャルについてはあまりに膨大になり過ぎてしまうので手は出さなかった。
 日本全国の苗字ランキングを掲載している苗字舘というサイトを見付けたので、ここの「全国ランキング」のデータを使わせていただくことにする。1位から500位までの苗字について、イニシャル別に件数を合計、全体に占める割合と、500個の苗字のうち何個がそのイニシャルだったかの出現数を調べた。下の表がその結果である。

苗字イニシャル別ランキング
「苗字舘」さんの表 上位500までのデータより
順位イニシャル構成比率(%)出現数/500
S13.5948
K13.1675
M10.5657
T9.9551
Y9.1633
N8.5348
I7.7132
O7.5849
H6.8442
10A3.6922
11F3.5120
12W2.184
13U1.7411
14E0.663
15G0.511
16C0.261
17B0.191
18D0.172


 「全国ランキング」の表には読み仮名が記されていなかったので、複数の読み仮名が考えられる場合は、とりあえず一般的と思われる読みを採用した。例えば「東海林」さんは「しょうじ」のみにカウントし、「とうかいりん」さんの可能性は捨てている。同音異字は別カウントされているので、同じ「さいとう」さんでも「斉藤」とか「斎藤」とか「齊藤」さんが居る。
 イニシャルSが1番多く、次点がKという結果が出た。表には載せていないが、上位20でカウントすると、イニシャルSの割合は28.66%にもなる。次点はYの17.71%、以下T、Kと続く。4人に1人以上が苗字のイニシャルSということになる訳だ。「佐藤」さんと「鈴木」さんがぶっちぎりの双璧を成していて、他に「佐々木」さんやら「斎藤」さんがランクインしているのが大きい。
 ところが上位500までカウント範囲を広げるとイニシャルKが追い上げて来て2位に浮上し、1位のSにわずか0.43ポイント差にまで迫る。苗字のヴァリエーションがSは48個に対してKは75個と多いので、もっともっと少数派までカウントしたら、イニシャルKの苗字が逆転1位に輝くかもしれない。

 ということで、全国津々浦々の苗字を調べ尽くさない限り断言は出来ないが、ひょっとすると日本で一番多い苗字のイニシャルはKかもしれない、と言える。少なくとも、上位500までをカウントしたところでは、イニシャルKは堂々の2位。名前のイニシャルと組み合わせた場合、日本人男性のイニシャルには「T.K.」さんが一番多い、という結果が出ても不思議ではないと思う。
 結構頑張って集計したのに、予想をぶっ飛ばす結果が出なくて残念である。「宝くじの高額当選者のイニシャルで一番多いのはG.D.さんである」とかだったら面白かったのになあ…。
 それにしても何と言う暇人なのだ<自分。我ながら呆れ果てるのである。





09/04 全国の苗字ランキング

2005/09/04 17:00
 昨日に引き続き、苗字ネタを扱っているサイトをあちこち覗いてみる。「苗字舘」さんのリンク集で、他にもいろいろ「苗字ランキング」を発表しているサイトがあると判った。特につっくんさんの「名字博士」とか、須崎さんのサイトでは、苗字ランキングに「読み仮名」も併記してあったりする。ううむ、こちらを先に見付けていれば、500位までの集計時に、読みに悩むことはなかったのだろうか。
 不思議なのはどの方のランキングでも、順位に微妙な違いがあることだったりする。「苗字舘」さんのランキングには、苗字フリークさんたちが発表した各ランキングが並べて載せてあるのだが、上位の順位でさえ驚くほどにヴァリエーションがある。1位と2位が「鈴木」か「佐藤」のどっちかなのは変わらないので、この2つの苗字の突出ぶりは相当なものなのだろう。それにしても、どうしてこれほどまでにランキングに違いがあるのだろうか。どなたもおそらく、集計元にしているデータ・ベースは似たり寄ったりではないかと思うのだが。シロウトには謎である。苗字の世界はそれほど奥が深いのかもしれない。

 日本人の苗字で一番多いイニシャルは何か、という集計を改めてやるとしたら、つっくんさんの「名字博士」が良いのだが、さすがに今すぐ取り掛かる気にはなれないのだった。もしも今後うんと時間が空くことがあったら、思い切って上位1000番くらいまで集計してみよう。予想としては、おそらく「K」が1位で「S」が2位、以下M、T、Y…と続くのではないかと思うのだが、そこは奥深い世界のこと、生半可な予想は通用しないかもしれない。ちょっと楽しみだったりする。
 それにしても苗字でこれだけのヴァリエーションがあるのなら、名前はもっと多種多様に違いない。漢字・ひらがな・カタカナが入り混じっているだろうし、読み方にも信じられないものが多そうである。わたしの知り合いのお子さんには「海」と「湖」と書いて「まりん」ちゃんと「れいく」君と読む姉弟も居る。先日から気になっている「ほふり」ちゃんもしくは「ぽぷり」ちゃんは、もし後者だとすると日本名としては激レアに違いない「イニシャルP」ということになる。
 おそらくさすがに「日本人の名前のランキング」を作っている人は居ないのではないだろうか。ちょっと調べただけだが、「名前ランキング」でヒットするのは「生まれた子供の命名で多かった例」ばかりなのだった。日本人男性で一番多いイニシャルが「T.K.」かどうか、本気で調べるのはなかなか難しそうである。

 須崎さんのサイトでは苗字の検索も出来るので、面白がっていろいろ試してみる。『勘解由小路くんの事情』の「勘解由小路(かでのこうじ)」さんは日本全国で1軒しか存在しないらしい。先日紹介したホウボウの珍姓奇姓コーナーで、昭和48年にホウボウさんがサインをもらった女性の家に違いないと思う。わたしも1度お会いしてみたいものだ。
 面白いなと思ってチェックしてあった珍名さんを片っ端から検索してみる。「四月一日(わたぬき)」さんは1軒、「八月一日、八月朔日(ほづみ)」さんは意外に多くて合計82軒。ただし「八月一日」は「はっさく」とか「ほずみ」、「やぶみ」とも読むらしい。「はっさく」は判らないでもないが、「やぶみ」ってどういう由来なのだろう。「八月一日宮」、「八月十五日」、「十一月二十九日」、「十二月一日、十二月晦日、十二月朔日」はヒットしなかった。いわゆる幽霊苗字だったのだろう。

 頓智系では「一(にのまえ)」さんも「九(いちじく)」さんも「京(かなどめ)」さんも存在するらしい(複数の読み方があるので、軒数までは不明)。「二(したなが)」さんも1軒。「よこだてorもぎき」という読みではないが「十(つじorつなし)」さんも各1軒。十と書いてつじと読むとしたら、それはシンニョウが落ちてるのではないかと思うのだが…。
 「小鳥遊(たかなし)」さんは意外に多くて7軒、「月見里」さんは「やまなしorすだち」という読みで合計42軒! 唯一お会いしたことのある珍名「一尺八寸(かまつか)」さんは3軒、研修先のあの方以外には2軒しか居ないのだ。「春夏秋冬(ひととせ)」さんと「東西南北(よもひろ)」さんは幽霊苗字らしい。

 その他で面白かったのは「宇宙」さん(2軒)、「太陽」さん(1軒)。「月」さんは30軒もいらっしゃるが「地球」さんは居なかった(残念)。「大臣(おおおみ)」さんは1軒いるけれど「博士」さんはゼロ、ただし「葉加瀬」さんなら6軒見付かったので「末はハカセか大臣か」という決まり文句は苗字でも一応成立する(苦しい)。
 さらに「食堂」さんが6軒、「八百屋」さんが27軒というのも面白い。「食堂“食堂”」とか「八百屋の“八百屋”」なんて、見掛けたら思わず入ってしまいそうである。優雅に花の名前では「百合」、「桜」、「藤」、「菖蒲」、「菫」、「芙蓉」、「菊」、「躑躅」などなど(つつじなんて漢字で書けないよ)。密かに期待した「薔薇」さんは居なかった。「美女」さんは居るのに「美男」は居ないあたりにちょっと落胆、「馬鹿(うましか)」さんには思わず気の毒になる。

 ついつい検索してしまった『攻殻機動隊』の世界では、「サイトー」「イシカワ」はともかく「荒巻」は2059軒、「草薙」は1267軒とそう珍しくもない。ただし「馬頭」は58軒、「戸草」は28軒なので、9課のメンバーが揃い踏みするシーンを見ようと思ったらかなり難しい。残念なことに「タチコマ」もゼロ、そして言うまでもないが「パズ」と「ボーマ」は問題外なのだった…。




09/05 台風接近中

2005/09/05 12:58
 9月に入ってからずっと残暑が厳しいので、少しは雨でも降らないかなあ…と思っていたのだが、今度は少々降り過ぎである。水不足に悩んでいた四国の人たちなど、特に「どうせならもっと平均的に降ってくれればいいのに」と思っていらっしゃるのではないだろうか。カラカラ天気がやっと終わったと思ったら次には台風に踏まれるなんて、本当に気の毒である。同じく踏まれそうな九州とか西日本に、大きな被害が出ないと良いと思う。
 アメリカに大災害をもたらしたハリケーン・カトリーナといい、睫毛を描けそうなほどくっきりした目を持つ今度の14号といい、やけに大型の台風がこの頃多いような気がする。これもひょっとすると温暖化の影響で、海水温が上がっているから大型化しやすいとかなのだろうか(素人考え)。

 関東地方でもあちこちで浸水や停電などの被害が出ている。すぐ裏手に川があるという家人の同僚さんの家では、どうやら床下浸水してしまったらしい。昨夜、クルマを高台に移動させたり土嚢を積む準備をしたり大わらわだという連絡を受けて心配していたのだが、今朝家人が電話してみたら、やっぱり被害を免れなかったそうである。ご家族に怪我人は居ないのが不幸中の幸いとは言え、小さい娘さん2人はきっと相当怖い思いをしたことだろう。早く普段の日々に戻れると良いのだが、まだ雨が降り続いているしなあ。
 家人も3歳か4歳の頃、床上浸水の被害に遭って、自宅からゴムボートだか小舟だかで避難したことがあるらしい。ガレージが池のようだったとか、近所の避難所で3日ほど暮らしたとか、切れ切れに覚えている場面もあるという。

 家の近所に川があると言えば、ウチも安心はしていられない。川沿いには1段高いサイクリング・ロードが作ってあったり、さらにその上も高くしてあったりと2段構えになっているとは言え、溢れちゃったらそれっきりである。想像を絶する集中豪雨が襲って来たらひとたまりもないかもしれない。イヤだなあ。
 後から判明したのだが、昨夜もかなり際どいことになっていたらしい。川は無事だったようだが、やはり近所にある、降った雨水を一時的に溜めておいて徐々に放水する「調整池」が溢れて、サイクリング・ロード越しに川に直接流れ込んでいたそうである(怖)。そのせいかどうか知らないが、道路がうっすらと冠水していたようで、今朝外に出てみたらガレージと道路の段差を繋ぐプラスティックの板(段差プレートと呼ぶらしい)が流れてどっかに行ってしまっていたのだった。

 段差プレートどころか、車庫の入り口に2軒分並べて設置してある水道メーターの青い蓋が、2枚とも外れてなくなっていた。最初に見付けたのは、道路に面した2階の窓から外を覗いた義母である。どうも車庫の風景がいつもと違う、と気が付き、良く良く眺めてみたらあるべき蓋がなくなって、2つの四角い穴ぼこが開いていたのだという。
 あの蓋、てっきり鉄製だと思っていたので、家人は「これは泥棒に違いない」と怖い顔をしている。火事場泥棒が居るくらいだから、台風に乗じて泥棒を働く不届き者が居ても不思議ではないが、それにしては持って行くモノが「水道メーターの蓋2枚と段差プレート」というのは少々ヘンである。家人を駅まで送って行った後、義父と手分けしてあちこち捜し歩いたのだった。

 水道メーターの蓋1枚と段差プレートは、義父が川沿いの吹き溜まり(というか流れ溜まりというか)で発見し、拾って帰って来た。もう1枚の水道メーターの蓋は、わたしが家の周囲をチェックしていたら、隣家のクルマの下に流れ着いているのを見付けたのだった。どうやら泥棒とかイタズラとかではなく、単に水がそこまで来ていたということだったらしい。こんな所まで…! メーターの蓋も、持ち上げてみると実は全部が鉄製ではなく、裏面には発泡スチロールで出来た部分がある。そのため水に浮いてしまったのだろう。
 ウチの2枚だけではなく、義父が段差プレートを見付けた川沿いの道には、どこか余所のお宅の水道メーターの蓋も流れ着いていた。義父が「ウチのかな」と思って拾ったら、ボックスとサイズが合わなかったのだという。今頃そのお宅でも、蓋はイタズラで持って行かれたのか流されたのか、不審に思いながら探していらっしゃることだろう。

 発見現場まで軽く50mはあるのだが、そんなところまでとっとと流されるなんて、昨夜の雨の凄さを物語っていると思う。わたしも現場近くまで行ったのだが、ウチのじゃない段差プレートのセットが他にも3本流れ着いていて、しかもうち1本はサイクリング・ロードのアスファルトの下にめり込んでいた。調整池から川まで下る道が昨夜は滝のようになっていたらしい。おそらくその水圧で、サイクリング・ロードのアスファルトが一部捲れ上がってしまい、そこに段差プレートが潜り込んだのだろう。
 調整池の川側の則面は泥だらけ、サイクリング・ロードもぐちゃぐちゃである。誰か怪我をするといけないから早急に直す必要があるけれど、町内会の人たちが総出でやるとしても、せめて雨が止まないことには手も付けられない。今の在所に越して来て8年目、こんなことは初めてである。

 台風上陸後ではなく、ほんの前哨戦でこんなことになるのなら、もっと接近したらどうなってしまうのやら。今日は月曜日でバレエ教室の日なのだが、あまりに大雨だったら出掛けるに出掛けられないかもしれない。また調整池が溢れてもイヤだから、出来たらもうちょっと、お手柔らかに降って欲しいと祈ってしまう。
 皆さんもどうかご無事でお過ごし下さい。無理な外出は勇気を以って控えた方がいいかもしれません。ううむバレエ教室どうしよう…。




09/06 消えて、また出て来る

2005/09/06 17:22
 根がケチなので失くし物をすることはあまりない。ただし「どこかに仕舞ってあるハズなのだが、それがどこか忘れた」というケースはしょっちゅうあり、こういうのも広義の「紛失物」とカウントするとすれば、わたしは失くし物の常習犯である。とは言え、家の外で落し物をしたり忘れ物をしたりはほとんどないので、やっぱりケチはケチなのだろう。ケチで鶏アタマ…まったくもって最低である(どよ〜ん)。
 今までの自分の失くし物で一番悔しかったのは、お気に入りのスカイ・ブルーのマフラー(ちょっぴりだけどカシミア混だった)を、生まれて初めての海外旅行に出るコーフンの余り、モスクワ経由ロンドン行きのアエロフロートの座席背中ポケットに忘れて来たことである。くたくた具合が気持ち良い、あったかいマフラーだったのに…。

 ちなみにわたしと顔がそっくりだと言われている末の妹は、大らかというかヌケているというか、忘れ物・落し物・失くし物は大得意。公衆電話でテレカを出したらその場に財布を忘れて来るし、姪っ子2号妊娠中うっかり免許更新を忘れて失効させてしまったりもした。一番気の毒(かつ笑った)のは、高校3年の冬、不運にも共通テストで志望大学に足切りを喰らった時のことである。足切り通知と一緒に、2次試験用に振り込んだ受験料の払い戻し為替が同封されていたのだが、彼女はそれに気が付かなかった。「ちぇっ、足切りか」と腹を立てて、封筒ごとゴミ箱に突っ込んでしまったのだ。
 数日後、払い戻し為替が足切り通知に同封されていたと気が付いた末の妹は、不機嫌な顔で家中のゴミ箱を漁っていたが当然ながら時既に遅し。ゴミの日はとっくに過ぎていたので、母が回収して捨ててしまっていたのだった。自業自得なので誰に当たることも出来ず、末の妹はそれからしばらくやさぐれていたものだ。ひょっとすると大学入試センターに為替紛失を相談したら何とかならないでもなかったかもしれないのだが、そこまでする気力が残っていなかったらしい。1万円ちょっと、もったいなかった…。

 昨日、CATVで放送した庵野秀明監督の『キューティーハニー』を観て、そういえば如月博士の発明した「空中元素固定装置」ならば、失くしたマフラーや為替を復活させることが可能だな、と思い付いた。子供の頃に観ていたアニメ版の『キューティーハニー』では、パンサー・クローは如月ハニーの体内に埋め込まれた空中元素固定装置を奪い、ダイヤモンドだか金だかをぞろぞろ作り出して世界経済を牛耳ろうとしていた…ような記憶がある。
 エッチっぽい番組なのでPTAからの評判はすこぶる悪かったようだが、ウチでは毎週土曜の夜、家族揃って楽しんで観ていた。主題歌に出て来る「この頃流行りのお尻の小さな女の子」について、母は「お尻が小さいとお産が大変だから、大きい方がいいんだよ。ウチの子たちはみんな大きいお尻で良かったね」とのたまい、娘2人(末の妹はまだ2歳半で、意味不明だったと思われる)は如月ハニーちゃんに対してそこはかとない優越感を抱いたものである(阿呆)。
 もちろん長じてからあの時の自らの他愛ない感心を呪い、さらにオノレのデカいケツを呪ったのは言うまでもない。それにしても小学校に上がるかどうかのガキんちょたちにそういう話をするとは、母もつくづく変わった人である。

 庵野版『キューティーハニー』では、ハニーの体内に埋め込まれているのは「空中元素固定装置」ではなくて、生命エネルギーを活性化する「アイシステム」とかいうものらしい。シスター・ジルは世界征服ではなくて「永遠の美」のためにハニーおよび宇津木博士を狙っているとかで、世界的犯罪組織パンサー・クローもずいぶんスケールが小さくなってしまっている。残念。
 主要キャラを演じる役者さんたちがほぼ全員、笑うしかないほどに大根なのがともかく痛い。とは言え如月ハニー役の佐藤江梨子さんの素晴らしいプロポーション、下着にゴミ袋を巻いて街中を走っても「エッチ」じゃなくて「可愛い」と感じる辺りが見所なので、その辺を楽しんでいればいいのかな、という気もする。あの長くて真っ直ぐな脚、柔らかい身体(左右180度開脚とか、上体反らして足の先でアタマをつんつんなんて、ちょっとやそっとの訓練では出来ない)、女性の目から見ても魅力的である。惚れ惚れ。

 ストーリーのアホっぽさとか、聞いていたよりもアクションが古典的でぎこちない点にちょっと落胆。しかし見るからに「予算が思いっ切り少なかったんだな」と判る映像なので、噂の「ハニメーション」があんなのだったとしても、ある意味仕方なかったのかもしれない。個人的にはブラック・クロー役の及川光博さんが「ブラック・クロー参上」を熱唱するシーンで爆笑させていただいた。あれだけでこの作品を観た甲斐があったと思う。「2番は省略だ」って…(汗)。
 全体的には「映画館へ行ってたら怒って帰って来たかも」なので、ひょっとするとわたしには庵野監督の世界観は合わないのかもしれない。『ふしぎの海のナディア』は結構好きだったけれど、そういえばカルト的人気を誇った『新世紀エヴァンゲリオン』も、個人的にはツボにはまらなかったし…。

 それはともかく、観終わってふと不思議に思ってしまったのは、如月ハニーちゃんの7変化の仕組みである。「アイシステム」が結局どういうものなのか良く判らないのだが、ナノ・マシンを注入してどうこう…と言っていたような気がするので、ナノテクを応用した何かなのだろう。とすると、ハニーちゃんはどこから衣服や持ち物の材料を調達するのだろう。おにぎりエネルギーを使い、体内で元素変換しているのか?(怖) 「空中元素固定装置」も、『空想科学読本』あたりで「かなり無理があるシステムでは」と検証されていたような気がするのだが、「アイシステム」はどうやらその上を行きそうである。
 「キューティーハニー」の肝はあの変身シーンなので、せめて変身についてはしっかり設定しておいて欲しかったと思う。まあその辺をいちいち気にしていたら始まらないのだろうけれど。




09/07 ちょっとお出掛け

2005/09/07 14:28
 家人の仕事先の方がチケットを下さったので(大ラッキー!)、これからオペラ『カルメン』を観に行くのであった。DVDやTV放送でならいろいろ観たけれど、生でオペラを観るのは実は初めてなので、大変わくわくしている。クラシック・ファンの友人達にはオペラ鑑賞に凝っている人もたくさん居て、新婚旅行はヨーロッパにオペラ観に、というケースも珍しくない。いいなあ♪ わたしももう少しちょくちょく行ってみたいのだが、オペラのチケットというもの、日本では信じられないほど高価いのである。
 いつだったか、指揮者のカルロス・クライバー氏がリヒャルト・シュトラウスの『薔薇の騎士』を振るという舞台があったのだが、そのチケットは確かS席で10万円超とかいうとんでもない値段だったように覚えている。しかも信じられないほどあっという間に売り切れたんだった。もちろんわたしには到底手の届かない高嶺の花であった。
 クライバーのブラームス交響曲第4番などはファンの間でも「決定盤」として名高く、わたしももちろん大好きである。生前1度でいいからライヴに行きたかったなあと思う。

 音楽会などはDVDやCDに記録を残すことは出来るけれど、やっぱり可能ならばナマで観るのが一番だと思う。繰り返し再生可能なことを前提に作られている映画ならばともかく、「その場」にしか存在しない何かを、フィルムなりテープなりに留めることは不可能なのだろう。そういう意味で、音楽会とか演劇とかミュージカル、オペラなどは、映画やTVドラマなどとはそもそも違う表現手段だと思っている。どっちが芸術としてより素晴らしいなどと言うことは出来ないだろう。
 時々映画よりライヴの方が絶対イイ、などと言う通な人が居るけれど、そういう自慢めいた話を聞くと哀しくなってしまう。観に行けたご本人はそりゃご満足だろうが、時の彼方に消え去ってもう再現しようのないものを引き合いに出されても、観に行けなかった方としてはコメントしようがない。舞台を録画した「ライヴ版」より実際のライヴの方が素敵なのは間違いあるまいが、映画と演劇、まるでちがうジャンルを比べられても困ってしまうのである。

 映画や書籍は「残るもの」として作られているから、では未来永劫安心か、と言うと、そうとは断言出来ない辺りが哀しい。リメイクとか改訂版とか新訳版がオリジナルを超えるケースは余りに少ないと思うのだが、あれはいったいどういうことなのだろう。単にこちらの「刷り込み」によって、馴染んだものの方に軍配を上げてしまうのだろうか。どうもそうとばかりも言い切れないような気がするのだが…。
 音楽については、以前も日記で「大概“オリジナル>カヴァー”なのが不思議だ」と書いたことがあった。他のジャンルについてまたそんなことを思ったのは、今週末に公開される『チャーリーとチョコレート工場』の原作、ロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』を久し振りに読みたくなったのがきっかけである。大昔に小学校の図書館で読んだけれど、その時のわくわくする気分を残して、ストーリーその他はきれいさっぱり忘れてしまったのだ。

 朧気に、表紙が水色だったのは覚えている。児童書のロング・セラーだから、もちろん今でも本屋さんで売っているハズだと思い込んで探しに行ったのだが、とうとう見つけることは出来なかった。『チョコレート工場の秘密』そのものはあるにはあったけれど、中を開いてぱらぱら読んでみても、どうも記憶にある文章と違い過ぎる。こんなんだったっけ…? と思いつつ「訳者あとがき」を開いたら、どうやらこれも新訳版だったらしい。
 本文そのものの違和感よりも「あとがき」が気に喰わなかったので買わずに帰って来たのだが、ネットで調べてみたらどうもこの新訳版、悪評ふんぷんたる「改悪版」として有名になってしまっている。買わないで良かった。さらに悪いことにわたしに取って(そして他の大部分の読者にとっても)馴染みのある旧版は絶版。新訳が気に入らない人たちがネット・オークションで挙って旧版を探すものだから、旧版『チョコレート工場の秘密』は軒並み落札価格が高騰している。

 久し振りに読み返したいだけのために1冊3000円は出せないので、仕方ないから原書にチャレンジしようかと思うのだった。元々が子供向けの本だから、貧弱なわたしの英語力でも、なんとか読み通すことが出来るのではないかと…(汗)。




09/08 初生オペラ

2005/09/08 19:34
 台風の名残で物凄い風が吹き荒れ、そして髪の毛があっという間にクルクルになるえげつない湿気の中、上野まで『カルメン』を観に行ったのだった。久し振りに訪れる上野は、きれいなペデストリアン・デッキなんかも出来ていたりして、だいぶ雰囲気が変わっていた。地下鉄の駅から歩いたわたしは、途中で「上野公園方面」と書かれた急な階段を見つけ、近道かと思って昇ったらいきなり上野の森美術館の裏に出てしまい、たちまち方向が判らなくなってウロウロする羽目に陥ったのだった(情けない)。
 さすがに「不忍池や西郷さんの銅像方面は逆方向だろう」という記憶はあったものの、結局、地下鉄の駅を出てから15分も彷徨ってようやく東京文化会館に辿り着いた。やれやれ。
 それにしても驚いたのは、名物の鳩が全然居なかったことである。餌をやらないようにしたら半減したというニュースを以前目にしたのだが、その成果なのだろうか。それとも単に台風の後で夕方だったから、なのだろうか。居たら居たで邪魔な鳩さんたちだが、1羽も居ないとなるとちょっと寂しいのである。

 今回の『カルメン』は、チェコ国立プルゼーニュ歌劇場のメンバーがそっくり来日して、ずいぶんたくさんの公演をこなすらしい。『カルメン』の他にも『トロヴァトーレ』と『利口な女狐の物語』を上演する日があったようである。地元チェコを代表するヤナーチェクの作品ということもあって、実は『利口な女狐の物語』が一番好評だったらしい。全然聴いたことがない作品なので、いつかこれも観られるチャンスが来るといいな、と思った。
 幕が上がったら、舞台はずいぶん奥行きを感じられる設えになっている。この奥行き感はDVDだとなかなか出せないものなようで、何だか舞台セットを観ているだけで楽しかった。予算の関係か不明だが、冒頭、子供達が合唱するシーンがカットされていたのがちょっと寂しい。チェコから連れて来る訳にも行かないだろうし、日本の合唱団を調達するにしても各公演ごとにいちいち打ち合わせし直すのも大変だろうし、ある程度仕方がなかったのかもしれないが。

 カルメン役のヤナ・テトロヴァさんは第1幕は少々苦しかったようだけれど、第2幕以降は調子を取り戻してなかなかの歌声であった。おそらくメゾ・ソプラノというよりは元々ソプラノの人なのだろう、低音にもうちょっとドスが効いていたらもっとカルメンっぽかったかも。他にはDVD鑑賞しかしたことないけれど、「この歌手が理想の“カルメン”」という歌い手さんにはまだ巡り合ったことがない。思いっ切り蓮っ葉でドスの効いた「ハバネラ」を、1度でいいから聴いてみたいなと思う。
 ジプシー女・フラスキータ役のクララ・ベネドヴァさんの声が独特で、ものすごく鋭角的なコロラトゥーラだった。『魔笛』の「夜の女王」を歌ったらぴったりではないかとつい想像してしまった。何と言うか、「人間の声」よりも「フルートの音」っぽい響きなのである。楽々とあんな声が出るなんて凄いなあと感心しきりである。
 ドン・ホセのプラメン・プロコピエフさんは少々調子が悪かったのか、あまり遠くに飛ばない声なのでやや残念。エスカミーリョのダリポル・トラシュさんとかミカエラ役のイヴァナ・シャコヴァさんは素晴らしかった。特にミカエラは、清楚で初々しくてしかも力強いソプラノで、今回の舞台では間違いなく一番素敵な声をしていたと思う。カーテン・コールの時、ミカエラはドン・ホセよりも明らかにたくさんの拍手をもらっていたので、他の観客もそう思ったのかもしれない。みんな正直だなあ…。

 総じてオーソドックスな演出で、トータルでは結構満足して帰って来たのだが、1つだけ残念無念だったのは、第4幕でのバレエ・シーンが丸々カットされてしまっていたこと。3人のバンデリジェロ(たぶん)たちが、セヴィリア風の高いかんざし&ヴェール(←正式名称不明)とフリフリドレスで着飾った3人の女性たちと華麗に踊るところが観たかったのに。第2幕の居酒屋でちょっと踊っていたのが大変素敵だったので、第4幕のバレエはどんなに素敵だろうと楽しみにしていたのに…(号泣)。
 他にもカットされたシーンはあったらしいが、バレエ・シーンは是非是非残して欲しかった。どうして切ってしまったのだろう。上演時間を短く抑えるためだったのか、それともステージが狭目なので、ジュテで飛び出してしまう心配があったのか。横ではなくて縦のジュテにすれば良かったのだし、やっぱり時間的な制約だったのだろうか。

 そして面白かったのが、アリアもレチタティーヴォも「フランス語に聞こえない」こと。出演者のパヴェルとかヤンとかイヴァナ、マルチンという名前からも判るように、チェコ国立プルゼーニュ歌劇場の人たちだから、バリバリに母国語はチェコ語なのだろう。歌詞は間違いなくフランス語のを歌っているのだけれど、響きがどうも東欧的。チェコ語で歌っているような感じだった。
 チェコ語で歌うカルメンたち。なんともエキゾチックであった。もちろんわたしにはフランス語もチェコ語も判らないので、単なる聞いた感じの印象なのだけれど。
 ともあれ、雰囲気も迫力もなかなかで、味をしめてしまいそうなオペラ鑑賞なのであった。次は是非『トスカ』を観たいなあ。『椿姫』もいいし、『トゥーランドット』とか『アイーダ』もいい。チケットがもうちょっとリーズナブルだといいのに…(無理だってば)。




09/09 訃報

2005/09/09 22:30
 長らく患っていた静岡在住の祖母(家人の父方)が、3時間ほど前に亡くなりました。お通夜と告別式の手配等、ごたごたしますので、今日は超簡略版日記といたします。危篤状態が続いていたのである程度心の準備は出来ていましたが、いろいろビミョーな事情もあり、これからちょっぴり落ち着かない日が続きそうです。




09/10〜11 いつの間にやら投票日

2005/09/11 04:18
 祖母のお通夜と告別式の手配はあらかた済んだものの、いろいろ事情があるのでわたしはお留守番ということになった。結婚する時の挨拶回りでお会いして以来、結局10年間1度も訪れる機会がないままである。お通夜や葬儀に出席するのもウチからは義父母限定2名、家人はその付き添いのみらしい。心残りはあるものの、出席者トータル8人のごくごく内輪の式にする理由もあるようなので、無理に押し掛けるのも遠慮することにしたのだった。

 夜が明ければ投票日。どうやら今回の衆院選では、前日までの不在者投票が史上最多となったらしい。注目度もかなりなので、おそらく最終的な投票率もここ最近の選挙の中ではだいぶ高いところまで行くのだろう。候補者の皆さんにやっぱり今ひとつ頼り甲斐はないけれど、何はともあれ、投票する人が増えるのはいいことに違いないと思う。
 時々「自分1人の票で何が変わる訳でもなし、馬鹿馬鹿しいから選挙なんか行かない」と言う人が居て、とても哀しい。そういう人に向けて「そんなことはない、1票にはそれなりの力がある」と本心から言うことも出来ないからである。とは言え、現状に満足しているから投票しないのではなく、「自分が投票したって何も変わらない」と言いつつ政治に不満を漏らす人には、正直共感など無理なのだけれど。

 毎度、投票日が近づくと何故か『機動警察パトレイバー2』を観たくなる。例え「欺瞞に満ちた平和」でも、わたしはやっぱり「正義の戦争」よりずっと好ましく思う。その平和を守るためにわたしに出来ることは、大袈裟な言い方だけれども、毎回一生懸命考えて自分の票を投じることだけなのだ。少なくとも今のところは。
 考えた末に投票した政治家が間違って、より酷い世の中にしてくれやがるという可能性も大きいけれど、どうせ間違うのならば自分も参加して間違いたい。出来れば後で「そら見たことか。わたしはあの時の選挙ではその政党に投票なんかしなかったもんね」と負け惜しみを言う方に回りたい。少なくとも、「こうなると判っていた」と言いつつ投票しなかった人たちよりは、姪っ子たちの世代に顔向け出来ると思う。

 特に今回は『亡国のイージス』とか『終戦のローレライ』を読んだ後だけに、『パト2』の余韻もまたずしんと改めて重くなっている。何度観てもその都度、新しく考えるネタになるあたり、やっぱり『パト2』は凄いのである。『終戦のローレライ』の浅倉大佐と『逆襲のシャア』のシャア・アズナブル大佐が重なって見えて仕方がなかったのだが、『パト2』の柘植さんもそう言えば同類項だろうか。柘植さんはシャアとか浅倉大佐よりは無口なのに、やってることは一番えげつない辺りがリアルで怖い。
 ところで『パト2』の勢いで『ミニパト』も観てしまったのだが、間を開けずにこの両作品を鑑賞すると、その落差にボーゼンとするのであった(汗)。




09/12 記録的に2/3

2005/09/12 10:10
 ということで、昨日の衆院選は自民党の記録的な大勝利となったらしい。与党で過半数どころか、自民党単独で絶対安定多数を軽く超えたとか、こんなに差が付いたのは15年ぶりだとか、圧倒的勝利っぷりを物語っている。小泉首相の作戦勝ちの面が強く出たとは言え、やはり「郵政改革するかしないか」と言われたら「した方がいいんじゃないか」と思った人たちが多かったのだろう。
 家人は「これは少々きな臭いことになって来たぞ」と心配そうである。与党で2/3も独占してしまったら、早晩誰かが改憲を持ち出して来るに決まっている、という。どちらかと言うとわたしも憲法は(特に9条は)いじらない方がいいと思っているが、与党2/3突破ですぐさま憲法改悪の観方は、少々心配し過ぎな気もするのだった。気楽だろうか。

 とにかく今回は「郵政改革は○か×か」だけに特化した選挙だった。国民は「郵政には○」と答えた訳だが、抱き合わせ的に他の政策についても○を出したことには全然ならない。そんなことはきっと小泉首相もじゅうぶん承知の上だろう。2/3の多数をいいことに好き勝手したら、次の選挙でどうなるか。無党派層の移り気を知っているのなら、そんな迂闊なことは出来ない気がする。今回限りで選挙制度をやめちゃうのなら話は別だけれど。
 仮に憲法改正法案が提出されて国会を通ってしまったとしても、国民投票でボツになると思う。楽観的観測かもしれないけれど、他の部分はともかく9条を変更してなお国民投票をパスするほどには、決定的な要素が出ていない気がする。今後日本で仮に911同時多発テロのような大規模な事件があって、自衛隊があんまり役に立たなかったりしたら、その時こそ本気でヤバいに違いない。

 今回の選挙、きっと自民党は勝つだろうなーと思ってはいた。勝つのはいいけど勝ち過ぎるのは嬉しくないので、わたしの1票は違うところに入れることにした。蓋を開けたらこんな調子なので、わたしの1票は文字通り吹けば飛んでしまう塵同然だったことになる。あまり嬉しくないのは確かだが、まあ世の中そんなものだろう。

 全国的に注目されていた広島6区では、ホリエモンことライブドアの堀江社長が、亀井静香氏に惜しくも敗れたらしい。亀井氏もキライだが堀江社長もキライなので、出来れば2人以外の候補者が当選するといいなと思っていた選挙区だった。わたしとはまったく関連のない争いとは言え残念である。
 他人の主義に口を出しても始まらないが、そもそもあれだけ無頼派を気取っておきながら、小泉政権サイドの立場から立候補してしまうというポリシーのなさが気に入らない。しかも20歳から今に至るまで、いかなる選挙でも投票に行ったことはないというのだから、図々しいにも程がある。結局この人にとっては、プロ野球チーム買収もニッポン放送買収も選挙出馬も、その時々の流れで「これは良さそうだ」と思ったことのつまみ食いなのではないか、と思える。
 どちらかというと型に嵌まらないキャラクターは好きな方なのだけれど、ホリエモンだけは横紙破りが過ぎてダメだなあ。

 そんな調子で、珍しくどきどきわくわくと見守った選挙も終わってしまった。一夜明けて、日経平均がどかんと値上がりしているようだけれど、お祭騒ぎもどこまで続くものなのだろうか。まさかこのままどんどん景気が良くなりますということもないだろうし…。




09/13 ホーム・スイート・ホーム

2005/09/13 14:47
 隣家の義父母が留守の間、花壇や鉢植えの水遣りを頼まれていたので、陽射しが強くなり過ぎないうちにと7時前に作業を開始した。一昨日の朝だが、水遣り用ホースを構えてジャージャー撒いていると、大き目のハチが「ナニすんのよ!」と怒った風情で攻撃して来てえらくビビる。ハチは黒い色を狙うと聞いたことがあるので(あれはスズメバチ限定だったか?)、とりあえず跳び退ってアタマを抱えて身を低くすると、ハチさんはそのまま見逃してくれた。威嚇だけで、本気で刺すつもりはなかったらしい。
 見掛けないハチなのでどこから来たのかと注目すると、ウチの玄関脇の壁に小さな泥の塊がくっついていて、その上で熱心に何やらやっているのだった。ポーチの中なので雨が当たらず、ハイビスカスの鉢植えの奥なので、玄関脇の割には閑静(?)である。言うまでもなく、その泥の塊は作りかけの巣らしい。

 さてどうしよう。玄関脇にハチの巣があるのでは、おちおち出入りも出来やしない。この巣がどのくらい巨大なものになるのか見当も付かないが、仮に現状の小さなままでもウチの住民にとってはじゅうぶんな脅威である。ハチさんは1匹で作業しているようなので、気の毒だけれど、泥の補給のために飛び立った隙にでも、強制撤去させていただくことにしよう。
 待つことしばし、ハチさんがいずこともなく飛んで行った。泥の補給に何分くらいかかるのか判らないので、急いで水遣り用ホースで放水してみる。かなり強い水圧でもびくともしないので、止むを得ず傘の石突で突っついたら、牡牛座のマークのような僅かな縁取りを残してポロリと落ちた。どうやら上下に2部屋あったらしい。そして、完成していた方の下の部屋からは、4匹ほどの青虫が出て来たのであった。

 部屋ごと落っこちた青虫は、水流に流されつつももぞもぞ動いている。まだ生きていて、たぶんハチに刺されて麻酔がかかっているのだろう。大昔、学研の「科学と学習」で、そういう風習を持つハチのことを読んだっけな、と思い出す。実物を見たのは初めてだが、もうちょっと無難なところに作っていてくれたら、撤去せずに観察したかもしれない。
 数分後、さっきのハチさんが戻って来て、巣のあったところでウロウロしている。「あら、この高さじゃなかったかしら?」とでも言いたげに、壁に沿って上下を行きつ戻りつしているのが少々申し訳ない。どうせ営巣するんなら、何も玄関脇なんか選ばないでくれたら良かったのに。そんなことはハチには判るまいが。折角一生懸命作ってたのに壊しちゃってごめんね、と内心に呟きつつ見守ると、ハチさんは諦めたらしく、泥を抱えたままどこかへ飛び去ったのだった。
 今日になっても建築再開はされないので、1度放棄した巣へ戻ることはないと見える。諦めが良くてこっちもラッキーである。

 ハチのことをネットで調べてみたら、どうやらあのハチはトックリバチ(スズメバチ科)の1種の「スズバチ」だったらしい。スズバチの巣作りという、モロにそのもののページが見付かったのだが、ウチの玄関脇のもほぼこのまんま、上から5番目の写真の状態である。あのまま放置しておいたら、少なくともあと2つか3つは部屋を作って、4階建ての豪邸が出来上がっていたハズなのだ。
 他のページ等も参照にしたところ、スズバチさんたちはこの巣に居座る訳ではなく、中に居る幼虫が羽化したらそのまま空き家になってしまうらしい。ハチがぶんぶん飛び回る巣だと怖いけれど、子育て用の巣ならばそのままにしておいても良かっただろうか。次にまたスズバチがやって来て巣作りを始めたらどうしよう。観察もしたいけれど、家人辺りから猛烈なクレームも付きそうだし…。

 ウチには庭らしい庭はないけれど、隣家のヴェランダには義母が丹精している鉢植えが山のようにあって、スズバチの営巣用土には事欠かない。しかも幼虫の餌にする芋虫にしても、鉢植えのどこかしらには常時存在しているのだろう。あれだけの数の鉢植えがあれば、恐らく青虫根絶はほぼ不可能だと思う。コンビニ至近・閑静な住宅地…とでも宣伝出来るような、スズバチにしたら格好の物件だったのかもしれない。
 次の営巣があったら、ほんと、どうしようかなあ。あまり珍しいものでもなさそうだが、一部始終を観られるチャンスはあまり多くなさそうだし。悩んでしまう…。




09/14 久し振りにトリビア・ネタを思い付いたので

2005/09/14 16:32
 さっきちょっとフジテレビのサイトで投稿して来たのだった。
 ネタを思いついたのは、家人が買って来たホセ・カレーラス&アグネス・バルツァの『カルメン』を観ていた時である。第3幕だったか、エスカミーリオがドン・ホセと決闘する時に後ろ頭がアップになって映り、ちっちゃなお下げがくっついているのが見えたのである。家人に「知ってる? 闘牛士も引退する時にはお相撲さんみたいに“断髪式”をやるんだよ」と言ったら、何故そんな変なことを知っているのかと呆れられた。
 結構知られていることだと思っていたのだが、もしかするとそうでもないのだろうか。何だか面白くなったので、ついつい「トリビアの泉」に投稿してみることにしたのだった。

 念のために「闘牛士・断髪式」というキイ・ワードで検索を掛けてみたのだが、それらしい話題を扱ったページはヒットしない。闘牛士(マタドールもピカドールもバンデリジェロもかどうかは不明)がちっちゃなお下げを付けているのは、『カルメン』のDVDでも確認しているから間違いない。わたしの聞いた話では、あれは昔、闘牛士が騎士として遇されていた時代の名残とかで、誇りの印なんだそうである。だから、闘牛士として現役の間は絶対に切らない。
 歳を取ったり怪我をしたりして引退する時、あのお下げも泣く泣く切り落とすのだという。切ったお下げをどうとかする慣わしだというのも聞いたことがあるのだが、そっちの方は生憎忘れてしまった。確か恋人にあげるとかではなかったかと思うのだが…。
 闘牛士に関する風習にはいろいろ他にも面白いことがあって、素晴らしく見事に牛にトドメを刺したマタドールには、名誉の印として「牛の耳と尻尾」が与えられるとか、制限時間(30分)以内に牛を仕留められなかったマタドールは賠償金を請求されるとかが知られている。

 闘牛士にも3種類あって、マタドール(剣士)とピカドール(槍うち)とバンデリジェロ(銛うち)では厳然と身分が違うらしい。1頭の牛を、馬に乗って出て来て槍で刺す役がピカドール(2人?)、ひらひら飾りのついた銛で突き刺して弱らせる役がバンデリジェロ(3人)、ムレタという赤い布でかわしつつ剣で仕留めるのがマタドール(1人)。言うまでもなく最高に格が上で人気があるのがマタドールで、ピカドールとバンデリジェロはヒエラルキーとしてその前段階ということなのだと思う。
 とするとあの小さなお下げを付けているのはマタドールだけなのだろうか。大相撲でも「大銀杏」の髷を結えるのは十両以上の関取に限るとかキマリがあったような気がする(←記憶あやふや)。もしかしたらそういった面で、闘牛士と関取には共通項があるのかもしれない。ちょっと面白いと思う。

 闘牛士の断髪式の話を、自分でもどこで聞きかじったのかすっかり忘れてしまった。どこだったっけなあ。今のところ思い当たるのは、「刑事コロンボ」シリーズの第35話『闘牛士の栄光』(引退した闘牛士が主人公)か、土曜日夜9時から放送されている「世界不思議発見」である。前者の粗筋は覚えているものの、引退した闘牛士が自分の断髪式のことについて話していたかどうかは忘れてしまったし、後者の過去ネタにそんなものがあったかどうか、今さら確認するのは不可能。
 ソースをすっかり忘れているので自信がなくなって来た。ひょっとしたら、夢で見たことをそのまま事実だと信じてしまっているのかもしれない。阿呆な話だが、わたしは時々実際にそういうことをやらかすのである。心配になっていろいろ調べてみたら、ようやく「闘牛士・髷・引退」でヒットした。「闘牛士服について」というページで、闘牛士用コスチューム一式を揃えたらどのくらいかかるか、まで載っていたりして面白い。日本円で約52万円もかかるらしいのでさらに驚きである。

 肝心の「断髪式」についてもちゃんと記述があるので、どうやらわたしの妄想ではないらしい。とは言え、このページによると、最近の闘牛士たちは「付け髷」をしている人も多いのだという。依然として髷が闘牛士のシンボルであるのは変わらないらしいので、ということは、最近の闘牛士は引退する時の断髪式を「付け髷」でやるのだろうか。ううむ…。
 マタドールもピカドールもバンデリジェロも髷を付けているようだが、付け髷の断髪式ではインパクトも薄れてしまう。このネタやっぱり「トリビアの泉」で採用されることはなかろうなあ。ちょっとがっかりなのである。




09/15 憧れのトウ・シューズ

2005/09/15 16:36
 爪先立ちになることを「ルルヴェ」と呼ぶ。クラシック・バレエの場合は足の裏全体を床に付けて動作することはあんまりないようで、ついでに脚も四六時中緊張させて伸ばしているのが大前提な感じである。練習用のバレエ・シューズを履いている時は足裏全体で立って良いことも多いが、バー・レッスンも中盤以降はルルヴェを指定されるようになって来る。というか、わたしの通っているバレエ教室ではそういう時間割でレッスンが進む。
 わたしはこのルルヴェが大の苦手である。単なる爪先立ちなぞカンタンだと最初は思っていたのだが、じっくり長く立っているとふくらはぎや足首が攣りそうになって来る。足首がグラグラするものだから、動作自体も非常に不安定になってしまう。足の裏全体で立っている時は出来たことが、ルルヴェになった途端出来なくなるのは本当に悔しい。
 先生や先輩達にいろいろ訊いて回り、カーフレイズをやって足を鍛えると良いとか、足首と考えずに腹筋と背筋で支えるつもりになると良いとか言われるのだが、相変わらず片脚ルルヴェの時に「軸をきっちり保つ」ことが出来ないままなのだ。

 ピルエット(回転)の練習の時などは特に、軸が固定されていないとどうしようもないことになる。コマの軸が曲がったり斜めになっていたりしたらきちんと回る訳はないが、人間の身体でもまったく理屈は同じである。爪先立った足先からアタマの天辺まで、ピーンと一直線に垂直になっているのが理想なのだろうが、わたしのルルヴェはその境地からは程遠いのだった。ピルエットなぞ、1/4回転とか1/2回転までは何とかなるものの、1回転の練習になると途端にヘロヘロである。悔しいぞ!
 今日のバレエ体操のレッスン後、どうしても上手く行かないルルヴェのピルエットについてインストラクターの先生にヒントをお伺いしたら、「回ると思わないで“立つだけ”と考えた方が良いですよ」と教わった。最近レッスンに参加するようになったバリバリ経験者の生徒さんも「ルルヴェで身体全体を上に引き上げるように立った時、人間の身体は自然に回るように出来てるんですよ」とおっしゃる。なるほど立つだけねえ…。つーことは、わたしはまだ碌に立つことも出来ていないことになるのか…orz。

 とりあえずあまりに悔しいので、今週は自宅練習でしばらくパッセをやってみよう、と思った。パッセというのは下半身を数字の「4」の形にするポーズである。片脚で立ち、もう片脚を曲げて爪先を軸足の膝の辺りに添えるのだが、これを軸足ルルヴェでやろうとしたら相当しんどい。何にも掴まらずに5秒立っていられたら、たぶんピルエットなぞ平気の平左で出来るハズである。
 もう1つ、バレエ教室の先生お勧めの動作は「フォンデュ」というもので、両膝を同時に曲げたり伸ばしたりするものである。「溶ける」という言葉(チーズ・フォンデュのフォンデュと同じ)の通り、ゆっくりじんわり柔らかく曲げ伸ばしするのがミソだそうだ。ただし、床に付いていい足は片方だけである。片脚で立ち、宙に浮いている脚と軸足を同時に曲げて、浮いている方の爪先を軸足の踵辺りに添えるのが準備段階のポーズ。真正面から見ると下半身はやや歪な◇の形を示している。
 次に両膝をゆっくり伸ばしながら、浮いている方の脚を前・横・後へ向けて上げる。伸ばした時の下半身は「Г」っぽい形になるハズである。もちろん筋力のある人は横の足が90度より上がるし、そうでない人は角度が小さい。わたしの場合、当面の目標は90度なのだが、これがまた非常にしんどかったりする。

 バレエ教室の先生いわく「フォンデュを真面目にやったら下半身が 痩 せ ま す よ!」とかで、確かにメチャクチャ効きそうである。バレエのポーズと思えば何となく優雅だが、実質はかなりハードな筋肉トレーニングなのだ。もちろんそれは「フォンデュ」以外のポーズも全部そうなのだが。
 軸足をべったり床に付けていても大変なのに、先生は「いずれはルルヴェでフォンデュが出来るようにしましょうね」と恐ろしいことをのたまう。「痩せますよ」の言葉に釣られてなんぼチャレンジしても、ルルヴェでのフォンデュなぞ一朝一夕に出来るようになるものではない。そんな大袈裟な、とお思いの方は、ぜひ1度実地にやってご覧になることをお勧めいたします。マジでしんどいから(汗)。

 しかし良く考えなくても、女性のバレエ・ダンサーは片足で立ってもう片方を上げて…などというポーズを、ルルヴェどころかポワント(トウ・シューズ)を履いてやっちゃうのである。バレエのほんの端っこを齧り始めてつくづく実感することだが、ポワント履いてアラベスクとかピルエットとかジュテ(ジャンプ)なんて、ほとんど人間技とも思えない。どこをどうすればあんな芸当が可能になるのだろう。
 とは言えバレエを齧っていればどうしようもなく憧れるのがポワントである。踊れるようになることまでは望まないが、せめて履いてバー・レッスンが出来るようになったら嬉しいのにな、と思う。小学校2年生で引っ越す直前まで通っていたバレエ教室で「じゃあ来週はお姉さんたちの履く靴を履いてみましょうね」と言われてそのまま引越しに突入してしまって以来の、実に30年越しの未練なのだ。

 ラッキーにも今日、ポワントを履いてみるチャンスが訪れた。バレエ体操に参加している経験者の生徒さんが、レッスン後の15分間、インストラクターの先生にポワントのレッスンをお願いしているところに居合わせたのである。興味津々で見学していたら、先生がご自分のポワントを「まとり(仮名)さんもちょっと履いてみますか?」と貸して下さったのだった。
 爪先保護の布を当て、その上からポワントを履いて、足首をリボンでくるくる縛る。おおっこれぞまさにバレリーナではないか(脚は太いけれど)。初めて履いてみたポワントは思ったよりも硬かった。ただしガチガチの硬さではなく、しなやかに曲げ伸ばしの出来る硬さである。ちなみに良く昔の少女マンガに出て来た「トウ・シューズに画鋲」という嫌がらせは、履く時の一連の手順を考えるとまったく無意味なように思える。どう考えても気付かずに履いちゃうことは有り得ない(笑)。

 さてポワントを履いた後、ドキドキしながら先生の指示通りに立ってみる。1番・4番・5番の足からそれぞれ爪先立ちしたのだが、ぎょえーっ、これ、メチャクチャしんどいではないか。壁に掴まっていても足がぐらぐらするのである。ルルヴェどころの不安定さではない。ポワントの先っぽのほんの数十平方cmで立っているのだから当然ではある。両足合わせてもせいぜい掌1/3程度の面積だろう。
 しかもやはり当たり前のことながら、爪先が死ぬほど痛い。わたしはかなり短く爪を切っている方なのだが、それでも足の親指の爪がぎゅーぎゅー圧迫される。この状態でジュテなんかしたら、着地の時に爪が剥がれちゃうんじゃないか、と思える痛さであった。もちろん爪先カヴァーはいろいろ販売されていて、各人が少しでも具合良いよう工夫しつつポワントを履いているらしいが。

 とはいえやっぱりポワントは格好いい。わたしはすっかり味を占めてしまった。今すぐには無理だけれど、あと半年くらいしたら履けるようになるかもしれない。その日まで頑張ってルルヴェの練習をして、それからポワント用の予算を一生懸命貯めなければ。
 何せチャコットで販売されている既製品のポワントでも、1足税込み5000円程度はするのである。…高価いよ…orz。




09/16 『チョコレート工場の秘密』原語版

2005/09/16 15:57
 先日観に行った『チャーリーとチョコレート工場』が大変に面白くて素敵だったので、原作をまた読み返してみることにした。本当は子供の頃に読んだ水色の表紙の版を読みたかったのだけれど、どうやらあれは絶版になってしまったらしい。7日の日記に書いたように、新訳版のあとがきが激しく不愉快なので、旧版が手に入らないのならば原語版を買ってしまうことに決めた。Amazonで取り扱いがあるし、『Charlie and the Great Glass Elevator』や『のだめカンタービレ』13巻と一緒に注文すれば送料もゼロで済む。
 本当は映画を観に行く前に届いてくれたらいいのになと思っていたのだが、同じようなことを考えた人はやっぱり結構居たようで、ウチに到着したのは映画から帰って来た日なのだった。もしかすると『のだめ』13巻の発売を待って発送、という事情だったのかもしれない。

 どうもここ数日間、気分的に落ち着かなくて集中力が欠けている。今日も1つ、とんでもない大ポカをやらかしてしまった。あまりに酷すぎて日記にも書けないほどのミスである。どんより凹む今日のような時には、思い切って何もかも放り出して昼寝をするか、昨晩放映された『電車男』最終回の録画を観るか、『のだめ』や『Charlie and the Chocolate Factory』でも読んで気分転換を図るしかない。
 残念ながら『のだめ』13巻は例の「ルー・マルレ・オーケストラ」絡みで千秋がストレスを抱え込む辺りだったので、気分転換どころではなかった。もちろん面白いのだけれど、例えば12巻に出て来て、そのページを開くだけで何度でも大爆笑が弾けた「のだめイメージ画“ミミズを下さい”」のような強烈なシーンはない。ああいうシーンがあるとものすごいストレス発散になったのだけど…。
 そしてやっぱりのだめちゃんの「特に用事もなかったし」にはびっくりしたのだった。あれじゃ千秋が可哀想だよ、と。

 読んでない方にはナニが何やらなので説明を少し。なし崩しに付き合い始めたような形になった千秋とのだめ(フランス留学中)。千秋は指揮者修行で忙しく、何週間も家に帰れない日が続いている。のだめは相変わらずマイ・ペースに、コンセルヴァトワールの勉強や友人たちとの付き合いに勤しんでいる。ノエル(クリスマス)に久し振りにパリの家に帰って来た千秋だが、部屋には飾りかけのクリスマス・ツリーがあるだけでのだめは留守。そういえば家を空けている間にも、のだめから電話の1本も掛かって来たことはなかった。
 あいつ一体何を考えているんだ、と不機嫌になって散歩に出たところでのだめとバッタリ再会。「電話を掛ければ良かったじゃないか」と言った千秋に対するのだめの答えが「特に用事もなかったし」なのである。たぶん男心としては、特に用事がなくっても声が聞きたいとかだけの理由で、電話を貰えたら嬉しかったのに、放っておかれて寂しかったのだろう。女心としても事情は同じだろうが、「電話来ないな、まあいいや」でスルー出来てしまうのだめの方が、千秋よりも、相手に対する執着が薄いと思われても仕方ない。

 本当は、れっきとした不思議ちゃんであるのだめのやる(もしくはやらない)ことに、いちいち引っ掛かる方が阿呆なのだろう。千秋にしても、1つ1つの引っ掛かりは取るに足りない小さなものだと自分で判っているから、そんなことを気にする自分が心狭く思えて自己嫌悪しているのではないかと思う。とはいえ、小さな引っ掛かりも積もり積もると鬱屈となる。そこへの「特に用事もなかったし」でつい爆発してしまうのだが、あのシーン、ひょっとすると今後の千秋&のだめのすれ違いの伏線になっているのではないだろうか。
 なーんてことを考えてふと気が付いたのだが、最近わたしのやっていることは、グルグル独りでお悩み中の千秋に何だかそっくりである。こんな状況では、13巻を読んでストレス解消どころではないのは当然なのだった。とほほほ…。

 気を取り直して『Charlie and the Chocolate Factory』に取り掛かる。子供向けなので辞書も要らないくらいでそれほど苦労もせずに読めることは読めるけれど、日本語ほどすらすらという訳にはやはり行かない。出来たら田村隆一氏訳の『チョコレート工場の秘密』をまた読みたかったけれど、絶版&価格高騰中の今は手の届くものでもない。図書館に行ったらあるかもしれないが、おそらく貸し出し待ちが行列をなしているだろう。
 もう少し待ったら、高騰した価格も多少のプレミア程度に落ち着くと思うので、その時まだ読みたかったら改めて探すことにした。そもそも柳瀬尚紀氏の新訳版にしたって、本文そのものは特におかしくはなかったのである。人名が変わっているのがやや気になった程度。あとがきがちょっと…なだけで、それとても田村氏の旧訳版を知らない人ならば、とりあえずスルーして買ってしまえるだろう。なし崩しに田村訳版が忘れ去られて、今後は柳瀬訳版がスタンダードになるというのも少々寂しいが。

 イラストが原語版のクエンティン・ブレイク氏のものになっていたり、手に取りやすい新書版に変わっていたり、確かに新訳新装幀の意味はあったと言える。旧版は、わたしの覚えている通りのままなのであれば、装幀や挿絵がやや古めかしくて、イマドキの子供には受けなかったかもしれないからである。ただし旧版を読んだわたしからすると、別に訳は変えなくても良かったじゃん、とは思うけれど。何にせよ、映画の公開に向けて新訳新装幀を出すあたり、出版社もなかなか商売上手である。
 商売上手と言えば、のだめ関連もいろいろ出る予定だそうで困ってしまう。13巻の折込チラシにあった『のだめカンタービレ・キャラクターBOOK』なんて、つい買ってしまいそうである。先日は悩みに悩んで「千秋真一デビューアルバム」のブラ1を予約してしまったというのに、今度は『のだめカンタービレSelection CD BOOK』とやらが再販されるらしい。作中に出て来た曲のアソートCDで、複数楽章がある曲では1部楽章しか収録されていないのが気に入らないが、ウチに音源がなくて自作のアソートCDに入れられなかった曲が入っているのがやや気になる。たぶん買わないだろうけど。

 一番納得が行かないのは、ベートーヴェンの交響曲7番の楽章選択のセンスである。1楽章から4楽章まで、どうしても1つしか選べないとしたら、やっぱり誰が選んでも絶対、何が何でも4楽章に決まってるじゃないか、と思うのだが。




09/17 ちょっと一息

2005/09/17 19:04
 ここ数日ばたばたしていたことが、今日とりあえず一段落した。ついでに、わたしが「こんな些細なことが引っ掛かるなんてなんとみみっちい人間なんだ自分は! 情けない口惜しいみっともない」とグルグルしていた点も、それほど凹まなくても大丈夫だということも発覚。現金だが、妙に気分がラクになり、昨日の今頃とは元気度5割り増しくらいに復活したのだった。すべてが片付いた訳でもないのだが、とりあえず何事もなるようになると考えておくことにしよう。
 録画するだけして、何となく観る元気もないので放置しておいた『電車男』の最終回を再生する。だいぶ前の『ビギナー』では最終回の10分だか15分だかの枠拡大に気付かず、肝心な大ラスを見逃して悔しい思いをしたので、今回はきちんと放送時間をチェックしてあった。木曜日、ちゃんと新聞のTV欄で確認したら、枠拡大はないらしい。最終回なのにあっさりと終わるんだ、ちょっと寂しい…と思っていた。

 とにかくストーリーは大詰めの山場である。コトの発端から延々と恋愛相談を繰り広げていた「Aちゃんねる」掲示板の存在が、恋しい相手である「エルメス」さんにバレてしまった「電車男」。てっきり笑いものにされていたのだと誤解したエルメスさんは、傷心と怒りのあまり、掲示板の本当の内容を知らずに「もう会わない」を宣告する。落ち込む電車男。
 所詮、自分のようなオタク君にはエルメスさんのようなお嬢さまは高嶺の花だったのだと諦めて掲示板からも去るのだが、納まりが付かないのが「Aちゃんねる」のスレッド住人たちである。本当に玉砕するまで諦めるなと、日曜日には秋葉原へ現れるだろう電車男をターゲットに、「掲示板を見てくれ」というメッセージをばら撒く。ある者はメッセージ入りのティッシュを配り、ある者はチラシを貼りまくり、留学中のアイドル声優さんは急遽ネット経由のラジオ出演を決める。顔も知らない電車男のために。

 メッセージ付きのティッシュやチラシや風船くらいならともかく、焼き肉の「万世」のビルに横断幕とか、デパートからでかでかと垂れ幕を垂らすとか、電光掲示板でメッセージを流すとか、果ては飛行機がスモークで空に「電車、掲示板を見ろ」なんて書いちゃったりする。ここまで来るともう非現実のレヴェルに話が踏み込み、「有り得ないよ〜」と笑っちゃうしかないのだが、みんなの真剣な気持ちが込められた諸々の媒体で埋め尽くされた秋葉原の町を走りながら、電車男はついに再びの挑戦を決意する。
 すっごく恥ずかしいのだが、わたしはこの辺りでちょっぴりホロリと来てしまったのだった(汗)。どんな所にも「仲間意識」というヤツは発生し、それは時に尋常ならざるエネルギーを発揮する。相変わらず「ネットの住人たち」の描写はステレオ・タイプで微妙にハズしているし気色も悪いのだが、それでも「電車、玉砕覚悟であの夕陽に向かって走れ!」のノリにうっかり涙腺を刺激されて焦った。こんなシーンで泣けて来るなんて。もしかしたらわたしは自覚しているよりもスポコン人間なのだろうか。

 ここ数日の騒動で、自分で思っていた以上にダメージを受けていて気が弱っていたのかもしれないが、ともかくウルウルどきどきしながらストーリーを追ううち、そのテンポの遅さに違和感を覚え始めた。おっかしーなー。そろそろ50分が経過するのに、エルメスさんはまだ、全ての発端であり、電車男の気持ちがありのままに記されている「Aちゃんねる」掲示板を読んでもいない。ひょっとして枠拡大はないハズだったのに、急遽最終回ということで15分拡大とかになっていたのだろうか、だとしたらまたも、大ラスのクライマックスを見逃すことになる。
 焦ったところで「次回に続く」とエンディングが始まった。なんだ、最終回だと思っていたのは単なるわたしの勘違いで、今回のは普通に「第10回」だったらしい。来週が本当の最終回ということなので、次もきちんと新聞をチェックして、枠拡大があるかどうかに気を付けねばなるまい。や、ここまで来るともう後はハッピー・エンドに向かって驀進するだけなのだが、連続ドラマの最終回を見逃すことほどムカつくこともそうはない。

 ムカつくで思いついたのだが、今回このドラマで気に入ったキャラが(ヒロインの伊東美咲さんは別格として)、陣釜美鈴さん役の白石美帆さんであった。表の顔と裏の顔を使い分け、猫撫で声とドスの効いた怒鳴り声で世の中を強気に渡って行く派遣OL・陣釜さん。頼りない電車男をいじめる筆頭でもあるのだが、その実、放っておけなくていろいろ骨折りする姉御肌な女性である。
 一歩間違うとキワモノなキャラクターになってしまうところを、白石美帆さんがあくまで可愛く演じているのが好印象である。これもだいぶ前の『あなたの隣に誰かいる』にも出演し、一見大人しやかだが実は怖い女性を迫力一杯に熱演していた時から注目していた女優さんなのだが、今回もその独特のキャラクターに惚れてしまったのだった。
 来週は堂々の最終回、ぜひとも陣釜さんの活躍シーンもいっぱいあるといいなあ♪




09/18〜19 発表会と早稲田大学 vs ケンブリッジ大学戦

2005/09/19 12:50
 とりあえず一段落とは言え、事態が根本的な解決を見た訳ではなく、そういう意味ではある種の緊張を孕んだ日常なのである。とは言え多少気が楽になったのか、一昨日から昨日の晩などは一気に疲れが出たらしく、晩御飯後にソファに寝っ転がって本を読んでいたらそのままカーカー眠ってしまった。「いい加減に起きて風呂入って寝ろ」と呆れた家人に起こされたのは、両日とも午前2時である。とほほ…。

 そして昨日は、友人Yさんのヴァイオリンの発表会と、秩父宮ラグビー場での早稲田大学 vs ケンブリッジ大学の試合があった。どうも時間的にはバッチリ双方が重なってしまうので、どちらを観に行くか家人と散々悩んだ結果、Yさんの発表会に行くことにした。ケンブリッジ大学は昨日までに関東学院大学や法政大学とも試合をしているのだが、両方ともあまり良い所なく負けてしまっているので、早稲田なら難なく勝つだろう。ついでにあまり見所あるゲームにもならないような気がするし。
 事実上、今年の新チームのお披露目試合でもあるし、復帰なった曽我部佳憲選手のプレイを観たいとチラリと考えたのだが、個人的に決め手となったのは天気予報だった。18日の最高気温は29℃、と聞いた段階でTV観戦でいいや、と思った(へたれ)。メイン・スタンドに陣取れば直射日光は当たらないだろうが、それでも草臥れ切った今のわたしには、かなりのダメージとなるだろう。

 発表会も始まりから終わりまで鑑賞する元気は毛頭ないので、Yさんの出番に合わせて出掛ける。前日に予めご本人に時間を確認したところ、15時半くらいだというので、ちょっと余裕を持って14時半到着を目処に家を出た。直接会場に出向くのではなく、ちょっと渋谷に寄り道予定であった。
 今週末23日にまた演奏オフがあり、参加者のお1人がボロディンの「だったん人の踊り」弦楽合奏版(?)をやる予定である。ついでだからトライアングルを叩かせていただくことにしたのだが、トライアングル用の譜面がないのでミニ・スコアを買って来なければならない。家人はその他にシューベルトの交響曲第5番の音源が欲しいと言うので、ヤマハとHMVに立ち寄ることにしたのだった。

 どうも渋谷センター街から道玄坂あたりでお祭をやっていたようで、渋谷の町は押すな押すなの人だかりである。でっかい日本太鼓を叩くパフォーマンスも行なわれていて、じっくり聴いていたらそれなりに面白かったのかもしれない。ただし残念ながら限られた時間で移動しなければならないこちらには、神輿担ぎで疲れた法被姿の人々があちこちに座り込んでいる状態は迷惑の一言。もうちょっと邪魔にならないところに休憩所を設けることは無理だったのだろうか。
 おかげで駅〜ヤマハ〜HMV〜駅の移動にずいぶんと時間が掛かり、発表会会場に着いたのは15時ちょうどくらいだった。Yさんの2つ前の出番が終わったところで、やれやれの滑り込みセーフである。Yさんの曲目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、通称「メンコン」の1楽章で、誰でも1度や2度は聴いたことがあるだろう超有名曲である。それだけに人前で演奏するのはなかなか難しい。実力派のYさんは、出だしこそ緊張していたものの、カデンツァの辺りは大変格好良く弾きこなしたのだった。

 ハネた後、Yさんや他の出演者さん、伴奏者さんたちとご一緒にお茶&ダベリ大会に突入する。時間的な長さから言うと、ウチの2人はこっちの方がメインだったと言ってもおかしくなかったかもしれない。例の通り話題はあちらに行ったりこちらに行ったりとりとめなく、絶対音感と相対音感の話やら、寝言と寝相の話やら、食物アレルギーの話やら多岐に渡っていた。
 途中でどういう訳か、学生時代にたびたびやらされた体力測定の話になった。わたしにとっても嫌な思い出しかないシロモノである。握力測定の器具は大き過ぎて「握力」ではなく「指先力」測定だったし(おかげで悲惨な数字しか出たことがない)、ハンドボール投げではいつも「もっと大きいか小さいか、どっちかのボールを投げさせろ」と思っていた(中途半端なので力が上手く入れられず、きちんと投げられないのである)。垂直跳びではタイミングが判らなくて上昇中か下降中のどちらかしか測定板に手を付くことが出来ず、ピーク値を測定してもらえたことはほぼ皆無。自慢出来る数字を出せたのは、立位体前屈と伏臥上体反らしだけだった。

 Yさんの伴奏を務めた方もどうやら同類項だったらしい。立位体前屈26cmというのは驚きの数字だし、上体を反らして、足で目隠しを出来たというのは素晴らしい柔軟性である。生まれつき身体が柔らかい性質らしい。羨ましいなあ…。
 実はYさんも昔バレエを習っていたそうなので、「今はとてもとても」と仰りつつ、かなり柔軟性は高い身体なのだろうと思う。そもそも折れそうに細くて頭が小さくて手足の長い、いかにもバレエ向き体型なのである。さすがにYさんには恥ずかしくて「最近バレエ始めたの」とは言えなかった。本当にくどいようだが、わたしのこの存在感アリアリの下半身、もうちょっと何とかならないものだろうか(タメイキ)。

 柔軟性と脂肪の溜め込み率に相関はあるまいが、筋肉をほぐして置いて損はないので、相変わらずお風呂上りにはストレッチを欠かさずやっている。毎日の積み重ねが多少奏功したのか、左右開脚は140°くらい出来るようになったし、左右開脚して身体を前に倒し、おでこや顎を床に付けられるようにもなって来た。もっと頑張ると胸や腹が床に付いたり、べったり腹這い状態から脚を閉じるという芸当も出来るようになるかもしれない。⊥から逆Y字を通って|というこの技、いつかは是非やれるようになってみたいのであった。
 前後開脚も、あと10cmほど沈んだらべったり床に付ける、というところまで開くようになった。○ィダーinゼリーの宣伝だったか、チューブ入りドリンクを飲みながら無造作に180°前後開脚する女性が出て来るけれど、身の程知らずな目標としてはあんな感じである。

 前後開脚の練習としては、以前は台所の流しに片足を載せてストレッチをしていた。ウチにはバーがないので代用品である。当初はそれでも用が足りたのだが、最近多少柔らかくなって来たので高さが足りなくなった。悩んだ末、今は家人の室内バイクのハンドルを使ってストレッチしている。高さが115cmあるのでかなり苦しいが、あの高さにひょいひょい踵を載せられるようになれば、柔軟性と共に脚上げもかなり改善されそうで楽しみである。
 とりとめもなく書いていたら、ワセダ vs ケンブリッジの試合感想を書くスペースがなくなってしまった。まあ、あまりノリノリになれる熱い試合でもなかったようなのでいいことにしてしまおう。




09/20 いろいろ片思い

2005/09/20 21:23
 フジテレビで年に1回放送されていたという『連続ドキュメント 五嶋龍のオデッセイ』最終回を観てみた。アタマと尻尾が欠けてしまった中途半端な鑑賞だったのだが、それでもなかなか見応えのあるドキュメントだったと思う。五嶋龍さんについては「五嶋みどりさんの弟でヴァイオリンが大変上手」というくらいの認識しかなかった。時々CMで演奏が流れているのを聴いては、まだ十代なのになんと艶やかな音なのだろうと感心していたものだ。
 先月にはデビューCDも発売されていたし、かなり頻繁にコンサートも行なわれていたようだし、既に堂々のソロ・ヴァイオリニストとして1本立ちしておいでである。「神童」とか「天才」とかの言葉がぴったりな、まさにヴァイオリンの申し子たる人物で、つくづく「こんな人も居るもんなんだなあ」と感動する。

 7歳から10年間、1年に1本ずつこうやって1時間半の番組が作られる。それを大きくなってからも自分で観返すことが出来る、というのも、なかなかない人生だろうと思う。特に子供の頃の、練習中に怒られているシーンとか泣いているシーンなど、後から観たら恥ずかしくなっちゃう気がする。日常生活の中で、しょっちゅう「番組用」の映像を撮られ続けている状況も、一般人からすると鬱陶しく感じそうである。こういうのも慣れなのだろうか。
 ドキュメンタリーの中で、五嶋龍さんが子供の頃のことを話していたシーンが印象に残った。子供の頃から周囲には「ヴァイオリンを弾く少年」として捉えられていたため、もし自分が楽器を弾けなくなるようなことがあったら、一体どうなってしまうのだろう…と不安を覚えていたのだという。
 「音楽」ということが、彼の中でどれだけ大きいものであるかを、この言葉で少しだけ理解出来たような気がした。わたしも時々自分で「音楽ナシの人生なんて考えられない、もしも取り上げられたら死んでしまう」と思うけれど、そんな大袈裟な言葉は徒や疎かな気持ちで口に出してはいけないな、と反省したのだった。

 アマチュア愛好家にはアマチュアなりの利点と限界があると思うが、どんなに好きでも「音楽が人生のほとんどを占めている」五嶋龍さんのような境遇には居たことがないのが大半だろう。彼が音楽に掛ける分の時間を、では何に使うことが出来るか、というのが、アマチュアの強みにも弱みにもなるような気がする。
 軽視とか僻みとか開き直りではなく、アマチュアとしては「たかが音楽、されど音楽」という気持ちを持っているべきかもしれないな、と思う。プロになろうという人たちのような努力も知らずに生きて来て、「音楽こそ人生」なんて言っちゃいけないな、と。大好きだけれども、そういう人生に自分が「選ばれなかった」ことを、ちゃんと受け止めていないと辛い思いをしそうだからである。

 今日買い物に出掛けた時、とあるCD屋さんで五嶋龍さんのデビューCDを試聴した。ヘッドフォンがあまりにショボかったので、彼本来の音からはかけ離れた音質だった(のだろう)けれど、それでもやっぱり「うっわスゴい」と驚く演奏だった。個人的な好みとしては、まだまだ勢いと若さが先行している印象を受けた。「音楽」としての深みが出て来るのは大人になってからだろうけれど、あの音に深みが加わったらどれだけ魅力的な演奏者になることだろう。今後がますます楽しみである。
 デビューCDの中でシンディングの「ヴァイオリンと管弦楽のための組曲 イ短調 op.10」から第1楽章を弾いているトラックがあって、これはかつてヤッシャ・ハイフェッツがレコーディングした時の最短記録(1分38秒)更新を狙ったものだったという。今回の演奏時間は1分36秒で見事記録更新。とは言えあれだけ早く弾いちゃうと、最早ある意味「音楽」というよりは「芸当」になってしまっているかもしれない。「そろばんスケート」という言葉を想起してしまった(汗)。
 完成形の予測としてはやはりハイフェッツ・タイプだろうか。ハイフェッツと言えば演奏とは全然関係ないのだが、ハイフェッツのヴァイオリン演奏シーンなどは、個人的に「シャーロック・ホームズの演奏シーンはこんな感じだったのではないか」と思えるヴィジュアルなので、写真などを見るたびにドキドキしてしまうのである(阿呆)。

 物心付かないうちから英才教育を受けていたら、あるいは自分もどうにかなっていたかもしれない…と妄想するのは高校生で卒業したけれど、それでも時々「片思い」が辛く感じることがある。小学校3年生に上がる時の引越しでバレエをやめちゃっていなかったら、もっと早くヴァイオリンと出会っていたら、何かが今とは違っていたのだろうか、と。
 まあオノレの飽きっぽさを誰よりも知っているのは他ならぬ自分自身なので、例えそういう境遇にあったとしても、バレエもヴァイオリンも趣味以上の境地には至っていなかっただろうと断言出来る。しかしそれでも未練は残るのが、人間出来てないなーと思う点である。

 以前師事していたお師匠の仰ったように、人生が300年くらいあって、大人になってからでも楽器演奏に熟達出来るだけの時間が与えられていたら素敵だったかもしれない。レイト・スターターにとって、ヴァイオリンやバレエと両思いになるには、人生80年というのは短過ぎるのである。
 しかしやっぱり自分の自堕落な生活を考えれば、寿命が300年あろうが1000年あろうが、どっちみちのんべんだらりんと過ごして終わっちゃうような気もするのだった(汗)。




09/21 家人は追い込み中

2005/09/21 23:57
 明後日がいよいよ恒例の演奏オフ当日なのである。家人は超イロモノ企画の「弦楽5重奏版クロイツェル・ソナタ」(笑)と、こちらは真面目にドヴォルザークのカルテットを引っ提げて参加。他にやはりイロモノの「だったん人の踊り(ボロディン)ピアノ4重奏版」(爆笑)という企画に狩られて、こちらでもヴァイオリン・パートを弾くことになっている。
 もともとの「だったん人の踊り」はオペラ『イーゴリ公』の一部だそうだが、わたしは大元のオペラをCDでさえも聴いたことがない。「だったん人の踊り」は単独でも非常に格好いいので、オーケストラ曲として大好きだったりする。ちなみに最近は「だったん人」という言葉にやや問題があるとかで、「ポーロヴェッツ人の踊り」という表記をするらしい。

 超個人的な印象だけれど、派手さにおいてもエキゾティシズムにおいても叙情的パートの魅力においても、リムスキー=コルサコフの名曲「シェヘラザード」に張ると思っている。特に途中の「boy's dance」と副題(?)が付いているPrestoの部分の迫力と来たら、何度聴いてもゾクゾクしてしまう。『イーゴリ公』の物語を知らないし「踊り」と付いているからには平和的な曲なのだろうが、なんとなく戦のシーンの描写のように格好いい。
 もしくは印象として「シェヘラザード」の第4楽章「バグダットの祭・海・船の難破」のようにドラマティックである。やや剣呑な感じの曲想なのだが、わたしはこういったハラハラドキドキの曲が大好きなのだった。家人は「キミのは単なる短調スキーだ」とにべもないのだが(放っとけ)。

 ただしそういう、迫力があってテンポが速くて…という曲なので、当然のことながら弾く方はえらく大変そうである。手元にあるミニ・スコアなど眺めてみると、途中の「Men's dance」のところからは木管パート(ピッコロ、フルート、オーボエ、クラリネット)は3連符の嵐だったりする。この部分が、ピアノ4重奏に編曲されているものだから、当然ピアノと弦楽器に降って来ることになる。ピアノで弾くのならまだしも、弦楽器でこの3連符の連続は厳しかろう。現に家人も練習中、大汗をかいているのだった。
 オフ相談用の掲示板では、まだヴィオラ担当が決まっていないようだが、果たしてこの企画は成立するのだろうか。楽しみにしているだけに心配である。

 オリジナルの「だったん人の踊り」には当然パーカッションもあって、わたしは中でもトライアングルが大好きである。「乙女の踊り」と副題が付いているModeratoの部分では、主旋律が優雅にメロディアスに歌うその背後で、トライアングルが可愛くチーン、チーンと鳴っている。いつか夏オフ等で「だったん人の踊り」を演奏するチャンスがあったら、ぜひトライアングルに立候補して担当させてもらうんだ、とずっと狙っている美味しいパートである。
 実は今年の夏オフ(結局行けなかったのだが)でも、曲目の候補に「だったん人の踊り」は挙がっていたのだった。採用してもらえたら絶対トライアングル、と意気込んでいたのだが、残念ながら選曲係のセレクトからは外れてしまった。がっかり。いつかまたチャンスが巡って来ますように(祈)。

 ということで当然、今回の「だったん人の踊り ピアノ4重奏版」でも、編曲からは省かれてしまっているが「トライアングル叩きたい!」と手を挙げたのだった。ミニ・スコア片手に予習したけれど、さすがにミニ・スコアだとページを捲るスピードが追い付かなくて途中で落ちてしまう危険性があるので、家人用にもらったヴァイオリン用のパート譜にトライアングルの譜面を付け足して、即席のトライアングル譜を仕立てたのだった。
 音源CDを掛けつつマイナス・ワン方式で行なわれる家人の自主練に便乗して、即席トライアングル譜を使ってわたしも練習してみた。もちろんウチにはトライアングルはないので、食器棚の中から「叩いてトライアングルっぽい良い音」のするコップを選び出し、こちらも即席トライアングルである(汗)。
 本番では参加者のお1人がホンモノのトライアングルを持参して下さるそうなので、こちらも楽しみなのだった。

 「だったん人の踊り」のミニ・スコアを眺めていると、楽器名がいろいろ書いてあって興味深い。他のミニ・スコアでどうなっているのかあまり良く知らないが、ウチの「だったん人の踊り」ミニ・スコアでは、楽器名は全部イタリア語なのであった。大抵の楽器はイタリア語で書いてあっても何か判別出来るのだが、パーカッションは不明なものが多い。
 TamburoとTamburinoってどう違うのだろう。小さいTamburoがTamburinoなのだろうと思うけれど、タンバリンに大きいも小さいもあったっけ? さらにCassaって何? Piattiって何? イタリアン・レストランでPrimo Piatto(最初の皿=前菜)という言葉を見たことがあるから、Piattiは皿(複数形)ではないかと思う。皿っぽい打楽器というとシンバルだろうか。Cassaについては見当も付かないので、ちょっと調べてみたら太鼓のことらしい。
 Cassaが出て来るシークエンスを見直してみたら、なるほど、ドーン、ドーンという強いアクセントの効いたパートなのであった。太鼓は太鼓でもかなり大きなものを指すらしい。1つ賢くなって満足なのである。




09/22〜23 演奏オフと悪足掻き

2005/09/22 21:33
 オフが明日に迫ったので、今晩は最後の悪足掻きという訳で、ドヴォ組が集まって練習会を執り行うことになった。メンバー各自、出来る限り早目に仕事を切り上げて、当初は「20時音出し」という目標だった。当然のことながらそんな無謀な目標は達成されることなく、つい先ほどようやく(お茶とダベりタイムを経て)練習が始まったらしい。
 ドヴォ組にわたしは噛んでいないので、とりあえず音源CDでも聴きながら代替トライアングル(コップと箸)でも叩いているか、と思ったが、わたしはわたしなりの悪足掻きで今日は疲れ果ててしまったので、まあいいことにした。

 もちろんそれは掃除なのである。ドヴォ組メンバーの集まる1階だけでなく、今日は2階も丸々キレイに掃除しなければならない。メンバーの1人がお泊りするからで、こういう機会でもないと真面目な掃除をなかなかしないわたしの性分としては、非常に貴重なチャンスだったりする。日頃から少しずつ小規模掃除をしておけば、今日のような場合でも慌てずに済むのだが、言うは易し行なうは難し。出来るものならとっくのとうにやってるよ、というのは過去の日記でもたびたび書いたことである。
 特に今は玄関を入ったところから最高に散らかっていた。玄関ドアを開けた正面には、CDケースに詰められたCDたちがどどんと山を成している。これは後日家人をせっついて、そろそろ本格的に何とかせねばならないが、とりあえず今すぐどうにか出来るものではない。それより気になっていたのは玄関を入って左手に積んであった飲料水やお茶のダンボールだった。

 最近の朝の定番「マンゴー・サワー・ドリンク」に使うコントレックスが、近所のショッピング・モール内の雑貨屋さんで破格に安かったので、ついつい大量に買ってしまったのだった。箱で買うとさらに3%割引だというのに釣られて、つい2箱も(汗)。店から駐車場までは台車を借りられたので比較的ラクだったが(クルマに積み込む時は腰が抜けそうだった)、問題は家に着いてからである。
 1.5L入りのボトルが1ダース詰まった段ボールを抱え、えっちらおっちらガレージから外階段(合計5段ほど)をよじ登って玄関に辿り着いたところで力尽きてしまった。辛うじて家の中に運び込んだけれど、もうそこから1歩も動かしたくない。本当なら邪魔にならない2階寝室のウォークイン・クロゼットに仕舞っておくつもりだったけれど、とてもそんな元気はなかった。

 かくして玄関脇にコントレックスの段ボールが鎮座することになる。不思議なもので、一端そうやってモノが置かれた場所には、他にもいろいろと吹き溜まるようになる。あれよあれよと言う間にそのスペースには、コントレックスの段ボール2箱、生茶2Lペットボトル6本入り1箱、缶入り野菜ジュース半箱(母からのもらい物)、むいちゃってある甘栗1箱(これも母から)が積まれることになってしまった。
 一番の問題である甘栗パックは、バレエ教室とバレエ体操のクラスでそれぞれバラ撒いた結果、合計3袋にまで減った。それから家人とわたしが1袋ずつ食べたのでとうとう残りは1袋。やった。缶入り野菜ジュースと生茶はキッチンのあちこちに分散してどうにかこうにか収納し、後はコントレックス2箱だけである。

 多少消費したので合計15本のコントレックス、うち12本の入った段ボール箱はまだ開いてもいない。箱ごと持って階段を上がれるとは到底考えられないので、とりあえずボトルを中から全部出し、2本ずつ持って2階と玄関を往復することにした。上がったり下がったり6回(最後の1回は3本運んだ)。情けない話だが、ラスト1回くらいは膝が笑ったものである(恥)。ウチの階段なぞ大した段数もないのに…。
 ともあれそんな訳で、今ウチは珍しくキレイな状態なのである。これがいつまで保つのか不明だが、今までの経験からするとおそらく2、3日がせいぜいだろう。それを思うと果てしなく虚しいのだった。




09/24 間違い探し

2005/09/24 18:38
 昨日の疲れが残っていたのか、今朝目が覚めたら11時半を回っていたのだった。やばすぎ。本当はその1時間半ほど前にピンポンの音が鳴って1度起きたのだが、出てみたらクリーニング屋さんの御用聞き(しかも新規顧客開拓らしい)だったので、「要りません」とぶっきらぼーに断ってまた寝てしまった。
 ヒトが寝てる時に要らん勧誘するなっ…と顰蹙しながらベッドに戻ったのだが、良く考えるといくら休日とは言え、朝の10時にまだ寝こけている家があるとは、クリーニング屋さんも思わなかったに違いない。あの時来たのが例えば新聞の集金さんとか、宅配便のお届けとか、とりあえず階下に下りて身支度を取り繕い、一応玄関を開けて応対せざるを得ない用件だったら起きられたのだが…(阿呆)。

 ともあれ昨日のオフはそれなりに盛況で何よりだった。いろいろ用事を片付けてからわたしも駆け付け、念願の『だったん人の踊り』(ボロディン)ピアノ4重奏板ではオプショナル・パーカッションとしてトライアングルを叩かせていただいた。ちゃんとしたトライアングルを手にしたのは実は生まれて初めてである。
 わたしが持ったことのある「トライアングル」とは、下辺の一方が開いた金属製のシンプルな三角形である。バチというかスティックも、本体と同じ太さの金属棒だった。しかし昨日叩かせていただいた「本物のトライアングル」は、三角形は三角形でも、開いている端っこ部分はそれぞれ細くなっているのだった。どうやらその細くなったところを叩けば、微妙な音量の調節が出来る(小さい音が出せる)ということらしい。
 しかも叩く方のスティックも、さまざまな太さのものがざらりと10本ほどもあって、トライアングルもやはり奥が深いのだなあと思わされた。わたしはもちろん使い分けられるハズもなく、1本だけを使ったのだが。

 用のない時はテーブルに置いておいて、出番が近づくとおもむろに持ち上げて叩くのだけれど、いざやってみるとトライアングル本体があっちを向いたりこっちを向いたりじっとしていてくれないので困ってしまった。本体はひもで吊るされているので、持ち方が悪いと角度が定まらないらしい。本体に触れると音が死んでしまう。さらに変に斜めになった状態で無理矢理叩くと、思ったようなキレイな音が鳴ってくれなかったりする。
 叩き方によっても、澄んだ通る音が鳴る場合と、微妙に割れてキレイではない音が鳴る場合があったりして、ほんのちょっぴりの出番でも結構スリリングだった。大層楽しかったので、またぜひやってみたいなあと思うのである。

 トライアングルと高を括っていた訳でもないが、それでも予想以上に拘りポイントがあるようなのでやや驚く。音楽の世界などでは、こういう風にある種職人芸的な「コツ」とか「秘訣」があったりするので、その度に奥深さに感心するのである。
 先日なども、友人Yさんの発表会を拝見しに出掛けた後のお茶タイムで、Yさんの伴奏者さんに「ピアノでのヴィブラートのかけ方」を伺った。鍵盤を叩く時の力の入れ方で、同じピアノでも発音のニュアンスが違って来るというのは知っていたのだが、まさかヴィブラートまであるとは知らなかった(物知らず)。何でも、鍵盤を押した後で、指を付けたまま手首ごとぐるうりと回すと音色に表情が加わるのだそうだ。
 ヴァイオリンなどは演奏者によって音色がまったく違うのが当たり前だけれど、ピアノはそれほどでもないのではないかと思っていたのだが、決してそんなことはないらしい。本当に、音楽の表現とは奥が深いと感心してしまった。

 先日悩んだ末にAmazonで注文してしまった「千秋真一デビューCD・ブラームス交響曲第1番」も昨日届いた。出掛ける前のひと時、あれこれ用事を片付けながら聴いていたのだが、ちょっとガッカリしてしまう出来だった。メイン・ディッシュのブラ1も、おまけとして付いていたドヴォルザーク交響曲第8番1楽章(間違い探し版&正解版)も、うんざりするほど表情のない演奏なのである。
 指揮者を立たせずにメトロノームに合わせて演奏しているのかと思うほどにのっぺりしたテンポ、アーティキュレーションもフレージングもないような1本調子。聴いていても全然心動かされない。弾いている人たちはいったいどういう心境でこんな演奏に耐えたのだろうと思ってしまった。

 前代未聞の「間違い探し版」に釣られて買ったとは言え、このCDのコンセプトは一応、『のだめカンタービレ』に出てくる将来有望な指揮者・千秋真一君のデビューCDということだったのに。曲の理解や解釈において、指揮者コンクールでも最も優れていると認められた(ということになっている)キャラの演奏がこんなってどーゆーこと? こんな演奏なら誰だって出来る。『のだめ』読者の耳は、この程度でも誤魔化せると思われたのならば、ずいぶんと舐められたものだ(顰蹙)。
 ライナー・ノートの解説が矢鱈に華々しく褒めているだけに、余計に空々しく感じた1枚であった。既存のCDからのアソート物でない限り、もうこういう企画物は買わないぞ(涙)。「黒王子」と評される千秋真一らしく、それなりに「無名だけど実力はある」指揮者さんを呼んで来て振らせてくれたら良かったのに。

 ブラ1だけでなくドヴォ8もぜーんぶのっぺりしていたので、ひょっとしたら間違いを見付け易いかと思っていたのだが、そっちは全然そんなことはなかった。「間違い探し版」も「正解版」も、わたしの耳にはほとんどおんなじに聴こえてしまった。違いが判らないヤツで情けないのである。数ある版の中で今回の「正解」はスプラフォン版だそうなので、いずれスプラフォン版のスコアが手に入るチャンスがあったら、見比べながら聴いてみようと思っている。
 たぶんスコアを読みながら聴いても判んないのではないかと思うのだが(汗)。




09/25 夢のあとに

2005/09/25 23:50
 疲れていたり体調が悪かったりすると、時々、5年前に亡くなった友人の夢を見る。20世紀最後の年のゴールデン・ウィークに、自ら命を絶ってしまった5歳下の友人である。報せを受けて家人ともども彼女の家に駆け付けた時のこととか、葬儀のことなど、今でも思い出すたびにズドンと落ち込んでしまう。
 彼女は生前良く「自分が死んだら、5年後10年後にはもう誰も思い出しもしなくなるだろう」と言っていた。出来ればその言葉通り綺麗さっぱり忘れてしまいたいのだが、どうも上手く行かない。今でも時々、電話が鳴ると、「もしかしてあの子が掛けて来たのではないか」などと馬鹿げたことを一瞬考えてしまったりする。どうしても非通知の電話に出る気になれなくて24時間留守電セットしっぱなしなのは、そういう理由もあるのだ(阿呆)。

 昔師事していたばよりんのお師匠に縁の人だった。妙に気が合って、時々レッスンなども一緒に受けていたのだが、しばらく経った頃、お師匠から「彼女の具合が悪いので話を聞いてやって欲しい」と言われた。美人で、アタマも良くて、ヴァイオリンも上手だったのに、どうしても手に入らないものを思う余り精神のバランスを崩したらしい。もちろん他にもいろいろと事情はあったのだが。
 良くもまあお互い飽きずに長時間しゃべり続けたものだと呆れるくらいの長電話が、多い時期には毎日のように掛かって来た。開口一番の「まとりぃ?」のニュアンスで、その日の彼女の調子まで判るようになったくらいである。わたしとしては彼女の悩み事を聞いてアドヴァイスしたり励ましたりしていたつもりだが、勝気な人だったので、もしかしたら逆に「まとりの面倒はわたしが見なくては」と思われていたのかもしれない。

 ずっと死にたがっていた彼女を、自分の力で救うことが出来るなどとは毛頭考えては居なかった。けれどわたしの中では(妙な話だが)、「死にたがる人間は、罰として、心から“生きたい”と願うようになるまでは生き続けなければならないものだ」という頑固な思い込みがあった。上手く説明出来ないけれど、何度彼女が自殺を試みても、必ず失敗し続けるのが摂理なのだと信じていた。年間の自殺者数を知っていたから、そんな話は理不尽だと、理屈では判っていたのだが。
 いつかは彼女が自分自身の可能性に気付いて「やっぱり生きていたい」と思ってくれるだろうと願っていた。けれどあまりにも長くかかり過ぎて疲れてしまった。彼女と共に生きようとする人物が現れたのをこれ幸いと、わたしは徐々に距離を置いた。もうわたしが長電話に付き合わなくても、彼女は大丈夫、どうにかやって行けるだろうと思った。そんな矢先の訃報だった。

 願い通りにあっさり死んでしまったことへの理不尽と、手を離した罪悪感がドーッと押し寄せて、すぐには実感が沸かなかった。彼女がもう帰って来ないと痛感したのは、ご家族が「まとりさんは姉代わりだったのだから」と、斎場へわたしを同行させて下さった時である。真っ白いお骨になった彼女を見て初めて、これはもうどうにもならない、と納得したのだった。
 こんな不条理が許されるなんて、と、何かが自分の中でぷっつり切れたような気がした。その後しばらくはメチャクチャだったと思う。友人にも家族にもとんでもなく迷惑を掛けまくった。もちろん一番のとばっちりは家人である。あんまりメチャクチャだったので実は記憶がきちんと残っていないのだが、あの時期のことを思えば、家人にはもっとアタマが上がらないハズだよなあ…などと時々考えたりする。申し訳ないと思う(汗)。

 5年経って、あの時のことを日記に書けるくらいになったと言うことは、少しは立ち直りつつあるのだろうか。大事な友人だったけれど、余りにも人騒がせだった彼女のことを、すっかり忘れてしまうのは無理かもしれない。けれどせめて具合の悪い時に夢に出て来るのは遠慮してもらいたいなあ、などと、時々思ったりする。




09/26 来週から10月(早っ)

2005/09/26 14:00
 ゴミ出しでご近所の方とお会いすると、そろそろ「イヤですねえ、10月からは有料ですねえ」という決まり文句の会話が交わされるようになった。いよいよ来週から、我が在所のある市ではゴミは「有料の専用袋で出し」、「各戸前の回収」というシステムに変わるのである。
 別に有料化そのものには特に反対しない、というのは以前日記にも書いた。困るのは、専用ゴミ袋が売り切れる心配はないのかということと(先行自治体である八王子市在住の友人によると、そういう事態がないとは言い切れないとのこと)、以前より回収作業に手間暇かかるようになるのは明白なのだから、対策を(一時的でもいいから)何か立ててあるのか、ということなどなどだった。

 だいぶ前に説明会とやらがあって、しぶしぶ行ってみたのだが、どうも当局のやる気が今ひとつ感じられない。不安はますます募るのである。専用ゴミ袋が売り切れた先行自治体の話も知っているので余裕を持った数を販売する予定だが、それでも万が一売り切れたらそこから先は「売り切れてから考える」らしい。回収作業にどのくらい時間がかかるかは「やってみなければ判らない」ので、皆さん最初のうちはしばらく我慢して下さい、と来た。
 臨時に人員を増やす予定もないそうなので、もし始めてみて予想以上に大変だったらどうするのかも考えていないようである。「ご不便とは思いますが、今までご自宅がゴミ・ステーション近くだった方はずっとそういう境遇にあった訳で…」などと、良く判らない言い訳を並べている。そういうことを言ってるんじゃないんだってば!
 ゴミ問題は大変な課題だし、住民1人1人がそれなりに「痛みを分かち合う」必要があるというのも重々承知である。しかしここまで出たとこ勝負な姿勢を見せられると、なんだ結局は末端に全部皺寄せてオワリなのか、と呆れてしまうのだった。

 ウチ独自の問題としては、他に「溜まりに溜まった“東京都指定ゴミ袋”のストックをどうするか」というものもある。新聞屋さんが月に1度サーヴィスで2〜3枚ずつくれるのだが、2紙購読しているものだから、使い切れない分が塵ツモ方式でどんどんダブついたのだった。2人住まいのウチとしては、ゴミ出しに30リットルとか45リットルとかの大きな「東京都指定ゴミ袋」は使わない。せいぜいスーパーでくれるレジ袋のラージ・サイズ程度である。そういう事情も、もらったゴミ袋が余る理由の大きなポイントだった。
 10月から有料化、という話が本決まりになってすぐに、購読している新聞販売店2軒に電話を掛けた。事情を説明して「もうあのゴミ袋はオマケしてくれるな」とお願いしたのだが、愛想良い返事とは裏腹に、それからもサーヴィスは続いたのだった。良く考えると、古新聞収納用紙袋と月刊の家庭版とゴミ袋が予めパッケージになっているものを配っているため、ウチのだけ中身を変えるなんてことも出来なかったのだろう。なら最初からそう言っておいてくれればいいのに…。

 オフ事前練習でウチにお泊りにいらした友人Yさんのご在所ではまだ「東京都指定ゴミ袋」が使えるので、余ったストックはYさんに引き取っていただくことにした。キッチンの隙間ストッカーの抽斗丸々1段にぎっしりなゴミ袋を、Yさん宅へ送る宅配便に詰め込めるだけ詰め込む。洗い浚い押し付けるのもナニだし、ウチ用にも2パックくらいは残しておいた方がいいだろうか。とりあえずスッキリした抽斗に満足し、Yさんに篤く御礼を申し上げて荷物を発送した。
 これでゴミ袋ストックについては解決したとホッとしていたのも束の間だった。本当にストックはあの程度だったんだっけ、と改めてキッチンを家捜ししてみたら、忘れ果てていたような収納場所からまだまだ「東京都指定ゴミ袋」が出て来たのである。ガーン。実に差し上げた分とほぼ同数。どうしよう、こんなにいっぱい出て来ちゃっても、あと1週間しかないのに使い切れる訳がない。

 Yさんに追加で送り付けるのもどうかと思うが、最悪の場合、頼み込んで引き取っていただくしかないかもしれない。ゴミ袋など、専用のものが指定されているとかの事情でもなければ、大抵のおたくで余り気味になるものだろう。あんまり大量にあっても、Yさん家でも持て余すような気がするし…。
 原油価格が高騰を続けている昨今、スーパーのレジ袋でさえ厚さを2/3にしなければならないほどに、ポリ製品は貴重なものになっているらしい。使えなくて要らないからと言って、あの「東京都指定ゴミ袋」のストックをゴミにしてしまうというのは、やっぱり余りにももったいない所業に思えて出来ない。とは言え文字通りのデッド・ストックを、いつまでも抱え込んでいる訳にも行かないしなあ(タメイキ)。
 どなたか、東京都でまだあのゴミ袋が使える地域にお住まいで、ウチのをもらって下さる奇特な方はいらっしゃいませんでしょうか? 結構切実だったりします。




09/27 メディアのち・か・ら♪

2005/09/27 15:44
 超ミーハーだが、『のだめカンタービレ』新刊の帯と、雑誌の最新号に付いている応募券で「のだめグッズ」プレゼントに応募出来るらしいと聞いて、ついつい雑誌「kiss」を買ってしまったのだった。最近、置き場所に困るのと読むところが少ないのとで、特にコミック雑誌はほとんど買わないのだが、こういう時は別である(ミーハー)。
 歯医者さんの定期検診の帰りに寄った書店で、無事「kiss」19号をGET。ついでなのでぷらぷらと店内を流し、うっかり見つけてしまったのが山田悠介氏の新刊だった。平積みである。相変わらず装幀とタイトルのセンスはいい。しかし中身をぱらぱらと立ち読みすると、相変わらずのつ〜まんない文章が並んでいて辟易するのだった。デビュー作『リアル鬼ごっこ』くらいにまで壊れた文章ならば、怖いもの観たさで読んでみるのもアリだと思うが、下手にお勉強しちゃったものだから何もかもが徹底的に中途半端になっている。

 わたしは書店で単行本版の『リアル鬼ごっこ』を立ち読みし、あまりの文章に脳みそがぐらぐらして耐えられなかったことがある。全部読んだら日本語能力を破壊されたかもしれない。ちなみに『リアル鬼ごっこ』文庫版はまるで別作品と見紛うばかりに改訂されているらしい(面白くなったということを意味するものではない)ので、威力を味わいたかったら単行本版に限る、ということである。
 人様のお商売に文句を付けるのもナニなので、趣味ではない本がベスト・セラーになろうが映画化されようが出来るだけスルーすることにしているが、山田悠介氏の作品については別である。書店で見掛けるたびに、言いようのない怒りがムラムラと込み上げてしまう。こんなのを出版するんだったら、あの作家とかこの作家とかの絶版本を復刻させる方が先だろう? あんな作家やこんな作家の未単行本化作品集を出版する方がずっとずっと有意義だろう? どこまで行っても個人的な主義主張だけれども。

 不思議な話だが、普段まったく本を読まない小中学生にはウケているらしい。設定や発想がゲーム的でキャッチーなのと、文章が果てしなく薄いために、結構なページ数でも「一気に読めちゃった」と錯覚するからだと思う。そういう層が山田作品を足掛かりに読書経験を重ね、10年後くらいに「過去の自分に小一時間(ry」と思ってくれるといいのだが。まあそうはならないだろうなあ。
 大昔、まだコミック何とかに出入りしていた頃の、「表紙がフルカラーならば中身がカスでもとりあえず売れる」という時代を仄かに思い出すのである。コミック何とかの世界はまだそれでも目利き揃いなので、中身がカスならいずれそれなりの末路を辿ることとなる。現実世界はコミック何とかの世界よりもずっと裾野が広いものだから、ひとたび話題にさえなってしまえば勝ちなのだろう。カスな本でも装幀の魅力と宣伝文句で売れてしまうなんて、あまりにも寂しい。

 結局は声の大きい者が勝ちということで行けば、思い出すのがここしばらくの「のまネコ」騒ぎである。「のまネコ問題」のまとめというサイトを読めばだいたいのところが判るが、カンタンに言えば、企業倫理にどこまで期待出来るのだろうか? という一種ゼツボー的な騒ぎと言えよう。この企業、「のまネコ」は2ちゃんねるで生まれたアスキー・アート「モナー」をパクったものだとほとんど大っぴらにしつつ、それでも誰の法的権利も侵害していないからと開き直っているも同然である。
 2ちゃんねるがいくら世の中に多少知られるようになってきたとは言え、TVやラジオで有名アーティストと共にがんがん露出しているこの企業ほどには(たぶん)一般的な知名度がない。下手したら「のまネコ」が「モナー」のオリジナルである…と受け取られてしまったりもするかもしれない。法律的には誰も損はしないけれど、2ちゃんねらーたちの気分は悪いだろう。
 他の業界ならともかく、著作権や知的財産権について日頃からやかましくアピールしている企業のやることだろうかと、やっぱり多少疑問が沸くのだった。

 仕返しとして出て来た「のまタコ」登録商標化という手段も、発想としてはいかにも2ちゃんらしくて笑えるのだが、実効性としてはどうかなあ、というところだろう。観ないフリをされたらそれでオシマイだし、「盗人猛々しくてなるほど結構」と開き直って訴訟を起こされたらたぶん「のまタコ」は負けるんじゃないだろうか。
 「ギコ猫」を商標登録しようとして2ちゃんねるからの猛抗議を受け、結局取り下げた問題(関連ページはこちら)のように収まってくれればベストなのだろうけれど、果たしてこの企業、そういう良心を持ち合わせているのかどうか。なんともトホホな問題である。




09/28 微妙にヘコむあれこれ

2005/09/28 17:54
 ここしばらく急に涼しくなったので、どうやら夏の疲れが出たらしい。家人は「キミのは単なる寝冷えだ」と一刀両断してくれる。ひょっとしたらそうなのかもしれない(汗)。ともあれ毎シーズン、季節の変わり目になると必ず風邪を引いて熱を出すこの癖、何とかならないものなのだろうか。家人には阿呆の馬鹿のと迷惑がられ、わたし本人も調子は出ないわしんどいわで嬉しいことなど何もない。
 暖かい季節から寒い季節へ移る時の風邪っぴきが本当に寝冷えによるものなのだとしたら、真面目な話、季節限定で寝袋睡眠を考えた方が良いかもしれない。家人によれば、風邪を引くのが当然な寝相なのだそうだ。ヤワな癖に、掛け布団を蹴っ飛ばして眠っていたら、そりゃ体調も崩すだろう。しかし、引きたくて引いてる訳じゃないんだぞぉぉぉっ、ということだけは力説しておこう。

 それにしても今回の風邪は高く付いた。別に医者に行くほど酷かった訳でもなく、風邪なんか引いてなかったらGET出来ただろうハズのものを、体調不良のせいで取り逃がしてしまったのが痛いのである。ブツは旧版の『チョコレート工場の秘密』。
 ○天フリマに「探しもの」というサーヴィスがある。以前はEasySeekだったのだが、EasySeekが○天に吸収合併でもされたようで、名前が変わってしまったのだ。絶版などで入手困難な書籍を「探しています」と登録すると、「譲ってあげます」とか「どこそこの店で見掛けました」とかの情報を提供してもらえるというシステムである。
 相当にマニアックな本でも、辛抱強く待っていればかなりの高確率で情報を提供してもらえるので、わたしはちょくちょく利用させていただいている。先日、そこに『チョコレート工場の秘密』(旧版)の探し物を登録したのだった。

 某有名オークションでは1冊5000円もしている昨今なので、わたしの出した「送料込みで2500円程度」(←これでも張り込んだつもり)などというぬるい条件では情報提供は望むべくもないだろう、と思っていたのだが、体調を崩してメール・チェックが疎かになったちょうどその日に「おっしゃる条件でお譲りしますよ」というメールが届いていたのだった。
 気が付いたのは丸3日が過ぎた時である。遅くなっちゃったけど、とりあえず催促メールも来ていないようだから、ひょっとするとまだ間に合うかもしれない…と思って返事を書いた。未練たらしく言い訳満載のメールになったのだが、残念ながらやはり返信は「数日RESがないのでオークションに出しちゃいました、すいません」というものだった(涙)。

 わたしが情報提供する側に回った時は、丸3日経ってRESがなければ再び問い合わせ、1週間音沙汰なければ要らないのだな、と判断するのが普通である。これからすると最初の問い合わせメール1発だけで3日後には既に…というのは、ちょっとせっかちかなあという感じなのだが、その辺は個々人の主観だから仕方あるまい。
 まあいいや。今の狂乱価格が落ち着いたらもっと安価に手に入るようになるだろう…と思いつつ、またも未練たらたらでオークション・サイトを覗いてみた。数点の『チョコレート工場の秘密』出品のうち、ハンドルと商品説明からあっさりと、わたしがGETし損ねたと思われるものを見つけてしまった。出品日時は、ウチに最初のメールをもらってから20時間後である。早っ。
 24時間くらいは待つのがエチケットな気もするが、送料込み2500円で譲ろうかという品物が、オークションで軒並み4000円も5000円も値段が付いていたら、そりゃ気も変わるだろう。どうせならウチにメールくれる前にオークションで相場チェックしといてくれたら良かったのに…。

 加えて月曜日は体調不良のため、7月に始めてから今まで無遅刻無欠席だったバレエ教室を泣く泣くお休みしてしまった。具合が悪くて日課のストレッチもサボっているので、折角苦労して多少なりとも柔らかくした身体が、またまた少し退化してしまっているだろう。今日は念のためにゆっくり眠って、明日のバレエ体操には出られるようにしたいものである。
 多少は進化したり退化したりしつつも諦めずにずっと続けていれば、いつかはポワントが履けるようになるかもしれない。その日を夢見て、超絶運動音痴にもめげず、ストレッチと床トレーニングに精出すことにしよう。

 そしてトドメのがっかりは買い物に行った時に出くわした。
 大したことではない。寝込んでいる間は買い物に出られなかったので、野菜の在庫が底を付いていた。今日は水曜日で、最寄駅近くのスーパーでは「野菜20%オフ」の日である。ちょうどいいやと喜び勇んで買い物に出掛けた。家の外に出るのも3日ぶりくらいなので、リハビリとしてもちょうど良い。
 切れている野菜やその他諸々をかごに入れ、レジに並んで財布を取り出した時にそのショックはやって来た。あ、あれ? 「野菜20%オフ」のクーポン券が財布に入ってない。とっくり考えると、出掛けに「これ持って行かなくちゃ」と思いつつ、冷蔵庫にマグネットで貼り付けたまま忘れて来てしまったのだった。ガーン。別に普段の定価で買わねばならないだけなのだが、そこは何と言うか、めちゃくちゃ損をした気分になるのである。

 レジ係さんは顔馴染みの方だったので、ひょっとしたら顔パスで割引してくれないかなと思ったのだが甘かった。やはりそこはきっちりとお達しが行っているのだろう。「来週は忘れないで持って来て下さいね」と励ましてもらえたのがせめてもの慰めであった(とほほほ)。




09/29 ウルトラ・スーパー・しょーもないギャグ

2005/09/29 17:43
 何でも仕事先の関係でおフランス語に接する機会が出て来たとかで、家人は最近、持ち帰った仕事で忙しそうである。第2外国語はフランス語を選択していたらしいのだが、それから20年、錆び付くに任せて今に至ると見える。仏和辞書を引っ繰り返して何やら調べているが、その辞書を開くのは学生時代からこっち初めてだと言うからレヴェルは推して知るべし。
 あまりにも忙しそうなので、何か手伝えることはないかと訊いてみたのだが、フランス語がペラペラ&読み書きスイスイならばともかく、日本語さえ怪しいわたしに出来ることはないらしい。仕方がないのでせめて邪魔にならないよう、ヘッドフォンをして先日録画した『MONSTER』の最終回でも観ていることにした。

 わたしが大学時代に取っていた第2外国語はドイツ語だった。動機は、余りに阿呆らしくて大きな声では言えないのだが、『エロイカより愛をこめて』のエーベルバッハ少佐の言葉を習ってみたかったから、である。グローリア伯爵の言葉・英語は、全然上達しないとは言え中学高校と延々と触れているので、ここはやっぱりドイツ語だ! と思ったのだった。
 語学音痴が揃っていると誉れ高い大学だったので(2次試験に英語がないからというだけの理由で受験した輩が非常に多い)、高校時代、唯一マシな成績が取れるのは英語だけだったわたしは、語学の授業であまり苦労しなかった。大学院の入試試験も、ひょっとすると英語だけで通ったのかもしれない(後の科目があまりにトホホだったので、教授会で話題になったとかならなかったとか)。
 それがドイツ語にも応用出来たのかどうか不明だが、ドイツ語の授業もそこそこ楽しむことが出来た。あくまでも、わたしの通った大学のレヴェル内での話である。他のちゃんとした大学だったらどうだったかは神のみぞ知る(汗)。

 たまたま「ドイツ語会話」のコマが新設された年に入学したので、面白そうだから取ってみることにした。日本人は他人と会話する時、もっとメリハリの利いた表情を心掛けるべきだ、特に笑顔はちゃんと見せるべきところで見せなければ…というのが口癖だった恰幅の良いドイツ人女性が先生だった。昼下がりの教室で、超少人数授業の和気藹々とした雰囲気の中、う゛ぁす・とりんけん・じー? いひ・とりんけ・おらんげんざふと! などと長閑な会話をしていたものだ。
 今となっては何もかもサッパリ忘れてしまった。挨拶以外のドイツ語で覚えているのは、Entshuldigung(失礼)と Ich haisse Matori(わたしの名前はまとりです)、Gesundheit(お大事に)くらいである。しかも最後のはドイツ語の授業ではなく、中学の頃ハインラインの『夏への扉』で読んだのを覚えていただけのものだったりする。もう定冠詞の格変化さえ怪しいもんね(とほほほ)。

 これがフランス語ともなるとさらに怪しい。こんにちは、ありがとう、さようならの他に知っているのは「じゅまぺーる・まとり(わたしの名前はまとりです)」だけだったりする。そしてこのじゅまぺーるは、『のだめカンタービレ』に出て来たのを見たのが最初なのだ。あれに出て来た「のだめのお母さん特選フランス語会話」の本、面白そうだからぜひ1度読んでみたいものである。
 大阪在住の母方の叔父(10歳しか離れていないので、叔父というより従兄感覚)は、若い時からシルヴィ・バルタンの大ファンである。シルヴィが大好きなのでついでにフランスも大好きで、シルヴィのインタヴュー録画ヴィデオ(フランス在住の友人に空輸してもらうらしい)を観たいがために、フランス語を独学で学んでいるマニアックな人物なのだ。ペラペラとまでは行かないまでも、フランス旅行の時に辛うじて通じるくらいのフランス語は喋れるようになったらしい。

 確かこの叔父に教わったと思うのだが、披露した相手が全員床に倒れ伏すくらいのメチャクチャにしょーもない、フランス語のギャグがある。叔父が知っていたくらいだから、かなり有名なものだと思う。フランス人相手には絶対に通じないのは確かである。
 その1:「10足す10は20」をフランス語で言うと?→じゅとじゅでにじゅ(なるべく口を開けずに素早く尻上りに)
 その2:「さらに10を足すと30」を(以下略)→あとじゅでさんじゅ
 その3:「イカには手が10本あります」→いかのてじゅぽ〜ん
 その4:「タコ(の足)は8本です」→たこはぽ〜ん
 慣れないフランス語で疲労困憊している家人にこのギャグを言ってあげたら、あまりのしょーもなさについ笑ってしまったようなので、場を和ませる多少の威力はあるかもしれない。ただし言うまでもないが、TPOを弁え空気を読んでから口にすべし、というのが使用上の注意だろうか。




09/30 素敵なニュース2つ

2005/09/30 18:28
 1つは一昨々日の日記に書いてどうなることかと動向を見守っていた「のまネコ」問題が、どうやら商標登録中止という形で決着しそうだという話である。「のまネコ」を商標登録することのメリットと、ネットで轟々たる非難を浴びるデメリットを天秤に掛けたら、やっぱりデメリットの方が大きいと判断したのだろう。とりあえず妥当な落とし所だと思う。企業倫理とやらにゼツボーしないで済みそうで良かった良かった。
 CDの特典として付いていたのまネコFlashムーヴィーも今後は収録をやめるらしい。付いているヴァージョンが「レアもの」として引っ張りだこになったりしたら大笑いだけれど、オリジナル(というか元ヴァージョン)がネットのそこいら中でDL出来る状況から見て、そういう騒ぎにはならないだろうか。

 それにしても、最初から「これは2ちゃんの“モナー”です」と明言していれば、同じ金儲けするにしてもここまで叩かれなかったのではないかと思う。モナーの著作権者は不明だから誰にもロイヤリティを支払う必要がない(というか支払先が不明だから払いようがない)のだし、潔さという点では「のまネコ」をでっち上げるよりよっぽどスマートな気がする。もちろん著作権法には詳しくないので、それでは問題があったのかもしれないが。
 密かに面白いなあと思っている点は、「空耳=日本語以外の楽曲の歌詞が、まったく意味の違う日本語に聞こえること」という用法は、どう考えても『タモリ倶楽部』の「空耳アワー」由来なのではないかということである。あのコーナー以前には「空耳」という言葉にそういう概念は無かった気がする。子供の頃、リップスの「ファンキー・タウン」で「Talk about it」の繰り返しが「ちょっと待て」に、「Funky town」が「パン蹴った」に聞こえるなどして面白がっていたので、そういう遊び自体はずっと昔からあったのだろうが。
 さり気なく影響力の強いタモリ氏には脱帽である。

 ともあれこれで騒動も収まってくれるだろう。実は「のまネコFlash」を最初に観た時も、これなら「空耳アワー」の方が面白いなあ…と思ったくらいで、まさかこんな大ごとになるとは予想していなかった。問題の企業所属のアーティストや、社員等関係者をターゲットにした嫌がらせも多発していたらしい。どうしてそういう「ちょっとズレた弱いところ」に怒りの矛先を向けるのか。嘆かわしい。2ちゃんねらーたちももっと冷静になった方がいいだろうに…。
 挙句に、問題の企業の社員に向けた殺人予告まで出ていたとかで、この点では警察に被害届が出されるらしい。書き込んだ人が特定されて、どうせならキツくお灸を据えられればいいと思う。ネットの匿名性にどれだけの責任が隠れているのか、書き込みをする時にゆめゆめ忘れてはならないのである。

 もう1つの素敵なニュースとは、ミーハーだが「阪神優勝」だったりする(汗)。
 わたしの御贔屓チームは川相選手の所属する中日ドラゴンズを筆頭に、横浜ベイスターズ、ヤクルト・スワローズ(主に古田選手を応援)、千葉ロッテ・マリーンズなど数多い。阪神タイガースは普段はそれほど気にしていなかったのだが、今年はやはり藤川球児投手に注目してしまい、心密かに応援していたのだった。

 話は逸れるが、ロッテのガムのCMが最近お気に入りである。仕事に疲れたOL・よしこさんが、会社の休憩コーナーでガムを口に入れると、なぜかマリン・スタジアムに居て…というあのCM。スコア・ボードの選手名簿に「DH・よしこ」と出て来たり、バレンタイン監督に励ましてもらえたりするのだ。ああいう手法はずるい、けど素敵〜♪ と萌え萌えしていた。
 友人に聞いた話では、あのCMを気に入っている人は他にも結構居るらしい。やっぱりなあ。ボビーに励ましてもらえるのなら、仕事だろうが何だろうが、ない力振り絞って頑張ってしまいましょうぞ♪(阿呆?)

 閑話休題。藤川投手を最初TVで観た時は、やっぱり何よりもまず名前に笑ってしまった。プロ野球選手になれなかったらどんなにか哀しい思いをしただろう名前。名は体を表すことが出来るまでに、きっと凄まじい努力をしたのだと思う。プロ入りして数年間はあまり活躍していなかったようなので、今年いきなりブレイクした時は「ああ、あの選手がとうとう」と感慨深かった。
 1シーズンの最多登板記録を塗り替えた上、防御率1.39というのは驚異的である。8月に熱を出して2試合お休みした時も、公式発表されていたような37.5度の微熱程度ではなくて、本当は40度超えの重症だったらしい。疲れも相当溜まっているだろうし、来年以降の選手生命を考えたら、普通の投手だったら今年こんなに頑張らなかったかもしれない。あんなに穏やかそうな顔をしているのにめちゃくちゃ気が強いんだと思ったら、どうしても応援せずに居られなくなってしまった。
 その藤川投手が見事最多登板記録更新した試合がリーグ優勝決定の試合。岡田監督の胴上げシーンで号泣している藤川投手も映り、なんだかこちらもほのぼのと胸が温かくなった。熱烈な阪神ファンの方々はさぞかし感動したことだろう。差し詰め、今年1月9日の国立競技場でのワセダ・ファンの気持ちというところかもしれない。

 一夜明けて今日からは、各地のスーパーで優勝記念セールが開かれている。赤と黄色と黒で派手っちくデコレートされたチラシを眺めつつ、わたしも朝から近所の元・外資系スーパー(現イ○ン系)に出掛けたのだった。特にコレと言って心惹かれるものはなかったのだが、1つだけ気になったのが「真鯛丸ごと1匹980円」というものである。
 出刃包丁を持っていないので、尾頭付きを丸ごと買っても、ウチで捌くのはどうも気が重い。とは言え店頭で「本日の目玉」としてどどーんと並んでいる真鯛はいかにも美味しそうだった。つやつやのピチピチ、目なんか活き活きしている。さすがに天然ものではなくて養殖だったが。

 ダメで元々と思って、鮮魚コーナーのおじさんに、煮付け用の切り身にしてもらえるかと訊いてみた。おじさんは快諾してくれ、細かい切り方まで提案してくれたのだった。ラッキー! 結局、2枚おろしにして合計6ピースの切り身にしてもらった。大きな切り身が6切れで980円。ちょっとないお買い得感にホクホクである。もちろん切り身とは別にアタマ部分も半分に割ってくれたので、今日のメイン・ディッシュは鯛のカブト煮だったりする。
 阪神優勝で面白くなさそうにしていた巨人ファンの家人も、カブト煮で多少は気を取り直してくれるかもしれない。