徒然過去日記・2006年3月

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03/01 月始めから風邪(汗)

2006/03/01 20:51
 ちゃんと寝ているのに、昨日からの体調不良はちっとも軽くならない。咽喉とアタマが激しく痛み、胃か腹か判らないけどしくしく痛み、鼻水が止まらないので鼻の下も痛い。
 今の所熱は出ていないのでインフルエンザではなかろう。おそらく、先日まで家人が罹っていた風邪を、貰ってしまったものと思われる。要らなかったのになあ。

 今月17日に近所のショッピング・モールにシネコンがopenするのだが、その前日16日に、会員限定の無料招待イヴェント、とか言うのがあるらしい。ショッピング・モール&とあるカード会社の提携カード会員に、お知らせ葉書が先日届いていたのだった。限定330組660名様、午前の部と午後の部のどちらか1本である。
 午前の部に上映されるのは『いぬのえいが』。午後の部は『ローマの休日』。両方とも観た映画だけれど、大きなスクリーンでただで観られるのならばぜひお願いしたい。ちょうど16日は家人も休みなので、チケットを引き換えに行くことにした。引き換え開始は今日の午前10時きっかりである。

 家人が一緒ならやはり『ローマの休日』だろう。『いぬのえいが』は家人好みではないし、わたしにしても、家のTVであれだけ大泣きした作品を大画面で観るという危険は冒したくない。どんなに頑張ったって絶対泣いてしまうだろう。
 あまり調子が良くないし、冷たい雨も降っているので、無精してクルマを出すことにした。駅最寄のスーパーが今日だけは朝9時開店なので、買い物してからチケットを貰って帰ることにする。程好い頃かと引き換え会場のインフォメーション・センター近くへ行くと、既に同じ葉書を持った人々(95%は女性)がウロウロしていた。まだ9時40分なのに…!

 予想以上の長蛇の列が出来たためか、チケット引き換え開始は予定時間より5分早く始まった。わたしは結局前から10番目くらいに居たので、余裕のよっちゃんで『ローマの休日』無料ペアご招待券ゲットである。ただし指定席ではないので、良い席で観たかったら、当日またまた行列せねばならない。どうせなら指定席券にしてくれればいいのに(贅沢)。
 とりあえずホクホクしながら帰途に着いたら、チケット引き換えの列は、インフォメーション・センターからスーパーの入り口を通り、店内のエスカレーター前まで延々と並んでいた。早目に行って良かった。

 明日は予定ではオリジナル・バレエの日なのだが、どうやら先生はまだお休みらしい。そうか、ならばわたしも、明日は大事を取ってもう1日ゆっくり養生していることにしよう。ごめんね、メンバーの皆さん…。




03/02 だいぶラクになったけど

2006/03/02 16:09
 頭痛と咽喉の痛みはまだ引かない。鼻と咽喉の出会う近辺がヒリヒリして、唾液を飲むと痛いんである。ただし今回は発熱はちょっぴりで済んだので、体力的な消耗は少なかった(ラッキー)。咳も少ししか出ないから、定番の「気管支に来てひゅーひゅー状態」にも陥っていない。やっぱり以前に比べたら丈夫になったと思う。スポーツ・クラブとバレエのお陰だろう♪
 『映像の世紀』からの連想だろうか、眠っている間にセルビア・モンテネグロとかボスニア・ヘルツェゴビナとか、あの辺りが夢に出て来たので(行ったことはないが)、目が覚めてからついヨーロッパ地図などを眺めて物思いに耽る。国名と首都くらいはだいたい判るけれど、子供の頃にトイレの壁に貼ってあった世界地図とは、何と違ってしまったことだろう。

 夢と言えば、ちょっと強引な連想だが、昔「赤ちゃんも夢を見るのかしら?」というCMがあった。姪っ子1号が赤ちゃんだった時や、姪っ子2号が昼寝をしているところなど見ていると、時折身動きしたり口を動かしたりしている。きっと赤ちゃんも夢を見るのだろう。比べるのはナニだが、昔飼っていたロックちゃん(雑種犬・雌)も夢で文句を垂れることがあったっけ。
 さらにmixiの友人によると、2歳とか3歳の小さな子供は、自分が生まれる時のことを覚えている場合があるという。お腹の中での記憶がある子もいるらしい。胎内記憶と呼ばれているようだ。

 あんまり小さいと、記憶を言葉で語ることが出来ない。さらにあまり大きくなると、その記憶を忘れてしまう。ということで一般的には2〜4歳くらいの子供が胎内記憶を話してくれるらしい。いろいろネット検索したところでは多くて半数くらいの子が、何らかの形で胎内記憶を持っているらしい。案外居るんだなあ。
 「外に出るのを楽しみに待っていた」とか「お母さんとお父さんの話を聞いていた」とか、中には「外の世界を見ていた」という子まで居る。幾らなんでも母親の身体を通して外が見える訳はないし、母親の視覚にシンクロ出来るというのもSFチックである。こういうケースは生まれた後に両親から聞かされた話を「実体験として」記憶してしまったのかもしれない。
 しかし「お腹の中で丸くなって寝ていた」とか「外の声を聞いていた」程度なら信憑性も高い気がする。

 ううむ。姪っ子2号にはあるのだろうか、胎内記憶。まだ言葉は覚束ないハズだから、もう暫くしたら訊いてみようと思うのだった。




03/03 まだ風邪引き中

2006/03/03 18:45
 具合が良ければ今日は皮膚科へ行こうと思っていたのだが、6時半に一度起きた時点ではとてもそれどころではないので来週に順延。寝直したら次に目が覚めたのは9時半だった。危ういところでゴミ出しセーフ。家人は「ちょっと早目に出る夜勤」だそうで少し前に起きていて、その物音でわたしも目が開いたのだった。
 調子は最悪だが、そろそろスチロール・トレイや牛乳パック、PETボトルなどを拠点回収に持って行かねばならない。ゴミ出し共々こういう作業、体調不良時には結構辛いものの、家人が代わりにやってくれるハズもないのだ。仮にやってくれるとしても、指定のゴミ袋は何色でどこに入っていてどうたらこうたら…という細々したことを、いちいち説明する手間を考えただけでうんざりする。結局、自分でやっちゃった方が早い。

 夜勤に出掛ける家人を送りがてら拠点回収ポイントのある駅近スーパーまで買い物に行き、今日が雛祭りだったことに気付く。売り場に並んだ道明寺の桜餅を眩しく眺めつつ、どうにも食べられそうにないので諦めた(涙)。代わりに豆腐とマンゴー・ゼリーを買って帰る。後は冷凍庫の残りご飯でおじやでも作って食べることにしよう。
 意識ははっきりしているつもりなのだが、やっぱりボヤっとしていたらしい。自宅の車庫入れの際、右のドア・ミラーを門柱に引っ掛けてしまった。端っこ数mmギリギリを絶妙の按配で擦ったらしく、ドア・ミラーのカヴァーだけがキレイに外れて仰天。幸い、カヴァーは拾って嵌め直すだけでOKだった。良かった…。

 ゴミ・ネットを片付けてからベッドに潜り込んで爆睡。さっき目が覚めたらだいぶラクになったのでこの日記を書いている。手短に済ませて晩御飯を食べてまたクスリ呑んで寝よう。

 先日、友人がイタリア語について「歌うように語る」言葉だね、と言っていた。イタリア語に詳しい別の友人が、話すリズムが崩れないように文法の例外が設定されている程で、話し言葉がそのまま歌になるんだよと言う。トリノ五輪のアナウンスでさえ歌のようだったっけなあ、と思う。陽気で音楽的な言葉、オペラにぴったりである。
 眠りながらそんなことを思い出したらしく、誰かがダンテの『神曲』を朗読してくれる…という夢を見た。イタリア語のつもりだったのだろうが、わたしはイタリア語は挨拶くらいしか判らないので、イタリア語風ハナモゲラと呼ぶ方が正確だろう。

 元々『神曲』は詩なので、黙読よりは朗読(というか歌う)形式の方が面白いらしい。そういえば昔『神曲』を読んだ時も、えっらい苦労をして何とか乗り切ったのだった。そして先日観た映画『ミュンヘン』では、主人公たちのターゲットである人物がイタリアの街角で何か朗読していたのだが、あれもひょっとしたら『神曲』だったかもしれない(忘れてしまった)。
 粗筋と、「イタリア語ってこんな感じ」という思い込みのハナモゲラ語を自分の脳内で適当にでっち上げていただけなのだが、朗読調『神曲』は結構ドラマティックな印象だった。ちゃんとしたイタリア語の『神曲』も実際に聞いてみたいな、と思う。

 ちなみに今まで見た中で最も笑っちゃった『神曲』の粗筋はこんな感じ。読まんでいい、とは思わないけどね(汗)。




03/04 イゴめいている

2006/03/04 19:17
 昨日は夢の中で誰かがイタリア語風ハナモゲラで『神曲』を朗読してくれたが、昨夜は自分で怪しいイタリア語の歌を歌っているという夢を見た。mixi日記にも書いたがその歌詞は以下の通り。

 ねる こーる ぴう のん み せんと
 ぶりるらーる らぁぁぁ じょーべんとぅ
 (この辺うろ覚え)とるめーんと
 あもーる け とーる ぱ とぅ
 み ぴってぃき み ますてぃき
 み ぷんずぃき み すてぃっつぃき(?)
 け こーざえ とるめ(?) あいね
 ぴえたぁ ぴえたぁ ぴえたぁ
 あもーれ (この辺うろ覚え) けーぇぇぇぇ
 け でぃすぺらーる み ふぁ!

 高校時代の音楽の教科書に載っていた歌である。タイトルも作詞・作曲者も忘れていたのだが、コメントで友人に「Giovanni Paisielloの“Nel cor piu non mi sento”ですよ」と教えていただいた。日本語に訳すと「もはや私の心には感じない」で、またの名を「うつろの心」と呼ばれているらしい。歌詞メロディ参照すれば、覚えている方も多いのではないかと思う。
 音楽のテストで歌を歌った時にこの曲を選び、結構褒めてもらった覚えがある。所々歌詞アヤフヤだが、20年前の記憶にしては結構残っているのではないだろうか。可愛らしいメロディに釣られて思い切り明るく軽やかにヴィブラートを入れて歌ったのだが、友人Lさんによれば「恋をして苦しい、って歌だから、明るく歌っちゃダメなんだよ」だそうでびっくり。
 そ、そうだったのか…(汗)。

お土産  ところで←こちらは家人の友人にいただいたトリノ土産。Pasticceria 兼 Caffetteria 兼 Cioccolato 兼 Salatini の PFATISCH Gustavo というお店の品らしい。ミルク・チョコレートに松の実が散らしてあって、なかなか美味しそうである。お店のパンフレットも付いていたのだが当然全部イタリア語なので、わたしにはさっぱり読めない。「カフェテリア」と「チョコレート屋さん」は判るが「ぱすてぃちぇりあ」とは何だろう? パスタ屋さんだろうか。「さらてぃーに」はますます判らない。
 パスタとサラダを売りにするチョコレート屋さん兼カフェテリアなのだろうか。妙な取り合わせだなあ、と思ってアモーレイタリア語辞書を参照したら、Pasticceria とはケーキで、Salatini は塩味のお菓子であると判明。要はお菓子全般のお店だったのだ。

 Locale Storico D'Italia とあるので、地元では結構老舗なのだろう。とは言え店名からすると、元々はドイツの菓子職人さんだったのではないかと思う。創立1921年だそうなので、第1次大戦直後の混乱したドイツから、旧同盟国イタリアに逃れてお菓子屋さんを開いた人だったのかなあ、などと妄想。
 こちらのページによればトリノはチョコレートで有名で、特にヘーゼルナッツを混ぜたチョコ(=ジャンドゥーヤ)の発祥地らしい。知らなかった。PFATISCH のお店には何世紀も前の機械があったりするとかで、ドイツから移転の妄想が正解だとすると機械ごと引越したのだろうか。

蜘蛛男ケーキ  パンフレットには→あんなのも載っている。説明文を「アモーレイタリア語辞書」と首っ引きで何とか解読してみたところ、種々のご要望に添ってケーキをカスタマイズしてくれる、と言う例らしい。お子様用のみならず、様々な記念日のためにも、特別な形のケーキを作ってくれるのだそうだ。
 想像するにこのケーキは、トミー君の5歳のお誕生日用という感じ。

uova di Pasqua  ←さらにこんな写真も載っていた。おお、カリメロではないか! 説明文によればこれらは復活祭の卵型チョコらしい。伝統的なものも作っていたのだけれど、だんだん飾り付けるうちに驚くなかれ25種類の総チョコレート製動物が出来た。さらに鶏小屋や水車小屋、水、潜水艦、客船なども全部チョコレートで作った。伝統的なコロンバ(鳩型ケーキ)は梨とチョコレート入りで、ジャンドゥーヤ・クリームを詰めたミルク or ビター・チョコで飾るらしい。…コロンバは写ってないのだが…。
 おそらく訳が上手く出来てないので、特に最後の方は意味不明なのだが、イタリアのイースター・エッグはこんなのもありますよという例だろう。

 ちなみにお土産のチョコ「QUADROTTO」には「di cioccolato alla frutta secca」という説明シールが添えてある。とすると「frutta secca」が「松の実」なのだな、と思って辞書を引いたら違った。「乾燥果実」、ドライナッツらしい。松の実は「pignolo」だそうなので、ひょっとするとこの説明シール、他のナッツ・チョコと共通なのかもしれない。
 確認するにはトリノのサッキ通りまで行かねばならないのだが(無理だってば)。




03/05 やらずぶったくり

2006/03/05 22:03
 昨夜録画しておいた『ブロードキャスター』の特集を観ていて、ちょっと哀しい気分になってしまった。話題はフィギュア・スケートの金メダリスト・荒川静香選手だったのだが、手放しで「金メダル&イナバウアー凄い凄い」と言ってばかりもいられない、そういう事情もきちんと紹介されていた。他の番組では何故かあまり取り上げられていないが、つまり、後進育成環境の悪さである。
 記者会見だかインタヴューだかで、幼い頃の自分が練習したリンクの閉鎖を例に挙げて、環境整備を訴えなければならない荒川選手の心境は察するに余りある。何せ20年前に比べて、スケート・リンクの数が全国で1/5に減ってしまったという。スケート選手やその卵たちには練習場不足が大問題となっているのだ。

 基本的に温暖な日本だから、冬場にその辺の池や湖で気軽に練習する訳にも行かない。第一線級を目指そうとしたら、通年の練習環境だって必須である。筋力トレーニングなど別メニューもあるにはあるが、基本的にはスケート靴を履いて練習してナンボの世界だろう。それなのに、練習する場所がないとは気の毒に過ぎる。
 やや人材不足気味の男子や、絶滅危惧種と呼ばれるペアやアイス・ダンスに比べて、日本の女子フィギュアはかなりの選手層の厚さを誇っている。ただしもしかしたらそれも過去の話になるかもしれない。今だって、ジュニアでそこそこ良さそうな選手たちが、熱意と実力のあるコーチたちが、どんどん海外に拠点を移してしまっているのだ。国内の環境が悪いから。

 シューズとウェアと用具一式があれば何とか出来る陸上の競技に比べ、ウィンター・スポーツはとにかくお金が掛かる。荒川選手の場合、リンクの貸切料や振り付け師さんへのギャラ、衣装代、遠征費用諸々引っ包めて年間1300万円だという。普通の勤め人の年収だったら2人分? ともかく莫大な金額である。
 人気大爆発中のカーリングにしたって、ストーン一式130万円だか200万円だかするという話も聞いた。おまけにカーリング用の競技場は特殊な氷の張り方をせねばならないので、普通のスケート・リンクよりさらに維持費もメンテナンス費用も掛かる。室内で出来るフロア・カーリングという競技もあるが、アイス・スケートとインライン・スケート同様に、似て非なるものだろう。練習の代替品になるとは思えない。
 スキーだってスノー・ボードだって多分事情は似たり寄ったりだろう。とてもとても、個人やクラブ・チーム単独や学校の部活動程度でどうにか出来る額ではない。

 それなのに、そういう活動に対する公的な支援はほとんどないと言っていいらしい。荒川選手へ贈られる報奨金だって、JOCとスケート連盟合計で500万円。1年間の活動資金の半分にも足りない。頑張ったけどメダルに届かなかった他の選手たちの事情は推して知るべし。
 変なアマチュアリズムが幅を利かせているものだから、努力と根性で何とかするのが美しい、みたいなことも言われる。武士は喰わねど高楊枝という言葉が通用する訳もないのに。長野五輪では、地元開催の面子に掛けて、大盤振る舞いでじゃんじゃんお金を注ぎ込んだ。結果があのメダル・ラッシュだと言う。お金を掛ければどうにかなる面は、間違いなくあるのだ。
 同じ事を韓国や中国がやっていて、今の所は効果覿面らしい。

 強化選手に集中的にお金を使うのか、選手層を厚くしたり裾野を広げたりするために満遍なく使うのか、いろいろ難しい問題もあるという。けれどまずスポンサーが現れないことには話が始まらない。国とか、大企業とか、何やってるんだろう、と思う。箱モノ作って大赤字というのもマズかろうが、要は程度の問題である。
 民間人にだって出来ることはいろいろあるハズだ。もし仮に、1口1000円でスポーツ強化基金みたいな寄付金募集があったら、協力してくれる人は結構居るのではないだろうか。きちんと使われるという前提に立ってなら、わたしだってちょびっとは寄付出来ると思うし。
 イ○バ物置に「イナバウアー物置を作って下さい」とリクエストするとか、反り返らせて揚げたえび天を載せて「イナバウアー蕎麦」とか、そういうみみっちいことしている場合と違うんじゃないか?

 家人の説では「そういう予算に使おうとしたTOTOくじが大コケしたのが全ての根源だな」だそうだが、TOTOくじって結局、サッカー・ファンしか買わないし、やっぱりコンセプトに問題があったような気がする。
 スポーツ面だけでなく、メセナ活動でも、日本の企業って何やってるんだろう、と思わずにいられない。天下りの役員たちに払う給料はあっても、将来有望な選手や芸術家の卵たちに使うお金はないのだろう。
 つくづく貧しい国だなあ、とがっかりしてしまう。




03/06 スポーツ振興事業

2006/03/06 22:08
 昨日の日記を書いてから、風呂に入りつつ考えた。民間人にも出来るスポーツ選手のサポート方法で思い付いた「1口1000円ほどの寄付を幅広く募る」という方式は、ひょっとするともう実践されているのではないだろうか。NPO法人WASEDA CLUBでは、全国からサポーター会員を募集して、その会費により、様々な種目のスポーツ選手のサポートをするのである。
 対象は早稲田大学の体育会系クラブと、ワセダクラブが運営する各種運動部、その他契約選手らしい。アメフト部、アーチェリー部、ボート部、もちろんラグビー部などが所属する。スポーツ振興だけでなく、コミュニティ(杉並区上井草近辺)住人を主な対象に、尺八と琴の邦楽コンサートやゴスペル教室なども開催されている。スキー部が主催する「信州ブナ原生林ハイキング」という企画もあったりする。

 スポーツ選手のサポートをしつつ、ファンと選手たちの交流も、ついでに市民の人々がスポーツに親しむチャンス作りもやっちゃいましょう、というのが目的だと言う。1つ目はともかく、2つ目と3つ目は近隣住民以外にはなかなか参加は困難だが、理念としてはかなり合理的で良いのではないか、と思う。上井草近隣住民じゃないけど、ラグビー部グラウンドまで時々通うファンだって少なくないのだし。
 個人対象の「一般」は年会費5000円、個人または団体対象の「スポンサー」は1口25000円/年。仮に個人会員が全国で10万人としたら、年間5億円の資金が集まる計算である。たぶんもっと多いだろう。運営資金を多少差し引いても、かなりの予算が確保出来る。サポートとしては相当有意義なことが出来るのではないかと思う。

 他にももっとこういう団体が出来れば面白いのに。家人に言わせれば「パイがどれだけあると思ってるのさ」だそうだけれど、それこそ地域密着型のサポート・クラブならば、プロモーションや運営にもそれほどお金を掛けないで済むかもしれない。今ならネットが活用出来るのだから、クラブの運営状況を会員宛に郵送したりしなくても、会員限定のサイトをオープンしてこまめに更新すれば事足りる。
 例えばカーリングの「チーム青森」サポート・クラブとか、仙台のフィギュア・スケートの支援とか、やってみたら面白いのではないだろうか。仮に年会費3000円で会員が1万人集まったとしたら、年間3000万円の予算が確保出来る。お金をどう分配するかの基準作りが難しいかもしれないけれど、結構使い道はあるような…。

 本当はこういう運動、国が主導して運営するのが良いんじゃないかと思うのだが、あまりに大規模にすると便乗して旨い汁を吸っちゃう人とか、利権を巡って官民談合とか、問題があれこれ出て来るかもしれない。多少効率が悪くても、地域ごとに設立する方が、選手とファンの関係も良くなるだろうし。
 土曜日の『ブロードキャスター』では、文部科学大臣が荒川静香選手との対談中「人の不幸を喜ぶようだけどロシアの選手(スルツカヤ選手のこと)が転んで喜んだ」と発言した録画が流れ、視聴者から大顰蹙を買った挙句に謝罪コメントを出していたりする。こういう人間に任せたら上手く行くものもしくじりかねない。わたしも例の発言シーンを観て呆れたクチだが、ちゃんと顰蹙メールを出した人たちも沢山居たらしい。みんな偉いなあ(汗)。

 子供の数が減っているのだから、地域全体で子供の活躍を支えるシステムがあっても良いだろう。個人的な意見ではスポーツにしろ芸事にしろ、広義には将来へ向けての就職活動の一種だと思っている。悪い意味ではなく、スポーツだの芸事だの「そんなものでは喰って行けない」と呼ばれがちな活動にきちんとした将来性が出て来れば、子供たちの選択肢も増えると思うのだ。
 大人たちが寄って集って育てた子供たちが立派なアスリートやアーティストになって、感動的なシーンを繰り広げてくれれば、育てた大人だって本望だろう。「よその子」を育てる気分というのも悪くないのではないだろうか。
 綺麗事かもしれないけれど、そういう世の中になってくれたら、と願ってしまう。




03/07 いろいろとヘン

2006/03/07 14:00
 股関節の柔軟性を高めて前後・左右の180度開脚が出来るようになりたいなーと思っている。グラン・バットマン(立ったまま片脚を上げるポーズ)が少しはキレイになるだろう。もちろん柔軟性だけではダメで、脚を上げるだけの腹筋または背筋の力も鍛えなければならないのだが。
 ともあれそういう目標に向けて、毎日風呂上りのストレッチに精を出していたのだが、昨日はレッスンと風呂上りとで頑張り過ぎたのかもしれない。どうも右のおケツが痛い。坐骨の辺りをピキッとか言わせたのだろうか。痛みが引くまで手加減せねば。ストレッチは無理禁物だから、やっぱり気長にやらねば…。どうもせっかちでいけない。

 風邪はスッキリ治ったが、代わりのように花粉症の症状が酷くなって、外出する時にはマスク必携になってしまった。今年の花粉飛散量は去年の1/3だとか話に聞くが、苦しさがそれだけ減ったとは思えない。花粉の量はあまり関係なく、花粉症スイッチを ON にするかどうかだけが問題なような気がする。
 マスクをすると非常に怪しい人相になってイヤである。この時期マスク着用の人は珍しくもないし、マスク+眼鏡+ひっつめ髪の毛は一目で花粉症ファッションと判るだろうから良いけれど。

 個人的なお勧めは、マスクの中にアロマ・オイルを垂らせたガーゼかティッシュを仕込む手である。垂らすオイルはペパーミントとジャーマン・カモミールが良い。ペパーミントのメントールが詰まった鼻をスーッとさせてくれ、ジャーマン・カモミールのアズレンがアレルギー症状を抑えてくれる。お好みでティーツリーやユーカリ、ラヴェンダーなどをブレンドするのも良い。
 当然だがアロマ・オイルは適量を守らねばならない。また、マスクの中心部分に付けると香りをモロに吸い込んでエライ目に遭うので、端っこにほんのり香る程度(1、2滴)に留めるのが吉である。もちろん、肌に直接触れる部分は避けなければならない。
 バレエ教室に出掛けるために急いでいた昨日、ついうっかりペパーミント・オイルの瓶を振ったらドボボと出てしまった。違う布に吸収させる暇がなかったのでそのままマスクに入れたら、目までツンツンして大変だったのである(阿呆)。

 そしてさらに調子がヘンなのが「閑古鳥掲示板」。2、3日前に気が付いたのだが、どうもずっと繋がらないようである。放置していたから利用出来なくなってしまったのかと思ったが、同じレンタル掲示板を使っている人々を検索して読みに行っても、どこもやっぱり繋がらない。大元の「WORLD2 ONLINE」のサイトもダメなので、よほど大きなトラブルなのだろう。
 このレンタル掲示板、サーバ名が「www.world2.to」なのだが、「to」って国名コードは何処だろうかと思って調べてみたらトンガ王国だった。これはサーバがトンガにあるということなのだろうか? また調べてみたら、トンガ王国やツバルでは外貨獲得のために「.to」や「.tv」をジェネリックトップレヴェルドメイン(gTLD)として、誰でも取得出来るようにしているらしい。

 「閑古鳥掲示板」にアクセスするたびに、www を電気信号がパパパーッと駆け巡って、遥々南太平洋はトンガ王国のどこかにあるサーバをカチカチ言わせてるのかと何となく思ったりしたのだが、そうとは限らないのだな。ちょっぴり残念である。
 早いところ復旧してくれないだろうか。名前通り閑古鳥の鳴く掲示板だが、無ければ無いでやっぱり何だか寂しかったりする。




03/08 ワセダ・クラブ シンポジウム

2006/03/08 23:47
村上・清宮・中竹3氏  高田馬場は早稲田大学の国際会議場で「清宮監督5年間のシーズンを振り返って」というシンポジウムが開催された。早大生とワセダ・クラブ会員限定のイヴェントである。去年と一昨年も開かれたのだが、その時はまだワセダ・クラブ会員ではなかったので入場出来なかった。清宮監督最後のシンポジウムとあっては是非とも聴きに行きたい。
 事務所に問い合わせたら「会員とその配偶者までは1枚の会員証で入場OK」と言う事だったので家人も同伴。ただし勤務シフトは一般的な9時17時パターンだったので、開会の17時半に間に合うかどうかは微妙だった。再び問い合わせたところ、受付に家人の名前を残しておけば、会員と同時入場でなくてもOKと判明、わたしだけ先に席取りをしておくことにする。

 朝から大車輪ですべての用事をとっとと片付け、思い切って早く家を出た。観覧希望者の出足がどのくらいか判らなかったことと、生協に立ち寄ってアカクロのグッズを買いたいということがその理由(汗)。迷子にもならずに無事ワセダマロン4袋と「アカクロキティちゃん」を購入。それにしても広いキャンパスだなあと感心しつつ会場へ向かう。
 わたしの母校もキャンパス内に馬場やら畜舎やら農場やらがあって広いことは広かったが、基本的に塀やフェンスや門等で囲い込める形をしていた。内部の道路はすべて私道で、関係車両以外が通ることはあり得ない。ホケカンだけは公道を挟んだ向こうにあったが、気分的には同一キャンパスという感じはしなかった。それが早大だと、バス停を降りて普通の街中を歩いていると、いきなり「生協はこちら」とかの道標が立ってたりする。ちょっとしたカルチャー・ショックである。

 おのぼりさん丸出しで会場に到着したのは15時半。受付開始が16時半、開場が17時の予定だったので随分早かったのだが、既に10人以上が並んでいてびっくり。スタッフの予想以上だったらしく、受付は結局16時に始めてもらえた。ド真ん中2段目最前列という良い席を確保、家人とも無事合流出来た。
 16時半から開会まではロビーで清宮監督のサイン会。わたしはもう監督のサインは頂き尽くしているので(記念Tシャツに応援旗に監督の著作『究極の勝利』)流石に列には並ばなかった。もう1冊買って観戦仲間のRさん宛てにサインを頂こうかと悩んだものの、出来れば直接書いて貰いたいものだし、もうサインGET済みかもしれない。迷っているうちに行列は2重3重に折れ曲がり、ブースで販売されていた『究極の勝利』は売り切れてしまった。タイミングを逃した…。

 シンポジウムはまず新監督・中竹竜二氏の紹介と挨拶。上の画像の右端が中竹氏である。某巨大匿名掲示板での評判から、清宮監督に似た熱血タイプかと想像していたのだがだいぶ違った。飄々とした、という印象の、ただしなかなか喰わせ者っぽい雰囲気の方である。清宮監督の評によれば「何事にもバランス感覚が優れている」方らしい。
 中竹新監督はワセダを引き継ぐに当たって「緊張・継承・創造」という3つのポイントを大切にしたいと仰っていたのだが、さて次シーズンはどういうチームが出来上がって来るだろうか。楽しみである。

 5年間を振り返って、清宮監督の思い出話もいろいろ聞かせていただけた。某巨大匿名掲示板によれば、去年と一昨年はもっとラグビーの方法論的な話題が多かったらしいのだが、わたしは大変興味深かった。清宮監督にすれば、退任する人間が今更そういうことを語るのは不適切との考えだったのだろう。
 大学選手権決勝戦の3つのトライの映像を題材に、ワセダが目指したトライの形についてを解説して下さったところが一番面白かった。前半24分、首藤甲子郎選手がワセダの口火を切るトライを取ったのだが、そこへ繋がるターン・オーヴァーの切っ掛けがWTB・菅野朋幸選手の好タックルだったらしい。シロートのわたしは、VTRを示しながらの解説で、初めてなるほど! と感心したのだった。

 試合前に清宮監督が、WTB・首藤甲子郎選手の爆発を予言していたのだが、それにもちゃんと根拠があったという。つまり、2回戦から決勝戦の間に、首藤選手はウェイトを5kg(目算)ほど落としたのだが、監督はそこにきちんと気が付いていたらしい。タックルをする時にはウェイトは重い方が有利だが、走る時にはもちろん軽い方が良い。どちらを取るか考えた上、首藤選手は自分の判断でダイエットを決行したのだ。
 首藤選手のそういう判断も凄いなあと思うけれど、何も聞かずにちゃんと気付いて予言までしちゃった監督も凄い。理由があって結果がある。清宮監督がしばしば口にしたように、「脚本家が綿密に考え抜いて書いたドラマ」のように美しい。

シンポジウム  後半は→の皆様によるトーク・セッション。2002年の山下組WTBだった山岡正典コーチを始め、かなりのメンバーが退任なさるようでちょっとショックである。監督が交代して、コーチ陣も相当入れ替わるとなると、2006年の東条組のスタートはだいぶ手探り状態かもしれない。
 不安だが、中竹新監督に感じた「一筋縄で行かない雰囲気」がその辺を上手くやってくれるだろうと期待する。持ち前のバランス感覚で、一癖も二癖もある選手たちを、きっちり纏め上げてくれると思う。
 わたしの持論(と言うほど大袈裟でもないが)は「永く続けるには変化が不可避」である。生物にしろシステムにしろ、ずっと同じままでは必ず滅びる。いみじくも同じことを、新旧の両監督が仰った。その嗅覚を信じたい。

 嬉しかったのはシンポジウム直前に書いて出した「質問状」が読まれたこと。「清宮監督への質問。5年間で一番印象に残ったこと(物事、人、瞬間など)は何ですか?」というものである。無記名だし、ありふれた質問だが、絶対自分が出したものだと確信している。ヘタレなので「月並みな質問ですみません…」と追伸を書いたのだけれど、司会の村上晃一氏はそこはお目こぼししてくれたらしい(ホッ)。
 清宮監督の答えは「トヨタ戦に勝った瞬間」。5年間どのシーンも印象は深いのだが、あの瞬間だけはやはり別格らしい。ファンのMさん(?記憶不正確)と仰る方がその写真を撮っていらっしゃるので、追々公式サイトに「清宮監督ベスト・ショット」が掲載されるらしい。楽しみ〜♪

 という訳で、2時間半があっという間の楽しいシンポジウムだった。こんなに知っていればちゃんと一昨年からワセダ・クラブに入ったのになあ。クラブ会員はわたしが予想していた人数(10万人/汗)よりはまだ大分少ないらしい。わたしの会員番号が1万飛んで900番台なので、まだまだ増えて行って欲しい。来年ももちろん参加するつもりである。
 OBである家人の案内でキャンパスをあちこち見て回り、こんな写真を撮って帰ったのだった。




03/09〜11 ちょっと留守にします

2006/03/11 11:06
 今年の飛散量は去年よりだいぶ少ないらしいのに、わたしの調子は最悪である。
 いつも思うのだが、TVの天気予報でやってる「今日の予報花粉飛散量」のコーナーは全く意味がない。他の人はどうか知らないが、わたしの場合は、多かろうと少なかろうと花粉が一定量飛んでいればもうダメである。少ない日はラクで多い日は辛いなんていうことはない。
 アレルギーの発症原理を考えれば、一端発症したアレルギーは、アレルゲン曝露量の多寡にはあまり依存せずに症状が出るのではないだろうか。

 まあ体質によっては「花粉の少ない日はラク」という人が居てもおかしくない。何せアレルギーの発症システムについては、まだ驚く程ちょっぴりのことしか判っていないのだから。
 とは言え、あの天気予報の「今日の予報花粉飛散量:非常に多い」ってのは無神経だから何とかして欲しいような気もする。大抵「非常に多い」は赤い色で、マスクを掛けた人の顔がくしゃくしゃに歪んで涙を流しているマークだったりする。そんなもの見るだけで気が滅入るっつーの(顰蹙)。
 夏場の「今日の最高気温」を、あっかるく言われるのと同じくらい腹が立つ。心が狭いなあ…。

 むしろ今年気を付けなければならないのは、今まで花粉症じゃなかった人である気もする。たまにTVで解説しているけれど、アレルギーを起こす基本的な流れ(と考えられているもの)は、「アレルゲンに対するIgE(抗体)が一定量体内で作られた後で、次にそのアレルゲンに触れた時、急に発症する」というものである。コップにどんどん水を注いで、溢れた時が「X-day」。人によってコップの容量が違うので、同じ量の杉花粉に触れても、Aさん(小さいコップ)はすぐ花粉症になり、Bさん(大きいコップ)は無事、という理屈。
 つまり去年の大量飛散時に、多くの人のコップが、限界量スレスレになっているということが考えられる。諺にある「ラクダの背を折る最後の1本の藁しべ」と同じで、今年の飛散量が少なくても、このシーズン突然花粉症になっちゃったという人は結構出るのではないかと思うのだ。

 それにしても根本原因たる杉林の対策がちっとも進んでいないような気がして大変腹が立つ。花粉を全く作らない杉の新種が開発されたとかいう明るいニュースはあるが、今ある、膨大な花粉を撒き散らす成熟した杉林を、早いトコ何とかしてくれ、と思う。
 戦後の国の植林計画の見込み違いでこうなった、というのは多くの人に言われていることである。大気汚染等の助長要因もあるのだろうが、基本的には「杉の木がなくなればまあ花粉症も落ち着く」のは間違いない。成熟した杉をどんどん切って、後に広葉樹を植えて行けば良いだけの気がするのだが…。

 そういえば先月こんな記事もあった。ニュースなのでいずれ消えてしまうだろうが、屋久島自然史研究会さんの2006年2月22日の記事にも詳しい解説がある。
 林野庁が大枚の予算を使って「雄花の多い木を選んで伐採するプロジェクト」をやってたのだが、その結果を、都合の良いところだけ発表してました、というもの。選択伐採を実施したポイントのうち3割程度は「雄花の量が半分以下になった」のだが、ちょっとしか減らなかったポイントも、逆に雄花量が増えちゃったポイントもあった。それなのに「選択伐採をやったら雄花量が50%以上減ったので、大変有効です」と発表しちゃった、という物語。

 気持ちは判るけれど、少なくとも科学的調査のつもりだったならば、そういうデータの見せ方が良くないのは言うまでもない。3割程度のポイントでは間違いなく雄花量が減っているのならば、「見込みはあるので、今後は確実に雄花量を減らせる伐採方法を検討します」というニュアンスにしなければならなかったのに。
 沢山の予算を使った調査だったので、きっと功を焦ったのだろう。けれどそういう小細工をするから、余計に非難を浴びるのだということが、どうして判らないのか不思議に思う。いい歳をした大人なのだから、もっとアタマ使って欲しい。

 さて全然関係ないが、今日はこれから大阪方面へ出掛けなければならない。わたしの母方の祖父が倒れたという知らせが入り、90近い年齢と持病の関係もあるので、急ぎお見舞いに行くことになったのだ。
 帰宅は12日の夜遅くになる予定。という訳で、ちょっとまた日記はお休みいたします。
 皆さまもどうかお身体御大切に。




03/12〜17 久し振りの日記

2006/03/17 18:14
 とりあえず帰って来てはいたのだが、予定外の大阪行きで何だか草臥れてしまった。例によって夜中の移動だったので交通手段はいつも通りクルマだったのだが、一瞬たりともハンドルを握ることはなかったのに、この消耗ぶりはどうだろうと思ったものだ。往復ともにずーっと運転していた家人の方がよっぽど元気である。
 ウチのクルマは足元が冷えるのが難点なのだろうか。クルマで長距離移動した後はいつも、膝から下、それも外側部分が冷えて痛くなる。膝掛けをしてもダメで、冷えと痛みはだんだん上に登って来て最終的にはおケツまで到達するのだった。対処法がないかとググったら、合致する症状は「坐骨神経痛」と出た。結局「まさかね。幾ら何でもこの歳でね、はは」と見ないフリをしたのだった。

 倒れた祖父の容態は予想よりずっと良かった。電話では叔父が深刻そうな声だったのでよっぽどのことかと思ったが、行ってみたら本人は意識もしっかりしているしソファに座ってTVを観ることも出来る。お土産の「赤福」(正確にはモドキで、「名福餅」という品だった)も早速パクついていた。家人は「東京から大阪へ行く時の土産がどうしてソレなんだ」と呆れるのだが、あんころ餅は祖父の大好物なのだ。
 一安心はしたが油断は出来ない。病院で2度ほど点滴をしてもらい、それが随分効いたお陰で見違えるほど回復したのだが、基本的にはやっぱり不調らしい。詳しい病状を調べるために今は検査入院しているのだが、その結果次第でまたスクランブルということも有り得る。何と言ってもあと10日ほどで満90歳だから、あちこちおかしくなるのは仕方のないことだろうけれど。
 今週末には末の妹一家が、そして来週末には中の妹が、それぞれお見舞いに行く予定らしい。孫(&曾孫)の顔を見て、祖父が少しでも元気を取り戻してくれると良いのだが…。

 日記を書く元気もなかったのは花粉症のせいでもある。家人は「僕去年より随分ラクだよ♪」とお気楽に過ごしているが、わたしはやっぱり例年通りダメダメなのだ。くしゃみ鼻水鼻づまり、眠る時に口呼吸になるせいか咽喉も痛い。アタマも痛い。鼻の下や口の周りは、ハナのかみ過ぎでガビガビのボロボロ。乾燥防止クリームをマメに塗っても全然追い着かない。
 已む無く鼻炎のクスリを呑んで少しでも鼻水を止めようとドーピングしているのだが、そのせいか常に眠い。元から早くもないアタマの回転がさらに鈍っている。遅くてもゴールデン・ウィークが始まる頃にはケロリとするので、早く花粉の時期が過ぎないだろうか。げに憎たらしきは杉林。広葉樹を伐って杉や檜ばかり植えたどこかの阿呆どもよ、餌不足に悩むクマさんたちや花粉症患者たちの呪詛を受けるが良い(涙)。

 そうこうするうちに時間だけはとっとと過ぎ、気が付くと今日は近所のショッピング・モールに新しいシネコンがオープンする日なのだった。昨日は予定通り、提携クレジット・カード会員対象のオープン前無料上映会とやらで『ローマの休日』を観て来たのだが、思ったよりも観やすくてナイスなシネコンだった。座席が並んだ列と列の間が広くて、段差の高さもたっぷりしているのが何より嬉しい。あれならば、多少座高の高い人が前に座っても、字幕が欠けることもないだろう。
 スクリーンは全部で10個あるのだが、大きい方の2劇場では座席にもいろいろ工夫がしてある。2人並んで座れる「ペア・シート」とか、肘掛&荷物台付きリクライニングの「エグゼクティヴ・シート」などが設定されている。通常料金よりも割高なのだが、このシネコン・グループ提携のクレジット・カードを作れば、それが一般料金で買えるらしい。もちろんレディス・デイ割引もアリ。

 足繁く通うことになるのは間違いないので早速申し込んだ。クレジット・カードが増えるのはあまり嬉しくないが、特典を考えると見過ごすのも阿呆である。代わりにどれか1枚解約してしまおうと思っているのだが、どれにしようか…。
 そんな訳で、夜勤に出掛ける家人を送りがてら近所のスーパーへ行ったら、平日なのに大混雑だった。明日・明後日はさらに凄いことになるだろう。そういえば確か明日から土休日は最寄り駅に急行が停車するようになる。シネコンと急行停車の相乗効果で、ゴールデン・ウィーク明けくらいまではウチの近所もゴタゴタすることだろう。便利になるのは嬉しいが、あまりに混雑するのは歓迎しない。まったく我が侭である(汗)。




03/18 音楽徒然

2006/03/18 22:50
 先日の大阪往復では、道すがらいつもそうするように、クルマのオーディオで山ほど持ち込んだCDを聴いていた。定番CDにはヴィニャエフスキのVnコンツェルト2番(シェリング演奏)とかベートーヴェンの交響曲7番とかいろいろあるが、中でもわたしのお気に入りはリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」と「スペイン奇想曲」である。
 カー・オーディオは普通のコンポより音質が良くはないだろうが、スピーカーが座席を取り巻くように配置されているためか、何だか立体的に聴こえてよろしい。「シェヘラザード」の「海とシンドバッドの船」や第4曲なぞ聴くと、本当に自分がキャプテン・ドレイクのゴールデン・ハインド号か何かに乗って、荒海を渡っているような気になる。由比の辺りを走ってたりするとなお気分満点♪

 第2曲の「カランダール王子の物語」は、元になった物語がどんなものだか知らないのだが、『ハムレット』みたいだったんじゃないかな、と妄想。王位簒奪に遭って不遇な少年時代を送ったカランダール王子が、大きくなってから軍隊を率いて生まれ故郷の国に戻り、簒奪者を誅して王位を取り戻すのである。もちろん途中には、逃亡先の国の王女との淡く儚い恋も含まれている(わはは)。
 そうすると当然、東京ガスのCMにも使われて有名な第3曲「若い王子と王女」は、カランダール王子が少年時代を過ごした同盟国での少年少女の初恋物語に決定。元々の『千夜一夜物語』には、この曲に該当する物語はないと聞いたことがあるのだが、イメージ的にこの同盟国は、何が何でも、地平線の果てまで続く草原の国でなければならない。
 聴いていると目の前に、風が吹き渡る大草原が広がるような気がする。幼いカランダール王子は初恋の姫に「大きくなって国を取り戻したら必ず迎えに来ます」とか約束するのだけど、後に姫は王子の生命を救うために殺されてしまう。悲恋の結末は第3曲には出て来ない。その代わりが第2曲のラストで、あと一歩で城を陥とせるというところに迫ったカランダール王子が、しんみりと初恋の姫を想うシーンなのだ(妄想)。

 独奏ヴァイオリンのアルペジオが「幼い王子と王女の哀しい恋の行く末は、草の大海原と、そこを渡る風だけが知っているのでございますよ…」と第3曲を締め括り、第4曲はまた海の物語。難破する船に乗っているのは、故郷の国を平定した後、失った初恋の王女への想い断ち切り難くてついまた国を出奔してしまうカランダール王子。一応玉座は腹心の大臣か何かに任せてあるんだけど、本人はもう戻るつもりはなかったりする(妄想)。
 嵐に揉まれる船の上でずぶ濡れになって索具を操りながら、カランダール王子はふと、幼い頃に過ごした草原の日々や、王座奪還の戦なんかを思い出すのだ。船腹を打ち付ける大波の音や、荒れ狂う風の音、目も開けていられないくらいに叩き付ける雨の描写が素晴らしい。この第4曲を聴いていると、自分も難破しかけた船の上に居るような気になって来る。

 第1次世界大戦以降、戦争からはいかなるロマンも失われてしまった、と言ったのは確かチャーチルだったけれど、確かに現代の軍艦に乗ってもこの曲みたいな雰囲気は味わえないだろうか。リムスキー=コルサコフが海軍士官だった時代にも、流石にもう帆船はなかった筈だけれど、彼はこういう臨場感溢れる「嵐の海」を実地に体験したことがあるのだろうか。想像力だけではこの曲は書けないような気がする。
 物語を終えるシェヘラザードのテーマが出て来たところでついミーハーに「いっぺん帆船に乗って嵐に遭ってみたい気がするよねえ」とうっかり口走ったら、家人が「帆船なんか乗ったら、例え凪いでても途端に船酔い起こす癖に」とすげなく言うのだった。当たってるだけに可愛くない(ぷんすか)。

 「スペイン奇想曲」も非常にイマジネーション溢れる曲で大好きである。第1曲と第3曲の「アルボラーダ」は、スペイン語で「夜明け」を意味するらしいことしか知らないが、見たこともない情景が目の前に浮かんで来るような気がする。祭の日の朝、豪華絢爛に飾り付けられた山車が、朝日を浴びながらゆっくりゆっくりと練り歩いている。日が高くなるに連れて村の広場には人が集まり、旅芸人の一座もやって来る。
 最後はもちろん、ファンダンゴで皆が踊り狂うシーンに違いない。何のお祭だか知らないけれど、呑めや歌えの大騒ぎは最高潮、熱狂のうちに踊り疲れてばったり倒れて、祭の幕が閉じるのだろう。

 同じCDには「ロシアの復活祭」という曲も入っているのだが、これがちょっと不思議だったりする。復活祭というタイトルからすれば晴れやかに賑々しい中にも厳粛な感じがするんじゃないかと思うけれど、あんまりそういう雰囲気はないのだ。魅力的なモティーフはいろいろ出て来るけれど、ややしんみりとした出だしを除いてあとは最後まで派手である。「ロシアの復活祭」と言うよりは「上海雑技団の1日」な感じがする。
 東方教会と西方教会ではかなり違うという話なので、ロシアでは復活祭というとこんな感じなのだろうか。時期的には「シェヘラザード」や「スペイン奇想曲」と同じ頃の作品だから、この2曲と同じくらいにバッチリと情景描写がなされているハズだと思う。それとも「序曲」と付いているから、本編が他にあって、そっちのハイライトを集めるとこうなるのだろうか。

 不思議と言えば思い出すのが『千夜一夜物語』のシェヘラザードは架空の人物かどうか、ということである。女性不信に陥ったトルコのスルタン、シャーリアール王が伽をする女性を次々殺すのをやめさせるため、大臣の娘であるシェヘラザードが妹ドニアザードと共に御前に差し出されて云々…の経緯はあまりに有名だが、ネット検索しても生没年等は全然引っ掛からない。架空だよなあ。
 『千夜一夜物語』に出て来る物語は民間伝承や戦争物語、実在・架空の人物の冒険譚、ピロウ・トークっぽい艶笑譚までヴァリエーションいろいろ。千と一夜が終わる頃にはシェヘラザードは3児の母になってたハズである。大昔、図書室で読んだきりなので記憶は曖昧だが、読み返したくても筑摩書房から復刊されたバートン版『千夜一夜物語』は1冊1500円近いのが11冊もあるので、とても買い直すことが出来ない(涙)。

 実在の人物だったら、これ以上の女冥利はないだろうなあ、と思う。知恵と美貌を兼ね備え、罪もない娘たちが次々に殺される悲劇を食い止めて王様を上手に操り、子供を産んで王妃の座に就いた上に、何百年も後にこんな美しい曲が作られて多くの人に今なお聴き継がれている。しかもタイトルは自分の名前。
 かの絶世の美女、エジプトの女王クレオパトラだって、名前がタイトルになったこんな綺麗な曲はないハズだもんね。いや羨ましい羨ましい。




03/19 居るべき場所

2006/03/19 23:03
 相変わらず朝起きると口の中がカラカラになっている。舌はスウェードかコーデュロイのようで、上顎や頬の内側はデニム地のような感じがする。両方の鼻の穴が、ほとんどフエキ糊(懐かしい)状態のハナでガチガチに詰まっているためである(汚い描写ですみません/ぺこり)。
 起き上がって洗顔ついでに心行くまでハナをかみ、ついでに□ート製薬の「アルガード 鼻すっきり洗浄液」をスプレーすると一瞬だけ開通する。スッキリするのは本当に一瞬で、今度はすぐさま水っぱなが垂れてくるので油断ならない(重ね重ね汚い描写で…)。

 先日までずっと繋がらなくて、ひょっとしたら無料掲示板サーヴィスはヤメになってしまったのだろうかと怪しんでいた閑古鳥掲示板もいつの間にか復活したのに、わたしの体調は復活からは程遠いのだった。花粉のない国へ避難したいなあ、と思う。春と秋は花粉のない国で、夏は涼しい国で、冬は暖かい国で過ごせたらどんなに良いだろう(図々し過ぎる)。
 そんなことを思っていたら、mixiで拝見させていただいている知人の日記で面白いサイトを教わった。「Which country should you REALLY be living in?」という、一種の占いというか冗談クイズである。

 こちらがそのサイトなのだが、13の質問に答えると、その結果から「あなたにピッタリの国」を選んでくれる。候補は10ヶ国らしい。「あんまりマジに考えちゃダメですよ」という但し書きがあるので、あくまでもネタとして楽しむためのクイズである。
 わたしの場合、何度やっても「英国」という結果になる。是非とも住んでみたい国なので嬉しい。「あなたは自国と自分自身を誇りに思い、歴史と文化は国の未来にとって重要だと考え、伝統や文化財は大切にされるべきだと信じている。お茶とスコーンを愛し、お涙頂戴のロマンス小説を読むのが大好き。そんなあなたにぴったりなのは英国です」だそうだ。自分の答えの何処いら辺からそういう結果が出るのかやや疑問である。

 マイミクさん日記のコメントによれば、少なくともロシア、オーストラリア、中国があるのは確かなのだが、設問への答えをどう変えても「英国」にしかならない。他の結果がどういう説明になっているのか読んでみたいのに、どの設問がキイとなって結果が変わるのか今ひとつ良く判らないのだ。どうも「英国」という結果が一番多いようなので、このクイズを作った人は英国人ではないかと思ったら違った。シドニー在住の24歳の男性らしい。
 手当たり次第に答えを変えてみたら「スペイン」も出た。「美味い食べ物と美しい風景に情熱を持ち、自国と自国民を愛する。我が道を行き続けるのは難しい世の中でも独立独歩を守ることを望み、立派にそれをやり遂げている」だそうだ。さらに試すと「ロシア」が出て、こちらは「美しい景色と興味深い人物たちで広大な国土が埋め尽くされている。あなたは世界を信じない。世の中が良くなる訳がないと思っていて、それがあなたを偉大なロシア人たらしめている。人生はシンプルであるべきだと望み、金も名声も繁栄も望まない。そんなことが叶えられるのはロシア政府だけです」とのことだった。やっぱり傾向が良く判らないのだが、まあ良いとしよう(汗)。

 英国かあ。家人の「メシの不味い国はイヤだ」という思い込みがなければ、喜んで住むのだが(大マジ)。とは言え、アガサ・クリスティの著作でしばしば「枯草熱に苦しむ女性」が出て来たのを覚えているのだが、実はその枯草熱は今で言う花粉症だったりする。参照サイトはこちら。ついでに中国にも花粉症はあるらしい。
 アレルギー体質の人間にとって、安住の地は世界のどこにもないのかもしれない(がっかり)。




03/20 話題性の高いイロイロ

2006/03/21 00:37
 一昨日オープンしたショッピング・モールの新棟には、アメリカで人気のアイスクリーム・チェーンの日本進出第3号店が入っているらしい。普通のアイスクリーム屋さんとちょっと違うのは、店頭に冷たくした石板か何かが設置してあって、注文したアイスクリームとナッツなどのトッピングを、その上で店員さんが混ぜてからサーヴしてくれる点だと言う。
 そうするとどこがどう美味しくなるのか知らないが、日本進出の1号店では毎日1000人以上の来客があるそうだし、アメリカ本土のチェーンも1200店舗以上を数えるとかで、人気は高いようだ。アイスクリームに空気を混ぜ込んで舌触りを良くするのだろうか。

 1度試してみたいと思ったので、今日バレエ教室の帰り、ショッピング・モールを通ることにした。やはり新棟がオープンする以前より、夜でも通行人の数がどんと増えたような気がする。シネコンと付随する食べ物屋さんの集客力だろうか。すれ違う人の何人かがアイスクリームのカップらしきモノを手にしている。ということはまだ営業中なのだな、ラッキー♪
 と思って近付いたらとんでもない行列が出来ていた。ロープを張った順路に沿ってうねうねと、目算でざっと数えても40人くらいは並んでいる。もう21時近くなのに? 某巨大匿名掲示板の地域スレッドによれば、日中はだいたい10分待ち程度で済んでいたらしい。やはり帰宅途中に「ちょっと寄ってみるか」と思う人が多いのだろう。

 どうしても今食べたい訳じゃないし、バレエ教室帰りで草臥れているし、この行列にはちょっと並びたくないのでそのまま通り過ぎて帰宅した。近所なんだからいつでも寄ろうと思えば寄れるのだし、いいのである(根性ナシ/汗)。
 そんな風に、流行のモノが例えすぐ近くにあっても、何が何でも人より早く試したいとは思わない性質である。興味がない訳ではないのだが、ハシリのモノを手に入れようと思ったら、大抵かなりの労力を要する。その労力を払うのが面倒臭い。要するにぐーたらなのだろう。

 同類項にワンセグがある。4月1日からサーヴィスが開始されるのだったか、携帯電話やカーナビで地上デジタル放送のコンテンツが楽しめるというアレである。イメージ的に「パンのヘタを有効利用するみたいなことだろうか」と思うのだが、たったの1セグメントでも、かなり画質等のクオリティは高いらしい。
 ケータイの画面みたいな小さなものでTVを観たって面白くないだろうと最初は思っていたのだが、既に同様のサーヴィスが始まっている韓国での街頭インタヴュー等によれば、画面が小さくてもあまり不便には感じないという人が多かった。ブラウン管TVとは実現可能な解像度の桁が違うとか、そういうことなのだろうか。良く理屈を知らないのだが。

 番組を視聴するだけでなくデータ放送も受信可能なので、例えばTVの出演者が使っているアイテムだとか、紹介する品物だとか、ささっとピック・アップしてネット通販が出来るらしい。TV放送局とネット企業のコラボレーションの一形態だろう。
 他にももっと色々な可能性はあるのだろうが、今の所「へえ、面白そうだな」とは思うものの「じゃあ買ってみようか」という食指は動かない。あまり出歩かない生活をしているからだけれど、携帯電話でまでTVを観たいとは思わないのである。ついでに「番組に出て来た注目アイテムを素早くGET出来ます」というのもそれほどメリットには感じない。美味しい思いをするとしたら、その品物の売り手だけじゃないか、と思ったりする。

 そういえば先日何かで「登録先からアイテムやサーヴィスなどの名前が送られて来て、それについて自分のblogやサイトで紹介記事を書くと報酬がもらえる」というシステムのことを小耳に挟んだ。新種のアフィリエイトの1つだろうと思うが名前を忘れてしまった。たまたま「これはいいや」と思ったものがネタとして送られて来た場合ならともかく、何故わざわざ日記でそんな提灯記事を書かねばならないのか。
 口コミの威力は恐ろしいものがあるのだろうし、TVで目にしたものを欲しがる人は予想以上に多いのかもしれないけれど、広告とかプロモーションとかをこういった方向へシフトしてしまうのもどうかなあ、と思う。ただでさえ宣伝臭いコンテンツが多いというのに、これ以上CMが「作品」の中に出張って来たらいよいようんざりするだろう。
 星新一さんのショート・ショートで「ドラマの登場人物が突然手にした商品について語り始め、終わると何事もなかったようにまた演技を始める」というのを昔読んだ記憶があるが、そんなのはイヤである。

 閑話休題。家人とも「ワンセグ対応の携帯電話は高価過ぎる」と意見の一致を見ているので、ウチではワンセグを利用開始するまでにはまだまだ時間が掛かるだろう。携帯電話の機種変更の時、貯めておいたポイントか何かを使うと本体は無料で手に入れられます…という状況になるまでワンセグとは無縁で過ごすかもしれない。現在3万円以上する機種が、ポイント利用でタダになる日が来るかどうかは知らないが。
 1回の充電で利用出来る時間が3時間程度なのも、いかにも短過ぎて使いにくそうである。どうせしばらく待っていればどんどん高機能化するのだろうし、慌てて飛び付くほどでもないか、と思う。

 何より、1日24時間の限られた時間を、TVを観るために使いたいとはそれほど思わないという理由が一番大きい。どんなにチャンネルやコンテンツが増えても、いつでもどこでもTVが観られるようになったとしても、使える時間は最大で1日あたり24時間こっきりなのだ。食事や睡眠、どうしてもやらねばならない仕事など、減らす訳に行かない時間も多い。
 TVを観るのも時には面白いけれど、わたし個人としては、TV視聴以外にもやりたいことはいっぱいあるよなあ、としか思わないのだ。それに「いつでもどこでも」と言っても限度がある。通勤の往復程度ならまだいいけれど、韓国のインタヴューで出て来た人たちのように、レストランで食事をしながらそれぞれが自分の携帯TVを観ているなんて図は寒々しくてイヤだと思う。一緒に食事している相手に携帯TVを観たりされたら絶交モノである。

 ワンセグのサーヴィスが始まったら、けれど、そういう不思議な食事風景も必ず出て来るだろうことは間違いない。本人同士が納得しているならいいけれど、個人的には断固、そんなのはイヤだ!
 今でさえ家人が晩御飯の最中、TVばっかり観ているのが気に食わないというのに。酷い時にはTVを観ながらさらに新聞を読みつつ晩御飯、なんて時もある。幾らなんでも作った人間(わたしだ!)に失礼だと思うので、そういう時は文句を言うのだが、全然改善される気配もない。
 わたしが子供の時はどこの家でも「ご飯の時はTVは切ろう」というのがお行儀だったような気がするけれど、最近はそんなこともないのだろうか。

 ワンセグとは関係ない方向にズレてしまったが、ともかく「いつでもどこでもTV」はいいや、と思うのだった。人間の神経の反射速度を早くするとかして、1日を体感的に48時間に出来るような時代が来たら、TVを観る時間をちょっとくらい増やすのも良いかもしれないけど。




03/21 半年ぶりにこんにちは

2006/03/22 00:40
 昨年10月に『赤毛のアン』の国から一時帰国した友人Aさんと、思いがけず早く再会出来ることになった。仕事の関係で急遽日本に出張するチャンスが来たので、これ幸いと友人たちに集合が掛かったのである。仕事絡みと言う事もあり、今回の帰国はAさんのみで、残念ながらパートナーのBさんとはお会い出来なかった。
 Aさんは過密スケジュール後で疲れているし、友人Yさんも年度末なので半死半生の爆忙状態。ドヴォ組Tさんは都合が付かず、A氏は途中からの合流がやっとらしい。メンバーの体調と日程に余裕があればどこか旅行でも、との当初の予定は早々と消え、結局、ウチに集まってのんびりとお茶を飲みつつ喋ることになった。

 昨夜のうちにリヴィングの整頓はだいぶ終えたので、今朝は休日にしては珍しく8時前に起きて整頓の続きと細かい所の埃払いをダス○ンのハンド・モップで済ますことにする。胃が目覚めた頃に朝食を取り、ゴミ出しをして、後は家人が起きた後で思う存分掃除機を掛ければ良い。
 メール・チェックなどをうだうだしていたら9時半頃に家人起床。トイレ掃除や玄関回りと掃除機掛けを分担して、無事WBCの決勝戦開始前に作業は終了した。

 ハラハラドキドキの試合展開を経て、日本チームは思いがけず強豪キューバに勝ってしまった。今までキューバにはどうしても勝てなかったそうなので、今回もきっと惜しいところで逆転されてしまうのだろうと思っていたが、9回表の攻撃は本当に素晴らしかった。本塁上、キャッチャーのタッチを掻い潜ってベースにタッチした川崎宗則選手や、見事なベース・ランニングと執念のスライディングでホームへ帰って来たイチロー選手のプレイにひたすら感動である。
 奇跡の準決勝進出からの大逆転の優勝、本当におめでとうございます。久し振りに「日本代表」をワクワクと応援することが出来た。ただし、3年後に開催されるという第2回のWBCでは、きっとアメリカ代表に有利なようにルール変更されちゃうような気がする…(汗)。

 試合が終わった頃にAさん到着。しばらくお茶を飲みつつ雑談していたらYさんも到着したので合計4人でひたすら喋り続けた。晩御飯を食べに外へ出て、外食先で無事A氏も合流。結局食事しながら3時間ほども粘ってしまった。休日は空席待ちの人で待合が溢れることも珍しくないお店なのだが、今日は幸い比較的空いていたので、気兼ねなく長っちりすることが出来た。
 話題の1つが「結婚何年なのか覚えていないのは変かどうか」ということだった。先日のAさんとの電話中「ウチは確かこないだ結婚10年を経過したハズなんだよね、たぶん」と言ったら、結婚した年を覚えていないのはどうかと思う、という流れになったのだ。
 父が亡くなった時に戸籍謄本を取って、その時に確認したのだがまた忘れてしまった。ただし状況証拠と消去法で言えば、入籍したのは1995年の末でしか有り得ない。結婚記念日は流石に覚えているので、つまり去年の12月9日で結婚丸10年が経過したことになるハズなのである…と説明したらまた笑われてしまった。

 状況証拠は次の通り。
 1.家人の祖母が神戸在住で、阪神大震災で被害に遭っている。家人は義弟君と急遽神戸へ向かい、その時は確かにまだ結婚していなかった。
 2.台所の流し下には「検査票」なるシールが貼ってあって、「平成9年7月」の日付が入っている。その翌月に引っ越して来たので、今の在所には1997年8月から住んでいることになる。
 3.結婚した翌年の4月にわたしは会社を辞め、それからしばらくバイトをしていた。その期間が半年以上だったのは絶対に間違いない。
 以上から1995年12月9日という結論が導き出される。美しい論理展開である(汗)。

 3年前に結婚したA氏は「阪神タイガース優勝の秋なので覚え易い」と仰っていた。良い手掛かりで羨ましい。ウチに限らず、月日は覚えていても年はアヤフヤというケースは結構あるのではないかと思っているのだが、実際のところはどうなのだろう。そういえば以前も書いたがわたしの父など、結婚後半年ほど婚姻届を出すのを忘れていたことが発覚したりしている。挙式直後に母の祖母が亡くなった忙しさに取り紛れて出しそびれたらしい。
 わたしが母のお腹に居ることが判ってから「そういえば」と思い出し、慌てて婚姻届を出したというから脱力する。母はマメに記念日のお祝いをしていたが、そうでなければきっと父は、結婚記念日などあっという間に忘れ果てていたことだろう。それに比べれば経過年数を覚えていないことくらい屁でもないと思うのだが…。

 全然関係ないが今日初めて知ったマメ知識。「カナダ(北米?)仕様の電子レンジには“ポップコーン作成用のキイ”がある」。かの地ではこの種の商品がどこにでも売られていて、家庭でチンして食べるらしい。
 日本の電子レンジに「熱燗用キイ」があるごとく、所変われば品変わる。世の中まだまだ知らないことで溢れている…!




03/22 BSEと紛らわしいPSE

2006/03/22 16:34
 かの悪評芬々たる電機用品安全法、通称PSE法が実施されるまであと10日。経産省は「ビンテージと認定された中古電子楽器等については規制対象から除外するとの負担軽減措置を発表したけれど、あくまでも施行猶予期間を延長する考えはないらしい。法律の成立・施行は2001年で、この5年間は猶予期間だったのだ、ちゃんと情報は「官報」に載せていたのだから、と。
 確かに知らなかった方も手落ちはあると思う。ただし2001年当時、電機用品安全法の成立がどの程度報道されていたかは非常に疑問である。報道しなかったマスコミにも、周知徹底に務めなかった行政側にも、同等かそれ以上の責任がある。「官報」なんてどれだけの人が読むと思っているのだろう。挙句にPR不足を経産省自身が認めてしまうに至っては開いた口が塞がらない。

 消費者を守るというお題目で成立したPSE法、本当の目的は絶対消費者保護なんかではない、と思う。中古家電の売買を生業にしている方々や「ビンテージもの」の希少価値をばっさり切り捨てるとか、リサイクル法に真っ向から反発する姿勢が問題であるだけではない。PSEマークがないものについてのメーカー責任がぼやけるということも大きなポイントだと思う。
 そもそも製造物責任法(PL法)では、販売してから10年以内に電気製品の欠陥によって被害が出た場合、責任を取りなさいということになっていたハズである。例えば2000年製造の冷蔵庫は来月から売買出来ない。けれど10年は太鼓判を押してもらっていたハズの品物が、一転して「マークがないから安全を保証は出来ません」なんておかしいのではないか。

 ウチの冷蔵庫は、結婚前から家人が使っていたものである。1度修理はしたけれど、余裕で10年以上現役を続けている。電子レンジは約10年、食器乾燥機は今の在所に越して来た時買ったので9年目。携帯電話ではあるまいし、家電製品の10年選手など珍しくもない。修理代>買い替え代金になるまで使うのがウチの方針だけれど、家電が元気で働ける期間は予想よりずっと長い。
 研究室時代のわたしの冷蔵庫も炊飯器も電話機も全部友人や先輩からの貰い物だった。いろいろな事情で、まだ使える家電製品が中古ショップに並ぶこともあるだろう。現に中古ショップの多くではPSE法に引っ掛かる大量の在庫を抱えて困っている。そういう品物を捨ててしまえと言うのは言語道断だし、家電は安価なセコハンで充分だという方針の人々の選択肢を奪うのも、やっぱりどう考えても不条理である。

 結局のところ、古い家電をどんどん捨てて新しい製品を買って欲しいメーカーとか、あるいは中古業者が自力でPSEマークを付けるに当たって必要な検査に必要な機械のメーカーとか、検査を代行するセクションを新設なり増強なりして欲しい役人や特殊法人関係者とか、そう言った人々の利権で成立した法律に違いない。
 ビンテージものは除外するという負担軽減措置にしたって、誰がどうやってどんな製品をいちいちビンテージかそうでないか判定するのか、今の段階では何にも公表されていない。当初は考えていなかったことだから、きっとまた「お墨付き発行機関」の設置が検討されて、これ幸いと天下り先ポストが作られるのだろう。ほんっとーに、税金無駄遣いのアイディアだけは豊富である。

 家人から聞いたことなのだが、さらにとんでもない法改正も検討されているらしい。一次ソースの記事はもう削除されてしまったが、関連サイトはこちら
 「一定期間で作動しなくなる“タイムスタンプ”機能」を製品に付けて、消費者に定期点検を促す、という改正案である。保証期間が過ぎると故障してしまう「ソニータイマー」の存在が噂で囁かれているけれど、それを合法化(どころか義務化)しようというのだ。
 確かに、古い石油ファン・ヒーターで一酸化炭素中毒事故が相次ぐなど、長期間使われている家電製品はメーカーが予想もしなかった不具合を起こす可能性がある。古い電気製品を点検もせず、下手すると接触部分に埃を溜め込んだ状態で使い続けたりしたら、火災や事故も起こり易くなるだろう。けれど、どうして一足飛びに「一定期間使い続けると製品が作動しなくなる」ようにまでせねばならないのか。

 15年モノの石油ファン・ヒーターに整備点検が必要だとして、例えば温度表示窓に「点検して下さい」とメッセージが出るだけではどうしていけないのだろう。無視して使い続けて事故ったとしても、それは使用者本人の責任で良いのではないだろうか。あるいは経産省が代替案として出している「ユーザー登録して、メーカーからハガキなどで点検を呼び掛ける」でも良い。
 登録制度だと、引越しを繰り返されたら行方知れずになってしまうという問題点はあるだろう。けれどいきなり「タイマーにあらかじめ設定した時期が来ると自動的に回路に電流が流れなくなる」というのはあまりにも乱暴過ぎる。

 いきなり作動しなくなる仕様にしておけば、ひょっとすると一定割合の人々が「点検に出すのは面倒だから新しいの買おう」と思うかもしれない。どちらかというとこの法改正はそういうパターンを狙っているのではないかと勘繰ってしまう。ついでに「民間検査機関を国が認証する制度の創設」も、わたしには「また新しい天下り先の開拓ですか」と映るのだが、考え過ぎだろうか。
 マンションの耐震偽装問題など、規制緩和に伴って出て来たと言われるトラブルは確かに深刻である。けれど偽装問題にしたって、検査機関をチェックするべき立場の人が居なかった訳ではない。チェック機構が機能していなかったり、責任の押し付け合いをしていることの方がより重大だし、見苦しい。タイムスタンプ方式の検査機関認証制度(くどい)が同じ轍を踏まない保証はない。

 ちなみにPSE法の抜け穴潜りとしては「売るんじゃなくてレンタルです」と言い張ることなどが出て来ているという。製品の作動を保証する「価値残存年限」付きでレンタルし、その年限が過ぎたら譲渡する形である。お客さんは「残存年限」分のレンタル料を前払いして品物を持ち帰る。「年限」が過ぎたら譲渡なので、実質的には購入して持ち帰るのと同じこととなる。PSE法ではレンタルと無償譲渡が規制対象外となる点を突いた方法である。
 年限途中での返却も構わないし(その場合レンタル料が戻って来るのかは不明)、故障した時に修理もしてもらえるらしい。ものすごい屁理屈だけれど、考えたものだなあと感心してしまった。




03/23 脚なんて飾りです(以下略)?

2006/03/23 17:15
 今日もmixiで拝見している知人の日記で見つけた面白い話題。二足歩行ロボットによる格闘技大会「ROBO-ONE」が、2010年を目標に、宇宙大会の開催を目指しているというものである。ソースはこちらとかこちら
 詳しくは「ROBO-ONE」の公式サイトを参照していただきたいが、ROBO-ONEとは2002年に始まって、以後半年に1度のペースで開かれているホビイストの大会である。身長120cm以下であれば重量制限なしのクラス、身長50cm重量1.5kg以下の軽量クラス、PC仮想空間の中で行なわれるヴァーチャルなもの、総合的アスレチック能力を競うスペシャル・クラスなどがある。

 格闘技大会だけれど、試合の勝ち負けよりは技術的な素晴らしさやエンターテインメント性を重視し、技術情報は可能な限り公開する方針だというのが面白い。さらにガンダムやボトムズ、勇者シリーズなどに出て来るロボットは委員会が著作権者に許諾を取っているので、名前や形状をいただくことも可能。ザクとライディーンの取っ組み合いなどが観られるかもしれないのだ。
 ついでに(株)サンライズもスポンサーになっているので、プロモーション映像なんかもサンライズで作るらしい。第1回宇宙大会のプロモーション・アニメもサンライズ制作で、3/19に行なわれた宇宙大会開催の発表会場で上映され、好評を博したという。リアリティよりはエンタメ性を重視した「格好いい」アニメで、近日中にROBO-ONE公式サイトで観られるようになるらしい。めちゃくちゃ楽しみ〜♪

 いきなり宇宙大会というのも大風呂敷だけれど、10年前には、アマチュアによる二足歩行ロボットが、しかも格闘技を行なうなどということは考えられなかった。だからひょっとすると、目標の2010年に、ホンモノの「第1回ROBO-ONE宇宙大会」が実現してしまわないとも限らない。選手のロボットを宇宙空間へ運ぶ衛星の打ち上げには、海外のロケットに便乗させてもらう形を取るので、打ち上げ時期によっては多少遅れることもあるだろうが。
 ROBO-ONE衛星本体は最大で50cm立方のピギーバック衛星、ロボットは格納サイズ10cm立方以下、2kg以下、地上では二足歩行を想定。命綱付きのロボットは放出後ならトランスフォーム可(というか推奨されるらしい/笑)。CPUや電源は衛星内に置き、地上からの遠隔操作で操縦する。試合自体は、衛星が日本上空を通過する10分程度の間に行なわれ、4、5ラウンドが予想されている。

 東大では「CubeSat」製作・打ち上げ・作動に成功しているし、民生用部品を使った安価な衛星が実現可能なのは実証済み。ただし宇宙空間でのロボット同士の格闘技となると、真空中の動作とか宇宙線とか温度とか技術的な問題点も多い。
 それでも、やっぱり、夢いっぱいな計画ではないか♪ 今のところはまだ夢物語かもしれないけれど、実現不可能と言い切るのはまだ早過ぎる。こういう楽しい企画を、大真面目にやってくれる人たちが居ることは、技術の裾野を広げる意味としても大変に意義深いことだろう。

 一番笑ってしまったのは「宇宙空間での格闘技」なのに、何故「地上では二足歩行」が定義に入っているのかという質疑応答。表向きというか実用上の理由としては西村輝一代表が、あくまでも地上でのロボットの運用と、それに必要な技術開発、ロボット・ビジネスの成立(コスト・ダウンによってという意味か)が目的であるためだと説明したらしい。これはこれでごもっとも。
 ただしROBO-ONE宇宙大会事務局があるリヴィールラボラトリ代表の田中泰生氏は、『機動戦士ガンダム』に出て来るあの有名な台詞に引っ掛けて追加発言し、会場の爆笑を誘ったのだという。いやーいいなあ。運営してる人も作ってる人も観に来る人も、みんなマニアだよマニアだよ〜♪




03/24 Shall we ダンス?

2006/03/24 23:59
 金曜ロードショーで周防正行監督の『Shall we ダンス?』をやっていて、ついつい見入ってしまった。今から10年前に製作されたこの映画、わたしにとってはかなり思い出深い作品である。
 マイ・ホームも手に入れ、順調に出世もして、それなりに幸せに暮らしているサラリーマンの杉山さん(役所広司)。西武新宿線(だと思う)での帰宅途中、ぼんやりと外を眺めていると、途中のとある駅で1人の女性の姿が目に入る。岸川ダンス教室の窓辺に遠い目をして寂しそうに佇んでいた教師の舞(草刈民代)は、競技ダンスの聖地・ブラック・プールの大会での挫折から立ち直れず、踊る楽しさも忘れている、本来は優秀なダンサーだった。
 彼女の姿に惹かれて杉山さんはダンスを始め、いろいろあるものの、次第に夢中になって踊り始める。たった1年でアマチュアの大会にエントリーするまでになった杉山さんだが、その間、妻の昌子(原日出子)は、独り取り残されたような寂しい思いを募らせるのだった…。

 ってな粗筋を今更紹介するまでもないだろうけれど、何だか妙に、仕事に疲れた杉山さんの気持ちが良く判って切なかった当時のわたしである。まだ会社勤めをしていた頃だった。東京の東の端の独身寮から出身大学の研究室に研究生として派遣され、毎日延々と2時間かけて通っていて、草臥れ果てていた。
 仕事はそれなりにやり甲斐はあったけれど、とにかく身体が持たなかった。就職した最初の年に過労からマイコプラズマ肺炎に罹って2ヶ月休職したのだが、復帰から1年近く経ってもまだそのダメージが回復していないようだった。これからどうしたら良いのだろう、この調子でいつまで保つだろうと不安だったし、そもそも気力はほとんど燃え尽きていた。
 そんなある日、打ち合わせ後に大学に向かう途中でふと上映館の前を通り掛った時、発作的に飛び込んでしまったのだった。サボリである(汗)。

 楽しかった。境遇はまったく違うけれど、目的を失って燃え尽きかけている杉山さんに思いっ切り感情移入してしまった。彼がダンスに夢中になる過程の1つ1つが、自分の「やる気」も掻き立ててくれるような気がした。机の下でステップを踏むところとか、姿勢矯正器具を装着して雨の中をクイック・ステップの練習するところなんか、笑っちゃいつつ爽快だった。
 映画館から出た時は、なんだか急に元気になったような気がした。結局それから約2年後、どうしても体力が続かないことに自分で納得して会社は辞めてしまったのだが、あの日のサボりがなかったら退職はもっと早かったと思う。

 杉山さんがウロウロしながら岸川ダンス教室のドアを入って、オロオロと初レッスンを受けた日の挙動不審ぶりは、そのままわたしが初めてバレエ教室の体験レッスンに行った日の様子だよなあと、10年経った今夜、久し振りに観直しながら思った。一端気に入るとついついのめり込むところも一緒かも(笑)。
 時間と予算があれば、正直を言えば、バレエのレッスンももっと増やしたいんである。理想的には毎日レッスンするのが良いに決まっているのだがそれは幾ら何でも無理。せめて週に2回、各1時間半ずつみっちりレッスンを受けたいのだが…。
 良い先生さえ見付かれば、ばよりんのレッスンもやっぱり再開したいなあと思う。これもやっぱり時間と予算の関係でなかなか難しい。ううむ人生ままならないものである。

 ダンス・シーンでは、草刈民代さんのステップが本当に素晴らしい。バレエ・ダンサーだから当然なのだけれど、1つ1つの動作があまりにも美しくてため息が出る。杉山さんと豊子さん(渡辺えり子)のステップに付き添って教えているシーンなど、1人だけ足の爪先がピーンと伸びていて、足運びが優雅で決まっているのだ。
 台詞は棒読みで表情も固かったけれど、かえってそれが心を閉ざしたダンサーっぽくて良かった。CMでぶちぶち切られたのが気に入らないので、CATVで放送してくれないかなあ…。




03/25 読み間違ってびっくり

2006/03/25 23:32
 家人の異動が内定したらしい。どうやら5月から2年の期間限定で、今よりずっと規則正しい勤務の部署に移るのだという。Nine to Five に近い(ただし残業はあるかもしれない)職場なんて久し振りだなあ。朝起きるのが苦手で夜勤大好きな家人は文句を垂れているが。「早起きは万病の元」というのが決まり文句である。お天道様に申し訳ない(汗)。
 今日は泊まり勤務なので、晩御飯を食べた後出掛けて行って、明朝帰って来るパターンである。徹夜なので帰宅後バッタリ眠ってしまい、大抵夕方まで起きない。すると夜は眠くならないので遅くまで起きていて、翌日当然のごとく超朝寝坊…と、だんだん世間とズレた生活になる。ゴミ出しは寝坊を待ってくれないので結構困る。子供が居たら大変だろうなあとも時々思う。わたし個人としては、きちんとした Nine to Five 的な勤務形態の方が嬉しかったりする。

 駅まで送って行ってついでに少々買い物をし(最寄駅前スーパーが22時まで営業時間が延びた)、帰宅後洗い物を済ませてホッと一息ついたところである。相変わらず2日に1箱のペースでティッシュ・ペーパーを消費しつつ、それでも一時に比べたら花粉症の症状がちょっぴり和らいだような気がする今日この頃。ただ単に外出を避けているせいかもしれないが。
 PSE問題では案の定、4月以降もしばらくはマーク無しでも中古電気製品の売買を認める、ということになった。やっぱりなー。どう考えても無理があるし、そもそもPSE法そのものが最近稀に見る天下の悪法だと思う。この際だから有耶無耶で廃止しちゃえと思いつつ、ネット・ニュースの項目をちらちらと眺めていたら、とある所でふと目がずっこけた。

 「メール問題 民主がけっ縁 永田氏、人ごと」
 3秒くらい意味が判らなかった。メール問題関連だというのは一目瞭然なのだが、民主党がどうしたというのだろう。「けっえん」ってナニ? 阿呆な話かもしれないが、わたしはこの見出しの2番目の塊を「みんしゅが けっえん」と読んでしまったのだ。
 どういうことかと本文を開いたらやっと判った。「みんしゅが けっえん」じゃなくて「みんしゅ がけっぷち」だったらしい。紛らわしいなあ…。

 どうも「崖」という字は「難しくて読めない人が居るので、出来るだけ平仮名に開きましょう」という自主規制に引っ掛かるようだ。わたしが大嫌いな「誘かい」とか「てい信」とかのパターンである。この自主規制とやらに出くわす度、余計なお世話じゃ馬鹿モノ、よっぽどそっちの方が読みにくいじゃないか、と心の底からイライラが噴出する。
 ネット・ニュースの見出しだとやや難しいかもしれないが、読めないかもしれないなと思うならルビを振れば良いではないか。漢字熟語なんてパターン認識なのだから、多少難しい字が使ってあっても、何度も見ているうちに覚えられると思う。まあ、時々アナウンサーさんでさえとんでもない読み間違いをしているから、「読めない人」は着実に増えつつあるのかもしれないが。

 それにしてもこの見出し、どうしても「崖」を使いたくないのなら「民主がけっぷち」の方がまだマシである。大体ウチのFEPでは「がけっぷち」は「崖っぷち」としか変換してくれないぞ。「縁」は確かに「ふち」とも読むが、より一般的なのはやっぱり「えん」だろう。オンライン辞書だと「崖っ縁」と載っているので、「崖」が使えないならなるほど確かに「がけっ縁」という表記になるようだが。
 家人はその手のことにはあまり目くじらを立てないらしい。「民主がけっ縁」でいいじゃんと言う。「民主がけっぷち」にしたら字数が増えてしまって良くないのだと。

 でもやっぱりわたしとしては、この見出しは不親切で読みにくいと思うのである。ざっと見たところ、もっと長い見出しだってあるのだから「民主がけっぷち」で良いんじゃないかなあ。どうしても字数を減らしたいならいっそ「民主絶体絶命」など、同じような意味の違う言葉を持って来るとか。
 昔むかし、大学の研究室に居る頃、うっかり加圧中のオートクレーヴを開けてしまったことがある。ボンッという音とともに蒸気が噴出し、廊下が真っ白になった。そのことをniftyの雑談会議室に「廊下一面白くなっちゃって」と書いたら「廊下一おもしろくなっちゃって」と読んだ人が続出したらしい。それ以来パターン認識にも気を付けて言葉を選ばなければいけないな、と思っている。今回の読み間違いで蘇った記憶である。

 百歩譲って「民主がけっ縁」が問題ないとしても、やっぱりわたしはこの見出しにセンスを感じられない。固有名詞の後ろに「が」がくっついていたら、パターン認識で助詞の「が」だとまず理解するのは自然なことではないか。紛らわしいんだっての(ぷんすか)。




03/26 庶民なので

2006/03/26 23:50
 やんごとなき人々の暮らし向きとか、格式高い場でのマナーとか、そういうことには全く詳しくない。せいぜい、フル・コースの正餐をいただく時にはカトラリーは外側の対から使うとか、食後、ナフキンをあまりにきっちり畳んではいけないとか、その程度の知識があるのみ。実践したことはほとんどない。
 いつぞや「バナナの正式ないただき方」とかいうのを教わったことがあるのだが、正直な話、やってられっかと思った。横にしてナイフで両端を切り落とし、一直線に皮に切れ目を入れて開き、左端から一口大に切り分けて食べる…のだったと思う。そんな食べ方じゃバナナが美味しくなくなっちゃうよ(涙)。

 由緒もへったくれもない庶民の家庭に生まれ育ったとは言え、ハイ・ソサイェティの「お嬢様」とか「奥様」扱いされて嬉しくない訳がない。そういう願望を叶えるのが先日池袋にオープンした執事喫茶・スワロウテイル。既に大人気となり、予約を取るのも大変な活況を呈しているらしい。面白そうだなあ。
 興味はあるものの混んでるらしいし遠いしで二の足を踏んでいる。1人で行ったって面白くないし、平日に付き合ってくれそうな暇な友人の心当たりもない。それにやっぱりどうも、傅いてくれる執事さんの服装が「燕尾服」というのがどうにも納得行かないのである。それってメイド喫茶のメイドさんたちが、ローブ・デコルテ着てるようなものではないのだろうか。

 ドレスコードには暗いけれど、わたしのイメージとして、執事さんとは「旦那様よりもちょっとだけ“落ちる”私服を着ているもの」である。フロック・コートとかモーニング・コート、あるいはディレクターズ・スーツとか。だから代替わりした直後の若い「旦那様」が、先代にもお仕えしたヴェテランのバトラーに風格負けしてしまって、プライドを傷付けられて「あるじ」としての振る舞いに目覚める…なんてシチュエーションに萌える(阿呆)。
 生きて動いている執事さんになどお目に掛かったこともないので、現存している執事さんはもうちょっと趣が違うかもしれない。しかしそれでもやっぱり、燕尾服で「奥様」や「お嬢様」をお帰りなさいませとお迎えする執事さんは居ないだろうと思う。寛ぐどころじゃないじゃんよ(汗)。

 庶民には違いないのだが、母のポリシーは「食事の行儀でお里が知れる」であった。故にわたしが子供の頃、ものを食べる時のマナーはかなり厳しく躾けられた。音を立てて食べないとか咀嚼している時に口を開けないは当たり前。出来るだけこぼさないようにするが手を懐紙の代わりにするのはダメで、こぼれそうなものを食べる時には小鉢を持つべし。迷い箸ねぶり箸厳禁。箸の上げ下ろしや使い方もぎっちりトレーニングさせられた。
 麺類を食べる時に啜り込むのは良いけれど、多くても1度に3啜りで止めておくべし。これはあまりにゾーゾー音を立てるのがみっともないという理由の他に、そんなに沢山頬張るのは行儀が悪いからだったらしい。ホンモノの懐紙を使うような正式の和食作法は知らないが、母のおかげかどうか、食事中に人様に不愉快な思いをさせたことはない、と思う。

 それで思い出すのは家人と最初に会ったとあるオフである。niftyのFCLAの集まりで、場所はどこかの居酒屋だった。ハンドルだけしか知らない人々と会うので随分緊張していたのだが、たまたま同じテーブルに「おやあなたがあの」の家人が居たのである。
 豪快な食べっぷりだった。箸の持ち方も独特だったし、お世辞にも行儀が良いとは言えなかった。しかしまあこれが実に美味そうに喰らうのである。母の持論「食事の行儀でお里が知れる」で、ああこの人はきっとわたしと同じくらい庶民なんだなと、だいぶ気が楽になったことを覚えている。当時のわたしには、クラシック音楽のマニアな方々はきっとハイソだろうという思い込みがあった。

 いろいろあって結婚することが決まってから、初めて家人の実家へ挨拶に行った。玄関ドアを開けてびっくり、なんかウチとは随分雰囲気の違うお宅である。リヴィングに通されたら木目調仕上げのグランド・ピアノがどどおんと置いてあった。わたしの感覚では、自宅にグランド・ピアノがあるおうちは「ウチと同じ庶民」ではない。
 家人の話では非常に面白くて庶民的なお母さんということだったのに、何だか随分品も良い。一瞬本気で「どうしよう、騙されたぁぁぁぁ」と焦ったものだ。話してみたらちゃんと楽しい方だったので安心したのだが。
 後から良く考えたらピアノの先生なのだから、グランド・ピアノがあってもおかしくなかったのだろう。しかし子供の頃習っていたピアノの先生の家にもグランドはなかった。個人宅にグランド・ピアノがあるのを見たのは実にあの時が最初だったのだ。びびってもおかしくはないよな…(汗)。




03/27 多忙な月曜日

2006/03/27 23:10
 2週に1度の「燃やせないゴミ」の日が今朝だった。収集は有料で各戸前。緑の専用ゴミ袋に入れて、8:30までに家の前に出しておかねばならない。生ゴミと違って匂いもしないためずっと先延ばしにしていたのだがそろそろ袋一杯に溜まってしまったのだ。どんなに遅くても8時くらいには起きなければならないのに、昨夜というか今朝は4時近くまで夜更かししてしまったのだ(阿呆)。
 風呂から上がったら点けっぱなしのTVがBS朝日か何かになっていて、いかにも怪しい映画を放送していた。『スカイハイ』とかいう作品らしい。ヒロインは釈由美子さんで、結婚式当日に何者かに殺され、幽霊になってしまっているのだ。幽霊になったヒロイン・美奈さんは「恨みの門」とかいうあの世の1コーナーに行き、そこで「天国へ行って再生するか、幽霊となって現世に留まるか、誰か1人呪い殺して地獄へ行くか」の3択を迫られる。

 ストレッチをしながらつい観ていたら、美奈さんは連続猟奇殺人の犠牲になって、遺体からは心臓が持ち去られているらしい。犯人は某科学者で、死んだ妻を蘇らせるために黒魔術の儀式を企んでいる。そのために一定の条件を満たす6人を特定の場所で殺害し、その心臓を取り出さねばならないのだそうだ。妙にチープな『死界の書』やらが出て来て、お約束の霊能者だの心霊写真だの6芒星だのが続出。
 妙に覚えのあるテイストだと思ったら、監督の北村龍平氏は『ゴジラ Final Wars』の方だった。あれも一種のお祭映画というか、何でもアリアリのおバカ映画だったっけ(そのせいで“映画感想文”ではなくて日記ネタになっているのだ)。ありがちなギミックとお約束の展開と無意味に派手なアクション。なるほど北村作品は全部こうだったのか。

 途中で止めて寝れば良かったのに、つい最後まで観てしまった。おどろおどろしいオカルト設定と派手なアクションてんこ盛りの割にはエンディングまでが長く、しかもクライマックスが「散々引っ張って結局ソレかい!」というしょーもなさなのだが、不思議と「ああおバカ映画観ちゃったなあ」というある種の満足感がある。駄作と切って捨てるまでに行かない何かがある。こんな夜中でなく、同じCMに飽き飽きせずに観られたら、もっと気に入ったかもしれないとさえ思う。
 『ゴジラ Final Wars』もそうだったけれどヘンな作品だったなと思ってレヴュー・サイトを覗いてみたら、見事に賛否両論だった(こちらとかこちら参照)。何となく、賛否両方の意見に「そうだろうとも」と頷いてしまう。

 原作は同じタイトルのコミックで、過去には連続ドラマの放映もあったようだ。ドラマはかなり評判高く、続編まで作られたりしている。元々は「事故や殺人などで死んだ魂は“恨みの門”へ行き、そこで再生・幽霊化・地獄行きのどれかを選ぶ」という基本設定の、1話完結のシリーズだったらしい。6芒星だ黒魔術だは映画版だけのオリジナルなのだ。北村監督、よほどこういうのが好きなんだなあ。
 「恨みの門」には門番が居て、TV版では釈由美子さんが演じていたらしい。一応映画版ともリンクしているようだが、原作もTV版も知らないので、伏線がどういう風に設定されているのかは不明。「さあ、お生き(行き/逝き)なさい」というのが決めセリフ。
 どっちかというとやはり、映画版よりはTVドラマか原作コミックの方が面白そうである。

 ともかく、そんな阿呆なことをしてしまったせいで、昨夜の睡眠時間は3時間半。家人は休みの日なので思う存分夜更かしして、思う存分朝寝坊が出来る。流石に家人は『スカイハイ』を最後まで観たりはしなかったのだが(汗)。
 ただでさえ月曜日はいろいろあって忙しいのに、バカなことやっちゃったなあ。せめて今日は少しでも早めに寝ることにしよう…(とほほ)。




03/28 新しいアイスクリーム屋さん

2006/03/28 23:20
 掃除を終え、乾燥機を回しながら、玄関先で義母とガーデニングの話をしていたら電話が鳴った。母だった。最寄り駅近くのショッピング・モールに最近オープンした新棟のアイスクリーム屋さんに居るのだという。20日の日記に書いた通り、基本のアイスクリームと、ナッツやフルーツやソースなどの mix in を、オーダー時に冷たい石の上で混ぜてサーヴしてくれる。元々はアメリカで人気のチェーン店である。
 1度食べてみたいと思って、先週バレエの帰りに寄ってみたら長蛇の列だったのも日記通り(汗)。そして実はその翌週の27日にも行ってみたのだった。それも行きと帰りと2回も。残念ながら両方とも、40人以上の行列が出来ていた…。

 オープンからまだ10日しか経っていないし、良く考えたら今は春休みの真っ最中。混んでいるのも当然かもしれない。仕方ないので春休みが終わった後か、あるいはゴールデン・ウィーク後など、ほとぼりの醒めた頃に出直すことに決めていた。
 母も興味があって、たまたま寄ったらしい。そうしたら時間帯がまだ早かったためか、せいぜい20人足らずほどの人が並んでいるだけだったので、これは買ってみようと思ったのだそうだ。空いていると言っても10人以上は並んでいたのだろうが。
 「何か買って行ってあげようか」と言うのだが、食べたこともないアイスクリーム屋さんのメニューなんか知るハズもない。どんなのが良い? と言われても判断に困るので、急いでわたしも現地に向かうことにした。

 急ぎ足でアイスクリーム屋さんに到着すると、母が店内からひらひらと手を振った。ほとんど行列の先頭に居る。電話を受けてからそこまでの10分弱で先頭に進んだのだとすれば、なるほど確かにかなり空いていたのだろう。
 並んでいる人に悪いなあと思いつつ母のところまで行ってメニューを見る。あらかじめブレンドが決まっている「ハッピークリエーション」が20種類ほどと、後は自分で選んで組み合わせる形式だった。宅配ピザのシステムと似ているだろうか。サイズは「Like It」(小)と「Love It」(中)、「Gotta Have It」(大)の3種類。他にお持ち帰り用の「Take Out Pint」がある。ワッフルはオプションで、プレーンかチョコレートが選べる。
 オーダーごとに1回1回混ぜるので結構時間が掛かる。このため行列が出来易く、行列がまた人を呼ぶのかもしれない。

 母は家人にも食べさせてあげたいとありがたいことを言うので、パイントのを買うことにした。悩んだ挙句、3種類のベリーが入った「ベリーベリーベリーグッド」と、ピーカンナッツにチョコファッジとキャラメルソースが入った「キャラメル タートル テンプテーション」を選ぶ。キャラメル入りアイスは家人の大好物なのだ。
アイスクリーム2種  左が「キャラメル〜」で右が「ベリー〜」。ブレンドの時、店員さんが間違えて「キャラメル〜」にアーモンドを入れてしまったそうなので、その分はオマケしていただけることになった。ラッキー♪ 「ベリー〜」はイチゴとブルーベリーとラズベリー。コンポート状のベリーをそれぞれ石板の上でアイスクリームに載せて、でっかいスプーン2本でざくざく切りながら捏ねて混ぜる。結構力作業であった。

 捏ねる作業を見ているのも結構楽しかったが、さらにオマケもあった。「パイント入りま〜す♪」との声と共に、店員さんたちが皆揃って「ハイ・ホー」を歌い出したのだ。「ハイ・ホー」を歌いながらアイスを捏ねる店員さんたち。もちろん例のドワーフたちをイメージしているのだろうが、なんともまあアメリカンな雰囲気でちょっと恥ずかしかった。
 ちなみに「Gotta Have It」を注文するとまた別の歌を合唱してくれるらしい。大昔、ケン○ッキーでバイトをしていた時、一番高価い「パーティー・バーレル」の注文があると大声で「バーレル入りま〜す!」と宣言する決まりだった。太っ腹なお客さんどうもありがとう、という意思表示(?)で、きっとアレと似た意味合いを持つのだろう。「バーレル入りま〜す!」も、やられたお客さんは実は恥ずかしかったのだろうか。

 わくわくと持って帰り、家人の帰宅を待って早速食べた。「キャラメル〜」はオマケで加えられたアーモンドが効いていて非常に香ばしく濃厚な感じ。一方の「ベリー〜」は、3種類のベリーの酸味と甘味が絶妙で、まさにフルーティー♪ な感じだった。果肉が塊で入っているためにそれがシャーベット状になっていて、それがまた食感の違いを出して美味。画像だとベリーの密度が低いように見えるかもしれないが、これはたまたまそういうところが表面になっているだけで、中身はざくざくである。
 面白いことに、ベースとなっているアイスクリームは両方とも同じなのである。同じアイスが mix in の違いでこれだけ味と食感に変化が出るとは感激的かもしれない。自分なりの最高の組み合わせを見つけるのも楽しそうで、今後も折を見て通おう、と決めたのだった。

 ゴールデン・ウィーク明けには、マンゴー・アイスクリームにマンゴーとイチゴとホイップ・クリームをブレンドした期間限定の「ブラッシング マンゴー クラウド」というのも販売開始になるらしい。「キャラメル〜」と「ベリー〜」を作ってもらっている間にマンゴー・アイスクリームを試食したら、濃厚で非常に美味しかった。楽しみである。




03/29 ヘリコプターがぶんぶんと

2006/03/29 20:50
 飛んでいる。どうもウチの近所で立て篭もり事件があったらしい。
 たまたま今日は家人が夜勤で晩御飯が要らない日なので、わたしは独りで遊びに出ることにした。帰宅途中にふと携帯電話を見ると、着信やらメールやらがどっさり来ている。マナー・モードにしていたので気が付かなかったのだ。開けてみると家人や友人たちからの「家の近所で警官拉致事件があったらしいけど大丈夫?」という安否確認だった。ひょえーそんなことちっとも知らなかった。

 最寄り駅近くのショッピング・モールに寄って、本屋さんで改めて家人にメールを入れるとすぐ返信があった。わたしは「近所で」と言ってもそれほどではないだろうと思っていたのだが、良く話を聞いてみると、ウチの近所に国道2本の交差点があって、事件発生現場はそこらしい。近所も近所、徒歩数分の場所である。
 どういう事件なのか良く判らないのだが、犯人がまだその辺りを逃走中とかで、家人も流石に心配したらしい。無事に帰宅してから隣家の義父に聞いたところでは、少し前に犯人はウチからやや遠ざかる方向へ移動し、そこの民家に立て篭もっているのだそうだ。
 どうなっているのか知りたいなあと思うのに、ネット・ニュースもTVも、それらしきものを流していない。どうなっているのだろうか。ヘリコプターが頭上をずーっとぶんぶん飛び回っているので、事件が解決してはいないことだけは確かなのだが。

 それにしても「警官拉致事件」って、「警官が拉致された」のだろうか。それとも「警官が誰かを拉致した」のだろうか。ぶっそうな事件、早く解決すると良いなあ。

 …と思ってネット・ニュースを遡ってみたら、18時44分更新分に該当する記事を見つけた。どうも交通違反で捕まって交番で事情を聞かれていた男性が、突然交番横に駐めてある自分のクルマに乗って逃げてしまった。車内には捜索中の巡査長さんが乗っていたため、拉致という形になってしまったらしい。
 「民家に立て篭もっている」のも、逃げた男性の自宅ではないかということで、拉致された巡査長さんも無事だという。不幸中の幸いで、誰も怪我をしたりモノを壊されたりはしていないらしい。ううむ人騒がせな事件である。シート・ベルト着用違反で呼び止められてこんな大騒ぎに発展させてしまうとは…。もしかしたら無免許だったりしたのだろうか。
 最終更新時の今、外を覗いてみたら、ヘリコプターはもう居なくなっていた。解決したのだと良いなと思う。

 さらに現在22:03。テレビ朝日の「報道ステーション」によるとまだ事件は未解決らしい。犯人が自宅に立て篭もっていると思っていたのに、立会人を連れて来て中に入ってみたら、誰も居なかったのだという。この家に住んでいた人が本当に逃げた犯人なのだとしたら、どうやらその人は「そのスジの人」らしい。
 「報道ステーション」に出て来た国道の陸橋とか、事件発生の交番には見覚えがある。わたしが見覚えあるくらいだからよっぽどしょっちゅう通ってるところなんだろうなあ(それでも場所まだアヤフヤ)。
 逃走中と言われる地域の人たちは、さぞかし不安な思いをしていることだろう。本当に本当に、早く事件が解決すると良いのだが。




03/30〜31 『シムソンズ』と歯医者と警官連れ去り事件

2006/03/31 23:35
 ラッキーにも無料チケットをいただいたので、あれこれ遣り繰りして今日のスケジュールに『シムソンズ』を無理矢理突っ込んで観て来た。タイムリーと言うかミーハーと言うか、今をときめくカーリングがネタの作品である。感想文を書くほどではないかなと思ったので、とりあえず日記ネタにしてしまおう。
 ところは北海道の常呂町(洒落に非ず)。高校3年生の和子(加藤ローサ)は夢も進路も具体的に描けず、将来に不安を感じつつ無為に毎日を過ごしていた。そんな彼女は長野オリンピックのカーリング・チームの加賀真人選手に憧れ、つい女子カーリング・チームを結成。メンバーは親友の史江(星井七瀬)、クラスで浮いている菜摘(高橋真唯)、元・天才カーリング少女の美希(藤井美菜)。美希以外はズブのド素人。

 4人の少女たちと、彼女らを教える元・カーリング選手で何か過去のありそうな大宮平太コーチ(大泉洋)のドラマを、笑いあり涙ありで軽めに描く。これ以上はないほどの「ありがち」な作品だが、それでも楽しかった。鑑賞後に帰宅する途中の足取りが、自然にうきうきと軽くなるような爽やかな後味。わたしはやっぱりこういう話、大好きである。
 メンバー4人が反発したりまた仲直りしたりの展開はややさらりと流され過ぎだろうか。「お守りの五円玉」のエピソードはもう一押しあっても良かったと思う。美希が心を開くまでの経緯にも、あと少しの説得力が欲しかった。
 「氷上のチェス」と異名を取るカーリングなのだから、試合展開をもうちょっと見せてくれてもいいじゃんか、という気もする。

 そんなふうにいろいろ煮詰め足りないところはあるのだけれど、主人公たち4人の明るい笑顔ですべて許してしまえる感じ(汗)。特にわたしは加藤ローサさんの、きゅーっと上がった口角に元気付けられた。そういえば『ちゅらさん』以来やっぱりお気に入りの国仲涼子さんと加藤ローサさんはそっくりだと思うのだが、これも引き込まれたポイントの1つだろうか。
 ともかくなーんにも考えずにハッピーになれる素敵な作品だった。ラスト・シーンなんか「えーっ、そんなのアリなの?」と思ったのだが、試合前の4人がふーっと息を吸い込む緊張感はやっぱり爽やかだった。帰宅後調べたら、「シムソンズ」はソルトレイク五輪実在のチームだったらしい。実話が元とは、事実は小説より奇なりを地で行っているのだろうか。

 作中の「ハウス(カーリングのストーンを投げ込む同心円)の向こうに何が見える?」という言葉にもじーんと来た。スポーツなど、頂上を目指す人たちは多かれ少なかれ、ゴールの向こうに、舞台の上に、普通の人には見えない「何か」を見るんだろうなあ…と思ったからだった。ラグビー選手が今まさにトライを決めんとするゴールの向こうに見るだろうものなんて、わたしも非常に知りたかったりする。

 良い気分で帰宅した後は半年に1度の歯医者である。歯に関しては、予防に勝る治療はないというのがわたしの信念なのだ。単に「虫歯になって削られるのが怖いあまりに定期検診を欠かさない」のだが、そこは家人にはバレバレである。でもおかげで家人も、虫歯を放置して酷い目に遭ったりすることがないのだから良いではないか。
 掛かりつけの歯医者さんには「まとりさんたちが来ると、ああもう半年経ったのだなと思いますよ」などと言われて、ほとんど渡り鳥のような風物詩と化している。相変わらず「歯医者が大嫌いだから、虫歯を削られるよりは検診を我慢する方がマシなのだ」とは言えないわたしであった。

 晩御飯の支度をしていたら、ネット・ニュースを読んでいた家人が「一昨日の犯人が出頭して来たってよ」と教えてくれた。シート・ベルト未装着でキップを切られそうになって、警察官をトランクに乗せたまま(!)逃げてしまった事件の犯人が「組幹部に付き添われて出頭」して来たのだそうだ。予想通りマル暴だったらしい。
 容疑は公務執行妨害だそうだが、クルマの中にあった白い粉は覚醒剤だったらしいし、いろいろ突っつかれて大変だろう。ヤバいものを載せている時には交通違反をしないように用心するというのは基本だと思うのだが…。
 ともあれこれで近隣住人も一安心である。怪我人が出なくて本当に良かった。