05/01 乱高下 |
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東京では今年初めて真夏日を記録したらしい。真夏日、つまり最高気温が30℃を越えたのだそうだ。道理で洗濯物があっという間に乾いた訳だ。全然関係ないが、「洗濯物があっという間に乾く」というフレーズを思い浮かべると、自動的に「チュッチュピカピカ、チュッチュピカピカ」と合いの手が入ってしまう。我ながら阿呆ではないかと思うので、そろそろヤメにしたいのだが、染み込んで取れない。これも1つのディラン効果なのだろうか(汗)。
我が在所辺りでは30℃まで行っていないのか、それとも30℃は30℃でも何かが違うのか、体力を搾り取られるような暑さではなかった。個人的には今日くらいの気候だと活動的になれて嬉しい。バレエ教室では死にそうになったけれども(汗)。予報では、明日は一転して最高気温が20℃に届かないらしい。勘弁してくれ。そんなふうに暑くなったり寒くなったりされると、ヘタレなわたしは覿面に風邪を引いてしまう。今週から来週にかけて、やりたいことややらねばならないことが結構詰まっているので、風邪を引いている暇はないのだ。
まだ3週間近く時間があるが、やっぱり『ダ・ヴィンチ・コード』も楽しみだったりする。どうも予告編を観れば観るほど「…これはあまり期待をしてはいけないかもしれないなあ」という不安な気持ちが募るのだが。内容は結局のところ「かなり大掛かりな宝探し」だと思うのだが、予告編でもCMでも、映画を観れば隠された真実が判る…みたいな煽り方をしている。大丈夫なのだろうか。
とは言え、公式ファン・サイトなどでは各種のイヴェントが目白押しで、ついついクイズにも答えちゃってる辺り、本当にミーハーである(汗)。閑話休題。一転して寒くなる明日は、遠来の友人と一緒に池袋へ出掛ける予定だったりする。ちょっとした趣向付きのお茶会なので、そのためにはお洒落をして行くこと、という条件が付いている。悩んだ挙句、昔、友人の結婚式に着て行ったクリーム・イエローのスーツを選んだ。袖がちょっと透ける感じのレースになっていて、ついでにレースのオーヴァー・スカートが付いている。
オーヴァー・スカートを付けるとあまりに派手だろうかと思って、実は今までずっと外していたのだが、面白いから今回初めて着てみようかと目論んでいるのだった。着てみてあまりに恥ずかしいようなら、目的地に着くまで外していれば良いことだし。肩パッドがみっともないので取ってしまったのだが、その分肩や脇に皺が寄らないようにするには、相当頑張って姿勢を良く保たねばならない。バレエ教室やスポーツ・クラブのピラティス・クラスなどできれいな姿勢を教わっているが、きれいな姿勢、ずっと続けようと思ったら結構しんどいのであった。
肩を後ろに引いて、顎を引いて、胸を引き上げるようにキープ。腹は抜かずに、お尻を締めて、脚も爪先まで気を抜かない…だそうな。やってみると確かに美しい姿勢になるが、それを保とうと思ったら腹筋と背筋がぶるぶるしそうである。果たして明日、きちんとした姿勢を保つことは出来るのだろうか。むーん。
05/02 これから出掛けるのに |
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土砂降り。しかも雷ごんごん。
やはりアレか? 珍しくスカート履いてお出掛け…なんてことを考えたから自然のバランスが狂ったのか?
頼むから、せめて大雨と雷だけは止んでくれないだろうか。わたしはとりあえず自宅からだけれど、同行する友人は遥々東京までやって来ての参加である。寒さで彼女が風邪を引かないと良いのだが…。
05/03 執事喫茶・実践編 |
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と言うことで、昨日のお茶会の企画とは「池袋の執事喫茶“スワロウテイル”に行ってみる」だった(汗)。
コンセプトは公式サイトを参照のこと、なのだが、簡単に言えば「メイド喫茶の執事版」と言うところだろうか。喫茶店は「お屋敷」、給仕さんたちは「執事」もしくは「フットマン」、お客さんたちは「お嬢様」、「奥様」あるいは「旦那様」や「坊ちゃま」。ハイソサエティの住人ごっこを楽しむ趣向である。面白そうだが1人で行く勇気はない。FCLAの友人Nさんが行ってみると仰ったのを良い機会に、わたしもご一緒させていただくことにしたのだった。ついでだからわたしなりに「お嬢様」っぽい格好をする。2年ぶり(?)くらいに化粧までしたのだからかなり本気である(汗)。衣装は数年前に友人の結婚式で着たクリーム・イエローのドレス・スーツ。
髪はシニョン風に、黒レースのリボン付きカッチン留めで纏める。黒のパシュミナ・ショールと黒&グレイのサンダル、バッグはやはり黒。レースがもさもさ付いた、密かに毛虫バッグと呼んでいるストロベリー・フィールズのバッグであった。本人の気分としてはもはやほとんどコスプレだった。同行のNさんは黒地に龍の模様が入ったアオザイ。2人して結婚式へお出掛けですか? の風情である。お店に到着するとまずインターフォンを押す。名乗ると「お帰りなさいませ、お嬢様」と、執事さんがドアを開けてくれる。ショールと手荷物を預けて着席、メニューを選んでオーダー。この辺は普通の喫茶店とあまり変わりない。ちょっと違うのは、ショール等を預けたクロークの鍵を卓上の小さな可愛い籠に入れてくれることと、用事がある時はやはり卓上の小さなハンド・ベル(こんな感じ)を鳴らすこと。
入店して気付くのは、客の人数に比して店員さんがやけに多い点である。総執事(?)役の白髪・白髭の男性(沖田さんと仰るらしい)、わたしたちを案内してくれた執事・田辺さん、担当フットマンの新田(お名前うろ覚え)さん。8卓ほどあるテーブルに各1名ずつ担当フットマンが付くので、フロアだけで最低10人。3月末に開店してまだ間もないので、「お屋敷の執事&フットマン」さん的な洗練からはやや遠い。ただしホスピタリティの面では文句なし。どの方も「お嬢様(あるいは奥様)方にゆっくりと寛いでいただきたい」と一生懸命なのが見て取れて、なかなか微笑ましかった。役柄に熟練したら、客との間にあったある種の緊張感を解すことも出来るようになるのではないだろうか。
供されるメニューはごく普通。感激するほど美味ではないが、シチュエーションを楽しむ喫茶店だと考えれば贅沢は言えまい。紅茶がやや薄めで、ミルク・ティにすることを考えると若干温度が足りない感じなのが残念。まだ紅茶の淹れ方が上手くないのかもしれない。サイトで改善要望を出すか、あるいはオーダーの際「今日は疲れてるから、うんと濃く淹れてちょうだいな」などと伝えれば、お嬢様気分の演出としても良いだろうか(汗)。気になるのはこのお店、続くのだろうかという点である。テーブルはおそらく8卓、キャパシティは多く見積もって30名ほど。持ち時間は80分の完全予約入れ替え制。営業時間は10〜20時の600分なので、1日で7回転強、つまり1日の最大来客数は350人。客単価が2000円としても、1日の売り上げは70万円にしかならない。
フロアだけで従業員が10人だから、1人当たりの売り上げ/日は7万円。キッチンの人員も入れたらもっと下がるだろう。原価率がどのくらいかは不明だが、大昔バイトしていた某チキン屋でさえ、多い日の売り上げは100万円くらいあった。もちろんバイトの人数はもっと少ない。今のペースではどう考えてもペイしていないと思うが、母体となる会社が話題作りとして経営しているのだとすれば、その点では大成功と言えるだろう。採算度外視でずっと続けてくれるのかもしれないが、あんまり赤字が続くようだと厳しいような気もする。執事さんやフットマンさんたちの接客がこなれて来る前に潰れてしまったら残念である。どうしても行ってみたい人は早目の「ご帰宅」が吉かもしれない。
もちろん客の側にも「お約束」が要求されるのだが、わたしたちを含め、まだ全然慣れていないのでぎくしゃく感は拭えない。ホンモノの「お嬢様」などではないのだから仕方ないけれど。もうちょっと時間が経てばその辺の雰囲気も変わって来るだろうか。そんな訳で、奇妙と言えば奇妙なのだが、非常に面白い空間だったのは確かである。機会さえあればまた行ってみたい。ウチの近くにあるのだったら、うっかり通ってしまうかもしれない(阿呆)。「お嬢様ごっこ」のネタを仕込んで来る客も居るそうで、余裕があったらネタを考えるのも面白いだろう。
本当は、担当フットマンさんに「そういえばお父様とお母様は今日はどちらにおいでなのかしら?」などと戯れ掛けてみようかと思いつつ、どうしても勇気が出ないのだった。あるいは「今朝お庭をお散歩していたら、薔薇がちょっと元気なかったの。お庭係に見てくれるように伝えておいてちょうだい」とか。「階段の踊り場にあるブロンズ像だけど、もう少し移動させた方が良くなくて?」とか。通じないかもしれないが(汗)。
05/04 お屋敷という異世界 |
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格差がどうこうと取り沙汰されているが、基本的にまだまだ「1億総中流」な日本には、いわゆる「ホンモノのお嬢様」な人種はそう多くはないだろうと思う。少なくとも自宅に執事さんやフットマンさんが居るような家が、100軒も200軒もあるとは思えない。さらにもしそういう家のお嬢様が居たとしても、まず間違いなく「執事喫茶に行ってみたい」とは考えまい。
ということで、執事喫茶のあるべき姿とは、「いかにホンモノの執事っぽくするか」よりも、「乙女(汗)の理想とはどういうものか」を追求することだろうと思う。乙女(汗)の理想は1人1人違うから難しいけれど、わたしの個人的な好みでは、「一流ホテルの従業員さんの雰囲気」が一番近いような気がする。一緒に行ったNさんも「ホテルで研修すると良いのでは」と日記に書いていらしたので、あながち的外れな想像ではないと思う。つまり、対応はごく丁寧だがこちらには踏み込んで来ない距離感。さらに執事さんには、必要とあらば旦那様や奥様やお嬢様や坊ちゃまを「諌める」ことが出来る良識と重みを感じられるとベスト。
平日しか勤務していないが、白髪・白髭の執事「沖田さん」が一番人気らしいので、やはり何か共通するイメージがあるのだと思う。単にチヤホヤされたいだけではないに違いない。マニュアル臭さとかホスト・クラブっぽさを感じたら一気に幻滅するだろう(少なくともわたしは)。ついでにNさんと現地でもひそひそ話していたのだが、フットマンさんたちの髪型は、もうちょっと縛りを掛けた方が良いのではないかな、と思うのだった。基本的に茶髪が嫌い(なぜなら誰がやっても知的レヴェルが一段落ちるように見えるから)なことも大きいがそれだけではない。イメージ的にフットマンさんが茶髪&長髪というのは馴染まない。
ホンモノのフットマンさんどころか、一流ホテルのベル・ボーイさんでさえほとんど見たことがないけれど、たぶん茶髪は禁止なのではないかと思う。長さも「襟に掛からないように」とかの決まりがあるような気がする。ついでに前髪は上げるべきだろう。オール・バックとは言わないが。
さらにNさんは、フットマンさんの眉毛が細過ぎるとご不興であった。わたしとしては、眉毛はともかく、皆さんもうちょっと姿勢が良いと嬉しかったかもしれない。次に行けるのがいつになるかは不明だが(再訪…もとい、再帰宅するつもりらしい/汗)、その時には、紅茶の濃さと温度、フットマンさんたちの姿勢が改善されていると良いなと思う。特に紅茶は、淹れ方で味が段違いに良くも悪くもなるので、何回か研修を受けるとかなり違うだろう。そこまで予算がないのであれば、ネットで「美味しい紅茶の淹れ方」を研究するだけでも良い。
茶葉の種類はもっと少なくても構わない気がする。少なくともわたしなら、アッサムとウヴァが両方メニューに載っていることよりも、どっちかだけ、本当に美味しく淹れてもらうことを望むのである。茶器やミルクを温めるとかは基本中の基本。逆に言うとそこが出来ていないのだから、ちょっと練習すれば相当改善されるだろう。全然関係ないが、1つ気になるのは「お嬢様は執事やフットマンをどう呼ぶべきか」である。Nさんは呼び捨てではないかと仰り、わたしは「さん」付けだと思った。正解はないだろうが、乙女(汗)のコンセンサスはどの辺なのだろう。
わたしの感覚では、お嬢様に取って、執事さんやフットマンさんたちは「お父様(あるいはお母様)がお雇いになっている人たち」である。その娘である人にも丁寧に接してくれるのは当然かもしれないが、特に執事さんは、年齢も経験値も上の場合がほとんどだろう。若輩者であることを自覚し、サーヴィスに対する謝意と敬意を表すためには、やっぱり「さん」付けが相応しいと思うのだが。
これが「奥様」になると、感覚的にはかなり呼び捨て側に傾くのである。高飛車になっては下品だから、「さん」付けの場合よりも呼び掛け方は数段難しくなるだろう。その辺を演じ分けるのもハイソごっこ的に面白いかもしれない(阿呆)。
05/05〜06 出不精 |
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誰しもそうに違いないけれど、わたしが外出をあまり好まないのは、とにかく移動が嫌いだからである。徒歩で行けるところならともかく、目的地までドキドキ死にそうな思いでクルマを運転したり、電車に乗ったりするのがイヤなのだ。電車も空いているのならまだ良いけれど、混んだ電車で全然知らない人と隣り合わせに立ったり座ったりが非常なストレスになる。そんなこと誰にとってもイヤなことに決まっているだろう。
『ドラえもん』の「どこでもドア」とか、ダン・シモンズ氏の『ハイペリオン』や草上仁氏の『こちらITT』などSF作品でお馴染みの「転送システム」とか、実現してくれないかなあとしみじみ思う。「どこでもドア」はセキュリティ上問題があるかもしれないが、出口と入り口がきちんと固定されている「転送システム」くらいならどうにかならないだろうか。エネルギー保存則により永久機関が実現不可能と証明されているように、確か以前ネット・ニュースで、少なくとも現段階の科学力およびエネルギー源では、ワープ航法は不可能である、と証明されてしまったという記事を読んだ。ワープは無理でも「どこでもドア」とか「転送システム」はどうだったろうか。
ファクシミリ技術の応用で「転送システム」を作るとすると、送る側と受ける側に物凄い処理速度のコンピュータが必要だろう。双方向移動だから、それぞれのコンピュータには原材料タンクも備わっていなければならない。一番問題なのは、送る側に残るハズの「原稿」を、どうやって消すかということかもしれない。人間の場合はどう考えても殺人だから、倫理的にも感情的にも、相当の抵抗がありそうである。
物質を直接電気信号に変換する技術なんてのは、今のところまだないだろうし…。ともかく「転送システム」が実現したと仮定すると、まず過疎・過密地域の差が一挙になくなってしまうハズである。地価の地域格差もかなり狭まりそうな気がする。駅からの距離は物件のセールス・ポイントとはならなくなり、その分設備や周辺環境で賃料が決まる。ラッシュの通勤地獄も解消。海外旅行も一挙にハードルが低くなる。
一方で鉄道や航空、自動車関係の会社は大打撃を受ける。送信機に入らないような大きなものを扱う会社とか、あるいは純粋に趣味として鉄道や飛行機や自動車による移動を楽しむ人々向けサーヴィスの会社となるしかない。飛行機や自動車はともかく、鉄道は生き残れないかもしれない。家人のような「鉄っちゃん」は哀しむだろう。転送システムを悪用した殺人事件とか、システム・トラブルによる迷子や誤配、送ったものの「変質」なんかも問題になりそうな気がする。例えば受信側のシステムを弄って、送ってもらった炭の塊を、ダイヤモンドに変えちゃったりなんてことも可能だろう。とするとジュエリーとしてのダイヤモンドは値崩れするかもしれない。
元素変換は無理に決まっているから、受信側で用意し切れないような物質を送ることは出来ないだろう。例えば大量の金塊とか、特殊な微量元素とか、あるいは取り扱いが規制されている毒物や放射性物質などは転送不可能。それ以前の最大の問題点は、「生命」を電子情報に変換することが出来るかどうか、という点だろうとも思う。最初の転送システムが完成し、筆記用具や書物などの転送は成功したものの、試しにネズミを転送してみたら、受信側に届いたネズミは死んでいた…というSFを、大昔読んだような覚えがある。「生命」を電子情報に変換することが出来るのなら、何もないところから電子情報として作り出すことも出来るハズで、そうなるとバイオ・テクノロジーどころではない倫理問題も発生しそうである。
非生物限定での転送システムならば、宅配便が超便利になるくらいであまり日常生活に変化はなさそうだ。ただしそういう場合でも紙幣は偽造される危険性が高いから、金貨や銀貨が復権するか、電子マネーだけしか通用しない世界がやって来るかもしれない。
結局のところ、出不精を解消するだけの転送システムまでの道のりは遠そうである。ちょっと残念…(阿呆)。
05/07 GW最終日 |
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結構忙しかったせいであまりゴールデン・ウィークという実感はないのだが、早くも今日が最終日である。2日は執事喫茶で5日がオフだったけれど、他には特にイヴェントっぽいことはしなかった。というか、この時期はどこへ行っても物凄い人混みに決まっているので、わざわざ出掛けようという気力が出ないのである(とことん不精)。
それよりは、GWとか盆暮れには普通の日として過ごし、その分を平日に振り替えてもらった方が嬉しいかな、と思う。子供が居なくて学校の都合を考えなくても良いから、そういうイレギュラーなことも考えられるのだけれど。近所のショッピング・モールに最近出来た、マイナス9℃の石板の上でアイスとトッピングを混ぜて供してくれるシステムのお店も、この1週間ほどは通常の倍くらいの行列だった。3日から夏期限定のマンゴー・アイスの組み合わせが発売されているハズなのだが、人だかりの迫力に負けてまだ試していない(汗)。
そういえば忘れていたが、ただ1つだけアフィリエイトをしているビーケーワンでも、GW期間(よりちょっと長いけど)のキャンペーンを張っている。9日までだが、1度に1万円以上のお買い上げで、1000円分のポイントかギフト券、あるいは特製タンブラーが当たるらしい。
欲しい本は幾らでもあるのだが、1度に1万円というのはちと多額である。どんなに頑張ってもせいぜい5千円が限度なので、家人を巻き込もうと思ったのだが、生憎と今の家人には、買わねばならない本はないらしい。ちぇっ。そして今日の注目ニュースは、岐阜県に新しくオープンしたショッピング・モールの記事。予想を大幅に越える人出のためにトイレの浄化槽の処理能力が追い着かず、映画館等の一部店舗を除いて17時に閉店せざるを得なくなってしまった、というものである。店では「営業を続ければ、周辺住民や客に迷惑を掛ける」と判断したらしい。確かに万が一の際には阿鼻叫喚と化しそうだよなあ(怖)。
正規の閉店時間は21時とか22時とかだったそうなので、売り上げも見込みをだいぶ下回ってしまったのではないだろうか。気の毒だが、コトがコトだけに早目の決定は英断だったのだろうな…。
05/08 「ホリディ」じゃなくて「アリディ」 |
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ちょっと故あって、『D'ou viens-tu JOHNNY?』という映画のDVDを観ることになった。フランス国内版らしく、英語字幕さえ付いていないパリパリのフランス語。当然、何がどうなっているのかさっぱり判らない。どうも作品としてはシュミではないし、全編観るのは大変苦痛だったので、大部分を飛ばしながら眺める程度で終わってしまった。
印象としては『ウェスト・サイド・ストーリー』のハッピー・エンド版というか、主人公ジョニー・アリディに敵対するグループが彼を誘拐して、恋人(シルヴィ・ヴァルタン)を含むシンパが取り戻そうと頑張る話…のようにも見える。ただし本当のところは不明。フランス人がアメリカン・ロックン・ロールに憧れて、ちょっと真似して書きました…みたいな、微妙にカントリー風味の曲が主題歌で、メニュー画面で延々と流れている。止めてくれと家人に頼んでも、何か用事があるらしくて何度も何度もメニューに戻りやがるので、その度に以下のような歌が繰り返されるのだった。
ぷーまらー ヴぃーヴぁー かまん せ〜〜〜
えーもばせー さぉー どぅるぶり〜〜〜
とぅーろーら さらどまぺび
しゃぼしょん あヴぇく めびさび
ぷーまらー ヴぃーヴぁー かまん せ〜〜〜↑こんな歌詞だが、フランス語のヒアリングなぞやったことがないので、正確に拾っているかどうかは全く不明。線を細くしたエルヴィス・プレスリーが、カントリーとロックとシャンソンをミックスし、どことなく演歌調のコブシを効かせて歌っているような感じである。正直、好みの曲ではないのだが、ディラン効果(笑)なのかまた回っているのだった(汗)。耳について離れない…(涙)。
訳が判らないままも業腹なので調べてみたら、この作品は邦題『ジョニーはどこに』という1965年日本公開の映画らしい。データはこちらだが、どうも相当マイナーな作品なようで、レヴューもなければ評価もない。観た人はほとんど居ないのかもしれない。
監督のノエル・オワール氏もこれしか撮ってないようだし、そもそも主要キャラクター紹介が2人分しかない。DVDのパッケージに載っている人たちの扱いがあまりに軽くて気の毒になって来る。脇キャラたちも結構頑張ってたのに…。そしてタイトルでググっているうちに、主題歌は「Pour Moi La Vie Va Commencer」という曲らしいことが判明。最初の行に関する限り、聞き取りはおおよそ合っていたようである。意味は良く判らないが「俺の人生は今まさにスタート」とかそんな感じではないかと想像。既に辞書を引く気力もない(汗)。
結局のところ、ジョニー・アリディさんのプロモーション映画みたいな感じなのだろうか。日本で言えば石原裕次郎さんとか、あるいは加山雄三さんとか、ああいった「どことなく暑苦しい」系統のアイドルだったのかもしれない(失礼)。共演しているシルヴィ・ヴァルタンさんは、「アイドルを探せ」で一躍日本でも有名になったフレンチ・ポップ歌手である。「レナウン娘」を日本語で歌っているなど、日本でも人気は高かったらしい。実を言えば、わたしの母方の叔父が大のシルヴィ・ファンだったりする。このDVDも、叔父がフランスの友人から貰ったアイテムだそうで、叔父は「日本限定のシルヴィ・グッズ」と交換したのだと言っていた。
あちこち見て回った結果、goo映画で粗筋などを発見。なるほど、こういうストーリーだったのか。粗筋を読んだ上で内容を思い返しても、やっぱりちょっとトホホな映画だったように思う。リンチに遭って救い出されたばかりのヘロヘロのジョニーが、服も着替えず傷の手当もせずにすぐまたハンティングに出掛けるのがあまりにトートツなのである(笑)。
05/09 言わんこっちゃない |
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バレエ教室のメンバーも固まって来て、レッスンはほぼ軌道に乗った。先生ご一家は同じ駅周辺にお住まいだし、年齢の近いメンバーお2人のお宅もレッスン場から徒歩数分。つまり、みんな家が近い。そこで親睦会としてランチでもご一緒しましょうというお誘いを受けた。
1年ほど前から同じように初心者で始めた先輩格のSさんとOさん、それとT先生の合計4人で、ウチの近所のショッピング・モール内をぶらぶらしてランチ。混ぜ混ぜアイス・クリーム屋さんで、昨日から発売の限定マンゴー・アイスも食べた♪ 今の在所に越してきて9年目なのに、近隣在住のお友達が1人も居ないのもどうかと時々寂しく思っていたので、何だか嬉しい出来事である。レッスンではバレエ歴が長いアドヴァンス組を「グループ1」、わたし達のような初心者組を「グループ2」として合同に習っている。グループ1は小学校5年生から20歳までの若者グループでもある(先生は特別)。そしてグループ2は、わたし、Sさん、Kさん、Aちゃん(22歳)、Kちゃん(18歳!)の5名。Oさんは膝の故障のため現在はお休み中なのだ。
比較的歳の近い、SさんOさんKさんとわたしが、自然な成り行きとしていつもつるんでいる。T先生も同年代である。バレエという共通点があることもあって、お話するのは大変楽しい。今日は残念ながらKさんは体調が悪くて来られなかったのだが、次回はぜひとのことで、早くも次が楽しみである。予想よりもずっと長いこと話し込み、名残を惜しみつつ解散してから、家人の携帯にメールを打った。ついでなので駅最寄りのスーパーで買い物をして帰るが、晩御飯に何かリクエストはあるか、という問い合わせだった。ところが通院日で有休を取っている家人からは返事がない。おかしいな。幾らなんでももう病院からは帰って来ているハズなのだが。
いぶかしみつつ帰宅すると、家の前で義父母と家人が雑談していた。家人は何やら義父母相手に愚痴を垂れている様子である。どうしたのか訊くと、家人も実はつい先ほど帰宅したばかりなのだと言う。病院の予約は14時から14時半の間だったのに、17時を過ぎても全然順番が回って来ないので、腹に据えかねて窓口でひと吼えした挙句、診察を受けずに帰って来ちゃったらしい。待ち時間が2時間を経過した辺りで「今どのくらいですか」と訊いたら「次にお呼びします」ということだったのに、それがまた当てにならなかったために怒りも倍増したと言う。必死にとりなす看護婦さん(もしくは事務員さん)に、「もういいですったら、あなたも判らない人だな」と強く言って、診察券を奪還しちゃったのだと笑う家人だった(汗)。
確かに2時間半は待たされ過ぎである。飛び込みで受付したのならともかく、前々から予約を取って、向こうの指定通りの時間に来院した挙句の2時間半待ちとしたら、家人でなくても怒るだろう。帰って来ちゃうかどうかは別だが。成り行きを聞いて、わたしの心中は結構フクザツだった。折りしもつい先ほど、ランチの最中「まとりさんのダンナさんってどんな方?」との質問に、「とにかく真面目。真面目過ぎて大変なこともあるくらい」と答えたばかりなのだ。例として、だいぶ以前に日記にも書いた、不可解な留守電の話を披露した。
夜22時頃、買い物から帰って来た時のことである。留守電にメッセージが入っているので再生してみたら、若い男の子(推定)の声で「お前の○○を預かった。返して欲しければ30万円持って○○の屋上へ来い」という伝言が入っていたのだ。背後で笑い声がするし、あまりに若い声だし、そもそもウチには子供も居ない。代わりになりそうなペットさえ居ない。わたしは即座にイタズラ電話だろうと判断した。
おそらく仲間内での遊びが、番号間違いによって不可解なイタズラ電話になってしまったのだろう。取り合うことはない。そうわたしは主張したが、家人はあくまで「もしかしたら重大事件が起こっているかもしれない。万が一のことがあるから、きちんと警察に知らせるべきだ」と言い張って、110番通報したのである。真面目で、とにかく曲がったことが嫌いで、間違っていると思ったら上司でもお構いなくコキ下ろす。短気だし、なあなあで済ますのも嫌いだから、まあ出世はしないタイプよね。わたしとしては潔い性格で気に入っているし、別に出世なんかして欲しくもないから、良いのだけれど。わたしはランチで、同席のお3方に、そうコメントしたのだった。
まさかその実証例を、今日、やってくれちゃうとは流石に思っていなかった。次回の通院日、今日の分をどうするか、きちんと整理することが出来ると良いのだが。服用するハズの薬ももちろん貰って来ていない。すぐさま健康に関わる薬ではないらしいが、大丈夫なのだろうか。まったく困った家人である(汗)。
(05/10/01:40追記)薬について家人に確認した。「窓口の人も“本当に良いんですか”って何度も念押ししたけどね。“良い訳はないけど、死にはしないでしょう”って吼えて、帰って来ちゃった(笑)」だそうだ。ほんとに困った家人だ…(とほほ)。
05/10 「とほほ」と「ショック!」 |
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近所のショッピング・モールにシネコンが出来る前、通っていたシネコンから葉書が届いた。何だろうと思って手に取ると、5月27日に封切りとなる韓国映画『デイジー』試写会の招待券である。何故こんなものが送られて来るのだろう…と良く良く思い返せば、1月だったか2月だったか、母と『博士の愛した数式』を観に行った時にアンケート書いたっけ。ひょっとするとあれが試写会の応募用紙だったかもしれない。
どうせ当たるなら『ダ・ヴィンチ・コード』の試写会招待券の方が嬉しかった(我が侭)。喰わず嫌いの面は否定出来ないけれど、わたしはどうも韓国映画は性に合わないのである。何と言うかその、全てが過剰に感じるところとか(汗)。日程は5月18日の木曜日、18:30開場の19:00開演。時間的にも結構中途半端で厳しい。家人を独り残して観に行くほど思い入れもないから、帰宅した家人に相談して「僕も観たい」と万が一乗り気なようだったら出掛けることにしよう。たぶん興味ないだろうし、そんな時間には帰って来られないと言うだろうけれど。
家人の反応は予想通りだったので、せっかく当たった招待状だけれど、パスすることにした。会場はワーナー・マイカル・シネマズつきみ野、1枚で2名様まで入場出来る。もしも代わりに行って下さると言う方がいらっしゃったら、メール・フォームからでもご連絡下さい(ぺこり)。バレエ教室の人にも訊いてみようかなあ。ちょっぴりトホホな気分で、晩御飯を食べた後で家人とスポーツ・クラブへ行く。エアロ・バイクを漕いでから小さいスタジオでピルエットの練習でもしようと思っていたら、スタジオは両方ともエクササイズのプログラムで使用中だった(残念)。先週の『プリマダム』で神田うのさんがピルエットをしているシーンを観て、ちょっと練習方法を工夫してみようと思っていたのでショックである。今日こそ回れそうな気がしていたのになあ。
そして本日最大のショックは帰宅後にやって来た。22:45頃に家に帰り着くと、どうしてかHDDレコーダが動いていない。嘘! 今の時間は『プリマダム』を録画しているハズなのに、何故? 原因は不明なまま、わたしは今週の『プリマダム』(第5回)を観逃してしまったのだった(涙)。予告編の感じでは結構面白そうな回だったのに。再放送を早くやってくれないだろうか。…気の長い話である(汗)。
05/11 珍しく飲み会 |
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家人の新しい所属先では月単位で仕事が回るらしく、一区切り付くと「やれやれご苦労様」ということで飲み会が恒例になっているという。何でも「シメ呑み」と呼ばれているそうで、今日が異動後初めてのシメ呑みである。晩御飯要らないよと言って出掛けて行った。元の部署では各自で仕事のペースが違ったようだし、そもそも家人はあまり酒の席を好まないと見えて、ごくごく気の合った少人数でたまーに呑んで帰るくらいだった。年に数えるほどである。
致し方ないことだが、これからは月に1度、必ず晩御飯を独りで食べなければならない日があることになる。メニューを考えなくて良いのは楽だけれど、独りだと、晩御飯を食べることそのものが面倒臭くなるのが困る。今日も結局、十六穀ご飯(昨日の残り)とかきたま汁(同じく昨日の残り)、サラダ、ホタルイカの刺身で済ませてしまった。料理とは言えん(汗)。でもまあ一応、主要栄養素を一通り摂っているだけマシな部類に入るのだ。恒例のバレエ・クラスに出席するためにスポーツ・クラブへ行ったのと、帰りに最寄駅近くのスーパーに買い物に寄った以外は、ごくいーかげんに掃除などをちまちま片付けつつのんべんだらりんと過ごす。夕方、出来心で先日つい注文してしまった『Vフォー・ヴェンデッタ』の原作コミックとノヴェライズがbk1から届いたので、我慢し切れず読み耽る。原作コミックの“V”は映画とは雰囲気が違うがこれも良い。
英国がディストピアとして描かれるのが少々寂しくなって、うっかり流れで森薫さんの『エマ』1〜6巻を読み返してしまった。物語そのものはロマンス小説のひとつの典型という感じで、こういう筋書きそのものはあまり趣味でもないのだが、作品に漂う19世紀イギリスの雰囲気がたまらなく好きである。最初の頃は、文献資料だけでこの雰囲気を醸し出していたと言うから、本当に凄いと思う。先日最終回を迎えた訳だけれど、7巻はいつ出るのだろうか。9月号から外伝が始まって、全部で8巻完結となるらしいが、とりあえず本編だけは早めにまとまってくれると良いなあ。いや、結末はもう読んじゃってるのだけれど、表紙とかあとがきとか、楽しみな部分も沢山あるし…。
それにしても、ウィリアム坊ちゃんがエマに一目惚れするのはまあ判るものの、エマが何故ウィリアム坊ちゃんにそれほど惹かれるのか、今ひとつ判らないのである。単にわたしのシュミではないというだけなのだが、それを除いても、ウィリアム坊ちゃんを選んだらあの弟妹がぞろりとくっ付いて来るかと思うとうんざりする。グレイスはまだマシにしても、ゴーイング・マイ・ウェイなアーサーは取っ付き難そうだし、ヴィヴィアンの我が侭は引っ叩きたくなる。コリンは小さ過ぎるので無害だけれど、大きくなったら判らないし。執事のスティーヴンスさんには、時間を掛ければ気に入ってもらえるかもしれないけれど、リチャード父さんは手強い。オーレリア母さんが応援してくれるのも心情面だけで現実はほぼ無力。
すっぱりと忘れて、例えばハンス辺りと真面目なお付き合いをした方がよほど幸せになれる気がするのだが。何巻だったかのアンケート葉書には、そういえば、夫として最高なのはヴィルヘルム、愛人ならハキム、恋人ならハンス、友人ならロバート、弟ならコリン…と書いたんだったっけか。…英国紳士(発展途上も含め)が少ないのが寂しいが(汗)。
05/12 2〜3日留守にします |
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祖父の四十九日に出席し、ついでに叔父のPCのメンテナンス等を済ませるために、今夜から大阪へ行くことになった。明日の午後が法要なのだが、家人がまたずっと運転するため、夜中に走って祖母宅で法事の始まるまで眠る方が多少は負担が少ないということになったため。母も乗っていくので、行きは3人旅である。まあ確かに安上がりではあるけれど。
さらについでに、日曜日には、ひょっとしたら京都方面へ出掛けようか…と計画中。予報では雨降りらしいので、予定変更になることも有り得るのだけれど。
それでは皆様、行ってまいります(ぺこり)。
05/13〜16 目が回る〜(汗) |
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日中3回ほど「おや、地震かな?」と思ったのだが、どうやら単に目が回っていたらしい。情けないことだが、疲れが1日〜2日おいて出て来るのである。筋肉痛が時間差で出ると老化を心配しなければならないらしいが、疲れも同じなのではないだろうか。イヤだなあ。
しかも今回の「草臥れた」はすべて自業自得。祖父の四十九日の法要に出席するついでに姪っ子たちと遊び、ついでに翌日曜日(14日)には西京極へ出向いて早稲田大学 vs 同志社大学のラグビー・オープン戦観戦。ちょっと事情があって祖父の四十九日はお坊さまにお経を読んでもらってその後近所のお寿司屋さんへ食事会へ…というシンプルなものだった。納骨も後日だそうなので、メイン・イヴェントで本当に疲れることは何もなかったのだ。何がメインで何が「ついで」なのか、既にかなりの部分本末転倒している気はするが、祖父は何に寄らず賑やかなことが大好きな人だったので、まあ勘弁してくれるだろう。家人が目論んでいた叔父のPCのメンテナンスも、大方は予定通り完了した模様である。
金曜日の夜20:30頃にウチを出て、祖母&叔父の家に土曜日の02:00頃到着。10:00頃に目を覚まし、お昼前にやって来た姪っ子1号2号と遊びに雪崩込む。姪っ子2号は案の定わたしを忘れていたが、1号が嬉しそうに遊んでいるのを見て警戒を解いたらしく、過去ないほどに素早く自分から寄って来てくれた(嬉)。姪っ子1号の良いお姉ちゃんぶりが窺えて微笑ましかった。結局、法事の最中を除いてずーっと、姪っ子1号とべったりくっついていたような気がする(汗)。帰ってしまう時は寂しかったが、夏休みになったらまた東京にも遊びに来るだろう。姪っ子2号はきっとまたその時にはわたしを忘れているに違いない(寂)。
語彙が少しずつ増えているのが面白い。まだカタコトに毛が生えたようなものだが、「どーじょ」とか「あっと」(ありがとう)などは使うタイミングもバッチリ。良く聞くと姪っ子1号のこともちゃんと呼んでいる。夏に来る時には、是非ともわたしも覚えて帰って欲しいものだが…。翌日はラグビー観戦。いつものお仲間、RさんとNさんもはるばる東京からいらっしゃったので、例によって4人で喋りつつ観ていた。試合開始早々、ホイッスルでゲームが途切れないうちにワセダ奪トライ。いわゆるノーホイである。わたしとNさんが黄色い声で大騒ぎしていたら、前列斜め前の席にいらした小父様が半分ほど振り返りかけてから大きな声で「同志社、しっかりしろー!」と檄を飛ばしたのだった。
ついコロリと忘れていたが、思いっ切りアウェイなのだ。あまりに同志社ファンの方々の神経を逆撫でするような騒ぎは慎まねばなるまい。叔父などは冗談交じりに「甲子園の阪神ファンの中でそういうことやったら袋叩きに合うで」と笑った。(わたしたちなりに)遠慮がちに応援していたのだが、試合はワセダの一方的な展開となり、結局79−0という大差で圧倒的勝利を収めた。試合開始直後はワセダにもあちこち破綻の予感はあったのだが、途中できちんと修正しながらゲームを進めることが出来ていたようだ。頼もしい限りである。
特にFW(フォワード)は予想より強かった。BK(バックス)も、SO・曽我部佳憲選手とSH・矢富勇毅選手のコミュニケーションがばっちりで、面白いほど良くパスが通っていた。大贔屓のWTB・首藤甲子郎選手はリハビリ中なので出場せず(哀)。
同志社の仕上がりが今ひとつで、あまり参考にしてはいけない大勝利かもしれないが、とりあえずこのシーズン初のオープン戦としては幸先良いスタートである。日曜日の夜20:30頃に祖母&叔父宅を出て、やはり02:00頃にウチに着いた。荷物を降ろし、顔だけ洗って即効で寝る。家人は月曜日に有休を取っているのだが、わたしは月曜日はバレエ教室があって結構忙しいのだ。休もうかなあと思ったけれど、振り替えレッスンの日程もなんだかんだで取りづらい。多少無理して出席することにしたのだった。
レッスンが始まってしまえば草臥れているなりに動けるのだが、やはりトシなのか、終わった後&翌日にドッと来る。今日はそんな訳で、溜まった洗濯物や掃除をちんたら片付けつつ、ふらふらと過ごしてしまった。きちんと会社に行った家人は偉いなあ。基礎体力の差と言うか、これから体力なんて落ちる一方かと思うと、ちょっと哀しい気分になる。ネット・ニュースで見た栗山千明さんの「新・爽健美茶」新CMで見事なフェッテに感心。こんな技が出来るように、いつかわたしもなるのだろうか。疑問である。最近コツを掴みつつあるような気がするけれど、ピルエットさえまだ1回転が怪しいのだ。
CMのような優雅さにはまだまだ程遠いものの、他人と比べていては哀しくなるばかりなので、焦らず気長に精進することにしよう。
05/17 案の定? |
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ネット・ニュースなのでソースはすぐ消えてしまうだろうが、「『ダ・ヴィンチ・コード』カンヌで失笑を買う」という記事が出ていた。今日から始まるカンヌ映画祭のオープニング作品として初上映されたらしい。絶対に観に行こうと思ってはいるが、予告編とかTVのCMなどで判断する限り、もしかしたら大コケするのではないかとも予想していたので、「やっぱりな…」と言う気持ちが拭えない。
原作はそれなりに面白かった。エンディングがちょっとショボかったのを除けば、概ね全編に渡ってワクワクドキドキしたし、謎解きもなかなかだった。アトバシュ暗号については知らなかったので興味深く読んだし、その後CATVでナショナル・ジオグラフィック・チャンネルの特集番組に出て来た時も「おお、これがあの」と楽しかった。2つ目のクリプテックスの暗号は簡単に解けてしまってちょっと拍子抜けしたが。とは言え、内容を巡って賛成派と反対派が激論を戦わせているとか、カトリック教会が抗議声明を出したとか、ましてや「歴史上かつてない謎が今解き明かされる…!」的な煽り文句はちょっと的外れではないか、という気持ちも拭えなかった。どう考えてもこの作品、徹頭徹尾ネタではないか。言うなれば『ノストラダムスの大予言』みたいな楽しみ方をするのが良いのではないかと思う。真面目に受け取ったら阿呆を見るような気がする。
「世界史を揺るがす謎」とされている秘密も、結局のところ「だからそれがどうしたの?」程度のものだと思う。そっち関係に疎い日本人だからそう感じるのかもしれないが、仮に例の「秘密」が真実だったとしても、カトリックを始めとするキリスト教信者には大して影響はないような気がする。ヴァティカンも報道されるほどには気にしていないのではないだろうか。あ、バリバリのキリスト教原理主義者は怒るかもしれないが。映画館へ行けば「予告編とロビーのポスターと本編終了後に出される“暗号”を解いてプレゼントをGETしましょう」などというキャンペーン等、賑々しく繰り広げられている。しかしこれとて“暗号”と呼ぶべきほどのものではなく、大袈裟に騒がれれば騒がれるほど「ううむやっぱヤメとこうかなあ…」と引く気持ちが強まるのだった。それよりも、『Vフォー・ヴェンデッタ』をもう1度観たいなどと思ったりして(呆れ)。
母が楽しみにしているらしいので、封切り後すぐのレディス・デイにでも観に行くことになるだろうが、前以て母には「CMでやってるよりは軽いお話だよ。強いて言えば宝探しだからね」と釘は刺してある。原作の文庫3冊と解説本『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』を読んでもらってから行った方が良いかもしれない。何にせよ、エンタメに関しては、事前の「過剰な期待」は不吉だと思うのだが…。半ば以上「コケるかもしれないけど」と思いつつやっぱり観に行くつもりと言うのも、作り手の思うツボっぽくてやや業腹なのだが、余程のことがない限りパスすることはないだろう。明日18日に日本でも試写会(公開直前過ぎて“試写会”よりは“先行上映会”みたいだけれど)が開催されるらしい。各種の映画レヴュー・サイトでコテンパンだったりしたら考え直すかもしれないが。
間違いなく大混雑しているだろうから、本当はレディス・デイではない日に観に行こうと思っていた。母は年齢が「いつも1000円」の特典を受けられるから水曜日以外でもOKだし、わたしも1本無料で観られるだけのポイントが溜まっているので、それを使おうと目論んでいたのだ。ところがこの作品に限っては、株主優待券や特典ポイントによる無料鑑賞は出来ないという。ケチ! 仕方ない。鑑賞予定日のチケットが取れる日になったら、ネット予約に精を出すとするか。競争率激しそうでイヤだなあ…。
05/18 びっくり最終回 |
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『プリマダム』の最終回は、何と生中継らしい。詳しくは公式サイト参照なのだが、野越え山越え谷越えて、様々な障害物やトラブルをクリアし、「プリマダム」たちがバレエ教室の発表会に臨むという設定。舞台と言えば確かに舞台だから、生中継という手法もアリかとは思うが、何にせよ冒険である。大丈夫なのだろうか。
しかも観客としてエキストラを募集。100名程度と言うから、割にこぢんまりとしたホールでの開催と見える。TV用の放送機材をセッティング可能でこぢんまりとしたホールというと、どの辺なのだろう。19時頃集合で解散は23時半頃と言うからかなりの長丁場である。もちろんギャラも交通費も出ないけれど、参加したがる人は相当居るものと思われる。今日行ったスポーツ・クラブのバレエのクラスでも、詳細は知らないまま「応募しちゃおうか?」などとわくわく話していたのだった。家人は呆れつつ「勝手にすれば?」と言うし、どうせ当選しないだろうし、試しに応募してしまった(汗)。
詳細は後ほど連絡とのことなので、万が一当選してあまりに遠いところだったら「終電で帰れないからやっぱり無理です」と辞退してしまおう(無責任)。ついでに何やらドレス・コードがあるらしい。指定された服装が出来なそうだったら、これもまた「やっぱり無理です」と(以下略)。不安な点はまだあって、応募フォームはエキストラ希望者それぞれが送信する、という体裁だったこと。例えば友人と誘い合わせてとか、あるいは家人と一緒に(ウチの場合は付き合ってくれる訳はないが)とかのオプションはないらしい。その点はタイトに条件付けしておかないと人数が膨れ上がって大変なことになるのだろう。
全然知らない人の中で、バレエの発表会見学をしなければならないというのも結構怖いなあ。きっと周りは皆さんキレイな人ばかりだろうし…。そんなことは、万が一億が一、エキストラに当たってしまってから心配するべきことではあるが(汗)。まあ無理だろうから安心しておこう。自分で通っているバレエ教室でも、先生方は「いつかは発表会を開きたいですね」と仰っている。バレエ歴の長い若者たち(汗)はとっくに発表会やホンモノの舞台を経験済みだが、大人になってから始めたわたしら「プリマダム」たちは1人を除いて全員未経験。わたしを含め皆さん「そんなの恥ずかしいから、わたしたちは裏方で良いです」と及び腰である。
上手になったら舞台で踊ってみたい気持ちは多少あるけれど、そこまで辿り着くのに何年掛かるか。さらにわたしの場合、このぶっといおケツや脚を板の上に乗せて人目に晒すなどもっての外である。『ジゼル』のクラシック・チュチュでも隠せないに違いない(涙)。トウ・シューズを履いてレッスン出来るようになれたらな、とは思うものの、そこから「舞台で踊る」までには、気持ちの上で深くて広い谷間が横たわっているのだった。
05/19 予定外 |
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そろそろアトピーの飲み薬が切れるので渋々ながら皮膚科へ行き、帰りに駅前のスーパーへ寄って少々買い物。忘れていたが19日は「おトクの日」なので合計200円分のキャッシュ・バックをしてくれるのだった。ラッキー♪ 帰宅後、洗濯機を回しながら掃除。天気予報から想像していたほど薄ら寒くもないので身体が良く動く。湿度はちょっと高過ぎるけれど今日くらいの気温だと嬉しい。
怖いくらいに順調にスケジュールがこなせているなあ、と鼻歌気分で2バッチ目の乾燥終了洗濯物を片付けていた15時半、家人から携帯にメール。取引先との飲み会が入ってしまったので、今日の晩御飯はキャンセルだという。そろそろお米を研いで出汁昆布を漬けておこうかと思っていたところなのに…。出鼻を挫かれた形だが、準備を始めちゃった後ではなかったのが不幸中の幸いである。しかしこの段階で「今日の晩御飯は独り」となっても、独り分を予定通り作る気はキレイに失せてしまった。さてどうするか。最寄のシネコンのポイントが映画1本無料で観られるだけ貯まっているので、散歩と買い物がてら何か観に行くことにした。映画館が徒歩圏にあるって良いなあ♪
本当は『Vフォー・ヴェンデッタ』をもう1度…とチラリと思ったものの、流石にそれでは芸がないので思い直し、『ナイロビの蜂』に決めた。ついつい「ナイロビの峰」と間違ってしまいそうになるのだが、窓口のお姉さんは「ナイロビの…」だけで判ってくれた。重い作品だと聞いてはいたが、予想を遥かに越えて重い、後味も悪〜い1本だった。感想文は後ほど書くつもりだけれど、パンフを買う元気もないので人物相関図が今一つアヤフヤである。誰と誰がどういう役回りだったのか、帰宅後思い返してもハテナな部分が結構ある。もう1度おさらいで観ればクリアになるのだろうけれど、この作品を敢えてもう1回観たいとは思えないし…。
エンド・クレジットを眺めながら複雑な心境になっていたら、いつの間にか場内にはわたし独りになっていた。皆さんエンド・クレジットの途中で席を立ってしまったらしい。何となくその心境は判るのである(汗)。気分を変えようと階下の「混ぜ混ぜアイス屋さん」に立ち寄る。行列はしていたが10分少々で受付に辿り着いたので、流石平日の夕方、空いていた方だろう。コーヒー・アイス・クリームをベースにアーモンドやピーナッツ・クリームなどをブレンドする「マッド・パイ・モジョ」をチョイス。担当の店員さんが「お客さまは当店は何度目のご来店ですか?」といきなり訊くので一瞬ギョッとした。
通り掛かる度に混雑具合を眺めているとは言え、顔を覚えられる程は入店していないハズなのだが。ドギマギしつつ「3度目です」と1回少なく申告(汗)。どうやらこの組み合わせ、担当店員さんのフェイヴァリットだったようで、それがちょっと嬉しかったらしい。写真は撮り忘れたのだが「マッド・パイ・モジョ」はこんな感じ。超こってりしたクリームに、サクサクのクッキーとナッツの歯応えが心地良い、リッチでパワフルな組み合わせだった。フルーツいっぱいの爽やかタイプも良いが、たまにはこういうコテコテも美味しい。気に入ったのである。
アイスを食べながら、ついつい先ほど観た映画を思い返す。作中に出て来た子供たちの中には、こんなアイス・クリームを食べたことがないどころか、アイス・クリームの存在そのものを知らない子達も大勢居るのだろうな。そんなことを考えたら急に咽喉に詰まるような気がした。『誰も知らない』鑑賞後もうっかりそんな事を考えて泣いてしまった(超欺瞞的で自己嫌悪)のだが、今回は、ずしーんと落ち込むばかりで涙も出ない感じ。いかん。この落ち込みから抜け出すためには、やはり『Vフォー・ヴェンデッタ』をもう1度…観るのではなく、せめてチャイコフスキーの「大序曲1812年」をBGMにノヴェライズを読むのが良いだろうか(汗)。
05/20 青木まりこ現象 |
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本屋さんや図書館に居るとなぜかトイレに行きたくなる、という人が多いらしい。聞くところによるとこれは「青木まりこ現象」と呼ばれているそうで、20年ほど前に青木まりこさんが何かの雑誌に「これこれこういうことってありますよね」と投稿したことで命名されたと言う。本当かどうかは知らないが。
青木まりこ現象について解説しているページにはこちらなどがある。筆者の笠原敏雄氏は超心理学や精神病理学の専門家で、『幸福否定の構造』という著書があるらしい。そのこととこのページの内容から考えると「人は無意識に“自分が望むこと”を妨げるような心身反応を起こす」せい、ということになっているようだ。シアワセになるのが怖い、と言う心理もあるらしいから、「青木まりこ現象」が心因性のものならば、こういった論理も成り立つのかなと思う。ただしそれだと、場所は何も書店や図書館に限定されないのではないかと不思議な気もする。アクセサリーや服を買うのが大好きな人がブティックに入るとトイレに行きたくなるとか、絵画鑑賞が好きな人が美術館に入るとトイレに行きたくなるとか、そういう現象もないとおかしいと思うのだが。
やっぱりそこはかとなく漂うインクや紙の匂いが、人間の生理現象を刺激するのではないだろうか。というか、そういう理由の方が面白いと、個人的には思っていたりする。しかしわたしの場合、書店でも図書館でも「青木まりこ現象」は起こったことはない。というのは、尾篭な話なのだが、わたしは自宅のトイレでないとダメなのである(小用はOK)。そういう人も多そうだから、ひょっとしたらこの現象にも何か名前が付いているのかもしれない。そしてわたしに関する限り、この現象はほぼ間違いなく気の持ちようが原因になっていると思われる。
先日、祖父の四十九日の法要で大阪の祖母&叔父の家に泊まった時もそうだった。親戚・知人宅に限らず、ビジネス・ホテルなどでも同じである。予防策として、普段以上にドリンク・ヨーグルトやファイバー飲料を飲んだり、きちんと朝起きて朝食を摂るように心掛けたりするのだが、大抵の場合効果はない。
最近はせいぜい1日とか2日の旅行しかしないのでとりあえず耐えられないこともないが、期間が1週間とかになると結構ツライ。そういえば、下宿したばかりの頃は本当に大変だったっけ(汗)。ホテルのトイレなど、ウチのトイレよりもよっぽど清潔でキレイで快適な設備が揃っている場合もあるのに、どうしてなのだろうと不思議である。自宅のトイレは家の構造上、階段の下に位置するので天井も低いし窓もないし電灯は暗めだし、お世辞にも長居したいような空間ではないのだが。
ひょっとしたら秋頃に1週間程度の旅行をするかもしれないことになりつつあるので、今からちょっぴり心配だったりする。どうしたものだろうか。…本当に尾篭な話題で申し訳ありませんでした(陳謝)。
05/21〜22 誤解が定番となる時 |
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賛否両論あるようだが、とりあえずかのベスト・セラー小説の映画化作品『ダ・ヴィンチ・コード』は大ヒットへの道を着々と邁進しているらしい。わたしも母と近々観に行く予定である。予習しておいた方が良いだろうかと思って、文庫3冊と『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』を貸したのだが、母は「映画観てから読むんでも構わないじゃない?」と言う。そういえば『亡国のイージス』も映画を観てから読んだと言っていた。
母もあまり聖書やらキリスト教やらについては詳しくないハズだし、恐らく聖杯伝説についてもそれほど知らないと思う。予備知識が余りない状態で、いきなりあれだけの(トンデモを含む)大量の薀蓄を含む映画を観たら、混乱してしまわないだろうか。「イエスに妻子が居たとして何が問題なの?」という至極ごもっともな疑問も出るだろうしなあ…。映画繋がりの話題だが、先日『ナイロビの蜂』を観に行った時の予告編で『オーメン』リメイク版の宣伝をやっていた。獣の数字666は「2006年6月6日」を表す、ということにしてあるらしい。ダミアン少年を演じている子役さんが、目の下に黒々とクマを作っていた(メイクだろうけど)のが怖かった。ご本人が大きくなってからこの『オーメン』を観たら、ちょっと哀しくなりはしないかと心配だったりするのである。
ところで「獣の数字666」は、単純に6が3つ並んだものを不吉だと言っているのではないのだが、その辺はスルーしないと駄目なのだろうか。問題のヨハネの黙示録の13章18節ではちゃんと「あの獣の名、あるいはその名の数字である」とか「数字は人間を指す」と書いてある。大っぴらには言えないが当時の権力者を暴君(=獣)として告発している訳である。数字を使った暗号の一種ゲマトリアによれば、この数字は多数のキリスト教信者を虐殺したネロ皇帝を意味するらしい。先日、とあるところで「獣の数字」は666ではなくて本当は616だったのだ、という説を読んだ。昔からこの数字は666か616かで割れていたらしいのだが、エジプトの遺跡から出て来た世界最古の『ヨハネの黙示録』(ギリシャ語)を解析したところ、616であるとハッキリしたのだそうだ。解説ページはこちら。
666が616だとどうなるかと言うと、さっきのゲマトリアで解読すると、ネロではなくてカリグラ(カリギュラ)を指すことになるらしい。皇帝カリグラもメチャクチャやって、最後は暗殺されてしまったくらいの暴君なので、確かに獣の数字が相応しい。キリスト教徒からすると、迫害者たるネロの方が憎らしいので、本当は616だったのが666と伝わったと解釈されるということだ。ちょっと面白い説だが、残念ながらこの「獣の数字は616」、さっきのサイト以降のソースがどうも出て来ない。そろそろ研究が進んで続報が出てもおかしくないような気がするのだが。パピルス自体は実在するようで(参照はこちら)、もしこれが本物ならば、616というのは本当なのかもしれないが。
とは言え、獣の数字が666だろうが616だろうが、日付や番号自体には不吉な意味がないのは確かなようだ。オカルト好きな人はがっかりするのだろうか。…しかしそもそも迷信なんてそんなものだしなあ。こういう「誤解」が人口に膾炙して定着する例は他にも結構あるらしい。有名なところでは旧約聖書でモーセが「海を割って逃げた」奇跡のシーン。ヘブライ語で何と言うのか知らないが、あれは「葦の海(Reed Sea)」を「紅海(Red Sea)」と間違えたのだそうで、「紅海」は結構深いが「葦の海」は浅瀬、風向きによっては割れるのもそれほど奇跡的ではないらしい。
それどころかあれは「砂州」とか「葦の原」のことで、そもそも海を渡ったのではない、という解釈もあるようだ。こうなるともう何が正しいのか全然判らない。奇跡と言うからには、海は割れててくれないと面白くないのだが…。ついでに、昔の宗教画には、モーセに角が生えている絵が結構ある。ミケランジェロの有名な彫刻も角付きである。どうもヘブライ語では「頭に後光が差している」という言葉と「頭に角が生えている」という言葉がほぼ同じだったため、誤読でこういうことになったのだという。
現代では誤解は解消されてちゃんと「頭に後光が差している」と読まれているようだが、ミケランジェロの時代の人々は、モーセには角が生えていると思っていたのだろうか。角が生えてるってどっちかと言うと鬼とか悪魔を連想するのではないかと思うのだが…。
05/23 珍しく |
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頭痛が治まらない。偏頭痛持ちの友人が「低気圧が近付いている時は調子が悪い」と言っていたことがあるので、もしかしたら頭痛持ちでなくても、天気の悪い時には頭痛発生頻度が高くなるのだろうかと訝しみつつ必要最低限の用事を済ませる。本当に最低限。
朝、家人を送り出してから耐えられなくなってバ○ァリンを呑んでベッドに潜り込む。掛け布団を引き上げるかどうかというところで意識を失くす。…もしかして、単に寝不足だったのだろうか?10時くらいに目を覚まし、まだ頭がガンガンしているのでそろそろ歩きつつ階下へ。ちょっとした用事があるので母に会いに行かねばならない。電車に乗る距離でなくて良かった…と心底思いつつ外出。外の空気を吸って身体を動かしたら少しはマシになるかと思ったが、やっぱりダメだった。
帰宅後再びベッドに潜り込む。頭痛のせいか胃までムカムカする。ひょっとすると肩凝りから来る頭痛&胃部不快感なのかもしれない。家人が時々そんなようなことをコボしているのに思い当たったが、起き上がって階下まで肩凝り用塗り薬を塗りに行く気力もないのでそのまま沈没。夕方、家人からの「今から帰る」メールで目が覚めた。結局今日はほぼ1日なーんにも出来なかった。こんな日もあるさと思っておこう。やれやれ…。
05/24 最近気になるいろいろ |
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わたしの大好物の1つがマンゴーである。これはもう、夏場にどれだけ暑くて食欲がなかろうが、マンゴー味のものならスイスイ咽喉を通るというくらいの特別な食材だったりする。かれこれ5年ほど前、最寄駅近くのスーパーで「トロピカル・アイランド」印の100%マンゴー・ジュースに出会って開眼して以来の大好物なのだ。
ここ数年、マンゴーを使ったデザート等もすっかり人気者として定着したようで、いろいろなメーカーからムースやゼリーなどが発売されている。5年前、マンゴー味のデザート探しに苦労した頃からは大した変化。わたしとしては大変嬉しい時代の到来である。で、今日、夕刊を読んでいた家人が急に、晩御飯製作中のわたしの所へニヤニヤしながらやって来た。何かと思ったら、プランタン銀座に最近オープンしたという、マンゴー専門のスイーツ・ショップに関する記事を見せようとしたのだった。その名も「マンゴーズ」。マンゴー・ジュースやマンゴー・プリン、マンゴーのタルト、杏仁マンゴー豆腐などなどがメニューにあるらしい。垂涎!
どうやらこのお店は9月までの限定出店らしいのだが、こればかりではなくプランタン銀座では、7月までの限定イヴェントとして「輝け南国フルーツの女王!マンゴーリンピック」なるものも開催されているのだそうだ。どうしよう。これは行かなければ。しかしこんなに沢山種類があったら、1度や2度行ったくらいでは全部食べ切れないのは確実である。銀座まで通わなければならないではないか(悩)。ついでに←こちらは先日スーパーのパン・コーナーで見つけたマンゴー・パン。マンゴー・プリン風のクリームとマンゴー・ジャムが中に入ったパンで、生地の色からするとパン生地にもマンゴー味が付いているのではないかと推測される。家人が見掛けて買って来てくれたので、早速明日の朝御飯にでも食べようと思っているのだった。
今までの経験から言うとマンゴー味なら何でも良い訳ではなくて、やっぱりそれなりに美味なものとそうでもないものがあったりする。ヴィジュアル的にはちょっと微妙かな〜という予感がしているのだが、どうだろうか。明日の朝が楽しみなのだった♪さらについでに、この間初めて食べてみて、余りの美味しさに感激してハマってしまったものがこちら。充填豆腐なのだが味は非常に濃厚で滑らかで、まるで生湯葉のような風味がある。そんじょそこらの豆腐とは一味違う感じで、メチャクチャ好みなのだった。名前がちょっとふざけているのだが、売り場で悪目立ちするだけのことはある。豆腐スキーな方は是非とも、一度お試しあれ♪
05/25 気になるお揃い |
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2006年のプロ野球シーズンが始まって2ヶ月ほど経つが、どうも気になることがある。「東京ドームのバック・ネット真裏、最前列に座っている人たちは、何故皆さんジャイアンツのユニフォームを着ているのか?」ということである。開幕何戦目だったか、ふとTVを観ていて「おや珍しいなあ。今日は特等席の人たちがみんなユニフォーム着てる」と目に留めた。それから観る度、あの席の人たちは、かなりの高確率でズラリとユニフォーム姿で並んでいるのである。
昨シーズンにはそんなことは滅多になかった。バック・スクリーンからホーム・ベース側を映した時にTVに一番良く出るあの席には、大概、背広姿の男性が座っていることが多かった。ドームのお客さんで一番多いのが「背広姿の男性」だろうから、特に不思議なことではないと思う。野球ファンなら(特に巨人ファンなら)死ぬまでに1度は座ってみたいと願うんじゃないかと思うあの席。買おうと思ってもなかなか手に入るチケットではないような気がする。座っている人はもちろんバリバリの巨人ファンが多いのだろう。ただし去年などは、背広姿の男性たちが面白くもなさそうな顔で観戦していたり、試合の行方が決定するまでに帰っちゃったりしていることも時々見られた。接待で使うとか、そういうケースもあったのかもしれない。
上の方の座席からたまにお調子者が駆け下りて来て、ピースをしたり、携帯電話で誰かと話していたり(十中八九「俺今TV映ってるぞ」だろう)しては、係の女性に連れ戻されているバック・ネット裏の席は、某大手オークション・サイトなどでの相場は「ペア席で3万円」というところのように思える。ちょっと調べただけだから、ひょっとしたら最前列の特等席はもっと高価くてもおかしくない。TVに映る範囲は左側に6人、通路を挟んでその右に2人。その人たちが偶然、揃ってジャイアンツのユニフォームを着ている確率は、間違いなく相当低いものだろう。普通に考えれば1グループ8人があの特等席を占拠出来る可能性は限りなく低く、大抵は2人ずつの4グループだと思う。その4グループが全員、ジャイアンツのユニフォームを「偶然」持っている確率は? そしてその偶然が何日にも亘って見られる確率は?
「マンゴーズ」のマンゴー・プリンを賭けても良いが、これは絶対に偶然ではない。何かある。東京ドームが今年から、あの特等席に座る人にはジャイアンツのユニフォームを着せたいと願って始めたのだろう何かのプランがある。例えば特等席のチケットを見せると、ユニフォームを貸し出してくれるとか。あるいはユニフォームをプレゼントして貰えるとか。ただしああいうユニフォーム、レプリカでも公式のは1万円以上するのが普通である。とてもではないが、いちいちプレゼントしていたら大変だろう。貸し出しにしても、きちんと返却して貰えなかったら困ったことになる。
とするとレプリカのユニフォームではなくてTシャツかもしれない。丸首からワイシャツの襟が覗いている人も居るから、ちょっと大きめのサイズを上から着ているのだろう。座っている人が、それぞれ背番号何番のユニフォーム(Tシャツ)を着ているかまでは読み取れないのが惜しい。レプリカ・ユニフォームとかユニフォームTシャツ販売ページはこちらだが、仮にあれが全部Tシャツだとしても1着4000円前後。プレゼントにしてはちょっと高価過ぎるだろうか。ユニフォームTシャツの貸し出しか、あるいは大幅割引価格で買えるとか。特等席に座れた記念に、あのTシャツを例えば半額でいかがですかと言われたら、かなりの人が財布の紐を緩めるかもしれない。
そういえば今年から選手のユニフォームに「ア○ィダス」のマークが入っている。ジャイアンツと提携か何かしたのだろう。と言うことは、ア○ィダスがスポンサーとなって、特等席のお客様にTシャツをプレゼントという企画を始めていてもおかしくないだろうか。この間からジャイアンツのホーム・ゲームを観るたびに気になっているのだが、家人は「そんな阿呆な考察をしてないでさっさと飯を食え!」とニベもない。わたしが気を散らしながらちまちま晩御飯を食べているうち、途中で満腹になってしまうのが気に喰わないらしい。でもやっぱりどうしても気になるのである。あれはどういうことなのだろう。偶然…? いやいや、あそこまでズラリと揃う偶然は、やっぱりちょっと考えにくい。
それともあの席には「ジャイアンツのレプリカ・ユニフォームまたはユニフォームTシャツ着用のこと」というドレス・コードがあるのだろうか(悩)。偶然と言えば全然関係ないが、今日ヤクルト vs 楽天の試合でノーヒット・ノーランを達成したヤクルト・スワローズのガトームソン投手の名前を見聞きするたび、某家電量販店チェーンを思い出してしまう。偶然、ガトームソン投手とそのチェーンの名前が良く似ているのである。きっとそういう人は他にも多いのではないだろうか。
条件反射のように「あなたの近所の秋葉原♪」というCMソングと、チーターだか豹だかが走り抜ける「びゅんっ!」という効果音までが脳裏に蘇る。その後しばらくCMソングが回るので、わたしにとってガトームソン投手の名前は、かなり悩ましいものだったりする(阿呆)。
05/26 自己満足で良いのだけど |
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16日に書いた「新・爽健美茶」の新しいCMは、どうやらきちんとバレエを習っている方々からえらく不評を買っているようである。わたしが「すごいなあ」と感心したフェッテが、実は余り上手ではないらしい。バレエの映像はそこそこ観ているけれど、プロと素人のテクニックが違うのは当然だし…と、「回転出来る」だけで他愛なく感心しちゃったおのれの眼力のなさにちょっとがっかり。でもわたしはあの時、本当に感心したのである。
一応フェッテもグラン・ジュテも、バレエ教室の姉弟子さんたちの方が上手だな、とは思っていたけれど(負け惜しみ)。幼稚園から習っているのにあの程度かとか、あんなのがバレエと思われたら困るとか、結構辛辣なコメントがネット上に散見される。手厳しいなあと、他人事ながらちょっと鼻白む思いがした。CM制作サイドを弁護する訳でもないが、あのCMのコンセプトとしては、「上手なバレエ」を見せたかった訳ではないのではないか。文句の付けようのないフェッテを回れるダンサーならいっぱい居るのだし、ギャラ的に手が届かないこともあるまい。
それよりも、「キレイな人がバレエ(っぽいもの)を踊る」シーンが見せたかった訳で、そういう点ではとりあえず合格点だと思う。まさかテクニックの巧拙に文句が出るとは予想していなかったに違いない。「幼稚園から15年」とか煽ってしまったところが不味かったのだろうか。「趣味で細々続けているものなので、あまり上手ではないのですが」とか前以て控え目なコメントを出していたら、フェッテよりももうちょっと無難な技、アラベスクでポーズとかシェネで通り過ぎるとか、そういう振り付けになったのかもしれない。とは言え、本気でバレエに取り組んでいる人からしたら、やっぱりTVで中途半端な技を見せられるのは我慢ならないことなのだろう。ちょっとだけ「そんなに貶さなくても」と思ったものの、これがヴァイオリンだったら…と考えると、無理もない心境だろうかと腑に落ちてしまった。
例えば映画『カルテット』。主人公は素晴らしく高度なテクニックを持っている天才で、そのためについつい傲岸不遜な態度を取ってしまうという設定だったのだが、このボウイングがもうメチャクチャだった。音はもちろん吹替えなので大層立派な音色だが、このボウイング、この運指でこの音は絶っっっ対に出ない、と観ていて気持ち悪くなる程である。役者ならもうちょっとそれっぽく見えるように練習しろよと憤慨したのだった。
逆に本職のヴァイオリニストに演技が出来るかという問題もあるので、そもそもこういう設定の映画を作ることそのものに無理があるのかもしれない。しかし以前観た『無伴奏「シャコンヌ」』は、荒っぽいボウイングでももうちょっと説得力あったのだけど…。ちょっと毛色は違うが連想したのが、N○Khiかどこかで月に1回放送しているとある番組である。視聴者の中から立候補を募り、その人がソロ楽器を担当して、もちろんオーケストラ伴奏のコンチェルトを仕上げるという趣向。オケ伴のコンチェルトでTV出演なんて、アマチュア音楽家からしたら夢のような企画である。ニッチなニーズを上手く拾ったなあ、と感心しないでもない。
しかし演奏に関してはビミョーな感じ。今までに偶然2回ほど観たのだが、正直なところ、TV放送に値する力量の持ち主は居なかった。演奏者御本人がものすごく一生懸命に楽器に取り組んでいるのは見て取れるし、緊張具合も微笑ましいのだが、プロとアマの違いが哀しいほどに浮き立つばかり。音色に華がない。伴奏が重厚なだけに、大抵の場合、ソロが埋もれてしまう。『のど自慢』と同じ感覚だから、別にイヤなら観なければ良いだけの話である。判っているが、『のど自慢』もこちらの番組も、人間の「業」を突くようでちょっと因果なものを感じてしまうのだった。流石にオーケストラ伴奏のチャンスはこういう番組参加でもしないとないだろうけれど、自分の演奏がオケ伴に耐えられるか、その辺を見失うのはちょっとなあ…。
出演する演奏者の皆さんがアマチュアとしてはそれなりに上手なので、尚更ビミョーな感じが拭えないのだった。内輪の発表会とか、オーケストラ参加とか、そういうのでは満足出来なくなるものなのだろうか。自己満足だと判っていても、TVに出されるのを承知でオケ伴に挑戦してみたくなるものなのだろうか。かつて『のど自慢』からはプロになった歌い手さんも出たのだったか。こちらの番組でも、埋もれる才能を発掘出来るようになると良いと思う。難しいだろうけれど。
05/27 愛は自然に湧きいずるもの |
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プロ野球交流戦の巨人 vs 千葉ロッテ戦を観ていた。何だかんだ言いつつ巨人ファンの家人と、小坂誠選手を贔屓するついでにマリーンズを応援しているわたし、応援は敵味方である。小坂選手は巨人に移籍してしまったのだが、やはり敬愛するボビー・ヴァレンタイン監督の魅力と、あのお祭りっぽい雰囲気が好きで、最愛のチームは今年もマリーンズなのだった。
4対4の同点で迎えた延長戦の10回表、西岡剛選手が四球を選び、続く根元俊一選手が見事にヒット・エンド・ランを成功させた。福浦和也選手がレフト前に適時打、ロッテ勝ち越しである。躍り上がって喜んでいたら、見る見る不機嫌になった家人がチャンネルを変えてしまった。まだ攻撃は続いてるのにぃ!已む無く2階に上がって寝室のTVで試合観戦続行。ベニー・アグバヤニ選手がさらに適時打、勝ち越しは2点となった。10回の裏は小林雅英投手がきっちり抑えて試合終了。ウキウキ気分で階下に下りたら、CATVのヒストリー・チャンネルで再放送しているN○Kスペシャル『映像の世紀』第5集が流れていた。今日は5月の最終土曜日なのである。
世界の現代史を理解するためには必見の作品だと思う。ただし観ていると確実に鬱になる。この日記でも過去何度か書いたと思うけれど、本当に、歴史に学ばない人間の愚かさ醜さをイヤと言うほど見せ付けられるからである。衝撃は痛烈だが、このシリーズ視聴を、中学か高校で必修科目にすると良いのではないだろうか。第5集は「世界は地獄を見た」という副題の示す通り、それまでにも増して悲惨な映像が続く。第2次世界大戦の末期、ホロコーストやバンザイ・クリフやカミカゼなど。人間の死体がゴロゴロしている映像は、映画などでこれまでにも目にしたことがある。マネキンめいた死体には自分で予想するよりも衝撃は受けない。違うのは、この番組に映っているのは本物の死体だということで、その映像に「あまりショックを受けない」ことそのものが我ながらショックだった。
憤りを抑えられないのは神風特攻隊員の遺書である。父母に宛てて、特攻することを誇りに思うとか、男子の本懐とか書いてあったようだ。「皇国の興廃この一戦に有り」と。検閲があったから本音は出せないとしても、一部でも本気でこんなことを遺書に書いたのだろうか。わたしが残される立場の人間、母とか妻とか恋人とか姉妹とかだったら、こんな遺書は破り捨ててやりたいほど腹が立つ。特攻なんて、ほとんど無駄死にに近い、戦死としては最も遣り切れない死に方ではないか。
よもや本気だった訳はないと思う。本当の本音は、生きて愛する者の傍に帰りたいと願ってくれていたハズだと思う。しかしもしそれを本気で誇りに思っていたとしたら、自分の大切な人間がそのような考え方をするようになってしまったことを嘆くだろう。そして、そういう考え方を教え込んだ国のことも、心の底から憎むだろう。昨日だったか一昨日だったか、教育基本法を改めるに当たって、「愛国心」に関する評価を通知表に採用している小学校が無視出来ない数になっている、というニュースが目に留まった。「国を愛する心情」とか「日本人としての自覚」、「日本の歴史や伝統を学ぼうとする意欲」などを評価するのだそうだ。世も末である。
「愛国心」なんて、教えられて身に付けるものではない。小学校で「愛国心」を養成する授業が行なわれるとしたら、もうそれだけでメチャクチャきな臭い、危ない世の中だと断言出来る。「日本の歴史や伝統を学ぶ」はともかくとして、何故「友達と仲良くしようとする心情」の養成ではいけないのだろう。そういう心情の延長線上に、本当の意味での愛国心は存在すると思うのだが。尊敬するに値しない人たちに限って、親だの教師だの目上だのの肩書きを振り翳して、敬え敬えと迫って来るものである(個人的イメージ)。その伝で行けば、「愛国心」教育をわざわざ施さなければならない段階で、もうその国は愛するに値しない国家に成り果てているような気がする。
05/28 読めますか? |
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今晩の交流戦、巨人 vs 千葉ロッテ戦も、巨人の敗色濃厚になった時点で家人にTVを消されてしまった。9回表、ロッテが6点目を入れたところで家人が「ボクこれからヴァイオリンの練習するから」と言い出したのである。昨晩のように寝室のTVで続きを観ようにも、既に地上波での放送は終わっている。CATVでなら視聴可能だが、寝室のTVはCATVに対応していない。
横暴反対…と文句を垂れつつ、結局家人は練習モードに突入してしまったのだった(涙)。ネット・ニュースで確認したところによると、あの後もう1点入れて7−3だったそうである。ちぇーっ(ぷんすか)。それにしても、同じ巨人ファンでも、生前の父と家人はちょっと違って面白いなあと思ったりする。父は負け試合でも、とりあえず最後まで観る主義だった。TV放送が終わった後はもちろんラジオを聴いていた。で、負けた晩は寝るまで機嫌が悪い。家人は「こりゃ負けだな」と思ったら、未練なくスッパリとTVのチャンネルを変えてしまう。対戦相手がわたしの贔屓チーム(ロッテとか横浜とか)だったりすると尚更である。
巨人が勝った夜は、父は各放送局のスポーツ・ニュースをハシゴして、勝利の余韻に何度も浸るのが好きだった。家人も勝ち試合の後にスポーツ・ニュースを観るのは好きだが、父のように徹底的なハシゴまではしない。基本的な性格の熱血度では家人の方が上だと思うのだが、巨人ファンとしては、家人より父の方が粘着質だったのだろうか。チャンネル権を奪われてmixiに逃げ込んだわたしだったが、「お気に入り」に入れている方の日記で面白いサイトを教えていだたいた。難読漢字や特殊な読み方をする記号、漢字などを集めて、どれだけ読めるか競うのである。出題方式がちょっと変わっているのが楽しい。こちらで遊べるので、興味がおありの方は是非お試しあれ♪
難易度としては案外高くなく、わたしも最初のチャレンジで完走することが出来た。正解率は約75%くらい(細かく覚えておくのを忘れてしまった)。fffが「ふぉるてしっしも」でも「ふぉるてししも」でも不正解だったのが腑に落ちないのである。おかしいなあ。
05/29 トラブル発生! |
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詳細は秘密なのだが午前1時頃にいきなりトラブルが降って来て、おかげで昨夜は眠れなかったのだった。家人も巻き込まれたために就寝は明け方4時。しっかり2時間半後に起きて出勤したのだから偉いものである。わたしと言えば、あーでもないこーでもないと、無駄にちまちま考え込んでいたら朝になってしまった。
家人を送り出して用事をちょっと片付けた朝8時半、アタマがガンガンするので少し眠ろうとベッドに潜り込んだが、神経が昂ぶっていてとても寝付けない。眠いのに…と未練たらしくゴロゴロし、イタロ・カルヴィーノなど読んでみてもやはりダメ。とりあえず横になったから疲れは取れただろうとそのまま起きた。お昼になっても食欲皆無。わたしが考え込んだり、思い悩んだりしても事態の解決にはまっっったく役に立たないのだが、それでも気になって胃袋が活動を停止したらしい。ヤワな胃だ…。
幸か不幸か、今日は第5月曜日なのでバレエ教室はお休み。こんな時には思い切り汗をかけば悩み事もきれいさっぱり忘れることが出来るのだが、流石に一睡もしていないでハードな(当社比)レッスンは不吉である。とりあえず身体を動かしていようと、洗濯と掃除に精を出した。眠いので集中力が欠けているらしい。片付け物の最中に、小ぶりの丼を1つ、見事に落っことして割ってしまった(とほほ)。帰宅した家人もしんどそうだが、体調を崩したりはしていない様子で一安心。自分が今後ダウンしないように、きちんと晩御飯を食べようと思うものの、どうにもお腹が空かないのである。極端から極端へ走らずに、普段から腹七分目くらいで満足出来るようであれば、ごく自然にウェイト・ダウン出来るだろうになあ(タメイキ)。
元気のないわたしを気の毒に思ったらしく、晩御飯後、家人はデ○ーズのマンゴー・フェアに連れて行ってくれたのだった。マンゴーのデザートが咽喉を通るのだからまだまだOK。 明日からはちゃんとご飯も食べよう。トラブルの先行きと自分が今後取るべき対応を考えて今日はちょっと暗かったのに、追い討ちを掛けるようなニュースを見てしまった。作家でロシア語通訳の米原万里さん死去。56歳だそうである。大ショック…。
彼女のユーモアとウィットと知性の煌めきに溢れたエッセイが大好きだった。『不実な美女か貞淑な醜女か』など、コミュニケーション全般に亘って考えさせられるエピソードがいっぱいである。Y新聞の日曜版で読んだ「零下ン十度のロシアの冬を題材にしたエッセイで、挿絵の人に氷柱やスケートを描かれてしまって困った」というコラムも非常に印象深い。氷柱もスケートも氷が一端溶けないと始まらないのだそうだ。言われてみれば納得の「自分の常識、他人の非常識」というテーマがいつも通っていた。
心からご冥福をお祈りいたします。もっと作品を読みたかった。
05/30 忘れ物 |
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いつまでもショックを受けていては情けないので、しっかりしなきゃと気を取り直し、昨夜はちゃんと眠れたのだった。相変わらず食欲はないが、ついでだから短期集中ウェイト・ダウン計画も良いかもしれない。どうせ1週間もすれば元通りだろうけれど。
今日明日と家人が飲み会で晩御飯不要なので、買い物ついでにいろいろ用事をこなすことにした。先週末出したクリーニング品を引き取りに行って、や○やの「十六穀米」定期購入分の代金を払い込み、ついでにカード用口座に現金を補充して、もし空いてそうなら混ぜ混ぜアイスを食べるのも良いだろうか。クリーニング品は山のようにあるので已む無くクルマを出す。最寄り駅近くスーパーの駐車場にまず駐めてコンビニへ。ATMで預け入れ、レジで「十六穀米」分の払い込み。ペデストリアン・デッキを渡って混ぜ混ぜアイス屋さんをちらりと覗く。凄い行列で、並んでいたら駐車場が時間切れになりそうなので諦める。再びスーパーのある棟に戻り、ちょっとだけ買い物。無事、トータル1時間で済ませて、駐車料金タダで乗り切ったのだった。
その後クリーニング屋さんへ寄る。帰宅して洗濯物を2抱えほどえっちらおっちら家の中に運び込み、さてと流しを見て買い忘れに気が付いた。電気ポットの中を洗うキューブを買って来るのを忘れた…(汗)。本当は昨夜洗おうと思ったら、洗浄剤を切らしていたので、今日こそと思って流しに準備万端セットしてあったのだ。つまり今日の買い物のメインはむしろこの「ポット洗浄中」だったのに…。どうも用事を3つ抱えるとどれか1個はアヤフヤになる傾向がある。一昨日だったか、「アイロンとアイロン台を2階に片付け」、「空気を入れ替えていた寝室の窓を閉め」、「クロゼットから着替えを持って降りる」という一連の用事を済ませようとした。行きも帰りも荷物を運んでいて能率が良い。面倒臭がりなので、つい、動く時は出来る限り一遍に沢山の仕事をこなそうとするのである。
家人が茶化すように「そんなに沢山あったら、キミのことだ、どれか1個忘れて来るだろう」と笑った。流石にそこまで忘れっぽくはないハズだから、失礼なことを言うなとこちらも軽口を叩きながら階段を上る。寝室のクロゼットにアイロン台とアイロンを仕舞おうとして…あれ? アイロン、持って来るの、忘れた…(とほほ)。行動開始時に家人と喋っていたために、嵩張るアイロン台だけ持って、アイロン本体はうっかりしたらしい。我ながらつくづくシングル・タスクだなあと呆れるのだった。どうしてこうなのだろう。
家人が得たりとばかり笑い転げたのは言うまでもない。悔しいけど言い返せないのである。
05/31 品川IMAX |
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近所のシネコンでは『Vフォー・ヴェンデッタ』の上映は日に1回になってしまった。しかも上映時間が夕方〜夜なので、家人の晩御飯が要らない日にしか観に行くことは出来ない。それも6月2日で終了である。事実上、今日が最後のチャンス。どうしよう…と考えた挙句、近所のシネコンではなくて、超巨大スクリーンのある品川IMAXまで出掛けることにした。
一昨年『イノセンス』で何回も通って以来だろうか。その後ひょっとしたら『ハリー・ポッター』を観に行っていたような記憶もあるのだが。某巨大匿名掲示板では品川IMAXが「聖地」とまで呼ばれているようで、上映期間中最後のレディス・デイでもあることだし、大混雑かと思っていたけれど、それほどではなかった。全部で20人は入っていなかっただろう。聖地…(ちょっと寂しい)。中に1組、外国からのお客さまのカップルがいらして、妙にリアクションが大きかったのが印象的だった。とは言え、笑いどころで笑う程度では済まなくて、ずっとひそひそお喋りしていたのがちょっと気に入らなかったのである(集中力がないなあ)。
聞いた話なので本当かどうかは知らないが、欧米では映画とは、お喋りしながら観るのもアリだと言う。習慣が違うのだから目くじらを立てても仕方ないのだが、わたしが気になったくらいだから、すぐ近くの席に座っていた人はだいぶ気になったのではないだろうか。でも良く考えたらVも劇中で『モンテ・クリスト伯』のラスト・シーンの台詞を一緒に言っていたっけなあ。IMAXはスクリーンが大き過ぎて、実は映像に注目すると字幕が視界から出てしまう。英語の聴き取りがあまり得意ではない場合は初回鑑賞だと良く判らなくなるかもしれないが、ストーリーを知った上で観るのであればやはり、最高の舞台である。ディテールまでくっきりはっきりと良く見える大画面に、音というよりは衝撃と呼んだ方が適切に思える大音響。「1812年」でいろいろ吹っ飛ぶシーンなど最高である。ほとんど瓦礫が降って来るような臨場感だった♪
明日も映画の日なので1人1000円で観られるのだが、流石に2日連続で品川には行けないし、木曜日は動かせない予定もいろいろ入っている。今日で本当の観納めと思うと大層寂しい。早くDVDが出ないだろうか。DVDも欲しいがサウンド・トラックも欲しい。しかし今のところ日本版のサントラは出ていないし、海外ver.には、エンディングに流れる2曲が収録されていない。ローリング・ストーンズの「Street Fighting Man」と、イーサン・ストーラーの「BKAB」で、曲想が合うことの他、歌詞に「Revolution」という言葉が入っているのが選ばれた理由なのではないかと思っている。
この2曲、恐らく大人の事情で海外ver.サントラに収録出来なかったのだろう。今慌ててこちらを買ってしまって、もしも後から発売される(かもしれない)日本版のに収録出来たとしたら、また買い直さなければならない。映画業界も「1粒で何度も美味しい」なセールスをするものなので、最初から完全版を出してくれるとは限らない。でも待っていても出る保証はない。
微妙なのである。DVDの発売は、噂では8月とか10月とかと聞いている。寂しさを我慢出来なくて、それまでにせめてサントラだけでも…と、買っちゃうかもしれない(汗)。販売で思い出したが、KさんやNさんと最初に観に行った劇場で売られていた「Vのマスク」、今更だがちょっと欲しいなあと思っている。近所のシネコンやIMAXで売っていればもちろん買うのだが、某巨大匿名掲示板情報によればあの品は製造元完売らしい。たぶんお祭で売られているような、ペナペナのセルロイド製だろうと思うが、元々900円もするのでつい二の足を踏んだのだった。買っておけば良かった。某オークション・サイトではとんでもない値段が付いているらしい。
ともあれこれからDVDが出るまで我慢の日々である。B級映画だけど久し振りにハマった作品、個人的には密かに「効果音やBGMがちょっと『イノセンス』にも似てる」と思っていて、その辺も趣味に合うのかもしれない。待ち遠しい…。