徒然過去日記・2006年11月

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11/01 ちょっと多忙

2006/11/01 09:50
 気が付くと11月に突入している(汗)。
 振り返れば10月は、沖縄旅行に始まり胃痛に終わった気がする。な、情けない…。家人などは、旅行から帰って来た後の数日間こそちょっとしんどそうにしていたものの、後はピンピンしていたのに。沖縄での運転はぜ〜んぶ家人に任せて助手席で居眠りしていたわたしが、旅行疲れで胃に来るなんて本当に哀しい。
 沖縄料理が脂っこいから、というよりは、単に食べ放題の日に欲張って食べ過ぎたのが後を引いているから、であるのが尚更なのだった。見たものを全部食べたいなんて子供じゃあるまいし(とほほ)。以前ならそれでも何とかなったのだが、やっぱり寄る年波なのだろうか、最近はそれだと胃が付いて来ないことが多くなった。

 昨日のお食事会でも話題になったのだが、不惑を過ぎるとますます食べられる量が減るらしい。拝見したところ、T子先生はわたしなぞよりもよっぽど沢山召し上がる。職業柄、身体をずーっと動かしているので、食べた分は全部使ってしまうのだろう。そして主賓(と言うよりはお食事会の口実か?/汗)だったSさんは、見掛けの華奢さを裏切って、T子先生と同じくらい食べるのだそうな。
 手が使えないストレスと、にんにく料理を食べ過ぎたせいか、前日に生まれて初めて胃痛を味わったために、昨日はややセーヴしていたそうなのだが、普段外食する時でもデフォルトで「大盛り」を頼むらしい。吃驚仰天。あの細い身体のどこに大盛りラーメンやら大盛りパスタやらが入るのか。それだけ食べてどうしてあの細い脚を維持出来るのか。羨ましい…。

 5人中、KさんとOさんとわたしは胃弱組。T子先生とSさんはトラブル知らずの健やかな胃をお持ちである。それでもやはり、不惑を過ぎると、それまでよりも食事量が漸減するのを自覚すると言う。わたしとSさん(同い年)はあとちょっとで不惑。2人して「減るのかしらねえ」とやや不安である。食事量がこれ以上減ると、わたしの場合、食べる楽しみが本当に少なくなってしまいそうで哀しい。
 ふと気付いたが不惑を過ぎると云々と言うのは女性に限った話なのだろうか。家人はとっくに不惑越えしているが、相変わらず甘いものでもしょっぱいものでもモリモリ食べている。本人曰く「昔よりは随分減った」だそうなのだが、それでも、パスタ屋さんに行って大盛りパスタとサラダとピザを平らげてケロリとしている姿など見ると、本当だろうかと疑わしい気分になるのだった。

 そんなこんなで、巷ではハロウィンだったらしい昨日、ハロウィンとは全然関係なく楽しく終わった。良く考えるとクリスマスよりも更に違和感がある>日本のハロウィン 欧米の土着の祭りが元なのだから、形式だけ持って来て「悪戯かごちそうか」なんて言われても…(汗)。欧米で8月中旬に、玄関先に茄子やきゅうりで馬を作って飾るのが流行ったら、きっと同じような違和感を覚えるような気がする。てか、そのくらい妙な話だろうになあ。
 と言うことで、これから近所のシネコンに『父親たちの星条旗』を観に行こうかなあ、と計画中。そして今晩は家人と、古典四重奏団のコンサートを聴きに行くのだった。演目はドヴォルザーク。前回はモーツァルトか初期ベートーヴェンみたいなドヴォルザークだったが、今夜の演奏はどうだろうか(楽しみ)。




11/02 ガングリオン

2006/11/02 18:20
 が、出来たらしい。左手首の甲側の真ん中に、手首を折り曲げると新しい骨か軟骨が飛び出しているかのように見える。
 アタマに「超世紀伝説」とか「新銀河戦士」とかテキトーにくっつけると、何やら一昔前のロボット・アニメのようである。もちろんロボットとは何の関係もなく、ガングリオンとはゼリー状組織の詰まった袋が発生する良性の腫瘍様物質だそうで、若い女性に多いらしい。「若い」だって、へえ〜♪ と反射的に思ってしまう辺りがもう既におばさん化している(汗)。
 こちらとかこちらとかに説明されている通り、無症状ならば多少出っ張っているだけで放置しておいて問題はないと言う。

 うろ覚えだが、そういえば随分以前にも「左手の甲に軟骨が出た」と日記に書いたような記憶がある。それから暫く引っ込んでいて、また出て来たということは、一旦何かの弾みで潰れたのがまた膨らんだのかもしれない。特に痛みも不自由もないので今回も放置予定。
 少々見苦しいし、手首を折るたびに出て来て気にはなるけれど、この治療は外科的手法しかない。ぶっとい針を刺して中身のゼリーを抜くか、切開して袋ごと取っちゃうか、どちらかなのだそうな。針刺し法はかなりの確率でまた膨らんで来ると言うし、手術なんて真っ平御免である。跡が残るし、大体こんな所を切開&縫合したら、傷が塞がるまで2〜3週間は掛かる。
 その間ずっと包帯して水仕事に不自由すると思うとうんざりする。やめやめ。放置放置。

 原因は不明だが、タイプとしては粉瘤(ふんりゅう)と似ているらしい。粉瘤と言えば以前、新井素子さんが『もとちゃんの痛い話』で書いていらしたデキモノ。あの時は素子さんの左胸に出来て、それが随分痛んだ上に破裂して穴が開く…ということを繰り返していた。それから考えるとガングリオン、粉瘤よりは大人しそうにも思える。
 触ってみるとかなり固くて、中身がゼリー状の物体だと言われてもちょっと信じ難い。新しく軟骨が出来ました、と言われた方がしっくり来る感触である。発生部位によっては手首の神経を圧迫して痛みが出る場合もあるようなので、わたしの場合はラッキーなのかもしれない♪

 はっきりと自覚したのが今日、スポーツ・クラブでピラティスを受講している時である。腕立て伏せのような姿勢で身体を保持する時、左手首に軽い抵抗があるなと思って、曲げ伸ばししてみたら出っ張りを見付けた。とすると厳密には無症状とは言い難いのか? ちょっと悩むものの、日常生活で腕立て伏せっぽい動作をすることなんて殆どない。
 やっぱり面倒だし、どこかにぶつけるなどして自然に消える場合もあるらしい(現にわたしのも一旦消えていたのだし)。よっぽど大きく見苦しくなったりしない限り、医者に行くことはないだろう(汗)。単なる不精とも言う。

 それにしても、スポーツ・クラブで出っ張りに気付いて「何だろう、これ?」と胸のうちで呟いた時、どこからともなく「ガングリオン」という言葉が浮かび上がったのは一体どういう記憶の仕組みなのだろう。恐らく少女時代にでも、『家庭の医学』か何かを読んでいる時にでも見たことがあるのだと思うが、無意識が覚えていたということなのか?
 意識して思い出そうとすると全然ダメなのに、こういう時に変な言葉を知っていたりして、無意識が何を考えているのやらさっぱり判らないのだった(笑)。

 そう言えば少女時代、わたしは無闇と『家庭の医学』を読むのが好きだった。「急性骨髄性白血病」とか「脳腫瘍」とかの項目を開いては、何だか初期症状のどれもが自分に当て嵌まるような気がしてドキドキしたものだ。肥大した自意識のなせるイタタ行動というか、今で言うなら「中二病」。いやはや、恥ずかしい話である(汗)。
 ガングリオンで妙なことを思い出してしまった…(とほほ)。




11/03〜04 もうじき誕生日

2006/11/04 23:59
阿嘉島ネックレス  阿嘉島で拾った貝殻で作ったネックレスは←ので(一応)完結。残りの2つはこんな感じ。サザエ(仮称)の蓋のような、白くて渦巻き模様の入った硬貨大のものが幾つかあるのだが、これらはそのままではどうしようもない。どうにかして穴を開ける算段を考えなければならない。ドリルと万力(?)が要るだろうと思うものの、早々とそこまで投資するべきかどうか(悩)。
 貝殻に穴を開けるのは極細ヤスリで地道に削ったのだが、物凄く疲れたので、厚みが3倍はあるサザエ(仮称)の蓋には通用しないだろう。調べたところ、「ピンバイス」とか言う工具とドリルの刃があれば良いらしい。電動ドリルのような大掛かりな工具が要るのなら無理だなと思っていたが、こういうのなら何とかなるだろうか(悩)。後は目的のブツを固定する万力(?)をどうするか。手で持つのは危ないし。

 さて、今日はちょっと早目だけれど、母と家人の3人で誕生日祝いの食事をして来たのだった。まだ3週間もあるのだが、家人の「お好み焼きなんて良いかもね」にわたしも乗り気になった。8月に姪っ子1号2号や妹、母と家人の6人で行った店で、値段の割になかなか美味しかった。おかげでまだ髪がお好み焼き臭い(汗)。
 そしてついでに家人には「何か欲しいもの、ある?」と訊かれる。結婚以来、互いの誕生日にはささやかなプレゼントを交換しているのだが、2人とも実用主義と言うか、サプライズで贈り物をするよりはリクエストを取るタイプである。サプライズでの贈り物って余程センスが良くないと、貰った方も内心「あちゃー」と思うのをひた隠しに笑いつつ「どうもありがとう、とっても素敵♪」とコメントする羽目になる気がする。
 自分のセンスにはまったく自信がないので、サプライズの贈り物は極力避ける。小心者である(汗)。

 さて、今年は何をリクエストしようか。年によって残るものだったり、なくなってしまうものだったりとまちまちだった。ある時は「フォアグラを食べてみたい」だったし、またある時はロングブーツ1足だったりした。『シャーロック・ホームズ大事典』をリクエストして笑われたこともある。
 今年は、一応、欲しいものはある。あるにはあるが、ブツがブツなだけに、家人に言うのはちょっと憚られた。恐らく希望を述べても却下されるだろうという予感もあった。ううむどうしよう。悩んだ挙句、言うだけ言ってみるかと口に出してみた。「あのね、トウシューズが欲しいなあ、と思ってるんだけどさー」。

 案の定このリクエストは却下されてしまった。家人はただでさえ、わたしがバレエバレエと熱中するのが危なっかしいと思っている。この上それに拍車を掛けるようなことは避けたいのだろう。やっぱりなー。残念ではあるが仕方ない。本気でポワント履きたくなったら自分で買ってしまうだろうと思うが、まだそこまでして欲しいとも思わないし、もう暫く我慢しよう。
 とは言え家人が「習い事に熱中し過ぎないよう、何でもちょっと齧っては辞めたと言う武士の妻を見習えとまでは言わないけど、ほどほどにしとけよ」と言うのには疑問。わたしの場合、好きなことに熱中し過ぎると家の事やら自分の体調やら全て宇宙の彼方にすっ飛んで行く傾向があるのは否定しない。家人がブレーキを掛けるくらいで丁度良いかもしれないとも思う。

 けれど、最初からちゃらんぽらんで良いや、なんて思うくらいの対象に、わたしはそもそも首を突っ込んだりしないのである。マッハの飽きっぽさを誇る(汗)ので、ガーッと熱中する時期が過ぎたら、あるいは途中で「これは自分の手には負えない」と悟ったら、憑き物が落ちるように冷静になることも多い。例えばヴァイオリンは、今のところ、お師匠が見付からないこともあって無期限休止中だったりする。
 こいつは面白い、奥が深そうだ…と思うからこそのめり込む。趣味の世界は何でもそうだけれど、やればやるほど面白さが判って来て、どんどんどんどん深みに嵌るものである。入り口だけ覗いてやめちゃうくらいなら、最初から手なんか出さない方がよっぽどマシ。
 山本周五郎さんの作品にそういう内容の短編があって、家人はどうやらそのエピソードをどこかで耳にして覚えていたらしいのだが、わたしには少しも美談には思えない。

 趣味に熱中しつつ、他のこともきちんとやり遂げるだけのスケジュール(その他体調等も)管理能力があれば問題ないのだが(汗)。わたしの場合、ガーッと突っ走ってひと段落付いたところで無理が祟って発熱、ダウン…なんてことも多いので、家人の苦言にもなかなか反論し難いのであった。とことん自業自得である(とほほ)。




11/05〜07 熊の霍乱

2006/11/07 08:45
 mixi日記のタイトルも同じにしたので芸がないかな、と思うけれど、気分的にはやっぱりこう呼ぶしかない。本当は「霍乱」とは日射病や暑気あたりを指すというのが通説らしい。それとは別に、嘔吐や発熱、悪寒を伴うような激しい急性胃腸炎のことも「霍乱」と呼ぶとか。
 ともあれ「鬼の霍乱」とは、あれほど強い鬼でも「霍乱」にはダウンする、つまり普段は元気な人が急に寝込むことを意味するのは周知の通り。そして家人は小熊そっくりなので「鬼の霍乱」と言うよりはどうしても「熊の霍乱」。そう言うと苦笑と共にふざけ半分のパンチが飛んでくるのだが(汗)。

 事の起こりは連休最終日(5日)の夜中。風呂上りのわたしが、そろそろストレッチでもして寝ようと思っていたら、先に寝室に上がっていた家人が降りて来た。その前に数度、咳をしている音が聞こえていたので、風邪でも引いたのかと訊くと「アタマが猛烈に痛い」と青い顔をしている。
 普段から時々、肩凝りから来る頭痛に悩まされていることがあるので、今回もそうかなと思っていた。ところがいつもの肩凝り頭痛とはちょっとグレードが違うようである。体温の高い…と言うよりは皮膚温度の高い家人には珍しく手が冷たいし、顔〜首にかけてじっとりと冷や汗もかいている。気分が悪くて吐き気もするらしい。

 わたしの場合、顔色が悪くて冷や汗をかいて顔や手が冷たくなる…と言うと間違いなく脳貧血。耳鳴りはしなかったか、目の前が暗くなるようなことはなかったかと訊いたのだが、そういうことはないらしい。じゃあ脳貧血とも違うのかな? 家人と脳貧血とは似合わぬ取り合わせだが、別にあんなもの、誰が起こしてもおかしくない症状なのだが。
 とりあえず、身体を冷やさぬようにソファに追い上げて寝かせ、毛布や上着など手当たり次第に積み上げた。自分が脳貧血を起こした時は温かくてほんのり甘いものを飲みたくなるので、ホット・ミルクかミルク・ティーを入れようかと訊く。ただの白湯で良いらしい。脳貧血じゃないかもしれないけれど、症状はやはり人によって違うのだな、などと考えた。

 翌朝になってもアタマが痛くて痛くて堪らないと言う。こうなるともう脳貧血云々とは全然違う。俄かに焦るわたしだった。今までの肩凝り頭痛でも、翌朝まで症状が持ち越すなんてことはなかった。脳貧血でも肩凝り頭痛でもないとしたら何だろう。とりあえず家人を寝かせ、代理で会社に欠勤の連絡を入れ、ネットで調べているうちにどんどん心配になって来る。
 誰でもそうだろうと思う(願う)のだが、病気に関する本を読んでいると「これもこれもこれも当て嵌まる」と、心当たりがだんだん増えるものだろう。今回わたしが「もしや」と思って検索したキイ・ワードは「脳内出血」。アタマが痛くて気分が悪くて身体が怠く、さりとて脳貧血ではないとしたらこの辺しか思い当たらない。

 激しく嘔吐したり、意識を失ったり、平衡感覚がおかしくなったりということはない。とは言え、一見普通に振舞っていたのに数日後に急に…などというパターンも良く耳にする悲劇である。あの時、脳内出血を疑って病院へ行っていれば…なんてことにはなりたくないなあ、と思った。
 だんだん募る不安を放置するのもナニだし、折角会社を休んで家で寝ているだけと言うのもある意味勿体無い。万が一脳内出血だとしたら、手当ては勿論可能な限り早く行なうに限る。目安のデッド・ラインは48時間だと言う。48時間か。まだ12時間しか経ってないから、連れて行くとしたら今だな。

 結局、ぐーぐー眠っていた家人を叩き起こして「午後イチで病院へ行くよ」と宣言し、受付開始30分前に家を出た。徒歩5分の場所にある病院だけれど、もしも本当に脳内出血とかだったら動かすのはマズかろう。ちょっと大袈裟かもしれないけれどクルマを出す。流石のわたしも、徒歩5分、母の住んでいるマンションの真ん前に建っている病院までは、迷子にならずにクルマで行けるのである(当たり前だ)。
 問診の結果は、どうやら心配することもないらしい。お医者さん曰く「アタマのことですから、念のためにMRIを撮っておきましょう」とかで、家人は頭部単純MRIを受けて帰宅。詳しい結果は翌日以降ということだったけれど、今週末の家人は生憎土曜出勤だったりする。昨日休んでしまった分の仕事が溜まりに溜まっていることもあり、検査結果を聞きに行けるのはいつになることやら(汗)。

 まあ、MRI映像なんて、技師さんがきっと直接その場で見ているものだろう。その方が「これはヤバいんではないのか」と思ったら早目に教えてくれるだろうから、違ったと言うことはとりあえず楽観視して良いのではなかろうか(お気楽?)。検査結果を聞きに行くのは家族でも良いのなら、空いた時間にわたしが行っても良いのだが、個人情報云々がやかましい昨今、例え家族でもダメです、なんて規則があっても驚かないしなあ。
 なにはともあれ、お騒がせな家人であった。結局「肩凝り頭痛・偏頭痛のうんと酷いの」だったので、根治するのもなかなか大変そうである。
 以前はわたしもかなりの肩凝り持ちだったのだが、バレエを始めて2年、かなり軽減したと思う。家人にそう言ったのだが、当然のごとく却下されてしまった。家人がバレエの図もなかなか想像し難いが、偏見を捨ててちょっとチャレンジしてみてくれると大変嬉しいなあ、と思ったりする(汗)。




11/08〜12 少々お疲れ

2006/11/12 21:17
 大して理由もなかったのに、そして書くネタは結構あったのに、日記を5日もサボってしまった。どうもバタバタしていて余裕がなかったのと、熊の霍乱のおかげでかなり気疲れしたのが大きい。自分の体調が悪い時は、別に珍しい事態でもないし「大人しくしてりゃそのうち良くなるでしょ」とばかりに放置出来るのだが、普段ぴんしゃんしている家人の具合が悪いとどうも落ち着かない。
 元気な人ほど罹るという、何か重大な病気の前触れではないだろうかとか、うっかりすると天変地異の前兆ではないか(大袈裟)的な気分に陥る。本当に、亭主元気で留守が良い、というのは至言である。

 幸い、病院で念のために撮って貰ったMRI画像でも異常は見付からず、ほぼ予想通りの「緊張型偏頭痛」というところらしい。主な原因は肩凝りなので、肩凝りを軽減させられるという「僧帽筋トレーニング・エクササイズ」を教えてあげようと言ったのに、乗り気になってくれない。別にバレエの動作でも何でもないのに。1日ほんの2、3分、就寝前の習慣にしてしまえばそれほど辛くも面倒臭くもないと思うのに…。
 やり方はこちら。一番下の「スパインツイスト」と呼ばれるもので、背骨を真っ直ぐに整える効果もあるようだ。慣れて来たら3回素早く捻って1回正面へ戻す、という動作にするともっと効くし、長座が辛ければお尻の下に薄めの座布団を敷いても良い。肩凝りに悩んでいる方、騙されたと思って3ヶ月、毎日続けることをお勧めします。

 しかしお疲れの原因は別に家人だけにあるのではなく、ここ暫く外出が多かった、と言うのも大きい。何せ木曜日はコナミ・カップの日本ハムファイターズ vs サムスンライオンズ戦を観に東京ドームへ、金曜日はラグビー日本代表 vs クイーンズランドレッズを観戦に国立競技場へ、今日は早稲田大学 vs 帝京大学の関東大学ラグビー対抗戦を観戦に秩父宮へ出掛けたのである(汗)。
 普段はあまり人込みに出ない生活をしているので、雑踏に出るだけで疲れてしまう(超軟弱)。特に今日の観戦は、最高気温15度ちょっと、木枯らし1号が吹き荒れる寒い寒い中でだったので、どうしても体温が奪われて疲れたようだ。家人は日が当たって温かいバック・スタンドへ行きたがったのだが、わたしはやっぱり、ワセダ学生席直下がお気に入りなので、寒いと判っていてもメイン・スタンドへ陣取ってしまう。思い切り自業自得である(汗)。

 2006年シーズンの関東大学ラグビー対抗戦は、今までのところ、ワセダと帝京大学が無敗で並んでいる。下馬評ではやっぱりワセダが強いのではないかと噂されていたのだが、今年のワセダ、春シーズンのオープン戦ではカントウや慶応大学に完敗しちゃったりしている。夏のオープン戦では雪辱を果たしたものの、それからチームはどうなったか。
 総合的なチーム力を占う重要なゲームが今日の vs 帝京戦だった。先々週だったか、仙台で行なわれた vs 筑波大学戦では、勝ちこそしたものの内容はかなり悪かったらしい。その前の3試合は対戦相手との実力差があり過ぎて、本当はワセダはどのくらい強いのか、を量る目安にはならない。

 試合開始直後、立て続けに3トライを奪取。これは余裕かと思ったら、前半15分くらいから防戦一方となり、前半終了時はなんとリードはたったの3点。モールが押し込まれる。フォワードが持ち堪えられないのが厳しい。去年までの超強力フォワードと比べるのは無意味と判っているけれど、帝京の重量感たっぷりなフォワード陣がガッツンガッツン飛び込んで来るので調子が悪そうだった。
 もしかしたらひっくり返されたりして…と心配していたが、後半は打って変わって動きが良くなった。ゴール・ポストが揺れるくらいの強風の中、前半とエンドが変わって風上になったので、キックが有効に使えるようになったのも大きいだろう。とは言え、前半よりもタックルが下へ行くようになったし、ライン展開の速さも申し分なかった。

 結局、後半は帝京大学に得点を許さず、終わってみれば57−19のトリプル・スコア。後は早慶戦と早明戦を残すのみだが、今日のような試合を再現出来れば、慶応大学にも明治大学にも負けることはないだろう。ただしちょっと心配なのは、慶応大学は対ワセダ戦となると非常に極端な「ワセダ封じ作戦」に出ることで、これが今までのところバッチリ嵌まってしまっている。極端なシャロー・ディフェンスでワセダの攻撃ラインのスピードがガタ落ちになるのだ。
 さらに明治大学も、早明戦となると普段の3倍くらいのモティヴェーションで掛かって来る。しかも今年の明治大学は、去年までのやや不甲斐ないチームとは打って変わって、なかなか意思統一の取れたチームに仕上がっているらしい。やっぱり両方とも安心は出来ないよなあ…。

 それに付けても心配なのは、超ご贔屓のワセダWTB・首藤甲子郎選手の回復具合だった。先日、Cチームのリザーヴとして試運転したようだけれど、復帰はまだ遠いのだろうか。学生席に首藤選手の姿は見えるが、声を掛けるチャンスはなさそうだし、訊いてみるのは無理かなあ。
 試合終了後に引き上げる時、運良く首藤選手の近くまで行けそうなら、思い切って声を掛けよう、と考えた。観客席から通路へ出て階段へ降りる。タイミングが合えば「こんにちは」って言おう。しかし残念ながら、首藤選手はわたしの1mほど前を降りて行ってしまった。追い掛けてまで声を掛ける勇気はない(汗)。

 いつもの通りご一緒だったRさんと共に、残念…と一時は諦めかけた。とその時、何故か前を行く首藤選手がふいと左側の観客席へ入って行く。先は行き止まりなのにどうして? 数秒後、客席の下に落ちていた紙コップごみを、首藤選手が拾うシーンを目撃。知り合いでもないお客さんが捨てたごみを、首藤選手はわざわざ拾っていたのだ…!
 ラッキーなことに、その数秒のおかげで追い着くことが出来て、わたしはドキドキしつつ声を掛けることに成功♪ 残念ながらすぐ復帰はなさそうだけれど、「待ってますので…」と伝えることは出来た。
 ついでに、第1試合のタマリバ vs 北海道バーバリアンズ戦に出ていた首藤三四郎さんについてもちゃっかり質問。雰囲気やふとした仕草がそっくりなので、絶対にお兄様だと思っていたのだがやはり当たり。あれだけ似ているのは、従兄弟とかじゃなくて兄弟だというカンは正しかった♪

 そして秩父宮を去る時、わたしとRさんは、「誰が見ている訳でもないし、自分が落としたものでもないのに、気が付いたスタンドのゴミを拾う首藤選手」にメロメロとなっていたのだった(汗)。もう声も出せずにRさんと「見ました?」「見ましたよ!」という会話を目と目で交わすのが精一杯。感動の余り、マジで足がふらつきましたとも!
 選手として出場すれば、試合終了後に観客席に挨拶をしてくれる時には、いつも最後まで深々とお辞儀。あの若さでしみじみ人格者だなあ。そう言えば、首藤選手が1年生の年の2月、初めてスタンドでサインを頂いた時も、首藤選手は最後まで残って学生席のゴミ拾いをしていたのだったっけ。
 いやホント、見習わなければ。Rさんもわたしも「これから公共の場でのごみ拾いする!」と決意。しかし2人共、自宅の整理整頓もきちんとやらなければならないのを思い出したのだった(汗)。人格者への道は遠い…。




11/13〜18 かなりお疲れ(汗)

2006/11/18 23:50
 またまたサボり倒し、この10日間で日記を書いたのはたったの2回。まあたまにはそういうペース・ダウンも良いかもしれない。とは言え、本当は一昨日辺り、そろそろ日記を書こうかなと思ってはいたのだった。何故それが先延ばしになったかと言うと、わたしがやらかしたとんでもない大チョンボのせいである。
 木曜日の晩だった。翌朝のゴミ出し&古紙回収に向けて、ダイニング・テーブルの上を整頓していた家人の一言から大騒ぎは始まった。「この辺で、某M銀行の封筒、見なかった?」

 そんなもの見た覚えはない。知らないよお、と呑気に答え、ついでに何の気なしに訊いた。「何が入ってたの?」
 家人は苛立たし気に「現金だよ、3万円! ここに置いてあったハズなのに見付からないんだ」と答えた。銀行のATMでお金を引き出したら、出て来た札がピン札だったので、ピン札を要りようになることもあろうかと思ったらしい。財布に移すのはやめて、封筒に入れたままダイニング・テーブルの上に置いたのだと言う。
 そのうち発掘されるだろうと気にしなかった。ところが見付からないまま数分、十数分経過。焦りの色を見せ始める家人。わたしもどうも落ち着かない。2人掛かりであちこち探し、ついには一旦縛り上げた古新聞の束を再び解くことになった。もしかしたら封筒が古新聞に紛れているかもしれないからである。

 必死で2時間ほど探し回るも結局、封筒は出て来ないままだった。状況証拠から考えると、どうもわたしが、ダイニング・テーブルの上を片付けようとした時、要らないものと間違えて封筒ごと捨ててしまったらしい。恐らく中に入っていたのがピン札だったので、封筒の厚みがほとんどなかったのだろう、空に思えたのかもしれない。
 どんなに考えても、いつその封筒をゴミ箱(もしくは紙ゴミ入れ)に突っ込んだのか思い出せない。見た覚えもまったくないと言うことは、何かに挟まった状態のまま捨ててしまったのだろうか。
 もうとにかく大ショックである。3万円…orz

 流石の家人も善後策を講じる必要があると思ったのか、現在は書斎の片付け中。種々様々なガラクタで溢れ返った家人の書斎は、わたしが掃除に入ってもなす術もなく出て来るしかない有様だった。何せ掃除機をかけようとしても床がない。ない訳ではもちろんないのだが、そこいら中に積まれた本や書類の山のせいで、足の踏み場もないのである。
 ひょっとしてひょっとすると、問題の3万円入り封筒も、この秘境のどこかからポロリと出て来る可能性もゼロではない。限りなく低い確率ではあるが、家人が仕舞い場所を移動させて、移動した事実を忘れているのだったらどんなに良いか♪

 損失補填の必要性もあるので、家人は急遽緊縮財政に入った。会社の飲み会をパスしたり、不必要な雑誌の購入を控えたりして地道に取り戻すのだと言う。ついでに、来月のラグビー大学選手権大会の1回戦と2回戦、秩父宮へは行かずにTV観戦で済ます決意もしたらしい(涙)。そんなあっ。せめて2回戦は観に行きたいのだが。
 年末の繁忙期に、ラグビー観戦で休日を2度も潰すのも如何なものかと家人。そんなことを言うけれど、最初に「2回戦も観に行こうか」と言い出したのは家人なのに…(ぶつぶつ)。家人の中では、言い出しっぺはわたしということになっているらしいが、これに関しては違うと確信が持てる。わたしのラグビーへのハマり具合が極端だという思い込みのせいだろう。

 思い込みと言えば、全然関係ないが、先日面白いことを聞いた。どこで目にしたのか忘れてしまったのだが、何でも「乳製品を摂ってはいけない、その分は豆乳を飲みましょう」と言う健康法があるらしい。その説によれば、大人になってもミルクを摂取する動物は人間だけで、それはつまり、成体はミルクを飲む必要がないから、なのだそうだ。
 必要もないミルクを成体になってから摂取しても益はないので、その分は豆乳にシフトするべきだと言う。最初は「ふーん。そういうこともあるかもね」と思ったが、良く良く考えるとやっぱり変だよなあ。

 そもそも何故哺乳動物がミルクを分泌するかと言うと、幼生に、安全確実に給餌するためである。ミルクを分泌する親にとっては身体的に負担なので、可能な限り短い期間で「普通のエサ」に切り替えさせようとするだろう。それはミルクを飲む必要性云々よりも、むしろ親子共々の生存率をいかに高めるかがポイントであるように思える。
 普通の動物の成体がミルクを飲まないのは、必要がないからと言うよりは、単にミルクが手に入らないからではないのだろうか。飼育されている動物たちなら、大人になってからでもミルクは飲む。猫なんか「ミルクが大好き」ということになっているのではなかったか?

 動物として、自分が獲得出来る食物だけを食べるべきである、という主張は聞いた事があるし、それはある程度合理的だと思う。身体能力が落ちて、本来なら獲物を狩れないハズの老人が、動物性蛋白質を食べ過ぎるのは良くない、程度なら「そうかもねえ」と思えなくもない。
 とは言え、「ミルクではなくて豆乳を」説にはどう考えてもハテナが残る。自然界の動物たちは、幼生だろうが成体だろうが、豆乳なんか飲まないのではないのか? 原料の大豆にしたって、食べる動物も食べない動物も居るだろう。

 結局はこの「ミルクではなくて豆乳を」、乳糖不耐性のイメージ等がゴッチャになったトンデモ説なのではなかろうか。豆乳よりは牛乳の方がややカロリーと脂肪分が高いが、それが気になるのならば低脂肪乳なり無脂肪乳なりを選べば無問題である。
 何でもバランス良く飲み食いするのが一番だと思うのだが、「これさえ食べていれば安心!」な健康法が引きも切らないのは、判り易くてインパクトが大きいからだろう。バランス良く腹七分目に食べて、適度な睡眠時間と運動を、では当たり前過ぎて有り難味がない。
 本当はそういう当たり前のことが最も効果的なのだろうけれど。




11/19 仕事とは言え

2006/11/19 23:57
 ウチではラグビーの中継を良く観るので、TVKはお気に入りである。今日は高校ラグビー選手権の神奈川県大会決勝戦の録画中継があり、晩御飯時にTVKに合わせていた。桐蔭学園 vs 慶応、もちろん首藤甲子郎選手(早稲田大学)の出身高校である桐蔭学園を応援。
 その放送の乗っけにとあるCMが流れた。いつ観ても何度観てもグターッと脱力する、個人的にはかなり嫌いなCMである。不真面目でも下品でもないのだが、とにかくやる気とセンスが感じられない。こういうCMの企画にGOサインを出しちゃうという事実だけで「この会社大丈夫か?」と思わず心配になってしまう。

 予算枠があまりなくとも、せめてもうちょっと工夫のしようもあったのではないだろうか、いや逆の意味でインパクト大だから良いのか、いやいやこれだとマイナス・プロモーションだよなあ…。観るたびに、ついついそんなことを考えてしまうそのCMはこちら
 そして毎度感心するのは、これほどいい加減なCMソングを、歌い手さんが実に情感込めて一生懸命歌い上げていらっしゃること。もちろんそれが仕事なんだから当然と言われればなるほどご尤もなのだが、歌詞もメロディも実に適当な、いかにも「〆切10分前に慌ててでっち上げました」的な歌なので、マトモな歌手さんに歌わせるのが気の毒になってしまう。
 いっそのこと、社長以下お偉いさんが勢揃いして素人合唱団でも結成してくれていた方がまだナンボか…(汗)。

 同様に「役者さんも気の毒だよなあ」とつい感心してしまうのが、いわゆるトンデモっぽい設定の出て来る映画やドラマである。『ウルトラマン』シリーズとか怪獣映画に多発する。
 強烈な印象を残したものとして『ゴジラ』第1作に出て来た「オキシジェン・デストロイヤー」が挙げられよう♪

 こういう、あまりにあんまりな超兵器とかトンデモ設定、あからさまに科学的事実に反している台詞など、演じるのは苦痛なのではないかと思う。役柄が「間違ったことを本気で信じてしまっている人」ならばともかく、それらトンデモが紛れもない真実であるかのように扱われているとしたら、わたしだったらおそらく我慢出来ない。
 そんなことを心配するのはプロ根性への冒涜だろうか。役者さんならば、個人的な主義信条を遠くかけ離れた役柄も演じ切らねばならないのだし。しかし主義信条に正誤はなくとも、科学的正誤は厳然と存在する。あまりに瑣末的な正誤に拘るのは野暮だと判っているのだが、些細なことと見過ごしに出来ないトンデモ設定も散見されるし…。

 どんな事情があろうとも、引き受けた以上はきっちり「仕事」としてこなすCMシンガーさんや役者さんには、何とはなしに尊敬の念さえ覚える。こんな風に考えるのは不遜だろうかと思いつつ、仕事を選べなかったのだとしたら気の毒だなあ…と、ついつい考えてしまうのだった(汗)。




11/20〜22 明日は早慶戦

2006/11/22 23:00
 11月23日と言うと晴れの特異日だそうなのだが、生憎と明日は雨の予報である。しかも予想最低気温が10℃で予想最高気温が11℃だそうな。それってつまり1日中ずっと寒いってことでは…(涙)。取ったチケットは屋根のないバック・スタンドなので、完全防水&保温体勢で観戦しないと、あっと言う間に風邪を引きそうである。
 前から2列目くらいの、結構良い席だったと思うのだが、まったくツイていない(涙)。観戦前後、ガサガサ着替えるのは大変そうで、当然ながら荷物も膨れ上がりそうで、ちょっとウンザリする。それでもやっぱりTV観戦よりは現地で観る方が好きな辺り、我ながらハマっているのである(汗)。

 ウンザリと言えば、教育基本法改正とワンちゃん救出劇。教育基本法の方は「愛国心」関連で、「愛国心」を教わる授業態度まで評価の対象にする、らしい。個人的な印象では、子供に愛国心を教え込まなければならない国家と言うのは、結構みっともない状況に陥っているのではないかと思うのだが。さらにその上、愛国心授業の受講態度まで云々されるとは、子供たちも教える先生たちも大変だよなあ。
 日本はだんだんイヤな国になって行く気がする。時々冗談で家人に「老後はニュージーランドに移住しよう」と話していたのだが、下手すると真面目に移住希望しちゃいそうである。

 ワンちゃん救出劇の方は、いやー無事に助かって良かったね、とは思うものの、あんなにまで騒ぐことだろうかと疑問が募る。家人は「野良なんだしそういうリスクを負っているのは当然。放置しろ」と言っていた。飢え死にしちゃえとまでは思わないし、助けてやれるものなら助ければ良いけれど、レスキュー隊員17人掛かりってやり過ぎではないだろうか。
 もちろん近隣で事件なり事故なりなかったから、ワンちゃんに関わっていられたのだろうけれど、平時なら平時にやるべき仕事だってあるだろう。そういうのを差し置いて17人を投入せねばならない事態だったかどうか。レスキュー隊員出動の経費だって税金なのに…。

 助かったワンちゃんには引き取り希望者が30組以上名乗り出ているという。別に文句を付ける立場でもないけれど、野良犬野良猫はあのワンちゃんだけじゃないだろうにと、これはやや不愉快な気分になってしまった。どうしてこんなに「美談」が持て囃されるのか。どうしてこんなに皆、判り易い物語が好きなのか(まあ当然だろうか)。
 各地の川に出没したアザラシ君たちの時にも思ったことだけれど、一生懸命に現実を生きる動物たちが(時には人も)安易に「感動をありがとう」のチープなドラマの提供者に祭り上げられるのは、本当に閉口する。こういう見方は気難しいかなあと反省しつつ、彼らは彼らの人生の主人公であって、人々を楽しませるために生きてるんじゃないじゃん! と腹立たしく思う。




11/23〜26 早慶戦〜誕生日〜プリンタ不調

2006/11/26 22:19
 本当は早慶戦の感想も書くつもりだった。ギリギリ雨に降られずに済んだ観戦、しかも結構際どい展開で勝った試合。とは言え接戦だったのは慶応の出来が良かったからと言うよりはワセダが今一つピリッとしなかったためだし、大贔屓のWTB・首藤甲子郎選手もリザーヴにすら入っていない。「勝った!」という高揚が収まると「で、結局なんであんなに苦戦したん?」な疑問が湧いてしまって、日記サボり癖が付いている今日この頃でもあり、どうもモティヴェーションが…(汗)。
 とりあえず、大学ラグビー関東対抗戦2006シーズン、ワセダは今の所全勝を守っている。来月3日の早明戦に勝てれば6年連続の優勝が決まるのだが、どうなることやら。何だかこう、試合結果のスコアから思うよりはずっと、危なっかしいチームなのである<今年のワセダ

 そして昨日は誕生日だった。いつの間にやら三十路も最後の年となった訳で、来年からは各種アンケート・サイトで回答する時にも、年齢カテゴリが1つズレることになる。信じられない。自分が三十代を迎えた時も嘘のようだと思ったが、四十代、五十代と歳を重ねて行く当たり前のことが、どうにも現実味がなかったりする(阿呆)。
 普段化粧をしないせいもあってか、年齢よりは若く見られることが多いのだが、そろそろ年相応の身形や服装など、考えなければならないのかと不安になる。いつまでもユニク□愛好してたらおばさんまっしぐらかもしれない。とは言え、お洒落の楽しみってやっぱり判らないし、今更ファッション雑誌を参考にあれこれ工夫するのも面倒だしなあ(不精者)。

 先日『プラダを着た悪魔』を観て思ったのだが、ファッションとは「ほどほどに」とか「適当に」嗜むものではないのではないか。完全に我が道を行くか、あるいは常に流行の最先端を突っ走るか、少なくともわたしにはそのどちらかしか出来そうにない。そして常に流行の最先端を突っ走るのはわたしには不可能なので、必然的に「ゴーイン・マイウェイ」な道しか残されていないのだ。
 そもそも冒頭に登場したアン・ハサウェイのブルーのセーターと膝丈スカートだって、わたしから見れば充分オッケーオッケーな格好だった(そりゃファッション雑誌の編集部では浮くかもしれないけど)。アレをダサいと馬鹿にするエミリーたちは「なにそのメイク、パンダじゃあるまいし」とでも言われるが良い。人の価値観は多様なのである。

 閑話休題。年に1度の誕生日、日記を書こうと思っていたのに飛んだのには訳がある。4月に亡くなった祖父のため、今年はウチは喪中欠礼のご案内を出さねばならない。遅まきながら喪中ハガキを買って来て、「筆ぐるめ」でレイアウトを作り、30枚ほど印刷したところでトラブル出来。インク切れで字が青み掛かって来たのでカートリッジを交換して貰ったら、以後プリンタがうんともすんとも言わなくなったのだ。おーまいがーっ。
 色々試したがPC側には原因はなさそうである。家人がプリンタをサーバから外して2階に持って上がり、わたしの仕事部屋のPCに直結してテストしたら印刷出来た。つまりはプリンタ本体も故障している訳ではない。1階のPCにも直結出来れば何も問題ないのだが、今時の(と言っても3年前のモデルだが)パソコン、シリアル・ポートがないのである。全部USB接続らしい。

 家人曰く、そもそも3年前にこのPCを買ったらシリアル・ポートが無かったので、プリント・サーバか変換ケーブルのどちらを導入するか迷った結果、LAN接続でどこからでも印刷が出来るようにプリント・サーバをかますことにしたのだそうな。2階のPCをXPに変えた時、プリンタ・ドライバをインストールしなかったので無用の長物的設定となってしまったのだが。
 わたしの勘でしかないものの、イカれてしまったのはどうやらプリント・サーバではないかと思う。家人は既に2度ほどプリント・サーバの初期化もしたそうなのだが、それでも復活しないということは本格的に何かが飛んだのだろう。生死を判定する方法はウチにはないが、2階PCに直結したら印刷出来たことと、1階PCはどこも変ではないことを考えると、残る可能性はプリント・サーバしかない。

 さてではどうするか。変換ケーブルや新しいプリント・サーバを買うくらいなら、ちょっとお金を足して新しいプリンタを買ってしまった方が良いと家人は言う。確かに今のプリンタ、考えてみればもう7年目の機械である。古いモデルなのでシリアル接続だし、そのせいでプリント・サーバを必要としたのだ。
 買った当初は両面印刷対応機種だったのだが、4年目くらいだったか、両面印刷用モジュールが故障した。修理に出すのも面倒だし、別に片面ずつ印刷するのでも構わないからとそのまま放置。プリント・サーバはプリンタ本体よりは若いハズなのにもう壊れてしまうとは情けない。フクザツなものほど壊れ易いとは判っているが。

 と言うことでどうやらプリンタを買い換える羽目に陥りそうである。新しく買うとすれば、家人はFAXの付いた複合機が欲しいらしい。今のプリンタは、サーバを外して2階のPCに直結してしまえばまだまだ使える。先日夏物スーツのズボンのお尻が擦り切れて穴が開いているのを発見したのに続き、プリンタ買い換えまでが降って沸いたため、ちょっと悄気ている家人である。
 せめてプリンタ不調があと2日遅ければ「まあ年明けで良いか」となったハズなのだが、何と言うか絶妙のタイミングで壊れたのが無性に腹立たしい。プリンタ関連の機械が壊れるとしたら年末と、そういうタイマーなりプログラムなりがあるのではないかと、疑りたくなってしまうのだった(汗)。




11/27〜30 月跨ぎっ(汗)

2006/12/01 16:00
 サボりにサボっていた11月もとうとう昨日で終わり。あれよあれよと12月、2006年も最後の月になってしまった(汗)。
 やらねばならないこと、やりたいこと、一切合財がとぐろを巻いてどわーっと圧し掛かって来ている。半分くらい「もうどうしたら良いか判らないよ〜」という気分である(情けない)。
 とりあえず、11月の日記はこれにてお茶を濁すことにして、12月からはきちんと予定を立ててそれを守る、を目標にしようと思う。至難の技だけれど(とほほ)。