<嗅覚の謎>
なぜ、人並みの口臭レベルを目指してもだめか



2000/09/15に行われた、相談掲示板のレスより
>あれから少したって自信が少しついてきました。

少しでも自信をつけること、成果や変化に喜びを持つことは、実はすごく大切なことです。
不安ばかりを持っているときに比べて、非常に大きな心理的開きが出来ます。
なぜ、大切かというと、喜びや自信が芽生えないと、ちょっとしたことで、緊張時口臭を引き起こしてしまい、結局、心理面から再び、逆行してしまうからです。
小さな自信の積み重ねが大切です。したがって、実際の診療では、記録を欠かさずつけてもらい、変化を見逃さない評価法を重要視しています。
同時に、この評価は、次の治療計画に結びつき、新しい目標設定が可能になります。

>臭いがない時って口の中になんか味とかしますか?無ですか?

するときもあるし、しないときもあると思います。というよりも、あまり気にならないという方が正しいかもしれません。
食後は、舌表面にしばらくは、食事内容が付着していますし、甘いものを食べるとしばらくは残っています。
臭いが無いときは、口そのものに関心が向かないので、考えたことが無いという感じでしょうか・・・

>つまり普通の人でも33%は誰にでもあるという事を言いたかったんでしょうか??

そういうことではありません。

これを詳しく説明しておきます。私が最近、長年口臭で悩む人は、普通のレベルの口臭に戻すだけではだめで、普通の人以上のレベルにしなければいけないと言 う風に、治療目標のレベルを上げた根拠のひとつで、実際の治療を振り返っても、このことがよくわかります。何回も経験しました。
これが理解できないと、治療する側と、長年口臭で悩む側の人の最終的な判断がかみ合わなくなってきます。つまり、どのレベルをもって、治療が終了したという判断が食い違ってきます。

つまり、治療する側は、どう考えても、理化学的にも、官能的にも、完璧に普通の人のレベルになったと、証明できるのに、患者さんは、治ったとは決して思わないことが多いのです。

この現象は、この嗅覚の特殊な法則を理解できていないためで、ある種の深い口臭で悩む人の、最終目標は普通の人並みではだめだということがいえます。

これは、人間の嗅覚に関する特性のためで、一般に生体刺激量と感覚量の関係について、次のような数式で表されます。

すなわち I=K logC(I:臭いの感覚量 K:定数 C:臭気物質量)

つまり、わかりやすく言うと、人の主観的嗅覚、つまり、気になる、臭いの感じ方(自己臭などです)は、対数的関係を持ち
この対数的関係をウェーバー・ヘヒナーの法則といいます。

具体的には、ある人が臭いと思うとき、その臭いを起こしている臭気物質を無臭のガスに置き換えて90パーセント取り除いて、判定させると「臭さは、半分になった」と感じます。(この人に限っての話です。)
99パーセント取り除いてみると、その人以外の人は、完全に無臭と思いますが、その人は「臭気は約3分の一になったと思う」習性があるのです。

したがって、長年口臭で悩んだ人は、普通の人並みに口臭を改善できたとしても、まだ、3分の一は残っている、あるいは少しか軽くなったくらいで、まだまだ治っていない・・と思うのです。

このことを理解しないと、口臭を治す先生と患者は永遠にかみ合わなくなります。
ついには、先生は、患者の精神状態すら、疑ってしまう結果となります。
また、周りの人(家族)も同じように考えます。

したがって、私は、並外れた口臭(息=Excellent Breath)の領域に患者の息をコントロールできて初めて、患者は納得すると考えています。

実は、この普通の人の息を、Excellent Breathに引き上げていくこと。この、領域がエステ領域で、欧米では日常的に行われていることなのです。私が欧米の実践的治療法について、非常に力を入れ始めたのは、このことに気が付いてからです。
もちろん、通常の治療期間も短縮していきます。

日本で、口臭治療が決してエステとして現在は成立していないのは、この概念が無いからだと思います。
また、社会通念としても「口臭」は迷惑と位置付けられ、欧米のように「口臭は誰にでもあるのだから、、だからこそ、ケアーを怠らない」という認識や、文化もありません。昔から、忌み嫌われていました。
日本の「恥じ」の文化でしょう。したがって、欧米人からすると、日本人は、すっぴんの息で、なんて臭いのだろうと考えています。
かってチャーチルは、日本の外交官と会談する時は、きまって、失礼を承知で葉巻をすいながら会見しました。側近に「日本人の口臭は耐えられない」といった エピソードや近年では、キッシンジャーは「日本は好きだが、日本に行ってみたいとは思わない、日本人の口臭は耐えれない」といったことなども聞いたことが あります。
我々が、どうも無いのは、共通した国民的口臭があるからで、決して、無臭ではないのです。

アメリカ人に聞きましたが、やはり、日本人の口臭は、特有の共通した臭いがあると考えているようです。
なぜ、それを表立って言わないかということは、アメリカでは口臭について指摘することはタブーと考えられています。だから言わないのです。したがって、自 臭症というケースも少ないし、口臭でいじめになったり、偏見をもたれることかくる悩みは非常に少ないです。現在の多くの「自臭症的問題」は、日本独特のも ののような気がします。アメリカの口臭クリニックにくる患者の訴えは、インタビューでは、もっと違うことが多いです。「味が変?」「口の中が気持ち悪いな ど・・」が多いです。「人のしぐさが気になる」とかの悩み方は、非常にまれです。
アメリカ国民の約50パーセント以上が常に何らかのブレスケアーをしているという、疫学的報告があります。日本国民の何パーセントの人が常時ブレスケアーをしているでしょうか?

これは、日本人に限ったことではなくて、アジア全体にいえることで、それぞれの国ごとに、「にんにく臭」「香辛料の臭い」をはじめとする「固有の国民臭」 があるように思いますし、ケニアに行ったときには現地の人たちに共通した口臭を感じました。でもその集団の中に入ってしまうと、しばらくすると気にならな くなりますが。日本人は、共通したおなら臭さ(ぬかみそ臭い)があると思います。
いずれの国も、常に口臭をコントロールする「ブレスケアー」という習慣が無いように思います。
その意味で、口臭や体臭を認めた上で、香り文化を育んできた欧米とは違うような気がします。
・・・・・・・・・・

さて、ついでに、嗅覚の不思議について書いておきます。
人間の嗅覚と、臭いの強さとの関連で、人はどうなっていくかという話です。
( )は臭いのレベルを意味します。

完全無臭状態の環境(0):人は、この状態が続くと怖い、不安を感じます。
やっと感知できる臭いの環境(1):寂しい、イライラします。
(1と2の間):鼻の効く人でも臭いを感じない。
何の臭いかがわかる弱い臭い(認知閾値濃度)(2):普通の人は臭いを感じない。。
(2と3の間):何の臭いかがわかる。弱い臭いだが、臭い(くさい)とは思わない。不快は無い。
楽に何の臭いかが識別できる(3)
(3と4の間):臭いを楽に感知し、臭いという人が時々出てくる。
強い臭い(4):大半の人が臭いという。ちょっと迷惑。
強烈な臭い(5):その場におれなくなる。
(5)以上の悪臭(6):精神障害を引き起こす。

この分類は、多くは臭い公害を研究するグループが、生体における臭いの影響を調べたものです。この臭気分類によって臭気対策が練られます。

このように、臭いは、人の感情あるいは、精神活動に密接に関連しています。
したがって、自己臭で悩む人たちに対して、たとえそれが、他臭に発展していなくても、臭気のその人の精神活動に与える影響は大きく、医療サイドとしては、本格的に取り組む必要を感じています。

したがって、あなたの口臭に対する悩み方によっては、普通の人レベルを目標にしても、自覚的には、一向に治ったと思わない可能性もあります。
このことが、自臭症の治療を難しくしているのです。



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