5月20日 月曜日


 今朝、起きたら熱があった。昨日はうちに帰ってから、あちこち電話をかけて帰国報告もできて、結構元気だったのだが、あれは、どうも興奮していたかららしい。猫たちのお母さんをしてくれていた、玉青ちゃんには、夜遅く遊びに来てくれたので、とりあえずおみやげも渡せたし。昨日の緊張が解けたら、今日はへろへろだったけれど、それでも、トランクなどの荷物を開けて、洗濯物を出したりした。
 昨日帰国して、一番ショックだったのは、大切な知人が亡くなっていたことだ。来週のお遍路も、実はその人の回復祈願があって、計画した面もあるのだ。昨年の12月から入院していらしたのだが、私は土日も仕事やら、プライベートやらが立て込んでいたし、病状が思わしくなくてお見舞いを遠慮していた。出発前も、何しろ日経の仕事でぎりぎりまで手一杯だったし、留守番電話に元気に出かけるようにとご主人からのメッセージが入っていたのに、折り返しの電話もかけられずに出発して、旅行中も大変気になっていたのだ。その人には、本当にお世話になった。困ったとき、悲しいとき、よく話を聞いていただいたし、何しろ、私が経済的にあまり安定した状態ではないと知ると、米所新潟の人で、家で商売の傍らお米も作っていたので、時折思いついたようにお米を送ってくださった。少なくとも、この2年、私はお米を買ったことがないから、とにかく、いつも私の事を気にかけてくださっていたのだろう。良くしていただくばかりで、何もご恩返しが出来ないまま、しかも、私がシルクロードを旅している間に、もっと遠いところに旅立ってしまわれた。まだ、実感がなくて、涙も出ない。ただ、お遍路に出るまでに、何とか時間を作って新潟に行って来なければと思っている。それしか出来ることがない。こんなに悲しい事はない。
 午後になって熱がひどくなって布団にくるまってころがっていた。それでも、ネットナビの編集部や準備でお世話になった色々な会社に電話したりなど、必要なことはやったけれど。今日は、なんだか甘いものが食べたくて、菓子パンを3つ近くのお店で買って、それを1日かけて食べた。
 本人は元気なつもりだったけれど、やはり身体は正直で、夕方から咳が出てきたので、風邪と判明。薬を飲んでゲームを少しして、早めに寝た。


5月21日 火曜日


 今日は、少し風邪がひどくなったけれど、よく見たら、私の掛け布団が猫の毛だらけになっていたのと、どうも、いない間中猫達がくるまっていたらしいので寝心地が悪いような気がした。そこで、午前中は大洗濯大会になった。外に出たついでに、写真のフィルムも26本まとめて現像に出した。
 うちから歩いて20mほどのところにコインランドリーがあるが、そこに行って薄い掛け布団を2枚とシーツを2枚、布団カバーを3枚洗濯した。家の洗濯機には、お布団は入らないし、なにより、乾燥機は持っていないので。長いこと、乾燥機をかけていたので、久しぶりに今野先生の『蓬莱』を読み直しながら待っていた。何度読んでも面白い小説だ。もっと売れればいいのに。
 そのうち、20代くらいの若い男の人が来たので、何となく無口にコインランドリー内で、一緒に時間をつぶしていた。そこへ、茶髪のお姉さんが二人、超ミニのスカートをはいてやってきた。そして、壁際の棚の上に、自分の洗濯物が乾燥機から出されて、新しいゴミ袋に入れられているのをみつけて、ひどく汚い言葉で毒づきながら、それを持って帰っていった。その洗濯物は、乾燥機から取り出されて少なくとも2時間は経っていた。彼女たちが帰ってから、その若い男の人と顔を見合わせて思わず、「こわかったね」といったら、彼はけらけらと笑った。そして話をしているうちに、彼が大手のゲームメーカーのゲームセンターに勤めていること、ゲームが好きなことがわかって話が盛り上がり、色々な話をしながら洗濯機や、乾燥機を待っていた。すると、彼が私のやりたかったゲームのソフトを持っていて、それを貸してくれると言う。なんだか夢のような話だが、ありがたくお借りすることにして、受け取って別れた。
 夕方、まゆみちゃんが、おみやげの回収に来た。私は寒気がしてほとんどくたばっていた。その後のツアーで一緒だった、新江さんにお貸ししたお金の回収に京王プラザホテルに出かけるという約束はキャンセルして、仕事の資料を読んでいた。


5月22日 水曜日


 今朝起きたら、風邪は更に重くなっているようだ。ちょっと困っている。今日は、ホームページのメンテナンスで、全体のデザインを変更したり、原稿を書いたりして、午前中を過ごした。午後は、その続きと、4時頃になったら、出発前にお世話になっていた日本経済新聞社のs部長に電話をして、今日時間が取っていただけそうかを伺って、それ次第で出かけることになる。
 部長は大変多忙な方なのに、ちゃんと時間をとってくださったので、ぎりぎりまで自分のホームページのメンテナンスをして、帰国して初めて、電車に乗って大手町まで出かけた。私が、約3ヶ月仕事をさせていただいていた、日経のホームページはわずか50日の間に、たくさん内容が増えていて、よりすてきなホームページになっていた。メンバーのみなさんと、少し話をして、それからs部長とis次長に神田に飲みにつれていっていただいた。社内で、私の上司だった3人のマネージャーと、隣の部のよく面倒を見ていただいたデスクにはお会いできたのだが、O局次長にはお会いできず残念だった。
 土産話というほどのものもないのだが(みんな日記に書いてしまったので)、裏話、書けない話というものは当然山ほどあるわけで、そんな話をさせていただきながら、おいしい日本料理をたらふく食べさせていただいた。
 帰ってきたら、喉が痛いのと咳が出てきたので、本当に不調に突入した。でも、s部長や日経のお世話になった方たちにお会いすることの方が大切だったんだから、仕方ないよね。目が覚める度に喉が痛くて水を飲んで夜を過ごした。


5月23日 木曜日


 夜明け前に、あまりきつくてすっかり目が覚めてしまったので、S部長とIS次長にお礼のメールを書いて、それからまた、布団で8時半頃まで丸くなっていた。本当は、お腹が緩いのだが、それを成田空港で申告すると、もれなく荏原に隔離してもらえるが、お遍路を前にして、そんなわけにいかないのでおとなしく検疫を通過してきてしまった。その上に風邪を引いたので、観念して医者に行った。
 ちょうど良く何も食べていなかったので、血液を採って、尿を採って、それぞれに検査をして、熱を計って点滴を一本。おとなしく寝ていろといわれたので、お昼に約束をいただいていたT社の片岡さんのアポイントを泣く泣く断った。1日熱が高くて、ぼーっとしていた。
 それでも、お遍路に行くのに、今持っているエプソンのノートブックでは、機能的にちょっと足りないので、今話題のT社のLというノートブックを購入しようかとウエッブでカタログを見てみたが、サイズは小さくてよかったが、メモリーの値段が馬鹿高かったり、必要な機能を備えるにはやたらにオプションの機材を購入しなければならないことがわかった。その上、フロッピードライブが全く市場にないのだ。なにしろ、ラオックスのザ・コンピューター館やツクモ電気、ソフマップ、ビックカメラの各店で発売以来、一台も入ってきていないというのだ。メーカーに問い合わせたら、本体よりも「サードパーティーの育成の為にも、だいぶ少な目に作っている」という返事で、なにしろお遍路の出発に間に合うように本体は購入できても、フロッピードライブが手にはいるのは下手をすると2ヶ月くらい先になるかも知れないというので、あきらめることにした。
 その上、やはり、私の旅の友のパナソニックのプロノートには、50日の思いがこもっていて、それがいいということになった。(多分に、プロノートへの思い入れがあって、身びいきがあるので、正確な評価ではないかもしれないので、そのあたりは割り引いて読んでください。)それから、秋葉原の近くに勤めている友達に頼んだり、自分が布団の中から電話をかけて、製品の在庫を問い合わせたが、合計3人で探したにも関わらず、とうとう在庫を見つけることが出来ず、がっかりしてしまった。買えないと解ったら、よけい熱が出たみたいな気がして、ことんと八雲をだっこして、ふて寝してしまった。
 夜になって1月にホームページを初めて以来、とんと見なくなっていたテレビの連続ドラマを見た。なんだか、本当に帰ってきたのだという感傷に急におそわれて、テレビを見ながら、猫を抱いてすこしのんびりしてしまった。


5月24日 金曜日


 朝になったら、風邪はだいぶよくなっていた。それでも、午前中はおとなしくしていた。一件、評論家のK先生にシルクロードの旅行記を本にしたいという事で、相談の電話を掛けたけれど、ぼろくそに言われて、ひどくおちこんだ。午後からMOツーリストの浜さんをたずねた。手配をお願いしていた、父と母のお遍路の行きの飛行機の切符を受け取り、先日、電話で相談したツアーの申し込み証拠金を支払った。浜さんはいつも通りとても忙しそうだった。予約をしたツアー3本のうち、最初の一本が一番成立が難しそうだという感触だと聞かされたが、それは、仏様が行くなとおっしゃっているということなので、それならそれでいいです、無理はしないつもりですと返事をしたら、浜さんも何か思うことがあるようで、そうですかとにこにこしてくださった。
 そのあと、日経BP社にネットナビの和田さんを訪ねた。お借りした機材をお返しし、各スポンサーさんへのおみやげをお礼のカードをお渡しして、一緒に返却をお願いした。その後色々お話ししていたら、あまりの忙しさに(実際、原稿の送付の事で、中国から2回国際電話をかけたが、一回が11時過ぎの深夜、一回が土曜日の午前中だったにも関わらず、会社にいらした。本当に忙しい人なのだ。)このホームページの方は読んでいないとおっしゃるので、一度見てくださいとおねだりしておいた。ネットナビのみなさんにと用意したおみやげをホームページの読者プレゼントにしたいとおっしゃっていた。
 東京に帰ってきてから、今私が持っている機材では、お遍路日記をリアルタイムでやるのは難しいので、みんなで手分けして、プロノートミニを買おうとあちこちに電話したり、出かけて貰ったりして(私が風邪っぴきで役に立たなかったので)探したが、ものが見つからなかった話をしたところ、売っているところを聞いてあげようと、松下の貸し出しの担当の方に電話してくださった。そうしたら、なんと、もう、作っていないらしく市場にあるわけがなかった。他に気に入った機種が見つからないのに、お遍路旅に出るために何か、間に合わせを購入しなければならないと思ってますますがっかりしていると、今日、お返しするつもりで持ってきていたプロノートをこのまま、まだしばらく貸しておいてくださることになった。それだけでなく、稟議が通れば、格安で売っていただけるかもしれないという。夢のようだ。ずっと、50日リュックに入れて背負って旅をした、この同じプロノートとまた、お遍路に行ける、実現すれば、タクラマカンも一緒に旅できる。うれしくて、顔がほころんでしまった。
 電話は、ネットナビの編集部の和田さんの席からかけていたが、和田さんの斜め向かいの編集の人も、私があまりうれしそうにはしゃいだので、苦笑していらした。また、タクラマカン砂漠が実現したら、そのときはよろしくと挨拶して、編集部をあとにした。
 そのあと、日本経済新聞によって、マネージャー方へのおみやげを届けて帰った。今日は機材を安全に運びたかったので車で出かけた。私の愛車は、日産レパードで、この2月に3回目の車検を通した、七年目の車である。帰り道、飛鳥山を通り過ぎた頃、アクセルを踏むと妙な音がするのに気がついた。気のせいか、踏み込んでも加速しないような気もする。あら、困ったな、と思っているうちに、とうとうミッションが作動しなくなった。タコメーターをみて、3000回転以上は回さないように気を付けながら、何とか道の脇に寄せてハザードを付けてエンジンを切り、近くのコンビニまで歩いてJAFに電話をかけた。症状を説明し、どのくらいで救援に来てもらえるか尋ねると40分位というので、電話を切ってコンビニで弁当とジュースを買って車に戻った。結局、ミッションの故障と言うことで、牽引して貰ってうちまで帰った。
 これは、困ったことになった。来週の火曜日には木曜日に出発する父に先行してレパードで四国に向かうつもりだったからだ。これで、火曜日の出発、予定通りの旅はほぼ不可能になった。これはどうしたことか。お参りに出る前に、足止めがかかるとは。いったい何がいけなかったのだろうと考えた。結論は、お参りに出る前に、新潟の知人の霊前にお参りしてから出発するべきなのを、風邪で時間がなくなって、事実上割愛せざるをえないような流れになっていたことと、母が、仕事の都合で一緒に出発できないことだ。まず、霊前にお参りしてから、故人の御霊と一緒に四国に遍路に出るべきが、それを本末転倒してしまいそうになったことと、家族一緒に仲良くお参りに出かけられるように、その事に気づかせていただいたのだ。何となくだが、納得が行ったので、少し安心した。さて、明日は忙しいぞ。まずは、新潟に連絡して訪問する日を決めること、東京日産に連絡して車を見て貰うこと、モデムを購入する事。色々やることがある。精力的に動くには、まだ、ちょっと風邪が悪いけれど、どうにかなる。きっと、どうにかなる。


5月25日 土曜日


 よく考えたら、車の修理の日程が一番先に解らないと、いつ出発にすればいいかが決まらず、イコール、新潟の日程も決められない事が解った。とにかく東京日産ということで、朝9時になったらすぐ、北支店に電話を入れて、車を引き取りに来て貰った。1時間ほどで、引き取りに来てくれたはいいが、昨夜の故障の現象を説明すると、案の定、ミッションがおかしいという。おそるおそる修理費を聞くと、ごくまれに何ともないということもあるけれど、もし、予測通りなら、だいたい30万円くらいということ。いったい何処にそんなお金があるの?とりあえずは夏の旅費用に取りのけておいたお金を出して払うことにしたが、少々目の前が暗くなった。四国から戻ったら働かなくては。
 お金のことを考えて暗い気分でいたら、昼過ぎに友達が遊びに来た。おみやげを渡して、いろいろ話していたら、彼も今日、秋葉原に出向く途中だという。ついでといっては何だけれど、とモデムを買ってきてくれないかと頼んだ。ネットナビさんのご協力でお借りできた、インテグランのモデムは超高級品なので、(でも、Xジャックって便利ですよ。)惚れ込んでるんだけれど、車の修理費が目の前にぶら下がっている私には、少しでも安い方がいいので、良く見てきてね、と頼んで、出かけて貰った。
 午後になって、東京日産から電話があり、故障の状況といつ直るか、費用の見積もりの全てが、月曜日にならなければわからないと知らせてきた。ということは、すべてが来週と言うことだ。少し腹をくくらないと。
 洗濯をして、フィルムの整理をしていたら、友達が秋葉原から戻ってきた。モデムはアイワのPV-JF288という機種を買ってきてくれた。すっかり夕方になっていたので、ちょっと買い物に行って、ちゃっちゃっと酒の肴を5つほど作って、ビールを飲んでいて貰い、その間に、駅の東口の商店街と、ダイエーに本棚を見に行ったけれど、気に入ったのがなかった。パソコンとシルクロードの資料が増えすぎて、もはやしまいきれなくなったのだ。あふれた書籍と資料が床に積みあがり、どうも部屋が狭く感じられてつらい。そこで思い切って本棚を買うことにしたのだ。
 うちに戻って、待っていてくれた友達と夕食を食べた。旅行中は、毎食、気を使う人と一緒でもう人とご飯を食べるのは沢山だと思ったのだけれど、帰国したら、毎日一人のご飯なので(猫達はすっかり、つきあってくれなくなっていた。)人が一緒でうれしくて、おかずをたくさん作ってしまった。あらら。友達が帰った後、お皿を洗いながら、しみじみ帰国したんだなと思った。


5月26日 日曜日


 朝、車がないので、駅まで行ってバスに乗って、2キロほど離れた家具屋に行った。結局、そこにも思ったものがなくて、そこからふらふらと17号線沿いに歩いて、次の家具屋に出かけた。そこでやっと、希望のものを見つけたので、それを買って配送を頼んで、家具屋の近くの定食屋で、冷やし中華を食べて、また、バスで帰ってきた。駅前の本屋に、旅行中の本の取り置きを頼んでいたので、それを買ってぷらぷらとぶら下げて帰宅。きちんとドアを閉めたはずなのに、たびが居室から玄関に出ていて、お帰りなさいをしてくれたので驚いた。どうも、ドアの前の重石をどけて、ドアを開けることを覚えたらしい。いよいよ、ドアのノブをラッチから普通のノブに変えるしかないかも知れない。
 又少し咳が出たので、昼寝をして、2時過ぎに本棚が届いてきたので、部屋を片づけた。どうも、集中力と根気がないのが問題である。
 夜になって、まゆみから雑誌の編集部を紹介してくれるメールが入った。毎度の事ながら、本当に色々世話になりっぱなしだ。


5月27日 月曜日


 午前10時頃、東京日産から電話があり、見積もりが出たのでファクスしたいとのこと。貰って吃驚、総額30万とすこし。ミッションのオイルフローが全部、詰まっているので、それを交換するために結果的にミッションとラジエターの両方を交換するという。げげげ。すっかりしおれながら、31日にはできあがるというので、(北支店の今月の売り上げノルマの達成のため、31日に間に合わせ、しかも、引き取り時に支払いをしろという話だった。)四国の旅の旅程を組み直した。母は、毎週木金土と仕事をしており、6月6、7、8は休めるが、13、14、15は休めないと言うので、相談して、母が仕事で東京に戻っている間、父と私は、現地で母を待ちながら、一度お遍路の装束を脱ぎ、対岸の岡山へ墓参りに行くことにした。その結果、帰京は更に遅れて、19日になることになる。幸いいい具合に旅館もとれた。今度は、足止めがかからないように、万全の準備をしていこう。
 遠隔地のお世話になった人たちに、おみやげを送るために包装をした。その後、人材紹介業のKさんに会いに6時半に恵比寿へ。色々と相談をして、その後、少しお酒を飲んだ。この人のお酒は本当にきれいなお酒で、一緒に飲むのが本当に楽しい。もう少しゆっくりしたかったが、9時半に次の約束が池袋であったので、9時過ぎに失礼した。池袋では、神山さんにあって、3月に買ったけれど渡し忘れていたイノシシの柄のネクタイ(彼はイノシシ年で、イノシシのついているものを集めている)とおみやげのスカーフを渡した。旅行中のいろいろを話しているうちに、結構きつかったねという話になって、あわてて話を変えた。
 12時近くなって、タクシーで送って貰って帰宅。そのまま、考え込んでしまった。私が心から尊敬している知人が、私の求めで知人の勤務先の関連企業に私を紹介して下さるという話がある。しかし、私を紹介して、彼が恥をかかないかどうかについて私は自信がもてないのだ。さんざん迷った挙げ句、その内容をメールにして送ったのが、午前4時過ぎだった。それから、何となく寝そびれて、このホームページを作っている。もう、後15分で6時になる。このまま、色々やることもあるので、起きてしまおうかなと思っている。


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