プロフィール



はじめまして!! 侑季です。

侑季
2月18日生まれ
東京都出身
家族は夫と猫3匹

趣味は、旅行、ドライブ、読書、料理、ねこと遊ぶこと
今、一番興味があるのは、中国の文明。

勉強しているのは心理学。
色々なことに興味がある。


 ホームページを立ち上げたのは、1996年の1月の末でした。それから、約1年半、ほとんど毎日、自分の日記を更新していました。それができなくなったのは、当時の職場の人にURLを知られてしまったからです。プライベートなことも含めて、かなり赤裸々に書いていましたから、当然まずいこともありました。後ろ髪を引かれる思いで、日記そのものはノートに書かれることになり、仕事が忙しくなったこともあって、ホームページもほったらかしになってしまいました。一度、たががはずれると人間はどんどん怠惰になってしまうもののようで、最初のうちは、気になっていたほったらかし状態も、次第に思い出しても痛みを伴わない事実に変わっていきました。たくさんの方から、体でもこわしたのかとメールをいただきましたが、壊れていたのは、時間のサイクルでした。
 それが、2年がすぎた今年の夏頃から、しきりと気になりはじめたものの、様々な事情で落ち着いてPCに向かう時間がとれず、さらに数ヶ月がたちました。
 今回、旅行記のすでにできていたものはそのままですが、いくつかの新しいページを足して、リニューアルオープンします。この2年の間にあった色々なこと、うれしかったこと、悲しかったことについての雑記も追々載せて行きたいと思います。また、たくさんの方に、のぞきに来ていただけたらと思います。末永く、どうぞよろしく。


うちのねこたち

我が家の長男・たびの写真

 ”たび”は男の子で6歳半、93年の9月23日に拾ったとき、380gでした。今は、母さんににて、太めです。私の友人に時々”ぶたび”と呼ばれています。
 器用なところのある子で、私の部屋のラッチ式のドアを開けてしまうので、今では、すべてのラッチが90度回転させられて上に向いてついています。他にも、冷蔵庫、台所の収納のドア、引き戸、何でも開けてしまいます。また、私を起こしたいときには、紙をどこからかくわえてきて、頭の周りでびりびりとかんでちぎります。これには参る。私が前の晩にどれほど遅く休んでも、朝、6時に起きられるのは、この子のおかげ(?)です。
 とても臆病で、ちょっと気に入らないことがあると、がうがうとあばれます。かかりつけの動物病院のたびのカルテには『Super G』(スーパー・ギャング)つまり、「とても凶暴」とかかれています。年に1回、2度に分けて注射する予防注射の時は、洗濯ネットにいれてボストンバックで運び、バックから出したらバスタオルにくるんで押さえ込みをかけ、たびがひるんだスキにネット越しにぷっちゅんと注射をしてもらっています。きちんと体温を測って、診察してから注射したいという先生方の気持ちもわかるのですが、それまでに必ず血を見るし、下手すると注射できずに終わるので数年前からその方式に変わりました。先生達には申し訳ないと思っています。
 沈静をかけないと診察ができないので、くれぐれも健康管理に気をつけるように、と申し渡されていますが、ずっと一緒に暮らしてきたので、私には大切な猫です。いくら、がうってもあばれてもね。それに本当は、内弁慶君でものすごい恐がり屋さんなのを、夫も私もよくわかっているのです。体重、6キロ。これ以上重くなると、だっこできなくなりそうです。


ことんと八雲

”ことん”は、丸くなって眠る様が、小さな布団のようだったのと、コットンをひっかけてつけました。
 私が会社に出かけている間、一人で待っているたびにかわいい妹をもらってあげようと子猫を探していたときに、この子の話を聞きました。一才にもなってなさそうなのに、彼女は元飼い猫の野良猫で、おまけにすでにご懐妊。体が小さかったので、世話をしていたボランティアのお宅で、外でお産ができるかどうかと大変心配されていたのです。波瀾万丈の猫生でした。
 かわいらしい子猫の時期はすぐに過ぎるし、私は、今までに何頭も子猫を育てていましたから、話を聞いてことんをうちの子にすることにしました。これも何かの縁だと思ったのです。95年の4月18日にうちに来て、もりもり食べながら、5月1日に段ボールの小さな産室の中で無事4匹の子猫を産みました。
 その後、もらってきた当時は全体に白っぽく、所々カフェオレみたいな薄い斑があったぐらいだったのが、実ははっきりくっきりした虎模様入りのぶち猫と判明。栄養が足りて模様が濃くなったらしいです。子猫のうち2頭は東京の板橋区の坂下さん宅に貰われていき、たいそう幸せに暮らしています。1頭は、NIFTYで見つけた里親先に。最後の1頭が八雲。
 その後、私の親友のところにもらわれていった虎千代が来たときも、飛影(戒名 飛影至覚 享年3歳、1999年8月19日没)が来たときも、ことんはまるで母親の様にじつによく面倒を見ました。また、私の部屋の2回のベランダから飛び降りたり、二階の私たちの部屋の台所の窓から庇づたいに家出したり、おとなしくかわいらしく、ちょっと無謀なお姫様です。
 経産婦さんなので、下っ腹がたるみ気味ですが、体重は3.7キロとちょっと小さめです。


生後25日の八雲

”八雲”は生まれた日の体重が85gでした。4匹の兄弟のうちで一番好奇心が強く、一番甘ったれでした。比較的きれいな柄だっただった残り3頭に比べ、模様もホルスタイン柄だし、しっぽも1頭だけひどく曲がっていて、何となく見劣りがした上に、ちょっとお尻がしっかりしなくて、うちに残した子。体が弱いようだったのも、残した理由の一つです。うちに残すと決まるまでは、『うしちゃん』という名前で呼んでいました。小さい頃は、朝、私を起こすにはかじるのが一番とばかりに、毎日元気よく、股だのおなかだのをかじってくれました。私の膝にいる時間が一番長い。私の腰痛はこいつのせいが大きいかもしれません。
 蓼科の田舎の家で、外を駆け回って育ったせいか、きりっとしまった体型で、見た目より華奢な感じがしますが、体重は、それでも4.3キロくらいあります。
 その後、自分より小さい子が拾われてくるたびに、焼き餅を焼くどころか、囓られたり、蹴られたりしながらも、まめに面倒をみて、とても優しい猫だということがわかりました。
 1996年6月、私がお遍路にでている間にたびが開けたドアを抜けて、家出を敢行。21日目に発見したとき、腎臓と肝臓を悪くして瀕死の状態でした。それを、血液検査などで的確に診断し、毎日点滴をしてくださって助けてくださったのは、時松動物病院の時松先生でした。八雲は、この先生が大好きで、診察していただく間中、ごろごろとのどを鳴らしています。助けていただいたことがわかるのかもしれません。


 親馬鹿な話ですが、猫たちの写真を送って応募する、ソニークリエイティブプロダクツの毎年の猫手帳に、最初の年から写真が載っています。数年前、仕事で締め切りをうっかり忘れてしまった年は、締め切り当日の夕方、電話連絡をしてバイク便で応募したこともあります。その年もちゃんと写真がのりました。ソニークリエイティブプロダクツのご担当者様、ご迷惑をおかけしました。
 

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