四国八十八カ所フォトアルバム



1996年6月6日(第4日)

第24番 最御崎寺 〜 第33番 善師峰寺

 

最御崎寺本堂 24番 室戸山最御崎寺−−−お遍路用品・納札(その1)

 納札とは、5cm×15cmくらいの紙の札で、お遍路の回数によって、色がちがう。100回も回ると錦の札を使えるようになるという。普通は白の札を使う。200枚を一束にして、何処の札所でも100円で買える。この納札に、お参りの日にちと、住所、名前を書いて、お参りするお堂の前の納札入れに納める。元々は、お写経した般若心経を納めたのだが、それを簡略化したものだという。
 毎日夜になると、明日のお参りの予定に合わせて納札を書くのが、お遍路中の日課だった。この納札にあまり詳しい住所を書くと、その納札を拾い集めて、霊感商法みたいなものに利用したり、色々悪用されることもあるというので、私はこれを聞いてから、仏様は、私が何処の誰かをお知りになるのに、それほど詳しい住所は必要となさらないだろうと腹をくくって、番地は書いていない。
 途中でお接待をいただいたら、お礼に差し上げる。
 
最御崎寺大師堂


津照寺の石段 25番 宝寿山津照寺−−−お遍路用品・納札(その2)

 この納札については、今回3度目の通し打ちで色々考えさせられた。
 お参りを続けていると、時折、お寺の納札入れに深く手を突っ込んで中を漁っている人を見かけたりする。これは、金や銀や錦の納札など、沢山の回数、お四国を巡拝した人の納札は大変尊くて、それを手に入れるとおかげを分けていただけるという考えから出ているものらしい。確かに、何十回、中には二百回以上も回っていると裏に書かれている納札を見たことがあるが、その人の信仰心はすばらしいとは思うけれど、人が納めたお札を納札入れから盗むという行為で、ご功徳が分けていただけるかどうかは、やはり何となく疑問だ。
 そして、今回、あるお寺で伺った話だが、自分の錦や金の納札を一枚千円とか二千円という対価を貰ってお札所などで行き会った人に売る人があるという。それは、とんでもない話ではないか。巡拝バスやタクシーの運転をしたり、売店などで働いたり、お大師様のお手伝いをしてお金を稼ぐというのはいいことだと思う。それらの人の仕事があって、初めてお参りできる人もあるからだ。しかし、功徳を分けてやるから金よこせとは。いったいこれはなんだろう。
 そもそも、巡拝回数で色が違うというのも変な話だと思う。御仏の前ではみんな平等なはずなのにね。誰が決めたのかしらん。霊場会かなあ。
 それと、200回を越える巡拝って言うのもすごい話なのだ。毎月1回回ったとして、年に12回。それをうまずたゆまず17年続けないと200回にはならないのだ。逆に80才まで生きるとして20才くらいから回り始めたとして、年に3回か4回欠かさず回って80才で200回だ。まさに人生の全てがお遍路と言っても過言ではないかも。だって、今でこそ、車で7泊8日、バスで10泊11日位で回れるけれど、その昔はもっとかかったはずだし。これは、本当にすごいことだ。

津照寺大師堂


金剛頂寺本堂 26番 竜頭山金剛頂寺−−−おつとめの内容

 お堂の前でする、読経の内容についてちょっと書いておこう。色々意見があると思うけれど、私が「これこそ正式」ととあるお坊さんから聞いたのは、以下の順序と内容である。

 本尊真言、祈願文、懺悔文、三帰文、三竟、十善戒、発菩提心真言、三摩耶戒真言、般若心経、13仏真言、大師宝号、祈願、ご詠歌、回向文。

 しかし、私は、祈願文、懺悔文、三帰文、三竟、十善戒、発菩提心真言、三摩耶戒真言、般若心経、光明真言、大師宝号、本尊真言、回向文。そして祈願。この順序で上げている。

 もしもあなたが、お経などついぞ上げたことがなく、そのあたりがちょっと心配でも、あまり気に病まなくて大丈夫。というのは、これらは、前にも書いた「真言宗の毎日のおつとめ」とか、そのたぐいのお経本が、特殊な場合をのぞいてほとんどの仏具屋さんにあるし、大都市のデパートでも、仏具売場のあるところにはたいていおいてある。それを求めて、家でちょっと練習してから出発するといい。
 節回し的なものは、なるべくなしにして、棒読みで平坦に。つっかえつっかえでも時間さえあればそれで充分。それに、とりあえずなら、本堂では、般若心経と本尊の真言と大師宝号、大師堂では、般若心経と大師宝号でも大丈夫。本尊の真言は、お堂に書いたものがはってあったりするし、なくても、お参りの手引き書などに載っている。
 大切なのは、一心に拝むことだと思うのだ。

金剛頂寺大師堂
遠く太平洋を望む


神峰寺本堂 27番 竹林山神峰寺−−−私の心の故郷のようなお寺

 この神峰寺は『こうのみねじ』と読む。徳島の方から来ると室戸岬を回って、高知の方に来たところにある。山をかなり上ったところにあるお寺の駐車場脇からの太平洋の眺めはすばらしく、自然とちょっと一息入れてしまう。
 このお寺は、山に抱かれるようにお堂があり、その足下に庫裏と納経所がある。その庫裏のお座敷前に自然の山肌を利用した、すてきなお庭があり、ふとしたことでご縁を頂いたお寺の奥様に、そのお庭に面した池の畔の縁側でお茶を振る舞って頂いたりする。ここのお寺の奥様のさりげない親切には、本当に救われたことがある。
 ここのお寺は、何もかもが自然な気がして、お参りに行くたびに足り去りがたい気持ちになる。88のお寺のなかで一番好きなところの一つである。
神峰寺大師堂


大日寺本堂 28番 法界山大日寺−−−お遍路用品・納経帳

 納経をした印として、ご本尊様にご縁を頂くのが納経帳である。これも、色々なものが出回っている。1ページに1ヶ寺ずつ頂くもの、見開きにご詠歌とあわせて納めるもの、そして、この頃、お寺の墨絵風のカットが印刷されているものなどもあるようだ。値段は2000円くらいから4000円くらいの間。
 この納経帳は、自分の死出の旅路の時に、棺に入れて貰うということも良く行われる。なお、家宝にして、大切に末代まで伝えようと言う人向けに、土佐和紙の納経帳がごくわずか出回っている。これは、1冊1万円。和紙が大量生産できないものだとかで、もし、ご縁があれば、売っているところがわかるだろう。家に帰ってからは、清浄なところに安置しておくこと。   
大日寺大師堂


国分寺本堂 29番 摩尼山国分寺−−−お遍路用品・お軸

 納経帳と並んで、納経印を頂くもの。1万円くらいから、4万円くらいまであるようだ。中心に、お大師様のご尊像が描かれているものが多い。原則的には、絹物だ。これも、和紙でできたものがあるが、それもやはりピンからキリまである。保存がしやすく、変色しにくいのは和紙のものだ。お軸は、打ち終えたら表装に出して、仏間などの床の間に安置する。表装のできあがったお軸は、八十八ヶ所ご本尊曼陀羅になるので、あくまで鄭重に扱うこと。家は掛けるところがないので、仏壇の上に上がっている。
 へんろみち保存協力会の本によると、お彼岸、お盆、命日などに床の間に飾ってお線香を供えて礼拝するのだそうだ。これを怠ると家運が傾くとさえいわれるそうだ。ゆめゆめ粗末にすることのないように。
 
国分寺大師堂


善楽寺本堂 30番 百々山善楽寺−−−納経印とおみえ
 納経印は、スタンプラリーのスタンプとは違い、お札所にお参りしてお経を収め、読経をしてお願いをしたことを、仏様が確かに受け取って下さったということを表す心印で、ご宝印だ。仏様のお印、いわば、仏様のお体と同じもので、何にでもかんにでもいただけるものではない。そのご宝印を集めた、納経帳、お軸を粗末にしてはいけないのだ。それはおみえもおなじである。
 いつもお守りいただけるよう、お仏壇とか清浄な所に納めておくか、お軸の場合は適当なところに掛けておくのが一番である。頂くだけではいけないということだ。
善楽寺大師堂


竹林寺本堂

31番 五台山竹林寺−−−歩き遍路の難所
 四国の歩き遍路には、お大師様のお計らいで6つの難所があると言われている。12番の焼山寺、20番の鶴林寺、21番の太龍寺、27番の神峰寺、60番の横峰寺、66番の雲辺寺だが、現在は何処も、車で上がれたり、ロープウェイができたりで本当に楽になっている。お年寄りでも、車のお遍路ならだいじょうぶである。

善師峰寺本堂 32番 八葉山善師峰寺−−−掛け軸とドライヤ−
 各お札所の納経所にドライヤーが備え付けてあり、お軸の今書いて頂いたところの墨を早く乾かすためにこれを利用する人が多いのだが、これが、結構くせ者。というのは、乾燥を急ぐあまり、あまり近くから熱をかけると、ドライヤーの熱で墨の色も変わってしまうし、なにより敏感な絹布が焼けてしまうのだ。そのときは目には見えないが、時間が経つと色が変わってくる。しかも、ドライヤーで加熱してしまったところだけが茶色に変わってくるのだ。これは、私も一度見たことがあるが、あちこち、わんこの足跡でもついたみたいに茶色くなってしまって、ちょっと悲しい。
 とりあえず、絹の掛け軸の乾燥は、日陰で自然に乾燥させるのが一番。できたら、直射日光もさけた方が良さそうである。なにしろ、天然素材は、気むずかしい。
善師峰寺大師堂

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