手紙。ひとりで夜遅く帰ってきたときに、ポストにだれかからの手紙を見つけたとき、そのわくわくするような、ドキドキするような心を何にたとえたらいいのか。手書きの文字のくせがすでに、何かを語り始めている。封を切るのももどかしく感じながら、一気に便せんを引っぱり出したり、わざわざ、一度テーブルの上に置いて、着替えやもろもろの用事を済ませてから、おもむろに再度手に取り、「さてさて、何かな」などと心でつぶやきながら、封を切ってみたり、その時々に手紙は楽しい。 旅先で知り合った人から写真が送られてきたり。送った写真のお礼の手紙だったり。友からの、とりとめのない内容のなかに、他の友人の近況が記されてたり。文字がひとつひとつ、表情を持って語りかけてくるように、何かを伝える。活字にはない、情報がそこに記録されている。
「おかりなさい、かなっ」「あれからもう、半年が過ぎてしまいました」「近いんだから、来い」「時間がとれず、そちらにはなかなか行けません」「ねえねえ、これって文通?」
古い手紙を整理していた、ひとつひとつ引っぱり出して、読み返してしまって、思いの外時間が過ぎていった。記憶の中にあった手紙の内容と、読み返した手紙の内容が違って感じたりする。しかし、もうそのことを伝えるために過去に戻ることは出来ない。そして、自分が出した手紙の内容はほとんど覚えていない。
電話で話す言葉は、舌足らずで伝わらないこともある、手紙で書けないことを、電話なら言えることもある。言葉を綴る手段は幾通り、歌もまたひとつの手紙なのかも知れない。声で、声で、声でしるす。消えない記録。でも、私たちが手に入れている手紙(レコード、CD)は読む人それぞれに、読むたびその都度、彼女の心を見せてくれている。今日は「時代」を聞いてみたい気分です。
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