缶ビールを飲む、昔は飲めなかった。12オンス缶一本飲んだらそれで昇天状態だった、20歳のころ。飲めないと飲めないで別に困ることもなかった。最近は、ビールでも何でもアルコール類になれてきたのか、軽い中毒になったのか必ず何かアルコールのはいったモノを飲んで眠る。いつからだろう、まあいいけど。 ひとり暮らしの時、テレビや映画の悲しい場面で涙を良く流す自分に気付いた。「泣き虫だった」そう、自分は泣き虫だ。それで良いと思った、涙がポロポロ流れても何も恥ずかしいことではなかった。悲しいから涙が出るという自然の摂理に任せても良いと気付いたのかも知れない。歯を食いしばって生きなければならないこともあるが、自分を解放してしまっても良いときがあっても良い。
ひとりポロポロ涙を流しながら、レコードの回るのを見ている、遠い日に体験した色々なことを思い出しながら、アルコールを運ぶ、ある意味では贅沢な時間の使い方なのだ。あくせくと、あくせくと時の流れに取り残されないようにキーボードをたたき続ける必要はない。ふっと、気がついた時にさらさらメモを取るように記せばよい。
「愛とは呼ばずあなたに、”愛しい” そう打ち明けよう」 愛する者が増えて行くほど、ひとりの時間は減っていく、そして、ひとりの時間が遠くなり、なぜか切ないと感じるが、それを愛する者たちの記憶が打ち消す。愛している者と言うよりは、愛しさに包まれている者としたい。愛しているという言葉、どうも具体性があるように響く割に何か訳の分からない表現に思える。「愛しい」という抽象的な表現の方が、ふわふわしている感じがするが、心が良く伝わるように感じ続けている。「たかが愛」そう愛しさなんか、「たかが愛」だから切ない。消えないように、消えないように、少しでも長くと祈る心が切なさを一杯にして、涙をそばに連れてくる。
注): 1 「愛とは呼ばずあなたに、”愛しい” そう打ち明けよう」中島みゆきさんの曲ではないが、この言葉に引きつけられたのが、中学時代に良く聞いた「身も心も」という曲で、ダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンドの演奏である。機会があればお聞き願いたい。 2 「たかが愛」はCDしか発売されていません。聞いていた、レコードは別の曲と思って下さい。
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