恋愛の「上手」「下手」が有るのだろうか、きっと有るのだろう。人を好きになるということは何ものにも代え難く「尊い」ことだとだれしも感じてほしい。しかし、時として一方的な「想い」という「狂気」が行動を支配してしまう事があるようだ。「好き」「愛している」という表現はあまりにも一方的な感じがする。「想い」というものは、自分の中にあり、それが通じるかどうかは別の次元にある。別の次元あるものを自分の中に作り出して育ててしまうと、それは自分の世界に浸ることになりかねない。 「あなただけ」というフレーズを含んだ歌は今も限りなく歌われている。そして、それが永遠に変わることないというニュアンスが続く。疑問と嫌悪感を覚える。なぜ、嫌悪感を覚えるのかというと、年を取ったからだろうか、それとも単にひねくれものだからだろうか、大切なものはひとつとは限らない、もちろん自分より大切なものが存在する瞬間は訪れるものなのかもしれない。だって、「あなただけ」なんて気味が悪いと思いませんか、たった二人きりで世界か成り立っている状況に自分を持っていきたい?。現実からの逃避でも有り得る考え方。周りにいる人、自分に関わるいろいろな人に優しい気持ちを持てる人でないければ、人間としての魅力は乏しい。「あなただけ」「あなただけ」と自分たちの世界に安穏(あんのん)と浸ろうとする人に本当の優しさや愛があるとは思えない。
でも、だれかを「想う」という気持ち本当に大切なもの。それが、一方的と自分で悟っている人の「想い」は、だれにも気づかれなくても尊い心として輝いてる。
今年になってから悲しい事件が相次いで起こり、憂いに包まれてくらしている、こんな時は、あまり音楽を聴こうという気持ちにもならず、日々の生活に追われてしまう。、だからこのページの書き込みも進まない。凶悪という表現の当てはまる事件のなかにも、「想い」が有るように感じるが「ひとりよがり」な「想い」で自分の世界に浸ってしまって、本質を見失っては、結末は悲しい。「命」のはかなさを知れば、他人も自分も同じ命を生きている、その代わるもの無い命を奪えるなんて考えないはずなのに。悲しくて、切なくて、やるせなくて、それでも、力を振り絞ってこの文章を書いてみた。
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