映画感想文倉庫2003〜2004年

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アメリ(J.P.ジュネ)
2001年・仏 Le Fabuleux destin d'Amelie Poulain
2003/09/09 17:05
ストーリー:アメリ・プーランは23歳の女の子。ある日自分のアパルトマンで、40年前の宝箱を見つける。元の持ち主にこれを返せたら、自分も何か変わるかも知れない。そんなある日、メトロでちょっと変わった青年・ニノと出会い…。

出演:オドレイ・トトゥ 他


 観るとシアワセになるよ、といううたい文句に「えぇ〜? ジュネ監督なのにぃ?」と思いつつ、映画館には行かないままだった。今年の始め頃だったか、たまたま珍しくレンタルヴィデオ屋さんに行くことがあったので、ついでにヴィデオを借りてきた。観た。
 う〜〜ん…。
 みんなこれで幸せになるって、不思議だぞ。というかある意味羨ましいぞ。わたしは大層大層、不気味な気持ちになったんだけど。変なのかな? 変なのかな?

 …と思ったので、心の奥底にわだかまりがあった。先日、BSハイビジョンで放送するのを知ったので、2回目なら印象も変わるだろうかとちょっと期待した。観た。
 む〜〜ん…。
 やっぱりこれで幸せになれるとは思わない。わたしにはやっぱり、これは大層大層不気味な話である。ただし、「幸せな気持ちになんかならなくてもいいんだよ。不気味な話でいいんだよ」と開きなおって観るとすると、この作品はわたしの好みのモロにストライクゾーンではあるが。面白い〜〜♪

 育ち方のせいで人間関係に不器用で社会適合性のあまりないアメリちゃんが、人を幸せにするイタズラを通じて自分も世界に踏み出すのでした…。とまあ、ベタ褒め映画評サイトにある書き込みの最大公約数はこんな感じである。

 でも断言しちゃうけど、あのくらいきちんと社会生活できてて、人間関係ヘタも何もないじゃん。よっぽど外交的な人でない限り、他人(親も含む)と苦労せずに付き合えるなんてことは稀有なはず。それに誰だって多少個性的な内的宇宙を持ってて当然。例えそれがクレーム・ブリュレのお焦げを壊すのが好き、というような「可愛い」ものでなくても。ジュネ監督はそういうふうに自己内宇宙に引きこもる人間を描くのが大変巧いが、この現代で、多かれ少なかれ何かに閉じこもっていない人物を探す方が難しい。所詮人間なんて独り、それを上手に優しく表現してくれるところが、ジュネ監督の面白いところでもあるのだ。

 つまりわたしの見たところ、まあごく普通の女の子をクレーム・ブリュレとか運河の水切りとか豆の袋とか、赤が大変効果的に美しく可愛らしく使われている映像とか、あの何とも言えないノスタルジックで魅力的な音楽とか、そういういかにもな諸々でラッピングしてあるのがこの映画である。言ってみれば「ヴェニスの商人」を、金貸しシャイロック視点で描いて観客を滂沱の涙に暮れさせたという、ああいう手法を使った技の一本と言えるだろう。

 普通のラブストーリーとちょっと違うところがあるとしたらそれはやっぱりジュネ監督だ、というあたりで、きゃ〜んキレイ、可愛い…と油断してたら恐ろしい落とし穴があって、そのゾーっとする違和感がちょっと快感だわ、という感覚を味わえるところ。わたしはこの「ゾーっとする違和感」が特に好きである。
 だってさ、23歳かそこらの女の子がパリの夜景を眺めながらあんなことを想像してるとか考えたら、なんかチガウって思わないか? やおい女の妄想だってもうちょっと夢見がちだと思うけど。それにあの「人を幸せにするイタズラ」ってさ、宝箱は別としても、他のをやったのが例えば「中年の地味で無口な独身男性」だとか「おじゃる丸に出てくるウスイサチヨさんのような見るからに…な女性」だったりしたら、みんな微笑んで見てられるか? 絶対無理だってば。幼き日の復讐(アンテナ事件)といい、実はアメリちゃんは怖い怖い女の子なのである。

 そんな訳で、この映画そのものに関してはわたしはかなりな高評価をする。だけど「観ると幸せになる」といううたい文句、もしくは口コミ評価に関しては、それはチガウ、としか感じない。なんというか「アタシって内気で社会不適合で恋愛にも臆病なの。夢見がちで現実に足がついてないとも良く言われるわ。まるでアメリちゃんみたいでしょ? こんなアタシでも幸せになれるのね」みたいな勘違いがにおうからである。

 ヤなやつ、と思われるだろうが(自分でもちょっとそう思うけど)あえて断言する。そういう女の子はそこら辺に掃いて捨てるほどいる。アメリが可愛いのは、彼女が極端に意図的に作られた「演出のパリ」、ファンタジーランドの住人だからに他ならない。実際のパリが落書と犬の糞だらけだというように、人々を取り巻く風景にあんなに可愛い赤が配置されることはまずないように、BGMだってせいぜい喧騒と車の走行音ぐらいが関の山なように、現実のアメリはやっぱり単なる「根暗でヘンな女の子」でしかないと思われる。

 うっかりするとわたし自身もアメリ妄想に浸りそうになる。「根暗でヘンな女」が陥る罠である。そこをぐっと堪えなければならない。「根暗でヘンな女」はどこまで行っても「根暗でヘンな女」にすぎない。変わる努力をするかしないかはともかく、傷を舐めるような甘っちょろい自己肯定の言い訳にしてはならないのだ。「観ると幸せになる」という口コミ評には、『アメリ』そのものというより、「『アメリ』を観ている自分」に対する陶酔が感じられる。変にブームになったおかげでその辺りに微妙にモニョらずに居られない。
 ある意味、出来と関係ないところで非常に悔しい作品である。




パイレーツ・オヴ・カリビアン(ゴア・ヴァービンスキー)
2003年・米 PIRATES of the CARIBBEAN:THE CURSE OF THE BLACK PEARL 2003/09/16 18:55
ストーリー:8年前にヒロインが手に入れた「アステカの呪いの金貨」を巡り、海賊たちが繰り広げる海洋ロマン。(キャラ萌え映画です)

出演:ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、ジェフリー・ラッシュ他


 正直に言うと、あんまり期待していなかった。ジョニー・デップもオーランド・ブルームも結構好きだけれど、ジョニーを初めて観たのが「スリーピー・ホロウ」で次が「シザーハンズ」、その次に「ラスベガスをやっつけろ!」だったという最悪の取っ掛かりをしているせいで、彼については「結構格好いいけどヘンなやつ」というイメージが強かった。オーランド・ブルームは「ロード・オヴ・ザ・リング」のレゴラスが最初という、まあフツーの道のりだけど、なんでアイツ金髪設定なのよ、似合わないじゃないの! と独りでぶんむくれていた。  その二人がハリウッド映画、しかもディズニー作品で共演すると言われてもいまいちピンと来ないではないか。しかもあのチープな予告編。海賊でディズニーでゾンビときたら、どう贔屓目に考えてもわたしの好みに合うとは思いにくい。各種映画サイトの人気投票で2位につけているのをチェックしつつ、まあ行かないだろうな…と思っていた。

 ところが観てみたらこれが大ヒット。ジョニー・デップ扮するジャック・スパロウ船長はあざとく可愛く格好よく、初登場シーンのキャッチーなことときたら、これが狙いなんだから引っかかってはイケナイ! と判っているのにやっぱり惹かれてしまう。ラストシーンのロープアクション以降なんか「騙されちゃダメだっつーの」といくら自分に言い聞かせても、目は勝手にハート型になり足はひとりでに地団太を踏む。おでこに「危険物! 踏んだらバクハツします」と大書されているような、ある意味典型的な「アクの強い二枚目」なんだけど、それが判っているのになおすっ転んでしまうのは、これはもうジョニー・デップの持つ吸引力の勝利である。

 対するオーランド・ブルーム扮するウィル・ターナーは正統派ハンサム君。命の恩人である高嶺の花を一途に思いつづける鍛冶職人のタマゴで、正義感強く真面目で適度にマがヌケている…とくると、普段だと何だか狙いすぎてて嫌気が差すキャラクターなんだけど、これが不思議といやみがない。イナカの二枚目君が、世間知らずなりに一生懸命ガンバッテます! という姿はナチュラルに微笑ましいし、頑張りのピントがずれてボケに通じるところはひたすら愛しい。おバカな子ほど可愛い、というあの心境なのだ。

 ヒロイン・エリザベス役のキーラ・ナイトリーはどうでもいいとして(すまぬ)、悪役・バルボッサ船長役のジェフリー・ラッシュのけれん味とペーソスに満ちたいぶし銀の演技といい(手からりんごがぽろりと落ちるシーンには涙そそられずにいられない)、エリザベスパパ・ジョナサン・プライスの相変わらずなシマリス君ぶり(古いなー)といい、この映画のキャスティングは完璧である。

 ストーリーもなかなか良く練られている。呪いのかかり方と解き方にお話のポイントがあるのだけれど、その処理がかなり突き放したドライなものになっているため、「アステカの秘宝の呪い」と聞いた時に条件反射的に眉根が寄ってしまうような胡散臭さがだいぶ軽減されている。

 惜しむらくはセリフをもうちょっと役柄設定に合わせたらリアリティが増したのに、というところ。あんまり徹底すると子供たちにはワケ判らんことになっちゃうということはあるだろうけれど、いくらイナカ娘とはいえ、れっきとしたお貴族さまのご令嬢がアメリカ英語でしゃべってるというのにはちと違和感があった。そして逆にウィルもジャックも身分に比べて英語がキレイすぎる。使っている語彙から考えて、実はジャック・スパロウ船長はもともとかなりのハイソな人間なんだよーということは有り得るんだけど、ウィルはちょっとねえ。最後の方なんか「それっぽい」格好をしているシーンでは、まるでどっかの御曹司みたいじゃないか。

 それとあの「めでたしめでたし」は断固異議あり! お話中に時折出てくる「ポリティカリー・コレクト」風味は少々鼻につくけどまあ我慢できる。けどあの時代、あんな極端な貴賎結婚も特赦もありえません(きっぱり)。カップルがくっついたらハッピーエンド、というアメリカ的思考回路にはついてゆけん。
 「最後に言いたかった、愛してる」でいいじゃないか。世間知らずな鍛冶屋のタマゴからヴァージョンアップして、心に秘かに愛しいレイディの面影を抱いたちょっと陰のある新米海賊ウィル君誕生! っていうのだって萌える。いっそ浪花節に「つれて逃げてよ〜♪」っていうのだって悪くない。なりゆきで面倒を見ることになってしまったジャック船長の迷惑そうな顔つきなんかやっぱり可愛いだろうし♪

 ともあれ、最後のシーンから考えてもおそらく続編が出てくるのは間違いないので、そこら辺は続編のアタマでちゃんと話を通してもらいたいものだったりする。くれぐれも「エリザベスが攫われた! 奪還するためにジャックとウィルのコンビが復活」とかいうイージーなことにはしないように願いたいものだ。
 けどまあ、ストーリーはどうあれこの映画は最初から最後までとにかくキャラクターで見せる一本なので、細かいことは考えずに「キャー、ジャック船長(もしくはウィル君)格好いい〜っ」だけでいいような気もする。
 まだご覧になっていない方々、騙されたと思って観るべし。なお、キャラ研究については「リンク」の「雁夢館」の特設ページが大参考になるかも。わたしのひねくれたナナメな愛と違い、真っ直ぐで大容量な愛が炸裂している。




シックス・センス(M・N・シャマラン)
1999年・米 The Sixth Sense
2003/11/28 14:15
ストーリー:優秀な小児精神科医のマルコム(B・ウィリス)は、市長に功績を表彰された記念の夜を妻アンナ(O・ウィリアムズ)とささやかに祝っていた。そこへかつての患者が現れ、自分が救われなかったことを呪いながら銃で頭を撃ち抜き自殺する。
 翌年フィラデルフィアで、マルコムは死なせてしまった患者にそっくりな症状を示す少年・コールに出会い、主治医を引き受ける。前年の事件以来すっかり自信をなくしていたマルコムだったが、コールの症状は単なる妄想ではなく、常人にはないある能力によるものだと気付き、事態の改善に向けてコールにある提案をするのだった…。

出演:H・J・オズメント、B・ウィリス、T・コレット


 公開時、ラストの大どんでん返しがスゴいらしい、という噂が流れまくっていた。その詳細までは知らないまま今に至り、つい先日BSで放送されたのを初めて観たのであるが、面白かった(4倍角)。
 この映画を楽しむためには、予習をまったくしないことが大切である。映画館で上映された時、前もって「この映画のラストは云々…」というテロップが流れ、そのせいでいろいろ考えすぎて楽しめなかったという人もかなりいるようだ。あろうことか映画雑誌でラストのオチまで予習してしまった、という人さえ。なんともったいないことを! そういう余計なお世話のないBSで初見できたわたしは、むしろラッキーだったとさえ言えるだろう。

 本作品で最大の魅力は、子役のハーレイ君の達者な演技。周りの人たちの誰にも、母親にさえ打ち明けられない秘密を抱え、死者が見えてしまうことに怯え、クラスメイトにも担任教師にも不気味に思われながら一生懸命生きているコール少年を熱演している。
 オトナだって幽霊は怖いのに、たった8歳の男の子が恐怖に震えながら「予感…来るぞ、出るぞ…」と竦み上がって振り向く様子には、こっちの心臓まで毎度毎度縮みそうになる。当然かも知れないが、どうやら幽霊なんて、何度見ても慣れるものではないらしい。
 ブルース・ウィリスも自信をなくしてうらぶれたオジサンを地味に好演しているし、コール少年のお母さん・リンも大変自然で良かった。息子の恐怖、何か秘密を持っていることに気付きながらも心を閉ざされ、どうしてやることもできずに苦しむ姿は説得力ありあり。だからこそ、お母さんとコールの心が通じ合うシーンでホロリと来た人も多かったのだろう。

 押さえた色彩とテンポの映像も渋くて良いし、ムダに派手にならないサスペンスフルな音楽もぴったり。そしてまた、人間の息遣いという効果音が非常に良く効いている。静かだからこそ、自分の心臓の音にさえドキドキしてしまうという緊張感が醸し出される。本当に怖い時には、キャーとかワーとかいう悲鳴なんてきっと出ないのだ。

 ラストについてはアイディア勝負な部分は拭えないし、同じオチを使った他の作品も存在するらしい。ちょっと考えれば『世にも不思議な物語』あたりにも、似たような話があったような気がする。
 だがそれでもこの作品のラストには思わずあっと言わされるし、その後じわじわと胸に広がる切なさ寂しさはなかなか味わえるものではない。サイコホラーというと後味の悪いものも多いが、本作品は違う。観終わってほんのり暖かい気持ちが残るホラーなんて、他にないのではないだろうか。

 そおおおだったのかあああ! と思って観直せば、細かい伏線や何気ないディテールが大変よく作りこまれているのも判るだろう。1度目を観ながらちょっとずつ抱いた疑問や「矛盾じゃないの?」と思える点は、たぶん2度目に観たらちゃんと辻褄が合っていると判るはずだ。逆に「こんなとこにまで伏線が張ってあったのか」というシーンも見つかるかも知れない。
 そんな訳で、本作品は最低2回は楽しめるだろう。ちょっとハマった人なら、うっかりDVDも買いたくなってしまうかも。オススメです。




ダンサー・イン・ザ・ダーク(ラース・フォン・トリアー)
2000年・デンマーク Dancer In The Dark
2004/01/26 18:53
ストーリー:眼に遺伝病を抱えるセルマ。息子・ジーンにも自分と同じ失明の運命が待つと知っているために、あらゆる節約をして密かに手術代を貯めている。そんな彼女の心の支えはミュージカル。空想癖のある彼女は、日常の雑音をリズムとして捉え、想像のミュージカルを歌い踊ることを愛していた。

出演:ビョーク、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジョエル・グレイ


 史上最低最悪の映画だ、いや史上まれに見る傑作だという両極化した声を多数聞いていたので、いったいどこがどんなふうに最低最悪なのか(あるいは傑作なのか)不思議で、ずっと観たかった映画の一本。インパクトという評価項目があったとしたら☆100個くらい付けてしまうかも知れない。

 観終わって後悔した面があることは否定できない。個人的にはこの映画は「大嫌い」な一本である。ただし観たら観たで心のうちの何かを吐き出したくなるような、不思議な力を秘めているのも間違いない。
 それはこの作品が、この世に生きる不公平、不自由、不条理、不合理を、嫌というほど感じさせる映画だったからだ。たぶんこの作品で深く感動した人もたくさんいるだろうし、観る人によって評価がまっぷたつなのではないかとも思う。ラストシーンで泣いてしまった人がいることにも、心の底から納得できる。

 しかし個人的には、これはやっぱりストーリーとして破綻しているように感じる。「人間、この心弱きもの」ということを言いたかったのではないかと思うが、それにしてはあまりにもキャラクターたちに感情移入できなすぎる。
 セルマの頑なさにはどうしてもイライラしてしまう。こういったポリシーを持つ人の存在は理解しているし、それはそれで立派だと思わなくもない。が、やはり限度があるのではないだろうか? ジーンを産んだ訳にしても、何かよっぽどの深い事情を期待していただけに、ガッカリを通り越して唖然とした。
 たかだか2000ドル少々(あえて「たかだか」と形容する)に困った挙句、それがどういう性格の金か判った上でああいった行為に及ぶビルもどうかしている。しまいには他人の手を借りてこの世からトンずらしようというのだから呆れ果てる。リンダを失いたくない気持ちも判るけど、夫婦なのに、ちゃんと腹を割って話し合ったことはないのだろうか。
 ジーンの眼の手術を請負ったお医者さんも、キャシーに弁護を頼まれた2人目の弁護士さんも、2000ドルなら立替えてやることはできなかったのだろうか。わたしがここに出てくる医者とか弁護士だったら、とりあえず立替えておいて、当のジーン本人の出世払いで返してもらう、という算段にするんじゃないだろうか。
 キャシーやジェフにしても、個人で用立てるのは無理な金額かも知れない。けれどセルマには結構たくさん友人だって居たのだし、一大キャンペーンを展開してカンパを募るくらいはできたように思う。
 その辺の、個人の背景にあったはずの事情や努力がまったく見えない。残念ながら、これではわたしには感情移入は無理である。

 ジーンが不安を感じることが手術のマイナス要因だとセルマは散々言っていたが、実の母親が第一級殺人で裁判沙汰なんてことになったら、それこそとんでもない精神的打撃だと思うのだけれど。それに、後になって自分の目の手術費用と母親の弁護費用が天秤にかけられたと知ったら、いったいどんな気がするだろう。  裁判だってあんなにサクサク進むだろうか。判決から刑の執行までだって、あんなに早いものなのだろうか。良くも悪くも少数意見の坩堝たるアメリカ、「セルマを救う移民の会」とかが出てこない訳もない気がする。  それにあの裁判〜執行のシーン、アメリカ人が観たらどう思うだろう。監督はデンマークの人らしいが、「アメリカ」に対していろんな面でだいぶバイアスの掛かった持論がおありと見える。

 ビョークやカトリーヌ・ドヌーヴなど、俳優陣の演技は素晴らしかった。ビョークの歌も、好き嫌いはあるだろうが、心に響くものだったと思う。工場の機械の操作音が「音楽」へと変化して行くシーンは魔術的効果で、大変気に入った。
 ドキュメンタリータッチの手持ちカメラの映像と、空想シーンの固定カメラの鮮やかな映像との切換えも面白い試み。ただしわたしは手ぶれに酔ってしまったし、効果よりも不快さの方が強いかもしれない。テレビ画面でこれだけ酔ったのだから、映画館の大画面だったらエラいことになってたのではないだろうか。手持ちに拘らなくても、固定カメラをドキュメント風に使うなどの細工は可能だったのでは。
 こんなふうに、「嫌い」と思ってもいろいろいろいろ考えてしまう、それだけでは飽き足らなくて感想文まで書かずにいられなくなってしまう、そういう意味ではこの作品はものすごい傑作であると言える。精神的に不安定な時期や寝る前に観るのは断固お止めするが、ともかくも一見の価値はある。駄作か傑作か、それは観客一人一人の価値観と判断に委ねられるだろう。わたし個人はもう2度と観ないし、可能な限り素早く、この映画の内容を忘れたいと思っているが。




攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL(押井守)
1995年・日
2004/03/08 16:23
ストーリー:ネットが発達した近未来。「人形使い」と呼ばれる伝説的ハッカーを追う公安9課・別名「攻殻機動隊」の草薙素子は、脳と脊髄の一部を除いてすべてサイボーグ化されている。

出演(声優):田中敦子、阪脩、大塚明夫


 10年近く前の作品とは今も到底信じられない。作中に登場する欧州の政治母体(?)がEUではなくてECだったり、バトーが飲んでいるビールのプルタブが昔のタイプだったりする他は、21世紀になってから作られたものだと言われても納得行きそう。独自の世界観を見事に描いているアニメーションという意味で、わたしの中では『オネアミスの翼〜王立宇宙軍』と双璧をなす作品である。『イノセンス』鑑賞に先立ち久しぶりに観直してつくづくと何度目かの感動をした。振り返ってみると『マトリックス』はモロにこの作品のパクりだったんだなあ…。  わたしは滅茶苦茶に好きなのだが、ストーリーが難解すぎて判らないとか原作から離れすぎているとか、意外と評価は割れているらしい。日本よりもアメリカでの評価の方が高いとも聞く。ただしその高評価の末に出てきたものが『マトリックス』だとすると、わたしが「凄い」と思った点とは違うところがウケていたのではないかとちょっと哀しくなったりするのだが。

 今に至るまで原作を読んだことがないので(映画のイメージを壊すのがイヤさに避けて通っている。何だか本末転倒ではある)、原作ファンが映画版のどの辺に不満なのか判らない。1回や2回観ただけではストーリーの詳細が読み取りきれない難解さは確かにある。しかし何度も観直してこなれれば、大筋の物語は案外にシンプルである。
 本作品のテーマはきっと、人間なら誰でも一度は抱いたことのあるだろう疑問「私が私であることの意味は何か。何が私を私たらしめているのか」という言葉に集約されると思う。公安9課のサイボーグでかつては生身の人間だったこともある草薙素子は常にその疑問に囚われている。彼女はある時ネットの泡のように出現した「人形使い」に関わり、やがて「人形使い」と融合することによってがんじがらめになっていたその疑問を振り捨て、新しい個として再出発するのである。もちろん「私を私たらしめているのは何か」という疑問についての明解な答えが提示される訳ではない。素子はその答えを大雑把に「過去の経験すべて」ではないかと考えていたようだったし、「人形使い」はそういう考えをむしろ「今までの自分であろうとする」枷として捉えていたように思えた。彼らが融合したネオ素子がどういう結論に達したのか(あるいは仮説を持っているのか)、『イノセンス』では判るのだろうか。
 人体が直接利用できる外部記憶デバイスこそまだないが、ヴァーチャル・リアリティやネットの普及に伴い、自分と世界との境界はどんどん希薄化していっている。今ここで『攻殻機動隊』の感想文を書いている自分が居る現実がどの段階の「リアル」なのかを確かめる方法も、相変わらずわたしには判らない。自分が誰でどういう意味を持った存在なのか。わたしにとって本作品は、おそらく死ぬまで解けないこの哲学的な謎を、誰の目にもはっきり見えるように判りやすく具体化してくれたものである。難解なんてとんでもない、と思うのだが…。

 アニメーションの技術的な面から言えば、映像も音楽もCGも文句のつけようがない。冒頭で素子が窓から突入する時の「あらそう」というアンニュイな口調や光学迷彩で消えていく様子など、寒気がするほど格好よかった(惚れ惚れ)。ビルやヘリコプターから降下する時の重量感にもしびれる。ヘヴィーデューティ素子ちゃんって、わたしにとってはある意味憧れそのものである。ずっと前、本作品が話題を呼んでいた頃、密かに草薙素子ヘアにしようとして失敗したのは内緒の話。最近気を取り直して再度チャレンジしようとしているのも、あまり大っぴらには言えないミーハー心だったりする。

 ちょっとだけ疑問に思うのだが、GHOSTが宿るのは本当に脳だけなのだろうか。人体を段階的に義体化していくことは、その都度「経験値」であり「記憶の一部」である肉体を切り捨てることでもある。その肉体には、GHOSTは宿っていないのだろうか。神経細胞とは働きが異なっても、肉体というネットワークの一部だったことは間違いなく、ゲノムも細胞ひとつひとつが1セットそっくり持っているのだが(赤血球や髪の毛等を除く)。この方向からのひとつの回答が清水玲子氏の『輝夜姫』だったりするのだろうか。あちらはまた、性格のまったく異なるファンタジーというかSFというか、なのだけれども。
 『イノセンス』が鳴り物入りで公開されて数日が経つ。本当に早く観たくてたまらないのだが、評判はどうなのだろうか。あんまり期待過剰で観に行くと良くないので、なるべく感想のアップされているサイト等には近寄らないことにしているのである。日テレ系列ではスポットCMで『イノセンス』公開中をせっせとアピールしている。テレビシリーズを放送しているのが日テレ系列だからだろう。ただし「ご家族揃って観に行って下さいね♪」というのはどうだろうか? この映画はたぶんはっきりオタク向けで、ファミリーで行っても辛いんじゃないかと思うのだけれど…。




イノセンス(押井守)
2004年・日
2004/03/29 23:48
ストーリー:「人形使い」事件から3年。素子を失ったバトーは欠落を抱えながら日々の任務をこなしていた。そんな折、愛玩用ロボットが所有者を殺害した後、自分をも破壊するという事件が頻発する。

出演(声優):田中敦子、阪脩、大塚明夫


 感想は落ち着いてから書こうと思っていたのだが、何だか内側から破裂しそうなので、とりとめのないままとりあえず書いておくことにする。もうちょっとして落ち着いたら、ちゃんとした文章に直すつもり(ただし予定は未定なり)。

 前作『攻殻機動隊』を気に入った人ならば、何を措いても観るべきである。個人的には、前作に勝るとも劣らない最高傑作のひとつ。今年は『イノセンス』だけで、マイベストの新作部門グランプリは決定、という感じ。
 ただし例によって観客に対して不親切極まりない面があるので、予習・復習は必須。最低でも『攻殻機動隊』を観直してから映画館へ赴くこと。公式サイトも覗いておくとなお良い。なんなら前もって、各種の映画感想サイトのレビューを読んじゃってもいい。ネタバレがぞろぞろしているだろうが、ちょっとやそっとネタバレされたところで、本作の魅力が一毫たりとも欠けることはない。よってわたしも、遠慮なくネタバレするつもりである。あえてバラされたくない方は、ここから先は読むのをやめて下さいませ(ぺこり)。
 制作サイドが宣伝で「ファミリーで観て下さい」とか「前作を観てなくてもだいじょうぶ」とか打っているのは、そういう訳で残念ながら戦略的に大間違いというか大失敗。この映画はオタクの、オタクによる、オタクのための一本である。興味のない人を無理に連れて来てもお互い気まずい思いをするだけ。興行的にはそれでは大ヒットは望めないのだろうが、万人受けしないからと言ってそれが何なのだろう。

 実を言うと、一生懸命「あんまり期待し過ぎてはいけない」と自戒していた。押井作品は第2作が前作を凌駕するのが常とは言われているが、『攻殻機動隊』があまりに素晴らしかったので、あれの上を行くのは少々難しかろうと思っていたのである。感想サイトでも結構賛否両論だったし。しかしそんなものはまったくの杞憂であった。
 独特の世界観と全編を通じての何とも言えない雰囲気は健在。前作の主人公が「己の存在意義について悩める草薙素子」だったのに対して本作では「片翼をなくして茫然自失のバトー」なため、より一層の切なさとか寂寥感が背景を塗り潰している。物語は前作よりもずっとストレートで判りやすい。テーマを無理に言葉で表すならば「生命と非生命の境界線」といったところで、これもわたしのストライクゾーンど真ん中であった。ハマるなと言う方が無茶である。

 映画館でエンドクレジットが終わった時、すぐには立ち上がれなかった。胸が詰まるような、熱くて冷たい塊を無理に飲み込んだような気分だった。嗚咽が漏れそうで息ができない代わりに、勝手に涙がぽろぽろっとこぼれて困った。自分でも、どうして泣けてくるのか全然判らなくて狼狽し、そーっと隣席の友人を窺ったら同じような状況だったので密かに安堵したものである。

 本作の登場人物は一人残らず、どうしようもないほど孤独で救われない。家庭持ちのトグサだけが多少はマシかもしれないが、彼とて自分の足元の危うさをよく承知しているのだ。ある意味賢いというか、トグサだけがあえて自分の孤独や闇を覗き込んだりはしないのだろう。ラストで彼が娘に大きな人形をお土産に与えるシーンで特にそう感じた。
 あんな事件の後でお土産に人形。ギクリとしたバトーのナイーヴさと、たぶんそういう感情を黙殺できるトグサのタフな鈍さの対比が印象的である。わたしもギクリとしたクチで、トグサの立場だったら同じことはできない。たとえ愛娘の熱心なリクエストだったとしても。つくづく未熟者である。
 バトーと素子の関係も切ない。ネットに繋がる時、いつでもバトーの傍に自分は居るのだと素子は言った。純粋で強烈で究極の、しかし恐ろしいほどに絶望的な愛である。バトーも素子も、お互いの孤独をお互いの存在で埋められるものだとは端から思っていない。二人でいるからこそなお孤独が募ることもあると、たぶんお互い知っているのだろう。

 映像と音楽はやっぱりカンペキ。特にキムのオルゴール館のシーンは必見である。3DCGの多用で回り込みが多いため若干グラグラするかもしれないが、3Dと2Dの違和感を感じることもあるかもしれないが、まあ観ているうちに慣れることができるだろう。
 ディテールに神が宿るという言葉を実践した訳でもないのだろうが、なんでまたこんなところまで凝るかなあというほど凝りに凝ったスタッフの根性には脱帽する。ただしちょっとだけ引っかかったのはバトーの家のトースターで、独り住まいの男ん家のトースターが、あんなに景色が映り込むほどピカピカな訳はないよなあ。揚げ足取りみたいで申し訳ないが。
 一部でウケの悪いらしい古典からの引用の多さも、判らないなら判らないままどんどん先に進んでもつまづくことはない。家に帰ってからじっくり調べてみると実にまた奥深かったりして、これも押井流なのである。わたしは早速、リラダンの『未来のイヴ』を読んでみるつもりだったりする。

 ともかく最低でもあと2回は観たいのだが、果たしてそんな時間が作れるかどうか(泣)。1回目には気付かなかった部分をいろいろと確かめに行きたいのだが…。特に「まったく異質なようで似ている」という「犬」と「人形」についての細かい対比を見届けたい。あれは確かに「猫」じゃなくて「犬」でないとダメで、その辺の深さにもヤラれるのである。バトーのゴーストに幸いあれ。




CASSHERN(2004年・日)(紀里谷和明)
2004年・日
2004/05/10 17:12
ストーリー:運命のイタズラで新造人間になっちゃった東鉄也(キャシャーン)。戦いを通していろいろな物を見、思い、戦争の愚かしさを訴える。本人はマジメらしい。

出演:伊勢谷友介、唐沢寿明、麻生久美子


 まず最初にお断りするが、わたしはこの映画を、ネタとして楽しむ余裕がない方にはお勧めしない。ついでに今年度の個人的なゴールデン・ラズベリー最低映画賞なので、思い切り貶させていただく。もしも『CASSHERN』が感動的だったとかいう方がいらしたら、ここから先は気分が悪くなると思うので、読まないでくださいませ。

 ひとことで感想を言うとしたら「反戦プロモにしてはチャチくて長かったなあ」という言葉しかない。6億円だかの予算を注ぎ込み、こんなにも豪華なキャストを使い、2時間以上の尺を費やしてできたものがコレかと思うとあまりにもトホホである。
 哀しいほど陳腐だが「戦争反対」のメッセージはふんだんに詰め込んである。音楽はなかなかと言えなくもない(ファンの方々にはこたえられないと思う)。『イノセンス』や『ロスト・チルドレン』など、映像美の粋を知っているこちらから言わせると途轍もなくショボいのだが、それなりに映像にこだわったのだなということも判る。ヴェテランを中心として俳優陣の演技も力が入っている。それだけに、もったいなくて涙が出る。

 単に映画が好きなだけのシロウトに、無駄に「魔法の杖」を持たせるとこういうことになる、といういい見本かもしれない。これが例えば予算1億(せいぜい2億)、キャストは無名俳優さんばかりで尺も1時間半と限られているとかの条件だったら、たぶんもっといいものができただろう。
 つまりこの映画は、インターネット初心者がホームページ作成ソフトや豪華素材集を使いまくって生まれて初めて作った、好きなもの&きれいだ格好いいと思うものてんこ盛りの、ゴテゴテでガチャガチャでチカチカした、見るに耐えないショボサイトそのものなのだ。

 ストーリーは無理がありすぎる。仮にもSFアクションで、研究がブレイクスルーするきっかけが「天から降ってきた謎の稲妻」というのはどうだろう。生まれてきた新造人間たちをいきなり虐殺しちゃうのもどうしてか判らないし(実験成功だとまず喜ぶのではないか?)、生き残りたちが逃げ込んだ城が何なのかも謎。
 廃墟なのにスイッチひとつで灯りが煌々と点るのはなぜなんだとか、そのロボットの大群はどこから持ってきた材料で誰が作って、どこから調達した燃料で動いてるんだとかも不明。4人しか居ない新造人間たちがどうやって船を飛ばしてるのかもさっぱり判らない。
 ディテールの粗には目を瞑って、ただ流れ込んでくるイメージを楽しみましょうという作品もあるが、ここまで粗ばかりだとどうしようもない。

 凝りに凝った映像も、残念ながらどこかで見たようなものばかり。主人公の棺を7人が担いでくるシーンとか(単なる1軍曹の葬儀がどうしてあんなに大袈裟なの?)、ブライキングが玉座で見栄を切ったら新造人間帝国の旗がブワサッと広がるシーン、剣の一閃で周りの敵が一斉にバッタリ倒れるシーン(だいたい何故日本刀?)、キャシャーンのヘルメットの両脇に飾られているものがサムライの兜と西洋の甲冑の兜だったりするシーン…。
 あまりにもベタすぎて笑える。わたしは堪えきれずに、上映中何度も爆笑してしまった。

 樋口可南子は相変わらず美しく、唐沢寿明のセリフ回しには聞き惚れた。新造人間が今際のきわに見る映像が何か判った時にはちょっとだけ「おおそうだったのか」とも思ったし、全部が全部ショボかった訳でもないのだ。
 ベタなネタならベタでも構わないので、どうせなら「新造人間誕生の真相」とか「新造細胞研究の真の目的の虚しさ」あたりにポイントを絞って、反戦メッセージはミニマムにするべきだった。声を限りに絶叫しなくても、真にメッセージ性のあるテーマならば、観ている人間は必ず汲み取ることができるものなのだが…。

 大画面と豪華音響の中、それなりに笑って楽しめた部分もあるので、金返せとまでは思わない。1300円の前売りとか割引1000円だったりするならば、ネタとして観るのも一興だろうと思う。
 この作品程度のコケオドシでも映像美を感じられたり、胸焼けしそうなメッセージにも共感できる人もいるだろう。現に友人の隣席では、感動して泣いている観客もいたそうな(驚き)。
 「良かったよ」という人に向かってそんな馬鹿なとまでは言わないが、とりあえず普通にこなれた感性の持ち主には辛い1本。ただし家庭用TV画面で観たらきっと虚しさが倍増しになるので、どうしても観たかったらできるだけいい設備の整った映画館に出向くといい(映画の日を狙うべし)。

 それにしても監督・脚本・撮影・編集の紀里谷和明氏は、作ってる途中で何も疑問を感じなかったのだろうか。周りのスタッフも、牽引役のシロウトが暴走を始めたら、どうにかして止めてやれよと思うのだが。
 何よりも虚しいのは、本作品が『イノセンス』よりもずっとずっと動員するんだろうな…ということである。いいんだけどさ(ちぇっ)。




GOD*DIVA(エンキ・ビラル)
2004年・仏 IMMORTEL AD VITAM
2004/05/23 19:21
ストーリー:反逆罪により死刑に処される神・ホルス。7日間の猶予を得たホルス神は、ある特殊な能力を持つ女性・ジルを探し出すために政治犯・ニコポルの身体を借りる。

出演:トーマス・クレッチマン、リンダ・アルディ、シャーロット・ランプリング


 何という美しい世界を見せてもらえたのだろう。あの青灰色の世界にどっぷりと、首まで漬かってうっとりできる104分間だった。眼前に広がる無機質で索漠とした近未来世界、『ブレードランナー』や『未来世紀ブラジル』へのオマージュと意味深なモティーフ。これだけでもう充分。本当に本当に、美味しゅうございました(満足)。

 と、本当ならここで終わってしまいたいのだが、それだと『CASSHERN』に対して不当かな、と思ったので蛇足を少々。本作に対して満足至極な鑑賞者にとっては、ここから先は言わずもがななので、できれば読まないでくださいませ(こればっかりですみません)。

 わたしは大変好みなのだが、正直な話、本作が万人に受け入れていただけるとは夢にも思わない。観客に作品への参加を強いるというだけでなく、この世界がイケるかダメかは100%その人独自の感性による。純粋に好みの問題である。だから、この作品を観て「なんだこりゃ」とクエスチョン・マークだらけで帰ってくる人がいるだろうというのも、すっごく良く判る。

 たぶん、ストーリー重視の観客には受け入れてもらえないだろう。大袈裟に言えば物語的には、先日の大ショック作品『CASSHERN』に勝るとも劣らない訳判んないぶりを誇る。
 ホルスにアヌビスにバステトにピラミッドと来ればキイワードは1つしかないけれど、いったい古代エジプトはどこら辺に絡んで来るのか? とか。結局あの「侵入口」は何だったんや、とか。ホルスの「思い残したこと」ってソレだけだったんかい! とか。
 もしかして原作を読んだらちゃんと判るのかもしれないが、かなりの確信をもって「たぶん読んでも判んないだろう」と予想する。この話にはもともと、確固たるストーリーは必要ないのだ。エンキ・ビラル監督の魅せるファンタジックなヴィジョンの連鎖、やっぱりそれだけがあればいいのである。

 個人的に残念だったのは、アニメーションキャラが少々ショボく感じられたこと。実写人物は3人のみで、あとは全員モーションキャプチャーによる合成キャラである。その対比によって異世界感と無機質感を強調しようという狙いがあったのだとは思う。しかしちょっと失敗しているように感じた。
 キャプチャーした人物の動作をそのままアニメにしても、観る人には自然な動作には映らない。そこを微調整するのがアニメーターと演出の腕の見せ所な訳で、わたしとしてはその点かなり不満だった。どうも『ファイナル・ファンタジー』観てるみたいで…(汗)。
 モーションキャプチャー後のキャラの動かし方が、日本的感覚でないというだけなのかもしれない。しかし個人的には、やっぱりあのパフォーマンス、どうにもカートゥーン的で気持ち悪かった。全員実写で撮って特殊メイクで無機質な感じを出すとか、後の画像処理でなんとかするとか、そういう方がフィットしたのではないだろうか。

 あと、音楽ももうちょっとかなあ。映像があまりに好みだったので、他の要素についてちょっと辛口になってしまう。しかしできたらエンディングのあの歌は違う感じのインストゥルメンタルなものが良かったなあと思う。途中に使われていた重厚なサウンドの曲など本当に良かったのだが、ああいうので統一してくれたらな、と少々残念。

 しかしともかくそんな些細なことはどうでもよい。幸運にも「あの世界」に浸れる人は、思う存分トリップすればよいだけの話。そうじゃなかった人は残念でしたね…と。
 大事に買い込んできたパンフレットを開いては、ああもう1回だけ観たかった…とポワーンと夢想に耽っている。DVD、買っちゃうかも…。

 そういえば原題は「IMMORTAL AD VITAM」。ラテン語で「不死なるものから生命あるものへ」というような意味だと思う。もしかしたらこの題名の方が、内容の理解には良かったかも、とちょっと思った。




カレンダー・ガールズ(ナイジェル・コール)
2003年・米 Calender Girls
2004/07/01 03:35
ストーリー:イギリスはヨークシャーの小さな町、ネイプリー。最愛の夫・ジョンを白血病で亡くした親友のアニーを元気づけるため、ジョンの入院していた病院に座り心地のいいソファを寄付する計画を思いついたクリス。それは少々型破りなカレンダーを売ろうというものだった。小さな計画はあれよあれよという間に大騒ぎへと発展し…。

出演:ヘレン・ミレン、ジュリー・ウォルターズ他


 女性って、心は本当に死ぬまで少女のままなのかもしれない。自分を振り返ってみても、きれいなものや好きなものにときめいたり悲しい映画に胸塞がれたり、そういう感性はティーンの頃とあんまり変わっていないように思う。そしてふっと気が付くとあれから20年が過ぎていたりして愕然とするのである。
 もしかすると、わたしの親世代の女性たちも同じなのかも。この作品を観てしみじみと思った。50になろうが60になろうが、みんなやっぱり心のどこかに少女を残しているのだ。楽しい計画に胸躍らせたり、女友達と一緒におしゃべりに興じたり、珍しい何かにわくわくとチャレンジしてみたり。

 パンフレットなど読むと、クリスの計画は「平凡な生活に飽き飽きしていた彼女たちにとって一生に一度の晴れ舞台」というように書いてあってちょっと納得が行かない。クリスは確かに、同世代の友人たちに比べると茶目っ気が多い性格なのだろうけれど、彼女だって最初から大騒ぎを目論んでいた訳ではなかった。ただ親友のアニーを元気付けたいとか、ジョンへのささやかな追悼の記念品としてソファを買いたいとか、そんな可愛らしい計画だったのだ。失敗も多かったけれど、過去にもいろいろ変わった企みをしていたようだし、たぶんこれからだってやるだろう。
 …少しでも注目してもらうためにヌードカレンダー、と思いつくあたりは、なるほどかなりの型破りとは言えるだろうけれど。

 刺激的なメディアに慣らされたニホンジンの眼から見れば、その「ヌードカレンダー」だってずいぶんと大人しいシロモノである。ビキニスタイルの水着の方が露出してるじゃん、というくらい奥ゆかしく、扇情的なポーズを取る訳でもない。
 それでも彼女たちにとってはやっぱり大冒険で、めいめい筋トレしたりダイエットしたり、髪型を変えてみたりとおめかしに余念がない。カメラマンのローレンスの前で服を脱ぐことを恥らったりなど、写真撮影のすったもんだは本当にヲトメ心を感じさせて微笑ましいのである。
 メンバーの家族はその間どうしているかというと、夫族は所在無げにバーに集まってビールを片手に無言で俯き、息子は母親の暴挙にひたすら狼狽える。同じ女としてシンパシーを感じるのか、娘だけは尻込みする母親の背中を押したりしている。
 女性は男性よりはるかに環境適応能力が高いのだと聞く。男性の方が、いろいろと社会規範や常識で自らを縛るものなのだ、とも。本当かどうかは知らないが、だとするとこういう図式はいかにもありそうで、スクリーンを観ながら思わず男性陣にエールを送ってしまった。

 周囲の予想を裏切って、カレンダーが大評判になってしまってからの顛末はだいたい予想通り。ソファ1脚の予定がどんどんデカい話になり、メンバーがマスコミの取材大攻勢を受けるにつれ周囲の男性陣(特にクリスの息子・ジェム)がストレスを溜め込んだり、舞い上がったクリスと慎重派アニーの間がぎくしゃくしたりする、そういう展開もお約束と言えばお約束。ただそれを、クリスもアニーも他のメンバーも、決して浮き足立つことなくさばいて行くのが好ましかった。
 マスコミの寵児としてもてはやされ、一時的に舞い上がっても決して調子には乗り過ぎない。何が大切なのか、本当に守らなければならないことは何なのか、彼女たちはちゃんと判っているのである。自分が同じ立場に立たされたら、おそらく糸の切れた風船みたいに飛んでいってしまうだろうなあと思う。その辺が、少女の心と大人の女の分別を兼ね備えた「ヨークシャー女性」なのよ、という自負なのだろうかと感じた。

 妻の大活躍に狼狽えたり、ついつい愚痴をこぼしてイエローペーパーにすっぱ抜かれたりするものの、メンバーの夫たちもさりげなく懐が深い(じゃっかんの例外はいるが)。前代未聞のヌードカレンダーについて、内心トホホ〜と思ったとしても「そんな馬鹿なことはやめろ、年甲斐もない」などと否定したりしないのだ。「世間体」に関する感覚が、舞台となったヨークシャーと日本では割に似ているそうだけれど、日本の夫族だったらまず頭ごなしに「自分の歳を考えろ」と来るような気がする。
 特にクリスの夫のロッドは素敵なダンナさんだなあと思った。妻の行動を黙って見守り、肝心な時にはちゃんとフォローをしてくれる。ジェムともきっちり話し合い、「ママのやりたいようにさせてやろう」とか説得したりする。クリスの大活躍は、ロッドが居てくれるからこそなのだ。

 レディスデイだったこともあり、観客は9割以上が女性。しかもほとんどがクリスたちの年代の方々だった。そんな女性たちがこの作品を観て、固唾を呑んだり笑ったり、非常にいい反応を示しているのが何だか嬉しかった。日本のおばさま方の中にも、やっぱりちゃんと少女が潜んでいる。
 おばさま方だけでなく若い女性にも、おじさま方にも、ぜひ観て欲しいなと思う作品である。「自分の生きた証を求めたいなら、その道はゴーストの数だけある」…いかにもイギリスが舞台の映画らしくコミカルに、温かく品よくちょっぴり切なく、そういうメッセージを伝えてくれる。書き忘れたので慌てて付け足しておくけれど、ヨークシャーの美しい風景も必見である。

 とりあえず今後は決して誰かに向かって「自分の歳を考えてみなさいよ」などと言うまい。そして自分も「この歳になってそんなこと…」と尻込みするようなことはやめとこうと誓った帰り道である。




トスカーナの休日(オードリー・ウェルズ)
2003年・米 Under the Tuscan Sun
2004/07/02 17:32
ストーリー:突然夫から離婚を切り出され、そればかりか財産分与で家まで失った作家のフランシス。傷心旅行先のトスカーナで、古い伯爵邸を衝動買いする羽目になる。

出演:ダイアン・レイン、サンドラ・オー、リンゼイ・ダンカン


 とにかくもう、トスカーナの美しい風景に憧れてしまう。『カレンダー・ガールズ』に出てくるヨークシャーもきれいだったがトスカーナもいい。ゆるくうねる畑、境界線に植えられた樹木など、ディテールはそれほど変わらないのに全体の雰囲気がやっぱりイタリア! という感じ。なんというか、ヨークシャーがパステル調ならトスカーナは原色である。
 心を落ち着かせるために旅するならばヨークシャー、元気を出すためならばトスカーナかな、などと即物的なことも考えたりした。2つの舞台は、町並みのどこを切り取っても絵葉書のような雰囲気を醸し出している点が共通する。映画の中だから、絵になる場所を抜き出しているのだとはいえ、日本はどうだろう。外国からの観光客が「あら素敵」と思ってくれる町並み、ちゃんと残して行けているのだろうか。

 それはさておき、ヒロインのフランシスがあまりにも可愛い馬鹿女なので微笑ましくて切ない。作家として順風満帆だったはずなのに突然夫から離婚を切り出され、財産分与で家を明け渡すことになる。それなりの対価はもらうものの、明け渡した家には夫が恋人と住むつもり(しかも恋人のお腹には赤ちゃんがいる)と聞いて大ショック。見るも無残にグダグダメソメソに成り果てるのだ。
 親友のパティに勧められてトスカーナへ傷心旅行に出掛け、つい成り行きで全財産をはたいて「ブラマソーレ」という旧伯爵邸を買ったはいいが、邸内は最高に要修理状態。新規巻き直しのはずが、嵐の夜に独りで心細く泣き寝入りしてたりする。もー何やってんのよ! とこっちまで惨めになってくる。
 ダイアン・レインって「大人の女」っぽい役が多かったような気がするが、こういうヘタレ女を演じてもキュートで魅力的なんだなあと嬉しくなった。

 フランシスのグダグダメソメソは留まるところを知らずになおも暴走する。あっちでもこっちでも、そんなに隙だらけじゃマズいでしょ、何やってんのよもうっ! ということばっかりしでかす。ブラマソーレの隣人たちがいい人ばかりだからいいようなものの、そうでなかったらあっという間に「都合のいい女」になってしまうだろう。危なっかしくて見ていられない。
 エキセントリックな新しい友人・キャサリンに「落ち込んでばかり居ないで!」と叱り飛ばされても、なかなか浮上できないままなのだ。

 信じていた夫に裏切られて傷心の極みに落ち込んだら、きっと誰でもフランシスみたいにグダグダになるだろう。ただそのグダグダぶりにイラつくあまり不愉快になるほどではなく、フランシスの立場に同情しつつもお涙頂戴っぽさにシラけないで済む。もどかしい思いと感情移入がほどよくミックスされた気分でスクリーンに見入っていた。このバランス感覚はなかなかである。

 キャサリンやパティの失恋と克服への七転八倒を目の当たりにしたり、隣人プラチドの娘とポーランド移民の大工・パヴェルとの初々しくも向こう見ずで前途多難な恋を応援したりするうちに、さすがのフランシスも大地を踏みしめ始める。ブラマソーレの改修工事が少しずつ進むのと同時進行な感じもちょっとあって、この辺りの演出はとっても素敵である。
 最後の最後にほんのちょっぴり「乗り越えた」フランシスを見て、ささやかなカタルシスも味わえた。映画のヒロインがスーパーウルトラな活躍をしても「ま、作り話だし」程度にしか思わないが、フランシスくらいの成長なら身に染みるし現実感がある。このくらいならできるかしらん、と思える辺りがいい。

 キャサリンの大好きなアイスクリームとか、フランシスが腕を揮うトスカーナ料理とか、イタリアにはやっぱり美味しいものが似合う。昔『マカロニ』という映画を観た時も思ったけれど、イタリアの食卓に並ぶ料理はどうしてあんなに空腹をかきたてるのだろう。大勢でわいわいと囲む食卓、というソースが効いているのもきっとあるのだろう。
 日本と同じくアメリカでも、家族の絆が希薄になって、こういう食卓が消えつつあるのかもしれない。フランシスが憧れる「家族」が、わいわいがやがやとした食卓にフォーカスしている点にもしみじみとした思いが募った。

 超移り気なマルチェロとか大らか過ぎる改修業者さん候補たちとか、「アメリカ人が思い描くイタリア」的部分にホンマかいなと笑ってしまうところはあるけれど、全体の魅力の艶消しにはなっていない。
 もしも何かショックなことがあって落ち込んでいる友達がいたら、さりげなく『トスカーナの休日』を観に行こうよと誘いたくなる、あったかくて優しい作品である。




ハリー・ポッターとアズカバンの囚人(アルフォンソ・キュアロン)
2004年・米 HARRY POTTER AND THE PRISONER OF AZKABAN
2004/07/15 18:15
ストーリー:ホグワーツ3年目。アズカバン監獄を「例のあの人」の手下が脱獄したというニュースで持ちきりの魔法界。ハリーの命が狙われているとも囁かれ、彼の身辺はにわかに慌しくなる。

出演:ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトスン


 非常に素直に楽しめた。娯楽作品としては一級品と言って問題ないと思う。個人的には導入的要素の強かった前2作よりもずっと面白かった。特にスコットランドを始めとした英国各地のキュートで美麗な風景を堪能できて大満足である。一番気に入ったシーンはもちろん、ハリーがバックビークに乗って空を飛ぶ場面。晴れていても曇っていても絵になるなんて、あの国くらいなものではないかと思う(贔屓目過ぎ?)。
 ポッター両親の最期の真相や、ハリーの今後の行く末に絡むこともあってか、物語も雰囲気も少々ダークな感じ。わたしはむしろそういう面が気に入ったのだが、同行した友人によると「小さい子にはちょっと怖いかも」ということ。蜘蛛とか蛇とかの具体的な生き物ではなく、「恐怖そのもの」であるディメンターの薄ら寒さとかオドロオドロしさは、確かに強烈かもしれない。

 実を言うとわたしは、原作はこの巻までしか読んでいない。それもかなり以前のことなので、ディテールに関してはすっかり記憶の彼方になってしまっている。映画を観ながら「あ、そうだったそうだった」と復習している感じであった。
 むしろその記憶のアヤフヤさが良い方向に転がってラッキーだったかもしれない。基本的には前2作と同様、非常に原作に忠実なつくりなのだが、ファイアーボルトの登場するタイミングなど細かいところがちょっぴりずつ変わっていたらしい。時系列的にやや込み入っている部分もあるため、まったく何の予備知識もなしに観たら少々説明不足な感じがあるだろうし、暗記するくらい原作を読み込んでいる人だったら「ここが違う、あそこが違う」と気になってしまう可能性もある。
 ともあれあの分厚い本を142分に収めなければならないのだからかなり苦労しただろうと思うが、全体的に過不足なくまとまっていたと思う。ファイアーボルトに同梱されていた羽根も良かったし、本作の脚本はなかなかの出来だったのではないだろうか。

 ストーリーの合間合間に語られる、ハリーの「家族」に対する切ない想いが胸を打つ。ホグスミード村でシリウスについての真相(実は冤罪なのだが)を盗み聞いて大ショックなシーンとか、リリーとジェイムズの在りし日の思い出をいっぱい持っているルーピン先生に心傾いて行く様子とか、やっぱりうまいなあ、J・K・ローリング…。
 ハリーとシリウスの今後が気になって、未読の4巻以降も俄然読みたくなってしまった。4巻から後って2分冊なんだよね。高価いし場所を取るし、かといって図書館だと延々と待たされるし、どうしよう。早いところハンディ版に降りてこないだろうか(できれば少々鬱陶しいあのフォント遊びがなくなっているとなお嬉しい)。

 そして今回、個人的にちょっと萌えてしまったのがリーマス・ルーピン教授。BGMをかけながら授業をするヘンテコおやじかと思うと何やら秘密を抱えている。それが影となっていて大変魅力的なおじさまである。
 ハリーを変に子供扱いしないところとか、両親の思い出をぽつりぽつりと語って聞かせるシーンとか、イギリスのパブリックスクールの先生ってこんな感じかなあと想像が膨らむ。デイビッド・シューリスの物腰の柔らかさ、穏やかで品の良い英語も良かったし大変ハマり役だったと思う。もう出て来ないのだろうか。再登場を激しく希望!
 ただし人狼の表現形としては、オーソドックスな毛むくじゃらタイプの方が良かったんではないだろうか。つるつるのウェアウルフって何だか貧相だったのだが…。

 子役さんたちもいつも通り頑張っていたし、そういう訳で映画館に足を運ぶ価値は大有りの1本。無理な願いかもしれないが、今後も主要キャラの役者変更はギリギリまでしないで欲しいと思う。子供ってちょっとの間にこんなに成長するんだなあと違和感を覚える部分もあろうが、「実物の」ハリーたちもこのくらい育っていると思えば感慨も沸こうというものだ。年に1作品作らなきゃならないからとても追いつかないのだけれど。
 それにしてもエマ・ワトスンは可愛い。「ダメねえ、しっかりしてよママ!」とか言われてもいいから、こんなムスメが(以下略…。



スチームボーイ(大友克洋)
2004年・日
2004/07/22 15:11
ストーリー:19世紀イギリス。発明一家の13歳の少年レイは、ある時祖父に驚異の発明品を託される。無限のエネルギーを秘めた「スチームボール」を狙って誰も彼もが動き出す。

出演:(声優)鈴木杏、小西真奈美、中村嘉葎雄


 あんまり期待せずに行ったのだが、観終わった後、なんだか哀しくなってしまった。
 大友監督を始め、スタッフたちのやりたかったことは痛いほどヒシヒシと伝わって来るのに、わたしにはそれがちっとも面白いと思えない。感性というか、単に萌えポイントが違うということなのだろう。そう思いつつ、パンフレットを買う気にもなれずにトボトボと映画館を後にした。
 この作品が「構想9年、制作費20ウン億円!」というあおり文句で売り出されたことが何よりも哀しい。いろいろ事情もあったのだろうが、費やされた時間と金銭は計画的に必要とされたのではなく、ただ漫然と「気がついたらそれだけかかっていた」というだけに思える。「世界の大友」がそれだけかけた作品ならば、いろいろな意味でもっとこちらの度肝を抜くものであって欲しかった。

 映像は確かに凄い。CGと手描きアニメーションの違和感がほとんどなく、観ていて心地よく安心できる。大人しめ、若干暗めの色彩も、19世紀イギリスという繁栄と混乱とが交錯するあの時代のあの国、という演出で好印象。
 『CASSHERN』を一緒に観に行った友人が、男性はなぜあんなにも「歯車」などの器械部品が好きなのだろう…という意見を漏らしていたのだが、今回ふいにその言葉を思い出した。いやーホントに全編「動いているメカと部品たちを描きたかったんです!」というスタッフの自己主張に満ち溢れている。
 ほとんどすべて手描きだという「蒸気」はこれでもかこれでもかと惜し気もなく噴き出し、メカはがちゃこんがちゃこんと小気味良く動き回り、各種機械の内部は詳細に描き出されて「手が込んでるなあ」と素直に感心できた。ラストで氷のカケラがキラキラするところなど本当に綺麗だった。

 でもそれだけ。
 個人的な最大の不満は、冒険活劇なのにちっともワクワクできなかったこと。レイとスカーレットの主役コンビは面白いのに、彼らの冒険がメカと戦闘シーンに埋もれて目立たなくなってしまっている。やや不安だった鈴木杏さんと小西真奈美さんもかなりハマり役で、特に小西さんはプロ声優顔負けの大熱演だっただけにもったいない。
 わくわくアドベンチャーというよりは、なんつーか、ソーゼツなスケールの父子喧嘩、と表現した方がまだ許せる感じ。ただしそのロイドとエディのサイエンティスト対決も、消化不良な部分があり過ぎてのめり込めない(ロイド役の中村嘉葎雄さんがカミカミしているのが、また神経に障るんだわ…)。

 近代科学が爆発的に発展する直前のあの時代を舞台に、「理想としての科学」と「権力を支えるちからとしての科学」の両面を打ち出してみせるという発想はなかなか良かったのに、どーしてあんなにつまらなく作れるのだろう。素材としてはありきたりかもしれないけれど、お約束だが美味しい料理法だっていっぱいあると思うのに。
 脇キャラのロバート・スティーブンソンと助手のデイヴィッドにしたって、味方だと思っていたのに結局みんな同じ穴のムジナなんじゃないか! というレイの絶望→再奮起を演出するのに絶好の設定だった。それがどうして単なるブラボーおじさんになっちゃうのだ。『天空の城・ラピュタ』と比べるのは無茶としても、せめてムスカ程度の悪役っぷりは発揮して欲しかったものである。

 そういう大人たちのいろんな事情に巻き込まれ、良く判んないながらもキーアイテムを抱えて右往左往するレイ。高慢ちき極まりないのだけれどなぜかレイに惹かれてしまい、一緒になって大冒険するスカーレットお嬢さま。理想と野望のぶつかり合いを目の当たりにし、レイが最後に選んだ大どんでん返しの一発勝負とは…!
 なーんちゃって丸っきり『ラピュタ』だけれども、作りようによったら手に汗握る波乱万丈の大冒険活劇が成立する、これだけの魅力的なキャラと設定が揃っていたのに。もったいなさすぎて涙が出る。
 もちろん凝りに凝ったメカ描写だってすればいい。けれど、シュミに走って本末転倒するのではなく、要所要所でビシーッと魅せてくれればもっと強く印象に残ったはずである。せっかくスタッフたちが力瘤付きで作った部品の動きや戦闘シーンもストーリー的に間延びするだけでインパクト全然ナシ。表現は悪いが、趣味の垂れ流し状態に近い。

 大画面ならではの迫力もあるので、もしもタダ券がある場合は観に行くのもいいと思う。メカが好きな人ならば、動いている部品たちだけで大満足できるかもしれない。大友監督作品は純粋にそういうところだけ楽しめばいいのだ、という意見もあるようだし。
 しかし何よりも萎え〜っとするのは、大友監督が続編制作を決定した、というニュースだった。実はアカデミー賞を狙っているらしいという噂も耳にした。
 …本気? 誰か止めてあげた方がいいんじゃないのかなあ…。



スパイダーマン2(サム・ライミ)
2004年・米 SPIDER-MAN2
2004/07/29 17:38
ストーリー:グリーン・ゴブリン事件から2年。ヒーローとしての自分に疑問を抱くピーターは、尊敬する科学者・オクタヴィウス博士(の成れの果て)と対決しなければならなくなる。

出演:トビー・マグワイア、キルスティン・ダンスト、アルフレッド・モリーナ


 悔しいけどヤラレた。ベタなんだけど、泣かされた。総合評価の☆4つは、限りなく5つに近い4である。『キング・アーサー』(←あまりにトホホだったので、感想文書くのはヤメ)の不完全燃焼な気分が、本作で一挙にストレス解消。やっぱ映画ってこーでなくっちゃ。

 ヒーローの孤独。才能は「ギフト」なのか「特権」なのか、はたまたある種の「枷」なのか。こんなにもシンドイ思いをして、ピーター・パーカーはどうして「ヒーローであること」を最終的に選ぶのか。そういう苦悩や逡巡や七転八倒をていねいに描いてくれているところが、おそらくわたしのハートを鷲掴みにしたポイントである。
 わたしはこんなに苦労ばっかりさせられているヒーローを他に見たことがない。文字通りの超人であるスーパーマンより必殺技も少なく、バットマンよりも哀しいほどビンボー。学業とヒーロー業務の板挟みになったり、バイト中に活躍しなくてはならなくなってワリを喰ったりする。
 好きな女性に危険が及ぶことを恐れて好意を伝えることもできず、生活のために止むを得ず「スパイダーマン」の写真を売れば悪口記事を書かれる。ヒーローがヒーローたるにはこれだけのものを犠牲にしないといけないのだとしたら、なるほど普通の人間には務まるまい。「もうイヤだ」と思いつつなぜ私生活を二の次にしてしまうのか。おそらく彼自身、見過ごしにできるものならもうとっくの疾うにそうしていると言いたくなるような、止むに止まれぬナニかがあるのだろう。

 手作りのコスチュームといい(コインランドリーのシーンには涙と笑いを誘われずには居られない)、他のヒーローたちと比べるとあまりにも細身の肉体といい、フツーの人間にちょっと色を付けた程度なのがスパイダーマン、という感じ。けれど無敵のヒーローが敵を右へ左へバッタバッタとなぎ倒す、というシーンよりも、スパイダーマンのような生身っぽいヒーローが全身ズタズタボロボロになりながら戦う姿に、個人的にはより一層胸ときめく。
 電車のシーンでのピーターの必死の形相、乗客たちの「ほんの子供じゃないか」とか「俺を倒してからにしろ」といい、子供たちの「誰にも言わないからね」といい、ええ、もう本当にボロボロ泣いてしまいましたとも。展開としてはお約束だし、ベタな泣かせのシーンだとは判っているのだが、あそこでホロリと来ないとしたら相当な朴念仁であると言わせていただこう(勝手に決め付ける)。

 さらにメリー・ジェーンとピーターの、くっつきそうでくっつけない、すれ違いの恋路に胸が切なくなる(やっぱり不幸萌え)。キャラクター的にはトビー・マグワイアもキルスティン・ダンストも好みのタイプではないのだが、そこがまたより一層「普通の人々」の恋物語、を醸し出していてイイ。予告編を観た時はあの喫茶店の「Just one kiss」のシーン、なんて鬱陶しい女だろうコイツと思ったのだが、MJには彼女なりに切実な動機があったのだ。切ない…。

 メイ伯母さんの苦悩と赦し、ヘンリー少年の夢と憧れ、ファザコン・ハリーの逆恨みせずにいられない思いなど、細かい心情描写も行き届いているのでキャラクター一人ひとりが「立っている」。デイリー・ビューグル紙編集長・ジェイムソン氏の現金な性格など、憎たらしいと思いつつやっぱり笑ってしまったし。
 今回の敵役・ドック・オクことオクタヴィウス博士も良かった。温厚な成功者が実験の失敗からダークサイドへ呑まれて行く様子は不気味で迫力があり、これほど強大な敵にスパイダーマンがどうやって立ち向かうのかとハラハラドキドキする。クライマックスでは、ペリシテ人を道連れに最後の力を振り絞るサムソンを思い出してまたまたホロリ。アルフレッド・モリーナって見覚えがあると思ったら、『ショコラ』で堅物のレノ伯爵を演じていた人だった。ペーソスを感じさせる重厚な演技に納得…。
 パンフレットによれば、ドック・オク役の候補として挙がったのはロバート・デ=ニーロやロビン・ウィリアムス、アーノルド・シュワルツェネッガーなどだとか。それぞれまた別の見応えある敵役になっただろうし、ちょっと観てみたかった。デ=ニーロのマッドサイエンティストなんか超怖そうである。

 前作を観ていなかったわたしがこれだけ面白かったのだから、1からのファンはもっと楽しかっただろう。思わずレンタル屋さんに走りそうになっている。ともあれ個人的に、この夏イチオシ作品かもしれない。たぶんまた映画館に行っちゃうのではないかと少々不安なのである(とりあえずキャラ萌えはしてないのだけれど)。



ディープ・ブルー(アラステア・フォザーギル、アンディ・バイヤット)
2003年・英独 Deep Blue
2004/08/05 17:20
ストーリー:地表面の7割を占める海。さまざまな側面を持つ海と、そこに生きる動物たちの様子を素晴らしい音楽と映像で描き出すドキュメンタリー。

出演:海、生き物たち、マイケル・ガンボン(ナレーション)


 素 晴 ら し い !

 もう16倍角くらいの文字で叫びたいくらいのマーベラスでワンダフルでブリリアントな作品である。制作にかかった期間は7年半、そのうち専門家との打ち合わせとリサーチだけで1年を費やし、撮影は4年半もの時間をかけた。ロケ地は200ヶ所以上、撮影チームは20、理想的な映像を撮影できるまでひたすら通いつめ、待ち続けた末の貴重な貴重なフィルムばかり。
 このような地道で高水準なドキュメンタリーに関しては、さすがBBCと感嘆する。全編が例えようもなく美しく、また学術的にも大変に意義深い発見が詰まった1本なのだ。

 海の見せるさまざまな表情と、そこに生きる動物たちの食うか食われるかをひたすらストレートに映し出している、言ってみればそれだけかもしれない。けれど、過剰な装飾や演出は一切なく、詩的で穏やかなナレーションが必要最小限の説明を淡々と語る。この映像と音楽があれば、大袈裟なナレーションも演出も要らない。
 例えばもうちょっと色気のある制作スタッフだったならば、間違いなく動物たちを擬人化したアテレコをしたと思う。「あっサメが来ました、大変です! 小魚たちは大慌てで逃げ惑います」、「ボクだってお腹が減ったのになあ、とお父さんペンギンは思っているのです」…とかなんとか。もしそうだったら、この圧倒的な映像美がどれだけ艶消しされてしまったことだろう。

 掛け値なしにCGもワイヤーもスタントもなーんにもないのだが、あまりにドラマティックなエピソードの数々に「もしかして秘密の演技指導がついてるんじゃ」とさえ思ってしまう。厳密に言えば「観察者」の存在が、被写体に影響を及ぼしているということはあるのだろうが、本作品に登場する映像の中に「役者」は一切居ない。まったく信じられない想いでいっぱいなのだが。
 ちょっとだけ手を加えてあるとしたら多少の効果音がつけられている程度。それも大袈裟ではなく、たぶん「あまりに静かだと却って不自然」ということで付けたのだとしても驚かない。もしかしたら実際に、こういう音がしているのだということも有り得るくらい自然な音ばかりである。

 ドラマ性を盛り上げているのはジョージ・フェントンの素晴らしい音楽で、演奏しているのはなんとベルリン・フィル。知らぬ人とてない超一流オーケストラだが、過去に映画音楽を担当したことはない。
 この伝説的なオーケストラが、荒れる海、夜の静かな海、水面越しの太陽の光、弾ける水面と煌めく波飛沫、イルカたちの躍動感やコミカルなカニの仕草までも表現し切っている。寸分過たぬタイミングで寄せては返す音の波。まさに芸術である。

 DVDになったらきっと買ってしまうだろうと思うが、何はともあれ映画館の大画面と高性能の音響システムで堪能すべき作品。まさに「人であることを忘れる90分」だった。
 ただひとつ惜しかったのは、これはまったく本作品のせいではないのだが、夏休みということもあり、お子様たちのおしゃべりがどーにもウザかったということ。「人であることを忘れる」時間と空間に浸っている時に、子供のペチャクチャ声で「あ、カニー!」とか「アレは何?」とか聞こえてくるのはもう勘弁してくれである。
 という訳で、本作品の魅力を100%堪能したかったらレイトショーを狙うべし。ただしレイトショーだと、あまりに心地良過ぎて夢の世界へ漕ぎ出してしまう危険性もあるのだが。



リディック(デヴィッド・トゥーヒー)
2004年・米 THE CHRONICLES OF RIDDICK
2004/08/11 16:35
ストーリー:全宇宙を暗黒時代に引きずり込もうと侵略の手を伸ばすカルト集団・ネクロモンガー。総帥であるロード・マーシャルを倒すには、フューリア人の生き残りであるならず者・リディックに頼るしかないというが…。

出演:ヴィン・ディーゼル、コルム・フィオール、アレクサ・ダヴァロス


 のっけから程好く小汚い賞金稼ぎがリディック(賞金首)を追いかけて返り討ちに遭うシーン。ともかく先入観も予備知識もなーんにもナシに「楽しもう!」と思って行ったので、この辺りでちょっとわくわくする。「お前は3つのミスを犯した」なんて格好いいじゃないの♪
 それからまあ出るわ出るわ、『デューン・砂の惑星』や『スター・ウォーズ』のタトゥーインみたいな埃っぽい町並み、怪しげなカメラで生命反応を感知するミュータント(?)、イオン・エンジンの航跡、皆殺しにされた一族の生き残り、予言、灼熱惑星の夜明けなどなどなどなど。
 こういう小道具の数々、SF好きのハートをキャッチして離さないだろう。わたしも観ながら「ああ、あの頃のSFってば良かったよなあ」などと良く判らない感慨に耽っていた。

 ところがそれなのに、総合的に振り返ると感想は「フツーにつまんなかった」になってしまうのである。ガジェットは確かにツボ。映像もなかなかで、SFチックなアイテムや効果の魅せ方も合格点。暗視能力のあるリディックの不思議な瞳とか、空間移動するロード・マーシャルの動き(思わず「加速装置!」と心の中で呟きましたとも)なんか「わーいSFだSFだ」ってな感じでベタだけど受ける作り。
 すべてをぶち壊したのはやっぱりキャラクターで、どの人もこの人も、絶望的に感情移入し得ないようにできている。いやホント。前作の『ピッチブラック』を観ていたらもう少しはリディックとキーラの関係に切なさを感じることができたのだろうか? どうもそうとは思えないのだけど…。

 お尋ね者かつならず者という設定のリディックは結局、悪いヤツなのかイイ人なのか最後まで判らない。宇宙カルトの総帥は、あれだけの特殊能力とカリスマ性を持ちながら、どうしてたったひとつの予言にアタフタするのか判らない。エレメンタルのエアリオンが生き残りのフューリア人の中でもリディックに拘る理由も判らない(そこまではっきり計算できるなら例の予言以上じゃんか)。
 そういう辺りには敢えて目を瞑るとしても、せっかくの凝った映像によるSF的舞台と環境を、役者さんたちがまったく肌で感じていると実感できないのがともかく致命的。どのシーンも、臨場感というか逼迫した感じがゼロなのだ。

 例えば刑務所惑星クリマトリア。日向では700度、日陰ではマイナス300度(単位が出てこないんだけど、もちろん華氏でしょうね…?)という非常に厳しい環境の惑星である。そこに収容されている囚人たちが、ぜーんぜん暑がったり寒がったりしていない。冷暖房完備の刑務所ってアリ? エアコン入れないと人死にが出る気温とはいえ、刑務所っぽくするなら「看守のヤロウがケチ臭いから、昼間は暑くて夜は凍えそうだ。たまらねえ」などと愚痴っててくれたら実感ヒシヒシだったのに。
 建物内どころか、脱走したリディックたちが「夜」の部分を走ってても息が白くもなってないしもちろん寒がってもいないのはどうしてなの。比べるのも申し訳ないが、『イノセンス』の検死室のシーンなど、誰も気温のことなんか口に出していないのに、トグサの息の白さと襟を掻き合わせる仕草だけで「あ、相当寒いんだな」と判ったのだが。
 暑い場所のシーンでも、水筒の水を引っかぶって救出に行くって(汗)。火事場の人命救助じゃないんだからさ…。人が蒸発するほどの気温なんだろうに、ちょっと日陰に入れば大丈夫なの? と、こちらの体感温度(想像)も狂う狂う。

 一事が万事この調子。スピード感、痛み苦しみ焦り、キャラクターたちが感じている「はず」の生な感情、まったく伝わって来ない。リディックが何をやっても無表情な強面だから、というのもあるけれど、もちろんそれだけではない。
 個人的に「お、こいつそうだったのか!」と一瞬期待が籠もったピュリファイアも、そこで独り上手に退場してしまうのは一体全体どうしてなんですか?

 SF的小道具や設定が絶妙なんだけど、それに拘りすぎて肝心の「ストーリー」という柱が鉛筆な辺り、『スチームボーイ』を思い出した。『スチームボーイ』のメカや歯車や蒸気が、『リディック』のSF的ガジェットの数々なのである。小道具にそこまで凝る割には他の部分はどうにもおざなりで、「なんてこった!」が「ジーザス!」だった点には激しく萎えた。細かい突っ込みかもしれないけど、遥か彼方の未来世界なんでしょ? 某長編ファンタジーで主要キャラクターが突然「南無三!」と言いだした時といい勝負のトホホポイントだったのだが。
 とは言うものの、やはり映像その他が良かったこととラストシーンで大爆笑できたのとで(あんなのアリか?)、まあ大画面で観ちゃっても良かったかな、とは思う。逆に言うとそういう点に萌えられない人にはただ苦痛だったかも。現にわたしの前列に座っていた人たちはみんな眠っていましたよ…。

 結論。個人的なジンクス「おすぎの絶賛している映画はハズレ」を甘く見てはいけなかった。



華氏911(マイケル・ムーア)
2004年・米 FAHRENHEIT 9/11
2004/08/25 18:22
ストーリー:2000年のフロリダ。全米を揺るがせた大統領選挙に関する不正のウワサ。ともかく大統領に滑り込んだジョージ・W・ブッシュと彼の政策に関する怒りと哀しみと問題提起。

出演:マイケル・ムーア、ジョージ・W・ブッシュ


 う〜ん、ビミョー。こういう書き方をすると不謹慎かもしれないのだが、エンターテインメント映画として捉えるならば文句なく『ボウリング・フォー・コロンバイン』の方が出来が良かったように思う。本作品を、ではドキュメンタリーとしてだけ捉えれば傑作かというと、やっぱりそうとも言い切れない。というか、そうは「言いたくない」。
 観る前から予感があったのだが、『ボウリング〜』に比べて本作は、いかにも「先ず結論ありき」の臭いが強すぎる。人間が何かの表現行為をする上で、主観をゼロにすることは不可能である。しかし本作のようにあまりにも一方的な観点に立った映画を「ドキュメンタリー」と呼んで良いものかどうか、この点非常に疑問が募ってしまった。
 ただしいろいろ問題点はあるけれど、映画館に出向くにしろDVDで観るにしろ、1度は観ておくべき作品だ、とは言えるだろう。観た後でどういう感想を抱くか。個人個人、得た印象を反芻することこそがムーア監督の本当の意図なはずだと思うのだ。

 2000年のフロリダのシーンから作品は始まる。ああそういえばこんなこともあったっけ…と、忘れっぽいニホンジンなら思うのではないだろうか。ただしあの時のフロリダで、本当にムーア監督が仄めかしたようなことが行なわれていたのか、せっかちな判断はやっぱり避けるべきだと思う。個人的には限りなくアヤシイと思うけれども。
 その後に続く9/11についても、あからさまに「ゴアが選ばれていればあのテロは避けられたはず」と言いたげな論調は、やっぱりどうしてもアンフェアではないだろうか。起こらなかった出来事を前提に仮定の未来を語るという手法は、ドキュメンタリー作品においては絶対のタブーだと思うのだが…。
 全然関係ないが、9/11のジェット機突入のシーンに映像がまったくなかった点が胸に迫った。黒い画面を観ながら、観客一人ひとりがそれぞれまぶたにあの時のショックを呼び覚ましたはずで、どんな映像も記憶に勝ることはないだろう。そして流れてくるペルトの「ベンジャミン・ブリテンの追悼(カントゥス)」に少々驚いた。胸に染みるあの曲、わたしは大好きなのだが、ああいう使われ方をするのは予想外。曲の性格から考えれば正統派なのだけれど。

 その後延々と、ブッシュ一族とビン・ラディン一族との深い繋がりや石油利権、軍需産業との癒着などなどを足がかりにブッシュへの個人攻撃が続く。面白くないとは言わないが、これまた「ムーア個人の考え」による真相暴露という感じで少々お腹いっぱいな感じ。申し訳ないがわたしはこの辺で居眠ってしまいました(すみません)。
 ここまで辟易したのはやはり『ボウリング〜』で貫いたような「一歩引いた」立場が崩れてしまったことに因るだろう。『ボウリング〜』での「なぜ?」という一貫した問いかけは、本作ではまったく見られない。スクリーンに溢れているのは一瞬たりとも止むことのないマイケル・ムーアの「怒り」であり、その感情に同調することができない限り、「怒り」を見せ付けられ続けるのは苦痛でしかない。
 どちらかというと後半の、息子を亡くした女性のポリシーの変化を丁寧に追いかける…という形式の方が、もうちょっとドキュメンタリー風で良かったのではないだろうか。まあそれだと、まるっきりタッチが『ボウリング〜』と同じになってしまうのだが。

 軍隊に入るしか仕事がなく、大学へ進学するにもそちら関係を頼るしかすべがない。失業保険を受け取っている人間だけを数えても、失業率は17%。実際に職にありつけない割合はほぼ5割に達するという貧しい町。「軍隊に入ることは賢い選択肢である」と、よりによって自分の子供たちに言わざるを得ない母親ライラ。本当なら、この女性の存在そのものがひとつの不条理であり悲劇である。
 金持ちである上院議員の子供で軍人、しかもイラクに行っているのは1人だけ。つまりブッシュやその基盤となる金持ち連中は、そういった貧しい人々の「肉体の盾」を構えてお金稼ぎをしている訳だ。
 「愛国者」だったライラも、息子を亡くして初めてこの戦争の意義について疑問を持つ。ワシントンへ出向き、ホワイトハウスを見て「怒りと哀しみをぶつける対象がやっと見つかった」と泣き崩れるシーンには、やっぱり泣かされてしまった。

 ベタだし『ボウリング〜』の焼き直しなのだけれど、やっぱりこういう「無知」に対する警鐘というか「目を閉じたままでは、金持ち連中に好きなだけ食い物にされますよ」というストーリーの方が、観ていてここまで後味悪くはなかったろうにとちょっと惜しかった。
 ともあれムーア監督としては、すべて判った上で、反則技と承知しつつこういう手法を採ったのだろう。最後の最後にジョージ・オーウェルの「戦争の意義は勝つことではなく、継続することである」が引用されるところを見るとたぶんそうだったと思う。

 上院議員たちへの突撃パンフレット攻撃がいかにもムーア監督だなーと苦笑しつつも感心。やっぱり『銀河英雄伝説』を思い出す。
 ここまでポリシー的に片寄った作品が作られて公開されるところに、腐ってもアメリカの懐の深さを思って感慨深い。日本だったらこうは行くまい。
 ただし、この作品がパルムドールというのはやっぱりちょっとどうも…。どちらかというと、この作品を観て25分間のスタンディング・オベーションという現象にこそ、わたしはキナ臭いものを感じてしまった。他人の怒りに同調するのはよっぽどの時だけにしておかないと。…みんなそんなに「よっぽどの時」だったのだろうか。不思議である。



誰も知らない(是枝裕和)
2004年・日
2004/09/08 19:49
ストーリー:東京の片隅に引っ越してきた母子5人。母は子供たちを世間から隠すように育て、学校へも行かせなかった。それなりに幸せに暮らす彼らだったが、やがて母親が幾許かの現金と書置きを残して家を出てしまう。

出演:柳楽優弥、北浦愛、木村飛影、清水萌々子、韓英恵、YOU


 あまりにも胸が痛む、キケンな映画だった。
 とにかくストーリーが淡々と語られるために、観ている最中はそれほど悲しくならない。2度目の現金書留メモにあった「頼りにしてます」の愚かさに遣り切れなさが、クライマックスのタテタカコの歌声に切なさと哀しみが込み上げてウルッと来たが、大洪水を引き起こすまでには至らなかった。話に聞く通り子供たちの、特に柳楽優弥君のまなざしが印象的だったが、予習してから観ればこの程度か…などと少々不謹慎なことを考えつつ映画館を出た。

 映画館の近くで食事をしようと席に着き、運ばれてきたサラダを目にした途端に涙がボロボローッとこぼれた。あの子たちは、あの年頃なら保護者が作ってくれるのが当たり前なこういう食事さえも、満足に取ることができなかったんだなあ…と、ついうっかり考えてしまったからである。こんな涙は欺瞞だし、偽善的でもある。そう思ってひどく自己嫌悪した。けれど何というか、映画を観ている間は麻痺していた「普通の」感覚が、現実世界に戻って一気に解放されたようだった。
 パンフレットで作家の狗飼恭子さんがこの映画を「経験する映画」と評していたが、確かにそんな感じである。わたしは劇中の「5人目の子供」の目線で物語を追っていた。「しんどい」とか「寂しい」とかの感情が、それで抑制されていたのではないかと思う。この作品が徹底的に「“西巣鴨事件”を子供の目から見た、あくまでもフィクション」というスタンスを貫いたからでもあろう。自分の子供時代と微かに重なり合うエピソードなどに、永遠の夏休みのようなノスタルジーさえ感じてしまった。その仄かな温かさが、ふと我に返った時の罪悪感や切なさ悲しさを100倍にも200倍にも増幅させるのである。

 男たちに捨てられても捨てられてもまだ夢ばっかり追っている母親、母親に捨てられたと悟っても自分たちだけで何とか暮らして行こうとする子供たち、そんな彼らに親近感を寄せるいじめられっ子・紗希。劇中に登場する人たちはみんな「守られていない」哀しみを背負っている。それでも、存在する以上は生きて行かなければならないんだから、仕方ないじゃない…と、母親は自分の欲求に忠実に振る舞い、明は諦めた瞳で弟妹の世話を焼く。紗希もまた自分の力だけで破滅を先延ばしする方策を探ってしまう。
 作り方にまったくお涙頂戴的なところがないし、そもそも際立ったメッセージもないように思えるのだが、そのさり気ないところがまた胸に突き刺さる。観た人それぞれが、いろいろなことを考えたはずである。わたし個人としては、単純に「ひどい母親もあったもんだ」で済まされないといいなあ…ということを強く思った。

 警察や福祉事務所に相談したら、きょうだいがバラバラにされてしまう…明はそう言ってコンビニ店員の助言を拒絶するが、例えば自分だけでもラクになりたいと思ったとしたら、止むを得ずそうしたのではないかと思う。紗希だって、これは自分の手には負えないと思ったら、例え口止めされていたとしても自分の親に相談するのではないだろうか。きっと明も紗希も、親を含めた大人全般のことを、まったく信用していないのだろう。信用しないついでにいっそ憎んでしまえればまだしもなのに、どんなにしょーもない親でも子供って結構「好き」だったりしてしまう。それがひしひし伝わるのが一番辛い。
 実話がモティーフとは言えフィクションなんだから、と自分に言い聞かせても、子供たちに「ごめんねごめんね、あんたたちみたいな子、きっと世の中にいっぱい居るんだろうね」と詫びたい気持ちでいっぱいになる。自分も「信用されてない大人」の一人なんだろうなと思うとやりきれない。子供たちの背中が大人を拒絶しているようにも見える。実際のところ何とかできる力もアイディアもない。それを思うのもなおさらしんどかった。

 なんだか支離滅裂な感想しか出てこないし、観た後カタルシスが得られる作品でもない。ずどーんと落ち込むこと間違いなしではあるけれど、それでもやっぱりこの作品は是が非でも観ておくべき1本だと思う。子供の居る人ならまた受け取り方が違うかな、という気もする。かつて子供だった人、とりわけ「お兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだから頼んだよ」と言われた経験のある人には、本当に胸に迫る作品となるだろう。




スウィングガールズ(矢口史靖)
2004年・日
2004/09/15 23:35
ストーリー:山形のとある高校。集団食中毒で野球部の応援演奏ができなくなったブラスバンド部の穴埋めのため(本当の動機は夏休みの補習をサボりたいから)、やる気ほぼゼロで楽器を手にした女子高校生たち。ところが次第に音楽の魅力に取り付かれ、ついには学生音楽祭に出場することになる。

出演:上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカ、豊島由佳梨、平岡祐太、竹中直人


 105分間、最初から最後まで実に楽しく笑ってノリノリできた。音楽の好きな人ならば絶対気に入る1本である。もしかしたら「音楽って苦手なんですよね」という人でさえ、この映画を観た後に「ヤ○ハ音楽教室」などのチラシをついつい手に取ってしまうのではないかと思う。リズムに乗り、仲間とセッションすることの楽しさを、「イマドキの女子高校生」たちが身体を張って表現してくれている感じ。『ウォーターボーイズ』の路線だけれど、あれよりもう少しはっちゃけているかも。ともかく、『ウォーターボーイズ』がツボだった人ならばぜひ観るべし。元気になりたい人も必見である。
 パンフレット(これが昔懐かしいシングルレコードを真似た体裁になっていてナイス)によれば、劇中で「スウィングガールズ」が披露するナンバーはすべて、実際に出演者たちが演奏しているのだという。驚いた。猛練習したという話を聞いてはいたが、まさかあそこまで上達しているとは思いもよらなかった。トランペットやトロンボーンを吹く真似がすっごく上手いなあと思ったのだが、本当に吹いていたのならばそれは当たり前だった訳だ。出演者の皆さん、申し訳ありませんでしたっ!

 詳しい歴史とか有名なプレイヤーのことはさっぱり知らないが、それでもわたしはジャズが好きだ。思わず身体が動き出す、あの躍動感と生命力に溢れたリズムと小粋なメロディが好きだ。とくにこの劇中で取り上げられたようなスタンダードナンバーが大好きだ。「シング・シング・シング」や「A列車で行こう」、「イン・ザ・ムード」に「この素晴らしき世界」に「L-O-V-E」、最高である。「ジャズ? そんなもん、聴いだこどもねぇべ(怪しい山形弁)」な女子高校生たちが、ちょっと首を突っ込んだが最後その魅力に取り付かれる気持ち、だから骨身に染みるほどよく判る。
 膨大なエネルギーを迸らせながら(周りも巻き込んで)ビッグ・バンドに挑戦するお嬢さんたちの言葉が山形弁というのもメチャクチャ素敵。素朴な抑揚とアクセント、感情表現が豊かで音楽的でなんだかジャズにぴったり似合う。映画館からの帰り道では、言うまでもなくアタマの中で「イン・ザ・ムード」を鳴り響かせ、スイングする足取りで、しかも山形弁でしゃべりたい気分だったものだ。

 ストーリーとしてはご都合な部分も悪乗りな部分も結構あるけれど、それが全然気にならない。女の子たちのはじけぶりと黒一点・中村拓雄君の気苦労のコントラストが、「えっまさか(笑)」な展開で程好く強調されている。キャラクター設定に凝っただけあって出てくる子たちがみんな「ホントにどっかに居そう」。自分の高校時代を思い出すと身に覚えのあることなんかも結構出てきたりして(ちなみに関口さんと直美ちゃんを足して2で割ると、高校時代のわたしになるかも)。
 相変わらずエキセントリックな役柄の竹中直人もイイ感じ。ただし「隠れジャズファンの数学の小澤先生、じつは…」という2段構えはなくても良かったように思う。『ウォーターボーイズ』で「イルカに乗った中年」をやってしまったから、今度はちょっと抜けキャラにする必要があったのだろうか…。どこまでもマイペースな音楽の伊丹先生(白石美帆)も脱力系のアクセント。個人的に一番気に入ったのは、ベース担当の山本由香ちゃん(水田芙美子)であった。

 今の悩みはサントラが欲しくて欲しくて仕方なくなっていること。CD屋さんに行ったら衝動買いしそうでちょっと怖い。ついでに「ジャズ・スタンダード・アソート」みたいなCDを見つけたら(以下同文)。そしてまた近年になくばよりんの練習をしたくなっているのだが、再開してもきっとすぐまた自分の音にうんざりするのだろう。スウィングガールズみたいにめきめき上達できたらいいのになあ…(タメイキ)。




スクール・ウォーズ HERO(関本郁夫)
2004年・日
2004/09/23 00:06
ストーリー:元ラグビー全日本選手の山上修治。伏見第一工業高校の校長・神林(里見浩太朗)に乞われ、体育教師として赴任する。ところがそこは校内暴力や問題素行の嵐、とんでもなく荒廃した学校だった。しかも寄り抜きの問題生徒たちはラグビー部員だという。山上は体当たりで彼らの指導に取り組み、ラグビーの楽しさを伝えようとするが…。

出演:照英、小林且弥、SAYAKA、内田朝陽、尾上寛之


 すいません、ヤラレました(滂沱の涙)。
 最近珍しいラグビー映画だし、CATVの「ラグビープラネット」でも宣伝してたし、神戸製鋼の大八木もチョイ役で出てるというし、元ネタの『スクール・ウォーズ』を観たことないし、けど「泣き虫先生の7年戦争(だったっけ?)」の粗筋くらいは知ってるし、ともかく半分ネタを観るつもりで映画館に出向いた。そしてうっかり感動した上、ぼろぼろ泣いて帰って来たのである(赤面)。

 内容としてはかなり有名な話で、今さら説明するまでもないだろう。校内暴力の真っ只中にある問題学校に赴任してきた熱血教師が、愛と拳骨で生徒たちに真っ向から向き合い指導をし、やがてはそれに惹かれた荒くれラグビー部員たちと必死の特訓を繰り広げた末に、見事強豪チームにリヴェンジを果たして高校総体の京都府大会で優勝する。汗と涙と熱血の青春スポコン物語である。「みんなっ、あの夕陽に向かって走れーっ」みたいなノリである。聞いただけでパス、という人も居るだろう。受け付けない人は徹底的に受け付けないに違いない。
 『ドカベン』や『野球狂の詩』などを愛した過去も、『3年B組金八先生』に泣いたこともある(汗)。だからわたしはどちらかというとこういうストレートな青春モノもOKだと思う。が、さすがにこの歳になれば、ここまでベタベタなストーリー展開は観てて恥ずかしくなっちゃうのではないか…そう思っていた。

 しかし照英のキャラクターと「山上先生」のキャラクターが見事にマッチしたこともあり、彼の熱血や葛藤や迷い、捨てきれないプライドなど、割と照れずに受け止められた。「泣き虫先生」の異名の通り、山上先生は実に良くお泣きになるのだが、照英の泣きっぷりがまた実に説得力があって素晴らしい。クサいはクサいのだけれど、不思議にじーんとしてしまう。
 最初は徹底的に反発していた生徒たちが山上先生にだんだん惹かれて行く様子も自然でなかなかイイ。「1週間だけラグビーをやってみろ、そうしたらもう付きまとわない」と挑発されて仮入部し、結局そのまま居付いてしまう荒井君など、単純だけど素朴で可愛いのである。内心はラグビーが好きなのに素直になれない3年生たちが、卒業式の日に残した置き土産には思わず涙。ダブりの小渕君を新キャプテンに抜擢するシーンでもつい涙。
 個人的に一番ツボだったのは「弥栄の信吾」こと後藤君。ラグビーなんて下らないと言いつつルールを知ってるとか、112対0で負けた試合をつい全部観ちゃってるとか、ラグビー部に入部した後で昔の不良仲間に絡まれてもぐっと我慢して反撃しないとか、なんとなんと愛しい子であろう。大昔の『仮説・三億円事件』で少年A役を演じた頃の織田裕二を彷彿とさせる冷めた抑制の眼差しを持ち、ほとんどクチもきかない無表情な彼が、ラグビーをやっているうちにだんだん口数が増えて表情も豊かになる。お父さん役の間寛平も良かった。「あの大柄な子、ウチの息子なんですよ!」って、判る判るその気持ち…とまたホロリ。

 良く言えば純粋、悪く言えば単純な山上先生を、慰めたりケツをひっぱたいたりしてコントロールする妻の悦子さん(和久井映見)とか、「やんちゃくれの面倒を見てみたいんです」とマネージャーを買って出る和田さん(SAYAKA)などのキャラも、定番とは言えるけれど芯が通っていて好印象。気が弱くて生徒に散々いじめられる国語の亀田先生(中川剛)の存在感もなかなかであった。
 さすがにちょっとやりすぎじゃないの? と思ったのは新入部員のちにマネージャーの望月君。小柄だけれど頑張り屋の彼に「フーロー」と渾名がついたり、後藤君に「キミは全日本選手になる。だから僕はそれを取材する記者になる」と語ったあたりでだいたい予想がついたのだが、ああいう展開で泣かせるのはあまりにも反則技過ぎるではないか(もちろん泣きましたとも)。…と思ったのでちょっと確認してみたのだが、え゛っ、あのキャラクターって実在したのかっ(驚愕)。恐れ入りました…。

 ともあれ、人間にとってひたむきに打ち込める対象を見つけることがどれほど重要なことか、教育とは何なのだろうか、ということをじっくり考えさせられた118分であった。やっぱりスポーツっていいなあ。たまたまこの学校ではラグビーだったけれども、野球とか、サッカーとかでもこういう展開はありそうである。限界まで自分を痛めつけた果てに見えるもの、特に団体競技の選手たちは、わたしには知る由もないそういう「何か」を、チームメイトと共有しているのだろう。絆の深さにもうなずける。正直羨ましい。
 まさかここまで泣かされるとは予想もしていなかったのだが、わたし以外の観客もだいぶヤラレていたようで、映画館はすすり泣きの声とか鼻をかむ音とかで充満していた。家人などは「泣いて帰って来たの? またずいぶんとお安い涙で」などとせせら嗤うのだが、いいじゃないか素直にこーゆーので泣いたって。

 1箇所だけどーしても判らないのは、112対0で負けた後、「悔しいです先生っ、殴ってくださいぃっ」と泣き崩れる生徒たちと、同じく泣きながら1人ずつ殴っていく山上先生。殴られなければ気が済まないって、そういう心境、もしや女には理解できないのだろうか…。




アイ,ロボット(アレックス・プロヤス)
2004年・米 i, ROBOT
2004/09/29 16:03
ストーリー:シカゴ警察に勤務する刑事・スプーナー。ある日家事用ロボットの最大手・USR社から、研究者のラニング博士が自殺したと知らせが入った。スプーナー刑事は現場を調べ、単なる自殺ではないと疑いを持つ。容疑者はロボット。しかしロボット嫌いで有名な彼の主張に耳を傾けてくれる者はなく…。

出演:ウィル・スミス、ブリジット・モイナハン、アラン・テュディック


 予告編に出てくるロボット・サニーがあまりにブキミなので、まったく期待をせずに観に行ったのだが、予想はいい方に裏切られた。結構、いやかなり、面白かったぞこれ。『攻殻機動隊/GitS』『イノセンス』のファンで、もちろんアイザック・アシモフを愛読しているという人ならば、おそらく同じ程度には楽しめるのではないだろうか。
 嘘か本当か知らないがウワサに聞いたところによると、最初はこの企画、プロダクションI.Gに持ち込んで断られたのだそうである。なるほどタイトルバックの水泡とか、スプーナーが目覚めるシーンで始まるとか、ロボットが高いところから飛び降りる格好などはもろに『攻殻機動隊/GitS』をモティーフにしているとしか思えない。そしてラボで白衣を着たカルヴィン博士(原作ファンから言わせていただくと少々美人過ぎる。まあいいけど)が仕事をしている姿とか、ロボットちゃんたちがわらわらしているシーンその他は『イノセンス』にそっくり。
 『攻殻機動隊/GitS』に似ている部分はともかく、『イノセンス』に似ている部分については、観てから作ったんでは間に合わないと思う。だからもしかすると、少々イイ線まで企画は煮詰められていたのかもしれない。途中で破談になってしまったのだとすれば、『イノセンス』の半年後に公開される理由も理解できる。全然似てないが、人工双生児(元々の胚は同じ)だったのかも。ただしこの作品がI.G(というか押井監督)に断られたというのは良く判るので、間違っても『イノセンス』の雰囲気を求めてはいけない。

 ラニング博士とかスーザン・カルヴィンなどの名前、「ロボット3原則」などについては、SFファンならば説明は無用。ただし本作品中に出てくる「Ghost in the Machine」という言葉とか、こともあろうに3原則の内容について「アレは『イノセンス』のパクリだ!」と息巻いている人も居るらしい。ということは観に来た全員が『われはロボット』を知っているという訳でもなさそうで、だとすると背景の説明についてはもうちょっとだけ詳しくても良かったかも。
 事件について調べるスプーナーはもちろんわたしにはイライジャ・ベイリに見えているし、当然サニーはダニール・オリヴォーなのである。『鋼鉄都市』とか『はだかの太陽』、『夜明けのロボット』の3部作へのオマージュとして観てもなかなか高水準。プロヤス監督はおそらく相当のアシモフファンなのではないかと思う。好印象である。
 パンフレットにアシモフ紹介ページもあるので、もしあの作品群を知らない人が居たら、ぜひぜひ読んでみて欲しい。『アイ,ロボット』が100倍面白くなること請け合い。それにしても「アシモフと言えば『トリビアの泉』でお馴染みの…」っていうのはちょっとあんまりである(涙)。

 CGがこれでもかというほどてんこ盛りになっているのだが、ロボットやハイテク部分はそうするしかなかったのだろう。多少処理が甘くてチャチい感じがする点が惜しい。ただしその分、スプーナー刑事のレトロ趣味が際立って面白いと言えなくもない。また、ロボットたちの動きは当然モーションキャプチャーでトレースしたものを使っているのだが、いつもなら気持ち悪くて仕方がないキャプチャー独特の動きが、今回はあまり不自然ではなかった。そのカートゥーンぽい動きが「ロボット臭さ」に繋がっていたのかもしれない。まだまだ人間の仕草の表現には使えないとしても、その未熟さを賢く利用している感じがする。
 しかし新型ロボットに「顔」を付ける必要は果たしてあったのかどうか。劇中「親しみを持ってもらえるように」顔を付けたと説明されていたが、ああいう中途半端な顔が付いていても逆にブキミなだけだろうと思う。まあ、でないとアラン・テュディックの顔が出なくなっちゃうし、仕方なかったのかもしれない。あるいは日本とアメリカの感覚が違うだけなのだろうか? しかしやっぱり、NS-5よりはR2-D2とかC3POの方が愛着が沸くんだけど…。

 今後本当に家事用ロボットが実用化されるとしても、できたらヒューマノイドに拘るのはやめてほしいなと思う。最大限譲っても、三菱重工のwakamaru君レヴェルで留めておいて欲しい。変にリアルなロボットはどう考えても不気味で、タチコマたちが敢えて非ヒューマノイドタイプに作られたのはそれが理由なのだ(なんちゃって)。
 昨日だったか一昨日だったか、東京理科大学の受付に座っているという応答ロボット・sayaについてのニュースを見た。認知科学を駆使し、喜怒哀楽はもちろん「泣き笑い」とか「怒り笑い」などの微妙な表情も作れるスグレモノなのだそうだ。しかしやっぱり不気味。絶対不気味。表情のサンプルが「人間の本当に自然な表情」ではないせいか、シリコン皮膚をワイヤーで引っ張るのでは細部の表現が間に合わないのか、それとも両方の理由によるものなのかは不明だが、あれなら点々のお目々に、可動式の眉毛と口が付いてるだけの方がよっぽど可愛い。
 そもそも表情の読み取りなんてものは「概ね願望に基づく」ことなのだろう。大切なのは、例えそれが勘違いであろうとも、相手との感情の交流があったと感じられるかどうかである。車やバイクやPCからだって、わたしたちはその「御機嫌」を読み取ることができる。敢えて何か付け足すとしても、ほんの少しのアナログとか象徴でじゅうぶんなのだ。タチコマから漏れるオイルを、大概の人が「涙」であると解釈するようなものである。草薙レヴェルの義体が作れるのなら話は別だが。

 閑話休題。ストーリーとしては特に目新しいものではないし、「そんな馬鹿な!」な展開もない訳ではない。しかしスプーナー刑事の七転八倒の捜査、細かい伏線はなかなか良く練られている。良く考えたら当然そうあるべきな「どんでん返し」も、ストーリーを盛り上げるにはちょうどいいかもしれない。わたしは見事に引っ掛かってちょっぴり悔しかった。ちょっと『アップルシード』みたいだけど。
 ハリウッド映画にしては珍しく、変に教訓めいたメッセージや色恋シーンがなかったのもシンプルで好印象。真横に走れるトラックボール式のクルマはぜひ実現して欲しい! そして今回もう少しでホロリと来そうになったポイントは、旧型ロボットたちが「Human in Danger!」と叫んでわらわら寄って来るシーンであった。できたらもう1回くらい、大きな画面で観たいなあ。どうしようかなあ…。




シークレット・ウインドウ(デビッド・コープ)
2004年・米 SECRET WINDOW
2004/10/25 14:18
ストーリー:離婚調停中、しかもスランプ中の作家・モート。ある日自宅を謎の男シューター(ジョン・タトゥーロ)が訪ねてくる。自分の小説を盗作しただろう、と男はモートを批難するが、単なるいいがかりにしか思えないモートだった。初出誌を見せて証明するまで納得しないと言い張る男は、それからモートの周りに付きまとい始める。

出演:ジョニー・デップ、ジョン・タトゥーロ、マリア・ベロ、ティモシー・ハットン、チャールズ・S・ダットン


 「どうしよう、おうちに帰れないよお(涙)」と、観ている途中からゾクゾク震えていました。すいません、臆病者です(汗)。
 おそらくオチは最初の20分くらいで誰でも見当が付くと思う。20分以内かどうか不明だが、わたしはチコの災難の辺りで「たぶんそういうことなんだろう」と確信できたくらいである。ただし、オチが判っているから怖くないかというとそんなことはまったくなくて、神出鬼没なシューターの不気味さ、モートの家の周りの何とも言えない寂れた感じ、怖い雰囲気を否が応にも盛り立てようとする演出と音楽、何よりジョニー・デップのナチュラルな中にも非日常的違和感を覚えさせる迫真の演技のおかげで、これぞスティーヴン・キング! というような一級のサスペンスを味わうことができる。

 これだけ怖い思いをしたのは、わたしが単に「家の中に知らない人が居る状態」がもっとも怖いシチュエーション、だからかもしれない。でもそういう状況って誰でもイヤなもんだろうと思うし、この作品はそういう怖さポインツを刺激するという意味では非常に計算し尽くされていて、とにかく見せ方が上手いのだ。で、またジョニー・デップの演技がイイ。ぼろぼろの部屋着(ほとんど雑巾にしか見えない)、爆発的な寝癖の付いた髪、無精髭。ダレまくりのこんな姿を晒す「自分の縄張り」の最奥である自宅にふと現れる違和感。それらに対する戸惑いと強がり、開き直った時のふてぶてしさ、いろんな表情を惜しげもなく観ることができてまったく退屈しない。
 あれだけきちゃない格好していてもどこか可愛くて色気もあるというのは、なかなか居ないキャラクターである。萌え。

 ストーリーとしてはもうひと捻りというか、もう一段の追求が欲しかった感じ。ディテールに粗がない訳でもない。例えばモートが、シューターの置いていった原稿と自作品の突合せをするシーン。単行本には初出誌と初出年月日が載っているものではないんだろうかとちょっと疑問。しかしまあそんなことは些細な文句である。
 ネタバラシ後の展開もちょっと急いだかなあ、という印象である。オチが読めていたからそう感じるのかもしれないが、ネタバラシ後は、前半の緊迫感とドキドキハラハラ感が急速に萎んだ気がするのがちょっと惜しい。ただし具体的な怖さを醸し出していたのが主にジョン・タトゥーロだったから、ということを考えればこれは仕方のないことかもしれない。「秘密の窓」というアイテムや劇中小説も、もうちょっと気の利いた使い方があるような気がする。

 とはいえ全編ジョニー・デップの独壇場、彼のファンにはこたえられない作品であろう。彼の持つどこか危ない雰囲気が、この作品の主人公にベストマッチである。ジョニデの他にこの役を振られて持て余さない(観客を退屈させない)俳優が居るとしたら…うーんうーん。若い時のデ=ニーロとか、ジュード・ロウとか、そういう名前がわずかに思い浮かぶばかりである。
 ジョニー・デップに惹かれる人ならば、何はともあれ大画面で観るべしの一本。煩悩炸裂しまっせ♪

 帰宅後、独りで2階に上がれないほど怖かったにも関わらずもう1回観たいと思うのは、ラストシーンの買い物(おそらく3品?)が、何やらいわくありそうで気になること。たぶん名前に拘るモートの性癖の露出、という演出だったのだと思うのだがディテールを見逃してしまったのである。
 そして「茹でトウモロコシを食べる時用ピック」と「ショートブレッド」に萌え♪ なんである。それから「ドリトス」。あのジャンクフード食っててなお可愛い大人の男の人って稀有だと思う。




ヘルボーイ(ギレルモ・デル・トロ)
2004年・米 HELLBOY
2004/11/05 19:49
ストーリー:第2次大戦末期。敗色濃厚な第3帝国の一発逆転を狙うオカルト結社会長のクロエネン(ラジスラブ・ベラン)と不死身の怪僧ラスプーチン(カレル・ローデン)。混沌の神を召喚しようと冥界の門を開いた時、殺到する連合軍部隊がそれを阻止、冥界に呑まれたラスプーチンの身代わりに、奇妙な姿の男の子が一人こちらの世界にやって来る。超常現象学者ブルッテンホルム教授(ジョン・ハート)は彼を息子として引き取り、ヘルボーイと名付ける。長じて超常現象調査防衛局(BPRD)のエージェントとなったヘルボーイは、密かに魔物退治の任務を遂行する日々を送るが、そこへラスプーチンが復活し…。

出演:ロン・パールマン、セルマ・ブレア、ジョン・ハート、ルパート・エヴァンズ


 大好きな作品『ロスト・チルドレン』で心優しい怪力大男を演じていたロン・パールマンが映画初主演というし、密かに周りで評判もいいので楽しみに観に行った。原作も読んだことはなく、何の根拠もなくSF映画と思い込んでいたので、観始めてちょっとびっくり。おやおやこれはオカルトベースだったのか。何となくゴシック・ホラーな雰囲気、ナチスのトゥーレ協会に禁断の召喚術に機械化伯爵めいた殺人鬼と、お約束なパターンがばかすか出てくる掴みはバッチリである。
 真っ赤な小猿がロン・パールマンに成長したところはなかなか感動。それにしてもなぜちょんまげ? 原作でもこういうヴィジュアルなのだろうか。パンフレットに載っているシーンを見た感じでは、原作のヘルボーイがちょんまげを結っているかどうかのディテールまでは判らないのだが、どちらにせよ素晴らしいセンスである。
 原色と影が効果的というマイク・ミニョーラの原作コミックを忠実に再現しているそうな映像は、重厚さと怪しさのバランスを程好く取っていてなかなか美しい。ストーリーとしては「マッチョな思春期坊やの『ゴーストバスターズ』」といったところ。そのアンバランスさも非常に面白いのである。

 何より気に入ったのは、いちいち魅力的なヘルボーイの性格設定である。こういう異形のキャラクターを演じるとしたら、なるほどロン・パールマンしか居ないだろう。でっかい図体をして中身は丸っきりティーンエイジャーで、恋しい女性・リズのことになると規則なんか文字通りぶち破ってしまう。騒動を起こしちゃった後でお父さん・ブルッテンホルム教授の怒りを気にしたり、新米FBI捜査官マイヤーズに嫉妬したり、9歳の坊やに恋愛相談してみたり、微笑ましいことこの上ない。
 そうかと思うとアクションシーンも迫力たっぷりで、しかも台詞が超気障。「2度目のデートだ、舌は早いぜ」なんてヤバ過ぎである。飛んだり跳ねたりの1歩ごとに感じられるずっしりした質量も、それなのにキレのいい身ごなしも見どころ。この図体で大の猫好きというのもツボ。子猫を庇いつつ大立ち回りを演じるシーンなんてメチャクチャに萌えだった。

 脇キャラも非常に個性的で面白い。冷静沈着な半魚人・エイブはヘルボーイの良き理解者で、暴走しがちな彼の手綱を絶妙のタイミングで捌いてみせる。自分の能力をコントロールできない念動発火能力者・リズは影のある生真面目な美女で、ヘルボーイへの複雑な思いに揺れている。セルマ・ブレアのストイックな美しさはぴったりである。のび太君役かと思ったら意外にちゃっかり者のマイヤーズとか、問題児の行く末を憂うブルッテンホルムパパとか、アタマの固い上司のマニングとか、いちいち説得力あるキャラばかりなのだ。
 敵キャラたちもイイ。冥界から還って来た黒幕・ラスプーチンはひたすら不気味だし、クロエネンの二刀流は美しい舞を見ているようである。1匹倒したら2匹生まれるという冥界の「死の天使」サマエルがうじゃうじゃするシーンなど、どうやって切り抜けるのかと本当にハラハラドキドキした。

 そんな訳で、始まってから2/3くらいまではほぼ文句の付けどころのない最高傑作である。このテンポと密度と迫力で最後まで走り通せたら、近年まれに見る大ホームラン作品となっただろう。死ぬほど惜しいのは後半で見る見る尻すぼんでしまったことで、特に半魚人・エイブやリズの念動発火能力、殺人鬼・クロエネンの特異的なキャラクターを活かし切れなかった辺りが本当にもったいなく思える。なぜにそんなにあっさりと表舞台から退場してしまうのだ! 見せ場はこれからではないかっ。
 ヘルボーイの抱える宿命やジレンマなども、もっと盛り上げる要素となり得たのに、あまりにもさらりと解決してしまって拍子抜け。ラスボスの登場と最後の決戦も「えっそれで終わりなの」と驚いてしまった。尻切れトンボという言葉が思わず脳裏に浮かぶのである。

 とは言うものの、前半だけでじゅうぶん過ぎるほど楽しめたので、個人的にはお勧め映画と言ってしまおう。竜頭蛇尾なストーリーも、第2作以降でさらに盛り上がるんじゃないかと思っておけばそれほど腹も立たない。
 何よりも映像が密かにお気に入りである。極力CGを避けて実写にこだわったそうだけれど、そのせいか画面はどこか手作り感覚で暖かく感じる。ゴシック・ホラーっぽさもちゃんといい線行っているし、彩色切り絵のようなコントラストの効いた映像にはどこかスタイリッシュさも感じられる。滑り込みセーフで大画面を観ることができて本当に良かったと思える作品である。続編、作ってくれるといいなあ…。




笑の大学(星護)
2004年・日
2004/11/18 15:42
ストーリー:昭和15年、戦争の影がいよいよ濃くなりつつある東京。劇団「笑の大学」座付作家・椿一(稲垣吾郎)は警視庁保安課取調室で次回公演の台本の検閲を受けていた。新任の検閲官・向坂睦男(役所広司)は今までの人生、大笑いしたことなどないという堅物。徹底的な検閲を目指す向坂と、それに何とか対抗しようとする椿の間に、やがて奇妙な友情めいたものが生まれる。

出演:役所広司、稲垣吾郎


 最初はラジオドラマとして、次には舞台喜劇の傑作として有名になったそうな『笑の大学』。わたしは寡聞にして両方とも知らなかったのだが、映画館で予告編を観た時、「これは面白そうだ」とピンと来た。その第一印象はまったく間違ってはいなかった。最初から最後まで非常に面白くて、2時間1分があっという間に過ぎてしまった。
 ほとんどのシーンが台本を検閲する取調室の中で進行するし、舞台版があまりにも完成され過ぎているので、これは映画化は不可能だろうと言われていたそうである。確かに「さるまた失敬」の劇団長のシーンや、終盤、向坂が台本を読んで笑うシーンなど、しつこく挟みこまない方が良かったような気もする。ただしその他、椿が書き直した台本を持って取調室に通う背景が毎日少しずつ変わっていく様子などには、映画ならではの工夫が見られてそれなりに面白かった。

 ともあれこの作品は何よりも脚本を楽しむものだと思う。原作・脚本の三谷幸喜氏と言えば、こういった狭い室内で繰り広げられるコメディが真骨頂だろう。古くはTVドラマの『やっぱり猫が好き』とか映画の『ラヂオの時間』、新し目なところで行けば『HR』などがこういう「シチュエーションコメディ」に分類される。どれも、わたしとしては大のお気に入りな作品ばかりである。

 ストーリーは本当に1室の中で地道に地道に進む。椿の持って来た台本にさんざん難癖を付け、上演中止に追い込もうとする向坂は見るからに堅物という感じ。姿勢などもピーンと伸びていかにも堅苦しいのだが、実は案外お茶目な一面も持っている。彼の生真面目さが笑いに繋がるという、本人からすればさぞ心外だろう効果も生きている。役所広司さんの格好良さがキャラクターにぴったり合っていて、手綱の緩め具合に締め具合が絶妙であった。
 対決相手の椿役の稲垣吾郎さんはどうかというと、予想に反して結構ハマり役だったと思う。演技力という面では役所さんには遠く及ばないだろうし、予告編などからもかなり苦しいのではないかという印象を持っていたのだが、セリフやアクションのテンポ、何より掛け合いの呼吸を掴むのが非常に巧かった。じゃっかんオーヴァー気味の演技ではあるけれど、それも「新任強面の検閲官の前に出されて緊張している座付作家」の雰囲気を醸し出していてなかなか可愛らしい。

 事実上の二人芝居なので、主役の2人が文句なく合格点である以上、ストーリーとしては大成功である。さんざん笑わせられて、最後にしんみり・ほろりとするコメディの王道を味わえばいい。個人的にはこの作品、映画版『おかしな二人』に比肩するものに仕上がっていると思う。
 ただまあ、やはり三谷氏の本職は舞台脚本家ということで、この作品も非常に面白かったのだが、その感想がより一層「舞台版はもっと面白かったのではないかな、観てみたいな」という気持ちに繋がるのも否定できない。映画にスペクタクルや映像美を求める人々には不向きであるとも言える。
 とは言え、ジェットコースターみたいな作品が次から次へと出てくる昨今、たまにはこういう小粒でほのぼの系を観てホッとするのも滅茶苦茶にイイと思う。三谷作品の舞台はチケットが取れないことでも有名だし、次善策として映画版というのも悪くない。こうなれば『オケピ!』も映画にならないだろうかと期待する今日この頃なのである。




ハウルの動く城(宮崎駿)
2004年・日
2004/11/25 17:44
ストーリー:キングスベリー王国のはずれのとある町で暮らすソフィー。亡き父の残した帽子屋を営む質素な18歳の彼女は、ある日「追われてるんだ」と言う魔法使いの青年の手助けをする。それに怒った荒野の魔女の呪いで90歳の老婆に変えられてしまい、行くところに困った挙句、悪名高い「ハウルの動く城」に掃除婦として住み込むことになる。

出演:(声優)倍賞千恵子、木村拓哉、美輪明宏、我修院達也、神木隆之介


 友人たちが「宮崎アニメとしてアレはちょっとどうかなあ」と煮え切らないコメントを連発しているのでかなり不安に思いながら観に行ったのだが、わたしは本作品、結構気に入って帰って来た。過去のジブリ作品で言えば『耳をすませば』とか『魔女の宅急便』のような、小ぢんまりとしたハートウォーミングな御伽噺に仕上がっていると思う。宮崎氏の「理想の乙女」幻想がサクレツしているので、そういう辺りが座り悪い向きには面白くなかったかもしれないが、「顔だけはいいダメ男としっかり少女のラブストーリー」と捉えればそれなりに胸ときめくものもある。
 とはいえ「ちょっとどうかなあ」の感想が出るのも判らないでもない。ハウルの宿命と葛藤を描く上で仕方なかったのだろうが、ストーリーに必要以上に戦争の影が落ちたことで、風呂敷が「ハウルとソフィーの恋」よりもずっと広がってしまった。そのあたりの大袈裟に構えた感じがアレレという収められかたをしたせいで、何となく肩透かしを食ったように感じる人が多いのだと思う。実は戦争設定はアクセサリーなのだと思っておけばそれほど腹も立たない。

 堅実で質素で地味なソフィー。妹のレティーのように社交的に振舞うこともできないし、見た目の華やかさも自分にはないと知っている。おそらく子供の頃から妹と比べられて育ったのだろう、責任感がヘンに強い性格もあって、すっかり萎縮してしまっている。18歳の少女には、「地味であること」というのはかなり哀しい境遇なのである。
 ほとんど言いがかりのように呪いをかけられ、90歳の老婆に変えられてしまったことが、そういう地味な少女にある意味救いをもたらす。90歳の老婆なら、別にみんながハッと振り返るような美人でなくても肩身が狭いこともない。もちろんソフィーの前向きな姿勢がいい方向へ運命を切り開いて行くのではあるが、開き直った90歳のソフィーのアグレッシヴさとタフネスと来たら爽快である。

 一方のハウルは絵に描いたようなダメ男君で、何かやりかけて都合が悪くなるとすぐにそこから逃げ出すという繰り返しの人生を送って来た。魔法使いとしての才能はかなりなものなのに(ついでに大層カオもいいのに)、とりあえずその日が適当に過ごせればいいやと流されるように生きている。男の子の大好きなガラクタががっしょんがっしょんやかましい「動く城」の中に引きこもり、問題先延ばし方針がだんだん切羽詰った局面を招くようになっても、自分から積極的になんとかすることはできない。
 ただし本人もそれではマズいと薄々どこかで思っているようではある。少年時代に出会ったあるヴィジョンが、彼にとってはブレイクスルーへの大事な大事な手がかりだったりする。その日その日を流されながら、彼はひたすら「ヴィジョン」へ繋がる要素が見つかるのを待ち続けているのだ。

 とまあこんなところが、本作品からわたしが受け取った主人公2人の性格設定である。ここまで来るとほとんど妄想かもしれないが、この物語、実は「茨の城から救い出してくれる王子様を待つ眠り姫」なのである。もちろん眠り姫がハウルで王子様はソフィー。90歳のソフィーのオットコマエ振りは、そんじょそこらの王子様と比べてもまったく遜色ないだろう。
 ハウルが自ら仕掛けた唯一のアクションは、町中でソフィーをナンパしたことだけである。わたしとしては、アレは全然偶然なんかじゃなく、「ヴィジョン」に出てきた少女にそっくりなソフィーをやっと見つけたハウルの、ブレイクスルーを目指した決死の第一歩だったのだと思っている。

 ファンタジックな映像はさすがに宮崎アニメで、ハウルのナンパシーンなどやっぱりドキドキする。上空高く攫い上げられたソフィーが、「チェザーリ」のヴェランダに降り立った時にはもう恋に落ちてしまっている描写は本当に上手いなあと思った。アニメーションの作法を知り尽くしているからできる技というのか、表情のデフォルメ具合はかなり大袈裟なのにあんまりうるさく感じないのである。映像が登場人物の心理を相当深いところまで表現してしまっているため、声の演技が多少ショボくてもキャラクターの個性が消えない。懸念通り、ハウルの声だけ聞けば非常に大根なのに、映像と合わせればちゃんと「ヘタレで初々しい男の子」に観えて来る。ソフィー役にも同じことが言える。これには少々驚いた。マルクルとカルシファーは良かった。
 鳥に化身したハウルの飛行シーンなど、もうちょっと宮崎アニメっぽい見せ場を作ってくれたらもっと爽快だったと思うが、あくまでも主人公はソフィーということになっているから仕方がなかったのだろうか。

 キャラたちがストレートに泣き、笑い、臆面もなく口に出して「愛してる」とか言っちゃう。本当だったらこんな表現方法、まったくわたしのシュミではないはずなのだが、いいじゃないかこういう夢みたいな物語がたまにはあっても…と納得させるパワーを本作品は持っている。ほんのひととき、ファンタジー世界に遊ぶ快感を味わうことができる。カーニヴァルのピンクの綿飴のような印象だった。
 ともかくそういうストレートな判りやすさが、特に海外でウケた理由のひとつだろうと思う。日本語のセリフなんか判らなくてもストーリーが楽しめるのだ。言うなれば初期のディズニーアニメの傑作のような作品で、例えば『イノセンス』とはそもそもの狙いがまったく違う作品である。

 どちらが優れているということはないと思う。強いて言えば観客の好みの問題で、わたしは節操ナシなので両方好きである。本作品について言えば、やっぱり「戦争エピソードはもっと削っちゃえば良かったのに」とは思うけれども。
 ともあれアニメーションの魅力はたっぷりだった。本編が始まる前に『Mr.インクレディブル』と『ポーラー・エクスプレス』の予告編を観た時に感じた「こういうことなら実写でやればいいんじゃ…」という気持ちは微塵もない。必然的な手法としてアニメーションを選んでいる、どこからどこまで王道的作品である。




スカイキャプテン(ケリー・コンラン)
2004年・米 SKY CAPTAIN and the WORLD of TOMORROW
2004/12/03 16:37
ストーリー:1939年ニューヨーク。著名な科学者の連続失踪事件の最中、ニューヨークに謎の巨大ロボットの大群が押し寄せた。敏腕記者・ポリー(グウィネス・パルトロウ)は上司の止めるのも聞かず特ダネを狙って飛び出して行く。危機一髪の彼女を救ったのは、元恋人のエースパイロット、スカイキャプテンことジョゼフ・サリヴァン(ジュード・ロウ)であった。謎の人物トーテンコフを追い、彼らはミッションに繰り出すのだが…。

出演:ジュード・ロウ、グウィネス・パルトロウ、アンジェリーナ・ジョリー、ジョヴァンニ・リビシ、バイ・リン


 めっちゃ萌え!(24倍角)
 セピア色に靄のかかったニューヨーク・シティ、エンパイア・ステート・ビルの天辺に巨大飛行船ヒンデンブルク3世号(!)がドッキングする最初のシーンからもうのめり込みな感じ。その後も、渡り鳥の大群のように飛来する巨大ロボット、蹂躙される街、コードナンバーで正義のヒーローを呼んじゃったりするお約束な展開、さらに応じて飛んでくるスカイキャプテンがまたクラシックに格好いい。レトロSFが好きな人ならば、間違いなくハマってしまうこと請け合いである。

 とにかく全編、監督のケリー・コンラン氏が好きで、格好いいと思っているものがてんこ盛りになっている。『オズの魔法使い』や『キング・コング』、『スター・ウォーズ』へのオマージュはもちろん、宮崎駿氏が憧れたフライシャー兄弟の手長ロボットや昔懐かしい必殺の光線銃、チベットの奥深くにある秘密基地、銀色で流線型のロケットなどなどなど。「格好いいとはこういうことさ」のオンパレード、おそらくコンラン監督のアタマの中は、宮崎駿氏と似たようなことになってるんじゃないかと思わずに居られない。わたしこーゆー人とかこーゆー作品、大好きだあっと絶叫したくなる世界観である。
 作り手のコンセプトが飛び切りハッキリしているので、どこにもウジウジ中途半端なところがない。「この映画はこういう映画なんです」という主張とパワーではち切れそう。趣味一直線なので、この手の世界観を受け付けない人には何が面白いのかさっぱり判らないだろうとは思うが、万人ウケを狙った生温い作品が多くなったアメリカ映画でこんなはっちゃけた作品が出てきてくれるとは嬉しい限りなのである。

 比べるのもナニであるが、『CASSHERN』や『スチームボーイ』、『サンダーバード実写版』を観て不完全燃焼を起こした人にはぜひご覧いただきたい。この3作品の監督さんが『スカイキャプテン』をもし観たら、嫉妬で眠れなくなっちゃうんではないだろうかと思ってしまう。途轍もなくアニメーションに近い実写/CG映画というか、実写とCGという絵の具を使って作られたアニメーション映画というか、「アニメ的作法と魅せ方」が完璧に理解されていると感じた。
 これで予算が20万ドルというからまたも仰天である。

 全部CGではなくて、人物だけ実写にしたセンスがまた素晴らしい。ジュード・ロウとグウィネス・パルトロウというキャスティングも完璧。レトロというかクラシックというか、ああいう雰囲気があまりにも似合う主演2人のおかげで、気分はすっかり「あの時代」にスリップしてしまった。ジュード・ロウは正々堂々たるハリウッド的正義の味方だし、グウィネス演じるポリーなんか、時々『カサブランカ』のイルザを彷彿とさせると言ったら褒め過ぎだろうか。そしてクック中佐役のアンジェリーナ・ジョリーがまたイイ。クック中佐のキャラクターに痺れ、彼女が指揮する巨大空母の船首にでかでかと輝くユニオン・ジャックの格好良さに惚れ惚れする。謎の黒衣の女、「世界でもっとも美しい50人」に選ばれたこともあるというバイ・リンの人間離れした造作にも目を奪われた。
 ストーリーがご都合主義だとか薄いとかケチを付けられてもいるようだけれど、このディープな世界観には、ストーリーのそういった「薄さ」でさえスパイスとなっている感じである。これで深刻極まりない物語だったら胸焼けする。このくらい適当にユルい方が、お約束な世界を存分に楽しむことができて好都合なのだ。

 実写ともアニメーションとも違うこの手の作りは、もしかしたら今後の映画のあり方を変えてしまうかもしれないと思える。役者さんはブルースクリーンの前で単独で演技し、あとの細々とした背景や小道具は全部CG。『ファイナルファンタジー』の全編CGでは気持ち悪さが拭えなかったし、これから公開される『Mr.インクレディブル』にはなんとなく物足りなさを予感するのだが(未見だけれど)、こういう融合のさせ方はCGと実写の「幸福な結婚」と呼んでいいだろう。
 惜しむらくはまだCG/実写映画の経験値というか実績が浅いので、役者さんたちの演技もまた少々甘いという点。ストーリーだけ知っていても、ブルースクリーンの前では迫真の演技はなかなか出て来ないのだろう。厳寒の地でもそれほど寒そうじゃないとか、敵のロボットに囲まれた時に視線が泳がないとか、物凄く高いところでも背筋がザワッとした感じが伝わらないとか、細かく文句を付ければいろいろと出て来ることは多い。とはいえ、こういう手法が今後確立したら、そういう時のイメージトレーニングもまた洗練されて行くのではないかと期待する。何はともあれ、役者さんたちも大変である。

 ともかくこれ、絶対また観に行くぞと決心してしまった個人的なホームラン作品。最後の最後のシーンまでクスリと笑える小ネタ満載というか、ラストシーンでジョーとポリーが交わす会話、「絶対こう来るぞ」と思ったまさにそのままなのがもう大変に気持ち良い。コンラン監督は次回作としてバロウズの『火星のプリンセス』を企画しているそうで、思わずこっちにも期待が募るのである。健康美にはち切れそうだったヒロインは、コンラン監督の手にかかったらどういう風に映像化されるのだろう。武部本一郎氏のイラストそのままだったりしたら感涙なんだけど、まさかそこまでは…(と言いつつちょっと期待)。
 次は何だかんだ言って面白そうな『Mr.インクレディブル』を観て来ようと思っている。フルデジタルアニメーションは、果たしてこの作品のインパクトを超えることができるだろうか。




Mr.インクレディブル(ブラッド・バード)
2004年・米 THE INCREDIBLES
2004/12/09 15:26
ストーリー:引退したスーパーヒーロー「Mr.インクレディブル」ことボブ・パー。市井に紛れるように地味に暮らす彼は、隠れてヒーロー業を遂行しつつ、ストレスの多い日々を過ごしていた。昔のヒーロー仲間たちが次々に姿を消し始めたある日、政府機関の人間を名乗るある女性から、彼へ宛てて極秘任務の依頼が舞い込む。

出演:(声優)クレイグ・T・ネルソン、ホリー・ハンター、サラ・ヴァウェル、スペンサー・フォックス、ジェイソン・リー


 メチャクチャ面白かった。実はPIXARアニメを観るのは今回が初めてなのだが、噂に違わない素晴らしい出来である。元ヒーローである「お父さん」と元スーパーレディの「お母さん」、内気な長女、やんちゃな長男とベイビーの次男、悪役からお父さんのヒーロー仲間やデザイナーのエドナに至るまで、一目見ればその役柄が理解できる。脚本もよく練られていて判りやすく、しかも凝っていて面白い。家族愛、夫婦愛、人生の目的とは何か、個性とは何なのか、そういうテーマも判りやすくかつ説教臭くなく盛り込まれ、思わずじーんとしてしまった人も多いだろう。
 後半怒涛のように畳み掛けてくるアクションも素晴らしい。「フロゾン」ことルシアスのアイスマジック&スケーティングには本当に惚れ惚れとしたし、「お母さん」のヘレンのエラスティック・ボディの動きの滑らかさには目を見張る。確かにこういうことをやろうとしたらCGアニメーションが一番都合がいいのだろうな、と思わずにはいられなかった。

 フルデジタルでオールCGだけれど、人物の表情や動きも自然で気持ち良い。ちゃんと「アニメーション風にアレンジ」されたモーションを付けられているからだろうし、表情もきちんと過不足なくデフォルメされている。人物のCGアクションというと気持ち悪いのが当たり前みたいに思っていたのだが、その認識は今回改めざるを得なくなった。多少オーヴァーアクション気味ではあるけれど、それはボディランゲージにおける日米の習慣の違いだろう。
 こんな風に自然なモーション、やろうと思ったらできるんじゃん。さすがはPIXARと言うべきか、今までの総CG映画のキャプチャー処理がマズ過ぎたのか。たぶん両方だろう。ともかく本当に素晴らしい、欠点のないのが欠点みたいな作品だった。

 個人的に言えば、その「欠点のないのが欠点」という部分があまりにも大きい感じがする。「うっわスゴイ、面白い」とは思うし、観ている間ももちろん充分楽しんでいるのだが、どこかのめり込めないというか「萌えない」。これだけインパクト強かったのに、もう1回映画館に行こうとはたぶん思わない。個人的シュミと言われればそれまでなのだが、他人のやっているRPGを横から眺めて「スゴイねえ面白いねえ」と言っているような感じがする。
 比べるのも変かもしれないが、『スカイキャプテン』のワクワク度には遥かに及ばないし、『ハウルの動く城』の何とも言いようのないじんわりした後味も感じられなかった。けれど贔屓目ナシに考えれば、最近観た中で作品の完成度という点では『Mr.インクレディブル』がダントツだと思う。それなのに何故? 後の2作は、穴だらけと言えば穴だらけの、ある意味はっちゃけた作品なのに。判らない。

 何と言うか、この作品が何故「アニメーション」でなければならなかったのかが、やっぱりどうしても判らないのである。アニメーション映画を観ている気がまったくしない。鑑賞中何度も何度も「ああこのシーンは実写で撮るとしたら俳優はあの人だな」というようなことをついつい考えてしまう。予告編を観た時の「こういうことなら実写でやればいいんじゃ?」な気分が、最後の最後までとうとう抜けなかった。ヘレンの身体やフロゾンのアクションなど、実写と融合させるのが難しい部分は確かにあるだろう。家人はああいうエラスティック・ボディを実際の女優さんでやったら気持ち悪く見えるだろうと言っていたし、その気持ちも良く判る。
 ただ、アニメを観ている気がしないというのは、この作品が徹頭徹尾「実写映画の作法」で作られていたからだろうと思う。アニメっぽいデフォルメやモーション処理はされているけれど、全体的に観て、これはアニメーション映画ではないのである(極論すれば)。技術的なことは良く判らないけれど、カメラワークとかシーン割りとか、そういう部分の作法はすべて、アニメ映画のものではなかったのではないだろうか。

 アニメーションの作法で実写/CG映画を作ったと言える『スカイキャプテン』を裏返したらこの作品になるのかなと思う。いっそ『スカイキャプテン』と『Mr.インクレディブル』と、手法が逆だったらスッキリ落ち着く感じがするのかもしれない。ただしその違和感さえもが『スカイキャプテン』の場合は魅力となっていた。『Mr.インクレディブル』から受ける違和感は、わたしにとってはどこまでも違和感である。
 アニメーション映画と実写映画の本質的な違いは何なのだろう。そんなことをつらつらと考えつつ帰宅したのだった。

 我ながら好きなのか嫌いなのか良く判らないのだが、ともかく内容は本当に面白い。キャラたちが典型的過ぎるせいもあって、生身の人間というより「記号」的な性格を強く感じてしまって感情移入はできなかったのだが、家族揃って観に行って、「面白かったね」と晩御飯の話題にもてはやされるようなストレートなエンターテインメント映画である。1度は劇場の大スクリーンで観ましょう。




ナショナル・トレジャー(ジョン・タートルトーブ)
2004年・米 NATIONAL TREASURE
2004/12/21 16:23
ストーリー:歴史学者のベンジャミン・ゲイツ(ニコラス・ケイジ)は少年時代から、フリーメイソンの残した莫大な財宝の夢を追っている。奇特なスポンサー、イアン・ハウ(ショーン・ビーン)と一緒に手掛かりを手繰るうち、「合衆国独立宣言書」原本の裏に財宝の隠し場所が記されていることが判明するのだが…。

出演:ニコラス・ケイジ、ダイアン・クルーガー、ジャスティン・バーサ、ショーン・ビーン


 某アンケートサイトの特別試写会に当たり、先日映画館の予告編でその突飛な設定に驚いた『ナショナル・トレジャー』を観られることになったので、ちょっとだけ期待しながら行って来た。『パイレーツ・オヴ・カリビアン』と同じく、ブラッカイマー&ディズニーの製作なので、そこそこ出来のいいエンタメだろうと予想しながら。
 予想通り、適度にハラハラドキドキして何も考えずに結構楽しめる、さすがディズニー! というようなエンターテインメント作品だった。ニコラス・ケイジが今ひとつわたしの個人的好みからはハズレているのが惜しい(放っとけ)。これでゲイツ役がハリソン・フォードとかジョニー・デップのタイプだったら、うっかりハマってしまった可能性もある。
 その分可愛くてお気に入りだったのが、ゲイツの相棒でハッカーのライリー(ジャスティン・バーサ)。見た目とか言動がやたらとキュートで、ロマンティストなゲイツに一生懸命ブレーキをかける冷静な面も魅力。結局振り回されるあたふたしたところも可愛い。どちらかというとわたしはこちらに萌えである。ラスト近くで泣いているところを「そんなに感動したの?」と訊かれて「だって階段が…」と答えるシーンでは大爆笑。いいなあこのキャラクター♪

 『トロイ』では「こんな女のために国ひとつ滅ぶって言われても納得行かん」と思っていたダイアン・クルーガーは、本作品ではインテリ美女のアビゲイル役になかなかフィットしていた。知的好奇心と職務責任は旺盛なのに、どこをどう間違ってワタシこんなところに居るのかしら…な典型的巻き込まれキャラである。「これで私はクビだわ」と言いつつレモンを手に取るシーンでは、うむうむ、やっぱ学者ってこの辺の誘惑から逃れられないのよねと笑ってしまった。
 エンドクレジットを見るまで気付かなかったイアン役のショーン・ビーンは、『ロード・オヴ・ザ・リング』のボロミアと打って変わったクレヴァーな印象。タフでワルで金持ちでスマートと、個人的にはゲイツよりもこっちの方が好みである。もうちょっと活躍してくれると嬉しかった。

 ゲイツパパの「財宝なんかない。手掛かりは次の手掛かりにしか繋がらない」の言葉を裏付けるように、次から次へと出て来るキーアイテムと謎の絡まり具合はなかなか面白かった。タマネギを剥いても剥いても…となるのか、芯にはちゃんと秘宝があるのか、途中の段階ではどっちの展開もありそうでわくわくする。アメリカ史には全然詳しくないのだが、ゲイツが薀蓄を垂れてくれるので、キーアイテムの背景については一応納得した気分にもなれる。ベンジャミン・フランクリンのメガネには多少脱力してしまったけれど。
 ひとつだけ弱いなあと思うポイントは、本作品の所為ではないのだが、日本人には「合衆国独立宣言書」の有難みがいまいち判らないよ、ということ。独立宣言書の裏に手掛かりがあると知ったイアンを止めるために、なぜゲイツがあそこまでやるのか腑に落ちないのである。日本人にはああいった「日本の魂」的遺物がないので仕方ないかもしれない。ともあれ宣言書をどうしても守りたいのなら、ああいう行動に出るよりはイアンがムチャをしないように見張る方が良かったのではないだろうか。

 ラスト近く、炎がばーっと走って部屋の内部全体が見渡せるようになる様子は感動的だったし、事件の丸め方にもまずまず納得。登場人物たちそれぞれの行く末は予定調和的であり、いかにもアメリカ映画! という印象。わたしとしては「それしかないのかよ」と多少うんざりしないでもないのだが、メデタシメデタシにするにはああいう展開はやはり外せないのかもしれない。まあディズニー映画だし…。
 キャラ萌えするかどうかは置いておいて、『パイレーツ・オヴ・カリビアン』を楽しめた人には本作品もイケるのではないかと思う。試写会に同行した友人の談では「『ルパン三世・カリオストロの城』みたいなお話だったねえ」だそうで、確かにそういう雰囲気もある。ゲイツ君が「オレのポケットには大き過ぎらあ」と飄々と言ってくれるキャラでなかったのがちょっと惜しいのは、あくまでも個人的シュミなのであるが。