徒然過去日記・2005年8月

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08/01 今日から光

2005/08/01 12:04
 長らく悩んでいた不調ADSLから、今日FTTHに乗り換える。午後に工事が行なわれるので、家人は半休を取って13時半には帰宅する予定だったりする。2人共一昨日の疲れがまだ全然抜けず、昨日ものんびり休養するどころではなかったので、ヨレヨレバテバテの家人がせねばならない工事立会いが気の毒である。この週末は夏オフの予定だったのに、急遽のっぴきならない仕事が入ったとかでそれもおじゃんになってしまった。わたしとしては、夏オフで弾きまくるよりはちんたら休日出勤する方がせめて身体が少しでも休まるだろうかと考え、止むを得まいと判断したのだった。
 そういえば去年、gaiax系のサイトをちょくちょく覗かせていただいていた方を、今年は夏オフにお招きしようかなどと考えていたのだった。ニフティIDがない場合、紹介者と一緒でないと参加は出来ないようなので、ウチ2人の参加が確定するまでお声を掛けるのは控えていたのだが、結局こんなことになってしまった。来年の夏でも大丈夫だろうか。というか、来年も夏オフはあるのだろうか?

 普通ならば光ファイバを引き込む工事は1軒1時間もあれば終わるらしいのだが、ウチの場合は少々事情がフクザツなようである。まず隣家の義弟君(名義は義父かもしれない)分の回線とウチの回線を同時に工事するのに時間が掛かるらしい。しかもウチの場合、電話とLANのホストを、1階リヴィングのデスク・トップと2階仕事部屋のわたしのデスク・トップのどちらにするか、いろいろ兼ね合いが難しいという。親子電話の親機をホスト以外に接続できないとすると少々厄介なのだそうだ。
 わたしには詳しい設計図というか配線図というかは判らないが、その他スキャナやFAX、2台のプリンタをどうするかなどなどの懸案事項もあるとかで、家人にちょっとやそっと説明してもらっただけではとてもとても、工事の人たちに希望を伝達することはできそうにない。そんな訳で家人が半休を取る羽目になったのだった。ややこしい相談は計画立案者に直接立ち会ってもらうに限るのである。
 どの道わたしは、今日の夕方からはバレエのレッスン日なので外出してしまう。晩御飯を作ってから出掛けるのも面倒なくらいに草臥れているので、本当はちょっとだけ「サボってしまおうか」と思ったりもした。しかしこれに関しては意地もある。8月中旬は2週、教室自体がお休みだったりもする。やっぱり真面目に行くことにしよう。多少ちからは抜け気味になるかもしれないが。

 ともかくそんな訳で、ルータやLANの設定が上手く行くまで、ネットに接続出来なくなるのがちょっと不安である。今までの経験からするとこういう場合はまず間違いなくトラブルが発生するものと相場が決まっている。体力的にもガタガタの家人が、あまり根を詰めないで済むように、ルータ君たちには素直に言うことを聞いて欲しい。よもや訳の判らない理由で稼動しないとか、ましてや初期不良などを抱え込んでいたりなんてことはありませんように。
 先日の日記にも書いた通り、ウチの用途としてはADSLで充分なのだが、ここいら近辺はADSLは不安定過ぎてとても我慢出来ない。どういう事情によるものかは不明だが、最近ではNTTの電話でさえ、通話中にザリザリガリガリ雑音が混じって聞き取りにくいこともある。これがADSLの回線にも影響を与えているとすると、なるほど繋がったり切れたりの気まぐれっぷりにも納得が行く。
 光に乗り換えたら安定して繋げるようになるといいなあ。

 さらに家人の予定では、義弟君の「マルチ・ライセンス」WindowsXPに一口乗せてもらって、XPをProfessional版に変更するつもりらしい。「マルチ・ライセンス」とは1枚のCD-ROMで数台分のPCにインストールすることができるヴァージョンらしい。わたしの仕事用PCに乗っているのはWindows98なのだが、それもXP Professionalにヴァージョン・アップしたらどうか、という。機械そのもののスペックが心配だったのだが、家人経由の義弟君意見によれば「そうした方が安定するから絶対いい」らしい。
 OSを入替えるとなると、後から入れたアプリやデータなりを避難させておかねばならない。最近は面倒なのでストレージ用のHDDからいろいろ直接読み出して使うようにしているのだが、1部それだと不具合が出るアプリもあった。どれがそうなんだっけ。必要なものはバック・アップも取っておかなければ。面倒臭いなあ…。

 ホストに何かあった場合を考えると少々怖いけれど、こうなると、サーバを1台ドカンと置いて、他の端末は全部読み出し&入力に機能を限定してしまってもいいような気がする。薄型PCとかいう話を聞いたことがあるけれど、そういう使い方ならば、PCの本体がリヴィングにどでんと鎮座する状況からも逃れられるという寸法なのだろう。
 オフィスのように何十台も端末がある場所ならばともかく、ウチのようにせいぜいデスク・トップ2台とノートが1台という状況では、そういうシステムは宝の持ち腐れだろうか。便利そうに見えるけれどメンテナンスが大変だったりするとかのデメリットもあるかもしれないし…。コンピュータ関係はあまりに早く移り変わってしまうので、家人と義弟君の会話など、わたしには付いて行くのがやっとである。(でもVistaは試してみたい)




08/02 光と共にやって来た

2005/08/02 16:14
 昨日、光ファイバの敷設工事は無事終了し、ウチもようやくFTTHに乗り換えた。工事に立ち会っていた家人によると、直結の場合で大体50Mbpsほど出ていたらしい。ルータを通したら30Mbps程度になってしまったようだが、今まで下りが3Mbps、上りに至っては500kbpsだったそうなので、速さに関しては何も問題はない。
 困ってしまったのは新しいルータの設定である。レンタルだか買い取りだか知らないが、このルータ、ウチの2台のPCそれぞれをネットに繋ぐことはしてくれるものの、LANが組めないのだという。LANが組めないとすると、ストレージに使っているHDD1台とプリンタが使えなくなってしまう。わたしは1階リヴィングに置いてあるのと2階仕事部屋のPC両方で日記更新を出来るように、このサイトのデータを全部ストレージ用HDDに入れてあった。他にもいろいろなアプリがストレージ用HDDに入れてある。LANが組めないとそれらが全部使えない。

 困ったなあと思いつつ、わたしに手助け出来る事は何もない。バレエ教室から帰宅すると、ルータと取り組んでへとへとになった家人がげんなりした顔でボヤいていた。HDDやプリンタが、「ネットワーク」のウィンドウの中に見えてさえ来ないのだという。今まで「見えているのに認識してくれない」ということはあったが、全然見えないのは初めてで、もうどうしたらいいのか判らないらしい。
 見よう見まねでLAN設定をしている家人よりも、そちら方面に詳しい義弟君に助けてもらった方がいいかも、ということになった。たまたま昨夜は義弟君の帰宅が早かったので、21時半頃にウチにおいで戴いた。家人と2人であちこち覗き回り、原因を探るがやっぱり良く判らない。そういえばこのPCでの原因不明なトラブルは、その8割がWindowsファイアー・ウォールによるものだったよと言ってみたが、今回ばかりはそれが原因でもなかった。

 結局日付が変わった頃、さしもの義弟君にもお手上げということで、この週末にリターン・マッチが組まれたのだった。この週末と言えばそもそも夏オフだったのに、急な仕事でボツになってしまっている。その上訳の判らないルータ(原因がルータかどうかさえも未だ不明なのだが)と、ああでもないこうでもないと格闘しなければならないとは、本当に気の毒なのであった。
 3時間近くも付き合ってくれた義弟君にも御礼を言って、ついでなのでストレージHDDの中身を吸い出してくれるようにお願いする。どういう方法か知らないけれど、義弟君ならそれが出来るそうなので、土曜日まで待てないわたしは飛びついたのだった。

 その後良く良く考えると、1階リヴィングのPCにはもう1台、バック・アップ用のHDDが繋がっているのだった。以前、ストレージHDDの空冷ファンがいかれた時、データ保持のために買い足したものである。わたしはこちらもLANに組んであるのかと思っていたが、家人によればPC直結らしい。10日ほど前に丸ごとバック・アップをしてあるので、その時点のデータなら読み出せる、という。
 そうと知っていれば昨日、LANの工事を始める前にバック・アップを更新しておくのだったと臍を噛んだがもう遅すぎる。とりあえず中にFTPも入っているので、設定を変えたら日記の更新も出来るようになる。覗いてみたらデータの日付は7月19日だった。そこから昨日までの日記や映画感想文の差分はどうしよう。FTPでダウンロードするのが早いかページのソースを流用するのが早いかどっちにするか考えているうちに、間違って日記を更新してしまった。しまったと思った時には、昨日の日記は過去の日記に上書きされて消えたのである(やれやれ)。

 ストレージHDDの中にはちゃんと残っているので致命傷ではないが、それにしてもうっかりミスをやってしまった。そもそもこういう事態が考えられなくもなかったのに、必要な諸々をPCのHDDなりバック・アップ用HDDなりにコピーしておかなかったのが何よりの手落ちである。後で気が付いても遅いのだが、今後はちゃんと対処するようにしよう。
 土曜日にリターン・マッチをしたら、ちゃんとLANは組めるようになるだろうか。それぞれのPCがネットには繋げるので、最悪の場合今のままでも何とか遣り繰りは出来るが、横の繋がりもやっぱり必要だなあ…。

 それにしても昨日の工事中、ネット接続が完全に切れている時間帯にPCを立ち上げたら、することがほとんどなかったので驚いてしまった。メールのチェックもよそのお気に入りサイト閲覧も出来ない。ニュースも読めないし映画館の上映時間も調べられない。今日の夜、母と2人で『亡国のイージス』のレイト・ショーを観に行く予定にしていたのだが、待ち合わせ時間を決めるのに随分困ってしまった。
 いつも行く映画館の電話番号を調べようにもネットは使えない。ハロー・ページを引っ張り出して来たら地域外。固定電話も一時的不通状態なので、止むを得ず携帯電話で系列の映画館に掛け、いつもの映画館の番号をやっと教えてもらうことが出来た。母にも携帯電話から連絡を取ることに成功。いつもは掛けてもバッグの底に仕舞っていてなかなか出てくれない人なので、昨日はラッキーだったのだろう。

 完全なスタンド・アローン状態のPCで出来ることと言えば、エディタで何か書くか、Photoshopでネズミーランドの画像をトリミングするか、プレ・インストールされていたゲーム類で遊ぶかだけである。いつの間にか、何でもかんでもネットを使うようになっていたのだなあと少々驚く。昔、研究室時代にはまだネット常時接続のPCなんてなかった。LANでさえごく一部しか組めていなかった。あの時代、PCを使って何をしていたのだろうと不思議に思うのである(いやもちろん実験のデータ整理をしてたのだが)。
 そしてLAN設定の面倒臭さにほとほとげんなりもする。素人とは言えLAN設定が初めてでもない家人や、かなりの場数を踏んでいる義弟君でも梃子摺るというのはどういう状況だろう。今回のトラブルを見ていると、一部家電メーカなどが提唱する「ネット家電」はまだまだ夢物語だなあ、と思うのだった。
 家電を家庭内LANでネットワーク化し、ついでにそれをインターネットにも繋いだら、外出先からでもあーんなことやこーんなことが出来ますよ、というアレである。あればあったで便利なのはもちろんだが、LANの設定は一体誰がするのだろう。メンテナンスだってまったくしなくて良いという訳には行くまい。

 家人は今後LANの設定方法が本当に「誰にでも出来る簡単なルーチン」になるまで無理だろうと言うのだが、わたしはそもそも、設定方法が本当に「誰にでも出来る」ようになるのか怪しいと思っている。20年近く前、PCを弄るのはわたしにはなかなかの難問であった。コマンドラインから打ち込むそのコマンドが良く判らなかったからである。GUI方式のアップル・コンピュータが救世主のように見えたのもそれが理由だった。
 それからずいぶん時間が経ってGUIが主流になり、CUIなどは特殊なシーンにしか使われなくなった。とは言え、やっぱりPCがかつてに比べて「誰にでも何でも出来る」ようになっているか、と訊かれたら100%イエスとは言えない。機嫌良く動いてくれているうちはいいけれど、ひとたびトラブルが起こると手も足も出ないことはまだ多い。そしてトラブルの発生頻度は汎用的家電に比べたら恐ろしく高いままだと思う。ましてやLANなんて。
 それにしてもウチのLANはいつ復旧できるのだろう。そもそもトラブルの原因がちゃんと見付かってくれるのだろうか。やれやれ…。




08/03 そして新たなトラブル

2005/08/03 10:46
 何がどうおかしくなったのか全然見当も付かないのだが、閲覧できるサイトが限定されるようになってしまって困っているのだった。例えば「閑古鳥掲示板」では、書き込みを読むことは問題なく出来るのに、長文RESを投稿しようとすると「ページを表示できません」のエラー・ページに飛ばされてしまう。同様のことが、A・Roundというアンケート・サイトでの「晩御飯日記」を送信しようとした時にも起きる。
 さらにWebメーラのログインが出来なかったり(gooメール)、ログイン出来ても受信箱の中身を開けなかったりする(Yahooメール、infoseekメール)。最初は接続先のサーバが落ちているのかと思ったのだが、あまりに長時間だし、「ログイン出来るのに受信箱が開けない」症状はサーバのトラブルとは考えにくい。WebメールでもBiglobeのは問題なくアクセス出来るし、A・Roundのアンケートでも「晩御飯」以外にはちゃんと答えられたりする。
 「閑古鳥掲示板」でも、書き込み用窓に納まる程度の長さであれば、問題なく投稿出来ちゃったりするのである。もう訳がワカラン。

 ネットで「DNSエラー」を検索してみると、2003年後半から2004年前半にかけて、同じような症状に悩んだ方々がゴマンといらっしゃることが判った。「暗号強度がゼロ」になってしまっているために、128ビットの接続セキュリティを要求されるサイトにアクセス出来なくなっているケースが多いらしい。しかしウチのIEの暗号強度はちゃんと128ビットと表示されているし、同じ現象はネスケでもFirefoxでも起こる。
 1階リヴィングのPCでも2階仕事部屋のPCでも同じなので、OSがXPだろうとWin98だろうと関係ない。検索結果からWindows Updateをする際にセキュリティ・ソフトを走らせている場合、「ページを表示できません」エラーが頻発するらしいことが判ったが、今までまったく問題なかったのが昨日からいきなりなので、それも説得力に欠けるような気がする。

 直感的に光接続のルータが邪魔しているのではないか、と思っている。httpsで始まるサイトだとかcgiを使ってログインさせるサイトなどなど、何らかの条件に適合した場合、そのアクセスを妨害しているのだろう。レスポンスが長時間来ないものだから、時間切れになって「ページを表示できません」になってしまうのだと思う。正しいかどうかは判らないし、じゃあどうしたら良いのだろうというのも全然ハテナなので情けないのだが…。
 cgiによるログインを要求したり、httpsで始まるサイトでも、ちゃんと入れる所もある。例えばE銀行やM銀行のインターネット・バンキングのサイトには問題なくログイン出来る。逆に友人のBBSなど、アドレスにcgiが含まれていないのにやっぱり1回の書き込みが4行を越えると投稿出来ない、というページもある。ハネられるサイトの条件が判らないのが一番困る。

 今週末の土曜日、リターン・マッチに挑む時に、OSをXPホームからProfessionalに乗せ換えてしまう予定である。それで回復してくれれば問題ないのだが、もし危惧しているようにルータが原因なのだとすると、以後も延々同じ状況が続くのかもしれない。それはさすがに願い下げだなあ…。
 一番厄介なのが、Webメールが死んでいることである。ニフティのアドレスもあるにはあるが、こちらは仕事関係など専用に限定しているアドレスなので、出来ればプライヴェートには使いたくないのだった。しかしずっとずっとこのままだと、連絡を取れなくなってしまうケースも出て来る可能性がある。ううむどうしよう。

 そういう訳で、当面の間、gooメールもしくはYahooメールは読めなくなってしまいました。この2つのアドレスをご存知の方は、メールを下さる場合、「御意見箱」からご連絡下さい。折り返し、生きているメルアドをお知らせいたします。




08/04 名曲効果

2005/08/04 17:31
 さる方がご好意で、ELOの『Time』を下さったのである。昨日からメチャメチャに喜んで、時間を見つけては聴いている。「THE WAY LIFE'S MEANT TO BE」とか「HOLD ON TIGHT」、もちろん「TWIILGHT」など死ぬほど懐かしい。例の叔父に作ってもらったアソート・テープで聴いていた頃なので、恐らく中学生〜高校生時代だろう。そういえば「ザナドゥ」なども好きだったっけと、本当に懐かしく思い出す。
 テープにはもちろん歌詞カードが付いていなかったので、合わせて歌っていたのは自己流耳コピの出鱈目だった。とわーいらーい、あいおんりめんとぅ、すていあわーい♪ という調子である。今回改めて聴いたら丸っきり出鱈目という訳でもないと判明。英語だと思わず、音として聴いたら案外すんなり入って来るものなのだろうか。ただし歌詞のイメージは想像していたものとは全然違ったのだった。実はちゃんと聴いた今でも正確なストーリーは良く判らなかったりする(恥)。
 意味的に「twilight」とはむしろ「黎明」を指している気がして、不思議に思って辞書を引いたら「黎明の薄明かり」の意味もあるらしい。もちろん稀な用法らしいが、知らなかった。

 『Time』を下さった方とお話をしているうちに、10年くらい前の「ジブリ実験劇場」の話題が出た。宮崎駿監督作品の『On Your Mark』である。実はチャゲ&飛鳥の大ファンなので(さすがに今は追っかけまではしていないが)、コンサートのオープニングで観て惚れ込んでしまったのだ。ヴィデオが発売された時は、迷わず1本買った。
 時期的に『もののけ姫』と近かったような覚えがある。個人的には『もののけ姫』と『On Your Mark』両方を観て、宮崎監督が本当に作りたいのは、実は後者のようなものなのではないか、という印象を強く持った。もちろんわたしも『On Your Mark』の方がずっとずっと好きである。

 地上が汚染され切った近未来。とあるカルト教団に拉致された少女を救い出した警官2人組(もちろんチャゲと飛鳥)が、いろいろな困難を排除して、彼女を大空に還してあげる…というストーリーである。世はオ○ム真理教の事件で騒がしく、題材はかなり微妙なタイミングだった。さらに信者を皆殺しにするシーンが出て来たりして、わたしの周囲では「宮崎監督は何故こんなキナ臭い作品にしたのだろう」という、どちらかというと否定的な意見が聞かれていた。
 けれどわたしがこの作品から受け取ったのは、全編に流れる胸の痛むような強い「憧憬」だった。翼を持つ少女は、宮崎監督に取っての「美しく穢れないもの」の具象化だと思った。ノンポリのわたしには、少女を拉致したのがカルトだろうが国家権力だろうがどうでも良かった。「美しく穢れないもの」を、相応しい空に解き放つためには何だって出来る、例えそれが夢物語でも。宮崎監督はきっとそう考えてこれを作ったのだと感じた。

 物語の中で、警官2人は1度少女の解放に失敗する。するとお話は過去に戻って、本当なら有り得ない展開でハッピー・エンディングに突き進むのである。どうしてストレートな救出劇ではないのだろう、どうしてわざわざやり直しするのだろうと不思議だった。その時わたしなりに出した結論は、あれは良い意味での「開き直り」だったのだろうな、ということである。
 世の中そんなに甘くないって知ってるよ、クルマは空なんか飛べないってちゃんと判ってるよ。でもいいじゃないか、これはこう「あるべき」なんだから…。そんな意図があったのではないかと思った。川原泉さんの名作『笑う大天使』最終話タイトルの「夢だっていいじゃない」という心境なのではないか、と。

 ライナー・ノートに載っている宮崎監督のコメントにも、そこまで書いてある訳ではない。だからこの想像は100%わたしの妄想かもしれない。けれどわたしの中では、この作品は「そういうもの」だと定着してしまった。いろいろなしがらみで雁字搦めになっても、憧れる気持ちは無敵なのだ。物理的法則や時間の流れをぶっ飛ばすくらいに。
 コンサート会場ではそこまで考えている暇はなかったけれども、ヴィデオを買った後何度も何度も観てそういうことに決めてしまった。今でもこの作品を観る度に、憧れと切なさで胸が一杯になってついつい泣いちゃったりする(恥ずかしい)。
 そういう訳で飛び切り思い入れのある1本なのだが、残念なことに周囲にはあまり知られていなかった。今回『Time』を下さった方は、この『On Your Mark』をご存知なばかりでなく、LDまで持っていらっしゃるという。好きな人はちゃんと好きなんだと判って、非常に嬉しく思っている。機会があったら、『On Your Mark』に関するわたしの妄想をお話してみようかなあ…。

 ダイコン・アニメの「Twilight」と同様『On Your Mark』でも、ストーリーと共に流れる曲が非常に効果的だったりする。最近はどちらかと言うとロマンティックなラヴ・ソングにヒットが多いチャゲアスだが、わたしの好みは断然、「On Your Mark」とか「YAH, YAH, YAH」のようなアドレナリン放出系である。聴いているだけで元気が出て来ちゃうようなノリノリの曲。アソートCDを作ってドライヴの時に掛けたら、気持ち良くスピード出し過ぎるような、そういう曲がいい。
 ダイコン・アニメにしろ『On Your Mark』にしろ、カップリングの曲選びに失敗したらここまで印象的な作品にはならなかっただろうと思う。この2本についてはもしかすると曲が先にあったのかもしれないが、ともあれ名曲の威力は絶大である。『Time』と一緒に久々に『On Your Mark』も観つつ(そしてまたまた泣いちゃいつつ)、またいつかチャゲアスのコンサートにも行きたいなあと思うのだった。ひょっとするともう体力が追い付かないかもしれないが(とほほ)。




08/05 とうとう一時休止

2005/08/05 18:04
 最低週に2回は運動をしているおかげか、今年の夏はバテないな、と思っていた。先週のネズミーランドによるダメージからは未だ回復し切っていないのだが(これは家人も同じ)、某CMに出て来るように「寄り掛かった壁が沈むような」途方もない疲労感はないし、何より食欲が残っている。酷い時には「咽喉を通るのは麦茶だけ〜」とかホザいているわたしが、ちゃんと晩御飯を食べられるというのは快挙である。
 とすると「3kgくらい夏痩せしたらベスト体重になるかしらん」と期待していたのはトラタヌになるだろうが。

 とは言え、ここまで暑い日々が続くとさすがにバテて来る。しかも今日の最高気温は東京で36℃あったらしい。木曜日に受講していたパワー・ヨガの先生が産休に入ってしまったため、代わりに金曜日の「マット・サイエンス」を再開しようかと思っていたのだが、余りの暑さに日中に外出する元気が出ずに断念。来週からちゃんと通おう。
 では代わりに母のマンションへ出掛けて姪っ子と遊ぶか…と思ったのだが、体調不良でそれもヤメにしてしまった。

 これだけ暑いと洗濯物が倍増する。本来ウチでは3日に1回洗濯機を回せば事足りているのだが、夏場はそれがほぼ2日に1回ペースに増える。しかもシーツもマメに洗いたくなって来るので、1回に2バッチ回すことも多い。大人2人に子供2人の母宅では毎日洗濯しているので、2日に1回くらいではまだまだ少ない部類だろう。
 今日も洗濯の日であった。まとめて洗濯槽に突っ込んである汚れ物を仕分けているうちに、やっぱりシーツも洗ってしまおうと思い立った。剥がしに寝室へ戻ると、まだ朝も早いと言うのにもう気温は急上昇している。暑がりの家人がクーラー付けっ放しで眠るのだが、起床後に冷房を切ると途端にぐんぐん室温が上がるのだ。特に夏場の天気の良い日は、廊下にある天窓から燦々と日光が差し込み、2階はまるで温室のようになる。

 とりあえず窓を開けて掛け布団を畳み、ボックス・シーツを剥がしている時に急に気分が悪くなる。お手洗いに駆け込んで折角食べた朝御飯を全リヴァースしてしまう。2階のお手洗いは掃除が行き届いていないのが目に付いて不本意なのだが、それもこの際見ないフリ。胃が空になって多少ラクになったので、シーツ剥がしを再開し、洗濯機を回し始めてからとりあえず横になった。
 ウトウトしながら1回目が完了すれば次のバッチを回し、洗濯が済んだら乾燥機にかけるものはかけて干すものは干す。その間、晩御飯の下拵えなどちょっとした用事をこなす時以外はずっとソファで寝ていた。ネズミーランドの疲れが残っているところに、この数日の暑さで堪らずダウンしたのだろう。
 「マット・サイエンス」も姪っ子のお相手も断念したとは言え、熱を出さなかったとは我ながら進歩したなあ、と感心するのだった(志が低い…)。

 ちょっと動いては休み…を繰り返しているうちにこんな時間になってしまったが、後はどうにかこうにか晩御飯を作れば最低限の日常業務に差し障りを出さなくて済む。あまり食欲はないが、食べないでいると途端に体力がガタ落ちになるし、処理したむきエビは調理してしまわないと悪くなる。旨煮風炒め物は却下してエビサラダにしてしまおう。これなら何とか咽喉を通るだろう。
 明日は家人と義弟君がルータにリターン・マッチを挑む日である。わたしが居ても何も役に立たないので、今日行けなかった分、姪っ子たちのお相手をしに母のマンションへ出掛けようかと思うのだった。中の妹が久し振りに遊びに来ると言うし、母は月曜日まで仙台に旅行だそうなので、末の妹1人ではいろいろと大変だろう。

 中の妹は面倒がって滅多に来ないのだが、今回はたまたまとは言え、母の留守宅を狙ったことになってしまった。過保護な親心から出る世話焼きがつくづく苦手だとかで、本人は「別にそれでも構わないよ」と日程変更は考えていないらしい。「母のオコゴト」とは古今東西どこでも鬱陶しいものだろう。環境的に、3姉妹のうち母と接する時間が一番多いわたしでも時々うんざりするので、中の妹の気持ちは判らないでもない。
 しかしまあ、せめて盆暮れの年に2回くらいは、元気な顔を見せてあげてもいいような気もする。遠方に居るのならともかく、住んでいるのが電車でせいぜい1時間の距離なのだから、尚更「それが親孝行ではないのか」とも思う。主たる母の居ない間に訪ねて来て、それで義理は済んだというのもどうだろうか。実の妹とは言え、人の考えはほんっとうに十人十色で、わたしの理解が及ばないなあと実感するのだった。




08/06 LAN復活!

2005/08/07 00:04
 昨夜は常になく早く(と言っても22時半頃だが)床に就いてしまい、久し振りに8時間以上たっぷりと眠った。おかげでだいぶ回復し、日常業務に戻ることが出来た。家人を起こし、「ああ今頃は夏オフの準備が始まっているんだろうなあ」と思いつつそれぞれの用事に取り掛かる。終了後は引き続き、家人はLAN構築とルータの再設定に挑戦し、わたしは母のマンションへ向かう。母が3日間留守にするのだが、初日の今日は中の妹が訪ねて来るので、姪っ子の相手をしがてら末の妹の手伝いをしに行ったのだ。

 帰宅したら、どうやらLANの再構築は成功したらしい。何をどうしたかを訊いても判らないのでスルーだが、これでとりあえずストレージHDD(LAN用のHDD)にアクセス可能になったので、8月1日の日記をやっと復活出来た。やれやれ。後はストレージHDDとバック・アップHDDを見比べて、それぞれを最新データに並列化しなければならない。どっちがどっちだったっけ? というのがやや混乱したので2個ほど間違って消してしまったのだが、特に重要なファイルでもなかったから良いことにする(既に面倒臭くなっている)。
 ルータの設定も、良く判らないながら「外部へのアクセスを制限している設定画面」らしきものが見付かった。ちゃんと外部へのアクセスを許可するように設定し直したら、やっとYahooメールにもgooメールにもログイン&受信箱読み出しが出来るようになった。アクセス出来なかったのは正味たった5日間だが、その間に40通のメールが溜まっていて少々ゲッソリする。まあいいや、必要最小限のものだけすぐに読んで、後は追々対処することにしよう。

 後はプリンタ・サーバの設定だけだが、とりあえず最大の難関は突破したので家人もだいぶ気が楽になったらしい。わたしとしても、ストレージHDDへのアクセスと外部アクセスの制限が何とかなったことで、後はもう付け足しのような気分になっている。それにしても長い不具合であった。
 実際の作業はほとんど義弟君がやってくれたそうなので、今後何かトラブルがあった時はどうすれば良いのか、きっと家人にはいまいち良く判っていないのだろう。トラブルがどの程度の頻度で起こるものか予想も付かないが、その度に義弟君にお手数を掛けるのも何かなと思う。ただし家人がその辺をきっちり勉強するのを面倒だと思わない訳がないし、ましてやチンプンカンプンのわたしには到底無理だ。今後何かトラブるとしても、今の家人のスキルで何とか出来るものだといいなあ…。

 ともあれお疲れさまでした>家人&義弟君 今後わたしがやらねばならない作業としては、XP Professionalにアップデートした2階仕事場のPCを、使い勝手の良いように設定し直すことが残っている。まあ、すぐに取り掛からねばならないことでもないし、今日はもうくたびれたからいいことにしてしまおう…(ヘタレ)。




08/07〜08 2週間目の熱帯夜

2005/08/08 11:44
 最大のダメージはもちろん先週末のネズミーランドだったのだが、それから1週間経っても微妙に疲れが抜け切らない。それなりにのらくらしているし、夜もちゃんと眠っているのに何故なのだろう。今朝など、家人ともども大寝坊をこいてしまった。家人の「大変だ」という声で目が覚めたらなんと9時である。うっわどうしよう! 遅刻だよ、燃やせるゴミ出しそびれちゃったよ!
 この疲れの抜けない具合が年齢ということなのだろうか、あとン年で四十路を迎えるということなのだろうか…。冗談で姪っ子1号に「ワシももう歳じゃで、激しい遊びは出来んのじゃ、ゴホゴホ」などと言って笑わせたりしていたのだが、ひょっとすると笑い事ではないのかもしれない。

 と書いて思い付いたのだが、消耗の原因はその姪っ子1号ということも有り得る。姪っ子たち長期滞在中のここしばらく、わたしは火・水・金と、午前中にわーっと日常業務を片付けてはいそいそと母のマンションへ駆け付けているのだった。一昨日などは、家人がルータ再設定をしている間は出来ることもないし…と、週末にも関わらず姪っ子の相手をしに行ってしまった。
 もちろん一昨日は、中の妹が顔を出すので(肝心の母は留守だが)、全員分の晩御飯の支度を1人でするのでは大変だろうと、末の妹を手伝う意味合いもあるにはあった。

 普段なら1日かけてこなすことを半日で終わらせ、その後は好き好んで肉体労働に勤しむのだから、多少くたびれても当然なのだろう。去年は姪っ子2号誕生のごたごたで姪っ子1号来訪はナシだった。一昨年は今年ほどの長期滞在はしなかったし、それ以前は父の病気などでバタバタしていて、姪っ子1号と遊ぶどころではなかった。
 小学校2年生になって体力も付いて来た姪っ子1号と、初めて真面目に遊び倒した夏が今年なのである。母が「あの子と付き合っていると寿命が縮む」とボヤき、家人が「ミニ・アパッチ」と評する姪っ子1号に、普段のらくら過ごしているわたしが太刀打ち出来るハズもなかった。姪っ子2号の乳離れも未だだし、姪っ子1号がこの調子で暴れ回るのを独りで面倒見ているのでは、末の妹が太れないのも道理だと思う。

 これで彼女が男の子だったらもっと大変だろうな、と、震え上がる気持ちである。きっと男の子だったら、家の中で暴れているだけでは飽き足らず、真夏の炎天下に引っ張り出されて遊ばされていたに違いない。どちらにせよ、世の中のお母さん達は本当に本当に大変なんだなあと身に染みて実感したのだった。子供たちは大人の体力や事情など考慮して遊んではくれないのである。
 1歳と2週間の姪っ子2号には、大人の事情はさらに遠く理解の外だろう。まさに世界は自分を中心に回っているのであり、お腹が空いたり眠かったりオムツが不快だったりしたら、ただ泣けば解決すると思っている。母である末の妹や、姉である姪っ子1号、伯母であるわたしのことなどは「ちやほやしてくれる下僕たち」とでも認識しているに違いない。それでもやっぱりちやほやして、姪っ子2号がニッコリすればだらしなくヤニ下がってしまうのだが。

 ともあれそんな調子で、時期限定の「パートタイム子守」な生活が続いているのだった。最初は「知らない人」と不興を買って不審がられたり泣かれたりした姪っ子2号にもだいぶ顔が売れ、末の妹が不在の時にぐずっているのを寝かし付けられるくらいにもなった。ただし次に会う時にはきっとまた忘れられているのだろう(虚しい)。
 姪っ子1号とは相変わらず遊び友達である。取っ組み合い、かくれんぼ、EyeToy遊びなどとにかく身体を使うことばかりなので結構大変である。おままごととか本の読み聞かせどころではない。彼女が宿題をしている時と、リンドグレーンの『ピッピ南の島へ』に没頭している時だけが、わずかな大人たちの休息タイムなのである。

 EyeToyというのはCMで観て「面白そうだなあ」と思っていたのだが、実際にやってみたらこれが予想以上にしんどかったりする。一応子供向けに手加減してあるなとは思うものの、TVゲームで飛んだり跳ねたりするというのはなるほど新機軸である。階下に足音が響かないように気を使いながら、さらに姪っ子1号に「まとり姉ちゃん、サボったらあかん!」と怒られないよう本気を出してみせるのも一苦労。
 末の妹の話では、ご夫君(つまり姪っ子1号のお父さん)の運動不足解消も狙って導入したEyeToyだそうなのだが、彼は大概の場合は気乗りせずにパスしてしまうらしい。なるほどさもありなん、である。

 日中にやり残したことを、夕方帰宅後に片付けたりする場合もあるので、ここしばらくは夜更かし習慣に拍車が掛かっている。就寝2時半の起床7時過ぎが続くとさすがに厳しい。家人は通勤の行き帰りに電車の中で熟睡出来るから少しはマシだと言うのだが、わたしは昼寝どころではない。熱帯夜が続いてずっとクーラー付けっ放しの中で眠っているので、どうも冷房負けしている感もある。ダルい…。
 とは言いつつ、とうとう姪っ子たちが帰ってしまう日が明後日に迫った。今日はやることが山積みなので時間的余裕がないし、明日は夕方からドヴォ組の練習があるので、お客さまを迎えるために大車輪で掃除などせねばならず、姪っ子1号と遊ぶにしても昼〜夕方のわずかな時間だけである。バカ伯母としては「身体が2つ欲しい!」と阿呆なことを考えつつ、明日の最後の逢瀬に備えて日常業務の消化に勤しむのだった。




08/09 招かれざる客

2005/08/10 00:04
 ウチのキッチンには小さな出窓があり、トースターを置く絶好の場所として、また明かり取りとして重宝している。天と両脇と窓部分には鉄筋入りの曇りガラスが填まっているのだが、その脇の部分、枠とガラスの接合箇所にわずかな隙間があるらしい。家人が朝食時に愛飲しているオレンジ・ジュースなどの紙パックを、濯いで乾かすために流しの縁に伏せておいたりすると、僅かに残ったジュース成分に惹かれて小さな蟻たちがやって来るのである。
 ほとんど匂いも消えているような状態なのに、実に見事に嗅ぎ付けるなあ、と少々感心する。蟻の巣が引越しして窓の直下に移動して来たのか、紙パックにたかるようになったのはここ1〜2年で、最初はどこから来るのか不思議で仕方がなかった。点々とした蟻の行列を辿り、どうやら出窓らしいと判明したものの、まさか枠とガラスの間に隙間があるとは思いもよらず、流しによじ登って出窓の付け根を除いたら、その継ぎ目に1mm四方ほどの穴が見付かったのである。サッシの中を通って外界と繋がっているらしい。

 穴付近とその内部に市販の「蟻避けスプレー」を吹き付けたら蟻は来なくなった。別に病気を運んだりする訳ではなかろうが、流しを小蟻がちょろちょろしているのは鬱陶しいし、ジュースの紙パックにたかっている光景はあまり気持ちの良いものではない。そのうち隙間そのものを樹脂か何かで塞いでやろうと思いつつ、蟻避けスプレーで何とかなっているので、面倒臭くて放置しているのだった。
 小蟻の襲来経路を探すのも随分梃子摺ったのだが、それ以上に悩んだのが去年の夏に起こった事件である。7月始め頃だったか、ふと気付くと部屋の中を小さな小さな虫が飛んでいるのだ。捕まえてじっくり観察すると、幅が1mm長さが1.5mmくらい。茶色で、極小サイズのコガネムシという印象である。今までにこんな虫を見たことはなかった。

 どこか家の外から、換気扇フィルタの隙間でも通って入り込んで来るのだろうと思ったのだが、それにしてはあまりにも頻繁に出現する。考えたくない事態だが、どうやら家の中のどこかで発生しているらしい。
 最初に疑ったのは植木鉢である。ドラセナ・フレグランスとベンジャミン、パキラとスパティフィラムの鉢土の中に卵でも産み付けられたのか、と思ったのだ。ちょうど植え替えたばかりだったので、そうに違いない、培養土の消毒が足りなかったんだ不良品だ! と憤り、裏庭で鉢を引っ繰り返して調べた。しかしどこにも卵などなかった。培養土ではなかったようだ。

 ソファの後ろや戸棚の中に、食べかけのクッキーなどを落として忘れているのだろうか、と次に考えた。2階にはあまり居ないので、発生源はおそらく1階のどこかである。大掃除がてら探し回った末、重要参考人として「オールブ○ン」の開封済みアルミ袋を発見。しかし口はしっかり輪ゴムで縛ってあるし、穴が開いているということもない。恐る恐る中を覗いてみてもやっぱり何も居なかった。
 この辺で半分ノイローゼ気味になる。来る日も来る日も「今度こそここか」とビックリ箱を開けるような心持であちらの扉やこちらの抽斗を開けて回るトライ&エラーが続いた。緊張と弛緩の連続に草臥れ果て、ついに某巨大匿名掲示板の「賞味期限をぶっ飛ばせ」スレで相談してみることにした。

 このスレ、「市販の食品に表示されている賞味期限に惑わされず、己の五感でOKかNGかを見分け、報告する」のが基本的なコンセプトである。厳密に言えば涌いてしまった虫はスレ違いなのだが、ちょくちょく「小麦粉にむいむい(←虫のこと)が」とか「米にむいむいが」という書き込みを見掛けていたので、説明すれば心当たりのある住人が居るだろう、と思ったのだ。
 意を決して状況と虫の外観を書き込んだら即座にレスが付いた。ウチに出没する極小コガネムシは「シバンムシ」という名前らしい。乾物や園芸用肥料、漢方薬やお茶などの葉っぱにも発生するという。

 となるともう間違いなく台所のどこかだろう。全身鳥肌状態で、それまでに輪を掛けて必死の捜索を続行したのだが、努力は報われなかった。困り果ててシバンムシに「お前、どこから来たの?」と訊いたりしたが、もちろん返事があるハズもない。シバンムシ君たちを見つけるたびに掃除機で吸うという繰り返しに、ほとんど精魂尽き果ててしまった。
 そんなある日、部屋の中で見付かるシバンムシの数が倍増した。今までと違って、玄関から廊下に集中している。どういうことだろうと、それまでの自分の行動を1つ1つ検証し、思い当たる場所があった。靴箱である。

 たまたまその何時間か前、夏物のサンダルを整頓しようと、普段滅多に開けない側の靴箱を開けていたのだ。靴箱の中に発生源となる何があるのか不審だったのだが、中から存在すら忘れていた袋入り薔薇用の油粕が出て来た。資料サイトを思い返せばシバンムシの餌は乾物や「園芸用肥料」である。詳述は避けるが、油粕は一目で「シバンムシには御馳走だったのだな」と判る状態だった。油粕よ、お前だったのか! つくづく台所で見つかったのでなくて良かったと思いつつ速攻で袋ごと処分し、やっと一件落着したのだった。
 結局丸々10日間ほど家捜しの毎日で、あの時は心底草臥れてしまった。「賞味期限をぶっ飛ばせ」スレのアドヴァイスがなかったら、発見までにはもっと時間が掛かっただろう。ありがとう、某巨大匿名掲示板…。

 お気に入りの深夜番組『きらきらアフロ』で聞いた話だが、松嶋尚美さんはウォーク・イン・クロゼットに虫を涌かしたことがあるらしい。クロゼットの壁に吊るしてあったもらいもののポプリから、大量の黒い「むいむい」が発生したのだという。ひょっとしたらこれもシバンムシかもしれない。
 人類よりも遥かに長い歴史と多様性を持つ昆虫たち。ほんのちょっとの隙間からも入り込み、小さなポプリや油粕の袋も見逃さずに繁殖するとはさすがである。生存能力も適応性も人間より段違いに優れていて、地球の本当の支配者は実は昆虫類だという説もあるらしい。
 とはいえ、やっぱり家の中では虫君たちは「招かれざる客」である。蟻やシバンムシ君たちには、2度とウチにはおいでいただきたくない。完全にシャット・アウトするのは無理だろうが、出来るだけ侵入も繁殖も防ごうとピリピリするあまり、テーブルに零した黒ゴマにまでどっきりしてしまうこの1年なのだった(小心者)。




08/10 来年までさようなら

2005/08/11 00:03
 突貫工事のようで非常に大変だったけれど、やっぱり大層楽しかった3週間弱が過ぎて、今日は妹&姪っ子1号2号が関西へ帰る日である。ただし実際には「帰る」と言ってもむしろ転戦で、母のマンションから今度は直接ご夫君のご実家へ向かうらしい。ご夫君の夏休みが終わったら一緒に自宅へ帰るのか、それともいっそ姪っ子1号の夏休み終了までそこで過ごすつもりなのかは知らないが。
 ご実家が空港の近くなので、新幹線に乗るよりは飛行機を使った方が、乗り物を降りた後の移動がし易いらしい。羽田空港までのリムジン・バスは相模大野駅とたまプラーザ駅から出ているようだが、乗り換えを考えると、多少遠回りでもたまプラーザからの方が楽だと思ったようだ。確かに荷物を抱え、ベビー・カー(プラス姪っ子2号)を押し、さらに姪っ子1号の手を引いて電車の乗り換えをするのは大変である。1回でも少ない方がいいだろう。

 姪っ子1号の希望と、「妹1人で子供2人と荷物の面倒を見るのは厳しいだろう」と心配した母の意向とで、わたしもたまプラーザまで見送りに出ることにした。家人の中ではすっかり「アパッチ娘」として定着してしまったやんちゃな姪っ子1号は、実は、母親が本当に大変な時などの土壇場ではかなり聞き分けが良い。
 問題は未だ日本語がほとんど通じない姪っ子2号である。「鉄」の素養があるのか、姪っ子2号は電車に乗ると何故か異様に興奮し、親によじ登ったりロング・シートを歩き回ったり、奇声を発したりと騒がしいらしい。ご機嫌を損ねずに静かにしていてもらうには、大人によるマン・ツー・マンの世話焼きが望ましかった。

 ウチの最寄り駅からたまプラーザ駅までは約20分ほどである。それほどの長時間ではないが、姪っ子2号が大人しく座っていられる時間よりは長かったらしい。わたしも登られたり、ご機嫌取りで車内を歩かされたりはしたのだが、とりあえず無事にリムジン乗り場へ到着した。
 3人をつつがなくリムジンに乗せ、やれやれとホッとして、母と乗り場のベンチにへたり込む。後はリムジンが発車したら帰宅の途に着けば良い。発車まであと数分…と思ったところで姪っ子1号がバスの入り口に現れた。何かしきりに訴えている。

 どうも窓から必死にわたしと母に向けて手を振っていたのに、以後の予定を話し合っていたわたしたちには気付いてもらえなかったため、哀しくなってしまったらしい。「まとり姉ちゃん、ちゃんと見送って!」と涙の抗議である。スレた大人たちにはあまり特殊なイヴェントではなくても、姪っ子1号にしてみればかなりの重要事件なのだろう。例え飛行機に乗るのが初めてではなかったとしても、わくわくドキドキな気分は募っていたと見える。
 今生の別れという訳でなし、と思いつつ、残り3分ほどずーっと「バイバーイ」と手を振り続けた。ちょっと恥ずかしかったが姪っ子1号はご満悦である。次に会えるのは恐らく早くて来年の正月だろう。見る見るうちに育って行くあの年頃の子供たちが、次に会う時にはどんな風になっているか、馬鹿伯母としては大層楽しみである。
 幾ら何でも家人の目の前でスッポンポン踊りを披露しちゃう、というのは卒業してもらいたいのだが…。

 人間と言うよりは未だ動物に近い姪っ子2号は、飛行機の中でちゃんと大人しくしていてくれたのだろうか。どうせ次に彼女と会う時には、またまた顔を忘れられているに決まっている。人見知りの激しい姪っ子2号は3日も会わないでいるとすっかり記憶がリセットされてしまうようで、近寄るとあからさまに「誰? 誰? 知らん人やわ、怖いわ」という表情をする。
 適度な距離を保ちつつ観察の時間を与えると、じきに「あ、やっぱり見覚えある人のような気がして来た」という表情に変わり、そうなると抱っこしてもOKである。なぜか家人にだけは異様にガードが甘く、ほとんど観察時間なしで自ら歩み寄っていた。わたしと母と妹の間では、ひょっとして父親と家人を間違えているのでは、という意見も出たくらいである。確かに体格は似ていなくもないのだが。

 「動物」と「別れ」と言えば、家人に教わったのが某消費者金融のアイ○ルのサイトだったりする。大人気のイメージ・キャラクターくぅ〜ちゃんが家出した後、花嫁と共に帰宅し、その後すさまじい数の仔犬たちを成した、という有名な物語である。ネット限定であの続きが公開されている、と言うのだ。
 特設ページでその映像を観ることが出来るのだが、相変わらずあざといまでに可愛らしいくぅ〜ちゃんとその一家であった。前回までは花嫁も子供たちもくぅ〜ちゃんが演じていたのだが、今回はどうも、花嫁は別チワワに見える。相当似ているチワワを探し出したのは確かなようだが、と言うことは今後、ネット限定配信ストーリー第2弾や第3弾もお目見えするのだろうか。何だかんだ言って楽しみだったりする。




08/11 そして気が抜けたらしい

2005/08/11 16:18
 お見送りから帰って来てからずぶずぶとダルかった。今朝も調子が全然出ない。とりあえず家人を駅まで送って行き、どうにかこうにか洗濯を済ませたところで力尽きてしまった。今日はスポーツ・クラブのバレエ体操の日だというのに、立っているのがやっとなこの状況では、出掛けるどころの騒ぎではない。ううむどうしよう。
 家人が付けて行ったクーラーがやけに寒いので、もしやと思ったらやっぱりそうだった。熱があるのだ(汗)。やばい。家人にまた何と言って馬鹿にされるか。最近、夏風邪が流行っているらしいが、そんなことは慰めにもならない。

 やれやれと思いつつ、クスリだけ呑んで寝ることにした。夕方まで一休みしたら何とかなるかもしれない。
 そして先ほど目が覚めたのだが、やっぱりダメダメなのだった。困ったなあ。救いと言えば、今週末は特に何も用事がないことである。これが来週だったら大変だった。ということで、ちょっと遅めの昼ご飯を食べて、またクスリ呑んで眠っておくことにしよう。
 おやすみなさい…(ぺこり)。




08/12〜13 あざとい商売

2005/08/13 12:19
 熱は昨日一杯下がらず、再開することに決めていた金曜日午後の「マット・サイエンス」のクラスにも当然行けなかった(がっかり)。頭痛・咽喉の痛みに加えてくしゃみ・鼻水、さらに腹下し(汗)。完全に夏風邪である。昨日は必要最低限の日常業務だけ済ませ、あとはずっと横になっていた。今朝目が覚めたら多少マシなので、これを書いたらまたクスリ呑んで寝ることにしよう。
 明日になったら完全復活出来るといいなと思う。

 で、昨日、ネット書店のビーケーワンからお知らせメールが来た。二ノ宮知子さんの人気作品『のだめカンタービレ』にあやかったCDが発売されるらしい。千秋真一&R☆Sオーケストラ共演の『ブラームス 交響曲第1番ハ短調 作品68』だそうである。
 ブラームスの交響曲1番ならウチにもあるし、今さらそんなの要らないや…と思いつつ詳細を読んでびっくり。ボーナス・トラックにドヴォルザークの交響曲第8番の第1楽章が入っているのだが、それがフツーの演奏ではないらしい。コミック10巻に出てきた「プラティニ国際指揮者コンクール(もちろん実在しない…ハズである)」の課題に出て来た、オケだけが意図的に数箇所間違いのあるスコアを演奏し、それを指揮者が見つけ出すという「間違い探し」用の演奏だというのである。

 もちろんそんなCD音源は他には存在しない、と思う。クラリネットがオーボエと入れ替わったり、セカンド・ヴァイオリンが拍打ちを変えたり(←両方とも例としてはいい加減。コミックを確認する元気がないため)ということを、実際の演奏会でやる訳がない。当然そんな音源もないハズである。…まあ世の中広いし、ひょっとしたら酔狂な人が作った「そういうCD」がある可能性はゼロではないが。
 「正常な演奏」と「間違い版」をカップリングさせておまけに入れてあるという。ちょっと心揺れてしまった。ドヴォ8ならウチにもあるが、間違い版ってどんなんだろう。プロの指揮者になろうという人向けコンクールの課題なのだから、ちょっと聴いただけでは判らないとは思うけれど、「ココとココが違ってます」ということが予め判っていれば、素人の耳にも「なるほど!」と思えるものかもしれない。

 来月の発売だとかで、現在は予約受付中。気になるお値段はなんと2800円。
 解説が「あの」佐久間学氏だとか、ライナー・ノートの装幀もイラスト入りなんだろうなとか、付加価値はいろいろあるのだろう。それにしても2800円とはボリやがる、というのが正直な感想だったりする。いくら聴きたくても、正味ドヴォ8第1楽章の「間違い版」だけのために、そんなCDは買えないよ…(涙)。




08/14 3週間でリセット

2005/08/14 23:41
 とりあえずだいぶ楽にはなったものの、頭痛と咽喉の痛みがまだ残っている。今日まではのらくらさせてもらって、明日からはキチンと通常業務に復帰しようと思うのだった。復帰出来るといいな(汗)。あんまり長引かせると、次の週末の神戸(叔母様たちの新居訪問)〜菅平(言わずと知れた夏のオープン戦観戦)旅行に禁足を喰らうので、こちらも必死である。
 今回の「寝床の友」は佐々木倫子さん&綾辻行人さんの『月館の殺人(上)』であった。佐々木倫子さんの作品はほとんど全部持っているし読破しているのだが、綾辻さんの著作は「館シリーズ」の始めの3作ほどを拝読しただけに留まっている。『月館の殺人』も「館シリーズ」の1作なのだろうか、もしそうなら読む順番を間違えるといけないのではなかったか…と思ったのだが、どうやら『月館の殺人』は新作で、つまり「原作書き下ろし」という体裁を採っているらしい。

 シリーズものは一気読みするに越したことはない、と思っている。以下続刊というものはそうも言っていられないが、一気読みすれば過去の作品に出て来た小ネタや伏線を、きちんと記憶に残したまま次に進むことが出来るからである。『月館の殺人』はどうも「館シリーズ」からは独立した作品のようなので安心だが、もしシリーズの一環だとすると、過去に読んだ「館シリーズ」のディテールをほとんど忘れてしまっているので非常に困る。今から全部読み返すというのも無理があるし…。
 今のところ、『月館の殺人』はギャグかシリアスかいまいち良く判らない、パリッパリの「鉄」ネタ満載なストーリーなのであった。一応「殺人事件」だからシリアス作品であるハズなのだが、佐々木倫子さん一流の「事件を突き放した視点で眺める主人公」のおかげで、関わるキャラたちの奇妙な点ばかりがクローズ・アップされてしまう、という現象が起きている。上巻ではいよいよ本筋突入といったところで終わってしまっているので、今月25日発売だという月刊IKKI10月号を買ってしまおうか悩んでいるのだった。

 過去に読んだ本の内容をコロリと忘れてしまうなど良くある「鶏アタマ」なわたしだが、1歳と3週間の姪っ子2号も(1歳児だから無理からぬことではある)、ものすごーい鶏アタマであることが判明した。10日に関西へ帰って行った妹から母のところへ連絡が入ったのだが、妹&姪っ子たちが父親である義弟君と合流した時、姪っ子2号は「知らん人発作」を起こして泣いてしまった、というのだ。
 姪っ子1号が赤ん坊の時はそんなことはなかったのだが、やはり赤ん坊にも個性があるようで、姪っ子2号はとにかく「知らない人」がダメである。母もわたしも中の妹も、初対面の時にはずいぶん警戒されて、うかつに抱き上げようものなら泣き出してしまう。髪をまとめているか下ろしているか、眼鏡を掛けているか外しているかでも「別人認識」するので、これはかなり厳格な個体識別である。しかも3日も会っていないとすぐ忘れてしまう。

 冗談で「ご夫君と会う時、顔を忘れちゃってたりしてね」などと話していたのだが、今回それが笑い話では済まなくなってしまったようだ。1歳児にとっての3週間というのはその人生における5%少々にあたる期間であり、わたしで換算すれば約2年ということになる。1度や2度会った程度の人ならば、2年会わずに居たら忘れちゃうかもしれないが、幾ら何でも同じ屋根の下で暮らした人物を見忘れることはないと思う。乳児の時期の記憶というのはそれだけアヤフヤなものなのだろう。
 とすると次にわたしが姪っ子2号と会う時も、間違いなく彼女は覚えていてくれる訳がない、ということになる。仕方のないこととは言え、ちょっぴり寂しい馬鹿伯母であった。

 不思議なのは、姪っ子2号が何故か家人にだけは最初から良く懐いた、ということである。「こんばんは」と言って部屋に入って行った瞬間だけは「誰やろこのおっちゃんは?」という顔をしたものの、あっと言う間に「知ってる人」認識したらしく、にぱーっと笑ってバンザイをし、自らよちよちと甘えに行ったりしていたのだ。
 その時も冗談で「体格が同じくらいだし、ひょっとしたらお父さんと間違えているのかもね」などと話していたものだった。今日母から聞いた話によれば、あながちそれも冗談ではなかったらしい。家人と初めて会った時は、状況とその場の面子などから「これはお父さんに違いない」という判断でもしたのだろう。妹のご夫君と再会した時にも、そうやって記憶の修正をして泣かずに居てあげれば良かったのに…。

 実の父親なのに、たった3週間会わずにいただけで「知らん人」判定されてしまうなんて、妹のご夫君も気の毒過ぎる。妹の話によれば、仕事が多忙なあまり子供たちの起床時間に在宅出来ないお父さんたちは、時々そうやって「知らない人」扱いされることがあるという。たまのお休みなどに「よーし今日はパパと遊ぼう!」と張り切ると、怯えて泣き出されてしまうこともあるらしい。
 一生懸命働いて疲れて帰宅しても、子供の寝顔を見ると1日の疲れが溶けて行く…などと言う男性陣も多いらしいのに、あまりに切ない男親さんの立場である。気の毒に…。

 いくら体格が似ているとは言え、家人と妹のご夫君を間違えるとは、姪っ子2号もかなりルーズである。しかし不思議なのは、女性に関しては相当に厳密な個体識別をしているらしい、ということだったりする。前述したように、眼鏡を外している顔と掛けている顔とでは「違う人」認定をするのである。母は「化粧を落としたら泣かれた」と苦笑していたし、わたしは風呂に入る時、髪を下ろして眼鏡を外したら泣かれてしまった。
 姪っ子2号くらいの乳児だと、人間の顔などというディテールは認識せず、ただ体格やシルエットなどの概容で個体識別するのだろうか。とすると母である末の妹に、例えばいきなり長髪のウィッグなどかぶせたら「おかーさんじゃない!」と認識するのだろうか。試しに末の妹に眼鏡を掛けさせてみたら面白かったかもしれない。まさか産みの母親を「知らん人」認定することもあるまいとは思うのだが…。

 視覚ではなくて匂いや声などで判別しているということも有り得るだろうか。そうと気付いていればいろいろ実験も出来たのだろうけれど、今となっては少々遅過ぎるのだった。来年正月に会う時には、もう人見知りをしないくらいに育っちゃっているだろうしなあ。赤子の神秘はどこまでも神秘なのであった。




08/15 終戦記念日

2005/08/15 15:37
 普段はあまり真面目にモノを考えないのだが、8月15日に読んでいるのが福井晴敏氏の『終戦のローレライ』第2巻だったりすると、やはりどうしても「60年前の今日」に思いを馳せてしまうのだった。某新聞の世論調査によれば、先の大戦を「間違いだった」と考える人の比率が「止むを得ないものだった」と考える人よりも多かったという。まずは同感である。
 一方で20代を中心に「戦争は今後もなくならないと思う」との意見も多かったらしい。理想に燃えていそうな若者に、そんな哀しい予想をさせるなんて、罪な世の中だなあとつくづく思う。しかし国内外の情勢も考えず、靖国神社に参拝して来る国会議員が40人以上も居るということ自体、「無自覚の罪」を証明しているのかもしれない。

 わたし本人は「戦争」はもちろん「戦後」も終わったと言われるような時期に生まれ育った。幸いなことに、餓死の危険性があるような食糧状態に陥ったことはない。「戦時中は食べ物がなくて大変だったんだよ」という話も、父や祖父母からオブラートに包んだ昔語りとして聞くのみである。
 本当に貧しかった時期、母はほんの赤ん坊だったので、本人にほとんど記憶はないという。ただし祖母は「乳の出が悪くて胸を引っ張られ、痛さと不憫さに泣いた」と話していたことがある。一方父はもうちょっと年齢が行っていたので、苦しかった時代の記憶もかなりはっきりしていたらしい。幼い弟と妹が居たのだが、2人共亡くなってしまったそうで、仏壇の位牌入れには「享年3歳」などと刻まれた板が納められている。

 父は弟妹の死を自分の責任として生涯辛く抱えていたふしがあった。詳しい状況はついに知らず、ぽつりと漏らしたことなどから想像するに、どうも「空腹に勝てず、妹の分のお芋(か何か)を食べてしまった」ことがあるらしい。それが直接の原因でなくても、兄とすれば「あの時のひと欠片の芋を食べさせていれば、あるいは…」という悔いが残るのだろう。
 あんまり悲し過ぎて1度しか観られなかった『火垂るの墓』がTV放送されるたび、父の心境を思う。辛過ぎて語れない体験だったのかもしれないけれど、亡くなる前に、1度ちゃんと話を聞かせてもらうんだったなあ。今でも時々巡る後悔である。

 弟妹を亡くした上、父親(つまりわたしから見ると父方の祖父)が乗った船が南洋のどこかで沈んでしまった。母親(つまり…中略…祖母)は戦後間もなく再婚したため、事実上、父は独りぼっちになってしまったらしい。叔父さんの家で育ったので、わたしらコドモの目からは複雑怪奇に見える親戚関係が形成されたのだった。
 大叔父夫婦は父を大学まで進学させてくれた。いとこたちには「兄ちゃん」と慕われたようで、わたしら3姉妹も父のいとこたちにはずいぶん可愛がってもらった。父も深く感謝しつつ、やはりどこかに何かしら複雑な思いがあったのだろう。盆暮れなど大叔父の家に挨拶に行くと、いつも言葉にし難い緊張感というか居心地の悪さを感じて、どうにも寛げなかった思い出がある(いやホントに大叔父夫婦にも可愛がってもらったのだが)。その辺もちゃんと語っておけよ、とーちゃん! と今さらながらに思ったりする。

 母方の祖父も戦場経験者である。どういう経緯か不明だが、シベリアで捕虜になっていた時期もあるらしい。シベリア抑留者の1人だったのだろう。周りでバタバタと人が死ぬ中、ネズミを喰って生き延びたのだと、酔っ払うたびにわたしらコドモに自慢したものである。
 わたしが物心付いた時には既に祖父は「酔うと手の付けられない大騒ぎをする困った人」だった。ウチに遊びに来てくれる時も、夜ともなれば大酒かっ喰らって深夜まで歌い騒ぎ、階上のお宅から苦情が…というのが常だった(当時は団地住まいだったのだ)。そんな祖父が酔いどれの大声で「わしゃーな、ネズミを喰って帰って来たんじゃ、がっはっは」と演説をしても、コドモらが真面目に取り合う訳もない。もうちょっとちゃんと聞かせてもらう機会を作れば良かった。

 きっとどこの家族にも、そういう「辛過ぎて今まであまり真面目に語れなかった戦争体験」を抱えている人が居るだろう。もう10年20年もすれば、語り手たちも彼岸へ召されて居なくなってしまうに違いない。TVの終戦特集番組や書籍からの知識ではなく、良く知った人物の生身の体験として、今のうちにきちんと聞いておかなくてはならないな、と思う。
 祖父も最近ではずいぶん穏やかになって、体力的にもさすがにあの割れんばかりの「がっはっは」は出来なくなった。今度大阪へ行ったら、1度真面目に祖父に「シベリアの話」をしてもらおうかな、と考えている。今さらで、ちょっと照れ臭いのだが。




08/16 地震、そして「鉄」話

2005/08/16 15:11
 ひと仕事終えて、CATVで放送された『ミニパト』録画を観ている時だった。眩暈を起こした時のような、ゆらゆらとした揺れを感じた。「座ったまま立ち眩みを起こしているのか?」と一瞬いぶかしみ、次の瞬間、キッチンの吊り電灯が揺れているのに気付いた。眩暈じゃないじゃん、地震じゃん。結構大きいじゃん(慌)。
 先月末『宇宙戦争』を観に行った帰りに遭遇した地震と、体感震度は同じ位だが、揺れの性格がまったく違う。今日の感じはむしろ、昨年の新潟県中越地震の時の揺れ方と似ている。ということはどこかで大きな地震があったのかもしれない。どこだろう。パソ通〜ネットのおかげで日本全国に友人知人が散らばっているので、天災の度につい心配になってしまう。

 『ミニパト』を中断してTVに切り替えると、震源地は宮城県沖だという。最大震度は6弱らしい。宮城県始め東北地方在住の友人たちの顔がぽこぽこと浮かぶ(実際にお会いしたことのない方々はイメージ画像)。皆さんご無事ですように(祈)。
 TVのニュースを付けっ放しにする。屋内プールで天井が落ちて20人以上が怪我とか、住宅が崩壊して中に閉じ込められちゃったとか、災難の知らせが続々と入っている。プールに来ていたのは夏休みということもあって子供が多かったらしい。折角夏休みの楽しい思い出が増えるハズだったのに、本当に気の毒である。怪我をなさった方たちが1日も早く良くなりますように。

 間の悪いことにUターン・ラッシュのピークが今日だったそうで、新幹線ほかの電車が軒並み運転を見合わせてしまったため、駅で途方に暮れる人々が映っていた。「どんぐりの過剰な王国」のBBSで時々お話したり、ウチの「閑古鳥掲示板」にも書き込んで下さったこともあるJemさんのお家では、ご夫君の力作Nゲージ・ジオラマが脱線・転覆してしまったらしい(ご夫君のショックは察するに余りある)。Jemさんの8/16の日記はこちら
 ホンモノの電車が事故を起こさなかったのが不幸中の幸いだが、帰宅するのに苦労したり、帰宅したら部屋が散らかってしまっていたり、これから大変な人々も大勢いらっしゃるのだろう。心からお見舞いを申し上げます。

 この「電車」という呼び方だが、ウチでは度々、家人のダメ出しを喰らう。CATVのとあるチャンネルで月曜日夕方から『鉄道のある風景』という番組を放送していて、家人は毎週楽しみに録画しては晩御飯タイムに眺めている。ローカル線を中心に、いろいろな地方の鉄道を紹介する30分番組である。付き合いでわたしも毎回観るのだが、出て来る車両がどれもこれも同じに見えるので困ってしまうのだった(汗)。
 走行風景やその土地の名物紹介の後、車両のディテール披露に移る、というのが毎回の時間割である。ナントカ系の車両の先頭を映し、運転席を映し、客席を映し、台車を映す。マニアな家人の目にはさまざまな特色が見えるのかもしれないが、わたしには、どこがどう違ってどう面白いのかサッパリ判らない。台車なんて形式で言われてもチンプンカンプンである。多少形が違うけど、どれも車輪とバネで出来てるだけにしか見えないよ…。

 新幹線の「ドクター・イエロー」とか、ロング・シートとクロス・シートの違いとか、運転席のブレーキ・レヴァーとマスコン(アクセル)の見分け方とか、家人の鉄趣味に付き合っているうちに判るようになったことも色々ある。基本的に好奇心旺盛な方なので、様々な方面に首を突っ込んで抜けなくなってしまうことも多い。しかし鉄道シュミだけは、なんぼ付き合ってもその魅力が良く判らないのであった。
 「鉄」は男性限定のシュミという訳でもないと見えて、友人の女性「鉄」には、田園都市線のモーター音だけで「これはナニ系」と判別できる人も居る。季節ごとの「スタンプ・ラリー」全駅踏破に燃える人も居る。佐々木倫子さん&綾辻行人さんの『月館の殺人(上)』の巻末解説によれば、相模鉄道の部品放出市で吊革をGETして、自分の部屋に設置し、時々ぶら下がって楽しむ(!)という方も居るらしい。一般的に考えられているよりは、女性の「鉄マニア」も多いようである。

 基本的には「乗り鉄」である家人も、今までに何度か「鉄グッズ」を入手しようかと思ったことがあるらしい。千葉に住んでいた時には「警笛」だか「ホーン」だかを狙っていたというし、今の在所に越して来てからも、田園都市線の部品放出市で「行先表示板」の出物があったので、もうちょっとで買うところだった、と笑っていた。朝の通勤途中だったので「はてこれを会社に持って行くのはどうだろう」と自制心が働いたそうである。じゃあ帰りだったら買ってたんかい(顰蹙)。
 ホーンにしろ行先表示板にしろ、想像よりはだいぶんでっかいだろうと思われる。そんなものを買って来て、しかも目に付くところに飾られたら鬱陶しくてタマランだろう。家人の「鉄シュミ」には同調こそしないもののかなりの理解をしているつもりなのだが、グッズを持ち帰るようになったら「元あったところに返して来るまでオウチに入れませんよ」と、断固たる態度を取る予定だったりする。

 朱に交わっても「非鉄」なわたしは、ひょっとすると「鉄適性」がないのかもしれない。昔、 O田急線に乗って通学していた時代、一番後ろの車両に乗るのが常だった。窓越しに運転席を眺めると、いろいろな表示ランプがペカペカと点いたり消えたりするのが見えた。中に1つ不思議なものがあった。「カ行」。かぎょう? 難しくて意味不明な用語の中で、1つだけ判り易いその単語は、しかしやっぱり意味不明。「ア行」も「サ行」もなしに、いきなりなぜ「カ行」なのだろう。
 ずーっと不思議に思っていたのだが、ある時家人に尋ねたらあっさり解決した。あれは「カ行」ではなくて「力行」であるらしい。文字で書いたら判りにくいが、読みとしては「りきこう」、つまりはアクセルの状態を示すランプだという。
 なるほど納得。鉄人間にはジョーシキらしい。しかし非鉄人間がアレをナチュラルに「りきこう」と読み下せる可能性はかなり低いような気がする(負け惜しみ)。

 「鉄」な家人と「非鉄」なわたし。相容れない2人は『鉄道のある風景』を観るたび「ねえこの電車は…」「それは電車じゃなくて軌道車、もしくはディーゼル・カー!」という会話を飽きもせずに繰り返すのだった。電車と軌道車の違いなんて、乗ってる人には関係ないじゃんと思うのだが、「鉄」な人々にはその名称の間違いはどうにも許しがたいものらしい。やれやれ。




08/17 猫に小判?

2005/08/17 12:37
 昨日の地震ではずいぶんたくさんの人が怪我をなさったようだが、不幸中の幸いとして、亡くなった方は居なかったようである。まずはその点ホッと胸を撫で下ろす。揺れの大きかった地域在住の友人・知人も、昨日中にだいたい消息を知ることが出来た。皆さん怪我もなくご無事だそうで安心した。
 それにしても例の室内プール、オープン後たった2ヶ月の施設だったそうである。新しいのにそんな体たらくではマズいのではないだろうか。下が水だったからまだ逃げ場があったようなものの、うっかりすると溺れる人が出たかもしれない。プール一面を覆った天井材の映像を見ると、直撃を食らったらヤバかったのではないかと肝が冷えた。今後賠償とか責任問題に発展するのは間違いなかろう。最初からちゃんと作っておけば良かったのに…。

 さて昨日の日記を家人に読ませてみたのだが、さっそく追加のダメが出てしまった。「軌道車」ではなくて「汽動車」だという。「ディーゼル・カー」を考えれば確かに納得するが、「汽動」なんてATOKでも一発変換してくれないマイナー用語ではないか。電車→線路→で連想すれば「きどうしゃ」と来たら「軌道車」と思うのが一般人である。しかしマニアとしてはやっぱり許し難いらしく「間違えて“軌道車”と呼ぶなんて、ディーゼル・カーに対して失礼だ」とニヤニヤしている。可愛くない。
 さらに「行先表示板」も、田園都市線のではなくて東京メトロのだ、という。何でも田園都市線〜半蔵門線が東武東上線(?)と相互乗入れ開始した時、(中略)な事情により「巻上げ式行先表示板」が不要になったため放出されたらしい。繋がってるんだから、田園都市線だろうが半蔵門線だろうがどっちでもいいような気がするのは、やっぱり非鉄人間のアバウトさなのだろう。

 地震後に止まってしまった新幹線についてもウンチクをひとくさりしていた。駅〜駅の間で立ち往生した車両から、乗客たちが徒歩で脱出する映像が流れたところで訊いてみる。「実はちょっとだけ“僕も歩いてみたいなあ”とか考えてるんでしょう?」
 実際に歩く羽目に陥った方々には不謹慎に聞こえるだろうが、そこがマニアの性分らしい。ニヤリと笑って「ちょっとね。…でも歩くんなら夏じゃない方がいいなあ」と贅沢極まりないことをホザくのだった。

 わたしから見ると時々異世界の住人に思えるそんな家人でも「TVチャンピオン・鉄道王選手権」とかにチャレンジしたら間違いなく予選落ち。家人からは「アニメ・SFおたく」呼ばわりされているわたしは、どっこいそんな大それたレヴェルには到底至っていない。マニア未満のウチら2人でさえお互いのことを「理解できん」と思っているのだから、まさに好事家の道は果てしなく遠く険しく奥が深いと見える。
 複雑な心境で居たところ、今朝のネット・ニュースの1つを読んで笑ってしまった。「“干からびたチーズ” 実は仏産高級品」というものである。

 郵政関連法案が参院で否決されたら衆院解散…という宣言を撤回してもらおうと、森前首相が小泉首相を説得しに首相公邸を訪れた際「寿司でも出してもらえるかと思っていたのに、出されたのは缶ビールとこんな干乾びたチーズだけでしたよ」と記者団に示した映像があった。ここ最近すっかりチーズにハマっているわたしは見るなり「ミモレットじゃん!」と叫んだ。ミモレットを「干乾びたチーズ」呼ばわりするなんて…と、ちょっとガッカリしてしまった。
 とは言えあの時は、単に森前首相がミモレットを知らなかったのか、それとも本当に「ミモレットが干乾びていた」のか不明だった。美味しいものを食べつけているだろう前首相がミモレットを知らないというのも、場所もあろうに首相公邸に置いてあるミモレットが干乾びるような管理をされているというのも、どちらも考えにくいことである。現実に「干乾びている」発言があったのだから、実際はそのどちらかだったのだろう。果たしてどっちなんだろうかと、実に些細なことながら、ずっと気にしていたのだった(阿呆)。

 ナチュラル・チーズの中でもミモレットは、どちらかというと癖がなくて食べ易い。チーズ初心者のチャレンジ向きなので、市販の「ナチュラル・チーズ盛り合わせ」などにはほぼ必ず入っている品である。ニンジンのようなオレンジ色をしていて、「カラスミのような」と評される独特の旨味と甘い香りを持つ。熟成6週間で食べられるようになるが、高級品になると18ヶ月とか2年とか熟成させる。熟成が進むほど固くなるが、その分風味も増して美味しくなる。
 森前首相が「歯が立たなかった」とコメントしていたところから想像するに、熟成12ヶ月以上のヴィエイユだったと思われる。こういうのは食べ易いように薄〜くスライスするものだし、TVに映っていたのもそんな感じだったのに、「干乾びた」なんてミモレットが気の毒過ぎる。お店で買ったら800〜1000円/100gとかするんだぞぅ(力説)。
 ビールにも白ワインにも日本酒にも合うし、もちろん料理に使っても美味しい。わたしも大好きだが、如何せんお高価いので、滅多に口にすることはない。ヴィエイユならさらに高嶺の花である。

 小泉首相のケチ臭さを強調しようとして引き合いに出したアイテムが、実は高級品でした、というオチにはやっぱり笑いが込み上げる。森前首相がミモレットを知らなかったのか、首相公邸のミモレット・ヴィエイユが干乾びるような管理をされていたのか、結局どちらが真相なのか不明だが、個人的には前者ではないかと思うのだった。
 別にミモレットを知らないからどうだということもないし、口に合わなかったのなら仕方がない。美味は値段に比例するものでもない。とは言えミモレットを「干乾びたチーズ」呼ばわりするのは、「大物政治家の教養」的には迂闊と言わざるを得ない。よそで出された飲食物にケチを付けるとは、お行儀という点から考えてもペケである。失言で鳴らした前首相、お流石である。

 小泉首相がこういう事態を狙ってミモレットを出したとしたら相当なイケズだが、ネット・ニュースを読む限りではそういうことでもなかったらしい。ご自分も「チーズの名前を知らなかったんだけどね」とコメントしたそうだが、果たして本当だろうか。実はチーズ・マニアだったりして(まさかね)。
 きっと森前首相も、落ち着いた和やかな酒の席でミモレットを出されたら、味わいつつ口にして「美味しい」と感じたに違いないと思う。和やかとは言い難い席で供される食べ物は不幸である。味覚は心理状態に大きく影響を受けるものなのだな、食事の席の雰囲気はやはり大切にせねばならないなあ、そんなことを考えてしまった。




08/18 のばっ?

2005/08/18 15:51
 「軌道車」を「汽動車」と訂正し、よしこれでOKだと思ったのでまた家人に昨日の日記を読ませてみた。自信満々だったのだが、家人は「ちっがーう、キドウシャだよキドウシャ!」とまた憤慨している。はてワタクシ何を間違えましたのかしら? 昨夜の晩御飯中にアナタが話した「キドウシャ」の表記説明を聞いたら、ワタクシの脳裏には「汽動車」という字がぺっかりと浮かんだのですけれど?
 騒ぎつつ家人はWikipediaのとあるページを開いて指し示す。その指の先にある文字は…「気動車」。

 ちょっと待て。「ディーゼル・カーはキドウシャと呼びます」という言葉を聞いて、「気動車」を想起する一般人が果たしてどれだけ居ると思っているのだ。キドウシャ→レール→軌道車とか、キドウシャ→しゅっぽしゅっぽ→汽動車とか連想するのが自然ではないか。フェリー会社のことを「ナントカ汽船」と呼んだりするから、蒸気機関で動いてなくても「汽」の字は使えるのだと思っても不思議はないではないか。
 だいたいディーゼル・カーが「気動車」って全然イメージちゃうやんか。「気動車」って何だと思いますか? と街中でアンケート取ってみたらいい。きっと非鉄人間の8割以上が「ホヴァー・クラフト」と答えるに違いない。

 ともかくあまりに意外な表記だったので驚いてしまった。どうりで「汽動車」を確認しようとしてWikipediaを検索しても出て来なかった訳である。Yahoo検索で引いたら400件足らずのヒットで、予想外に少なかったので不審にも思った。とは言えイメージ的に「軌道車」でなければ「汽動車」に違いないとアタマから思い込んでいたので、「ディーゼル・カー」で調べ直すことさえ失念していたのだ。油断大敵火がボーボーとはこういうことを言うのだろうか(悔しい)。
 だいたい「鉄」用語にはこういう、字は易しいのに意味が難しいというものが多過ぎる(顰蹙)。カ行もとい力行だって「アクセル」でいいではないか。家人によればO田急運転台には表示が4つあり、「力行」と「制動」と「フルステップ」ともう1個何かだったそうである。確かにそんなような言葉だったとわたしも思い出す。「制動」はともかく、後の3つは本当に意味が判らなかったんだっけ。「フルステップ」がOKならば判り易く「アクセル」って書いておけばいいのに。でなきゃせめて「加速」とか。

 そんな一幕の数時間後、家人が面白いネット・ニュースを見つけて大笑いを始めた。「英語が読めたら…露海軍、説明書読めず潜水艇救出失敗」というものである。今月4日、ロシアの潜水艇がカムチャツカ沖の深さ190mの海中で密猟者の網やロープに引っ掛かり、自力浮上できなくなってしまうという事故があった。イギリスの無人潜水艇「スコーピオ」が助けに行って、プロペラに絡まっていた諸々を無事切断、80時間後に7人の乗組員全員が救助された、という。
 2000年には原子力潜水艦「クルスク」が沈没し、外国への救難要請が遅れたために118名が亡くなるという悲劇もあったが、それを教訓とした今回は迅速な対応が7人を救ったメデタシメデタシ…で終わるハズだったがそうはならなかった。イギリスが助けに行く前に、ロシア海軍は自力で何とかしようとしていたらしい。ちゃんと高性能の無人深海救難装置とやらもイギリスの企業から買い付けてあったのに、マニュアルが英語だったので誰も読むことが出来なかった。「どのボタンを押せばいいのか判らない」状態で弄っていたのだろう、結局壊してしまったらしい。悪いけど爆笑である。

 ロシア海軍総司令官代行のウラジーミル・マソリン大将は、ロシア特有のいい加減さがこういう事態を招いたとカンカンだそうである。ロシア人が杜撰かどうかは措くとして、全世界にみっともない内情を暴露してしまったのだから、エライさんが怒るのも無理はない。とは言え「高性能無人深海救難装置を買った後、誰もマニュアルの翻訳を命じなかったのだろうか」とか「せめてどこかの軍港で、救難訓練というか実地演習はやらなかったのだろうか」という疑問も沸く。
 翻訳出来る人間が居なかったとか演習にはお金が掛かるとか、きっとそういう事情があったのだろう。けれどその辺をうっちゃっといたのなら、上層部の人間も同罪だという気がする。救難装置を搭載した水上艦の艦長が「職務怠慢」容疑で取り調べを受けているらしいけれど、現場の人間だけに責任を押し付けるのもちょっとズルいなあ。

 たぶん、ロシア海軍の人も、まさか土壇場でマニュアルが読めないなどという事態に陥るとは思ってなかったのだろう。おそらく皆さん多少は英語くらい心得があっただろうし、油断したのかもしれない。けれどもちろん他国語のマニュアルを甘く見てはいけなかったのだ。
 大昔、とある装置のマニュアル翻訳を請け負ったことがある。大学や研究所の実験室で似たような機械を扱ったことがあるから、それほど難しくないだろうと思って気安く引き受けたのだが、これが大失敗だった。似たような機械でも別モノは別モノ、各分野で微妙に違う専門用語に手も足も出ないのである。文字通り、書いてあることは読めるが意味が判らん、ということになってしまった。

 たぶん、今回の無人深海救難装置のマニュアルも、似たような状況だったのではないだろうか。ちょっとやそっと「心得がある」程度の人間に太刀打ち出来るものではないに違いない。「鉄」用語にしたって「ディーゼル・カー」が「気動車」になるのだから、キイ・ワードとなる単語がハテナだったらあっという間に立ち往生するだろう。
 問題の装置のマニュアル、事前に読んでみた人間が絶対に居るハズだと思う。その人が「こりゃタマラン」と思ったとしたら上司に報告するだろうし、上司は別のセクションに翻訳してもらう算段を取るだろう。どこかで不手際があったからこういうことになったのだろうが、それにしてもチェック体制も実地演習もナシというのは、現場だけでなくシステム全体のミスである。

 たまたま昨日読んでいたのが『終戦のローレライ』第2〜3巻だったので、妙にタイムリーである。岩礁に沈んだナーバルや、「伊507」のあちこちにフリッツ少尉が貼り付けた「ロヲレライ」「カンシバン」「ヘンジョ(便所の書き間違い)」などのお手製翻訳札を思い起こし、もうちょっと頑張れロシア海軍、と思うのだった。




08/19〜21 ちょっとお出掛け

2005/08/18 15:55
 明日から3日間、神戸在住の家人の叔母様方の新居訪問や、菅平の早稲田 vs 関東学院大学ラグビー夏のオープン戦観戦のために留守にします。ひょっとしたら通信環境があるかもしれず、そうしたら更新も出来るかもしれませんが、とりあえずお休みのアナウンスをいたします。
 春は予想外の快勝だったワセダはどう戦うか、復帰した曽我部佳憲選手の調子はどうか、見所満載です。




08/20 上田の宿より

2005/08/20 22:45
 どうやら繋げられるようなので、試しに宿から日記をアップしてみようと思う。無事に転送できるだろうか。

 昨日、家人の叔母さま達が住まう新居を訪問しに神戸に入った。義弟君と3人である。義理の祖母が亡くなった後、叔母さま達はそれまでの家を畳んで新しくマンションに越したのだった。窓からの夜景が美しい、港近くの新築物件で、駅から至近かつショッピングにも困らない、住み易そうな場所だった。ううむやっぱりいいなあ、新しいおうち…。
 新居訪問と義理の祖母のお墓参り以外にも目的はある。叔母さま達が越したのは5月なのだが、それから今に至るまで、TVとヴィデオのセッティングが終わっていないらしい。ついでにノートでいいからPCも欲しいとのことだったので、家人と義弟君がTV&ヴィデオの接続とセッティングを行ない、近所の電器店に赴いてノートPCとプリンタその他を買う…という任務があったのだった。

 お墓参りは順調に済んだのだが、買い物が予想外に手間取ったので、今日の宿に着くのがこんなに遅くなってしまった。明日は朝早く早稲田合宿所付属のグラウンドに行って場所取りをせねばならない(これが結構大変)。予定では6時起床、6時半出発である。とっとと風呂に入って寝ることにしよう。

 昨日の東京〜神戸のルートでは義弟君も乗っていたので運転席には座らなかったが、今日は試しに名神高速道路と中央高速道路で合計70kmほど運転してみた。たったそれだけの距離だが、そして高速道路の運転はむしろ好きな方なのだが、それでもメチャクチャに緊張した。運転後は緊張のあまり、手から指先や足先が氷のように冷たくなってしまうのである。情けない…。
 名神ではそれほどビビらなかったが、中央高速はちょっと怖かった。名神より走り慣れていないことに加えてカーヴの多い地形、さらに時間帯が薄暮だったので、だいぶオロオロしてしまった。もうちょっと練習する機会があればマシになるのだろうが。

 家人に運転を代わって助手席に納まり直した後、驚異的に大きな月が昇った。真っ暗な山々の向こうに広がる雲の中では稲光が閃いているのが見えたりして、何とも美しい光景だった。運転しているとこういう景色に目をやる余裕がないので、わたしはやっぱり助手席の方が好きである(気楽なものだ)。
 家人は大概追越し車線を走るのだが、走行車線のクルマをゆっくり追い越す際、わたしは時々、その運転席に居る方がどんな人だろうか…と思って、じっと眺めることがある。面白いことに、そういう時かなりの確率で、ドライヴァーさんが振り返る。斜め後ろからの視線を、運転中の人がどうやって感知するのだろうかと、常々不思議に思っていたりする。

 そういえば街中でも、背中にふと視線を感じて振り返ると、知らない人とついうっかり目が合ってしまうということがある。街中で好みの服を着ていらっしゃる人とか知り合いに似ているかな? と思える人を見つめていたら、相手が振り返って目が合ってしまい、気恥ずかしい思いをしたこともある。
 背中に目はもちろんないし、視線に物理的質量がある訳もない。どうして人は、背後からの他人の視線に気がつくことが出来るのだろう。
 こういう時にはついつい「テレパシーって本当にあるんじゃ…」と思ったりしてしまうのだった。きっとそういう超心理学的なものではなく、もっと合理的な説明があるのだろうが、小学校の時に『七瀬ふたたび』を読んでアタマの天辺までハマったわたしとしてはやっぱり夢を見てしまう。

 「どうして人間は背後からの視線に気が付くことがあるのかなあ」と言ったら、義弟君に「毒電波飛ばしてたりして」と混ぜ返されてしまった。もしかしてホントにそうだったらどうしよう。ぐうの音も出ないとはこういうシチュエーションである。
 毒電波はともかく、背後からの視線に気付くメカニズムとは本当にどういうものなのだろう。人間の視界は思った以上に広いのか、それともやっぱり、視線というか人間が向ける「意識」には、何か物理的エネルギーがあるのだろうか。気になるなあ。




08/21 夏のラグビーオープン戦・早稲田大学 vs 関東学院大学 その1

2005/08/22 12:00
 結局朝起きたのは5時半。ざっと身支度をして宿を引き払ったのは6時、コンビニに寄って朝と昼に食べる食料やお茶などを買い込み、早稲田大学の合宿所に到着したのは6時半である。去年と同じく、家人は駐車場の開き待ち、わたしはレジャー・シートを手に観戦の場所取り担当となる。駐車場待ちでは1番乗りだったが、グラウンドの観戦場所は既に3割ほどが埋まっていて愕然とした。
 グラウンド脇の南斜面に雛壇が設けてあり、観客はそこに陣取る訳である。当然だが上の段ほど俯角が付くので観戦し易く人気も高い。わたしが車の中で朝御飯を食べてから駆け付けると、既に最上段は1ヶ所を除いて全部場所取られ済み。花見時の隅田公園の朝のごとく、ブルー・シートや段ボールでぎっしりである。

 かろうじて2人分空いていた最上段のスペースにレジャー・シートを敷き、重石で押さえてクルマに戻るというのも何なのでそのままボーッと過ごす。7時前の高原の風は涼しいを通り越して寒いくらいである。
 後に判明したのだが、その空いていた場所というのも、先乗りした人が置いて行った段ボールが強風に飛ばされてどっかに消えてしまい、たまたまポッカリ空白になっていた、というだけであった。早い人だと5時半には場所取りに来ていたらしい。それから一端宿に帰って朝食、身支度…という段取りだったという。さらにワセダラグビー部の部員さんが、ご両親や関係者に頼まれて、前日夕方頃に場所取りを済ませていたらしい。広げてあるシートを良く見ると「東京23区指定ごみ袋」を切り開いたものだったり、さらにそれを押さえている重石は筋トレ・マシン用のウェイトだったりするのだった。

 つまり本当に一番いい場所で観たい、と思ったら、前日に現地入りして場所取りしておくしかない。そこまでするのもちょっとどうかという気がする。しかし去年も言われていたことだが、本当に毎年だんだん動き出すのが早くなるので、来年はいったいどういう騒ぎになるのか不安だったりする。いっそのこと近所にあるサニア・グラウンド(名称不確実)で、入場料を取って開催してくれないだろうか。そうしたら女性用お手洗いの恐ろしい行列も解消できると思うのだが…。
 最初の試合開始時間が10時半。1試合で正味90分はかかるので、単純計算して4試合で6時間。その長丁場を座り通す根性のある人は、朝5時半起動もなんのそのなのだろう。WASEDAのロゴ入りキャップを被ってアイデンティティを示していたせいか、通りすがりの部員さんや観客さんたちから気軽に挨拶をしていただき、軽いおしゃべりにも興じることができた。皆さんお住まいは東京だの横浜だのと首都圏が多い。ホンットーにみんな物好きだよなあ、と思うが、その内の1人は紛れもなく自分自身である。

 朝8時半には雛壇はほぼ埋まった。後は隣の斜面で傾いて座りにくい地面を我慢するか、グラウンドに降りてピッチ脇に陣取るかしかない。ピッチ脇は一見特等席に思えるが、実はフラットで俯角がゼロなので、試合観戦にはあまり向いていないのである。特に今年はレジャー用パイプ椅子のグラウンド使用禁止が徹底されていたようで、地面に直接座って観るしかなかった。VIP専用に特設櫓があるけれど、もちろんそこは一般の観客の立ち入る余裕はない。気の毒だけれど、プレイ中にピッチを飛び出した選手たちがパイプ椅子に激突したら間違いなく大怪我をする。その危険性を考えたらパイプ椅子禁止も已むを得まい。
 今回ウチと隣り合わせになったのは、横浜からいらしたという年配の男性2人連れと、もう片側はやたらにワセダ部員たちに詳しい女性だった。この女性はどうやら上井草に日参していると見えて、選手の個体識別バリバリである。そういえば今年2月に諸岡組の追い出し試合で上井草に行った時、確かに見掛けた人だと思い出した。
 いつもの大判バスタオルをアタマからすっぽり被った奇天烈なわたしの姿を「それはいいお考えですね、来年からわたしもそうしましょう」と仰るなど、どこまでお世辞なのか判らないながら非常に物腰穏やかで丁寧な言葉遣いの方だった。ラグビー観戦のポイントも押さえていたので、一緒におしゃべりしながら観るのは本当に楽しかった。また上井草などでお会い出来るといいなと思う。

 予定では開場9時だった駐車場も8時少し過ぎには開いてしまった。1番乗りだったので、席から非常に近い良い場所に駐めることが出来てラッキーである。そしてクルマの誘導係はなんとLOの内橋徹選手だったので驚いてしまった。6月の春のオープン戦で負傷・手術などと大変だったので、今回は先発メンバーにもリザーヴにも入っていないが、元気そうな姿を見ることが出来て安心した。負傷箇所は確か右足首だったのだが、見た感じではもう包帯もサポーターも巻いていなかった。10月には復帰出来るだろうという予想なので、再びピッチで彼のプレイを見られる時が楽しみである。
 9時半頃だったか、早めに済ませておこうとお手洗いに行ったら、その隙にSO・曽我部佳憲選手が近くを通って挨拶していった、と家人が言う。し、しまったぁぁぁぁ(涙)。去年は試合後に大贔屓のWTB・首藤甲子郎選手にばったり会ってサインをねだるのに成功したので、味を占めてちゃんと応援旗(2005年シーズン用に新しいものを買った)とサインペンを持参したのに、チャンスを逃してしまった。がっかりである。

 28日に録画中継があるとかで、J-SPORTSのカメラ用クレーン車が来ているわ、試合中11時半頃にかなり大きな地震があって驚くわ、去年と同じく第4試合のCチーム戦あたりから雨が降って寒くなるわ、今年も小さなハプニングには事欠かなかった。
 後泊した去年と違い、試合終了後はすぐさま帰宅の途に着いたので、今年は首藤選手や曽我部選手、FBの三原拓郎選手を探す暇がなかった。旗とサインペンの用意は無駄だったが、チームが合宿所を畳んで下山する9/5以降、折を見てまた上井草に赴くことにしよう。家人には「勝手にしてくれ」と呆れられているのだが。

 待ち時間を含めたら10時間近くも硬い地面に座っていたので疲れ果て、帰りの車内では思いっ切り寝倒してしまった。横川SAで晩御飯を食べた辺りまでは起きていたのだが、その後は家に到着するまでほとんど意識がない。途中25kmもの渋滞があったらしいし、首都高速でもかなり混んでいたそうで、家人には気の毒なことをしてしまった。こういう事態を防ぐには、やはり後泊して一晩しっかり眠ってからの方がいいのだが、家人はむしろ、多少無理して帰ってからゆっくりした方が楽だ、と言う。
 来年もまた菅平に行くつもりなのだが、その時は頑張って起きていられるようにしよう(と、確か去年も思ったのだが)。とりあえず試合内容は次号に続く。




08/22 夏のラグビーオープン戦・早稲田大学 vs 関東学院大学 その2

2005/08/22 12:50
 ということで第1試合はワセダDチーム vs カントウDチーム。試合開始後6分には左WTBの川口真一選手がトライを決めるなど、ワセダ好調な滑り出しである。スクラムでもモールでもFWでカントウを圧倒していたので、その分BKが気持ち良く走り回ることが出来たようだった。その後も14分、17分、32分、40分にトライ、コンヴァージョン・キックもすべて決まった。カントウを1トライに抑え、前半だけで試合を決定付けた。
 後半は風下になったので勢いが落ちたものの、1分、24分、37分に追加のトライ。カントウには19分と22分に2トライを許したものの、まずは上々の出来である。後半15分に故意のオフサイドでカントウがシンビン(10分間の退場処分)を受けたが、練習試合ということでワセダの申し入れにより15人に揃えた。あれがなかったら、ひょっとすると後半のカントウのトライもなかったかもしれない。
 目を引いたのは右WTBの高木亮太選手のプレイス・キックだった。トータル8トライのうち7つでコンヴァージョンを蹴って、全部決めていたのに感心。まだ2年生なので、今後が楽しみである。

 第2試合はメイン・イヴェントのワセダA vs カントウA。前の試合でDチームが56対21と快勝したのだが、その勢いが最初はなかなか出なかった。3分にモールで、14分にSO・久木元孝成選手の突破でトライを奪うものの、カントウがライン・アウトを修正して来た前半の後半はまるで精彩なし。34分にはトライ&キックを決められて12対7で折り返した。

 後半開始早々2分、カントウに逆転のトライを奪われる。これはもしかして負けてしまうかと思ったが、そのトライが起爆剤となったのか、14分、17分、19分に立て続けに3トライを決め再逆転。特に17分のトライは大贔屓左WTB・首藤甲子郎選手の復帰後初トライだったので熱狂してしまった。さらに19分のFB・五郎丸歩選手のトライはノー・ホイッスル・トライである。
 39分にも左WTB・田中渉太選手がトライを奪って試合を決定付けたものの、インジュアリー・タイムの42分にはカントウ右WTB(確か)・北川智規選手にトライを決められてしまった。後半の後半、圧倒的展開にケチを付けた形となり、今年1月の大学選手権優勝決定戦同様、土壇場で守り切れない詰めの甘さが出た。

 不安材料は結構たくさんあって、まずFWにあちこち綻びがあった点。ライン・アウトなどのセット・プレイで若干ミスが目立ったり、スクラムを押し切れていなかったりが気になった。しかし最大の問題点はやはりハーフ団で、春のオープン戦でも思ったことなのだが、SHの選手とSOの選手との意思疎通があまりにも弱い。せっかく素晴らしいBKメンバーが居るのに、そこまでボールを回さずにハーフ団が中央強行突破ばかり狙うので、ラインが機能していないのである。
 後半途中からハーフ団が普通にボールを回すようになったため、きちんとBKが活きる展開となった。どちらかというとこのシーズンのワセダの持ち味はやはり「FWで圧倒してBKが掻き回す」ことだと思うので、ハーフ団にはコンセプトをしっかり理解してもらえたら、と思う。曽我部佳憲選手がAに上がって来たらまた違うだろうが。

 第3試合はワセダB vs カントウB、話題の曽我部選手は後半から登場した。前半SOを務めた高橋銀太郎選手も良かったが、やはり曽我部選手の存在感は圧倒的で、ブランクを感じさせないボール捌きに惚れ惚れする。右膝の靱帯を故障したので、まだランとタックルには不安が残るらしくあまり動いていなかったが、正確で安定したロング・パスは健在。綽名の「キング」に恥じない活躍だった。「王の帰還」を讃えよ♪
 SH・茂木隼人選手、三井大祐選手も良かったし、左WTB・巴山儀彦選手、CTB・須藤昭洋選手、怪我から復帰の平野進也選手、池上真介選手、右WTB・菅野朋幸選手、高津雄矢選手もFB・大野雄也選手も良かった。早い話がBK陣は全員素晴らしかった。Aチームの選手たちはうかうかしていられない顔触れである。
 チームとしてのまとまりはBが一番良かったと思う。カントウのBがやや不調だったこともあり、この試合はなんと45対0で完封してしまった。Bで完封というのは、今後、大学選手権に向けて非常に大きな意味を持つのである。

 最後はワセダC vs カントウC。この試合の注目はSO・長尾岳人選手とCTB・佐藤晴紀選手の1年生コンビである。噂通り、長尾岳人選手の司令塔ぶりは素晴らしく、佐藤晴紀選手は6本のコンヴァージョン・キックのうち5本を決めるという活躍を見せた。ご贔屓のFB・三原拓郎選手がもうちょっと活躍してくれると嬉しかったのだが、まあそれは今後のお楽しみである。
 14対14で折り返した後半開始早々トライを奪われ、13分にはPG(ペナルティ・ゴール)を決められてリードを許す苦しい展開。しかし「せめて1試合は勝ちたい」という気持ちが現れたPGが起爆剤となり、逆にワセダは後半15分、17分、27分、31分に4トライを奪って40対24で逆転勝利を収めた。後半の後半はそれまでとは打って変わった活き活きとした雰囲気だったので、Cチームも「乗せたら怖い」チームである。今後の課題としては、そのテンションを常に保ってゲームに臨めるかという辺りかもしれない。

 そんな調子で、気が付けば今年も4タテの完全勝利。試合後、選手たちが勝利の雄叫び(というか鬨の声?)を上げているシーンが格好良かった。やっぱサインもらいに試合後ウロウロしたかったなあ(未練)。
 しかし何より嬉しかったのは、やっぱり首藤選手と曽我部選手の復帰後の好調ぶりを観られたことである。特に曽我部選手の怪我は随分長引いていたので感動も一入。これでAに上がった暁には、曽我部・今村・首藤の黄金トリオが復活する。田中渉太選手や谷口拓郎選手も好調だし、向かうところ敵ナシの最強BK陣となるだろう。楽しみ♪。

 というところで久しぶりの「今回の理想のバックス陣」。

SH:茂木隼人選手
SO:曽我部佳憲選手
左WTB:首藤甲子郎選手
インサイドCTB:須藤明洋選手(もしくは谷口拓郎選手、平野進也選手)
アウトサイドCTB:今村雄太選手
右WTB:田中渉太選手(もしくは菅野朋幸選手)
FB:五郎丸歩選手




08/23 意思表明って難しいなあ

2005/08/23 15:46
 5月19日の日記にも書いたあのピアノ・マン氏が、実はインチキだったということをネット・ニュースで読んだ。オドロキである。非常に手の込んだ売名行為である可能性はあるものの、まさかここまでシンプルに「お芝居でーす、全部ウソでーす」な着地をするとは思っていなかったからである。
 とは言えニュース・ソースが英国大衆紙のデイリー・ミラーだそうなので、中身が多少興味本位な方向へ捻じ曲がっている恐れもある。どこまで本当かさっぱり判らないが、ピアノ・マン氏ご本人は既に退院し、ドイツに帰国したらしい。ドイツ外務省あたりのコメントが出ていたようだが、とすると少なくとも「ドイツ人」というのは本当なのだろうか。

 ピアノ・マン氏が入院していた病院側の公式のコメントとしては「守秘義務があるので何も言えない」というところらしい。まあ当然の対応だろうと思うが、とすると、今までさんざん報道されてきた「ピアノの腕前はプロ級」とか「チャイコフスキーの“白鳥の湖”やビートルズの“Across the Universe”を弾いた」とかも全部でっち上げだったのだろうか。今度は打って変わって「ピアノを弾くと言っても、同じキイをずっと叩いていただけ」という話も出て来たりして、何がどうなっているのやら…。
 割に最初の方から「プロ級というのは大袈裟な表現だ」等の追加情報も出ていたようだが、それにしてもこういう話を見聞きするたび、噂とは恐ろしいなあ、としみじみ思う。まさか本当に「同じキイを叩いていただけ」が「プロ級」に膨れ上がったのだとすると、文字通り針小棒大である。

 不可思議なのは、病院側は「守秘義務があるのでウンヌン」とコメントしているらしいのに、ピアノ・マン氏についての相当詳しい個人情報が流れていることである。出身地や来英理由はともかく、家族構成その他の個人的事情など、今回の騒ぎにはまったく関係ないことではないか、と思う。まったくプライヴェートな点を興味本位に騒いでいる気配もある。他人事ながら不愉快に感じずにはいられない。
 全部でっち上げなのだろうか。それともどこかから漏れた話なのだろうか。もしも病院の職員の誰かに打ち明けた話が暴露されてしまったのだとすると、半分自業自得とは言え、余りにも気の毒な話である。本当に記憶喪失が芝居だったとしたら、フリをしたままタダ飯食って4ヶ月というのは相当に人騒がせで迷惑ではあるものの、それとは無関係な個人的事情までつつき出して良いということにはならないハズなのに…。
 ピアノ・マン氏の本心がどうなのか知る由もないが、全部デマにしても全部本当にしても、暴露されたことはご本人には辛かろう。元を正せば自分の引き起こした騒ぎなので、馬っ鹿だなあ、言わんこっちゃない、とは思うが。

 情報伝達手段としての「言葉」が不完全である以上、ある意味仕方のないことではあるが、何か言うにしてもやるにしても、周りの誤解ないしは拡大解釈を念頭に置いてでなくてはならないのだろうか、と窮屈に感じることもある。今回のピアノ・マン氏の「身の上話」流出にしてもそうだが、先日、「選挙に行かないのは政治に対する抗議表明である」という人と話したことを思い出したからでもある。
 今までシンプルに「投票率の低さはイコール政治に対する諦めもしくは無関心の表れである」と思い込んでいたので、「抗議の意味で敢えて投票しない」という選択肢があるとは気が付かなかった。他にもこういう理由で投票しない人が多いのだとすると、その人たちは周囲から、ある種の無責任もしくはサボりであると思われている訳で、少々気の毒かもしれない。

 とは言え、個人的にはやはり、「抗議の意味で投票しない」という行動は、あまり賢明ではないようにも思える。投票しないということは、1:政治に無関心 2:誰がやっても同じと諦めている 3:抗議の意味で棄権 の、少なくとも3通りの解釈が出来る。問題は傍目には、投票しない人の真意が1〜3のどこにあるのか判らないということで、投票しないという選択肢が「全権委任」の意味合いに受け取られてしまう、という現実である。
 そもそも何かに抗議するということは、抗議の意思が誰か他の人たちに伝わらないと意味がない。正当な権利である投票権を行使しないというのは、なるほどある意味消極的な抗議の手段ではあるかもしれない。しかし解釈として「投票率の低さは政治に対する不満の表れだ」より「投票率が低いのは誰がやっても同じと諦めている→勝手に誰にでも決めてくれ」と受け取られてしまう可能性の方が高いと思う。『ルパン3世 カリオストロの城』ではないが、「異議なき時は沈黙を以って答えよ」というのが多数派なのだろう。
 何をやっても周囲に誤解されるのは仕方ないとしても、これは余りにあんまりな誤解である。出来れば避けたいと思うのが人情なのではないだろうか。「抗議である」と言いつつ、やっぱり単に面倒臭くてサボってんじゃないの? と言われても反論出来ないし。

 本当なら、選挙そのものに抗議する意思表示の手段があれば良いのだろう。今はシステムとして無効票と白票が同じ扱いになっているらしいが、例えば「白票が全投票数の20%を越えたらその選挙そのものが無効」という決まりでも作れば、「抗議の意味で投票しない」人と「面倒だから投票しない」人を判別出来るようになるかな、と思ったりする。
 個人的に「あったらいいな」と思っている投票のシステムとしては、「マイナス票」の導入がある。立候補者のうち、「この人を応援します」という人物が居ればその人にプラス票を投じれば良い。しかしそういう人物が思い当たらなくて、逆に「こいつにだけは権力なぞ持たせたくない」と思う場合、その立候補者にマイナス票を投じるのである。もちろん1人の有権者につき、プラス票かマイナス票どちらか1つだけの行使しか認められない。
 開票作業では、普通のプラス票からマイナス票を差し引いて、トータルでポイント数の高い人を選出するのである。もしかしたら以前の日記にも同じことを書いたかもしれないが、こういうシステムがあったら、抗議の意思表示もし易くなっていいのにな、と思う。

 そういえば同じく「候補者のうち、自分の1票を入れてもいいと思えるヤツなんか居ない」場合、やはり抗議の意味で「絶対に政権を握りそうにもない政党、もしくはその政党所属候補者」に投票すると言う人が居た。こういうのも死に票になってしまうのは同じだが、似たようなことを考える人が沢山居た場合、いつもならミソッカスな政党やそこの所属者の得票率がガーンと上がったりすることも有り得る訳で、面白い選択肢だと言えなくもない。
 全然支持してもいない政党のシンパと思われても困るから、個人的にはそういう手段は選ばないと思うが、少なくとも「抗議の意味を込めて投票しない」という行動よりも建設的な気がする。マイナス票のシステムがない現状では、これが一番過激な抗議行動なのだろうか。

 ともあれ毎回少なからぬ額の税金が注ぎ込まれる選挙なのだから、「全権委任でいいです」という場合以外は、やっぱり投票には出掛けるべきだろうと思う。投票にさえ行かないで政治に不満を漏らしても、あまり説得力のある言葉にはならない気がする。投票したくても出来ない在外邦人や、日本で生まれ育って税金も払っているのに選挙権がない在日外国人の歯痒さを考えれば、「抗議の意味で不投票」などちゃんちゃら可笑しく思えるのだが…。




08/24 名前いろいろ

2005/08/24 15:59
 自分の本名が気に入らない、というと、まるでいわゆる「厨房・工房」のようであるが、子供の頃からずっと、できたら「子」で終わらない名前だったら良かったのに…と思っていた。旧姓は漢字2文字。命名者は父だったのだが、その時の経緯が結構いい加減で、「女の子だから美と子が付く名前が良いだろう。苗字とのバランスを考えたら漢字3文字」というイージーなものだったらしい。小学校の頃に宿題で「自分の名前の由来を訊いて来ること」という課題が出された時、由来もへったくれもないではないかと随分ガッカリした覚えがある。
 3姉妹、名前に付く「美」の字は段々下に降りて行った。中の妹は3文字の真ん中が「美」、末の妹は3文字のラストが「美」である。最初から狙ってやったのならまだ格好いいのだが、これも結果論としてそうなっただけらしい。個人的には、例えば花の名から「百合子」とか「茉莉子」のように、せめて3文字全体で1つの意味を示すような名前だったら良かったのにな、と思っていた。どうしても「子」で終わりたいならそれでもいいから。

 ふと気になって、もし生まれたのが男の子だったら何と名付けるつもりだったのか訊いてみたことがある。父は自信満々に答えた。「太郎!」。旧姓プラス「太郎」を想像し、そのあまりのダサさにへたり込みそうになったものだ。その時ほど「自分は女で良かったかもしれない」と思ったことはない。
 最近は女児でも「子」で終わる名前の方が少なくなったらしいから、以前ほど自分の本名をつまらない名前だ、とは思わなくなった。凝った名前に本体が負けるくらいなら、むしろ在り来たりな名前の方が恥ずかしい思いをすることもない。近所のスーパーで擦れ違ったどこかのお母さんが、3歳くらいのお嬢ちゃんに呼びかけた「ぽぷり、これ、ぽぷり!」というのが、わたしが今までに出会った珍名ナンバー1である。びっくりして振り返ったら、ぽぷりちゃんの胸に付けられた保育園の名札が目に入った。そこにもちゃんと「ぽぷり」と書いてあった。ぽ、ぽぷり…(汗)。

 憧れの名前は今でも漢字1文字である。茜とか馨とか恵とか、円、桂、章、泉、雅なんてのも素敵だと思う。11年前に初めてniftyのクラシック・フォーラムに入会する時、よっぽどこの手の1文字ハンドルにしようかと悩んだ。憧れの名前をダイレクトに名乗るというのも芸がないように感じ、結局、旧姓をもじって「田村まとり」にしたのだった。
 冗談のようなもじり方だったのだが、「まとり」という名は妙にしっくり馴染んでしまい、今では日常生活でも完璧に通称として使っている。郵便物など、お役所関係以外のものは大体「現姓まとり様」である。意味としては「間抜け」なので、喜んで名乗るのもどうかと思わないでもないのだが、「美○子」に比べて「まとり」は画数が少なくて書き易いのだ(横着)。

 名前にまつわる笑い話では、母方の叔父が飛行機に乗った時のエピソードがある。叔父の名前は「コウジ」。苗字は漢字1文字である。普通に見たら何も変わったところのない名前なのだが、当時(今もだったっけ?)搭乗者名はカタカナで記入することになっていた。叔父自身もその時まで気が付かなかったけれど、カタカナで姓名を書くと、何やら妙にやんごとない響きになってしまうらしい。
 例えば苗字が「桜」とか「綾野」とか「万里野(までの)」だったとしよう。名前の「コウジ」をくっつけてカタカナで書くと、「サクラコウジ」とか「アヤノコウジ」とか「マデノコウジ」となる。搭乗手続きのお姉さんは、それが「苗字+名前」ではなくて「苗字だけ」だと勘違いしてしまった。たちまち表情が改まり、言葉遣いまでそれまでの3倍くらい丁寧になった。「恐れ入ります、“アヤノコウジ”ナニさまでいらっしゃいますでしょうか?」。

 叔父に遊び心があったらすかさず「文麿です」とか「堯宗です」くらいおちゃらけたのだろうが、そこは咄嗟のことで思いつかなかったらしい。惜しいことをした。もう20年は前のことで、今だったら有名な「綾小路きみまろ」さんのおかげで、「文麿」などという名前は却ってハイソっぽいインパクトが落ちているかもしれない。
 とは言え、どこからどう見てもハイソとは縁のない叔父なので、その話を聞いた関係者一同、「なんて見る目のない受付係さんであることか」と大笑いしたのであった。良く考えたら叔父に対してずいぶん失礼だよな…(汗)。本人も一緒になって笑っていたのだけれど。




08/25 日本一長い名前

2005/08/25 16:12
 銀行のオンライン取引を開始する時に提出する書類などに、姓名をカタカナで1文字ずつ桝目の中に書いて下さい、という箇所があったりする。以前ふと疑問に思ったのだが、桝目が足りないという人は居ないのだろうか。他のケースを眺めてみた場合でも、大体において「姓名合わせて漢字で7文字まで」に設定されているようである。家人などは「それ以上長い名前は規格外ということで、きっと省みてもらえないんだ」などと憎まれ口をきいていたが。
 そんなことのあったしばらく後、コミックの新刊情報を報せてくれるメルマガで、少々変わったタイトルの作品を見掛けた。だいぶ以前のことなので、今では連載完結しているかもしれない。『勘解由小路くんの事情』という作品で、最初はなんと読むのかさっぱり判らなかった。「くん」と付いている以上は人名だろう。「小路」はきっと「綾小路」とか「狸小路」とかに出て来るアレに違いない。とすると最初の3文字は…? かげゆこうじ、あたりだろうか。

 検索してみたらこれは「かでのこうじ」と読むらしい。ざっと調べたところでは鎌倉時代後期の勘解由小路兼仲(かでのこうじかねなか)という公卿の名前とか、京都にある勘解由小路町という地名などが引っ掛かる。難読具合に相応しく、由緒正しい苗字であるらしい。子孫に当たる方々もきっといらっしゃるのだろう。
 ホウボウの珍姓奇姓コーナーというページに行き当たったら、このホウボウさん、今までに勘解由小路さんに会ってサインをもらったことがあるらしい。昭和48年の話で、この勘解由小路さんは女性だったので、もしかしたら今では違う苗字になってしまっている可能性もある。

 このページに出て来る『日本人の姓』とか『日本の苗字』という書物によれば、現代でも存続しているかしていないかはともかく、日本には漢字5文字以上の姓が「勘解由小路」の他にも幾つかあるらしい。「十二月一日」と書いて「しわすだ」とか、「左衛門三郎」もしくは「左右衛門三郎」と書いて「さえもんさむろ」あるいは「さえもんさぶろう」とか、「釈迦牟尼仏」と書いて「にくるべ」とか、ものすごいのは「大身狭屯倉田部」が「おおむさみやけのたべ」なんていうのも。「おおむさ(以下略)」には飛鳥・奈良時代のやまと言葉っぽい響きがあるように思う。間違いなく現存していない苗字だろうが。
 絶対残ってなさそうな「大身狭…」は除外するとして、漢字表記で一番長いのは「左右衛門三郎」さんの6文字。昭和47年時点で実在が確認されていた「勘解由小路」さんでも5文字である。名前を書き込む欄のデフォルトが7文字だとすると、苗字だけで5枡か6枡は使ってしまう。最近流行りの名前は漢字3文字読みも3文字らしいが、例えば「沙久羅」ちゃんと付けたりすると、合計8文字か9文字。はみ出してしまう…。

 現実に「勘解由小路」さんがいらしたら、きっと名前は漢字1文字か2文字に収めるだろうとは思う。しかしもしも「喜久次郎」などと付けてしまったら面白いなあ。ついついそんなことを考えてしまうのだった。テストの時など、氏名を書き込むだけで一手間である。
 ちなみに前述のホウボウさんのページに出て来たところによると、ふりがなで一番長い姓は「東四柳」と書く「ひがしよつやなぎ」さんだそうである。苗字だけでふりがな8文字、しかも濁点が2文字あるから、「姓名をカタカナで1文字ずつ書いて下さい」の欄だと、きっと「ヒカ゛シヨツヤナキ゛」で10文字。すごい。「東四柳丈一郎」さんが仮に実在するとしたら「ヒカ゛シヨツヤナキ゛ シ゛ョウイチロウ」で、姓と名の間のスペースも含めると19文字という驚異的な長さになる。

 関連するサイトなどをぽんぽんと覗いていたら、「女の子の名前辞書」というサイトに行き当たった。他とは一味違う個性的な名前を考える新米パパさんやママさんに重宝されているらしい。ふと気が付いて「ほ」の欄を覗いてみたら、「祝」と書いて「ほふり」と読むものがあった。もしかしたら以前、近所のスーパーで耳にして仰天した「ぽぷり」ちゃんは「ほふり」ちゃんだったのか? 小さな保育園の名札は、遠目に「ぽぷり」に見えただけで実は「ほふり」と書いてあったのだろうか。
 そうだよなあ、やっぱりどう考えても「ぽぷり」はあんまりなので、きっと「祝(ほふり)」ちゃんだったに違いない。相当の難読名ではあるが、いかにも祝福されて生まれて来たということが良く判る、目出度くて良い名前かもしれない。とは言え、「ほふり」と聞いて思い出すのは、株券を保管してくれる「証券保管振替機構」略して「ほふり」だったりする(汗)。




08/26 名前ネタPART3

2005/08/26 19:29
 昨夜『電車男』の第8話を観ていたら、白石美帆さん演じる「美鈴さん」の苗字が「陣川」ではなくて「ジンカマ」らしいことに気が付いた。ジンカマ? 随分変わった苗字だが、漢字ではどう書く設定になっているのだろう。公式サイトを覗いたらどうもフル・ネームは「陣釜美鈴」。陣釜という姓は初めて目にしたのだが、実在するのだろうか。するとしたら日本全国でどのくらいの数なのだろう。
 公式サイトではついつい「スペシャル」のゲームに挑戦してしまった。「電車男イライラゲーム」だそうで、細いルートを障害物にぶつからずに通ってゴールまで辿り着く、というアレである。途中、アイテムの「携帯電話」を拾うと一定時間だけ障害物をスルー出来たり、「エルメスのカップ」を拾うと進行スピードが緩和されたりする。初級・中級・上級の3コースあり、よせばいいのに全コースにチャレンジ&踏破してしまった。賞品はそれぞれ「電車男」の壁紙で、「ミーナ」の画像はあったが伊東美咲さんのはなかった(つまらん)。

 珍しい姓を紹介しているページというと「名字探検隊」さんとか「名字見聞録」さんのサイトが面白い。個人的には単なる難読苗字ではなく、使われている漢字は簡単なのに、全体として面白い読み方をしている苗字に興味を引かれる。そういうタイプには2大カテゴリがあるようだ。便宜上、1つを「日付系」、もう1つを「頓智系」と呼んでいる。
 日付系にはこんな例が出ている。
・四月一日…わたぬき
・八月朔日…ほづみ
・八月一日宮…ほず(の)みや
・八月十五日…なかあき、あきなか
・十一月二十九日…つめづめ
・十二月一日、十二月晦日、十二月朔日…しわすだ
 頓智系でお気に入りには以下のものがある。
・一…にのまえ
・二…したなが
・九…いちじく
・十…よこだて、もぎき
・京…かなどめ
・小鳥遊…たかなし
・月見里…やまなし
・春夏秋冬…ひととせ
・東西南北…よもひろ
・一尺八寸…かまつか

 日付系では年中行事がその由来となっており(八月を過ぎると稲刈りするから穂摘み→ほづみ、とか)、頓智系には駄洒落が多いような気がする。漢字ではないが「い」と書いて「かながしら」と読ませる苗字もあるらしい。一番笑ったのは「十→もぎき」で、これは「木」の枝をもぐと「十」になるから、だそうである。わたしが旧姓から「田村まとり」というハンドルをでっち上げた経緯と似ている気がして面白かった。
 小鳥遊→たかなしというのは結構有名らしく、森永あいさんの『山田太郎ものがたり』にも美術部の小鳥遊部長というハイソな人が登場する(架空人物なのは変わりないのだが)。同様の理屈で「山がないと月が良く見える」のが「月見里→やまなし」らしい。小鳥遊さんも月見里さんも、もちろんわたしは実際にお会いしたことはない。そういえばやはり架空会社だが、「一商事→にのまえしょうじ」というのが中島らもさんの『永遠も半ばを過ぎて』に出て来たっけ。

 大学院を終わって某メーカー研究所に就職した後、各地の工場を巡って技術研修に出たのだが、その時某工場の人事課にいらした方が「一尺八寸」さんだった。今のところ、現実に顔を合わせて名刺をもらったことがある珍名さんはこの方だけである(あの名刺どこへやったっけ?)。ご本人の説明によれば、草を刈る鎌の柄の長さに一尺八寸(およそ54cmくらいか?)という規格があり、そのため一尺八寸→かまつか、という苗字が出来たらしい。知らない人は絶対に読めないが、一度説明すると忘れられないので、営業向きの苗字だと言って笑っていた。
 他に面白い名前はないかとネットを彷徨っていたら、苗字と名前を合わせて「小中大」さんがいらっしゃる、という書き込みを見つけたことがある。「こなかまさる」さんと読むらしい。こちらも初対面では要説明かもしれないが、インパクトはかなり大きいだろう。気の毒な例としては「ルミさん」が中田さんと結婚して「中田ルミ→なかだるみ」になってしまった、というのに笑ってしまった。知人の「まえだるみ」さんが「まだ中田じゃなくて良かった」と話していたことがあるのだが、やっぱり実在するらしい。

 ふと気が付いたのだが、「十一月二十九日→つめづめ」さんは苗字だけで漢字7文字である。この調子で行けば「十二月三十一日→おおつごもり」さんとかも可能な気がする。とはいえ、特にこの日付系では、過去も現在も実在したことのない苗字を面白がって紹介しているサイトや書物もあるらしいので、ひょっとするとこういった長い日付系の苗字はネタかもしれない。もし自分が「十一月二十九日(つめづめ)」という苗字だったとしたら、たぶん違う漢字を宛てて名乗るんじゃないかという気もするし。
 そんなこんなで、日本の苗字は実に奥深く面白いと思う。日本全国の電話帳を取り寄せて研究していらっしゃる人が少なからず存在するのも納得である(わたしはやろうとは思わないが)。苗字は自分では選べないというあたりもポイントなのだろうが、もし自由に姓名を名乗っていいとしたらどうするだろう。結局面倒臭いから、今のままに留めるような気もするのだが。




08/27〜28 夏ばて真っ最中

2005/08/28 12:00
 何が「定期的に運動している今年は夏ばてしないなあ」だーっ! と我が身を呪いたい気分なのだが、ここ4〜5日、某CMのように「よりかかった壁ごと沈みそう」に疲れてしまっている。まだ食欲があるのが救いで、今年は結局夏痩せしなかった。嬉しいような哀しいような…。ともかく何をしていても眠ってしまうので困る。ソファに座っても、床に新聞を広げて読もうとしても、気が付くとそこにコロリと横になって眠っている。おかげで1日が短くて大変である。
 毎年の恒例事ではあるが、なんとかして夏ばてしない体質になりたいなあ、とつくづく思った。食事もちゃんと摂っているし、家人の留守中は出来るだけ空調を切っているし、去年以前よりはきちんと運動もしているのに、ちょっと理不尽に感じる。家人など「夏ばてしたことなどない!」と豪語するだけあって、相変わらず妙に元気そうなのが羨ましいやら憎たらしいやら。

 夏ばてとはちょっと違うかもしれないが、今までに経験した疲労の中で一番キツかったのは、過労でマイコプラズマ肺炎になってしまった時。マイコプラズマの感染・発病率は低いのに、たまたま激務が続いて草臥れていたため、予想以上の症状が出たらしい。状況から考えるとおそらく職場でもらったのだろう。感染源となった人が誰だったのか、今となっては知る由もないが、少なくともその人は体調不良ながら勤務は出来ていた訳で、もらったわたしだけが重症化してしまったのだ。何だか損したような気になる。
 喘息の持病を持っていた先輩は、やはり激務が続いていたある朝、社員寮の自室で発作を起こし、誰にも看取られずに亡くなってしまった。喘息仲間として近場の病院はどこか、吸入薬はどれがいいか、などの話し相手だっただけにショックは大きかった。先輩が労災認定してもらえているといいなと思う。まあ、そんな職場だったのだ。

 ともかくその時は、肺炎の症状がある程度消えてからもずっと、全身の疲労感がなかなか取れなくて難儀したものだ。通った病院で血液検査をしたら、好酸球が異常に多いとかで、全身倦怠感はそのせいだと説明された。実家からそう遠くない病院とは言え、通うのも大変なほど疲れていたので、じゃあその原因は何なのか、好酸球とやらを減らす治療はないのかと訊いたのだが、原因が判らないという。原因不明なまま好酸球数だけ減らしても根治しないので、もうしばらく様子を見ましょうと言われ続けて半年以上、結局何が悪かったのか今でも判らないままである。
 休職して実家で寝ていた2ヶ月間はまだ通院もし易かったのだが、復職後、定期的に検査に通わねばならなかった時はほんっとーに大変だった。ドロドロに疲れている上、片道2時間以上。待ち時間は少なくても3時間である。やってられっか、と思った。
 半年を過ぎた辺りから徐々に疲労が抜けて来たので、これ幸いと自主的に通院を止めてしまった。主治医の了解も取らず、次回の予約をすっぽかす形で止めちゃったので、もうあの病院には行けないのである(汗)。

 後に違う医師から、それはアレルギーの1症状だったのではないか、と教えてもらった。最近知られるようになったのだが、アレルギーを持つ場合、疲れやすかったりダルかったりの自律神経症状を示すこともあるらしい。夏ばてし易いのもそのせいでしょう、と言う。またソコか、とウンザリしてしまった。アレルギー体質を治療することが出来たら、猫とも遊べるし、蕎麦も食べられるし、時々襲ってくるモーレツな倦怠感ともおさらば出来るということなのだろうか。
 早いところそういう体質改善療法が出て来るといいな、と思う。

 厳密にはアレルギーと関係あるかないかハッキリしていないのだが、先日、アトピー性皮膚炎の新治療法に繋がる発見が出たらしい。血中の「好塩基球」が慢性アレルギー反応のトリガーになることを、東京医科歯科大学の烏山一教授のチームがマウス実験で見つけたという。トリガーを阻害すればアレルギー反応も起こらないので、上手く使えばアトピー性皮膚炎を対症療法ではなく「そもそも症状を出ないように」出来る可能性がある。
 いいなあ、それ♪ 烏山教授のグループが研究したのは主にマウスの皮膚反応らしいが、呼吸器や消化器反応にも応用できるとすると、マジで猫アレルギーや蕎麦アレルギーが克服できるようになるかもしれない。もしかしたら夏ばてとも縁が切れたりして(ドリーム)。

 それにしても好酸球だか好塩基球だか知らないが、ご主人である人間様を困らせるとは悪いヤツである。免疫システムにはまだまだ判っていないことも多いだろうとは思うものの、そもそもは外敵からカラダを守る仕組みがどうしてトラブルの元になるのか、早いところ徹底解明して欲しいものである。1度でいいから猫と添い寝したいし、日本蕎麦も食べてみたいのだが、わたしが生きている間の根治療法開発はムリだろうなあ…(しょんぼり)。




08/29 『終戦のローレライ』読了

2005/08/29 12:59
 2800枚だったか、ともかく膨大な長編を、時間を見付けてはコツコツと読んでいた。友人に借りた全4巻の文庫本の、1巻を読み終わるのに一番時間が掛かったと思う。『亡国のイージス』を読んだ時もそうだったのだけれど、読み進むに連れて目が離せなくなり、最終巻はほとんど一気読みしてしまった。架空の物語とは言え、終戦直前の1945年から2003年まで60年近くを改めて振り返り(しかも1945年8月部分は異様に高い密度で)、ふと我に返って呆然としている。
 長い旅行から久し振りに帰って来た時のようなこういう虚脱感、読書で覚えるのは久し振りかもしれない。それこそ『亡国のイージス』以来だろうか。同じ友人に貸してもらって『Twelve Y.O.』も『川の深さは』も読んだけれど、やっぱりこの2作の物量には負ける感じである。いやともかく、恐るべし、福井晴敏!

 映画版『ローレライ』を観た後、件の友人が「原作はもっと深くていい」と言っていた意味が良く判った。映画版はストーリーこそ原作に添っているものの、纏っている肉付きが30%くらいに削られていると思う。映画をアペリティフとし、その後原作というフル・コース料理に取り掛かるのが一番美味しい頂き方だろう。
 とは言えエッセンスを過不足なく取り出しているので、原作『終戦のローレライ』が映画『ローレライ』になったというのは至極納得。個人的な感想だが、『ローレライ』は『亡国のイージス』よりも、削り方&足し方が上手かったのではないかと思う。原作を読み終わった今振り返れば、確かに説明不足のところや冗長な部分はあったけれど、『イージス』のようにストーリー展開を破綻させることはなかった感がある。ものすごく上手にアブリッジされた少年少女版『終戦のローレライ』、それが映画版だったと言えるような…。

 映画版で一番感情移入したのは浅倉大佐だった。その思想には同調出来ないけれど、あまりに有能かつ純粋な人間が七転八倒の末に辿り着いた結論が、ある意味必然的な狂気…という状況は、こう言っては不謹慎だが、わたしには「萌え」なのである。背景にある詳しい事情は判らんけれど、映画版で出て来た『罪と罰』のエピソードを観て、わたしは浅倉大佐が自分の良心、内なる神を殺そうとしているのだと思った。その結果人としての幸せとは縁がなくなっても、残る生涯を地獄の苦しみの中で過ごすことになろうとも、彼の考える「真の日本民族の存続」のためには鬼になろう、そういう心情を表すシーンなのだろうと。
 原作の『終戦のローレライ』を読んだらじゃっかん意味合いが違っていたし、ついでに『罪と罰』の「神殺し」も実はまた少々違うことなのだが、まあイメージとしていいということにしてしまおう(いい加減な)。
 映画には登場しなかったキイ・パーソン、フリッツ少尉のキャラクターに惚れ、絹見艦長に改めて惚れ、田口掌砲長にまた惚れた。いつものことだが、福井作品に出て来るキャラに雑魚は1人も居ないという辺りにほとんどノック・アウト状態である。

 『ローレライ』を観た後、立て続けに『亡国のイージス』、『Twelve Y.O.』、『川の深さは』と読んだ。重要なキャラクターとしていつも出て来る「うらぶれた中年男性」と「神憑りめいて有能な、影を背負った美少年」という組み合わせの存在感が、『ローレライ』ではやや希薄だなと思ったのだが、原作では田口掌砲長の立場がもっと重要で、フリッツ少尉が居たのだということで納得。
 例によって非常にヴィジュアルな作品なのだが、映画を先に観ているため、絹見艦長→役所広司さん、パウラ→香椎由宇さん、折笠征人→妻夫木聡さんに固定されてしまった。なぜか田口掌砲長→千葉真一さん、清永君→柳沢慎吾さん(なぜ?)に変換され、あろうことかフリッツ少尉→アッシュ・リンクス@『バナナフィッシュ』であった(阿呆)。そして原作の浅倉大佐は、イメージとしては『逆襲のシャア』のシャア・アズナブルである(つくづく阿呆)。

 超ど迫力の対潜水艦の戦闘シーン、クライマックスの対艦隊の戦闘シーンでは、どどどっと先に進んでしまいそうになる目を抑え抑え、1行1句を噛み締めながら読んだ。大海原の波濤、アクティヴ・ソナーの金属音、丁々発止の駆引きに、どれだけ胸が高鳴ったことか! 冒険小説好きなら何を措いても必読の書である。各キャラの辿って来た人生の描写も、てんこ盛りの心情表現にも不思議と食傷することはない。あれだけネチこくネチこく書いたら想像の余地がなくなっちゃうのではないかと思うが、そういう訳でもないのが不思議だった。
 終章の「それから2人は…」はなくても良かったような気がするが、実際に戦争を知らない比較的若い世代を代表し、福井晴敏氏が「自分たちが理解する第2次世界大戦観」を披露したという点でやっぱり有意義だろう。とっくに戦後さえも終わった時代に生まれ育ち、福井氏と年齢が非常に近いけれどモノを考えないわたしとしては、「腐らせた自由」の重みや「次世代に受け継ぐもの」を改めて考えるのもいいかな、という気になった。
 そういう意味では、父母や祖父母の年代の人が読んだら、また違った感想をお持ちになることだろう。

 終戦記念日に思ったことを、先日母に改めて訊いた。やっぱり父の「原罪」は、幼い妹を死なせてしまったという意識らしい。子供や孫の代に語り継ぐことは大切だろうけれど、父も祖父も、辛過ぎる体験を口に出せずに居た(居る)のだと思う、と話していた。
 今のうちに聞いておかなければ時機を逸するという気はするが、封印したい記憶を無理に掘り起こすのも気の毒かもしれない。せめて『終戦のローレライ』を読んで、そういうことについてちょっとだけ考えようと思うのだった。




08/30 時々不便に思うこと

2005/08/30 16:36
 去年の3月から右眼の水晶体は眼内レンズに換えてしまったのだが、これが思ったよりも使い勝手が良くない。そもそも主治医に「ピントはどの辺に合わせますか? 普通は眼前3〜40cmですけど」と言われ、折角好きな距離にピントを合わせられるのに、そんなに近いのももったいないように感じ、もうちょっと遠目にしてしまったのがいけなかった。夜布団に入り、眼鏡を外し、さて寝付くまで本でも…と読もうとすると、右眼のピントが合わないのだ。
 そうか、医者の言ってた3〜40cmというのはさては読書距離だったか! と臍を噛んだがもう遅い。一応「デスクに座った時パソコンのディスプレイを読みやすい距離」にピントを合わせてあるものの、それだけ距離があると視野全体でキレイにピントが合うということがない。上手く説明出来ないが、ピンポイントで「見た場所」にしか焦点が合わない。しかも字も微妙に滲んでいる。不良品ちゃうかこの眼内レンズ(顰蹙)。

 右眼だけでは読みにくいこと甚だしいのだが、今のところその分を左目がフォローしているので、両眼が使える状況なら特に苦労することはない。ただし酷使のせいか左眼がだんだん疲れ易くなって来たし、数年以内には左眼も眼内レンズに換えなければならなくなるという予想がある(と言いつつ最近は眼科通いをサボりまくっているが)。両方そうなったら、読書用の眼鏡と日常生活用の眼鏡と運転用の遠くが見える眼鏡と、3種類作らなければならないのだろうか。面倒だしお金もかかりそうでイヤである。
 右眼と左眼の度を余り違えるのも不便そうだから、左眼のピントも「パソコンのディスプレイ用」に合わせることになるだろう。そうすると手元で本など読む時は、眼鏡ナシでは、腕一杯に本を遠ざけないと読めないかもしれない。うっわババくさっ。

 ちょっと気の利いた最新式デジカメでさえ、オート・フォーカス機能があったりするのに、生身用にはそこまで便利なものはまだない。観たいところにサッとピントを合わせられる人間の水晶体の高性能ぶりを、失くして初めて実感するのであった。いくら近視でも、細かいピントの微調整くらいは無意識に出来たもんなあ。つくづくそれを感じるのは、ちょっとはしたない話だが、入浴中などにワキの手入れをする時である。
 鼻が邪魔なので、右ワキを見る時は右眼、左ワキを見る時は左眼を誰でも使うと思う。ところが眼内レンズだとそんな近い距離にはピントが合わせられない。細いものなんか到底見えないので、右ワキのお手入れは手探りでやらねばならない。両眼とも眼内レンズになっちゃったら両方とも手探りかと思うとウンザリする。
 眉の手入れやアイ・メイクをする時も同様である。鏡を覗いても、自分の手や何かで左眼が隠れると、途端に何も見えなくなる。幾ら何でも50cm以上離れた鏡で化粧をするというのは無理だろう。普段からほとんど化粧などしないが、右眼だけとは言え眼内レンズになってから余計に、化粧をしようという意欲が萎えてしまった。とは言え40代になっても50代になってもノー・メイク主義というのは、果たして許されるものなのだろうか。不安だなあ。

 その他、映画館など暗い場所でライトが視界に入ると、どういう訳か虹色の光条が発生する。カメラの特殊効果用クロスフィルタを付けたような感じで、どうしてそうなるのか主治医の先生にも判らないのだった。普段は特に不都合はないのだが、たまにエンドロールの途中で早々と館内照明を付けちゃうような映画館に当たると、テロップが読みにくくなって滅茶苦茶イライラする。余韻だって台無しになってしまうのだから、ちゃんと全部終わってから点灯してくれよう(涙)。
 一般的な目安年齢よりもずっと早く、いわば超高度の老眼になってしまった状態なので、人に説明するのも気恥ずかしく業腹でもある。しかも眼内レンズの不便さというもの、眼科のお医者さんでさえきちんと理解はしてくれない。実体験しなければ判らないのは当たり前だろうとは思うが、励ますつもりで気軽に「死ぬ病気じゃなし、眼内レンズ入れたら治るんだから、ね」などと言われるとやはりムッとする。心狭い人間である(反省)。

 最近パソコン・デスク用の椅子を新しく買い換えたのだが、肘掛がキイボードを載せるスライド・テーブルに微妙にぶつかってしまう。あとほんの2cmかそこらデスクが高ければぶつからないので、DIYショップに行ってゴム板を買って来て、デスクの脚に下駄を履かせることにした。一件落着かと思ったら、今度はデスクが高くなり過ぎてディスプレイが見づらくなってしまった。
 もともとディスプレイはデスク作りつけの棚(高さ約20cm)に載せてあった。ディスプレイの脚とフレーム幅が合わせて9cm弱あるので、ディスプレイはデスク上から30cm弱の高さに浮いた状態である。人間の姿勢等から、どちらかというとディスプレイは目線よりもやや下に設置するのが楽だと言うが、ウチのはその正反対。ディスプレイを見上げて作業すると、手元は視界から出てしまうし、肩も首もパリパリに凝る。そこへ持って来てさらにデスクが下駄を履いて、3cmも背が高くなってしまったのだ。

 家人はわたしより座高が多少高いからマシかもしれないが、わたしはもう我慢限界突破である。3cm上がったためか、天井照明の反射というか映り込みもひどくなった気がする。部屋が暗くなると、例の光条が差すこともある。とうとう今日、出勤する家人に予告をした上で、ディスプレイの配置を変えることにしたのだった。と言っても、単にディスプレイを棚からデスク上に移しただけだが。家人が奮発して液晶ディスプレイにしてくれていて良かった良かった。CRTディスプレイだったらこうは行かなかっただろう。
 移動前よりも目線が下になり、キイボードも視界に入るので格段に楽である。慣れるまでは若干の違和感があるかもしれないが、わたしとしてはもう以前の状態には戻したくない。帰宅した家人の使い心地についての感想はどんなものだろうか。さくっと慣れてくれるといいのだが…。




08/31 身体はすぐに怠ける

2005/08/31 16:51
 一昨日、久し振りのバレエ教室に出席した。本当は毎週きちんとレッスンしたかったのだが、教室のスケジュールで、毎年8月と1月は3回しかレッスンがないらしい。8月15日と22日の連続2回、お休みということになっていた。もっとも仮に毎週あったとしても、とてもではないが22日にはバレエどころではなかっただろうが。
 木曜日のバレエ体操だけでもちゃんと通うか…と思っていたのだが、風邪を引いたり夏ばてでしんどかったりで、こちらは連続3回もお休みしてしまった(反省)。きっとインストラクターの先生も他の参加者の皆さんも「どうしているのだろうか」と思ってらっしゃることだろう。明日は必ず出席しよう。9月から心機一転、サボらず頑張るぞ♪

 とは言え、しょっぱなから張り切って動き過ぎるとヤバそうなので、その辺は自重しながら少しずつ慣らさねばならないかもしれない。というのは、一昨日のレッスンの最後の方でどうやら脳貧血を起こしたらしく、気分が悪くなってしまったのである。スタジオの中は空調を入れてあったけれど、それでもやっぱり暑かったのかもしれない。もしくはレッスン中に水分(麦茶)を摂り過ぎたのだろうか。ちょっと延長されて2時間弱の間に、500mlのペットボトル1本を空けてしまうのは、自分としてはそれほど飲み過ぎではないようにも思うのだが。
 先生たちは「ピルエットの練習で目が回ったらしい」と思っていたようなので少しホッとした。幾らなんでも、3週間ぶりにちょっと運動しただけで脳貧血なんてみっともなすぎる(汗)。バレエ体操も含めれば8ヶ月間もかけて、少しずつ身体を運動に慣らして来たというのに、それが3週間のブレイクでちゃらになるのは哀しい。夏風邪とバテのせいだと、わたしも思いたいのである。

 思えばラスト15分くらいのところでバテ気味になった時、上手な人のグループがより高度な課題をこなすのを見ている間、ちょっとだけでも座っておけば良かったのだ。例えばラグビーの試合、後半の後半で選手たちが膝に手を付いて肩で息をしているまさにあの格好で、疲れたから少しだけ椅子か床かに腰を下ろしたいなあ、と思っていた。座らなかったのは、大昔、中学時代にちょっとだけやってたバレー・ボール部の練習中は、どんなにしんどくても立っていろと厳命された記憶があるからである。やっぱり同じ運動系だから、バレエでも、レッスン中に座るのはいけないことだろうと思ったのだ。
 とりあえず最後の課題まではどうにかこうにか立っていられたのだが、整理体操で限界が来た。鏡に映る自分の顔が見る見る白くなっていくのが面白かった(阿呆)。手先が冷たくなってじんじん痺れ始め、気分が悪くなって来る。大学時代○田急線でお馴染みの感覚である。経験からすると、吐き気はしていても実際にリヴァースすることはあまりないが、万が一スタジオでやっちゃったらコトである。整理体操が済んだら出来るだけこっそりかつ素早く、お手洗いに駆け込むつもりだった。

 一番の新入りなので端っこに居たのだが、整理体操が終わる寸前に先生に見咎められてしまった。一昨日の参加者はコーチ役の女性も含めて全部で9人、隅っこに隠れていたつもりなのに、先生はさすがにお目が早いのである。それともわたしが見るからに「気持ち悪くてもうダメです」という表情をしていたのだろうか。顔に出さないように我慢していたつもりなのだが…。
 他の生徒さんたちに冷たい水を分けていただいたり、タオルでばたばた扇いでいただいたりして大変助かった。とりあえず横になりなさいと言われて寝転がり、脚を椅子の上に載せて頭を低くしてしばらくじっとしていたら、何とか気分は収まった。他の皆さんだってレッスンが久し振りなのは同じだし、わたしより年上の方もいらっしゃるのに、気分が悪くなったのは1人だけ。すごくすごくすごく情けなくなってしまったのだった(とほほほほ)。

 特に血圧が低い方でもないのに、時々こうやって脳貧血を起こすのはやはり運動不足なのだろうなあ。夏風邪だ夏ばてだと言ってサボってたから、そのツケが来たのかもしれない。また最初からやり直すつもりで、徐々に身体を慣らして行こうと思った。
 とりあえず明日のバレエ体操には絶対に出たいので、今日はあまり無理をしないでおこう。昨夜ふと思い付いて『容疑者 室井慎次』の予約を取ってしまったのだが、いつものように歩いて行くのはヤメにした。昼間で道路が混雑しているだろうから怖いなあとちょっと思ったのだが、やってみたら案外スムーズに行って帰って来ることができた。やはりカーナビさまさまなのである。

 今日の一番のトホホは、苦手なクルマの運転をし、まだ抜け切らない筋肉痛を押して映画館へ行ったのに、肝心の作品がかなりの期待外れだったことである。あんまり多くを望むまいと思っているつもりだったのだが、やっぱり「踊る」シリーズだからということで、過剰な期待を掛け過ぎたのかもしれない。無駄に疲れてしまった…。