徒然過去日記・2005年11月

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11/01 悪癖再び

2005/11/01 15:46
 しばらく前まで、帰宅後やらないと気が済まない「儀式」のようなものがあった。家人が不在の買い物帰りなど、わたしが独りでウチの玄関を開けなければならない状況限定で発動する衝動である。つまり「家の中に知らない人が居ないか確認する」作業で、買い物袋をとりあえず玄関マットの上に置いて、ある時は抜き足差し足、またある時は(居るかもしれない侵入者に聞こえるよう)わざと騒々しく足音や気配を立てて、家中をチェックするのだ。
 トイレや納戸などのドアも全部開けて、中に誰も居ないことを確認する。家人はヘンな習慣だと不思議がりつつ嘲笑うし、自分としても阿呆みたいだと思うのだが、どうしても止められなかった。その癖が、気が付いたらここしばらく出ていない。忙しくてわたわたしているうちにいつしか忘れてしまったようだ。

 ただし、今日からはまた復活するんではないかというトホホな予感がある。こういうのは「お、止んでいるな」と気が付いてしまうとまた意識するものなのだ。それに昨夜は久し振りに「家の中に誰か居るような気がする」妄想が沸き起こり、おちおちしていられなかったのである。
 家人は泊まり勤務。晩御飯を出して21時半頃送り出してから、別に寂しくも何ともなく、ごくごくフツーに独りで遊んでいた。風呂を済ませ、そろそろ寝るか…と思っていた夜中の1時半頃、2階の壁をドンッと叩く(蹴る?)音がした。何だ何だ今の音は。隣家との境目辺りから聞こえたので、たぶん隣家の誰かが寝ぼけてかあるいは勢い余って、自室の壁にぶつかった音だろう。ウチの2階から聞こえた音ではないのだ。そうに違いないというかそうであって欲しい。

 ちょっとドキドキしつつそんなことを願い、さり気なく聞き耳を立ててPCの前に座り続けていた。と、数分後、突然聞き覚えのある断続的な電子音が鳴り出したのである。ピーピー言うその音は、紛れもなく2階寝室の電話の子機の音。ちょっと旧型のその子機は、台座兼充電器に常時載せられている。通話中でない時に台座から外れると、20秒だか30秒だか後に「充電器から外れましたよ、ちゃんと置き直して下さいよ」と警告音を発するのである。
 その警告音がいきなり鳴り始めたのだ。もうアタマの中は「さっき壁にぶつかった侵入者が、今度は寝室のナイト・テーブルに置いてある子機に接触し、音が鳴り出してびっくりしている妄想」でいっぱいである。2階の窓は閉めてあったハズだが、ひょっとしたらどこか鍵を掛け忘れたのかもしれない。そういえば南側の掃き出し窓、1つだけ雨戸を閉め忘れていたことを思い出した。きっとヴェランダから誰かが入って来たに違いない。どどどどーしよー(汗)。

 とりあえず子機の警告音を放置する訳にも行かないし、侵入者が階下に降りて来たら万事休すである。武器代わりの掃除機ノズルを右手に構え、何かあったらすぐに助けを求められるよう携帯電話を左手に握り締め、そろーりそろりと階段を昇り始めた。階段の降り口に誰か居たらドウシヨウと思うと、コの字になった折り返し地点では壁際からそーっと覗かずにいられない。誰も居ないのを確認してまた登り続ける。階段の降り口すぐ脇に誰か居て、昇り切ったところを奇襲に遭ったら堪らない。3段残した地点で掃除機ノズルをバッと突き出し、何もないのを確認してから2階の床に到達した。ドキドキドキ。
 手の届くところにあるあらゆるスイッチをオンにして、出来るだけ2階全体を明るくする。まずは寝室に入って子機を置き直さねばならない。部屋に入る前にももちろんノズルを突っ込んでから。手だけ先に入れて灯を点け、カラダを低くして壁に背中を付けながらさささと滑り込む。誰も居ない。多少落ち着き、それでもウォークイン・クロゼットの中を確認してからなお背後に気を付けつつ、やっと子機を置き直して警告音を止めた。

 それからもちろん2階の総点検である。トイレ、わたしの仕事部屋兼書庫兼客用寝室その1、家人の書庫兼客用寝室その2に誰も居ないか確かめるのだ。そろーりそろり。普段ならその3部屋を回るのに10秒も掛からないが、今回はたっぷり3分くらいも費やして、結局誰も居ないのだということを確認出来た。ホッとすると同時にドーッと力が抜ける。
 壁の音と子機の警告音、どっちか片方だけならこんなにビビらなかったと思うのだが、そのコンボで効いてしまった。子機がどうしていきなり鳴り出したのかは未だに不明だが、如何せん古くてコネクタ部分のバネも緩くなりつつあるので、何かの弾みで接触不良になってしまったのだろう。タイミングが最悪だったのである。

 とりあえず安心しはしたが、とても今晩寝室でなんか眠れない、と思った。リヴィングのソファで寝ることにして、厚めの毛布を持って降りた。天気予報で明け方かなり冷え込むだろうと報じていたからである。
 限界ギリギリに眠くなるまで頑張ってから、明け方4時前、ようやくソファに横になった。しかし当然熟睡どころではない。うとうとしては傍に誰かが立っているような気配(もちろん妄想)にハッと目を覚ますということを繰り返しつつ、どうにかこうにか2時間ばかりの睡眠を取ったのだった。まんじり…。

 独りではまだ怖くて2階に上がれないので毛布をソファに置きっぱなしにしていたら、10時頃に帰宅した家人に見咎められ、ヘタレヘタレと思いっきり馬鹿にされたのだった。自分でも阿呆みたいだともちろん思うのだが、怖いものは怖いのである。一番ダメな状況は「自宅の中に知らない人が居る」ことなのである。
 ともあれこれで、また帰宅後の「儀式」が復活しただろうことは間違いない。しばらくやったらまたそのうち忘れられるのではないかと思うのだが、ビビりつつ家中のドアと言うドアを開けて回っているおのれの姿、自分でも大概情けないと思う。どうやったらこういう強迫観念を払拭することが出来るのだろうか(とほほほほほ)。




11/02 微妙なご近所付合い

2005/11/03 00:02
 しばらく前から、マンションの騒音問題について考えている。ネットでの知り合いMさんが、ずっと、階上のお宅の足音が気になって眠れない…と悩んでおいでなのだ。どうもMさん宅の上には小さい子供さんが居るらしく、夜中にたびたび走り回る音がするのだという。また別の知り合いSさんのお話では、特に就学前の小さな子は、眠る前には生理的な理由で騒いでしまう場合が多いのだという。
 何となくそれは判る気がする。おそらく、大脳生理学というか、脳の機能の発達途中だったりすると、眠い=就寝というふうにスムーズには行かなかったりするのだろう。小さい子が眠くなるとむずかったり、異様に興奮したりする様子はわたしも見たことがある。本人にも、ましてや親御さんにも、どうにか出来る状態ではないのかもしれない。

 バレエ教室の「小さい子クラス」などを見学していても、小さい子供たちはジャンプ&着地する時に、足首や膝などのクッションを利かせてふわりと降りるという芸当が不得意なようである。大昔、何かで習った言葉なのだが、こういうテクニックはたぶん「抜重」と呼ばれている。着地する瞬間、わずかに身体を沈めることで、床への荷重を小さくすることが出来るのだ。
 Sさんは小さい子供たちのジャンプ&着地を「踵落とし」と表現していたが、姪っ子1号やバレエ教室の子たちの動作など見ていても、本当にそれがぴったりの呼称だと思う。垂直に跳んで、大人ならば大抵の人が「爪先から」着地するところを、子供たちは足の裏全体あるいはほとんど踵だけでドーンと着地するのである。いくら子供の体重が軽くても、その瞬間の運動エネルギーはほぼ無駄なく床に伝わることになる。床もたまったものではない。

 小さい子クラスでプチ・ジャンプの練習などしている時は、スタジオ全体にドッシンドッシンと足音が響きまくる。わたしたち大人クラスのメンバーは、自分たちもあんな音をさせてレッスンしているのだろうか(みっともない)と恥ずかしがっていたのだが、先生によればやはり「大人クラスの方がむしろ静かなんです」ということだった。大人はある程度自然に「抜重」が出来るし、そもそもそうやってクッションを利かせて着地しないと、子供の何倍もある体重による衝撃をモロに膝などで受けることになる。度が過ぎれば故障まっしぐらである。
 今年の夏に母のマンションに遊びに来ていた姪っ子1号に付き合って「EYE TOY遊び」をした時も、姪っ子1号の足音が階下に響きまくっているのではないかとずいぶん冷や汗をかいた。ただでさえ「抜重」が出来てない上に、夢中になって遊んでいるうちにそれこそドラムを叩くかのように、足で床を踏み鳴らしてくれるのだ。

 小さい子なんだから仕方ないという理屈もある程度は理解出来るが、だからと言って、毎晩のように夜中に頭上であの足音を響き渡らせられたら確かに拷問だと思う。Mさんにも仕事があり生活がある。階上のお宅のお子さんが大騒ぎしなくても寝付けるように成長するまで待てというのもあまりに酷過ぎる。わたしのようにいつでもどこでも眠れるタイプと違って、Mさんは夜中の運動会のおかげでほとんど不眠症状態に陥ってしまったのだ。
 こういう時はどうやって解決するのが一番良いのだろう。先日来、それをずっと考えていたりする。

 騒音を全方位に撒き散らすタイプのお宅であれば、騒音被害に悩むご近所同士で結託して行動を起こすことが出来る。自治体の生活課とか市民課とか、あるいはマンションの管理組合に相談するのも手だと思う。ただしMさん宅のような場合、ひょっとすると足音に悩んでいるのは直下のMさんたちだけかもしれない。1軒だけの悩みを、市のナントカ課や管理組合が聞いてくれるかどうか…。
 例え第3者に聞いてもらえたとしても、結局はMさん宅と階上のお宅との1対1の話し合いで解決するしかないことだろう。Mさんは「小さい子供さんのやることにうるさく言いたくないが、もう限界だ」と思ってらっしゃるし、おそらく階上のお宅でも、我が子の大騒ぎには困っている部分が少なくないハズである。お互いが遠慮し過ぎることなく、しかもきちんと伝えたいことを伝えた上で、建設的な相談をするにはどうするのが一番なのだろうか。

 普段から良い付合いのある同士ならば、本当に困っていることを伝えるのも楽だろう。とは言え最近の住宅事情では、あまり濃密なご近所付合いはしないのが普通だとも思う。どんなにフランクなお宅でも、マンションの上下の階に挨拶に行く人は少ないような気もするし…。
 考えた末、「日中にご挨拶の菓子折りか何かを持参した上、丁重にお願いに行ってはどうか」と提案したのだが、これが果たして正しいアドヴァイスなのかどうかも判らない。わたしならそうするかなあ、と思った行動なのだが、これが却って事態を悪化させてしまったら、Mさんはますます不眠症になってしまうかもしれない。

 昔、まだ千葉に住んでいた頃の階上さんを思い出すにつけ、ご近所付合いの微妙さについて悩んでしまうのだった。以前この日記にも書いたことがあるハズだが、このお宅では、ペット禁止のマンションで小さなワンちゃんを飼っていた。実際にワンちゃんに遭遇したことはないのになぜ判ったかというと、日中わたしが独りで在宅している時、ひっきりなしの「チャチャチャチャチャ…」という奇妙な音に悩まされたからである。ボールの弾むような音に続いてチャチャチャ…が延々と繰り返されるので、わたしはほとんどノイローゼになってしまった。
 さらにそのお宅では、夜中にヴェランダから鉢植えの土を捨てたこともある。窓を開けていたので、ウチはその土が大量に吹き込んでエライ目に遭った。どうも引越しの準備をしていたらしいのだが、それにしたって、土をヴェランダから捨てるだろうか(顰蹙)。
 家人が文句を言いにすっ飛んで行ったのだが、「あーすいませーん」と言うばかりで、何が悪いのか判らない風情だったらしい。Mさん宅の階上のお宅がこういう人だと、通る話も通らなくなる。話の判る良い方であることを祈るばかりである。




11/03 我ながら暇人だと思う

2005/11/03 12:06
 明け方の夢の中で、一生懸命「童話と御伽噺はどう違うのか」について考えていた。どうも数日前、TBSの「あなた説明できますか?」という番組のCMで、そういうお題が出ていたのを覚えていたらしい。顔を見たことのあるタレントさん数名が「童話は子供向けで御伽噺は大人も対象」とか「動物が人間のように振舞うのが童話」とか、そんなような会話を交わしていた。
 その時は特に気にせずスルーしてしまったのだが、予想以上に無意識下では気になっていたらしい。童話と御伽噺、どう違うのだろう。CMではヒントとして「イソップ物語は“童話”です」とか何とか出ていたような気がするのだが、詳細は不確かなので、ヒントにも何もならないのだ。どうせならもうちょっときちんとディテールを覚えておけば良かったのに>自分。

 Yahoo!和英辞書で「童話」と「おとぎ話」を調べてみると、両方ともに「a fairy tale、a nursery tale」が出て来る。さらに国語辞書で「童話」を引いても、「子供のために作られた話。昔から語り伝えられてきたおとぎ話や伝説・寓話(ぐうわ)などを含む。」などと説明されているので、どうもあまり違いはなさそうである。「狭義には特に創作された物語をさす(小川未明など)」という行もあるのだが、例の番組CMではそんな微妙な違いではなく、もっと決定的な相違があるような口ぶりだった。
 こうなると気になって仕方がない。おそらくそれで夢にも出て来たのだろう。正解はもちろん問題の番組「あなた説明できますか?」を観ないと判らないのだが、TBSの番組表を見てみたら、なんと昨夜の19時からの放送だったのだ。終わっちゃったのか…。「トリビアの泉」のように公式サイトがあるとか、あるいは熱心な視聴者による「毎回のネタ整理サイト」がないかと検索してみたものの、どうもそれっぽいページはヒットしない。ニアピンとしてロシアの童話についてというページが引っ掛かり、この中では「おとぎ話=非日常的な人物、出来事、動物が出て来る」ということになっている。魔女などが出て来たら「御伽噺」で、日常生活の延長に物語があれば「童話」ということなのだろうか。

 一応納得出来る説明ではあるが、どうも座りが悪い。例えば『三年寝太郎』とか『だいだらぼっち』などはどっちにカテゴライズされるのだろう。魔女も魔法も伝説の生き物も出て来ないから「童話」なのだろうか。でもこれを「日常生活の延長の物語」と考えるのも何だか無理があるような気がする。驚異的な力持ちとか、山のように巨大な大男とか、もしかすると「伝説の生き物」として扱ってもいいんじゃないかと思うし。
 『ラプンツェル』は、グリム童話の中に入っているのだから「童話」なのだろうか。一応「日常生活っぽい」物語と言えなくもないが、そもそもヒロインがどうして「ラプンツェル」と名付けられたかというと、ラプンツェルを身篭っていた母親が、魔女の庭で栽培されていた野菜(ラプンツェル)を食べたくて堪らず、盗み食いをして捕まったからなのだ。高い塔に閉じ込められて育ったラプンツェルの元には王子様が通って来て、「お前の髪を垂らしておくれ」とか言って、髪をよじ登ってデートするんである。こんな日常生活、ないよなあ。

 前段で「狭義では創作された物語をさす」だったから、グリムもアンデルセンもイソップも「童話」なのだろうか。しかしそんなことを言い出したら、すべての物語には作者が居るのは当たり前、ということになってしまう。そもそも口から口へ言い伝えられて来た伝承物語をまとめた童話集だってあるのだし、この定義が正しいとすると「御伽噺→童話」への変身もアリ、ということになってしまう。それは絶対にヘンだと思う。
 教訓めいた結末なのが「童話」でそうでないのが「御伽噺」かなとか、いろいろ考えたがコレという結論には辿り着かなかった。「あなた説明できますか?」での正解が本当に正解なのかも不明な上、その番組を見逃しているのだからどうしようもない。仕方がないので自分の中では「残酷なのが“御伽噺”でほのぼのしたのが“童話”」ということにしておいた。たぶん「正解」ではないだろうと思うけれど。

 ちなみに、同じ回で放送されたらしい「サケとシャケの違いは?」というのは、ある程度確信を持って答えることが出来る。生物として扱われる場合は「サケ(鮭)」で、食材として扱われる場合は「シャケ」なのである。子供の頃、こういう疑問を持ったことがあった。自分で調べたのか折り良くTVでそういうことを放送したのかは覚えていないが、ともかくそういうカテゴライズになっているという結論に辿り着いたのだ。
 最も、「サケ」と「シャケ」についても厳密に使い分けられている訳でもないだろうし、どっちがどっちでもいいのかもしれない。個人的には「シャケ」と言うべきところで「サケ(鮭)」と言っても違和感はないが、「サケ(鮭)」を使うべきところで「シャケ」と言うのは絶対おかしいと思うけれど。

 TV番組繋がりで思い出した。去年一昨年と「文化の日」に放送されていたテレ朝の「テスト・ザ・ネイション」は、今年はやらないのだろうか。一応公式ページはあるようなのだが、どうも稼動していないようである。今朝の新聞TV欄にも載っていなかったし、見開きの回答欄(兼広告)も入っていなかった。
 結構楽しみに待っていたので残念である。とは言え、考えることがこんなにTVのことばっかりだったりすると、我ながら暇やなあ、阿呆やなあ、と呆れて自己嫌悪してしまうのだった(汗)。




11/04 常識(と思ってたこと)が覆る時

2005/11/04 16:09
 『ラプンツェル』で思い出した。子供の頃に読んだこの物語中では、魔女の庭で栽培されていた野菜の「ラプンツェル」とは、「ちしゃ」のことだと説明されていたような記憶がある。ちしゃとは何だと母に訊いたのか、あるいはその本の注釈にでも書いてあったのか忘れたのだが、ともあれ当時のわたしは「ラプンツェル=ちしゃ=レタス」だと理解した。子供を身篭った女性が、レタスを食べたい、と所望するのはなるほど納得出来ることだと思った。
 当時のわたしも、食べるならもそもそする千切りキャベツがメインのサラダより、瑞々しくパリパリサクサクのレタスのサラダがいいと思っていたからである。女の子の名前に「レタス」と言うのはどうだろうと内心思いはしたけれど。

 最近ではイメージとか画像の検索もカンタンに出来るようになったので、実際のラプンツェルとはどういう野菜だろうか検索してみようとふと思い付いた。ところがびっくり、「ラプンツェル=ちしゃ=レタス」というのは大間違いだったのである。ホンモノのラプンツェルはRampionという英語名で、キキョウ科ホタルブクロ属の植物らしい。日本で一般的なレタスはキク科アキノノゲシ属なので、まったく似ても似つかない、赤の他人ということになる。
 しかもラプンツェルは主に根っこを食べる野菜ということで、上記のページによれば、パースニップと似た使い方をするらしい。さっと茹でて温野菜として食すのだそうだ。また若い根はサラダで食べることもあり、さらに葉っぱや若い芽も食用となる。葉はほうれん草代わり、若芽はアスパラガスっぽい食べ方をするという。
 どの道、レタスとはあまりにイメージ違いなので、翻訳者さんがどうして「ラプンツェル=ちしゃ」と訳したのか不思議になった。そこそこ知名度があって可愛らしい根菜なら「ラディッシュ」を選べば良かったのに…。

 食用としてのラプンツェル栽培はもうほとんど廃れていて、今では観賞用がメインらしいので、『ラプンツェル』が最初に訳された時の日本でさえ「どういう野菜か」は案外知られていなかったのかもしれない。わたしが読んだのはおそらく金田鬼一氏訳のかなり古いものだと思う。とすると「何だか良く判らない新顔の野菜で、ヒロインの名前に選んでもそこそこ可愛いもの」としたら、当時はレタスくらいしかなかったのかもしれない。
 ついでだからレタスの種類も調べてみようと検索したら、こんなページが見付かった。売り場でお馴染みのレタスの他に、下の方に「ステムレタス(茎ちしゃ)」というものがある。葉っぱではなくて茎を食べる種類で、味が似ていることから「アスパラガスレタス」とも呼ばれているらしい。ラプンツェルの若芽もアスパラガスに似ているのなら、もしかすると訳者氏のイメージはこちらだったのだろうか。なるほど…。
 だとすると、「ラプンツェル=ステムレタス」ではなくて、敢えてちょっぴり古めかしく「ちしゃ」と訳したセンスは素晴らしいと思う。子供時代のわたし同様、あの物語を読んだ子はみんな「ラプンツェル(ちしゃ)ってどういう野菜なんだろう。美味しいのかなあ」と想像を巡らせただろうから。

 さらにあちこち彷徨っているうちに、中島孤島氏訳の『ラプンツェル』に行き当たった。何だか覚えのある文章である。特に「ふと美しいラプンツェル(菜の一種、我邦の萵苣(チシャ)に当る。)」の辺りはデジャヴュな感じである。1938年発行の本だそうなので、まさか原本を読んだ訳ではないだろうが、もしかしてこれが後の訳者さんたちのアンチョコになったとすると、「ラプンツェル=ちしゃ」は中島孤島氏のアイディアと言えるのかもしれない。
 当時のドイツ語辞書で「Rapunzel」にどういう説明が付いていたのか知る由もないが、1938年では「ラディッシュ」も「レタス」も「アスパラガス」も知名度低かっただろうなと思う。そして童話の原文でも「青々とした」に相当するドイツ語が使われていたとすると、この場合は根っこを食べるケースではないのだろう。葉もの野菜と理解したのならストレートに「ほうれん草」と訳したような気がするから、イメージとしてはやっぱりアスパラガスだったのだろうか。

 アスパラガスが日本に入って来たのは江戸時代で、食用としての栽培は明治時代に始まっていたらしいが、一般家庭に普及するのは昭和30年代以降だそうである。ハイカラ(汗)なものに詳しい訳者さんは知っているかもしれないけれど、童話を読む子供たちはまず知らない野菜、「アスパラガス」。「オランダきじかくし」とか「西洋うど」とか呼ばれていたらしいが、うどのサラダに恋焦がれるシチュエーションというのもイメージ的に微妙なので、やっぱり訳としては「ちしゃ」が程好くエキゾティックで適切だったのかもしれない。
 「茎ちしゃ」が「玉ちしゃ」にスライドしたので誤解が広まったのか、新訳が出た当時の子供たちは、この「ラプンツェル」をどういう野菜だとイメージして読んでいたのか、想像すると楽しくなって来たりする。




11/05 有機化学命名法

2005/11/05 15:42
 静岡県の女子高生が家族に一服盛っていた…というショッキングなニュースを耳にしてから、ちょっと疑問に思っていることがある。この件そのものについては、それだけ豊富な化学知識を持ちながら、危ない方向に走るとはもったいないことだ、と思う。劇物・毒物に関する知識欲は、ある程度誰でも持っているものだろうけれど、それを「実地に試したくなる」というのはやっぱり何かを踏み越えないと到達しない心境である。
 そういう意味では、この女子高生、根本的に科学者には向いていない性格だったのかもしれない。個人的には「マッド・サイエンティストは科学者とは呼ばない」と思っている。こういう事件とか人物のせいで、化学おたくが白い目で見られるとしたら、何ともやりきれない気がする。

 で、疑問に思ったというのは、この事件の続報か続々報で出て来た次のフレーズである。「4月にも別の劇物“ビス”500gを購入していた」とかいう文章にハテナが湧いた。何故かと言えば「ビス」という言葉は、有機化学物質についてあまりにも良く使われるものなので、通称に「ビス」と言っても何のことやらさっぱり不明なんじゃないか、と思ったのだ。有機物質の慣用名はあまりにも多いし、わたしは有機化学の知識なぞ錆び付いて久しいので、知らない物質があっても全く不思議ではないのだが。
 一般的に有機化学で「ビス」というと、単に「2」を表す接頭語である。一定以上複雑な側鎖(付属物)が2個くっついている場合、「ビス(ナントカカントカ)」と表記するのだ。ちなみに「3」は「トリス」、「4」は「テトラキス」である。付属物がもっと単純な場合は「2個→ジ」、「3個→トリ」、「4個→テトラ」となる。

 閑話休題。慣用名なのかなーと思いつつ他のニュース・サイトを覗いていたら、とあるサイトでは「ビス(トリブチル錫)」と表記してあった。じゃあやっぱり慣用名じゃなくてただの接頭語の「ビス」なのではないだろうか。もしかして、この記事を書いた記者さんは、「ビス」という化合物があって、その別名が「トリブチル錫」だと思ったのだろうか。だとすると結構恥ずかしいミスである。「ビスは防腐剤にも使われる劇物で…」とか書いちゃうのもかなり恥ずかしい。
 「ビス(トリブチル錫)」と書いただけでは、実は本体がどういう化合物なのか判らない。この表記で判るのは、「錫元素に3つのブチル基がくっついたものが2かたまりくっついた何か」だけである。防腐剤の世界では「ビス」と言ったら即座に通じる薬品があるのかもしれないのだが。

 「ビス 防腐剤 劇物」というキイ・ワードで検索したところ、こういうページにぶつかった。「ビス(トリブチル錫)オキシド」、船のペンキに混ぜて船底に藻とかフジツボが付かないようにする薬品だと思う。トリブチル錫は確か環境ホルモンの1種で、ペンキによる海洋汚染が取り沙汰されていた記憶もある。「ビス(トリブチル錫)ナントカ」は他にもあるけれど、今回の「ビス」ってこれのことじゃないのかなあ。
 繰り返しになるけれど、ひょっとしたら防腐剤の世界では「ビス」と言えばコレという有名な劇物があるのかもしれない。大昔、大学の研究室に居た頃「ビス−トリス(bis-tris)」という薬品を使っていたことがあるので、他にそういうイージーな名前の薬品があっても不思議ではない。ちなみにこの「ビス−トリス」は水溶液のpHを調整する緩衝溶液の素だった。飲んでも害はないが、美味しくはないと思う。

 疑問は抱きつつ、まさか新聞記事がそういうしょーもないミスをそのまま載せちゃったりすることもないだろう、と思っていた。ところが昨日だったか、虚偽報道:雨で中止の町民体育祭…昨年の写真使いというニュースを見て仰天。どうやら記事を書いた人物は、役所かどこかから回って来た去年の写真や資料を参考にしてしまったらしい。実地に取材に行かないのに記事を書くということは、新聞社では割とフツーに行なわれているのかもしれないが、記事を読む方からしたらちょっと手抜きに感じる。せめて確認電話の1本も入れておけば良かったのに…。
 そんな訳で、俄かに「劇物ビス(トリブチル錫)」という表記にも再び疑問が湧き起こるのだった。くどいようだが、有機化合物とか薬品の慣用名は星の数ほどある。防腐剤の世界では「ビス」だけで通じる劇物があるのかもしれない。そうだとしたら記者さんゴメンナサイと思うけれど、「劇物ビス(トリブチル錫)」という表記を見た感じでは、やっぱり誤解があるのではないかという疑いが消えないのである。

 問題の女子高生が「タリウム」の他にも劇物を買ってました、というのが記事の主眼なので、劇物の名前が何かというのはあまり重要ではないのかもしれない。けれど物質の固有名詞を出すのなら、もうちょっと慎重になっても良い気がする(あくまでも「劇物ビス」が存在しない場合の話)。
 大元の取材元というか、ソースではどうなっていたのだろう。やっぱり「ビス(トリブチル錫)オキシド」だったのだろうか。妙に気になる「劇物ビス」であった。




11/06 秩父宮ミーハー日記(汗)

2005/11/06 22:12
 関東大学ラグビーには2つのグループがあって、1つはワセダが属する「関東大学対抗戦」、もう1つは最大のライヴァル・関東学院大学が所属する「関東大学リーグ戦」である。今日は第1試合がリーグ戦の注目カード、関東学院大学 vs 大東文化大学の試合で、第2試合が早稲田大学 vs 帝京大学戦だった。
 たぶん今日の試合に勝ったチームが、それぞれ対抗戦とリーグ戦でほとんど優勝を決めるんではないか、という重要な試合である。当然観逃す訳には行かない。日曜日だというのに朝8時前に起きて、10時15分には秩父宮ラグビー場に着いていた。

 第1試合は期待通りの熱戦だった。大東文化大学の2人のトンガからの留学生がものすごいデカさで、観ているだけでビビってしまう。印象としては「バッファロー」、背も高いし身体の厚みもすごい。もちろんその厚みは脂肪なんかじゃなくて全部筋肉である。こんな選手に真正面からぶつかられたら、わたしの御贔屓ナンバー1のWTB・首藤甲子郎選手(早稲田)は壊されてしまうのではないかと心配になる。出来れば大学選手権では当たらないで済むと良いのだが…。
 リーグ戦にはすでに全勝のチームが居なくなっており、かなりの混戦状態である。印象としてはやはりカントウが全体的にまとまっているように見えて、たぶんカントウが勝つだろうと思っていたのだが、点を取ったり取られたりのシーソー・ゲーム。試合終了5分前には大東文化大学がリードしているなど、本当にはらはらする試合だった。
 カントウの試合巧者ぶりが物を言ったことと、FB・有賀剛選手の怪物プレイで勝った試合だと思う。やっぱり今年もワセダとカントウで覇権を争うことになるだろう。

 ワセダ vs 帝京の第2試合は少々渋いゲーム。例年かなり苦戦する、どちらかと言えば苦手なチームだと思うが、今年は特に厳しかった。LO・豊田将万選手と権丈太郎選手、CTB・今村雄太選手、WTB・田中渉太選手、FB・五郎丸歩選手と小吹和也選手など、レギュラー・準レギュラー含めて負傷休養中の選手がゴロゴロしている。ベスト・メンバーにはほど遠い状態で苦しいのは良く判るのだが、それにしてもディフェンスに冷や冷やした。
 逆に言えばそれだけ欠いていながら結局29対8で勝ってしまうのだからただ事ではない強さなのだが、やっぱり「勝って兜の緒を締めよ」だと思う。今日は帰ったら反省会かもしれない(気の毒…)。

 一番贔屓の首藤甲子郎選手は大変良かった♪ ライン際の魔術的な走りは健在。以前はタックルを喰らって倒された後のボールの処理がマズくて、相手チームに取られてしまうケースもあったのだが、最近では確実に味方選手にパスする余裕とテクニックが磨かれた感じ。去年は「攻撃は良いけどディフェンスがマズい」と言われていた面も、今年はめきめきと上達したと思う。3年生になってゲーム経験値も積んだせいか、WTBなのにFB的やCTB的なポジションのフォローも出来たりして頼もしい。
 あとはタックルの精度を上げれば無敵だろうか。163cm・71kgと如何せん小柄なので、ボールを持って走る相手チームの選手にタックルする時、上半身を掴んでも外されてしまうことが多いのだ。膝とか足首にタックルすれば、サイズ違いの相手でも確実に倒せると思う。上半身をボールごとガバリと押さえればボールを奪うことも出来るのだが、まずは相手の足を止めるのが優先と割り切って、一撃必殺の低いタックルを狙っても良いのではないだろうか。

 ところで今日は天気予報がどんぴしゃりと的中し、第1試合の途中から降り始めた雨が、第2試合後半辺りから本降りとなった。みんな予報を知っているので、ギャラリーも屋根のあるメイン・スタンドや西側(? メイン・スタンドから見て右手)スタンドに陣取りたがる。それは重々理解出来るのだが、ちょっと今日は横紙破りではないかという状況にぶつかってしまった。
 例によってワセダ学生席直下の席に座っていた。第1試合ではカントウの学生席で、賑やかな応援を聞きながらの観戦は楽しかった。いよいよワセダの学生さんたちが入って来るという時になって、一般のお客さん数名が、張ってあるロープをずらして勝手に着席してしまったのだ。家人が「ルールは守りなさいよ」と注意しても知らん顔。スタッフさんも何となく頼りないので、とうとう既成事実と化し、なし崩しにわたしたちの席は「学生席直下」ではなくなってしまったのだった。

 気象条件の悪い中、観に来てくれたお客さんが、少しでも雨に濡れないように配慮するのは当然かもしれない。学生席を優遇しすぎるのもナニだから、ちょっと詰めて下さいというのもアリだと思う。けれど、最初から観戦している人たちは、朝っぱらから行列して、開場時間まで待って、わざわざ「学生席直下」をGETしているのだ。後からポッとやって来て、観やすくて楽しい席に陣取ろうなんて、やっぱり納得が行かないのである。
 同じ場所が好みなのでしょっちゅう会う男性(五日市市在住ではないかと推定)も「ひどいですねえ…」と不満そうだった。この男性、わたしたちよりも毎回よっぽど早く来て並んでその席をGETしているのだ。今日は朝8時過ぎには家を出たと仰っていた。そういう努力が無視されるのもむかっ腹が立つのである。
 秩父宮で観戦するようになって随分長いけれど、こんな事態は初めてである。納得行かないぞ〜っ(ぷんすか)。

 という訳でワセダ学生席直下ではなくなってしまったものの、今日も負傷休養中の選手の顔を見ることが出来てちょっと安心。五郎丸選手や豊田選手、権丈選手は相当元気そうだった。今村選手も普通に歩いていたので、そろそろ復帰も近そうに思う。そういえばOBの古島直選手と後藤翔太選手の姿も見えた(ラッキー♪)。
 11月23日の早慶戦は、残念ながらチケットが買えなかったので、たぶんTVでの観戦になると思う。秩父宮ラグビー場で席が少ないのに、近年ワセダ・ファンが増えたため、オンライン販売開始直後にもう売り切れという事態に陥ったのである(哀)。某巨大匿名掲示板の情報によれば、銀座のプレイ・ガイドに行けばまだ指定席が残っているらしいのだが、わざわざそのために銀座まで出掛けるというのもねえ…。
 首藤選手のプレイを観たいし、あわよくば試合後にクール・ダウンしているところへ行って2005年版応援旗にサインしてもらえたら…と思っているのだが、どうも現状では早慶戦観戦は無理そうである。しょんぼり…。




11/07 さて出来はどんなかな?

2005/11/07 12:50
 先月28日の日記超カンタンな設計図を描き、寸法を計算し、部品を手配した「お手製バランス・ボード」が完成したのだった。人が乗る部分の円盤はDOitで仕入れ(1枚609円)、肝となる半球は工房 木よう大工さんで作ってもらった。半径5cmのが1100円、半径6cmのが1200円だったので、材料費は思ったよりもずっと節約出来てラッキーである。
 その他、強力接着剤と仕上げ用透明ラッカー、ささくれを取るための紙やすり、木製半球の送料など全部入れても5000円ちょっと。2個作ったので、1個あたり2500円少々で作れてしまったことになる。これで使い勝手さえちゃんとOKが出れば、工作に励んだ甲斐もある。今日のバレエ教室にブツを持って行って、先生に見ていただくつもりなのである。

小さい方大きい方  ←こちらが半径5cmの半球で作った方で、あちら→が半径6cmのである。たかだか1cmの違いでも見た目はずいぶん大きさに差があって少々驚く。円盤の直径は両方とも288mm、床に置いた時の傾きは計算値では、小さい方が約20°、大きい方が約25°である。画像では大きい方の傾きの方がじゃっかん緩いように見えるのは木製半球部分が重たいから。ただ床に置いただけでは、ある程度自分でバランスを取って、ゆらゆらしてしまうのだ。
 大きい方のバランスが多少良いのが気になるのだが、半球の接地面は完全な球なので、乗った時に安定してしまうこともないと思う。バレエ教室の先生に見ていただいて、どっちを実際のトレーニングに使うか決めようと思っているのだった。

 自分で乗った感じでは、やっぱり両方ともそうそうカンタンにはバランスが取れない(当たり前)。しかし小さい方と大きい方で難度に著しい差があるかというとそうでもなく、どっちが良いかは悩むところである。大きい方が当然重いので、持ち運びを考えると小さい方が良いのだろうか。しかしこんなもの、そうそう持ち歩くシロモノでもないしなあ…。
 なぜ小さいのと大きいのと2個作ったかには理由がある。ネットで「上級者用バランス・ボード」をいろいろ調べてみたところ、それっぽいものの傾きはどれも20°だった。しかしバレエ教室で見せていただいたFITTERのバランス・ボードWB11は、20°よりも傾きが大きかったような気がしたのだ。裏にくっついた半球部分も、設計図に描いたものよりは大きかったような記憶がある。寸法を測ってメモしておいた訳ではないので、印象としてそう思っているだけという可能性も高いのだが。

 DOitで売っていた円盤のうち、一番近い大きさに思ったので最大のを買ったのだが、それでも30cmに満たないのがちょっと不安だったりもする。バレエ教室でちょっとだけ乗ったFITTERのWB11はそんなような大きさだったものの、他で売られている製品はみんな直径40cm程度のものが多い。WB11は片足用ということになっていたから大丈夫だろうか。
 試しにFITTERのサイトを参照してみたら(遅まきながら)、WB11の直径は11インチ。Googleの電卓機能で計算してみたら、11インチは約28cmということが判明したのでやっと安心出来た。ううむ最初からこのサイトを探してみれば良かった。目算による記憶が案外正確だったらしい。ということは、木製半球部分もやっぱり大きかったのだろうか。

 我ながら結構上手に作れたと思うので、先生やメンバーに見てもらうのが楽しみである。じゃっかん表面が滑るような気もするので、滑り止めを工夫した方が良いだろうか。1500番くらいの紙やすりを帯状に切って貼り付ける計画なのだが、それだと裏返した時に、床が削れちゃったりするかもしれない。他に良い案を思い付かなければ…。




11/08 すっごく恥ずかしい話

2005/11/08 12:47
 タリウム事件で思い出したことがある。もうそろそろ時効だろうかと書いてしまうのだが、我ながら当時の自分を「ホンットに阿呆ちゃうかコイツ」と思うくらいの恥ずかしい話である。他人の話だったらドン引きするか爆笑するかどっちかだと思う。読んで呆れた方には、今のうちにすみませんと申し上げておきます(陳謝)。
 全然関係ないが、「タリウム」って何度見ても「タウリン」と読んでしまうのだった。

 今を去ること10ウン年前、修士2年の夏だった。修論実験は暗礁に乗り上げてお先真っ暗、就職先も決まらない。育英会奨学金が頼りの極貧生活にも疲れ果て、わたしはどっぷり鬱だった。大学のホケカンでカウンセリングも受けたりしていたのだが、治療のための薬を出してもらえる訳もなく、ほとんど役には立たない。修論、就職、貧乏と、原因がある程度はっきりしていたものの、自力で解決出来るものでもなかったからだろう。
 一番ひどい時期には、「どうやって歩いたら良いのか」判らないために、下宿の部屋から出られなくなることもたびたびあった。あんまりしんどいので、ついに安直な解決策を取ることにした。そうだこの世からトンズラしてやろう。

 さてではどうするか。痛いのも苦しいのも血を見るのも嫌だ(この辺まだ大甘である)。ふと思いついたのは、実験でマウスやラットに麻酔をかける時の強いクスリである。バルビツール酸系の水溶液で、そのままではマウスたちには強過ぎるので、生理食塩水で薄めて注射するのだ。あれをまとめ飲みしたらいいのではないか。
 もちろん(劇)で(向)なので、研究室にもそれほどたくさんストックされてはいない。現役で使われているのが1瓶あるきりで、それも10年くらい前のものなのだった。ラベルの消費期限はとうに過ぎている。効き目が薄れているかもしれないし、そもそもたぶん量が足りない。現役のを持ってってしまったら、研究室の他のメンバーも実験が出来なくなって困るだろう。

 出入りのプロパーさんに注文して、同じ瓶を新しく買うことにした。請求書を研究室宛ではなくてわたし個人宛にしてもらうための言い訳を何とか捻り出すのに大変な苦労をした。予算の関係で、買えるのはぎりぎり2本。なけなしの生活費をはたいての大博打だった。納品時には研究室の後輩に見つかり「まとりさん、なんでそんなアブナイのが要るんですか?」と訊かれたりして冷や汗をかいた。
 ともかくそうやって手に入れた「最終手段」のおかげで、逆にわたしは多少落ち着くことが出来たのだった。「いざとなったらいつでも」と思えば、とりあえず今日は、明日は、今週は、まだ何とか踏み止まってやり過ごせる。そんな風にしているうちに、苦しかった修論実験の山場もどうにか越え、教授のコネで潜り込ませてもらえる就職先もやっと見つかり、わたしの未来は多少明るくなったのである。貧乏だけはどうにもならなかったが。

 翌年10月頃、当時話題だった鶴見済氏の『完全自殺マニュアル』を手に取った。7月には出ていた本なのだが、就職直後でごたごたぐるぐるしていて気が付かなかった。修論も書けたし職にも就けて貧乏も解消し、危機的状態は脱していたものの、あまりにもストレートなタイトルに、つい興味を惹かれて読んでみることにしたのだった。中の「クスリ」という項には、わたしが入手した成分も挙げられていた。「これは確実だ」けれども「まず手には入らない」という文章に、何となくしてやったり感を覚えつつ読み進めることしばし。
 ふと疑問が沸いた。一覧で載っている「必要量」、手持ちのブツは足りているのだろうか? 「これさえあれば」のお守り的だった瓶2本をごそごそ探し出してラベルをしげしげ見る。1mlに50mgの濃度の液が、1瓶に50ml入っている。2本で100ml。つまり重さに直すとトータル5g。そして「必要量」の表には「最低6〜8g、推奨10g」とか書いてあったのだった。微妙に足りないんじゃん!

 その時の脱力感と来たらとても言葉には言い表せない。後にいろいろ調べ直したところ、分子量その他の関係で、ホントに足りなかったかどうかはどうも不明である。確認するとしたら実際に飲んでみるしかないがさすがにそういう訳にも行かない。そもそもこのクスリ、本来は注射用なのである。それを無理矢理飲んで、ちゃんと予想通りの効能があるかどうかはやっぱり微妙。と言って、100mlもの注射薬をどうやって自分に注射すれば良いのか。点滴セットなんか持ってないし、そもそも自分の腕に点滴針を刺すなんてとてもではないが出来っこない。
 やり損なうことほど無様で人騒がせな事態もそうはない。とうとうわたしはそいつを諦めた。バイアルをこじ開け、中身は流しに、瓶は会社の不燃物ごみにこっそり捨てた。さようなら、ホニャララ注射液。お守りとしては大層有効でした…。

 そして思い返せば小学校6年生の時にも似たようなことをやってたんである。クラスでシカトに遭っていた当時、とにかく生きるのが辛かった。どうにかしてこの世からトンズラしたかった。で、一計を案じた当時のわたしは、無邪気な少女を装って薬局に行ったのである。「お母さんがひどい咳で眠れないので、眠れるおクスリを下さい」と。
 薬局のお姉さんは「それは大変ね」と言って、白い錠剤を2粒売ってくれた。200円くらいだった。ありったけのお小遣いを持参したわたしは少々拍子抜けしたものだ。この2粒をいっぺんに飲んだら、きっと2度と覚めない眠りに就くことが出来るに違いない。思い詰めていたとは言えやっぱり子供、考えることが現実離れしている。ともかく大事にティッシュ・カヴァーの内側にしまい込んだその白い錠剤は、「これさえあれば」のお守りになってくれたのだった。

 今思うと、あれが本当に「眠れるおクスリ」だったかどうかさえ不明である。確実なのは、たった2粒程度飲んだところで「この世からトンズラ」は絶対出来なかっただろう、ということ。薬局のお姉さんが「この子ヤバい」と思って、完全に無害な錠剤を渡した可能性だって少なくない。とは言え、あの2粒のおかげでわたしは暗黒の数年間を乗り切ったのだから、名前も知らないあのお姉さんに、今では大変感謝している。
 ハタチを越えてまで同じようなことをやらかしたというのはひたすら恥ずかしい。もし本当にやっちゃってたら、研究室の教授や薬品会社のプロパーさんにも多大なご迷惑をかけただろう。反省も反省、大反省である。若気の至りと言うし、教授たちにはバレずに済んだし、クスリも処分しちゃったので、どうか大目に見てやって欲しいと思う。そんなこんなで、どこまでもどこまでも、研究室のS教授にはアタマが上がらないのであった。




11/09 ガチョ〜ン(死語)2連発

2005/11/09 17:18
 3日くらい前に「今度のレディス・デイには『ブラザーズ・グリム』を観に行こう」と思っていたのだが、そのレディス・デイの今日はどうも体調がおかしくて映画館どころではない。30分弱歩くのはとても辛くて出来そうにないし、かと言って体調不良の時にクルマを出すのも不安である。どうしようどうしよう…と様子を見ているうちに、映画の始まる11時はとっとと過ぎてしまったのだった(涙)。
 ネットで座席予約もしていたのに、残念である。チケット代と予約手数料の合計1100円が無駄になってしまった…。来週行こうかと思うものの、来週は『コープス・ブライド』にするのではないかという気もする。結局観損ねてDVD待ちかもしれない。ううむ久しぶりのテリー・ギリアム作品なのになあ…。

 で、ガチョ〜ン(死語)と思ったのは昨日のとあるネット・ニュースだった。某小説家のある作品が、三原順氏の『はみだしっ子』シリーズから多数の台詞や表現を借用していると判明し、絶版・回収になってしまった、というものである。かなり昔の作品とは言え、あんなに有名で、熱狂的なファンも未だ数多く存在する『はみだしっ子』を元ネタにするとは、また何とも勇気ある作家だなあと少々呆れた。
 熱狂的なとまでは行かなくても、わたしにとってもあの作品はバイブル的なものである。『はみだしっ子』全巻と『ロング・アゴー』はまだ大切に取ってある。読み返さなくても、「検証ページ」で取り上げられていた数々のシーンには思い当たるものがあった。
 作者さんは「素材カードが紛れてしまった、すみません」と詫びているらしい。それが本当ならば、素材カードを作る時にきちんと「自分の思い付いた文」と「引用元がある文」を区別出来るようにしておけば良かったのに、と思う。迂闊である。

 つい先日も、某有名バスケット漫画を借用して全作品を絶版・回収処分にされ、事実上漫画家としての生命を終わらせてしまった作家さんのニュースを聞いたばかりである。そのちょっと前にも、とある短編漫画とそっくりな短編を雑誌に掲載した某作家が問題になっていた。
 ネットがこれだけ発達し、画像のやり取りなどもこんなに簡単に出来るようになった昨今では、ちょっと参考にしただけのつもりでもササッとバレてしまうということだろうな、と思った。別にバレなければ良いというものではないが、いかにマイナーに見える作家さんにも少なからぬ数のファンが付いており、そういう人たちには一目瞭然なのだろう。ネットがなければ疑惑は一部のもので済んでいたのかもしれないが。

 完全にオリジナルなものを作り出すのは事実上無理だろうとは思うものの、『はみだしっ子』を借用したとされる作品も、某有名バスケ漫画を借用したとされる作品も、とある短編漫画を借用したとされる作品も、問題のシーンだけ見た限りの印象では「これは盗作だなあ」と言わざるを得ない。全体としてどう使われているかは、3作品丸々を読んでいないので判らないが、少なくともアタマの中で「確かこんな印象的なシーン(台詞)があったなあ…」と思い返して使ったのではない感じである。どう見ても、テキストを横に置いて引き写したな、というそっくり具合なので、絶版・回収もむべなるかな、と思う。
 アタマの中で「確か以前こういう印象的なシーンが」というふうに思い出しつつ書いたり描いたりしたものは、現実的にどういう扱いをされるかは知らないが、個人的には「セーフ」ではないかと思う。出来としてあまりにもそっくりになっちゃっていたら微妙かもしれないが、言葉で説明して「そっくり」になる程度の類似なら、情報に溢れたこの現代においては仕方のない部分もあるのではないだろうか。描線の1本1本が重なるとか、複数箇所において一言一句がそっくりそのままとか、記憶に頼っているうちはそういう現象は起こらないだろう。

 2個目の「ガチョ〜ン(死語)」もやっぱりその手のネタなのだった。それこそ20年も前から大好きで、ずっと読み続けている某漫画家さんが、やっぱり同じような借用の常習者らしいことをつい最近知ってしまったのである。中の妹が先にハマり、貸してもらったわたしもずっぽりハマったその作家さん、「ミュシャ」と「SF」というキイ・ワードで思い当たる方も多いだろう。
 以前から、ファッション雑誌のグラビアのポーズをカラー・イラストに拝借しているという噂を聞いてはいたのだが、80年代くらいにはどの漫画家さんも大なり小なりその手の「オシャレ輸入」はやっていた。みんなやってるからいいのかという議論は残るものの、個人的にはその辺りまでは別にお目こぼししても良いのではないか、と思った。衣装やアクセサリーのデザインを貰うのはNGだろうが、人体などという複雑な対象を、ある程度の参考資料ナシで描くのは至難の技である。参考資料ナシでデッサンガタガタの絵を見せられるくらいなら、参考資料アリで綺麗な絵を観たいと思う。あくまでも個人的意見だが。

 ところが現実はそんなものではなかったらしい。少し前に完結した、最も長い作品に出て来た「主人公の肖像画」が、とある日本画家さんの作品の構図にそっくりなものばかりだ、というのである。「検証ページ」で並べて見せられると確かに似ている。さらにファッション雑誌のグラビアなどの「参考写真」も、ただ横に置いて見て描いたというレヴェルではなく、どうも部分的にトレースしたのではないかというのだ。
 ご苦労にも画像ソフトで2枚の画像を重ね合わせた人が居て、それを見ると確かに、腕やら首やらの角度が一緒どころか線までが一致するものがある。プロの漫画家さんなら、ただ記憶通りに描いてもこのくらいそっくりに描けるのかもしれないが。

 その作家さんの作品を好きな気持ちは今でも変わらないし、新作を待ち侘びる気持ちも今までと同じなのだが、微妙にモニョっとする気持ちが生まれてしまったのも確かだったりする。昔の作品は業界の雰囲気が違うのでどうこう言うこと自体がおかしいとしても、最近の作品のは…うーんどうなんだろう。クリエイターの苦悩などわたしには想像するしかないが、イマジネーションというもの、こうすればこう出る、というものでもないのだろう。
 写真や風景を元に描くのは良くて「作品」を元にするのはNGとして、じゃあどこからが「作品」なのだろう。写真集やグラビアはもちろんNGなのだろうなあ。新聞の報道写真とかDVDのストップ・モーションもダメだろうか。極端な話、自分で撮った写真以外は全部NGなのかもしれない。もし本当にそうだとすると、クリエイターも大変だなあ、としみじみ思うのだった。




11/10〜11 ちょっとゴタゴタ

2005/11/11 21:06
 なんだかここしばらく気分が後ろ向きで、我ながら注意信号だな、と思っていた。一昨日の日記など、必要以上にマイナス思考してしまっているのが、後から読み直すと恥ずかしいまでに良く判る。冷静になって考え直せば、漫画家さんが何かを参考に作画するのは、別におかしいことでもなんでもないような気がしてきた。ただしファンとしては、要らぬ誤解や勘繰りはノー・サンキューなので、参考文献がもしもあるのならば、欄外や単行本巻末にでも、「参考文献一覧」として載せておいて欲しいとも思う。
 この辺は出版社によって方針が違うのだろうか。そういえば小学館で『おたんこナース』や『Heaven?』を出している佐々木倫子さんは、動物や海洋生物の絵などを作品中に描いたら、必ず欄外や巻末に参考文献を載せている。一昨日書いた大贔屓の漫画家さんの最新シリーズ(ある意味非常に専門的なテーマ)も、単行本の第2版以降では、巻末かどこかに参考文献一覧が掲載されているらしい(噂に聞いただけだけど)。わたしの持っている初版にはそれがなかったので、「こんな絵を記憶だけで描けるものなのか?」と随分不思議に思ったのである。
 何はともあれ、李下に冠を正さずというか(ちょっと違うな)、なるべく各方面に配慮して欲しいと思う。ファンも安心するし、長い目で見れば絶対その方が得に違いない。

 ところで昨日、母が急遽入院してしまったのだった。ゴタゴタしたのはそのせいで、昨日の日記が飛んだのもそのためである。
 入院と言っても重大な病気だった訳ではない。大腸の内視鏡検査を受けたら小さなポリープが見つかり、ついでだから切除したのだ。先週だったか、母が検査のための「家族の同意書」を持って来てサインしたのだが、その時にも「もしポリープがあったら切除・一晩入院」という話を聞かされていた。ただ楽天的な母娘のこと、2人ともまさか本当に入院する羽目に陥るとは思っておらず、当日そういうことになって慌ててしまったのだった。能天気なことである。

 わたしの場合、ここしばらくアトピーの調子があまり良くない。何かストレスがあるとワーッと悪くなるのが常なのだが、今回もそんな感じの悪化具合なのだった。ただし原因のストレスが何かというのが例によって良く判らない。「これだ」という原因が判る時の方が珍しいのだが、今回もおかしいなおかしいなと思っているうちにドッと酷くなった。背中一面蕁麻疹状態でもう痒いの何の。
 仕方ないので今日やっと、サボり倒していた皮膚科へ行って来たのだが、医者も驚く悪化ぶりであった。もうちょっと早く行けば良かった(反省)。
 家人などは、原因のストレスを「ロッテが31年ぶりに日本一になったりしたから、そのコーフンがストレスになったんだろう」と憎まれ口を叩いているのだった。可愛くないヤツである(顰蹙)。

 他にもいろいろあり、アトピーが悪くなると大抵熱も出す。ということで体調不良につき木曜日恒例のバレエ体操にも出席出来ず、最低限の用事だけこなして臥せっていた。そこへ不安声の母から電話である。「あのねえ、おかーさんやっぱり入院になっちゃったの。入院手続きに家族が居た方がいいって言うから、今から来てくれる?」。
 幸いというか何というか、問題の病院はウチから徒歩5分の超近場である。去年の10月に出来たばっかりの中規模総合病院で、母のマンションの真向かいに建っている。とりあえず立地としてはこれ以上望むべくもない。やっぱり職場と病院は近ければ近いほど良いなあと実感しつつ、母の代わりに入院手続きをするやら、マンションまで洗面用具や暇潰し用の本、読書用眼鏡、常用の目薬その他を取りに2往復するやらしていたのだった。

 今日わたしが皮膚科から帰りがけに電話したら、母もちょうど午前中に退院出来たらしい。別に具合も悪くないししんどい所もないから、来なくて大丈夫だよと元気な声を出していたので、わたしもそのまま帰宅した。ただししばらく念のために安静にするつもりらしい。昨日の段階では、今日の午後、所属しているレク・ダンスの練習会に出たいんだけどととんでもないことを言っていたのだが、さすがに自重するようである(当たり前だ)。
 そんな調子でちょっと凹み気味の何日かだったのだが、埋め合わせて余りあるラッキーもやって来た。1つは家人の仕事先の方にいただいた、明日のアジア・カップのチケットである。ロッテ vs 中国の東京ドームでの試合を観戦出来るのだ。やった♪ こうと知っていれば、優勝記念の黒Tシャツ、やっぱり1枚買っておくんだった…。

 もう1つは今日宅配便で届いた、オフコースのDVDである。なべ屋 繁盛記のオーナーであり、掲示板などでも時々お目にかかるKC(敬称含むお名前なので“さん”は要らないそうなのだが、いつもさん付けしたくてうずうずする)が、ご好意で下さったのだ。なんとあの伝説の、1982年6月の武道館、5人時代のファイナル・コンサートである。当時わたしは中学生。もちろん行きたかったが、チケット代はないし、一緒に行く友人も居ないし、当時は「中学生が友達同士でコンサートに行くのは不良行為」ということになっていた。
 そんな訳で諦めていた(そしてそれ以降半ば忘れていた)あのコンサートを、ついに観られることとなったのだった。おお、5人とも若い! わたしの一番好きは小田さんで、次が鈴木康博さんだったので、本当にもう感激も一入である。
 追い掛けて 手にした〜ものが〜 違うのだろう 悔しいんだろう〜♪

 ともあれこのDVDのおかげで、アトピーの痒さも忘れられそうである。本当にありがとうございました>KC 長い長い冬〜に耐え〜てゆけ〜♪




11/12 マリーンズ vs チャイナスターズ in 東京ドーム

2005/11/12 19:37
 どういう経緯で回って来たのか良く知らないが、今回いただいたチケットはものすごーく良い席だった。1階ネット裏、前から14列目、僅かに1塁寄り。1塁側ベンチのマリーンズの選手たちがベンチ前に出て来たら、オペラ・グラス無しでも顔の表情が判るんである。ヴァレンタイン監督が出て来た時、「ボビー!」と呼んだら声が届くんである。もちろんわたしは叫んでないのだが、隣に立っていた人が声を掛けたら振り返ってサム・アップをしてくれたので、聞こえているのは間違いない。  11/12東京ドーム
 ←こちらがその時撮った画像なのだが、今は試合後のヴァレンタイン監督インタヴュー風景(ピントぼけぼけ)を仮置きしている。データが入っているデジカメを、夜勤に出掛ける家人が持って行ってしまったので、振り返って手を振りつつ愛想を振り撒いてくれたヴァレンタイン監督の画像が手元にないのである。ともあれこの画像でも判るように、下手するとTV画面で観るよりもグラウンドに近い位置だった。

 もちろんこんな良い席で野球を観たのは生まれて初めてである。右打ちの選手が打席で見せる表情が手に取るように判る。打ち損なってバットが折れたら、その折れた音がはっきり聞こえる距離なのだ。ものすごーく楽しかった。チケットを下さった方、お顔も名前も知らないけれど、本当にどうもありがとうございました♪

 試合内容としては、マリーンズの主力選手たちを温存したと見えるライン・ナップだったこともあり、かなり苦戦してしまった。チャイナスターズのピッチャーの球が遅すぎるのと、良いのか悪いのかいま一つ良く判らないコントロールのせいで、マリーンズの打線は湿りがち。4回くらいまでは無安打というやきもきする展開だった。5回、1アウト満塁から4番のベニー選手がタイムリー2塁打を放って一挙3得点し、失点は1回表の1点だけに抑え、そのまま逃げ切った。
 守備に定評のあるマリーンズらしくなく、エラーがなんと4つというややしょっぱい内容だったのだが、3回表にはこれまた生で観るのは初めての「トリプル・プレイ」が飛び出したのでまあ満足である。フォア・ボールとバント・ヒットで無死1、2塁。ヤン・グォガン選手の打った球が先発の黒木「ジョニー」知宏投手の左膝を直撃して息を呑んだ。跳ね返った球をセカンド塀内久雄選手が直接捕って打者アウト。ボールを転送して飛び出した1、2塁走者をそれぞれ刺し、トリプル・プレイ完成である。
 黒木投手は交代してしまったので、ラッキーなのかアンラッキーなのか良く判らない三重殺、J-SPORTSで再放送される18日に、もう1度じっくり観直そうと思っている。

 アクシデントのおかげというのは語弊があるが、お気に入りの小宮山悟投手の登板も観ることが出来た。とは言え、今回一番感心したのは、外野を埋め尽くしたマリーンズ・ファンのパフォーマンスだった。誇張でも何でもなく、左右のスタンドが真っ白なのである。もちろん全部マリーンズのファン。その人たちが、ラッパや太鼓の音頭に合わせて一斉に手を振ったりマリーンズ・タオルを掲げたり…。
 どちらかというとそういう風景には全体主義的なものを感じて好きではないハズなのだが、あの真っ白な外野だけは、何だか観ていて「楽しそうだなあ」と思ってしまったのだった。試合開始時とか、相手チームの攻撃が始まる時とか、状況に応じた定番の「お作法」があるらしい。スタンド全体が打席に入った選手の名前をコールする場面なぞ、つい例のガムのCMを思い出した。ううむこういう調子で自分の名前を呼ばれたら、確かにものすごーく元気になっちゃうだろう。

 そしてフランコ選手やベニー選手の打席で応援歌と一緒に飛び出したのが、噂に聞くジャンプだった。何というかもう、フライパンで大豆を炒っている時のような、ぐらぐら沸騰するお湯の表面のようなピョンピョン具合である。スタンド全体がそうやって跳ねているその風景はまさに壮観。一見の価値アリ。ただし、あの調子で跳ねられたら、甲子園のレフト・スタンドは確かにヤバいかもしれない。
 ミーハーなのでつい「外野スタンドであの中に混ざって応援したいかも」などと思ってしまった(汗)。オリンピック等の延々と続く「ニッポン」コール、サッカーW杯での「テーハミングッ」、Jリーグの「エンドレス凱旋行進曲」は苦手なのに、この違いはどうしたことだろう。単なる現金なミーハー心なのか、それともマリーンズの応援だと、状況ごとにくるくるパターンが変わるのがキレ良く感じて好ましいのか。静かに観戦すべきシーンでは静かなので、そういうメリハリが好きなのかもしれない。…いや、やっぱり単にミーハーなんだろうな…。

 夜勤のために会社に向かう家人と別れ、ふと気になってグッズの売店「TO:DO」を覗いてみた。本当は空いていたゲーム前に入ってみたかったのだが、家人に寄り道を却下されたのである。ちゃんとマリーンズのグッズ売り場もあったが、そのコーナーだけほとんど押し蔵饅頭状態なので、情けなくも突入することが出来ず、何も買えないまますごすごと退散したのだった。
 背番号26のファン用Tシャツとか欲しかったなあ(未練)。幸い向こう3年間ヴァレンタイン監督の続投が決定したので、とりあえずまたのチャンスが巡って来るのを待つことにしようか。来シーズンは小坂誠選手も規定打席到達するといいなあ。




11/13 ちょっと手抜き?

2005/11/14 00:58
11/12ボビー1 11/12ボビー2  アトピーが痒かったり、ついでに首を寝違えてしまってイタタタだったり(阿呆)したためにサボりなのだが、とりあえず昨日撮った東京ドームの画像だけアップしておこうと思う。本当は昨日の日記の画像をきちんと置き換えようと思っていたのだが、面倒なので方針変更(汗)。

 左のが、ベンチから出て来たヴァレンタイン監督に、わたしの隣に立っていた男性が声を掛けた時の監督の様子である。本当はサム・アップをしていたのだが、シャッターを切るタイミングが悪くて手が引っ込んでしまった(惜しい)。そして右のが、ヴァレンタイン監督のサム・アップに思わずキャーとかワーとか跳ねてしまったわたしの方を向いて、ヴァレンタイン監督が手を振ってくれた時の画像である。
 ミーハー極まりないわたしは、今でもこの時、一瞬だけだけどちゃんと目が合った! と信じているのだった(阿呆)。後から思い返せば、せっかくこんな近くに行けたのだから、小坂誠選手の調子はどうですか、怪我は順調に回復しているのですか、と訊いておけば良かった。左脚の肉離れだという話だけれど、シーズン最後くらいはベンチに入れるくらいに治っていてくれたらなあ…。

 そしてちょっとでっかい画像なのだが、家人が撮った東京ドームの様子がこちらである。12日の試合開始前セレモニーで、両チームのメンバーが整列した時の画像なのだ。外野スタンドが真っ白なのが多少は判るだろうか。実際に見た感じだと、もっと白さが際立っていて、しかも観客の1人1人が跳ねたりする。本当に壮観だった。
 来年の交流戦がもしも開催されるのなら、横浜スタジアムのベイスターズ vs マリーンズなんかは観たいなあ。でもどっちを応援したら良いのか判らなくなっちゃうなあ(つくづく阿呆)。

 今夜の決勝戦で、マリーンズは見事、アジア・カップの初代チャンピオンとなったのだった。TVで観るだけでもハラハラする展開だったので、出来たら今日も観に行けたら良かったのになあ、と図々しく思った。来年もチャンピオンの座を守るのは相当難しいだろうが、ヴァレンタイン監督の下、ハツラツとした野球でまた楽しませて欲しい。
 ともかく、千葉ロッテ・マリーンズ、完全優勝おめでとうございます♪




11/14 法則を探す

2005/11/14 12:53
 昨夜TVで(ちなみにJ-SPORTS)アジア・カップの決勝戦を見ながら、サムソン・ライオンズの選手たちの背中に気を取られていた。当然と言えば当然だが、選手名がハングル文字で書いてあるので、全然読めないのである。韓国では最近数十年(?)、漢字を使うことを止めてしまったらしい。最後に残った砦であった人名表記も、背番号を見る限りではハングル表記メインになっているようだ。
 全然読めないとなると、ますます「何と読むのだろう」と知りたくてうずうずしてくるのだった。阿呆だが性分なのかもしれない。

 大学院に居た頃、韓国からの留学生のKさんとCさんに、「ハングル基礎の基礎」を教わったことがある。ハングル文字は基本的に発音記号の組み合わせであること、組み合わせ方は漢字に似ていること。例えばヘンとツクリのように左右に1組だったり、カンムリとツクリ(?)のように上下に1組だったりする。
 さらにその下に、ンとかプとかムとかの区切れ音がくっ付くこともある。キムチの「ム」とか、「クッパプ」の「プ」とかがこれに当たる。ンには2種類だか3種類だかあったハズだ。…ここまでが10数年前にちょっとだけ教わったことの名残り。

 ということで、ライオンズの選手たちの背中と、成績紹介の日本語字幕のカタカナ表記を見比べつつ解読を試みた。語尾のンはどうやら「O」と「L」の2種類らしい。やはり語尾の「ム」は「口」、「プ」は「廿」の横棒が外に突き出さない記号と思えた。比較的簡単に見分けられたのはここまでである。
 TV画面だと当然、選手たちの背中よりは顔の表情を重点的に映すので、なかなかハングル文字が見えない。見えたものを書き留めて、後からカタカナ表記の読み方と照らし合わせようとしたのだが、どれが誰だったかあっという間に判らなくなる。何とか「こうじゃないかな?」と思った記号は以下の通りである。

 母音の「A」は「ト」、「I」は「│」、「U」は「┬」、「E」は「┤」、「O」は「将のヘン部分」。たぶん母音は5種類だけではなくもっとありそうなのだが判別が出来ない。
 子音シリーズ。「CH」が「又」、「J」と「H」が「┴の下にO」、「K」が「フ」。「M」が「口」、「N」が「L」、「P」が「廿」に似ているというのは語尾と一緒っぽい。「Q」が「ヲ」、「S」が「人」、「Z」が「大の上が突き出さない形」。

 もちろんどっか間違っているだろうし、基本的な組み合わせだけでは説明出来ない法則もまだあるような気がするのだが、とりあえず韓国のポピュラー苗字「キム」さん「パク」さんくらいは、ハングル文字の表記が判るようになった。「キムチ」の「チ」も「又│」と表記するんじゃないかなーと見当が付く。合っているかどうかは知らないが。
 常々「ハングル文字のFEPはどういう仕組みなんだろう」と思っていたのだが、この調子だと、アルファベット入力で案外簡単に変換出来そうである。子音と母音と語尾の組み合わせを打ち込んだら、それをハングル文字に組み立て直して出力してくれれば良い。たぶん漢字の変換よりも、アルゴリズムはシンプルで行けるのではないかと思う。

 日本語ネイティヴからすると、ほとんど暗号にしか見えないハングル文字。面白いなー、本当の文法(というか組み立て法則)はどうなってるのかなーと思ってネット検索したら、はんぐる昆布というサイトが引っ掛かった。母音と子音の仕組みから、語尾(本当は「終声」と呼ぶらしい)、二重母音やら「激音」やらのことが、カリキュラムに分けて丁寧に載っている。
 やっぱり本当に使いこなそうとすると、きちんと文法書で勉強しなければならないようだ。ライオンズ選手の背番号だけではどうにも見当が付かない部分もある。ちょっと面白そうだなと思うものの、手強そうなので、いま一つ手を出す勇気も出ないのだった(ヘタレ)。




11/15〜16 喪中お知らせを出さねば

2005/11/16 11:16
 家人方の祖母が2人も亡くなったので、今年は(建前としては来年か)年賀状を出せない。喪中に付き新年のご挨拶は云々という例の葉書を出さなければならないのだが、もう11月も中旬だというのに、まだ「葉書を買って来ただけ」の状態なのだった。ヤバイ。しかも家人が買って来てくれたのは100枚。例年、100枚では足りなくなって買い足しに行くハメになるというのに、大丈夫なのだろうか。
 …と思って確かめたら、買い置きの葉書が27枚あった。良く考えたら、わたしが姪っ子や祖父母たちに折々の挨拶を出すために、以前まとめ買いしてあったものである。最近は可愛いカードに凝っているため全然消費しないので、その存在すら忘れていた(汗)。

 正式なものとしたら、きちんと印刷屋さんに注文したものに喪中切手を貼って出さねば、ということになるのだろう。ただしもうそんなことをしている時間がない。普通のインク・ジェット紙に「筆ぐるめ」で作った文面を印刷して出すしかない。3年前に父が亡くなった時は、さすがに印刷屋さんに頼んだんだっけ? ううむもう忘れているのか(呆れ)。
 そして年賀状で細々と連絡をやり取りしている方々のお身内で今年ご不幸があった方からも、ぽつりぽつりと喪中お知らせが届く。大抵はお祖父さまお祖母さまの訃報で、赤の他人たるわたしが拝見しても大往生と思えるお歳が多い。とは言え、お身内としてはやっぱり大変だったことも辛かったことも沢山あるだろう。看病疲れしているのではないかなあと心配になったりするものの、特に返事などを出したりはしなかった。

 しかし昨日受け取った1通の喪中お知らせは、わたしには少々ショッキングなものだった。古い知り合いで、わたしと同い年の女性からのその葉書には、ご夫君の服喪中だとあったのだ。今では年賀状で年に1回消息を知らせ合うばかりなので、ご夫君とも面識はないのだが、まだせいぜい40歳代なのではなかろうか。
 さぞ落胆しているだろう、せめてカードなりとも送ろうかと思ったものの、何が原因で亡くなったのかなどの詳細はまったく知らない。そんな状態でカードを出して、うっかり無神経なことを書いちゃったらどうしよう。もしも逆の立場だったら、お見舞い葉書をもらうのは別に嫌ではないが、人それぞれ地雷は違うしなあ。ううむ悩む…。

 そもそもこういうことをまったくの他人事としては捉えられない。家人の体格と気性を考えると、ひょっとすると激昂した拍子に脳溢血とか、行列に割り込んで来た人に文句を言って刺されるとか、そういうことが有り得るのではないかと心配になることだって少なくないのだ。現に以前、通勤時、電車の中で何かトラブルがあった際に顔を殴られるという目にも遭っている。特に腕っ節が強い訳でもないのに、見ないフリ聞かないフリが出来ないのだろう。ある意味困った性分である。
 と思っていたら、昨夜「本当は怖い家庭の医学」とかいう特別番組があった。家の中で緊急事態が起こった時、救急車が来るまでの間にやっておかなければならないのはどういうことか。救急救命法についての番組である。

 急な脳の病気、心臓の病気で家族が倒れた時、やってはいけないことなどの解説もされていて、わたしとしては結構参考になった。心肺蘇生法とか、咽喉に異物が詰まった時に取り出すためのホルナントカ法とか、練習しないと上手く出来ないかもしれないが、全然知らないよりは大分マシだろう。例の喪中お知らせのショックが尾を引いているとは言え、こういう番組を「タイムリーだな」と思ってしまうというのも少々不謹慎かもしれないが。
 どちらかというと家人を心配する前に、隣家の義父母とか、徒歩5分在住の母とか、年齢的にもっと危険度の高い人物も身近なのだった。義父母や母に何かあった時、わたしはきちんと対処出来るのだろうか。パニックを起こしやすい性格なので、おたおた慌てふためくだけで何の役にも立たなかったらドウシヨウ…。




11/17 お犬様のお洒落

2005/11/18 00:05
 以前にも書いたことがあると思うのだが、近くにあるショッピング・モールには、なぜかお子様とお犬様がやたらに多い。モール本体はクルマも自転車も通行禁止で安全なので、小さい子供たちが多いのは理解出来るのだが、お犬様の社交場になっているのはどうしてなのだろう。確かに有名(らしい)ペット・ショップがあるにはあるが、どうも見聞きした感じだと、わざわざ遠くからクルマでペットを連れて来て、モール内を散歩させるのが流行っているようなのだ。
 可愛い犬たちを見るのは大好きなので、別に少々変わった風習があろうが気にしない。通りすがりに「まあ可愛い!」と声をかけるのは喜ばれるのだが、頭を撫でたり抱き上げたりという行為にまで及ぶ勇気はない。噛まれる心配よりも、飼い主さんに「ウチの子に気安く触らないで」的な眼差しで見られたら傷付いちゃうなーと思うと、手を出すに出せないのだ。

 時々TVのペット番組で「この子は人間と同じです。娘(息子)よりよっぽど可愛い」と溺愛されている犬や猫たちが出て来るけれど、近所のショッピング・モールで見掛けるワンちゃんたちはどの子もこの子もみんなそういう系統である。冗談抜きで「お犬様」とお呼びしたくなる気品と雰囲気がある子たちばかり。
 お洋服やアクセサリーを身に着けているのはむしろ当たり前。着てないワンちゃんを探す方が難しい。そしてどの子もみんな「血統書付きです」という顔立ちをしている。いわゆる雑種犬は、あのモール内に限って言えば、ほとんど見かけたことがない。

 6年前に16歳で死んだ愛犬ロックちゃん(シャーロック・ホームズと『超人ロック』からいただいた。ちなみに女の子である)はぱきぱきの雑種だった。しかも迷子犬、平たく言えば捨て子である。間違いなくドイツ・シェパードの血が入っている毛皮の模様(と図体)だったためか、散歩していると時々「その犬は何という種類ですか?」と訊かれることもあった。拾った時の状況から考えてきょうだい犬が居たに違いないし、もしかしたら姪や甥に当たる犬も産まれているかもしれないと思っていた。
 だから今でも、ロックに似た犬が誰かに連れられて散歩していないかと、道行くワンちゃんたちに目をやる癖は治らない。ロックそっくりの子犬がどこかに居ても、ウチは飼ってあげられる環境ではないのだが、それでもついつい探してしまうのだ。不思議なことに、今まで1匹も「ロックそっくり」な子を見たことはない。あの子はどこから来たのだろう。

 という訳でわたしの好きな犬はずばり雑種なので、近所のショッピング・モールのお犬様たちは、可愛いと思うけれど興味の対象外なのだった。
 最近流行りの超小型犬は、あまりに身体が小さくて体温調節を自分で上手く出来ないため、冬場は保温用、夏場は直射日光避けの服を着せてあげる必要があるのだという。家人などはそういった愛玩犬を好きではないらしく、犬なのに服を着なければいけないなんて情けない、と憤慨している。確かに野性からはかけ離れているけれど、そういう風にしてしまったのは人間たちで、犬たち自身に罪はないと思う。だから問題のモールで相当に奇天烈な衣装を着ているワンちゃんを見かけてもあまり驚かない。

 しかし今日、買い物帰りに駐車場で出会ったトイ・プードルはすごかった。クリーム色の毛皮なのだが、おでこの辺りだけオレンジ色をしているのだ。帽子だろうかと思って横目でしげしげ見たけれど、やっぱりご本人の毛である。まさかとは思うけれど、ワンちゃん用のカラーリングってあるのだろうか。
 帰宅してからネットでちょっと調べてみたら、やっぱりそういう「専用カラーリング剤」が売られているらしい。こんな感じで、毛染めだけではなくてマニキュアもあるという。モール内のペット・ショップでは見たことがないので、ごく最近の流行なのかもしれないが、驚いてしまった。

 そして流石に「ちょっとこれはどうだろう」と思うのだった。犬の皮膚というのは思いの他敏感である。しかも人間の体表面積に対する頭髪部分より、犬にとっての頭髪部分の割合の方がもちろん大きい。万が一カラーリング剤にカブレたら、人間の場合よりも大きなダメージを受けてしまうのではないだろうか。
 それに、おでことかアタマ部分ではなくて腕とか脚とか尻尾をカラーリングして、その毛をワンちゃんが舐めたら良くないのではないだろうか。染めた後に良く良くシャンプーしても、ひょっとしたら薬品が残っているかもしれないのだし。
 だとすると、モール内のペット・ショップでそういった製品を見かけないのはそのためかも、と思った。このお店、いろいろな面で「良心的」ということになっているらしいからである。可愛くても、ペット本人に良くないものは扱わない可能性もある。

 実際にペットのカラーリングが良いか悪いか、本当のところを知っている訳ではない。だから知識もナシに眉をひそめるのもどうかなとも思う。けれどどう考えても、ワンちゃんたちにカラーリングの必要性はないと思う。衣服と違って何の役に立つというものでもないんだし。
 子供の頃、お祭りの露店で見た「カラーひよこ」を思い出して、どうにも切ない気分になってしまったのだった。母に「1匹欲しい」とねだったら、あのひよこたちは元々非常に弱いひよこたちで、しかもその上クスリで色を変えられているものだからもっと弱っている。家に連れて帰っても、あっという間に死んでしまうから可哀想だよ。そう言われた原体験が結構デカい。

 トイ・プードルなんて、何もしなくても可愛いのだから、変に色なんか変えないであげて欲しいな、とやっぱり思うのだった。せいぜいマメにトリミングして、可愛いスタイルを保つ程度で充分ではないだろうか。近所のモールが、カラーリングしたワンちゃんだらけになってしまったらちょっと嫌かもしれない。

 そしてトリミングで思い出したのだが、良く考えたらわたし自身は、もう半年以上もカット・ハウスに行っていないのだった(呆れ)。行き着けのお店からは「11月はお誕生月ですよ」というサーヴィス案内の葉書(兼「いい加減に切らないとマズいんでは?」というリマインド用)が来ている。
 明日にでも切ろうかと予約を入れるつもりでいたのだが、知人に教えてもらったロジックパズルについ熱中してしまい、電話をするのを忘れたのだった(阿呆)。クロスワード・パズルにちょっと似ているこのゲーム、うっかりハマると止められないのである。本当なら先日録画した『TRICK』も観てしまわなければいけなかったのに、やれやれである。また家人に呆れられるなあ(とほほほ)。




11/18〜19 W杯が来なかった(涙)

2005/11/19 17:30
 昨日の未明、アイルランドはダブリンで、IRB(国際ラグビー評議会)の投票があった。2011年に行われるラグビーのW杯をどこでやるか、という選挙である。立候補していたのは日本と南アフリカとニュージーランドで、下馬評ではおそらく南アフリカに決まるのではないか、と言われていた。ラグビーの人気が高いことと、スタジアムの規模が大きいことなどが大きなメリットだった。デメリットは治安が少々良くないことらしい。ニュージーランドもラグビー人気は高いのだが、施設が老朽化していることなどがデメリットとして挙げられていた。
 日本はどうかと言うと、施設面では文句なしに3ヶ国中一番良い。2002年のサッカーW杯で使った各地のスタジアムを使わせてもらえば良いからで、ついでに交通網も整備されているので移動も楽である。ホテルなどの宿泊施設も万全だし、W杯開催に乗じて便乗値上げをしたりする風潮もあまりない。

 最大の弱点は何と言っても「ラグビーの人気があまり高くない」ことである。「あまり」どころか「全然」でも良いくらい。かなりのファンであるわたしの贔屓目から見ても、日本ではラグビーは超マイナーなスポーツだと思う。この日記でもちょくちょくラグビー観戦記を書くことがあるけれど、友人・知人からは「ラグビー・ネタの日は良く判らないから…」とコメントをいただくのが常である。
 面白いんだけどなあ、ラグビー。足の速い選手や力自慢の選手など、さまざまな特徴を持った選手たちが活躍する。タックルやスクラムなどは文字通りの肉弾戦なので、格闘技ファンでも楽しめると思う。得点方法にも3種類あるので、なかなか点が入らずにイライラするということもない。

 個人的なもう1つの「萌え」ポイントは、選手があまりチャラチャラし過ぎない、ということである。少なくともプレイの最中は。接触プレイが多いために、試合中は指輪もピアスもネックレスも眼鏡も禁止。目の悪い選手はコンタクトをするしかない。あまりに髪の毛が長いと相手チームの選手が追いすがって来る時に掴まれる恐れがあるので、極端に長髪の選手も居ない。そもそも頭部を怪我から守るヘッド・キャップなんか着用した日には、髪型なぞなんぼのもんじゃい! ということになる。
 やはり怪我防止のために選手は必ずマウス・ピースを含んでいるので、試合中にガムを噛むことも出来ない。チーム・メイトに指示をしたりコミュニケーションを取ったりするために大声を出す時なぞ、そのマウス・ピースを口からべろんと出して、用が済んだらまた嵌めるんである。どう見ても美しくない。

 雨が降ろうが雪が降ろうが試合は行われるし、去年だったか、台風来襲の真っ最中に敢行されたトップ・リーグの試合もある。とにかくイメージ的に無骨というかストイックというか、そんなような感じがする。トライを決めた選手が観客席に向かってラテンのステップを踏んで見せたりということもないし、ゴール・キックを成功させた選手がパフォーマンスすることもない。もしかしたら今後、そういう目立ちたがりの選手が出て来る可能性もない訳ではないが。
 そんな風にちょっと控え目な感じがするラグビーというスポーツは、わたしの琴線に思いっ切り触れたのだった。自信満々で「世界は俺様を中心に回っている」というキャラよりは、どちらかというとシャイで不器用で、しかし自分の得意ジャンルを着々と歩んでいる選手が好きだ。プレイ・スタイルは幾ら派手でもいいけれど、自己アピールが行き過ぎて派手な選手は「こいつ何なの」と思ってしまう。スポーツ選手にはあまりそのタイプは居ないけれど。

 日本でラグビー人気が今ひとつなのは、ルールの複雑さに因るところも大きいだろう。サッカーや野球などは、競技場に行って1人でボーッと眺めていても、大体のルールはすぐ判ると思う。けれどラグビーは、詳しく解説してくれる人が居ない限り、得点システムがどうなっているのかさえなかなか判らない。わたしの場合は、ラグビー・ファン歴20年以上の家人に連れられての初観戦だったので、面白さが判り易かったのだろう。ラッキーなケースである。
 もっとも、ラグビーに輪をかけてルールも試合システムも複雑なアメリカン・フットボールは、最近『アイシールド21』というアメフト漫画の人気に釣られて愛好者が増えているらしい。少年漫画誌の最大手での連載ということで、子供たちへの紹介という役にも立っているのだろう。ストーリーに絡めてルール解説をしてくれれば、難しいポイントも飲み込み易くなる。

 いいなー。誰か「少年ジャ○プ」でラグビー漫画を連載してくれないかなー。2011年のW杯招致は逃したけれど、その次の2015年に向けて10年計画というのも良いのではないだろうか。今のところ、小学校の体育の授業で「タグ・ラグビー」というのを広める試みなども行われているようだから、必ずしも下地が全然ない訳でもないと思うのである。
 「one for all, all for one」の理念なんか、熱血OKの少年漫画にぴったりな気がするのだが。『泣き虫先生の7年戦争』のブームよ再びと願うばかりである。

 ラグビーW杯の歴史というのは案外浅くて、次の2007年の大会でやっと6回目である。ラグビー自体の歴史はそれこそ100年以上あるのだが、長らく「世界一を決めるような大会はやってはいけない」という伝統(?)があったらしい。国を代表するチーム同士の「テスト・マッチ」はOKだったのだが、W杯はNGとかで、第1回が開かれたのは1987年になってからである。以下4年ごとに開催されているものの、開催地はニュージーランド、オーストラリア、イギリス、南アフリカだけだった。
 再来年はやっとフランスに行くけれど、それでもやっぱり「強豪国の持ち回り」という批判の声も大きい。そんな調子だったので、日本にもわずかな勝算はあるかもしれないと、期待しないようにしつつやっぱり期待しちゃっていたのだった。本当に残念である。

 アマチュアリズムが色濃く残っているラグビーの世界なので、IRBの収入源はほとんど、W杯で上がる収益に限られている。ラグビーの国際化を謳った日本でやってみて、もしお客さんが全然入らなくて大赤字だったら大変なことになる。今回日本が落選したのは、1にも2にも「確実な収益が見込めない」からだと思う。まあ、それはある程度仕方ないことなんだけどね…。
 第1回の投票結果は、意外にも南アフリカのイチヌケ落選だった。最有力候補と見込まれていた南アが落ちて、日本とニュージーランドの決選投票となった時、わたし以外にも日本全国で「これはひょっとしてひょっとするかも」と思ったラグビー・ファンが大勢居たことだろう。ニュージーランドには勝てるんじゃないかと期待してしまったのがいけないのかもしれない。

 まあともあれ、この4年間でせめてもう少し日本でのラグビー人気を盛り上げて、2015年にはぜひともW杯を開催出来るようにして欲しいと思う。再来年のフランス大会で、せめて1勝くらいはしてくれると見込みも明るい気がする。過去5回のW杯で、日本代表チームが取った勝ち星はたったの1個。別に常勝チームでないと人気が出ないとは思わないが、ファンの新規開拓にはやっぱり、「W杯で勝ちました〜♪」というのは効く気がする。
 マリーンズだって今年、きっとずいぶんたくさんの新しいファンを獲得したと思う。ラグビーもあやかりたいものである。頼んだぞ、日本ラグビー協会さん…(いまいち頼りないんだけど)。




11/20 千葉に行けたら良かったのだが

2005/11/20 17:40
優勝記念菓子  日本一、そしてコナミ・カップでも優勝に輝いた千葉ロッテ・マリーンズの祝賀パレードが、地元千葉で今日のお昼ごろに行われるハズだったのだ。パレードのコースは2つ。1つは市中心部で行われるもので、中央公園から千葉県庁までの約600mが予定らしい。そしてもう1つは幕張新都心、幕張ベイタウンから千葉マリン・スタジアムまでの約1.7kmのコースだという。いいなあ、行きたいなあ…。
 ネットでのお知り合いで千葉在住のMさんにも、行き着けのチャットで情報を教えていただいたりしていたのだが、何せこのパレード、市中心部のが始まる時間が朝9:30である。所要時間は30〜40分らしく、そこから幕張新都心に移動してもう1つを見物したとしても、正午にはパレードが終わってしまうらしい。うううううむ、時間が早い…。

 ウチから千葉まではどんなに少なく見積もっても2時間はたっぷりかかる。試しにYahoo! の路線案内でルートを調べてみたら、余裕をもって9時前後に到着しようとした場合、最寄り駅を7:07に出発する電車に乗らなければならないのだった。ちょっと早いよなあ。もう少し遅く、例えば全てのスケジュールがあと2時間ほど後ろにズレてくれていれば何とかならないでもないのだが…。
 とは言え、過去2年間だけ住んだ千葉市駅周辺の交通事情を考えると、正午前後に道路を塞いでパレードなんかしたら、一般の人々には迷惑以外の何でもなくなってしまうかもしれない。千葉に居たのは10年ほど前の時期だが、まだ午前中であれば多少は空いているというのは、今でもおそらく変わらないのだろう。

 昨晩だったか、家人が某スーパーの特売チラシを眺めていてとある目玉商品に心惹かれ、「日曜日は朝イチでこれをGETしに行こうよ」と言い出したのでパレード参加案はカンペキに消えた。もとより今日の家人は泊まり勤務で、21:30に出発せねばならない。逆算して晩御飯の支度や諸々の所用をこなすことを考えると、朝っぱらからパレードを観にウチ〜千葉を往復し、15:00前後に帰宅して云々というスケジュールは厳し過ぎたのである。
 先日Yahoo! で発見した(そしてつい勢いで参加してしまった)マリサポネットの参加者さんたちも、今日のパレードを見物するためのオフ計画を着々と進めていらっしゃるので、パレードがどんな感じだったかはこちらの書き込みで見せていただくことにしよう、と思った。ひょっとしたらどなたかが、撮影して来た写真をアルバム機能で公開して下さるかもしれない。

 未練はたっぷりと残りつつ、家人の「目玉商品GET作戦」に付き合うことにした。ちなみにその目玉商品とは「緑茶2リットル入りPETボトル6本セット、1箱700円(お1人様1箱限り、限定400箱)」というものだった(汗)。バレエ教室やらスポーツ・クラブやらに通う時に飲み物を持って行かねばならないので、最近はこういったお茶ドリンクをやたらに消費してしまうのだ。
 土日祝日は開店が9:00というその張り切りスーパーに行くために8:30起床。とりあえず身支度だけ整えてクルマに乗り込み、開店時間10分前にお店に到着した。ついでだから日常の買い物も済ませることにする。わたしは1箱だけだが、家人は1度レジを通って駐車場までブツを積み込みに行き、再び店内に戻ってもう1箱GETするという作戦に出た。合計18本、さてどこへ仕舞っておこうか…(悩)。

 そしてお菓子売り場を通りかかった時に見つけたのが冒頭の画像にある「日本一記念コアラのマーチ&クイッククエンチ」である。つい嬉しくて、またまた買ってしまったのだった。パ・リーグ制覇の時の「コアラのマーチ」はまだ5箱、ガムも3つ残っている。さらに日本一ヴァージョンが増えてしまった。
 パ・リーグ制覇ヴァージョンはドヴォ組のメンバーに1つずつ差し上げようと思っている。3つか4つは減らせる予定なので問題ないのだが、最後に残る分はどうしよう。モノがモノだけに「永久保存版」に出来ないことだけははっきりしている。けどなあ、開けちゃうのも何だかもったいないんだよなあ…(とことん阿呆)。




11/21〜22 免許更新と眼科とバレエ

2005/11/22 15:14
 今までの運転免許には「平成17年の誕生日まで有効」と書いてある。今月25日が誕生日なので、そろそろ更新をせねばならないのだった。ここしばらくとみにそう考えるようになったのだが、出来れば運転免許は失効しちゃった方が世のため人のためになり、しかもわたし自身も怖い思いをせずに済むので都合が良いのではないだろうか。ただしわたしが免許返上すると、自動的にウチと隣家の2軒で唯一の運転手役を(いずれは)引き受ける羽目に陥る家人は当然大反対。「そんな勝手は許されないから絶対更新しなさい」と言う。
 自力で運転試験場なり警察署なりへ出向いて更新せねばならないとしたら、先延ばし先延ばしにして結局失効させちゃうという奥の手が使えないこともないのだが、幸か不幸かわたしと家人の誕生日の間隔は1ヶ月未満なのだった。しかも偶然にも免許更新する年が同じ。つまり、同じ日に2人で出掛けてまとめて更新というお得なことが可能なのである。

 5年前まではその偶然が嬉しかった。今の在所の警察署には到底自力ではクルマで行けず、しかも駅から結構離れている。バスに乗るのはもったいないが歩くとちょっと面倒という嫌味な距離に位置するのだ。かと言って府中や鮫洲その他は遠過ぎる。
 今年はそのラッキーが「便乗」と言うよりは「強制連行」と言う風情だった。お知らせハガキに書いてある免許更新期間が「誕生日の前後1ヶ月間」だそうなので、良く考えると別に今日(21日)でなくても良くて、まだ1ヶ月も猶予があるのではないか。家人は泊まり勤務明けで徹夜、朝10時過ぎに帰宅してすぐ警察署へ出掛けると言うのはあまりにもしんどいから、またの機会にしてはどうか、と提案してみた。先延ばしの手は効かないとあえなく却下されてしまったが。

 家人の言うには「そんなことしたら、今月25日から実際に更新する日までの間、キミは無免許ということになっちゃうじゃないか」だそうである。そうなのかな? でもお知らせハガキには「免許証の有効期限は、誕生日後1ヶ月です」と書いてあるのだが…。免許証そのものには「平成17年の誕生日まで」と記されているので、結局どっちが正しいのか良く判らない。不便である。家人が徹夜明けでなかったとしても、既に眼科検診とバレエ教室がバッティングしている日だったので、出来たら別の日が望ましかった。
 判りにくいと言えばこのお知らせハガキの「必要により持参していただくもの」の第2項は最強である。ちょっと引用してみよう。

・海外旅行、入院などの「やむを得ない理由」で免許が失効して6ヶ月以内に現在の免許を再取得し、再取得後の期間が5年未満であるため初回講習となった方で、失効前の期間と通算して5年以上である場合は、その当時の「やむを得ない理由」を証明する書面

 阿呆だからだろうか、わたしは5回読んでもこの項の意味を理解することが出来なかった。どっちみちわたしは無関係なのだが、こういう悪文の読解は不思議とムキにさせられるものがある。ついでだから家人も巻き込んで、2人でとっくり考えてみることにした。
 更新期間中に外国に居たり入院中だったりして止むを得ず失効させてしまうケースは理解出来る。で、失効後6ヶ月以内に帰国あるいは退院して免許を再取得したのもOK。再取得後、次に更新する場合は3年目なのでもちろん5年未満、初回講習に合致するのだろう(全員そうではないかという気がするがよく判らない)。とすると、単に「海外在留 or 入院中に免許失効し、かつ半年以内にちゃんと取り直した人のうち、失効するまでの運転歴が長かった(2年以上)人」というだけのことが言いたいのだろうか???

 なぜこんなに回りくどく書かねばならないのか良く判らない。しかも家人は「海外在留 or 入院で免許失効した人が半年以内に取り直す場合、失効理由を書かされて、ついでに“それを証明する書面”とやらも提出させられるハズだ。それなのに取得後の初回講習でまた同じ書類を出させるの? この項目は無意味だ!」と怒っている。
 講習時にもらった「安全運転のしおり」の「免許証が失効した場合の手続」を読んでみると、失効後6ヶ月間なら ・免許証 ・住民票(本籍記載) ・写真 ・手数料 だけを持参すれば免許更新が出来るらしい。「やむを得ない理由」を証明する書面とやらは不要なのだ。そしてその後の初更新時、「やむを得ない理由」のある人は講習区分が変わるので、それを証明する書面を持って来てくれ、ということになる。

 なるほど、パスポートなら手元にあるけれど、診断書だの入院証明書だのはもらえるまでに多少時間がかかるから、免許の再取得時には間に合わないだろう、との御高配なのだろう(違うかな)。しかし診断書も入院証明書も、もらうためには結構なお金もかかったんではなかったか。しかも電話1本でご自宅へお届け♪ とか言う便利なことを病院がやってくれる訳もない。手間隙かけて「証明する書面」を取っても、受けられるメリットが「講習区分の変更」だけだったら、あんまり嬉しくないような気がする。
 全員「初回更新者講習」に当てはまるのであれば、受けなければならない講習の時間が多少減る程度。良く知らないがせいぜい1〜2時間の差だろう。仮に「今までに運転歴が長い人」は「優良運転者講習」に該当するとしても、手数料の差額はほんの1000円である。パスポートを持参するだけでこれだけお得、というなら持ってってもいいけれど、診断書だの入院証明書だのはねえ…。

 ともあれ、更新したい気持ちとしたくない気持ちが半分半分の、ビミョーな今回の更新も無事終了。5年前はアトピーの症状がひどかったため、今までの免許証の写真は我ながら不本意極まりないものだった。新しく撮り直して多少マシな写真になったことは素直に嬉しい。

 買い物等を済ませて13:00頃に帰宅した後は、家人は睡眠不足を解消するためにお布団へ直行。わたしは晩御飯の仕度やその他細々とした用事を済ませてから眼科検診経由でバレエ教室である。ちょっぴり忙しい1日だった。やれやれ。
 それにしても結局、免許証の有効期限は「誕生日まで」と「誕生日の1ヵ月後」のどっちが正しいのだろう。謎だ…。




11/23 右と左

2005/11/23 22:17
 自分の顔写真の真ん中に鏡を立てて、右側だけと左側だけでそれぞれ1つの顔を作ってみると、大抵の場合はかなり人相が違うらしい。完全に左右対称の人が居たら、その人は周囲からおそらく「美形」として認識されているハズだという。どこで見聞きしたのかは例によって覚えていない。
 良く考えたら中身(内臓)だって、左右非対称の配置になっているのだから、外見が左右非対称でも当たり前なのだろう。そして外見の違いと同じくらい、左右のパーツで性能及び耐久性も異なると見える。

 昨日眼科で「視野検査」を受けて来た。確か1年くらい前の日記に書いたことがあると思うが、内部が真っ白く塗られた半球の内側へ顔を突っ込んで、片目ずつ、視界を横切る光の点に気付くことが出来るかどうかテストするのである。こちらのページにある「ゴールドマン視野計」というもので、中央の四角い枠の下部にくっついている台に顎を載せ、上の枠におでこをくっつけて顔を固定する。
 中心にはオレンジ色の光が灯っていて、被験者は検査する方の眼でこの光を注視していなければならない。その状態で、視野のどこかを、白い光が時々すーっと横切る。横切ったのに気が付いたら手元スイッチを押す。

 人間の眼には「盲点」と呼ばれる区域があるので、そこを横切った光には誰も気が付かない。眼の構造は、縒り紐が繋がったピンポン玉のような形をしている。縒り紐は視神経で、ピンポン玉に繋がっている点が盲点(だったと思う)。ただし、何かのトラブルで視神経が傷付いていると、盲点以外にも「見えない」範囲が出て来る。それを調べる検査である。
 そうしたらどうも、右眼には盲点以外に見えにくい範囲があるらしいと判った。一昨年、右眼に眼内レンズを入れる手術を受けた時の検査で要チェックと診断され、それ以来定期的に(サボっていた期間もあるけれど)視野検査を受けなければならないのだ。今回も、一昨年や昨年の結果と比べて進行してはいないけれど、視野欠損は間違いなく始まっているらしい。ごくごく初期の緑内障である。

 結構ショックだったりするが仕方がない。眼科の主治医によれば、これもやっぱりアトピー持ちの宿命であるという。発生学的に(?)眼の構成物は皮膚の延長上にあるものなので、皮膚が特別弱いアトピー患者の眼も、必然的に弱いことが多いのだそうだ。わたしの場合はしかも近視でもあり、強度の近視の人は視神経の繋ぎ目に負担が掛かることもあるとか何とか。それにしても緑内障って年配の方の病気だと思っていたので、何だかちょっぴり恥ずかしいのである。
 ピンポン玉の中に詰まっている液体の圧力(眼圧)が高くなり過ぎると、当然、視神経の繋ぎ目に負担が掛かるので緑内障が発症しやすくなる。ただし眼圧は普通なのに視神経がイカれる「正常眼圧緑内障」というのもあって、特に日本人に多いらしい。わたしの右眼もコレである。

 眼圧が高くなる症例ならば、目薬などで眼圧を下げることで治療に繋がるのだが、正常眼圧の場合は初期には特にやることはない。視野欠損と言っても本当にごく軽いものなので、日常生活で不便だったりすることもない。人は普通は両眼でものを見るものだし、無意識に眼や顔を動かしているため、多少見えない範囲があっても気が付きさえしないものなのだ。
 とりあえず早目に気が付いて良かったですね、定期的に検査して進行状況をチェックしましょう…と主治医の先生はおっしゃるのだが、傷付いた視神経は再生しないので、一端欠けた視野は二度と元には戻らない。正常眼圧緑内障の場合は特に進行を止める方法さえないらしい。何だかものすごーくまだるっこしい気分になる。

 眼内レンズを入れる羽目に陥ったのも右眼だけだし、ヤワい視神経(の繋ぎ目)も右眼だけ。どうやらわたしの右眼はちょっとばかり出来が悪いようである。そして眼に限らず、わたしの身体はどうも、左よりは右の方が使いにくいような気がする。
 以前書いたことがあったと思うが、左右開脚でストレッチなどをする時も、左脚側にはペターッと付けられるのに、右脚側はどうも苦しい。左だと頬や耳や鼻などを膝に付けられるし、左ももに腹とか胸も付けられるのに、右は惜しいところで付かないのである。前後開脚でも、左脚が前の時は、左のふくらはぎを床に付けられるところまで下がるようになったのに、右脚前だとどう頑張っても「お尻と床まであと10cm…(汗)」から先へ進まない。

 手製の「バランスボード」で片脚パッセの練習などをしてみても、左脚より右脚軸の時の方がバランスを取りにくい。ちなみに片脚パッセとは両脚を数字の「4」のような形に保つポーズである。左脚軸の時は10秒ちょっとは留まっていられるようになったけれど、右脚だと7秒とか8秒がせいぜいなのだ。思うに、右脚の筋肉の方が弱いのだろう。
 そういえば高校時代までは毎年受けされられていた「体力測定」でも、右手より左手の握力の方が強かった。強いと言っても「右→18kg、左→20kg」とかのレヴェルなので、どっちも情けないの一言なのだが(汗)。

 ということで、わたしの場合、どうも意識的に身体の右側パーツを鍛えなければならなかったらしい。右脚でバランスが取りにくいことも、右の方が身体が固いことも、バレエを習い始めるまでは全然気が付かなかった。日常生活レヴェルでは気にするほどのこともない差なのだろうが、バレエ的に美しい動きをしようと思ったら、左右は同じように使えなければならないのである。頑張らないと♪
 それにしても不思議なのは、強い方が必ずしも器用とは限らない、ということである。わたしは利き眼も利き腕も利き足も全部右なのだ。片眼で何かすることはあまりないので効き眼が弱くても特に支障ないけれど、弱い方の右手や右脚が「利き腕・利き足」だと言うのは何だか損したような気になって来る。

 ハンドボール投げとか走り幅跳びとかの記録が惨憺たるものだったのは、きっと弱い方が利き腕利き足だったからなのに違いない(本当か?)。左で投げられたり踏み切ったり出来ていれば、もうちょっとはマシな記録が出たのかもしれない。体育の成績も、もうほんのちょっとはマシだったのかもしれない。
 そんなことを考えた「右と左の関係」だった。とりあえず右脚の筋肉を重点的に鍛えることを考えなければ。




11/24 皆さん御身御大切に…

2005/11/24 16:03
 昨日はラグビーの早慶戦を観に、例によって秩父宮へ行っていたのだった。関東ラグビー協会(だったっけ?)のサイトでネット販売を始めた日、ほとんど十数分のうちにお目当ての指定席が売り切れてしまったので、今年はTV観戦かと半ば諦めていた。しかしどうにも未練が残り、例によって某オークションを覗いたら割に手頃なチケットが買えてしまった。プレミアも、2枚で1000円程度である。電車に乗ってプレイ・ガイドだかどこかを回るよりは楽だったと思うことにしよう。
 試合内容としては特筆すべきものはあまりなかった。前半、慶応のディフェンスが思いの他堅かったので、これはいいゲームになるかとハラハラしつつ期待していたのだが、後半はワセダ猛攻撃となった。結局54−0の完封勝利、しかも対抗戦5連覇も飾った。素晴らしい♪

 とは言え、大贔屓の首藤甲子郎選手のトライが、認定トライになって記録に残らなくなってしまったのが個人的な不満点である。後半4分、ライン際を走って見事トライかと思ったら、最後の最後に首にタックルを喰らってタッチ・ライン外に出されてしまったのだ。首から上へのタックルはもちろん反則である。「この反則がなかったらトライだっただろう」ということで認定トライとなり、首藤選手はトライ1個損してしまったのだ。
 チームで取るのがトライ、という建前からすれば個人の記録にならなくても良いのだろうけれど、やっぱりご贔屓選手が活躍した印というのは、記録に残っていて欲しいのである。

 ショックなのはその直後、後半11分に、首藤甲子郎選手が交代してしまったことだった。バック・スタンドから、首藤選手が右足を軽く引きずりながらベンチに下がるのが見えた。前半に少し傷めていたようなので、それがやっぱり痛むのだろうか。それとも帰宅後TVKの放送で解説されていたように、首へのタックルのせいで右足を少しやってしまったのだろうか。
 次の試合は12/4の早明戦(at 国立競技場)である。まだ10日あるから、どうかそれまでに完全に治っていますように。首藤選手のハット・トリックが観たいよ〜♪

 そして今日は久しぶりのバレエ体操の日だった。わたしの体調が悪かったり、スポーツ・クラブが設備改修で1週間休業したりしていたので、実に4週間も出席出来なかったのだ。サボったレッスンは2回だが、参加メンバーの皆さんはずいぶん心配して下さっていたらしい。今後はきちんと毎週出るようにしよう。
 と思っていた今日、今度はインストラクターの先生が故障なさってしまったということを聞かされて大ショックである。聞いたところによれば、一昨日、先生がご自分のレッスンに出席なさっている時に、足首にヒビを入れてしまったのだという。治療のために今年一杯はクラスは休講ということになった。ガーンガーンガーン。

 改修工事明けの昨日から「お知らせ」が貼り出してあったらしいのだが、バレエ体操参加のメンバーでそれを見た人は居なかったらしい。わたしも昨日は秩父宮へ行ってスポーツ・クラブへは行かなかった。休講とも知らず集まったメンバーで急遽相談し、仕方がないから先生が復帰する日まで自主練しようということになった。
 プリエやタンデュ、ジュテ、ロンデジャン、グラン・バットマンなどのバー・レッスンを、みんなで代わりばんこにカウントしながら行なうのである。本当ならBGMというか音があるとバレエっぽくなるのだが、いつも使っている音源は先生の私物らしく、スタジオ備え付けのCDラックにはなかった。メンバーのお1人がバレエ教則本を持っていて、それにCDも付いているそうなので、来週からはそれを使うことにしようかと話がまとまったのである。

 こういう時、メンバー同士が結構まとまっていて本当に良かった、と思う。代講の先生がいらっしゃるのでなければ1ヶ月間お休みという状況は耐え難い。幸い、スポーツ・クラブのスタッフの方も自主練を認めて下さった。木曜日のいつもの時間、いつものスタジオをメンバーだけで独占してしまって構いませんよと言う。ラッキー♪
 今までは「わくわく体操」というコマの1つを「バレエ体操」と呼んでいたのだが、改修明けの昨日からはちゃんと名前が付いて「オリジナル・バレエ」というコマに昇格(?)したらしい。メンバーが固定したのでクラブも認めてくれたのだろう。願わくば後は、せめて移動式のでもいいから、バーを買ってくれるといいなあと思う。ついでに言えばレッスン時間も30分ではなくて1時間枠にしてもらえないだろうか。
 他の支店ではやっているところもあるらしいので、不可能ではないハズだが、どうかなあ。贅沢な望みなのだろうか。




11/25 そしてまた誕生日が…

2005/11/25 23:11
 巡って来たのだった。もうあとン年で不惑のカウント・ダウンが縮まるだけなので、本人としては全然嬉しくないのである。家人だって今日は夜勤で不在なので、別に「はぴばすでー、はにー」などとお祝いしてもらったこともない。いや例え夜勤でなくたって、家人がそんな台詞を言うことは有り得ないのだが。
 去年と同様、メンバー登録している各種サイトからお祝いメールをいただいたが、その半分くらいはダイレクト・メールなので、やっぱり嬉しくない。母など近しい人から何通かWebカードをいただき、それは大変嬉しかった。皆さんどうもありがとう♪

 ところでこの1年間で何か変わったのだろうか。最近、時の経つのがあまりに早くて、何もしないうちに次の誕生日が巡って来てしまう。小学生の時の体感時間と比べると、少なくとも1/3にはなっているのではないだろうか。この分では、油断しているうちにあっという間に不惑を迎えそうである。せめてもうちょっと充実させておきたいものだ。
 この1年で最大の変化はやはりスポーツ・クラブ通いを始めたことだろう。そこのバレエ体操に触発されて、バレエ教室に通い出してしまったことも大きい。バレエ体操参加からはもうじき1年、バレエ教室入会からは5ヶ月が経とうとしている。相変わらず「バレリーナのような脚」からは程遠い体型だが、ストレッチを地道に続けて来たおかげか、身体の柔軟性は多少アップしたかもしれない。遅々とした進歩だが、1年前とは左右も前後も、開脚出来る角度が違って来ているのだ(嬉しい)。

 日常動作でも身体を柔らかくしたり、脚を上げるための腹筋を鍛えたりする方法はないものか…と考えていた。脚を上げるためには、柔軟性ももちろん必要だが、それ以上に腹筋や背筋が重要なのだそうだ。脚の重みを腹で支えるイメージらしい。わたしが「多少は身体が柔らかくなったのに、いつまで経ってもフォンデュで横90°にしか脚が上がらないのが悔しい」と言ったら、先生がそう仰ったのである。
 そうか腹筋か。しかしいわゆる普通のシット・アップのような腹筋体操では、おそらく脚上げのための腹筋とは微妙に違うところが鍛えられるような気がする。シット・アップならばそれほど苦手でもないのに、こんなに脚が上がらないのは何故だと不思議になるからである。きっと何十回、何百回とフォンデュやアダージオを繰り返すことでしか、目的の筋肉は鍛えられないのだろう。

 という訳で、先日来、日常生活に脚上げ動作を取り入れているのだった。具体的にはドアを開け閉めする時や部屋の電気を点けたり消したりする時に、手ではなくて足を使うのである。それもなるべく背筋を伸ばし、身体の軸脚をしっかり伸ばした美しい姿勢を保って。
 スポーツ・クラブのシャワー・ブースでも同様の試みをしている。ここのシャワーの栓は時限式で、前面に付いているレヴァーを1回押したら一定時間だけ、湯水が吐出される仕組みになっている。「継続してお湯を使いたい場合はレヴァーを押し続けて下さい」と注意書きにはあるが、片手でノズルを持ち、もう片手であちこち擦ろうとしたら、レヴァーを押し続けるのは不可能である。まったく不親切極まりない設計だと思うが、こうでもしておかないと水を出しっ放しにするメンバーが多いのだろう。
 このレヴァーを足で押してやろう。両手でシャワーが使えるし、お湯は継続して出せるし、しかも腹筋も鍛えられる。一石三鳥である。

 実際にやってみると、これは結構ツラい。レヴァーの高さは電灯のスイッチよりは低く、大体胸の下辺りである。足をレヴァーに載せるだけならスイッチのON/OFFよりは楽に出来るのだが、これを保持するのは予想以上に苦しいのだった。腹と前脚と軸脚の3ヶ所が、次第にぷるぷるして来る。おそらくシャワー・ブースの奥行きがあまりないので、スイッチよりも苦しい姿勢で脚を上げねばならないからだろう。
 壁から充分な距離を取れれば、そして短い間だけなら、脚上げはそれほど難しくないのである。ただし、膝を伸ばした状態でスイッチの高さまで上げようと思ったら話は別だが。

 洗った後で身体や髪を濯ぐ時、左右交代で脚上げレヴァー押しを実行したのだが、ひょっとすると明日は筋肉痛になるのではないかというくらい「効いた」のだった。スポーツ・クラブに行く時は毎回これを実行していたら、あるいは脚上げのための腹筋・背筋とやらが、かなり効率的に鍛えられるのではないかと期待大である。
 ただしすっ転ばないように充分気を付けなければならない。あんなところで、しかも素っ裸でコケたらあまりにみっともない。シャワー・ブースを壊すことはないと思うけれど、後頭部にコブくらいは作りそうな気もするし…。

 人には見せられないみっともない姿だし、誰かに勧めようとも思わないトレーニング方法だが、果たして効果はあるだろうか。飽きずに続けられたら、おそらく2、3ヶ月後には多少の変化が表れるのではないかと思うのだが(阿呆)。




11/26 暖かい冬の過ごし方

2005/11/26 18:12
 先日までの厳しい(と言っても最高気温12℃くらいはあったので、真冬並みではないのだが)寒さにメゲて、ついに今年もアレのお世話になることにした。湯たんぽ、敢えて漢字で書くと湯湯婆、冬の寝床のお友達である。皮下脂肪は割にたっぷり付いていると思うのだが、わたしは非常な寒がりで、特に膝から下が冷えて冷えて大層辛い。冬場は足先の冷えのせいで寝付けないこともある。
 冷え切った寝床に入っても、普通の場合は、しばらくブルブル震えていれば次第に自分の体温で中が温まって来るものだろう。けれどわたしの場合、膝から下はいつまで経っても冷たいままなのだ。血の巡りが異常に悪いのだろう。
 靴下を履いて寝てもダメである。運動不足で代謝が悪いせいで冷え性なのかと思っていたが、スポーツ・クラブ通いを始めて約1年経っても変化ナシなので、ちょっと不満なのであった。まだ運動が足りないのだろうか。がっかり。

 そういう訳で、わたしが暖房器具に求めることはただ1つ、「とにかく足元を温めてくれ」である。古来より頭寒足熱は健康の基本だと言うし、至極真っ当な要望だと思うのだが、冷え性でない家人にはなかなか通らなかったりする。どうも「足先の切なさ」を味わったことがないらしい。
 その差を一番感じるのがクルマに乗っている時である。助手席でわたしはいつも、足先が冷たくて震えている。暖房は入っているのだが、上半身を温めるばかりで、わたしに取ってはほぼ無意味なのだ。長距離ドライヴの際は本当に耐え難く思えて来る。仕方ないのでエアコンを操作して吹出し方式を「足元」に切り替える。ホッと一息…と思いきや、足元が生温くて気持ち悪い、それにこんな暖房の入れ方だと眠くなる、と主張する家人に、吹出し方式を元に戻されてしまうのだった(悲)。

 まだ真冬ほどの寒さではない今の時期だと、上半身は普段の格好に1枚カーディガンを羽織れば充分である。ただし足元は何か強制的に温めてくれるものが必要だ。使い捨てカイロを貼り付けて毛布でぐるぐる巻きにすることや電気式のファン・ヒーターを試した結果、今ではハロゲン・ヒーターに落ち着いている。上下2段の切替式になっていて、片方の消費電力は400Wと書かれている。
 居間、仕事部屋、台所など、一定時間立ち止まったり座ったりして何か作業をする時は、常にこいつを一緒に持ち歩く。掃除や洗濯など、ウロウロ歩き回る用事の場合は、足元の切なさはまだそれほど気にならない。多少辛くなったらハロゲン・ヒーターのところへ戻ってしばらく温めてから作業に戻れば良い。膝下が温かければ、不思議なもので、身体全体がほこほこと温かく居られるのだ。

 ハロゲン・ヒーターには部屋全体を温める威力はないので、家人が在宅中は石油ファン・ヒーターを使う。足元はやや冷たいが、切なくなって来たら真ん前に暫く佇んで足先を温めれば良い。消費電力は420Wとハロゲン・ヒーター並みに少ないが、燃料の灯油が今年はやけに高価い。ランニング・コストを考えると、ハロゲン・ヒーターに軍配が上がるような気がする。
 最悪なのがエアコンである。こいつには足元を温めるなどという芸当は不可能なんじゃないかと思う。各電機メーカーさんは挙って「足元あったか」とか「直下型急速暖房」とか、部屋の下部を温めるという宣伝を打っているが、わたしに言わせれば全然ダメである。いくら長時間運転させていても、アタマの辺りは気持ち悪いほど温かいのに、肝心の足元は冷え冷えのまま。頭寒足熱の正反対、効率悪いこと甚だしい。
 しかも定格消費電力は1.58kWと書いてある。ハロゲン・ヒーターの4倍も電気を食うのに仕事はコレかいと思うと無性に腹が立って来る。もういい、アンタなんか冷房だけやってなさい、と言いたくなるのである(阿呆)。

 昔ちょっと流行ったセントラル・ヒーティングの家というのも、おそらく同じ状態になるのではないかと思う。「家中ほかほか」なんて信じられない。肝心なのは足元、誰が何と言おうと足元なのだ。
 結局わたしの理想的な暖房方式は床暖房。あるいはホット・カーペット、最低限譲ってもコタツである。今の家を建てる時にもかなり強硬に床暖房導入を主張したのだが、暖房効率が悪いと言い張る家人に敢え無く却下されてしまった。しかしエアコンを使うことを考えたら、床暖房の方がよっぽど良かったのではないかと今もまだ悔やんでいる。もうちょっと頑張れば良かったかなあ。
 実は暖房効率は言い訳で、家人が床暖房を却下した真の理由は、座った面が生温かいのが気持ち悪い、ということらしい。クルマの暖房と同じである。冷え性人間からしたら信じられないことだが、同じ理由で家人はホット・カーペットもコタツも嫌いなのだそうだ。

 接地面が生温かいのがイヤならば、椅子にでもソファにでも座っていれば良いではないかと思うのだが、そうカンタンには行かないらしい。家人の煩い好みのせいで、わたしはしんしんと冷えに苦しんでいるのだ(顰蹙)。せめて小さいコタツを置かせて欲しいと思うのだが、そんなことをしたらキミはますます「座った切り主婦」になるだろう、とニベもない。
 自分のケツの重さには自覚があるし、『のだめカンタービレ』にも出て来るように、確かにコタツは魔性の暖房器具である。入った人間をそこに居付かせ、全ての用事を忘れさせ、下半身太り人間のケツをますます太らせる。これ以上日常業務をサボったり、居間のコタツで日がな一日読書と居眠りに暮れたりするのも問題なので、コタツ導入は流石に自重しているのだった。

 思うに「移動式コタツ」は良いのではないだろうか。ドテラのような中綿入りの生地で出来ていて、パニエかフープである程度膨らませたロング・スカート状の形をしている。裾のどこかに熱源が仕込んであって、触っても火傷しないような工夫を施してある。背中か腰に充電式のバッテリー・パックを背負う形式で、全体としてはAラインのワンピースと、見た目もそれほど不恰好ではない。電源コードが気にならないのならばAC電源を使うのでも良い。座った時に裾が上がって冷えるだろうから、両足首は巾着式の穴から出すようにする。
 破損しにくく、触っても火傷しないような熱源の開発と、バッテリーの連続稼動時間、全体をどのくらい軽量化出来るか、着脱のし易さの追求など、課題は結構多いかもしれない。いっそ電気毛布でロング・スカートを作った方が良いかもしれないが、温まり具合から言えば断然、電気毛布よりはコタツの方が快適である。

 こういうのがあれば、真冬でも不精にならずにほかほか過ごせるのではないかと思うのだが、どこか発売してくれないだろうか。1万円くらいだったら買っちゃうような気がするのだが…。




11/27 鏡よ鏡

2005/11/27 17:54
 喪中欠礼葉書をようやく出してホッとしたのも束の間、3枚ほどの葉書が宛先不明で戻って来てしまった。ああそう言えば今年の年賀状、戻って来た方からの分は「引っ越しましたの御挨拶」も兼用だったっけなあ…と今更思い出す。もらってからすぐに住所録を書き換えておけば良かったのだが、つい不精して忘れているうちに、古い住所宛てに出してしまったのだ。まったくもって阿呆である。
 しかもマズいことに、今年いただいた分の年賀状をどこへ仕舞ったか、というのがアヤフヤになっている。確か自分のは輪ゴムで一纏めにして、何かの封筒に入れてどこかに置いたんではなかったか。そこまで思い出しているのに、肝心の置き場所が霧の中である。きっと喪中欠礼には間に合わなくなった頃にでも、ひょっこりどこかで発見するのではないかと思う。やれやれ…。

 全然関係ないが先日、何かのメール・マガジンに載っていたものだと思うのだが、いろいろな心理テストのサイトを訪れてみた。中に1つ「あなたのミーハー度判定」といった趣のものがあって、面白いからやってみた。わたしのミーハー度なんてメチャクチャ高いに決まっているが、この判定ではどう出るだろう、と思ったのである。
 問題は「あなたは夢の中で魔法使いに“自分自身を、自分の思った通りの姿に変えられる薬”をもらいました。さてどうしますか?」というものだった。それに対しての選択肢は4つ。

 1.すぐさま飲み干す
 2.半分飲んでみて、害がなさそうだったら全部飲む
 3.誰かに少し飲ませてみて、様子を見てから自分も飲む
 4.飲まない

 細かい文章や言葉のニュアンスに記憶違いはあるだろうが、まあこんなようなものであった(1と4はこれに間違いない)。わたしはもちろん1の「すぐさま飲み干す」を選んだのだった。だって夢の中って判ってるのなら、例え毒だろうが何だろうが、実体には何も起こるハズがないではないか。
 そして判定は「ミーハー度90%以上」だったのであった。やっぱりなー、と思うと同時に、他の人はこういう場合どれを選ぶのだろうと不思議になった。夢の中と自覚出来ているのに、1番以外を選択する人が居るとはちょっと信じられない。想像の中でまでそんな用心深くなってどーするのだ。この設問は前提条件に少々難アリではないだろうか。

 夢の中とは自覚出来ないでいて、現実だと思っている状態ならどうするだろう。「魔法使い」ではあまりにも突飛過ぎるので、「某最先端研究所の職員と名乗る人物」とかが、「まとりさん、このクスリ如何ですか? 自分のイメージ通りに自分の姿を変えられるんですけど」などとやって来たら…?
 怪し過ぎる。絶対飲まない。そもそも「自分のイメージ通りに自分の姿を変えられるクスリ」という辺りでボツである。例えばこれが「成長期を過ぎた後でも身長を高くすることが出来るクスリ」とか「基礎代謝を大幅に高めて体脂肪を燃やしてくれるクスリ」とかだったら迷うかもしれない。ただしこれも、そういうクスリが開発されたとニュースで聞いた後とかならともかく、見も知らない人物が、訪問販売やダイレクト・メール等でそうやって売り込んで来たとしたら信用しないだろうなあ。

 結局この「ミーハー度チェック」は、被験者が選ぶだろう選択肢があまりにも偏ると予想されるので、チェックの意味を成さないと思うのだった。作成者さん、もうちょっと頑張れ…と思いつつ、もう1度見に行ってみようと思ってもそのサイトの在り処を忘れてしまった。選択肢の2〜4を選んだらどういう判定になったのか見損ねてしまった(汗)。他にもいろいろチェックがあって面白そうだったのに残念である。

 そしてふと思った。「自分のイメージ通りに自分の姿を変えられるクスリ」は実現可能なのだろうか。上に書いたように、成長期をとっくに過ぎた今からでも身長をあと10cm、せめて5cm、伸ばせるのならどんなにいいかと思うからである。体重とか体脂肪については、充分な動機と期間と予算さえあれば、相当絞り込むことは可能だと思う。向上心がないのでまずその気にならないけど(汗)。
 けれど身長はどうにもならない。この先もしかして縮むことはあるかもしれないが、伸びる可能性はゼロだと思う。「金も要らなきゃ力も要らぬ。私ゃも少し背が欲しい」という都都逸(?)があるように、ある意味残酷だが、望んでどうなるものでもないのだろう。

 大腿骨とか脛骨に働きかけて脚だけ伸ばすクスリ。あと100年くらい後にはひょっとしたら開発されるかもしれないが、現在ではどう考えても不可能だろう。仮にあったとしても副作用が怖くて使えない。
 もっと現実的なセンで言えば、「自分にだけは“自分の思い通りの姿”が見える」というクスリである。すなわち一種の幻覚剤。鏡の中に映る自分は、自分のイメージそのままの姿をしているのである。もちろん周囲からはそれとはかけ離れた姿に映る。だから親しい人たちから何と言われても、本人だけは、自分の姿に満足していられるのだ。

 それはそれで恐ろしく哀しい物語なような気がする。もしかしたら昔、そういうSF短編か何か読んだことがあったかもしれない。
 どちらにしてもあまりシアワセな心境にはなれそうもないので、結局、鏡に映る自分とか写真に写る自分が気に入らなくても、現実は現実として受け入れるしかないのだろう。ただしあと10cm背が高かったらとか、太ももやケツの贅肉を「これが粘土だったら捻り取ってやれるのに」とか夢想することだけは、やっぱり止められそうもないのだった。修行が足りないのである。




11/28〜29 テスト・ザ・ネイション2005

2005/11/29 14:02
 文化の日にやらなかったので、今年はもうTV放送しないのだろうかと思っていたIQ判定クイズ番組は、一昨日27日に放送されたのだった。一応気が付いてヴィデオ録画は仕掛けてあったのだが、放送当日は出掛けていたし、昨日は超多忙な月曜日で観る暇がなかった。やっと今日、日常業務をこなした後で、朝刊の切り抜き(解答欄)とペンを手にTVの前に腹這いになり、チャレンジしてみたのである。
 メチャメチャ間違えて、80問中65問しか正解出来なかった。判定によればIQは123だそうである。一昨年→去年と130台で漸減していたのが、今年はガクーンと落ちてしまった。ちょっとショックである。ケアレス・ミスと不得意問題が多かったことが敗因だったと負け惜しみを吼えておこう(汗)。

 今回のクイズだと、IQの他にも「脳の入出力傾向」が判るらしい。右脳・左脳のそれぞれを、情報の入力(理解)と出力(表現)でどう使っているかが出るのだそうだ。左脳の入力が「分析力」で出力が「論理力」、右脳の入力が「空間認識力」で出力が「想像力」となっているらしい。わたしの場合、全問正解で一番良かったのが空間認識力であった。「最初に北を向いて歩いています…右に曲がりました…左に曲がりました…さて今はどっちを向いているでしょう?」などの、地図と方向のグループ5問も完璧である。
 これでどうして方向音痴なのだろう。そう言えば高校時代の数学でも、数列や行列などの純粋数字ばっかり分野より、図形やグラフを描いて問題を考える幾何的分野の方がずっと得意だったのである。空間認識能力はそれなりにあるのに、道を覚えられないとはこれいかに。謎である。もしかしたらわたしは、苦手意識を捨ててその気になりさえすれば、方向音痴を脱却出来るのだろうか? …どうもそうは思えないのだが。

 そして最も苦手だったのが「カードを何枚か順に示され、後からその順番等について訊かれる」タイプであった。例えば「さる きじ」、「ふじ ねこ」、「くま うた」、「とり やま」と書かれた4枚のカードを2秒間隔くらいで順々に見せられて、では「くま うた」の1枚前に出て来た言葉は「さる ねこ とり きじ」のうちのどれでしょう? とやられるのである。ぎょえー覚えてないよそんなの!
 上のは「文字の順序記憶」で左脳のテストだったのだが、右脳のテストで類似問題が「顔の順序記憶」であった。文字の代わりに人の顔が並んだカードを見せられて、後から「…1枚後(前)に出て来た顔は次のどれでしょう?」と来る。判んなかった。お手上げである。人の顔覚えが悪い自覚はあったが、ここまで酷いというのもどうだろう…(汗)。

 悲惨な正解率だった「顔の順序記憶」がカテゴリーとしては「想像力」の分野に入っていたので、わたしの最も苦手なジャンルは想像力ということになってしまった。なんだか非常に非クリエイティヴ人間なように思えて哀しい。顔の順番を覚えるのと想像する力と、どこがどう関連するのか、納得が行かないのである(とほほほ)。
 そういう訳で、出力は左脳の「論理力」が優位という結果になり、わたしの脳みそのタイプは「右・左」型であると判定された。直感的・感覚的に物事を理解し、論理的に表現するタイプの人間らしい。番組内では適職紹介をいろいろやっていたが、本当にそうなのかなあ、と疑問に思うのだった。一応「研究者」に向いているとは出ていたけれど、自分で研究者としての才能はないなーというのを痛感させられて今に至る訳だし…。

 ところで左脳の入力系テストだった「分析力」の中で、「言葉の穴埋め」グループの問題に疑問が1つあったりする。ディテールは覚えていないのだが、確かこんな感じだった。「何でも話せる気○おけない友達が彼です」…さて○の中に入る文字は何でしょう? 選択肢は4つだが、「が」と「の」の他はすぐ間違いだと判ったので覚えていない。「気がおけない」か「気のおけない」か、どっちかなのである。
 感覚的にわたしが普段使うとしたら断然「気のおけない」なので、「の」を選んだのだが、正解は「が」なのだった。どっちでも良いような気がするのだが、辞書を引いてみたら「気がおけない」は載っていても「気のおけない」はない。やっぱり正式には「気がおけない」と表現するらしい。知らなかった…。

 ネット検索をしてみたところ、YahooでもGoogleでも「気のおけない」の方が「気がおけない」よりもヒット数が多かった。なんだじゃあやっぱりどっちでもいいんじゃないの、と思ったのだが、ひょっとすると他の人たちは、この2つの言葉を微妙に使い分けているのだろうか。
 特に若い世代に「気が(の)おけない」を「油断(信用)のならない」と間違って解釈する人が急増しているらしい。正確な数字は知らないが、大学生では4割、中学生では半数近くが「気が(の)おけない=油断(信用)のならない」と答えるという。もしかして、このことを踏まえ、最近では「気がおけない=心を許せる」、「気のおけない=油断(信用)ならない」というように使い分けるという風潮があったりして(まさかね)。
 どっちにしろ、この問題でキモとなるのは「気」を「おける」か「おけない」かであるように思う。出来たら設問は「○がおけない友達です」の文で、○に当てはまる文字として最も適切な1字は何でしょう? にしておいて欲しかったと思うのだった(またも負け惜しみ)。

 ともあれ「分析力」や「空間認識能力」の入力系は両方それなりに良かったのに、「順序記憶」にそれぞれ足を引っ張られたとは言え、出力系があまり良くなかったということは、わたしの脳みそは表現力に弱点があるということなのだろうか。無性に悔しいのである。
 来年ももしかしたらこのテスト、また放送されるかもしれない。その時にどういう問題が出るか判らないけれど、せめて文字とか顔とかの「順序記憶」を、もうちょっとマシにしておきたいものだと思った。ただし人の顔覚えなんてどうやったら良くなるのか判らない。わたしにとって人の顔とは「男女別、髪の色と形、眼鏡の有無、髭の有無」程度で違いを見分けるだけで、あとは「目が2つ鼻が1つ口が1つ」と変わらないものだったりするのだが…(呆れ)。




11/30 見た目じゃないのよ味はよ

2005/11/30 23:42
 「空間認識能力」は結構出来が良かったというテスト・ザ・ネイションの結果について家人に報告したところ、一言の下に「そのクイズがいかにいい加減な代物かを実証しているデータぢゃないか」と笑われたのだった。もちろんわたしの超絶方向音痴を揶揄っての発言である。
 さらに、ペーパー・テストでの空間認識能力はある(らしい)のに、実地の方向感覚はゼロに等しいわたしを評して「カタログ・スペック倒れの女」と手厳しいのだった。しかしこれについては何も文句は言えない。飲食店など、初めて入る店では、お手洗いに入った後で自分たちのテーブルに戻るのが一苦労なのである。さらに何度か入ったことのある店でさえ、「いつもと違うテーブル」に案内されるともうダメ。これはどういうことなのか、我ながらしみじみと不思議になる。

 双方の夫から「やっぱりキミたちは似ているよ」と言われるわたしと末の妹、「お間抜け」という評価も共通しているのだが、特にこの手の方向間違いが多いようである。子育ての大変さからか、末の妹は今ではずいぶん痩せてしまったので、下半身デブのわたしとはだいぶ見た目は違ってしまった。とは言えやることの傾向などは、やっぱり今でも何だか共通点が多いような気もする。
 末の妹にテスト・ザ・ネイション2005を試してもらったら、どういう結果が出るのだろうか。非常に興味深いのだが、幼児2人を抱える多忙な彼女には、到底こんな暇なヴィデオ(しかも早送りナシで観たら2時間半も掛かってしまう)を試す時間はないだろう。残念である。

 ところでこの末の妹はわたしと全然違って超マメな性格で、幼児2人の母であることもあり、食事は実にいろいろと工夫して作っている。家人同様、ご夫君は健康診断で「もう少し体重を減らしましょう」と言われる体型なので、例えばカレーなどは市販のルーを使わず、煮込み野菜のピューレをベースにカレー用スパイスのみで作るらしい。
 姪っ子2号に卵アレルギー等があることなどから、おやつも極力手作りで、卵不使用、油脂も控えめ(義弟君のダイエットのため)にするのだという。そんな彼女が先日作ったという「芋蒸しケーキ」は、味はそこそこ良かったのに、見た目がちょっぴり悪かったらしい。食べて美味しかったのなら見た目は不問でも良いような気がするのだが。
 しかも姪っ子1号は「芋虫ケーキ」と聞き取ったらしく、「どこ? どこに入ってるの?」と警戒したとか。「おさつのスチーム・ケーキ」とか命名すれば良かったのだろうか。ともあれ妹の自尊心は少なからず傷付いてしまったようである。

 そんなことを思い出したのは、今日の晩御飯がウチでは珍しい「オムライス」だったからである。卵は大好物なのだが、子供の頃から、食べ過ぎるとアトピーの調子が悪化したり、耳が切れたりする。大人になってからもその時の「卵控えめ」習慣が抜けず、週に1個か2個食べるかどうか。そんなわたしには、美味しく作ろうと思ったら1人前2〜3個は絶対使うオムレツは、大層ゴージャスで冒険的なメニューなのだった。
 そんなわたしがどういう訳かここ2、3日、オムライスを食べたくて仕方がない。中にケチャップで味付けしたチキン・ライスの入ったアレである。食べたいなあ。外食のオムライスは1人前何個の卵を使ってるか判らないからちょっと不安だなあ。じゃあ、美味しく出来るかどうか判らないけど、自分で作ることにしようか。
 家人は泊まり勤務なので、多少こってりしたメニューでも、カロリー・オーヴァーになる心配もないだろう。

 今までの生涯で最高のオムレツは、大学卒業時(大学院だったか?)の謝恩会で食べたものである。立食パーティの会場にオムレツのコーナーがあって、注文したらいちいちシェフが1人分ずつその場でパパパーッと焼いてくれるのだ。ほかほかトロトロの極上オムレツがあまりに美味しくて、わたしはつい誘惑に負けてお代わりもしてしまった。恐らくあの日だけで、卵5、6個は食べただろう。翌日は案の定調子が悪かったことを覚えているが、今でもあの時のオムレツを夢に見るくらい美味であった。
 目標はあのオムレツ。チキン・ライスを卵焼きで包んだ形のオムライスでは、あのふわとろ感が出ないのでボツ。時々TVのグルメ番組で見掛けるように、皿に盛ったチキン・ライスの上にオムレツを載せて、縦に切れ目を入れるとふわわーっと広がるアレが理想である。

 チキン・ライスはまあ普通に美味しく出来た。具はミックス・ベジタブル、にんじん、ピーマン、タマネギ、鶏もも。味付けはシンプルに塩と胡椒とフェンネルとケチャップ。卵は2人前で5個(家人3個でわたし2個のつもり)、軽く塩・胡椒してサボリーとスキム・ミルクを隠し味に入れた。サラダやスープ他のメニューも出揃い、チキン・ライスもスタンバイOK。いよいよオムレツ作成の山場である。
 美味しいオムレツは断固バターで焼くべし。小さめのフライパン(テフロン加工のもの)にバターを溶かし、卵液を流し込む。強火強火。大きくかき混ぜて固まり始めたらさっさと隅っこに寄せ、余熱で火を通しながら整形。おお、ちょっぴり細長いし、多少焦げ目も付いてしまったのだが、それなりに美味しそうなオムレツが出来た。チキン・ライスの上に載せ、食卓の家人の席へ運ぶ。

 家人の見た目コメントは「…なんかもう既にウェルダンな感じ」であった。そうかなあ、中身は結構半熟なつもりなのだが。内心はらはらするわたしの前で、家人がスプーンを入れる。理想では、オムレツがふわとろーっと弾けてチキン・ライスを覆うハズだったのだが、やっぱりそうはならなかったのだった。残念…。
 相当に手早く焼いたつもりなのだが、まだ焼き時間が長過ぎたのだろうか。キッチンから食卓まで運ぶ間にも、余熱で着々と火が通ってしまったということなのだろうか。あれ以上柔らかく仕上げたら、フライパンから皿に移せない恐れがあるのだが。
 あるいはもうちょっと小さいフライパンを使えば良かったのだろうか。今回使用したのは直径20cmのものである。しかし謝恩会でシェフが使っていたのはもうちょっと小振りだったかもしれない。さらに土手の傾斜がもっと緩かったので、直火が当たる面積はさらに小さかったのかも…。

 言い訳染みるけれど、味は良かったんである。卵はちゃんとバターの風味が生きていたし、隠し味のサボリーとスキム・ミルクも効いていたと思う。ただし、やっぱりオムライスの命は卵の焼き加減。縦に切れ目を入れると広がるあの見た目は、れっきとした味の一部である。それがなかったということは、今晩のオムライスは失敗作と呼ばざるを得ない。
 リターン・マッチを挑むとしても、卵リミットがあるので、少なくとも1週間から10日は後でなければならない。その頃にはオムライス熱が冷めているかもしれないし、明日から師走突入でいよいよ忙しくなることもあり、このまま忘れちゃうのではないかとも思うのだった。我ながらちょっといー加減である(汗)。