徒然過去日記・2005年10月

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10/01 だいたい「センサスくん」ってネーミング・センスはどうよ

2005/10/01 18:27
 珍しく家人は休日出勤で不在の土曜日である。今日だけではなく明日も会社に行かねばならないらしい。本当なら10月1日付けで異動だったのを、今手掛けている仕事が一段落付くまで猶予してもらったとかで、何が何でも早く仕上げる必要があるのだろう。どうにも動かせないデッド・ラインがあるのも大きいのだという。
 今日の帰りは何時になるか判らないよ、と言い置いて出勤していったのだが、果たしてウチで晩御飯を食べられるのだろうか。11時とか12時とかになってしまったら、あまり重たい食事を出すのも身体に(というか体重に)悪そうである。本当にそういう状態になってしまったら、そんなに長時間空腹状態を我慢するのも良くないし、適当な時間に何か軽く食べるに違いないが、果たして会社の社員食堂は土曜日の晩御飯営業をしていたっけか? オフィス街でコンビニさえあまりない場所なので、無理にでもお弁当を持たせた方が良かったかもしれない。

 一昨日辺りまでは、例の「おフランス語絡み」のステップに居たらしく、ウチでもダイニング・テーブルに資料を広げて辞書を引きつつうんうん唸っていた。ジュとかセとか呟いているので、錆び付いたフランス語の知識を掘り起こすのに一生懸命だったのだろう。
 今回仕事中の家人を見ているのは結構楽しい。ひっきりなしに姿勢を変えたり、顔を掻いたり顰めたり、やたらに筆記用具をカタカタ言わせたりしている。10秒おきくらいに大きな大きな溜め息を連発してもいる。よっぽどこの作業が性に合わない&キライらしい。あまりに判りやすい落ち着きのなさなので笑ってしまったのだった。流石に最中に指摘したりはしなかったけれど。
 本来ならその仕事は家人の得意ジャンルだし、その作業以外では本人も総じて楽しそうに仕事していた。やはり人間たるもの、好きなことには熱中出来るけれど、気の進まないことはどうしてもうんざりしてしまうのだろう。身に覚えもある(汗)。

 そんな訳で静かな土曜日を過ごしているのだが、わたしとしても細々とした用事が降って来るものだから、なかなかのんびり骨休めも出来ないのだった。ここしばらく体調不良の時も含めて睡眠不足が続いているので、出来たら昼寝でもしたいのだがどうもそんな時間も取れない。ううむ眠いのである。

 コロリと忘れていたのだが、そういえば今日は国勢調査の日なのだった。調査票を所定の茶封筒に入れて調査員さんにお渡しする時、どのくらいの割合が封緘するのだろうとちょっと不思議に思う。説明書によれば「封をする場合は添付のテープを使って下さい」とあったのだが、ウチに配られた中にはテープが入っていなかった。単に入れ忘れたのか、暗に「封なんかせずに渡せよな」という意思表示なのか、しばし判断に悩むのである。
 もちろんわたしの独断で、封筒にはガッチリと封をしてお渡ししたのだった。家人は「所定のテープがないのだから、違うもので封なんかしたら、開封作業が滞るのではないか」と言うのだが、まさかそんなこともないだろう。ちゃんと開封し易いように上部が少し開いたタイプの封筒だし、そもそも封緘のアイテムによって開封作業の効率に影響が出るシチュエーションというのも想像が付かない。

 調査票を回収にいらした調査員さんが「記入内容についての不明点が出た場合に備え、封筒に電話番号をメモらせて下さい」と仰っていたので、ひょっとすると「封はしてない」がデフォルトと思われていたのかもしれない。勝手に封緘しちゃっていけなかっただろうかとチラリと過ぎりはするものの、開封のままで渡すなんて気持ち悪くて絶対イヤである。
 どうせ市役所だかの元締めに付いた時点では誰かに見られるのだろうが、人の目に触れる回数は出来るだけ少ない方が望ましい。顔見知りではないとは言え、ご町内の方に、わたしの生年月日やら「ここ1週間で仕事をした時間数」なんかを見られると思っただけで居心地が悪い。当然守秘義務があると知ってはいるが、黙っていてくれればOKという感覚でもないのだ。

 こういう態度を家人は「自意識過剰」とか「秘密主義」とか思うらしい。なるほどその通りかもしれないが、イヤなものはイヤなんである。出来ることなら国勢調査なんか知らんフリして調査票を破り捨てちゃいたいくらいである。今回はまだ簡略版だったから抵抗感も少ないけれど、5年後はもっと詳しいのが来るハズで、考えるだけで溜め息が出る。
 と言いつつ、もしも何かのはずみで地域の国勢調査担当が当たってしまったら、チェック作業ではきっとついつい「余所の人の事情」に気を止めずには居られないだろうな、とも思う。もちろん口外する訳ではないけれど、それでも「おっ、面白い♪」と思うケースの1件や2件は必ず出て来るに違いない。
 自分が調査員だったら「見ちゃうだろうな」と思うから尚の事、自分の調査票は封緘せずには居られないということで、我ながらちょっとばかり性格が悪いだろうかと反省してしまった。

 大昔、大学で入試シーズン限定のバイトをしたことがある。共通テストの願書開封&必要書類が揃っているかどうかのチェックが仕事だった。まったく見も知らない高校生たちの顔写真付き願書をサカナに、バイト同士で「この子可愛い♪」とか「この人の誕生日アンタと同じだよ」などとしゃべくりながら作業をしていたものだ。
 あの経験があるから余計「自分の個人情報を無駄に出したくない」と思うのかもしれない。昔のことで、今はその当時よりもずっと個人情報の重みが増したとは言え、「秘密ですよ」と言われれば余計にちょっとだけでも見たくなる人のサガ、そうそう変わる訳がないからである。




10/02〜03 寝ても寝ても眠い

2005/10/03 14:03
 家人の「今手掛けている仕事」というのは、昨日の休日出勤でとりあえず目鼻が付きかけているらしく、帰って来たらだいぶせいせいした顔になっている。思ったよりも早く21時半くらいに帰宅した時には、新部署に持って行けない分の私物を山盛りに玄関先に積んでくれた。日曜・祝日には会社周囲の道路が駐車禁止でなくなるとかで、大荷物運搬のためにクルマで出勤したのだった。
 「1週間以内にこの場所から撤去しないと全部捨てちゃうからね、警告したからね」と通達すると、今朝起きた時にはもうキレイに片付いていた。なんだ、片付けようと思ったら片付けられるんじゃん。今度からこの「〜以内に(中略)捨てちゃう」攻撃を有効活用しようかと思うものの、あんまり頻繁にそういう宣言をするのも世知辛いし、下手すると我が身に降り掛かる「天にツバ」行為となりかねない。使いどころを弁えて抜くのが伝家の宝刀というところだろうか。

 休日の朝は10時とか11時とかまで眠りこけているのが通例である。わたしの場合は出来たら毎晩9時間は眠りたいところだったりする。普段は午前1時就寝の7時過ぎ起床で、圧倒的に睡眠時間が足りない。土日に不足分を何とか取り戻して、ようやく次の週には復調出来るというシステムになっていた。足りない分を昼寝で補おうとしたこともあるのだが、昼寝というのは何だかんだと邪魔が入り易く、その分神経が昂ぶっているようで全然眠った気がしない。2時間昼寝しても全く疲れが取れないのでは阿呆らし過ぎる。
 今週は両日とも家人の休日出勤だったので、結局、睡眠不足を挽回出来ないままだった。どうもだんだんイライラして来た感じもある。日常業務などに差し障りが出ても困るし、昨日は(わたしにしては)割と早目に就寝したのだが、やっぱりまだ眠い。今日も眠気に耐え切れず、11時くらいから1時間ばかり昼寝をしたのだが、怖い夢ばかり見て熟睡にはほど遠かった。こんなことなら起きて用事をこなしている方がマシだった…(涙)。

 わたしと同じか、むしろ短い睡眠時間しか摂っていないのに、家人はそれほど眠そうではない。もちろん疲れているようだし、会社とウチを往復する間は電車でぐっすり眠っている(合計でおよそ2時間ほどか)からマシなのだと本人は言うが、電車での居眠りなんて昼寝よりもまだ「寝た気がしない」ものではないかという気がする。
 普段から、どうして家人はあんなに短い睡眠時間で足りるのだろうと不思議に思っていたら、とあるところで「ロングスリーパーとショートスリーパー」という言葉を目にした。人間生まれ付き、短い睡眠時間で耐えられる人とそうでない人が居るらしい。

 「知らなきゃソン! 眠りの常識・非常識vol.4」というページにその記事が出ているのだが、これによると、睡眠時間6時間以下で足りる人をショートスリーパー、9時間以上必要な人をロングスリーパーと呼ぶらしい。それぞれ人口の1割くらい居ると見られ、残りの大多数は6〜9時間が最適睡眠時間のバリュアブルスリーパーと呼ばれている。なるほど。
 このカテゴライズから行くと、わたしはおそらく文句なしに相当の「ロングスリーパー」ということになりそうである。夜間の睡眠が慢性的に不足しているので、いつでもどこでもコトリと眠ってしまうのだろう。クルマの助手席で爆睡して顰蹙を買ったり、床に転がって新聞を読んでいたらいつの間にか眠ってしまっていたりという例には事欠かない。「静かになったと思ったらその辺で伸びて寝ている」とは家人の言葉で、友人Yさんのピアノ伴奏を務めたYさん家のペット(同じ行動を見せるらしい)にちなみ、最近では「フェレット」呼ばわりされているのだった(顰蹙)。

 緊張感がないからすぐ寝てしまうに違いない、というようなことを家人は良く言うので少々気にしていた。しかしそっかー、このページからすると、弛んでいるから眠いという訳ではなかったのかもしれない。もともと家人はショートスリーパーで、わたしはロングスリーパーなのだとすれば、両者の間に「最適な睡眠時間」についての認識のギャップがあっても無理はないことになる。家人はきっと「また自分に都合の良い説を持ち出して…」と呆れるのだろうが。
 遅寝しておきながら眠い眠いとコボすのも阿呆らしいので、普段の就寝時間をなんとかしてもっと早くに設定し直すことにしようと、やや遅過ぎる決心をした。…と思ったらその矢先、家人からメールが来た。まだ山場は終わっていなかったらしく、今日はとんでもなく遅い時間のご帰還となるらしい。たぶん今晩も早寝は無理だから、もう1時間ばかり昼寝をしておこうか。眠れそうにないし、昼寝から起きてグッタリ疲れているのでは本末転倒だからやっぱりやめとこうか…(悩)。




10/04 知らぬが仏

2005/10/04 21:57
 結局、昨夜家人が帰って来たのは夜中の1時半くらいだっただろうか。越えたハズの山の向こうにまだ峠があったらしく、急遽突貫作業に入ったのだという。さすがにヘロヘロの顔で帰宅し、待っていたわたしもヘロヘロなのである。先に寝ていようかと思いつつ、やっぱり気の毒なのでCATVで先日録画した『下妻物語』を観ながら待っていた。感想文まで書けちゃう時間的余裕があった。まずはお疲れさま>家人。
 映画が始まるまでは「どうせアイドル作品だから大したことないだろう」とタカを括っていたのだが、予想外のスマッシュ・ヒットだった。途中までは呑気にストレッチなどしつつ眺めていたのが、次第に身を乗り出して観てしまった。ふかきょんがこんなに演技達者だとは思っていなかった。ヘンだけど笑えてほのぼの出来る素敵な作品である。詳しい感想は映画感想文へどうぞ♪(照れ)。

 『下妻物語』の感想文をアップしようとしたら、何だか様子が変なのに気が付いた。映画感想文とか徒然落書日記のページを読み込むのが異常に遅いのである。8月まで利用していたADSLではしょっちゅう起こる現象だったけれど、FTTHに変えてからはとんとご無沙汰だった。ADSLでそうなった場合、モデムがトラブっている時にはリセットすればカンタンに復旧する。FTTHでもそういう手法は使えるのだろうか。でも、FTTHのリセットってどうやるんだろう?
 NETAGE以外のページは問題なく読めるので、これはウチの回線とかPCの問題ではなく、NETAGEのサーバが落ちているのだろうという結論に(遅まきながら)到達。念のためにNETAGEのサイトに行ってみたら、やっぱりサーバ障害のトラブル報告がアップされていた。ただし日付が意外に早くて10月1日である。1日の深夜からずっと、ホームページの閲覧やFTP接続が出来ないという症状が続いていたらしい。

 1日の夜には日記も感想文も読み書きしなかったし、2日は多忙で日記をサボっていた。3日アップする時だけ、たまたますんなり繋がったのだとすると、まあ気が付かなくてもそれほど妙でもないだろうか。サーバ・トラブル発生から丸々1日以上気が付かないというのも我ながら呑気である。
 1日深夜に発生して3日深夜にまだトラブっているなんて長いな、いつまで続くのだろう、イヤだなあ…と思いつつ寝てしまったのだが、今朝起きたらもう復旧していた。何のことはない、わたしがサーバ・トラブルに気が付いた1時間後には復旧していたらしい。惜しい、もう1時間気が付くのが遅かったら、今回のトラブルをまったく知らないままスルー出来ていた可能性もあったのか(阿呆)。

 トラブルの間、アクセスして下さった方々にはご迷惑をお掛けしまして、本当に申し訳ありませんでした。もうちょっと早く気が付いていたら、閑古鳥掲示板あたりに情報をアップ出来たのでしょうけれど(すみませんすみません)。
 ちなみにトラブルの原因は「外部からの大量不正アクセスによるサーバ負荷」だそうである。だいぶ以前にyahoo.comとかamazon.comが喰らった分散DoS攻撃というヤツだろうか。NETAGEはyahooとかamazonに比べたら知名度も低いし、大して重要なサイトも抱えていないハズだと思うのだが、そういう零細プロバイダのサーバでもターゲットにされることがあるとは驚きである。
 詳しいことは知らないが、分散DoS攻撃の場合、自サーバのセキュリティに問題がある訳ではないのだろう。言ってみれば防ぎようがない攻撃な訳で、だとすると今回のトラブルについてNETAGEに腹を立てても仕方がないことになる。やれやれ。もうこんなトラブルに見舞われないと良いのだが。マイナーなプロバイダなのだから、物好きな攻撃のターゲットになんかしないで、そっとしておいて欲しいなあ…。




10/05 実りの秋

2005/10/05 20:29
 母方の祖母の実家は石川県で農業を営んでいる。毎年、季節ごとに冬瓜や里芋などが、大叔母→祖母→母→わたしというルートで送られて来る。冬瓜などはスーパーの野菜売り場に並んでいるものよりずっと大きくてしっかりとした、煮込んでも適度に歯触りを残す美味しいのが、丸ごとドカンとやって来る。下手なスイカよりもずっと大きくて、表面は薄い翡翠色で、ちょっと粉を吹いた感じの皮である。
 でっかすぎて1軒ではとても食べ切らないので、母と隣家とウチの3軒で山分けするのだが、それでも煮物や炒め物、冬瓜スープなど3〜4品を作れるくらいは割り当てがある。わたしは昆布とかつおのだしであっさり炊いて、冷蔵庫でキンキンに冷やしたのが一番美味しいと思う。夏場の冷やし冬瓜はこたえられない。

 この季節だとおコメがやって来る。大叔母の家から母宅とウチへ、1袋ずつドンドンと直送である。1袋が30kg弱あるので、当然これも隣家と半分こ。母は同じマンション在住のお友達にお裾分けするらしい。大家族ならともかく、2人暮らしのウチやまして1人暮らしの母では、新米の美味しさを損なわないうちに30kg食べ切るのは結構難しい。
 宅配便屋さんが届けてくれる時は毎年、玄関先で「これは奥さんには無理だから、せめて上がり框まで運びますよ」と言われるのが常である。メチャメチャ助かる(ありがとう配達のお方♪)。運び込んでもらった後は、もちろん独力では動かすことも出来ない。仕方ないのでそこで袋を開け、スーパーの買い物袋などを持って来て、隣家に差し上げる分をざくざく移し変えるのである。だいたい半分程度に減らせばどうにか持ち上げることが出来る。

 特に名のあるブランド米ではないと思うけれど、とれとれの新米、しかも自宅用に作っているので手の掛かり方が違う(らしい)お米は本当に美味しい。炊飯器のCMではないが、炊き上がりはホントに米粒が立っていたりする。香りも甘味も粘り気も、普通にお店で買うお米よりは数段上な気がする。炊きたてご飯は大好物なので、このお米のプレゼントは本当にありがたい。おかずがなくてもペロリと食べられちゃうのである。
 今年は台風の影響で稲が倒伏してしまい、刈り取りに相当手間暇が掛かったという。収穫前に倒伏すると多少品質にも影響があるとかで、送り主の大叔母は、ひょっとしたらあまり良い出来ではないかもしれない、と言っていたらしい。わたしが見た感じでは、特に粒が不揃いだったり小さかったりすることもなく、艶も香りも申し分なかったのだが。

 一方、家人の父方の親戚は多くが静岡に住んでいる。先日亡くなった祖母の遺品整理などのため、義父がクルマで出掛けて行ったのだが、帰りには大量のタマネギとジャガイモとサツマイモを運んで来た。親戚のお家で作っているのだという。これも1軒では消費し切れないので、ウチと隣家で山分けしたのだった。たぶん母宅にも行っているだろう。
 お米とジャガイモとタマネギと来れば自然に思い浮かぶメニューがある。そう、カレーです(南雲しのぶ隊長(c)ミニパト第3話ふうに)。一捻りしてハヤシライスという手もあるだろうが、残念ながら家人がハヤシライスを嫌いなので、必然的にカレーになってしまうのだ。まだ残っているジャガイモは後日肉じゃがに化けることになる。サツマイモはどうやって食べようかなあ。

 そんな訳で昨日の晩御飯はカレーライスだった。今晩もカレーライスである。ついでに言えばわたしの今日のお昼ご飯もカレーライスだった。たぶん明日のお昼ご飯もカレーライスだと思う。その辺で何とかして食べ切らないと、明日の晩御飯もカレーライスということになり、さすがに家人からクレームが付くと予想される。
 もちろん不精なわたしのカレーは市販のルー使用なのだが、ちょっとした拘りがある。それは「複数メーカーのルーをブレンドして使う」ことである。メーカーによって配合されているスパイスが微妙に違うので、単品で使うよりも味に深みが出て美味くなるのだ。わたしの気のせいかもしれないが、実体験から言えばかなりグレード・アップする感じである。

 ルーを2箱使うのが主な原因で、毎度毎度、圧力鍋一杯のカレーがどどんと出来上がることになる。わたしはカレーが大好物なので、1週間くらい連続でカレーライスを食べる羽目に陥っても全然哀しくならない。むしろメニューを考える手間が省けてラッキーだと思う。家人には手抜きがバレているのだろうが。
 カレーライスを食べると思い出す言葉がある。確か「元祖!でぶや」で石塚英彦さんが仰った「カレーは飲み物だ」という名言である。言いえて妙な気もするが、ただでさえカロリーの高いカレーライスを、満腹になるまで「飲んだり」したら、あっという間にコロコロになってしまうだろう。家人にとってもカレーライスは「飲み物」っぽいので(普段から早い食事ペースがますますスピード・アップする)、あまり頻繁にカレーライスは出せないのだった。ちょっと哀しい。

 そういえば佐々木倫子さんの『代名詞の迷宮』か『家族の肖像』で、カレーに入れる具に困ったおじさんが、もらいもののシイタケを入れるというシーンがあったような気がする。マッシュルームを入れるくらいだから(ウチではしめじやマイタケを入れるし)、シイタケ入りカレーがあっても不思議ではないのかもしれない。
 シイタケが死ぬほどキライな家人は、カレーにシイタケが入っていたらちゃんと気が付くのだろうか。シイタケ独特の香りは、まず間違いなくカレーの匂いにかき消されるに違いない。あとは食感だが、ある程度小さく切ってしまえば「カレーは飲み物」なのだし、案外気が付かずに食べてしまうような気もする。
 面白そうなので1度試してみたいのだが、シイタケ入りカレーを家人が嗅ぎ分けちゃったら気の毒である。そうまでしてシイタケを食べなければならない必要もないと言えばないし、やっぱり余計な試みはしないでおいてあげようかな…。




10/06 何とかクイズとか何とか分析とか

2005/10/06 17:43
 古くは「動物占い」とか「寿司占い」、あとは「あなたの知らない本当の自分判定」といった性格診断サイトが大好きである。「動物占い」ではわたしは「狼」で、友人らによれば「結構当たってる」らしい。自分ではもうちょっと協調性があると思っているのだが、「本当の自分判定」とか「あなたの適職診断」とかのサイトでも軒並み「協調性に乏しく、マイ・ペースを守れる職が吉。見知らぬ人の間に出る仕事は不向き」と出るので、まんざら的外れでもないのだろうか。ううむ。
 ネタというか遊び感覚で面白いのは「りゅうりゅうの精神年齢鑑定」とか「ぐっちゃんの夢占い」などである。「精神年齢鑑定」の方ではわたしは精神年齢34歳、お友達になれそうな人は黒柳徹子さんと一休さんらしい。精神年齢が当たっているかどうかはともかく、黒柳徹子さんと一休さんというのはどこから出て来たのだろう(謎)。

 「夢占い」の方は、かなり当たると評判らしいのだが、わたしの場合は毎回当て外れなことばかりが出て来る。ひょっとするとわたしの夢の方があまりにも馬鹿馬鹿し過ぎて、ちゃんと占えないのかもしれない。「長良川の鵜に絡まれた夢」のような夢なんて、自分でさえ「どうしてこんなヘンなのを見るんだろう」と呆れるくらいである。もちろんこの夢、占ってみても「あなたの夢には象徴的なシンボルが見つかりませんでした」と判定されてしまった。
 夢は深層心理からのメッセージだと言うが、わたしの深層心理はよほど複雑怪奇なこんがらがり方をしているのか、あるいは逆にまったく何にも考えていないのかどちらかだろう。本人としては「何にも考えていない」方に賭けてもいい。

 子供の頃、多湖輝さんの本が大好きだったこともあり、パズル関係のサイトもお気に入りである。知識を競うクイズよりは、「頭の体操」のように思考力によって正解を出すクイズの方がずっと好ましい。知識を競うクイズは知っているか知らないかであっさりと決まってしまうのに対し、パズル系のクイズは長時間「ああでもない、こうでもない」と楽しめるからである。
 そんな訳で、電車内広告で見掛ける日能研の「シカクいアタマをマルくする」シリーズがメチャクチャ好きである。中でも「算数」の出題には歯応えがあって面白いものが多い。ついつい、降りる駅までに正解(と思われるもの)に辿り着けるかどうか…と熱くなってしまう。以前はポスターの左下隅に「正解」が記載してあったのだが、最近は日能研のホームページを参照させるシステムになってしまった。これがまたもどかしくてイイのである。

 先日の問題は「算数」だった。A君B君C君がトライした10問の○×クイズの回答と各々のトータル得点から、C君が確実に不正解だったと考えられる問題番号を導き出す、という問題である。「算数」というよりは初歩の論理学的問題で、シンプルなだけに征服欲も掻き立てられる。なかなかの良問だと思う。
 10〜15分ほどじっくり考え込み、ついに正解(と思われる)結論に到達した。合っているか間違っているかは日能研のサイトに行かなければ判らないが、論理的に考えればコレしかないと確信できる答えである。算数の問題は、判らない時は手も足も出ない代わりに、判った時は正解や解説を見ずとも「解けた」というカタルシスが得られるのが大好きなのだ。その割に数字に弱くケアレス・ミスも多いので、実際の「算数」の成績は惨憺たるものだったのだが。

 今回の問題も「問題解説と解答」ページを見たらちゃんと正解出来ていた。ささやかなシアワセを感じられる瞬間だが、実際にこの手の問題、中学入試の会場で出されたらパニクるだろうなあ。呑気に電車の中で考えられれば解ける問題も、本番で焦ったら訳ワカランということになりがちである。制限時間がある場合は特に焦るだろう。制限時間内に問題を解ける能力と、数学的知能とはあまり相関しないような気もする。本番も、好きなだけ時間を掛けて解いていいことにしてもらえたらいいのに。




10/07 思い切って整理

2005/10/07 23:38
 一昨々日くらいのことだった。ふと自分の仕事部屋(書庫と、恐ろしいことに客用寝室も兼ねている)を眺めてつくづくイヤになった。本棚から溢れた書物が、あっちにもこっちにも山になっている。デスクの上や書棚に入っている本の上の隙間など、積み易い場所は既に満員御礼。それでも仕舞い切れない分は床に堆く、さらに自分の寝室のベッド脇には、ナイトキャップ用の本たちがどどどんと…。
 『MONSTER』全18巻なぞ、だいぶ前にナイトキャップとしてベッド脇に移動させたら、空いた隙間にすかさず違う本たちが入り込んで塞いでしまい、帰る場所がなくなってそのままベッド脇が定位置と化してしまったのだ。同類項に『伊賀のカバ丸』全12巻(コミックス版)がある。その他に数冊、新潮社のホームズやらダグラス・アダムスやらも加わり、総計35冊を超えてしまった。もうベッド脇も満員御礼で、大きな地震があったら崩れて来るに違いない(怖)。

 さすがに「これじゃイケナイ」と思った。元々の予定としては子供部屋で、入居を想定される人間が来ないものだからわたしが好き勝手に使って良いとは言え、無秩序にも程がある。何とかせねばならない。不思議なのは、この部屋、最初からこんなぐちゃぐちゃではなかったということだったりする。今の在所に越して来た当時は、思い切って今までよりも数段でっかい本棚(スライド式になっていて奥にも本が収納出来る)を購入し、余裕で蔵書をすべて美しく整頓したハズなのだ。
 引越し後8年経ち、次第次第に書棚の隙間も埋まって行った。そんなにたくさん本を買っているつもりはないのだが(嘘吐け)、思った以上のペースで増えるのが蔵書というものらしい。今までにも何度か、もう読まない本を「ポンパドゥル」の赤い紙袋に詰め込んで、泣く泣く「BOOK OFF」に持って行ったものなのだが、そんな程度では文字通り焼け石に水であった。

 それなのにわたしと来たら、つい出来心で『機動警察パトレイバー』全11巻(文庫版)を大人買いしてしまったのだった。読むのが追い付いてないのに、旧版の現代教養文庫のショックが忘れられず、新刊が出る度に買っている『修道士カドフェル』シリーズも17冊目である。あと3冊でコンプリート、短篇集も入れたらあと4冊。ここまで来てリタイアする訳にも行かないではないか。
 朝日ソノラマ文庫から復刊された明智抄さんの「始末人シリーズ」全5巻も、保存用と読む&布教用に2冊ずつ買ってしまった。今後は『サンプル・キティ』や『パンドラ』の復刊も予定されているらしい。最近は映画館に出掛けるシュミも復活してしまったので、ついつい買って来るパンフレットの山も恐ろしいことになっている。もう限界だ…!

 そんな訳で、ついに重い重い腰を上げて、蔵書を少し減らすことにしたのだった。とりあえずウチにある空き段ボール箱4つに入るだけ、BOOK OFFの引き取りサーヴィスとやらに来て貰って処分することにしよう。最近では買い取り希望をインターネットのサイトで申し込めるらしい。送る段ボールの箱数を予め知らせておけば、希望する日時に着払い用の伝票を必要枚数持参した上で、クロネコの配達員さんが取りに来てくれるのだ。便利になったものである。
 途中までは面白かったのだが、最後は何だか訳の判らないことになってしまった『輝夜姫』全27巻をまず諦める。面白かったけれど、何度も読み返すほどではないなと思った『あひるの王子様』全6巻、先日最新刊が乱丁(?)していて話題になった某音楽家シリーズ約25冊も箱詰めしてしまった。比較的未練を残さずに整理出来たのはここまでである。

 後はもう悩みに悩んでちっとも先に進まない。『まみあな四重奏団』や『那由他』、『ダークグリーン』に『ブレーメン5』はどうしよう。ものすごーく思い入れの深い作品たちなのだが、再び読み返す時間がこの先出て来るかと考えると疑問だったりする。花梨ちゃんやリュオン、タウロやユズたちにもう会えないと思うと無性に寂しいものの、ウチで死蔵するよりは誰かに読んでもらった方がシアワセだろうかという気もする。
 あの子もこの子もみんな可愛い…のだが、そんなことを言っていてはいつまで経っても蔵書が減らない。結局、ここ3年ばかり1度も手に取らなかった本たちを泣く泣く、片っ端から段ボールに箱詰めしたのだった。古いものも結構あるので値段が付かないかもしれないが、ウチで埃塗れになるよりは、3冊100円セールで誰かに買ってもらうチャンスを狙う方がいいだろう。

 不思議なことに、血涙をちょちょ切れさせつつ段ボール箱4つを満杯にしたのに、蔵書がちっとも減った感じがしないのである。わたしの努力は何だったのだろう。そういえば多少、床の表面積が増えたかな…? という程度の変化である。気分的には蔵書を半分くらいに減らした疲労感なのだが、結局『MONSTER』や『伊賀のカバ丸』も、ベッド脇から書庫へ帰って来るスペースがないままだったりする。何故だ!
 まだまだ減らす努力が足りないのだろうか。『創竜伝』を手放すか止めるか散々悩んで、段ボール箱に入れたり出したり迷いに迷った末にまた本棚に戻してしまったのがいけなかったのだろうか。もう作品水準が元に戻ることも完結することも期待出来ないけれど、始まった当初のあのクオリティを懐かしむのは未練なのだろうか(涙)。

 いつかネット・ニュースで目にして大笑いしつつ、他人事ではないと反省した「本の重みで2階の床が抜けた」事件のようなことにはならないだろうが、それでもせめてもう少しは整頓しないと、家人の散らかし癖を怒れないのである。出来ることなら、本に埋もれた生活をしている知人宅のように、廊下に本棚を設置して収納スペース拡大と行きたいところなのだが、さすがにそれは家人の大反対に遭いそうである。
 廊下が狭くなるし、地震が来たらマジで怖いしなあ…。やっぱりまだまだ処分しなければならないのだろうか。決心の付け方が甘いのかなあ(涙)。




10/08〜09 『赤毛のアン』の国から

2005/10/09 14:59
 久し振りに友人Aさんが一時帰国したのだった。去年までは独りだったのだが、今回はパートナーのBさんがご一緒である。時たま国際電話を掛けて来てくれて、その時にいろいろ話を聞いてはいたものの、実際にお会いしてみたら見上げるほど背の高い方だったので、ついつい「ロレンス先生に初めて会った時の柚子さんの心境」に陥ったのだった。ないすとぅーみーちゅー、と握手をした手もしみじみデカくそしてゴツく、日本においてはいかにも規格外なサイズ。
 身長どのくらいあるんですか、とは訊かなかったのだが、体感的には軽く190cmを超えているのではないかと思う。見上げると首が痛くなるその上に、優しそうな穏やかなお顔がちょこんと載っていて、ミスマッチがえらく可愛かった(失礼)。ドイツの北部、ハノーヴァーのちょっと西のご出身だそうである。背が高いのもなるほどと納得。

 Bさんはドイツ語と英語がペラペラだが日本語は理解出来ず、ウチの2人はカタコト英語がやっとの語学力。しかもほぼ1年ぶりに会うAさんとついつい話が弾んでしまうので、Bさんが疎外感を覚えないかと心配になる。そんな訳で勇気を振り絞り、Bさんに「ドイツのどこご出身なんですか?」と、一生懸命に単語を並べて訊いてみたりしたのである。とりあえず質問内容は通じたようでホッとする。
 「ドイツの北部です」とBさん。ドイツ北部の都市と言うとハノーヴァーしか知らないわたしは、成り行きで「ハノーヴァーの近くですか?」と続けてみた。おおっ会話のラリーが成立したではないか。Bさんは心持ち嬉しそうに「いや、ハノーヴァーよりももうちょっと西の○○○○(←聞き取れない)です。ハノーヴァーをご存知なんですか、ご旅行とか?」。

 ハノーヴァーどころかドイツに足を踏み入れたこともない。なぜハノーヴァーという地名とそのおおよその位置を知っているかと言えば、『エロイカより愛をこめて』の部下Z(ツェット)君の出身地だからである。サイド・ストーリーの『Z−ツェット−』で、彼がハノーヴァー出身であり、それゆえに金髪・碧眼の長身できれいなドイツ語を話す、という豆知識を仕入れたのだった。
 しかしもちろんBさんが『エロイカより愛をこめて』だのZ君だのを知っているハズもない。漫画の主人公がハノーヴァー出身なんです、と言うのもちょっぴり恥ずかしい。どう説明するのが無難なのか、狼狽えたわたしはしどろもどろに「ええっと、その、本で。小説でハノーヴァーが出て来るのを読んだんですよ」と誤魔化した。正確ではないが嘘じゃないもんね。「ほほう、それは何というタイトルの本ですか?」と訊き返されたらドウシヨウと焦ったが、幸い話題はそっちへは発展しなかった。
 ハノーヴァーが出て来る小説とか映画ってどんなのがあったっけなあ。今度Bさんと会う機会までに、ドイツの地理とか簡単なドイツ語とか、もうちょっと埃を払っておかねばなるまい。

 ディスカヴァー・ジャパンなBさんのために、和食のお店を選ぶことにする。家人がネットで「1人3980円で食べ放題・飲み放題」というしゃぶしゃぶメニューを見付けたのだが、行ってみたら居酒屋さんだった。しゃぶしゃぶオンリーはやめて、他にししゃもの焼き魚とかあさりの酒蒸しとか枝豆とか、いかにもジャパニーズな料理を選択する。
 20年近く前にわたしがイギリス旅行に行った時は望むべくもなかったことだが、昨今では海外どこへ行っても比較的容易に日本食が手に入るらしい。Aさんも、味噌・醤油・納豆・豆腐などなど、一通りの和食が作れる程度の材料は買えるんだよと言っていた。フォーマルな店に行けば寿司や天ぷらも食べられるという。
 さすがに回転寿司はないそうだが、家人が以前出張で出掛けたウィーンには「TOKYO ROUND SUSHI(江戸前回転寿司)」というチェーン店(?)があったようなので、いつか全カナダにチェーン展開する日が来ても不思議ではあるまいが。

 最近の居酒屋さんのしゃぶしゃぶ出汁はいろいろあって、昆布出汁、豆乳、ぴりから、すき焼きの4種類から2種類を選ぶシステムになっているらしい。昆布出汁とぴりからを選んだら、出て来た鍋が○にSの太極図型だった。Bさんが「おお、Yin Yangだ」と嬉しそうにしている。
 他にBさんに受けたのは、テーブルの隅に設置してあるオーダー端末である。タッチ・パネルでメニューを選び、「注文する」アイコンに触れるとキッチンへ注文が通る仕組みになっている。4人でつい面白がり、じゃぱにーず・てくのろじーだと弄り回してしまった。ウチの2人もあんなのを見たのは初めてだったのだが、最近流行りのシステムなのだろうか。

 そんな風に、言葉の壁にぶつかりぶつかりしながらも、楽しく喋りつつお食事会は無事終了した。英語でこんなに喋ったのはずいぶん久し振りである。話すのはとりあえず度胸と開き直りさえあれば何とかなるものだが、困ったのは聞き取りの方で、サボっているものだからずいぶん錆びてしまっている。やはり映画を字幕頼りに観るのではポリッシュ・アップにならないようだ。
 Aさんの(本人いわく)ジャパグリッシュはまだ何とか聞き取れるのだが、Bさんのドイツ語アクセントの英語は本当に難儀した。全部聞き取るのは到底無理なので、途中から、エッセンスだけ何とか把握して後は忘れるという方針に切り替える。判んなかったところも、よっぽど重要ポイントでなければスルー。とりあえずビジネス・シーンではないからそういう中途半端も許されるだろう(駄目?)。

 面白いのは、単語力とか聞き取り能力とかはわたしと同レヴェルの家人が、あまり積極的に話そうとはしなかったことだった。どうも会話している最中、アタマの中で文章を組み立てている内に、口を挟むチャンスを失って黙ってしまう風情である。性格的にわたしよりもずっと完璧主義なので、何はともあれ思い付いた単語を足掛かりに出任せ文法を並べる、というのが我慢出来ないのかもしれない。
 わたしとしては、日本語で喋る時はきちんとしないといけないけれど、外国語はどうせ非ネイティヴだから、多少取っ散らかってても無問題、という気分である。英語圏で暮らそうとしたらこういう方針ではいずれ破綻するだろうけれど、日本に居るうちは構うもんかと思っている。
 家人辺りには「へえ、キミって普段から、気を使って正しい日本語喋ってるつもりなんだ、あれでも」と呆れられそうな気もするが。




10/10〜11 反動で本読みまくり

2005/10/11 11:08
 段ボール箱4つもの蔵書を処分したのに全然整頓出来ないというのが思った以上にストレスになったのか、3連休はほとんど、必要最低限の日常業務以外は読書(コミック含む)しかしなかった(汗)。先日大人買いした『機動警察パトレイバー』全11巻を2回通読し、今さらながらその作品世界の完成度の高さに舌を巻く。信じられないほど面白い。
 古くは『マジンガーZ』や『機動戦士ガンダム』などなど、ロボットものアニメーションを一通り観てはいるものの、このジャンルそのものがそれほど好きだった訳ではない。宇宙空間での運用ならば100歩譲って納得しようもあるが、地上でドンパチやらかすのに、あんなにでっかい人間型ロボットを持ち出す必然性が感じられなかった。主人公がなぜか少年ばっかりなのを嘘臭く感じていたことも大きい。
 思えば己の「車幅感覚の無さ」を、幼少時から朧気に自覚していたのだろう。あんなもんをいきなり子供がきちんと思い通りに操縦出来る訳がないではないかと思っていた。例えアムロ・レイがニュー・タイプだったとしても。

 時系列的には逆行するのだが、『ミニパト』で検証されていたように、『機動警察パトレイバー』で多脚労務機械(レイバー)の普及に伴う新型犯罪の増加に伴い、警察が専用のレイバーを導入するという設定には大納得が行った。東京湾の大規模工事でレイバーが不可欠だったり、レイバー専用の教習所があったり、機種選定に関する汚職が問題になったりと、ともかく作品世界に説得力がある。
 レイバー乗りである泉野明巡査やその指揮担当の篠原遊馬巡査らの青春スポコン風ストーリーも気に入ったが、個人的に一番魅力的なのはやっぱり後藤喜一隊長だった。切れ者なのに普段はのらりくらりとしていて、肝心なところでビシッと決めてくれるキャラはとにかくツボである。惜しむらくは映画版でのイチオシ、南雲忍隊長が、思ったよりも目立たない扱いだったことくらいか(こっちがオリジナルなんだってば)。

 出動するたびに何やかにや壊して世間に煙たがられているとか、メンテナンス要員の苦労とか、いわゆる「ロボット物」ではあんまり重要視されていなかった状況が細かく描かれているのもやっぱり素晴らしい。読んでいてつい歯噛みしてしまうような、「手段のためなら目的を選ばない」謎のグループによる陰謀劇も迫力満点であった。
 本質的には後藤喜一隊長と同じ人種のハズなのに、「シャフト」の内海さんをどうしても面白いキャラだと思えず、最終話ではつい「ざまを見ろ」とスッキリしてしまったのは自分でも意外だった。他人に迷惑を掛けまくっても屁とも思わず、あれが欲しいこれが欲しいとダダを捏ねるバドも問題外である。表現型としてはバドと内海さんは似ていたからむべなるかな、TPOを弁えず好き放題やらかすガキが嫌いなのだろう。
 ちなみに「シャフト」のメンバーでは、ナンバー2の黒崎さん(苦労性)が一番好きだった。OVA版も観たいなあ…。

 その他、榎田尤利さんのファンタジー「神話の子供たち」シリーズを手に取ってみる。第1作『神を喰らう狼』は正直期待外れの感が強い。作品設定が『輝夜姫』や映画『アイランド』にそっくり(『アイランド』より発表されたのはずっと以前だが)で、早い話在り来たり以上のものになっていないのと、ライトノヴェルとは言え主人公が阿呆っぽくて感情移入出来ないのが致命的である。第2作『隻腕のサスラ』は多少持ち直していたものの、「どっかで読んだような」感は拭えない。
 第3作『片翼で飛ぶ鳥』は一番良かった。あとがきで作者ご本人も書いておいでのように、どことなく『ダンス・ウィズ・ウルヴス』の魅力的な部分が満載の作品である。…つまり、「神話の子供たち」シリーズとしてではなく面白かったということになり、これは喜んでいいのか落胆すべきなのか良く判らんということになる。
 『おまえが世界を変えたいならば』という第4作も出ているらしいのだが、どうにも食指が動かない。SFファンタジーって難しいなあ…。

 口直しに中島らもさんの『アマニタ・パンセリナ』を久し振りに再読。ガマの油から幻覚サボテン、咳止めシロップ、有機溶媒、ヘロインやコカインや阿片チンキなど掛け値なしの「麻薬」などなど、精神に影響を及ぼすいろいろなクスリについてのびっくりエッセイである。特に自分自身や友人知人の「ラリ中」体験を中心に描いている「咳止めシロップ」の項以降が面白い。こんなんで笑っていいんだろうか、と思いつつやっぱり笑ってしまう。
 薬物毒物に関する好奇心が強いからと言って、ペヨーテ(ただし園芸種)を取り寄せて乾物にして喰うだろうか、フツー? 咳止めシロップの「ブロン」を、10年間呑み続けた挙句「もう薬局には行きたくない」から何となくやめようとして激烈な禁断症状に襲われたり、鬱病になった時お医者にリタリンを処方してくれるように言い張り、所定量の2、3倍を2週間続けて妄想が出ちゃったり。「馬鹿」ではあるが、身体を張っているのは確かである。そこが凄い。

 大昔の大学院時代、研究室には有機溶媒がどっちゃりあった。トルエンなぞ、ガロン瓶(3800ml)や一斗缶の単位でストックされていた。有機合成の班が仕事を始めると、ドラフト(通気装置)から漏れ出した有機溶媒の匂いで鼻が曲がりそうになったものだ(特にピリジンの匂いはキツかった)。わたしの所属していた細胞培養班には、麻酔用のエーテルが常備されていた。
 試薬や実験器具を買うお金がない時、冗談で時々仲間達と「トルエンとかエーテルを空いた試薬瓶に小分けして、新宿辺りに売りに行けばいいんだよ。原価の何倍で売れるかなあ」などと笑ったこともある。もちろん実際そんなことはする訳ないし、わたしの知っている限り、好奇心でトルエンやエーテルを吸入したお馬鹿さんも居ない。一応化学者の端くれたる者、そういう邪道な誘惑に負けてはイケナイのである。
 もし本当に「空き試薬瓶に小分けして新宿に」なんてことをやったら、途中で必ずコワイオニイサンたちにえらい目に遭わされたことだろう。くわばらくわばら。

 『アマニタ・パンセリナ』を一番最初に読んだ時、まず研究室時代の有機溶媒たちを思い出した。しばらく後、体調不良で喘息の発作が止まらなくなった時に「ブロン」を飲んだこともある(この時期の「ブロン」はレシピが変わっている)。こんなマズいものを1日1瓶も良く呑むものだ、と、甘ったるくクスリ臭い味に辟易しながららもさんを思った。
 「抗うつ剤」の項には身につまされるものがあるけれど、基本的にわたしには、ラリったり酔っ払ったりして憂き世から逃げ出そうという欲求がないようである。どうせ逃げ切れるものでもないんだし。

 それからまたずいぶん経ってから、例の「中島らも、大麻所持で逮捕」というニュースに触れた。とうとう非合法ドラッグに日本国内で手を出しちゃったのか、とちょっとがっかりした。さらにその約1年後、らもさんは酔っ払って階段から落ちてあっさり亡くなってしまった。哀しくて寂しかった。『今夜、すべてのバーで』とか『永遠もなかばを過ぎて』のような物語を、読者たちはもう2度と読むことが出来なくなってしまったというのが主な理由だけれど、それだけではなかった。
 『アマニタ・パンセリナ』連載中、らもさんは重度の鬱病を再発し、さらにそれが躁に転じたりして大変だったらしい。アルコールへの依存も依然として生半可なものではなく、ついには70日も入院してとうとう断酒した。最終項の「アルコール」の段にその顛末が書いてある。きっぱりスッキリやめたハズなのに、大麻所持を経て階段から落っこちてしまった訳である。約9年の間に何があったのかは知らない。

 最初の方、「睡眠薬系統」の項で、自分の最期を「ラリって階段から落ちるか何かして」だろう、と予測した30代の危機的状況の描写がある。期せずして予想が本当になってしまったことになる。久し振りに再読した今、それが無性に寂しい。1度手を染めたら2度と立ち直れないなんてことはないと思う。ただ、らもさんの意思が弱かっただけだという切捨て方もしたくない。
 結局口直しにならなかったので、もう1度『機動警察パトレイバー』を読もうかどうしようか。いい加減にしとけという家人の声が聞こえてきそうである。




10/12 二つ名は何ですか〜♪

2005/10/12 16:31
 ちょくちょく拝見させていただいているJemさんのblogで、先日面白いサイトを教わった。「The Elvish Name Generator」「The Hobbit Name Generator」というもので、自分の名前をトールキンの『指輪物語』世界風に訳してくれるのである。エルフだったらこんな名前、ホビットだったらあんな名前…という具合に。
 2000年に立ち上がっているサイトなので、ひょっとしたら有名なところなのかもしれないけれど、わたしはJemさんの日記ブログで初めて知った。面白い♪ 自分の名前をローマ字表記で書き込んで「変換」を押せば、秘密の名前が明らかになる。女性ならFemale欄に、男性ならMale欄に入れなければならない辺りが芸コマである。

 試しに自分の姓名(ただし名前は“まとり”を使った)で試してみると、エルフ名は「Maranwё Faelivrin」だそうである。「マランヴェ・ファエリヴリン」とでも読むのだろうか。名前はともかく、苗字がいかにもエルフっぽくて気に入った。一方ホビット名を調べてみると「Melilot Proudfoot of Standelf」となる。
 ついでに男性名だったらどう違うんだろうかと、わざとMaleの欄に自分の姓名を入れて変換すると、エルフ名は「Amdir Faelivrin」らしい。名前のiにはポチの代わりに/を小さくしたようなアクサンが付いている。ホビット名だと「Merimac Proudfoot of Standelf」らしい。ホビット名の「Melillot(女性)→Merimac(男性)」はまだ理解出来なくもないが、エルフ名の「Maranwё(女性)→Amdir(男性)」の変化がどういう仕組みなのか良く判らない。

 ふと思い付いて、家人がエルフだったら(とてもエルフという風体ではないのだが、それはお互いさまである)どうかと試してみた。と、結果がなぜかわたしと同じである。「Amdir Faelivrin」、名前のiはアクサン付き。おかしいなと思って、戯れにFemale欄に家人の名前を入れてみると、またまたわたしのと同じ結果となった「Maranwё Faelivrin」。同じってこたーないだろう。どういう名付け方をしているのだ?
 ちなみにホビット名で家人の名前を男女別に調べてみても、結果はわたしのと全く同じであった。

 そんな訳で、友人・知人等、思い当たる名前を片っ端から書き込んでは変換してみる。仕組みは同じだろうと思ったので、検証はすべてエルフ名ページで行なった。ユキさんとユカリさんが全く同じで「Cirnellё」、わたしの本名とマキコさん、マイコさん、ミチコさんが同じで「Aniё(Aはアクサン付き)」、ジュリーさんもジョリーさんもジャニュアリーさんも「Enelya」で、マリアさんもモトカさんも「Ireth」という結果になった。
 どうやら名前が何文字だろうと、アタマとシッポのアルファベットによってパターン生成されるらしい。さらに試しているうちに、わたしの本名と中の妹の名前も同じエルフ名になるということが判明。キミコさんもキョウコさんも「Aniё(Aはアクサン付き)」なのだ。どうもアタマがMでもKでも同じ結果になるらしい。試しに頭文字Kの姪っ子1号の名前で試してみると、予想通り、マリアさんと同じ「Ireth」だと出た。

 他にもタニアさんとベラさんが同じで「Eamanё(最初のaはアクサン付き)」、ディーヴァさんとエヴァさんとフィオナさんが同じで「Gilraen」、ジョルジーナさんとヘレナさんが共に「Aredhel」であることなどが判明。この辺になると知人・友人関係なく、思い付いた名前をアルファベット順に入れているのだが、Hまで試しただけでも結構ダブりが多いと判る。
 名前を音声学とか由来で分類してエルフ名に変換…ということではなくてちょっとがっかりだけれど、ファースト・ネームなんて星の数ほどあるんだからそういう贅沢も言ってはいられない。少なくとも、自分が『指輪物語』のキャラだったら…という妄想が出来るだけで満足なんである。
 ただし、日本名に「o」で終わる女性が圧倒的に多い(最近は違うだろうが)のと同様、イタリア名だと女性ならほとんどが「a」で終わると思われるので、イタリア女性もエルフ名のダブりが頻発するのではないだろうか。

 他に面白いName Generatorはないかなと思って探したら、こんなページが見付かった。元々はペット・ショップのサイトで、「ペットの名前に困ったらこんなのいかが?」という提案ページから派生したリンク集らしい。
 面白いのがいろいろあって、例えば「Cyborg Name Decoder」というページでは「M.A.T.O.R.I.: Mechanical Artificial Troubleshooting and Online Repair Individual」とかに化けてしまう。たぶんネットの内外でメンテナンスをバリバリこなす機能を持つのだろう。なんか凄い格好いいではないか♪
 他にもポケモン名を付けてくれたり(わたしは「Flarrider」で、カムチャツカの永久凍土に住み、ドクター・ペッパーを吹き付けるらしい)、芸名を考えてくれたり(わたしはMinnie Seniorらしい。案外詰まらんな)、アフリカ名だったり(Matori→Shuakhwe)、ネイティヴ・アメリカン名だったり(Matori Tamura→Lucy Clattering Copperhead:ぺちゃくちゃ喋るアメリカマムシのルーシィ)する。インディアン名は本名でやったらもっと珍妙だった(汗)。

 そして最も笑ってしまったのは、名前からアナグラムを作ってくれるページ(こちら)である。「Matori Tamura」をアナグラムするのは結構面倒なんではないかと思ったのだがちゃんと「I am a tumor rat.」と出してくれた。あまり…あまり、嬉しくない(とほほほ)。




10/13 早起きは万病の元

2005/10/13 17:19
 などという戯言を家人は言う。典型的な「宵っ張りの朝寝坊」であるため、朝早くの活動開始は苦痛以外の何物でもないらしい。自堕落では負けないわたしも、この10年ですっかり同じ生活パターンに染まってしまった。
 ところがである。先日ついに持ち越しの仕事を完了し、新しい業務に就いた家人に試練が訪れた。なんと異動先では、朝は8時45分までに職場に到着していなければならないのだ。普通の勤め人の方々にとってはごく当ったり前な始業時間だろうけれど、今までほぼ10時始業だった家人には大打撃である。

 異動前は「朝7時15分起床、8時20分出発」だった。それが、始業時間が早まったことと、それに伴って本格的なラッシュ・アワーに巻き込まれるようになったことなどから、「朝5時45分起床、6時45分出発」に変わってしまった。朝の10分は貴重だと言われるところ、1時間半も前倒しして動かねばならないのだ。ひょえ〜。
 わたしも当然ながら5時45分起きを止む無くされているのだが、情けないことに、かろうじて起きているもののまったく役に立っていない。とりあえず目は開いているのだが、アタマの中は真っ白。カラダも全然動かない。血圧は特に低い訳でもないのに、この寝起きの悪さはいったいどうしたことだろう。単に弛んでいるだけなのかなあ(とほほ)。

 今までのように1時だの2時だの就寝では死んでしまうので、一生懸命12時までには床に就くようにしているのだが、まだそのサイクルに慣れていないらしい。入眠はあっという間だが、その分早く鳴る目覚まし時計にきちんと反応出来るかというと全然そんなことはない。アタマはまだまだ「あと1時間半は眠れるハズなのにどうして起こすのだ」とサボタージュを決め込んでいる。
 当事者である家人は、さすがに新職場に適応するまでの緊張感が強いのか、珍しくチャキチャキと起きてチャキチャキと出掛けている。わたしと違って元々大層寝起きが良いのだが、それにしてもいつもの「早起きは万病の元」が嘘のようなはつらつっぷりである。

 家人を送り出すのが1時間半も早くなったので、その分午前中がずいぶん長くなった。さぞかしいろいろなことが能率良く片付けられるだろうと楽しみにしていたのだが、今のところその恩恵もまったくない。アタマの中は「ねむい」の3文字が渦巻き、ただひたすらボーッとしてしまう。エンジンの掛かるのは今まで通りか、むしろ今までよりも遅い時間帯だったりする。これは一体どういう理由なのだ(涙)。
 ぽよよんとぐーたらが身上のわたしでも、さすがにこういう状況は世間さまに申し訳ないと思う。「家人のお弁当を作らなければならない」とかの課題があればもうちょっと気合が入るのだろうが、あいにくそういうこともない。せめて気持ちだけでもそういうつもりで居れば、多少はマシなのだろうか。我ながら、本当に本当に、情けないのである。

 今朝など、ふらふらとあちこち片付けつつ、大ポカをやらかしてしまった。トイレのペーパー・ロールのストックがなくなっているので、補充しなければと思った。洗面所の流し上にある戸棚の中に予備のトイレット・ペーパーが入れてある。脚立を持ち出しよじ登り、バランスが怪しいので若干ふらふらしながら中腰で観音扉を開いた。その時、ついうっかり、外側にちょっぴりはみ出していたトイレット・ペーパーのビニール袋も一緒に掴んでしまったらしい。
 扉が開くと同時に飛び出して来るいろいろな小物達。受け止めようにも片手は脚立に掴まり、片手は扉に掛かっている。どっちか放したらたぶん脚立から落ちるだろう。どうにも出来ない状態で、わたしは落ちてくるペーパー・ロールその他の諸々を、成り行き上、顔面で受けたのだった。タオルの束やらコットン・パフの箱やら、軽いものがほとんどだったのがせめてもの救いではあったが。

 辛うじて脚立からは落ちずに済んだが、その代わり眼鏡が飛んだ。妙にゆっくり落ちて来るように感じたタオルの束とトイレット・ペーパーの直撃を喰らい、ジョイント部分が歪んだらしい。
 災難だったが、とりあえずまだツルが折れなくて良かった。歪んだ眼鏡を修理するために精密ドライヴァーのセットを探しつつ、今夜からはもうちょっと早く寝て、明朝すっきり起床&活動開始出来るようにしたいと思うのだった(とほほほ)。




10/14 フンベツあるブンベツ

2005/10/14 17:43
 10月からゴミ収集が有料になって、心配していたことが現実のものになってしまった。「専用ゴミ袋が売り切れないだろうか」と「回収の時間が遅過ぎたらイヤだな」の2点は、一応、市当局も頑張ったのか、それほど大きな問題にはなっていない。専用ゴミ袋は一部品薄になる店舗もあったようだけれど、複数の店を回れば欲しい種類が必ず手に入るし、生ゴミも朝10時過ぎには取りに来てくれる。
 では何が問題かというと、分別の厳密化なのである。これはどちらかというと市当局というよりは各家庭個別の問題だったりする。「如何にゴミを減らすか」および「資源回収を如何に徹底するか」ということで、そもそもゴミ有料化の発端がこの2点に深く関わっていることもあるだろう。

 有料化されたのは「燃やせるゴミ」と「燃やせないゴミ」の回収のみである。ペットボトル、スチロール・トレイ、牛乳等の紙パック、古紙・古布、カン・ビン、有害ゴミの回収は今まで通り無料。よって末端の一般家庭としては、ゴミの中から可能な限り「資源ゴミ」を選り分ける努力をすれば良い。具体的には「燃やせるゴミ」の中から「古紙」に回せるものをどれだけ厳密に仕分けるかが重要ポイントである。
 今捨てようとしているこの紙製品が「燃やせるゴミ」なのか「古紙」なのか。確かにその判別は一見面倒臭い。たぶんそうなるだろうなと危惧していた通り、家人はこの分別基準を未だ把握してくれていないのである。「燃やせるゴミ」入れをパカリと開けると、中に「古紙」ゴミがちょこんと紛れ込んでいたりする。わたしはその度に家人に間違いを指摘して煩がられているのだった。やれやれ。

 そんなのどっちでもいいじゃないかと家人は言うのだが、実は先述の通り「燃やせるゴミ」を増量させる最大の原因が「古紙」である。ウチの出すゴミは今のところ、3〜4日で「専用ゴミ袋(小・10リットル)」1枚分程度。これに古紙ゴミを紛れさせるとたちまち「専用ゴミ袋(中・20リットル)」でないと入り切らなくなる。「小」は1枚20円、「中」は1枚40円。セコいようだが塵も積もれば山となる。
 専用ゴミ袋をケチるだけの話ではなく、なぜゴミ回収を有料化しなくてはならないかのそもそもを考えると、やっぱり分別はきっちりする方が望ましいだろう。最終処理場のキャパシティはあくまでも有限なのだ。

 「古紙」は大雑把に表現すると「千切って水で煮たらお粥状態になるもの」である。つまり紙の原料たる「パルプ」に戻せるかどうかがキイとなる。印刷してあったり、表面をつやつやさせる加工が多少施してある程度ならば問題ないが、アルミ蒸着してあったり、防水加工のフィルム・コーティングしてあったりするものはアウト。感熱紙とかノン・カーボン紙のように「何かすると紙そのものが黒く変色する」ものもNG。封筒のセロファン窓も歓迎されない。
 紙をパルプに戻す作業を平たく言うと「薬品とお湯でぐつぐつ煮てドロドロに溶かす」というものである。アルミ蒸着やフィルム・コーティングの紙をこの中に紛れ込ませると、ちょっとやそっとフィルタリングしても除去出来ない細かい不純物がいっぱい出て来てしまう。感熱紙などは当然真っ黒になり、この黒さは後に行なわれるインク抜き工程でも除去出来ない。

 再生パルプで作った紙が何となく薄汚れていたり、一昔前の再生トイレット・ペーパーに良く見られたようなパラフィンっぽい点々がいっぱいあったりしても構わないのであれば分別など必要ないのだが、ディテールに拘る日本人はそういう再生紙を買ってくれない。パルプ再生工程にじっくりお金と手間暇をかければどんな再生パルプでも相当キレイに出来るが、今度は最終製品が馬鹿高価くなってしまってペイしない。それはどこまでもジレンマである。
 つまり結局、回収段階で出来るだけ仕分けておくのが一番だ、ということになる。再生パルプの原料である古紙の品質が一定であれば、再生工程もルーティン化出来るのでコストが下げられる。古新聞とチラシが別扱いなのはそれが理由で、一定品質で大量ロットが確保出来るため、再生や漂白の工程が確立しているのである。飛び切り上等なパルプを使っている牛乳等のパックを特別扱いするのも同じ理由。

 大学院を出て就職したのが某製紙会社のラボだったので、こういうことはみんな職場で教わった。10年前からさらに技術は進歩しているだろうが、基本的なところはそうそう変わっていないだろう。紙ゴミを見た時、これをパルプに戻すとしたらどういう工程を経なければならないかが判れば、「燃やせるゴミ」と「古紙」の分別は実はそれほど面倒なものでもない。
 すっきり煮溶かせるものは「古紙」、そうでないものは「燃やせるゴミ」。おそらく家人にはその辺のイメージがまだないのだろう。仮にイメージ出来たとしても、DMの封筒からセロファン窓をちまちま剥がす手間暇を面倒だと思うに違いない。既に「その辺に全部積んでおくからキミが仕分けてくれたらいいのに」とお気楽なことを言っている。それじゃ困るんだけどなあ。基準、覚えてくれないかなあ…。




10/15 下駄を履くまで判らない

2005/10/15 23:50
 以前この日記にも書いたことがあったハズだと思うのだが、何度観てもドキドキ胸ときめくのでまた書いてしまおう。最近非常にお気に入りのCMがある。ロッテのガムのCMで、とある会社の休憩コーナーと思われる自販機前で1人のOLさんが「もうこの仕事辞める」と弱音を吐いている。同僚が「皆頑張ってるんだから」と慰めると、何故か背後に千葉ロッテ・マリーンズの選手たちが現れて「僕たちも頑張ってます!」とガムを差し出す。
 OLさんがガムを口に入れると突然そこはマリーン・スタジアム。OLさんは1塁側のベンチに座っている。スコア・ボードのメンバー表には「DH よしこ」という文字が現れる。「よしこ」とはそのOLさんの名前なのだ。スタンドからは「よしこ! よしこ!」の大声援、隣に座ったヴァレンタイン監督が「行きましょう!」と朗らかな声を掛けて肩をポンと叩いてくれる。よしこさんがつい弾かれたようにベンチから飛び出したところで元の自販機前に戻り、彼女はくっと両手を握り締めて「負けない、かも」と呟くのである。

 ズルい。ズル過ぎる。けれどメチャクチャ好きなCMなのである。「ズルい〜」と言いながら自分の身体を抱き締めつつ床を転がり回りたいくらい好きだ(←阿呆)。あんな状況で励ましてもらえたら、ボビーに「頑張れ」なんて言われちゃったら、24時間不眠不休だって全然辛くなくなるんじゃないか、と思う。
 判り易過ぎるくらい判り易いこのCMなんぞに萌え萌えしているのはわたしだけなんだろうかと密かに恥ずかしかったのだが、先日、ドヴォ組の1人であるAさんが「あ、僕もあのCM好き♪」と賛同してくれたので非常に嬉しかった。何でもAさんの職場の同僚(ロッテファン)は、ガムを食べたらああいうファンタジーが観られるのならば、ガムを買い占めちゃいたいくらいあのCMにワクワクすると仰っているらしい。全くもって同感である。

 そんな訳で、わたしの「理想の上司」はボビー・ヴァレンタイン監督である。当然、ヴァレンタイン監督が復帰した2004年シーズンから、パ・リーグで最も好きな球団はもちろん千葉ロッテ・マリーンズなんである。他にもマリーンズには小坂誠遊撃手とか小宮山悟投手とか、密かにお気に入りな選手もいっぱい居る。若い選手が多いからか、ノセるのが上手いヴァレンタイン監督の下で、のびのび野球を楽しんでいるような雰囲気がいい。
 タイプは微妙に違うけれど、「マシンガン打線」で優勝した1998年の横浜ベイスターズの楽しそうな雰囲気と通じるものがあると思う。当時のベイスターズとか、今年のマリーンズとかの選手たちを見ていると、野球って本当に楽しいんだなあということが伝わって来る。真剣に、しかし深刻になり過ぎず、まるでエキシビションで活き活き滑るフィギュア・スケートの選手のように野球に打ち込んでいるように見える。そこが好きだ。

 ということで本当なら今日の日記は「おめでとう千葉ロッテ・マリーンズ」というテーマになるハズだった。3勝すればパ・リーグ優勝が決定するプレイ・オフ、マリーンズは既に2勝している3戦目。9回表の段階では、4対0でソフトバンク・ホークスにリードしていたのだから、ほぼ95%くらいは決まったようなものだった。ベンチの中でも選手たちはニコニコ顔で、観ているこっちが「まだ決まった訳じゃないんだから油断しない方が…」と思うくらいだった。
 「油断しない方が」などとチラリと考えてしまったのが良くなかったのだろうか。万全を期して抑えの切り札・小林雅英投手が投入された9回裏、何だかヤバそうな状況に陥ってしまった。TV画面を通してさえ判るくらい、小林(雅)投手はガッチガチに緊張している。ストライクは入らないわ、ヒットは打たれるわ、挙句にエラー。トドメが押し出し同点のフォア・ボールである。やっぱり「あと3人アウトにしたら優勝」となると、プレッシャーも半端ではないのだろう。メンタル面の重要性を改めて感じてしまった。プロでも緊張するんだなあ。

 まだ取ったゲーム数は2対1とマリーンズがリードしている状況は変わらない。明日の試合に勝てばリーグ優勝決定である。とは言え、今日の信じられない逆転負けで流れが変わってしまっていたらドウシヨウ。マリーンズの選手たちは優勝争いなんてとんと縁遠い人ばかりだが、対するソフトバンク・ホークスはリーグ優勝どころか日本一の常連チームである。はっきり言って場数が違う。
 ワタシ的に「理想の上司」ナンバー1であるところのボビー・ヴァレンタイン監督が、今日の負けのショックを引きずることなく、いい方に発奮するような発破を選手たちに掛けてくれることを熱烈希望である。是が非にも、ヴァレンタイン監督の胴上げシーンを観たい。マリーンズの選手たち頑張ってくれたまえ。そして頼んだぜボビー♪
 最終戦の5戦目まで縺れ込むとたぶん負けちゃうと思うので、どうかどうかどうか、明日決めてくれますように(祈)。




10/16 スポーツ観戦な1日

2005/10/16 21:59
 いつの間にやらラグビー・シーズンに突入しているのである。今日は早稲田大学が登場する、関東大学対抗戦の3回戦(というかリーグ方式なので単に3試合目である)があったので、秩父宮ラグビー場まで出掛けて行った。早稲田大学 vs 日本体育大学のカードで、日体大は今年はかなり調子が良いらしいと聞いて、ゲームとして面白そうだと思った。
 日体大と言えばかつては相当な強豪校としてその名も轟いていたらしい。ファン歴の浅いわたしは知らない時代のことなのだが、明治大学や慶應大学が今年の日体大には苦戦したのだという。結局明治も慶應も勝つには勝ったのだが、そんなに油断の出来ない相手ならばきっとスリリングで良い試合になるだろう。

 結果は95対0という完勝であった。95得点はともかく、相手チームに1つのトライもペナルティ・ゴールも許さなかったというのが大きい。大学2連覇に向けて、準備も心構えも着々と「完璧」に近付いているようである。

 今日の観戦席もいつも通り「ワセダ学生席の直下」。5月の同志社戦で負傷したLO・内橋徹選手がすぐ後ろに座ったのでちょっとドキドキする。試合開始前、思い切って「もう大丈夫なんですか?」と声を掛けたら、きっぱりとした肯定の言葉が返って来た。どうやら対抗戦の終盤、数々の強豪校と当たる重要な試合には間に合いそうで安心した。
 同じく負傷休養中のCTB・今村雄太選手も、すたすた歩いて階段を昇る姿を観かけたので、それほど重傷ではなかったのではないだろうか。怪我をした選手たちが、早くピッチに帰って来てくれるといいなと思う。

 本格的に復活したSO・曽我部佳憲選手のミラクルな球捌きは、味方チームの選手達でさえ翻弄される程。いろいろトリッキーなプレイも飛び出して、背後からは「メチャクチャやってるなあ」という声も聞こえて来たのだが、恐らくこれは清宮監督が必勝の攻撃パターンを編み出すために出した指示による試行錯誤だろう。
 CTB・佐藤晴紀選手や三角公志選手も非常にいい感じだったし、WTB・首藤甲子郎選手も菅野朋幸選手もキビキビした動きで気持ち良かった。首藤選手のトライ・シーンは残念ながらなかったのだが、オフェンスでもディフェンスでも、要所要所で素晴らしい働きをしていたので満足。

 点差が離れたこともあり、冗談や野次が飛び出す和やかな雰囲気の観戦となった。一番の大爆笑シーンは、ハーフ・ライン近くでボールを奪ったワセダの某選手が、ライン際をそのまま独走して見事トライ…かと思ったら、格好良くグラウンディング(トライを決める時の動作)をしようとして早く飛び込み過ぎ、結局ボールをこぼしてノック・オンになってしまった場面である。
 ちょっと焦ってしまったのだろうが、たぶん今晩辺り、清宮監督にコッテリ絞られるのではないかと思う。お気の毒に…(でも笑える)。

 気分良く帰宅したところで今度はパ・リーグの優勝決定戦、プレイ・オフ第2ステージ第4戦のTV観戦である。わたしの応援する千葉ロッテ・マリーンズだが、昨晩は信じられないような逆転負けを喫してしまい、流れとしてかなり不利な状況にある。家人などは昨晩「ううむこれであとの2試合、立て続けに落とすんじゃないかなあ」などとフキツな予言をしていた。
 わたしとしても非常にイヤーな予感がするのだが、それでもやはり断じて諦める訳には行かないのである。ボビー・ヴァレンタイン監督の胴上げを目指して、是非とも選手たちには大爆発を期待していた。

 しかしながら、結果は無念の2連敗。勝敗は2勝2敗のタイに持ち込まれてしまったのだった。こうなると、奇跡の逆転劇の勢いに乗って連勝したソフトバンク・ホークスに断然有利である。明日、気を取り直してマリーンズの選手たちが発奮してくれると良いのだが。ヴァレンタイン監督の胴上げ、見たいなあ。
 ホークスは去年、非常に悔しい形で優勝を逃しているから、その分のお返しもまとめて喰らっている感もある。とすると、マリーンズのリーグ優勝は来年まで待たねばならないのだろうか。そんなのイヤだ(涙)。
 運命の女神が気紛れを起こして、明晩の試合ではどういう訳か、ロッテ打線大爆発により3回終わった段階で6対0ロッテのリードとかの展開にならないだろうか。今年のプレイ・オフ第2ステージはどれも接戦ばかり。非常に心臓に悪い。せめて1試合くらい、優雅にお茶でも飲みながらのんびり観戦出来る試合があってもいいのではないかと思うのだが。




10/17 小さな幸せ

2005/10/17 22:50
 例えば朝、着替える時、5本指のソックスに1発で全部の足指がきちんと入ったとか。ゴミ出しで外に出たら沈丁花やら金木犀など、その季節折々の花の香りがふわりと漂って来たとか。行き着けスーパーでの「お買い物袋スタンプ」が20個溜まって100円キャッシュ・バックしてもらったとか。
 そんなような時にちょっと幸せになる。そして今日は、そういうちょっとした幸せよりは随分と嬉しい気分を味わっているのだった。もちろん、小坂選手入団から密かに(去年からはヴァレンタイン監督復帰のため若干ミーハーに)応援している千葉ロッテ・マリーンズが見事、リーグ優勝を決めたからである。優勝決定の瞬間、ワタクシ泣いてしまいました(恥ずかしい)。

 30年来のファンの方とか、実際にプレイしている選手たちとか、ずっと裏方でチームを支えていたスタッフとか、そういう方々の喜びは比べようもないものだろう。苦労続きの30年を、祝いの言葉であっさりまとめるのも失礼なような気もするが、単なる1ファンとしてやっぱり言いたいのである。

 千葉ロッテ・マリーンズ優勝おめでとう!

 本当にドキドキハラハラの5連戦だった。もし城島選手が怪我をしなかったら、もしホークスにあとヒットを数本打たれていたら、マリーンズの優勝はなかっただろう。実力伯仲、拮抗したスリリングなゲームを観ることが出来て、野球好きとして本当に嬉しく思う。
 最後の最後まで緊迫したゲームを戦った福岡ソフトバンク・ホークスの選手たち、王監督、ファンの方々も素晴らしかった。ペナント・レースを1位で通過したのに2年連続で日本シリーズ進出を阻まれて、さぞかし悔しいだろうけれど、また来年もこういう丁々発止のゲームを見せて欲しい。お疲れさまでした。

 これで日本シリーズは千葉ロッテ・マリーンズ対阪神タイガースという組み合わせになった訳だが、結果はどう出るだろう。何となく、この5連戦でマリーンズの選手たちの経験値が段違いにアップしたような気がする。もし3戦目ですんなり優勝を決めていたら、ひょっとするとプレッシャーに負けて日本一を逃すかもしれない。けれど3戦目の信じられない敗北と、勢いに呑まれて落とした昨日の4戦目というのは、今から考えれば、本当に良い機会だったように思う。
 阪神タイガースは割とスムーズにセ・リーグ優勝を決めて、それから日本シリーズまでずっと実戦から遠ざかっている訳である。しんどい試合を5つも勝って来たマリーンズが、気力と集中力で上回るということも有り得る。

 千葉ロッテ・マリーンズも阪神タイガースも好きな球団なので、わたしとしてはどっちを応援しようか困ってしまうのだった。ただ今日の感激は、タイガースがセ・リーグ優勝を決めた日よりも大きいように思うので、やっぱりこの流れに乗って日本一はマリーンズに取らせたい。
 日本シリーズ開始は今週末から。もう1度ボビー・ヴァレンタイン監督の胴上げを観たいのである♪

 ところで冒頭の「5本指のソックス」だが、床を足指で掴んで立つ感覚がなかなかよろしい。足指の間に余分な布地が8枚分も入るので、ジャスト・フィットの靴だと若干キツくなるのが玉に瑕なのだが、冷え性改善にも効果的なので結構お勧めである。
 ただし人によっては少々誤解する場合もあるかもしれない。末の妹に5本指靴下の魅力をとくとくと語ったことがあるのだが、彼女はひとしきり興味深そうに聞いたあと、真顔になってこう訊いたのだった。「おねーちゃん、5本指の理由ってそれだけ? もしかしてアレのせいもあるの? …水虫、とか」。
 5本指ソックスを履いていると水虫持ちに見られる危険性もあるとは、その時初めて気が付いたのだった。

 マリーンズ優勝おめでとう日記のハズが、水虫の話で終わるのもあんまりなので、最後にもう1回改めて書いておこう。
 千葉ロッテ・マリーンズ、31年ぶりのリーグ優勝おめでとうございます♪ 次は日本一だ!




10/18 新兵器不発

2005/10/18 22:56
 かなり前の話だが、バレエ教室で「バランス感覚を養い、ピルエット(回転)やフォンデュ(片脚軸で、両脚を同時に曲げたり伸ばしたり)を確実にするトレーニング器具」を教わった。FITTERというメーカーの「バランスボード」という器具である。直径40cmほどの木製の円盤の裏、中心部分に、やはり木製の半球(直径15cmほど)がくっついている。そのものではないが似たような器具の画像がこちらである。これを床に置いて、上に片脚で立つのがトレーニング。ちょっとやそっとではグラグラしてじっと立っていられない。
 ただし何度もトライするうちに身体が慣れて来て、だんだんだんだん安定出来る時間が長くなっていく。この状態でパッセ(宙に浮いた方の足先を、軸足の膝辺りに添える動作)やフォンデュの練習をすると、身体の軸を保持する感覚がぴっしり決まって動作が安定するのだという。

 慣れて来れば、この円盤の上に立ってルルヴェ(爪先立ち)でのパッセが出来るようになったりするらしい。そうなると完全に軸が取れているので、ピルエットなども楽々出来るのだということだった。実物を先生がお持ちなので、ある日のレッスン前、「まとり(仮名)さん、この上に立てますか?」ということで試してみたのだが、なるほど手強い。とは言え、毎日毎日5分でも練習していたら、効果はそのうち出るのではないだろうかと思った。ストレッチのついでにメニューに組み入れても良い。
 ただし問題はお値段である。先生の見せて下さったFITTERのWB-11という器具は、2個セット(両足で立つ練習も出来るように)でなんと1万4000円が定価。ネットでいろいろ調べたところでも、一番ディスカウントしてあるもので1万2600円とかである。ダメだ、手が出ない。しかしあの感覚はちょっと捨て難い。

 同類項でもっと安いのを探すか、いっそホーム・センターなどで材料を買って来て手作りしてしまうか、どちらにしようかと考えた。ネットをあちこち探しているうちに、似たような器具で破格のお値段のを発見。こちらである。裏側の球部分がややなだらか過ぎるだろうかと思ったものの、とりあえずこの値段なら試しに買ってみるのも悪くはないだろう。わたしが見付けたサイトでは、送料込みで2600円という破格の値段だったのだ。
 先日ブツが届き、どきどきわくわくしながら開梱する。思ったよりも円盤の直径が大きいが、とりあえず中心部分の真上に立って練習するのが目的だから、円盤の径行は関係ない。問題は床に置いた時の安定性であった。FITTERのWB-11のように、床に置いた時に斜めになったりすることなく、水平に静止してしまうのである。目的が目的なので、変に重心が低かったり安定していたりするのも嬉しくない。

 乗ってみて「しまった」と思った。バランスが良過ぎるのである。特に神経集中しなくても、何の苦労なくパッセが出来てしまう。フォンデュだって出来ちゃう。どうも裏面の球の接地部分が、微妙に平らになっているらしい。料理に使うボウルのような雰囲気である。真っ平らの床に立ってパッセやフォンデュを練習する時よりは負荷が掛かるが、どうせならもうちょっと厳しい条件でないと…。
 試しに先生に見ていただこうと、昨日のレッスンにブツを持って行った。先生もやはり「これだとバランスが良過ぎますねえ」と仰る。クラスのメンバーには「多少は効果があるわよきっと」と慰めてもらったものの、折角買ったのに微妙に凹むのであった。通信販売の「試してから買うことが出来ない」というデメリットが最大限に発揮されてしまった。

 このままなかったことにするのも悔しいので、今週末にでもどこかのホーム・センターに行って、裏面の球を底上げしてしまおうと思っている。乗っても壊れないくらいの丈夫な球で、今のブツに取り付けるためには完全にソリッドではなく、ある程度中空になっていないと困る。素材としてどういうものがいいだろうかと、アタマを悩ませているのだった。
 イメージとしては、大規模レストランで使うような大きなオタマ(小さめの丼鉢くらいあるような)、ああいうのの柄を取っ払ったものが望ましい。思い切って本物のオタマを買って来て、柄を切断するのが近道だろうかという気もするのだが、業務用のオタマの柄なんていかにも丈夫そうである。もちろん金属製だろうから、素人の手に負えるものでもないかもしれない。

 いっそのこと、木製の丸い板と木製の半球を買って来て、新しいのを1つ自作する方が手っ取り早いかも、という気もする。円盤の中心を取るのがやや難しそうだが、適当な材料さえ見付かれば、今持っているブツに細工するよりは簡単だろうか。
 手製の「上級者用バランスボード」が出来れば、そちらでパッセの練習をして、通販で買った易しい方でルルヴェやフォンデュの練習をするという具合に使い分けするのも1つの手である。ううむどうしようかなあ…。




10/19 最後の喫煙者

2005/10/19 22:43
 というタイトルの小説がある。筒井康隆氏の短編で、わたしは非常な傑作だと思っている。以前この日記でも触れたことがあったかもしれないのだが、検索しても引っ掛からないのでまた書いてしまおう。嫌煙運動がメジャーにそしてヒステリックになった近未来、喫煙者はほとんど人間扱いして貰えないまでに弾圧されている。「おれ」の周囲もだんだんと住みにくく、とうとう嫌煙者の喫煙者に対するリンチまで頻発する世の中になった。耐えかねた喫煙者はどんどん脱落するが、「おれ」だけは断固として喫煙を貫く。やがて…というストーリーである。
 喫煙者の七転八倒と嫌煙運動のグロを独特の情け容赦なさで描いたスラップスティックで、初出は雑誌「小説新潮」1987年10月号。18年も前に嫌煙運動の隆盛を見越していたとは、さすが筒井御大だと思う。1987年辺りというと、ぼちぼち「嫌煙権」という言葉が市民権を得たくらいではなかっただろうか。

 実家では両親共に相当のヘヴィ・スモーカーだった。母は今でも愛煙家である。わたしはずっと昔は喫煙していたが(日に10本程度)、マイコプラズマ肺炎で2ヶ月休職した時にタバコどころではなくなったのできっぱり止めた。末の妹も、今は止めている(と思う)が昔は喫煙者だった。中の妹だけは今も昔も変わらず、非常に急進的な嫌煙主義者である。
 中の妹と同じかそれ以上にタバコ嫌いなのが家人である。家人にバレて大喧嘩になる危険性を押してまでタバコを吸いたいとは思わない。だから今後もタバコに再び手を伸ばすことはないだろう。元々あんまり美味しいものでもないのだし。

 昨日のネット・ニュースによれば、日本人の喫煙率は10年連続で過去最低記録を更新し続けているのだという。さすがにここ数年の健康ブームで、タバコのみの肩身はますます狭くなっているのだろう。いずれ『最後の喫煙者』のような世界がやって来るのだろうかと、ある意味で楽しみな気分になってしまう。自分がタバコのみであれば「なんたる嘆かわしい世の中だ」と憤慨するのだろうが(いい気なものである)。
 個人的には、タバコを吸おうが吸うまいが、その人個人の勝手だろうと思っている。自分だけでひっそり楽しむ分には何も問題ない。相当のヘヴィ・スモーカーであっても他人の吸っているタバコの煙は不愉快に感じるものだと言うし、そこを弁えてちゃんとマナーさえ守っていればとやかく言われる筋合いもないのだ。吸殻をポイ捨てしたり、禁煙の場所で吸ったり、歩きタバコしたりというお行儀の悪い人々が、喫煙者全体のイメージを低下させているのである。
 自分の首を絞めているのに気付かないなんて、阿呆なんじゃないだろうか、と思わずにいられない。

 不思議なのは例の「喫煙率低下」のニュースで、女性の喫煙率だけは若干上昇している、というくだりであった。上昇とは言っても、そもそも女性の喫煙率そのものが13.8%と、男性の45.8%よりもかなり低い。喫煙者内の割合で考えれば、その男女比率はまだ4:1程度であるらしい。
 とは言え、美容と健康にうるさそうな20代30代の女性の喫煙率がわずかだろうと上昇するなんて、何とも解せないのである。栄養のバランスに気を使い、サプリメントを摂取し、定期的に適度な運動もして、また定期的なエステティック・サロン通いをしていたとしても、喫煙習慣だけでかなりの努力がおじゃんになるような気がする。30代前半くらいまでならまだ無理も利くし、「若いから大丈夫」と思うのだろうか。30代も後半になると、急にあちこちドドドッと来るような気がするのだが…。

 大学院時代から某メーカー研究所勤務時代の数年間がわたしの喫煙期間である。何が楽しくてタバコに手を出したのかなあ、と振り返ってみると、主な理由はやはり「気分転換・憂さ晴らし」であった。ニコチンの薬理作用なのかどうか知らないが、吸うと、手の先足の先が冷たくなってアタマがじわ〜っとする。恐らく血管収縮作用によるものだろう。その「じわ〜っ」が、何となく「おっ、アタマがしゃっきりしたぞ」的な感覚なのである。
 体調の悪い時にタバコを吸うと、その「じわ〜っ」が脳貧血に直結するので注意が必要だった。吸っているうちに気分が悪くなってしゃがみ込んでしまうのである。ひどい時にはリヴァースする羽目に陥る。今から思えばわたしは元々タバコ向きの体質ではなかったのだろう。脳貧血の気持ち悪さにも懲りずに吸い続けたとは、我ながら少々阿呆だと思う。
 その他、なぜか便秘解消に効果があった。タバコを吸うとお手洗いに行きたくなるなどという話は聞いたことがなかったので、気のせいか思い込みかあるいは条件反射かと思っていたのだが、就職先の某メーカー研究所で同じ現象を体験する人に出会った。同期入社の女性研究員で、嗜む本数もわたしと同じくらいだった。他にも居るのだろうか?

 ニコチンの威力はともかく、喫煙の「習慣」が抜けないというのは、口寂しさや手持ち無沙汰もあるのではないかと思う。ニコチン依存だけが問題なのであれば、ニコチン入りガムを使えば誰でもカンタンに禁煙出来るはずだろう。必ずしも上手く禁煙出来ない人も多いということは、「手に煙の出る物体を持って、それを時々口に運んで吸う」という行為自体に依存しているのではないだろうか。
 最近話題になっている「禁煙草」は、ということは、結構成功率の高い禁煙方法かもしれない。杜仲茶の葉っぱが原料なのだが形も味もタバコそっくりで、しかしニコチンは全く含まれていないのが禁煙草らしい。通常タイプとメンソール・タイプがあるとかで、とあるTV番組によれば「禁煙補助CD」と組み合わせて実行するとなお成功率が高まるという。このCD、「サブリミナル効果により」「聴くだけでリラックスして」「澄み切った美しい空気が欲しくなる」のだそうだ。メッチャ怪しいような…。

 1つ気になるのは、この「禁煙草」、副流煙の匂いはいかがなんざんしょ、ということである。味も香りもタバコそっくりならば、もしかしたら副流煙の匂いもタバコそっくりかもしれない。とすると、非喫煙者の立場では、タバコを吸われているのと気分的に迷惑度はほとんど変わらない。「タバコじゃないですから」とか言って、禁煙スペースで禁煙草を吸われたらちょっとイヤだなあ…。
 タバコが健康に与える悪影響は紛れもないものなのだし、出来ることなら禁煙した方がいいだろう。チャレンジ中の人には喜んでエールを送りたいが、出来たら「禁煙草」も、非喫煙者の傍では吸わないでおくれね、とも思うのであった。




10/20 急いて大チョンボ

2005/10/20 23:50
 先月、風邪というか体調不良のため、月曜日のバレエ教室を休んでしまったことがあった。折角始めたのに欠席なんてもったいないと歯噛みしていたら、先生が「レッスンを振替受講しても良いですよ」と仰る。この教室では大人クラスは月・水・木曜日に開講されており、わたしは「週1回(月曜)で月謝6000円」というコースを選択している。つまり月曜日に休んでしまった分を、水曜日か木曜日のクラスに出席して取り戻してもOKという親切システムになっているらしい。
 木曜日はバレエ体操の日なので振替は不可能。必然的に水曜日の夜18時〜19時半のクラスに出ることになった。時間帯としては月曜日のクラスと同じだが、どちらかというと初心者多数な月曜日と違い、水曜日のクラスはやや中級者が多いらしい。ちゃんと付いて行けるだろうか…。一昨々日、先生に「じゃあ今度の水曜日(つまり昨日のことね)にいらっしゃいね」と言われた時、お月謝を無駄にしないで済んで嬉しいと同時にちょっぴり心配だった。

 幼稚園〜小学校2年生まで、団地の集会所で開催されていたバレエ教室に通ってはいたらしいが、本人すっかり忘れ果てている。事実上バレエ教室は初入門みたいなものであり、他の教室でどういうシステムになっているのかはまったく知らない。しかしそれでも、今わたしが通っている教室の先生たち(ご夫婦で運営していらっしゃる)は、熱意といい融通の利き具合といい、なかなかのアタリだったのではないかと思うのだった。
 最初のカウンセリングでは「レッスンは18時〜19時半」ということだったのだが、最近は先生が「あの課題もこの課題もやりましょう」と燃えておいでなので、延長が当たり前になってしまった。ここのところ、レッスンの終了時間はほとんど20時である。1レッスン2時間の教室なんて、いろいろ検索した中にはなかった。どこの教室でも、レッスン時間の延長はありがちなことなのかもしれないが。

 バー・レッスンとセンターでたっぷり2時間動くと、顎や鼻の先から汗がぽたぽた垂れるくらいの状態になる。先生が本当に渋々という表情で「時間もないので今日はここまでにしましょう」と仰る時には、生徒は全員ヨレヨレである。さらにそれから着替えて電車に乗って帰らなければならない。徒歩で通っている生徒さんを羨みつつ、大急ぎで帰宅の途に着くのだった。
 教室のある駅からウチの最寄駅まではたった3つだが、どういう訳か20時過ぎのこの時間帯、各駅停車する電車の本数があまりない。1本乗り逃がしたら、下手すると10分近く次が来ないのである。教室の開催されるスタジオから駅までは徒歩3〜4分、走れば1本前のに乗れるかも…! と思うと、ついついヘロヘロの身体を引き摺りつつダッシュしてしまうのだった。

 一昨々日の月曜日もそんな感じだった。しかもその時のレッスンは取り分け押したため、終了したのが実に20時5分。乗りたいと思う電車は20時12分、移動時間と着替えの時間を考えると綱渡りであった。ぜいはあ息を切らしつつ駅に辿り着き、首尾良く電車に乗り込んだ。お勤め帰りの方々で一杯の中、汗びっしょりの真っ赤な顔で混じるのは結構恥ずかしいのだが、まあ別に見ている人も居ないだろう。
 20時半には帰ります、とメモを残して出掛けたのだが、どうやらギリギリ予告時間までには帰宅出来そうなタイミングである。最寄駅からウチまで徒歩10分弱、あと一息頑張ろうと、小走りで改札口を抜けたのだった。

 2日後の水曜日(昨日である)、イレギュラーなレッスン出席のために大わらわで用事をこなし、またまた走って駅まで向かう羽目に陥る。出掛けにゴタゴタしたので、うっかりすると遅刻しそうだったのだ。息せき切って改札口まで辿り着き、サテと財布を取り出してパスネットを自動改札へ…入れようとして、ふと違和感に気付いた。あれ? このカード、パスネットじゃないじゃん。Quoカードじゃん!
 財布の同じスリットに、パスネットとQuoカードを入れてあったので、つい取り出し間違えたのかと思った。3歩後退して財布の中を確かめザーッと血が下がる。パ、パスネットがない…! 財布の中、リュックの中、リュックの外ポケットや内ポケットを全部探したけれどやっぱりない。慌てているうちに電車の時間が来てしまったので、仕方なく切符を買って改札を通った。げげげ、パスネット、どこに行っちゃったんだろう?

 電車の中でとっくり考えた。最後に見たのは月曜日のレッスン帰り、ウチの最寄駅改札を出た時である。問題のパスネットで改札を抜けたので、その時までは間違いなく持っていたことになる。それからどうしたんだっけ。ともかくその時は早く帰らなくてはと慌てていたので、財布に仕舞うのももどかしく走り出したのだ。手に持って走った記憶はないから、その前にどこかに押し込んだハズである。どこに入れたのか、それが問題だ。
 レッスン中はパスネットの行方を気に留める余裕もなかったが、帰る道々、どうしても考えてしまうのであった。一生懸命思い返して辿り着いた結論は、「月曜日に履いていた短パンの尻ポケット」。帰宅したら洗濯機の中の短パンを確認しなければ。どうかどうか見付かりますように。早目に洗濯しちゃわなくて良かった…。

 しかし、やっぱり短パンの尻ポケットからもパスネットは出て来なかったのであった(涙)。パスネットをポケットに入れる動作をしたのは間違いない。恐らく、慌てていたので、ポケットに仕舞ったつもりで空振ったのだろう。ひらひらと落ちるパスネットに気付かず、阿呆なわたしは走り出してしまったのだ。
 定期券と違って駅の「拾得定期掲示板」に告知が出る訳でもない。仮に誰かが駅に届けてくれたとしても、その落とし主がわたしであると証明するのはまず無理である。だいたい、使い掛けのパスネットが落ちていたのを見付けたら、わたしだったらまず誘惑に負けて猫糞しちゃうだろう。残高にもよるだろうが。
 まだ2000円近くも残高があるパスネットだったのに(哀)。いちいち買うのが面倒だからと、5000円のを買ったりしたためにこういうことになる。今度から絶対、落としても笑って諦められるように、1000円のをちまちま買うことにしよう(涙)。




10/21 チョンボ再び

2005/10/21 17:10
 残高がまだかなり(恐らく2000円弱)残っていたパスネットをうっかり落としてしまった月曜日の帰り道、わたしは一体全体何故そんなに急いだのだっけ、とやや疑問だった。家人用の晩御飯はバレエ教室へ出掛ける前にもう作ってあったし、仕様書というか冷蔵庫の中身の説明メモも、テーブルの上に残して来ていた。20時半までに帰ると書き置いていても、5分や10分の遅れがどうということもない。
 今日CATVで、パ・リーグのプレイ・オフ第2ステージ最終戦の再放送を観ていて思い出した。そうだ、この試合の途中経過が気になって気になってどうしようもなかったのだった。流石にレッスン中に「プレイ・オフどーなってるかな?」と考える余裕はなかったが。
 いつもよりさらにレッスンが押したこともあり、逸る気持ちを抑え切れず、それこそ一目散に帰ったのがアダになったのである。やれやれ…。

 雨降りだったし、暗かったし、改札口をどどーっと出た人の数もかなり多かった。しかしもしかしたら駅員さんが気が付いて拾ってくれたとか、親切な人が駅員さんブースへ届けてくれたとか、そういうこともないとは言い切れない。残高2000円をどうしても諦め切れず、今日念のために駅員さんブースへ行ってみることにしたのだった。
 たぶん無理だろうなとは思っていた。もしわたしが拾う方の立場ならば、昨日の日記にも書いたけれど、まず間違いなく猫糞するからである。改札口すぐ横に未使用の5000円パスネットが落ちてたとかならば、額も額だし、ひょっとしたら届けるかもしれない。けれど使い差しのだったらおそらく「おっ、ラッキー♪」と思って自分のものにしてしまう。

 現金がむき出しで落ちてたという場合も、額によっては猫糞しちゃうかもしれない。コインだったら絶対「おっ、ラッキー♪」決定である。1000円札とか2000円札でもたぶん届けない。5000円札や1万円札だったら、迷うけれど、たぶん届けるだろう。ただし交番が近くにある場合とか、駅前や行き着けスーパー内など、届けやすい場所が近くにあるケースに限るかもしれない。駅〜ウチ間の道のど真ん中でなどという状況だったら、わざわざ交番まで出向いて届けるということはしないような気もする(悪いヤツだ)。
 ただし、中に入っている額がそれほど多くなかったとしても、財布丸ごとが落ちていた場合は届けると思う。カードやIDが入っている場合は落とし主が非常に困るに決まっているし、持ち主がその財布に特別な思い入れを持っていることも考えられるからである。他の人はどういう基準で届けたり猫糞したりするのだろうとちょっと興味が沸く。猫糞などとケシカランことを考えるのは、ひょっとしたらわたしだけなのだろうか?

 ともあれダメ元で駅員さんブースへ行ってみたのだが、案の定、わたしのパスネットは届けられていなかった。しょんぼり。諦め悪く、駅すぐ横にある行き着けスーパーのインフォメーション・コーナーでも訊いてみたのだがこちらもダメ。やっぱり拾い主の行動は「おっ、ラッキー♪」のパターンだったのだろう。万が一、あのパスネットが親切な人に拾われて届けられて、わたしの手元に戻って来たりした場合、向こう1週間くらいは世の為人の為に生きようと思っていたのだが、やさぐれてそれも却下である(涙)。
 悔しいので最初は家人にナイショにしていたのだが、あまりに悔しくてつい喋ってしまったら、やっぱり呆れられたのだった。「バッカだなあ、高額プリペイド・カードを買わないなんて、基本中の基本だろう」だそうである。

 ダメと思っていたもん、凹んでなんかいないもん、と思いつつ、仕方がないので買い物をしてから帰ることにする。夜勤に出掛ける家人を送りがてら出て来たので、今日のお買い物はクルマ。多少重いものを買ってもしんどくない。賞味期限ギリギリで半額になっている「午後の紅茶ロイヤル・ミルク・ティ」1リットル・パックなどをGETし、レジで会計をしようとしてふと違和感を覚えた。あれ? 駐車券、どこに仕舞ったっけ…?
 駐車場まで運転したのは家人だった。クルマを降りる時、間違いなく家人から駐車券を受け取ったのを覚えている。その後いつもならキイと一緒にパンツの尻ポケットに入れるのだが、どういう訳か今日は入っていない。レジ係さんに「駐車券の御用はありませんか?」と訊かれて初めて気付いたのである。また尻ポケットかい!

 回収箱に入れるペットボトルや発泡スチロール・トレイを幾つか抱えて降りたので、きっとそれらをもぞもぞしている時にでも、クルマの傍に落としたのだろう。そう思って駐車場に戻ったのだが、周囲を幾ら探しても駐車券は見付からなかった。仕方ない、ゲートの料金支払機に「駐車券紛失」のボタンがあったハズだから、それを押したらきっと係員さんが相談に乗ってくれるだろう。
 見切り発車でゲートに行き、「駐車券紛失」のボタンを押したら料金支払機はなんと「料金は9600円です」とのたまった。嘘っ。そんなの払える訳ないじゃん。慌てふためいて傍らにある注意書きの看板を見ると、「駐車券紛失の場合は24時間分の料金をお支払い下さい」と書いてあったのだった。おーまいがーっ!

 後続車がないのを確認した後、止むを得ずバックで駐車場に戻ることに決めた。9600円なんてとんでもないではないか。どうせスーパーの中か、駅前までの数十メートルか、どっかその辺に落ちているに決まっている。パスネットと違って拾って楽しいものでもない。探してやる。断固、探し出してやるぞぉぉぉぉっ。
 どうしても見付からなかったらスーパーのインフォメーション・コーナーに相談するつもりだった。何が何でもタダで駐車場を出てやる、と決心していた。あまりに不条理で非情な話だと思ったし、第一、わたしの手持ち金は2000円ちょっとしかなかったからである(しかもそのうち1000円分は商品券)。

 結局、わたしがうんせうんせとバックを始めたら、待機していた駐車場係員さんが「どうかしましたか?」と飛んで来て下さった。駐車券をどこかで落としてしまったと言ったら、先ほどの買い物のレシートを見せれば通してくれるらしい。やはり他にも駐車券を紛失する買い物客が居たりしたのだろう。そういう場合のマニュアルというものも存在すると見える。
 大いに安堵して帰宅したのだが、ここ数日の自分の不注意さには我ながら呆れ果てる。最初はパスネットで次は駐車券。そのうちもっと重要な何かを落とすんではないだろうか(怖)。月曜日にしろ今日にしろ、何か非常に気掛かりなことがあって、そちらに注意を持って行かれた弾みにチョンボをやらかしている。相変わらずシングル・タスク極まりない。
 明日からはもっともっと気をつけることにしよう。2度あることは3度あると言うが、流石に3度目が実現したら落ち込みも半端ではないだろう。今だって充分、自分で自分の阿呆さ加減が信じられない気分なのである。カナシス…。




10/22 波乱の第1戦

2005/10/22 23:30
 FCLAの友人、関西在住で熱烈な阪神ファンのさりちゃん(運営サイトはこちら)が、さぞかし悔しがっているだろうなと思いつつ、今日の日本シリーズ第1戦には熱狂してしまったのだった。阪神の先発ピッチャー、井川慶投手の調子があまり良くなくて、得意のチェンジ・アップを狙い打ちされたのが誤算だろう。結構応援している選手の1人なので、「赤勝て白勝て」状態であるミーハーなわたしとしても、ちょっと気になる今後であった。
 このままドドドッと決まってしまうのも、ロッテ贔屓としてはスッキリして良いのだが、アニキ・金本知憲選手や渋い片岡篤史選手(←大変御贔屓)の活躍シーンもぜひ観たい。非常に悩めるところだけれど、やっぱり決め手となるのはボビー・ヴァレンタイン監督萌えだろうか。ヴァレンタイン監督の胴上げシーンをもう1度実現させたいので、今年は千葉ロッテ・マリーンズに日本一になってもらいたいのだった(さりちゃん、ごめんね)。

 とは言え、よもやストレートで決められるとは思っていないし、あのタイガース相手にそれほどカンタンに日本一になれるはずもない。個人的に理想として夢に描くのは、甲子園での第5戦目が終わった段階で、ロッテ3勝2敗の王手状態で千葉に転戦、第6戦目で日本一決定というパターンである。マリン・スタジアムでヴァレンタイン監督の胴上げ。素晴らしすぎる(うっとり)。
 今日の第1戦、日本シリーズ初の「濃霧による7回コールド」とか、意外に2回目だという「先発メンバー全員安打」とか、いろいろ珍しいことずくめだった。行け行けムードで10点目を取ったところで試合中断になってしまったので、明日の第2戦目も、勢いに乗ったマリーンズが勝つのではないかと思うものの、予想もしない珍しいハプニングがないとも限らない。目が離せないのである(わくわく)。

 TBSテレビで土曜日夜に放送されている「ブロードキャスター」の人気コーナーで、先ほど、ヴァレンタイン監督を取り上げたコーナーがあった。「お父さんのためのワイド・ショー講座」の第9位である。若い時の写真が出て来たのだが、以前から思っていたように、ヴァレンタイン監督ってカーロス・スペンサー選手(またの名をキング・カーロス、愛称“LOS”)にちょっと似ているのである。ただし家人は「顔が長くて目が垂れてて、笑うと顔中がしわくちゃになるところだけじゃん」とつれない。
 こちらのボビーの写真と、こちらのLOSの写真、何となく似ている…と思う。スペンサー選手が歳を取ったら、ヴァレンタイン監督のような雰囲気になる気がするのだが…。

限定ガム  ところで昨日、夜勤から帰って来た家人が、ナイスなお土産をくれたのだった。会社の近くのコンビニで見付けたという、千葉ロッテ・マリーンズのガムである。オフィシャル・サイトによれば、1999年から非売品の応援グッズとして製作していたもので、今年はマリーンズの快進撃を記念し、地域限定(関東と信越地域)で8月23日から販売開始していたらしい。
 家人が買って来てくれたのはこちらの2種類なのだが、実はパッケージは全3種類。他にも「千葉ロッテ・マリーンズ仕様のコアラのマーチ」も出ているらしい。パッケージにはボビーの写真がついてたりするのだ。うおおお、こっちも欲しいかも〜♪

 嬉しかったのでついつい記念写真を撮ってしまった。中の個包装紙には、マリーンズの選手たちからのメッセージが印刷されていたりするらしいのだが、もったいなくて開けられないのだった(阿呆)。限定の「コアラのマーチ」ともども、全3種類を探しに行こうかどうしようか。悩んでしまうのであった(つくづく阿呆)。
 もう少し早目に気が付いていればなあ。全種類買ってみたかったけれど、今頃だと、もう売り切れてしまっているような気もする。とは言え、ガムや「コアラのマーチ」を長いこと保存出来る訳もない。ためつ眇めつして堪能したら、出来るだけパッケージを破かないように、端っこから注意深く開封して噛むことにしよう。




10/23 あなたの実力を判定します

2005/10/23 15:21
 あらゆる「試験」から縁が切れて幾星霜。TOEICとかタイピング検定くらいは肝試しのつもりで受けてみてもいいかなーと思いつつ、受験料が結構馬鹿にならないし、試験日に試験会場に出掛けるのさえ面倒なので(もういい加減にしろというくらいの不精)実行には移していない。
 ちゃんとした時間制限と結果発表付きの「テスト」なんて、ここ数年受けていない。一昨年から文化の日恒例になった(らしい)「トライ・ザ・ネイション」にチャレンジするのが関の山、という向上心のないワタクシであった(恥)。

 先日、ふとオークション・サイトを覗いていたら、とある出品者さんのページに見慣れないアイコンが表示されているのに気が付いた。「オンライン認定証」と書いてある。ポインタを当ててみると「Yahoo!インターネット検定“認定アイコン”」と説明が出て来たので、少々興味を覚えて「Yahoo!インターネット検定」ページに飛んでみた。
 Yahoo!インターネット検定では、タイピングやデジカメについての知識、インターネット・スキルなどなどを判定してくれるらしい。漢検や数検などの検定団体が実施する検定受験のための対策コース「実力養成コース」というのもある。本格的なのを受験しようと思ったら有料だが、お試しっぽく無料で受けられるテストも幾つかあるので、面白いから片っ端から受けてみる。

 デジカメ検定は3級、タイピング検定は6級しか受けられない。もっと上級を受けたかったらナニガシかの受験料を支払わねばならないのだ。タイピング2級だと3000円、1級だと4000円かかるらしい。結構高価いんだなあ。デジカメ検定は無料の3級を受けてみた感じでは、合格したら何に役立つのかさっぱり判らない。資格ブームと言われて久しいが、何でもかんでも「あなたの実力はこのくらい」とランキングしてもらわないと不安ということなのだろうか。
 タイピング検定はもっと面白かった。今までずっと自己流でタッチ・タイプをやって来た。主な修行場はチャットやSEND(ニフティのフォーラムにかつてあった機能。今だったらメッセンジャーのようなものか)である。職業上、キーボード入力も必要に迫られてどんどん早くはなっている。ただし「どのくらい使い物になるのか」を計ってみたことはなかった。

 無料で受験できたタイピング検定は6級だけなのだが、その評価シートを見てみると、タイピングの実力がどんなものかが垣間見える。ミスタッチもないし、まあまあの正答率とスピードである。単語入力54.4wpmというのが早いのかどうかは知らないが、数字キイのタイピングがあやふやなので実戦的にはもっと下だろう。数字なんて普段はテンキー使うもんなあ。
 ちゃんと有料で受けるタイピング・エキスパート検定では、1級の合格目安が60wpm、2級が45wpmだそうである。とするとわたしが狙うべきは2級な訳だ。3000円払って受験することがあるとはとても考えられないが(ケチ)。

 その他受けた無料ミニテストは漢検、数検、V検(ボキャブラリ英語)、歴検(歴史能力)、B検(ビジネス能力)、ビジネスコンピューティングの6種である。それぞれ所要時間は10分程度なので気軽に試すことが出来る。
 V検、数検、漢検、B検、ビジネスコンピューティングはまずまずだった。評価シートのお勧めに従って、V検3級くらいは受けてみてもいいかなと一瞬思ったくらいである。数検ミニテストに出て来たルートだのxだのyだのの計算を、未だ覚えているということには我ながらちょっと驚いた。全問解くのに少々時間は掛かったが、なんと全問正解だったのだ。
 その代わり酷かったのが歴検ミニテスト。「知らないよそんなこと」という人名や用語ばかりが出て来るのでお手上げである。オスマン・トルコについて知っていることなんて「スレイマン1世」くらいしかありゃしない。江戸時代の寺子屋制度についても「学校でしょ?」くらいしか知らないし、「名主」と「組頭」と「沙汰人」がどう違うか見当も付かない。結局14問中7問しか答えられず、「高校クラスの歴史知識が身に付いていないようです」と判定されてしまったのだった。ガーン。

 すっごく恥ずかしいけれど、良く考えたらそれも当然なのである。高校時代、辛うじて「世界史」を選択しはしたが、大学受験に関係ない科目だったので、自分の興味あるジャンルしか真面目に勉強しなかった。「日本史」などもっと酷くて、中学時代の社会科でやったっきりである。「桶狭間の戦い」は、いつ、誰と誰との間で起こった戦でしたかと訊かれても覚えていない。
 そういえば水曜日にフジTVで放送されている「クイズ・ヘキサゴン2」に出て来る50問の常識テストも、内容が歴史絡みになると途端に判らないのだった。N○Kの大河ドラマを観ていればもうちょっとマシだったのかもしれないが、生憎と『独眼竜政宗』以来ご無沙汰している。しかも政宗公の時代についてだってからっきしである。
 こういうのは日本人としてどうなのだろう。流石に恥ずかしいのではないだろうか。でもなあ、日本史を勉強し直すと言っても、今さら中学校や高校の教科書を読むというのもナニな気がする。歴史小説を読んで自然に覚えるのが一番だろうが、それだとまたまた、自分の興味ある時代のことしか覚えない傾向に拍車が掛かっちゃうだろうし…。




10/24 大食い王とダイエット王

2005/10/24 14:00
 2、3年前だったか、大食い競争番組を真似した中学生に死者が出た(汗)事件があって以来、その手の企画はタブーの風潮が続いていたらしい。海の向こうはアメリカのニューヨークで毎年独立記念日に行なわれるホット・ドッグ早食い競争に、日本から参加した小林尊選手が5連覇だか6連覇だか果たしている…というニュースが聞こえて来る程度だった。この方を見出したというか世に知らしめた「TVチャンピオン」としては、元は自分の撒いた種とは言え、人気コンテンツをダメにされて、さぞかし不本意だったに違いない。
 早食いにしろ大食いにしろあまり上品なイヴェントとは言えまいが、食べる量はともかくスピード激遅のわたしとしては、かっぱかっぱと膨大な食べ物を平らげる選手たちに、ある種の爽快感を覚えるのも確かである。わんこそば大食い競争も恒例行事として定着していることだし、あんまり目くじらを立てる必要もないのではないか、とも思う。

 ちなみにこのニューヨークのホットドッグ競争をパロッて、虚構新聞社では「逆フードファイト」のニュースを流したこともある。このサイトは大のお気に入りなのだが、たまに記事を信じちゃってる人が居るのを見つけると、指摘した方が良いのかどうか悩むのだった。
 もちろんこのサイトに掲載されている「ニュース」は、すべて冗談記事である。でも面白いよ♪

 昨夜TVを観ていたら、そろそろほとぼりも冷めたと判断したのか、テレビ東京が久し振りに「大食い王決定戦」という企画番組を放送していた。まだ予選の段階らしく、本当の王者決定戦が行なわれるのは次回放映日となるらしい。出し惜しみしているのだろうか。「大食いとは 1.健康的であれ 2.食べ物に感謝を忘れずに(ディテール不詳)」とかいうモットーを掲げているあたり、微妙に言い訳がましい面が増えている。まだまだこういう企画にクレームを付けて来る人も多いのだろうか。
 ラーメン20杯を食べる男性とか、トータル6kgの超巨大タンメンを平らげる女性とか、相変わらず世の中には凄い人々が存在するのだなあと感心する。序盤戦ではイギリス食パンを制限時間内に何斤食べられるかという競争をやっていた。当落を分けるラインは7斤以上(呆れ)。最高に食べた人の記録は8斤ちょっとだった。8枚切り食パンに換算すると66枚だそうである。

 不思議なのは、こういう「大食い王選手権」に出場するような方が、揃いも揃って皆さんスリムだということである。調べてみたらこの「元祖!大食い王選手権」は復活2回目だったらしい。今年の春頃に新企画として復活し、その時は「新人戦」ということで、今までに出場した人以外の選手が発掘されていたようである。そして、新人として登場した人々も、やっぱりみんな細身なのだった。
 ニューヨークのホットドッグ競争でもそうだけれど、見るからに巨漢という人は案外ギヴ・アップも早い。お腹に脂肪がたっぷり付いていると、胃袋の拡張を妨げてしまうからだという。縦に背の高い人は居ても、お相撲さんのように膨らんだ人は不利なのだろう。そしておそらく、こういう桁外れな大食いが可能な人々は、満腹中枢と胃袋と代謝能力のいずれか、あるいは全てに、普通の人とは違う特性があるのだと思う。
 パンピーはゆめゆめ真似などするな、ということだ。TVで放送するから子供が真似して事故を起こすのだという理屈も判らないでもないが、見た事すべてを真似すべきではないという判断能力くらいは期待しても良いような気はする。

 一方で大食い選手権をやっているかと思うと、元祖の「TVチャンピオン」の先週の企画は「ダイエット王選手権」なのだった。どうしても痩せられない女性を被験者に、ダイエットのコンサルティングなどを生業にしている選手たちが、1ヶ月で被験者の元の体重の何%を落とせるかを競うらしい。9名の被験者たちはそれぞれに「何とかして痩せたい理由」を持っており、選手3名はその中から「この人なら痩せさせられる」という人物を1名ずつ選んで競技に突入する。
 体脂肪率40%などと言われると、確かにそれはちょっと痩せた方が…と言う気もする。ただし、競技期間が1ヶ月というのは少々短すぎやしないだろうか。聞いた話では、健康的に体重を落とすとしたら、その限度は1ヶ月に4kgまでだそうである。いかなる方法を採るにしろ、その限度を越えて減量すると、後のリバウンドも起こりやすくなるということらしい。

 そういえばわたしにしても、1年以上かけて5kg少々落とした体重が、ちょっと油断しただけでまた3kgほど戻ってしまったもんなあ(哀)。太っている・痩せているというのは、体質と共に生活習慣の具現化である訳で、ちょっとやそっと特別メニューを組んだからと言ってそうそう劇的に変わるものでもないのだと思う。
 1ヶ月に4kgが限度というのが本当かどうかは知らないが、短期間の行き過ぎた減量が身体に悪そうだということくらいならすぐ判る。選手の1人などは、被験者に「1日の摂取エネルギーを1000kcalに制限・90分間のウォーキングorランニング」を課していた。ホントにそれって大丈夫なのだろうか。一応スーパーヴァイザーとしてお医者さんが参加しているけれど、そういう痩せ方は幾らなんでも無理があると思う。見る見る痩せるのは間違いないだろうけれど。

 本当に無理なく痩せさせる競争をするのであれば、せめて競技期間を3ヶ月くらいは取るべきだろう。こういう方法では、仮に1ヵ月後に別人のように痩せたとしても、競技を止めた途端にまた元に戻ると思う。元に戻るだけならまだいいが、ひょっとすると、元の体重以上に太ってしまう危険性も高い。人間の食欲というのは生存本能そのものに直結しているものだから、それを無理にコントロールしようとすると反動が怖いのである。
 来週は「ダイエット王選手権」の最終結果が放送されるらしい。おそらく3人の被験者は揃って「先生(選手)のおかげでこんなに素敵に痩せました」と登場するのだろう。けれど、その後数週間、数ヶ月経った後の彼女たちがどうなったかというのは、おそらく決して放送されることはない。

 ダイエットに成功した後でまた太っちゃったとしても、それは本人の責任だ、そういう理屈も確かに出るだろう。でも、1日1000kcalに制限したりして、無理に無理を重ねてたった数週間だけ痩せさせてどうするのだろう、という疑問は去らない。ダイエット・コンサルティングという職業から言えば、無理なく自然に生活習慣を改善させる指導こそ望ましいのではないかと思う。「ながら運動」とか筋トレで基礎代謝を上げましょうという指導をしていた他の2選手には、まだ納得は出来るのだが。
 身体に無理なく健康的に、しかもあっという間に痩せられる方法があるのならば、世の中に太った人なんか居なくなるだろう。家人だって「くまのプーさん」からとっくにイメチェン出来ているハズである。ただでも過激に走りがちな「ダイエット」を競技に使うなんてことは、出来れば止めた方がいいような気がする。
 TVチャンピオンには好企画も多いだけに、今回のはちょっと残念に思えて仕方がないのであった。




10/25 悪乗り止まらず

2005/10/25 17:47
マリーンズ・パッケージのお菓子  我ながらほんっとーにミーハーで呆れ返るのだが、「2005年選手メッセージ入りマリーンズ仕様ガム&コアラのマーチ」の全種類を、どうしても欲しくなってしまった。公式サイトによれば「関東・信越地域限定」だそうなので、ウチの近所でも置いてある店があるハズだ。家人が2種類のガムを買って来てくれたコンビニは都内にあったのだし。そう思ってウチの近所のスーパーやコンビニを数軒回ってみたのだが、どこにも置いてなかった。ううむやっぱり同じような俄かファンが多くて売切れてしまったのだろうか(残念)。
 一時は諦めようかと思ったものの、ついつい某大手オークションにふらふらと行ってしまい、ついでに両方の品を共に出品している方がいらっしゃるのを見つけてしまった。や、出品されているだろうとは思ったのだが、ひょっとすると結構プレミアが付いてしまっているだろうか、そしたら買えないな、と半分冷やかし気分であったのだと言い訳しておこう(汗)。

 マリーンズ仕様のガムや「コアラのマーチ」が出ていることもあまり知られていないのか、人気急上昇中とは言えまだまだマイナー球団なのか、それともこういうお菓子を欲しがる阿呆は世の中にあまり居ないのか、プレミアはまったく付いていない。ほぼ小売価格である。よほど良心的な出品者さんなのだろうか。卸値で仕入れているということも考えにくいだろうし。
 オークション・サイト提携の「ゆうパック」を使って送ってくれるということなので送料も割安だし、支払い可能なネットバンクにわたしも口座を持っている。よしここはひとつダメ元で入札してみちゃおうか。ガムとコアラのマーチの2つのオークション終了まで24時間近くあったので、もしその間に落札価格が急騰するようなら涙を呑んで諦めよう。
 そうしたら、若干の競争相手は出て来たものの、値段も吊り上げられることなく落札出来てしまったのだった。おおラッキー♪

 オークションが終了したのが月曜日の朝10時頃。出品者さんからの連絡に気が付いたのが13時頃。ネット・バンキングでちゃちゃっと代金および送料を入金したら、14時頃にはもう「発送手続きを取りました」とメールが来た。そして今日の昼前にはゆうパックがどでんとウチに届いたのである。早っ。オークションでの取引きは今までに数々やれど、今回は所要時間の最短記録である。
 たまたま家人が休みシフトで家に居たので、面白がってブツを見せてみる。予想はしていたが、相当に呆れ果てている様子である。「バカだバカだと思っていたけれど、ここまでバカだとは…。キミのおやつは当分その「コアラのマーチ」だけ!」と笑うのだった。「コアラのマーチ」は10箱もあるので、何なら5箱くらいあげるよと言ったのだが、すげなく断られてしまった。わたしとしても本当は1箱で良かったのだが、バラで出品されてなかったんだもん…(汗)。

 出品者さんのメールによれば、地元・千葉でもこの「マリーンズ仕様ガム&コアラのマーチ」は品薄なのだそうだ。もっとプレミアを付けようかと思ったが、それだと本当に欲しい人の手に渡らないかもしれないと思って、あえて素っ気無い説明文にしたらしい。おお、いい人だ♪
 先日家人がお土産に買って来てくれた分を合わせ、これでガムは5個になったので、1つ2つはパッケージを開けてみようか、と思う。今日の日本シリーズ第3戦をTV観戦する時は、マリーンズ仕様の「クイッククエンチC」を噛みながらにしちゃおうかな(←阿呆)。「マリーンズコアラ」を1箱くらい開けるのもいいかもしれない。

 千葉ロッテ・マリーンズの公式サイトによれば、日本シリーズ仕様の記念グッズもいろいろ出ているらしい。23日から販売されているという日本シリーズ対戦Tシャツには心惹かれてしまう。もっと笑ったのは、マリン・スタジアムで日本シリーズの試合がある日に限定販売されるという日本シリーズ弁当である。注目の中身は
・26番目の選手の背番号をかたどった蒲鉾(カラメルによる着色)
・千葉をイメージした鮪の照焼
・鶏肉の佐倉味噌焼
・県花 菜の花の辛子あえ
・蛤の煮付け
・鰯の団子揚げ
・白球をイメージした鶉の卵
・がんもどきの煮付け
・竹の子の煮付け
・人参の煮付け
・御飯
 とかなり盛り沢山。販売価格は税込み1000円、1日1000個限定らしい。日本シリーズ弁当を食べつつ、マリン・スタジアムのライト・スタンドで観戦、もちろんおやつはマリーンズ仕様の「コアラのマーチ」とかいうの、イイなあ(つくづく阿呆)。どのみち今からでは、とてもとても第6戦第7戦のチケットなど取れはしまいが。

 タイガースの優勝が決まった直後、いつも通うスーパーでは「応援ありがとうセール」をやっていた。タイガース仕様のお菓子などがあったら買ってしまったのではないかと思うのだが、生憎とそういった遊び心のあるものは見なかった。もしかしたら関西ではいろいろ売られているのかもしれない。
 とにかくミーハーなので、普通のパッケージのと「限定パッケージ」のが売られていたら、わたしは迷わず限定のを手に取る。先述の「応援ありがとうセール」では、某ハムメーカーのソーセージ「アルトバイ○ルン」2袋パックがそうだった。商品そのものはフツーのアルトバイ○ルンなのだが、良く見ると、2袋をまとめているビニール・テープが黄色と黒の縞模様なのだ。「おめでとう阪神タイガース!」というロゴが書かれている。

 こういうのに釣られるというのも阿呆ちゃうか、と思いつつ、やっぱりわたしはそれを買わずに素通りすることは出来なかったのだった(汗)。先日朝ごはんの時にボイルして食べたのだが、もちろん味はごくごく普通のアルトバイ○ルンと変わりない。
 セールにしろ何にしろ「限定」の2文字につくづく弱い。こういう性癖の持ち主は必ずしも少なくないと思うのだが、どうなのだろうか。踊らされてるよなあ、と思うけれど、やっぱり楽しくて惹かれてしまうのである。「限定」。




10/26 まだ終わってしまわないで

2005/10/26 16:14
 パ・リーグのプレイ・オフで実戦感覚を保っている分、千葉ロッテ・マリーンズの方がやや有利だろうと思っていたが、まさかここまで一方的な展開になるとは予想だにしなかった。甲子園に移った第3戦、「魔物が棲む」と言われる甲子園の独特の雰囲気にもまったく影響されることなく、マリーンズはまたもや10対1の大差で勝ってしまったのである。
 3戦目まで、マリーンズの得点はトータル30点。連続3試合10得点は日本シリーズ史上初の快挙だそうである。一方のタイガースは3戦トータルで2得点。これではどう頑張っても勝てる訳がない。一体どうしちゃったんだ、タイガース…。

 自分の中での「応援したいキモチ」は、ややマリーンズ>タイガースに傾いている。よってマリーンズ王手のこの状態は、もちろん嬉しくてわくわくすることなのだが、一方で「もう少しこの非日常的お祭気分を味わっていたい」という気分が沸き起こるのも確かなのだった。だってもしも今晩マリーンズの優勝が決まったら、今年のプロ野球シーズンは本当に終わってしまうのである。タイガースが一矢報いてくれたら、明日の晩もわくわくTVを楽しむことが出来る。ワガママだなあ(汗)。
 マリーンズの選手たちにしてみれば、早いところ優勝を決めてしまって、肩の荷を降ろして美味い酒を呑みたいところだろう。あちこち故障を抱える選手も多いから、出来ることなら早く休養させた方がいいのかもしれない。でもねでもね、やっぱり、頂上決戦をもうちょっと長く楽しんでいたい。いつかは終わるからこそ楽しい「お祭」ではあるのだけれど。

 タイガース選手の中で個人的に最もお気に入りなのが、アニキ・金本知憲選手と藤川球児投手、そしてスピードスター・赤星憲広選手である。この3人が大暴れ&大活躍して、それでもなおかつタイガースが大敗を続けるのであれば、まだそれなりに諦めも付いたかもしれない。けれどよりによって赤星選手も金本選手も大不調。藤川投手は昨晩、日本シリーズ初登板し、6回表はクリーン・アップ3選手を見事に打ち取ったものの、7回に掴まって2失点してしまった。哀しくてちょっと涙が出た(阿呆)。
 一緒にTV観戦していた家人が、代打に出て来たフランコ選手の場面で、藤川→ウィリアムスへの継投をすべきだと言っていたのだが、見事その予言が当たってしまった。いつもなら2イニングスは投げない藤川投手に無理をさせてしまったということかもしれない。それにしても代打のフランコ選手とタイムリーを打った橋本選手の選球眼は良かった。藤川選手の決め球である低目のフォークを悉く見逃してボール・カウントを稼ぐので、ストライクを取るにはストレートを投げるしかなくなってしまった。脱帽である。

 4回表の里崎智也捕手のショート・ゴロが併殺だったら、7回表にタイガースにエラーがなかったら、とついつい考えてしまう。後のスポーツ・ニュースでリプレイを観たら、4回表の1塁はアウトだったし。あれが併殺だったらその後の今江敏晃選手の内野安打もなかった訳で、まだしばらく1対1の同点が続いていたハズなのだ。とは言え、野球に「ればたら」は禁物だし、マリーンズのしぶとさからすると、いずれ流れを掴んでしまったかもしれないのだが。
 ともあれ、今夜こそタイガースには奮起して欲しいと思う。熱烈なタイガース・ファンの友人さりちゃんは、あまりのことに悔しいと感じる余裕さえないほど呆然としているらしい。ダメだよ、ファンにこんな哀しい思いをさせては。お祭を終わらせないためにも、ぜひぜひ今夜は頑張ってくれたまえ。昨日までのことは忘れて、今日から新規巻き直しして欲しい。(でも今日から4連勝ってのだけはやっぱちょっとカンベンね/汗)。

 自分自身ではこういうチーム・スポーツでカタルシスを味わったことがないので、勝って喜んでいる選手たちは本当にキラキラ輝いて見える。負けた選手の沈んだ表情には、ついこっちの胸も苦しくなる。出来れば両チームに優勝させたい。そういう訳にも行かない以上、せめて、どの選手たちも悔いが残らないくらい実力を出し切って試合を味わい尽くして欲しいと思う。
 日本シリーズが長引いて欲しい理由のもう1つは、あんまり早く終わっちゃうと、御贔屓の小坂誠選手が出ず仕舞いになるのではないかと思うからでもある。負傷休養中なのでどの道出場は無理だったのかもしれないが、せめてチャンスは第6戦くらいまで残しておきたい気分である。

 小坂選手に注目したのはいつだったか、まだルーキーの頃だったと思うが、ヒーロー・インタヴューでお立ち台の上に登り、緊張&恐縮しまくっていたのが非常に初々しかった時である。腰の低さと真面目さはその後も変わらず、華麗な守備と果敢な走りのイメージとは裏腹に、なんだか大変可愛らしかった(失礼)。
 小坂選手と同じポジションの西岡剛選手も、バッター・ボックスに入る時は毎回ぴょこんと礼をするのが初々しくて好感が持てる。わたしのお気に入り選手は何故かショートが多いのだが、神様レヴェルの中日ドラゴンズ川相昌弘選手といい、ショートを守る選手には「真面目で実直」という特徴があるのだろうか。

 それにしても10年前、第1次ヴァレンタイン監督時代にこんなにのめり込んでなくて助かった。1995年というとちょうど結婚する年で、当時千葉に勤務&在住していた家人の住処に、わたしはしばしば入り浸っていたのである。JR千葉駅から自転車で10分ほどの場所だった。行こうと思えばマリン・スタジアムまで日参出来る距離である。
 当時から比べてもわたしのスポーツ・ミーハー度は急上昇している訳だが、その主な原因はワセダ・ラグビー部萌え。最初に大学ラグビー観戦に連れて行ったのは家人なので、諸悪の根源はやっぱり家人だということになる。ミーハーを非難される筋合いはないのだ(えっへん)。

 タイガースが意地を見せて第5戦に持ち込んでくれれば良し、ストレートでマリーンズが4連勝・日本一になったら、セ・リーグもシーズンの終盤戦について再考せねばなるまい。パ・リーグのチームがプレイ・オフで鎬を削っている最中、セ・リーグの優勝チームは消化試合をこなしてのんびり日本シリーズに備えるだけというのは、やっぱりどう考えても不利である。実戦感覚というのがこれほど重要だとは、おそらくプレイする選手本人たちも信じられない思いなのではあるまいか。
 いろいろ事情はあるだろうけれど、セ・リーグもプレイ・オフ制度を導入したらどうだろう。2年連続でパ・リーグ優勝を逃したソフトバンク・ホークスのケースも考えて、上位のチームにはゲーム差関係なくアドヴァンテージを与えるとか、配慮すべき点も多いかもしれない。とは言え、セ・リーグの優勝チームがなすすべもなく大敗を続けるのでは、ファンも不完全燃焼な気分に陥ってしまう。
 セ・リーグでもプレイ・オフ制度が出来たら、3位のチームがリーグ優勝することも有り得る。横浜ベイスターズのチャンスも増えると言うものだ。楽しみは出来るだけ引き伸ばして欲しいのである。

 ともかく、頑張れ頑張れタイガース。そして負けるなマリーンズ♪ 今日の試合もわくわく出来ますように♪




10/27 ミーハーのしょーもない悩み

2005/10/27 15:36
 という訳で、シリーズ最多得点とか最多安打など数々の記録と共に、千葉ロッテ・マリーンズが見事日本一に輝いたのである。昨夜の試合は3戦目までと打って変わって接戦となったので、最後までドキドキハラハラとTVに齧りついていた。タイガースがもう少し頑張ってくれたら今日も「お祭」は続いたのだが、何はともあれ、お疲れさまでした。そしてタイガース、ぜひとも来年は問答無用で強いチームになってくれることを祈る。赤星憲広選手や金本知憲選手、藤川球児投手などなどお気に入りの方々、頼みましたよ!
 優勝決定の瞬間から、各局のスポーツ・ニュースを経てテレビ東京やN○Kの日本一記念特別番組をハシゴし、ついでにネット・ニュースやら各種掲示板などを読みまくり、結局床に就いたのは朝6時過ぎだった。酷すぎる。今日はたまたま家人が休日シフトで寝坊が許されるのをいいことに、眠気に耐え切れずキゼツするように寝付いた後、新聞の集金さんがいらした11時過ぎまで眠りこけていた。
 何と言うことか、寝坊のせいでバレエ体操をすっぽかしてしまったのだった。大反省。

 ボビー・ヴァレンタイン監督の胴上げシーンなどを堪能し、次に思うのは「記念グッズ、欲しいなあ」ということだったりする。プレイ・オフや日本シリーズでは出場の機会がなかったが一番贔屓の小坂誠選手や、もちろんヴァレンタイン監督が祝勝会で着ていたTシャツとか、記念タオルとか、いいなあ。リーグ優勝のビールかけで見たTシャツも、全体が黒でデザインも素敵だった。どうやら今ではもう販売終了してしまっているのだが。
 マリーンズの公式サイトを覗いてみると、29日(土)から「日本一記念Tシャツ」などの優勝グッズを販売開始するらしい。欲しいなあと思うものの、販売場所は当然ながらマリン・スタジアムや海浜幕張駅近くのアンテナ・ショップである。ウチからだと軽く2時間以上はかかる場所、しかも幕張メッセで東京モーター・ショウが開催されている土曜日、ものすごい混雑も予想される。行こうか行くまいか、どうしよう。

 花見川区(マリン・スタジアム超ご近所)在住のNさんとか、家人の千葉時代の同僚でわたしも親しくさせていただいたOさんなど、ひょっとしたら買出しをお願い出来ないだろうかという顔がちらほら浮かぶ。しかし念のために某大手オークション・サイトなど覗いてみると、リーグ優勝記念Tシャツなどを出品している人のコメントには「2時間並んでGETしました」などの文言が書かれている。幾らなんでも多忙な友人たちに、そんなことは頼めない。通りすがりにひょっと買える品物ならばまだしも。
 家人は当然「僕は興味ないもんね」とつれない。欲しかったら独りで海浜幕張駅かマリン・スタジアムまで行って、自力でGETするしかない。しかし、そんなことにうつつを抜かしていていいのか? と自分に問いかける声もあるのだった。

 第1次ヴァレンタイン監督時代から気になるチームではあった。小坂誠選手入団以来密かに応援してもいる。去年からはミーハー全開でボビー萌えもしている。しかしあくまでもわたしの場合、チームのサポーターというよりは、小坂選手やヴァレンタイン監督個人のミーハー・ファンなのではあるまいか。そんなヤツが、低迷期の苦しさも知らず、日本一に浮かれて記念グッズを欲しがるなんて、実は失礼極まりないことなのではないか。
 だいたい記念Tシャツを買ったって、それを着てマリン・スタジアムに観戦&応援に行けるチャンスがあるとも思えない。11月に東京ドームで開催されるKONAMI CUPくらいならまだ行けるかもしれないが、たったそれだけのために限定のTシャツを確保してしまって良いものだろうか(いや良くない)。ちゃんと球場に着て行けるような、もっと熱心なファンの手にこそ渡るべきものだと思う。

 そんな風にああでもないこうでもないと昨夜から迷いまくっているのだった(阿呆)。やはり俄かファンには俄かファンの守るべき節度があるような気もするので、今回は記念グッズを買いにマリン・スタジアムまで遠出はしないでおいた方がいいかもしれない。胸を張って「一番好きなチームはマリーンズ!」と言ってはばからない時が来て、それからまた優勝するチャンスが訪れたら、その時こそ何をも措いて限定グッズ集めに狂奔することにしよう。
 今のところ「一番好きなチームは?」と聞かれて即答するのはやっぱり「早稲田大学ラグビー部!」だと思う。好きが嵩じてとうとうファン・クラブにも入ってしまった。ワセダと同じくらいマリーンズを応援したくなる日は来るのだろうか。情熱を注ぎ込む対象があんまり増えると疲れそうだなあ。

 そういえば当然ながらマリーンズの親元(?)、ロッテでも日本一を祝して大騒ぎが湧き起こっているらしい。全社員に臨時ボーナス1万円が配られたという。31年ぶりの快挙の重みが思われる。マスター時代、研究室の隣の席だった同期のK君はロッテに就職したのだが、元気にやっているのだろうか。おそらく中央研究所に配属になったハズで、きっと昨夜は本社同様、研究所でもみんなでTV観戦しながら応援に声を嗄らしていたのではないかと思う。
 マスターの2年生時、わたしと同様ビンボーでビンボーでピーピー言っていた。「オレら極貧だもんなあ」と笑ったものである。日本育英会の奨学金が次に振り込まれるまで、残金500円であと1週間どうやって暮らそうか考えるようなわたしを尻目に、彼はロッテへの就職を決め、ついでに修了時までの奨学金までGETして極貧生活から脱出したのである。あの時は羨ましかった…。

 ともあれ、千葉ロッテ・マリーンズの選手たちやファンの方々、日本一本当におめでとうございます! わたしも俄かミーハー・ファンとして、来年以降もささやかに、小坂選手やヴァレンタイン監督、その他お気に入り選手たちを応援することを誓いたいと思う♪
 敗れてしまったタイガースも、ぜひ来年こそは捲土重来を狙って欲しい。見応えのあるナイス・ゲームを期待してしまうのである。




10/28 素晴らしき電卓機能

2005/10/28 20:54
 10日ほど前の日記に書いたトレーニング器具「バランスボード」の改良はやっぱり難しかった。裏の出っ張りを底上げしようにも、適当な材料が見付からないのである。各サイトの仕様を検証したところ、半径7cm程度の半球(しかも中空)をかぽっと被せれば使い勝手が良くなるという見当が付いたのだが、問題はその「半径7cm程度の半球(しかも中空)」をどこで手に入れるか。それこそ業務用おたまの柄を切断するのが一番手っ取り早そうに思えるが、いかに業務用といえど、直径14cmものデカいおたまがそうそうお手頃価格で売られているかどうか疑問である。それにやっぱり柄を切るのはメチャメチャ大変だろう。
 裏を良く見たら、単純におたまをかぽっと嵌め込むのも難しそうだし、こうなったら「上級用バランスボード」を1から手作りした方がうんと早そうに思えて来た。円盤と半球をどうにかして手に入れて、接着剤で貼り付ければいいだけのことである。たぶんどこかのD.I.Y.ショップ辺りで売られているのではないだろうか。

 D.I.Y.ショップ巡りをする前に決めなければいけないのが各部品の寸法である。既製品「バランスボード」の仕様をネットでいろいろ調べてみると、上級用のは、半球付きの円盤を床に置いた時の傾きが19°を示すらしい。この角度を手掛かりに、各部品の寸法を決めれば良い。
 ここで必要になるのが三角関数である。サイン、コサイン、タンジェント、高校の数学「基礎解析(だったっけ? 代数・幾何じゃない方)」で習ったアレだ。直角三角形の直角が地面に付くように置いて、その斜めの辺と地面で作る角度についてああだこうだするんである。グラフとか第1象限とか他にもいろいろ習ったが、その辺は今は考えなくても良い。

超簡略版設計図  イメージとしては左図のようなものを作りたい訳である。角度は面倒臭いので20°にしてしまった。円盤の半径を基準にするとしたら、(円盤の半径)×sin20°で半球の半径が求められる。半球の半径が基準なら、(半球の半径)÷sin20°で円盤の半径が判る。近所のDOITに行ったら木彫用の円盤が見付かったので、これを基準にすれば良い。円盤の直径は288mm、少々小さめだが乗って乗れないこともないだろう。
 ちょうど良さそうな半球はとうとうDOITにも売ってなかった。仕方がないので工房 木よう大工さんでオーダーすることに決めた。木製の半球ならば、直径×100円程度で作ってもらえるらしいからである。さてここで問題なのが、「sin20°って幾つなんだっけ?」。

 sin60°とか45°とか30°なら覚えているが、sin20°ってどうやって計算するのだろう。sin30°が0.5なので、それより小さいということだけは見当が付くが、単純に2/3にするんじゃダメだったような気がする。大学時代にはこういう計算がぱぱっと出来る「関数電卓」とか「ポケット・コンピュータ」を買わされたのだが、今はとっくに電池切れで動かない。だいたいどこに仕舞ったのかも忘れてしまった。
 どこかのサイトにsin・cos・tanの一覧表があるのかもしれないが、ちょっと探した程度では見当たらなかった。計算でsinを出すことも不可能ではないのだろうが、わたしには到底そんな芸当は無理である。ううむ困った。sin20°が判らないと、オーダーする半球のサイズが計算出来ない。何とも情けない理由で、手作りバランスボード計画は頓挫してしまったのだった。

 亡父は建築屋さんだったので、母のマンションに行けば三角の計算尺がどっかに埋もれているだろうが、探しに行くのも面倒である。よく考えたら、そもそもわたしは計算尺の使い方なんぞ知らないのだ。やっぱり関数電卓かポケコンを探し出して、合う電池を買いに行き、さらに朧気な記憶を引っ繰り返して使い方を思い出すしかないのだろうか。そんな回りくどいことイヤだ!
 ぐーたらなので「もっと楽な計算方法はないだろうか」と問題を先送りにしていたら、今日、素敵なニュースを目にしたのだった。やはり捨てる神あれば拾う神あり、天はわたしを見放さなかった(何かが違う)。

 大手検索サイトGoogleが、電卓機能を充実させてくれたらしい。今までも英語版では出来ていたのかもしれないが、それが今度はGoogle日本版でも可能になったのだ。ヤード・ポンド単位をメートル・グラム単位に換算してくれたり、華氏を摂氏に換算してくれたり、10進法の数を2進法に直してくれたりする。10!とかルートとかの計算も、もちろんsin、cos、tanの計算もOK。やった!
 さっそく検索ウィンドウに「288*0.5*sin(20度)」と打ち込んでENTERキイを押すと、ささっと「49.2509006」という計算結果を表示してくれた。ふむふむ、約49.3mmか。直径に直すと98.6mm、そんな細かい半球は作れないだろうから、さっくりと100mm(10cm)のをオーダーすれば良いということである。すっきりしたところで「木よう大工」さんに注文を出し、後は部品が届くのを待つのみである。送料が800円というのは少々痛いけれど、電車賃と時間を使って探し回るよりはいいかもしれない。

 ちなみにこのGoogle電卓機能日本語版、英語版のように「人生、宇宙、すべての答え」と検索ウィンドウに打ち込んだら、ちゃんと「42」と出してくれるのだという。これ、『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んだ(もしくは観た)人でないと、何のことやらさっぱり判らないのではないかと思うのだが、いいのだろうか。映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』が全国公開されるための布石だったりすると嬉しいのだけれど…。
 どちらかというと個人的には「answer to life the universe and everything」は「生命、宇宙、すべての答え」と訳して欲しいのだが、検索ウィンドウに「生命(以下略)」と打ち込んでも「42」とは出て来ないのがちょっと不満である。この場合「life」っつったら「生命」だろう。別に「人生」でも間違いではないが、科学的な問いが哲学的問いになってしまったようで、ややイメージ違いに感じてしまうのである。どうせなら修正してくれないだろうか。




10/29 第3のチョンボ

2005/10/29 15:18
 残高2000円弱のパスネット、行き着けスーパーの駐車券の紛失とたて続いたので、2度あることは3度ある、また何かやらかすのではないかと用心していたここしばらくだった。だがしかし、やっぱりやらかしてしまったのだ。今度は落し物ではないが、広義の「何か気になることに注意力を持って行かれ」た末のミスというのは変わらない。やっぱりどこまでもシングル・タスクなのである(とほほほ)。

 何をやっちゃったかというと、クルマをぶつけたんである。ぶつけた相手はウチのガレージ横にある煉瓦タイル張りの塀の角。車庫入れをしていて、右後ろに注目し過ぎて右鼻面を失念し、切り戻した時にガリリとやってしまったのだった。
 車庫入れ中だったのでスピードはほとんど出ていない。最初は当てたことにさえ気が付かなかった。切り戻す時に「あれ? なんで動かないの?」と不思議に思い、そこで初めて「うっそ、当たってるんじゃん」と真っ青になったのである。
 ボディの板金部分は無事だったけれど、右の鼻面バンパーに結構大きな擦り傷が出来てしまった。塀にも白い擦り跡が付いているが、これはバンパーの塗料と削れたプラスティックの粉末である。欠けたり凹んだりしたものは何もないのだが…(とほほほほほ)。

 今年の3月に買い換えて以来、既に100回くらいはやっている車庫入れでどうしてそんなドジを踏んだかというと、ちょうど車庫入れ態勢にクルマを持って行く時に、脇に歩行者さんが1人居たのに気を取られたからなのだった。今から思えば、通り過ぎるまで待ってから「いつもの態勢」を取れば良かったのだが、つい不精で、歩行者さんを避けた態勢から車庫入れを開始してしまった。「いつもと違う開始場所と角度だから、当てないように気を付けなきゃいけないな」とまで思ったんである。
 それがどうして当てるのか、我ながらホンットーに愛想が尽きる思いだったりする。

 夜勤に出掛ける家人を駅まで送りがてらの買い物帰りにやったので、真っ青になりつつ携帯メールを送った。しかし返事がない。呆れてるんだろうなー、怒ってるんだろうなーと思うとますます落ち込む。ひとしきりじめじめした後、気を取り直そうと日記を書いたりしたものの、到底浮上するどころではなかった。
 いつもなら夜勤帰りの家人を待たずに寝てしまうのだが、昨夜はそうも言っていられないので起きていた。2時過ぎに帰宅した家人は開口一番「ヘタクソ〜、思ったよりずっと大きい傷じゃんか〜」と遠慮ない。それでまたまた落ち込んだ。

 今までいろんなところに何度も何度もぶつけて来た。相手はよその御宅のブロック塀だったり、停車中の赤いシビックだったり、実家カー・ポートの柱だったり、今度のように自宅の煉瓦張り塀だったりする(時系列順)。特徴的なのは、すべて「止まっている何か」に当てている点で、赤いシビックに当てた時に来てもらったお巡りさんにさえ「考えられない事故だよねえ」と呆れ果てられたのだった。
 免許歴ほぼ20年でまだこういうことをやらかすということは、わたしは徹底的かつ本質的かつ絶望的に、クルマの運転に向いていないのだと思う。注意力が決定的に欠けているのか、死ぬほど車幅感覚が抜け落ちているのか、あるいはその両方か。今まではまだ「止まっている何か」に当てるだけで、他人に怪我をさせたことはないが、いずれそのうちやっちゃうんではないかと怖くて仕方がない。自転車を撥ねたり歩行者を撥ねたりしたら、下手したら死んでしまうかもしれないではないか。

 来月下旬の誕生日で次の更新がやって来るのだが、もういい機会だから、免許を失効させてしまおうかと思った。運転しなければ何かに当てることももうないし、クルマに傷付けて家人に呆れられたり怒られたりすることもないし、人に怪我をさせる恐れもない。ぶつけるたびに死ぬほど落ち込むこともなくなるし、「いずれ病院まで送り迎えよろしくね」などとあてにされて密かに震え上がることもない。
 皮膚科通いが若干大変になるが、いざとなったら違うお医者を探せばいい。身分証明書になるものも、どうしても必要ならパスポートを取得してしまえば代替可能である。10年パスポートで1万5000円なのだから、怖い思いを金輪際しないで済む分、免許証よりずっとリーズナブルだと言える。

 どん底まで落ち込んでいるわたしを見てさすがに困ったのか、家人も「そんなに落ち込まなくていいから」と慰めてくれたのだが、免許失効計画には大反対なようである。真夏の暑い日とか雨の日とか、駅まで乗せてってもらえなくなるという理由が大きいのだろう。すまないなあと思うものの、免許がない→運転しなくてもいい、というこの図式、プレッシャーからの解放、どうにも魅力的に思えて仕方がないのだった。
 まがりなりにも東京の片隅に住んでいて、そもそもクルマがそれほど必須な移動手段かと問われれば、そんなことは全然ないのである。徒歩圏に2つもスーパーがあるし、駅だって近いし、来年の春には映画館だって出来上がる。考えれば考えるほど、要らないよな免許、という気分になって来る。
 家人には迷惑を掛けるかもしれないけれど、来月の更新、やめちゃおうかどうしようか。悩むのである。




10/30 小さな幸せPart2

2005/10/30 20:28
 誰が言い出したのか知らないが、ロッテの「コアラのマーチ」には時々眉毛のあるコアラが混じっていて、それに当たるとラッキーなことが起こる、んだそうである。今まであまり「コアラのマーチ」を好んで買わなかったのでもちろん見たことがなく、「どうせデマでしょ?」くらいに思っていた。
 とある個人的な理由により(汗)、現在ウチには10箱もの「マリーンズ仕様コアラのマーチ」がある。家人と山分けしようと思っていたのだが断られてしまった例のシロモノである。10箱も独りで食べるのは少々ツラいので、どうしようかしばし考えた挙句、今日の秩父宮詣でに1箱持って行くことにした。大学ラグビー対抗戦の早稲田大学 vs 筑波大学の一戦が開催されるのである。

 出掛けるのがいつもより遅かったので、恒例の「ワセダ学生席直下」には陣取れなかった。メイン・スタンドワセダ側の前から3列目という、これまたある意味ミーハーな席を選んだのだが、1列目と2列目には一家揃ってラグビー観戦という風情の人々が集っていた。お祖父さんお祖母さん、ご両親、兄妹らしき少年少女。このお嬢さんがどうも筋金入りで、レプリカの赤黒ジャージ(背中に首藤甲子郎選手その他のサイン入り)を着て、上方の学生席を眺めては、五郎丸歩選手や今村雄太選手の姿を探しているのだった。
 この若さでこの熱狂ぶり。末恐ろしい…と思ったのだが、もしかするとこの子は噂に聞く「10年計画で早稲田入学&ラグビー部のマネージャー志望」の小学生ではなかろうか。現神戸製鋼の後藤翔太選手の大ファンで、後藤選手の神戸入りが決まった直後、コベルコ・スティーラーズのファン・クラブに入会してしまったというあの子。さり気なく耳を澄ますと、お母さんと話している中にしばしば「ショウタ」という言葉が出て来る。負傷休養中の田中渉太選手のことかと思っていたが、ひょっとして後藤翔太選手のことだとすると信憑性アップである。一途だ…。

 それはさておき、おやつを食べようと「コアラのマーチ」を開けた。家人と代わる代わる手を突っ込んでは食べていたのだが、ふと手に持ったコアラを見てみると、なんと眉毛があるのである。えっこれが? 初めて見るけど、実在するものだったのか。
眉毛コアラ  ←が証拠写真である。一緒に写したつもりでちゃんと写っていなかったのだが、上蓋には小林宏之投手の「日本一」というメッセージが入っているのだ。帰宅後調べてみたところ、眉毛コアラはそれほどレアなものではなく、40粒程度に1粒は「眉毛コアラ」なのだそうだ。実際は各絵柄の出現確率は同率で、つまりは40種類ほどの絵柄のうち、眉毛のあるコアラの絵柄が1種類だけということらしい。
 同様のラッキー・コアラには、「ヘヴィメタ」とか「おんぶ」とかいろいろあるという。チョコの注入穴が背面ではなくて表(つまりコアラのお腹部分)になってしまったものは「盲腸コアラ」と呼ばれ、説によって縁起が良かったり悪かったりするらしい。こちらはおそらく製造中の手違いだと思うので、ひょっとすると「眉毛コアラ」よりもずっと出現率は低いだろう。

 ちなみに「眉毛コアラ」の出現率を調べたページがこちらである。1ヶ月間、毎日「コアラのマーチ」を1箱ずつ食べて中身を調べたらしい。1箱あたりの「眉毛コアラ」の出現率は約0.774粒なので、確率的には2箱買えば間違いなく1粒は「眉毛コアラ」に当たる計算である。1/40というのは案外正確なのではないだろうか。
 さらにちなみにこのページによると、中国ではロッテのことを「楽天」もしくは「樂天」と表記するらしい。楽天ゴールデン・イーグルスと千葉ロッテ・マリーンズには、意外な共通点があったと見える。

 お菓子のラッキー版には他にもいろいろあるようで、そのどれもが「当たると幸せになる」と珍重されているらしい。
・不二家「ミルキー」…ポコちゃんの包み紙で大きな玉
・カルビー「かっぱえびせん」…パッケージのエビが携帯電話やビール・ジョッキを持っている
・明治製菓「アポロチョコ」…チョコとイチゴが上下逆の粒や、チョコ単独、イチゴ単独の粒がある
・明治製菓「カール」…カールおじさん型やカエル型の粒がある
・明治製菓「マーブルチョコ」…犬の足跡が付いた粒がある

 お菓子メーカーさんも、リピーターになってもらおうと地道な努力を欠かさないと見える。わたしもこういう遊び心は結構好きで、「カール」や「かっぱえびせん」なんかちょっと探してみたくなるのだった(阿呆)。
 今日見付けた「眉毛コアラ」も、もちろんちょっぴり嬉しかったりする。あと9箱のうち、何粒見つけることが出来るだろうか。




10/31 末日もコアラネタかい(汗)

2005/10/31 23:30
 昨日の日記で「盲腸コアラ」というのは、製造中の手違いにより、チョコ注入の穴が背面ではなくて腹部に開いてしまったコアラのことだろう…と書いたのだが、どうやら違っていたらしい。コアラの絵柄に、「転んでお腹に切り傷を作ってしまい、泣いているコアラ」があるのだという。その腹部の傷が、どう見ても盲腸の手術痕そっくりなので、いつしか「盲腸コアラ」と呼ばれるようになったらしい。そしてコアラの森(ロッテ公式サイトの中にあるページ)を参照すると、コアラの絵柄は40種類どころではなく、なんと78種類もあるのだそうだ(コピーライトから判断して2003年当時)。
 さらにコアラのマーチ年表によれば、それ以後もどんどん絵柄の種類は増えている模様である。2004年と2005年だけでもプラス74種類。昨日参照した眉毛コアラ出現率検証ページがあるサーチリサーチによれば、例の検証は2002年10月に行なわれたものである。ということは、その当時は約0.774粒/箱だった確率が、今ではもっとずーっと低くなっているということなのか?
 だとするとその低い確率を、わたしは見事に踏み抜いたのだろうか。1/3の確率でハズレが混ざっている福引で、そのハズレを引いちゃうようなくじ運の悪いこのわたしが。これはひょっとすると人生の夜明けなのだろうか。おお、何だか未来が明るくなって来たように感じられる…!

 今日バレエ教室から帰って来た後、ついつい甘いものが欲しくなって、「マリーンズ仕様コアラ」2箱目の封を切った。家人が泊まり勤務で不在なのをいいことに、こういうおやつを食べるからちっとも増えた体重が減らないのである(反省)。とりあえず21時過ぎなので5粒限定で食べることにしよう。1粒、2粒…。
 昨日の「眉毛コアラ」の感動があるので、ついつい食べる前に1粒1粒コアラの絵柄を眺めつつ口に入れることになる。と、3粒目、またも「眉毛コアラ」が出て来たのだった。え? 昨日も出たのにまた今日も「眉毛コアラ」? 0.774粒/箱の出現率はどうなったのだ。そして5粒目に出て来たのが噂の「盲腸コアラ」だった。おお、コレが♪

眉毛&盲腸  「眉毛コアラ」は昨日出て来たものより若干印刷がボケていて可愛くない。そしてこの眉毛君が何をしているのか疑問に思っていたのだが、絵柄について調べているうちにこんな画像を見付けてしまった。どうやらラッパを吹いているところらしい。ラッパには見えず、わたしはてっきり「シャボン玉で遊んでいるところ」だと思っていた。良く見ると、判り易くするためか、ラッパには「♪」マークが付いているのだが…。
 ともあれ、2日連続でアタリを引いたということを、わたしのくじ運が飛躍的に良くなったという仮説で説明するのはどうも無理である。「コアラのマーチ」1箱にはおよそ28粒のコアラが入っている。もし本当に152種類も絵柄があるのならば、2箱連続で「眉毛コアラ」に当たる確率は152分の28を2乗した数字、すなわち3.39%。自慢ではないが4%に満たない当選確率を踏み抜く運の良さ、わたしは持ち合わせていない。

 となると残る説明は大まかに考えて2つだと思う。1つは「今までに登場した絵柄は確かに152種類だが、時期限定などでレギュラーではないものも多数あり、通年的には30〜40種類に抑えられている」というもの。もう1つは「マリーンズ仕様コアラには、一般的に人気の高い“眉毛”君や“盲腸”君の出現確率が高くなるよう、製造段階で細工が施されている」というものである。ひょっとしたらこの2つの合わせ技ということも考えられる。
 3箱目の「マリーンズ仕様コアラ」を開けてみて、もしその中に「眉毛コアラ」が入っていたら、「マリーンズ仕様コアラの特殊性」に信憑性が出て来るような気がする。ただしもしかしたら、今ではどの「コアラのマーチ」にも、1箱につき1粒の「眉毛コアラ」が出るように設定されている可能性もあるので、今度はノーマル・ヴァージョンの「コアラのマーチ」も何箱か買って検証しなければならないことになる。

 さすがに「コアラのマーチ」ばっかりそんなに食べられないのでノーマル・ヴァージョンの検証はしないだろうが、ちょっと気になる課題だったりする(阿呆)。地域限定の小ロット製品とは言え、内容物の種類操作などという面倒臭そうなことは可能なのだろうか。ラインを1つ専用に設定しなければならないだろうし、結構コストと手間暇がかかるような気がする。
 そういえば「優勝記念コアラのマーチ」をTVで見たのだが、基本的にはウチにある「マリーンズ仕様コアラ」と同じで、マリーンズ・カラーのパッケージにボビー・ヴァレンタイン監督の写真が付いている箱だった。ただしウチのには赤い字で「がんばれ! マリーンズ」と書いてあるところに、「ご声援(応援?)ありがとうございます」とか書いてあったようだった。ちゃんとマイナー・チェンジしてあるんだ…(感心)。

 優勝記念版は全国で配布&販売したそうだから、予想よりもロットは大きいのかもしれない。しかしこのヴァージョンにも「マリーンズ仕様コアラ」と同様に「2005年選手メッセージ」が入っているのだとすると、1種類についてのロットはたちまちその何分の1かに減少する。選手メッセージのスリップは組み立てではなく外箱パッケージ一体なので、製紙工場に発注する段階で特別な版下を作らねばならない。
 天下のロッテともなると、そのくらいのコスト&手間暇は厭わないのだろうか。それとも31年ぶりの日本一には、多少の問題点をぶっ飛ばすだけのインパクトがあるのだろうか。「マリーンズ仕様コアラ」の外箱2つ分を眺めながら、そんなしょーもないことをつい考えるのだった(つくづく暇)。