徒然過去日記・2005年12月

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12/01 いよいよ今年も残り1ヶ月

2005/12/01 16:26
 だと言うのに、どうやら軽く風邪を引いたらしい。熱が出ていないのでまだ今のうちなら大丈夫、早く治して寝込まないようにしなければ。さもないと日曜日に国立競技場で行なわれるラグビーの早明戦観戦に出掛けられなくなってしまう。天気予報によれば、日曜日は飛び切り寒いそうなので、洒落にならないのである。
 泊まり勤務から帰宅した家人の朝御飯を用意して(と言ってもパン切っただけだけど)、その後本当ならバレエ体操の自主練に出席するハズだったのを取り止め、湯たんぽを仕度して床に就いた。

 昨日の日記がアタマに残っていたのか、微妙にヘンな夢を見た。パプリカやトマトやきゅうりなどの野菜たちと、何故か早稲田大学ラグビー部の大贔屓WTB、首藤甲子郎選手が登場するのである。
 聞いた話なので本当かどうか知らないが、CMに登場する野菜や果物などの青果は、何千個に1個と言う倍率を潜り抜けた美形中の美形らしい。なるほどCMに出て来る野菜たちは、どれもこれも作り物かと思うくらいにぴかぴかつるつるして色鮮やかで、左右対称の完璧な形をしているものばかりである。レタスも申し分のない色と形で、パリッと割った時に水滴を弾く様子など、見るからに美味しそうである。
 主婦となって一応10年が経とうとしているが、あんな野菜・果物たちにはほとんどお目に掛かったこともない。

 夢の中でわたしは、CM撮影用の野菜のオーディションに立ち会っているのだった。トマトと黄色のパプリカときゅうりのオーディションらしく、3つ並んだ大テーブルにそれぞれの野菜がびっしりと並べられている。下の方のが傷付いてしまうので、縦に積んではいけないらしい。
 部屋の奥にはモデル撮影用のペラリとした大きな白い紙(布?)が設えてあって、煌々と照明が当たっている。真ん中に透明な台が据えられて、そこにADさんと思われる人が、野菜を1個ずつ取替え引換えして載せているのだった。もちろんその映り具合をカメラがずーっとチェックしている。

 CM用の完璧な美形トマト(or パプリカ or きゅうり)はなかなか見付からない。カメラ・チェックを通らなかった「不細工な」野菜たちは、スーパーで見掛ける野菜用の段ボール箱に戻されて、どんどん売り場へと出荷されている。見るとその作業を手伝っているのは、首藤甲子郎選手を始めとしたワセダラグビー部のメンバーなのだった。首藤選手以外の人の顔は良く見えなかったが、なぜワセダの選手たちだと判ったかというと、みんなアカクロを着ていたのである(なんだそりゃ)。
 ついそちらへ寄って行って耳を済ませると、何やら野菜の箱からぶんぶん唸るような音が聞こえる。首藤選手はその音に耳を傾けつつ、時々うんうんと頷いている。なんだろうと思って良く聞いてみると、箱の中のトマトたちが、選ばれなかった文句を呟いているのだった。
 自分たちはトマトの名産地・高知県出身の由緒正しい美味しいトマトである。形は不揃いかもしれないけれど、身はぎっしり詰まって味も濃く、甘味と酸味のバランスも絶妙な、サラダで良し火を通して良しの最高級品なんである。CMに味が映らないのが口惜しい、映像で味が判るのならば、自分たちは一も二もなく選ばれるだろうに…云々かんぬん。

 というところで目が覚めた。トマトが文句を垂れているのは判るとして、何故それを運んでいるのが首藤選手なのだろう。先月23日のラグビー早慶戦で、もうちょっとでトライGETというところで慶応の選手にハイ・タックルを喰らい、認定トライとなってしまったことがあった。TV放送した3局のうち2局で「首藤選手は小柄だから、普通にタックルに行くと首に入ってしまうんですね」などと解説されていたのに憤慨したものだが、もしかしてそれが無意識に残っていて、夢に出て来たのかもしれない(汗)。
 きっと高知県産のトマトと同様、見掛けで中身を判断するなよと、わたしの無意識は訴えたかったに違いない。憤慨するのはまあ良いとして、それがトマト(or パプリカ or きゅうり)のオーディションと一緒に出て来るというのもナニである。大変、大変、失礼いたしました>首藤選手 別に首藤選手が野菜に似ているとか、思ったことがある訳ではないのだが…。




12/02〜03 頑張って寝てるんだけど(変な表現だ)

2005/12/03 16:12
 ヤバい。ヤバいのである。
 一昨日辺りから咽喉が痛くて、これは風邪の引き始めだなと思ったので、大事を取ってゆっくりしているのに、なかなか良くならないのだ。それどころかだんだん本格的な風邪に突入しつつあるような気がする。
 何故やねん、と、自分に突っ込みを入れたい気分になって来る。ちゃんとヴィタミンC源(みかん)やたんぱく質を摂りつつ、湯たんぽを抱えて大人しく寝ているというのに。木曜日なんかバレエ体操まで自粛したのに!

 身体の節々が痛いような気がしてさっき目が覚めた。調子がまだ変なので熱を測ったら38度弱。ううむビミョー。平熱の36度台まで下がらないと、遠慮会釈なく家人に置いて行かれると思う。既にそういう宣告をされているし、天気予報では明日は随分寒いらしい。雨まで降るとか言っている。いつだったか、やっぱり雨降りの早明戦を観に行って、その後しっかり風邪を引いて寝込んだ前科もある。
 軽く何か食べて、クスリ呑んで、湯たんぽを新しくして、また眠ることにしよう。頼んだぜ小青龍湯!

 ところで先日、隣家の義母と話したところによると、わたしのお気に入りの湯たんぽは義母の好みにはあまり合わないらしい。いちいちお湯を沸かして入れ替えるのも面倒だし、最初は熱過ぎるくらいなのにだんだん冷めてしまって、最後はぬるくて役に立たないと言う。普通の電気アンカの方がずっと使い易いと。
 まあ好き好きだからいいかと思うけれど、湯たんぽって電気アンカにそれほど引けを取っていないじゃん、と言う気もする。お湯を沸かす手間は確かに掛かるけど、面倒臭いまでは行かない。湯温も実はそんなに急激な変化はしない。愛用の湯たんぽはオレンジ色の分厚いプラスティック製で、2.6リットルの熱湯を入れることが出来る。これを湯たんぽ付属の布カヴァーに入れ、さらに母が昔作ってくれた足ぬくめ袋に包んでベッドに入れておくと、中のお湯は15時間後でも優に44℃以上を保っているのだ。

 この「足ぬくめ袋」とは冷え性のわたしに呆れつつ、古い着物と真綿で母が自作したものである。防空頭巾大の袋で、中に携帯カイロと一緒に足を突っ込んでおいたら温かいのではないかと考えたらしい。実際に足が冷え切るとその程度では温まらなかったのだが、去年湯たんぽを導入した時、湯たんぽ入れにコンヴァートしたら大当たりだった。熱過ぎる段階では当たりを柔らかくしてくれて、しかも保温効果は絶大である。おかん、ありがとう♪  湯たんぽセット
 これがわたしの湯たんぽセットである。従来のタイプより改良されていて、だいぶ扱い易くなっている気がする。熱湯を溜めてキャップをしたら縦に直立させられる形をしている点、反対側に取っ手が付いている点が優れものである。添付の布カヴァーを掛ける時、テーブルにちょいと立てておいて、すっぽり上からカヴァーを被せれば良いのだ。熱い本体を徒に触って火傷をする心配もない。

 去年の今頃の日記にも書いたけれど、何しろ2.6リットルものお湯が入っている代物だから重い。適度な重さは布団の中の安定感に繋がり、寝相最悪のわたしが多少蹴ろうが何しようがびくともしない。湯たんぽ以前にはやっぱり電気アンカを使っていたのだが、いつだったか、眠っている間にベッドから蹴り落としたら壊れてしまった(とほほ)。
 子供時代からの愛用品だったこの電気アンカ、実家のベッドは元々2段ベッドだったもので周囲に枠というか柵が付いていたために無事だったものと思われる。下宿〜社員寮時代は畳に布団敷きだったので蹴落とす心配自体がなかった。しばらく電気アンカなしで冬を過ごしていたのだが、とうとう去年耐え切れなくなって、湯たんぽ派に転向したのだった。

 電気アンカだと布団の中が微妙に乾燥したり、静電気が起き易くなったりするような気がしたものだが、湯たんぽにはそれもない。中のお湯も朝になったら居間の加湿器に注ぎ足せば良いから無駄にならない。何だか良いところ尽くめに思える。
 毎晩2.6リットルのお湯を沸かすためのエネルギーと、一晩電気アンカを点けっ放しにするためのエネルギーと、どっちが少なくて済むのだろうか。元の水温20℃、水の比熱を4.2J/g・Kとすると、お湯を沸かすエネルギーは2600×4.2×(100−20)=873.6kJ。一般的な山形アンカの消費電力を60Wとすると、一晩8時間として480Wh。ウィキペディアによれば1kJ=5/18Whだそうだから、480×18÷5=1728。おお、やっぱり湯たんぽの消費エネルギーの方が少ないのだ♪ (計算が合っているとすれば)

 873.6×5/18÷60≒4なので、平均睡眠時間が4時間を切るのであれば電気アンカの方がエコということになるが、さすがに平均4時間では耐えられない。むしろ睡眠時間が長ければ長いほど湯たんぽの方が有利ということで、今日のように寝込んでいる時は、断然湯たんぽを選ぶべし、と言うことになる。
 さてと、しょーもないことを考えていないで、そろそろお湯が沸いたので、湯たんぽのお湯を取り替えてまた眠ることにしよう。どうかどうか、明日までに、熱が平熱に戻ってくれますように…。




12/04〜05 復活途中

2005/12/05 21:23
 結局昨日は国立競技場には行けず、今日もバレエ教室はお休みなのだった(残念)。
 朝起きてすぐ熱を測ったら7度3分と超微熱。しかし咽喉とアタマが死ぬほど痛くて身体が泥のように重い。無理に出掛けて行ったら絶対悪化するだろうと思ったので、泣く泣く諦めることにした。家人は独りで行くと言うので、済まないねえと謝りつつ、あったかい麦茶など沸かして魔法瓶式水筒に詰める。
 いざ出掛ける段になって玄関ドアを開けると外は雨降り。長い傘を持ち歩くのはイヤだし雨具を荷物にうんせうんせと詰めるのも面倒臭い…と、発作的に家人も「僕も今日はいいや!」と急遽国立競技場行きを取り止めにしてしまったのだった。確かに国立競技場のバック・スタンドで雨降りの観戦となれば、2人で毛布に包まるのであればまだ耐えられるけれど、独りだとどう頑張ってもシンシンと寒さが身に沁みる。いやマジ済まんかった>家人

 こういう時はドラえもんの「どこでもドア」があるといいのにな、と思う。毛布や湯たんぽを好きなだけ持ち込めるから風邪っぴきでも重装備で観戦出来るし、何ならハーフ・タイムに帰宅して服を乾かしたって良い。おやつも飲み物もお好み次第である。自由席ならチケットも要らんぞ♪(こらこら)。
 ともあれ今回の風邪は不思議な風邪だった。発熱の程度こそいつもよりぐっと軽いのに、動けなくなり方がいつも以上というか…。とにかく頭痛と咽喉痛が酷かった。鼻水は滝のように流れ、そのせいか咽喉が渇いて仕方がない。胃にも来たらしく、一昨日の晩は夜中に突然目が覚めてお手洗いに駆け込む羽目に陥った。
 それなのに不思議と食欲は落ちず、体重も全然減っていないのである。ちっくそ〜〜〜…。

 今日は家人が夜勤なので、会社へと送り出した後、素知らぬ顔でバレエ教室だけこっそり出席しようかとちょっとだけ考えた。しかしまだ動くとアタマがズッキンズッキンする。熱は平熱に戻ったが鼻水が止まらない。この状態で出席して、ぶり返すだけなら自業自得だが、もしも他のメンバーに風邪を感染してしまったらどうしよう。小学校4年生のナオちゃんとマリアちゃんの2人は、今月中旬に発表会だか小規模なコンクールだかを控えているのではなかったか。
 大人クラスが終わった後、彼女たちは毎回ポアントに履き替え衣装を着けて、『くるみ割り人形』の「葦笛の踊り」の練習に余念がないのである。薄いスミレ色の、レースがいっぱい付いた可愛い衣装と、お揃いのレースの腕飾り。もしもあの練習が無駄になってしまったらあまりにも申し訳ない。ううむやっぱりちゃんと治るまでは自粛しよう…。

 ということで独り手持ち無沙汰に某巨大匿名掲示板などを覗いていたら、とあるスレで耳寄り情報を目にした。アイザック・アシモフの大人気シリーズ『黒後家蜘蛛の会』の単行本未収録短編が6つ入った『The Return of Black Widowers』が、先月ペーパー・バックに落ちたというのである。2003年にハード・カヴァーで出ているらしいのは知っていたが、Amazon価格で24ドルなので二の足を踏んでいた。ペーパー・バックなら日本のAmazonでも買えて、お値段はまあまあ手頃な1500円ちょっと。
 送料無料になることだし買ってしまおうか。しかし『黒後家蜘蛛の会』のシリーズは何が面白いと言って、池央耿氏のあの機知に富んで小粋な名訳によるメンバーの会話を楽しむこと以上にないのである。わたしの乏しい英語力では、内容というかあらすじというか物語は大まかに理解出来ても、あの雰囲気を読み取るところまではとてもとても…。

 先日も『Charlie and the Chocolate Factory』と『Charlie and the Great Glass Elevator』を買って読んだはいいけれど、あの懐かしい田村隆一氏の訳だったら、どんなにかもっとわくわく出来ただろうと思わずにいられなかった。ちなみにわたしは『チョコレート』の方が『エレヴェーター』よりやっぱり好きである。『エレヴェーター』で困ったチャン役を振り当てられているのは、グランパ・ジョー以外の3人のお祖父ちゃんお祖母ちゃんたちなのだが、描写があまりにも笑えなかったりするのだった(汗)。
 そして地の文の単語はそうでもなかったけれど、ウンパ・ルンパの歌だとか、『エレヴェーター』でワンカ氏が即興で歌う歌などに出て来る単語は、辞書ナシだと「?」となるものが多い。ついでに言えば言葉遊びも激しい。例えば『エレヴェーター』に出て来る変幻自在の怪物、惑星Verme出身の「Vermicious Knids」などどう読んだら良いものか途方に暮れる。「ゴキゲジ星のドクノビール獣」とか? 駄目だ。我ながらセンス皆無。
 その辺、新版の柳瀬氏訳は凝っているのだけど、Veruca Salt嬢を「イボダラーケ・ショッパー」と訳すのはやっぱりううううむ…。ちなみに友人に「まとりならどう超訳する?」と訊かれて答えたのは「イボリン・ショークエン」(ださー)。翻訳って難しいなあ。

 閑話休題。ともあれその点、『黒後家蜘蛛の会』の池央耿氏の訳は、他に代えられない名訳だと思う。どの短編だったか忘れたけれど、イマニュエル・ルービンのアパートメントは奥さんの趣味で牛の置物で溢れている…というくだりを「僕の家には牛が犇いているもんでね」と訳していた記憶がある。原語はどうなっていたか知らないが、アシモフ氏が読んでもにんまり笑って満足してくれるんではないだろうか。
 そしてこのスレを読んでいて気が付いた。『黒後家蜘蛛の会』の未収録短編、わたしは復刊ドットコムのリクエストに出した時、てっきり5編だとばっかり思っていたのだった。ネットであちこち探し回って短編のタイトルを拾っていたのだが、1990年7月にEQに載ったという「スペースワープ」を落としていたらしい。修正依頼を出したのだが、恥ずかしいから早いところ直してくれるといいなあ。もう1年半も晒している恥だけれど(汗)。

 そして言うまでもなく、早く『黒後家蜘蛛の会6』が出版されると良いと思う。創元社では『ユニオン・クラブ綺談』の未収録分と合わせ技1冊で出すという話もあったらしい。もう10年も前に電話で問い合わせをした方々が、某巨大匿名掲示板や、復刊ドットコムの投票コメントに書き込んでいるのだ。
 『The Return of Black Widowers』の全訳でもいいし(これには1〜5からの再録も10編入っているらしいが)、日本オリジナルで『黒後家蜘蛛の会6(含むユニオン・クラブ綺談)』を出すのでも良い。何でもいいから早く読ませて欲しい。新しく訳すのならちょっと大変かもしれないけれど、雑誌に載ったことはあるのだから、何故こんなに手間取るのかさっぱり判らないのである。出せば結構売れると思うんだけど…。




12/06〜07 低空飛行中

2005/12/07 16:22
 なんだか日記なのに1日置きになってしまっている(汗)。
 一昨日は「そろそろいいかな?」という感じだったのだが、結局昨日はぶり返し気味で、必要最低限の用事などをのらくらこなしつつ安静にしていたのだった。本人はすっかり治ったつもりなのだが、泊まり勤務前で在宅だった家人に言わせると「まだ随分咳をしているじゃないか、治っとらん!」だそうなのだ。頭痛も咽喉の痛みも引いたし、熱も平熱に下がったのになあ。ちぇっ。

 という訳で本当なら今日は、一昨日欠席してしまったバレエ教室の振り替えレッスンに出掛けようかと思っていたのである。さすがにそれは無理そうなので、ではレディス・デイでもあることだし、最寄の映画館へ『ALWAYS 三丁目の夕日』でも観に行こうか…などと目論んでいた。こういう時のお目付け役・家人に罷りならんと却下されたのと、なるほど咳が残っているので、これで映画館へ行ったら傍迷惑になると反省したために、今日も大人しくしていることにした。
 そもそも手が行き届かなくて家の中が何となく荒れている(これは何も風邪っぴきの時に限らないが)。かれこれ1週間も外出していないのでそろそろどこかウロウロしたいのだが、自粛してきちんと治し、まずは中規模掃除にでも取り掛かることにしよう。どの道年末だし、いろいろ準備も始めねばならない。
 風邪の治りかけになると我慢し切れずにウロウロして、結局ぶり返したりこじらせたりするのが子供の頃からの悪い癖である。我ながら学習能力がないのだろうかと思う(とほほ)。

 そう言えば会社勤めをしていた頃も、風邪の引き始めとか治りかけに無理して出社しては悪化させていたものだった。ぶり返すとかこじらせるだけならまだしも、同僚に感染しちゃったりしたこともある。新人のわたしなら居ても居なくてもそう大して違わないが、ヴェテランとか上司とかに欠席されると皆が困る。あの時期に大いに反省したハズだったのだが…。
 ともあれ会社員時代は、毎年毎年有給休暇を使い切るかどうかの瀬戸際だった。今は幸い、有給休暇の残り日数を心配しなくて良い境遇にあるのだから、気を引き締め直してちゃんとしようそうしよう。
 とりあえず明日のバレエ体操まではお休みかな? 来週からはきっちり復活出来るようにしなくては。

 ということで、厚着して家の中のことでもちまちま片付けつつ、湯たんぽを仕度して今日も早寝することにいたします。聞く所によれば巷でも随分と風邪が流行っている様子。皆様どうかくれぐれもご自愛のほどを(ぺこり)。




12/08 遠くから応援してます

2005/12/08 17:00
 姿勢制御装置が故障したとか、ミニ・ロボット「ミネルバ」がどっか行ってしまったらしいとか、小惑星「イトカワ」への最初の着地に失敗したとか、燃料(というか推進用ガス?)が漏れてしまったので地球に帰って来られないんじゃないかとか、いろいろ様々なアクシデントに見舞われている探査機「はやぶさ」である。昨日はとうとう「イトカワ」の表面サンプルを採取したと思ってたけどどうやら違ったらしいというショッキングなニュースまで飛び込んで来たのだった。
 サンプル採取の再挑戦前、燃料がどうのこうのというニュースを聞いた時には、「サンプル採取には成功したけど帰って来られない」のと「無事帰って来たけどサンプルは採取出来なかった」のと、どっちがマシなのだろうかと考えたものだが、実は「サンプルを採取出来なかった上に帰還も出来ない」という最悪のケースも有り得る訳である。がっかり。

 サンプル採取用の弾丸が発射されていないと判明したらしいのだが、個人的にはぜひこの「はやぶさ」君には、着地のショックで削れた表面サンプルをどんなに少量でもいいから運んでいて欲しい。そして何とかして無事に地球に戻っておいで、と、3億kmの彼方から応援するキモチが強い。トラブルは多いけれど、やっぱりこのプロジェクト、相当に画期的であり意義深いと思うからである。
 SFの世界ではお馴染みのイオン・エンジンの実証ケースとなる以外にも、やはりお馴染みのスイング・バイ航法や、3億kmも離れた「イトカワ」へ自分で飛んで行って自分で着地する自律航法の実地試験でもある。3億km離れた宇宙空間にぷかぷか浮いている300×600mの小惑星など、地球から見たら針の穴どころの騒ぎではない。そこを目指して、曲がりなりにも自分でちゃんと着地したのだから、個人的にはもうこれは素晴らしい快挙だと思う。
 ついでに88万人弱の名前を封入したターゲット・マーカーを置いてくるという「星の王子さま」プロジェクトとやらもあったらしいが、これはまあオマケだろう。夢はあるけど。

 ともあれ、例え岩石サンプルを持って帰れなくても、このプロジェクトには意義があったと言えよう。しかし超現実主義者の家人などに言わせると「そんなの別にどうでもいいことなんじゃないかなあ」だそうである。宇宙開発だ何だを考える前にもっとやるべきことがあるし、第一お金が掛かり過ぎて、とてもじゃないがコスト・パフォーマンス的に合わない、と言う。それはそうかもしれないけれど、宇宙関係のプロジェクトが高価く付くのは仕方ないことなんだし…(ぶつぶつ)。
 しまいには「乱暴な意見だけど、あの探査機飛ばすだけのお金があったら、今話題のマンションなんか全部丸ごとお買い上げ出来ちゃうと考えるとねえ」などと言い出す。確かにそうだけど、「はやぶさ」君を飛ばす時には、まだマンションの耐震性能偽装問題は露見していなかったのだ。そういう意見はズルイではないか。

 「イトカワ」の岩石サンプル回収にしても、家人はそれほど重要だと考えていないらしい。太陽系や地球がどうやって形成されたかなど、別に判んなくたっていいじゃん、だそうである。確かにそんなこと知らなくても充分シアワセに生きて行ける。けれど、自分がどこから来たのか、何のために生まれたのか、最期はどこへ還って行くのかの3点は、『若きウェルテルの悩み』的な普遍不朽、キューキョクの疑問ではないか。
 ある人はその答えを哲学に求め、またある人は科学に求める。わたしがなり損ねた分子生物学者だって、結局はそういうことを研究する職業である。哲学的アプローチにしろ科学的アプローチにしろ、答えが出ないのはほぼ間違いないが。

 誰だって思春期に1度や2度はそういう疑問を抱えて悶々としたことがあるものだと思っていたのだが、家人にはそういう経験がまったくないらしい。さすがスーパーウルトラリアリスト。わたしの知る限り、家人は「最も地に足の着いた人間」なのだが、その姿勢はあくまでも徹底しているのだった。「必要ない知識など要らん」と言い張る朴念仁、シャーロック・ホームズに通じるところもある…かも、しれない。いやホームズさんのアレは半分冗談だったのだけど(汗)。
 と言うことでもちろん家人にとっては「哲学」も「科学」も「どうでもいい」ジャンルらしい。そしてもちろん、実生活に役立つこともある科学より、哲学の存在意義にはより一層の疑問を感じているようでもある。あんなもんなくたって全然構わないと言い切って憚らない。

 ただし良く訊いてみると、大学の一般教養で「哲学」をやらされた時の不愉快な思い出に端を発しているらしい。何でも記号ばっかり出て来て何が何やらさっぱり理解出来ない授業だった上、試験がメチャクチャ難しかったと言う。そして結局その単位は「可」が付いてしまった。ふざけるんじゃないぞと怒り、それ以来、哲学なんかふーんだ、と思うようになった。
 なんだつまりは私怨なんじゃないか…(汗)。

 ともあれそういうことは全部置いておいて、「はやぶさ」君、どうか無事に地球に帰っておいで。ひょっとしたら細かい岩石サンプルが採取カプセルに入り込んでいるかもしれないし、例え全然採れていなくても、片道20億kmを行って帰るだけで凄いことである。「イトカワ」だって3億kmもの彼方、地球からの通信さえ届くのに片道15分以上(たぶん)掛かる。そんなところで独りぼっちで重要任務。信じられない方向音痴であるわたしには、到底真似など出来ない偉業なのだ。
 頑張れ頑張れ「はやぶさ」君。無事の帰還を願う人がいっぱい待ってますよ♪




12/09 10年目、らしい(汗)

2005/12/09 23:08
 本当に今日だったか実はあまり自信がないのだが、どうも結婚してから10年が経過したようである。たぶん。父が亡くなった時の手続きで戸籍謄本を取った時、結婚したのが1995年12月9日だと書いてあったように記憶しているのだ。頼りないが、わたしだけではなく家人もウロ覚えな辺り、実にいー加減な夫婦である。
 とは言え10年目記念に何か買ったりやったりした訳でもない。せいぜいケーキを買って食べたくらい(美味しかったけど)。巷では「スイート・テン・ダイアモンド」とか銘打って宝石を買わせようとしているらしいが、ウチではそんなもの不要である。わずかに持っているアクセサリー類だって滅多に身に着けることもない。きらきらのダイアモンドなんかあったって、ビー玉と同じ用途くらいしかないもんなあ…(呆れ)。

 おまけに昨日、関西在住の末の妹から連絡が入り、姪っ子2号がウィルス性腸炎で入院してしまったと聞いた。義弟君も姪っ子1号も風邪を引いているらしい。無事なのは末の妹だけで、姪っ子2号の症状が1番重く出てしまったのだ。リヴァース&下痢がひどくて、しかもご飯も全然食べられないらしい。クスリと栄養分の点滴を受けているらしい。ご機嫌だけは良いというのが救いだが、心配である。
 自分の具合をきちんと言葉で伝えられない幼児の入院は気の毒で仕方がない。風邪っぴきの姪っ子1号とそのおとーさんも含め、みんな早く良くなると良いと思う。…それにしても、最近は本当に風邪が流行っているのだなと妙なところで実感してしまった。わたしの風邪は、ひょっとしたら随分軽く済んだ方なのかもしれない。バレエ教室&スポーツ・クラブの賜物だろうか♪(希望的観測)

 ともあれこの10年、いろいろ良いこともしんどいこともあった。願わくばこれからの10年も、何とかかんとか無事に過ごせますように。




12/10 ほとんど8年越しの疑問

2005/12/11 00:06
 という訳で、先日Amazonに注文した『The Return of the Black Widowers』が昨日届いたのだった。当然のことながら全部英語。英語の小説を読むのは下手なので(というか、美しい日本語としてアタマの中で変換出来ないので)ちゃんとした翻訳を読みたいのだが、東京創元社が1冊にまとめて出してくれないので仕方がない。
 EQに載った分を探し回るという手もあるにはあるが、EQのバック・ナンバーというのはこれがなかなか見付からないのだ。出不精な性格でもあるし、そもそも古書店巡りを敢行する気力も体力も時間もない。結局、中身を確かめる一番手っ取り早い方法が、どうにかこうにかして原書を読むことだった。

 そもそものきっかけは8年近く前の長野オリンピックの頃である。家人が長野に出張で不在の当時ウチに短期滞在していた友人と、好きな小説の話をしていて『黒後家蜘蛛の会』の話題になった。アシモフは「自分の目の黒いうちは“黒後家もの”を書き続ける」と断言していたのだから、文庫本に収録されていない分が結構あるハズだよね、どうなったのかなあ…とわたしが不思議がったら、彼女がふと雑誌を立ち読みした時のことを思い出したのだ。
 そう言えば、ヘンリーがゲストになっている物語を読んだっけ、と彼女は言う。恒例の「尋問」はブラック・ウィドワーズのメンバーがヘンリーに対して行ない、ヘンリーがそれに答える形で自分の疑問点に解答を得るのだと。話題はなんとヘンリーのガール・フレンド(と言うと浅薄に聞こえるが、つまりは親しくお付き合いしている女性)について。ラストの成り行きから言って、あの話が多分『黒後家蜘蛛の会』の最終回であると、友人は考えていた。

 日本で『黒後家』の5巻が出たのは1990年。アイザック・アシモフが亡くなったのは1992年の4月である。かねてより健康不安が言われていたアシモフさんのこと、先行きを見据えて『黒後家蜘蛛の会』を完結させていたのかもしれないが、元々あれは1話完結方式で一続きのストーリーがある訳でもない。他にも未完のシリーズがあるのに、『黒後家』だけ早々に完結させると言うのもおかしい。
 今から思えばああでもないこうでもないとくよくよ考えている間に、EQのバック・ナンバーを取り寄せるなり何なりしておけば良かったのだ。1992年ならば、まだ1990〜1992年にかけてのEQは在庫があったかもしれないのに。当時大学の研究室に居たわたしは、とりあえず哀悼の意を示すため、ジャケットに喪章を付けて実家と下宿を往復したような覚えがある。そんなしょーもないことしている間に本屋さんへ走れよ、と思う。

 さて届いた『The Return of the Black Widowers』を開いてハーラン・エリスンの「Foreword」に取り掛かる。アシモフと古くからの友人であったエリスンの回想は、読んでいるこちらにも悼む気持ちが伝わって来てホロリとする。在りし日のアシモフの思い出話など興味を惹かれなくもないが、7ページもあるのを読んでいるうちに草臥れて来た(へたれ)。まあいいや、気力が残っているうちに、単行本未収録分の6編を先に読もう。それから既刊本収録済みのやオマージュを読んで、まだ余力があったら「Foreword」に戻って来ることにしよう(ごめんなさいハーラン…)。
 友人が「あれが最終回に違いない」と言っていたことから、単行本未収録分も後ろのから読むことにする。「Northwestward」、「Yes, But Why?」、「Lost in a Space Warp」、「Police at the Door」、「The Haunted Cabin」、「The Guest's Guest」の順に載っているので、まずは「The Guest's Guest」に手を付けた。

 多少の知らない単語は無視。あるいは脳内で勝手に意味を補完して読み進める。しかし衒学的な薀蓄が売りの作品なので、時としてキイ・ワードが見たこともない単語だったりする。脳内補完もあっという間に限界が来たので、やむなく仕事部屋から辞書を運んで来る。辞書を引き引き英文を読んでいると何がどうなっていたかの流れを忘れてしまうので(鶏アタマ)、読書中に辞書を引くのは大嫌いなのだが仕方がない。
 単語の意味は判るのに、言い回しがくどかったり婉曲過ぎたりして文の内容がワカラン、ということもある。特にゲストの話とヘンリーの謎解き部分を読むのに苦労した。一方でイマニュエル・ルービンの「まばらな髭」とかジェフリー・アヴァロンの「惚れ惚れするようなバリトン」とかの決まり文句もあるので、スイスイ読めるところと突っ掛かるところの差が激しいのだった。2重否定で仮定法を使ったしかも疑問文なんて、わたしには荷が重いよヘンリー(涙)。

 四苦八苦しつつ「The Guest's guest」と「The Haunted Cabin」を読んだが問題の物語ではなかった。「Police at the Door」、「Lost in a Space Warp」をざっと拾い読みしたところではこの2つでもない。おっかしいなあ、やっぱり彼女の立ち読みしたという短編は『黒後家』ではなかったのだろうか。
 訝しみつつ「Yes, But Why?」を開くと、冒頭でジェイムズ・ドレイクとトム・トランブルがひそひそ相談している。ヘンリーがゲストになりたいそうだという話題である。おお脈アリ。張り切ってなお読み進むうちに、この短編こそが、わたしがずーっと疑問に思っていた「黒後家ものの最終回」だと判明したのだった。
 全然最終回なんかじゃなかったのだけれど。友人は何を勘違いしてそんな風に思ったのだろう。まあ何年も前の立ち読み時の記憶だから、多少不確かでも仕方ない。

 ヘンリーがゲストだという始まりと、ラストの落ちだけは友人から聞いた話の通りだったけれど、中身はちょっと違っていた。友人の話では「ヘンリーが知り合いの女性にいろいろ言われて、その意味が判らない。ブラック・ウィドワーズにその話をしたら、彼らは“なんだ簡単な話だよ。彼女は君のことが好きなんだ”と言ったので、ヘンリーも納得した」という経過のハズだったのだが…。
 ところでさっき気が付いたのだが、この「Yes, But Why?(邦題:さはさりながら)」が雑誌に載ったのは1990年11月。掲載誌はEQではなくてハヤカワ・ミステリ・マガジンなのだった。EQを読んでいた知人にあらすじを話し、「こういう話って覚えてる?」と訊いたものの空振りに終わったことがあるのだが、HMMだったのなら無理もない。

 文庫本未収録の『黒後家』ものがHMMに載ったのは「Yes, But Why?」だけだったので、友人が「これが最終回」と思い込んだのもまあ納得が行く。このようにして、長年の疑問点はようやく解消したのである。ああスッキリした。
 あとはのんびりと『The Return of the Black Widowers』の残りを読むことにしよう。とは言えやっぱりわたしの英語力では、池央耿氏の語り口を再現出来る訳もない。ヘンリーの「皆様、そのようにお買いかぶりになっては困ります」とか「一言よろしゅうございますか」とか「わたくしは落穂拾いをいたすだけでございますです」などの言い回しが恋しいなあ。早く邦訳が出てくれないだろうか。一日千秋…。




12/11 英語のポリッシュ・アップ

2005/12/11 21:38
 相変わらず四苦八苦しつつ『The Return of the Black Widowers』を読んでいる。昨日あれから思い付いたのだが、ペーパー・メディアの辞書ではなくて、各ポータル・サイトの辞書を使ったら良いかもしれない。読んでいる書面から目を離さなければならないのは変わらないのだが、紙の辞書を捲るまだるっこしさがないし、目当ての単語を探す途中で寄り道をしてしまう危険性もなくなる。
 わたしはほんっとーに鶏アタマなので、辞書を引いているうちにちょっと面白い綴りや意味の単語を見付けると、ついその項目を読み耽ってしまう悪い癖があるのだ。へえ〜、この言葉はこんなふうに使うのか…などと一通り読み終えて納得し、ハタと気付く。さて、本当はどの単語の意味を調べようと思ってたんだっけ? しかも得てしてそういう時は、読んでいた本もどこまで進んだのか失念していたりすることが多い。1つの単語で引っ掛かって、次の文に進むまでに、30分以上掛かったなどということも珍しくない。大間抜けである(とほほ)。

 しかもネット辞書だと、例えば少々綴りを間違えて入力したとしても、似た綴りの候補を幾つか挙げて「これのどれかではないですか?」と教えてくれる。大変親切で、この機能には随分とお世話になっているのだった。
 利点はまだある。『黒後家』ものにはあまりドギツイ言葉遊びとか駄洒落は出て来ないのだが、この「似た綴りピック・アップ」によって、駄洒落を理解しやすくなるのも良い。例えば先日読んだ『Charlie and the Great Glass Elevator』中に出て来た「Vermicious Knids」も、紙の辞書よりはネット辞書の方がうんと理解し易かったろうなと思う。迂闊にも、苦労して読み終わった後にネット辞書使用に思い当たったのだった。やれやれ。

 他にも英語を学ぶための便利なサイトがいろいろある。『ダーリンは外国人』で一躍有名になった小栗左多里さんの『英語ができない私をせめないで!』は、小栗さんが英語を学ぶ、涙ぐましい道のりが描かれている。ダーリンのトニーさんは英語ネイティヴなのに、語学おたくで日本語もペラペラなものだから、小栗さんは英語をまったく喋れないままなのだそうだ。
 英会話学校の辺りは全然興味ないのだが、その中のSTEP5「ネットで勉強してみた!」がお役立ちである。わたしのお勧めはまずhungry for words.com。毎日メールで要チェック単語をお知らせしてくれる。ジャンル登録は最大3個までで、旅行用とか、TOEIC受験向けとか、TOEFL向けとか、上級ビジネス用語などがある。わたしはTOEICとTOEFLと上級ビジネスを選んだのだが、上級ビジネスははっきり言って無縁な感じである。
 「accretion=増大」くらいなら覚えとこうかとも思うが、「consignee=受託販売者」なんて絶対使わねーよ(汗)。毎日3通ずつ来るメールも溜めると結構鬱陶しいので、ジャンルは2つに減らしてしまおうかと思っているのだった(根性なし)。

 一番重宝しているのが理解.com。例えば海外のサイトの記事を読みたい時、そこのURLをボックスに入力して「GO」ボタンを押すと、簡易辞書機能付きページに飛ばしてくれる。アドレスではなくてテキストのコピペでも良い。飛んだ先の簡易辞書機能付きページでは一見何も変わったところはないように見えるのだが、判らない単語の上にマウスをポイントすると、日本語訳がぽこりと出て来るのである。おお〜♪
 辞書を引いてまで読むのは面倒だけど諦めるのは悔しいというサイトがある時には非常に便利。翻訳サイトでは相変わらず全く無益なトンデモ日本語訳ばかり生産されてしまうし…。
 ただしこの機能にも限界はあって、熟語は適用外であるという点が最大のガッカリである。例えば『黒後家』に出て来た「jump on」という熟語、辞書を引っくり返して調べたら「文句を付ける」という意味があるらしい。理解.comの機能だけではどう頑張っても「文句を付ける」に辿り着くのは不可能。この辺り、もうちょっと改良されるともっと使い易くなるのだが(贅沢)。

 その他「英語タウン」の「5分間英語レッスン」とか、Yahoo! の英語学習ステーションなども結構面白い。「5分間英語レッスン」ではTOEIC730点などの目標別に単語や熟語の学習が出来る。Yahoo! の方では重要度別の単語や熟語を毎日セレクトして出題してくれる。継続出来るかどうかはアレだが、何と言ってもタダというのがケチなわたしには魅力だったりする。
 語彙をチェック出来る単語力とか、スクラブル・ゲームのようなBookWorm game(これは『英語ができない…』に載っていたのではないが)なんかも面白い。

 聞き取りの練習はやっぱり洋画を字幕ナシで観ることだと思う。一昨日の晩、家人が買って来た『Mr.インクレディブル』を日本語吹替えver.で観た。翌日、日常業務など片付けながら、今度は音声英語&字幕ナシで観てみたのだが、日本語の細かい言い回しを覚えているうちだと、結構聞き取れるものだと判った。日本語吹替え→英語で字幕ナシと2回観なくてはならないので時間が掛かるけれど、聞き取り力向上には良いかもしれない。
 ただし『Mr.インクレディブル』はコドモ向けということもあり、それで聞き取りが楽だったということも考えられる。他のDVDでも試してみようかなあ。

 ところで『Mr.インクレディブル』の吹替えver.と英語ver.では、音声だけではなく、一部映像も変えられているのが面白かった。作中に出て来る新聞記事の見出しなど、日本語吹替えではちゃんと日本語に訳してある。さらに主人公が差し出す書類に押してあった「denied」のスタンプも、日本語吹替えでは「×」に変わっている。元々の映像と全く違和感なく調和している。どうやって部分的に変えるのだろう。
 無断でやったらもちろん著作権侵害になってしまうから、PIXERサイドで各国向けにマイナー・チェンジしているのだろうか。それとも日本のスタッフが、PIXERに了解を取った上で独自に変えるのだろうか。映像の違和感ない点からすると前者にも思えるし、手間隙を考えると後者でも不思議ではない。どっちだろう。気になるなあ…。




12/12 ふっかーつ♪

2005/12/13 00:33
 結局10日少しの間、風邪っぴきのために調子が出なかったことになる。今日久しぶりにバレエ教室に行ったところ、メンバーの周囲でもバタバタと風邪で倒れている人々が居るらしい。末の妹一家の件もあるし、実はここ最近、巷ではずいぶんと風邪が流行っていたと見える。わたしも気が付かないうちにどこかで貰って来たのだろう。要らなかったのになあ。
 12月4日の早明戦に行けなかったのがつくづく悔しい。家人は未だに「トンマな誰かさんのドジのせいでチケット無駄になっちゃった、あ〜あ」と当て擦りを言っている。憎たらしいが本当のことなので何も言えないのだった(憮然)。
 ともあれあまり酷くならなかったのも、10日そこらで完治したのも、わたしとしては上出来な部類ということにしておこう。

 ウィルス性腸炎を起こして水曜日に入院してしまった姪っ子2号も、本日無事に退院して帰宅出来たらしい。良かった良かった。相変わらず食欲はあまりないとのことだが、お医者さんは「あとは日薬だからね」と仰ったらしい。なかなか味のある言葉を使うお医者さんだが、日薬って、身体的なダメージにも使うものだったのか。知らなかった(勉強になった)。
 姪っ子2号に付き添ってずっと病院に詰めていた末の妹も、やっと一安心したようである。家にはたまにシャワーを浴びに帰るぐらいしか出来なかったそうで、かなり大変だったらしい。無理が祟ってこの後体調を崩すことがないと良いがと心配していたのだが、彼女は「見掛けよりもタフだからどうってことありません」と頼もしいことを言っている。もちろん相当疲れているだろうが、2人の子供の母親としては、疲れたの何のとチョロいことは言えないのだろう。偉いなあ。わたしだったらきっとその後バテて寝込んだりしてしまうだろう。

 で、2週間ぶりのバレエ教室は、やっぱり気持ち良かった。ストレッチさえサボってしまった約1週間のせいで、身体は随分固くなっているし、脚の筋肉も力が弱くなっていて情けないのだが、運動で流す汗は良いものである。そして忘れているのは身体だけではなく、アタマの方もいろいろなことが怪しくなっているのが悲しかった。
 バー・レッスンでアダージオの時、身体の向きや脚の向きがどうなるんだったか、きれいさっぱり忘れているのである。
身体の向き
 図を上手に作れなかったのでちょっと見難いのだが、バレエには8つの方向があるらしい。この図は、右足前の5番(爪先を外側にして両足を重ねる)で立った時の位置関係…だと思う(いまいち確信がない)。で、さらに脚を真横に上げる時はエカルテとか何とか呼ぶのである。しかも手にも1番とか3番とかあるらしい。足のポジションはどうにかこうにか覚えたが、手は何がどうなっているのかまだ良く判らないのだ。
 基本中の基本なので、流石にレッスン中に「せんせー、エカルテって何ですか?」とか「1番アラベスクって(以下略)」とか訊くのも躊躇われる。小さい頃から続けていれば、レッスンの中で次第に自然に覚えていたのだろうが、大人の固いアタマでは新しい用語を覚えるのはなかなかしんどい。
 せめて大学の第2外国語でフランス語を選択していればマシだっただろうか。…いや、駄目だろうな(汗)。

 閑話休題。アダージオというのは、ゆっくりと脚を上げるエクササイズの1種である。バーに掴まって前・横・後ろへ片足を上げる、結構しんどい動作である。最初のうちはバーに平行に立って脚上げをしていたので楽だったのだが、最近、バーへの掴まり方がこの図に則った(たぶん)斜めを向くようになってしまった。正確に先生がなんと仰って指示を出したのか覚えていないのだが(とほほ)、どっちの脚をどっち向きに上げるのか、その時バーに掴まっていない方の腕はどうするのか、だんだん混乱して来るのだった。
 しかも途中で180°向きを変えたりする。メンバーのうち中級者の皆さんはきっと身体で覚えこんでいるのだろう、指示通りに苦もなく動いている。一方ビギナーたちは大童で、指示を一生懸命思い出しながらああでもないこうでもないと腕や脚をバタバタさせるのだった。優雅で美しい動作までの道のりは果てしなく遠い…(タメイキ)。

 ピルエット(片足で立って回転する動作)とかジュテ(ジャンプ)、アッサンブレやグリッサード(それぞれ横移動を伴う動き)やその他諸々は、1つ1つならば何とかこなせるようになった。ただし連続する動きになると途端に混乱するのが初心者の哀しさである。ピルエットなど、右回転→左回転→右回転→左回転…と連続した動作では、どっちの脚をどっちへ出すのだったか一瞬判らなくなる。バーを離れ、センターに出てのレッスンでは「ジュテ・ソテ・ジュテ・ソテ・グリッサード・アッサンブレ」などの指示を受けて音楽に合わせて動くのだが、手に気を取られれば足がどうだったか判らなくなり、次に右へ移動するのか左へ移動するのかも忘れてオロオロする羽目に陥る。
 大抵の場合、同じメニュー(中級ではより難しい動作が含まれているが)をこなす時は、まず中級者さんたちがセンターで演技した後で初心者たちの番となる。中級者さんたちの動作を見ながら隅っこで練習している時は上手く出来るような気がするのに、いざ自分たちだけでやるとなると、当然のことながら、途端にメロメロになるのだった。同じポーズでも優雅さにおいて雲泥の差があるのは言うまでもない。
 つくづく自分の運動神経の鈍さを嘆くばかりである。

 最近は個人個人でポーズを取るばかりでなく、中級者さんグループと初心者グループでそれぞれ組んでの練習も取り入れられるようになった。文明堂のCMのように横に並び、お互いの腕を腰に回した状態で飛んだり跳ねたりするのである。これが意外に楽しかったりする。思えば、家族以外の人とこれだけ密着して共同作業をするなんて、一体いつ以来のことだろうか。
 汗びっしょりでくっついたら気持ち悪く思われないかなとほんの一瞬考えるのだが、たぶんそれはお互い様なのだろう。最初はぎこちなかった組み方が、回を重ねるに従って自然になっているのが嬉しい。初心者チームの演技はドタバタして未熟極まるものだが、未熟なりに「みんなとベクトルを合わせよう」という意識がだんだん生まれつつある。このメニューが取り入れられてから、生徒同士も以前より間違いなく仲良しになったと思う。

 初心者チームが果たして人前でそのチーム・ワークを披露するチャンスが来るかどうか怪しいと思うけれど、今後も頑張って皆で精進したい。
 急に不安になったのだが、先生はひょっとして、3年とか5年とか後に発表会を考えていらしたりするのだろうか。技巧の拙さはともかく、人前にわたしのぷよぷよの身体を晒す勇気は到底ない。人数も少ないことだし大丈夫だろうと思うものの、もしそういうことになったらどうしよう。3年くらいじゃ「バレリーナの身体」にはなれっこない。バレエとは「観られること」が前提とは判っているのだが…。ブルペン・バレリーナじゃ駄目だろうか。




12/13 何だかいろいろ大変らしい

2005/12/13 19:51
 下校途中の子供が犠牲になる痛ましい事件が続いたり、挙句に塾で講師が子供を刺し殺してしまうというとんでもない事が起こったり、マンションの耐震強度偽装問題ではいよいよ明日が証人喚問だったり、「最近の日本はどうなっちゃったの?」と言いたくなるような事件ばかりである。特に子供関連のニュースを聞くと、天真爛漫というか天衣無縫というか、相当に人懐こい姪っ子1号を思って心配でたまらなくなる。
 今のところ人命にまでは関わっていないが、先日は証券会社の人がパソコンによる発注をミスって、トータル400億円だかの損失を出してしまった。さらに聞いたところによると、このミスは東証のシステムを管理している富士通のプログラムかメンテナンスの不具合により、被害が拡大したのだという。東証のシステムがきちんと誤発注の取り消しを完遂していれば、そもそもの損失額は5〜6億円で済んでいたハズらしい。

 東証のシステム(富士通製)と言えば、先月にも全面的にダウンしてしまってほぼ丸1日取引出来なかったことがあった。わたしの印象としては、技術大国ニッポン、役人の汚職だの利益優先主義だのによる不具合は起こっても、技術的な理由によるトラブルはないだろうと思っていたのだが、最近はそうも言っていられないのだろうか。
 しかし普通に考えれば、世界中から数知れぬ人たちが一斉にアクセスをしてくる巨大なシステムが、今までマトモに稼動していたことの方が不思議だったのかもしれない。昔niftyユーザの間では、メンテナンス明けになると「さあ今度はどんなトラブルが起きているかな?」などと、ある意味楽しみにしたりもしていた。…そういえばあれも富士通だったっけ…?

 誤発注をしてしまった当の御本人は、今頃どんなに落ち込んでいることだろう。400億円の損害が6億円に減ったとは言え、たったの1クリックで会社にとんでもない損失を招いてしまったのには変わりない。やはりこういう場合、職を追われてしまうのだろうか。気の毒過ぎる。損失400億円だったら懲戒免職も仕方なかったかもしれないけれど。
 こういううっかりミス、わたしも年柄年中しょっちゅうやらかしているので、我が身に引き比べて考えると寒気がしてしまう。

 あの日、上場初日だったジェイコムの株が大変なことになっている…というのは、誤発注が起こった2〜3分後には既にYahoo! 等の掲示板でちょっとした騒ぎになっていたらしい。一般の人たちは「どうして今日はこんなに株が下がるのだろう」と不安になったらしいが、抜け目のない人たちの間では、初手から誤発注の噂が飛びまくっていたのだという。凄い早耳だなあと思う。
 そのYahoo! の掲示板を読んで早速ジェイコム株を買い付けようとした人たちも多いらしく、そのせいもあって、あれほどの大騒ぎになったのだろう。人のミスに付け込んで金儲けをしようという行為は褒められたことではなかろうが、かと言って一部で言われているように「善意の人なら返すべきだ」とまでは思わない。一番悪いのは、やっぱりミスをしたサイドなのである。

 ジェイコムという会社の名前は、その騒ぎのニュースを聞いて初めて知ったくらいなので、ウチでは当然そういう抜け目のないことは出来なかった。誤発注の瞬間から5分後には大騒ぎになり、15分後には「買い」が殺到して売買不成立になってしまったというから、よほどの偶然でたまたまジェイコムの市況情報を覗いていた人でないとタイミングは掴めなかっただろう。餅は餅屋というか、蛇の道は蛇というか(どっちも微妙に違う)。
 おそらく冗談だとは思うが、家人は「ううーむ、ホントに1円で買えるんだったら、1000株くらい買いたかったよなあ」などと言っている。家人の話によると、誤発注をしてしまった証券会社では、1株に付き90万円で買い戻す方針だという。元々ジェイコムの株はせいぜい数万株しか発行されていなかったのに、ミスで61万株も(おまけに1株1円で)売られてしまったものだから、そうするしかないのだろう。仮に1000株買っていたとしたら、1000円(プラス手数料)が9億円になってしまうのだ。ひょえー。

 万馬券とか宝くじどころの騒ぎではない。もしもホントにそれほどの「濡れ手に粟」な大儲けをしてしまったら、わたしだったらきっと人生踏み外すだろうと思う。言い出した家人本人も、もしそんなことになったら、判明した瞬間に会社辞めるよなーなどと言っている。
 仮に9億円入って来たら、そのほとんどを税金で持って行かれるとしても、かなりの期間無収入でも持ち堪えられるだろう。運用の仕方にもよるだろうが。会社勤めとその中の人間関係で家人は多大なるストレスを抱え込んでいるらしいので、本当にイヤなら辞めちゃえばいいよと思う。例え9億円持っていなくても。

 つい本気で考えてしまったけれど、持ち付けない人がいきなり相応しくないまでの大金を抱え込むと碌なことにならないというのがジョーシキだと思う。わたしとしても、自分や家人の性格が豹変しちゃったりする可能性を考えるだけで哀しいし恐ろしい。やっぱり9億円なんて要らないや。地道が一番である。
 なんちゃって、こう言うのを「獲らぬ狸の皮算用」あるいは「酸っぱいぶどう」と呼ぶのだろうか(汗)。反省しつつ、今日もちまちまと家計簿を付けるのであった。




12/14 とほほなダブル・ブッキング

2005/12/14 12:21
 本当なら今日は学生時代からの友人Sさんと『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』を観に行く予定だったのだ。仕事に育児に忙しいSさんだが、ともかくシュミが合うので、一緒に映画を観るにはもってこいの人物である。ちょっと早めのお昼ご飯などご一緒して、常日頃の愚痴やミニ情報を聞いたり話したりするのも非常に楽しい。
 我ながら息抜きばっかりしているようなわたしの生活だが、これはこれでいろいろあるのである(はっはっは。本当か?)。ともあれ久し振りの「おデート」に、気分もウキウキと弾むわたしであった。

 ところがなかなか連絡が取れない。昨日18時頃にメールをいただいたが、それ以降、ぱたりと消息が途絶えてしまった。早とちりなわたしはてっきり、彼女の抱えている仕事がどうしても終わらなくて、今日(つまり昨日)はひょっとすると徹夜なのだろうと思い込んだ。とすると、翌日の映画デートはどう考えても無理である。修羅場中の彼女を煩わせないよう、早めに「デートは来週に延期しましょう」とメールを送った。22時半頃である。
 昨晩は家人が夜勤だったのだが、映画デートに出掛けるとすると家人の帰宅を待っている訳には行かない。とっとと寝る予定だったのだが、延期と言うことであれば、とりあえず家人の帰りを待っていてあげなければならない。先月録画してまだ放置してあった『TRICK』の新作ドラマを観つつ、ストレッチなどしていることにした。

 ちなみにこのドラマ面白くないこともないのだが、うざったいまでに挿入される小ネタや、ディテールの詰めが甘くて個人的にはいま一つだった。放送されてから1ヶ月経つのでネタバレしても良いかと思うのだが、自分で自分の血管内に空気を注射するのがホントにあんな一瞬で済むのかとか(しかも医療関係者ではない人物が)、爪の間からほんのわずか吸収されただけで、数分以内にもがき苦しんで死ぬような無色透明の毒物が実在するのかとか、いろいろ気になってしまう。
 犯人は最初から「明らかにコイツだ」と判る人物なので、ミステリとしてはホワイ・ダニットとハウ・ダニット複合型の作品である。とすれば、殺人の手口に付いてはもう少し説得力のあるトリックを見せて欲しかったと思う。動機の面ではまずまず良かったんだし。
 ともあれこのシリーズ、キャラクターを楽しむ作品だから細かい点は良いのだろうか。主人公の仲間由紀恵さんはどこまでも美しく、かつ中身とのギャップが楽しい。相棒役の阿部寛さんはいつ見てもやっぱり格好良い。そして名女優・名取裕子さんの演技の迫力には唸ってしまった。

 閑話休題。『TRICK』を観ている最中、まさに日付が変わろうとする頃、明日(つまり今日)は母と2人で『SAYURI』を観に行きませんか? という話になった。わたしとしてはてっきり「明日のハリポタは来週に延期」と思い込んでいるので、いいですよとOKする。本当は『ALWAYS〜三丁目の夕日』の方が良かったのだが、母は「渡辺謙さんと役所広司さんが出ているのよ♪」と、相変わらずミーハーである。
 いつもの映画館の上映時間は15時半から。夜勤明けの家人がたっぷり眠った後で起きて食事を済ませ、スポーツ・クラブに行くのにちょうど良い時間である。となると行きがけに映画館に落としてもらい、終了後に拾いに来てもらえば皆がハッピー。映画館母体のスーパーで買い物をして、母のマンションで3人で鍋でもつつこうという話まで纏まってしまった。

 家人の帰宅が午前2時少し前。予定の変更を伝えると了解ということだったので、これで予定は決定である。家人に風呂を仕度し(と言っても「沸かし直し」ボタンを押すだけだが)、その他の用事を済ませて3時過ぎ、湯たんぽを用意して床に就いた。
 ところがその後、Sさんからメールが入っていたのだった。丸きり気付かず眠り呆けるわたし。どうやら仕事が押したのではなく、また別のよんどころない事情によって連絡が遅れたらしい。
 朝になって、Sさんからの電話で起床したわたしは、そこで初めて「ハリポタデート」がまだ生きていたことを知ったのである。ひょえー。次の予定入れちゃったよ(汗)。それより何より3時就寝だったので、翌朝10時に待ち合わせに出掛けるのはちょっと厳しい。というか多分無理(ヘタレ)。

 Sさんに平謝りし、「ハリポタデート」は来週に延期していただくことにした。Sさんのご都合では、本当は今日の方が良かったらしいので、本当に本当に申し訳ないのである。ああまたやっちゃったようっかりミス…(とほほほほ)。
 という訳で、今日の日記は「Sさんごめんなさいの言い訳特集」でした。お詫びに来週のハリポタのチケットはわたしが持たせていただきます。レディス・デイ狙いで格安という辺り、どこまでもどこまでもセコいのではありますが(陳謝)。




12/15〜16 あと2週間!

2005/12/16 16:26
 寝不足が続いたのに母のお供をしたのが良くなかったのか、昨日からまたもや風邪がぶり返し気味なのだった。激しくマズい。さすがにこの時期になって寝込んだりしたら顰蹙モノだし、そうでなくてもやらねばならないことは山積みだし、何より明後日はラグビー大学選手権の第1回戦が秩父宮で行なわれるのである。しかも天気予報によれば、日曜日の予想最高気温はなんと5℃。今日明日中に復調しないと観に行けない。
 昨日は出来るだけ暖かくして安静を心掛け、またもやバレエ体操をお休みして家の中に居たら、少しは調子が戻って来たような気がする。頭痛と咽喉の痛みだけで倦怠感も熱もないので、このまま名残が消えてくれると良いのだが…。

 毎年この時期になると思うことだが、何が哀しくて「今年の汚れは今年のうちに」などと区切りを付けなければならないのだろう。わたしのようなぐーたら者は、そういうデッド・ラインでもないと絶対に動き出さない。「明日出来ることは明後日やろう」というとんでもないヤツなので、そのまま放置すると家の中は汚れ散らかる一方となるだろう。それは重々判っているのだが、いざデッド・ラインが迫って来ると、1年の区切りなんてどこでも同じ、いっそなくたって構わないじゃないか…と言う屁理屈がアタマを過ぎるのだった。
 大掃除、やっぱり最低でもカーテンの洗濯と、窓ガラス拭きと、流し&レンジ&換気扇の掃除くらいはやらねばならないしなあ。他にもリスト・アップすれば際限なく出て来るけれど、とてもとても全部は掃除出来ないし…(とほほ)。

 師走も押し迫って誰も彼もが忙しいのか、日頃見掛る以上のマナー違反が飛び出したりして驚くこともある。先日、夜勤に出掛ける家人を送りついでに最寄り駅近くのスーパーに行ったのだが、駐車スペースではないところに堂々と駐めている人が居てびっくりした。幾らでも空いているスペースがあるのに、白い大きめのその車は、こともあろうに場内巡回路にちゃっかり駐めている。たまたまその持ち主がまさにクルマを離れようとしているところに行き当たったわたしら2人は、あまりのことにその人の後姿にしばし見入ってしまったのだった。
 家人は「あれは幾らなんでも酷過ぎる」とぶつぶつ言いながら駅へ向かい、わたしはスーパーで買い物をしていた。当然のことながら場内アナウンスでクルマの移動を呼び掛けられていたのだが、結局その持ち主さん、わたしが買い物&郵便局での用事を全て済ませて帰る時になっても、まだそのまま駐めっ放しにしていたのである。2度も場内アナウンスで呼び出されていたのに。

 家人の考えでは、かなり大きいそのクルマを、駐車場のスペースにすんなり入れられる技術の持ち主ではなかったからではないか、と言う。車庫入れの超下手なわたしはその気持ちを判らないでもないが、それならそれでガラガラに空いている2階の駐車場を使えばラクに入れられるだろうに、と思った。2階ならば、例え2台分のスペースを使っていたとしても、誰も文句は言わないだろう。
 特に混雑する土日祝日など、駐車スペース以外に無理矢理駐めている人をたまに見掛けたりもするけれど、さすがにあそこまで大胆なのは初めてである。それなりにきちんとした身形のおっちゃんだったのに、あのクルマだって相当高級な車種だろうに、何故持ち物に相応しい行動を取らないのだろう。

 大掃除の他に急いでやらねばならないのは、姪っ子たちにクリスマス・カードを送ることである。クリスマスまであと1週間と少し。可愛らしいカードは買ってあるのだが、先延ばしにしているうちにギリギリになってしまった。いつものことである。
 家人が先日「洋服の○山」に行ってベルトを買ったらしいのだが、その時クリスマス・キャンペーンとかで、キティちゃんのオリジナル・スープ・カップなるものを貰って来た。こういうキャラクターものを使う人間はウチには居ないので、当然のことながら、姪っ子1号にあげようという話になる。ちょうど良いからクリスマス・カードと一緒に送ることにしよう。

 問題はカップが1個しかないことである。姪っ子2号にはまだ割れ物のスープ・カップは早過ぎるから良いのだが、カップではなくても何かプレゼントするべきだろうと母は言う。1歳5ヶ月だけれど、お姉ちゃんにはプレゼントがあって自分にはないという状況を理解するかもしれないし、姪っ子1号の教育上もよろしくないと。
 サン○オ・グッズを扱っているお店へ行って、プラスティック製のマグカップでも買おうと思っていたのだが、なかなかこれはというものが見付からない。どうしようかと悩みに悩んだ挙句、結局今日、タオル地で出来た手の平サイズのくまちゃんの人形を選んだのだった。ピンクで、手触りが良くて、押すとぷよぷよとした弾力がある。姪っ子2号は気に入ってくれるだろうか。

 熊というとここ数日は相変わらず『黒後家蜘蛛の会』のイマニュエル・ルービンを思い出すのだった。「不毛なる者へ」という短編があって、そのオチが駄洒落なのである。『The Return of the Black Widowers』はまだ読み終えていないのだが、この中にも収録されている短編で、原語ではどういう表現だったのか興味は尽きない。
 日本版の文庫未収録作品6編はざっと一通り読み終わったのだが、いつになったら『黒後家6巻』として出版されるのか判らない現状を思うと、つい「時間があったらちょっと訳してみようかな」という気になっている。今は思い入れ深い「さはさりながら」に取り掛かっている最中である。

 訳し終わったら、このサイトに特設ページでも作って載せようかと思ったりしたのだが、著作権上問題があるかどうかが心配である。英語の文章をそのままアップしたらマズいに決まっているし、雑誌に載った池央耿氏の訳文を探して来て転記するのも当然マズいだろうが、自分で訳したものはどうなのだろう。やはり2次的な著作権侵害になるような気がするしなあ。非商用だったらOKとか、そういう例外事項もないような気がするしなあ。どう考えてもやめといた方が無難だよなあ。
 ともあれ、当分の間はあまり時間も取れないので、やるとしても年明けからだろう。それまでにちょっと調べておこう。あるいはどなたか詳しい方がいらしたら、どうかその是否をお知らせ下さいませ♪




12/17 メタモルフォーゼ?

2005/12/17 14:11
 昨晩のことであった。散らかり放題のPCデスクの隙間に、何やら固いプラスティック板が見え隠れしている。上に積み重なったあれこれを除けてみると、家人のカードなのであった。ちょっと、こんなところに貴重品を置きっ放しにしないで欲しいなあ。こういうことをするから、いざ使う段になって「キミさあ、ここに置いてあった僕のカード、知らない?」とか探し回る羽目に陥るのではないか?
 鬼の首を取ったように、というのはやや大袈裟だが、ちょっと釘を刺して置くべきだろうかと考え、メール・チェック中の家人にそいつを突き付けた。「コレは何? いいのこんなトコに置いといて?」
 家人は澄ました顔で答えた。「いいのいいの。もうそれ期限切れのヤツだから」

 期限の切れたカードは、ちゃんとデータが取り出せなくなるように裁断して、燃えるゴミ(たぶん)の入れ物に捨てておいてくれないと困るんだけどな(顰蹙)。わたしも大概いー加減だが、少なくともこういう代物をこんな扱いはしないのである。いー加減同士の夫婦だが、そのいー加減のヴェクトルがそれぞれ微妙に違うので厄介だったりする。どうせならまったく同じようにいー加減なら良かったのに…(ぶつぶつ)。
 実はわたしはカードの処分という作業が大好きなので、早速「じゃあこれ切っちゃっていい?」と了解を取り、鋏に手を伸ばした。

 生まれて初めてクレジット・カードを持ったのはかれこれ12年程昔のことである。病気療養中に中の妹から「ベッドに寝たままでもいろんな人とコミュニケート出来る場所」として今は亡きniftyserveを教わった。辛うじて職場復帰を果たした後、面白そうなのでわたしも会員になることにした。まだ「お試し期間用キイ」が付いた小冊子があった頃、課金が1分10円だか30円だかした頃、通信速度が1200bpsだったりした頃の話である。
 クレジット・カードがないと会員になれないので仕方なしに作ったのだが、当時のわたしにはクレジット・カードとは、何やら得体の知れない怖いモノ、であった。もしも紛失したり盗難に遭ったりしたら、とんでもない金銭的被害を蒙ってしまう。当然ながら、財布に入れて持ち歩くなどとんでもない。「いつもニコニコ現金決済」と呟きつつ、通帳などの貴重品と共に、荷物の奥深く仕舞い込んだのだった。

 数年が経過し、カード会社からお知らせが届く。「お客さまのカードの有効期限が近付いてまいりました。つきましては新しいカードをご送付いたしますので、古いカードは云々かんぬん」というアレである。繰り返しになるがその当時のわたしには、クレジット・カード≒危険物。新しいのが来ちゃったからとは言え、その危険物を破壊して目の前から抹消しても良いと言われたことは、何だか妙なカイカンを覚えることだった。
 カード番号や名義人の名前が判らないように、かつ磁気テープ部分が断絶するように、切るべし、切るべし、切るべし。わたしとしては、やっぱり5mm角くらいにバラバラに切り刻まないと安心出来ない、と思った。そして鋏を手に構えた時、ふとした悪戯心が沸いたのである。どうせバラバラに刻むのなら、その前に、ちょっとだけ遊んでみるのも悪くないだろうか。

びよんびよ〜ん  そうして作ったのが←この形である。もちろんこれは当時の再現な訳だが、プラスティック・カードの固さが、こういう切り方をすると、程好い具合のバネになって結構面白い。暇な時は幅をうんと細く切ると、七夕飾りの趣すら漂うオブジェが出来上がる。互い違いに切れ目を入れて伸ばすと、稲妻形の長いテープに変身するのだが、動きの面白さという点では断然こちらの渦巻きカットの方が上である。

 この時以来、貴重品のカードを処分する時は、こうやってひとしきり遊んでからというのが、わたしのお約束となったのだった(阿呆)。今はこの会社のクレジット・カードは解約してしまったのだが、niftyの課金引き落とし専用だったので、有効期間中、貴重品入れからほとんど1度も出さず仕舞いだった。
 ある時ふと「どうせ他で使わないのなら、今切り刻んでしまっても同じでは?」と思ったのだが、さすがにそこまでする勇気は出なかった。届いたばかりの真新しいクレジット・カードを切るなんて、何だか「禁じられた遊び」っぽくて魅力的だったのだが(つくづく阿呆)。

 びよ〜んとなったものを面白がって家人に見せる。「ほーらほーら、びよんびよ〜ん♪」
 その瞬間の家人の呆れ返った顔と来たら、半ば予想していたこととは言え、ちょっとムッと来るものであった(汗)。別に一緒になって遊べとは言わないが、もう少しくらいマトモに観察してみたってバチは当たらないではないか。こういう時の常として、家人は断固として黙殺を決め込むのである。つまらん。
 2次元のカードが3次元のオブジェへ変容する、ちょっとアカデミックな香りすら漂う遊びだと思うのだが、却下だろうか。

 こういう時に姪っ子1号が居てくれると、一緒になって面白がってくれるのではないかと思う。馬鹿伯母極まれり。7歳児と同じレヴェルで遊んでどうすると家人は言うのだが、遊ぶ時くらい馬鹿にならないでどうするのだ。しかしこの遊びは、姪っ子1号の母である末の妹のお気には召さないかもしれない。「そんな大事なもので遊ぶなんてこと教えないでよ!」と剣突を喰らう可能性もある。
 それでなくても子供というもの、どこで何を覚えて来るか油断が出来ない。末の妹に聞いたのだが、先日、姪っ子1号は学校の漢字の問題をやっていて、赤面ものの例文を作ったらしい。
 ・問題:「場」というかん字をつかって、みじかい文をつくりましょう。
 ・姪っ子1号の答え:家ぞくで、けいば場へ行く。

 実は姪っ子1号の父である義弟君が、お馬さん大好きなヒトなのであった。もちろん姪っ子1号に馬の話なぞしたことはないし、レースに連れて行ったこともない。末の妹に「こんな単語を覚えちゃったのはキミの責任だ、どーしてくれるのさ(笑)」と責められた義弟君、「違うよな? お父さんのせいじゃないよな?」と防戦一方であったそうな。
 問題のプリント




12/18 mixiに参加してみた

2005/12/18 11:50
 面白いらしいよ、という話は聞いていたのだけれど、聞きかじりの知識では、クローズドなのかオープンなのか今一つ性格が良く判らず、二の足を踏んでいたmixiであった。既に会員となっているメンバーからの招待がないと入れないとか、18歳未満は登録出来ないとかの縛りがある点はクローズドっぽいけれど、課金がある訳でもなし、実名登録が必須な訳でもなし、境界線は限りなくぼやけている、ように思える。
 「友達の友達は皆友達とは限らない」と考える性質なので、訪問ログを辿って見知らぬヒトからアクセスされることもあり得る、というのもちょっと怖かった。自分でも少々偏屈だと思う。そもそもniftyだって、フォーラムに参加して書き込みを行なえば、全然知らない方からメールをいただく可能性もあったハズである。そして実際にそこから交流が始まった友人知人も少なくない。

 今年3月だったか、TTY廃止によってお気に入りのniftyフォーラム「FSF」がなくなってしまった。移転先はmixiだという。上記の理由で参加は見送っていたのだが、FSFのない生活というのがどうにも寂しくて、勇気を出して招待していただくことにした。必要事項を登録し、さてと途方に暮れる。ここから先はどーすりゃいーんだ?
 あちこち覗いてみて存在確認出来た友人知人にご挨拶のメッセージを送り、「マイミクシィ」への追加をお願いする。わたしがFSFよりも遥かにアクティヴ・メンバーだったFCLAの人々が芋蔓式にごそーっと見付かったのでちょっと一安心。良かった。これで「知らん人ばっかりで、間違ったトコ来ちゃったかなあ」という気分は払拭出来た。

 一方、確かにmixiへ参加しているハズなのに見付からない友人知人もちらほらいらした。たとえば当サイトと相互リンクしていただいているどんぐりの過剰な王国オーナー・どんぐり1号さんは検索にヒットしない。押井関係で知己を得たMさんという方も判らない。こちらは割とポピュラーなハンドルをお使いなので、ヒット数が多過ぎて、どなたが本物のMさんなのか見当も付かないのだ。まだまだmixiユーザとしてはひよこである(汗)。
 知り合いへ気軽にメッセージを送れる機能は大変嬉しい。何か思い付いても、不精で鶏アタマなわたしのこと、メーラを開いてうんたらかんたらという手間隙を掛けているうちに、何が話題だったのか忘れてしまうのだ。blog式の日記に、すぐさまコメントを付けられるのも読者フレンドリーだろう。わざわざ別ページの掲示板までお越しいただく当サイトは、最近の流れから言えば不親切なのだ。

 自分専用のmixiページには日記コーナーもあるけれど、1日に2つも日記を書くのはあまりに面倒臭い。メインをmixiにシフトしようかと一瞬思ったものの、blog式の日記だとわたしの場合、字数制限に引っ掛かるんじゃないかという危惧がある。短く済ませれば良いのだろうが、わたしは阿呆なので、簡潔にして読み易く、かつ内容の濃い文章は書けないのだ。放っておけばいつまでもダラダラ書いている。
 引越し作業も面倒臭いし、日記コーナーは「その他」を選んでここのアドレスを貼り付けてオワリにした。RSSを書き込めという欄もあったのだが、はてRSSとは何だろう。blogのトラック・バック機能に関連した言葉だったような気もするが、自分には関係ないからいいやと理解を放棄して今に至る(汗)。適当に自サイトのアドレスを突っ込んでオワリにしてしまった。

 次は参加するコミュニティを決める番である。コミュニティと言っても実にピンキリで、会員数数千名という巨大なものから、開設者本人1名のみのミニミニ・サイズまで色とりどり。面白そうなものを幾つか選んで登録したものの、有効な利用方法は未だ良く判らない。
 純粋な情報収集源としての役割なら某巨大匿名掲示板や各ポータル・サイトの検索機能に負けるし、参加者数百名規模の巨大なコミュニティだったらおそらくweb版のniftyフォーラムの方がまだ使いやすいような気がする。mixi専用ブラウザの開発もなされているようだが、mixiコミュニティそのものは結局、無料掲示板の集合体という機能しか持っておらず、例えば書き込みタイトルをツリー表示出来ないことだけでもずいぶん不便に感じる。
 ということは、一定以下の規模の、身内同士のコミュニケーションを取る場として使うのが一番居心地が良いのだろうか。と思っていたら、FCLAでのお友達のNEOさんのmixi内日記に「mixi考」的な文章が載っていた。niftyで言うところのパティオとかホームパーティのような性格だろう、と書いてある。なるほど、確かにそうだ!

 ということで、今のところわたしとしては、友人知人の近況や日記を読んだり気軽にメッセージを送ったり、というローカルな使い方しかしていないのだった。宝の持ち腐れなのかなあ。ともあれ、ソーシャル・ネットワークと銘打たれているのだし、使い方によってはもっと面白い場所にも成り得る気はする。やはりweb版niftyフォーラムとmixi内掲示板を同じようにサクサク読み込めるブラウザが出て来てくれないとどうにもならないのだろうか。
 小耳に挟んだところによれば、CMNにはそういう機能がそろそろ備わり始めたということなのだが、ウチでは残念ながら既にもう家人がCMNユーザである。共用PCでCMNを使い分ける方法が良く判らず、ひょっとするとCMNが複数ユーザに対応していない可能性もあり、今のところわたしはNIF-Xで済ませているのだった。当然のことながらNIF-Xはmixiに対応していないんである。

 さて今後はどうするかなあ。TTY廃止以前は、「わたしのホーム・グラウンドはniftyのFCLA!」という意識が確かにあったのだが、web版FCLAは今一つ使いづらく盛り上がってないし、mixiは(あくまで現状での個人的な認識では)ホーム・グラウンドとするには少々寸足らずな感じ。自分をデラシネのように感じてしまっている辺り、コミュニティ依存症なのだろうかと心配になったりもする。
 メンバーを辿って行くと思い掛けないところに辿り着けたりするのは確かに面白い。「あしあと」機能を発展させて、昔のniftyにあったSENDの機能(今はメッセンジャーがそれに当たるのだろうか)があったりするとますます面白いかもしれない。
 mixiへの参加は、わたしは随分遅くなったクチだろうと思うが、それでも思ったよりまだこなれてないなあというのが実感だろうか。今後どういう風に発展するのだろう。何だかんだ言って楽しみだったりする。




12/19 ラッキー・アンラッキー

2005/12/19 18:27
 本当なら今頃はバレエ教室の更衣室でレッスン着に着替えて、せこせことストレッチでもやってるハズだったんである。それがどうして家に居るかと言うと、風邪がぶり返してしまったからなのだった。しょんぼり。
 ここ数日、声が出なかったり咽喉が痛かったりしていた。ぶり返しているのかなあと思っていたのだが、昨日は声もフツーに戻ったので油断したのだろうか。今朝起きたら咳が止まらない。やれやれ。

 ダスキン交換の日なので、散らかった室内にうんざりしながら掃除。家人のモロモロが床を2/3くらい占領しているので、掃除機もきちんと掛けられないのだ。わたしのガラクタも少なからず転がっているが、家人のものに比べれば可愛らしい量だし、自分の権限において気兼ねなく処分出来るので問題にならないのだ。ちくそーこんなん全部捨てちゃるぞぉっと思うものの、実際に捨てたら死ぬほど恨まれることは間違いない。
 夜勤から帰って来たのが2時頃、わたしが床に就いたのが3時頃なのだが、それから眠る前に葛湯を作って飲んだらしい。なぜそんなことが判るかと言うと、ダイニング・テーブルの上に、葛湯の粉がこぼれていたからだった。それもカップの形がくっきりと残った状態で。こぼしたものは拭き取るとか、出したものは片付けるとか、どーして何度言っても実践しないかなあ。わたしも人のことは言えないけれど。

 昼過ぎにようやく起きて来たので(家人は今日も夜勤)、ひとしきり文句を垂れ垂れする。家人はうるさがるが、家に居る時は寝てるかPCに向かってるかのどちらか。言うべき時に言っておかないとタイミングを逸してしまう。そうしたら、具合が悪いのでストーヴの前に転がったらうっかり居眠ってしまった間に、とりあえず最低限の整頓はやっておいてくれたようだった。偉い偉い。
 とは言え、良く見ると「要らないものだけ捨てて、あとは1つところに積み直しただけ」っぽいのだった。これだとまたあっという間に元の木阿弥に戻るってば…(とほほ)。

 大掃除とか大晦日の鍋&餃子パーティのための準備とか、やらねばならないことはいっぱいあるのだが、今日は考えたくない。特に餃子のことを思うと頭痛がして来る。皮と具を前以て作っておいて、包んで冷凍しちゃって、当日ガーッと焼くという風にした方がラクだろうか。作りたて包みたてが一番美味しいとは判っているが、なにせ今年は8人分である。2回くらいに分けて作った方がいいかもしれない。ああ気が重い。
 家人不在の今晩は、1人分のご飯を作って食べるのも億劫である。何か手軽にちゃちゃっと用意出来るもの、うどんか何かを買いに行くことにして、家人を送りがてら最寄り駅近くのスーパーに出掛けた。どうせ郵便局と本屋さんにも用があるのだ。

 年末ということで郵便局は大混雑。引いた番号札は7番目だった。来年分の「日本シャーロック・ホームズ・クラブ」の会費振込み用紙に書き込んでいたら、自分の会員番号を思い出せなくなっていることが判明。8409までは間違いないのだが、あと2文字が判らない。20年も所属しているクラブなのに何故今更度忘れするのだ。アンラッキー。
 待ち時間に隣のコンビニATMで現金を引き出す。友人のお子さん宛のクリスマス・カードをポストに投函、郵便局に戻ってなお暫く待った後ようやく振込み手続き。何か忘れているような気がするのだが、やっぱり思い出せないのでそのまま本屋さんへ向かう。

 目的は来年分の「子猫カレンダー」を買うことである。キッチンの流しの前にぶら下げる用の、やや小さめのカレンダーが欲しい。毎年買っているお気に入りのがあるのだ。ところが今年は出遅れたためか、カレンダー・コーナーに漂う雰囲気がどうも売れ残りっぽい。「子猫カレンダー」も見付からない。売り切れてしまったのだろうか。アンラッキー。
 諦めて帰ろうとしたら、入り口すぐ横に「動物カレンダー・コーナー」が別に作ってあった。「子猫カレンダー」もちゃんと買えた。例年買っているメーカーのが今一つだったので、同じ大きさの別のを買う。時期が遅いので、カレンダーは全品1割引であることがレジで判明。超ラッキー。

 スーパーに戻るべくショッピング・モール内を歩いていると、前方4mほどのところをちっちゃな子が歩いていた。姪っ子2号くらいの歳だろう、よっちよっちしている。アニマル柄のフードの付いた、ピンクのふわふわのポンチョを着ている。お母さんがそのフードを持って、女の子がどっか行ってしまわないようにしていた。
 女の子はお犬さま連れの女性の2人組とすれ違いざま、ロングコート・チワワを指差して「かわいー!」と叫んだ。しばしのタイム・ラグの後、その女性2人とわたしがすれ違う時、「あなたの方が可愛いわよ、ねえ?」と言う会話が聞こえた。きっとピンクポンチョの女の子のことに違いない。わたしも同じことを考えたので、ついほっこりと温かい気分になった。ラッキー。

 スーパーに着いたらどうもやっぱり体調がヘンである。手早く買い物を済ませ、リュックに荷物を詰めようとしたら中の紙切れに気が付いた。郵便局で済ますべき用事がもう1件残っていたのをコロリと忘れていたのだ。時刻はたった今16:00を回ったところ、郵便局の現金取り扱いは終了である。超アンラッキー(涙)。
 トホホと思いつつクルマに乗って帰宅。体調不良の時はクルマをどこかにぶつけたり擦ったりし易いのだが、とりあえず今回は無事だった。ちょっとラッキー。今日は早めに晩御飯を食べて寝てしまおう。明後日には仕切り直しの『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』が待っているのだから。
 というところで、今日のラッキー・アンラッキーの収支はどんなものだろう。ちょっとずつで良いから、毎日ラッキーの貸越しになると良いのだが。




12/20 今日は家人の誕生日

2005/12/20 12:09
 だったりする。わたしよりも5歳上なので、もう40代に突入してン年目なのだが、どちらかというと童顔なので歳よりも若く見えるだろう。チャーム・ポイントはどんぐりお目々とふっくらした唇。どちらかというと濃ゆい顔である。睫毛など、量も長さもわたしの1.5倍は優にある。眉も睫毛も唇もうっすいわたしとしては羨ましい限りなのだ。
 ただしハンサムとか美形と言う訳ではない。古くからの友人が「あいつって“良く見ると”可愛いよね」と評する、そういう顔である。愛嬌はあるので、もしかしたら子供の頃は愛くるしいおチビさんだったのだろうか。そういえば良く似た顔の義弟君(ただし全体の印象は驚く程違う)は、ご幼少のみぎり、道行く人が振り返るくらい可愛い子供だったらしい。しょっちゅう女の子に間違われていたという話である。ひと時もじっとしていないため、「元気な坊やですねえ」と間違われ放題だったわたしとは完全に逆パターンだったと見える。

 若く見えるとは言え家人にもこの頃随分と白髪が増えて、寄る年波を感じたりもする。結婚10年、白髪が出始めた頃は見つけ次第抜いてあげていたのだが、いつからか追いつかなくなって抜くのをやめてしまった。5年前にはもう大分目立ち始めていたので、わたしもそろそろ白髪が出る頃なのだろうかと思っていたのだが、相変わらず真っ黒いままである。体質によって白髪の出る年齢もかなり違うと見える。
 家人などは「キミの場合は太平楽に生きていて悩み事がないものだから、白髪にならないんだろう。僕はキミに心配を掛けられっ放しだから、こんなに白髪が増えちゃった」と憎まれ口を叩いている。強い心的ストレスを感じると白髪になるというのは本当だろうけれど、逆もまた真なのだろうか? 同じように黒々したアタマの友人たちを思い返すにつけ、必ずしもそうとは言い切れないのではないかと思っている。

 年齢について最近問題になっていると言えばフィギュア・スケーターの浅田真央さんである。弱冠15歳で事実上女子シングルの世界一の座を獲得した彼女は、年齢制限に引っ掛かって今度のトリノ・オリンピックに出られない。優秀な選手には出来る限り多くのチャンスを与えるべきだと思うのだが、御本人は(内心はどうか知らないが)特に五輪出場に拘ることなく、今週末の日本選手権のことを天真爛漫に語っていると言う。大物である。
 イタリアの女子シングル選手に期待の人が居て、その選手にプレッシャーを掛けたくないがために、国際スケート連盟の会長さんが浅田選手の特例を認めないのだと読む向きもあるけれど、それは勘繰りと言うものだろう。逆に、五輪選考に無関係だから、浅田選手はあれほどまでに活き活きのびのびと演技出来たと言う声もあるけれど、どうも彼女を見ているとそうも思えない。良い意味で「楽しんで演技すること」を知っている人物に見える。今後がますます楽しみである。

 浅田選手のことに特別詳しい訳ではないけれど、何よりもまず体型に恵まれていることと、腕の動きが柔らかくて表情豊かなのがいいなあ、と思う。伝統的に日本の女子シングル選手は、東洋人の体型は如何ともし難いとか、ジャンプは高いけれど表現力が今一つとか、そういう傾向があった。最近はそんなことも昔話になってしまったようである。
 この頃の少女たちと来たら本当に羨ましい体型の子が多い。浅田選手もそうだし、バレエ教室のマリアちゃん(小学校4年生)もなのだが、バレエを踊るために生まれて来ました! という体型をしているのである。アタマは小さく、首と腕と脚はあくまでも細く長く、腰周りも驚くほど小さい。一目で「あ、バレエやってるな」と判る体型、羨ましくてタメイキが出る。
 下半身なんか、わたしの感覚からするとヘソのあたりからもう脚なのである。ナニ食べたらそんなになるの? と訊きたくなる。

 相当の確信を持って断言出来るが、浅田選手の場合、加えてバレエのレッスンもかなり小さい頃からやっているハズだと思う。クラシック・バレエとは「いかに人体の動きを美しく見せるか」を徹底的に追求した結果生み出された踊りなので、西洋的なダンスはほとんど全て、バレエが基礎となっていると言っても過言ではない。ヒップ・ホップ系は例外だろうが。
 当然フィギュア・スケートも同じなので、トレーニングにバレエのメニューは必須だと思っている。伊藤みどり選手の頃は、彼女が遅まきながらバレエを始めたというニュースを聞いて、今までやってなかったのかと仰天したものだった。最近はきっと、少なくとも女子の選手は、全員バレエ・レッスンを受けているだろうと思う。万が一浅田選手がバレエ未経験だとしたら、彼女は化け物的天才ということになる。

 一方日本の男子シングルの選手たちには、そういう点で不満を感じざるを得ない。バレエ・レッスン、受けてないんじゃないのかなあ。技術は素晴らしいと思うのだが、身のこなしに今一つ優雅さがない。舞っていても微妙に「美しくない」。どこがどう違うとは、言葉では上手く説明出来ないのだが、決定的な違いは腕〜手の表情、首の微妙な傾け方などなど、死ぬほど細かい点である。
 男子シングルの選手で強く印象に残っているのは、イギリスのロビン・カズンズ選手である。伝説のアイス・ダンス・ペア、トービル&ディーン組の頃に活躍した選手で、インスブルック大会では金メダルを獲得した。英国ロイヤル・バレエ団のテストにも合格している経歴の持ち主である。

 彼のスケーティングの優雅さと来たら、「おお、王子様が踊っていらっしゃる…!」と素で信じたくなるほどのものだった。加えてジャンプの高さ、表現力の豊かさと、怖いものナシ向かう所敵ナシ。
 公式競技で初めてバック転をやったのも彼である。危険過ぎる技なのでエキシビション以外では禁止されてしまった。コミカルなものから王子様系まで幅広く滑れる、本当に麗しいスケーターであった。今はBBCの解説者をしているらしい。練習中に酷い怪我をしたと噂を聞いたことがあるのだが、スケートはもう全く止めちゃったのだろうか。後進の育成に当たってくれたら良いのに。

 家人など見ていても「男がちゃらちゃら踊るなんてみっともない」という感覚が、まだまだ日本には強いのだろうか、と思う。それで、男子シングルの選手たちも、何か今一つ垢抜けない感じがするのだろうか。振り付けとか衣装に関わる人たちも、もしかしたらセンスがちょっとばかり古いのかもしれない。
 踊り手としても日本人は粘り腰でジャンプが高く、かなりの評価を得ている。超有名な熊川哲也氏など、何気なく跳んだらスタジオの天井にアタマがぶつかりそうなほどだったらしい。通っているバレエ教室の先生が、かつて熊川氏と一緒にレッスンを受けたことがあるのだそうだ。

 踊る自分に陶酔するのは日本男子にはまだキツいのかもしれないが、下地は充分なのだから、ぜひともバレエのレッスンも取り入れて「美しさ」も追求して欲しいと思う>日本フィギュア男子シングル
 ついでに家人も、花より団子の主義主張を、もーちょっと花の方向へ傾けてくれるといいのになあ。クラシック音楽が好きでオペラも好きなのに、それでどうして「バレエ? そんなもんどーでもいい。音楽は良いのに足音がすると邪魔」などと切り捨ててくれてしまうのやら。踊りと音楽が切り離せないのが舞台芸術だろうに…(とほほ)。
 何はともあれ、誕生日おめでとう>家人 ずっとずっと元気で憎まれ口を叩いていて欲しいものである。なんだか付け足しのようになってしまって申し訳ない(汗)。




12/21 がぁーっきぃまぁつぅ(ぐはははは)

2005/12/21 17:59
 通信簿、またの名を「あゆみ」とか「学習の歩み」とか書かれていた代物と縁が切れて随分経つ。通信簿らしい通信簿は高校の時以来見たことがない。おベンキョウ(だけ)は良く出来る子供だったので(アタマが良かったという意味にあらず)、通信簿をもらうのがイヤだとか持って帰って怒られるのが怖いとかいう経験はあまりしたことがない。
 以前日記に書いたことがあったかもしれないが、わたしの小中学校時代は暗黒の中にあったので、学校の成績でアイデンティティを保つしかなかったのだ。自分では覚えていないのだが、5年生の時だったか、「成績がちょっと下がった」と言って号泣したこともあるらしい。その気概が今でもあれば、なあ…。

 高校に入ったらサボり魔になったので、当然成績は急降下した。勉強より面白いことを見付けたし、生まれて初めて「こいつは信頼して良い」と思う友人たちに出会ったのも大きい。成績優秀だった彼女に負けないように、勉強面でも頑張れば良かったのだが、元々ぐーたらでいー加減な本性がこの頃から顕在化したと見える。過去の学生運動の名残で、1学期の間に定期試験が1度しかなかったこともキツかった。膨大な範囲を一夜漬けするのは限界があったのである。
 中学校までは「嫌いな男子生徒を見返す唯一の手段が、テストでそいつより良い点を取ること」だった。今から思うと、貴重な中学校生活を無駄なことに費やしたなあ、と残念である。そういう根性で居るから、いつまで経ってもクラスで浮いていたのではないだろうか。
 ただし、どんなに頑張っても、体育だけは2と3の間を行ったり来たりしていた。そういう訳で、体育が4とか5とかだった人のことは、無条件に尊敬してしまうのである。

 甘酸っぱい記憶を呼び覚ますその「通信簿」、冗談で付けてくれるサイトがあるらしい。FCLAの友人・ネーマさんのmixi日記で知ったのだが、世の中にはこんなところがあるのだそうだ。自分の名前と生年月日と血液型を選び、幾つかの設問に答えると、平成17年度の通信簿を付けてくれる。PCからも携帯からもアクセス可能なので、興味があったらぜひトライしてご覧になると面白い。わたしの通信簿は以下のようなものであった。

 平成17年度通信簿
名前:まとりサン
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国語3★★★
文字の配列を考えて正しく書ける
-------------------------------
社会5★★★★★
日経新聞を購読している
-------------------------------
算数4★★★★
学習内容を日常生活で活用できる
-------------------------------
理科2★★
適切な道具を用いて実験できない
-------------------------------
音楽5★★★★★
絶対音感をもっている
-------------------------------
図工3★★★
色や形を正しく表現できる
-------------------------------
体育4★★★★
性に関する深い知識を持つ
-------------------------------
≪学級活動≫
生き物係
班長[+2]
学級対抗リレー代表選手[+3]
-------------------------------
≪表彰≫
英検7級[+0]
校内持久走大会6位[+2]
-------------------------------
≪生活記録≫
給食当番の白衣はきっちり糊付けする必要は有りませんのでよろしくお願いいたします。[+1]
夏休み期間中にクラスで飼っている亀の里親をお願いしました。休みが終わってクラスに戻ってきたときには違う亀になっていた気がしたのですが…!?[+5]
遠足のときには「しおり」の忘れ物チェックを使って荷物を準備してくれましたが、当日しおりを持ってくるのを忘れました。灯台もと暗しとはこのことを言うのです。[+3]
-------------------------------
計42点
23位/40人中
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 絶対音感を持っていると音楽の成績は良いのかという疑問は残るが、その他は「こうだったら良かったのになあ」という項目が多い。学級対抗リレー代表選手とか、班長さんに選ばれるなんて、随分人望があるではないか。しかも校内持久走大会6位? 実際のわたしは、下から数えて6番目とか、そういう時の方がずっと多かったのに。
 クラスの亀をすり替えたことといい、突発的事項に臨機応変な対応も取れるようだ。バレバレであるにも関わらず、そう大した問題になっていないということは、やはりキャラクターで許されたのだろう。いー加減なばかりかと思うと、給食当番の白衣に糊付けするという律儀な面も持っているようだ。これは母親の性格なのかもしれないが。

 という訳で、忘れ物の件に関して以外、わたし本人とはだいぶ違う結果が出たのだが、設問もなかなか楽しかったのでお勧めである。姪っ子の小学校は明日が終業式だそうなので、明日は日本全国で本物の通信簿が配られるところも多いのだろう。良かったところは大いに褒めて、悪かったところは見ないフリがいい。ガミガミ煩い親御さんには、このチェックをやらせてみると良いだろうか。




12/22 世も末3題

2005/12/22 19:08
 発覚から随分になるのに、未だに毎日毎日「新たな問題」が出続けている、耐震強度偽装問題。母と末の妹がそれぞれマンション住まいだし、中の妹も賃貸アパート暮らしである。親しい友人でワンルーム・マンションに住んでいる人も多い。あれらの建物は大丈夫なのだろうか。気になり出すと止まらない。
 住人の人々も、出来ることなら自分の住んでいる建物を調べたいと思っているケースが多いらしい。ただし思ったよりも費用が嵩む場合など、涙を呑んで諦める方々も少なくないと言う。「とりあえず地震が来ない内は大丈夫なんだから、そんなに騒ぐ程の事でもない」とコメントした作家も居るらしいが(阿呆である)、まさに文字通り「ダモクレスの剣」の状態である。問題のマンションに住み続けるのはイヤだろうなあ。退去勧告を受けて追い出されそうな人たちはもっと大変だろうし。

 先日晩御飯を一緒に食べた母がしんみりと「パパが生きていたら何と言うかしら」とコメントした。亡父は一級建築士で、しかも構造設計者だったのだ。以前はとある建設会社に勤め、主に工場やらパイプ・ラインの設計に当たっていたらしい。後に独立し、常に閑古鳥の鳴き続ける状態でどうにかこうにか事務所を経営していた。
 かれこれ20年近く前だが、わたしが生まれて初めての(そして今のところ唯一の)海外旅行から帰って来た時のことだった。成田に着いたら父と母がクルマで迎えに来てくれた。今と違って成田へのアクセスは結構面倒臭かった時代である。疲れていたから非常に嬉しかったし助かったけれど、平日のこの時間に何故父が居るのだろう?
 疑問を口にしたわたしに、母は苦笑して答えた。「パパね、会社辞めちゃったのよ」

 イギリス旅行の余韻も吹っ飛ぶショッキングなニュースだった。翌年からは一家の収入はほぼゼロとなったため、わたしは毎年学生課に通っては授業料免除の手続きを取った。事務員さんが胡散臭げにこう言った。「ホントですかこの書類。まさか収入ゼロってことはないでしょ、ゼロは」。どういたしまして、それから数年間は本当に無収入だったのである。授業料も大学院の入学金も免除してもらったし、育英会の奨学金も面白いほど簡単に取れた。
 会社でストレス塗れの生活を過ごして辛抱ならずに辞めちゃった父だが、それからは自分の納得出来る仕事だけを請け負う事務所を立ち上げて、自分の納得出来る仕事に打ち込みたいと思ったらしい。当然、受注は限りなく少なかった。子供3人は知らなかったが、そういう父のマイペースな態度に母はキレかけ、離婚を考えたこともあったようである。人騒がせな親だと思う。

 後から母に聞いたところによると、堅物の父は、ちゃんとした構造物以外を手掛けさせられるのがイヤでイヤで堪らなかったらしい。不況のど真ん中、勤めていた会社も経営方針を転換し、工場やパイプ・ライン以外の設計も請け負うようになった。とあるワンルーム・マンションの仕事に当たった父は、母に怒りをぶちまけたそうである。「こんなの人間が住むような建物ではない」と。
 確かにそういう人物が今回のニュースを聞いたら、激怒のあまり脳溢血でも起こしそうである。とはいえニュースで読んだように、構造設計者は途轍もなく冷遇されているらしく、抜本的制度改革をしない限り、こういう構図は変わらないのではないかと思える。今までバレなかっただけで、そういう下地がほぼ20年前からあったらしいのは確かなのだから。

 世も末ニュースだけど思わず笑ってしまったのは、昨日ネット・ニュースで目にした「世界各地で“悪いサンタ”が大暴れ」というもの。サンタクロースの扮装をした怪しからぬ輩たちが、酔っ払って暴力行為を働いたり、武装の上で強盗をしたり、露出行為をしたりしているのだという。スウェーデンでは火を付けた矢で放火をしたサンタまで居たらしい。
 サンタの格好でどうやって「露出行為」をするのだろうとか、日本以外にもそういう変態が居るとは初耳だとか、本筋から逸れた感想も抱いてしまった。しかし良く考えると、この時期のサンタの格好は、実に都合のよい「変装」とも言える訳である。世界中どこもかしこも世知辛いなあ、とタメイキを吐いてしまった。

 目出し帽にサングラスとか、フルフェイスのヘルメットとか、サングラスに頬被りとかだったらあからさまに怪しいけれど、サンタの格好なら特別不審者には見えない。赤いとんがり帽子を被って長い付け髭を付けたら、確かに元の顔はほとんど判らなくなるだろうし。ついでにお決まりの赤い服を着てしまったら、服装による目撃証言もやりにくいこと甚だしい。
 星崎真紀さんの『Dr.クージョ危機一髪』とか、テリー・ギリアム監督の映画『未来世紀ブラジル』に、サンタの扮装をして麻薬密輸をしたり銃をぶっ放すテロリストが出て来たりするが、現実世界ではそーゆーのやめようよお、と思う。商業主義に塗れたサンタなんかフンだと怒って怪しからぬ行動に出た人たちも少なくないらしいが、やっぱり一応サンタって、主なターゲットは子供たちなんだし。
 子供たちに「サンタのおじさんに近付く時にも油断しちゃダメよ」と教えなければならないとしたら、寂し過ぎるではないか。

 最後の世も末は「ロッテの小坂誠選手、金銭トレードで電撃巨人入り」というものである。小坂選手と言えば、わたしが千葉ロッテ・マリーンズに心惹かれる切っ掛けとなった選手であり、その華麗な守備と朴訥・真面目な性格のアンバランスが楽しいヴェテランである。今シーズンは故障がちで、特にプレイ・オフとか日本シリーズとかの大詰めでは全く出場出来なかったとは言え、まだまだ来年が楽しみだと期待していたのだ。
 それがどうして移籍なんだよ(涙)。しかも選りによってどうしてジャイアンツなんだよ(号泣)。
 生え抜きの選手をあまり厚遇せず、他チームで活躍した選手をカネで引っ張って来ては活用し切れずに死蔵する。わたしはそういうジャイアンツの方針があまり好きになれず、挙句に最近ではすっかりアンチなのである。一昨年、最もご贔屓の川相昌弘選手の首を切ったことで、最後の未練もなくなってしまった。

 ロッテでは西岡剛選手など若手が成長して、小坂選手の活躍出来るチャンスが確かに減ってしまったかもしれない。一方巨人では元木大介選手が引退したり清原選手が移籍したりと、内野手のカードが足りないのかもしれない。けどそれをどーしてよそのチームのヴェテランで埋めようとするかなあ。自分とこの若手を育てれば良いではないか。
 小坂選手の年俸はロッテ時代より増えたそうなので、小坂選手としても悪い条件ではないのだろうが、それでも御本人は戸惑い気味だそうである。そりゃそうだろうと思う。素人目にも、ロッテでプレイするのと巨人でプレイするのとでは、どう考えてもロッテの方が楽しいのではないかと見えるからである。
 来シーズンの応援はどうしよう。一番贔屓がベイスターズ、次がマリーンズというのは変わらないとして、川相選手のドラゴンズ、古田選手兼監督のスワローズ、藤川投手のタイガースも要チェックだわと思っていたのに、その上、今更、小坂選手のジャイアンツが加わるのだ。実に6球団、半数が贔屓球団ということになってしまう。そういうのもどうだかなあ(タメイキ)。




12/23 う゛〜っ調子悪い

2005/12/23 14:51
 良くなったり悪くなったりを繰り返しつつ、ビミョーに調子悪い日々が続いている。動けなくなるほどではないのが幸いだが、咽喉の痛みがキツいのと、鼻水が滝のように流れて止まらないのが困る。眠っていても鼻が気持ち悪いので、すぐ目が覚めてしまう。今朝などどうにも眠り続けられなくて起きちゃったら、まだ4時過ぎだった。眠い。
 しかしわたしなぞはどうでも良いのである。京都の末の妹宅から入った情報によると、姪っ子2号がまた体調を崩して、水曜日から2度目の入院をしているらしい。しばらく前から「今度は熱を出しちゃった」という話を聞いてはいたのだが、よもやそんな重大事になっているとは想像もしていなかった。大丈夫だろうか。早く良くなってくれると良いのだが…。

 どこがどう具合が悪いとか、痛いとか苦しいとか、きちんと言葉で伝えられない小さな子が病気になっている姿は、本当に可哀想でたまらない。それが姪っ子だったりすれば尚更である。しかもこの時期と言えば、2学期も終わっていよいよクリスマスが目前に迫り、姪っ子1号などはウキウキワクワクした気分だったハズだと思う。それなのに、小さな妹が病気で入院ということになったら、お祭り気分も萎んでしまうに違いない。
 クリスマスにはご夫君の実家へ遊びに行く予定だったと言うし、そういった楽しい計画もきっとみんな取り止めだろう。妹を心配する気持ちと同時に、なんだかやるせない気分も沸き起こったとしても無理はない。もう7歳だからそれを口に出すことはないだろうけれど、姪っ子1号の心中察して余りあるのであった。

 休日だから、おそらく義弟君もご在宅だろうし、ひょっとするとお義母さまがお手伝いに来て下さっているかもしれない。近くに住んでいれば、どうせわたしなんぞヒマなのだから、出来るだけのことをしに行けるのに歯痒いのである。せめてお見舞いの電話でも掛けようかと思う。

 全然関係ないが「偽造」の問題で、もう1件ショッキングなネタが出て来てしまった。先頃から騒がれていた、ソウル大学の黄教授が今年5月に発表した「ヒト・クローン胚由来のES細胞作成」の研究データが、どうやらガセだったらしいとはっきりしてしまったのである。2004年の研究の続報ということになるが、最初にこのニュースを聞いた時は、もう世界はそんなレヴェルにまで来ているのかと驚いた。わたしは全然こういう研究に携わっている訳ではないものの、正直「やられた!」と思ったものである(誰にやねん)。
 その後、この研究チームに生命倫理規定違反があったとかで共同研究者の米国チームに逃げられるやら、欧米を中心とした批判的なムーヴメントが起きるやら、ごたごたしているなあとは思っていた。しかしよもやまさか、肝心の研究内容がガセ混じりだとは…。

 再生医療の研究では、ES細胞は既に無しでは済まされない重要な要素となっている。もしも近い将来、ES細胞による移植組織の培養技術が確立したら、ドナー待ちの患者さんの大行列も、脳死問題も、一挙に解決するハズである。しかもクローン技術を応用して患者さん本人のES細胞が作れちゃったりしたら、移植後の拒絶反応への心配もほぼ無くなるだろう。免疫抑制剤を終生呑み続ける必要からも、感染の心配からも解放される。福音である。
 ES細胞を作る大元の受精卵を調達する上での倫理的問題はまだまだ残っているが、それでも、ES細胞関連の研究には全世界が注目していたハズである。そもそもクローンES細胞に関するデータが偽造だった可能性があるとか、とどめに論文に載っていた写真もES細胞なんかじゃないらしいとか、思わずがっくり来てしまう。今年6月に世界初のクローン犬を作ったという研究も、どうやらガセっぽいと言うし。

 御本人は「作成したヒト・クローンES細胞が別のES細胞とすり替えられた」と主張していたらしいが、どうやら捏造がはっきりして逃れられないと覚悟したのか、ソウル大学の教授職を辞任してしまったと言う。この研究がもしも本当に本物ならばノーベル賞も夢ではなかったし、この教授は韓国ではほとんど英雄扱いされていたらしいのに、落ちぶれたものである。インチキはいかんよなあ。
 AP通信によるとこの騒動、韓国の「競争的で性急な文化と民族主義」や「世界の認定に対する渇望」が背景にあると言う。しかし個人的な感想から言えば、こういう意見は唾棄すべきものだと思う。個人の所業を、その属する母集団の(あるかどうかも不明な)特性に起因するものだとする考えはあまりにイージー過ぎる。個人主義の国・アメリカの通信社が発信するようなことだろうか。

 それにしても全世界的に、ES細胞研究に携わっている各機関では、このチームの発表した論文データを前提に今後の研究スケジュールを立てていたハズだと思う。前提が崩壊してしまった(らしい)今、そういう研究班はどうするのだろう。困っているだろうなあ。予算獲得とかそういう現実的な面にも、すぐさま影響が出て来るに違いない。
 そして本当に大元の、クローン胚作成に関する技術は大丈夫なのだろうか。これもガセとかいうことになったら、それこそエラい騒ぎになってしまうと思うのだが…。




12/24 耳に残るは君の歌声

2005/12/24 14:00
 土曜日なので朝寝。起きてほてほてとネット・ニュースなど覗いていたら、「中島みゆきの“ファイト!”盗作でCD発売中止」という見出しが目に留まった。みゆきさんは大好きな歌手の1人なので、何やら不穏なこのニュースは見過ごしに出来ない。読んでみた記事の内容は、とあるバンドが今年5月11日に出したメジャー3枚目のシングルが、サビのメロディや歌詞がみゆきさんの「ファイト!」にそっくりだとネットで話題になった。販売元レコード会社も「これは著作権侵害の恐れがある」と謝罪・販売中止に踏み切った…というものであった。
 みゆきさんの「ファイト!」と言えば、最初に発表された時期こそ80年代前半と古いものの、その後『家なき子』のテーマ曲だか挿入歌だかに使われたのではなかったか。ほとんど日本全国津々浦々に響き渡った名曲である。それを無断カヴァーしてしまうとはまた勇気があるというか無謀というか…。

 得てしてこの手の「○○は××のパクリだ!」という告発は、特にそれがネットが切っ掛けの場合、「確かに似てるけどそんな目くじら立てないでも…」という場合が多い。今回のはレコード会社が謝罪してしまっているくらいなので程度としてはかなり激しいのだろうが、実際どこまで似ているのやら。
 問題のバンドの名前も、パクったという曲の題名も、わたしは聞いた事もない。歌詞だけでも読んでみようとネットで検索してみたら、曲を試聴できるサイトが引っ掛かった。(試聴と言っても1曲丸ごとアップロードされているので、ちょっとヤバ気なサイトらしい。著作権違反と言えばここも真っ黒である。恐らく近日中に削除されるのではないかと思う)

 で、聴いてみて笑ってしまった。これは…同じ曲ではないか。AメロBメロと呼ばれる部分の雰囲気も似ているし、そこからサビへ繋がる部分もそっくり。何よりサビのフレーズが、1単語を除いてメロディも歌詞もほとんど同じなのだ。確かにこれだけ似ていれば、ファンの間でパクり疑惑が噴出しても不思議ではない。販売元のレコード会社が、これ以上騒ぎを大きくする前にと、CD販売中止を決めてしまったのも納得出来る。
 曲の構造を比較して、両者のコード進行の差分検証を行なっているページも見付けたので読んでみた。「ファイト!」のサビのコードは「パッヘルベルのカノン」に出て来るようなある種定番と呼べるものなのだが、歌詞もほとんど一緒ということで、問題になるのもむべなるかな…という検証結果だった。

 わたしの個人的感想としては、阿呆やなあ、とは思うものの、実は悪意というか「パクり」という意識なしに作ってしまった曲なのではないか、と思える。もし本当にみゆきさんの曲を参考にしたのなら、最初からはっきりと「カヴァーさせて下さい」と申し込むとか、あるいはもっと、白黒付け難いメロディ・歌詞・コード進行に変えて作曲するのではないかという気がするからである。一聴して多くの人が「同じだ!」と感じるようなやり方は上手くない。
 このバンドのメンバーが幾つなのかは知らないが、20代前半くらいだとすると、みゆきさんの「ファイト!」が発表された頃にはまだ幼児。ドラマの『家なき子』が放送された頃でも小学生くらいだろうか。ひょっとするとその頃にどこかで耳にして、強烈な印象を受けたものの、特に個別の楽曲としては意識しなかったのかもしれない。
 長じてミュージシャンとなった後、その印象に基いて問題の曲を書いたのだとすれば、これほどまでに似ている理由も判るような気がした。

 悪意がなかったという前提での話だが、そういう場合は当の本人以外にももう少ししっかりしてもらわねばならないのではないか、という気がする。CDシングルやアルバムを作る過程がどうなっているのか知らないけれど、少なくとも発表・販売開始までにはアーティスト以外の関係者の耳に入るハズだろう。幾らなんでも周囲の人間たちまでもが「知りませんでした」とか「聴いたことありませんでした」では済まない、「ファイト!」とはそういう曲の1つだと思う。
 いつも思うことだが、曲にしろ文芸作品にしろ完全にオリジナルなものを作り出すのは、現代ではたぶんもう無理だ。しかし過去の作品に影響を受けて新たなイマジネーションを掻き立てられ、結果素晴らしいものが生まれるケースは幾らでもある。だからこそ、痛くもない腹を探られることのないよう、資料の提示は厳密にすべきだろう。

 今回が(たぶん)そうであるように、無意識の中で影響を受けた結果の疑惑が出て来てしまった場合は、可及的速やかに手を打ってしかるべきだったと思う。5月に発売されたCDの販売中止を、今頃になって発表&謝罪するようでは遅過ぎる。10月にはハード・メディアの作製を中止していたらしいが、それってつまり「在庫がハケるのを待ってたの?」と言うことなのではないか。
 身から出た錆とは言え、問題のアーティストさんも今後が大変だと思う。もうちょっと早く、せめてネットの騒ぎが御本人たちのblogに及んだ時点くらいで手を打っておけば良かったのに。「ファイト!」は好きだが問題の曲はシュミじゃないわたしでさえ、このバンドを少々気の毒に思うのだった。




12/25 ラグビーとフィギュアと有馬記念

2005/12/25 20:00
 町中がクリスマスに沸き立つ中、ウチの住人2名はゴモゴモに着膨れて、外苑前の駅に降り立ったのだった。お洒落なクリスマス・デートと決め込んだ訳もなく、単にラグビー大学選手権の2回戦を観戦に行ったのだ。わたしはまだ風邪が治り切らないのだが、夜勤明けの家人が張り込んで指定席チケットを買ってあったし、今日の試合のリザーヴ・メンバーには、早慶戦で怪我をしてしまった大贔屓・首藤甲子郎選手が入っている。これは何が何でも観なければ。
 普段着ている服に加えてババシャツ&ババパンツ、腹巻(貼るミニ携帯カイロ入り)、厚手のタイツ、厚手の靴下、首元にスカーフ、ダウンのロング・コート、ワセダのマフラー、手袋、帽子。秩父宮のメイン・スタンドに座ったらなおしんしんと冷えるので、足首に1枚ずつ貼るミニ携帯カイロをくっ付けた。尻の下には観戦用携帯クッションと座布団と新聞紙を敷き、膝にはパシュミナのショールを掛け、間にもう1個、大きめの携帯カイロを載せてもまだ冷える。これ以上はどうしようもない(涙)。

 第1試合は関東学院大学vs大東文化大学、第2試合がお目当ての早稲田大学vs慶応大学である。関東学院大学は危な気なく勝ったものの、肝心のワセダの試合はちょっとしょっぱかった。後半から首藤甲子郎選手が登場して、個人的にはわくわくしていたのだが、ワセダの選手たちは信じられないほどのミスの連発。皆さんどーしちゃったんだい? と言いたくなる体たらく。
 26対8と勝ちはしたものの、ノー・トライの目標も無失点の目標も達成出来ず。今晩はしっかり反省してくれたまえ、と思う。

 帰宅後はフィギュアの全日本選手権の女子フリーをお目当てにしていたのに、ネット・ニュースの見出しをつらつら読んでいた家人に「お、スケートの結果出てるぞ、知りたい(にやり)?」と煽られて誘惑に負けた(涙)。意思が弱い。挙句には、自分であちこち覗いているうちに、フィギュア・スケートの五輪代表決定というニュースも読んじゃったのだった。
 男子は予想通り。女子3名は、荒川選手と村主選手は決定として、あと1人はやはり実績と4回転の可能性を重視したようである。全日本選手権の順位からすると恩田選手とか中野選手という線もあるかな…? と思っていたのだが、恩田選手は他の選手たちに比べてやや身体が固いのが惜しいし、中野選手はグーンと伸びるタイミングがほんの少し遅かっただろうか。

 ともあれ、実力だけでは勝ち取れないのがオリンピック代表の座である。代表選手に決定した皆さん、どうかご自分の背負っている「強運」も信じて、のびのび活き活きと、トリノの銀盤に舞って下さい。本番まであとわずかの間に、誰も怪我などしませんように。
 それにしてもショパンの「幻想即興曲」ってオーケストラ版もあったとは知らなかった。ピアノ版とはまるで別人(?)。個人的にはピアノ版「幻想即興曲」の方が好きだなあ…。そしてやっぱり浅田真央選手、あの表現の柔かさ、ジャンプの高さ、見事である。そしてまだまだ伸びしろがある感じがするのが末恐ろしい。4年後に向けて、どうか順調に成長して欲しいと祈ってやまない。

 そしてついでに、今日の有馬記念の結果も、家人に聞いてしまったのだった。ディープインパクト無敗の4冠ならず…! 鉄板勝負だと思っていたので超意外であった。一昨日、フジTVの「とんねるずのみなさんのおかげでした!」という番組の人気コーナー「食わず嫌い王選手権」(だったっけ?)に、ジョッキーの武豊さんが出場していた。嫌いなメニューは「酢豚」で、対戦相手の吉田秀彦選手が「生牡蠣」。2人ともお互いの嫌いなものを当てることが出来ずに引き分けである。
 武選手は、有馬記念で優勝出来たら、右手で4冠を表す4本指を示し、その手の平部分に「酢豚」と書きます、と仰っていた。密かにわたしも、スポーツ・ニュースで、その映像を観られることを楽しみにしていたのだったが…。どういう成り行きでディープインパクトが2位となったのか知らないのだが、やはり天才とは言え、そういう色気というか邪念を抱いてしまうと、至高なる存在の怒りを買ってしまうのだろうか。




12/26 フィギュア・スケートの神様

2005/12/26 23:36
 昨日のコーフン覚めやらず、またフィギュアの話を書いてしまうのだった。実はmixi日記も似たような題材だったのだが、今日バレエ教室に行ったら、やはり村主選手の話で持ち切り。感動が再び込み上げて来て抑え切れないのである。
 村主選手のフリーの演技をTVで観たのは、昨日の日記を書いた後だった。浅田真央選手の可愛らしさにノック・アウトされつつ2階に移動したのだが(リヴィングのTVでは家人がラグビーを観る予定だったため)、移動後10分で感動とノック・アウトが上書きされてしまったのだった。もちろん、村主選手の演技に魅入られたからである。

 TVを通じてもその気迫が伝わって来る熱演だった。会場の観客が、演技が終わる前からどんどん立ち上がっているのが判った。わたしがもしその場に居たならば、やっぱり同じように立っただろうと思う。村主選手がどんな想いでスケートを続けて来たのか、何を観客に伝えたいのか、ビシビシ感じられた。
 実際に生で観戦なさった方のコメントによれば、最後のスピンの辺りでもう会場総立ちだったらしい。わたしもTVの小さな画面に噛り付くようにしながら、ただひたすら「ひえー」とか「うわー」とか、芸もなくじたばたしながら歓声を上げていた。演技終了後、アップになった村主選手は、手を祈りの形に組んで何か呟いた。わたしの目には「神様…」という動きに見えた。マイクは村主選手の声を拾ってくれなかったのだが、確かにそうだと確信した。

 もうその辺で感涙がじわりと来ちゃったもんね(汗)。ラグビーの選手と同じと言ったらヘンかもしれないけど、あの瞬間、村主選手は「何か」を見たに違いない、と思ったのだ。ユーミンの「No Side〜空耳のホイッスル」で「どれだけ自分を痛めれば判る」と歌われる何か。楕円球を抱えて突進する選手が、ゴール・ラインの向こうに見るだろう何か(だからラグビーと一緒にするなと)。
 まあともかく、大袈裟に言えば、フィギュア・スケートの神様が村主選手に降臨する瞬間を、観客は目の当たりにしたのである。あの「神様…」という呟きは、そうと知った村主選手の、感謝の呟きに違いないと思う。そんなものを目撃して感動しない人が居るだろうか(いや居まい)。

 夜中に放送されたエキシビションも、当初は観るつもりはなかったのだが、どうにもじっとしていられなくて観てしまった。やっぱり村主選手のスケーティングが一番好きだなあ、と思う。それ以前から知ってはいたけれど、いつだったかの「ピンク・パンサー」以来メロメロなのだ。注目する切っ掛けがアレだったと言う人は結構多いらしい。
 一晩眠って多少落ち着き、あの唇の動きは果たして本当に「神様…」だったのかと少々自信がなくなった。まったくの思い込みだとしたら阿呆過ぎる。ところが朝刊を開いたら、とあるコラムに、あの呟きはやっぱり「神様…」だったと載っていた。どうやらインタヴューで村主選手本人がそう答えたのだと言う。
 TVを通じて感じ取ったものが本物だったと確認出来て、また感涙じわりである。家人辺りに言わせれば「安い涙だなあ」だろうが、いいじゃないか本当に素晴らしかったのだから。

 思えばフィギュア・スケートでTVを通じてそういう想いをした最初は、あの伝説的なトービル&ディーンの「ボレロ」である。実際にナマで観ることは出来なかったけれど、リアル・タイムで、あの演技を目撃出来たことはわたしの生涯の思い出である。大袈裟だけど本当に、あの「ボレロ」はそういう演技だった。
 曲が始まってしばらくしたら、アナウンサーも解説者も黙ってしまった。会場も恐ろしく静かだった。次第に盛り上がる「ボレロ」の音楽と、エッジが氷を削る音だけがただ響いていた。演技が終了して音楽が止まり、余韻が消えた瞬間の大歓声。実家の炬燵周りでも、わたしや妹たちや母の大騒ぎが繰り広げられたのだった。それまでは単なる「氷上の社交ダンス」だったアイス・ダンスが、あれ以来もっと魂に訴える何かに変貌したエポックである。

 外国選手の名前が覚え切れないので多分にアヤフヤなのだが、フランスのアイス・ダンスの異色兄妹ペアとか、魔女のような迫力があったロシアの選手とか、東ドイツのカタリナ・ビット選手とか、もちろんロビン・カズンズ選手とか、トービル&ディーンとか、ものすごく身長差のあったロシアのペアとか、王子様のような雰囲気の最近のロシアの選手とか、記憶に残るお気に入りは多い。
 けれど神懸り的パーフェクトの演技と言うと、わたしはあの時の「ボレロ」しか思い出せない。ただ今回の全日本選手権では、その奇跡の片鱗が村主選手に触れたのは確かだと思う。トリノの本番でも、フィギュア・スケートの神様が村主選手に降臨してくれるといいなあと祈ってやまない。

 シーズン直前に故障で出遅れた村主選手がここまで復活するのは並大抵の努力では済まなかっただろう。フィギュア・スケートに限らずあらゆる芸事の神様は本当に意地悪で、ことあるごとに「そんな辛いことはやめちまえ」と言わんばかりの試練を課す。怪我、スランプ、その他大小様々な不運や計算違い。村主選手はそういう諸々を潜り抜けてあの境地に辿り着いた。本当にアタマが下がる。
 非常に失礼な言い方かもしれないが、今その試練に晒されているのが安藤美姫選手ではないかと思える。どうか彼女にも、フィギュア・スケートの神様が課した意地悪を潜り抜けて、トリノで再び花開いて欲しいと願うのだった。

 関係ないがそういう雰囲気を味わえる有名な少女漫画に、川原泉さんの『銀のロマンティック…わはは』という作品がある。タイトルからは想像出来ないかもしれないが、フィギュア・スケートのファンなら、絶対読みながら泣いてしまうこと請け合いの最高傑作である。わたしのフィギュア・スケートに対する(あくまでもミーハーな)想いは、あのサラエボの「ボレロ」と、『銀のロマンティック…わはは』に凝縮しているのだった。
 万が一フィギュア・ファンであの作品を知らない方がいらしたら、是非ご一読をお勧めいたします。マジ泣きます。




12/27 英国とわたし

2005/12/28 00:12
 子供の頃「いつかロンドンに住むんだ」と思っていた。大好きな国がイギリスだった。今でも「一番訪れたい国はどこ?」と訊かれれば、やっぱり「英国かな。スコットランドやウェールズも含めて良いのなら」と答える。その割に1回しか訪ねたことがないのが悔しいのだが、家人が強硬に「僕は飯の旨いところにしか行きたくない。日本の飯は旨いし、世界中の何国料理でも食べられるから、日本から外へわざわざ旅行に出掛ける必要はない。しかもイギリスの飯なんて最悪じゃないか」と譲らない。
 イングランドにはラグビーの聖地・トゥイッケナムがあるのに、それに言及しても「関係ないよ」と言う。旅の楽しみはほぼ100%、どれだけ美味しいものが食べられるか、であるらしい。そのうち家人を置いてきぼりにして英国旅行に出掛けたくなるのではないかと思う。

 わたしが英国好きになったのはもちろん、コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズが切っ掛けである。P.L.トラヴァーズの『メアリー・ポピンズ』シリーズも愛読書であった。さらにはヘレン・ブッシュの『海辺のたから』を読んで、古生物学者のメアリー・アニングに憧れたりもした。メアリー・スチュアートの『小さな魔法のほうき』だとか、C.S.ルイスの『ライオンと魔女』なども、本がばらばらになるくらいまで読み倒した。
 これらの作品はいずれも英国が舞台か、あるいは英国人作家の手になるものである。少女時代のわたしが、英国とは謎とファンタジーに満ち溢れた国であると憧れを募らせたとしても罪にはなるまい。なにせ小学校からの帰り道、化石が出て来ないかと宅地用造成地を掘ってみたり、ホタルブクロの花を摘んで帰って、家の竹箒に擦り付けてみたりする子供だったのだから。

 分別付いて、英国のいろいろな側面について知るようになった後も、やっぱりわたしの憧れの気持ちは変わらなかった。将来移住するチャンスが巡って来る時のため、英単語の綴り方も発音方法も全て英国式のを覚えた。おかげで未だに「favour」とか「centre」とか綴る癖は抜けないし、エレヴェーターは「lift」だし、サッカーは「football」だったりする。「I suppose so」なんか「アイサパゥズサゥ」で、ここまで来ると少々やり過ぎの感が強い。
 高校生くらいの時までは、1階、2階…というアレも、ground floor、1st floor…とやっていた。こちらは流石に紛らわしくて面倒だったので、やむなく自分の中で折り合いを付けて、「とりあえず今は」日本式表記で我慢するか、などと妥協したこともある。今のところこれらのすべてがまっっっったく役に立ってはいないのが我ながら大笑いである。

 そんな独り上手な努力に明け暮れていた頃、物置をガサゴソしていたら父の古いラジオを見付けた。何かの記念に父がもらって来た短波も聞けるものだった。その頃わたしはどうにかして短波放送を聞きたいと画策中。壊れて鳴らないそのラジオの裏蓋を開け、詰まった埃を取り除いたり錆びた接点を磨いたりした結果、運良く短波ラジオは息を吹き返した。
 金物屋さんに出掛けてビニール被覆の太い銅線を10mほど買って来て、部屋の通気孔から外へ出し、軒伝いにアンテナを貼り付けた。窓枠からはみ出して作業する姿を近所の方に目撃され、後日母が「お宅のまとりちゃん、こないだ窓から落っこちそうになってたわよ」などと笑われたらしい。ともあれこれで準備はOK、後は時を待つばかりである。

 お目当てはBBCの日本語放送だった。図書館で借りて来た何かの本で、ロンドンから毎日朝晩、直接ラジオの電波が届くと知ったのである。ロンドンの放送局の番組を聞きたいというただその一念で、わたしは窓枠によじ登りもしたのだった。
 7:00から30分と、20:30から30分というスケジュール(これも英国式に発音すると“シェドゥー”)だったのを、120分テープに全部録音しながら聴いた。短波ラジオからラジカセに出力するアダプタも、ジャックの形状とその周りの色を頼りに自力で買って来て試行錯誤。父に訊けばどうすれば良いのか判ったのかもしれないが、わたしの気持ちとしては、これは全て独りでやり遂げねばならないことだったのだ。

 最初にビッグ・ベンの鐘の音とテーマ曲が流れて来た時の感動は今でも覚えている。「こちらはBBC、ロンドンです」というアナウンサーさんの声がメチャクチャ嬉しかった。文字通りラジオに噛り付いて、分刻みの放送内容をメモしながら聴いた。録音したテープを意気揚々と学校へ持って行き、友人に押し付けて聞かせたりもした。
 いつだったか、何かの特別番組に電話出演したこともある。お正月企画だったか、日本のリスナーから手紙かハガキで応募を受け付けて、当選者宅へロンドンから直々に電話を掛けてくれるというのである。もちろん張り切って応募した。手紙を出したことも忘れかけたある晩、わたしが風呂に入っていると、母が慌ててすっ飛んで来た。「ちょっと、あんたに電話だよ。なんかロンドンからって言ってるけど、誰なの」。
 おーまいがーっ。何というタイミングの悪さ。わたしは慌てて風呂を飛び出し、すっぽんぽんにバス・タオルを巻き付けて電話に出たのだった。もちろん動揺のあまり、受け答えが非常にトンチンカンなものになったのは言うまでもない。当選したらああも言おう、こうも言おうと楽しみにしていたのに…(とほほ)。

 後日記念のカレンダーが贈られて来た。ニューマン部長と部員のオカダさんのサインが入った1986年のそのカレンダーは、今でも大切に取ってある。別の機会にまた受信報告書を送って、ベリ・カードをもらったこともある。短波ラジオで日本語放送を聴いたり、受信報告書を送ったり、お正月企画に応募して来たりするような女子高生は比較的珍しかったのかもしれない。
 英国のニュースの他、科学技術の話とか、各地の観光案内のような番組が日替わりで聴けて、本当に楽しかった。「レゲットさんのズバリ放談」とか、「英会話コーナー」とか、今でもふっと思い浮かぶフレーズがあったりする。そういえば「世界で一番長い駅名(最後がダダダー何とかで終わったような記憶がある)」とか、「スランゴスレン」という地名の綴りもBBC日本語放送で聞いたっけ。

 大学から院へ進んで夜も日もなくなり、短波ラジオも実家に置いて来てしまったある日、1991年だったか、BBCの日本語放送がなくなってしまった、というニュースにぶつかった。その数年前に英国を訪れた際、日程の都合でどうしてもBBC日本語部訪問が出来なかったので、いつかは…と思っていた矢先だったからである。無理にでも行っときゃ良かった。
 そんなこんなで、相変わらずわたしの憧れの国であり続ける英国だったりする。アエロフロートに乗ってモスクワ経由15時間で往復14万円(確かそのくらいした)だった当時と違い、今なら直行便チケットがもっと格安で買えるだろう。ううむ行きたいなあ。わたしなら、ロンドンや英国各地を目的もなくただぶらちゃらするだけでも充分楽しいのだが…。




12/28 そろそろケツカッチン

2005/12/28 15:00
 昨日は泊まり勤務だった家人は、朝10時頃に帰って来て現在爆睡中。昨日の昼間のうちに2人で手分けして窓ガラス拭きだけ取り掛かったので、1階の窓はどうにか全部キレイになっている。家人が外から窓洗い、わたしが内側の担当である。鏡とか食器戸棚のガラス戸とか、TVの画面なんかも拭いたのでちょっと時間が掛かってしまった。
 植木が邪魔で外からは洗えないリヴィングの窓は縦に上げ下げするもので、外側を磨くためには、上部のツマミを押しつつ室内方向へ倒す、という仕組みになっている。ところがこれが年に1度しか使わないものだから、年々動きが固くなっている。わたしの指の力ではどうにもならない。外せたものの元に戻せなくなったりしたので、家人にバトン・タッチしたら、力任せのチャレンジ中にプラスティック製のフックが破損してしまったのだった。ショーック!

 片方は無事なので、窓が内側に倒れて来るという事態は免れたものの、フックが折れた側はどうもフカフカしている。ここから隙間風が入って来たら寒かろうなあ(涙)。どうにかして修理しないとマズかろう。ただしこんなものどうやって直せば良いのか判らない。レールにサッシを固定するための、たった1個のフックが壊れただけで、まさか窓ガラス1枚総取替えとか言うことになったらどうしよう。
 ネットでト○テムのサイトを調べ、恐る恐る電話を掛けてみる。幸い、まだ年内の営業期間内だったらしい。担当の方に型番その他を伝えたら、翌日(つまり今日)、部品の在庫の有無についてまた連絡して下さると言う。結局、窓枠1枚取替えの事態は免れた。どうも破損した緑のプラスティック部品だけ付け替えれば良いらしい。
 急ぎ部品を送って下さると言うので、届いたら自分で嵌め込めば良い。助かった。

 怠け者の節句働きと言うのとはちと違うかもしれないが、世の中の人々が挙って仕事納めの今日、わたしはむしろ「ああこれからが正念場」と震えているのだった。まだカーテンの洗濯とレンジ&流し台の掃除をしなければならない。換気扇フィルタも取り替えたい。そして最大の悩み事は、31日に任されている鍋&餃子パーティなのであった。
 毎年大晦日は、義母と義理の叔母さまお2人は、人出の少なくなったデパートで3人揃ってのんびりお買い物をすることを楽しみにしている。数年前までは脚の悪い義祖母も一緒だったので、混雑をなるべく避ける必要があったのだ。デパートから帰って来て食事を作るのも大変だからと、31日の晩御飯はわたしの担当ということになったのである。お正月のお食事会ご馳走はすべて義母に任せ切りなので、わたしもせめてそのくらいはせねばならない。

 去年、鍋だけというのも味気ないかしらんと急に思い付き、皮から手作りの餃子を出すことにした。なぜいきなりそんな気になったのか不明だが、ともかく「やっぱり餃子って皮を食べる料理だよな」という気分になったのである。強力粉と薄力粉をブレンドし、熱湯で捏ねて練って寝かし、擂粉木で伸ばす。具の豚肉はミンチではなくて塊を微塵に切って叩くなど、不精なわたしにしては凝りに凝った渾身の力作であった。
 幸い大好評を博したのだが、義弟君の一言でわたしは自分で自分の首を絞めたことに、遅まきながら気付いたのだった。「これは美味しいね、また食べたいなあ」。つまり、皮から手作り餃子も大晦日のお食事会恒例と化してしまったらしい。今更「いやこれはホンの気紛れで作っただけで」とは言えない雰囲気になってしまった。

 特に今月は中旬までずっと風邪っぴきで体調が悪かったため、掃除やら何やらあらゆることが積み残しにされている。手作り餃子の覚悟もまだ決まっておらず、そうこうしているうちに時間だけは刻々と過ぎるのだった(涙)。わたしの中では、まだ12月の10日前後のつもりなのだが。ああどうしよう(涙)。
 総勢7人分の餃子を作るとしたら、慣れない作業でもあるし、たぶん丸1日掛かりとなるだろう。皮の仕込みを明日やって、明後日具を仕込んで包んで冷凍しておくか。ううむどう考えても人手があと2本足りない。料理に関しては家人は当てに出来ないし、だいたい31日の家人の担当はリヴィングの掃除&テーブル・セッティング。とても餃子作りの手伝いをしている暇もない。

 焼く手間も結構大変だと言うことに今更気付き、水餃子に切り替えたらどうかと思いつく。火加減その他を気にしないで良い分こっちの方がラクだ。何なら鍋を中国風のものにしてしまって、餃子もその中にぼんぼん放り込む方式も…と一瞬考えかけ、流石にそれは不味いかと思い留まった。
 どの道家人も「僕は水餃子より焼いたのの方が好きだ」と言っているので、やっぱり手抜きは出来ないらしい。ううむどうしようどうしよう。とりあえず、今日はレンジと換気扇の掃除でも手を付けることにしようか。大晦日なんて嫌いだ(涙)。




12/29 泥縄な、余りにも泥縄な

2005/12/29 23:50
 という訳で、昨日から重い重い腰を上げて、大晦日のお食事会の準備を始めたのだった。
 せめてキッチンは多少キレイにしたいなと思ったので、昨日の日記を書き終えてから掃除開始。換気扇、レンジ、流し台、その他小物置き場やオーヴンや冷蔵庫、炊飯器やポット置き場などなど。
 始める前は「適当にちょちょっと掃除して、見た目だけ多少マシにしとけばいいや」と思っていたのだが、いざ取り掛かるとムキになるのが性分なので、結局徹底的な掃除になってしまった。

 換気扇は全分解して漬け置き洗い。レンジも部品取り外し&漬け置き洗い。こびり付いた汚れはスチール・ウールその他で磨く(全部は落ちなかった…)。流しもステンレス磨き用スポンジで擦りまくり、蛇口もピカピカに光らせた。
 トースターを置いてある出窓とか、炊飯器とポットを置いてあるワゴンとか、電子レンジを置いてあるラックも、中身を全部移動させてから拭き掃除。途中休憩を挟みつつ、さらについでだからダイニングの電灯のカサとかソファ、家の各所にあるスイッチ板などを拭き回ってキレイにした。一通り納得したら20:00過ぎていた。疲れた…。

 置いたものの影が映り込むくらいにピカピカにした流しやキッチン台も、今日食事の仕度をしたらもう既にまっさらなキレイ状態からは遠去かってしまった。掃除ってこれだからキライである。磨くのはえらく大変なのに汚すのは一瞬、虚し過ぎる(涙)。

 今日は大晦日お食事会に副菜として出す予定の「こんにゃくの梅煮」を作り、味を含ませておく。そしてメイン・イヴェントの餃子の皮作りに取り掛かった。強力粉と薄力粉を9:1でブレンドして篩い、塩と熱湯で捏ねる。最初にまとめたら10分寝かせて再び捏ねて、滑らかになって来たらまたまとめて1時間寝かせる。さらに捏ねてコシが出て来たら、またまたまとめてラップでぐるぐる巻きにして冷蔵庫で12時間。ここから先は明日の作業である。
 明日は具を仕込んで、皮も仕上げた方が良いだろうか(包むのは当日にするとしても)。最初は明日包んでしまって冷凍しておこうかと思ったのだが、良く考えると、もう冷凍庫にそれだけのスペースがないのである。

 具の材料は豚肩ロースと海老、白菜、キャベツ、ニラ、長ネギ、しめじ。おろし生姜とごま油と牛脂、その他調味料が混ざる予定である。今日は力仕事の日だったが、明日は1日、ひたすら刻んで刻んで刻みまくる作業が待っている。見栄を張って(というか妙なところで凝って)、豚肩ロースもミンチではない。ここから2本包丁で叩くので、明日は本当に「刻みの日」なのだ。
 フード・プロセッサを使うという手もあるのだが、フード・プロセッサだとみじんにする度合いを好みの状態に調節しにくいし、全体を同じくらいのみじんに揃えるのも結構難しい。全部を細か〜く刻む作業には向いているのだが、程好く粗みじんにしたい時は、やっぱり包丁で刻むのが一番だと思う。
 さて、凝りに凝るお陰で普段の食事に出すには面倒過ぎ、結局1年に1回しか作らない「皮から手作り餃子」、果たして上手く出来上がるだろうか。




12/30 そして爆忙

2005/12/30 14:48
 さていよいよ問題のお食事会は明日である。料理が好きで人に食べてもらうのが好きで…という人ならば何も苦痛でもないのだろうが、わたしはぐーたらの不精の面倒臭がりである。しかもお世辞にも料理上手とは言えない。食事など、栄養が摂れてお腹が膨れればいいじゃないか、と思うクチだったりする。ちゃんと満腹感が得られるのならば、それこそランチ・チューブやディナー・カプセルでも構わない。
 家人は食事こそ文化の華、食べる楽しみを放棄して何の人生か、という哲学の持ち主なので、こういうわたしの食に対する無頓着さには顰蹙するらしい。わたしだって美味しいものを食べるのは好きだけれど、別にそれが毎日毎食でなくても良いと考えているだけなのだが…。

 面倒臭いなあ、ちゃんと出来るか判らないからビクビクオドオドだなあ…と思いつつ、準備は一応順調に進んでいる。餃子の具は練り上がって冷蔵庫のボウルでお休み中。こんにゃくの梅煮は昨日作った。ほうれんそうの胡麻和えも出来上がって密閉容器に入っている。これから皮の生地を最終仕上げして小分けして伸し、打ち粉塗れにして密閉容器に入れて冷蔵庫に仕舞えば、後は明日包んで焼くだけである。
 鍋の材料も買って来てあるので、手順としては、まず鍋(7人なので2つ)に出汁を張ってある程度具を煮てしまい、テーブルの上のボンベ式コンロに移してから餃子の仕上げだろうか、と思う。それとも餃子はまず包んでしまって、それから鍋の仕度をして、コンロに移してから餃子を焼くべきだろうか。去年どうしたっけなあ。

 予定では餃子は40個くらい出来上がるハズなので、焼くのも結構面倒である。掲示板にらん姉が書いてくれたように、ホット・プレートで焼くのはいい考えだと思ったのだが、残念ながら当日のテーブルにはホット・プレートを載せる隙間がない。キッチンにもスペースがない。床で焼いてもいいのならばそうするのだが、間違いなく他のメンバーには嫌がられそうなので、たぶん渋々ながらフライパンで焼くことになるだろう。
 焼き餃子の場合、最後の焼きの工程で失敗すると目も当てられない。せめて水餃子で良いのなら、最終工程についての心配だけはしなくて済むんだけどなあ(未練たらたら)。

 ところでわたしは「本場・中国では餃子と言えば水餃子であり、焼き餃子は残り物の水餃子を温め直すために焼いただけ」と聞いたことがある。家人にダメ元で焼き餃子と水餃子の関係について述べてみたのだが、やっぱり却下であった。「自分の都合の良い説だけをピック・アップするんじゃない」だそうである。さらに、例え本場がどうであろうとも、家人は水餃子より焼き餃子の方が好きだと言う。
 ちっ。それならまあ仕方がない。せいぜい頑張って、水溶き小麦粉でパリパリの羽根付き焼き餃子に仕上げてやろうではないか、と思うのだった。




12/31 本年の業務終了〜♪

2005/12/31 23:32
 とりあえず無事に終わった、鍋&餃子パーティであった(安堵)。昨日の晩まではウチ2人&義父母+義弟君+義叔母2人の合計7名の予定だったのだが、今朝になって急遽、混ざるかどうするか迷っていた母も合流すると電話があったので結局8人。7人も8人も同じようなモノだとは思いつつ、何故に当日の朝になって言い出すのだと一瞬キレそうになる(器が小さい)。
 珍しく家人も早起きして、近所のスーパーに「緑茶2リットル×6本、特価」というのを買いに走ったらしい。しばし遅れて起床したわたしも、本日の予定に向けてもそもそとエプロンを着けた。ちなみにこのエプロン、過去に使っていたちゃんとしたものが仕舞い場所を忘れて見当たらないので、ミッキー・マウスのバスタオルで急遽でっち上げた簡易版であった。間に合わせにしてはサイズもたっぷりしていて使い心地は◎であった(汗)。

 片付けと掃除で13:00くらいまで済し崩しに潰れる。充分草臥れた気分のところで、いよいよパーティの準備である。まずは鍋の仕度。出汁昆布を漬けて材料を切ったり下茹でしたり。後は程好い時間になったら火に掛けて煮るだけ、という状態にしておいてから、懸案の餃子包みに取り掛かった。
 具も皮も昨日のうちに準備万端である。44個出来上がる予定の餃子を包むのに何分掛かるかちょっと予想が付かないのだが、1個2分(余裕を持って)として約1時間半。最初に包んだやつが乾燥しないよう、密閉容器の準備なども、粗忽なわたしにしては珍しく周到に行なったのだった。結局、思ったよりずっと早いペースで包めたのだったが。

 今回の餃子包みのBGMは昨日の段階で決まっていた。どんぐりの過剰な王国のどんぐり2号さんの日記(12/28)で拝見した、超笑えるFLASHである。「やわらか戦車」というタイトルのそのFLASH、一目観てわたしは虜になってしまった。退却することをモットーとする、表面がぷよぷよに柔らかい戦車たちの、爆笑と悲哀に満ちた生態がテーマ。
 覚えやすくキャッチーな歌と、一昔前のプラスティックの玩具のラッパのようなペナペナ声がまたさらにおかしみを誘う。ともかく1度聴いたら忘れられなくなること請け合いなのだ。

 この歌を、アタマの中でエンドレスに歌いながら餃子を包んだ。「♪生き延びたい ♪生き延びたい」ペタペタこねこね…10個。「♪3日に1度 ♪子猫に攫われる」ペタペタこねこね…20個。「♪ゆーびさきで ♪つーつかれたら」詰め詰めペタペタ…30個。やれやれ先は見えてきた。
 皮は残り僅かになったものの、具はまだまだやる気満々である。どう考えても大量に余る。仕方ないので買い物にお出掛け中の家人の携帯に電話を掛け、市販の皮を追加で仕入れて来てもらうことにした。今日のパーティには出さないとしても、とりあえず包んで餃子の形にしておかなければ、餃子の具というのは案外潰しが利かない。その辺は去年で懲りているのだった。

 買って来てもらったのは30枚入りだった。自作の皮に比べたら薄くて取り扱いが難しかったので、2枚ダメにしてしまった。どうにかこうにか追加の28枚で具も全部なくなった。結局72個の餃子を、「やわらか戦車」を歌いながら包んだのである。タッタカタ♪ タッタカタ♪ タッタカタカタカタッタッター♪
 標準皮の28個はとりあえず箱に詰めて冷凍庫の隙間へ突っ込む。いつか晩御飯のおかずに困った時に出すことにしよう。

 幸い餃子も鍋も好評であった。44個の餃子はキレイになくなり、味にうるさい義弟君が特に気に入ってぱくぱく食べてくれたのでわたしもご満悦である。去年よりは上手に作れたし、多少コツも飲み込めて来たので、来年も作ってもいいかな? という気分だったりする。
 ただしこの気分は多分に「終わり良ければすべて良し」かもしれない。修羅場のド真ん中に居た時は、「もーこんな面倒臭いしんどい疲れることなんか今年限りで御免だ! 来年は是が非でも大晦日も外食だ! くっそーやってられっかー!」と半ばパニクりながらセッティングしていたのだった。

 パーティ開始予定時刻が迫るにつれこちらはますます焦るのに、一段落した家人がのんびり座り込んで一休みしていたりすると、これがもう無性にイライラするのである。人数分のコップを出せだの足りない分の茶碗を借りて来いだの、指示を出す声も思わず尖る。こういう時に分身の術が使えたら…。しみじみ思ったわたしは、やっぱりまだまだ修行が足りないのだろう。