徒然過去日記・2006年4月

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04/01 エイプリル・フール!

2006/04/01 16:50
 しかし例年通り、特に今年も嘘企画は立てていないのだった。というよりどうも昨夜からアタマが痛くて考え事どころではない。花冷えの日が続いたせいか、またも体調を崩し気味なのである。我ながら本当に情けない。
 1日で「映画の日」なので、休日出勤の家人が居ない間に近所のシネコンへでも行こうかと思ったが、2日連続で映画を観るのもナニである。今日から封切りの『ファイヤー・ウォール』なんかどうだろうと思いつつ、とあるレヴュー・サイトを覗いてみたら、試写を観た人たちの評価があまりに低いので、うっかり盛り下がってしまった。ハリソン・フォードだったのに…。

 とりあえず頭痛薬を呑んでさっきまで眠っていた。起きたら頭痛は多少マシになっているが、それでも動くとズキンズキンする。鼓動に合わせて痛むとか、歩く時の振動で痛むとかは、きっと二日酔い時の頭痛に似ているのではないだろうか。…実は二日酔いの頭痛というものを味わったことがないのだが。

 「試写段階での低評価」で思い出したのがmixi日記に書いた『笑う大天使』映画版の話。公式サイトを一目見れば、川原泉ファンなら「何じゃこりゃ〜」と絶叫するだろう勘違い満点の制服が目に飛び込んで来る。こんなのが「西の暁星(だったかな)東のミカエル」と評される、日本でも指折りの名門お嬢様学校の制服な訳ないではないか。デザイナーは何を考えているのだ。
 さらにロケ先のハウステンボスの撮影日記とか、ORICON STYLEのニュースなどにも少々びっくり。聖ミカエル学園がハウステンボス…? いやその確かに一種「綺羅の空間」であるという描写はなされていたが、非日常のヴェクトルがかなり違うのではないだろうか。イメージ的にはゴシック建築なのだが、追求すると海外ロケするしかなくなるから仕方がないのかもしれないが。

 ついでに「関西弁丸出しのチャキチャキお嬢様」という見出しにも違和感アリアリ。「チャキチャキ」ってのは「江戸っ子」に掛かる枕詞ではなかったろうか。辞書を引くと「血筋にまじりけがなく純粋なこと。生粋」(<嫡々の音変化か)とあるので、チャキチャキが「関西っ子」とか「お嬢様」に掛かってもヘンではないらしい(知らなかった)。揚げ足を取るつもりも重箱の隅を突く気もないが、しかし史緒さんは、血筋はともかくお育ちは「お嬢様」とはかけ離れているんだけどなあ。
 さらについでに上野樹里さんの会見。「原作ファンの人はがっかりするところもあると思うんですが」って、やっぱり演じている側からしても違和感はあったのだろうか…。

 ということでmixi日記は「エイプリル・フールだと良いのだが」と思われているらしいけれど、残念ながら嘘情報ではないのだった(涙)。わたしもここまで凄いと、別物として考えるのも結構ツライものがあるように思えて来る。この夏公開ということだが、さてどうしよう。ひょっとしたら観に行ってしまうような気もする。
 エイプリル・フールのネタが1個もないのも寂しいのでオマケ。ニュースそのものも笑ってしまうのだが、左右に貼ってあるリンクも、細々とネタ・ニュースばっかりなのが嬉しい。個人的なお気に入りは「ツンデレ内蔵サーバ」である。こんなサーバ、あったら面倒臭いだろうなあ(笑)。そして飛ばされるページも笑えるのであった。




04/02 昨日に引き続き

2006/04/02 19:25
 家人は休日出勤。今月は土日はほぼ全滅らしい。その分は平日にお休みが回って来るのだから良いではないかと思うものの、本人は2日連続の早起きに不満たらたらであった。そしてわたしと言えば、今日が日曜日だという感覚が丸っきりなくて困っている。感覚的には今日は木曜日な感じ。あるいは水曜日とか。なぜそう感じるのかは良く判らないが。
 そして相変わらず頭痛も地味に続いている。どうも寒いのが良くないのだろう、肩が凝って膝下が痛いという状況が続いた後、それが頭痛に変化するのである。冷え切ってから温めてもあまり効果はない。やれやれ…。

 必要最低限の用事を片付けつつウダウダしていたら宅配便が届いた。先日bk1のギフト券を使うために駆け込み注文した書籍たちである。浦沢直樹氏の『PLUTO』3巻、エリス・ピーターズさんの「修道士カドフェル」シリーズ20巻『背教者カドフェル』、mixiの知人に勧めていただいた西條奈加氏の『金春屋ゴメス』、さらに八木谷涼子さんの『知って役立つキリスト教大研究』の4冊。
 八木谷涼子さんと言えば大昔、『ホームズ五段活用』という同人誌が大好きで良く読んでいた(うわっ1巻はもう20年前の発行だ)。その後T.E.ロレンスの研究本にも手を出していたのだが、キリスト教関係の著作は不勉強で知らなかった。『ダ・ヴィンチ・コード』下巻の解説に、手軽な参考資料として挙がっていたので、読んでみようと思ったのだ。

 一応カトリックだがキリスト教についてはあんまり詳しくない。聖書だけはたまに読んでいるが、後はせいぜい世界史で習ったことと、読書・音楽鑑賞・映画鑑賞の際にポイントごとに読み齧った知識があるのみである。実家や勤務先の近所にカトリック教会があった頃は真面目に御ミサにも通っていたが、今の在所に越して来てアクセスが悪くなってからはサボりっぱなし。
 基本的なところに関しては文句ないものの、いろいろな面で教会のシステムについて疑問を感じるようになった、ということもある。これで自覚としては「一応カトリック」なのだから実にいいかげんな信者だと思う(汗)。

 その『知って役立つキリスト教大研究』は結構面白かった。正統・異端(という分け方も現代ではあまり意味ないが)種々取り混ぜてわんさかあるキリスト教の各宗派について、非常にコンパクトかつ判り易く解説してある。あくまでもこの本を参考にすればわたしの立ち位置は、ローマ・カトリック信者だが心境的にはリベラル派プロテスタント寄り、さらに分類するならユニテリアン・ユニヴァーサリスト…というところだろうか。
 ただし面倒臭いので特に転会しようとは思わない。いろいろ問題の多いローマ・カトリック教会だが、やっぱりそれなりに愛着もあるし、何よりここは「常に時代に合わせて変化し続ける」のが長所だと思っている。今後もしぶとくマイナー・チェンジしながら生き延びることだろう。それに日本にはユニテリアン・ユニヴァーサリストの教会はほぼないらしいし(かろうじて友の集いがあるのみ)。

 そしてこの本を読んでいて「少なくとも年に1回は告解(平たく言うと懺悔)と聖体拝領を受けること」となっているのを思い出したのだった。そんなことすら忘れていた。再来週の復活祭には久し振りに教会へ行ってみようか。…やっぱりダメダメ信者である(とほほ)。




04/03 大阪の祖父が

2006/04/03 15:35
 亡くなった。先月お見舞いに行った時に元気そうな顔を見たのが最後である。90歳だし、もう随分前からあちこち悪かったので、ある程度の覚悟は付いていた。とは言え、危篤の知らせが入って母が急遽大阪へ飛んで行ったのが今朝8時前なので、それから亡くなるまで結構早かったなあ、と思う。もうちょっと持ち堪えてくれるように願っていたのだが。

 第2次大戦で徴兵され、満州で捕虜になってシベリアに抑留された。「わしはネズミを喰って生き延びたんじゃ、わーっはーっはー」と言うのが、祖父が酔っ払った時の定型文だった。その割にシベリアの具体的な話はしたがらなかったので、さしもの祖父でも口に出したくない辛い経験だったのだろうと思っている。今から思えば、ちゃんと聞いておけば良かった。
 さらに60歳で胃がんを患い、80歳では当時経営していたお風呂屋さんのサウナを掃除中に熱湯溜まりの中に倒れ込み、全身に大火傷を負った。その都度「今度は流石のじいちゃんでも助からないのではないか」と皆が思ったけれど、祖父は奇跡的な復活を遂げ続けた。じいちゃんは不死身かもしれないと、わたしはぼんやり信じていたような気がする。

 不死身じゃなかったんだな、人間だったんだなあと、知らせを聞いた時にふと思った(当たり前だけど)。母は臨終に間に合ったそうなので一安心である。
 という訳で、おそらく明日から2、3日、大阪へ行かなければならないために留守にします。今度こそ…! と思っていたあれこれが飛んでしまったのがちょっぴり残念だが仕方がない。帰って来たら調整でまた忙しくなりそうなのが憂鬱なのだった。




04/04〜08 大阪行って帰って来た

2006/04/08 14:24
 出掛けたのが3日の深夜、帰宅したのが7日の夜明け前。ETCの高速料金深夜割引時間帯を狙うせいで、どうしても移動は真夜中ということになる。片道6時間の運転に加えて通夜や葬儀の手伝い、オマケに祖父母宅の大掃除、さらに復路に6時間の運転と、一番疲れたのはきっと家人だろう。本当にお疲れさまでした。
 運転は全然しなかったのだがわたしも草臥れた。「助手席で寝るなーっ!」と時折パンチを喰らいつつ、冷えや睡魔と闘いながら座り続けるのは結構しんどいのである。新幹線の移動の方がラクな気がする(高価いけど)。流石に50歳を越えたら家人にもこんな強行軍は無理になると思うので、本人にやる気があるうちは頑張って付き合おうと思っている。

 高齢の祖父母で、しかも祖父はずっと具合が悪かった上に、叔父もマメな性格ではない。よって祖父母宅の要掃除度は maximum。亡くなった3日が友引のおかげで斎場が一杯だとかで、5日が通夜、6日が告別式というスケジュールである。つまり4日は比較的時間に余裕があったので、家人とわたしの2人して大掃除に取り掛かった。祖父の遺体が安置されている階下ではバタバタ出来ないので、まずは2階を徹底的に。それから階下もトイレだけはピカピカにしたい。
 近所のドラッグ・ストアに掃除用品を買いに行き、ついでに#1000の耐水サンド・ペーパーも入手する。どこで読んだか忘れたが、トイレの手洗いボウル(陶器製品)などをこれで擦ると、水垢がキレイに取れてぴっかぴかになるのだ。ウチも#1000のは常備してある。どんなにしつこくこびり付いた水垢も一発で、非常に気持ちが良い。
 掃除をしたり、今年の花見は出来ずに逝ってしまった祖父のお供え用に桜の花を拾いに行ったり、4日はのどかに過ぎたのだった。

 何せ90歳なので、亡くなったと言ってもそれほど悲劇的な印象はない。しかしやっぱり、もうあの祖父と二度と会えないのは寂しい。ウチの2人と末の妹一家はお見舞いに行ったが、中の妹は仕事が詰まっていて行けなかったらしい。本当はこの週末を予定していたのに、間に合わなかったとしんみり言っていた。
 通夜の日、祖父の大好物「赤福」を買って来るのを忘れたのだが、中の妹の携帯に電話したらちょうど京都駅に着いたところだったので、小さいのを1箱買って来て貰った。焼き場に行く前に葬儀屋さんが棺を閉める時、ちゃんと赤福も入れてくれたと、ちょっとだけ嬉しそうにしていた。中の妹の心残りが少しは軽くなると良いと思う。

 と言うことで通夜も告別式も滞りなく終了。随分長いこと会っていなかった従弟妹たちがみんな大人になっていて驚いた。8歳下の従弟は昨年11月に2人目が生まれたばかりである。3歳の1号ちゃんは恥ずかしがりで打ち解けてくれなかったのだが、4ヶ月の2号君は抱っこさせてもらえた。ずっしり重くて愛嬌たっぷり、こっちを見てにこーっと笑ってくれるのである。メッチャ可愛い〜♪
 最愛の姪っ子1号や2号とも会えた。冠婚葬祭は親戚大集合の機会でもある。通夜や葬儀が終わった後、姪っ子1号ともちょっとだけ遊ぶことが出来て嬉しい馬鹿伯母であった。黒服の大人の群れを警戒して固まっていた姪っ子2号も、お姉ちゃん(姪っ子1号)が楽しそうに懐いているのを見てようやく、わたしや中の妹にも笑いかけてくれた(喜)。

 1歳9ヶ月の姪っ子2号は、8歳の姪っ子1号のやることは何でも真似をする。見ていて楽しい。姪っ子1号を振り回して遊んでいたら、2号がちょこちょこ歩いて来て「あたしもやってくれ」とばかりにバンザイをするのである。メチャクチャ可愛いが、幼児をあまり手荒に扱うと身体に良くないという話も聞いたことがあるので、振り回すのはソフトにちょっとだけ。
 義弟君が教え込んだとかで、「姪っ子2号、どこ?」と声を掛けると「ここ!」と返事をする。何か手渡す時は「あい、どーじょ」。まだまだ片言未満という感じだが、着々と日本語を覚えているらしい。
 早く「まとり(仮名)ねえちゃん」と呼んでくれるようにならないだろうか(馬鹿伯母)。いや別に「まとり(仮名)おばちゃん」でも良いのだが、世渡りの上手い姪っ子1号の真似をするとしたら「ねえちゃん」だもんな♪




04/09 はじめの言葉

2006/04/09 18:12
 某巨大匿名掲示板のとあるスレッドを覗いていたら、ちょっと面白いページを紹介しているリンクに当たった。ナショナル・ジオグラフィック日本版に紹介されている『ユダの福音書』を修復・公開という特集である。エジプトで発見された1700年前のパピルス文書が、『ユダの福音書』と呼ばれる初期キリスト教文書の、現存する唯一の写本と判ったのだという。
 この文書によれば、イエスをローマに銀30枚で売り渡して「裏切り者」と忌み嫌われているイスカリオテのユダは、実はイエス本人の意向によってそういう行動をしたことになっているらしい。ユダは裏切り者ではなかった! という、なかなかセンセーショナルな内容である。

 発見された文書は放射性炭素年代測定法やインクの成分分析その他の科学的手段、あるいは文章構造の分析など、合計5つの方法によって真贋を検証されたようだ。その結果、書かれた時代は紀元3〜4世紀で、後世にでっち上げられた偽の「古代文書」ではないと鑑定されたのだと言う。
 ついでに記事によればドキュメンタリー専門チャンネルの「ナショナル・ジオグラフィック・チャンネル」でも特集番組を放送するらしい。タイミング的に『ダ・ヴィンチ・コード』の公開に先駆けてのプロモーションか便乗のような企画である。ウチもCATV経由で観られるので、28〜30日の3日間、楽しみに観てみようと思うのだった。

 面白いは面白いけれど、この文書がホンモノだったからと言って何がどう変わるのでもないことに、特集番組なり『ナショナル・ジオグラフィック日本版』の記事なりでちゃんと触れるのだろうかと疑わしく思う部分もある。間違いなく古代の文書と判っても、その内容が真実であると保証された訳ではないだろう。『ダ・ヴィンチ・コード』でも表に出て来ない聖書外典がキイとなっていたっけなあ。
 そもそも正真正銘の聖書そのものだって、内容が本当に起こったことかと訊かれたら、よほどの原理主義者でない限り「嘘でしょう」と答えるしかないだろう。少なくとも生きていた当時は人間だったイエスさんが、本当に水の上を歩けたり、ちょっぴりしかない食べ物を手ずから分けたら何十人もが満腹になってまだ余ったり、なんてことが起こり得る訳がない。
 真実かどうか疑問だという点では聖書に載っている4つの福音書も、この『ユダの福音書』も、大して違わないのである。

 どういう事情があったか知る由もないが、後の権力者たちに都合の良いように聖書が編纂される時に、数々の「福音書」が取捨選択されたのだと思う。複数の文書に共通して出て来るエピソードがあるから、1から10まで全部作り話ではないだろうけれど、丸ごと信じるのはどう考えても賢くない。だからと言って「闇に葬られた福音書」こそが真実と言うのも違って、結局全部が「ちょっと真実でちょっと嘘」なのだろう。
 人間心理的に「隠された部分に真実が潜んでいる」と言うのが好きだから、古代の聖書外典がとりわけ脚光を浴びるのだろうか。しかし例えば今から1500年くらい経って、何かの事情で現代のテキストほとんどが残っていない時代が来たとしたらどうだろう。うっかりどこかのタイム・カプセルから『水は答えを知っている』とかが出て来ちゃったら、後世の人はそれを信じるだろうか? 絶対にNOである。

 音楽や絵画など、良いものだから後の時代に伝わって残るというものも確かにあるだろう。けれど特に書物の場合、内容が具体的なだけに、「残っているもの=本物、良い物」と早とちりしてはいけないよな、と思うのだった。
 こういう聖書外典が出て来たら、あくまでも聖書学とか宗教学とかの純粋学術的テキストとしてか、あるいは一種のロマンを感じるアイテムとして扱うのが良いような気がする。
 2000年前のイスカリオテのユダさん、本当の本当はどんな人なのか、ちょっと気になってしまうのは確かだけれど。




04/10 さいごの言葉

2006/04/10 23:59
 またまた友人のmixi日記で見掛けた面白いサイトのネタである。
 だいぶ前に「あなたの死亡診断書」とかいうサイトを教わったことがある。名前と年齢・性別・生年月日などを入力すると、いつどこでどういう原因でこの世を去るかを診断してくれる。もちろん冗談だが、診断結果は案外、からりと笑える愉快なものだった。
 もう1度やってみたいと思ったのだがそれらしいサイトに行き当たらない。どこだったのだろう?

 代わりに見つけたのが「あなたの前世の死亡診断書」。これも名前(ハンドル可)と年齢、好きな数字と血液型を入れて診断してもらう。やってみたらわたしの前世は「ロドリゲス」という名の鈴虫だったらしい(汗)。飼い主である斎藤さん家の亮太君(9歳)が、お母さんに「虫の餌なんてどれも同じよ」と手渡されたカブトムシ用餌を与え続けたものだから、ちゃんとしたご飯が食べられなくて衰弱死したのだそうな。
 経歴が「世界鈴の音コンクール覇者」。ということは雄だったようだ。推定年収は「なすび37本」。鈴虫の年収として、多いのか少ないのか良く判らない。というか、そういう収入(?)があるのなら、そのなすびを食べていれば良かったような気もするが…。

 閑話休題。mixiで教わった面白いサイトは「あなたがつぶやく最期の言葉」。生年月日と性別を選び、簡単な5つの質問に答えると、総合運、仕事運、金銭運、恋愛運、ラッキー・ワードなどと共に「最期の言葉」とそれを呟くシチュエーションを診断してくれる。
 面白そうなので早速やってみたら、あんまり楽しくない結果が出た。

 うっかり睡眠薬を飲み過ぎてしまい、朦朧とした意識の中で「もう、何がなんだか判らない」と呟いてこの世を去るのだそうだ。しかも推定年齢「不明」。なんだそりゃ(汗)。
 他にも「凝り性だが熱し易く冷め易い」とか「お金を使い慣れてない」とか「己のレゾンデートルに囚われて他人の気持ちはどうでも良い」とか、良く読むとあまりにあんまりな言葉が並ぶ。しかもいちいち身に覚えというか、心当たりというか、それぞれなるほどと思わされる部分があるので余計に腹が立つ。

 面白くないので、ちょうど傍にやって来た家人にもやらせてみた。
 推定年齢68歳。成城の自宅にて、妻と子供と愛人(!)に看取られながら「今まで本当にありがとう」と呟いてこの世を去るらしい。わたしのと違って随分また出来た人間というか、性格がおよろしいではないか。68歳というのはちょっと早過ぎるが、「不明」よりはナンボかマシである。
 さらに「聡明で強い意志と行動力を持ち」、「向上心が強く人の上に立つ社長タイプ」とか、「お金の出入りは激しいが最終的にはお金はあなたのところに戻って来る」とか、「30代後半あたりからモテモテ」とか、いいことばっかり書いてある。どうしてこんなに違うのだ。ズルイではないか!

 そういえば1月25日の日記に書いたことを思い出した。母が面白がって「日本歴史占い」の結果をプリントして持って来てくれたのだが、わたしのはあんまり良くなかったのだ。対照的に家人のは人格者で鷹揚で器が大きい感じ。納得行かない…。
 おそらく家人の生年月日は「お日柄が宜し」くて、わたしの生年月日は多少難アリなのだろう。結果を並べた家人の得意そうなニコニコ顔と来たら本当に憎たらしいのである。こんな冗談占いの結果なんか気にしてなるものか(ぷんすか)。

 一番笑ってしまったのは「ラッキー・ワード」。わたしのは「Go my way!」で家人のは「だったらお前がやってみろ!」だった。それぞれ妙にハマっている。家人のなんか、いかにも普段から言いそうな言葉である。わたしのについては家人がすかさず「キミはそれ以上我が道を行ってどうするんだ」と呆れてみせたのだった。
 こういうのが当たっているように見えるのは、誰にでも多少はハマることを尤もらしく書いてあるからだ…とは聞くが、それにしても今回の微妙なツボの嵌まり具合、いったいどういうことなのだろう。気になってしまう。




04/11 電話サポート

2006/04/11 23:37
 昨日だったか、大阪の叔父から電話が掛かって来た。メーラがおかしくなって、送受信が出来ないのだが、どこがどう悪いのか判らないので教えて欲しい、という。祖父の通夜&葬式の前の日、家人が叔父のPCをメンテしたので、もしかしたらその時何か設定が変わってしまったのかもしれない。
 電話を受けた時は、それは申し訳ないことをしてしまった…とちょっと反省した。けれど叔父のPCにはウィルス・ソフトさえなかったので、どうしても避けて通れない処置だった。正確にはウィルス・ソフトは入っているのだが、叔父が言うには「差分更新もアップ・グレードも出来ない状態」なのだそうだ。

 いったいどういうことかと訊いてみたら、どうも叔父のPCは相当に無防備かつ放置状態らしい。いろいろ事情があって(汗)、OSのディスクもウィルス・ソフトのディスクも紛失しているのだという。確かにそれじゃアップ・グレードは難しい。
 急遽家電量販店へクルマを飛ばし、必要最低限の機能のウィルス・ソフトを買って来た。インストールしようとしたら、古い方のウィルス・ソフトの残り滓が何か邪魔をしているらしく、まずはそれを強制的に削除するところから始めなければならなかったらしい。
 家人としてはいっそのことOSを再インストールしてしまいたかったのだが、先述の事情でそれも無理なのだ。

 マシン本体が何年前のモデルかも不明だし、載せてあるOSはWindows2000。セット・アップとかメーラの設定等は、廃業してしまったお風呂屋さん時代のお友達か、あるいは亡くなった父がやったのではないか、と言う。ひょっとするとそれからずーっとメンテナンスしてなかった訳である。良くもまあウィルスを拾わずに済んだものだ。
 ともあれ買って来たウィルス・ソフトとSpybotをインストールし、セキュリティ状況だけは改善して帰って来た。メーラが繋がらなくなった、と言う電話が掛かって来たのはその後である。

 すぐにアタマに浮かんだように、ウィルス・ソフトのファイアー・ウォールがアクセスを遮断していた訳ではないらしい。昨日〜今日と何度か電話でサポートしながら原因究明とメーラ修復に努めていたのだが、頑として叔父のメーラは送受信を拒むのだ。
 どこがおかしいのだろう。家人とわたしと散々考えたのだが、どうしても繋がらないままである。

 インターネット自体に繋がらないのであればネットワークの問題だろうが、不思議なことにブラウザはきちんとアクセスするらしい。ウチでは時々、ブラウザの設定ファイルが変になるのだろう、メーラは繋がるがブラウザが死んでいる、という状況に陥ることがあった。ただしその逆には遭遇したことはない。
 メーラのアカウント設定でパスワードを入れ間違えているのだろうとか、IDが大文字小文字で違うのかもとか、いろいろ試してもどうしてもダメ。

 最後の手段としてThunderbirdをダウン・ロードしてもらって、家人が電話越しにその設定を手伝ったらどうかと試してみたのだが、これもダメだった。設定はどこもおかしくないハズなのに、何度試しても雷鳥君はメールを読みに行ってくれないのだ。
 万策尽き果てて、とりあえず今は放置しておいて、次に(おそらく四十九日の法事か)大阪に行った時に見てみよう、ということになった。それにしてもThunderbirdのダウン・ロードもniftyのwebメール閲覧も出来るのに、メーラだけ動かないとはこれ如何に?

 2ヶ月ほど前、迷惑メール掃作戦の一環だとかで、そういえばniftyから何かメールが来ていたことを、朧気ながら今思い出した。たしか25番ポートがどうたらいう内容だった。ひょっとしてアレが関係あるのだろうか。自分のメーラは何も問題がなかったので、読む必要もないかとうっちゃってあるのだが…。
 それにしても電話でPCの作業を説明するのって、何度やっても面倒臭い。各社のサポート・センターのオペレータさんたちのご苦労が偲ばれるのだった。




04/12 成分分析

2006/04/12 22:59
 しばらく前からあちこちで「わたしの成分分析結果は…」という日記やblogの書き込みを見掛けて、面白そうだと思っていたのだが、専用のソフトをダウン・ロードせねばならないのが面倒でやっていなかった。昨日、そのWeb版もあると聞いたので、早速試してみたのだった。
 どうもこの手の「何とか占い」、生成アプリだかサイトだかがあるようで、最近はヴァリエーションも様々に登場している。成分分析以外にチェックしたのは「テレビ欄占い」。
 そしてわたしの結果がこちらである。やけに細かいのと、実在の人物名が矢鱈に出て来るけどこういうのは構わないのかという疑問が残るが、ちょっと笑える。

 そしてこちらが成分解析 on Web
 試しに「まとり」の分析結果は↓こんな感じだった。
 まとりの53%は小麦粉で出来ています
 まとりの39%は陰謀で出来ています
 まとりの7%は気の迷いで出来ています
 まとりの1%はお菓子で出来ています

 例によって友人のmixi日記で教えてもらったのだが、この結果はあまり気に食わないので、本名でも試してみた。結果は↓。
 83%は不思議で出来ています
 10%は歌で出来ています
 6%は気の迷いで出来ています
 1%は言葉で出来ています
 …。さっきのよりは楽しいが、「歌」や「言葉」はともかく、主成分の「不思議」って何やねん(汗)。

 ついでに家人のはこんな感じ。
 48%は元気玉で出来ています
 36%は祝福で出来ています
 9%はお菓子で出来ています
 7%は言葉で出来ています
 9%が「お菓子」というのが家人の体型を表しているが、後は何とも目出度く健康的でよろしい。そして先のテレビ欄占いも家人のはこんな感じ。「テレ東」と「NHK教育」のイメージで言えば、やっぱり負けている気がする…。どうもこの手の占い、家人はやたらに良い結果が出て来る星の下に生まれ付いているようだ。ちょっと悔しいのである(汗)。




04/13 無謀運転

2006/04/13 22:30
 先日クルマで買い物に行く途中、ラジオで所ジョージさんが「自転車の通行マナーが悪過ぎる」と怒っていた。わたしもまったく同感である。夜間の無灯火、右側通行、携帯電話でメールや通話をしながらの通行。酷い人だともう片方の手に煙草を持ってたりする。ハンドルはどうやって操作するのだろう。ブレーキをきちんと掛けられないのも確実である。
 一時停止も赤信号も無視して交差点に突っ込んで来る人も居る。こういう自転車にぶつかって人に怪我をさせても、クルマの方が過失割合が高くなるのだから本当にやってられない。

 歩行者の立場からしても自転車には時々うんざりさせられる。段差や植え込みで区切られている歩道って、自転車通行禁止じゃなかったっけ? 自転車が通れる歩道は、人と自転車の絵が描いてある青い標識が立っているところだけなのだが。横に2台並んで走っている自転車は邪魔なだけでなく危険だし。
 前後のカゴに荷物を山盛りにして、しかもハンドルにも買い物袋を提げていたりする人も怖い。さらに前後に子供用椅子を付けて小さな子を座らせ、さらに赤ちゃんをおんぶして自転車に乗っている人も怖い。自動車免許を持っていなくて、しかも小さな子が何人も居る親御さんの買い物はいかにも大変そうだから、個人的には仕方ないかと思っているが、怖いものは怖いのである。
 自転車の交通ルールはこちらのページ参照。

 そのラジオ番組で所さんが「6月から自転車の交通違反に対する罰金も厳しくなる」と言っていたのだが、これはやや遅すぎる対処だと思う。自転車には免許がないため、建前としては交通違反で捕まると即罰金らしい。それでは実際的ではないので、例えば無灯火を見付けても、現実には口頭による注意くらいしかなされていなかった。
 6月以降かどうかは知らないが、それが「いきなり赤切符→罰金」となる可能性も高くなるという。どんどんやったれ、と思う。

 いっそのこと、自転車も免許制にしちゃったらどうだろう。本式の免許を取得出来るのは16歳以上。筆記テストや実技試験はないが、免許取得時に交通ルールに関する講義を受けなければならない。原付の免許取得と同じ感じで良いだろうか。
 16歳未満は全員仮免ということで、違反で捕まっても罰金は免除。ただし学校や地域コミュニティ等で交通ルールに関する啓蒙活動が行なわれることが前提である。仮免の子たちには持ち点を与え、違反を見付かると減点される。16歳になる前に持ち点がなくなってしまうと、自転車免許取得時にみっちりと補習を受けなければならない。

 なーんてシステムをちらりと考えてみたが、まあ実現は難しいだろうなあ。先立つものが結構掛かりそうな気がするし。
 本当は罰金だの免許だの言われなくても、自転車に乗る人たちがマナーを守ってくれれば良いだけなのだが。ちなみにわたしも自転車には乗るし、子供の頃は無謀な運転もしたものだが、最近はちゃんとマナーに気を付けている。徒歩と電車とクルマで事足りるので、ほとんどご無沙汰になっているのだが。




04/14 筋肉痛

2006/04/14 23:59
 インストラクターの先生がアキレス腱断裂の大怪我をしてしまったり、わたしの方がいろいろと忙しかったりで、しばらくスポーツ・クラブのバレエ講座は欠席していた。昨日久し振りに顔を出したら、メンバーの皆さんに「まあ随分痩せたじゃないの」と言われてびっくり。
 体重は全然変わってないのだが、ひょっとして脂身が減って筋肉になったのだろうか。嬉しや♪
 とは言うものの、相変わらず体型としてはボウリングのピンのように下半身が充実している。バレエ教室ではかなり頑張っているものの、やっぱりわたしが一番「下半身デブ」である(哀)。下半身の肉が普通レヴェルになるだけで、体重全体が数kgは減るのではないかと思う。ままならないものだ…。

 バレエの講座の前に、4月5月の期間限定で「ピラティス」のコマが増えていた。ピラティスとはバレエ・ダンサーも多くの人が取り入れているストレッチと筋肉トレーニングの合わさったような運動で、身体のコアの筋力を鍛えることが出来る。グラン・バットマン(脚を大きく振り上げる動作)などは、柔軟性の他に、こういったコアの腹筋や背筋の力が必要不可欠なのだ。
 面白そうなので参加してみることにした。流行っていることもあり、参加者はスタジオから溢れんばかりであった。来週はもうちょっと早目に出掛けないと、場所が取れないかもしれない。混んでいるクラスは居心地悪くて苦手なのだが…(贅沢)。

 ピラティスのコマではゆっくりとした基本的な動作で深部の腹筋を鍛えることを教わった。今までのトレーニングが奏功しているのか、インストラクターの先生が仰る動作はすべてやり遂げることが出来た♪ むしろ、運動負荷としては軽めな感じである。もうちょっとキツくても良いかな、などと、分不相応なことを思ったりして…。
 続けてバレエのコマを受講し、バー(はないので鏡に手を付くやりにくさなのだが)でプリエ、タンデュ、ジュテ、ロンデジャン、フォンデュ。センターでタンデュ、ジュテ、アダージオ。ピラティスのコマに圧縮されて時間が30分しかないので本当にちょっぴりしか出来なかった。せめて1時間のコマにして欲しいなあと思う。

 動き足りないので居残って1人で自主トレをすることにした。バレエ教室で毎週やっている(けれど出来ない)センターでのフォンデュとアダージオ。ア・テールとルルヴェ(爪先立ち)両方でトライするも、やっぱりルルヴェだとフラフラして難しい。
 どうしても出来ない動作その2のピルエットも自主トレ。アンデオール(外回り)のピルエット、3/4回転くらいまでならどうにかなるのだが、1回転になるとどうしても決まらない。軸足がふらつくのと、回転の勢いが殺されるのと、両方の原因があるのではないかと思う。
 コツさえ掴めば、1回転は「ルルヴェで立つだけで回れる」らしいのだが、まだまだその境地は遠いのだった(涙)。

 ルルヴェで立つための脚の筋力が足りないのかと思って、鏡に手を付いてしばらくパッセ(両脚を4の字状態に立つ)の練習をした。補助なしでもスッと真上に立ち上がれるようになると、ピルエットもだいぶやりやすくなるのではないかと思う。
 その後はちょっと念入りにストレッチ。以前よりはかなり柔らかくなったが、まだまだ前後・左右ともに180度の開脚には遠い。さらに腰がまだ立ち過ぎているので、脚を左右に開いて前にベタッと倒れる時、お腹が床に付くように頑張らなければならない。今はまだ胸までしか床に付けることは出来ないのだ(しかもすごく苦しい)。

 そんな具合に、月曜日のバレエ教室と運動量は変わらないか、むしろ少ないくらいなのに、今日は昼頃、筋肉痛のピークがやってきた(汗)。わたしの場合、大体12時間後あたりから筋肉の張りを感じて24時間後にピークを迎え、後は漸減するというパターンである。歳を取ると筋肉痛が出るのが遅くなると聞くが、このパターンが若者なのか年寄りなのかは判らない。
 不思議なのは、バレエ教室の後とはまったく違う場所が痛むことである。いつも火曜日には首とふくらはぎ中心に筋肉痛が起こるのだが、今回はももと腕と腹であった。腹と腕はピラティスのせいだと思うのだが、ももの筋肉痛は理由が良く判らない。自主トレのやり方が拙くて、間違った場所に筋肉が付くようなトレーニングをしちゃっているのだったら嫌だなあ…。




04/15 5年…いや6年ぶり?

2006/04/15 23:59
卵  という訳で、ずいぶん久し振りにとあるところへ行って来たのだった。今の在所に越して来てから1回か、もしかすると2回くらいは行ったことがあるのだが、確実に年単位でご無沙汰している。距離的にはそれほど遠くないのだが、クルマで行くには怖い(あくまでもわたしの基準では)街中にあるし、そもそも目的地には駐車場がない。
 電車で行くとすると乗り換えがあって、しかもその接続が大抵スムーズに行かないのでイライラする。合計で5駅分しか離れていないのに、確実に1回、下手すると2回も乗り換えなければならないのだ。自転車でも何とか辿り着ける距離なのだが、とても自転車を使う根性はない。

 そんなぐーたらが主な理由となって足が遠のいていた。真面目な方々からしたら理由にもならない理由である。せめてバイクが使えればなあ…。
 最寄駅から電車で1本の6駅離れたF駅にも代替となる場所があるのだが、わたしが籍を置いているのはあくまでも乗り換えで不便な方なのだった。おそらく住所で振り分けられているのだろう。通うとしたらF駅の方が便利なのだが、移籍する訳には行かないのだろうか。むーん。

 案外ディテールは覚えていた。歌などもイントロ伴奏が始まると口を突いて出て来てくれる。しかし一番びっくりしたのは、メインとなるお祈りが変わっていたことだった。正確には文語体から口語体に変わっただけなのだが、それだけでも馴染みはさっぱりなくなってしまう。
 どうやら2000年、大々的に文語体→口語体の変換が行なわれたらしい。と言うことは、最低でも2000年からサボっていた訳だ。ううむ(汗)。
 せめてもうちょっとマメに通うことにしようかと反省しつつ、卵食べちゃおうかな〜♪




04/16 美味しい話

2006/04/16 18:47
 昨日の夕方、某所へ行くために電車に乗った時のこと。わたしの斜め前に1人の男性が座っていた。バリッとした濃紺〜黒のスーツ、明るい水色のシャツ、ネクタイは黄色系統のストライプ。髪は明る過ぎない茶色で長くもなく短くもなく、左耳(右耳はこちらからは見えない)にピアスが2つ。薄いブルーのサングラスは流行の細長いタイプ。黒い靴は良く手入れされている。
 見たところ30歳前後のその男性、わたしの趣味からはまったく外れているが、一般的には「格好いい人」の範疇に入るだろう。ちょっぴりホスト風と言うか、イメージ的に「ヒルズ族」みたいな印象である。

 「ビジネスで成功する方法」と言ったタイトルの(良く覚えていない)、オレンジとネイヴィー・ブルーの派手な表紙の本を読んでいた。何よりの特徴は、その全身から立ち上る「怪しい」オーラであった。そしてそのオーラの発生源は、左の襟元に留められたバッジなのだった。
 缶コーヒーの底くらいの大きさの、白地に赤い文字で3語が書いてあるバッジである。痩せたい人のご相談に乗ります、だそうだ。何だこれ何だこれ。怪し過ぎる!

 スマートな身形とそのバッジがあまりにミス・マッチだったので、思わず好奇心を刺激され、ついついしげしげと(横目で)眺めてしまった。こっそり眺めたつもりだったが、男性も途中でちらりとこちらを見ていたので、視線には気付かれていたのだろう。不躾なことをしてしまった…(反省)。
 渋谷や新宿などの繁華街ならば、ああいった「ちょっと変わった人」も多かろう。しかし何せこの近辺は東京の南の端っこ。お子様とお犬様連れのファミリーが長閑に集うこの界隈で、ギョーカイっぽい風体は悪目立ちするのである。内心「何なんだろうあのバッジ。そしてあんな格好の人が、この辺りに何の用事なんだろう」と不思議でいっぱいだった。

 帰宅後思い出してネット検索してみたら、目撃したあのバッジ、とあるダイエット食品販売グループの販促バッジらしいと判った。わたしも名前くらいは聞いたことがある、結構有名な会社である。各種栄養分が程好く調合されたものを、1日3食のうち2回飲んで、残りの1食は普通に食べる仕組みらしい。
 必要な栄養は入っているけれどカロリーは抑えられているので、キレイに健康的に素早く痩せるという触れ込みである。2ヶ月で10kgとか半年で20kg痩せたなどの体験談がいーっぱいヒットする。

 個人的には、どんな方法を選ぼうが、1ヶ月に1〜2kg以上のペースの減量は長続きしないと思っている。これは人間の生理もしくは生存本能の問題で、必要な栄養分を摂取していようがいまいが関係ない。「必要な栄養分を摂りつつカロリーは抑える」代替食品にしても、こういう高価なものを買わずに済ます方法はいくらでもある。高額な投資をしてしまったから失敗出来ないと自分を追い込む心理的な効果はあるかもしれないが。
 そしてこの会社にはまだ問題点があった。いわゆるマルチ商法なのである。

 希望者はダイエット食品を買って「ディストリビューター」になることが出来る。自分で飲んだり食べたりする以外に、他人に勧めて買ってもらうと一定の差額利益が受け取れて、さらにポイントが溜まってランク・アップする。一定以上のランクになってノルマを果たせば、配下からロイヤリティが貰える。ランク・アップするごとに配下も増えるしロイヤリティも多くなる。
 使用料か何かを払えば、ネット上に宣伝用のページを開いてアフィリエイトを狙うことも出来る。この辺はちょっと今風である。資格は1年ごとに更新され、一定の更新料(結構高価い)と実績が必要となる。どこからどう見ても立派なネズミ講と言う訳だ。

 大元の会社そのものは(こういう売り方を許すのだから多少灰色ではあるものの)まだマトモらしい。ダイエット食品を売ってるだけなのだから当たり前かもしれないが。問題は小売の実践部隊の人たちの強引な勧誘とか、売りたいがために「ダイエット食品を食べれば食べるほど痩せる」などの過剰宣伝を行なうことなのだそうだ。
 ダイエッターが集まるあちこちの掲示板にコピー&ペーストの宣伝文を貼り付けまくって「荒らし」と見做されたとか、ネカマとなって男性客を捕まえたとか、笑うに笑えない例が結構ある。「食べれば食べるほど痩せる」の言葉を信じると、VAの過剰摂取となって健康被害を受ける可能性さえあるらしい。いやはや。

 電車の中で見かけたあの男性、バリッとした身形とセールス用バッジからして、かなり「上の方」のディストリビューターなのだろうな、と思った。願わくば、彼が強引なセールスや阿漕な宣伝やいいかげんな効用説明をしないで沢山売り上げる、真に凄腕の売り手でありますように。

 さらにネットで調べてみたところ、ここのダイエット食品そのものは割に高品質だという評判らしい。遺伝子組み換え大豆の使用が気になる人は気に入らないかもしれないが、要するにプロテインと各種ヴィタミンやミネラル配合食品なのだ。ビジネスとしては悪評芬々だが、ここの製品が一番好きだと言うファンも結構居るようだ。
 とは言え、メインとなるプロテインのお値段は500g入り(20食分)が5350円。高いよ。飲んでみたことがないからメーカーによる味の違い等についても判らないけれど、1kg入りで4000円とか、もうちょっとリーズナブルな他メーカー製品もあるだろうに、と思ったのだった。
 やっぱり極端に美味しい話ってのはそうそうないものだと肝に銘じたいよなあ。




04/17 プリマダムたち

2006/04/17 23:07
 バレエ教室の更衣室ではやっぱり、先週始まった日テレの連続ドラマ『プリマダム』の話が出たのだった。皆チェックするところは同じである(汗)。そしてドラマの観方も、何となくメンバーたちに共通点があるのだった。つまり「ストーリーは割合どうでもいいからとにかく踊ってるところをいっぱい見せて♪」である。
 ドラマの制作者さんたちには申し訳ないかもしれないが、今更「もう若いとは言えない女性たちの人生再発見」とか「もう一度輝きたい」とかのゴタゴタなぞ、特に興味はないのだ。そちら方面にウェイトが置かれているとしたら、少なくともわたしは途中で飽きてしまうかもしれない。

 そもそも黒木瞳さんが「冴えない中年女性」を演じる点だけでリアリティ皆無である。しかも彼女を夫が「キミなんかもう女としては終わってるんだ、おばさんのバレエなんてモスラのバレエと同じくらいみっともない」呼ばわりする。視聴者のおばさんたちとしては、身につまされるどころか、「お前なんかに言われたくないよ」とか「我が身を振り返ってからモノを言え」とか、少なからず反感を覚えるだろうと思う。制作サイドの狙いとは異なる方向へ行っているに違いない。
 一時が万事その調子で、設定と言うか周囲の反応と言うか、余りにも紋切り型。「おばさんのバレエ」に対する夫や娘たちのスタンスが笑っちゃうくらいステロタイプなので、ますます現実味が薄れるのである。今後その辺がどう変わるのか、ちょっと興味があると言えばあるけれども。…変わらなかったりして(笑)。

 オープニング・テーマが『トゥーランドット』の「誰も寝てはならぬ」だったりするのもタイミング的に大笑い。あの曲を使えばキャッチーだと思っているのだとしたら随分イージーである。『トゥーランドット』にはバレエ・シーンはなかった筈。せめて『カルメン』を持って来るとかの工夫をすれば良いのに…。
 初回らしく、矢鱈に状況説明的な台詞が多いのもどうだろう。早過ぎる引退を惜しまれている元有名ダンサーさん(中森明菜)が、エンディングで息子にレッスンを付けながら「この心臓、いつまで保つのかな」と独白していたりするのには、こう言っては何だが苦笑が漏れてしまった。
 粗探ししながら観たくはないのだが、多過ぎる突っ込みどころについつい反応していたら、家人が「日テレのドラマに何を期待しているんだよ…」と一言。いやまあそりゃそうなのだろうけど(汗)。

 とは言え、主人公が一念発起して入門するバレエ教室の先生は、ベジャール・バレエ・ローザンヌで踊っていらした小林十市さん。ドラマの中で披露したグラン・ピルエットは凄かった…。さらに有閑マダム役の神田うのさんは流石の立ち姿に踊りっぷりで、彼女のダンス・シーンも楽しみである。
 お母さん(中森明菜)の焦りと期待の元、厳しくレッスンさせられている息子君(中島裕翔)のダンス・シーンを吹き替えている(のだろう、たぶん)少年ダンサーの身のこなしも素晴らしい。アチチュード→プリエ→バッチュ→シャンジュマンの短いパでも、相当踊れるんだなあと判る優雅さだった。

 何だかんだ言ってやっぱり次回も楽しみなのである。しかし正直なところ、ええいおばさんを取り巻くしがらみはいい! バレエを映せ! 皆がバレエを踊ってるシーンを! とまあ、そんな気分だったりする。




04/18 超怠惰な一日

2006/04/18 23:07
 最近の家人の勤務シフトはメチャクチャである。元々カレンダーには関係のない出勤だったのだが、今週はついに、お休み日は全部ウィークデイになってしまった。その代わり、週末は全て勤務日である。こちらとしては曜日感覚が狂って狂って仕方がない。来月からは9時5時の部署に異動になるそうなので、あと2週間の辛抱なのだけど。

 今日も所用があるので休暇を取っていた。出掛ける時間が出勤日と同じくらい早かったので、寝坊せずに済むのがまだ救いである。朝、家人を送り出してからゴミをまとめ、ふと思い付いてクロゼットの整理。来月アタマに久し振りの友人と会う約束があるのだが、故あって「お洒落して会おうね」という話が出来ているのだ。お洒落かあ…わたしには難しい問題である。
 あれこれ考えて、クリーム・イエローのスーツか黒のレースのワンピースの2着を候補に挙げた。クリーム・イエローの方はレースのオーヴァー・スカートが付属品になっていて、これを着ると結構華やかな感じになる。黒レースの方は義母からのお下がりで形がややレトロなのだが、コーディネイトによっては面白いかもしれない。

 多少なりともメイクが出来るようにアトピーのコンディションを整えておかないといけないなとか、いいかげん眉毛も整えないととか、そういえば一番最近で髪の毛をカットしたのはいつだったっけなど、つらつら考えながら手洗いするものの洗濯。ついでにその辺を少々掃除。
 仕事部屋のPCをメンテしていたら11時前に家人が帰って来た。早起きの分を取り戻すと早速昼寝モードに入ったのでメンテの続きに取り掛かり、終わった後でメールとニュースのチェック。75歳のショーン・コネリー氏が俳優を引退するという知らせにちょっとショックを受けた。
 5月に封切りとなる『ダ・ヴィンチ・コード』の予告編に出ていたが、とすると、わたしが出演作品を観るのはそれが最後になるかもしれない。寂しいなあ。

 とまあ、この辺までは良かったのである。ちょこちょこと用事を済ませて、わたしもちょっとだけ昼寝しよう…とベッドに潜り込んだのが13時ちょっと過ぎ。15時くらいには起きるつもりだったのだが、異様にお腹が空いて目が覚めたら、なんと17時半を回っていた。おーまいがーっ(汗)。

 おかしいなあ。特に今日は寝不足でも疲れていた訳でもなかったのに、どうして「ちょっとの昼寝」で大寝坊してしまうのだろう。自分の寝汚さに、時々心底うんざりするのである。




04/19 心理作戦

2006/04/19 23:07
 昨日『ダ・ヴィンチ・コード』の予告編にショーン・コネリー氏が出ていたと書いたのだが、『ナイト・ウォッチ』を観に行って改めて予告編を観てみたら、どうもあのルーヴル美術館の館長は違う俳優さんであると気が付いた。一番最初にあの予告編を観た時にはてっきりそうだと思ったのだが…。やっぱり人の顔の見分けが付かないのである(とほほ)。
 念の為に公式サイトでキャストの確認をしようと思ったら、パズルというか謎解きをしないと人物紹介ページに入れない作りになっていた。しかも答えを見付けてページに入ったら、演じる俳優さんについては何も触れられていないのだった。
 凝りたい気持ちは判らないでもないが、もうちょっと親切に作ってくれても…。

 とりあえずレヴュー・サイトからキャストを確認したのだが、やっぱりショーン・コネリー氏の名前は載っていなかった。ぱっと見ショーン・コネリー氏に良く似ていたと思うのだが、ルーヴル美術館館長ジャック・ソニエールは誰だったのだろう。むーん。とりあえずわたしにはもう、俳優・ショーン・コネリーの出演する新作を観るチャンスはなさそうである。声をアテるという作品は日本に来るかどうか判らないし、声だけ出ててもなあ。がっかり。
 引退と言えば、日本ハム・ファイターズの新庄剛志選手も、このシーズン限りの引退を表明してびっくり。34歳であの身体なのだからまだまだ充分やれると思うし、おそらくファイターズで一番の人気者なのだろうから、引退なんて早過ぎるように思う。独特の美意識をお持ちのようなので、人気絶頂のうちに華々しく身を引きたいと考えるタイプなのだろうか。
 その割に昨日今日と大活躍しているようなので、これで「やっぱり引退はやめました」というオチが付いたら脱力するなあ…。

 脱力ついでに思い出したのが「青いふりかけでダイエット」のニュース。天然ブルーベリー・エキスを配合することにより、目の覚めるような青色をしたふりかけを作った会社があるらしい。食物繊維やカルシウム配合で、食感も少々食べにくいように調整してあるという。青や紫などの寒色系は副交感神経を刺激し、食欲を抑える効果がある。そのため、青いふりかけをご飯にかければ、自然と食べ過ぎを防ぐことが出来るのだそうだ。
 こちらがその「ダイエットふりかけ」の紹介ページなのだが、確かにこのふりかけを掛けたご飯は美味しくなさそうである。色彩心理学がどうとかの理屈以前に、どう見てもこのふりかけご飯、「アオカビが生えた状態」そっくりだったりする。これは、ちょっとわたしには食べられない。

 こちらのページなどに載っているように、ダイエット中に食べ過ぎを抑えるために、食器やランチョン・マットなどの色を青や紫にする方法は実際にあるらしい。逆に食欲を刺激する色は赤やオレンジなどの明るい色だとかで、そういえば食べ物屋さんの看板などにはこの手の色が使われていることが多い。
 とは言え、7日間このふりかけご飯を食べ続けたら「青いご飯=美味しくないご飯」という刷り込みが出来て、その後は自然と食事量が減るというのはどうも眉唾な気がするのだった。米飯だけに対して食欲が沸かなくなっても、その分他のものを食べちゃったら却って逆効果な気がするのだが。

 米飯だけじゃなくてメイン・ディッシュにも副菜にもスープにもこのふりかけを掛けねばならないのだろうか。しかしこのふりかけ、2.5g入りのが10袋入って4200円(プラス送料500円)だそうで、とてもではないがそんな豪快な使い方を出来るシロモノではなさそうだ。別にふりかけに拘らなくても、青い色さえ付ければ良いのなら、四六時中青いサングラスを掛けたまま生活すれば良いんじゃないかという気もする。
 ダイエットのネタは尽きることがないが、中でもこれはちょっと笑える方法かもしれない。オマケに付いて来るという「青いご飯お守りストラップ」も非常に笑える。食事中にこのストラップを見て「美味しくない記憶」を呼び覚ます狙いがあるのだろうが、そうそう上手く行くものなのだろうか。むーん。




04/20〜21 記憶の不思議

2006/04/21 23:25
 一昨日の晩に掛け布団を蹴っ飛ばして眠っていたせいで風邪を引いたらしく、昨日からアタマは痛いわお腹は壊すわと調子が今ひとつである。真冬ならば、眠っている間に暴れても布団から出ないように自重しているのだが(たぶん)、暖かくなった今頃の方が油断するので寝冷えの季節だったりする。
 結構真剣に、寝相改善策を探している。コルセットを装着して眠ると動けなくなるので寝相は良くなるらしいが、流石にそこまではちょっと…。他には今の所、寝袋で眠る案、布団をかいまきに代える案、ベッド脇に柵を付ける案などが出ている。手っ取り早いのは柵だろうか。しかし子供の頃、ベッドの柵を乗り越えて落ちた前歴があったりするのだが…(汗)。

 寝惚けている時に記憶を失くし易いのもちょっと困るのだが、ひょっとすると重大事項に関してはきちんと覚えていられるのかもしれないと、一筋の光明が見えた気分がしている。つまり、昨夜というか今朝未明の地震である。
 ミシッ、という初期微動でパチリと目が覚めた。意外に大きくなった…が、騒ぐほどの大きさではない。たぶん震度3というところだろうな。クリアな意識の下でそう判断し、隣のベッドの家人に声を掛けた。「震度3かな?」
 寝ているかと思ったら家人も目を覚ましていて、「そうだね、3だね」と返事をしてくれた。翌朝ネット・ニュースで確認したら、ウチの近辺はやっぱり震度3。起きた時間も、交わした言葉も、揺れの感じも全部覚えている。

 ということで、異常事態に関しては、眠っている間でもきちんと認識しているのに違いない。そういえば家人が睡眠時無呼吸状態に陥ってしまった時も、寝息が聞こえないという事態に異常を感じたのだろう、すぐに目を覚ましている。翌朝になっても忘れてしまうこともなかった。
 あるいは眠りのステージで記憶が飛んだり残ったりするのかもしれない。わたしの場合、一番記憶を失くし易いのは断然、寝入りばなだったりする。眠りのパターンを解説したこちらのページによると、睡眠に入った直後はノンレム睡眠(脳を休める深い眠り)だそうなので、その時に受けた刺激は飛んでしまうのかもしれない。
 ノンレム睡眠の時、脳は休んでいるけれど身体は多少動くらしい。そのせいで、眠ったまま家人と会話したり、部屋を移動したりするのに、翌朝は全然覚えていなかったりするのだろう。やれやれ。

 眠っている・いないに関わらず、覚えているべき重大事項とそうでない事柄を、わたしはどうやって区別しているのかについても興味は募る。何となれば、どうでも良い事は鮮明に覚えているのに、肝心な事はどうしても覚えられないということが、わたしの場合頻発するからである(汗)。
 例えば16日に書いた「白地に赤い文字でダイエット情報について書いてある丸いバッジ」。帰宅後、わたしは確かにアレに良く似たバッジをどこかで見た覚えがあると、気になって仕方なくなってしまった。考えた末、レスリー・ニールセン氏主演の『裸の銃を持つ男』という家人お気に入りのコメディ映画のとあるシーンだと思い出した。
 家人が格安DVDを買ったのでウチにはソフトがある。確かめたくて観てみたら、やっぱり記憶通りのシーンにそのバッジが出て来た。カダフィ大佐と思われる人物の襟元に「わたしは23ポンド痩せました。さあお訊き下さい!」と書かれた白地に赤い文字の丸いバッジ(日本版よりも多少大きい)が留まっていたのだった。

 超どうでも良いそんなシーンを妙にはっきり覚えているかと思うと、肝心のことは何度やってもダメだったりする。いい例が地図というか道である。
 例えば、何度行っても渋谷の道は覚えられない。最悪なのが東急ハンズ渋谷店とパルコで、ネットで地図をプリント・アウトして持参し、地下鉄駅構内のマップで下調べをしてから地上に出ても、真っ直ぐに辿り着いたことが皆無なのである。大抵、行きつ戻りつ、辺りの風景と手元の地図を見比べ、間違った道を何度も何度も進んだ挙句にようやっと目的地に到着…というパターンである。たまに、違うところへ行こうとしていて、ハンズやパルコに出ちゃうことはあるけれど。

 生存本能(とまで大袈裟ではないにしても)からすれば、映画の1シーンなんかよりも地図の方が、よっぽど記憶に値する情報だと思うのだが。家人などは例によって「キミは本当にメモリを無駄遣いしてるよなあ…」と憎まれ口を叩くのである。自分でもちょっとそう思うけど(汗)。




04/22 ヒト・ゲノム・マップ

2006/04/22 18:49
 先週土曜日のことだった。何かのネット・ニュースで「文部科学省がヒト・ゲノム・マップのポスターを作成、配布予定」という記事を見た。へえ、面白そうじゃん。記事によれば全国の小中高等学校に配るほか、一般の希望者にも先着順でくれるらしかった。ただし記事には、一般の希望者がどうすれば貰えるのかは書いてない。
 そこでメールを書いた。ウチには小中高生が居ないのだけれど、ぜひ1部欲しい。つきましては配布場所など、どうやったら頂けるのかを教えてくれないか。1週間待ったが返事は来なかった。

 返事を待っていたというよりは単純に忘れていたのだが、今日またまたネット・ニュースを見付けた。今週月曜日付けの記事には、「17日からヒト・ゲノム・マップの配布開始。全国の小中高等学校のほか、各地の博物館などで先着5万名(?)に」ということだった。公式サイトだとダウン・ロードすることも出来るらしい。ただしサイズはA3とかA2なので、ウチのプリンタではダウン・ロードしたものを印刷することは出来ない。
 モノが細かい字だの模様だののポスターなので、A5サイズに縮小して印刷するのではちと哀しい。貰っても貼る場所もないし、どうしようかな。諦めようかな…と思いつつ、やっぱり1枚欲しかった。遺伝子とかゲノムとかは、わたしにとって、いわゆる見果てぬ夢のひとつなのだ。

 さらに関連サイトを開いてみると、配布協力科学館等リスト、というページに行き当たった。住所が家人の勤務先に非常に近いところが1つあるので、帰りがけに寄って貰えないかと家人にケータイ・メールを送る。残念ながら返事は「もう電車乗るところだからダメ」だった。良く見たらその配布場所、入館時間は16時までだった。家人に無駄足を踏ませてブーブー言われるところだった…(汗)。

 気を取り直してもう少し探すと、お馴染みの場所・秩父宮ラグビー場の隣のTEPIAでも配っているらしい。おお、折り良く明日はラグビー日本代表のテスト・マッチ(対韓国戦)を観に、秩父宮まで行くのである。行きか帰りかに寄ればいいと、開館時間を調べてみたら、残念ながら日曜日は休館日だった。
 こうなるとだんだん後に引けない気分になって来る。何がどうあっても1枚GETせずには居られない。リストを睨んでしばし熟考、どこに行くのが一番良いだろうか。おお、出身大学内の博物館でも配っているのか。学部とキャンパスが違うので、在学中にも行ったことはないのだが。

 結局、明日ラグビー観戦の帰りに渋谷に立ち寄って、電力館に行ってみることにしたのだった。たばこと塩の博物館でも配っているようだが、電力館の方がまだ判り易いような気がする。
 何せ昨日の日記でも書いた通り、わたしは渋谷の街が苦手である。三叉路が多くて、しかも道が微妙に曲がっていて格子状になっていないので、最初に方向をちょっぴり間違えるととんでもない場所へ連れて行かれてしまう。パルコPART3に行こうとして迷子になり、駅から20分掛かってやっと辿り着いたという前歴もある。
 果たして明日、無事に電力館に行くことは出来るのだろうか。そして肝心のポスターはまだ残っているのだろうか。気になるところである。




04/23 電力館

2006/04/23 23:34
収穫  ♪大丈夫、行って帰って来られます 足取り軽く歩いて行けば♪
 というマザー・グースの一節ではないけれど、ちゃんと渋谷の電力館に行ってヒト・ゲノム・マップを貰って来ることに成功したのだった。
 ただし本日の予定としては半分しかこなせていない。というのは、今朝目が覚めたら12:30を過ぎていたからである。今朝じゃないじゃん、昼じゃん!
 仕方ないので已む無くラグビー観戦の秩父宮行きはキャンセル。15時前に出掛けようとしたら雨が降っていたので、取りやめにして良かったかもしれない。雨に降られつつ観戦すると風邪を引くからなあ(汗)。

 思いっ切り出鼻を挫かれたのだが、やっぱり渋谷には出向くことにした。ヒト・ゲノム・マップを貰いに行きたいことの他に、渋谷で贈り物を探すという用事もあったからである。時々映画をご一緒する友人たちが、昨年末からこの春に掛けて転職したからで、是非とも転職のお祝いをしたかった。
 きっと環境の変化で心身ともに草臥れているだろうから、リラックス出来るような何かが良いだろうなあ。アロマテラピーのグッズなど良いかしらん。いい香りのお風呂にゆっくり浸かるのもナイスかもしれない。あとは素敵なブレンドのハーブ・ティーとか。ううむどういう取り合わせにしようかな。わくわく。
 贈り物をする機会はあまりないので、大変楽しんであれやこれやと選んでいるのだった。

 3月末から土日祝日は最寄の駅に急行電車が停まるようになったので大変便利である。心配していた天気もほとんど霧雨程度で済んだ。
 黄色い出口案内の通りに神南方面へ出て、一瞬だけどっちへ進んだら良いのか迷ったけれど、無事に行くべき方向を見出すことが出来た。どうも駅前の変則な交差点が、方向感覚を狂わせる最大の原因かもしれない(汗)。人ごみに紛れてちんたら歩くこと10分弱、行く手には無事「電力館」というでっかい看板と、特徴的な建物外観が見えて来たのだった♪

 6階に上がってヒト・ゲノム・マップを1部GET! 当初の目的はこれで果たせたのだが、あっさり帰るのももったいないような気がするので、一通り電力館の中を見物してみる。発電の仕組みや科学豆知識の展示、リラクゼーション空間などが各フロアごとに展開されている。オール電化住宅のプロモーションもやっていて、IHクッキング・ヒーターを使った料理体験コーナーもあった(やらなかったけど)。
 ちょっとしたデートとか、小さい子供さんの遊び場としても良い感じ。それほど混雑していないのも嬉しい。
 ということでGETしたマップが↑の画像である。これから開いてねちねち読んで面白がろうと思う。

 マップの上に乗っかっている小さなカードは、中2階でやっていた「よこがおTAKE OUT」というコーナーで作ったしおりである。カメラで自分の横顔を写し、画像処理してシルエットに加工して、付属の白いカードをレーザーで焼いて切り込みを入れると出来上がり。日付と名前も入れてくれる。
 切り口を良く眺めてみると茶色く焦げていて、レーザーの威力を窺い知ることも出来る。結構人気コーナーらしくて列が出来ていたが、それでも4〜5人程度なので、イライラすることなく待てた。
 堪能した後は予定通りチェックしておいたお店へ行って買い物。目を付けていた「薔薇の花びらのジャム」が品切れで大ショックだった(涙)。アロマで乙女なプレゼントには最適かと思っていたのだが…。

 家人は夜勤で居ないので、最寄り駅まで帰って来た後はショッピング・モールをウロウロして晩御飯の材料の買出し。独りだとついついいい加減な食事になってしまう(反省)。さらに帰りがけ、うっかり本屋さんに立ち寄って吾妻ひでおさんの『失踪日記』をパラパラめくったら、ついつい丸ごと読んでしまった。噂通り凄まじい内容をクールな目線で描いた作品であった。
 立ち読みのせいで腰に来た上、『失踪日記』にアテられて、何だか自分まで帰る家がなくなっているような不安な気分に陥る。「ご飯…! ちゃんとしたご飯食べなきゃ…!」とヨロヨロ帰宅して、何とも妙な1日は終わったのだった。




04/24〜25 ディラン効果

2006/04/25 12:31
 ふと思い付いたメロディが頭の中をぐるぐる回って止まらなくなる現象がある。割と誰にでも起こり易いことなようで、わたしもしょっちゅう「回っている」。例えば某スーパーで流れているホ○トの「きのこの唄」とか大ヒットした「おさかな天国」を双璧に、「食べちゃえ☆野菜 食べちゃえ☆果物〜カモン! ファイブ・ア・デイ〜」や「コロッケのうた」辺りが破壊的な威力を持つ。
 ちなみに↑の野菜の歌、こちらのページによると作曲は「きのこの唄」のいしいゆうこ氏、作詞は「おさかな天国」の井上輝彦氏だという。2大「回り易い歌」の作詞・作曲者が作り上げた、回る歌のサラブレッドだったのだ。道理である(汗)。

 以前この日記に書いたことがあったかとも思うのだが、その現象を「ディラン効果」と呼ぶ…と聞いたことがある。これは川原泉さんのエッセイ漫画『小人たちが騒ぐので』を読んだら出て来た記述で、読んだ当時は「そうだったのか!」と手を打ったものだ。ただし、この記述がどういう文献に依拠するのか、その後幾ら調べても不明だった。同じことを疑問に思う人もおいでらしく、こちらのページ辺りが検索でヒットする。
 『現代用語の基礎知識2006』にも掲載されているらしい「ディラン効果」、心理学用語でないのはどうやら確かなようである。『トリビアの泉』に出て来た「ジャネーの法則」の出典が怪しいのと同じくらい怪しい。

 ただし、個人的には、確かにどこかで同じような内容の文を読んだことがあると、不思議に確信していたりする。かなり昔の記憶なので、『小人たちが騒ぐので』を読んでデジャヴュを起こしたのではない。どこでだっけ。いつの記憶だっけ。
 一昨日くらいだったか、ふと思い付いて数年ぶりにアン・マキャフリー氏の『歌う船』を読み返した。サイボーグ宇宙船と、その乗組員かつパートナーである人間との、ドラマティックで心ときめくSFオムニバスの傑作である。マキャフリー氏と他の作家さんが共著した続編も何冊か出ているが、わたしは断然この第1作『歌う船』を愛するのだ。好みから言えば、黄色い娘さんが表紙の新版ではなくて、佐藤弘之氏のイラストが表紙の方がヘルヴァらしいと思っている。未訳なのか「Honeymoon」という短編もあるらしい。読みたい!

 閑話休題。その第3話『殺した船』を読んでいてあっと思った。音楽による精神への働きかけがキイとなるのだが、その種のエキスパートとして「ディラニスト」というものが設定されている。「熟練したディラニストは(中略)メロディーと歌詞とで、人を引きつけずにおかない主張を述べることができ」るらしい。
 さらに数行引用してみる。

「あるメロディーがどうしても頭から離れなかったことってない?」キラは自分の部屋のドアの前で立ち止まった。
「そうね。そういえばあるわ」と一応認めたものの、『ロヴォロドラスの第二のチェレスタ組曲』のテーマがキラの念頭にあるものにぴったりあてはまるかどうか、ヘルヴァは確信が持てなかった。
 キラはギターのケースを持って戻ってくると、つづけた。「本当に才能のあるディラン派の歌手は、だれもが思わず口ずさんだり、ハミングしたり、口笛を吹いたり、指で拍子を取ったりするメッセージ・ソングを生み出すことができるの。朝、目が覚めると、頭の中でよくできたディラン様式の歌が響いているなんてことさえ、ありうるのよ…(後略)」(創元SF文庫 アン・マキャフリー著『歌う船』p105〜106から引用)

 ひょっとして、これなのだろうか。川原泉さんの『小人たちが騒ぐので』以前に「ディラン」と「頭から離れないメロディ」を結び付けていて、心理学的作品以外のものとすると、これが出典だとしても不思議ではない。川原泉さんは読書家で、特にSFもお好みだと知られている。『歌う船』が愛読書ということも充分考えられるし、『殺した船』のこのくだりが頭に残って「ディラン効果」として書いたのかもしれない。
 もちろん、川原泉さん御本人が「ディラン効果」の出典をどこかで明らかになさっているのかもしれないが、わたしは今までのところ、そういうエッセイなり後書きなりを目にしたことはない。インタヴュー記事までは網羅していないけれど、たぶん、「ディラン効果」の出典をインタヴューで尋ねられたこともないと思う。

 『殺した船』の中では「(メッセージ性の強い)歌=ディラン」として描いているが、ギターというアイテムと言い、綴り(Dylan)と言い、これが歌手のボブ・ディランさんを意味していることは明白である。何しろ代表作の「風に吹かれて」が出て来るのだから絶対間違いない。ということで、「ディラン効果」は『歌う船』が出典であり、その由来はボブ・ディランではないかと思うのだった。
 SF愛好家の間ではもしかしたらとっくに有名な話かもしれないけれど、もやもやしていたことが腑に落ちてスッキリ。ボブ・ディランは「風に吹かれて」とか「Knockin' On Heaven's Door」とかの超有名曲しか知らないけれど、チャンスがあったら聴いてみようと思ったりする。




04/26 勤続20年

2006/04/26 22:27
 日本語訳はされていないのだろうか、読みたいな…と思っていた「Honeymoon」は、『塔の中の姫君』という短編集に入っていると教えていただいた。タイトルに覚えがあるし、確かこの短編集は買ってあるハズ。発掘に掛かったら、案外とすぐに発見することが出来た。ただし予想していたように「いつか読むつもりで積読」本のどこかではなくて、「再読したいので処分しない」本の山の中から出て来た。
 おかしいなあ。読んだのであれば、『歌う船』に入っていないヘルヴァものが収録されていることを、間違いなく覚えているに違いないのだが。訝しみつつページをめくると、半分ほどのところから、しおり代わりの100円の図書券が出て来た。発行年月と思われる印字は90.1とある。16年前かい(呆)。

 発行店のスタンプによると祖父母の家近くの書店らしい。つまりその店は、図書券の買い物だとお釣りは図書補助券プラス10円玉で返すシステムだったのだろう。何かの用事で祖父母の家に遊びに行って、恐らく帰りの新幹線の中で読むために『塔の中の姫君』を買い、読み終わらずにそのまま忘れて放置してしまったのだ。
 時期的に、本も読めないような満員電車に揺られての長距離通学をしていた頃か、あるいは下宿を始めて研究室に所属するようになった頃か、その辺りである。ゆっくり本を読める余裕はなかったのだろう。それにしても放置16年は酷いなあ(汗)。

 16年の間にわたしは修士論文を何とかでっち上げて某メーカーにどうにか潜り込み、長期病欠をしたりチャランポラン研究員だったりして給料泥棒的生活をした挙句、結婚して退職して引越しして、今ではすっかりノホホン生活をしている。思えばなかなか目まぐるしい16年だった。この100円図書券を貰った頃に戻ったら、やりようによっては物凄く違う人生を歩みそうである。
 一方家人は、もちろん私生活上ではいろいろと山あり谷ありだったのだろうが、基本的に首尾一貫してきちんと会社員生活を送って来た。今日、泊まり勤務から帰宅した時、何やら賞状を入れる筒やら何かの書類やらを持参している。今年が勤続20年なので、表彰されたらしい。おお、20年! 凄い。

 本当は昨日が表彰式だったらしいのだが、イヴェントに興味ない家人は「別に構わないから」と、表彰式には出席しなかった。飽きっぽいわたしからすると、1つの会社に20年も勤めるというのは、本当に偉いことだと思う。気に食わない上司や会社のシステムにもめげず、時には必ずしも意に沿わない仕事をしながら20年。そもそもわたしだったらまず体力が保つかどうか(汗)。
 お祝いに3週間程度の勤続記念休暇を貰えるらしいが、生憎5月から異動で新しい部署に配属となる。異動直後に3週間も休んだら大顰蹙もいい所なので、折角の記念休暇もいつ取れるか不明なまま。気の毒…。
 わたしなりに、せいぜい労うことにしようと思うのだが、思い付くのは晩御飯のメニュー程度。しかも家人にリクエストを効いても「何でもいいよ。美味いものなら」と返って来る。張り合いないこと甚だしいのだった(汗)。




04/27 サヴァイヴァル

2006/04/27 23:14
 本当は今月は7日くらいに皮膚科に行って、診察&投薬を受ける予定だった。ところが祖父が亡くなった後のゴタゴタでついつい面倒臭くなり、皮膚科行きを延ばしたまま1日経ち2日経ち…。気付けば実に3週間近くが経過してしまっていた。
 塗り薬は在庫があるのだが、飲み薬の抗ヒスタミン剤はきっかり28日分しか貰えないため、きちんきちんと4週間ごとに通わないと切れてしまう。経験上、切れて1週間から10日くらいは問題ないのだが、それを過ぎると調子がおかしくなって来る。いくら肌を清潔にして保湿&薬塗布をしっかりしても、どことなく痒くてたまらなくなって来る。耳や口角などの荒れが治まらないとか、手湿疹が消えないとかの症状も酷くなる。
 ついでにどういう訳か、全身ダルいとか疲れ易いとか、そういう状態も出て来る。喘息の発作が起きる一歩手前のように、胸の内側が痒くてゼイゼイしたりすることもある。

 それでやっと重い腰を上げて皮膚科に行った。主治医の先生に「飲み薬を飲んでいる間は調子良いのですが、切れるとどうも駄目です」と愚痴ると、「まあ、そういう人も居ますから、あまり気にしないようにね」と慰められた。抗ヒスタミン剤程度では症状が軽減しないタイプの患者さんも居るから、確かに「飲み薬さえ呑んでれば普通に生活出来る」のはラッキーな部類に入るのだろう。
 処方箋を出して貰う間に、待合室に張ってある「プリック・テストのレポート」を眺めていた。主治医の先生がフィンランドで行なった研究のレポートで、ある物質にアレルギーがあるかどうか調べる手法の1つを取り上げたものである。中に「抗ヒスタミン剤等を服用している場合は、正確な結果が出ないことがあるので、3週間程度服薬を中止すること」とあった。今回のわたしも、この服薬中止状態になっていた訳だ。なんと正直な人体だろうか。

 クスリなしでは日常生活を送れないなんてヤク中毒みたいでちょっとイヤである。しかしまあ、呑んでさえいれば大丈夫なのであれば、ここはもう、栄養を摂るために食事をするとか、美容のためにサプリメントを呑むとか、そういう感覚で納得するしかない。しかし先日読んで面白かった『金春屋ゴメス』の世界では生き残れないなあと思うと寂しいかもしれない。
 『金春屋ゴメス』というのは日本ファンタジー大賞の大賞受賞作で、近未来の日本の中に、独立国家として「江戸」が存在する設定の物語である。科学水準はがっちりと江戸。江戸時代に存在しないテクノロジーは導入を許されず、病気に罹ったとしても当時の医療で治せるものしか治らない。「日本」から移住する人でも、「江戸」にないものは持ち込み禁止なのだ。

 作中に繰り広げられる江戸の風景はなかなか魅力的であった。鼻を摘まれても判らないような夜の暗闇。その分引き立つ、文字通り降るような星空。噛み締めるとじんわり甘味の広がるご飯。シンプルながら、白いご飯の魅力を引き立てる、魚の煮付けやお浸しなどの和食おかず。ううむ良いなあ。
 もし仮に、今の時代にもこういう「江戸」があったとしても、わたしは入国出来ないのだな。いや出来なくはないが、塗り薬も飲み薬も持ち込み禁止となると、実質的にはほぼ滞在不可能である。ううむつまらん体質だ…。

 旅行中に遭難して無人島に漂着とか、やむを得ない事情でサヴァイヴァル生活しなくてはならなくなっても、わたしはきっと生き延びることは出来まい。アーミッシュのコミュニティにも入れない。今のところ、前近代的生活を送りたいとは思わないしそういう予定もないのだが、仮に東京に大災害が起こってライフ・ライン途絶&メディカル・サポート壊滅とかいう状況になったら困るだろうなあ。
 すぐさま命に関わる症状でもないので、極限状態の人々も大勢いらっしゃる中、「すいません、塗り薬と抗ヒスタミン剤を下さい」とも言いにくいに違いない。地震とか富士山の噴火とか、戦争とか、大規模テロとか、しみじみ起こらないで欲しい(自己中な理由)。




04/28 のんびりと

2006/04/28 21:54
 引き続きダルダルなままのんべんだらりんと過ごしている。明日は久し振りの友人たちと映画を観に行く予定だし、ウチではその間、家人とドヴォ組のメンバーたちが、5日の演奏オフに備えて合わせ練習をすることになっている。つまり、掃除をするなら今日しかない。家人はお休みなのでまだ助かるが、夕方以降は歓送迎会だとかで出掛けてしまうので、そうそうゆっくりもしていられない。
 そもそも今朝はゴミの日だった。家人は朝寝を決め込むだろうが、わたしは起きねばならない。と言いつつケータイ目覚ましをセットしたのは8:30なので、真面目なお勤めの方々からは「それは充分朝寝坊である」と顰蹙を買うかもしれない(汗)。

 何やら混み入った夢を見ていて、それでもケータイ目覚ましを止めたのを覚えている。そのままついまたウトウトして、次にハッと目が覚めたのが9:30だった。危ない危ない。間一髪のところでようやくゴミ出しを終え、眠気覚ましにどんぶり一杯のカフェオレを飲みつつボーッとメール・チェックしていたら、10:30くらいに家人も起きて来た。
 朝御飯を食べつつ今日の予定などを話し合う。正午少し前くらいか、寝室用のゴミ箱を2階へ持って上がったら、どうやらそのままついふらふらとまた布団に潜り込んで眠ってしまったらしい。目が覚めたら13:00を過ぎていた。おーまいがーっ(汗)。

 どうなっているのか、眠っても眠ってもダルくて眠い。とりあえず予定外の昼寝に焦って階下に降りたら、家人がわたしの顔を見るなり笑うのだった。「キミ何を目の下にクマ作ってるの?」。
 慌てて鏡を覗き込むと、なるほど、両目の下に黒々と立派なクマがある。昼寝から起きてクマってどういうことやねん(呆れ)。疲れるようなことを何にもしていないのに、どうしてこういうことになるのか。我ながらちょっと情けないのだった。

 とりあえず気を取り直してリヴィングの掃除。家人は石油ファン・ヒーターと灯油タンクの撤去である。我が愛しのホット・カーペットちゃんもこのシーズンはもうお役御免。今後もし寒い日があったらどうやって乗り切ろう…(心配)。
 家人がひとっ風呂浴びて歓送迎会に出掛けた後は、残り湯を使って、ホット・カーペットのカヴァー他の洗濯。ついでに2階も掃除。油断するとまた眠り込みそうになるのを堪えつつのスリリングな作業であった。

 一段落付いてメール・チェックすると、2週間前に文部科学省宛に出したメールの返事がやっと来ていた。23日の日記に書いたヒト・ゲノム・マップについてである。17日に配布を始めたものの予想外の反響で既に在庫切れのところが多いようだが、科学技術週間ホームページで配布科学館を確認・問い合わせしてくれ、とある。
 配布科学館全部でなくなってしまった後も、科学技術広報財団で実費頒布の予定とのことだから、欲しかったけど貰えなかった…という事態に陥ることはなさそうだ。とは言え貰って来ちゃった後にこういうお返事が来ても、ちょっと苦笑いなのである。お互いのんびり屋さんだということで、まあいいか(汗)。




04/29〜30 ダ・ヴィンチ・コード絡み

2006/04/30 23:14
 昨日は友人2人と渋谷で『Vフォー・ヴェンデッタ』を観る。予想外の大ヒット♪ 解散後、ウチで練習してから近所のファミレスで晩御飯を食べているハズのドヴォ組メンバーと落ち合い、ついついリキを入れて『Vフォー・ヴェンデッタ』について語る。個人的にはあのクライマックスが何よりもカタルシスと言うかスカッと爽快と言うか、ウキウキするほど好きである。当分の間、チャイコフスキーの大序曲「1812年」を聴くたびに爆笑してしまいそうだ。

 さらに、その時友人Nさんに貸していただいたよしながふみさんの『大奥』がメチャクチャ面白い。こんなに面白い作品を今まで知らなかったなんて、自分は随分と迂闊だったし、情報収集もサボっていたのだなあと思う。Nさんありがとう♪ 早速、自分でもコミックス買うことにして、続きを楽しみに待ち望むことだろう。
 ということで、何とも実り多き週末だったのである。

 もう1つ楽しみにしていたのが、CATVのナショナル・ジオグラフィック・チャンネルで放送された「禁断の聖書:キリスト教の歴史を紐解く」というシリーズである。もちろん映画版『ダ・ヴィンチ・コード』の公開に先駆けての企画だろう。9日の日記に書いた『ユダの福音書』に関するスペシャルと、「テンプル騎士団」、「イエスのライヴァルたち」、「ヨハネの黙示録」という3話が放送済みである。今晩は「『ダ・ヴィンチ・コード』の真実」とかいう番組を放送する予定だったと思う。
 雑誌の「ナショナル・ジオグラフィック」も発売されているらしい。買ってみようかと思うものの、TV番組とそう大した違いもないような気がするので、今一つ踏ん切りが付かない。ナショナル・ジオグラフィックの公式サイトでは『ユダの福音書』に関する煽り感満点の宣伝がしてあるので、どうかなあ…と思うのだった。アレルギーについての特集記事もあるようなので、結構興味は惹かれるのだが。

 スペシャル番組の内容は、わたしとしては相当納得して、かつ興味深く観ることが出来た。『ユダの福音書』の発見経緯からその復元作業や真贋鑑定、さらにその内容に関する検証など、思ったよりも冷静な立場から論じてあった。
 この手の話題を扱う時は、少なくとも1.正典外の「福音書」は何十個もあって、おのおのがそれなりに読まれていたこと。2.各「福音書」(聖書に載っている4つも含め)が書かれた裏には、多かれ少なかれ政治的な背景があること。3.古代文書が真作だからと言って、内容が真実とは限らないこと。4.例え真実ではなくても、古代文書は過去を研究する上で貴重であること。に言及していなければならないと思うのだが、この番組は全部きちんとやってあった。

 もちろん、登場するインタヴュイーの中には「この文書がユダの名誉回復に繋がることを期待しています」と答えるピント外れな人も居たのだが。ユダさん御本人がどういう行動をしたとかそれはどういう意図に基くものだったかとかは、今となっては証明不可能である。ユダさんが不当に悪役を押し付けられていることを認め、12使徒の1人として聖人に加えようという動きがあるらしいが、それで充分だと思う。「一番素晴らしい人だったのだ」という反作用は必要ない。
 名前が似ている等の理由で、ユダヤ人たちがキリスト教世界での鼻ツマミ者になってしまったことの方が重大な気がするのだが。

 ともあれ、「禁断の聖書:キリスト教の歴史を紐解く」のシリーズは面白かった。異端とされているグノーシス派の教義(?)の1つ「精神は肉体という檻に閉じ込められている」なんて、子供時代、思うようにならない自分の身体にイライラして考えたことと良く似ていたりする。
 それにしてもナショナル・ジオグラフィックのサイトなどの「歴史を覆す世紀の大発見」とか、CATVのスポットCMなどの煽り文句は何とかならないのだろうか。興味本位、煽情的に過ぎる上、内容を正しく伝えていない。こういう宣伝って、却ってその番組や記事を安っぽく見せるような気がするのだけれど…。