徒然過去日記・2006年1月

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01/01 あけましておめでとうございます

2006/01/01 17:24
 今年もどうかよろしくお願いいたします(ぺこり)。
 さて1年の計は元旦にアリ、などというので、今年こそは、もうちょっと時間を上手に使えるようになりたいものだ、と思っていた。具体的には、やらねばならないことを後回しにして、やりたいことを好き勝手にやっているうちに、疲れてしまって眠ってしまって積み残し…の悪魔的パターンを減らす、と言うことである。
 しんどい目や痛い目に遭うのは、大抵このパターンに嵌まった時である。家事もそうだし、たまに降って来る仕事もそうだったりする。書かねばならないメール、掛けなければならない電話を先延ばしにして、ひとさまにエライ失礼を働いてしまったこともある。

 デッド・ラインぎりぎりになってから重たい腰をエイヤと上げるので、スケジュールは大体いつもかなりのケツカッチン。余裕を持ってコトに当たる、という方針は、わたしの場合、クスリにしたくともない。しかも焦りまくってばたばたとやっつけるものだから、あちらこちらに破れ綻びが見え隠れすることも珍しくない。
 全てが終わってしまってから、我ながら不本意な結果に「もっと早く手を付けておけば良かった…」と唇を噛み締めるのである。小学生の時から延々とこのパターンなので、今更どうにかなるとも思えないのだが、やっぱり直したい性癖である。

 で、今日は予定では、日記を書いてから洗濯を仕掛け、その間スポーツ・クラブで運動して汗を流そうと思っていた。元日からなんと清々しい生活だろう。家人がリヴィングのTVで高校ラグビーを観ると言うので、2階仕事部屋のPCを使いに上がり、日記用のテンプレートを開いた。…ところまでは覚えている。
 次に気付いたら、寝室の自分のベッドで布団に包まってカーカー寝こけていた(汗)。ラグビー放映が終わったらスポーツ・クラブ行こうよと言う家人に冗談で「寝てなければね」と答えたのだが、冗談が本当になってしまったのだった。あまりにいつも通りのパターンなので呆れるしかない。

 「寝てたら置いて行くからね」との言葉通り、家人は独りでスポーツ・クラブへ行ってしまったと見えて姿がない。わたしは元日から「またやっちゃったよ…」との自己嫌悪を抱えつつ、これから洗濯でもしよっかなー…とショボくれているのであった。とほほほ。




01/02〜03 ラグビー大学選手権準決勝

2006/01/03 17:28
 恒例の「1月2日のラグビー観戦」も今年で何度目だろうか。ここ2〜3年はウチの2人だけでなく、他にも何人か誘い合わせて国立競技場へ繰り出している。今年は友人KさんYさんと連れ立っての4人であった。わたし以外の3人は全員早稲田のOB・OGだが、ワセダ・ラグビー部をミーハーに応援している度合いでは、ひょっとすると無関係のわたしが断トツかもしれない。我ながら節操がないなあ、と思う。
 天気予報通り、生憎の気象条件。と言うかラグビー観戦には最悪の天気だろう。何せ競技場へ到着して、第1試合が始まった途端に冷たい雨が降り始め、結局第2試合後半30分近くまでずーっと降り続いたのだから。おかげで国立競技場は結構スカスカであった。メイン・スタンドの指定席券など、販売開始してからあっという間に売り切れたと言うのに、お天気に負けて来なかった人がだいぶ居たと見える。無理もないが。

 第1試合は同志社大学 VS 関東学院大学。先取点は同志社大学だったし、前半は試合の流れがどちらに転ぶか判らない好ゲームとなった。結局、後半にカントウが突き放して決勝進出。やはりキャプテンのFB・有賀剛選手の身体能力とリーダー・シップが群を抜いている。
 第2試合がお目当ての早稲田大学 VS 法政大学。ワセダは2回戦で慶応大学相手にかなりしょっぱい試合をしたので、清宮克幸監督にギュウギュウ絞られたのではないかと思う。雨降りの中、両校ともにノック・オン(ボールを前へこぼしてしまうこと)は多かったが、ワセダはディフェンス・オフェンス共に気合の入ったなかなか良い展開であった。

 11月23日の早慶戦で負傷して、2回戦のVS慶応戦でリザーヴ復帰した大贔屓のWTB・首藤甲子郎選手は、前半早々左ライン際を30mほども独走して久し振りの綺麗なトライを決めてくれた。席がバック・スタンドのかなり上の段だったので遥か遠い映像だったが、わたしがキャーキャー騒ぐには充分の活躍である。
 首藤選手のトライ・チャンスは後半にも2度ほどあったのだが、残念ながら決められず、後半20分ほどで交代してしまった。故障上がりだし、得点差もだいぶ付いていたので、きっと温存したのだろう。もうちょっと観たかったけれど。

 ライン・アウトの出来がやや悪かったのが不満だが、雨降りと言うことを考えれば仕方ないのだろうか。ただし決勝戦までにはきちんと確認しておかないと、カントウはそういう小さな隙を突いてくるのが実に巧みなチームなので、念には念を入れねばならない。些細なミスが命取りとなる。勝って兜の緒を締めよ、そういうゲームであった。
 バックスはハーフ団の意思疎通を再確認する必要があるかもしれない。SH・矢富勇毅選手とSO・曽我部佳憲選手が2人ともかなりトリッキーなプレイをするので、時として周囲の選手が振り回されるシーンが見られた。それ以外は文句の付けようもなく、特にWTB・菅野朋幸選手の活躍が光っていた。FB・五郎丸歩選手も、前の試合当たりから見る見る磨きが掛かって、大学ラグビー最強のFBと呼ぶに相応しかったと思う。

 結局5年連続(だったっけ?)で、決勝戦は関東学院大学 VS 早稲田大学ということになった。春と夏のオープン戦ではワセダの方が勝ったし、準決勝の試合展開などを観る限りでもワセダがやや有利かなとは思うものの、やっぱり油断は出来ないだろう。カントウは「相手の力量に合わせてゲーム・メイクをする」という面があり、特に前半はいつもハラハラドキドキの接戦となることが多い。そこで焦ってミスをするとたちまち付け込まれるのだ。怖いチームである。
 花園ラグビー場で開催されている全国高校ラグビー大会でも、優勝候補の啓光学園がまさかの大差で敗れてしまった。5連覇の偉業が賭かっていてプレッシャーが大きかったのかもしれない。TV観戦していた感じでは、やはり小さなミスの積み重ね、些細なボタンの掛け違えが後になって効いて来たという印象である。「こんなハズでは」の焦りがさらにミスを呼ぶという悪循環。応援していたチームなのでわたしもショックだった。大学決勝戦がああいう展開になったらイヤだなあ。

 試合終了後は身体の芯まで冷え切っていたので、4人で渋谷の中国居酒屋へ転がり込む。こんなこともあろうかと、昨日家人がネット検索をしてめぼしいお店をピック・アップし、試合開始前に4人で相談して予約まで入れてあったのだった。食べることに関しては本当にマメな家人である。
 いろいろな種類の餃子と、中国風の豆乳鍋がメインのコースで温まった。「ほっとぺっぱー」のクーポンをプリント・アウトして持って行ったせいか、たらふく食べて4人で1万円というリーズナブルさである。ラッキー♪
 それにしても大晦日…鶏鍋と餃子、元旦…中国風お餅三昧(昼食に鍋の残りも食べている)、2日…またもや中国風鍋と餃子と食べ過ぎが続いている。絶対この数日間で2kgは太ったに違いない(焦)。そしてさらに、酷使された胃袋も、そろそろ「わしもう限界ですわ」と弱音を吐いているのであった。

 家人の胃袋はまだまだ元気だとかで呆れてしまう。今晩のメニューは何にしよう。わたしは卵入りお粥くらいで充分なのだが、家人はそれでは足りんと文句を言うだろうしなあ…。




01/04 今日から仕事始め

2006/01/04 21:55
 年末は忙しかった記憶はあるものの、実は「年を越した」という実感がまるでない。一応ジルベスターの第9が0時きっかりに終わったシーンも観たし、花火がちゅど〜んと上がったのも目撃してはいるのだが、何となく映画の中の年越しシーンを眺めているような非現実感が…。何故だろう何故かしら。
 カレンダーの関係で、いわゆる「お正月休み」が比較的短かったこともあるのだろうか。家人もカレンダー通り今日から出勤である。しかも選りによって早出(汗)。いきなり5:30起きは辛かった。「とりあえず起きているだけ」ではあるが(汗)。

 残ったわたしはぼちぼちと日常業務に取り掛かる。たった3日間掃除をしていないだけなのに、既にあちこち埃っぽくなっているのが無性にムカつく。やってもやってもキリがない。だから片付け&掃除は大嫌いなのだ。単にぐーたらなだけなのだが。
 大晦日〜2日までの連続喰い過ぎで胃は重いし、ついでにお腹の調子までおかしい。家人が居ないと家の中の温度がまた一際下がる気がする。腹具合の不調と寒さに時として冷や汗をかきつつ、やっつけ仕事の掃除&洗濯であった。

 活動開始した直後に家人からメール。三が日に録画しておいた映画2本が、HDDレコーダの容量を喰っているのでどうにかしておいて欲しいという。録画したのは一昨年公開の『いぬのえいが』と、レイ・ブラッドベリ原作の『何かが道をやってくる』であった。あちこち片付けながらまず『いぬのえいが』を流し、ちらちら観ながら掃除機をかけていた。
 全部で10本ほどの短いストーリーが集まった、オムニバス映画…ともちょっと違うのだろうか、「犬」をテーマにしたアンソロジーのような作品である。お笑いあり、ミュージカル風味あり、ほのぼのありとヴァラエティ豊か。そのうち4本は同じワンちゃんが主人公で、この4本がメチャメチャ良かった。

 CM制作会社勤務の山田(中村獅童)と、彼が少年時代に飼っていた柴犬(もしくは雑種)のポチの物語なのだが、最初の『ポチは待っていた/思い出』のラストで爆涙。
 「ポチ」シリーズが進むにつれて涙ボロボロ度は増して行く。シリーズ最終話『ポチは待っていた/空き地』ではついに他愛なくも号泣状態である。いやーこの作品、映画館へ観に行かなくて良かった。酷い顔になったに違いない(汗)。

 しかも山場は去ったと安心していたら、その後も泣かせ短編が続くのだった。オープニング・アニメの続編にホロリと来たと思ったら、最終話の『ねえ、マリモ』でまたも号泣。昔飼っていた雑種のロックちゃん(女の子)を思い出して、胸がキリキリと痛む。ああもっと可愛がれば良かった、とか、失くした後でどんなに大切な存在だったか判るのは人も犬も同じなんだなあ、とか。
 「動物ネタ映画」なんてある意味判り易いというか、ほとんど反則技的な泣かせ映画の最高峰なのだろうが、この『いぬのえいが』には、判っていてもやっぱり泣かされてしまったのだった。家人なら「安い涙だな」と嗤うかもしれないけれど、犬を飼ったことのある人ならば、どんなに我慢しても絶対泣いちゃうと思う。

 結局『いぬのえいが』の途中から、掃除機を放り出してTVの前に座り込んで全編観てしまった。もちろんティッシュを箱ごと抱えて涙と鼻水を拭きながらの鑑賞である。映画というか、かつてのロックちゃんとの思い出を再確認した感じだった。
 また犬飼いたいなあ。飼うならやっぱり雑種がいい。けれど、ウチには犬小屋を置く庭のスペースもないのだった。しょんぼり。




01/05 さ、寒い…!

2006/01/05 21:00
 新聞によれば、この12月は戦後最も寒かったそうな。どうりで風邪がいつまで経っても治らなかった訳である。確か秋頃の長期予報では、今年の冬は暖冬であると予想されていたハズだった。わたしはそれを信じていたので、「こんなに寒いのも一時的に違いない。もうじきあったかくなる…」と思って耐えていたのに、12月の中頃だったか、気象庁はその長期予報をあっさり撤回してしまったのだった(顰蹙)。
 積雪量も20年ぶりの記録的なものらしく、各地で雪崩や雪下ろし中の事故により亡くなった方のニュースも聞こえて来る。気の毒なことである。雪深い地方の、比較的人口の少ない地域では、お年寄りの比率が高くて雪下ろしも大変なのではないだろうか。寒いのは我慢するから、雪には少々手加減して降ってもらいたいものである。降るならスキー場にまとめて降ってくれ(無理だってば)。

 こう寒いと、出不精なわたしはたちまち家の中に籠もりきりになる。何にしろ家の中で出来ることが仕事で良かったなあ、と思う。どんなに寒かろうがきちんきちんと出勤しなければならない家人辺りにブーイングを喰らいそうだけど(汗)。
 そしてまた日常の買い物も出来るだけサボりたくなる。お正月の余韻が残っているのを幸い、何だかんだ遣り繰りしては冷蔵庫の中にあるものだけで済ませてしまうのだった。流石に今日は食料のストックも尽きて来たので、夜勤に出掛ける家人を送りがてら、最寄り駅近くのスーパーに買出しに行ったのだった。

 近所のショッピング・モールが初売りセールをやっているせいか、最寄り駅近くのスーパーも随分混んでいる。とうとう正月気分を味わうことなく終わってしまったわたしをそっちのけにするように、人々は沢山の買い物袋をぶら下げて楽しそうである。ちょっと羨ましい。しかし福袋とか初売りとか、このショッピング・モールのメイン商品はファッション関係なので、どの道わたしにはあまり縁がないのであった。
 拗ねた気分なのでひとさまの言動にいちいち引っ掛かる。ココロ狭いヤツである。これこれそこの複数組の親子連れの皆さん。お絵描きする子供たちと買い物袋でベンチを塞いだまま立ち話してちゃイケマセン。そして子供の皆さん、そこらじゅうを駆け回ったら人にぶつかって危ないです。通りすがりに棚の商品を落としたら、きちんと拾って元に戻しなさいったら。
 初売りセールが終わったら多少はマトモに戻るだろうし、他人にうるさく言うのも気が引けるので、何も言わずに帰ってきたが。

 それにしても驚いたのは野菜の値段である。白菜1/4が100円というのもキュウリ1本69円というのも随分だが、愛知県産ブロッコリ1株398円ってどういうこと? ほうれんそう・小松菜が各1把298円ってのも信じられないし、しめじ・まいたけ1パックが各198円ってのも高過ぎる。
 流通関係のお正月休みが絡んで需給バランスが崩れているのか、それとも記録的な寒波のせいで、野菜産地での生育が遅れたり霜の被害が出たりしているのか。前者なら、それこそ松の内が明ける頃には元に戻るだろうが、後者だったらまたまた今年も鍋物は贅沢メニューになってしまう。鍋好きとしては辛い事態である。

 近所にあるもう1軒の、元外資系スーパーで扱っている外国産の野菜なら多少はマシだろうか。ウチの住人は違いの判らない舌の持ち主なので、同じくらいの新鮮さの品物であれば、外国産だろうが構わずに値段の安い方を買うのが常である。残留農薬や何やら、外国産は信用出来ないという声も時々聞こえて来るが、ズボラなわたしはあんまり気にしない。子供が居たらもうちょっと神経質になると思うけれど。
 同じ理由でアメリカ産牛肉も、個人的にはあまり気にせず食べるだろうなと思う。ただしアメリカさんのやり口(20ヶ月未満の子牛がOKとなったら、間髪を入れず「じゃあ30ヶ月未満も」と言い出すなど)が気に入らないので、身銭を切ってアメリカ産牛肉を買う気にはならない。ついでに家人に意向を訊いてみたところ、どっちの理由なのかは不明なものの「アメリカ産牛肉は出来れば買いたくない」と言うので、ウチでは今後も国産か豪州産を選ぶ予定である。

 ところで問題のBSEだが、実際のところ、正味の肉だけ食べている分にはどのくらいの危険度があるのだろうか。もちろんこれは、脳や脊髄などの危険部位を、食肉処理の際にも正しく扱っていると言う前提の下での話だが。個人的には、「危険じゃない」部位だけ食べるのならば、それほど怖くもないのではないかという気がしている。ただしBSEには詳しくないのでもちろん直感というか印象だけに基くいい加減なコメントだが。
 昨年7月7日の日記でもちらりと触れたが、英国には「牛骨料理」なるメニューが存在する。シャーロック・ホームズ物語にも登場したことがあるし、晶文社から出ているF・クラドック著の『シャーロック・ホームズ家の料理読本』にも載っている。牛の(おそらく)大腿骨を10cmほどの長さに切ってとろとろになるまで煮込み、その髄をトーストに塗って芥子を添えて食すのだという。

 ネットで簡単に検索したところ、ボーン・マロウという料理らしい。フランスにも存在するそうだが、主に英国で好まれたようだ。変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の患者さんが多く出たのも英国だったし、vCJDで死亡した日本人も、英国で牛骨料理を食べた経歴がある、という報道を読んだ記憶がある(うろ覚え)。
 ということはやっぱり、脳や内臓や骨髄を食べなければOKなんだろうか。仙台名物の牛タンがヤバいとしたら非常に残念なのだが、基本的にホルモン料理はあまり好きではないので、個人的には北米産牛肉オッケーオッケー、という気分ではある。ただし成形肉は何が混ざっているか知れたものではないので、やっぱりハム、ソーセージ、サイコロ・ステーキは避けた方が良いのだろうか。




01/06 ぐーたら・ぐーたら

2006/01/07 00:08
 どうもここ数日調子が悪い。別に病気と言うほどのこともなく、ただひたすら身体が怠くて怠くて仕方なかったりする。アトピーの調子が悪いとそういう風になることが多いので、特に気にしないのだが、自分がメチャクチャ怠け者であるような気がして滅入るのだけが困る。いや、実際怠け者なんだけど(汗)。
 とりあえず皮膚科には行ってみた。普通の町のお医者さんだけれど、フィンランドに勉強しに行ったり、論文を書いたり学会に出たりとかなり勉強熱心な女医さんである。どうやらフィンランドは「パッチテスト」の本場だそうで、だからアレルギー関係にも強いらしい。比較的気も合うので、もう6年くらいだろうか、通い続けている。

 今の在所に越して来て2年目だったか、突然アトピー性皮膚炎がそれまでの人生なかったほどに悪化した時期がある。最初は背中一面に湿疹が出来て治らなくなり、うつ伏せでしか眠れなくなった。湿疹はあっという間に全身に広がり、顔も手首も膝の裏側もぐちゃぐちゃのドロドロ状態。枕や布団が汚れるのでバス・タオルを敷き詰めて眠るのだけれど、朝起きるとその生地がカピカピになって顔やら手首やらの傷口に貼り付いている始末。
 全身腫れ上がったような状態で、ついには痒さの余り布団に入ることも出来なくなった(身体が温まると痒みが増すので)。我慢に我慢をした挙句やっぱりつい掻いてしまうと、爪が当たったところの皮膚がベロ〜ンと剥ける。滲み出て来るのは血ではなくて、おそらくリンパ液だろう、黄色くてイヤな臭いのする汁だった。「人生サイアクの時」の、確実にベスト・スリーにランク・インするだろう時期である。

 電話帳でアレルギーを扱う皮膚科を探して飛び込んだのだけれど、最初のお医者さんはどうにも合わなくて、食べられない(除去しなければならない)食品ばかりを増やされた。トマト、豚肉、オレンジ、卵その他諸々。「食べたもの日記」を付けて、悪化した日があったらその前日に食べたものをチェックし、忌避した方が良さそうなものを割り出しましょうという方針である。
 後から聞いた話では、子供のアレルギーだとそういう療法は有効なのだけれど、大人のアトピーはまたちょっと話が違うらしい。なるほど確かにその皮膚科は「皮膚科・アレルギー科・小児科」だったのだ。

 あんまり辛かったので記憶が薄らぼんやりしているのだが、数ヵ月後「これはダメだ」と判断して、今のお医者を探し出した。最初に会った時、その先生は「まあ随分辛そうなことになっちゃったのねえ」と、大袈裟でもなく、かと言って薄情そうでもない口調で仰った。わたしは理由もなく「あ、この先生なら大丈夫だ」と思ったことを覚えている。
 酸性水による消毒などいろいろ試したが、最初はやっぱりあまり効果がなかった。数ヶ月が経った頃、先生がカルテを見ながら「どうも心理的な要因が大きいのではないかしら。ちょっと気分をラクにするお薬を呑んでみましょう」と、抗不安薬の「デパス」というクスリを処方してくれた。どうも問診中、根本的原因がストレスにありそうだと踏んだらしい。

 そうしたらこれが大当たり。ぐちゃぐちゃのドロドロだった全身の皮膚が、薄紙を剥がすように少しずつ、けれど着実に、快方に向かったのだった。わたし本人は特に自覚していなかったのだが、いろいろ環境の変化があったりして、知らず知らずのうちに結構なストレスを抱え込んでいたらしい。崩れたバランスを、この場はデパスがひとまず何とかしてくれた訳である。
 数年後、また別のきっかけでストレスは傍迷惑な大爆発を起こすのだが、以前の日記で書いたので今日は触れない。

 調子悪い…と言いつつ、あの時のアトピー最悪状態とか、もっと以前のマイコプラズマ&抗酸球増加現象の時とか、そういう時に比べたらずっとラクである。こんなことで弱音を吐くのが我ながら情けない。特に3週間ほど前mixiに参加したら、友人Nさんが随分長いこと療養生活を強いられていた…という事情を初めて知った。彼女の辛さ苦しさ悔しさに比べたら、ダルいくらいでフニャフニャするなどお天道様に申し訳ない気がしてくる。
 しゃっきり体調を整えないと、明後日の大学ラグビー選手権・決勝戦にも行けなくなってしまうかもしれない。体調管理をしっかりせねば。

 ともあれ、皮膚科の先生には無理をしないことと念を押されて帰って来た。「疲れが溜まるとアトピーが悪化する心配もありますからね」ということだが、ハテわたしは普段の日常生活、疲れが溜まるようなことをしてたかしらん。
 先生、これ以上ぐーたらな生活をしようと思っても出来るものではないというくらい、わたしはぐーたらに過ごしているのですが。そういう場合はどうしたら良いのでしょう? とは、結局訊けず仕舞いだったのである(汗)。




01/07 お・年・玉♪

2006/01/07 15:30
 先ほどより、ちょっと気を緩めると顔がニヤケるのである(うふふふ)。
 家人などは「あとン年で不惑、40代に突入するというおばさんが良くやるよ。ストーカーみたいじゃん」とせせら嗤っていたのだが、それでもやっぱりファンは止められない。誰のことかと言うともちろん、ワセダ・ラグビー部の俊足WTB・首藤甲子郎選手のことである。
 全国高校ラグビー大会の決勝戦、桐蔭学園 vs 伏見工業の試合をTV観戦しつつ、先ほどメーラを開いたら、なんと、首藤選手からファン・メールのお返事が来ていたのだった。おおおおお、感激。

 ワセダ・ラグビー部の公式サイトには部員紹介コーナーがあり、各選手のプロフィール・ページにはメールを送れるリンクが張ってある。1年生の時から首藤選手がお気に入りだったわたしは、折に触れ、ここから一言二言の短いファン・メールを送っていたのだった。
 メーラからの送信と違って記録とか履歴が残る訳ではないのでいつからの習慣か不明だが、少なくとも2005年のシーズンは、首藤選手が出場し、かつわたしが現地観戦した試合の後は、ほとんど毎回出している。我ながら「ちょっと粘着かしら」とも思うのだが、試合の感想しか書かないし、短いし、まあ不気味ではないだろうと判断して続けていた。

 そもそもプロフィール・ページに断り書きがあるように、ちゃんと届いているかどうかも不明だった。携帯メールで受信する選手もおいでとのことだったので、迷惑にならないよう短い文にしていたけれど、リンク先のアドレスが変わってしまっていたり、PCが故障中だったり、メール・ボックスが一杯だったりしたら受信出来ない。首藤選手は特に人気者なので、ファン・メールもきっと山ほど届いているだろう。1通1通目を通したりしないかもしれない。
 でもまあ、害にはならないメール(のつもり)だし、自己満足だけで書いていた。良いプレイがあったら褒め称え、感激するプレイには感想を書き、ちょっとミスと思われる点は指摘した。もちろんわたしはラグビーのプレイ経験はないので素人目の印象評論だが、観戦経験だけなら(ミーハーとは言え)そこそこあるので、てんで見当違いにはならないだろう(希望的観測)。

 ちゃんと読んでてくれたんだなあ。こういう時、ミーハーなファン心理が一気に報われるのである。わたしの性格として、舞い上がってドカッと御礼の長文メールを書いてしまいたくなるのだが、そこはグッと堪えて自重。何せ明日は正念場、大学ラグビー選手権の決勝戦なのだからして。ちょうど今頃は、上井草のワセダ・グラウンドで、試合前練習に勤しんでいる頃である。
 明日もしも優勝出来たら、また思いの丈を込めて、「お疲れさまでした、おめでとうございます」のメールを送ろうと思う。もしも優勝出来たら、また夕方から高田馬場キャンパスの大隈講堂前で記念のイヴェントが行なわれるハズなので、もちろんそれも見物に行こう。
 けれどただ望むことは、明日の試合、ワセダもカントウも選手が怪我をすることなく、しかも首藤選手が大活躍してくれることだったりする。頑張れ首藤選手。東京の片隅からおばさんも応援してますよ♪(嬉しくないかもしれないが)。

 そしてつい先ほど花園での決勝戦も終わった。首藤選手の母校であり、かつ家人の出身高校でもある桐蔭学園は、惜しくも伏見工業高等学校に12−36で敗れてしまった。J-SPORTSの放送によれば、前日の夜、桐蔭学園の監督さんのところへ首藤選手から「先に優勝しておいて下さいね」と電話があったそうである。さぞかしがっかりしているだろうが、その悔しさを明日の試合にぶつけて欲しい。
 ちなみに優勝した伏見工業高等学校の終身名誉監督(?)は、『スクール・ウォーズ』で有名な、かの山口良治氏である。「泣き虫先生」との異名の通り、優勝インタヴューではまたまた男泣きしていたのだった。なんだか可愛らしいおじさまで、ちょっと萌えてしまう(阿呆)。




01/08〜09 第42回全国大学ラグビー選手権・決勝戦

2006/01/09 16:05
 凍えるようだった準決勝の日とは打って変わって、気温こそ低いものの、ピカピカの好天気に恵まれた。もしワセダがこの決勝戦に勝てば、実に31年ぶりの連覇が達成されるのである。一昨々年、去年と同様、優勝することが出来たら高田馬場の大隈講堂前で祝勝イヴェントが行なわれる予定だったので、移動に便利なようにクルマで出掛けることにした。
 ちょっと早く着き過ぎてしまったので、1時間ほどかけて明治神宮まで初詣に往復することにした。ぶらちゃら歩いているとだいぶ暖かいが、ちょっと立ち止まるとやはり寒い。通りすがりには同じようにモコモコと着膨れた人々が居て、おそらく国立競技場のお客さんだろうな、と思われた。

 お天気のせいもあり、国立競技場はかなりの賑わい。準決勝の日にはワセダの清宮克幸監督が「こんなにお客さんが少ないなんて…」とがっかりしていたので、この人出なら寂しくもないだろうと、少し安心する。5年連続同じカードとなったとは言え、ワセダvsカントウの試合は本当に見応えあってワクワクするものなのである。
 高知県からはるばるこの決勝戦を観にいらしているRさんも、スタンドのどこかにいらっしゃるハズだった。携帯メールをやり取りしたら、残念ながら席が随分離れていたので、お会いすることは出来なかった。

 いよいよ試合が始まると、前半の前半は何だか息詰まるような緊張に包まれたゲームとなった。連覇のプレッシャーが掛かっているのだろうか、ワセダの選手たちの動きが固い。ライン・アウトもミスが続くし、攻め込んでもあと1歩のところでトライを防がれてしまう。握り締めたワセダの応援旗が、知らず知らずのうちにぶるぶる震えていたりする。どうやらわたしも緊張しているらしい。プレイヤーでもないのに(汗)。
 前半15分、カントウ陣内でペナルティを獲得。PG(ペナルティ・ゴール)を狙ってとりあえず得点するか、あくまでもトライに拘るか。準決勝までのワセダならば絶対にトライを選んだだろうが、ここはやはり正念場。NO.8の佐々木隆道キャプテンはPGを選択した。FB・五郎丸歩選手が難なくキックを決めてまず3点先取である。

 これがワセダ得点の呼び水となるか、あるいはカントウの「ピンチを3点で切り抜けたぞ、よし!」という勢いに繋がるかはまだ判らなかった。こういう時、たった1つの些細なミスがきっかけで試合の流れがドーッとどちらかに傾いてしまうことも良くある。わたしの印象では、まだどちらが優勢とも言い切れない感じだった。
 ワセダ陣内に攻め込まれてピンチかと思われた前半24分、モールの中でPR・畠山健介選手が相手ボールを無理矢理もぎ取ってすかさず味方へパス。ボールはSH・矢富勇毅選手、CTB・池上真介選手、CTB・今村雄太選手の手を経て大贔屓のWTB・首藤甲子郎選手へ渡った。この辺りでアドレナリン大放出である。

 カントウのカリスマ・キャプテン、FB・有賀剛選手のタックルをかわし、CTB・重見彰洋選手をハンド・オフで突き放して、首藤選手はゴールへ突っ走ってくれた。大学選手権の2回戦まではトライ・チャンスに恵まれなかったり、あるいはいろいろ故障が多かったりして悩んでいたらしい首藤選手の、会心の奪トライである。
 これよこれよ、わたしはこういうシーンが観たかったのよーっと、途端にカタルシスが押し寄せた。別に泣くつもりもなかったのに、目から塩水がダーッと流れて来た。ああもうホントにミーハーである。

 このトライが流れを決定付けた。後はSO・曽我部佳憲選手のDG(ドロップ・ゴール)や、牛若丸のようなジャンプ&突進の末の奪トライ、後半の首藤選手の2つ目のトライ、パスを繋いだ末、FL・松本允選手の流れるようなトライやら何やらで合計5トライ。コンヴァージョン・キックも全て成功した。
 一方カントウは、ワセダ陣内でのパスミスからWTB・北川智規選手にトライを奪われたものの、コンヴァージョンは失敗して5点。見事、失点はその1トライだけに抑えた。気が付けば41対5、大学ラグビー選手権の決勝戦最多得点差での圧倒的勝利である。

 表彰式、清宮監督や佐々木キャプテンのインタヴュー、ワセダ・ラグビー部員の「荒ぶる」斉唱や胴上げ風景などを堪能してから、クルマに飛び乗って高田馬場へ向かった。大隈講堂前にはまだそれほど大きな人だかりは出来ていない。この調子ならば、Rさんとそのお連れ3人の分の場所も確保したまま、祝勝会が始まるのを待てるだろうと思った。
 ふと見ると、周囲の人が臙脂色に白く「W」の文字があしらわれた紙袋を持っている。何だろう。記念品が配られているのだろうか、あるいは何か売っているのかな? 家人が様子を見に行くと、少し離れたところにアディ○スの出店があるらしい。お隣に並んでいた方が「優勝記念の“荒ぶる”Tシャツを売っているんですよ」と教えて下さった。100枚限定らしい。

 慌てて買いに走り、無事に1枚ゲットしたのであった。もちろん、去年のパターンと同様、来るべき「ファン感謝の集い」で選手たちにたくさんサインしていただけるようにOサイズである。売り子の方が「Sサイズは残ってたかなあ…」と言いかけるのを「いいえっ、一番おっきいの下さい!」と買って来たのだった。  荒ぶるTシャツ2006
 ←こちらが2006年版「荒ぶるTシャツ」である。去年版と良く似ているがディテールが微妙に違う。これ持って、パレードとファンの集いに行くんだもんね♪ 佐々木組追い出し試合にも行っちゃうんだもんね♪ 
 メチャクチャ楽しみなのである。

 残念だったのは、Tシャツを買いに走っている間に出待ちの人々に「前に出ても良い」という指示が出て立ち位置が変わり、スペースを詰められてしまったことだった。家人が必死に踏ん張っていたのだが、わたしの分の場所を確保するのがやっとだったので、Rさんたち4人分がなくなってしまったのだ。一緒に祝勝会を観ようと思っていたのに、ごめんねごめんね>Rさん。
 観客の中では最前列とは言え、前にラグビー部員さんたちが集ったので壁が出来、背伸びしながら観る祝勝会だったが、それでも大層楽しかった。清宮監督もメンバーたちもみんなニコニコ顔で、連覇を達成した充実感に溢れていた。
 出来たら首藤選手が4年生となる次のシーズンも清宮監督に続投して欲しいのだが、どうやら今度こそ監督は誰か別の方にバトン・タッチらしい。国立競技場では珍しくも清宮監督が涙で言葉に詰まっているシーンが見られたり、4年生たちから記念の寄せ書きジャージが贈られていたりしたので(左下画像)、たぶん今度こそ続投はないのだろう(残念)。
祝勝会
 来シーズン、ひょっとしたら首藤甲子郎選手がキャプテンに選ばれるのではないかという噂もあり、ミーハー・ファンのわたしとしては是非とも3連覇を達成して欲しいのだった。大学日本一になった時にだけ歌われる第2部歌の「荒ぶる」という曲があるのだが、この曲を4年生時に歌った代だけが、結婚式などで「荒ぶる」を歌うことを許される、という伝統があるためである。
 2年生と3年生時に「荒ぶる」を歌ったのに、もしも来年ダメだったりしたら、首藤選手や同学年の選手たちが気の毒である。タレント揃いの学年なので、是が非でも、来年も大学日本一になって欲しい。次期監督は誰になるのだろうか。清宮監督に頼り切りと言うのも良くないのだろうが、彼はやはり現時点ではただ独りの「ULTIMATE BOSS」だからなあ…。

 ところでお気に入りの首藤選手であるが、試合終了後スタンドに挨拶する時には必ず最後まで深くお辞儀をしてくれるという律儀な人である。今までに何度か、短く言葉を交わしたこともあるが、その時の印象も「真面目な人なんだなあ」というものだった。ところが昨日の祝勝会の写真を良く良く観ていたら、案外お茶目な面もあることが判明した。
 祝勝会の時、清宮監督の後ろでちょっとチョケていたり可愛かったのだが、こちらの写真、首藤選手の胸ポケットに注目。真面目な顔をして、さり気なく遊んでいるのであった。思わず笑ってしまう♪




01/10 寒いんだってば

2006/01/10 20:34
 先ほど、石油ファン・ヒーターが「給油して下さい」とお知らせメロディを鳴らせた。どれどれとストック置き場に行ってポリ・タンクを持ち上げてみると…軽い。なんてこった。ヒーターのタンクを一杯に出来る量がないではないか。とりあえずあるだけ給油してみたが、おそらく半分くらいしか入っていないだろう。この量でいつまで保つだろうか。
 火曜日の夕方にはちょっとポップな曲を流しながら、移動灯油販売車が回って来るのだが、惜しいところで去ってしまった後である。買いに行くのも面倒だしなあ。ポリ・タンク重いしなあ。

 いつもなら灯油の買出しは家人の分担なのだが、今日は間の悪いことに、家人が夜勤で不在だったりする。そういえば前回の灯油ストック切れも、やっぱり家人の夜勤の日だった。マーフィーの法則というヤツだろうか。
 死ぬ気になればポリ・タンク2つをクルマに積み込んで、近所にあるガソリン・スタンドまで灯油を買いに行くことは出来る…んじゃないかと思う。しかし夕方、ガソリン・スタンドがある幹線道路はきっとメチャクチャに混んでいるだろう。スタンドから出る時のタイミングが取れなかったらどうしよう。セルフだから店員さんの誘導もないのである。
 しばし考え込み、やっぱり行くのはヤメにして、家人に携帯メールを打った。「灯油が切れました(涙)」

 家人からの返事は「夜中まで震えてなさい」だった。酷いヤツだ。しかしこれはつまり「夜勤が終わって帰宅したら買出しに行ってあげるからそれまで待て」という意味でもある。とりあえず今残っている分の灯油が、家人の帰宅まで保つことを祈るしかない。
 例年よりもぐっと寒いからだろうが、今年は石油ファン・ヒーターの灯油消費ペースが随分と早いような気がする。ウォーム・ビズとかいう試みもあることだし、家に居る時もかなり厚着をして寒さに対応している。その分ヒーターの温度も19〜20℃に設定しているのだが、部屋を出入りするたびにあっという間に冷えてしまうのだった。

 そもそもウチのLDKは縦に細長い。石油ファン・ヒーターの設置場所は短辺の窓際で、わたしが常駐しているPC前とかキッチンとかは反対側に当たる。きっと暖かい空気はPCコーナーやキッチンに回って来る頃には、天井へ上がって行ってしまうに違いない。相変わらずの悩みだが、足元がどうにも冷えて困る。
 本当に、脚とか足元というのは、どうしてこんなに冷えやすく温まりにくいのだろう。哀しくなってしまう。

 他にも哀しいニュースがあって、早稲田大学ラグビー部の清宮克幸監督が、予想通り今期限りで退任してしまうという発表が、ワセダの公式サイトにアップされたのだった。ひょっとしたら続投してくれるのではないかという一縷の望みも絶たれてしまった。後任の監督は2月の日本選手権終了後に発表されるらしい。おそらく既に決定していて、選手たちは知っているのではないかと思う。
 誰でも良いけど、頼むから、首藤甲子郎選手たちが4年生となる次シーズン、選手たちの足を引っ張ったりやる気を挫いたり無理な起用をして故障させたりするような人ではありませんように、と祈るのだった。
 とにもかくにもわたしは、首藤選手や今村選手、曽我部選手の歓喜の「荒ぶる」を、来年1月に国立競技場で聴きたいのである。

 そして極めつけの寒いニュース。先月23日の日記に書いた、ヒトクローン胚由来のES細胞論文データ偽造問題は、実はぜーんぶ丸々でっち上げだったらしいことがハッキリしてしまった。まったくもってひょえ〜、である。2005年の「患者対応型クローン胚由来ES細胞」もガセなら、世界初と騒がれた2004年の「ヒトクローン胚由来ES細胞」もガセ。ヒトのクローン胚を作ってある程度のところまで分裂させることは出来ていたらしいが、そもそもそこからES細胞株を確立することそのものが全然出来ていなかったのだという。
 科学界における前代未聞の大スキャンダルである。問題の教授は、政府から支給された研究費の横領容疑その他で、検察当局の取調べを受ける羽目になってしまったらしい。英雄も堕ちたものである。唯一の救いと言えば、クローン犬の「スナッピー」は本物だったということだけ。当然研究室も閉鎖だろう。学生さんたちが気の毒である。

 不思議なのは、最初からES細胞なんか作れなかったのなら、どうして丸ごとでっち上げの論文など提出してしまったのだろう、ということである。学術論文の不備というか過剰装飾というかデータ偽造は想像よりもかなり頻繁に起こっていることらしいが、流石に「研究そのものが丸ごと作り事」というケースは珍しかろう。途中までは上手く行っていて、あと一歩のところで失敗しちゃったのだろうか。折角クローン胚を作ったのに、つもりではきちんとES細胞の株として確立出来るハズだったのに、そうならなかったとか。
 ともあれこれで、再生医療に関する研究は大きく後ずさり決定である。世界各国で研究予算を獲得しようと必死になってスケジュールを立てていた人たちや、誰より再生医療で移植が実現することを待ち望む多くの患者さんたちは、さぞかしがっかりしていることだろう。罪な人である。




01/11 無謀な思い付き

2006/01/11 14:00
 折に触れて思い出しては疑問なのだが、「11月1日は“わん・わん・わん”で犬の日」ならば、今日、1月11日も犬の日なのではないだろうか。「猫の日は“にゃん・にゃん・にゃん”で2月22日」なのだから、どっちかと言うと犬の日も1月11日の方が座りが良い気がする。愛犬家と愛猫家の数的比率がどのくらいなのか知らないが、愛犬家は愛猫家の2倍居るとも思えないから、犬の日が年に2回あるのは不適当なのだろうか。
 その伝で「12月12日は“わん・にゃん・わん・にゃん”」とか「11月22日は“わん・わん・にゃん・にゃん”」とか、いろいろ思い浮かんでしまう。ペット産業にこれ以上キャンペーンを張って欲しくないので、別に何の日にも設定して欲しくはないが。

 全然関係ないが、一昨日バレエ教室に行った時に、初心者仲間でポワントを履く話になった。大人になってから始めた人間にとっても、やはり「憧れのトウ・シューズ」は変わりないからである。教室の方針によっては、大人になってから始めた人にはポワントを履かせない(故障の危険性が高くなるとの考え)ところもあるが、わたしが通っている教室はどうなのだろう。
 どの道、今の段階では、とてもとてもポワントを履いてどうこうというレヴェルには達していない。特に一番新顔のわたしなぞ、未だに180度の前後開脚も出来ないくらいで、身体はまだカチカチなんである。グラン・バットマン(前・横・後ろに片脚を大きく振り上げる動作)なども、申し訳のように90度よりちょっと上に上がる程度。
 ワセダのSO・曽我部佳憲選手なんか、キックした脚の膝が顔に付きそうなくらいに上がっていた。きっと彼は前後スプリットは楽勝に違いない(羨)。

 閑話休題。ポワントの話をしている時、誰かがふとこう言った。「ポワント履こうと思ったら、まず体重を減らさないと…」途端に黙り込むメンバー全員。中級の2人が「そうだよねえ。ポワント履くとしたら、理想的なのは30kg台だって言うもんね」とムゴいことを仰って、場の雰囲気はさらに落ち込むのだった(汗)。
 30kg台の体重なんてとんでもない。今のわたしの体重、何割落としたら30kg台になんかなると言うのだ。そんな減量をしたら死んでしまう。自慢ではないがわたしの場合、骨が太いのと下半身がドドーンとしているので、45kgを切ったことなぞないのである。その限界値からさらに5kgも減らしたらどうなってしまうことやら。そもそもそんな減量をするような根性もない。

 ともあれ、中級の方によれば、どんなに重くても40kg台前半の体重でないと、ポワントを履いて踊るのは厳しい、と言う。身長がうんと高ければまた話は違うのだろうが、その場に居た全員が、揃いも揃って160cmに届かない小柄な人ばかりなのだった。
 30kg台だの40kg台前半だのは無理に決まっているが、今の体重よりもうちょっと落としたら、「履いて踊る」のは無理でも「履いてレッスンをする」くらいは可能になるかもしれないかな、と思った。胃を壊してだいぶ痩せた去年からは打って変わって、今はちょっと身体が重い感じなので、ダイエットしてみるのも悪くない。

 とりあえずおやつを控えることと、スポーツ・クラブ通いをもうちょっと増やすことから始めてみよう。家人に「痩せてみようかなあ」と言ったら、「痩せたら途端にキミは体力がガタ落ちになるから、そんなことはせんでくれ」と返って来た(汗)。と言う事で目標は「体力を維持したままで3kg減」。期間の目安は2〜3ヶ月だろうか。
 3ヵ月後にどうなっているか、それは神のみぞ知るのである(汗)。




01/12 ヨメナ語と呪文

2006/01/12 17:03
 FCLA及びmixiの友人であるMさんに教わったサイトがある。ほぼ日刊イトイ新聞の声に出して読めない日本語、通称ヨメナ語。平たく言えば難読語のデータ・ベース(?)である。昨年末、ここで過去に登場したヨメナ語の中から10問ずつを出題したミニ・テスト5日間が行なわれた。書きはともかく、読みはかなり得意だと自負していたのだが、それでも満点を取れたのはたった1日だけ。人名、カタカナ語、超難読漢字の3問いずれかで大抵はしくじってしまうのだった。
 「草石蚕」とか「慈姑」、「馴鹿」などの動植物系も厳しい。ちなみに左の3つは、それぞれ「ちょろぎ」、「くわい」、「となかい」と読むのだそうだ。人名やブランド名などのカタカナ語はもう知らなければ絶対読めない。「村主章枝」さんとか「西原理恵子」さんなど、漢字そのものは易しいのでつい油断する。「関ジャニ∞」とか「130R」とか「175R」、あるいは「STUSSY」などになると「知るもんか!」と毒づきたくなるのだった。

 圧巻は超難読漢字である。毎週日曜日に「ムリ語」として1つずつ紹介されているらしい。例えば「鏤める」、「遖」、「壁蝨」、「盈ち虧け」、「水雲」、「翻筋斗」、「靨」に「黶」などなど。イヤになって来る。ちなみに以上は「ちりばめる」、「あっぱれ」、「だに」、「みちかけ」、「もずく」、「もんどり」、「えくぼ」、「ほくろ・あざ」なのだそうだ。「みちかけ」なんて「満ち欠け」でいいじゃん。「もんどり打って倒れた」なんて、FEPは変換してくれないじゃん!
 たまーにムリ語サンデーでも読めたりすると気分がいい。「湯湯婆」や「抽斗」や「魘される」、「犇く」なんてこの日記でも使った覚えがある。「蟀谷」、「蛞蝓」、「胼胝」、「嗽」、「急度」、「齷齪」あたりもどうにか読める。(ゆたんぽ、ひきだし、うなされる、ひしめく、こめかみ、なめくじ、たこ、うがい、きっと、あくせく)

 このサイトの面白い点は、ただ単に難読単語を紹介するだけじゃなくて、読み物としても楽しめるところだと思う。それぞれの単語には別ウィンドウで読みと共に例文が示してあるのだが、例えば今日の出題から「在り処」。今の所、これが極め付けに面白かった。他にも「TAG Heuer」もお気に入りである。
 全然関係ないが「TAG Heuer」の例文を読んで思い出した。ES細胞論文関係で出て来る「胚盤胞」という単語を見ると、どうも脳裏を甲冑やら軍馬やらがチラチラする。なんでやろ、と思って考えてみたら、ウォルター・スコットの『アイヴァンホー』を連想したからなのであった(汗)。

 難読漢字と言うと最近見付けた面白いページが「漢字元素周期表」である。かつてお馴染みだった炭素や酸素や水素や窒素などなどが、何だか全然知らない人のような顔をしている(汗)。一応、常温で気体である元素は「气」、金属元素は「金偏の簡略形(?)っぽいもの」、半金属元素は「石偏」…という区分けなのだろうか。例外も沢山あるようなので基準が良く判らない。
 中国では本当に元素をこういう表記で書いているのだろうか。アルファベット表記の方がカンタンで判り易い気がするのだが…。ちなみに「H:水素」には「重水素」と「トリチウム」があるのだが、その書き分けも1文字で出来るらしいのにちょっと感心した。普通の水素は「气」の中身が「ノ」なのだが、重水素は「ノ|」、トリチウムは「川」。
 多少判り易いけれど、アルファベット表記(重水素=D、トリチウム=T)にはまだ負けるな…。

 ここまで来ると既にもう呪文というかルーン語のアルファベットのような「読めそうで読めない」違和感がある。そしてまた全然関係ないが、最近ハマっているバレエ用語も、ほとんど呪文なのである。
 『のだめカンタービレ』で主人公ののだめちゃんが、千秋君の作る複雑な名前の料理を「呪文料理」と呼んで愛好しているのだが、気分はあんな感じだろうか。

 先月風邪で2回お休みしてしまった分の補習を昨日受けたのだが、そこで習ったパ(ステップ)。
 「ジュテ、ソテ、ジュテ、ソテ、バロテ、バロテ、トンベ、パ・ド・ブレ」
 先生、何が何やら判りません(涙)。しかも足に気を取られると腕がどうだったのか判らなくなります(涙)。音楽に乗せて軽やかに踊る境地は、まだまだ遠いのであった…(がっくり)。




01/13 どうしても好きになれない日

2006/01/13 17:30
 迷信の最たるものだと判っているのだが、やっぱり嫌い。何かとんでもなく悪いことが起こるような気がしてしまうそんな日が、今日、13日の金曜日。字を見るのも嫌である。13という数字が大嫌いなこの状態を格好良く(?)表現すると、以前の日記にも確か書いたと思うが「トリスカイデカフォビア」。1日家に引き篭もって、家の中でだけ出来る仕事をやって過ごそうと思っていた午前11時少し前、ケータイが鳴った。行き付けの本屋さんだった。
 「お待たせしました。ご予約いただきました『のだめカンタービレ14巻限定版』が入荷いたしました」

 そういえばうっかり忘れていたけど今日が発売日なのだ。さて困った。激しく読みたいが外に出ても大丈夫だろうか。アタマの中では「大丈夫に決まってるだろうが、阿呆」と主張する理性的な部分と、「でもでも、こういう心理状態で外出して万が一何かあったら、ジンクスが固定して次はもっと酷いことに…」と及び腰になるビビリな部分が権力争いを繰り広げている。どうしようどうしよう。
 結局、理性的な部分が一応の勝利を収めたので、徒歩7分の本屋さんまで買い物に行くことにした。もちろん今日という日にクルマになんか乗る訳はない。ついでだから帰りがけに駅付近のスーパーに寄ることにしよう。

 そしてもちろん何事も起こるハズもなく、無事に行って帰って来ることが出来たのだった。めでたしめでたし。後は家人が帰って来たら晩御飯を食べて2人でスポーツ・クラブに行き、運動して風呂に入って眠るだけである。日付が変わるまで順調に行きますように(祈)。
 今思い出したのだが、家人の常用しているクスリを「帰りがけに自分で貰って来るようにね」と処方箋を持たせたのだが(前以て内容はFAX送付済み)、こんなことならわたしが貰って来てあげれば良かった。しまったしまった。

 現段階で言えば、今のところ、今日はどちらかと言うとむしろラッキー・デイである。何となれば、復刊ドットコムに出していた『黒後家蜘蛛の会』6巻出版のリクエストが、今日めでたく100票の規定数に到達したとお知らせが来たのだった。
 他にも山ほど復刊やら出版やらの交渉件数があるので、100票到達したからと言ってすぐに出版が決まる訳もないのだが、もう10年以上待ち望んでいる『黒後家蜘蛛の会』6巻を、東京創元社の人が思い出してくれるきっかけになると嬉しい。
 オンデマンド出版でも買うから、出してくれないかなあホントに…。

 付記:日記を書き終わってから家人よりケータイメール。「通勤に使ってる電車が不通になっちゃった。今日は帰り遅くなる」だそうである。どうやら途中の大きな駅で、枕木から煙が出たとかどうとかで総点検の羽目に陥ったらしい。結果、家人は薬局の閉まる時間までには最寄り駅に到達出来なそうであり、わたしが代わりにクスリを貰いに行こうにも、引換えにする処方箋が手元にない。
 おおやっぱり今日という日のジンクスが…(がくがくぶるぶる)。




01/14 久々の銀ブラ(死語)

2006/01/14 21:23
 ご無沙汰していた友人と銀座でデートした。買い物の後でお食事をご一緒し、それからカラオケ屋さんに乗り込むと言う、わたしとしてはほとんど稀有なパターンである。そもそも銀座にカラオケ屋さんなんてあるのだろうか、あっても高価いんじゃないか…と思っていたのだが、2人で2時間で820円である。安いっ。
 基本的には100円/人・時間で、それぞれ飲み物を1品ずつ頼むことという縛りがある。滞在時間が延びれば延びるだけ、コスト・パフォーマンスは良くなる計算なのだが、流石に3時間も4時間もカラオケというのはナニなので(汗)。

 本来のカラオケとは若干外れたお客なのかもしれない。何せわたしは「最後にカラオケ屋に行ったのって…何年前?」という体たらくなので、カラオケ屋さんのシステムそのものに不慣れなのだ。大学の研究室に居た頃は何度か行ったこともあって、その時はまだ何曲か「これなら歌える」という曲に心当たりもあったのだが、最近のは本当に判らないし…。
 フロントで来客名簿に書き込んで下さいと言われたのだが、見るともなしに他の人の欄を見ると、6時間の予定とかいうツワモノたちもいらっさるので驚いた。10人くらい一緒だとしても、6時間歌いっ放しというのはしんどくないのだろうか。お店にしてもテナント代をちゃんと稼げるだけの客単価になるのだろうか。お酒を飲んだり軽い食事もしたり…という場合なら大丈夫かなあ。

 曲目がいっぱい載っている分厚い本をぱらぱら捲ってみたが、案の定、わたしの知っている曲はあまりない。10年以上前のチャゲ&飛鳥の曲なら歌える。「yah! yah! yah!」辺りはイケるだろうかと思うものの、あの曲を1人で歌い上げるテンションの高さは、今のわたしにはない。第一キイが低過ぎる。音域を調節する方法もあるらしいのだが、わたしには良く判らないのである(汗)。
 そういえば数年前に友人とカラオケに行った時も、何を歌ったら良いだろうか考えあぐねて、結局ABBAとカーペンターズばっかり選んでいたのだった。確か「チキチータ」が、何かの連続ドラマの主題歌になってリヴァイヴァルしていた頃である。多少なりとも「時流に乗った」選曲が出来て嬉しかったので、良く覚えているのだった。

 当然今日も「チキチータ」の例を覚えていたので、連続ドラマの主題歌なら歌えるかも! と思いついた。最近面白がって観ていた連続ドラマと言うともちろん『電車男』である。そうだ、ELOの「Time」なら歌えるじゃん。エンディングの「世界はそれを愛と呼ぶのだ」はウロ覚えなので無理だが、オープニングならばっちりイケる。やた! と喜んでカタログを捲る…しかし、残念ながらELOの「Time」は載っていなかったのだった。なんでやねん!
 他にレパートリーとしてはかろうじて中島みゆきとユーミンがある。どちらも微妙にキイが低いので歌える曲は限られるのだが、「時代」とか「時刻表」とか「砂の舟」、あるいは「NO SIDE」とか「NO SIDE 夏〜空耳のホイッスル」、「不思議な体験」あたりはどうにかなる。とは言え、なんだかどれもしんみり地味系。盛り下がりそうだなあ…(汗)。

 最初にリクエストした曲が、履歴からO-ZONEの「恋のマイアヒ」だったりしたので、余計にノリノリ曲を選ばなきゃという意識が強かった。そもそもわたしの下手な歌を聞かされる方も、しんみり系よりノリノリ系の方がマシだろう。ともあれいろいろいろいろ考えるので、わたしはカラオケ屋さんに行く時は、他の人のを聞いている方が気が楽だったりする(ヘタレ)。
 結局「アニソンなら知ってる曲も多かろう」というご配慮(汗)でか、最後の方はアニソン・オン・パレードとなったのだった。「宇宙戦艦ヤマト」とか「銀河鉄道999」、「パタリロ!」フル・コース(オープニングとエンディングと「クックロビン音頭」)など。「ヤマト」や「999」は映像がアニメーションの名場面集なのでメチャクチャ盛り上がる。いややっぱりあの頃のアニメって好きだったなあ♪

 最近はアニメそのものをあまり観なくなったのだが、アニメのクオリティも、やっぱり一昔(?)前の方が高かったような気もする。『MONSTER』と『MASTER KEATON』は例外的に好きで良く観ていたが、残念ながら2つとも主題歌(と呼びたい曲)がない。『攻殻機動隊S.A.C.』も好きだが、「GET 9」は歌うんじゃなくて聴く方が絶対楽しい。「rise」も「Christmas in the Silent Forest」も歌う向きではない(汗)。「Follow Me」なら何とか歌えるが、あれもしんみり系だし…。難しいなあ。
 最後に主題歌付きで必死に観たアニメはと言うと、これは間違いなく『COWBOY BEBOP』である。主題歌はインストゥルメンタルのオープニングではなくてもちろんエンディングの「The Real Folk Blues」。本当はあの曲を歌うには、もっと迫力のある声でないとツライのだが、〆はこの曲ということになった。

 そしたらやっぱり映像がエンディングで、しかも長いヴァージョンなのだった♪ 歌っているうちにぐわわ〜っと蘇るあの頃の熱いキモチ。ヴィシャスもスパイクも好きだったなあ。フェイが号泣するシーンではわたしも泣いたっけなあ(涙)。「WO QUI NON COIN」なんか、フランス系ハナモゲラ語(? ちゃんとした意味のある歌詞なのかもしれない)を一生懸命耳コピしたっけ。
 そしてやっぱりどうしても判らないのが、ジュリアのどこがそんなに良かったのか。むきーっ。最終回鑑賞後の遣る瀬無さ、ああいう決着しか有り得ないと思う一方の、言いようのない虚しさ口惜しさも蘇って来る…! よおし今晩はDVD観ちゃうぞ(汗)。




01/15 ぼにゃ〜んとした1日

2006/01/15 21:38
 昨日何だかんだと持ち運んだ荷物が重かったので、覿面に筋肉痛になってしまった。良く考えると「重い」と言うよりは「嵩張る」荷物で、事前に判っていたのでそれなりの梱包をしてあったのだが。持ち方がどこかヘンだったのだろうか。筋肉というのは動作によって使う場所が本当に微妙に違うらしく、普段動かしているから大丈夫だと思っていても、筋肉痛を起こす時は起こすものと見える。
 そういえば先日、今年初のバレエ教室に行った翌日は、何故か首の筋肉が痛くなったっけ。全身を万遍なく鍛えるのは至難の技らしい。

 背中や肩がパリパリしていることもあり、今日はまたまた家人が夜勤で晩御飯を作る必要がないのを良いことに、日がなのらくらと過ごしてしまった。こういう時こそ有意義な時間の使い方をするようにと、元旦に一応決心したハズだったのに、全く豆腐のような根性である。とほほほ。
 家人を送り出した後で洗濯機なぞ回しつつ、『COWBOY BEBOP』のDVDを眺めてうとうとしていたらケータイが鳴った。高知にお住まいのラグビー友達(汗)、Rさんである。3日ほど前に下さったメールに書いてあった通り、今日は近鉄花園ラグビー場で全国大学ラグビーの第60回東西学生対抗試合を観戦しに行ってらっしゃるハズなのだ。
 ちなみにその時のメールにあったのだが、Rさんが早稲田大学ラグビー蹴球部の高橋銀太郎選手のプロフィール・ページからファン・メールを送ったら、24時間も経たないうちにお返事が来たらしい。去年お返事をくれた遠藤隆明選手といい、今年の首藤甲子郎選手といい、銀ちゃんといい、皆本当にええ子じゃのう♪

 Rさんのケータイ・メールによれば、東西対抗戦はワセダの属する東軍の快勝で、しかも首藤甲子郎選手がMVPだったらしい。なんでも柔道技を思わせる投げで西軍の選手を投げ飛ばした、のだそうだ。わたしも気になって某巨大匿名掲示板のワセダのスレをちらちらチェックしていたのだが、首藤選手はトライを決めたばかりでなく、その後のコンヴァージョン・キックも自分で蹴ったという。
 残念ながら外れてしまったらしいが、シーズン中ならそういうお遊び的なことはやらないので、何というかもう本当に観たかったと悔しいのだった。J-SPORTSで放映してくれれば良いのに、スケジュール本をチェックした限りでは放映はない。ケチー! 首藤選手のMVPとプレイス・キックの風景なんて滅多に観られないのに…。

 今週末に上井草で行なわれる、ワセダ優勝記念のパレードと祝賀会(というかファンの集い?)には、是が非でも行くんだもんね、と決意を新たにしたのだった。去年は確か雪混じりの雨がびしょびしょ降ってえらく寒かったのだが、今年の天気はどうだろう。予報によればまたまた「曇時々雨」で、しかも最高気温は7℃という予測。厳しい。
 雨が降ったら上井草商店街でのパレードは中止になってしまうかもしれない。去年もそうだったので、地元の人々に喜んでもらえないのは少々気の毒だなあ、と思う。寒くても良いからせめて晴れてくれると良いのだが。お天気が悪いと「ファンの集い」に集まる人数が膨れ上がることもないだろうし、悪いことばかりではないものの、やっぱりお祭だし盛り上がって欲しいのである。




01/16 ゴミ出しの掟

2006/01/16 23:55
 今日のヨメナ語の1つは「秩父宮ラグビー場」だった。へっへ〜ん、楽勝だね! そしていつもの通り、例文にもクスリと笑ってしまった。確かにピンと来ないだろう。わたしの場合「東京ドーム4個分」とか「世田谷区と同じくらい」とか言われてもやっぱりピンと来ない。「琵琶湖1個分」も想像が付かない。素直に数字で表してくれたら良いのに、と思ったりする。
 秩父宮ラグビー場関連で言えば、今日の大ショック事件。昨日の学生オールスター試合で負傷した、ワセダの五郎丸歩選手は予想を大幅に超える大怪我だったらしい。顎の骨折だと言うから、2月の日本選手権はほぼ絶望的である。今年こそはトップ・リーグのチームを撃破するのだと意気込んでいただけに、五郎丸選手の欠場は痛い。

 おそらくFBには、代わりに4年生の高橋銀太郎選手か、あるいは同じく4年生の小吹和也選手が入るのではないかと思う。今までの感じから行けば、残念ながら五郎丸選手の方が実力は上なのだが、ここはひとつ「4年生の狂気」と呼ばれるものを見せて欲しいと思う。学生最後の年、土壇場で巡って来た大舞台と言うことで、ひょっとしたら火事場の馬鹿力のようなスーパー・プレイが飛び出さないかと期待してしまう。
 ラグビーとは不思議なもので、個々人の力量が例え下回っている場合でも、チームとしてまとまり、意思疎通が上手く行っている方が勝ってしまったりする。五郎丸選手の悔しさを、リザーヴ選手含め22人全員が相手チームにぶつけて欲しい。ただしもちろん怪我にだけは気を付けて、悔いのないチャレンジを望みたい。

 で、本題である(汗)。
 去年10月から在住の市では「燃やせるゴミ」と「燃やせないゴミ」の収集が有料になった。それぞれ黄色と緑色の袋を買って、それを各家庭の玄関前に出すというシステムである。もちろん専用袋に入っていないゴミは持って行ってもらえない。スチロール・トレイやPETボトル、空き缶・空き瓶、古紙・古布の収集は今まで通り無料。これらは以前と同じ、ゴミ・ステーションに出すのである。
 有料化したことでゴミの総量が減ったかどうかは報告がまだ出ていないので不明である。予想通り、猫やカラスによるゴミ荒らしが頻発したことで、各家庭でネットとか袋などを準備しなくてはならなかった。心配していた収集時間は、予想よりもずっと早くしてもらえたので、ゴミが邪魔でクルマを出しにくい不便さもそれほどではない。たぶん夏場も、生ゴミが発酵する前に収集完了するだろう。

 困ったことは、予想通りと言えば言えるのだが、資源ゴミの分別を未だに家人に覚えてもらえない、ということである。「古紙」の袋に入れるべきゴミを、家人は時々「燃やせるゴミ」の箱に入れてしまう。千切って薬液で煮たらパルプに戻るものという基準がどうしても良く判らないらしい。防水フィルム・コートの紙と単なるコート紙は、確かに慣れていないと区別しにくいかもしれない。
 とは言え既に3ヶ月目が終わろうとしているのだから、そろそろ覚えてくれると嬉しいのだが。チラシやパンフレットの類は全部「古紙」、と言っておけば少しはマシだろうか。

 専用袋が案外ヤワなのも困りものである。わたしはセコいので、ゴミをぎゅうぎゅうに潰して無理矢理にでも小袋(20円/枚)に詰め込もうとする。どうしても入らなければ中袋(40円/枚)にするしかないのだが、そういう時は何だか負けたような気分になって悔しい(誰にやねん)。
 ぎゅうぎゅうに潰したゴミを専用袋に詰め込む作業中、時としてスッパーと裂けてしまうのである。ゴミの中に折り畳んだプラスティック・トレイなどが入っていたりすると、その角が当たって裂け易い。もちろんわたしもそれは予測しているので、なるべく尖った部分が表に出ないようにしているのだが、それでも時々スッパー、となる。

 単純に詰め込み過ぎなのだろうが、それでも袋の材質を工夫すれば、もうちょっとフレキシビリティが出るだろうに…と思わずにいられないのだった。あまりに伸びる素材だとゴミ減量の効果がなくなってしまうだろうが、現在の袋はどうにもヤワくてイヤになる。
 8月だか9月だかの説明会に出た時、「袋が破れた場合、粘着テープで貼ればそのまま出しても良い」ということだったのがまだ救いである。破れた袋はキャンセルせねばならないとしたら腹立ち倍増間違いない。ただし、貼り合わせることも不可能なくらいビリビリになってしまったらダメだそうなので、やっぱり気を付けなければ…。

 もう1つはわたしの個人的な問題点である。ウチでは家人の勤務シフトに合わせて動いている。普通の勤務の時は朝6時前に起床なので問題ないのだが、夜勤とか泊まり勤務の時は、起きるのが10時過ぎだったりする。ゴミ収集車が来るのは10時前後。うっかりすると出しそびれてしまう。
 ゴミ・ステーション収集だった時は、少々気が咎めつつも前日の夜中にゴミを出したりしていた。ただし各戸前収集となった現在、流石に前日ゴミ出しはやりにくい。隣家と2軒で1まとまりだから、ウチがやらかすヘマは隣家のヘマにもなるからである。どうにも無精っぽいイメージが付きまとうし、猫ちゃんに荒らされる可能性も高くなる。どういう訳かゴミ・ステーション式の時より今の方が、猫ちゃんの標的になり易いのである。

 仕方ないのでゴミの日には、例えシフトがどうであろうとわたしだけ8時起床することにした。普通の家庭の主婦ならあったりまえの起床時間だが、夜更かしする家人に付き合ってうっかり3時過ぎまで起きていたりすると後がツラい。
 最近、ウチの近所のとあるお宅が、前日ゴミ出しを決行していらっしゃるのを見て「じゃあウチもいいかしらん」と思っていた。しかし今日そのお宅の前を通り掛かったら、1軒分だけ出ているゴミの袋が近隣在住の猫ちゃんたちの集中攻撃を喰らったのか、見事に荒らされていた。
 やっぱり前日ゴミ出しはダメだ。と言う訳で、明日もきちんと早起き(当社比)せねばなるまい。そろそろ風呂に入って寝てしまわないとしんどいのでお休みなさい…。




01/17 特異日

2006/01/17 18:35
 何だか随分いろいろなことが重なった日である。
 1つはやはりどうしても忘れられない「阪神淡路大震災」。11年前の今日、まだ会社員だったので終業後、富○通のOASYS(通信機能付き)に齧り付いて友人・知人の安否情報を収集してたっけ。どこのフォーラムにも特設会議室が出来ていた。当時トアー・ロード沿いに住んでいた家人の祖母と叔母さま2人は、マンションが火事になってしまって大変だったのである。
 義弟君と家人が救援物資をクルマに積み込み、途中からは重たいキャリーを引っ張って現地入りし、祖母を東京まで連れて帰ったのだった。その祖母も昨年亡くなって今は居ない。あの地震で祖母の寿命は縮まってしまったのだろうかとふと考える。90歳越えていたから、周囲の人々もある程度納得はしているけれど、それでもやっぱり寂しい祖母の不在である。

 もう1つは社会現象となった宮崎勤被告の最高裁判決。おそらくそうだろうと思っていたが、やっぱり死刑判決だったらしい。新聞やTVなどで「彼の心の闇が解明されないまま事件を葬り去るのは云々」というコメントも見受けられるが、解明したからといって何かの役に立つかどうかは個人的には甚だ疑問である。犯罪心理学とか異常心理学とか、そういう方面の学問的には興味深いケースだろうけれど。
 ロリータ趣味やペドフィリアな人にアンケートして「正直、生身の少女に同じことをしたいと思う。死ぬまで我慢出来るかどうか判らない」という答えを引き出していた記事も目にしたけれど、ちょっと作為的な臭いを感じてイヤな気分になった。宮崎事件の当時も、「おたく」たちが変態あるいは犯罪者予備軍として随分白い目で見られていたものだが、「おたく」たちと宮崎勤被告の間には、狭いかもしれないが深い深い溝があると思う。

 個人的にはロリもペドも理解出来ないししたくもないが、ああいったシュミを持つ人々と言うのは、基本的に自己内完結型であるような気がする。いわゆるマニアはどんなジャンルでもそうかもしれないけれど、自分の好きな対象についての膨大なファンタジーを、自分の中に築き上げる作業にシアワセを感じるのではないかと思う。
 そのファンタジーを理解しない人とは突っ込んだ話はしないし、時にはファンタジーの対象そのものが、自分の世界を構成する単なる記号となる場合さえある。この考え方で行けば、宮崎被告は生身の少女を「ファンタジー世界の構成要素」として扱おうとして失敗したことになるが、専門家でもないんだし、軽々しい決め付けはやめておこう。

 ともあれ大多数の「幼女趣味」な人々は、自分の中のファンタジー世界に浸るだけで満足なのではないかと思う。ホンモノの女の子たちは、決して自分の望み通りの存在で居てはくれないと、既に彼らは思い知っているのではないだろうか。
 大声で人には言えないシュミの世界もあるということを大々的に報道すれば、気軽にそれを真似する人々も必ず一定数は出現する。マニアな人々のものだったものを、表の世界へ次々と引っ張り出しているのはマスコミだと言うのに、スケープ・ゴートにされるのもまたマニアな人々だと言うのはやはり今一つ納得が行かないのである。「酒なんか飲んだらアル中になりますよ」と言いつつ、無料で酒を配りまくっているようなものだと思う。
 ただしホンモノの少女たちを食い物にしているメディア作成者については厳罰を下すべきだろう。盗撮その他の犯罪行為についても、もっと重い処罰がなされても良いと思う。それこそ住所氏名顔写真公表の上、市内引き回しの刑、とか。

 注目のもう1つはヒューザーの小島進社長の証人喚問。病院から帰って来た家人が見たがるので中継を流していたのだが、「その件については答弁を控えさせていただきます」の連発で笑ってしまった。こういう逃げ方をされるのは始まる前から判り切っていたのだろうから、訊く方ももうちょっと質問を工夫すれば良いのに。
 家人がどこかで聞き付けて面白がって読んでいる「きっこの日記」でも、当然、今日の証人喚問については大々的に取り上げられている。相変わらず「こんなことどうやって知ったの?」というネタが多い。民主党の馬淵澄夫議員のネタ元はここだという話だが、本当なのだろうか。

 「きっこの日記」や家人の論によれば、昨夕いきなり出て来た「ライブドア家宅捜索」も、この証人喚問から国民の目を逸らせるための小細工だと言う。新聞の一面記事を、「ライブドア」と「宮崎被告死刑判決」と「証人喚問」で分け合わせて、その分「証人喚問」の比率を下げる狙いがあるらしい。
 家人が言うんならそうなのかもしれないが、だとしたら、読者も随分甘く見られたものだなあ、と思う。読む人はちゃんと一面記事とその関連記事くらいは読むだろう。見出しだけで「ふーん」な人ならば、どれだけトップ見出しでデカデカと報じられても「へえそんなことがあったんだ」程度で済ませてしまうような気がする。

 ともあれ予想通り過ぎて呆れてしまうのだが、いよいよ汚職事件に発展する様相を呈してきたマンション耐震強度偽装問題、今後はどっちへ向かうのだろうか。
 ついついわたしも「きっこの日記」をブック・マークして読んでしまっているのだが、1つだけどうしても我慢出来ないのはここの文体である。「きっこさん」はヘアメイク・アーティストの東京在住の女性(かなり細身)ということになっているのだが、文体はどう読んでも、何度読んでも、女性の文章ぢゃないように思えるのだ。正直、気色悪い。おぢさんが、無理矢理若い女性の真似をして、キャピキャピ風に綴っているようにしか見えない。
 折角興味深い内容なのだから、もう少し気持ち悪くない文章で書いてくれないかなあ。でも正体を隠すためには、多少キワモノっぽい文章にしておかないとダメなのだろうか。ここまで各方面に詳しいと言うことは、身近な人にはとっくに「あの人じゃないか」と薄々バレているのではないかと思うのだが。




01/18 何度目か判らない大チョンボ

2006/01/18 16:14
 妙にすっきりと目が覚めた。爽やかな気分でうう〜んと伸びをし、ふと違和感に気付く。
 今、何時?
 がばと飛び起き、枕元の目覚ましを引っ掴んで時間確認。8時をとっくに回っている。隣のベッドは空なので、家人は既に会社に行った後だろう。それから延々わたしは独りで眠りこけていたのだ。道理で眠り足りているハズである。こういう気分で目覚めた時は、大抵の場合碌なことにならない。

 うっそぉぉぉぉ、と思わず口走る。こんな時は何故かいつも芸のない言葉しか出て来ない。階下に走り降りて慌てて着替え、辺りを見回す。ダイニングのテーブルの上にはパン皿と朝刊が載っているし、風呂を使った跡もある。そういえば目覚ましもきちんとアラームを止めてあった。と言うことは家人は特に寝坊をした訳ではなく、いつも通り6時前に起きて身支度等を済ませ、いつも通りの時間に出て行ったことになる。
 それらの物音にも、隣に家人が居ないことにも、丸っきり気付かなかったというのは、流石のねぼすけといえども割に珍しい事態である。おっかしーなー、昨夜は早出に備えて比較的早く床に就いたのだが。疲れるようなことも特にしてないし…。

 ともあれ予定は大混乱である。今日は大昔の知人から久し振りに連絡をいただき、何やら相談に乗ることになっていたのだった。午前中なら空いているから、とこちらが指定したにも関わらず、既に9時を過ぎて待ち合わせには到底間に合わない。慌てて電話を掛けて平謝りする。
 大迷惑を振り撒きつつそちらが何とかなると、後は押しまくりの日常業務が待っている。古新聞の回収がやって来るのには間一髪で間に合った。ラッキー。それから洗濯と掃除と家人の晩御飯の仕度である。また選りによって今日、先月風邪を引いて休んでしまったバレエ教室の残り1回分の補講を受けることにしてあったのだ。

 補講は来週に繰り延べてもらおうかなあ、と一瞬思ったのだが、どうにかこうにかつい先ほど、予定の時間割に追い付いた。気分的には草臥れ果てているが、スケジュール通りに出掛けることにしよう。
 きっと家人は今晩帰って来たら「おいこらねぼすけ」等とひとしきりお小言を垂れるのだろうなあ。激しくすみません(ぺこり)。




01/19 街の灯がとても綺麗ね

2006/01/19 20:30
 今はまったくそんなことはないが、子供の頃のほんの一時期、電車に乗るのが怖かったことがある。そもそも非常に酔い易いので乗り物は全般的に苦手だったのだが、揺れないことで定評のある新幹線でもダメだった。電車の振動もあるだろうが、おそらくは喫煙車のインテリア全体に染み付いた煙草の残り香がいけなかったのだろう。「古いタクシーの臭い」である。多分、三半規管を狂わせる成分が含まれているのだと思う(本当か?)。
 電車が怖いというのは正確には「電車に乗って窓から外を眺めるのがイヤ」なのだった。もっと限定的に言えば夜景が怖かった。それも、人口が密集した地域の夜景が怖くて堪らなかった。

 神奈川県内で育ったが、両親とも関西出身である。故に盆暮れの長期休暇には、家族揃って里帰りする習慣だった。父が運転するクルマで5人、遥々とドライヴすることもあったし、「こだま」の自由席で大阪へ向かうこともあった。父としてはきっとクルマの方が安上がりだと思っていただろう。
 しかし子供3人、クルマに乗せると途端に乗り物酔いを起こす。酔い止めを呑ませようが何しようがほとんど効果がなく、1人がリヴァースすると連鎖反応で残りの2人もリヴァース。車内は阿鼻叫喚の様相を呈し、母はパニックに陥った。父のクルマにもやっぱり煙草の臭いが染み付いていたので、それが原因の1つだったのだろうと思う。
 そんな訳で子供らが大きくなるまでは新幹線利用が多かった。育つに従って乗り物酔いもコントロール出来るようになり、電車賃も大人運賃で高価くなるので、クルマで里帰りが増えて行ったものだ。

 とにかく母方の祖母が大好きだったので、祖母に会えるだけでわくわくしていた往路ではなかったと思う。楽しかった旅行が終わってつまらない日常が帰って来る、そんな厭世的な気分に襲われていた復路。おそらく暗くなるのが早い冬休みの里帰り。いよいよあと何十分かで新横浜駅に着く辺り、あるいは新幹線を降りて在来線に乗り換えた後だろう。わたしはふと電車の窓から外を眺め、一面の家々の窓に灯が点る、星の海のような光景を見た。
 ぞっとした。その時までは何とも思わずに目にしていた光景だったが、急に「あの灯の下には1軒1軒、ウチと同じような家族が居て、自分と同じような子供が暮らしているに違いない」と気が付いたからである。見える範囲だけでも凄い数なのに、これはまだまだホンの一部に過ぎなくて、市全体、県全体、日本全体ではもっともっと沢山の家族と子供が居る。自分は、その何千万分の1の存在でしかなくて、それこそ吹けば飛ぶようなものなのだ。

 自分があの灯の下に居る(だろう)子のことを何も知らなくて、今の今まで存在すら想像していなかったように、あの灯の下の子は自分のことを、その存在を想像さえしていないに違いない。「自分が存在しない世界」があるということを、小学校何年生だったかのわたしは、その時初めて認識したのである。
 急に自分の身体がきゅーっと縮まって消えてしまうような錯覚に襲われた。わたしがここで消えてしまっても、あの灯の下の人々はそれすらまったく関知しないままに笑い続けるのだと思った。それがもうメチャメチャ怖かった。
 電車から見える夜景に慣れるまでのしばらくの期間、夜に電車に乗るのが怖くて怖くて仕方がなくなった。小学生のわたしが、特に夜に電車に乗る機会はほとんどなかったので、なおさらショックだったのかもしれない。私立の小学校へ電車通学している子だったら、夜景などは当ったり前の光景だったのだろうけれど。

 きっと誰もが成長の過程で通るポイントだったに違いないけれど、ともかくあの瞬間は衝撃的であった。そして「現実の非現実性」を意識したのも同じ頃である。
 何かの本に熱中している時だった。ふと「今こうやって本を読んでいる自分は、もしかして誰かが読んでいる本の、登場人物なんじゃないだろうか」と思った。自分ではちゃんと座って読書しているつもりだけれど、ひょっとすると「その女の子はさっきからずーっと、一生懸命に本を読んでいました」と書かれた文章に過ぎないのではないか。
 しかもその登場人物は、その物語の主人公でも主要キャラでもなくて、ほんの1シーンにしか出て来ないチョイ役かもしれない。その子(=わたし)が居ても居なくても、物語(=世界)は何事もなく存続するのである。

 そこでまたまた怖くなってしまった。強烈な自意識の裏返しだったのだろうが、その頃のわたしはともかく「自分の存在をどうやって確かめたら良いのか判らない」ことにパニックになっていた。消えちゃっても何も残らないんだなあ、と思うと、足元がスカスカするような気がした。考えると怖くなっちゃうのに、気が付くとそのことを考えていたりする。暇だったのだろう。
 ある時思い余って父にその話をした。自分はひょっとしたら本の中の子かもしれない。だとするとその本を読んでいる誰かがパタンと本を閉じたら、自分もこの世界も消えてしまうのではないか。どうやったらここが本の中かどうか確かめられるのかは判らないから、考えていると混乱するのだ、と。

 父がその時何と答えたかは覚えていない。ただ「ふうむ、そんなこと考えてたのか」と言っただけだったような気もする。大人であれば、そして物知りの父であれば(わたしは極め付きのファザコン娘だった)、答えとまで行かなくてもヒントを教えてくれるのではないかと思っていたので随分拍子抜けしてしまった。
 父の本棚には『サルトル著作集』などが置いてあったので、そういった類のことを子供にも判り易く話してくれたら良かったのに、と思う。後に父の本棚からその辺を拝借して読むようになったのだが、自分が考え付く遥か以前に、同じようなことを書いている人が居ることに、ひたすら脱帽したものである。

 とは言え小学生の子にその辺を説明するのはどうしたら良いのだろうか。当時の父はおそらく、今のわたし〜家人くらいの年齢である。姪っ子1号が「まとりねえちゃん、ちょっと考えてんけどな」と訊いて来たら、さて何と答えよう。何となく「ふうむ、そんなこと考えてたの」と言うのが精一杯なような気もする。




01/20 どうにも慌しい

2006/01/20 19:56
 ことの発端は5日ほど前に遡る。銀ブラ(死語)した日の晩、どうにも胃が痛くて堪らなくなった。何も今に始まったことではなかった。実は一昨年の3月辺りにもたまに、鳩尾にクッションを押し付けてぎゅーっと丸くなり、ホット・カーペットの上を転げ回るくらい痛いことがあったのである。去年はそういうことも減っていたので忘れていたのだが、忘れられた胃が反抗期に入ったらしい。
 痛みがだんだん酷くなる訳でもないし、そもそも一昨年と同じ症状と言うことは、それだけで「うんきっと慢性胃炎とかそんなモノだな」と甘く見る理由になる(と思った)。そしてmixiの日記に「いや今日は胃が痛かった」と気軽に書いたら、マイミクの皆さんが幾つもコメントを下さったのだった。とっとと医者に行け、と。

 とりあえず痛みの山場は越えていたので「じゃあ次に痛くなったら」とコメント返ししたら、普段は温和なPさんに怒られてしまった。結構長い付き合いだが、Pさんにはっきりと「怒ってます」と言われたのはたぶん初めてなので、流石のわたしも反省。家人もたびたび「そんなに痛いのなら放置するな」と言っていたこともあり、ようやく重い腰を上げたのだった。
 一昨年の10月に近所に出来た中規模病院(徒歩5分)へ渋々向かう。出来たばっかりの頃、膝が痛んだので1度掛かったことがある。おかげで診察券の登録番号は2桁だったりする。義父によると「本当に若い番号は関係者で独占している」らしいのだが、診察券の番号が若いって、つまり新し物好きを示すようでむしろ恥ずかしいのではないだろうか。
 ともかく朝8時少し過ぎに家を出る。ロビーでは既に何人もの患者さんが受付開始待ちをしていらした。早っ。

 お医者さんはわたしより少し若いくらいの女医さんだった。鳩尾辺りにいつも不快感があること、しくしくとむかむかの中間くらいであること、たまーに転げ回るくらい痛むけれど、○田胃酸(伏字になってない)等を呑んで温めると軽くなること、空腹時は痛みが強くなることが多いことなどなどを白状する。
 問診と触診の後、お医者さんはおっしゃった。「ちょっと重めの胃炎か、軽い潰瘍かどちらかだと思います。ハッキリさせるために1回、胃カメラ呑みましょう」。げげー胃カメラ! 呑んだことないぞそんなもの。すんごい苦しいとか聞いたことあるけれど、実際はどうなのだろう。

 ビビリが顔に出たらしい。「大丈夫、今はそんなに大変じゃなくて、気軽な検査ですから」とお医者さん。ただし既往症によっては注意しなければならないこともあるという。わたしの右目はどうやらごく初期の緑内障らしいのだが、そう告げると、抗痙攣薬のブスコパンを注射すると眼圧が上がることがあるので、ブスコパンの使用について眼科の主治医に確認を取っておくように、と言われた。
 ブスコパンと言うと佐々木倫子さんの『おたんこナース』に出て来た痛み止めの名前である。筋肉注射だから結構痛いんじゃなかったっけか? 眼圧のことと言い、なんだか嫌な要素が増えて行くなあ。
 帰宅後、眼科に電話を掛けて経緯を説明すると問題ないとのことだったので一安心したのだった。

 薬局で胃薬と頓服を貰って帰ると10時をとっくに過ぎている。往復で10分しか掛からないのに、やっぱり病院って時間を食うので嫌いである。お医者さんに言われた通り、貰った胃薬を早速服用。これで胃の不快感が和らぐなら嬉しいのだが、今のところあんまり効いている感じはしないのだった(涙)。
 朝出来なかった諸々の用事をこなしていると、お昼少し過ぎに家人が起床。今日はまた夜勤なので寝坊出来るのである。どうだったと言われて胃カメラ決定の旨を告げると「やっぱりなー」とニヤニヤしている。家人にしてみればまさに「言わんこっちゃない」なのだろう。わたしが内心ビビっているのもお見通しなのに、選りによって嘲笑うとは可愛くないヤツである。

 さらに可愛くない発言は続いた。「キミの場合はあまりにもストレス・フリーだから、まあ間違いなく“胃炎”の方だろうな。キミの胃袋に潰瘍が出来るような理由がないもんね」
 自分でも多分そっちだろうと思うし、のんべんだらりんと暮らしているのは確かだが、ここまで直截的に言われると何となくムカッ腹が立つのであった。呑気者には呑気者なりの気苦労だってストレスだってあるのだぞ!
 その後家人のお供をしてスポーツ・クラブに行って2時間ばかり運動し、家人はスポーツ・クラブの最寄り駅からそのまま出勤。帰宅後積み残した家事や用事を片付けていたらもうこんな時間である。忙しかったような気がする割に、あまり充実感のない奇妙な1日であった。疲れた。

 ともあれ胃カメラX-dayは今度の月曜日。FCLA関係の友人たちによれば最近の内視鏡は細く出来ているのであんまり苦しくないらしいのだが、やっぱりちょっとビビっているのだった(ヘタレ)。お医者さんだって「気軽な検査ですよ」って言ったのだが、性格の悪い家人は「そりゃそうだろう、“すっごい大変で痛くて苦しい検査です”なんて言ったら患者が逃げちゃうじゃん」とニヤニヤしている。
 胃カメラを呑んだことのない家人より、経験者のFCLAの友人たちの言うことを信じようそうしよう(ドキドキ)。あんまり脅かすと敵前逃亡したくなるではないか。頑張って呑んで来るけどさ(ぷんぷん)。

 おそらく大したことはないだろうけれど、ともあれ、病院へ行けと怒って下さった皆さん(家人含む)、どうもありがとうございました(ぺこり)。目下の心配事は「咽喉の麻酔」とやらをちゃんと出来るだろうかという事である。ビビりなわたしは慣れない状況に滅法弱い。慌てている時に「じゃあ右手を上げて下さい」と言われたら、迷って一瞬考え込んだ末に、間違って左脚を上げちゃうようなタイプなのだ。
 病院ではビビりな患者も診ているだろうから、大丈夫だよね…。




01/21 雪ニモ負ケズ!

2006/01/21 23:23
 という訳で、今日は早稲田大学ラグビー部の優勝パレード&祝賀会(兼ファンの集い)の日なのだった。いやもうわたしがどれだけこの時を楽しみに待っていたことか。1月8日の大隈講堂前で「優勝記念の荒ぶるTシャツ2006年版」を買ってから、去年のようにこれに選手たちのサインをいっぱい貰えるといいな♪ と、2週間浮き浮きしていたのだった。
 ああそれなのにそれなのに(涙)。昨晩、夜勤から家人が帰宅したのが午前1時半くらい。天気予報で「週末は関東地方南部を中心に雪(!)が降るでしょう」と予想していた通り、既にその時刻にはちらほらと白いものが舞っていた。
 センター試験だって開催されるんだし、困る人がいっぱい居るではないか。お願い神様、せめて雨にして。祈りつつ床に就いたのだが…。

 昨日の夕方、前以てワセダ・ラグビー部にお問い合わせメールを出して、天候不良時の予定をお訊きしてあった。天気が良ければ午前中に杉並区役所で優勝報告会。その後で上井草へ移動して、13:30から上井草商店街でのパレード。引き続き14:00から上井草グラウンドで祝賀会(兼ファンの集い)というのが元々の予定だった。
 ワセダ・ラグビー部からは「雨が降ったらパレードは中止。しかし昨年と同様、上井草グラウンドでの祝賀会は決行。OBが社長だか会長だかを務める焼肉チェーン「牛□」で、抽選によりファンを招待しての焼き肉食べ放題オプションもあるので、是非ご来場下さい」との返事が来た。よーしよし、去年は確か、上井草商店街の「ビストロ・ベルゲン」で売り出すという記念Tシャツ欲しさに出掛けて行って、首尾良くファンの集いにも出席出来たのである(昨年1月15日の日記参照)。

 こういう時は目覚ましナシでも朝8時前にぱっちりと目が覚める。カーテンを開いて愕然、もう3cmくらいは積もっていて、しかもまだまだ雪はじゃかじゃか降り続いている。階下に駆け下りて着替え、コートを着込んで様子を見に外へ出る。表通りは普通にクルマが走っているが、1本裏通りへ入るとかなり真っ白である。ウチの前の道路も雪景色で、踏み込んだ足は甲まで埋まった。
 新聞を取り込んでしばらく考え込む。家人は「道に雪がなければクルマを出してあげよう」と言っていたが、これは多分ムリだ。となると電車で赴く他ない。家人の起床を待って事情を説明し、それから阿佐ヶ谷駅(杉並区役所)〜上井草グラウンドへと移動するのは、雪によるダイヤ混乱などを考えれば、おそらく避けた方が良かろう。つまり祝賀会(ファンの集い)1本狙いである。

 ワセダのHPではパレードも決行とお知らせがあった。結局、それからいろいろゴタゴタやり取りをした末に、家人がクルマを出してくれることになった。12:00少し過ぎ、いつもの完全防寒装備にタオルやら雑巾やら雪かき道具やら(←クルマが埋まった時のため)積み込んで、わたしと家人は一路、杉並区上井草を目指したのだった。思ったよりも道路は走り易く、しかも交通量が少なくてガラ空き。
 13:00前にはワセダ・グラウンド前に着いてしまった。真ん前にあるコイン駐車場にも空きスペースが残っていたので、実にスムーズに駐車することも出来た。ラッキー♪

 パレード直前まで一休みするという家人を車中に残し、ごもごも着込んで偵察に出る。「ビストロ・ベルゲン」の前まで行ったら、ワセダ部員の方(たぶん)が優勝記念うちわを配っていらした。喜んで何本か貰ってクルマに戻り、向かいのスペースに駐まっていた父子お2人連れ(3本ラインのジャージを着ていらしたので、一目でワセダ・ファンと判った)にも1本差し上げる。
 駅前に戻ってうろうろしていると、昨年8月に菅平でvs カントウの夏のオープンを観た時にご一緒した女性とばったり出会った。お互い熱烈なワセダ・ファンなので、ここで再会するのは偶然と言うよりは必然ではある。彼女は当然、杉並区役所の優勝報告会にもおいでになったらしい。筋金入りである。

パレード ←こちらがパレードの様子。ワセダ・クラブの本部を兼ねている「ビストロ・ベルゲン」も、抽選で18組36名のファンが焼き肉食べ放題に招待される「牛□上井草店」も写っている。清宮監督&佐々木隆道主将の前には、地元商店街の鼓笛隊とバトン・トワラー部隊が先導で歩いていた。雪はじゃんじゃん降っているのに、少女トワラーはミニ・スカートでニコニコ笑っている。根性だ…!

 そしてあちら→が、パレードに先立って割られたくすだまである。この画像だけは、わたしが現場でケータイ激写した1枚なのだ。今日の日記に載せる他の画像は、これとTシャツのを除いてすべて家人撮影である。クルマの中で一休みしていると思っていた家人は、いつの間にかちゃっかりポジショニングして、デジカメを駆使していたらしい。

 「抽選で焼き肉ご招待」効果もあったのだろう、去年の3〜4倍(推定)もの人数が集まったファンの集いは大混雑である。人混みの中で再び巡り会った菅平の女性(お名前を伺い忘れた)と、「今年は15人全員分のサインを頂くのは難しいでしょうか」とタメイキ混じりでぼやき合う。
 ステージでは鏡開きや清宮監督の挨拶、優勝メンバーによる「荒ぶる」斉唱が行なわれていたようなのだが、残念ながら人垣に埋もれて見えなかった。
 いよいよ「集い」開始。わたしはひとまず、最も人気があるだろう清宮監督と佐々木隆道主将のサインの列に並ぶ。書いてもらうのはもちろん、8日に買った記念Tシャツである。駆けずり回っているうちに、はぐれていた家人と再会。一番ご贔屓の首藤甲子郎選手にサインを頂く時には、2ショット画像も撮ってもらうことが出来た♪ 「先日はメールのお返事をありがとうございました」と話しかけると、なんと、首藤選手はこちらの顔を判っていて下さったようである。ひええええええ(感動)。あちこちでちょろちょろしているうちに見覚えられたのだろう。わたしなら、3度や4度短く会話しただけの人の顔なんか覚えられる訳がない。優秀選手って記憶力もいいんだと感心しきりである。

 焼き蕎麦やすいとん汁やサンドイッチ、缶ビールや缶入り緑茶なども沢山用意されていたのだが、わたしには飲み食いしているヒマはなかった。呑まず喰わずで走り回ること1時間と少し、ついに優勝メンバー(リザーヴ選手含めるが、負傷した五郎丸歩選手は欠席)全員のサインを頂くことに成功したのだった。さらに山岡コーチのサインもGET。やったね♪
 こちらがサインで埋まった「2006年版荒ぶるTシャツ」である。去年のように、先発選手全員分のサインが予め入った色紙の販売はなかった(残念)ので、全員分のサインが貰えたのはこれだけ。草臥れたけれど、やっぱり楽しいイヴェントであった。

 もちろん来年は大贔屓の首藤甲子郎選手らが4年生となる代なので、是が非でも3連覇を達成して、またこういう祝賀会&ファンの集いを開催して欲しいと思う。清宮克幸監督の任期が今年で切れてしまい、次期監督はおそらく中竹竜二氏であろうと言われているが、どうかどうか、過去5年間で培った良いシステムと中竹氏独特のスピリットを両方活かし、3連覇を目指してもらいたい。

 15:30ほどに上井草グラウンドを引き上げたのだが、雪はまだまだ降り続いていた。駐車場のクルマはだいぶ白く埋まっている。往路よりも細かく乾いた雪になっているし、日が暮れかけて地面が冷えて、昼間よりもむしろ積もっている。家人には安全運転をお願いし、無事帰宅することが出来た。
 ニュースによれば都心では5cm積雪の予想だったのが、実際には6cmだったらしい。ウチの近辺では間違いなく10cmくらいは積もっている。東京では5年振りだ、いや6年ぶりだ8年振りだと騒がれる大雪の日がファンの集いに当たるのは不運だったが、家人によると「それもこれもキミの普段の行ないが悪いからだよなあ」なのだそうだ。でもいいの。楽しかったんだから♪




01/22 リアルまとり

2006/01/22 21:42
 雪は降り続いていたが「優勝記念Tシャツ」に沢山サインを頂いたりして大満足だった昨夜のことである。万が一、雪に降り込められて本当に外出出来なくなるとヤバいからと、帰宅途中で近所のスーパーに寄り、食料品などを買い込んで帰った。時刻は18:00頃、喰いっ逸れてお腹も空いたことだし、少し早いが晩御飯にしようと台所に立った。
 家人はその間、家の前の雪かきに精を出している。出掛けている間にガレージも家の前の道路もすっかり雪で真っ白で、このまま凍ったらえらいことになってしまう。特にウチの場合、玄関から表の道路に下りるまでに階段が5段ほどあるので、そこが滑ったりしたら大怪我をするかもしれない。
 雪かきが終わったら入れるようにと風呂を沸かしながら、食事の支度をしていた。

 準備もあらかた終わり、ガス・コンロの火を消し、換気扇のスイッチを切る。と、その途端、換気扇から異様な音がした。プロペラに何かがぶつかったような、ばたばた、ガタンという音である。音からするとぶつかったのはあまり硬質なものではなく、そして一定の体積がある感じだった。今までに換気扇からこのような音が聞こえて来たことはない。
 何だろう? 換気扇フィルタから繊維がはみ出て、それがプロペラに当たった時は、もっとカリカリした音がした。そもそもこの換気扇フィルタは年末に取り替えたばかりなので、まだ繊維がはみ出たりするハズがない。ビミョーに嫌な予感を抱きつつ見上げていると、換気扇フィルタの隙間から何か薄ねず色の物体がふわりと落ちてきた。
 …羽根? 鳥の羽根だろうか? 一体全体どうしてそんなものが換気扇から入って来るのだ。ビミョーに嫌な予感はものすごーく嫌な予感にグレード・アップ。もしかして…? いやそんな馬鹿な。

 ウチの換気扇は割合シンプルな構造をしている。レンジ・フードはあるけれど、換気扇の本体そのものは昔馴染みのプロペラ式のもので、壁に開けた穴から調理の匂いや煙を直接ファンで吸い出す仕組みである。換気扇本体の部屋側には後付けのフィルタ・フレームが取り付けてあって、そこにガラス繊維製の使い捨てフィルタを嵌め込み、余計な油分が換気扇本体を汚さないようにする。
 換気扇本体の外側はルーバーになっていて、スイッチと連動式である。つまり、換気扇のスイッチを入れると自動的にルーバーが開き、スイッチを切るとバタリと閉じるシステムになっている。ということは換気扇が作動中、外気と換気扇のプロペラは直接触れていることを意味する。

 換気扇フィルタのせいで、普段、部屋の内側から直接プロペラを見ることは出来ない。しかしフィルタとルーバーの間の空間で何かが起こったのは確かに思えた。落ちて来た薄ねず色の物体を摘んで見ると、予想に反して羽根ではなかった。年末の分解大掃除の時、拭き取ろうとしたけれど手が入らなくて取り除けなかった、奥の方(つまり一番外壁に近い部分)に付着している油染みた綿埃の一塊である。
 ひとまず安堵はしたけれど、やっぱり何かがルーバーかその付近にぶつかって、その所為で綿埃が落ちて来たのが確実だ、と思った。その時点でわたしのアタマの中では「雪が積もって休憩所に困った小鳥か野ネズミが、たまたま開いていたウチの換気扇の開口部に止まっていたのだが、急にルーバーが閉まったために巻き込まれ、プロペラに触れて暴れた」という映像がリプレイされている。
 全くの想像でしかないが、他にこの現象を説明するシチュエーションは思い付かなかった。

 どうしようどうしようどうしよう。2度3度と換気扇のスイッチを入れたり消したりしているうちに、ルーバー部分からの異音はなくなった。これはつまり引っ掛かった鳥(orネズミ)が無事脱出出来たことを示すのか、はたまたもっと悪い事態を示すのか、どちらなのだろう。換気扇フィルタがなければ内側からでも一目瞭然だろうが、幸か不幸かフィルタが目隠しになっていて、悪い想像は膨らむ一方だった。
 いっそ放置してしまおうかとも思ったのだが、もし仮に予想する最悪の事態だとしたら、日を追うにつれ怖いことになるだろう。1ヶ月くらい後、異音のことをすっかり忘れた頃に換気扇フィルタを交換しようとして、惨いシーンの不意打ちを喰らうのは出来れば避けたい。勇気を出せ。レンジ台によじ登ってフィルタを外せ、その目できちんと確かめなければ。
 死ぬほどビビリつつ恐る恐るフィルタを外したのだが、幸い、怖いシーンを目にすることはなかった。ルーバーと換気扇フィルタの間には、ただいつもの通り、プロペラと付属の部品が収まっているだけである。

 その時は思わずクラッとするくらい安心したのだが、さて今日の夕方になって晩御飯の仕度をしようとしたら、レンジの隅に差し渡し1cmほどの物体が落ちているのに気付いた。昨日の調理後、ざっと拭き掃除をした時には見落としたものらしい。今日は例によってお昼頃まで寝ていたし、お昼ご飯にはパンを焼いて食べたので、レンジの隅っこのそれには気が付かなかったのだ。
 恐る恐る拾い上げるとやっぱり羽根である。昨晩のアレは聞き違い見間違いではなかったのだ。どどどどどどうしよう。もしかしたら部屋の内側から見えないところに、不幸な鳥さんがぶらりんと引っ掛かっていたりして。それも丸ごとならまだ良いが、引っ掛かっているのが「一部」だけだったら?

 情けないことにその辺りでまたまた猛烈な胃痛に襲われた。駄目だ、とても自分で外を確かめに行く度胸はない。しかしこのままでは晩御飯の仕度が出来ない。ううむ困った…。
 結局、スポーツ・クラブに出掛けていた家人が帰宅後、拝み倒して外を確認しに行ってもらったのだった(ヘタレ)。幸いスプラッタな光景は繰り広げられてはおらず、家人(実はこの手のことに関してはわたしと同様ビビり)が腰を抜かすこともなかった。ただ換気扇の下に、もう1枚の羽根が落ちていただけらしい。レンジに落ちていたのと同じかどうか見ていないので判らないが、おそらく持ち主は同じだろう。

 それにしても間抜けな鳥も居たものである。いつものお気に入りの休憩場所に雪が積もっていたからと言え、幾らなんでも稼働中の換気扇の傍で一休みするとは。しかも何の前触れもなくいきなり閉じたにしろ、ルーバーに引っ掛かって換気扇のプロペラに接触するとは。
 飛んで逃げた(のだろう、たぶん)ならとりあえず骨折したりはしてないだろうが、少なくとも羽根が数枚千切れたのだから、まったく無傷という訳にも行くまい。その後ちゃんと餌を取れているだろうか。弱った挙句にその辺で冷たくなってたり、野良にゃんに狙われたりしたら気の毒である。

 わたしの代わりにスプラッタな光景を見る羽目に陥らずに済んで安心したのか、戻って来た家人はこう言った。「“まとり”とは“間抜け”を意味するんだったよね。つまり“間抜けな鳥”ということで、コイツは文字通り“まとり”だったんだな♪ いやあリアルまとりが居るなんてねえ」。
 まったくどこまでもどこまでもどこまでも、失敬な家人である(プンプン)。それにしてもその「リアルまとり」君、今頃無事なのだろうか。気になってしまう。もうルーバーの間なんかで一休みするんじゃないぞ…。




01/23 自分の胃袋の内側

2006/01/23 11:40
 を、今日生まれて初めて観たのだった。胃内視鏡検査、平たく言うと胃カメラを呑んだのである。
 先週の金曜日に病院に行って予約をした時お医者さんに言われた通り、昨日の晩御飯は軽め。野沢菜入りお粥、温野菜サラダ、厚揚げの煮物。もっと少なくしようかと思っていたのだが、何せ起きたのが昼なのでちゃんとした食事をしておらず(起きてすぐにご飯なんか食べられない)、メチャメチャ空腹だったので予定より多目になってしまった(反省)。
 今朝は食事はもちろん飲み物も禁止。流石にお腹が減ったなあ…と思いつつ病院へ向かった。

 まず咽喉の麻酔。シリンジに入れたゼリー状の麻酔薬を看護師さんに咽喉の奥へ入れてもらう。激マズ。看護師さんの持っていたトレイにはキシロカインの瓶があったので、なるほどマズい訳だと納得。しばらくすると口の中や舌や、もちろん咽喉の辺りが痺れる感じが始まる。効いて来たらしい。
 FCLAの友人Nさんによれば、このゼリー状麻酔薬を「飲み込まないように、かつ出来るだけ咽喉の奥で保つ」のがしんどいという話だったが、このくらいなら全く問題なく我慢出来る。やはり持つべきものは経験豊かな友人たちと予備知識だなあ、楽勝楽勝♪ と思いつつ内視鏡検査室へ通された。

 検査台に横になってファイバー・スコープらしきモノを見る。長さ約1m、太さ約1cmほどの、取っ手の付いた真っ黒いチューブで、所々に目盛りが振ってある。何cm呑み込んだか判るようになっているのだろう。予想よりずっと太い。あんなの呑んでホントに苦しくないのか? 「最近のは細いから全然楽チン、ちょちょいのちょい」ってフェイクちゃうんか? 逃げ出したくなったが既に血圧計と脈拍計をセットされ、口にはアダプタを嵌め込まれて文字通り「俎板の上の鯉」である。
 いよいよファイバー・スコープ挿入。咽喉から胃にかけて、異物がぐいぐい通って行くのがアリアリと判る。ぐええええ、苦しいぢゃんか。咽喉の麻酔は確かに効いているようだが、わたしは咽頭反応が少々強いタイプらしい。吐きそうだよ、気持ち悪いよ、ちょっとこんなの予想してなかったんですけど!

 しかも空気を送り込んでいるようで(考えてみれば当然か)どんどん胃が苦しくなって来る。イメージではお医者さんがスコープをあちこち動かしつつ検査する時に一緒にモニタを見て「ああここら辺がちょっと荒れてますね」とか「他の部分はキレイですね」とか優雅に伺う予定だったのだが、とてもとてもそんな余裕はない。そもそも眼鏡を外されてしまった。
 要所要所でピー、カチリと写真撮影の音がする。しかもお医者さんが「この辺生検ね」と仰ったら細いワイヤのようなものが登場し、ファイバー・スコープの中に通された。きゃーっ、組織の採取ってそーゆーことだったのかっ(迂闊だった)。ワイヤを通すたびにずぅんと刺し込みが来る。1回ごとに取り出してサンプリング。4箇所ほども採っただろうか。

 やっと検査終了。涙でべちょべちょの顔を看護師さんが優しく拭いてくれた。胃の中ではまだ、ファイバー・スコープがぐにょぐにょ動く感触が残っている。空気もまだ残っているのだろうか、激しい膨満感もある。
 予想よりもずっとヨレヨレになりつつお医者さんの前に座ると、彼はキーボードをぱかぱか叩きながら仰った。「胃炎と胃潰瘍、それと食道裂孔ヘルニアによる逆流性食道炎ですね。胸焼け酷くないですか? あと胃粘膜の簡易検査でヘリコバクター・ピロリの陽性反応も出てます。程度はこれから詳しく調べますけど、とりあえず8週間は服薬治療しましょう。まだ若いし、慢性胃炎はガン化の恐れがありますから、きちんと治さないとね」。

 うーむ。せいぜい軽い胃潰瘍だろうと思っていたのだが、予想よりも無惨なことになってたらしい。耳慣れない「食道裂孔ヘルニア」とか「逆流性食道炎」とかを帰宅後ネットで調べてみると、「逆流性食道炎」というのは「妊婦さん」とか「肥満の大食漢」とか「猫背の高齢女性」とかに多い病気らしい。妊婦はともかく他はイメージ悪っ。
 ついでに「食道裂孔ヘルニア」というのは、横隔膜に空いている裂け目が緩んで、胃袋上部がはみ出している状態らしい。本来なら横隔膜を境に「上に食道、下に胃袋」のハズなのだが、それが一部突き抜けちゃっている訳である。こちらの原因は…「加齢で支持組織が弱るために起こるものが多い」だとうっ? メチャメチャイメージ悪っ。「その他、潰瘍など胃腸の活動が悪くなる病気の場合にも起こる」…あ、こっちか(少し安心)。

 生検の結果が出る4週間後くらいにまた来るようにと、内服薬をどかりと出されて終了。先日と同じく、制酸剤は粉薬である。苦くはないがジャリジャリするので大嫌いなのだが、胃薬の場合は仕方ないのだろう。
 特に避けなければならない食べ物はないらしいし(激辛は元々嫌いなので)、運動も日常生活も普段通りで良いらしい。ただし胃炎が慢性化するのが困るので、年に1回くらいずつ、今後はきちんと胃カメラを呑むようにと言われてしまった。胃の不調なんて今に始まったことではないので、既に慢性化しているのだったらイヤだなあ…。

 それに今回みたいな苦しい思いをまたしなきゃいけないなんて極めて嬉しくない。FCLAの知人Kさんに教わった「経鼻胃内視鏡」とか、ネットで調べた「鎮静剤による胃内視鏡の負担減」とか、是非やって欲しいのだが。前者は設備や装置がないと無理かもしれないけれど、後者は比較的やり易いように思える。どうだろう。無理かなあ…。




01/24 ちょっぴり気を付けつつ

2006/01/24 22:04
 普通に生活している。病院では特に食べ物や飲み物、日常生活についての注意は受けなかった。常識的に考えて、あまりにも消化の悪い食材や刺激物の摂取、胃に負担を掛けそうな悪癖は避けるべきだろう。しかしわたしは元々、極端に脂っこいものや激辛料理は好きではないし、アルコールも煙草もやらない。カフェイン飲料だって日に何杯もは飲まない。
 夜更かし常習犯だが、ぐーたらなので、朝寝が出来る時だけに留まっている(ハズである)。普段からのほほんと暮らしているのでストレスとも無縁である。どうして胃潰瘍なんか出来たのか、我ながら本当に不思議に思う。

 胃カメラを呑んだ後、生検もしたことだし訊いておかねば…と思って、お医者さんに質問した。ついさっき撮影した胃内部の画像を見ながら説明を受けられるのって、昔に比べると随分便利になったのだろうなあ、と思いながら。それにしても病変部というのは黄色やら白やらタコヤキ状態やら、面白い色・形をしているものである。
 質問とはつまり、今日(23日)の夜にバレエ教室のレッスンがあるのですが、検査後でも出席して良いですか? ということ。胃炎&胃潰瘍&ピロリのトリプル・パンチで個人的には多少ショックを受けてはいるが、良く考えると先週までのわたしと当日のわたしは特に違ったところはない。むしろ金曜日に出してもらった胃薬のおかげか、前回のバレエ・レッスン時より胃の調子は良いくらいである。
 手術したならともかく、注射や胃カメラ程度で安静が必要だとは思えなかった。

 お医者さんも「夜のクラスなら大丈夫ですよ」と仰ったので、家人の晩御飯を作ってから出掛けた。恥ずかしいから黙っていようかと思ったのだが、着替えの最中に何故か歳の話になり、「ピロリ菌感染って中高年が多いんじゃなかったか」と内心ビミョーだったわたしはつい口を滑らせてしまったのだった。「いやー今日ね、胃カメラ呑んだら、胃潰瘍が見付かっちゃってさー」。
 クラスの皆さんは口々に「そんなんで大丈夫なの?」と心配して下さるのだが、わたしとしてはむしろ、身体を動かして発散した方が気晴らしになるように思えた。中にお1人、やっぱり胃を悪くしたことのある方がいらして、しきりに「それにしても随分痛かったハズじゃない? 良く我慢してたねえ」と仰る。

 我慢していたというよりは、日常茶飯事と化していた胃部不快感に、ある程度慣れちゃっていただけなのだが。ひょっとするとわたしは、ものすごーく鈍いのかもしれない。しょんぼり…。
 話に聞いたところでは、実験でマウスを丸1日床上浸水状態のケージに入れて置くと、それだけでマウスは胃潰瘍になってしまうらしい。マウスにとっての1日と人間の1日では相対的な長さがだいぶ違うだろうが、ともあれ胃潰瘍はあっと言う間に罹って、その分あっという間に治るものなのだろう。
 胸焼けがするとか鳩尾がしくしくするとか、夜中や明け方に胃痛で目が覚めるという方は、ぜひお早めに胃カメラを呑みましょう♪

 ともかく、昨日から始めましたという付け焼刃なのだが、食生活にも以前以上に気を使っている。食欲はあまりないが空腹になると痛むので、朝昼晩と時間を決めて食べているし、クスリもきちんと呑んでいる。ネットで調べたところ、お勧め料理は、消化が良くて胃にもたれないもの、らしい。例えば豆腐料理とか卵料理とか、牛乳、ヨーグルト、煮込んだ野菜などなど。好物ばかりでラッキー♪
 噛まずに飲み込めるものが好物なわたしと、こってりしたもの、歯応えのあるものが大好きで、しかも勤務ダイヤの都合上規則的な生活とは縁遠い家人と、比べたら絶対に家人の方がより「胃潰瘍予備軍」だと思う。それなのにこういう結果なのは、なんだか不公平なように感じる。元の胃袋の丈夫さが違うのだろうか。ちぇっ。

 胃袋ちゃんのために早寝早起き、きちんと3食、適度な運動を目指すわたしだが、実は密かな誘惑にも晒されているのだった。友人Nさんに教わったのだが、なんと、2月4日に池袋の新文芸坐で「押井ファミリー・ナイト」なるオール・ナイト企画があるのだ。ラインナップは『BLOOD THE LAST VAMPIRE』、『攻殻機動隊 GitS(インターナショナル版)』、『人狼』、『機動警察パトレイバー2』。
 どうしよう。メチャクチャ観たい。しかしこの日、日中は秩父宮ラグビー場へ日本選手権1回戦を観に行き、それから友人たちと久し振りに会って晩御飯、という予定が既に入っている。夜に池袋へ移動…というのも不可能ではないし、探せば「思い切って行っちゃおうか♪」と乗ってくれる面子も少なくなさそうなのだが、問題はわたしの胃袋と家人である。

 徹夜の映画鑑賞が、少なくとも胃潰瘍に良くなそうだな、というくらいはわたしでも判る。それに同行者の家人は、選りによってアニメーション映画のオール・ナイト上映なんて、お金を貰ったってイヤだと言うだろう。晩御飯後、家人だけ帰宅してもらってわたし(と押井ファン仲間)だけ池袋…となったら、翌朝、玄関にはチェーンが掛けられているかもしれない。
 『BLOOD』と『パト2』、大画面で観たかったなあ。所詮アニメという偏見を捨ててくれたら、押井作品は家人に取っても非常に面白い世界だと思うのだけれどなあ。家人がアニメを理解してくれたらどれだけ嬉しいだろうと思う、今日この頃なのであった。




01/25〜26 わたしはだあれ

2006/01/26 16:43
 『THE 有頂天ホテル』を一緒に観に行った母が、何やらプリント・アウトしたものを見せるのである。「日本歴史占い、あなたは“八百屋お七”です」? どうやらネットのお友達に教えてもらったサイトで、わたしや家人や妹たちの占い結果を出してみたらしい。そういえば以前、わたしも誰かに日本歴史占いサイトのことを聞いてやってみたことがある。内容が気に喰わなかったので忘れていたのだ。おかんったら、思い出させるなんて(ぶーぶー)。
 「八百屋お七」の特性は、「シングル・タスク。何かに熱中すると他が見えなくなる。自分の世界至上主義。マイ・ペースで短気で直情的で、その場の空気を読めない。言動はかなり変。一見まともだけど付き合うと変人ぶりが露になる」だそうである。思い当たるところがあるだけにイラっと来る。他はともかく、短気と変人ってのは間違ってるぞ!

 生年月日と性別だけで括られてたまるか、と密かに思う。この手の占い、以前大流行した「動物占い」とかでも、わたしは何故か「マイ・ペースの変わり者」と診断されてしまう。多少マイ・ペースなところはあるかもしれないけれど、自分を変わっているとは全然思わないので、少々不本意なのだ。どちらかと言うとわたしは、内面的にも外見的にも、人混みに紛れたらすぐに見失うようなありふれた人間だと思っているのだが。
 ちなみに家人は「松尾芭蕉」。気持ちにムラがなく、こつこつと根気強く長期的視野をもって努力する。優しくて親切で自分なりの知識や見聞を広げるのが好き、だそうである。ずるいなあ。こっちの方がいいなあ。それにしても、映画館で2時間座っているのさえ苦痛という家人が「根気強い」なんてとんでもないのだが。
 参考までにわたしと家人の性別を引っくり返してみると、わたしが男だったら「石川五右衛門」、家人が女だったら「阿仏尼」だそうである。やっぱり家人の結果の方が人格的に優れている感じ。納得行かないのである。

 この手の「ナントカ占い」程度ならばまだ、その場を盛り上げる話題作りにもなるし、どの結果になっても大抵は「こことここは当たってるけど他は違うよねえ」的なもので笑って済ませられるだろう。星占いや血液型占いなどなども、極端に影響されることがないのならば、それほど害はないと思う。何だかんだ言って結構好きだし(汗)。
 ほんの時々、許せないなあと思うのは、他人の弱みに付け込んで脇からごちゃごちゃご託宣を並べ、相手を不安にさせて喜んでいるタイプである。

 すべての占いにはそれなりの経験的根拠があり、特殊な心理学的ヒーリング効果がある(たぶん)。だから全部が全部インチキだとは思わない。しかしそれは全て、占ってもらう人の不安や心配事を取り除き、前向きかつ適度に慎重な姿勢で人生に立ち向かえるよう動機付けるためにだけ、用いられるべきものではないかと思う。
 先日もたまたま付けたTV番組で、とある有名人のお宅を「家相・風水的にチェック」するとか言うコーナーがあった。台所に黄色いアイテムが多いのは吉とか、神棚の上に「雲」って書いてないのは凶とか、細かい点がいろいろ出て来る。聞けばそれぞれなるほどそういう理屈が付いてるのか、と思ったりもするけれど、1つ1つを論ってどうなるものでもないような気がした。

 この番組に出て来た例ではないが、「南西に台所があるのは凶」とかなら、理由も対処方法も良く理解出来る。家の南西に台所があったら、特に夏場は西日が当たって室内温度が高くなり、必然的に食中毒の危険性も増すだろう。故にどうしてもそういう間取りにせざるを得なかったら、外壁に簾を掛けたり庇を付けたりして、出来るだけ直射日光を避けるのが良い。こういう「診断」なら納得行くし、素直に従おうかなという気にもなる。
 けれど番組に出て来た「西側の子供部屋は凶」の理由が「子供には朝日を浴びさせるべきである」で、西側子供部屋の対処方法が「子供の枕元にリンゴを置く」ってのはどうだろう。朝日を浴びると良いのは確かかもしれない。大人だってたぶんそうだろうし。でも、リンゴは赤くて丸いから太陽の代わりになるってのは、まるで一休さんの頓知である。理由はともかくその程度の対処方法しか示せないのなら、敢えて指摘するようなことだろうかと思ってしまう。

 「あなたの前世は○○だからどうこう」とか「不幸せになりたくなかったら○○しなさい」なんてのは言語道断である。どんなに理性的な人だって、例えば怪我や病気をした直後に「それは家の方位が、あなたの前世が、先祖の因縁が悪いからです」などと言われたら良い気持ちがしないに決まっている。本人じゃなくて、大切に思っている人の怪我や病気ならますます気になるだろう。
 良い方向へ暗示を掛けるためならば、百歩譲ってまだ我慢も出来るかもしれないが、どうも世の中そういう占い師さんばかりでもないようである。以前母が、ちょっとした好奇心で手相を見てもらったら、開口一番「あなたには悪霊が付いている」と言われたらしい。母がビビって「そういえば近頃悪いことばかり」と思い込めばしめたものなのだろう。性質の悪い手口でムカムカする。

 その時は母は見事に「そういう話を聞きたいんじゃないから」と、怒ってそのまま立ち去ったらしい。わたしだったらひょっとすると、気にしない気にしないと言いつつ、心のどこかで引っ掛かってしまうかもしれない。普段はぽよよんな母だが、いざと言う時にはなかなか頼りになると安心してしまった。
 悪霊だの前世だの先祖だの、検証しようのないものを持ち出してどうこう言うのは本当に卑怯だと思う。人の心の隙に付け込んであわよくば商売しようという輩が現実に居ることそのものが、前世も先祖も知ったことかという良い証明になるような気がする。
 (そういう訳でわたしは、他人に「改名しないと地獄に堕ちる」と言い放った某有名占い師さんのことは、虫酸が走るほどキライなのだ)




01/27 きっと居る〜、きっと居る〜♪

2006/01/27 16:18
 FCLAの知人がmixi日記に書いている記事から、秋田のヒーロー「超神ネイガー」の存在を知った。秋田県在住のアキタ・ケン(農業)が、謎の石の力を借りて「豪石!」の掛け声と共に超神ネイガーに変身するらしい。敵は怪人カマドキャシを始めとするホジナシたち。トップ・ページの変身シーンに添えられている描き文字は、忘れようにも忘れられない、ドギャァァァンぽかったりする辺り、作者のルーツには共感を覚えた。
 ご当地ヒーローなので、秋田弁が理解出来るともっと楽しそうである。繋がりでmixiの「あつた弁でさべてみれ!!」というコミュニティにも参加してしまった(汗)。おそらくコミュ・タイトルは「秋田弁で喋ってみなさい!」の意味だろう。有名な「け」「く」(「召し上がれ」「いただきます」)とか「どさ?」「ゆさ」(「何処へ行くのですか?」「お風呂です」)などの言い回しの他、楽しい言葉がいっぱい出て来る。近いうちに「第一回秋弁検定」なるものも実施されるらしい。…受けてみようかなあ。

 数年前、N○Kの朝ドラ『私の青空』を気に入って一生懸命観ていたのだが、その舞台は青森県の大間だった。バリバリの津軽弁を駆使する、伊東四朗さんと加賀まり子さんの「おどさ」と「おがさ」が大好きだったものだ。イメージとして、秋田弁はあの時耳にした大間言葉に似ているような気がする。「食べなさい」が「け」だったり、「いい格好しい」が「えふりこき」(秋田弁では「ふりこぎ」)だったりする辺り、共通点を感じるのだ。
 大間言葉については「私の青空」関連のなまなま大間通信さんを参照。秋田言葉と大間言葉、もちろんディテールではだいぶ違うだろうが、話す時の印象とか略語アルゴリズムなど、やっぱり似ている。スペイン語とポルトガル語くらいの親戚関係にあるのではないかと思う。少なくとも、わたし、秋田人、大間人の3人が思いっ切りネイティヴな言葉で喋ったら、わたし←→秋田人&大間人の会話は成り立たないが、秋田人←→大間人はOKな気がする。

 閑話休題。
 この手のご当地ヒーローで最初に知ったのはおそらく上野の「都営戦隊オーエドマン」だった気がする。商店街を蝕む邪悪な組織「フケーキ」の魔の手から住民の皆さんを守るために活躍する6人組。色によって商店街の縄張りが違ったような記憶がある。ローカルTVのとある番組で目にした時は、地下鉄の構内を闊歩していた覚えもあるから、もしかしたらまた違う「なんとかレンジャー」があるのかもしれない。
 元祖はひょっとすると、架空のヒーロー(ヒロイン)だが、「ご町内の平和を守る、美少女戦士ポワトリン」なのだろうか。ともあれ、日本全国だの世界だのの平和を守るなんていう大袈裟な話ではなく、極めて局地的な安寧を目指すご当地ヒーローは、オーエドマンや超神ネイガーの他にもいろいろ居そうである。

 ちょっと調べただけで、こんなサイトが見付かったのだった(わはは)。日本全国のローカル・ヒーロー情報を集めたサイトらしい。新潟、栃木、茨城、富山、香川、神奈川の6県以外には全都道府県に存在する(神奈川県ゼロはちょっと意外)。条件として、1.実写であること 2.地域を守ること が付いているので、アニメやCGのヒーローも含めたらもっと凄い数になりそうだ。
 もちろん上野のオーエドマンも、秋田の超神ネイガーも登録されている。公式サイトがある場合は、そのサイトへのリンクもちゃんと張ってあるので、興味を持ったヒーローが居たらすぐお馴染みになることも出来る。
 惜しいのは「都営戦隊オーエドマン」公式サイトへのリンクが切れていること。検索しても出て来ないので、ひょっとすると公式サイトそのものがなくなってしまったのかもしれない。活動を止めてしまったのだとしたらちょっぴり切ない。

 ちなみに今のところわたしの一番のお気に入りは、岩手の「新幹線トレインジャー」だったりする。JR東日本の盛岡支社がトレインジャー公式ページを持っているのだが、ここの「テーマソング&ダンス」がなかなか笑えるのである。「はやて剛」と「こまち美里」と「マックス勇山」のダンスが観られるのはこちらだが、wmv形式なのでWindows Media Playerがないと観られないのがちょっと残念である。興味のある方はぜひお試しあれ♪




01/28 色々教わった面白サイト

2006/01/28 19:45
 ・まずはお馴染みどんぐりの過剰な王国のどんぐり2号さんのお勧め。昨年末に大ハマりした「やわらか戦車」の続編、その名も「やわらか戦車2」が発表されていたらしい。うわー嬉しいなあ♪
 インパクトこそ1作目より若干落ちるものの、その阿呆らしさ、可愛らしさ、そしてそこはかとなく漂う哀愁は健在。さらに2月からblogも開始されるという。どういう内容になるんだろう。やわらか戦車が日記付けるのだろうか。わくわく。
 ちなみにラレコさんのサイトも濃くて楽しい。「カレーパンのうた」なんかうっかりすると1日中回ってしまう。

 ・次はFCLAの友人のmixi日記で教わった占い系…と言ってもオフザケ鑑定。「あなたについて100人に聞きました!」というページである。普通のと変わっているのは、生年月日が占いの材料にならないこと。名前を書いて性別を選び、「誰が何をどうしてどうなった」の4項目から1単語ずつ選んで文章を作り、判定ボタンを押すと結果が出る。
 わたしのは以下の通りである。

 100人に聞きました。「ズバリ、まとりさんといえば?」

 色白 …63人
 おニャン子出身 …20人
 エンターテイナー …16人
 成金 …1人

 100人に聞きました。「まとりさんは誰に似てる?」

 鈴木保奈実 …57人
 富田靖子 …29人
 鈴木蘭々 …13人
 野村佑香 …1人

 100人に聞きました。「最後に、まとりさんに一言!」

 次回作楽しみにしています …73人
 毛深いですね …22人
 その髪型似合ってないよ …4人
 可愛いですね …1人

 意味不明。しかし何となく笑えるような気もする。「一言」項目の「次回作楽しみにしています」は日記と解釈すればまあまあ良い気分ではある。しかし「その髪型似合ってないよ」にはついムッとしてしまう(放っといていただきましょう)し、「可愛いですね」と褒めてくれるのが100人中たったの1人ってちょっぴり哀しいのだった。
 ついでに言えば「似てる」項目で出て来た芸能人のお顔は、どなたもオボロゲにしか判らない。実際は全然似てないことだけは確かだけど(汗)。

 ・最後はちょっとトホホな子供の名付け(命名)DQN度ランキングというサイトである。某巨大匿名掲示板のとあるスレッドを中心に、まさかと仰天するような子供の名前を集めたサイトらしい。以前、最寄駅近くのスーパーで「ぽぷり(ほふり?)」ちゃんに遭遇して驚いたことがあったけれど、そんなのは珍しくもないと感じるくらい、珍妙かつ奇天烈な名前が勢揃いしているのだった。
 サイトの「名言集」というページのアタマに、『徒然草』から「人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ(116段)」という吉田兼好の言葉を引用しているのだが、まったく同感である。
 てか、21世紀の現代と、吉田兼好が生きていた鎌倉時代(『徒然草』が書かれたのは1330〜1331年らしいが)で、極めて似通った現象が見られるというのも面白い。現代の「変わった名前」も、700年くらい後には「古典的な名前」になるのだろうか。その時まで日本という国が存在していればの話だが。

 DQN名にはパターンとして3つくらいあるようで、第1は「ひらがな3文字の名前に、無理矢理漢字を当てる」ケース。漢字がやたらと小難しい場合も多い。例として「歩瑠人(あると)」君とか「愛綺羅(あきら)」君、「沙羅汰(さらだ)」ちゃん(!)が挙げられる。
 第2は漢字を無理矢理外国語読みしているケース。「月(るな)」ちゃんとか「地平線(ほらいぞん)」君などがこれに当たるが、さらに「海紗樹(らびっと)」ちゃん(海紗樹→うさぎ→ラビット)という変化球、「金星(まあず)」君や「星(あっぷる)」ちゃん(!)という誤訳系もあるらしい。

 最後は「もうどーにでもして」系というか、何を考えてこうなるのかまったく理解出来ない命名法。「ハム太郎(はむたろう)」君や「月下美人(はにー)」ちゃん、「樹茶(きてぃちゃん)」ちゃん、「麻理緒音都(まりおねっと)」ちゃん、「光宙(ぴかちゅう)」君、「ラッキー星(らっきーすたー)」君!
 情報の出所が某巨大匿名掲示板なので、まさかこれらが全部実在するとは思わないのだが、それにしたって凄過ぎる。それに字は違うが「輝宙(ぴかちゅう)」君はどうやら本当に居るらしいし、ソースを見たら平成14年当時2歳の「ラッキー星」君のピース姿画像も出て来てしまった。今頃は6歳、来年は小学生なのだろうか。どうやらハーフ君らしいのだが、せめて「苗字・ラッキー・星」にしてあげれば良かったのに…。

 今の風潮として「簡単に読める名前は手抜きみたいで格好悪い」ということがあるらしいが、幸い、わたしの身近にはヘンテコ凝り凝り名前の子は居ない。シンプルかつオーソドックスで読み易く、なお意味も字面も美しいという名前の方が、長じてからは子供本人にも喜ばれると思う。例えば「ぴかちゅう」君が就職活動する時が気の毒でならないのだった。




01/29〜30 またもや風邪っ

2006/01/30 16:05
 1月は風邪を引かずに乗り越えられるかと思っていたのだが、どうやらやってしまったらしい。2、3日前からどうも咽喉が痛くて頭痛が治まらない。鼻水が滝のように流れるのは、これはひょっとしたら一足早い花粉症ではないかと希望的観測を抱いていたのだが、今日腹具合がおかしくなるに至ってついに認めざるを得なくなった。こりゃ風邪だわ。
 筋肉痛や関節痛、高熱がないのでインフルエンザではなかろう。時期的に考えて、たぶん先週の月曜日、胃カメラを呑みに病院に行った日に貰って来たのではないかと思われる。これだから病院はキライなのだ(ぷんぷん)。

 アタマががんがんするが、たぶんバファ○ンなどの頭痛薬は、胃を荒らすだろうから呑みたくない。最初に消化器内科のお医者さんに会った時にも「アスピリンなどの鎮痛剤を飲んだりしませんでしたか?」と訊かれているので、予想よりもあの手のクスリは胃に負担を掛けるのではないかと思う。
 温かくして大人しく寝ていることにしよう。起き上がったり歩いたりすると振動がアタマに響いて大変辛いので、晩御飯の仕度までに治まってくれると良いのだが…。

 この土日と夜勤だった家人は、幸い、今日明日とお休みで家に居る。どうにもならなくなったら晩御飯は自力で何とかしてもらえるのが救いである。今はスポーツ・クラブへ出掛け、帰りがけに愛車・ヴィッツたんの12ヶ月点検をして来るらしい。ところでお世話になっているディーラーさんの担当Hさんから最近連絡がないので、他のお店に異動になったのではないかとわたしは予想している。家人は「そんなことはないだろう」と言うので、昨夜ちょっとした賭けをしたのだった。
 即ち、Hさんが異動になっていたらわたしの勝ち。そうでなかったら家人の勝ちである。さて結果はいかに?

 そしてこの2日間で、リヴィングも何とかしてくれないと困ってしまう。先週の金曜日、HDDレコーダがお亡くなりになってしまったのだが、どーーーしてもないと困るので急遽土曜日に、家人がヤ○ダ電機で値切り倒して新しいのを買って来たのだ。そのセッティングやら接続やらテストやらで、今リヴィングはしっちゃかめっちゃか状態である。
 先代のHDDレコーダはPCとLAN接続することで内容管理やタイトル入力、予約設定が簡単になる、という触れ込みだった。実際やってみたら、確かにタイトル入力にキイ・ボードを使えるのでラクだったのだが、LAN接続がぶっちぶち切れるのでどうにも使えず、結局その機能はお蔵入りとなってしまった。

 新しいのもLAN接続が出来るらしい。家人はしょーこりもなく再チャレンジしてみるようである。今度はきちんと機能するのだろうか。リモコンの文字入力が携帯電話を模した方式になっているようなのだが、携帯電話と違って、画面と手元が同時に視野に収まらない。結果として、いちいち上を向いたり下を向いたりせねばならず、カーソルでちまちま選ぶ先代の方式よりもむしろ使いにくくなっているような気がする。LAN接続出来たらこの手の面倒は消えるので、上手く行くと良いなあと思う。
 同じメーカーの同じラインナップの上位機種なので、基本的な使い方は同じであるハズなのだが、細かいところがいろいろ違っているのが面倒である。先代ので出来たことが出来なくなっていると無性に腹が立つ。例えば先代のは、録画したものを編集する時、ボタン1つで30秒進めたり10秒戻したりすることが出来たのだが、新しいのにはその機能がない。便利だったのに、どうして無くしちゃうんだよ(顰蹙)。

 それにしても心配なのは、先代HDDレコーダに入っていたお宝映像たちである。お正月に録画した「喰わず嫌い王選手権」のボビー・ヴァレンタイン監督 vs 中野美奈子アナウンサーの回を編集していた時に、急におかしくなったのだった。再生メニュー画面のサムネイルが全面縞々になり、次にその画面を立ち上げた時にはサムネイル自体が表示されなくなった。
 慌てて再生しようとしたら「再生出来ません」というメッセージ。無論、内容の編集も削除も出来ない。DVD-RAMの直接録画や再生は問題なく出来るので、HDDそのものの不調だろう。突然おかしくなったことから、もしかしたらイカれたのはインデックス部分だけで、データ本体は無事かもしれない。そうだと良いなあと祈る今日この頃である。

 なにせ飛んでしまったHDDレコーダには、カーロス・スペンサー選手の活躍シーンだけを切り抜いてスクラップした「選り抜きスペンサー」が入っているのだ。2時間分に届かなかったので、DVD-Rなどへの移植は先延ばしにしていたら、こんなことになってしまった(涙)。他の番組は涙を呑んで諦めるけれど、あれだけはどうしても救い出したい。
 家人は家人で、今まで溜めておいた『タモリ倶楽部』の「空耳アワー」コーナーが惜しくてならないらしい。毎週そこだけ切り抜いて蓄積し、2時間溜まったらDVD-Rに移していたのだ。中には出色の空耳「あーらポチが宇宙〜♪」なども入っている。確かにアレが消えてしまうのは哀しいなあ。

 聞くところによれば、他の皆さんはこういった事態に備え、2〜3ヶ月ごとに中身を全部移動メディアに吸い出して、HDDを初期化するというマメなメンテナンスをしていらっしゃるらしい。そこまでしない方でも、DVD-RAMにバック・アップを取るのは必須であるという。ウチのは買ってから丸々3年以上、1回も初期化することなく、しかもほぼ毎日休みなく使い倒していた。バック・アップもほとんど取っていない。ほとんど身から出た錆状態である。
 次からはきちんとメンテナンス&バック・アップを行なうことにしよう。それにしても、先代のが(中身のデータが無事かどうかはさておき)修理されて戻って来たら、ウチはHDDレコーダが2台、という環境になってしまう。完全にオーヴァー・スペックだと言えよう。しかもVHSのデッキも現役だし、PCでのTV番組録画もやろうと思えば出来る。

 そんなに録画ばっかりしても、観る時間はどう頑張っても24時間しかない。こうして録ったはいいが観てない「積ん録」が増えて行くのだろうなあ。タメイキ…。




01/31 勝った♪

2006/01/31 18:54
 昨日家人と賭けた「お世話になっているディーラーの担当Hさんが異動したか否か?」は、見事、わたしの勝ちであった。12ヶ月点検に行って来た家人からケータイ・メールで「負けた。去年10月に異動だって」と連絡があったのである。
 やっぱりな、と思った。例年であれば点検の時期になると、ちょっと早めにHさんから必ず電話があった。今回は、電話をくれたのが、違う方だったのである。

 おまけに今年はHさんからのご挨拶をまだいただいていなかった。これまた例年、彼は1月に担当先巡りをするらしく、干支の動物を象った、卵くらいの大きさの可愛らしい焼き物の鈴をくれていた。先日掃除をしている時、玄関のニッチにまだ「酉」が置いたままになっているのに気が付いた。あれ、今年はHさんが来てないんだな。そう不思議に思っていたところだったのだ。
 そういう訳である意味予感があった。わたしとしては、相当の「美味しい」賭けだったのである(へっへっへ)。とは言え、賭けたものがおやつのプリンとココアだったので、まあこのくらいのインサイダー情報は許されるだろう。

 家人が「Hさんなら、異動が決まったらきっと担当の引継ぎとお別れのご挨拶に来てくれるハズだと思ってたから」と、ちょっぴり残念そうに言った。確かにそれはわたしも寂しいが、営業マンたるもの、去る土地にいつまでも目を向けていてはいけないのだろう。新しい営業所に移るのであれば、旧担当先のことよりも、新しい担当先のことを考えなければいけないに違いない。
 非常に熱心で(ある意味)体育会系なアプローチをしていたHさんである。きっと新しい勤務先でも、バリバリ顧客を開拓して、お客さんたちに可愛がられることだろう。元気で頑張ってくれますように。あんまりストレス溜めませんように。

 今の愛車・ヴィッツたんは、思いっ切りHさんの熱心さによって買ったクルマなので、これで今のディーラーさんに固執する理由もなくなった訳である。さぁて次のクルマ、買うとしたらどんなのがいいかな? 家人の胸の内の声が聞こえるような気がするのだった。