1996年9月19日
カシュガル〜トルガルト峠〜ナリン


    
中国の緑の多い街道沿い     キルギスタンの平原の街道沿い
中国側最後の町、アトシュの周辺
緑が多く、地形も山が迫っている。
   キルギスタン側の景色。
遠くに見える水はチャトルクル湖
(キルギスタンで2番目に大きい湖)

 好むと好まざるとに関わらず、旧ソ連圏中央アジアに出発する朝だ。風邪は治ったものの、おなかの具合が一向に回復せず、食欲もぐんと落ちている。朝はお粥を食べたけれど、それでも1膳がやっと。こちらのお粥は薄いので、1膳ではじきにおなかがすいてくるのはわかっていたが、食が進まない。このままではいけないと思うのだが、胃袋は自由にならないのだ。 心細さは前夜と変わらなかったが、経験上(例の50日のユーラシアのバス旅行の)一日、一日をきちんとこなしていけば、必ず日本に帰り着けることがわかっていたし、出発の朝ともなれば、それなりの腹のくくりも出来てくる。何しろあと、2週間で日本だという風に考えればいいのだ。2週間なら、あまり食べなくても体は持つだろう。旅行に必要なのは、体力もそうだが、気力も大切だ。何でもみてやろう、撮影しよう、感じようという意欲さえ保てれば、おおむねOKだ。そう割り切って、あまり食べられず、おなかが緩いのも気にしないようにして、前へ前へとモスクワを目指す腹づもりで居たから、出発そのものはスムーズだった。
 9時にホテルを出発するつもりでいたら、カシュガル国際旅行社から人が来て、今回の詫びをいってきた。話をしていたら20分出発がおくれた。途中、アトシュの手前で大谷光瑞が発掘したというサンセンドの仏教遺跡を対岸からみた。
 アトシュは緑の多い町だった。水がおいしいのでナンがおいしいという。現に、近在の村はもちろん、カシュガルの人も買うようで、みていたら、道ばたのナンを作っているところには、街道を通る車がひっきりなしに止まって、たくさんのナンを買っていく。ガイドのイミンジャンのお父さんとお母さんもこの町にいるとかで、他においしいのはスイカだという。そこで、ナンとスイカを買って、何回か写真ストップをしながらトルガルト峠を目指した。
 峠の70キロほど手前に、税関があり、12時に手続きを終えて、そこを出た。何キロか走ると出入国管理事務所があり、13時15分にそこで出国手続きをした。私は、ガイドがちゃんと着いていたし、許可証ももっていたから、20分くらいで手続きがおわったけれど、そこにいた白人のグループは、なにやら手間取っている様子だった。見ていると、手続きに必要な元を持っていないらしかったし、許可証もないらしかった。何もしてあげられることはなさそうだったので、そのまま、挨拶をして別れた。
 また車で峠を目指す。2時半に国境の中立地帯に入るゲートを越え、中立地帯へ。国境に着くと、そこには大きな門があって、こちら側には、中国と漢字で書いてあった。他に人気のないその門のところで、私とガイドとドライバーは、キルギス側のピックアップを待った。30分のほどして、銀色のオペルのセネターがやってきて、ジャージにジャンパー姿の太った金髪の女性が降りてきた。彼女は、まず何事かガイドに話しかけ、ついで私に、「あなたが白倉さんですか」と、声をかけてきた。そうだと答えながら、私は、約束通りピックアップが来てくれたことに胸をなで下ろしていた。
 うまく迎えが来なければ、私は、ここからカシュガルに引き返さなければならない。迎えが来ないのに、カシュガルから乗ってきた車とガイドを帰すわけには行かないからだ。そしてカシュガルに引き返すと言うことは、旅を続けることは不可能になる。ここで今回の旅はおわりということだ。これで、とりあえず、キルギスには入れる。カシュガルからトルガルトまで約160キロ。
 ひとりで門のこちら側の車から荷物を持って、歩いて国境のゲートをくぐり、キルギスに入った。古いスパイ映画の『エスピオナージ』を思い出した。主演は、ユル・ブリンナーだったなあ。あちら側の車に乗り換え、中国側のガイドとドライバーにチップを払い、礼を言った。姿が見えなくなるまで私を見送ってくれた姿が忘れられない。
 迎えに来てくれた、明るく優しく有能なガイドのおばさんはスヴェトラーナという名前だった。男女が平等に仕事をこなしている旧ソビエト社会のことだから、当然、女性のガイドが出てくることも考えられたし、私の参加したツアーのコンダクターは、ほとんどが女性だった。それから考えたら何の不思議もないことなのだが、彼女を見たときは本当にびっくりしたのだった。
 車に乗り込んで走り出してから、スヴェトラーナが話し始めた。確認のファクスを日本の旅行会社に送ったのだが、返事がなかった。いつもならきちんと連絡があるのにおかしいとは思ったが、とにかくキャンセルは入っていないし、もし国境で女性の白倉さんが一人で待っていたら困ると思って、半ば、誰もいないだろうと思いながら、登ってきたという。ありがとう、ありがとう。それにしても、なぜ、直前のファクスでの連絡はうまく行かなかったのだろう。私の頭に、疑問が浮かぶ。カシュガルの手配の件もあって、私は臆病になっていた。東京で、入手出来る情報には限界がある。連絡して、手配がしてあるという回答を得れば、それを信用するしかないのだ。そして、私は、その回答を信用した旅行会社を信用して、旅に出てきている。なんだか、危ない気がしてきた。
 そして、スヴェトラーナから東京の旅行会社から何か封筒を預かってこなかったかと聞かれたので、何も預かっていないと答えると彼女は何か考えていたようだったが、実は、と話し始めた。私は本来なら、東京からキルギス国内で利用する飛行機のチケット分の米ドルを現金で持ってくるようにリクエストされていたらしい。何かの加減で、そのリクエストは実現されず、私は、現金を預かってきてはいない。額が大きくなかったので、私の米ドルの持ち合わせで支払えたのでその点は問題ではなかったが、連絡がうまく取れていないことに私はとても不安になった。今にして思えば、これが、トラブルの先触れだったのだ。
 1時間ほど天山山脈を右手に見ながら走ってキルギスタンの国境事務所へ。スヴェトラーナのおかげで入国手続きもスムーズにいった。予想通り、国境事務所には英語を話せる人間は居なかった。あるいは国境を越えるときに要求されるかもしれないといわれていた幾ばくかの袖の下も、罰金として要求されるかもしれなかった数百ドルも、必要にはならなかった。車の中で私はコートのポケットの中に握りしめていた小さく畳んだ20ドルの札をもそもそと取り出して、そのしわを伸ばしながら、スヴェトラーナにその話をしたら、彼女は笑って、「そんな話きいたことないわ」といっていた。
 水が冷たすぎて生物がいないというチャトルクル湖にそってしばらく走り、そのあと、東に向かって、さらに北へとナリンを目指す。トルガルトから、ナリンまでは188キロだという。
 途中、3574mのツゥズベラ峠を一つ越えて、ナリンに下がった。かしゅがるでいただいた地図でだいたいの場所がわかるのが本当にありがたかった。このあたりは、サウケンタール国立公園に属しており、ここをながれるナリン川は、ウズベキスタンに流れ込み、そのままシルダリア川にそそぎ込んでいるという。
 あたりに夜の帳がおり、小さな谷間に立つパオの周りが濃いブルーの闇に沈む8時過ぎに、私たちは、国民休暇村のような小さな公園の、パオ(こちらではユルタという)についた。
 食事が終わると、車の調子がおかしい、トルガルトの道が悪かったせいか、タイヤも4つのうち3つがパンクしていると、ドライバーは車の整備にもどっていき、私たちは着のみ着のままでベットに潜り込んだ。寝付かれず、ユルタの外にでて、空を見た。山と山に挟まれた細長い谷にそって、ユルタが4つ並んでいた。そばの石に腰掛けて細長く見える空の短い距離を月がわたっていくのを見ていた。こちらはもう秋が深いのか、木々には色づいているのもあり、月光に映える赤や黄色が見たこともないほどナチュラルな色に見えた。
 小屋掛けの中にある、大きな穴に材木を渡しただけの、素朴でこわいトイレをつかってから、ベットにもどった。今度はあっという間に眠りに落ちた。よく眠れた。
 夜11時過ぎにトルガルトを越えてきたという20人ほどのドイツ人の乗ったバスがついたようで、スヴェトラーナが情報収集に出ていった。帰ってきたらどうしたのか聞いてみようと思ったが、そのうちまた眠ってしまった。

シャングリラ日記 今夜のお宿は、草原のユルタ
夕食のテーブルの写真
ユルタの中での夕食は
心づくしておいしかった。
 今夜の宿のユルタは、私が泊まってみたくてリクエストをだしたものだった。ユルタの中はこぎれいで気持ちがよかった。なんだか、居心地のいい、小さな巣穴を確保した小動物のような気分になった。
 カラクリ湖のパオでは、床には簀の子がしかれ、その上に絨毯が敷き詰められていた。壁を形作る汲み上げられた木材は、一つ一つがひもで結び合わされ、その上に強度を増すための20センチほどの織物で出来たベルトがいろいろな方向から巻き付けられていた。ここのパオは、床の設備はなく、土がそのままで、パオの中に雑草が生えていて、小さな花がついていたし、パオの組立には針金もつかってあったけれど、何となく居心地のいいのは同じだ。ベットが二つ入っていて、ツインのユルタである。
 カラクリ湖で苦労していた、灯火の問題もここにはないようで、明るい電球の下のテーブルには果物と野菜などがすでにセットされ、私たちの到着を待っていた。私たちがパオに入るとすぐにあたたかなお茶が運ばれてきて、ソーセージとジャガイモと人参とセロリをスープストックとトマトソースでストーブの上ででも煮込んだとおぼしきシチューが出て、夕食になった。切っただけのキュウリとトマト、ゆでたハムとキャベツ、塩とだしとトマトの味のシチューとくだものはぶどうとすいか、それにナン。これらを前に、スヴェトラーナと40度のウォトカで乾杯することになった。胃の中をクリーンにすると進められて、小さなグラスに2杯ほど飲んだ。思ったよりも飲みやすかった。料理も自然な味付けがいいのか、油と濃い味にくたびれたのどを楽々通っていく。なんだか、家に帰ってきたような安堵を覚えた。

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