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1996年9月18日 カシュガル |
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エイティカール寺院の木陰で祈る男たち。 本当は撮影禁止なのだが、 この敬虔な姿を 写しておきたかったので アラーの神よ、お許しください。 |
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午前中は、エイティカール寺院と職人街、そして民族幼稚園の観光だった。相変わらず手配や前途のことが不安であまり楽しめない。特に、民族幼稚園の子供達の民族舞踊は、将来の民族舞踊ダンサーを養成するための特別なコースの子供達のダンスで、確かに芸達者だったけれど、子供ながら観客にこびるところを見るのが、なんとなく気が重くて途中で出てしまった。
昼過ぎ、再度、日本の旅行会社に電話をして担当の人と話をしたが、先方は手配は完了しているという。それでも、何となく不安なので、みんなの観光に同行せずカシュガル国際旅行社まで出向いてみた。すると結論は、別々なセクションでクンジュラフ峠からカシュガルと、カシュガルからトルガルト峠の部分をそれぞれに担当して私の旅行の手配をしていて、お互いに連絡が取れていなかったと言うことだと説明されたが、盗み見た手配の書類の日付は全部今日のものだった。嘘をつかれていることはわかったけれど、とにかく手配は間に合いそうだし、何とかトルガルト峠へと登っていけそうだ。すこし、前途に明かりが見えてきた。
私は、とりあえず、カシュガル国際旅行社に依頼してあったとおぼしき手配の確認が取れたので、そこを出た。カシュガル国際旅行社についてから、2時間半経っていた。使った国際電話代が1270元。たまらないなあ。
ホテルにもどるとツアーの仲間はすでに夕食のテーブルについていた。何となく口が重いまま食事をして部屋にもどって一人で物思いに沈んでいたら、ツアーの仲間が二人と添乗員さんが、よかったら持っていってくれと日本食や携行品の備蓄をわけてくれた。気をつけて行くんだぞといってくれた言葉が、心にしみた。
夕食後、ツアーの仲間は、ウルムチへの飛行機に乗るためカシュガルの空港へ出発していき、私は一人でホテルに残った。バスに手を振りながら涙があふれた。やはり心細くないといえば嘘になる。国境では、袖の下を要求されたり、身体検査をされることもあると聞かされていた。ここから先は、一人旅である。
ホテルのフロントで出会った中国人が、今年は核実験のせいで夏が寒いし、雨がたくさん降ったし、フルーツも小さくておいしくない、とこぼしていた。確かに、タクラマカン砂漠の一周旅行の時も、なんだか、後半寒かったし、雨にたたられもした。しかし、それを、すっきりはっきり、核実験のせいだといいきってしまうところが怖いと言えばいえないこともない。英語ではなしているのだから、周りにわかる人がいるとこの人がこまったことになるのではないかとちょっと心配になった。
何か、日本から電話があるかもしれないと、出発前に添乗員さんが電話のある部屋に変えてくれたので、その部屋で何となく丸くなって眠り、朝になった。
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