7月1日


 今日は、女子医大にもう一度検査に行く日だった。朝、9時頃に家を出て、新宿まで行きそこからバスに乗った。母が、甲状腺の異常がある人なので、私のおでぶが、甲状腺の機能に関係があるのかないのか、それを調べて貰うのが目的である。担当の先生にお会いしたところ、一応、検査を全てして下さるという話しだった。その際、恥を忍んで、
「単純肥満って事もありますか?」
と聞いたら、
「はっきり言ってその可能性が高いように思います」
という返事だった。とにかく、血液検査と尿検査をして、結果は2週間後の15日に聞きに来るということで、診察室を出た。
 女子医大の帰りに、新宿の紀ノ国屋でダイエットの本を見た。そして、3冊ほどの本を買って家に帰った。途中、最寄りのJRの駅の駅ビルの本屋にも立ち寄った。この本屋さんでは、長期不在の間の、いつも買っている雑誌や本を取り置いて貰っている。それを買いによったのだ。
 そして、家に帰ってからしみじみ考えた。今回の二つの肉体労働的長旅で、太りすぎは、私の膝と心臓を直撃していた。砂漠を歩いたり、お寺の石段を登ったりするとすぐに息があがる。膝は、明らかに重たい体重に悲鳴を上げている。私も、一応女性なので、自分のプロフィールを公表すること、特に太りすぎの体重というのは、本当なら隠しておきたい。だけれど、今回は敢えて、体重をホームページに書いて、ダイエットの日記も公表して、自分にプレッシャーを掛けることにした。そうでもしなければ、この、三段腹と二重顎にはお別れできないかも知れないからだ。思いつきで始めたダイエットとそのリバウンド効果は、既にやばいところまで来ている。それに、ダイエット中の人とお互いに励まし合うことができるかも知れないし。というわけで、また、日記のページを増やすことに決めたのだった。
 そんなことを考えながら、パソコンに向かって、インデックスのページを作り直し始めたら、電話のベルが鳴った。仕事の話しである。それから、ほぼ4時間ほど、次々と電話がかかって、結局何もできずに夜になってしまった。あああ、ホームページを更新していないのに。
 ぶつぶつ言いながら、部屋の片づけをしていた。


7月2日


 朝から、2カ所ほど外出して、帰宅した。緊急の仕事を一つ預かって帰ってきたが、各方面にあれこれ相談したら、何とかめどが立ちそうだった。明日の返事待ちで、今日は作業がない。夕方、恭子ちゃんが部屋の掃除の手伝いに来てくれた。恭子ちゃんには、以前にも手伝って貰ったことがあり、毎度お世話になっているわけだ。何しろ、小学校の同級生だから、つきあいは結構長いのだ。恭子ちゃんが一番私の色々なことを知っているかも知れない。一生つきあう友達の一人だ。恭子ちゃんはうちにつくなり、ジャージに着替えると、ものすごい勢いで片づけを始めた。追い立てられるように私もペースがあがって、部屋は見る見る片づいていく。大まかに分けて4セクションに分けられる私の家だが、8時頃には、何となくめどが立ってきた。これなら、明日また一人で片づければ何とかなるな、と思っていたら、ひとこと
「私、今日泊まってくから。このまま帰ったって、今みたいな忙しさじゃ、きっと挫折しちゃうから、ちゃんと片づけて帰るからね」
という。そんなことさせられないと、あれこれ抵抗したが、結局押し切られてしまった。11時頃、約半分が片づいたところで、たくさんでたゴミを捨てに行った。
 表通りにでたところで、長期不在中、八雲の世話をお願いしていた玉青ちゃんのいとこの純平君から、八雲を近所の駐車場で見たという話を聞かされた。一週間くらい前だという。どきどきしながらその足で行ってみた。駐車場に近づいて、「にゃっくん」と呼んでみた。すると「にゃああん」と返事がある。また、ちょうど良く鳴く猫がいるなあ、なんて思いながら、また呼ぶと又返事がある。でも、声が全く違う。八雲の声より、ずっとしわがれてがらがらしている。それでも、呼ぶたんびに返事をするので、声のする方に行ってみるとトラックの荷台に八雲がいて、こっちを見ているではないか。心臓がどきどきする。うまくつかまえられるかしらと心配が頭を持ち上げる。駆け寄って手を出すと、その手にすり寄ってきた。首っ玉をひっつかんで、四つ足を両手で握り、八雲を胸に抱きしめて家に向かった。すっかり軽くなっている。でも体に怪我はなさそうだ。途中、純平君に声をかけて、玉青ちゃんに報せてもらった。部屋から顔を出した玉青ちゃんに八雲をひと目見せてから、部屋に戻った。
 片づけてくれている恭子ちゃんに一言断って、すぐ風呂を入れて、八雲を抱いて入った。明るいところで見たら、どろどろで部屋に放せなかったからだ。風呂から上がって、八雲を猫乾燥機に入れて、心配をかけた人たちに八雲捕獲の報告電話を掛けた。みんな喜んでくれた。でも一番嬉しいのは私だ。もう、こうやって、八雲の面倒を見ることはできないかと思った。もう、二度とだっこしてやれないかと思っていた。こんな嬉しいことはない。恭子ちゃんも自分のことのように喜んでくれた。本当にほっとした。


7月3日


 3時頃寝たのに、朝、7時頃に目を覚ましたら、なんと恭子ちゃんは既に起きていて、台所のそうじをしていた。あわてて声をかけたら、やりかけたのだからとにかくきちんとして帰りたいというので、私もすぐに動き始めた。
 今日は、約束が11時なので9時過ぎまで動ける。そこで、大車輪で玄関回りを片づけ、9時頃片づけが終わった。後には、山のような洗濯物である。あああ。
 二人で、家を出て、途中新橋でブランチをとり恭子ちゃんと別れた。その後、人にあって仕事の話しを済ませた。その足で、MOツーリストの浜さんを訪ねて、ビザ申請用の写真と、四国のお土産のお財布に入れる招き猫を渡して失礼した。
 もう一カ所立ち寄りをして、大急ぎで帰宅して八雲を連れて、板橋区の常盤台にある北川動物病院へ。ここは、私の姉夫婦の猫と犬もお世話になっており、うちの猫達も何かあるたびにここで治療をしていただいていた。事情を話して、後ろ足のはげている爪を見ていただいた。結論から言うと、手術して爪を一本切除しなければならないと言う。それでも、「20日も行方不明ならもっとひどい怪我と言うことも充分考えられたので、まあ、いい方でしょう」、といわれた。その通りだ。ただ、夕べ帰ってきたばかりで、全身状態がわからないので、すぐにはできないかも知れないという話を聞いているそばから、ぷすっとおならをしたと思ったら、診察台の上にどっと下痢してしまった。診察台を汚してしまって、恐縮していると、先生はさっさと検査のために汚物を採取して下さって、「良かった、お腹が悪いのがはっきりして。」とおっしゃって、早速、排泄物を検査して下さった。寄生虫による下痢ではないという診断だったが、念のため、血液検査をしてくださることになった。調べて貰うと、白血球が増えており感染があるという。とりあえず、飲み薬を頂いて、4、5日して下痢がとまり、精神的に落ち着いたら手術をしていただくという事で連れて帰った。
 家で、連絡電話待ちをしながら、八雲を膝に抱いて仕事をした。今日から、うちは猫が四匹になったのだ。かあさんは、がんばって、餌代とトイレの砂代をかせがなければと決意を新たにしたのだった。


7月4日


 朝、6時過ぎに、4匹の合唱で目が覚めた。薬を餌に混ぜてやらなければならない八雲だけ柔らかい餌をやって、残りの子たちにかりかり(固形のえさ)をやったら、たびがちょっとひがんだようだった。困ったモンダ。お昼近くに、やっと仕事のめどがついたので、一安心した。もっと大変なことになるかと思っていたのだが。昼過ぎに外出して、夕方帰宅して猫たちと夕食を食べた。夕食は全員柔らかい餌にしてやった。たびも今度はご満悦のようだ。八雲はよっぽど心細い思いをしたのか、片時もわたしのそばを離れようとしない。足の傷口をなめないようにはめたカラーをしたまま、体ごとぶつかるようにすり寄ってくる。せいぜいかわいがって安心させて上げようと、体をなでると、被毛がすっかり毛並み悪くなっている。体重も1.4キロも減っていたし、当たり前だけれど、つくづく無事で良かったと思った。
 しかし、世の中本当に捨てた物ではない。この2日間で、新聞の折り込みを見たという方々からの情報提供電話は、10本ほどもかかってきた。外を歩いていると、知っている人からも、「ねこどうしましたか」と聞かれたし。おかげさまで無事帰ってきました。と返事ができて嬉しかったけれど。折り込み広告って結構有効な手段だとしみじみ思ったのだった。


7月5日


 夕べ遅く、虎千代が血尿を出しているのにきがついた。こりゃ、膀胱炎だ。というわけで、虎千代の後をついて歩いておしっこを採集して、朝早くから北川動物病院へ。検査をして貰うと、やっぱり膀胱炎。というわけで、虎千代は5日分の薬を出していただいた。
 病院の受付に、ペット用の迷子札があったので、4猫用に4つ頂いた。それではというわけでもないのだが、虎千代達の新しい首輪をかって、ついでに、部屋の中にぶら下げておく、猫のおもちゃをお土産に買って帰った。
 猫達の世話をしながら、本を読んで1日を過ごした。


7月6日


 梅雨時とは思えないきれいな天気だったので、山のようにあった洗濯物を洗いまくった。春からの旅行でほったらかしになっていた、冬物の洗濯も精出して片づけたし。今日で一応、大掃除大作戦は終了である。
 昼頃に大変イヤなことがあったので、夕方から、友達と駅前に遊びにでた。といっても、家庭用ゲーム機のソフトを買って、本屋を回って帰ってきただけだけれど。その後、夕食を作って、友達はお酒を飲んで帰っていった。私はホームページを書き終えたら、写真の整理をするつもりだ。
 猫達は、とても元気だ。あの子たちが元気なのを見ているとしみじみ幸せになる。今日はとても幸せな日だった。部屋の掃除が済んでからは、窓を開け放って、クーラーを使わずに過ごしている。私の部屋は、ウナギの寝床の様な細長い部屋で、南と北とに窓がある。そこを開け放っておくといい風が通るのだ。もっとも、南はベランダがあるからいいが、北は窓の外に何もないので、猫達がまちがって転げ落ちたら大事なので網戸にストッパーをつけて、窓を開けてある。猫達はお外を見るのが好きなので、入れ替わり立ち替わり窓辺に寝そべって外を見ている。そのときの格好が結構可愛い。


7月7日


 お昼前に起きて、今日はちょっと面倒な面会の予定があるので、色々準備をした。「堅苦しい話ではないから、私の顔を立てると思って、まあ、つきあってちょうだい」と、いつも大変お世話になっているおばさまのご紹介で、お見合いである。このまま、一生一人で暮らしますから、猫達と。と、言っているのだが、どうも、伝わっていないのだ。困った物である。
 新宿から帰ってきて、旅行の写真整理の続きをした。それから、しなければいけないことのリストを作って、思いっきりげんなりした。事務的な事もあるし、仕事もある。その上、真夏のタクラマカン砂漠の旅に備えて、毎日歩くことにしたから、本当にやることがたくさんあるのだ。こんな時は猫達がうらやましい。


7月8日


 朝、一番で、八雲と虎千代を連れて、北川動物病院へ。手術を覚悟していったのだが、八雲の後ろ足は治りがいいようで、手術をしなくても良さそうだという。それは良かったと安心したけれど、一応、猫エイズなど、困った病気に感染していてもいけないので、血液検査をしてもらった。結果は水曜日の夕方に電話を掛けることになった。虎千代のおしっこも持参したけれど、検査の結果、色はなくなったけれど、相変わらず血液反応ありだという。おやおや。虎千代は、木曜日にもう一度病院に来なければならないわけだ。
 うちに帰ってから、いつも使っているパソコンの中を片づけて、あれこれ、フロッピーにしたり、まとめたりしていたら、気がついたら夜になっていた。こう言うことは本当に時間がかかるものだ。


7月9日


  朝、いつも写真を頼んでいるお店に、ツアーのメンバーに送る写真の焼き増しを依頼し、朝から、そのできあがった写真に付ける手紙を書いた。一枚あたりさわりのないのを書いて、後はコピーするという手もあるが、この手紙を最後にして、もう連絡を取らない人もたくさんいるので、最後だけはと思い、手書きにした。これが結構時間をとる作業だった。
 夕方から、懇意にしている人の紹介で、色々な本や雑誌の編集を手がけているという人にお目にかかりに行った。色々為になるお話を聞かせていただいた上に、アドバイスも頂いて本当に有意義な時間だった。ありがたいことである。
 帰宅して、3時間ほど寝て、埼玉県の浦和市に大塚商会が新しく開くパソコンショップのオープニングセールに列びに行った。5時少し前につくと、もう10人ほどの人が並んでいた。聞けば、昨日の午後6時頃から並んでいるという大学生のようだった。うーん、もはやその体力はないぞ。


7月10日


 売り出しは、結局9時過ぎから始まり、私はお目当ての内蔵PD(定価10万8千円を1万8千円)を無事に購入し、ついでに、開店記念セールの特価品をあれこれと買いあさって、午後1時頃帰宅した。
 昨夜、あまり寝ていないのでくたびれたが、少し休んで、夕方からK山さんにお会いするので、池袋に。
 途中で、時間を見て、北川動物病院に電話を入れた。血液検査の結果、八雲は腎臓と肝臓が少し悪いそうで、明日から、点滴に通うことになった。やれやれ、大変だ。
 K山さんは、仕事で、今週末からアトランタのオリンピックに出かけるのだ。開会式を見られるというのはうらやましいが、(彼は、バルセロナも、その後の冬季オリンピックも仕事で出かけ、開会式を見ているのだ。)仕事がらみというのは、想像以上に大変なようで、ルーズに1時間半の幅を持たせて約束したのに、さらに30分ほど遅れて見えた。出発直前で、上を下への大騒ぎらしい。体には気を付けて貰いたいなあと、少し心配になった。
 私のタクラマカンのこと、色々な準備のことなどを話して、K山さんからも仕事のこと、プライベートなことなど色々な話しがでて、気がついたら、11時半を回っていた。K山さんと食事をするといつも結構な時間になってしまうのだ。とても楽しくて、時間があっと言う間に過ぎるからだろう。


7月11日


 今日から、八雲の病院通いが始まった。朝、9時までに連れていき、帰りは、5時半から6時半までに迎えに行く。本当は私が楽なのは、入院させてしまうことなのだが、21日も家出をしていて、やっとうちに帰ってきたばかりの八雲にとって、病院暮らしはまた、ストレスのかかる重大事態だ。それを思うと、どうしても夜は一緒に寝てやりたい。とにかくこのところの八雲はとても甘ったれで、私のすぐ横に寝て、時々、そっと私の顔や腕などに触って、私が目を開けると小さな声で「にゃあん」と鳴いて、安心したように丸くなり直して眠ったりしている。小動物にはストレスは大敵なので、やはり、しばらく送り迎えをしてやろうと決めた。
 膀胱炎の虎千代の方は、朝、検尿用のおしっこをとるのを失敗してしまったので、今日の診断は夕方に持ち越した。
 朝の病院から帰ってきてから、ホームページを作り、それから駅の向こうのダイエーに買い物に行った。夏の暑い砂漠に少しでも適応できるようにと、一番暑いお昼過ぎにでて、てくてくと歩いていった。何しろ、このところはダイエットしているし、食料は必要ない。敢えて買うと言えば、お豆腐とかカッテージチーズとか、サラダ用の野菜とか。それでも、売場の模様替えとかの見切り品のワゴンを漁ったり、バーゲンをのぞいたりして、8000歩歩いて帰った。
 途中、なじみのゲームショップにも寄って、明日発売のゲームの前評判を聞いたり、色々お楽しみもあったのだった。
 うちに帰って、ベランダで、虎千代を少し遊ばせて、(日光浴をさせないと、くる病がこわいので)、また、いつもの資料整理の作業に入った。この作業は退屈だが、それなりに楽しい作業なので時間がすぐに過ぎた。4時半頃、虎千代がトイレに行ったので、すかさず後を追いかけておしっこを採取。
 そして、夕方、6時に八雲を迎えに行って、ついでに虎千代の尿検査をお願いした。結果は、一応潜血反応はマイナスなので、症状は改善されたけれど、完全に直すため、まだ、2、3週間は薬を続けた方がいいと言うことだった。人間の膀胱炎も、最初の一回の時に、きちんと治療して完治させないと癖になったりもするので、猫も同じらしい。虎千代の薬をいただいて帰宅して、4匹と一緒にご飯を食べ、その後、又、シルクロードの本を読んで過ごした。


7月11日


 朝、昨日よりも少し早く8時40分頃に北川動物病院に着くと、病院が妙に騒がしい。どうしたのだろうと思いながら、八雲の入ったケージを持って待っていると、隣の奥さんが、猫の病状について説明を受けているのが聞こえてきた。おしりに傷があって、そこが化膿しておしっこがでなくなり、尿毒症を起こしているらしい。診察室の診察台の上に、力無く横たわる虎猫が見え、先生が3人ほどあわただしく手当をしてるようだ。あの猫ちゃんだろう。おしっこの出口を確保するため、手術をする必要があるが、現在、尿毒症で、既に血液中のカリウム値が上昇しているので、麻酔中に急に心停止してしまう可能性もあるという。飼い主さんは言葉もなく頷いている。先生が、「ベストは尽くしますから」と慰めている。そこへ、血液検査の結果がもたらされ、普通の猫で3.5から5くらいのカリウムの値が、既に8.4あるという。これはもう、限界の値で、いつ死んでもおかしくありませんと先生は言い残して、応急手当のため、診察室に入って行った。飼い主さんは、猫をくるんできたとおぼしきバスタオルを胸に抱きしめてうつむいている。
 私は、ふいに涙がでてきた。昨日まで元気だった子が、ぐったりとしている。もし、自分がもっと早く異変に気がついていれば、助けられたかも知れない。きっとそんなことを思っているだろう。呆然と立ちすくんでいるその奥さんの小さい肩が、本当に心細げに見えた。
   八雲がいなくなってから、まるまる21日、この子が飢えて彷徨っていること、大けがをして帰りたくても家に帰ってこれない状況、既に、何らかのアクシデントで死んでしまっている可能性、そんな想像が毎日私を苦しめた。それでも、幸いなことに多少ぼろぼろになったけれど、八雲は戻ってきた。今の私は、もしかして、もう一度抱いてやることができないかも知れないという恐怖もまるで自分の事のようにわかる。その奥さんが、今どれほど寂しく、参っているか、それを思うと涙が止まらない。
 今、家では、虎千代と八雲の二頭が病気をしていて、医療費がたくさんかかっている。私はもともとあまり裕福ではないから、今の調子で医療費がかかったら、近い将来、経済的にパンクするのは目に見えている。二頭の病院通いで、正直言えば一番つめやすい状況にある自分の食費を真っ先につめた。それでも、生きていて貰いたいからだ。作家の村松具視さんの家のアブサンという猫ちゃんは、21才まで生きたという。家の子たちは、一番年上のたびですら、3才にしかならない。まだまだ子猫だ。以前にも書いたが、多頭飼いは猫たちの健康管理が結構難しいのだ。だから、私は、猫がトイレで砂をかく音がしたら、なるべく見に行って、下痢がないか、おしっこに異常がないかを確認するようにしている。それでも、ねこたちは病気をするし、怪我もするかもしれない。心配はつきないのだ。たかが猫、されど猫なのだ。
 飼い主さんにわからないように涙を拭いて、ケージの中の八雲をあやしていた。そこへ、八雲の主治医の先生がいらして、八雲をあづかってくれた。すっかり涙目になっている私を見て、少し怪訝そうだった。
 車に戻って、家へと運転しながら、ぽろぽろ涙がこぼれた。今は、何とか元気なうちの猫たちも、いつかはいなくなるのだ。どれほど愛していても。どれほど大切にしていても、猫は体の不調を訴えてはくれない。人間なら、痛い、つらいと症状も説明できるけれど、ねこは言葉がしゃべれないのだ。さっきの診察台の上の猫の、力の抜けた後ろ足が悲しく思い出された。
 昼前後に、商店街にお買い物がてら散歩に行って、その後、フロッピーを整理していた。夕方八雲を迎えに行った時に、今朝の猫ちゃんの様子を聞いた。何とか危機を乗り越えたのか、入院しているという。良かった良かった。


7月12日



 今日も、八雲は点滴に動物病院に通院である。八雲を朝、8時半に送っていって、その後、また、商店街へ。今日の夕食の買い物をして帰ってきた。夕方八雲を迎えに行って、その後、4匹にご飯を食べさせてから、自分は銀座にSさんに会いに行った。この人も、実にすっきりとしたすばらしい人格の人で、お会いするたびにたくさん得ることがある。今回もいいお話を聞かせていただいて、帰ってきた。


7月13日


 早朝、八雲を病院に連れていって、帰ってきてから、電話がかかってきて時間があっと言う間に過ぎた。昼頃商店街へ。途中、道ばたにリスがいて、吃驚。いくら23区のはずれでも、リスがいたりはするはずがないから、どこかのペットが逃げたものだろう。早晩、猫かカラスにとられるだろうから、と思って、ちょうどマンションの入り口に逃げ込んだので、通りがかりの男の人に見ていて貰って、近くのペットショップに走って、網とかごと餌とキャベツを買ってきた。そして、その男の人が捕獲してくれたので、りすをかごに入れて、駅前の交番に届けに行った。交番で、リスを捕まえた事、お腹が空いているだろうと餌を買ったこと、家には猫がたくさんいてリスを飼えないことなどを話して、後をお願いした。持ち主が見つからなければ、誰か欲しいという人に上げてもいいかといわれたので、このリスが幸せに暮らせればそれが一番いいので、と答えて帰ってきた。
 夕方、八雲の迎えに行くと、だいぶ調子がいいので、月曜日にもう一度血液検査をする事にした。月曜日は絶食で、病院に連れてくると言う話しだった。良くなってくれると言うのはうれしい。


7月14日


 八雲は病院へ。私は、部屋の中の細かな片づけに熱中して1日を過ごした。色々きちんと片づくとスッキリした気分になる。いい気持ちだ。


7月15日


 朝、八雲を送っていって、その後自分が東京女子医大へ。検査の結果を聞くためだ。数値から言うと、悪いかも知れないところは、胆嚢と肝臓、それに、プロラクチンの数値が高いので、脳下垂体のどこかに何かあるかも知れないと言う。念のため、頭部のCTと上腹部のエコーの追加検査を予約して帰ってきた。しかし、8月9日からの旅行があったりして、予約が取れたのは9月のはじめだった。
 新宿駅を歩いていたら、何だかどっと疲れがでてしまって、お昼を外食してしまった。
 うちに帰ってから、受け取ってきた焼き増しの写真の整理をして、早めに寝てしまった。どうも、脳に何かあるかも知れないと言うのはくたびれる話しである。 夕方八雲をお迎えに行って、検査結果をきいた。それによると、肝臓も腎臓も数値はすっかりもとに戻っているという話で、点滴は今日まででいいと言うことになった。足の爪も傷口がふさがり、新しい爪が生えてきている。猫の爪を抜く手術は本当に痛くて、よほどの事情でないとかわいそうだと言うから、しなくて済んで本当に良かった。
 それにしても、今回、たった数日、八雲の送り迎えをしたが、しみじみ、子供が幼稚園や、保育園に通っている時の世の奥さんの大変さを思い知った。ただ、送り迎えをするだけでも、この疲労である。会社の通勤の方がまだ疲れないような気がする。つくづく、みんな笑顔でがんばってるけれど、子育ては大変だろうなと頭が下がった。


7月16日


 朝になって、母に昨日の検査結果を報せた。脳に何かあるかも知れないらしいと言うと、あわてていた。資料整理をしていたら、夕方電話があり、明日板橋の病院でCTを取ることになったと報せてきた。まあ、気の早い話だこと。 


7月17日


 午後1時に、病院へ。頭部と上腹部のCTをとって貰った。結果は、来週になるという話だ。きっとたいしたことはないだろう。
 今日は、虎千代が膀胱炎の診察で、夕方北川動物病院へ。まだ、投薬が必要と言うことで、8日分薬を貰って帰ってきた。お遍路の関係の書籍を1日読んでいた。


7月18日


 池袋で、密教関係の本を買ってきた。どうも知識が足りないので。原稿を隠し事は、頭の中身がむき出しになってしまうので、このあたり勉強も仕事のうちである。


7月19日


 夜、Yちゃんと電話で話す。彼女は、昨年の夏を重いノイローゼで過ごして、廃人一歩手前から生還した人だ。このところちょっとまた調子を崩しているらしく、電話の声が暗かった。少し心配なので、ご主人の勤め先に電話して様子をきいた。やはり悪いらしい。去年の色々な事件を思い出して落ち込んでいるらしいのだ。その上、旦那さんのほうが、27日から出張でアメリカに行くとかで偉く心配していた。色々相談して電話を切った。これはまた、しんどそうな話である。


7月20日


 今日は、今年から始まった海の日でお休みである。ダイエーに買い物に行って、プラスチックの5段引き出しを買ってきて、お風呂場の回りの片づけをした。このところすっかり片づけが楽しくなっている。旅行に出るまでにある程度片づけておかないと、帰ってきたらまた廃墟になっているだろう。それも恐ろしい話である。


7月21日


 お遍路のホームページの原稿に手を着け始めた。同時に8月9日からのタクラマカン砂漠の旅行の資料の作成にも手を着ける。ああ、また、時間が押せ押せになりそうだ。しまった。


7月22日


 ふと思い立って、お遍路のホームページのデザインを変えることにした。ラフを描いては、雛形を作ってみているうちに1日が過ぎてしまった。


7月23日


 雑誌社の記者さんから電話があり、インターネットのホームページでの自己表現と言うことで、取材をしたいという電話があった。友人の紹介なので断る理由もなく、金曜日に約束をする。今日も1日、資料の整理と原稿書きで過ぎてしまった。


7月24日


 一日中、座っている。ひたすら写真を加工し、資料を調べ、原稿の形にまとめる。くたびれる。


7月25日


 昨日今日と、ことんが未消化の食べ物を戻したりしている。ちょうど、虎千代が診察の予定日なので、北川動物病院に一緒に連れていった。結論から言うと虎千代の膀胱炎はまだまだ日にちがかかりそうで、ことんの不調は夏ばてだという。猫の癖にぃ。と思ったけれど、よく考えたら、このくそ暑いのに、彼らは毛皮のコートを着ているわけでそりゃあ、暑いわね。


7月26日


 朝、一番で、ことんを北川動物病院に連れていった。結局夕べは、絶食させたので吐きしなかった。夏ばての消化不良だろうということで、キャベジンを貰って帰ってきた。11時待ち合わせで、某雑誌の取材を受けに池袋へ。ホームページで日記を公開している動機だの、インターネットとの出会いだのを色々きかれて帰ってきた。どんな記事になるのやら。
 今野先生に電話。色々相談するも、まあ、がんばろうと言うことでアイデア的には一応賛成を得られた。一安心する。
 今日も、お遍路のホームページの原稿書きと写真の整理・加工で1日があっと言う間に過ぎてしまった。あああ、時間が足りない。
 夜、11時過ぎに猫のお守りの玉青と知美の姉妹を乗せて、薬を飲ませなければならない虎千代とことんをつれて、蓼科へ。2時半頃、別荘に到着。


7月27日


 昨日は寝たのが遅かったし、車の中で落ち着かないで歩き回っていたことんはさぞかし興奮してくたびれただろうと思っていたら、いつも通り、6時に起こされた。薬の時間もあったので、8時まで知らん顔して寝ていた。
 8時に起きて雨戸を開け、猫たちを外に出して、その間に猫のご飯の支度をした。薬を混ぜてご飯ができあがって猫を呼んだら、外の雑草があまりにひどく生い茂っているので、怖かったらしく、二頭とも窓のすぐ外にいた。
 お風呂は、別荘のすぐ近くの石遊の湯(いしやすのゆ)という温泉に入りに行った。一人500円だけれど、きれいな露天風呂で、ゆっくり体を伸ばして入れるし、何しろ芯まで暖まれるいい風呂なのだ。別荘にも風呂はあるのだが、たいていここに入りに来ている。その方が便利だし、快適なので。  今日は1日、玉青も知美も猫と遊んで、ジグソーパズルをしていた。いい1日だった。PDとプロノートを持ってきていたので、ホームページの仕事も思いの外はかどったし。


7月28日


 今日は玉青が、夕方東京に帰るので、その前にお土産を買いに、蓼科湖へ。毎年恒例の湖畔の湖の美荘のソフトクリームを食べ、隣のおみやげ物屋のブドウジュースの一升瓶と、道を渡って九増兵衛餅を買って、日曜日の午後で早くも込みだしたビーナスラインを避けて、裏道から茅野の市街に降りた。
 茅野の20号沿いのホームセンターで、去年も今頃あった猫の餌やトイレ砂の安売りで、猫の砂を13袋も買いだめし(東京で1280円のものが777円なのだ)、ジグソーパズルも定価の3割引でいいものを買い込んだ。その後、3人で諏訪インター近くのほうとうやさんへほうとうを食べに行った。これは私と玉青の好物で、知美に一度食べさせたかったのだ。
 東京に帰る玉青を、茅野の駅から特急あずさにのせて、私達は別荘に戻った。一人減るとめっきり寂しくなる。


7月29日


 午前中、使ったバスタオルやらシーツやらのお洗濯をして、別荘の掃除をし、昼過ぎに戸締まりをして1時過ぎに別荘を出た。途中、農家の直売所によって、枝豆とトマトをしこたま買い込んで東京へ。首都高速の渋滞で少し時間がかかったが、5時半頃家についた。早速枝豆をゆで、家の掃除をして9時頃に仕事を再開した。


7月30日


 ホームページを色々作り込んで、時間が過ぎた。ひたすら作業に明け暮れた。
 先日の雑誌社の取材の追加取材で、写真を撮りたいということで、モーバイルインターネットをしているところ、ということで、NTTの本社のショールームで8月2日に撮影することになる。ちょっと面倒くさいけれど、取材で出てきた担当の記者のお嬢さんが一生懸命なので、彼女に免じて出かけていくことにした。写真写りも悪いし、ぶすだし、デブだし、おばさんなのに、困ったなあ。


7月31日


 以前に派遣で行っていた日経の人の紹介で、毎日新聞の方にお遍路のホームページの件で話を聞いていただいた。直接あって話したいということで、金曜日に約束を貰った。
 また、今野先生の紹介で、出版社の方に見ていただく機会も作れそうだ。お遍路のホームページは本来は、仕事としてではなく、細々とお大師様のお手伝いをさせて頂くつもりで個人ベースで作って展開する予定だったので、ちょっと戸惑っているが、それでも、お話が実現すればやはり嬉しい。うまく行きますように。


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