10月2日


 無事に帰ってきた。ウズベクの空港でナショナルカンパニー・ウズベクツーリズムの男達に監禁されて、脅されてお金を取られたけれど、それでも、殺されはしなかったし、夜中に男がホテルの部屋に入ってきたけれど、強姦はされなかった。3回の旅のうち、一人旅の部分のあった今回が一番アクシデントが多かったけれど、それでも無事に故国日本に戻って来れた。
 モスクワからのアエロフロートの中では、筑波大学の外国人教授と隣り合わせて、貧しい英語で一晩中色々なことを話し合って、ちょっとグロッキーになったけれど、それでも定刻を10分過ぎただけで日本に帰ってきた。
 空港には迎えは来ていなくて、新宿行きのリムジンバスに乗って、さらに新宿の京王プラザホテルからタクシーに乗り換えて、のんびりと家に帰ってきた。空港で家の留守番電話を聞いて、迎えがないこともわかったけれど同時に、4猫が元気なこともわかっていたから、急ぐこともなかったのだ。
 家について、違う臭いをぷんぷんさせている私に神経質なたびがすこしフーしたけれど、それでも、八雲とことんと虎千代はすぐに足にまとわりついてきた。猫におやつの餌をほんの少しずつ与えながら、話しかけていたら、電話が鳴った。10月から手伝うことになっている仕事先からで、いつから来れるかというタイムリーな電話だった。来週ぐらいから、と返事をして切った。
 夜は、お寿司とピザで、友人と帰国祝いをして、しみじみとほっとして、猫に取り巻かれて寝た。


10月3日


 今週の日曜日に、76才になる母が足を折ってしまっていた。それでも予定通り、仕事にはでるという。朝の出勤にあわせて車で迎えに出た。ここでアクシデント発生だ。家の外に出たら、うちのアパートの敷地の中に、子猫が捨てられていた。2階の南側の部屋のベランダで、猫がひなたぼっこしている私の部屋をねらい打ちしたようだ。捨てられていた子猫はまだ、とにかく小さくて、とりあえず、抱き上げて、そのまま車で母を迎えに行った。
 残念だけれど、4猫を抱えた私には、この子をうちの子にすることは出来ない。猫達の健康管理は、既に4匹でも難しくなっている。5匹の猫と二間のアパートで暮らすことは不可能だ。何とか、里子先を見つけてやらなければならない。子猫は黒猫だった。
 母は、車に乗ってくるなり、子猫を見て、「どうするの」と聞いてきた。「これ以上は、猫もみんな不幸になるし増やせないから、里子に出すよ」と言うと、「それがいいわね」と言って、膝の上の子猫をなでている。
 母をおろして、そのまま、常盤台の北川動物病院へ。カルテに書き込む名前が必要なので、とりあえず、ブラックと付けた。帰国したらここのホームページを製作して上げる約束になっていたので、どちらにしても打ち合わせをする必要があったのだ。子猫が診察して貰っている間に、打ち合わせを始めた。ブラックは、ちょっとお腹が下っていたけれど、全身状態は良好で、健康そうだということだった。
 うちに帰って、山村院長先生から預かってきた資料のフロッピーを見ようとしたら、画像データなどがうちで開けない形式の儘だったので、夕方、診察が終わる頃に出直して、もう一度貰ってきた。院長先生から、どんなホームページが欲しいかをよく伺ったので、いいものを作りたいなと思いながら帰ってきた。


10月4日


 朝から、北川動物病院のホームページを作り始める。タイトルバーやら色々な画像も作らなければならない。本当はまだうちの子たちと新入りのブラックを一緒にしてはいけない(感染症の問題で)と言われていたのだが、あまりに鳴くので、根負けしてケージから出してしまった。
 昼過ぎに、郵便屋さんが、大きな封筒を届けてくれた。封筒はソニー クリエイティブプロダクツからで、中には、来年の子猫の写真の手帳が入っていた。この手帳は毎年愛用していて、去年の11月ごろにこの手帳の今年のものを買ったら、子猫の写真を募集していた。ことんが5月1日に子猫を4匹生んだとき、里子に出すときにアルバムを作ってもたせてやろうと、毎日のように写真を撮ったが、それが山ほど残っていた。その中から何枚か選んで送ったのだが、それが採用されたらしい。大慌てで手帳をめくってみたら、そのうち6枚が採用されて、写真提供者の所に名前が載っていた。何だかとても嬉しかった。


10月5日


 朝からひたすら、北川動物病院のホームページをつくる。果てしない手作業だ。猫達がお世話になっているのと、院長先生のお話に感動したのとで、思い入れがあるものだから、私の小さなコンピューターでもできる最大限を作ろうと思ったのだが、これが結構時間がかかる。あっと言う間に夜になってしまった。
 夜はK先生のところへ、お土産をとどけがてら外出した。整体師でもある先生に私の友達が治療をうけていて、そのために伺うのがメインの目的なのだが、K先生は無類に話題が豊富で、しかもすてきなお人柄でついつい長居になってご迷惑をかけてしまう。途中、夕飯の買い物をして、ご飯は先生のところでつくる。本日のメニュー。なすとピーマンのみそいため、モヤシのサラダ、豚肉と野菜の和風いため、キングサーモンのお刺身、レタスとピーマンと牛肉のサラダ。


10月6日


 朝から、北川動物病院のホームページの作業。夕方完成。
午後3時半からの室井滋さんの電波少年の特番を見た。この猿岩石、みなさんがどう思っていらっしゃるかわからないけれど、とんでもないすごい奴らだ。あの、苦労の連続、言葉も通じない中で、想像も絶する思いをしていることだろう。お金をふんだんに持っていても、私は、最後のシルクロード旅でえらい目にあった。言葉はロシア語でほとんどわからず、色々なところで、ボディーランゲージであれこれコミュニケーションしたけれど、そんなもの苦労のうちに入らないような壮絶な旅なのだ。それに、今日見た室井さんの番組について、ご本人が7月だか8月に私が日本に居るときに週刊文春に原稿を載せておられたが、これまた、実に沢山の思いをなさっていた。色々な苦労を思って、最後にイスタンブールの一歩手前のフェリーの埠頭で彼らが出会ったときには、涙がこぼれた。
 夕方、ホームページの作業が終わってから、ゲームのソフトやさんと、ダイエーへ。ダイエーでは、食料品とカラープリンターと資料整理用のアルバムを買った。ゲームソフトは、ちょっと古いがサターンの『デビルサマナー』と『ガンダム』の新作を購入。それと、たくさんの攻略本。これは、後で買おうと思っても買えないことが多いので、いつも興味のあるソフトのものは買い込むことにしている。カラープリンターは、3万円弱で売っていた、キャノンのBJC-35vを購入。これなら、プロノートと一緒に何処にでもリュックで背負っていける。
 小さなブラックは、お膝が大好き子猫なことが判明。私の膝に乗っているか、虎千代と追いかけっこしているかのどちらかだ。トイレもしっかり小さな手で砂を掻いて、大きな子たちと一緒のトイレで踏ん張っている。あまり踏ん張ると前にのめってしまうところがご愛敬。
 明日からは、新しい仕事だ。(しばらくの間は、3足の草鞋になる予定)。ちょっと忙しいけれど、がんばりましょう。


10月7日


 朝、ブラックのメールがないか、ニフティとインターネットのメールを確認してから、11時に出勤。初仕事。雑誌の編集の仕事だ。
 自分の仕事の環境をつくって、会議に出て、会社を出たのが9時。大急ぎで帰宅して、猫たちのご飯をしてやって、それから、北川動物病院へ。ホームページの納品だ。ここの仕事は、(厳密には、お金を貰わないので仕事ではないが)コストのことを考えずに、かけたいだけ時間をかけたので本当に可愛らしく出来ている。いろいろ仕掛けもしたし。院長先生と、若くてかわいらしい女医さんとトミーのおじさんの4人で待っていて下さった。デモやってお見せしたら、大喜びして下さったので、それはそれでとてもうれしかった。
 次に作る院長先生の関係の財団のホームページの打ち合わせをして、病院を出たのが2時近かった。それから家にもどって、電話を2件ほどかけて打ち合わせをして残った自分の仕事をして、4時頃寝た。


10月8日


 朝、7時におきる。さすがに眠い。しばらくはこの調子で忙しいわけで、早くもげんなりしているが、でも、毎日毎日(私はたいやきか?)ぼろぼろの体に痛む両膝で、荷物を背負って次の町へ行くのに比べたら、なでなでできるにゃっこもいるし、遥かに快適な生活だ。出勤前に打ち合わせや御願いの電話をいれまくって、今日の一発目は、CD−ROMのタイトル探しだ。秋葉原にするか、池袋の知っているお店にするか。では行ってきます。
 8時過ぎまで、仕事をして、とことこ帰宅。今日は寒くって思わず、でっかいウインドブレイカーを着ていってしまった。家に帰ると、今日はブラックまで腹減ったコールをしていた。早くも巨大化の道をたどるか。
 11時過ぎに、来客。色々話したが、少しノイローゼ気味のようだ。気晴らしになればと、ことんをレンタルして上げた。あの子は、適応性が高いし、なにより忍耐強い猫なので。(ことんごめんね)  本を読んで、3時半頃ねた。


10月9日


 今日は、帰りの電車の中で大泣きして帰ってきた。内容は差し控えるが、とても悲しくつらいことがあった。そして、家に帰ってきて、電子メールをチェックしてとあるメールを発見。いちだんと落ち込む。ある、パソコン雑誌の編集部の人からのメールだったけれど、もううんざりしてしまった。
 はっきり言って、今日は厄日だった。猫抱いて寝よう。


10月10日


 朝起きて、ブラックをつれて、北川動物病院へ。ホームページの直しをいれるつもりが、えんえんと時間がかかってしまって、夕方になってしまった。あれ、もう1日が終わってしまう。


10月11日


 朝は、母を迎えに行った。昨日、取り出すのを忘れてしまったデータを北川動物病院から貰ってきて、最後の直しを入れてFTPした。院長先生は大喜びしてくれた。やはり喜んでもらえるのが一番嬉しい。
 夕方まゆみちゃんから、電話で北川動物病院のホームページの感想を行ってきてくれた。トップのジフが良くないと言う話だ。週末に作り替えておこう。


10月12日


 朝は、今日も母の出迎え。その後、資料を読んでいると昼過ぎにまゆみちゃん到来。うちで昼を食べて最後のシルクロード旅の土産と虎千代を持って帰っていった。虎千代は、急な話で、まゆみちゃんちの猫になってしまった。彼女なら可愛がってくれると思うけれど、やはりいなくなると寂しい。週の最初には五匹いた猫が、今では三匹になってしまった。
 夕方から、友達と2人で、また、k先生の家へ。今日は、ご飯を軽めにというご注文だったので、和食系のおかずにした。ホームページのコンセプトやら、趣味の話、音楽の話題などを話し込んでいるうちに、飲みすぎた友達が、トイレでよいつぶれてしまい、後をk先生に御願いして、一人で帰ってきた。しかし、トイレの狭いスペースで器用に丸くなって寝ていたけれど、あいつは猫か。


10月13日


 資料を読んで1日が過ぎた。昼過ぎから北川動物病院のジフを作り替えてFTPしておいた。夕方、玉青と知美が揃って遊びに来て、ブラックと初対面。玉青には電話で話してあったけれど、なにも知らなかった知美は虎千代が貰われていって、ことんがレンタル「ことんちゃん」になっていることを知ってびっくりしていた。夜は、猫と遊んでしまった。三匹だけになったら、たびが甘ったれ猫にもどって、そばにくっついてくる。自分が一番のボスだということで、辛抱していたのがよくわかった。たびにはかわいそうなことをしたかもしれない。
 


10月14日


 金曜日の夜からみんなと相談しておいたとおり、先週のはじめからの仕事をおろして貰った。理由は敢えて書かない。とにかく、今はそれが一番いいと思ったのでおろして貰った。
 10時の待ち合わせで、k先生の病院の検査につきあって、お昼を私の好きな本郷のうどんやさんで食べて帰ってきた。やらなければならないと気になっていることがたくさんあるが、とにかく、帰国して以来、全く休みを取っていないので、くたびれがたまっている。とりあえず、ちょっと横になったら、目が覚めたら夜になっていた。軽く食事をして、仕事をして何軒か電話を受けて、休んだ。


10月15日


 一度、気を抜いてしまったら、元に戻らなくなってしまったようだ。それでも、ホームページの企画書を二通作らなければならなくて、それだけをやっと片づけて寝た。
 今日の収穫は、家のすぐ近くにとても安い洗濯やさんを見つけたこと。ちょっと幸せな気持ちになった。
 夜、ソニーの人がLDの修理に来てくれた。これでやっとLDが見られる、と喜んだのもつかの間、別なところが壊れているようで、二時間ほどでまた故障してがっかりした。知美が猫と遊びに来た。この子は、私より猫が目当てで遊びに来る友達の代表格だ。


10月16日


 徹夜明けで、七時過ぎにやっと横になったらすぐに、ブラックのことで連絡を取っていた人から電話がかかってきた。忙しさに紛れて、虎千代が急に里子に出たことを電話で知らせてなかったので、大変恐縮した。
 とりあえずことんをもらった、練馬のボランティアサークルの人に電話をして、猫を世話して貰おうとしたが、運悪く、以前から特定の個人名がはっきりしている猫を貰い受けては、動物実験用に売り飛ばすという行為を続けている悪名高いおばさんが、彼女のネットワークの人を騙して、子猫を貰い受けていったことがわかって、何とか取り返したいと大騒ぎになっていて、今日猫を見せて上げることが出来なかった。貰いたいという人は、大層急いでいるようで、2、3日待ってもらえないかと事情を説明して話したが、今日を逃すと忙しくて時間がとれないという。相手には悪いけれども、私にも生活があり、しかもほとんど毎日三時間くらいしか寝ていない状況だ。それでも、猫のことなら時間をひねり出していて、相手の時間がないという一言にちょっと吃驚してしまった。
 ブラックのことで期待を持たせてしまったし、なんとか、可愛い子猫に縁があるようにと思ったけれど、時間がうまく会わないのだ。しかし、猫は病気になったり、夜昼かまわず、吐いたり下したりもする。置き去りにして家を空けるのも限度があるし、猫を見に来る時間がないほど忙しくて、もし具合が悪くなったらどうするのかなあ。
 夕方から、週末の納品予定のホームページの製作に取りかかる。これを書き終えたら寝ようと思う。今は午前三時だ。


10月17日


 結局徹夜になった。7時50分に家を出て母を迎えに行き、そのまま午前中、北川動物病院の院長先生と動物臨床医学研究所のホームページのコンセプトシートと、フローを作りながら打ち合わせて、3時過ぎに帰宅。昨夜作った部分の手直しをしたり、新しくカットを書いたりしていたら、あっと言う間に朝の4時を回る。さすがに、体がだるく、膝の上の八雲とブラックが重く感じられた。ホームページは時間を食う。結局人のホームページに大半の時間をとられて、自分のものはテキストを書き足すのがやっとだ。アイデアはいっぱいあるのに。
 ブラックは、うちの子になることになって、名前を変えた。私の好きな幽遊白書からとって、飛影とつけることにした。ああ、また、友達から抗議とおしかりの電話が殺到するぞ。


10月18日


 横になって、2時間で、八雲に「ごはんくれ」と起こされる。そのまま、パソコンに向かうがあまりに眠くて居眠り。馬鹿みたい。
 母を迎えに行って、動臨研のホームページの作業に取りかかる。まずはデザインをしなくては。午前中から電話がたくさんなる。これが結構疲れる。
 打ち合わせに来た友達が、猫の名前と巨大化の話で、「たびはデブったら、ぶたび。ことんは、こぶとん。八雲はたぶん太らないからいいとして、飛影はぶひえいになるわけ?」とか、ちくちくとつっこまれた。4匹目で、口減らししそこねたから、冷や飯ぐらいの稗(ひえ・ひえ、あわのひえ)なのとも言われるし。ちがうんだけれどなあ。
 一昨日の飛影の里親さんになって貰うはずのひとから、メールが来ていた。きっとわかってもらえないだろうけれど、私が猫を拾うとき、最悪は自分で抱え込む覚悟で手を出している。八雲のように、うちで産まれた子ならともかく、それ以外は、拾ったそのときにはどんな重い病気かわからない。とりあえず、そのまま放っておけないから、持ってくるわけだ。3〜4週間面倒を見ていると初めて、健康な子かどうか、どんな性格かがわかってくるけれど。里親探しは拾ったらすぐ始めるけれど、やはり里親さんに迷惑のかからない、楽しく暮らせる猫を世話したいと思う。彼にも、もしまだ、猫と一緒に暮らしたいと言う気持ちがあるなら、ことんの世話をしてくださった大畑さんのところから、お世話できたらなと思っているが。
 それにしても、先週の水曜日以来、精神の調子を崩しているのが、こう言うところにも現れていて、やはり言葉が足りないようだ。反省しなくては。
 夕方から、動臨研のホームページの打ち合わせに出かけて、そのまま先方と夕食に出た。食事の途中でとんでもないことを思い出した。わたし、明後日の日曜日、7月に2度目の旅行に出る前に申し込んだ情報処理の試験があるのだった。なにもしてないぞ。でも、受けるだけは受けよう。そう思って、何となくおしりがむずむずしてしまった。


10月19日


 動臨研の納品を3日ほどのばして貰って、今日明日は、試験に集中することにした。10時の開店をまって、近くの本屋でテキストと問題集を買った。これが付け焼き刃、一夜漬けでなくて何だというのだろう。でも7月に出願したときは、こんなに忙しくなるとは思わなかったのだ。
 昨年の簿記に続いて、試験の秋である。
 ラインマーカーと鉛筆を一緒に握って、丸暗記にかかる。本当にまにあうのかなあ。


10月20日


 夕べは、2時まで勉強して久しぶりに覚えたものが、鼻や耳から出そうだなあと思いながら試験会場へ。私のシスアドの試験は、東京のお茶の水女子大学だった。スピード写真を撮って、会場に向かう途中、電卓を忘れたことに気がついたけれど、もう仕方がない。それほどの計算もあるまいと腹をくくって途中のコンビニでお弁当を買った。
 試験が終わって、午前の模範解答を貰ったところでは、85%出来ていたけれど、午後の問題がどうだろう。まあ、もうすんでしまったことをぐずぐず言ってもはじまらない。発表は12月だ。まあ、一晩勉強して受かるほどラッキーでもないだろう。ベストはつくしたし、今日は仕事をしなくてはと思いながら帰宅。
 あれこれ、ホームページ用のイラストを素材集から取り込んで、加工していたら時間が経った。


10月21日


 朝からあれこれと電話で問い合わせをする。あっと言う間に12時になってあわてて新宿へ。今日は、春のユーラシアの旅行で一緒だった不思議少女繭子とお昼ご飯である。
 春には学生学生していた繭ちゃんもすっかり大人びていた。旅行中の色々な話をして盛り上がった。中でも大笑いしたのが写真のこと。私は少し遅くなってしまったが、参加者全員に写真を送った。私をのぞいて18人だ。そのうち、多分返事が来ないだろうなと思っていた人から案の定返事が来なかったのだ。なぜ、来ないだろうと思ったかというと、旅行中からとても非常識な人だったから。きっと勝手に送ってきたものに礼状などいらないと言うことなのか、私が嫌いなのか、それはわからないけれど、3人とも結構な年輩(50代半ばから60代)だから、そういう人生の人なのだろう。繭ちゃんはご当人をよく知っているので、話が盛り上がってしまった。後は、これからのことやら、趣味の話やらして、夕方に別れた。
 帰宅してから、仕事をして4時過ぎに休んだ。


10月22日


 7時に飛影が鼻をかじって起こすので餌をやるべと布団から這い出した。そのまま、猫達と朝御飯を食べパソコンに向かう。午前中は問い合わせ電話をして、11時頃家を出た。まずは海外旅行保険の請求のことで(カメラを落として壊したのだ)保険代理店へ。ついで、赤坂の豊川稲荷にお参りに行った。今日は縁日だ。いつもの境内のお茶屋の菊屋さんでお供えを買ってお参り。
 ついで、K山さんのご紹介でマスコミ関係の方にあう。ホームページの話やら、今考えているアイデアなどをお話しして、色々お話を聞かせていただいた。大変参考になったけれど、やはり悲しいこともあった。
 そのあと、以前から友達などがお世話になっているヘッドハンティングの会社の人を訪ねた。このところ友人などのお世話を御願いしているのでご挨拶だ。
 そして16時に先週の月曜日に仕事を降りた雑誌の取材につき合いで原宿に出向いた。取材対象は、島崎和歌子嬢。彼女とはまだ彼女が本当に少女の面影を残していた頃、Vシネマの撮影で一緒に仕事をしたことがある。私は、そのとき現場制作部の下っ端で、撮影の合間に、控え室の仕事をしているときなどによく主役の彼女と話をした。とても素直で、可愛いお嬢さんだった。特に、クライマックスのシーンでうまく泣くことが出来ず、何度も取り直していた彼女のガッツが印象に残っている。私の方はその後仕事が変わって、映画業界の仕事でなくなったので、彼女ともう二度と会うことはないと思っていた。しかし、インタビューの企画で、彼女にぴったりのものがあったので、まだ編集部の仕事を手伝っていた私は彼女を推薦したのだ。彼女が新しい分野で露出していく、何かの良いきっかけになればと思ったからだ。
 島崎さんは、きっと私のことなど覚えていないだろうと思っていたのだが、覚えていると言ってくれてちょっぴり嬉しかった。すっかり大人びて、きれいになっていたので、何だかとてもまぶしい気がした。撮影の時のつらかったことが良い思い出になっていて、話にすっかり花が咲いた。相変わらず、笑った顔の可愛らしい人で、素直なところは変わっていなかったのがうれしかった。
 そのまま、帰宅して遅れ気味の仕事に取りかかる。今日は疲れがひどかったので3時過ぎに寝た。


10月23日


 朝、6時に電話で起こされてしばらくはなした後、猫達のご飯。洗濯をしてパソコンに向かって7時45分頃洗濯機のところに行ったら野良猫が洗濯機の上にいる。うちの洗濯機は部屋の中にあるのだ。吃驚していると素早く玄関脇の窓から出ていった。足下が水浸しになっている。さっきの猫がかじったらしく、全自動洗濯機の給水ホースに大穴があいて、大洪水になっていた。結局、下の部屋に漏水してしまって、迷惑をかけてしまった。大変なことである。
 お昼頃、ご飯を食べがてら本や巡りをして、昼から、企画書の原案をあれこれと書き散らかして夜になる。うまくまとまらないので、小骨が喉に支えているようだ。
 このところ、ホームページがどうもうまく書けないでいる。理由ははっきりしているのだ。少し、精神的に参っていて、言葉がうまくでないのだ。恐ろしいことに、すっかり状況を見抜いて心配してメールを下さった方があるのだ。今日は、それでもすこし調子がいいので、現状を書いておこうと思う。
 10月2日に帰国してから色々なことがあった。すぐからとても忙しかったこともある。しかし大きかったのは、人との関係で重たいことが多かったことだ。
 まずは、9日にお会いしたSさんとのことだ。ずいぶん誤解もされていたし、その誤解に基づいて断定的にきついことをたくさん言われてしまった。その場は笑って別れたけれども、そのことからずっと立ち直れない。ものすごく尊敬していた人だったので、自分の評価が予想していたものと大変異なっていたこともショックだったし、結局、わかってはもらえまいと感じてしまったこともショックだったのだ。その人が自分の人生から永遠に失われたと感じたことは本当につらかった。
 悪いことはつづくもので、なにしろ、何もかもがネガティブに受け取れてしまうような精神状態だから、問題は次から次へとやってくる。以前に仕事をした会社の編集さんから来たメールがその次の問題だった。
 内容は、請求書が着かないと言うことを知らせてきたのだが、そのメール全体に何とも言えない、イヤなムードが漂っていた。この編集さんとは曰く因縁もあったから余計冷静に受け取れなかった。曰く因縁とは、彼の言うことに一貫性がなかったので、そのことを編集長に直接問い合わせたことに起因する。その後から、電話で連絡を取ると、明らかに不快そうに迷惑そうに対応されて、9月の出発前に納品の連絡をしたときなど、挨拶で「いつもお世話になっております」とこちらが言うのにも返事をせずむっつりと黙りこくって、用件の後、月曜にまた海外に出発しますとこちらの状況を説明したときも、「気を付けて」でもなければ「行ってらっしゃい」でもなく、「あ、そうですか」と言われてしまったものだった。そのことだけならきっと大したことではないのだろう。しかし、私はその手のことにめっぽう弱い。人の目が気になると言うヤツかも知れない。それだけに、そのメールも冷静に受け取れなかったのだ。そのことで、メールを送ったその雑誌の編集長からも何の返事も来なかった。その後請求書が着いたかどうか、今だに知らせはない。
 その次の週には、あまりにコンセプトや仕事の進め方がいい加減なのに参って、責任がとれないと感じたので、受けていたホームページの仕事を降りることになった。生活の安定のためにはありがたい仕事だったので(ギャラは安かったが)それを失うことは結構痛かった。
 その後、拾った猫のことで気がふさぐようなことがあって、結構まいっているのに、仕事が忙しくてゆっくり休むことも出来なかった。そして、先週のすっかり忘れていた国家試験。9月の旅行前に発送を人に頼んでいったクロネコヤマトの宅急便の紛失(中身はPDドライブ)。伝票をなくしてしまったというので、探し出せずに8万円がパー。
 仕事の上での負担が増えたこともある。今は作らなければならないホームページをたくさん抱えているし、自分のホームページも9月の旅行の旅行記を作らなければならないし、全面的なリニューアルの計画もある。そのほかに夢の実現の為に企業に出す企画書を作らなければならない。そのために読まなければならない本が山積みになっていて、何だか、とても大きな荷物を背負っているような気持ちがする。
 一つ一つはたいしたことではないのだが、それでも重たいことに変わりはない。10月はよほど運が悪いのかいいことはたった一つ、昨日、島崎和歌子ちゃんに5年ぶりであったこと。そのくらいだった。
 それでも、猫は可愛いし、仕事で人に会うことは楽しい。もう少し元気になったらまた、ばりばりと人に会おう。それまでは、おうちで猫達とホームページを作って暮らしていこうかな。何となく、変化を感じて心配して下さっていたみなさま、もう少ししたらきっと元気になりますので少々お待ち下さい。メールありがとうございました。


10月24日


 まゆみのところに里子に出た虎千代が風邪をひいたらしい。朝、7時に電話で起こされて恵比寿まで迎えにいって、北川動物病院へ。同じく風邪気味の八雲と、うちに風邪の菌を持ち込んで、自らもかぜっぴきぽい飛影も一緒に連れていった。猫たちを先生にお任せして、ついでに私の方は院長とホームページの作業をした。夕方、だいたいのところが終わったところで、帰宅。
 夜、まゆみが仕事帰りに虎千代を迎えに来た。

10月25日


 朝から、大掃除。SOSをしたので、恭子ちゃんがお掃除を手伝いがてら、おみやげを受け取りに来てくれた。


10月26日


 朝、とことこダイエーまで、ほったらかしになっていた洗濯機のホースを買いにいって、大洗濯大会。夕方、知り合いの家に。 


10月27日


 ホームページの本を買いに出た他は、家で読書。ほっとカーペットを出したら、猫が大喜び。


10月28日


 一日、明日納品のため、ホームページを作っていた。ひたすら、作業。あああ。


10月29日


 まゆみが会社を休んで、虎千代を連れてきた。そのまま病院へ。八雲は予防注射をしてもらい、まだ小さい飛影は免疫力をあげるため猫インターフェロンを注射してもらった。木曜日にいったときに約束した八雲たちの写真の載っている、ソニークリエイティブプロダクツの手帳をかかりつけの先生におみやげに持参。
 夜、K山さんと食事。つくづく、縁のある人だ。


10月30日


 朝、うちあわせで新橋へ。その後、MOツーリストへ浜さんを訪ねて、お昼を食べた。彼女には本当に苦労をかけた。お礼のいいようもない。
 そのあと、電話で問い合わせたら、一番安かった新宿のヨドバシカメラに平凡社の百科事典のCD−ROMを買いにいった。
 夕方、帰宅して、たびとことんをつれて北川動物病院へ。予防注射だ。


10月31日


 旅行中からずっと悪かった足を見てもらうために、病院へ。午前中いっぱいかかってしまった。午後からは、例の企画書のために読書をして過ごした。


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