1月9日木曜日


 成田に着いたのは、午後9時20分。荷物が出てくるまでに少し時間がかかって、通関して外に出たのは、10時50分くらいだった。おみやげは、ろくに買わなかったから、税金もへったくれもない。税関の人に、手際よく「団体旅行で、シリア・ヨルダンを回ってきました、おみやげは、オリーブの石鹸その他です」と言ったら、すんなり、通してくれた。
 ゲートの外で、迎えに来てくれたかず君を発見。そのまま、車へ。
 車は、まっすぐ、東京駅の八重洲口へ。トランクその他は、かず君に預け、私は、あらかじめ作って積んであったお参り用のリュックを背負って、23:50分発の深夜バスの『伊良湖ライナー』に乗り込んだ。このまま、豊川市の豊川稲荷を皮切りに関西にお参りに行くのだ。こういう予定があらかじめわかっていたので、シリア・ヨルダンを旅行中も、東京の生活とほぼ同じ日本時間で午前4時頃までに寝て、朝、7時から9時頃に起きるという生活をしていたので、時差はほとんどない。ただ、26時間の飛行機旅がくたびれた位のものだ。
 猫達のことを考えながら、バスが東名の東京インターを入る前に眠ってしまった。


1月10日金曜日


 午前5時、稲荷公園でバスを降りた。いよいよ、新年の恒例のお参り旅の始まりだ。このお参りの旅では、毎年、ご縁をいただいている、関西のお寺と神社にお参りして、ついでに、日頃ご無沙汰をしている同じく関西のいくつかのお寺の知り合いに新年のご挨拶に回るのだ。私が、一人で生活を始めた15才からずっとおつきあいのある方もあり、私が困ったことになるたびに拝んでくださったり、励ましてくださったり、本当にお世話になっているところもある。その関係で、仕事をいただいたこともあった。
 そもそも新年早々する話でもないが、私の人生は、なんだか普通の人よりもずっとイベントが多く、毎年、ジェットコースターに乗っているような感じなのだ。なぜだか、理由はわからない。とにかく、毎年、必死になってハードルを跳び越えていると、年が終わってしまう。ありがたいことに、全力で生きていると、友だちも周囲も、なぜだかいい人ばかりが集まってきてくれて、何暮れとなく世話をしてくれる。新春にお参りの旅にでると、東京を離れられない(それぞれに家庭の主婦だったり、会社で偉くなっていたり、体が弱かったりいろいろな事情があるのだが、)それらの人の代わりに、あちこちで代参のまねごともするのだが、それをしてもらってから、毎年が平穏だといってくれて喜んでくれている人が多いのだ。毎年年末には、それぞれの神社仏閣にお納めする一年御守護いただいたお札が私の家に届いてきて、私はそれをリュックに入れて背負って、お参りに出かけてくるのだ。
 そして、お参りに行く先々で、お寺の人のお話を伺えたりするので、本当に毎年このお参りは楽しみにしている。
 ここからお稲荷さんまでは、ゆっくり歩いて10分くらいだ。バスを降りたところから見えるコンビニで、ペルシャから持って帰った荷物から取り出し忘れたタオルと、歯ブラシを買って歩き始めた。ペトラで強行軍で山を二つ登ったつけがきて、膝が痛くてたまらない。これは、つらいお参りになりそうだ。
 お寺につくと、まだ暗い境内には人気もなくて、なんとなく、寒さがひときわ感じられる。門の脇のトイレで歯を磨き、顔を洗い、身繕いしてから、ご祈祷の申込所へ。ご祈祷の依頼書を書いていたら、6時になって受付所の扉があいた。受付を済ませてから、奥のお座敷で、ご祈祷の順番を待っていた。毎年、新春のお参りはこのお座敷から始まる。
 この豊川のお稲荷さんは、商売繁盛を中心にお金儲けに関係することに御利益があるという。特に開運のお願い事にはいいらしい。  もってでてきた毎年このお参りの様子をつけている小さな手帳から見ると、昨年は、このお座敷で一緒になった中年の男性の言葉遣いの悪さにまいったらしい。そのときには、まだ、1月10日からの日本経済新聞社の派遣の仕事のことも、仕事が決まっているというだけで、内容すらはっきりわからなかったし、3月31日に出かけたユーラシア大陸横断バス旅行のことも、行くとも行かないとも決めていなかった。今まで同じ様な、いろいろあるけれど、おおむね平和で猫達と一緒にすごせる一年がくるはずだった。少なくとも、何の疑問も持っていなかった。
 それが1年後の今日になってみれば、一年の間に、海外で105日過ごし、国内旅行で60日以上を過ごすという、一年のほぼ半分家を空けるような年になってしまった。私は、フリーで仕事を始める前から、比較的、物事を流れに任せて生きてきている。無理に、何かを力技でねじ曲げるというようなことはしたことがない。去年に関しては、これがその結果である。何となく、妙な気分だ。今年はどんな年がくるのだろう。また、イベントだらけの年だろうか。なるべくお手柔らかにお願いしたいと、よくお参りの間に拝んでこよう。
 ご祈祷の後、点心の朝御飯をいただいて、お稲荷さんをでたのが8時過ぎ。JRの豊川駅まで歩いて、豊橋行きの電車にのり、豊橋で新幹線に乗り換え、米原へ。そこで、青海鉄道に乗り換えて、次の目的地は多賀大社である。
 この多賀大社は、延命長寿に御利益があるというので、父と母が相次いで病気になった7年前から毎年お参りに来ている。お参りに来初めて、縁結びにも御利益があると聞かされた。境内には澄んだ空気が満ちていて、寒さの中、お参りするとしみじみ、両親のことをお願いしようという気持ちになる。
 同じルートを彦根にもどり、JR在来線で京都へ。京都駅から、出町柳までバスに乗り、出町柳から叡山電鉄で鞍馬へ。今度は鞍馬山である。山門を入ってから、ケーブルに乗り本殿へ向かう。山の中を歩いているといろいろいいことを思いついたりする、不思議な山なのだ。ここでは、悪いものを打ち破って、明るい光を当ててくださるという尊天のご加護を、体をこわしている友人、知人のためにお願いするのだ。
 市内にもどって、駅の近くの大きなお寺で人に会って、新年のご挨拶をして、少しは成して失礼した。
 最後は、京都駅の近くまでもどって、東寺(昔の教王護国寺だ)にお参りして、今日の予定は終わりだ。バスで、嵯峨野の釈迦堂の近くの、お豆腐屋さんの森嘉に行って、母の好物のひろうすと厚揚げ、それに納豆を買って時間がぎりぎりだったので、母を喜ばせる方が先なので(仏様も、きっと親孝行は許してくださるだろう、なんて勝手に決めて)、主義を曲げてタクシーに乗って、ヤマト運輸の営業所まで行って、クール宅急便でそれを東京に送った。
 泊まりは、伏見稲荷の参集殿。安くていいのだ、ここは。場所も、JR奈良線、京阪電鉄などの駅から近く、本当に便利なのだ。素泊まりで、お風呂に入れて、一人なら3200円、二人以上なら2800円くらい。実に安い。お参りの時は、贅沢はしない。宿も切りつめて、交通機関もなるべく公共のものをつかう。お参りのためにはタクシーには極力乗らない。これは毎年、きちんと守っている。
 宿についてくつろぐ前に、伏見稲荷にお参りして、高野山で尼さんになる勉強をしている友人を待った。疲れていたのか、布団に横になって、彼女を待っているうちに眠ってしまった。


1月11日土曜日


 朝、8時に宿をでて、もう一度伏見稲荷に、一夜の宿のお礼を申し上げにお参りして、そのまま、石清水八幡宮へ。
 ここでは、毎年、みんなが自分の本分の道をまっしぐらに進めるように、八幡さまのお力添えをお願いしてくる。ここのおかげで、本当に開運したと喜んでいる友だちもいて、もう、5年くらいお参りに来ている。鬱蒼と木の茂った山一帯にきれいな空気が満ちていて、本当に心を洗われるような気持ちになれる。私も、一度、どうしても乗り越えられない壁にぶつかったときに、東京を逃げ出してお参りに来たことがある。そのときは帰りの新幹線の中で何となく気持ちが軽くなり、正面からぶつからず、時期が来るのを待つという気持ちになれて上手に山を越えたことがあった。本当に、お力添えがあるのだと確信したのは、そのときだ。
 山を下りて京阪に乗り、丹波橋で近鉄に乗り換えて、京都から奈良へ。いつもなら、西の京で唐招提寺と薬師寺にお参りし、バスで法隆寺にでてお参りするのだが、今年は友だちが一緒でゆっくりお参りしているので、ここは失礼してまた出直すことにした。
 近鉄で天理にでて、JRに乗り換えて三輪へ。三輪大社にお参りだ。  三輪大社では、元からここの信者だという知り合いのおばあちゃまの代参でお札を新しいのに替えていただくのだ。そして、お参りでは、そのおばあちゃまとそのご一家の幸せをお願いする。
 三輪大社をでたところで、足があまり痛くなってしまったので、(主な原因は、ご祈祷やお参りの時、人に会うときなどに、ペトラで膝を痛めているのを知りながら、正座したことだ。)いらない荷物を宅急便で東京に送り返した。
 そして、JRで桜井にでて、近鉄で八木経由、橿原神宮へ。ここは、母がご縁をいただいており、毎年、両親の健康と幸せをお願いにくる。池の縁の手水を使ってから、社殿にすすんで、お参りをする。ここの参道も結構な長さがあるが、去年の反省、今年の抱負など、いろいろなことを考えながら歩くのはなかなかに楽しい。
 最後は、近鉄で河内長野にでて、南海の高野線に乗り換えて高野山へ。友人が、大学生活のうち一年をお世話になった、無量光院の宿坊で一夜のお宿をお願いした。  


1月12日日曜日


 朝のお勤めは、6時から。足は本当に悪化して、立ち上がるのに一苦労。お断りして、足を延ばして座らせてもらった。おつとめの後、お寺の上綱(じょうぼう)さまのお部屋で少しお話を伺った。朝食後、お寺に用事があるという友だちと別れて、奥の院にお参りに行き、山を下りた。
 いつもなら、締めくくりに伊勢にお参りに行くのだが、足がどうにもならなくなってしまったので、南海でまっすぐ大阪にもどり、東京へ。
 大阪から連絡して、東京駅で人に会い、1時間ほど話をして帰宅した。猫達は元気そのもので、一安心。明日からの、仕事にそなえて旅の荷物をすべて片づけた。
 夜、10時頃にことんが虎千代のお守りから帰ってきた。ちょっと、太ったみたいだ。帰ってくるなり、いつもの自分の定位置にもぐりこんで、爆睡していた。ことんもお疲れである。今日は、写真をプリントにだし、あちこちに無事に帰宅したという電話をかけて、ゆっくりお風呂にも入って、1時頃に布団に。


1月13日月曜日


 会社に出勤。初仕事である。年明けは、7日から始まっていたが、ずっと休ませてもらっていたのだ。(派遣で入る前から、旅行は決まっていたので)。ずっと手運びで持って帰ってきた、ピスタチオ入りの『ダマスカスクッキー』実に好評でよかった。
 家に帰ってから、たまった洗濯物をどんどん洗濯機でまわしながら、年末にできなかった掃除をした。そのあと、郵便物と、年賀状の整理。電子メールに返事を書いて、早めに2時頃に休んだ。


1月14日火曜日


 今日は、会社を休んで、コンピュータースクールだ。(会社公認である)。
 夕方、6時に待ち合わせて、友だちと、15日まで、新春特別のイベントをしている、サンシャインのナンジャタウンへ。
 ナンジャビザというスタンプラリーのように88個のスタンプを押すタイムを競って、商品をもらうというイベントだったが、足が悪いので走れない。でも、参加賞のナジャブというマスコットキャラクターのお守りはもらえた。密かにうれしかった。ちなみに、血相を変えて走ってタイムを取っていた20代前半くらいの背の高い男の子がいたが、彼は13分。わたし、それでも急いで回って(スタンプはいろいろ隠してあるのだ)65分。唖然とした。
 11時ごろ帰宅して、山のような洗濯物を取り込み、片づけて、ホームページのリニューアルのことを考えたり、急ぎの手紙の返事を書いたら3時すぎてしまった。


1月15日水曜日


 今日は、お休みするのだ。だって、くたびれたし。だって、猫と遊びたいし。だって、だって、ずっと、ずっと、あれもこれもしなければいけないことが山積みで、くたびれたし。足、痛いし。だって、だって、私だって、お休みしたい。
 熱がでたし。
 電気毛布の入った布団で、猫4匹とねんねしてた。


1月16日木曜日


 会社の後、コンピュータスクール。11時帰宅。
 知り合いから頼まれた、ホームページの企画を作っていたら、5時になってしまった。ああ、2時間しか寝られないと、よほど徹夜しようかとおもったけれど、やはり寝ることにした。


1月17日金曜日


 夜、コンピュータスクール。10時50分帰宅。
 昨日の企画書をまとめて4時頃ファクス。寝た。


1月18日土曜日


 いつも通り、7時に起きて、猫にご飯をやってパソコンに向かう。まずは、7月に作ったままになっていた、お遍路のページの作り直しをした。写真を加工し直したり、htmlを書き換えたりいろいろとする事はある。延々と、座ったままで作業を続けた。前に手紙をいただいたが、私が一日作業、と書いた場合、本当に一日作業している。トイレに立ったり食事を作ったりなどの家事をする以外はひたすら作業をしているのだ。あほみたいに。今日も、明け方4時頃まで、作業をしていた。


1月19日日曜日


 朝、7時起床。パソコンに向かう。夕方3時頃、お遍路ページのリニューアルができあがる。FTPしたあと、ホットカーペットの上に倒れてお昼寝。夕方から、来客。深夜に至る。2時就寝。


1月20日月曜日


 会社からコンピュータスクールに。
 11時くらいに帰宅して、お風呂とトイレの掃除をしたり、猫がぶちまけてしまったマカロニを片づけたりしたら、1時過ぎに。お風呂にゆっくり入ったら、寝たのは2時前だった。


1月21日火曜日


 7時半に会社を出て、仕事の資料をもらいに池袋の会社に立ち寄り、9時近くに家に帰って食事を作って食べ、あちこちにおみやげの宅急便を作ったり、手紙を書いたり、ファイリングをしていたら、あっと言うまに1時になる。きょうこそ、12時前に寝ようと思ったのに。


1月22日水曜日


 頼んでおいた、アルバムが入荷したと池袋の『カメラのきむら』から連絡が入ったので、会社の昼休みに取りに行った。今日の昼休みは、たまっていた雑用がたくさんあって、銀行に支払いに行ったり、大岩さんの旅行のパンフレットを代理店にもらいに行ったり、ビックカメラに壊れたレンズを修理に出したり、他にもいろいろすることがあって、大忙しだった。
 8時半ころに帰宅して、食事を作って猫達と食べた後、ペルシャの写真の整理の続きをした。まず、ネガに、管理用の通し番号をふり、インデックスプリントを元に、一枚ごとにネガ番号とコマの番号をふり、それを順番にアルバムに。しかも、ニコンでとったASA100のフィルムと、コンタックスで撮ったASA400のフィルムを併せて整理するので結構時間がかかる。日曜日に途中までしたのが、うまく行ってなかったのでそこからやりなおしたら、全部で21本整理し終わったら、2時すぎていた。あわててお風呂に入って寝た。


1月23日木曜日


 昼に、今、仕事をしている派遣会社の私の担当のコーディネーターさんに、会社まで来てもらって、今後の相談をかねてお昼を食べた。これからをどうするか、これは結構大きな問題である。いろいろ相談して、一応の方向性を決めて彼女と別れた。
 会社の帰りに、支払い残っていたDDIの残金1188円を富士銀行から振り込んで、その足で、コンピュータスクールへ。
 家についたのは10時40分。ご飯を炊きながら、昨日、写真整理の後片づけをしなかったので、それをぼそぼそ始めたら急に悲しくなった。何が悲しかったのかは、うまくかけない。ただ、テレビもろくに見る時間がなく、一日2回、出勤前のニュースと、それまで帰宅していれば、夜の11時のニュースを見るぐらい、土日も、仕事や雑用に追われてゆっくりする暇もない。こうやって、走って走って一人で年を取っていくのかなあと思ったら何となくいたたまれなくなったのもある。昼間行っている会社の仕事のこともある。プライベートで受けている、仕事のこともある。一度考え始めたら、あれこれ考えることが、考えなければならないことが出てくるのだ。
 あまりにきつくなって、12時過ぎにKさんに電話をした。私にとっては兄のような、本当に身近な相談相手である。1時間ほどあれこれ話して、最後に「ゆっくりやすみなさい」とアドバイスされて電話を切った。
 それでも、何通かの電子メールに返事を出したり、頼まれているホームページの更新をしたりしたら、4時近くになってしまった。


1月24日金曜日


 朝、6時起床。昨夜のごたごた(一人で転げ回ってごたごたでもないが)で、お風呂に入りそこねたので、お風呂をわかして入って髪を洗った。その後、湯冷め防止でふくふくと厚着をして、出勤時間まで新聞を読んで過ごした。  会社を6時半に出ようとしたら雨。コートのフードをかぶってすたこら歩き、途中、駅前の書店から、とりよせてあった本を買って大急ぎで帰宅。資料を持って、車に乗って大岩さんに会いに出かけた。
 会社によって、大岩さんをのせて近くのファミリーレストランへ。今日の目的は、大岩さんが奥様と結婚25周年の記念で出かける旅行の相談。相談のあったコースの各社のパンフレットを広げて、それぞれの内容を説明し、コースを決めて帰ってきた。
 11時過ぎに帰宅して、手紙を3通書き、頼まれたべた打ちを作って気がついたら、朝の3時だった。


1月25日土曜日


 朝、7時に起きたら、体がむくんで膨れ上がって手の指などうまく曲がらない。また、くたびれたのとタンパク質の摂取が不足して、体にむくみが出ているのだ。痛めた膝の診察もあったので、9時に病院へ。血圧も下がっていて、毎度のことながら「少し体をいたわりなさい」とお説教と注射を1本。
 病院の帰りに、環状7号沿いの包装資材屋さんから、透明ビニールの袋とバインダーを買ってきて、去年から始まったシルクロード旅の絵はがきの整理をした。ビニール袋に2穴のパンチで穴をあけて、その中に一枚ずつ絵はがきを入れてバインダーにとじる。国別にきちんと整理をして、必要な時にいつでも取り出せるようにした。続いて、焼き増しから帰ってきた正月のペルシャ旅行のネガと、昨年の11月に蓼科でとった猫達の写真とネガを、ネガアルバムにいれたり、写真をアルバムに入れたりしたら、一日が終わってしまって、午前2時過ぎにやっと寝床に。
 昼頃、MOツーリストの浜さんに、手配の件で電話した。彼女には、本当に世話になっている。


1月26日日曜日


 朝、8時起床。猫達にご飯をして、自分はあまり食欲がなかったのでプリンを一個食べてパソコンに向かう。メモは作ってあったけれど、12月31日以来ほったらかしになっている日記のページ(つまりこのページ)を作り始めた。
 毎日、あれこれと仕事や雑用に追いまくられて暮らしているので、パソコンに向かいながら、どこかの温泉にでもゆっくりつかりに行きたいなあと、ちょっと夢見てしまう。変な話だけれど、海外旅行に出る方が、温泉に行くより私には簡単だったりするのだ。というのは、海外は、大抵仕事がからんだり人に会ったり、それなりに目的があって、猫達に寂しい思いをさせ、家をほったらかし、時には昼間働いているオフィス系の仕事を降りたり休んだりするにも、それなりに自分の中で、旅行に出ることを正当化できる何かがある。ある意味、仕事の延長なのだ。しかし、これが温泉への骨休め旅行となると、ちょっとむずかしい。
 自分が好きこのんで、あれこれ抱え込み毎日の生活を忙しくしているのだ。手を抜けば抜けるところを抜かないのだし、忙しいのを承知で新しいことに手を染めたりするのだから。それなのに、週に二日だけ猫達のそばにいてやれる日に、温泉に行ってしまったら、かわいそうだし。しなければいけないことに、背を向けるのにも根性がいるし。不器用なのだ。この間、15日の日に、ほぼ一年ぶりでお休みを取った。猫達とホットカーペットの上に寝転がって、ころころして一日を過ごした。あんまり幸せで、なんだか一日があっと言うまにすぎた。
 休みたいとは思わないが、できることなら、山積みになっているしなければいけないことをちょっと穴を掘ってうめておいて、後足でうっすら砂もかけて(後で掘り出せないほど埋めちゃったらまずいでしょ)、ちょっとだけのんびりしたいな、そんな感じである。
 昼過ぎ買い物に出て、食料の調達。
 後は、ホームページ作りで時間が過ぎる。


1月27日月曜日


 帰宅してすぐから、次々と電話がかかり、それぞれに話をしていたら、12時をすぎてしまった。年に何回かこういう日があるけれど、真剣に話をきき、相談に乗る分、とても疲れる。結局、やろうと思っていたことはすべて投げ出して、電話の対応に追われてしまった。あれあれ。


1月28日火曜日


 会社でいやなことがあって、うちに帰ってきてから、ニフティの掲示板にメールフレンドを求むと書き込みをしたら、なんと、40分ほどの間に、メールが180通も押し寄せてきた。あわてて掲示を消したけれど、後の祭り。自動巡回をかけている人もいるだろうから、もう少し来てしまうかもしれない。
 とりあえず、全部に返事を書いてみようとトライしたら、3時をまわってしまった。


1月29日水曜日


 会社の帰りに知り合いに会って、お茶を飲んだ。この人も苦労をした人で、このごろはやっとすこしゆっくりできるようになったらしい。彼女の努力には、毎度のことながら頭がさがる。私もがんばらなくては。
 会社の仕事で作っているアクセスのマクロがうまくいかない。私の知識では不十分なのだ。何をテキストに勉強すればいいのやら。頭が痛い。


1月30日木曜日


 今つとめている会社に、私の大学の後輩がいる。これが、結構変な子で、何しろ参ったのが、挨拶ができないのだ。私の大学は格はともかく、お行儀だけはうるさい学校だったので、おはようの挨拶すらしないのには驚いた。できないのか、周りが眼中にないからしないのかは不明だけれど、周りの人は、結構気にもしていない。私も派遣で今の会社に行っているので、余分なことはいえないのだけれど、今の若い人には多いのよね、ああいう人。っていうくらいにしか、受け取っていない。もちろん派遣は、言われた仕事さえしていればいいわけで、お行儀まで注意はしてくれない。私もするつもりはない。近くにいるマネージャーも、気はついていても注意をする様子がない。つくづくおもしろい。しかし、ああやって、相手にされないというか、人間扱いされないのが自分だったらと思うと、なんだか複雑な気持ちになった。
 今日は寒くて、猫達もなんだか、ホットカーペットの模様の一部になっている。さて、ニフティのメールボックスの中身に返信を出さねば。げげ。


1月3 1日金曜日


 仕事の後、ふらふらと家の近くの駅前のゲームショップに行って、昨年の夏、ファイナルファンタジーがプレイステーションからでると発表になってすぐに、どんな価格でも内容でも買いますと予約をいれてあった、FFZを買ってきた。このお店では、本当にお世話になっていて、内緒でちょっとだけ安くソフトを売ってもらったり、予約の必要なソフトの予約し忘れの時に、まわしてもらったりと日頃から仲良くしている。遊びに行っては、店長とあれこれ無駄話をして、話題をしっかり仕入れている。
 そのあと、レンタルビデオを少し借りて帰宅。
 先日のニフティの書き込み以来、続いているメールの山と格闘。普通に手紙でくる連絡に返信したりしていたら、3時すぎた。ねむたああい。


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