4月1日火曜日
今日、セールスの活動報告を発送しなければならないはずだったが、結局出来ないまま、9時過ぎまでがんばったけれど、だめ。何しろ、引き継いだエクセルの表が、私の理解を超えた作りになっていて、結局作り直したからだ。なんだか、とても疲れた。
4月2日水曜日
活動報告書のエクセルのスプレッドシートができあがっていないので、早出残業だ。家を6時前に出て、7時に会社へ。結局、部長が午後から出張に出るまでには間に合わせることが出来て、発送し終えた。
今日は、あまり遅くならずに会社を出て、友だちと食事をした。
4月3日木曜日
仕事帰りに、パソコンスクールに行った。今日の隣の席の若い女の子は、そういうスクールが初めてなのか、いろいろ不協和音を奏でてくれるし、大変失礼な子で、閉口した。全体のペースが崩れ、テキストの最後の部分は「読んでおいてください」で終わってしまった。質問は、コースが終了してから、個人的にやってくれたらよかったのに。
4月4日金曜日
今日は、仕事先のパソコンのシステムが、ウインドウズ3.1から95にバージョンアップされるため、それに併せて一日研修があった。95とオフィス95には別に目新しいことはなかったが、社内のe-mailのソフトウエアがロータスノーツになるので、そこだけ念入りにチェックした。
仕事から帰る途中、駅前のイトーヨーカ堂で靴を買い、本屋に寄って帰った。今日はなんだか暖かな日で、汗をかいてしまったので、猫にご飯をさせるのもそこそこに、シャワーを浴びてさっぱりした。
その後、O君から連絡があり会うことになった。うちの最寄りの駅まで来てもらって、丘の上の団地の所の桜並木で夜桜見物をしながら、話をした。いろいろ話したけれど、やはり話はかみ合わない。夜も更けて日が変わった。
4月5日土曜日
O君と話をしていた。ずっと。何が出来るだろうと考えながら。
今から5年くらい前、そのころ知り合ったばかりの年下の男の子がいた。無断欠勤はする、女癖は悪い、金遣いは荒くサラ金に借金を作っては家族に迷惑をかける、客観的にはとんでもないやつだった。私の周囲は、私が彼に関わり合うことにひどく反対をした。でも、なぜだか、私にはその子は、磨かれていないダイヤの原石のように見えた。
それから、いろいろなことがあり、いろいろな思いをして、私たちは友だちを続けて来た。怒鳴ったことは数知れず、あまりの殊に手を挙げたことも、蹴りを入れたこともある。「馬鹿は、よそでやってくれ」と、夜更けの路上で、車を降りてしまったこともあった。それでも、私はその子の時折見せる輝きに夢中になっていた。今、その子は、会社では同期の出世がしらとなり、プライベートでも趣味を見つけて、幸せになっている。何より、自分の仕事といえる、何かを見つけたことが大きかったようだ。
人生の岐路に立っている友だちと、いろいろな話をして、相談に乗ったり乗られたりして、互いに成長していく、あの雰囲気は本当に好きだ。しかし、今、この人のために、何が出来るだろう。こんなに時間が足りないときに。中途半端にいい加減なことはいえまい。しかし、彼は明らかに岐路に立っている。しかし、私は彼が私の助けを必要としているのかどうか、それが分からなかった。そうして、O君とは朝まで話したけれど、結局、いい結論は出ずに、別れた。
家に帰る途中、いつもの本屋で仕事に絡む本を買い、午後の来客に備えてケーキを買い、家に帰った。まゆみに電話をして、いろいろ話をしながら状況を整理した。約3年前に知り合ってから、二人でいろいろなことを考えて一所懸命に生きてきて、私のことをある意味ではこの世でいちばんよく知っている一人がこの人だ。そして、まゆみにも、「その人、本当にあなたと友だちでいたいと思っているのかしら」と言われて、やっと踏ん切りがついた。1週間ためてしまったニフティのメールに返信を書いた。そうこうしているうちに、本来予定していた来客と別な友だちがふらっと訪ねてきて、思わぬ話を聞かしてくれた。
来客の最中から、どうしたものかと考え、考えしていたが、結局、O君にはメールを書くことにした。真意を伝えられる自信はすでになかった。しかし、最後の心だけは、届けておきたいという気持ちが強く、2時間半近くかけて、一通のメールを作って送った。
7時過ぎにK先生の所に行き、先生の婚約者の薫ちゃんと話をしたり、来週の日曜日に、彼女に作ってあげると約束した企画書の打ち合わせをする約束をしたりして、11時ころ帰宅。案の定、O君からとんでもない返事が来たけれど、もう、私には彼に分かるように説明しようと言う、意欲がわかなかった。素直に、思った通りメールに書き、ニフティから落ちて、パソコンを切った。
来週の日曜日、薫ちゃんに会う時間を空けるために、あれこれ電話をかけて、その後、プライベートで受けている仕事の資料を読んだりしていたら、3時近くになった。朝からすっかり食欲がなく、何も食べていなかったが胃のむかむかする感じはとれず、眠りも浅いように思った。
4月6日日曜日
昨夜、いろいろな書類を作ったり、手紙を書いたりして休んだのが、3時を回っていたのに、朝は、きっちり6時過ぎに目が覚めた。全くもって律儀なものだ。せっかく目が覚めたので、猫達に食事をさせた後、自分もミルクを少し飲んだけれど、食欲がない。読もうと思って買っておいた、今派遣でお手伝いさせていただいている会社の業界に関する大学4年生向けの業界研究の本を読み、昼前まで布団の中でごそごそしていたが、本も、メモを作りながら読み終えてしまったので、あきらめて布団をあげた。
お昼ご飯は、用意はしたもののやはり食欲がなく、結局冷蔵庫に。昼過ぎから、パソコンを立ち上げてあれこれ作業を始めた。ニフティのためてしまったメールには、昨日お返事を書いたので、今の時間はチェックだけ。読みたくないものは、削除してしまった。
。
さあさあ、いろいろなことにかまけて放っておいてた、ホームページに取り組むところから、人生やり直しだね。〜午後5時〜
夕方から、和さんが来て、香港のデジタル写真の後始末やら、先週、パソコンとソフトウエアをセットで購入して、そのセットアップから、ソフトウエアの使い方の講習、そして、しばらくの間の定期的なメンテナンスを発注された会社の、パソコンの機種の選定と発注、そしてセットアップと講習の日程の相談など、いろいろと仕事の打ち合わせをして、ついでに食事をして帰っていった。
ガンガンキーボードをたたいて、ホームページのテキストを作っていたら、夜10時半めどに、玉青が友美をつれてくると言う電話が入った。妹みたいな娘達のこと、必死になって相手をする必要もないので、「どうぞ〜〜」と返事をして切った。直後に、新潟の知人から電話。なかなか捕まらないと文句を一くさり聞かされて、いよいよ本題。26才の娘の離婚話で(このお宅は私が大変お世話になったお母さんがすでになくなられていて、それ以来、娘さんと残されたお父さんの相談相手をさせていただいている)次の週末に新潟に来てもらいたいという電話だった。げげっ、である。二人並べて意見をしてくれと言うのだ。また、エラい騒ぎである。おまけに長いこと床についておられた、おじいさんが4月1日に亡くなったという。もう、大騒ぎだ。とりあえず、お悔やみは申し上げたものの、もう行くしかないという状況に立ち至っている。
来週はすでに、日曜日に二つ約束が入っている。ということは、新潟での相談の時間を最大にとるには、金曜日に仕事が終わってから新潟に行って、土曜日最終の新幹線か夜行のバスでに帰宅し、日曜日の打ち合わせの準備をするしかないわけだ。昨日から正直言っていろいろあって参っているのに、またもやである。あれほど、毎晩、真剣に話をして、最後は徹夜で話したにも関わらず、真意のわずかなかけらも伝わらなかったのみならず、返す刀で心を袈裟懸けに切り下げられて傷ついた経験をしたばかりの私には、なにやら重たい話の展開である。しばらくは、内輪の相談だけで静かに仕事に熱中して過ごしたいと思っていたのに。それに、気になっている別件もある。本当なら、長野に、哲夫君の様子を見に行きたいのに、時間がなかなかとれない。このままだと、長野はゴールデンウィークの前半の上海、三峡下りから帰ってきて、5月2日の夜から行くしかないかもしれない。どちらにしても、すでに、土日はすべて埋まっている。昨年の早春のシルクロードの出発前も、毎日3時間くらいしか寝られず、原稿書きやいろいろな勉強に追われていたけれど、今年もだんだん大変になってくる。
とにかく、金曜日に仕事が終わったら、その足で新潟に行くからと約束して電話を切った。ああ、一難去って又一難だ。
4月7日月曜日
3時までホームページを作り、それから、もう一度、O君にメールを書いた。最後まで最善の誠意を尽くしたかった。友だちは人生の宝だから。4時過ぎに3回目の書き直しで、やっと思ったような内容になったので、それをおくって寝た。朝は、7時におき、猫達に餌をやっていたら、疲れのせいか、吐き気がして朝から少し戻してしまった。もっとも、胃には何も入っていないから、大したことはなかったが。
会社は平穏無事。夕方のひどい雨と雷は会社でやり過ごし、うちに帰って、ミルクを温めて飲み、ためてしまったインターネットのメールのお返事を書き、香港のホームページを作っていた。
12時がすぎて、O君から電話があった。ますます、話はかみ合わなかった。彼のことを思う気持ちが、全く伝わらない。それどころか、よかれと思っていろいろな話をしたことを、私が彼を見下しているとなじられて悲しくなった。
私には経済力も、社会的地位もない。大切な人に、何かしてあげられることがあるとしたら、それは、自分自身の個性を欠点も醜いところも(私は欠点が多い方だ)すべてさらけ出して、人間と人間として真剣に対峙する事だけなのだ。そうやって、不器用に友だちとつきあってきて、私はいつも、みんなに助けてもらってきた。寂しいと言っては慰めてもらい、仕事がないといっては仕事を出してもらった。心が痛いといったら、抱き合って泣いてくれた友だちもいる。私が、どれほど惨めで汚い姿を見せても、みんな同じだよと笑い飛ばしてくれた豪傑もいる。
欠点があるのが恥ずかしいのではない。欠点があることを知りながら、それを無視し、直そうという努力を怠ることこそがもっとも恥ずかしいことだと、16才だった私に教えてくださったのは、東映動画から今は角川書店にうつられた田宮武プロデューサーだ。私は彼が大好きだったから、それをそのまま信じて、何か気がつくたびに懸命に直そうと努力してきた。周りも実によく、情けない私につきあってくれた。よくもまあ、あんなにしかってもらえるものだと感謝もしている。
それと同じように、「あなたにもよくなってもらいたいと思っている」、ただ、そのことだけを伝えたいと思っていたのに。きっと、私のいい方が至らなかったのだろう。だから、本当に大切だと思っているということが伝わらず、O君は自分の心に土足で踏み込まれたように感じたのだろう。一生懸命考えて動いているつもりだけれど、まだまだ至らない自分に情けなさと惨めさを感じ、よかれと思ってしたことで、結果的にひどく傷つけてしまった、O君に申し訳なく思っている。
やらなければいけない仕事があるが、いろいろ考えていたら、自分が情けなくて涙が止まらなくなって、続行不可能になった。明日、目が腫れちゃうかなあ。
4月8日火曜日
目は、かろうじて大丈夫だった。文字通り、泣き寝入りをして、めそめそしていた時間が短かったからかもしれない。
今日は仕事が忙しく、目が回りそうだったので、嫌なことも思い出さなかったし、必死に働いていたら、なんだかすっかり吹っ切れてしまった。今、自分の周りにいる、大切な友だちを、私を支えてくれる親友たちを大切にして、また、がんばって生きていけばいいんだな、と、胃の府にすとんとおちたのがよかったのかもしれない。
このところ、ちびの飛影くんというか通称ブラックが、ちょっと春である。珍妙な声をだして(まだ、雄叫びはしない)、窓に向かって夜泣きしたり、ちょっとお尻のあたりを家具の角にすり寄せたりしている。しかし、今度の春は初めての春なので、盛りの症状も軽いのでなるべくこのままにしてやって、出来ることなら9ヶ月になるくらいまでは手術をしたくないと思っている。雄猫なので、特有のにおいの臭いおしっこのスプレーをすると困るのでそのあたりはちょっと気になってはいるが、十分に成長してから手術をしてやるのがせめてもの思いやりなので、まあ、我慢である。しかし、捨て猫の飛影の正確な年は分からないので、とりあえず次の盛りまでは、がんばろうと心に決めている母である。
推定では、8月の生まれらしいので、5月になったら9ヶ月が過ぎる。それからでもいいよ。ね、ブラック。
そうそう、うちの近くの猫達はそろそろ、今年2度目の盛りのシーズンで、2月頃に身ごもった母猫達は、大きなおなかで小走りに歩いている。うちの近くのGさんちは、半ば野良猫のようにして、何匹かの猫を飼っているが、そのうちの2匹が雌で、しかも、避妊をしていない。だから、ひどい年は4回も子猫が生まれるのだが、無事に育つ子はほとんどいない。烏に食べられたり、飢え死にしたり、他の猫にやられたり。近所の恐怖のまとである。何しろ、子猫の死骸が自分の家の玄関の前に横たわっていても、平気のへいざなのだ。恐ろしい無神経である。うちのたびは、そのGさんちの猫の子供なのだが、そのたびそっくりだった母猫も、もう1年近く姿を見ないから、きっといけなくなったのだろう。たびは、何不自由なく(東京では外に出られないので不自由か)暮らして、ふくふく太り、私に甘え放題だが、こんなに幸せになったのは、G家出身の猫達ではたびだけであるというのが、近所の共通見解になっている。それにしても、そろそろ生まれそうなおなかの大きさだ。ああ、又、恐怖の季節がやってくる。
4月9日水曜日
朝は、定時に出て、今、12時回って帰宅。残業である。猫達は、お留守番さんに連絡をしておいたので、餌を比較的早い時間にもらっていたので、まあ、元気で待っていた。今は、甘ったれの次男坊『八雲』が膝でのどを鳴らしている。かわいいけれど、今日はもはや、ちとあつい。困ったものである。
仕事は、夕方までは順調。ところが、夕方事件勃発。昨日、私がマネージャーに頼まれて発送した新製品の紹介のレターの値段が間違っているという。しかも、それを、私にいいに来た社員さんが、とんでもないのだ。私は、言われたとおりの数字を入力し、それをレターのフォーマットにはめ、たまたま休んでいたその人の代わりに、彼女の上司の裁可を経て、それを発送したのだ。それを話すと、そのいくつかの数字を指示したドラフトは残っているかという。あなたのインボックスに戻したというと、それは、必要だとは思わないから、今朝捨てたという。すでに、ゴミ箱の中身は回収されている時間だ。そこで、彼女は口を滑らせた。「もし、そのドラフトがみつからないと、責任問題なのよ。今は、すでに、あなたのタイプミスということになっているの。あなたが責任を問われるのよ。」
はっきり言って、それは、大きな間違いだ。いくら大切な仕事をちょろちょろ任されているとはいえ、私はテンポラリーで、どんな失敗をやらかしても、責任はとりようがない。社員ではないのだ。それに、彼女は、今朝からずっと社内にいて昨日休んでいた間に進行した自分の仕事に関することを、もっと早くチェックしていれば、こんな時間にはならなかっただろう。私は、あれこれ言い募る彼女の顔を見ている間に、なんだか、ぐったりと疲れてきて、ついにこういってしまった。「責任とれっていうなら、やめればいいんですか。私はテンポラリーなので、リバイスのレターを送る以外には、それくらいしか責任の取りようがないですが。」
そうこうしているうちに、彼女の上司が帰ってきて、彼女の話を聞いた上で、私の所にやってきて、「今夜少し遅くなっても、リバイスレターを送りたいから、少し待っていてくれ」といって、会議室に入ったのが、6時前。それから、他の仕事を片づけながら、待つこと4時間。9時前になって、リバイスレターの原稿だけが、会議室から出てきて、それをタイプアップし、ファクスを主要取引先におくり会社を出たのが9時半だった。
今日は、いろいろあって残業したので、会社の人がお夕食をごちそうしてくださった。渋谷の宮益坂の上の方のお寿司屋さんだったのだが、噂に聞く、「値段の書いてない寿司屋」で、もうお尻がむずむずしてしまう。いくら、おごっていただけると言っても、あまりに高そうで、なんだかお寿司がのどにつっかえそうである。それでも、鰹のお刺身と銀杏のあげたの、それにいかだのエビだのなんだか、握りをお好みで食べさせていただいて、ビールも生を2杯ものんで、お店を出た。値段は分からないが、こわかった。
明日は、セールスの3月の報告書を10時までに作らなければならない。今日は別件でごたごたしていたので、後回しにしたのだが、でもデッドラインはうごかないから、早出するつもり。さあ、足と手と顔を洗って、寝るぞーーー。結構くたびれた。
4月10日木曜日
朝、7時出勤。6時過ぎに家をでる。いつもより、2時間早く出かけていく母さんに、猫達は必死の抗議である。ずばり、朝のお遊びはどうしてくれる、ええい、一緒に遊ばんかいというのである。ブラックは、スカートの裾にぶらさがって、みゃあみゃあいうし、たびに至っては、部屋のドアの前に陣取って、フーしてる。それでも、出かけないわけには行かないので、手早くそれぞれにお気に入りの遊びをさせて、向こうの気がそれているうちに脱走した。
3月のセールスの報告書は、約束の10時までに出来上がり、部長の出張先にファクス。
グループ内のペティキャッシュや、出張旅費の精算の書類を作っていた。昼に食事から帰ってきたら、うちの部のトップに呼ばれた。昨日の商品の価格の間違いについての事情聴取だ。知っていることをすべて話して、「私は派遣なので責任の取りようがないから、もしどうしてもと言うなら、辞める用意があります」といったら、「そりゃおかしな話だね、誰が責任問題だって言ったの?」と聞き返される。「いや、変なのは分かってるんですが、Tさん(昨日の私を怒鳴り散らした女性である)から、責任取れといわれている」と話すと、明らかにびっくりしたようだった。私が席に戻ると同時に、トップはTさんの席に赴き、なにやら話し込んでいる。ああ、困ったなあと思いながら、私物をなんとなくまとめながら、予定の仕事を片づけていた。
夕方になったら、マネージャーのFさんに呼ばれ、明日、社内である新製品のプレゼンの現行商品の分析の部分をまとめて、OHPにしてくれと言われる。待って、待って、その手の仕事、PR会社をやめてから3年くらいしてないよ。大丈夫かなあ。
マネージャーに、例の一件はどうなったかと聞いたら、「もめてる最中だ」といわれる。辞めた方がいいんでしょうか、と聞いたら、大爆笑。こっちがびっくりだ。「なにいってるんだ。もめてるのは、Tさんがあなたに責任をとれと言ったり、リバイスレターを出すことよりも、犯人探しに熱中したりというそういうことでもめてるんだ。それよりも、プレゼン頼んだよ」と、言うとFさんはTさんを連れて会議室へ。それが6時前。
明日の2時までに、と言われたものの、結局、ストラテジーの方向性が決まるのを待たなければならないので、結局、資料と市場調査会社からの報告書を読んで、会議が終わるのを待っていた。Fさんが席に戻ってきたのは、10時を遙かに回る頃だった。そのまま、残業食を食べに出て、おおかたのめどが立ったのが2時過ぎ。ああ、くたびれた。
Tさんは、結局、昼頃に話し込んでいたときにはトップに、夕方からはFさんにひどく怒られたらしい。私は来たばかりで知らなかったが、Tさん、実は結構問題児。スタンドプレーの挙げ句に、商品の大量欠品を引き起こし、その責任を他人になすりつけようとしてものすごい内容のメールを直属の上司を飛び越えて、アシスタントバイスプレジデントの肩書きの外人マネージャーに送りつけ、それが、彼女の知らないところで転送されまくって、実は部内のほとんどの人が見たらしい。部に4人いるテンポラリーを「テンプス」とよび、名前は一切覚えようとしない。コミュニケーションが成り立っていないのに、自分は、頼んだつもり、まかせたつもり、だから、私の責任ではないと言い切る。なんだか、今時めずらしい。
4月11日金曜日
会社を2時に出て、タクシーで家についたのが午前2時40分。そのまま、シャワーだけざっと浴びて、寝たのが3時。5時50分に起きて、会社に着いたのが7時。
それでも、3時間弱寝てるから元気。しかし、どうして私は、こう毎年、派遣の身分で派遣先の企業で徹夜したり、泊まったりしてるんだろう。普通は少ないのにね。
朝から、気合いいれてがーがーOHP作って、二時には間に合わせた。その後、いろいろなレポートの作り直しやら手直しをして、結構忙しかったから眠くはならなかった。
7時に退社して、そのまま渋谷駅から東京駅へ。渋谷駅で手みやげも買って、さあ、目的地は新潟県加茂市の佐藤家である。8時過ぎの新幹線に乗って燕三条の駅で降りたら、先方のお父さんが迎えに来てくれていた。家に向かう車中で、状況をざっと聞かされる。まあ、出来るだけ、丸く収まるように話をしてみようとは思うけれど、どうなることやら。
4月12日土曜日
11時過ぎについて、朝4時まで、朝は8時すぎから3時まで話をして、一応話はついて、「まあ、やりなおしてみよう、」ということにはなったけれど、私の感触としては、難しそう。表面はよかったよかったで、みんなで夕食を食べて、その後駅に送ってもらって帰ってきたけれど、気持ちは晴れなかった。
一応、一応、私がいえることは全部言ったし、若い二人にお互いに誤解のあることはそれを片づけてきたけれど、二人の間に、きちんとしたコミュニケーションが育ちそうな気配がなかったのだ。気が重いなあ。ほんとに。
最終の新幹線で大宮、大宮から在来線で家に帰った。
猫達と話をしながら、猫じゃらしで遊んであげた。何が引っかかっているのか、考えていた。結局、こういうことなのだ。大切なのは、自分のことを分かってもらいたいとどれだけ思っているか、そのためにどれだけのエネルギーを費やすかなのだ。努力をせず、分かってくれないと言ってみたり、主張だけはしたから自分には責任はないといったり。分かってもらいたいなら、ただ、闇雲に主張だけするのではなく、分かってもらえるような言葉をはなさなければならない。そういうことを知るには十分に年を重ねているように思われる、今日の二人の幼さはどこからくるのだろう。少子時代に入って、ろくなシグナルをださなくても、家庭内で必要なものを与えられる子供達。それが、決定的に自分を表現する力の成長をそいでいるのかもしれない。なんとか、お互いに歩み寄ってもらいたいものだけれど。
夜半、仲のいい男の子が遊びに来た。いろいろ話しながら、久しぶりにゆっくりした。明日は、いろいろすることがある。なんだかげっそりくたびれた。さあ、また、忙しくなるぞ。
4月13日日曜日
4時に寝たのに、にゃくもが6時に起こしてくれた。ほとんどまるまる一週間ためてしまった洗濯物と、冬物、ホットカーペットの上で使っていたお昼寝用のブランケット、枕カバーにシーツにホットカーペットのカバー。朝から洗濯に精をだした。いいお天気だし、お布団も干した。洗濯屋に冬物のコートだの、アンゴラのセーターなどを持っていった。そして、衣替えをしながら、ホームページの原稿をけろけろとタイプしている。今日は、早く寝ないといけないのだけれど、夕方から、頼まれているイベントの企画書のミーティングがある。さあ、お昼ご飯たべよ。〜午後2時〜
結局、他から頼まれているホームページの中に大きな変更点がでて、それに追われて外出出来ずにおわる。ああ、また、不義理をしてしまった。
4月14日月曜日
朝から、昨日の家事の成果のゴミ袋をたくさん捨てた。仕事はごく普通に展開。今日は早めにあがれた。仕事帰りにKさんと食事をして、今の仕事のことなどいろいろ打ち合わせた。彼には本当にお世話になっているので、毎回申し訳ないのだが、一番、頼りになる知り合いだし、大切な人なのでつい頼ってしまう。今回もこのごろいろいろ出会った事件の話などして、感想やらアドバイスやらをいただいた。
彼に会うと、無条件で元気になれるのでありがたい。
今週は、すこし、仕事がゆっくりなので楽そう。ああ、安心した。
4月15日火曜日
今日はなんだかくたびれる日だった。ある若い女性の問題について、いろいろ思ったけれど、一人の人間に出来ることには限界があり、今回は明らかに私にどうこうできる問題ではない。彼女の生き方には賛同できない。どれほど親しくなっても、どれほどもめ事に絡んだとしても、最低限度の礼儀というものがある。それをきちんとすれば、問題の多くは解決することは当事者ではない私には分かっている。しかし、それを、聞く耳を持たず、文句ばかり言う彼女にアドバイスする元気はない。本来なら、当事者としてその任に当たるべき人はべつにあるのだ。
考えた結果、ネガティブな結論ではあるが、もう、彼女たちとはノータッチで過ごすことにした。私も年を取った。昔のように、濃い濃度で人と関わり合い、その関係を支えていけるだけのつきあいを築けるとも思えないし、その努力をするつもりもない。友だちは大切だけれど、過渡期に来ている自分のことも大切にしたいのだ。利己主義だと言われるかもしれないが、そこまでの時間がない。
どんな形であれ、人が自分のために力を注いでくれたとき、たとえ結果が思うようにならなくても、せめてお礼の一言は言いたい。やってもらって当たり前、うまくできなければお礼も言わない。それで通っていく人生なら、私の知らないところでやってもらいたい。
そして、なによりも、そういう人間を甘やかして猫かわいがりしているその人の周りに私は重い不信感を抱いている。
みんなの薦め通りに、よけいな力を使うのはやめて、もっと労力少なくて、いい関係をつくれる、最低限度の常識を守ってくれる普通の友だちを大切に生きていこう。参っている私のために、夜遅く相談に乗ってくれた、かずさん、まゆみちゃん、ゆりちゃん、佐藤さん、そしてkさんいろいろありがとうございました。
4月16日水曜日
会社の帰りに、先日ひょんなことで知り合いになった人と、箱崎の居酒屋さんで夕食がてらお酒を飲んだ。なんだか、プライベートでゆっくり時間を共有するとその人の新しい一面が見えてきて興味深かった。いい所もよく分かるし、あれっと思うこともある。でも、それが、自分を映す鏡のようでうれしくもあり、悲しくもあり。複雑だよね。
ちょっと気になって、少々ノイローゼ気味の由美子の所へ電話をする。先日短い電話で話したときの様子が少しおかしかったので、気になっていたのだ。案の定、もう数週間、病院に行っていないと言う。いくら、口を酸っぱくして、病院に行って薬をもらって飲めといっても、それが長続きしないのだ。しかって2ヶ月くらいは、それでも、2週間に一度の割で病院に行くのだが、そのうちなんだかんだと理由を付けていくのを止めてしまう。結果的には、鬱状態がひどくなり、家のことも出来なくなる。そうすると、旦那の方から電話があって、このところちょっと調子を崩していて、相談に乗ってやって欲しいと連絡がある。初めて関わり合ってから、3年半、ほとんどそのペースは変わらない。実は前回同じようになったときに、この次はきちんとしようと心に決めていたので、今回は、はっきりとこれ以上甘えられても困ると話をした。彼女と、その亭主、そして子供達のためには、出来るだけのことをしてきた。優先順位も高く、定期的に相談に乗る時間をつくり、何かあるたびに莫大な時間を割いた。しかし、一番大切なのは、自覚を持って行動してもらうことで、付け焼き刃で他人がどうにかしてあげられることには限界があるのだ。
自分たちがどれだけ人に対して不誠実か、よく考えて見ろ、私は、もうお守りはごめんだとはっきり話をして、電話を切った。さて、どうなるか。
夜遅く、新潟の佐藤さんの娘さんの方から電話。お父さんが入院しているという。先週は元気だったのにどうしたのかと思ったら、副鼻腔に膿がたまって、目の裏側に痛みがあるので、病院に行ったら、手術の必要があるということで即入院になったという。しかし、今週末が、奥さんの一周忌なので、手術は来週になったという。しかし、今週はもう、日程がいっぱいで身動きがとれない。連休が明けたら行くからといって電話を切った。
4月17日木曜日
会社から大急ぎで帰宅して、車に乗り、板橋区の西台の大岩さんの会社へ。半ば待ちくたびれている大岩さんを拾って、近くのファミリーレストランで食事をした。
大岩さんとは、来週の金曜日から旅行に出発するわけで、その打ち合わせも兼ねている。大変はっきりした方なので、胸にもやもやしていることを相談したり、話したりすると、すっきりする。こういう、鉈のような力があり、切れ味のある人って魅力的だよね。紛れもなく我が人生の師の一人である。
4月18日金曜日
先週からの忙しさが、体に応えたか、帰り道、少々気分が悪くなる。10時過ぎにかえって、すぐに休んだ。一眠りしたら、楽になった。困ったものだ。
夜、友美と玉青が来て、プレステのパラッバをして遊んで帰った。初めてプレイする友美はきゃーだのわーだのと効果音が忙しい。それにしても14才、かわいいものである。夜も遅くなり、体がきつかった私は、その横で、べろんとのびていた。
4月19日土曜日
昼過ぎ、和さんに連絡を取って、由美子の所に電話をかけてもらった。旦那の方が電話に出て、「ちょっと、おかしかったんで、しかっていただいてよかった」といっていたらしい。もう、つきあわないぞ。と私が怒ったということは知らないようだ。どうなってるんだろう。彼ら二人も、旦那の方の忙しい社会生活に振り回されているようで、本当は現代社会の被害者なのだけれど、本当にノイローゼを克服したいと思うなら、自分たちが主体的に行動してくれなければだめなのだ。そのあたりを、どうやって伝えたらいいのか。ああ、頭が痛い。
部屋掃除をして、買い物にいき、駅前の古本屋で文庫の安売りのワゴンをあさって帰ってきた。
今日は、先週いった新潟の知人の奥さんの一周忌の法要が営まれた。午後、いろいろ楽しかったことを思い出して気持ちが沈んだ。本当にいい人だったのだ。つくづく惜しいことをした。私も世話になりっぱなしで、申し訳なかったなあとしみじみ思っている。
夕方からパソコンの中を片づけて休んだ。
4月20日日曜日
夜、明日また、病院にもどって水曜日に手術の予定だと、新潟の佐藤さんから電話。しかし、どうも、私が聞く限りでは、手術にはなりそうもない。大丈夫だとおもうよといって電話を切った。
4月21日月曜日
夕方、派遣会社に、このところの仕事先のごたごたの話を相談に行った。あれこれ、話をした後、占いの話になり、それを仕事にした方が、実はずっとお金になるのだけれど、という話をして、ついでに会社に残っていた人たちを見てあげたら、あれこれ相談があって、11時近くなってしまった。みんな苦労してるのねえ。私だけではないのである。
4月22日火曜日
金曜日に三峡下りに出発するまでに、なんとか報告書を作ってしまおうと少し遅くまで会社に残り、家に帰ったら12時近かった。お風呂に入って、髪だけ洗って寝た。くたびれた。留守電に、相談の電話が入っていたけれど、今日は勘弁。許しておくれ。
4月23日水曜日
朝、6時半に起きて、猫に餌をやり、気になる昨日の電話に返事をするべく電話をかけた。簡単な話だったので、あっさり済ませて電話を切った。よかったよかった。
今日は定時に会社を出られたので、本当にからだが楽だった。旅行の荷物を作ってしまおうと思ったけれど、あれこれ電話がかかってだめだった。どうして相談の電話って同じ日にいっぱいかかるのだろう。全く。
新潟の佐藤さんの副鼻腔の手術は、結局炎症が収まり、しなくていいことになったという連絡が入った。一安心だ。やっぱり、なくなられた奥さんが家族を守っておられるのだろう。また、高野山に行ったら供養をしてこよう。
4月24日木曜日
明日、長江くだりに出発だというのに、またもや荷物は出来ていない。このところ、仕事が遅くなるので、プライベートなことをしている時間が取れないのだ。今日も、明日から休むのに備えて、仕事を片付けていたらいつのまにか9時近い時間になっていた。結局、会社を出たのは10時過ぎで結構疲れていた。
会社の行きがけに、まゆみの5月3日の蓼科にくるための特急の指定券を買いに行ったら、ちょうどいいのに空席が一席だけあった。買おうと思ってお財布を見たら、ほとんど文無し。指定券だけかろうじて購入した。5月5日の帰りの分を確認だけしたけれど、秋はなかった。
忙しくて、お金をおろせないまま、帰宅するときもう一度緑の窓口に寄ったら、ちょうどいい空席があったのだけれどお金がなかった。残念。大急ぎで家に帰って、11時まで営業だと渋谷で聞いたので、お金を取って駅にもどると、小さな駅の緑の窓口は10時までの営業だといわれてがっかり。失敗してしまった。
うちに帰って、いつも旅行にもって出る薬だの、飲み物だのを点検し、今回はグループでの旅行なので飲み物(インスタントコーヒーだの、ココアだの)をローソンで買物して補強しておいた。1週間しかない旅行なので、多少ばっちくてもいいと腹を括ってしまえば、洋服もほとんど必要ないし、下着や靴下も、船に乗っている間に洗濯すれば、3組もあれば足りる。その代わり、フィルムや機材を十分な量持っていくことにした。
いつも海外に出るときに、猫たちの世話をお願いして行く玉青が今回は一緒に行くので、猫たちのお守りは玉青の妹の友美に頼むことになった。まだ中学生の友美には判断の付かないこともあると思ったので、トイレ砂は大目に入れ、えさはえさ入れに十分に補給し、猫たちにまさかのことがあったときのために、和さんとまゆみの連絡先を書いて冷蔵庫に貼り付けた。
後は、出発するのみ、になったのは、3時過ぎだった。今回は徹夜で準備にならなかった。よかった、よかった。
4月25日金曜日
朝、いつも通りに起きて猫達とたっぷり遊んでから、うちの前を大通りに出たところで玉青と待ち合わせて駅へ向かった。昨日買い損ねた切符は、やはりなかったが、10時頃の切符が取れたのでそれを買って、成田に向かった。