徒然過去日記・2006年9月

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09/01 早いものでもう9月

2006/09/01 18:20
 そう言えば防災の日だったなあ、今年こそサヴァイヴァル・グッズとか非常用食糧とか、最低限でも非常持ち出し袋くらいは買おう…と思っていたのに結局何もせず(汗)。昨日の地震もちょっと驚いたものの、関東在住だとあの位では慌てたりしない習性が身に付いてしまっている。「初期微動長いなあ。こりゃ来るなあ。お、来た…震度2強か3弱かな?」程度。
 家人から様子伺いメールが入って知ったのだが、我が在所辺りは震度4だったらしい。え〜? とてもそんな強い揺れではなかったのだが、ウチ近辺は地盤がしっかりしているのか、あるいはわたしが鈍いのか。後者だったらイヤだなあ。

 そして地震とは全然関係なく、突発的トラブルによって昨夜の就寝は実に明け方の4時近くであった。言うに言われぬ事情もあるのだろうが、出来ればそろそろ巻き込まれたくないなあ、と苦笑気分である。同じように家人も巻き込まれ、4時就寝だろうが2時間半後には起床して会社へ出掛けなければならない。わたしも当然起きるのだが、おかげで今日は1日、体調は極めて悪かった(汗)。
 今でも何だかアタマがしくしくと痛い。今日はとっとと風呂入って寝ることにしよう。家人からは帰るコールがあり、どうやら無事に1日乗り切ったようだが、さぞかし疲れているだろう(気の毒に)。ショウガ紅茶でも入れてあげようかなあ。




09/02 柳の下には何匹のドジョウが

2006/09/02 17:55
 一昨日の「睡眠3時間足らず」が響いてまだ体調が悪い。こういう時に昼寝をすれば良いかと言うと必ずしもそうではないのが不思議である。海で漂流している人が耐え切れずつい海水を飲んでしまうと、飲んでも飲んでも乾きは癒されず、却って辛くなるという話を聞いたことがある。気分的にはあれと同じ。わたしの場合、昼寝は幾ら眠っても疲れを取る効果は薄いのだ。
 家人などはほんの少しの昼寝でも「大分ラクになった」と起きて来るので、この辺は人によって違うのだろう。わたしも昼寝で疲れが取れるタイプなら良かったのになあ。「静かになったと思ったら居眠りをしている」と良く言われるが、ハンパに眠ると妙な疲れだけが残るので、居眠りはあまり利点がない。さりとてそういう時、起こされればすぐ目が覚めるかと言うとそんなこともない。まったく難儀な奴である(ぷんすか)>自分

 今朝は昼近くまで寝坊したのにまだどうにも草臥れ感が強く、どよ〜んとしている。たまにはこういうこともあって良いか、と開き直っている。昼寝有効の家人は、ただ今はリヴィングのソファにて絶賛お昼寝中。わたしも眠いのだが、こういう体調の時に下手に昼寝するとまた疲労が増すので、ひたすら我慢我慢。今晩も出来るだけ早寝しよう。

 そんな脱力気味の昼下がり、さらに脱力するニュースを目にしてしまった。「八嶋智人が弁護士役でドラマ初主演―「踊る」スピンオフ第4弾」だそうである。すぐ消えてしまうだろうけれどニュースのソースはこちら。八嶋智人さんの弁護士というと『容疑者 室井慎次』に出て来たアレだよな。新進気鋭の敏腕弁護士という設定だったけれど、どう見ても「空気も読めないし一般的常識もない、単なる法律オタクの集団」でしかなくて、最高に不愉快なキャラクターだったアレ。灰島秀樹事務所だったっけか。
 あの弁護士が主人公の「弁護士ドラマ」と言われてもピンと来ない。いわゆる王道的「社会の巨悪に徒手空拳で立ち向かう正義の人」というパターンが適用出来るとも思わない。「悪徳弁護士」ではなくて単なる「イヤな奴」なので、自業自得で身を滅ぼす転落ドラマに仕上げる訳にも行かないだろう。大体主人公に持って来るにはキャラが弱過ぎる。どの道観ないだろうけれど。

 そもそも『容疑者 室井慎次』だって『踊る大捜査線』の番外編だった。番外編に出て来たちょい役を主人公にして番外編の番外編を制作し、それを「『踊る』シリーズだから観てね」と宣伝を打つなんて、ちょっとあざとくないだろうか。そんなことをせず、きちんと『踊る大捜査線』の続きを作れば良いのに。
 聞いた話では主演の織田裕二さんとの間に解決出来ない「大人の事情」があって、そのために『踊る』シリーズは途中で止まっているらしい。それならそれでそっとしておけば良いのに、『踊る』のブランドで視聴率を稼ごうというのも、いかにもセコい話である。

 あんまり番外編ばっかり作っていると、そのうち設定が本編に悪影響を及ぼしてしまうことにならないだろうか。既に『容疑者 室井慎次』では、室井さんはどう考えても、あれ以上出世は出来ないだろう…という立場に追い遣られてしまった。青島刑事との約束「青島刑事は現場で頑張る。室井さんはどんどん出世して現場が動き易い警察組織を作る」は、実現不可能になってしまった訳である。
 『踊る大捜査線』シリーズが何故あれほどまでに人気を博したかと言うと、やはり会社組織の中で自由に活躍出来ずにストレスを溜めている人たちの共感を呼んだからだろう。今更言うまでもないけれど、あのシリーズは、ある意味サラリーパーソンたちの夢物語だったのだ。

 これ以上いじられるのはイヤだなあと思う。会社員生活がたったの3年しかないわたしでも、訳の判らない「会社組織」には悔しい思いをさせられた。現場と上部から組織を変える野望を抱く青島と室井さんの活躍を台無しにされるくらいなら、続編や番外編なんか作って貰わない方がよっぽど良い。




09/03 レパートリーが狭いので

2006/09/03 23:21
 ちょっと困っていたことがある。先日、義父と義弟君が何かの用事で静岡の親戚のお宅を訪問した。そのお宅は野菜作りをやっていらして、以前にもちょくちょく、タマネギや里芋を頂いた。今回もお土産にと、採れたての野菜を下さったのだった。わーい中身は何だろう? と袋を覗き込んだわたしは固まった。…タマネギ3個と、ゴーヤー1本である。
 タマネギは使い道が沢山あるし、それほど食べにくくもないから、きっと使い切れるだろう。家人はタマネギを好きではないが、煮物にしてしまえばとりあえず一切れくらいは食べる。どうしても処理に困ったらシチューかカレーを作ってしまえば良い。味噌汁に入れるのだけはNGだそうなのだが。

 問題はゴーヤー。昔一度ゴーヤー・チャンプルーを作ったことがあるのだが、家人はとうとう食べてくれなかった。苦いのが許せないらしい。相当に薄く切って塩で揉み、さらに水洗いまでしてから料理したのだが、やっぱり苦いのだそうな。
 丸ごと1本のゴーヤー、わたし1人で食べるのはちょっと辛いような気がする。チャンプルーにしたら他の食材で水増しされてしまうから食べ切れないし、浅漬けにしてもサラダにしても、一辺に1本分は無理だろう。ゴーヤー・チップスにすれば嵩は減ると思うけれど、わたしは揚げ物がキライである。うーむ…。

 丸ごとならばそれなりに持つんじゃないかと思うが、切ったらやっぱり早く使い切らねばなるまい。お昼ご飯に3日連続くらいでチャンプルーを作ろうかと思いつつ、どうも今一つ気乗りがしなくて決行を先延ばしにしていた。わたしも、ゴーヤーを食べ慣れていないので、それほど大好物という訳でもないのである。
 そして今日、そろそろ時間切れだろうと、覚悟を決めてゴーヤーの袋を取り出してびっくり。漬物になっている…! 表面があれだけ硬いし、何となくイメージ的に常温保存で大丈夫だと思っていたのだが、実は瓜科だし長持ちしない野菜だったらしい。知らないこととは言え、もったいないことをしてしまった…。

 家人が嫌いなので、今後もゴーヤーを自分で買うことは多分ないだろうと思うけれど、もしもまたどなたかから頂いた時には、今度こそきちんと食べてあげようと思う。苦味が抑えられて嵩が減って食べ易いようなレシピ、探さなくては…。




09/04 深夜の探し物

2006/09/04 10:32
 昨夜2時頃だろうか、もう寝るぞという時間に、家人が何やら自室でゴソゴソ書類を引っ繰り返している。何事? と尋ねると、非常に重要な書類が見当たらなくなったという返事が返って来た。
 わたしでさえ、それがなくなるとエライ事だと判る書類。4月に貰って来て、暫く階下に置いてあって、恐らくドヴォ組の練習日に2階に退避させられた、と思われる。退避先は家人の部屋ではないかと考えられるのに、部屋のあちこちに積んである書類の山のどこにも、問題のブツが見当たらないのだ。どうしよう。結構深刻な事態である。

 家人の話ではA4の書類封筒に入っていたらしい。封筒の色は水色か茶色(?)。わたしが自分で移動させたのなら、ブツのヴィジュアルさえはっきり固まれば、最後にどこで見たのかの記憶を辿ることが出来る。暫し虚空を睨む…が、該当するブツがどんな姿だったかどうしてもアヤフヤである。イメージが固まらない。
 ということは移動させたのは家人なのだな。こうなるとお手上げである。

 重要な書類も要らない雑誌も楽譜もチラシも全部一緒くたに同じところに積んでおくからこうなるんだよ、だから前々からいつも言ってたじゃない…。
 内心そう思いつつ、探し物でテンパっている家人にそんなことは言えない。わたし自身子供の頃、同じような状況で「だからお母さんがいつも片付けなさいって言ってるでしょ!」と叱られてブチキレたものなのだ(汗)。そんなこと言われなくても自分自身で重々良く判っている。今更そのことを指摘したとて、探し物が出て来るために、ほんのぽっちりでも助けとなるのか。ならないではないか。

 どこかのアンケートで言われたくない言葉の上位に「だから言ったじゃない」が常連でランク・インしていると聞いたことがある。似たようなアンケートはアメリカだったかオーストラリアだったかでも行なわれていて、かの地では対応するフレーズが「I knew it!」なのだそうだ。確かにこの2つのフレーズ、何か失敗して慌てている時にオブザーヴァーから言われたら、ヒステリーを起こしそうなくらい悔しいだろう。こういうコメントを口に出す愚は避けたい。
 とは言えノー・コメントも悔しいので「今後はこの辺、ちょっと整頓しようね」と注意喚起。耳に届いているかどうかは不明だが。
 キリがないから明日にしよう、と言いつつ、汗びっしょりで探し続ける家人。そりゃそうだろう。見えなくなったブツがブツである。見付かるまでどうせ眠れっこない。ここまで来るともうわたしに出来ることはない。ベッドに入り、もちろん眠れる訳もないのでまーんじりと、家人のゴソゴソを聞いていた。

 最悪の場合、間違って捨ててしまったことも有り得ると家人は言うが、まさかそれはないだろう。うっかり捨ててしまうとしたらわたしの可能性が高いが、自分でどう思い返しても、A4封筒ないし類似物の中身を確かめずに捨てちゃったことはない。書類の重要性をわたしよりも良く知っている家人なら尚更である。
 明日以降、家捜しをしたらきっとどこかから出て来るだろう。明日でなくても、恐らく忘れた頃に忘れたようなところからポロリと出て来るに違いない。ただし締め切りか何かがあるハズなので、再発見がそのデッド・ラインに間に合うかどうかは微妙だが…。

 幸いなことに、問題のブツはそれから間もなくして家人によって発見された。見付かった場所は案の定、家人の部屋ではなかった。しかもブツの外見も家人の説明とはちょっと違っていたのだった。これではわたしに心当たりがある訳もない。ともかく見付かって良かった。
 おかげで今日はまたしても寝不足気味なのである。捜索時間は30分少々だろうけれど、寝る前に余計な緊張を強いられて、何だか安眠出来なかった…(とほほほ)。




09/05 PC椅子ご臨終

2006/09/05 23:25
壊れた椅子  先月29日の日記に書いたのだが、1階リヴィングのPCコーナーに置いてあった肘掛椅子の左肘が折れてしまった。ただしその時はまだ、横棒部分に入った亀裂が完全に貫通しただけだった(画像で言えば右の断裂部分)。肘掛椅子としての機能は、辛うじて最低限はキープしていたのである。
 新しいのを買おうとヨド○シに赴いたが気に入るものが見付からず、ならば部品を取り寄せられれば自力で修理出来ないかと、家人が販売元のサイトにアクセス。すると、問題の椅子は一種の不良品で、肘掛が折れるトラブルが出ていると判明したのだった。

 案内に出ていた通りにフリーダイヤルに連絡したら、肘掛の部品か椅子丸ごと一脚か今ひとつ不明なものの、無料で交換して貰えることになった。結果的に不良品だったとは言え、1年以上も問題なく使っていたので、丸ごとだったらちょっと申し訳ない気がする。
 ラッキーだったね、と喜びつつ、ふと思った。たまたまウチは気に入る椅子が見付からなくてこういう経過を辿ったが、この椅子を買った人の中には、このことを知らずに新しいのを買っちゃったという人も居るのではないだろうか。1年ちょっとで肘掛が折れたのは確かにちょっと早い。けれど、ある程度の期間使っているから「アンラッキーだけどそういうこともあるかなあ」くらいで納得出来ないこともないだろう。

 これもいわゆるひとつの情報格差なのだろうか。些細なことだけれど、今後ますます、何か行動を起こす前には念を入れて調べる…という習慣を大事にせねばと改めて実感したのだった。
 それにしても、わたしがフリーダイヤルに連絡した時、担当の方は販売記録か何かを調べていた。義父が隣家の2脚とウチの1脚の合計3脚をまとめて購入し、全部自家用車で家まで運んで来た椅子である。配送の記録は残っていない。義父が3脚買ったこと、どうして確認出来たのだろう。クレジットで支払いをしたのなら決済の記録は残るかもしれないが。
 逆に言えば、配送記録のないウチの場合でもどうにか購入確認が出来たのだから(担当さんはウチの住所もご存知だった)、他にもどうにかして連絡を取れる購入者が居たのではないかと思う。どうせなら電話一本くらい、判っている顧客だけにでも掛けてくれたら良いのに…。

 ともあれ左の肘掛が一部破損したまま使っていたのだが、一昨日の晩、左肘掛は全面的に機能不全を起こしてしまった。出来るだけ負荷を掛けないように座っていたのに、前の支柱部分まで折れてしまったのだ(画像では左の断裂部分)。下の横棒部分にボルトを通して肘掛と椅子本体を固定していたので、とうとう左の肘掛は宙ぶらりんとなった。流石にこれはもう使えない。
 フリーダイヤルの担当さんは「代替品(部品か丸ごとかは訊き忘れたため当日のお楽しみ)は9日にお届け出来ます」と仰っていたので、それまでパイプ椅子をピンチ・ヒッターに起用することにした。ただしパイプ椅子は硬いし、微妙に座面が低いし、大変居心地が悪い。あと4日、このパイプ椅子に我慢出来るだろうか。

 そしてこのパイプ椅子、ドヴォ組練習日にメンバーの皆さんが使う予備椅子である。こんな座り心地の良くない椅子で、良くあのめんどくさい(曲もある)ドヴォルザークに挑戦しようと思ったものだ。せめてメンバーの人数分の座布団くらいは買った方が良いのだろうか。…それとも弾いてたら気が付かないかなあ(悩)。




09/06〜08 ちょっと一息

2006/09/08 12:50
 ここ暫く、妙に落ち着かなくて余裕が足りなかった。体調も今一つぱっとせず、特にお腹の調子が悪い。尾篭な話だが、おならの回数が激増して困ってしまった。しかも我ながらうんざりするほど臭い。おならが臭くなる原因には動物性蛋白質の過剰摂取や胃腸の働きの低下、腸内フローラの悪玉菌増加などがあったと思うが果たして原因はどれだろう。
 動物性蛋白質は夏ばてで食欲がないため余り摂っていない。毎日欠かさないのはヨーグルト、カフェオレに使う牛乳。他にこの1週間で心当たりのあるのはトマト・シチューに入れたビーフと、昨日サラダに添えたボイル帆立くらい。ヨーグルトを食べてたら悪玉菌も増えないような気がするし、とするとやはり胃腸が弱っているのか(涙)。ガスの量は多少多くても仕方ないが、匂いだけは何とかならないだろうか。ビ○フェルミンでも呑んで様子見するか…。

 そんな訳で日記もサボっていたのだが、昨日、ちょっと気が晴れる予定が一つ出来した。
 まだ本決まりではないのだが、10月半ばくらいに、母と家人の3人で沖縄へ旅行出来るかもしれないのである♪ 大昔、チャゲ○すの沖縄ツアーに参加して行った時以来の沖縄。青い海と青い空とトロピカル・フルーツの夏アイランド。両親の名に因んだ阿嘉島訪問が主目的だが、メイン行事そのものはごく短時間で終わるため、ついでの観光の方がウェイトを増したのだった。
 最初は母独りで行こうと思っていたらしい。ただしちょっと心細いので、中の妹とわたしに同行の意向伺いが来た。案の定、中の妹は多忙でスケジュールが合わず、代わりに家人の有休が取れそうな按配となったのである。

 とは言えわたしの場合、沖縄へ行ってもシュノーケリング等の楽しそうなことは出来ない。泳げない訳ではないのだが、とにかく日焼けをしてはいけないからである。皮膚科の主治医によれば「紫外線アレルギー」の可能性があるとかで、実際、冬でも曇りでも日傘を差して歩くようになったここ数年、アトピーの調子がかなり良くなった。沖縄の強い日差しの下で水着になったりしたら、後でどんな酷いことになるか判らない。
 日焼け止めを塗っても完全に防御することは不可能だろうし、そもそも日焼け止めを塗ること自体が皮膚への負担となる。菅平でのラグビー練習試合観戦の時、仕方ないので日焼け止めを使ったが、やはりその後1、2日はコンディションが悪かった。
 以前は日焼け止めを塗ったら真っ赤っかにカブレるのが常だったので、これでも多少は選択肢が増えて便利にはなったのである。

 ナイト・スキーのように「夜間シュノーケリング」のプランがあれば参加出来ないこともないが、ド素人が夜の海で泳いだら危険だろうし、海も真っ青な色を愛でられないのなら魅力も激減する。南国の魚たちも大方は眠っているに違いない。夜行性の動物と言ったら剣呑な種類が多いような気もする。やっぱり諦めよう。
 代わりに楽しみにしているのが、沖縄美ら海水族館とその近所にあると言う沖縄フルーツらんど、首里城やひめゆりの塔などなど。この際だから南国リゾート気分満喫しつつエステティックとかマッサージなんかも良いかもしれない。アトピーは最近落ち着いているから、パッチ・テストさえやって貰えばカブレることもないだろう。タラソテラピーとかアロマテラピーとか、いいなあ…♪

 1つ心配なのが台風で、10月の沖縄と言うと台風がわんさかやって来るのではなかろうか。台風が来たら阿嘉島には渡れまい。とりあえず、家人が出来るだけ予定を固定しないフリー・プランを組み立てて、天候次第で予定を決められるようにはしてくれたのだが、台風が来ないに越したことはないし…。
 何はともあれ、楽しみである。水族館とフルーツらんど、首里城やひめゆりの塔関係以外に魅力的なところ、他にも探してみよう♪




09/09 アフター・ケア

2006/09/09 18:04
 トラブル2件の後日譚である。
 1つ目は7月に勃発したヴィッツのドア事件。食事に出掛けたら、店の駐車場でいきなり助手席のドアが閉まらなくなったのである。部品を取り替えて貰って事態は収拾したが、その原因が判ったと連絡があり、説明を聞きにディーラーさんへ行って来た。ドアのロック機構の部品を見せて頂き、どこがどうなってトラブったかを伺う。部品は判り易いように一部切り開いて中を見られるようになっていた。
 ドアを閉めるタイミングと、ドアをロックするタイミングがバッチリ合ってしまったために、ロック機構の内部の金具が引っ掛かって動かなくなったらしい。「ハンドルを引いた状態」で止まってしまったために、ラッチが掛からず、ドアは閉まらなくなったのだそうだ。

 部品の不良と言うことでもなく、たまたま部品の可動部のマージンが大きいもの同士が組み合わさった上、ロックとドア閉めタイミングがビンゴして出来した状況だと言う。部品の可動部マージンも許容範囲内だったそうだし、偶然に偶然が重なって起きたトラブルである。ディーラーさんの話では、他に同様のケースは1件もないと言う。
 そんな状況なら仕方ないとわたしは思った。そういう原因ならば走行中にいきなりドアが開いて閉じなくなる惧れは皆無だし、今後万が一同じことが起きても部品を取り替えれば済む。恐らくは何十万台に1件と言う極少頻度なので、2度とは起こらないだろう。

 ただし家人は「原因が判ったのならば対策は取るのですか」と厳しい突っ込み。確かにロック機構内部の金具の形状を工夫すれば、何がどうなろうと引っ掛かったりしないようには出来るだろう。しかし部品の設計変更するとしたらドエラい手間とコストが掛かる。頻発しているトラブルでもないし、リコールの対象にはなるまい。モデル・チェンジの時に何か変更を加えるかもしれないが。
 案の定、営業さんの答えは「同じトラブルがあったら部品交換するけれど、部品そのものに対策は取らない予定です」と仰った。やっぱりな。偶然が重なった状況で発生するトラブルは開発担当からすると想定外だし、多大なコストを掛けて何十万分の1の可能性をいちいち潰す訳にも行くまい。マーフィーの法則に曰く「Everything that can possibly go wrong will go wrong.(上手く行かない可能性のあるすべてのものは、上手く行かなくなる)」なのだ。

 個人的には「機械は壊れるもの。それも最悪のタイミングで、大抵は原因不明に」だと思っている。乏しいながらも身に染みた経験則であり、こうでも思ってなければやってられないという諦観である。家人に言わせればこれは「メーカー側に偏った」考え方であるらしい。まあ、確かにそうかな、と思う。とは言え家人の希望通り、故障が絶対に起こらないように、起こってもフェイル・セーフでトラブルにならないようにと言うのは、事実上無理だよなあ…。
 どんなに想像力を巡らせても思い浮かばない事態はあるのだし、予想出来ても、予防コストがトラブル後の対処コストを大幅に上回るようだとどうしようもない。今回のケースで言えば、モデル・チェンジの時にロック機構の設計見直しして貰えるのならそれで良いような気もする。ユーザー・フレンドリーではない考え方かもしれないが。

 もう1件は5日のネタにした「PC椅子ご臨終事件」。今日、販売店さんから代替品の配送があったのである。
 予想としては「肘掛部品の交換」で、壊れた左側だけの部品を置いてってくれるパターンが「最低限」。より望ましくは左右両側の肘掛部品を届けてくれるパターンで、配送係さんが組み立てて下さるとなお嬉しい。
 言うまでもなくベストが椅子丸ごと1脚をお取替え。ただし予想としては、可能性は半々くらいだろうな、と思っていた。幾ら不備品とは言え、もう1年以上使った品物なのだし、さらっぴんに交換してくれと言うのはちょっと過分な願いだろうと。

 予定時間よりも大分早く、しかも「配送が順調に消化出来ているので予定より早いですが今から伺って良いですか」のお問い合わせ電話付きで、代替品はやって来た。丸ごと1脚のさらっぴんのPC椅子である。ラッキー!
 しかも元々、購入者が自宅で組み立てる方式の品物だったのに、届けて貰ったのは完成品。予め組み立てて、不備がないかどうかチェックしたものを持って来てくれたのだという。対応としては100点満点、文句の付けようがない。
 流石「お、値段以上、ニトリ」をキャッチ・フレーズにしているだけはある。最近は消費者の意識も高いし、ネットで簡単に情報収集も出来て、クチコミの意見交換も非常に盛んだから、対応には細心の注意を払わねばならないのだろう。

 クルマの件もPC椅子の件も、アンラッキーだったけれど、営業さんや担当さんの対応が親身で気持ち良いものなので、わたしとしては両方爽やかな気分である。商品に満足な場合は顧客はにっこりと黙っているけれど、一旦トラブルとなると文句の矛先は全部カスタマー担当さんに向かう。褒められることは少なくても叱られることは多かろう。本当に大変だなあ。アタマが下がる…。




09/10 ぐるっと一周な日

2006/09/10 23:30
 久し振りの友人たちに会いに西の方へちょっと遠出。最初は家人も行くつもりだったのだが、用事が出来て独りである。以前にも行ったことがある場所なのだが、大抵そういう時は家人やら誰か他の人やら、同行者の後ろをくっついて歩いているだけなので記憶が定かではない。本人は「ちゃんと見ているつもり」なのだが、単独飛行させると迷子になるケースが非常に多いのだ(阿呆過ぎる)。
 今日も結局、電車に乗り間違うこと1回、目的地最寄り駅で方向が判らなくなること1回の末、ようやく辿り着いたのだった。遅刻しなかったのだからまあ合格点だろう(汗)。

 予定ではゆっくり過ごすつもりだったのだが、どうしても外せない用事が出来て急遽東へ向かう。懐かしい友人たちにはまた会う機会もあるだろう。一番会いたかった人の声だけは聞けたので、まあ良しとするか。
 出掛けた先ではまたも、あわや迷子になりそうになりながらどうにかリカヴァー。無事帰還したのだった。いやはや、携帯電話での「路線案内」とか「地図」とかが、もっと使い易いと嬉しいのだが…。PCだとあっという間の検索が、携帯電話ではどうにもまだるっこしくてイヤである。やっぱりGPS携帯にすべきだったかなと、チラリと考えた残暑厳しい日である。

 帰宅したら吉報か凶報か良く判らないメールが届いていた。品切れになっている『王と鳥』DVDの販売元である株式会社アイ・ヴィー・シーの担当さんからのお知らせである。どうしても『王と鳥』のDVDが欲しいので、ぜひ再発売して欲しいという旨のメールを出していたのだが、わざわざその返事をくれたのだ。
 担当さんによれば、株式会社アイ・ヴィー・シーでは既に『王と鳥』DVD発売の権利を持っていないので、取り扱いが不可能なのだそうだ。なるほど、それならば日本初の劇場公開に合わせて再プレスし、大手のCD・DVDショップにどどんと平積みに出来なかった事情に合点が行く。わたしとしては、DVD販売権利を握ったまま沈黙されているのだったら困るなと思っていたので、とりあえず今後どこかから出るのではないかと希望が募る。

 映画の劇場公開とDVD販売の権利は抱き合わせになっていることが多いと聞くが、とすると、今後の『王と鳥』DVDの権利を持っているのはスタジオ・ジブリなのだろうか。高畑勲氏が字幕を付けていたことから考えてもそれが「ありそう」な話に思えるが、それにしてはDVD発売の話が全然聞こえて来ないのは何故だろう。DVD化の話題って、劇場での上映が終わってから出て来るものだったっけ…?
 先日2回目にシネマ・アンジェリカに行った時、スタッフの方にDVDについて訊いてみたのだが、収穫は得られなかった。ジブリが新しい権利者なのであれば、どうせ問い合わせがどっさり行くのは間違いないのだし、アンジェリカのスタッフにはDVD化の有無くらいは知らされるのではないかと思う。知っているのに言えない、という雰囲気ではなかったし…。

 某巨大匿名掲示板では大昔の「キネマ旬報」(恐らくはバック・ナンバー)に『やぶにらみの暴君』の情報とシーン画像が載っていたと書き込みがあった。ついでだから『やぶにらみの暴君』もDVD化してくれないだろうかと思うものの、あれは監督さんたちにとっては不本意な作品だから、今更DVD化して日の目を見せるのは無理かもしれない。
 とりあえず入手出来たサントラを聴いて、『ポール・グリモー短編傑作集』や『Vフォー・ヴェンデッタ』のDVDを鑑賞しつつ、『王と鳥』DVD再発売の吉報を待つことにしよう。早く出ないかなあ…。




09/11 5年目

2006/09/11 23:50
 TVの特番が忘れさせてくれないが、そうでなくても忘れようのない日。バレエから帰って来たら家人が「今からスポーツ・クラブへ行こう」と言うのでお供して(凄い運動量だ/汗)、付属のTVで特番を観ながらエアロバイクを漕いでいた。筑紫哲也氏が「世界中の誰もが“あの時自分は”という鮮明な記憶を持つ日」と言っていたが、本当にそうである。
 5年前の今日、わたしは鬱の真っ只中に居た。どうやったら消えてなくなれるのかぼんやり考えながらただ横になるしか出来ない日々、思い出すのもしんどいので記憶はやや曖昧である。ただし、流石に911のことははっきり覚えている。

 22時過ぎだったか、早くに寝室に引き上げて眠っていたわたしを、家人が起こしに来た。何だか物凄く慌てている。大変なことが起こったらしい。ぼーっと起き上がるわたしに家人は言った。「ワールド・トレード・センターに旅客機が突っ込んだらしいぞ」。ワールド・トレード・センター。ニューヨークだな。その何年か前に出張で訪れているので、家人には特に印象が強いのだろう。
 それは大事件だとアタマでは理解出来るのだが、感情が全然動かない。返事に困ったわたしはとりあえず「へえー」と答えた。家人がちょっと意外そうな、「こいつ理解してないんじゃないか」と言いたげな顔をしたので、その返事が失敗らしいと悟った。けれどわたしとしては本当にそうとしか答えようがなかったのだ。

 とりあえず起き出して階下に行き、家人と一緒にTVを観た。画面には燃え上がる2つのタワーが映っていて、何度も何度も、飛行機がビルに突っ込む瞬間をリプレイしていた。確かに想像以上の大惨事だと思った。テロらしいが、アメリカがここまで直接的な被害を受けたのは初めてだろう。戦争になるな。日本もタダでは済むまい。
 アタマではそう考えつつ、感情はやっぱり全然動かなかった。燃えるタワーの映像を観ても、わたしはこともあろうに「映画みたいだ」という感想しか持てなかったのだ。沢山の人が亡くなっているだろうに酷いと自分で自分がイヤになったものである。

 ついでに「そうかこれが鬱ってことなのか」とも思っていた。他のケースはどうか知らないが、わたしの場合は何をする気力も起こらなくて、感情を波立たせることも億劫になったらしい。我ながらこりゃダメだと思い、真面目に病院に通う決意をした覚えがある。
 それまでは一応、とある神経科に行ってはいたが、あんまり混雑しているので面倒臭くてサボることもあったのだ。

 そんな訳で、わたしにとって「あの日」の記憶は奇妙に現実離れしていて実感がない。確かに「あの日」あの大惨事が起こったのだと、毎年毎年9月11日が来るたびに、各種の記事やTV特番で復習し直している印象がある。あの事件で肉親や友人・知人を亡くした方々に、ちょっと申し訳ないなあ、と思う。
 あの事件に至るまでには種々様々な事情が積み重ねられて来たのだろう。事件後のイラク戦争では遥かに多数の人命が失われたことも、その「大義」が余りにもお粗末だったことも、周知の通りである。
 とは言え、言い古されていることだろうけれど、あの2つのタワーには死んでも構わない人は1人も居なかった。2度とあんな事件を招くことがないよう、慎重に考えるために、わたしは今後とも9月11日の「おさらい」を続けるだろうと思う。いや、本当は毎日考えてなきゃダメなんだろうけど(汗)。




09/12 「通信教育で空手」

2006/09/12 23:54
 映画などでたまに見掛けるギャグである。主人公一行が悪者一味に取り囲まれて危機に陥る。そこへ仲間の一人が「僕はカラテの有段者だ、こんな奴等やっつけてやる」と前へ出る。安堵する主人公、気軽にそいつに尋ねる。「空手を習ってるなんて知らなかった。いつからやってるんだ?」。仲間は答えて「去年から通信教育で」。
 そんなことを思い出したのは今日目にしたネット・ニュースのせいである。「英でフィットネスサイト流行」というもの。すぐ消えるかもしれないがソースはこちら。登録すると、ウェブ・カメラで自宅とジムを繋ぎ、自宅に居ながらにしてトレーナーの指導を受けられるらしい。人目を気にせずトレーニング出来て、時間やジムのロケーションに左右されないとあって人気だが、悪徳ジムサイトもぽつぽつ現れて問題化しているという。

 ううむ、結構シャイな人が多いんだな、英国人…と思った。やや意外だが、気後れするそのキモチは良く判る。一昨年の11月に初めてスポーツ・クラブに入会した時、わたしも思いっ切り気後れしたクチだからである。メンバーの皆さんはどの人も溌剌として、しかも何だか自信に満ち溢れているように見えたのだ。
 しかもスタジオは全面鏡張りだし、ジムの外壁はガラス張りになっていて往来から中が丸見え。そんなところで薄らみっともないこの身体を晒して運動せねばならないのか。大汗をかいている姿を他人に見られなければならないのか。ジョギングと違って一瞬の通りすがりという訳には行かない。恥ずかしいなあ…。

 実際にやってみたら、思っていたよりも他のメンバーの様子など気にしないものだった。マナー違反している人には冷たい視線が降り注ぐが、それはジムでなくても同じである。さらに普通の健康維持目的くらいであれば、大汗かいての必死のトレーニングではなくて、もっと余裕のある範囲でおやりなさいと言われる。歩きながら、エアロバイクを漕ぎながら、人と軽く会話が出来る程度が目安らしい。
 そんな訳で、時間的・地理的事情が許さないのでないなら、リアルのジムに入会しちゃう方が良いんじゃないかな、とも思えるニュースだった。往々にして「いつでも出来る」と思うとついサボるものである。自宅に居ながらだと、余程意思の強い人でないと「今日はいいから明日にしよう」となる。マシンもジムの方が充実しているだろうし。

 とは言え、運動したいけどジムのスケジュールが合わない、という悩みも非常に切実だったりする。今日はふと思い立って、ウチから30分ほどの系列ジムの他支店に行ってみた。この支店では「バレエ」のコマがあって、前々から出てみたいと思っていたのだ。
 わたしが所属している支店では「オリジナル・バレエ」のレッスンは30分1コマしかない。しかしそちらの支店では、45〜75分(!)までのレッスンが合計5コマもある。以前ちらりと見た感じでは、皆さんそれなりの格好をしていたので(レオタードと巻きスカート)、内容も本格的なのだろう。いいなあいいなあ。

 行ってみたら、バー・レッスンに比重が置かれて基礎寄りで、しかも非常に判り易いレッスン内容。気に入った♪ 他店利用なので1回620円掛かるのだが(プラス電車賃)、チケット制のオープン・クラスに出ると考えたら随分割安である。毎週は時間が取れないかもしれないが、出来る限り通ってみることにしよう。
 出来れば他のコマも取ってみたいのだが、残念ながらどれも微妙に時間が合わない。今日のは文句ナシなのだが、他は夜遅かったり、土日だったりして、なかなか気軽に出席出来ないのだ。惜しいなあ、これが「好きな時にいつ行ってもレッスンを受けられる」だったら本当に嬉しいのだが(無理だってば)。

 ともかく、普段のレッスンでは気が付いていなかった姿勢の癖とか、ポール・ド・ブラ(腕の動き)のコツとか、ちょっとしたことを指摘していただけて非常にタメになった。わたしはどうやら力み過ぎて上半身が反ってしまう癖があり、そのせいで軸がズレてルルヴェ(爪先立ち)がふらつくらしい。後ろへのタンデュ(足先を地面に付けたまま脚を伸ばす動作)も、気を抜くと外側へ流れている。
 こういうことは、やはりウェブ・カメラ等で観るだけでは判らないだろうな、とも思う。ジョギングのフォーム等ならばバレエの動作よりはシンプルかもしれないが、同じ会費を払うのなら、わたしは現場に行って習う方を選ぶだろう。




09/13〜14 ジョニー食べ比べ

2006/09/14 15:15
ジョニー2種  数日前のことだが、とあるスーパーで変わった色の「ジョニー」を見掛けた。んん? 新製品なのか? であれば買わねば。既にその時点でウチの冷蔵庫には翌日と翌々日分の(つまり2パック、楕円形1本)「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」が入っていたのだが、ついつい買い物かごへ(汗)。
 これが新製品だとしたら、今までの「ジョニー」はどうなってしまうのか。不安と共に「男前豆腐店」の公式サイトへ行ってみると…。「衝撃のフィルム変更」? でもそれまで「京都ジョニー」という商品はなかったよなあ。謎めいた気分で商品ラインナップを開いてみると、やはり、「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」が載っていた部分に「京都ジョニー」が掲載されている。カロリーも「Are you ジョニる tonight?」というコピーも同じ。

 ということは、風に吹かれようが京都に居ようが、「ジョニー」は不変ということなのかもしれない。茶大豆使用の「ジョニー・ブラウン」は…まあ別格として考えるべきなのか…(微妙)。以前あった、緑豆使用の「ジョニー・グリーン(名称うろ覚え)」が消えてしまっているのがちょっと寂しい。ぜひ一度食べてみたかったのだが…。
 さらに後続の「厚揚番長」とか「絹厚番長」、「男の納豆」、「京都がんも番長」なども試してみたいのだが、残念ながらウチの近所で売られているところを見たことがない。去年7月から二子玉川高島屋に出店しているようなので、そこへ行けばあるのだろうか。しかし…豆腐買いにニコタマへってのもなあ…(汗)。

 先日、「風に吹かれて」と「京都」を食べ比べ。お腹がパンパンになるのを覚悟の上で、小鉢2つを取り出し、片方に「風」もう片方に「京都」をよそう。感覚的には「京都」の方がややしっかりしている手応え。スプーンで「風」を一口。続けて「京都」を一口。うむうむ、基本的には同じ路線の味である。
 さらに双方を一口ずつ交互にいただく。味わううちに、微妙な差異が際立って来る。「京都」の方が「風」よりも一段と濃厚な感じがする。甘味とこってり感も「風」より強い。醤油をぽちりと垂らして崩してみると、やっぱり「風」より「京都」の方が抵抗する。同じ味なんだけれど、レシピにはかなりのマイナー・チェンジが加えられているように思った。

 例えて言うならば、同じブランドのシャンプー・コンディショナーに「さっぱりタイプ」と「しっとりタイプ」があるようなものだろうか。「風」はさっぱりタイプ、「京都」はしっとりタイプ。夏場向けと冬場向け、という区分けでも良いかもしれない。「京都」を八方出汁でさっと煮て、片栗粉でトロミを付けたら、冬場のおかずとして最適な気がする。夏はシンプルにそのまま冷奴で良かったのだけれど。
 ううむ、流石「男前豆腐店」、やるな…と、スプーンを握り締めて唸ったのであった(汗)。

 近所のスーパーには相変わらず「風」が並んでいるので、商品入れ替えは段階的だと思う。2日連続で食べ比べはしたものの、もう1度試してみたいと「京都」を探しているのだが、未だに見付からないのであった。何処に居るのだ「京都ジョニー」?




09/15 スポクラな日

2006/09/15 21:54
 家人が出張で不在なので、晩御飯の時間に在宅してなくても良い。こういう時にしか出来ないことをやろう、何が良いかな…と考えて、結局、スポーツ・クラブのS支店へバレエのコマを受けに行くことにした。12日に行った店で、21時過ぎから75分間のレッスンともなると、普段は絶対に出られない。折り良くと言うか何と言うか、元々の所属支店の「オリジナル・バレエ」は、昨日に限って先生のご都合で休講なのだ。チャンス♪
 オリジナル・バレエの前にピラティスも取っているのだが、それだけ出るのも面倒である。行って帰ってまた行って、移動時間も電車賃も勿体無い。どうしようか悩んだ結果、S支店の18時からの「ボディ・ヒーリング」も取ることにした。公式サイトの説明によれば、音楽に合わせてヨガやピラティスのポーズを取り、インナー・マッスルの鍛錬やストレッチを行なうプログラムだという。

 19時から21時までが空き時間となってしまうが、その間にはエアロバイクを漕ごう。一端更衣室に上がってひとっ風呂浴びて、レオタードに着替えてバレエに出る。かなりハードな予定だが、エアロビクスに立て続けに出るよりは負担は少ないハズである。早い晩御飯を食べて、バレエの前にもちょっとだけ何か摘めばエネルギー切れにもなるまい。館内飲食物持込禁止なので、ゼリー飲料辺りをコソッと(悪いヤツだ)。
 トータル4時間半もスポーツ・クラブに居る計算になる。最高記録更新である(汗)。体力持つだろうか。いやしかし、いつも木曜日の「オリジナル・バレエ」でご一緒するメンバーのお1人は、エアロ×2〜ピラティス〜バレエ〜ヨガの5プログラムを連続でこなしている。しかもわたしの母と同年代、あの細い身体のどこにそんなスタミナが…と驚くばかり。わたしだって、2プログラムくらい、やってやれないことはない♪

 「ボディ・ヒーリング」は慣れていないのでちょっとアタフタ。しかし以前やったパワー・ヨガとか、毎週出ているピラティスのおかげで、基本的なポーズは一通り経験がある。2曲目くらいから結構コツを掴むことが出来た。とは言え、やっぱりバランスのメニューは上手くない。下半身の筋力が弱いのか、それともまだコアの筋肉の鍛え方が足りないのか。
 「軸を取る」感覚が判るようになれば、バレエのルルヴェ(爪先立ち)とかピルエット(片脚回転)なんかもピッと決まるようになると聞くが、どうすれば良いのだろう。軸さえきちんと取れていれば、身体がふらつくのを筋力で止める必要も実はないらしい。数をこなせばスッと、軸の上に立てるようになるのかなあ(半信半疑)。

 エアロバイクを漕ぎ、汗びしょびしょになったのをお風呂で流してレオタードに着替え、さていよいよメイン・イヴェントの「バレエ75」。12日のレッスンよりも人数は少ないが、皆さん見るからに「踊れます!」な方々ばかり。ストレッチをしている姿だけで経験値が判る。その辺りで既に「来るんじゃなかったかも…(汗)」とビビり気味。
 意外と言うか新鮮だったのは、男性が4人もいらしたこと。しかもそのうちお1人はスタイルから見ても相当の経験者な感じ。いいなあ、所属支店の「オリジナル・バレエ」も、いずれはこういう風に本格的に発展して行ってくれると良いのだが。

 レッスン内容は予想(危惧)通り、最初っから結構高度。余裕を持って付いて行けたのは、バー・レッスンのプリエとタンデュくらいだった。後はもう、先生の仰る「振り」と言うか構成要素を覚えるのに必死。一度にそんなにいっぱい言われても、途中の4つか5つ目くらいで訳が判らなくなって来る。
 混乱するあまり、ジュテの時には、ついつい足4番を飛ばして5番にしてしまい、先生の注意を受けたのだった。幾ら何でも4番を飛ばすなんて初めてである。いかにテンパっていたかが良く判る(汗)。そして相変わらず、後ろへのタンデュとかジュテでは、足が外側に流れる癖を指摘された。ちゃんと真後ろに出すように癖を付け直さねば。

 センターに出てからはもう、本当にいっぱいいっぱい、あっぷあっぷで溺れそうである(涙)。タンデュもジュテもアダージオも、わたしがやってるようなのよりもずっとずっと動きが複雑なのだ。足に気を付けていればポール・ド・ブラが判らなくなる。さらにアレグロの辺りではもうギヴ・アップ気分。アントルシャ・カトルなんて、やり方を見てたことはあるけれど、実際に出来たことはない。
 アントルシャ・カトルとは足を互い違いにぴったり付けて立ち、ジャンプして空中で足を2回入れ替えて着地する技である。足を1回入れ替えるのはロワイヤルと呼ばれ、わたしが出来るのはここまで。アントルシャ・カトルだと、足を2回入れ替える前に地面に着いてしまうのだ(汗)。

 アラベスク〜シャッセ〜グラン・ジュテ〜(この辺曖昧)〜フェッテ〜(この辺も曖昧)〜アントラッセ〜(以下曖昧)などと言うパ(ステップ)の組み合わせなども、やったことあるパ、アタマで判っているだけのパ、聞いたことしかないパがごちゃごちゃになって大変である。先生や上手な方々の演技を見ながら必死で覚えようとするのだが、焦りも手伝ってメチャクチャになる。わたしはまだフェッテとアントラッセの違いも判んないよ〜(汗)。
 ともかく、途中で「こりゃ歯が立たないから見学にしようかな」などと、本気で考えたムボーな挑戦であった。中〜上級者向けはやっぱり難しい。付いて行けん(汗)。火曜日の午前中のクラスがギリギリ限度なので、チャンスを見付けてあちらにも通い、だんだんマトモに動けるようになったら再チャレンジすることにしよう。

 そして昨日の帰り道危ぶんだように、今日は身体中がギシギシ言うほどの筋肉痛に悩まされているのだった(汗)。特に下半身、中でも太ももと尻が痛い。歩くのが大変だよ…(とほほほほ)。




09/16 野菜料理のヴァリエ

2006/09/16 23:30
 晩御飯のメニュー構成は大体いつも同じである(マンネリとも言う/汗)。雑穀入りご飯、汁物、主菜、副菜、サラダ。主菜がシチューの類だったり、副菜が煮物だったりすると塩分カットのために汁物は省かれる。野菜が足りないな、と思ったら、菜っ葉のおひたしとか酢の物を追加することもある。
 家人も最近は減量に乗り気なので、ご飯の量と主菜は多少減らし気味(以前は2切れがデフォルトだった)。わたしは全部は食べ切らないので、汁物と副菜とサラダ(+おひたし)で満足である。朝御飯と昼御飯をしっかり食べれば、晩御飯はこの位軽い方が調子が良い。寝る前に「お腹空いたなあ」と思うくらいだと、翌朝きちんと食べられてリズムが出るのだ。

 最近ちょっと困っているのが、おひたしや酢の物などの小鉢のヴァリエーションである。おひたしなら青菜を茹でて搾り、かつおだしの素少々とすりゴマをたっぷり、減塩醤油で和えて出来上がり。毎度毎度同じではないかと思ったりする。青菜はモロヘイヤ、小松菜、ほうれんそう、つるむらさき、クウシンサイ、つまみ菜、間引き大根菜、青梗菜などを順繰りに使う。茹でて刻んだオクラのこともある。
 わさびや一味唐辛子を加えて味に変化を付けようともしているが、大体基本的にはおひたしだからやっぱり同じ系統の味。せいぜい梅肉和えにする程度くらいしか思い付かない。白和えという手もあるにはあるが、家人が白和えを嫌いらしいので、残念ながら封じ手なのだ。

 酢の物にしてもそうそうヴァリエーションがある訳もない。ワカメとキュウリをメインに、後はエビとかカニカマとか。炒り卵を入れるのも美味だが、基本路線の味が変わらないので、やっぱりどうもマンネリ感が漂う。なますという手もあるにはあるが、家人が大根を嫌いなので(以下略)…。
 という訳で、野菜料理がもう1品欲しいなと思った時のメニュー、良いものは何かないだろうかと最近探している。揚げ物と炒め物は好きでないので料理方法としては蒸すか茹でるか煮るか。家人の減量作戦を考えたらあっさり系が良いし、そうするとやっぱりおひたしとか酢の物に落ち着いてしまうのだが…(悩)。




09/17 有意義な一日

2006/09/17 22:14
 雨が降ったら友人Yさんのヴァイオリンの発表会、降らなかったら秩父宮ラグビー場へ早稲田大学 vs オックスフォード大学の試合を観に行こう、ということになっていた。台風接近中の今日この頃、降るか降らないかは結構微妙。ちょっと寝坊して10:30頃に起きたら、雲ってはいるものの降っていなかったので、ラグビー観戦に神宮外苑へ向かう。
 チケットを買ってバック・スタンドのセンターやや北寄り天辺に陣取る。ここならば後ろの方の迷惑にならないので、気兼ねなく日傘を差していられる。曇りの日でも屋外にじっと座っている場合、浴びる紫外線の量は馬鹿に出来ない。ところがその時、早くも霧雨が降り出したのだった。何と言うタイミング(汗)。

 晴雨両用の傘なのでそのまま差し続けて観戦。試合そのものは割にシーソー・ゲームで、ただしワセダはやっぱり今ひとつだった。前半はランニング・ラグビーでかなりスカッと出来たのだが、後半は一転してじめじめ…。やはり、中竹監督のイメージするラグビーと、選手たちのやりたいラグビーがフィットしていないのではないだろうか。個人的には「走る」ラグビーが観たい。中竹監督の仰る「我慢するラグビー」なんてストレスが溜まる(汗)。
シート・クッション  そして滅多にないことだが、入場時に貰ったラッキー・カードとやらで、わたしは見事「読売新聞社賞」をGETしたのだった。下2桁42というのが的中したのだが、こうなると「どうせならサイン入りレプリカ・ジャージが欲しかった…」などと呟いてしまうしょーもなさ。贅沢者である(汗)。
 ←の画像が貰ったシート・クッションなので、次回から活用させていただくことにしよう。

 帰宅後、家人が「今からスポーツ・クラブへ行こう」と言い出した。おお、やはりシェイプ・アップに対する熱意は本格的になって来たものと思われる。良いことである。草臥れ気味ではあったがわたしもお供してエアロバイク漕ぎ。軽くトレーニング・マシンも使った。大胸筋と大臀筋の鍛錬を目的としているのだが、こちらはなかなか効果が出ないなあ(涙)。
 それから晩御飯を作る気力は到底ないので(汗)、スポーツ・クラブからの帰り道、グラッチェ・ガーデンに寄って食事。寒いのと疲れているのとで重いメニューはノーサンキュー。雑穀が入ったポトフとシーザー・サラダを食べて満腹になって帰って来た。

 疲れたけれど有意義な日。家人は明日もスポーツ・クラブへ行くのだと張り切っている。わたしは明日はバレエなので、今日は早目に風呂に入って寝ることにしよう。
 そしてついでに今日の「よめな語・ムリムリサンデー」、珍しく読めたのも嬉しいことだった。囀る。読めても絶対に書けない漢字である(汗)。




09/18 アタマと身体の乖離

2006/09/18 23:30
 最近「閑古鳥掲示板」にエロ・サイト誘導目的の書き込みが非常に多い。見付け次第削除していたのだけれど、不精な家主なので(陳謝)、掲示板をチェックしない日も結構ある。先日1ヶ月放置というのをやらかしてしまったのでちょっと反省している。せめて2〜3日に1度はチェックしようと決めているのだが、エロ書き込みの主はもっとマメなようで…(汗)。
 面倒臭いのだが、ついに書き込みパスワードを設定することにした。閲覧だけならそのまま出来るけれど、書き込みはパスワードを入力しないと不可能となる。このページの上の方にあるように、書き込みパスワードは「cuckoos」。閑古鳥掲示板なのでその名を貰ったカッコーを使わせていただいた。複数形なのがポイントである(自画自賛)。

 宣伝目的の人は、わざわざこっちの日記を確かめてまで書き込みはしないと思う。暫くそうやって規制を掛ければ、じきに諦めて違うところへ立ち去るだろう。どうも同じ人ではないか…と疑わしく感じているのだ。
 書き込みして下さるお客様にはご面倒をお掛けしてしまうけれど、どうか暫くの間、ご不自由をお許し下さい(ぺこり)。

 さて今日は1週間の楽しみ、バレエのレッスン日であった。
 来年3月に発表会が開かれることが決まっているが、わたしはどうにか固辞することに成功した。2、3年後に第2回の発表会があるとしたら、その時にはぜひ参加したいとは思っているのだが、今回は幾ら何でも実力が伴わない。せめてダブルのピルエットを安定して回れるようになってからでないと…個人的にはそんな風に思っている。ポワントを履けるともっと良いのだがそれは高望みだろう。
 あと2年猶予があれば、その間にちょっぴりは上達出来るだろうし、発表会の参加費用を貯めることも出来る。少なくとも5万円掛かるとか言われてしまうと、ハイそうですかと出せるほどわたしの肝っ玉は太くないのだ(汗)。

 そんな訳で、最近のレッスンは後半1/3ほどが発表会の踊りの練習となっている。参加するメンバーはもちろん必修だが、参加しないメンバーも振り付けを教わって踊っている。曲目はチャイコフスキーの『くるみ割り人形』から「スペインの踊り」。ディヴェルティスマンの「チョコレート」と呼んだ方が通りが良いかもしれない。
 割に初心者でも振り付けによっては踊れるので、発表会の定番ナンバーであるらしい。今回のわたし達の振り付けも、ピルエットなし、フェッテやらアントラッセやらの大技もない。一番難しいのでグラン・パ・ドゥ・シャくらいだが、これとて両脚とも曲がりまくりのヘロヘロである(汗)。

 ついでに振り付けの順番もまだ良く判らない。細かい部分の手とか顔の付け方なぞ問題外。アタマでいろいろ「ええと次はピケ・アラベスク、シャッセ、グラン・パ・ドゥ・シャ(だっけ?)」などと考えながら動いている。もちろん身体はそれに付いて来てはくれず、出すつもりだった足と反対が出ちゃったりするのだ(とほほ)。
 今日のセンターのレッスンでは初めて「アントルシャ・カトル」を習ったのだが(先日スポーツ・クラブのS支店で出来なかったヤツである)、こちらも見るとやるとでは大違い。第1グループ(上手な方たち)がいとも簡単にこなしているのを凝視し、やり方を覚え込んだつもりでも、いざやってみると身体はその通りには動いてくれないのだ。

 互い違いに重ねた両足(5番ポジション)で踏み切り、右脚と左脚を2回入れ替えて、飛び上がる前の状態に戻る。S支店のレッスンでは「太ももを打ち付ける感じにするとやりやすい」などと教わったが、わたしの場合は問題はそんなところにはない。
 脚を2回も入れ替えるほど長時間、上空に留まって居られないのである。1回入れ替えるだけなら結構余裕なのだが(この技はシャンジュマンと呼ばれている)、2回となると途端に出来ない。上半身はワタワタしてはいけないとか、爪先はピッと伸ばしたままにするようにとか言われても…(汗)。

 アタマで考えることは無意味ではないと思うけれど、これがもうちょっと、身体を動かす筋肉に直結してくれればなあ。昔から運動神経の鈍さには自覚があるし、この歳だとますます、思う通りには身体は動いてくれないのである(とほほほほ)。




09/19 半年に1度

2006/09/19 23:50
 書き込みパスワードを設定した効果あってか、「閑古鳥掲示板」への宣伝書き込みは今日は起こっていない。まだ1日しか経っていないので油断は出来ないが、多分安心して良いのではないかと思う。やれやれ。
 ああいった書き込みを、削除しても削除してもしつこく投稿するというのはどういう人物なのだろうとちょっと不思議に思う。どれも別人ならおかしくはないけれど、どうも今までの感じだと同一人物ないしは同一グループではないかと疑わしく思えるのは昨日書いた通りである。

 そういえばニフティのアカウント宛てにわんさとスパムが届く。3桁のアルファベットと5桁の数字でランダム攻撃喰らい易いのと、以前このアドレスで懸賞に応募していたことがあるためで、まあ自業自得ではある。面倒なので許可リストに載せたアドレス以外から届くメールは全てスパム扱いして「迷惑メールフォルダ」に振り分けてしまう。
 以前も日記ネタにしたことがあるけれど、受信箱の中から多数のスパムを選り分けてゴミ箱へ捨てるよりも、迷惑メールフォルダの中に必要なメールが紛れ込んでいないかどうかチェックする方が、わたしとしては気分的にマシなのだ。

 迷惑メールフォルダの中、ずらりと並んだスパムのタイトルはいろいろである。多くは英語タイトルだったり意味不明の文字の羅列だったりする。そんな中、時折「ご無沙汰してます」とか「登録確認をお願いします」とか「同窓会のお知らせ」とかが混ざっていたりしてちょっぴり迷う。本当に必要なメールだったら困るなあ…と。
 受信箱に入れていた頃は、こういうのを念のためにいちいち開いて「チッ、これもスパムじゃないか!」とムカついていたのだ。今では差出人のアドレスをちょっと眺めて「要らん」と素通り出来る。この心境の変化はどういうことなのだろう。

 そして差出人の名前が各期間によって違うものの、妙〜にウェットなタイトルの常連スパムもある。「どうして連絡してくれないのですか?」とか、そういう類で、タイトルからプロファイリングすると(汗)非常に孤独で寂しい生活を送っている人妻、という設定になっているらしい。
 本文は開いたことがないからどうなっているのか判らないが、どうせ特定のアダルト・サイトへの誘導だろう。ある意味、このタイトルを考えている人は、結構面白がっているのではないかと想像してしまう。とは言えこういうじめじめ鬱々系の粘着質な女性に、アヴァンチュール目的で連絡を取りたがる男性なんて居るのだろうか疑問である。どうせならもっと軽いノリの方が成功率高そうな気がするが(もちろんそういうキャラ設定のスパムも存在する)。

 スパムとは全然関係ないが、今日は半年に1度の歯医者さんの日であった。家人の月イチの通院日が今日だったので、どうせならついでにと、歯医者さんの予約も入れてしまったのだ。
 定期検診ならば、虫歯や歯周病のチェックをして貰って、歯石をちょっとばかり取って貰って、ついでに歯の表面に染み付いた歯ブラシでは落ちない汚れをキレイにして貰えば終了である。虫歯を削ったり苦い薬を詰めたりという苦行に耐える必要はない。

 歯医者さんが怖くて怖くて堪らないので、半年に1度の定期検診は何があろうと絶対に欠かさない。逆説的だが、これが一番「歯医者で怖い思いをせずに済む方法」なのだと信じている。相変わらず掛かりつけの歯医者さんには、歯の手入れについては太鼓判を押して頂いているが、虫歯を削られるのが嫌さに必死なだけである(汗)。
 今回も無事「何の問題もありません。次回はまた半年後に診せて下さいね」と言われて終わった。やれやれ、ホッとした…。家人もどうやら無問題だったらしい。良かった良かった。

 しかし家人共々毎回気になるのは、掛かりつけのI歯科医院さん、いつ行ってもガラ空きなことである。流行ってないのは間違いない。決してヤブではないと思うが、良く考えると、定期検診でヤブも上手もないかもしれない。しかし以前ちょっと虫歯になっちゃった時に削られたけれど、そんなに痛くもなかったけどなあ。
 もしも万が一I歯科医院さんが潰れてしまったりしたらどうしよう。怖くない歯医者さんを新規開拓するのって、わたしに取ってはものすごーーーーーくストレスなことなのだが…(心配)。




09/20 任務放棄

2006/09/20 23:57
 一般的には非常にマイナーな話題なのだが、シュミである人々に取っては非常なる大事、という問題が出来している。ラグビーの日本代表ヘッド・コーチであるジャン−ピエール・エリサルド氏が、地元フランスの1部リーグに所属するアビロン・バイヨンヌのスポーツ・マネージャーを引き受けてしまったのだ。
 エリサルド氏ご本人は「兼任出来るから問題ない」とのたまったそうなのだが、バイヨンヌ側も相当面倒を見て貰うつもりらしく、どう考えても二足の草鞋は履けっこない。サッカー日本代表監督に就任したイビチャ・オシム氏だってジェフ・ユナイテッド市原との兼任は無理だったのに、エリサルド氏の場合、2つのチームの間にはユーラシア大陸がドデンと広がっているのだ。

 当然、ファンの怒りは大爆発である。わたしの場合、ただでさえこの監督のチーム運営には疑問があった。「臨機応変なラグビーを出来るように」と言うのがお題目だったのだが、それってつまり「行き当たりばったり」なのではないか? ついでに言えば、ワセダのSO・曽我部佳憲選手をジャパンに招集しておいて、個性を活かさぬ起用をした挙句に自信喪失させて返して寄越したという罪もある。
 若い選手を育てるどころか、萎縮させてしまってどーするのだ。家人は「大袈裟な」と笑うけれど、わたしから見て曽我部選手はモーツァルト・タイプの天才である。伸び伸びプレイさせないと本来の魅力は出て来ない。「臨機応変」と言うから最初は合っているかと思ったのに、実の所は無駄に型に嵌めようとしていたようだし(ぷんすか)。

 関係者も怒りまくっている。著名なラグビー解説者の村上晃一さんも、ご自身のブログで連日長文をアップしていらっしゃる。普段は穏やかで、こんなに厳しい文章を書くのは珍しい方なのに、彼をしてここまで書かしめるというのはよっぽどのことなのだ。
 そしてあろうことかエリサルド氏は「フランスのチームのポストは手放さない。兼任出来るから大丈夫だけど、気に喰わないなら解任しても良いよ」とのたまった。ううううううむ…(汗)。ちょっと酷いのではないだろうか。

 実は今夕、日本ラグビー協会の8強会議とやらで、エリサルド氏の今後についての話し合いを行なったという。当然、解任だろうな。恐らくファンや関係者皆さんそう思っただろう。しかし結論は…まさかの先送り。もう1度「バイヨンヌを辞めて日本に戻って来て下さい」と要請して、それでもNOだったら、処遇を改めて考えるのだという。
 何ががっかりってこの結論が最悪である。ラグビーなんて荒っぽいスポーツやってた人たちなのだから、もうちょっと何と言うかその、決断力とか行動力とかあっても良いのではないだろうか。エリサルド・ジャパンが物凄い成績を挙げていて、他にヘッド・コーチは考えられないというのであればともかく、実際は全然そうじゃなかったんだし。

 ああもう見ていてイライラする。大好きなラグビーが、こういう形でうじゃうじゃしているのは耐えられない。選手たちだって気の毒である。チームを指揮する人間の力量によって、同じ選手たちの働きが雲泥の差を示すのは、清宮監督時代のワセダと今年のワセダを見ていれば確かに納得出来る。けれど、選手たちだって大人なんだし、必ずしも天才的な指導者でなければならない、ということはないような気がする。
 システムと目標と規範だけ示して、後は自主性に任せるってのではダメなのだろうか。まあそれには、日本代表チームを相当期間、それこそ寝食を共にするような合宿生活に叩き込んで有機的な意思疎通を出来るようにせねばなるまいと思うけれど…。




09/21 同じ物差し

2006/09/21 23:55
 数日前に目にしたニュースに「スペインのファッション・ショーで“痩せ過ぎ”モデル5名が失格」というものがあった。早晩消えてしまうだろうがソースはこちら。目安となるのは身長175cmで56kg。これより体重が少ないとダメなのだという。BMIを計算してみたら18.28と出た。BMI判定からすると確かに「痩せ」だが、それほど極端ではない。拒食症で命の危険を心配せねばならないような数字ではないと思う。
 わたしの場合、BMI18.28というのは体重約44.5kg。こんなに痩せたことはほとんどないが(あったとしてもほんの一瞬)、同じくらいの身長でこのくらいの体重の友人・知人は結構居る。彼女たちは決して無理なダイエットはしていないし、不健康に痩せているという印象もない。ヘタするとわたしよりもエネルギッシュだったりする。

 …と言う内容の日記を数日前にmixiに書いたのだが、今日、コメントを書いていてふと思い付いた。BMI(体格指数)とは、算出するに当たり、身長の関与がちょっと足りないのではないだろうか。
 BMIは「体重(kg)÷身長(m)2」で計算される。しかし体重というのは体積に比例するものだろうから、実はこれは「身長の三乗」を絡めた方が良いのではないか、と思ったのだ。元々のBMI計算式がどういう根拠で導き出されたのか良く判らないのだが。

 以前から、BMIは背の低い人には甘いなあ、と感じていた。例えばわたしの場合、標準とされるBMI22の時の体重は53.5kg。体調がベストだと感じる体重はもうちょっと少なくて、大体50kg前後だろうか。正直なところ、54kg近くもあったら身体が重くてしんどい。
 一方身長175cmのモデルさんのBMI22は67.4kg。印象でしかないが、それほど「身体が重そうだ」と感じることもない。さらに身長が185cmある方だとBMI22は75.3kg。これもむしろかなりの細身であるように思える。やっぱり、BMIとは、身長が低い人には甘く、高い人には厳しい数値なのではないだろうか。

 BMIをもう1回身長(m)で割ると、先ほどのファッション・ショーでの基準である「175cmで56kg」は10.45。身長160cmの人の場合、同じ指数の時の体重は42.8kg。確かにこれだと、少々痩せ過ぎかな? という印象を受ける数字である。最も、本当のところ一番問題となるのは体脂肪率だと思うのだが、まあそれは今は措くとする。
 見た目の印象が「160cmで42.8kgの人」と「175cmで56kgの人」が同じだとすると、ファッション・ショーでの合否判定基準が「56kg」だというのも納得、かもしれない。どういう基準で弾き出した数字なのかは不明だが。

 そんな訳で、BMIと言うのは、体脂肪率の違いを無視する問題点の他に、身長差による揺れが大き過ぎる物差しだ、とも言えるような気がする。統計的に見てBMI22とは「一番病気に罹り難い」数値らしいが、少なくともわたしの場合、最も調子の良いのはBMI20〜21程度。
 以前「体調を整えるために、身体は勝手にBMI22の体重に近付こうとするのだろうか」と日記に書いたこともあったけれど、良く良く考え直すとやっぱり、BMI22だと重過ぎるのである。もちろん個人差はあるだろうが。

 ともあれ、ファッション・ショーとは現実的な衣服をお披露目する催しというよりも、芸術作品の表現の一方法と考えた方が良いような気がする。そこに登場するモデルさんたちも、例えばアスリートさんたちと同様、いわば極限状態で勝負する人たちな訳だ。同じ身長体重でも、モデルさんの体格はやっぱり特別である。一般的な物差しでは計れない体格とか能力とかを持っていると想定するのが妥当な気がする。




09/22 だいぶお疲れ

2006/09/22 16:40
 どうも今週は疲れが抜けない。どうしてだろう…と考えたら、月曜日が祝日で、火曜日は月イチ通院日で、それぞれ家人が在宅したからなのだった。一緒に居て疲れる訳ではないが、家人が居るとどうしても仕事が増えるし、日常業務のテンポも普段とは違って来る。自覚していなかったが、恐らくその分の疲れが今頃出て来たのだろう。
 ついでに、最近どうしてもアタマを離れない気掛かりがじゃっかん存在し、そのせいかどうも寝付けない。これだけ疲れていれば、普段ならベッドに入ればバタンキューのハズなのだが、何故か「眠気はあるのに眠れない」状態に陥っている。おかげで昼間眠くて堪らないが、昼寝ではどうも疲れが取れないのだ(困)。

 こういう時はカーッと運動してとことんまで身体を疲れさせ、お風呂に入ってすぐさま眠ってしまうのが良いと思う。昨日も木曜日なのでスポーツ・クラブに出向き、ピラティスとバレエのクラスに出席した。とは言え、ピラティスのクラスは比較的負荷が軽いし、バレエは時間が30分しかない。30分なんて、バー・レッスンの基本的なことしか出来ず、身体が温まったと思ったらもう終わりなのだ。
 せめて1時間、理想的には90分のレッスンがあると良いなあ、と思う。「ご意見コーナー」にメモを書いて、移動式でも良いのでバーの導入と、レッスン時間の延長をお願いしているのだが、未だに実現しない。レッスンの後、独りでピルエットやらグラン・バットマンやら(後は発表会の「スペイン」の振り付けも)自主練をしたけれど、どうにも動き足りない。

 先週のS支店での中〜上級者向けレッスンだと、今度はやることが高度過ぎて付いて行けず、結局動けないまま終わってしまう。その辺りの按配がなかなか難しいなあ、と思う。バー・レッスンだけで1時間というクラスがあれば理想的なのだが。それにしても、このわたしが「動き足りない」などと思う日が来ようとはオドロキである。やっぱりちょっとずつでも体力が付いて来ているのだろうか(嬉)。

 ところで昨日、思い切ってレッスン後、インストラクターの先生に質問してみたのだった。アントラッセとフェッテの違いって何ですか? 両方とも、片脚を振り上げてジャンプし、片脚で着地する(比較的)大技なのだが、わたしにはその区別が付かなかったのだ(汗)。
 答えは、フェッテは振り上げた脚と逆で着地し、アントラッセは振り上げた脚に逆脚を引き寄せ、振り上げた脚で着地する、と言うことらしい。両方ともジャンプしてから180°振り向いて降りる点が同じ。イメージ的にはアントラッセは、昔懐かしい「ゴム跳び」で腰の高さくらいのゴムを跳ぶ時の動きに似ている。ただし、ゴム跳びのように両脚がバラけてはダメで、空中でちゃんと1番の形を通らなければならない。

 両方とも今のわたしには難しくて出来ないのは変わりないが、どちらかと言うとまだフェッテの方が見込みあるかなあ、と思う。アントルシャ・カトル(5番の足からジャンプして、空中で2回足を入れ替えて着地)も上手く出来ないし、結局のところ跳ぶ力がまだ弱過ぎて、空中で体勢をどうにかする余裕もへったくれもない。高さというか滞空時間が全然足りないのだ。
 脚の筋肉も足りないのだろうし、恐らく「腹で引き上げる」感覚も判っていないのだろう。これが習得出切れば、ピルエットなども随分ラクに回れるようになると思うのだが…。

 運動神経の鈍い人間だし、しかも始めた年齢が年齢なので、進歩はじれったくなるほど遅々としている。とは言え、インストラクターの先生によれば、始めた頃とは姿勢も体型もだいぶ変わったらしい。足の甲もかなり伸ばせるようになったので、そろそろポワントを履いても良いかもしれませんよ、だそうである。リップ・サーヴィスとしてもやっぱり嬉しい。
 ポワントかあ。長年の憧れ、履けるものなら履きたい。しかしポワントだけ買ってもレッスンが受けられるかどうか。スポーツ・クラブのバレエのレッスンではポワントどころではないし、バレエ教室のポワント・クラスは時間が合わない。どの道、発表会が終わるまでは、新しくポワントのクラスを始めるどころではないだろう。

 スポーツ・クラブに居た時間の割にやっぱり動き足りなかったのか、考え事のネタが増えてしまったせいか、結局昨夜も寝付かれなかった。アタマと身体が重いので、どうにかしてぐっすり眠りたいなあ、と困っている今日この頃である。




09/23 辻褄が合わない?

2006/09/23 22:10
 疲れが抜けない理由は見当が付くのだが、このところどうもくしゃみ・鼻水・鼻詰まりが酷い。風邪でも引いたのだろうか(ガクブル)と思っていたが、何となく風邪とは少々違うような。わたしの場合、風邪を引くと間違いなく熱を出すのだが、特に寒気がしたり熱っぽかったりすることはないのだ。
 そして遅まきながら心当たり。もしかして、秋の花粉症かもしれない。春は当然のこととして、秋もブタクサやらセイタカアワダチソウやら、あの手の花粉に+++なわたしである。ついこの間まで暑かったけれど、もうそんな花粉の飛ぶ季節なのだなあ(慨嘆)。鼻具合で季節の移り変わりなぞ実感したくもないのだが(とほほ)。

 祝日なのでのんべんだらりんと寝坊して、ほとんど昼に近い今朝、朝御飯を食べている時であった。
 いつものごとく新聞を読みながら食事をする家人。反対側から眺めるともなく紙面を眺めていると、ふと気になる記事に目が留まった。「未婚で恋人が居るのは男性24%、女性32%」。去年の6月、18〜34歳の男女にアンケートを取った時のデータらしい。「恋人として交際している異性が居る」という質問にYESと答えたのは女性で31.9%、男性で24.3%だったと言うのだが…ふと、引っ掛かった。
 何故、同じ年齢層の男女に同じ質問をして、YESの回答に男女差があるのだろう? ちょっとやそっとならば誤差で片付けられるけれど、24%と32%、8ポイントの差というのは無視出来ない。

 年齢層が18〜34歳だから、女性が付き合う相手は35歳以上が多かったのか。晩婚化が進んでいるというからなあ。あるいは「女性は恋人だと思っているのに相手はただの友達だと思っている」とか。その他にどんな可能性があるだろう。家人に訊いて見たところ「妻帯者と付き合ってる女性が含まれてるんじゃないか?」と不穏な発言(汗)。
 朝から夫婦揃ってアホな想像を巡らせてしまった。

 しかし結局のところ、この8ポイントの差は何故なのだろう。良く読んだら「結婚経験のない独身者」を対象とあるので、バツイチ男性と付き合う女性が多い、というだけなのだろうか。しかしバツイチ男性と同じ数だけバツイチ女性も居る訳で、やっぱり男女共、基本的条件は変わらないような気がする。ちょっと謎めくアンケート結果であった。

 くしゃみ・鼻水・鼻詰まりは、家人にドラッグ・ストアで鼻炎薬を買って来て貰って飲んだらマシになった。やっぱり秋の花粉症だったか…(とほほ)。




09/24〜25 とても哀しい

2006/09/25 12:50
 友人を亡くした。「友」と気軽に呼ぶのも恐れ多い、まさに畏友だった。
 こんなに哀しいのに、日常生活は待ったナシでこなさなければならないし、理不尽にもお腹が空く。
 別の友人を亡くした時も、父を亡くした時も、さらにまた別の友人を亡くした時も、そんな風に感じたっけなあ、とぼんやり思い出す。何と言うか、立ち止まって考える暇もないのが辛い。生きて行くってこーゆーことなんだ、慌しいなあ。そんなことを考えながら、諸々の家事を片付けている。

 もう病気があなたを苦しめることはないから、ゆっくりお休み下さい。どうか安らかに。




09/26〜27 そして忙しい

2006/09/27 12:04
 いろいろと片付けなければならないことが山積みで、目が回りそうに忙しい。けれど身体を動かしている間は、込み上げる悲しみを忘れていられるので、ちょっと助かるかもしれない。その分、一息ついてゆっくりするとドッと来るのだけれど。
 キモチもスケジュールもいっぱいいっぱいなので、だいぶ尖がっているらしい。昨夜もささいなことで家人と喧嘩(反省)。わたしとしては、余裕がなくてピリピリしているのも、精神状態がどうかしているのも自覚がある。普段なら冗談に紛らわせてスルー出来る家人のジャブに、いちいちカチンカチンと来てしまうのである。
 言わずもがなのことを、挑発的な口調で言うのは暫く控えてくれると良いのだが…。

 友人が作っていたサイトとか掲示板、チャットなどはどうしたら良いのだろう、と少し悩んでいる。無料の掲示板やチャットは放置しておいても大丈夫かもしれない。本当はきちんと停止手続きをせねばならないのだろうが、今となってはもう、設定用のIDやパス・ワードを知る由もない。
 サイトの中身は、消えるに任せるにはもったいない。友人が書いた過去の記事なども載っている。もちろん遺品を捜せば大元のデータが見付かると思うのだが、サイトにアップされている分はきちんと整頓されているのだし。ペーパー・メディアで残っている仕事等は、ご家族が保存して下さると思うのだが…。

 ウチのゑるぎりうすと懇意にしてくれていたハーボット君が、独り取り残されて俯いていた。ハーボットの「ご飯」はサイトを更新する行為そのものである。ハボ君がどんなに待っても、ご飯はもう永久に出て来ない。そう思ったらまた涙が溢れた。




09/28〜29 少しは浮上せねば

2006/09/29 17:48
 まだまだ生々し過ぎて、縁の品や過去の書き込みを見るだけで苦しくなる。が、流石にそろそろどん底からは浮上しないと、少なくとも浮上する努力はしないとな、と思い始めている。どんなに嘆いても、逝ってしまった人は還らないのだ。ヘヴィなショックを残して逝った友人や父のことを思い出して、しっかりしなきゃと自分に活を入れるのだが、なかなか思うようにならない。

 昨日は木曜日で、スポーツ・クラブでのバレエのレッスンがあった。ついでにピラティスのクラスも取っている。身体を動かしている時には忘れられると、ここ数日で良く判ったので、あまり気が進まないながらも出席。やっぱり出て良かった。運動している時は、アタマが空っぽになる。暫くはあれこれ用事を入れて、忙しくしているに限る。
 同じクラスを取っているメンバーの方々から口々に「まとり(仮名)さん、なんだか随分身体が絞れたんじゃない?」とのお言葉をいただく。えへ、そうかな。ピラティスとバレエの成果がそろそろ出て来たのではないかと嬉しくなったので、皆さんには「スポクラ様様よ〜♪」と答えた。まだまだ余分な脂身は沢山付いているぷよぷよの身体だが、サボらずに3年くらい続ければ、バレリーナのようなしなやかでスリムなボディも夢ではない(かもしれない)。

 ちょっと変かな、と思ったのはバレエ・クラスでバー・レッスンをやっている時。バー・レッスンと言っても、そのクラスが行なわれるスタジオにはバーがないので、鏡に手を付いてのレッスンである。いつも「やりにくいなあ」と不満に思っているのだが、昨日は格別にバランスが取り辛かった。
 クラス終了後、暫く自主トレしてから帰るのだが、その時インストラクターの先生に注意を受けた。「まとり(仮名)さん、キツいダイエットしてるの? 先週から比べて随分窶れてしまったんじゃない? 1週間でその減り方はちょっと急ですよ」。
 特にお腹が空いたのを我慢している自覚はないので、「夏ばてした分が今頃出たのかもしれません」と答えたが、そこでハタと気が付いた。もしかしてこの1週間、ちゃんと食べているつもりで、確かにあまり食べてないかも…?

 親しい友人を亡くしたので、ちょっとそのショックで食事量が減っているのだと思います、と返事して御礼を申し上げる。先生に指摘していただいて良かった。気が付かないままズルズル減ると、わたしの場合、限界を突破したところでいきなりバッタリである(汗)。更衣室で念のために計ったら、5日間で2kg近く減っていた。
 1ヶ月に2kg減る分には大歓迎なのだが、どうしてこう何でも極端かなあ>自分。とりあえず、栄養バランス等も意識してちゃんとご飯を食べよう。のんべんだらりんと食べたり食べなかったりして減った分は、今までの経験上、暫く経つと見事なまでにきっちりとリバウンドするのが常である。しかも全部新たな脂身となる(汗)。油断禁物…。

 ところで全然関係ないが、一昨日だったか、札幌ドームで行なわれた新庄剛志選手の引退セレモニー。プロ入りした当時の背番号63のユニフォームにお別れを…という趣旨はなかなか感動的だったのだが、BGMがエリック・クラプトンの「Tears in Heaven」なのはいかがなものか。別れの歌と言えば言えるけれど、別れの種類が全然違うではないか。別に引退したって、もう新庄選手に会えない訳ではない。ファンは、新天地へと旅立つ新庄剛志氏を、これからも見守ることが出来るのだ。
 「天国で会ったら、名前を覚えていてくれる? 以前と同じで居てくれる?」。クラプトンがシンプルに歌うあの曲を、今のタイミングで聴くのはちょっと辛かった。別に誰が悪い訳でもないけれど、趣味が良いのか悪いのかちょっと判断に困ってしまう。ともあれ、「強くなって、生き続けなければ。わたしは天国には居られないから」。やっぱり良い歌である。今は辛過ぎるけれど。




09/30 3本分サボっている

2006/09/30 16:56
 映画の感想文を書こうとして、結局なし崩しになってしまっているのが3本分もある(汗)。
 1本目は『ユナイテッド93』。2001年9月11日の同時多発テロで、自爆テロのためにハイジャックされた4機の飛行機のうち、唯一目的地に突っ込まずに墜落したユナイテッド航空93便の物語。機内から身内に掛けられた電話や、キャビン・アテンダントと事務方との交信記録などなどから「中で起こっていたことはこうもあろう」と推測された出来事を構成した、ドキュメンタリー風の作りになっている。
 言うなればティプトリー・Jr.の『たったひとつの冴えたやり方』に登場した「ファクト・フィクション」と呼ぶべき類だろうか。映画に登場した人物たちにも、管制室の責任者氏とか、管制係官とか、「As himself」というキャラクターが随分沢山登場していた。その重み、切迫感、どれも迫力だったと思う。

 テロリストたちを必要以上に「悪魔的」に描いていなかったのも公平で、おかげでリアリティが増した。乗客たちの決死の突撃、そしてそこへ至るまでの首筋がチリチリするような緊迫した「打ち合わせ」。中心人物の1人が元ラガーメンで、行動力と決断力に溢れた男性だったのに喜んじゃったりする辺り、我ながら阿呆っぽくてちょっと自己嫌悪(汗)。
 空軍関係者たちのヘタレっぷりが哀しかったが、平穏無事な日常からいきなり臨戦態勢に放り込まれたら、誰でもあんな風になるのではないかとも思う。少なくとも、疑わしい旅客機を片端から撃墜するような軍隊ではなかったことは、むしろ喜ぶべきことなのだろう。実はユナイテッド93便は空軍に撃墜されて目的を果たせなかったのだ、という説もあるけれど。

 2本目は『UDON』。最初から最後まで、どこもかしこも観て楽しいエンターテインメント作品。深みとか重みとか含蓄などは欠片もないが、観終わった後で「ううむ、讃岐うどん食べたいなあ」とついうっかり思ってしまったのは流石である。ユースケ・サンタマリア氏のそつない演技力と、小西真奈美さんの愛らしさが見もの。
 一時の爆発的ブームに伴う弊害について触れられていたのは良いけれど、作っているのがフジなので「お前がそれを言うかよ(呆れ)」と思ってしまったのも確か。とりあえず、鑑賞しての後味が爽やかだったので観て損はない作品。

 3本目は『日本以外全部沈没』。いや、面白かった♪ 面白かったのだけれど、観ながら「ええんかいな(汗)」と思ってしまうシーンや設定やキャラクターがばしばし出てくるのも確か。ワハハと笑いつつ、素直に笑い切れないのが流石、筒井康隆御大の作品である。
 防衛庁長官役だったか役で出て来た藤岡弘、さんが余りに「それっぽく」演じていたので、何だかお尻がもぞもぞする違和感を覚えた。ううむ流石だなあ。あんな自衛隊関係者(もしくは政府関係者)、居たらすっごくイヤだなあ。
 「俺」役の小橋賢児さんは『ちゅらさん』の文也君以来だけれど、生硬さというか生真面目さが活きていてハマり役。外人さんたちの演技が下手だったのは仕方ないとして、映像がスクリーンに耐えられないほど荒かったのがちょっと残念だったかもしれない。まあ、その辺のチープさもスパイスとなってはいたのだけれど。

 この3本、気が向いたらきちんと感想文を書こうと(まだ)思っているのだけれど、決定的な動機というかインパクトがなかったのが、延ばし延ばしにしている理由だろうか。さて、次は何を観に行こうかな。帰り道に呆然とするくらい手応えのある作品を観たいなあ。
 そういえば前編で呆れてしまった『デスノート』、後編を封切る前に、前編のTV放映をしてしまうらしい。よっぽど興行成績が悪かったのか。まあ、あの出来じゃあなあ…(汗)。