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1996年8月9日 東京〜西安〜蘭州 |
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| 夕方の蘭州郊外の田園風景 |
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今年に入って2度目のシルクロードの旅が始まった。今回は、メインテーマが三菱のパジェロでタクラマカン砂漠を一周することだ。具体的には、日本からまず空路北京に入り、そこから西安を経由して敦煌へ。ここから、パジェロでのキャラバンがはじまる。乗り物こそ、古のらくだや馬から近代的乗り物にかわったものの、とにかく砂漠へと踏み出すのだ。敦煌を出発してまず西域南道を西に走ってカシュガルまで行き、今度は天山南路を敦煌へと戻ってくる旅である。途中、西域南道では玉で有名な和田(ホータン)、ミーランの遺跡のあるチャルチェンなどを通り、天山北路ではコルラやクチャを通ってトルファンに出るのだ。
今日は、大阪出発組と成田出発組があり、私は成田から北京に飛び、北京空港で両グループが合流して国内線の飛行機に乗り換えて甘粛省の省都蘭州に向かった。
蘭州の中川空港は市内から車で1時間ほどのところにある。夕暮れの弱い光の中を、近頃できたばかりと言う空港と市内を結ぶ舗装道路を市内に向かった。所要時間は50分強。
蘭州は、黄河に沿って形成された町である。両側を山に挟まれ、川に沿った細長い土地に箱庭の様な町が拡がっている。町の何処からでも20分も歩けば黄河のほとりに出る。この地形のせいで、蘭州は市内から近いところに空港を作ることができなかったのだ。首都の長安(現在の西安)からシルクロードの旅に出発すると、この蘭州は必ず通る通過点だ。その昔は、羊の革袋を筏に縛り付けた船で黄河を越えたという。現在は川に沿って濱河路(ひんがろ)という大きな通りが走っている。このあたりでは黄河の幅は150mほどしかなくて、川には中山橋という大きな橋がかかっていた。町は、新しく出来た高いビルとその後ろに申し訳なさそうに身を潜めている昔からの建物があり、それでも、文明のにおいがする。川にそって、町が出来、川沿いから建物が新しくなる。これは、川のもたらす経済的恩恵が、そのままあらわれているようで何とも不思議だった。
蘭州のホテルは前回の春のツアーでも泊まっている。ロビーの公衆電話から猫のお守りの玉青ちゃんに、虎千代の薬の件をもう一度連絡した。
夕食は、甘粛省旅遊局長主催の歓迎夕食会だった。そこで、前回のシルクロードの旅の西安での完走祝いのパーティで出会った、甘粛海外旅行公司の王さんと常さんに再会した。先方も私を覚えていてくれて再会を喜んでくれた。2度のツアーともにシルクロードに関係した結構ヘビーな旅行なので、「タフですね」と王さんは笑っていた。王さんは日本語が全然だめだが、常さんの日本語は大したものだ。特に彼女の日本の社会に対するセンスはすばらしいものがある。こうした女性の進出が甚だしい点、そしてその肝心の女性が精神的に自立してとても強いのが現代中国の特徴だ。
今日は、今回の現地ガイドとして私達につきそう李さんに、8月25日の敦煌の1日観光の日に、個人の手配でガイドをやとって、ゆっくり莫高窟を見学したいという希望を出した。もちろん、その時間内、グループとは別行動になってしまうので、予め添乗員のさっちゃんには予め了解を得ておいた。別行動の間のアクシデントはすべて私が一人で責任を負う、別行動中にもツアーのオペレーションに支障を来さないよう最大限の注意を払う、その責任関係だけは私がきちんと理解しているということを伝える必要もあったからだ。さっちゃんは、分かりましたと言ってくれたが、何か問題を起こしたときには、結局、彼女が尻拭いをしなければならない。それだけに、細心の注意を払う必要があったし、そのための計画はとっとと進めなければならない。海外旅行で一人で行動するには、何より、綿密な下調べときちんとした計画がかかせない。自分の身は自分で守らなければならないのだ。
これだけが出発前からずっとひっかかっていたので、とにかく、可能な限りはやく希望を出しておこうと思ったのだ。
いよいよ、タクラマカン砂漠4WD爆走ツアーの幕が切って落とされた。
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