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1996年8月16日 ホータン〜カシュガル |
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| オアシスの運河とひつじ |
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今日は曇りで、一目眺めるのを楽しみにしていた大崑崙山脈は見ることができなかった。崑崙と言う音には、なんだか、夢をかき立てるイメージがある。せめて一目見たかった。日照時間の長いこの地方で、曇り空を見られることが何となくラッキーな様な気もしたけれど、やはり、山は見たかった。
午後はいよいよあこがれのカシュガルがもう少し、と言うところまで来た。
英吉沙(インギサール)では、名物のナイフを4丁お土産に購入した。このナイフ、ナイフ本体と鞘のカバーは、別々に値段がついている。ナイフの刃は、別にお金を2元払ってつけてもらうことになっていた。しかし、グラインダーで刃をつけるとその部分から錆びてくると言うので、私は求めた4本のナイフすべてに刃は付けて貰わなかった。第一、刃がついていたら怖くてもてないような、あるいは、刃渡りでひっかかって、税関も通れないような立派なナイフだった。
カシュガルの手前のヤルカンドで、見事なポプラの並木を写真に納めた。あとは、ひたすらカシュガルを目指して車をとばした。もうすぐ、もうすぐ、あこがれの町に着く。気持ちが妙に高揚した。
敦煌を出発して6日目、やっとカシュガルに着いた。距離にしてどのくらいだろう。3000キロくらいはあるのだろうか。私にとっては、カシュガルはあこがれの都市だった。あの、子供の頃のNHKシルクロードで見た、美しい民族衣装に身を包み、踊る娘さん達、遠くにそびえるパミールの山々。思えば、私のあこがれも又、あの番組に育てられたものだ。
今年の春の旅行でも、カシュガルを通るルートではなかったことが、たった一つ残念に思えた。思えば、このカシュガルを訪れたいと言う素朴な気持ちが、結果的に一年で約100日をシルクロードの上で過ごすことになってしまった理由だ。そういう意味でカシュガルは長い間のあこがれの地だった。
シルクロードの半ばにあり、民族の十字路といわれ、中国内のシルクロードの西の端に位置するカシュガルには、いざ着いてみると何となく騒がしい様子、異国のムードとやはりシルクロードの主要な都市の風格があった。明日はゆっくり町が見られるだろうかと思うと、本当にうれしい。
町を行く、ロバ車にまで、何とも言えない懐かしさを感じた。とうとうやってきた。西の果ての町である。
この夜は色々な人に絵はがきを書いて過ごした。旅に出る前から、カシュガルからはがきを出そうと決めていたのだ。送る相手の顔を思い浮かべながら、あれこれとはがきを書いていたら、夜はあっと言う間に更けてしまった。
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