|
|
1996年8月25日 敦煌 |
|
|
| 莫高窟で最高の金額の有料窟 |
|---|
夕べ壮絶に飲んだ割に、スッキリ目が覚めた。肝臓が元気らしい。今日は、最初の日に、蘭州で依頼して置いたプライベート払いのガイドさんと莫高窟の個人見学だ。莫高窟には、二つの種類の解放された窟がある。決められた入場料で見学できる無料窟と、5段階くらいにわけられた料金を払って見学させて貰う有料窟だ。今回はその有料窟をなるべくたくさん見学したかった。つまり、1日どっぷり莫高窟に浸りたかったのだ。きちんと見るには、1週間とも1ヶ月とも言われる有料窟だが、私に今回許されているのはたった1日だ。有料窟で支払ったお金は13窟全部で、1360元だった。日本円で1万5000円と言うところか。1日で満足のいく見学が出来る道理もなかったが、それでもとにかく一度全部を見たかったのだ。
有料窟の料金の他に、甘粛海外の手配で、かくさんというガイドがついて、私達の乗ってきたパジェロのうち、甘粛海外の所有の1号車(のこりは、嘉峪関市の所有だったり、石油省の所有だったり、つまりこのツアーのためにかき集めてきた車なのだ)を1日チャーターする手配になっていてそれの費用が810元。
莫高窟では、自分の教養が足りず、仏教的にも絵画鑑賞と言うことでも自分が十分に壁画のバックグラウンドを理解できないことに大変悲しい思いをした。又いつか戻って来れて、ここを訪れることが出来る日までにもっと沢山の知識を得たいと痛感した。しかし、相変わらず御仏は懐が広く、浅学非才の私にも、信仰心の大切なこと、エネルギーの巨大なことを教えて下さったし、一生の思い出になる、そして又この壁画をみたいと思える壁画にも出会えた。
今日、一つ痛感したこと。こちらのガイドさんは、皆いわば国家公務員で、エリートである。そのガイドを雇って、私は、彼に私のために行動してくれることを望んだ。具体的には、より高濃度で説明を受け、よりたくさんの窟をみたいと思っていたのだ。そのためには、よく計画を立てて順番に見学をしたかったし、中国語を日本語に訳すだけの時間がもったいないので、日本語のガイドを雇ってくれと話もしてあった。
ところが、彼は、自分の判断で私が見学する窟を決めむちゃくちゃなルートで見学をさせ、同じく、自分が通訳するので必要ないと言って、日本語のガイドがいたにも関わらず中国語のガイドを雇った。私はタダでさえ短い見学時間を有効に使えなかったと感じていた。そして、お金の問題はなかったのに、見学時間いっぱい見学をさせてくれなかった。そのことをきちんとさせようと話をしたら、彼は、「これだけ見せてもらって何が不満なのだ、ありがたいと思うべきだ」という。
キャラバンに出る前に、蘭州で食事会に出てきた甘粛海外旅行社のトップクラスは、この資本主義的なお客を満足させてお金をもらうという概念を理解していた。しかし、この青年は、官権が与えてくれるもので満足しろというような意味のことを言って、一歩も譲らなかった。これだけやってやったのに、何が不満なのだと、言い争う私たちに割って入ってくれた添乗員のさっちゃんにも、大いに嘆いたらしい。私は、彼に、自分のいうことを理解させることを、早々にあきらめて夕食の食卓についた。
夕食は甘粛海外の敦煌支店長の慰労夕食会。大変なごちそうが並んだ。しかしおっかなびっくりで箸を付け、かつもう2度と食べることはないと思えた料理が出た。らくだ。らくだって、動物園で見るくらい。鳥取の砂丘とか、伊豆大島の砂漠には観光用のがいるけど、あれをお料理して食べる。例によって、もうこんな体験は出来ないかもしれないと、それだけで箸をつけた。食べてる途中で、正直言って、あのかわいらしい、らくだの目が思い出されたけど、おいしかった。でも、かわいい目と言えば、ぶたさんも牛さんもかわいい目をしているけれど、すき焼きや、酢豚を食べているときに思い出すことはない。これは、やっぱり慣れの問題か。
1日、莫高窟でメモを取りながら、必死に観光して歩いたら、くたびれてしまって、夕食後の月牙泉と鳴砂山の観光はさぼってしまった。
| "前日"へ | "翌日"へ |