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1996年8月24日 ハミ〜敦煌 |
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| りっぱなハミ王の墓 |
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午前中、ハミの観光をした。
明代の末期の17世紀から233年間、9代の王様がハミを統治していた。その歴代のハミ王の墓が町の西に残されている。墓の他にも、同じく17世紀に建てられたモスクがあり、このモスクは現在でもこのハミの辺りの中心的モスクとして、ラマダンの祭りなどの年に数回使われているという。イスラム教特有の墓の形もだいぶ見慣れてきた。
ついでケイス墓へ。マホメットが東方に送った3人の使者の一人ケイスの墓などを見せて貰った。
午後、ハミから敦煌へ出発した。いよいよ、2週間に渡って続いたキャラバン旅も最後の区間となった。ハミから敦煌へ通じる道路は途中で312号を離れて、一直線に南に向かう。土木技術が水準に達していないのか、道路の舗装は所々ではがれていて、そこを車が通過するたびに車体にショックがある。
そして、前回同様、人海戦術を主作戦とする、道路工事が行われている。いつ果てるともしれない、道路工事が。
今回の旅行は、車がパジェロのように出来のがっしりした4WDでなかったら、途中で間違いなく故障が出ただろう。あるいは、2日目のアルキン山脈越えで進むことが出来なくなっていたかも知れない。あの大きな石がごろごろして、車のルートを足で歩いて確保していた行程を思うと、実際よく無事にここまで来たなあというのが実感だ。溝にはまった車もあったし、穴に車体の3/4が落ちた車もあった。あまりに温度が上がっているときにエンジンを切ったので、燃料パイプに気泡が出来てエンジンがかからなくなったときもあった。ゴビ灘を走っていてお腹を擦ったことも何回もある。
文明の利器もここまでの自然の力の前には、ちょっとひ弱に見える。それほど、砂漠は大きく、夏の日差しはあつく、人間は小さかった。地図を見て欲しい。タクラマカン砂漠の大きさを、想像してもらいたい。そして、もし、時間が許すなら、その大きさを体験してもらいたい。
敦煌賓館での夕食は、ドライバーさん達とのお別れの夕食会になった。私達、ツアーのお客はこのドライバーさん達には本当に心から感謝していた。彼らは実にプロフェッショナルだった。車は毎日まめに点検されて、いつも快調だった。ものすごい道の連続だったのに、いつも明るく、言葉も通じないのに身振り手振りで積極的にお客とコミュニケーションもしてくれた。決して半端な距離でもなく、決して楽な仕事でもなかったはずなのに、仕事としてなのか、長距離の旅行としてなのかはわからないが、一番先に彼ら自身がこの砂漠行を楽しんでくれていた。妻や子に土産をしたためては、それをそっと見せてくれるときの、笑顔がよかった。彼らの作り出すいい波長は、時には体調を崩していた私達(半数はこの2週間でなにがしかの体調の崩れを経験していたから)にとって、救いでもあり希望でもあった。
そして、一番驚いたこと。あんなにすごい行程だったのに、彼らは毎晩きっちりお酒を飲んでいた。極度の緊張に飲まねば眠れなかったのかもしれないが。
楽しい時には必ず終わりがあった。そして最初の別れが今夜だった。強い酒として知られる、ぱいちゅう(白酎?)で何回も乾杯をする。彼らを大好きだった私たちも、一対一で乾杯をしては、その小さな杯に満たされたぱいちゅうを飲み干す。5人のドライバー全員と乾杯を2巡りしたら、目がくるんくるん回ったけれど、涙が止まらなくなっていたから、よく分からなかった。出会いがあって、別れがある。旅の夜はもの悲しい。彼らのこれからの幸運と健康を心から祈ってやまない。
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