オアシスルート準備日記




3月4日月曜日


 朝、速達で、JTBから新しい「ユーラシア大陸横断バス旅行」のパンフレットを送ってくる。見てみると、なるほど、中国と旧ソ連圏の国々との国境越えが、今回と違って、カシュガルからキルギスタンに抜けるルートになっている。私は今回のツアーの日程を見て、ルート上仕方がないことなのであきらめてはいるものの、次回への宿題として残っていると感じていることが二つある。
 一つは、今回の3月のツアーでは、中国国内を行くシルクロードの三つのルート、北から、天山北路、天山南路=西域北路、西域南路中で、一番北のルートを通る。しかしながら、シルクロードといえば、砂漠とオアシス、らくだの隊商という固定したイメージがあるが、このルートではその中心とも言えるタクラマカン砂漠を見ずに終わるのだ。出来ることなら、タクラマカンの回りを一周ぐるっと回りたい。
 そして、二つ目パミール山脈を越えるムズタクアタ山を望むクンジュラフ峠越えと、同じくキルギスタンに抜けるトルガルト峠越えの二つの山越えルート、これらを踏破したいのだ。
 クンジュラフ峠越えは、高度の点からも、パキスタンのイスラマバードから始める方がいいだろう。中国から越えるには急に高度が上がるのできついと思われるからだ。そしてなんとか、バスを乗り継いでタクラマカン砂漠を一周する。そして再びカシュガルから、今度はキルギスタンへ抜けられたら、それはきっとすばらしいだろう。しかし、そんなツアーは存在してはいないだろう。では、どうしたらいいのだろう。本を見ながら、頭をひねる。


3月5日火曜日


 会社が終わってから(今日はフレックスだったので5時上がり)まゆみちゃんの会社に行く途中で、新橋の地下で3月1日の旅の説明会の時に聞いた、『ロシアと旧ソ連邦の国々』という本を買った。これを見るとなるほど、キルギスに抜けられそうだ。


3月6日水曜日


 朝、本を見て、キルギスタンやカザフスタンのビザのことで、ロシア大使館の観光部に電話をする。そこで、A旅行会社を紹介された。名前は聞いたことがあったが、なんと、某商社系列の旅行会社だそうだ。なるほど、商社マンという人たちは世界中くまなく歩いて商売の種を探してくるのだから、お抱えでその手配をしている旅行会社なら、そりゃあ、ノウハウは持っているはずだよね。
 早速電話をしてみた。詳しい計画をファクスしてくれれば、それを見て相談に乗るといってくれた。個人旅行で手配してもらうとなると、費用がものすごくかかるだろうから、それが心配だけれど、まあ、やってみなければわからない。
 まゆみから、日本経済新聞に、近畿日本ツーリストからタクラマカン砂漠を4wdで走るツアーが売り出された記事が載っていたと聞かされた。まゆみが引き続きmds内で日経の古新聞を見てくれて、記事をファクスしてくれた。
 明日、調べてみよう。


3月7日木曜日


 朝、昨日の新聞にのっていたタクラマカン砂漠のツアーをだす近畿日本ツーリストに電話をする。3回出るツアーのうち、7月の1回目が1人、8月の2回目が1人、9月の3回目がゼロの予約状態と聞かされる。
 行きがけに、池袋で地下コンコースにある東武旅行に寄って、近ツリの今年の中国の旅行のパンフレットをもらう。
 会社に行ってから、近畿日本ツーリストの神田のお店に電話して、現地のランド部分だけの購入も可能かどうかを問い合わせたところokの返事。続いて、クンジュラフ峠越えのツアーで定評のあるS旅行に電話をするが、ここは、今ゴールデンウィークの旅行の企画をしているところで、夏の企画は、ゴールデンウィークが開けてからするから、発表できるのは6月になってからときた。5月ころににはっきりしなければ参加のめどが立たないというと、「それなら、参加できないということだ」という返事だった。会社かよ、それでも。商売する気あるのか。客をなめてると思う。それに比べて、クンジュラフ峠越えの別のツアーの問い合わせをしたJTBも、先ほどの近畿日本ツーリストも本当にしっかりした返事だ。
クンジュラフ峠越えのルートは、前にも書いたが、中国からよりもパキスタンからの方がのぞましい。そこで、ツアーを二つ現地でつなぐことを考えついた。まず、8月26日出発のJTBのツアーでパキスタンからクンジュラフ峠を越えてカシュガルへ。そこで離団して、少しカシュガルでゆっくりしてから、今度はキルギスタンへ抜ける。そして、出来ればフェルガナにも立ち寄った後、アルマトイから列車でウルムチへ。ウルムチから敦煌に向かって、そこで近畿日本ツーリストのタクラマカンのツアーを待つ。タクラマカンを一周したあと、ツアーと一緒に帰国。ツアー二つ分と一人で行動する25日分x20,000で全部で150万円。そのくらいのものだろう。これなら、夏にがんばれば、何とか出来るかもしれない。
 あるいは、4wdの部分だけツアーを使うか。車を一人でチャーターするのは、いかんせんお金がかかるからだ。そう思って、M旅行会社にそれが可能かどうかを問い合わせた。一回目にかけたところでは、個人旅行はやってないと言われたが、この前の問い合わせ電話で出来ると言われたことでもあり、日経の近くにあるM旅行会社の支店に電話してみた。個人旅行も扱っているといってくれたので、取材旅行で色々考えていることがあるので一度相談に行きたいというと、親切な返事だった。今日、早速、と思ったが、出かけ間際に仕事でつかまった。明日、朝一番で行ってみようと思う。


3月8日金曜日


 朝一番で、M旅行会社の支店へ出かけた。昨日の電話で聞いたとおり、支店長を指名して相談すると、とても怪訝そうだったが一度奥に引っ込んでから、メモを持って戻ってきて私の計画のいろいろとかを聞き取って書いて、同社のロシアセンターというのがあるので、そちらから連絡させます、といってくれた。連絡を1日待つがなかった。


3月9日土曜日


 猫の病院などで、ばたばたしていてうっかりしてしまい、M旅行会社のHさんからの電話を受け損ねた。留守電を聞くと、昨日も電話をくれていたらしいが、昨日は猫が電話をはずしてしまっていたので受けられず、何かの間違いかと思った5桁しかはいっていないポケベルのメッセージも彼女とわかる。しかし時既に遅く、全ては月曜日。


3月11日月曜日


 朝、池袋の駅からHさんに電話する。概略を話し相談に乗って貰いたいと頼むと快諾してくれる。旧ソ連圏の部分はいいとして、それ以外の部分に関しては、社内で担当の部署に聞いてくれると言うのでお願いした。とりあえず、1回目のシルクロードツアーが迫っているので、明日、夕方7時頃に訪ねることにした。


3月12日火曜日


 朝、会社に早めに出て、本屋に立ち寄りパキスタンの本を購入した。夕方、会社を定時にあがって、新橋へ。小諸そばで夕食を食べてから、Hさんにお会いしにM旅行会社へ。
 話をするが、予算的にどうも無理そうな雰囲気である。それと、女性のHさんには同性の私に危険なことをすすめられないということがあるようで、心配してくださるのがよくわかった。
 とりあえず、カシュガルとキルギスタン、それにパキスタンに問い合わせだけはお願いして帰ってきた。特に旧ソ連圏の国境越えで法外な金額を要求されたり、色々不都合があるようなのでそのあたりをケアする意味でも、車をチャーターしてガイドをつけて行く方がいいといわれた。そうなのかもしれない。



 会社で9時半ごろまで残業して帰ると、JTBから電話が入っていた。URLを報せろと言うことだったが、なんなのだろう。それと、思いついて久しぶりにニフティを開けてみたら、以前に応募したNRIのサイバービジネスパークのことで、制作会社から連絡が3月5日付けで入っていた。


3月14日木曜日


 朝、JTBにかけてみた。海外旅行課の大橋さんという人が個人的に見たかっただけだという事。ついでに秋のツアーの担当だというので、カシュガルからの山越えの件、そこだけ載せてもらえるかどうかを聞いてみた。JTB中国に聞いてみるとのこと。
 その件をHさんに連絡。カシュガルから国境までは2万円強でいけるということだった。それ以外の調査を引き続き頼んで電話を切った。


3月22日金曜日


 小さい旅行会社から、懸案になっていたカシュガルからナリンへ天山山脈を越えるルートのツアーのパンフレットが送られてきた。前に書いた、ツアー二つとこれをうまく組み合わせることができれば、意外に安く回れる可能性がある。これは朗報だ。


3月28日木曜日


 出発前の最後の連絡でHさんに電話をした。気を付けて行って来るようにと、繰り返し念を押された。


5月20日月曜日


 Hさんに、帰国の報告の電話をかけた。今週中に一度顔を出そうと思う。来週の遍路の両親の分の飛行機の切符も頼んであるので、又、改めてアポ取りの連絡をすることにした。


5月21日火曜日


 今参加を検討している旅行の催行会社に、カタログにあるツアーの成立の可能性について問い合わせた。それによると、今現在ツアーの催行が決まっているものは、合計4種類の35本のうちほんの数本だけである。その数本をうまくつなげて、期間のだぶりがないように使えるかどうか考えてみた。それによると、7月20日出発の天山北路(カシュガルからトルガルト峠、ナリンを通ってビシュケクへでるルート)、8月9日出発のシルクロードキャラバン(タクラマカン砂漠一周)、9月2日出発のカラコルムハイウェー(パキスタンからクンジュラフ峠を越えてカシュガルへ)の3本には、それぞれ成立の可能性があるという。そしてうまいことに、それぞれに期間のだぶりがないのだ。うまく全部をつなげられれば、行きたかったところの八割をカバーする。とりあえず、成立する方にかけて、Hさんにそれぞれのツアーに申し込みをしてもらった。


5月29日水曜日


 申込みをした3本のツアーの集客状況を報せてきた。それによると、最初の天山北路のツアーは催行が危ういとのことだった。一ヶ月前にはわかるので、それからまた、対策を考えましょうと言うことだった。 


6月21日金曜日


 Hさんからの連絡で、一番最初の天山北路のツアーが成立しなかったことを聞かされた。残りの二本はどうにか成立しそうだという。お遍路の旅行中に飼い猫が行方不明になったりしたので、いまいち旅行に乗り気になれない。どうしたものか。  


6月27日木曜日


 タクラマカン砂漠のツアーが成立したと、知らせがあった。色々考えたが、来年はどんな暮らしをしているかわからないので、今年いけるところには行ってしまおうと思い、そのまま手配を続けて貰い、予定通り、真夏の砂漠に出かける腹をくくった。


6月28日金曜日


 成立しなかったツアーのコースだった、カシュガルからナリンへの山越えのルートについて、個人旅行で手配するかどうかを早急に決めて貰いたいと、Hさんから連絡あり。個人旅行だと莫大に費用がかかるので、そのあたりどうしようかと迷っている。
 また、近畿日本ツーリストのカシュガルからパキスタンへの山越えのルートのツアーが、まだ催行が決まらないので、保険を掛けるつもりで、西遊旅行の同ルートの逆行のツアーにも申込みを入れた。どうなりますやら。


7月2日火曜日


 ふと思いついて、今年の春に参加したシルクロードツアーの主催会社である、JTB中国に、今年の夏にでる同じツアーについて、コースが変更になった、中国から中央アジアへのルートの例のナリンへの山越えの部分について、部分参加が可能かどうかを問い合わせた。返事は一週間ほど待って欲しいという。どうも、この一週間ほど待ってみて、残席が売れなければ私の参加を認めようと言うことらしい。部分参加は安いので、やはりきちんと売りたいのが本音だろう。参加が認められなくて元々なので、待って見るつもりだ。
もし、参加が認められると、パキスタンのイスラマバードから、中国のカシュガルへ飛ぶことになるのだ。そのあたりどうなるのだろうか。一応、JTB中国の社長の返事では、部分参加が不可能ではないかも知れないと言う連絡をHさんへ。Hさん曰く、「執念ですね」。そうかなあ。


7月3日水曜日


 今日は、新橋に出かけたついでに、Hさんの所へ、ビザ申請用の写真を届けに行った。思えば、Hさんが励ましてくれなければ、ここまで執念深く自分の企画を追いかけることはできなかったと思う。ありがたいことだ。特に、前回のツアーで、心身ともに参っていたときには、Hさんの励ましをしばしば思い出して、それに支えられていた。本当にいい人に巡り会ったと思う。Hさんは、他にも実に個性的なロシア関連のツアーを企画している。そのあたりが、この人の個性を実に良く表している。これからも長いおつきあいをお願いしたいものだ。


7月11日木曜日


 昨日、JTB中国に参加の可否の確認の電話をしたが、まだ、はっきりしないとのことだった。ただ、参加が認められれば、カシュガルから先はJTBで手配して貰った方が、何かと問題が起きないかも知れないと言うことで、Hさんと相談の上、JTBにお願いする事にした。


7月13日土曜日


 昼過ぎに、JTB中国から、ファクスが来た。部分参加は認めないと言う趣旨だったが、先日から回答を求めているもう一つの件に関しては、何も書いてないので、その件の問い合わせで折り返し電話を入れた。相変わらず傍若無人で失礼な人だ。何処まで誠意がないのだろう。


7月15日月曜日


 近畿日本ツーリストのカラコルムハイウェーツアーは催行されないことに決まった。頼みの綱は、西遊旅行の9月9日発の旅行だ。懸案の天山山脈越えのルートの手配をしてくれるところを探してみようと思った。とりあえず、夏の旅行に絡んだ2つの旅行会社に聞いてみよう。 


7月26日金曜日


 JTBから、回答が来た。一応非は認めたらしい。それとは別件で、旅行中にブハラの市長だの、蘭州旅行社のお偉いさんだのの写真を現地に後で送りたいと添乗員に頼まれて取った写真の焼き増しを送ったのだが、その件のお礼はなし。変な人たち。


7月30日火曜日


 西遊旅行の担当の女性と、9月のカラコルムハイウェーの中国パキスタン国境越え旅行の出発の可能性について話をした。私は個人的な都合で、8月8日までしか東京にいないのだが、それまでには催行・不催行の一応の見通しを立ててくれると言う話だった。だめならだめでしかたがない。


8月5日月曜日


 M旅行会社のHさんをお尋ねして、最後の打ち合わせをした。西遊旅行のツアーが成立したら、途中のカシュガルでツアーを離団して、そのまま、ナリンへの山越えに向かう可能性について調べて貰った。その結果、アルマトイに立ち寄りたい、という希望を捨てさえすれば、問題のカザフスタンのビザを取得しなくて済むので、何とかなりそうだという。モデルコースを貰った。後は、Hさんの熱意に掛けるだけだ。思えば早春の出会いから、ずっと、私をうまいことおだてて、励ましてくれたHさんの暖かな気持ちがなかったら、ここまで粘っては来れなかっただろう。感謝してもしてもしたりない気持ちだ。


8月7日水曜日


 午前中に、西遊旅行からツアーの催行決定の連絡があった。これで一気に計画が前に進む。直ちにHさんに連絡、何とか、明日いっぱいで、ウズベクから見積もりと手配の請負の連絡を貰って貰うようにお願いした。予定では、帰国は9月29日だ。早速、金策にはしらねば。 


8月8日木曜日


 Hさんがかなり粘ってくれたけれど、結局ウズベクからは結果が来なかった。どうも妖しい雰囲気だ。大丈夫なのだろうか。午後、途中離団で少し安くして貰った西遊旅行のツアー代を振り込んだ。後はHさんを信じて、手配を任せるしかない。


8月13日火曜日


 タクラマカン砂漠の旅行中である。ガイドの趙さんの持っていた新彊ウイグル自治区の地図にキルギスタンとウズベキスタンが一部分載っていて、それによるとナリンとイシククル湖の間に、直接フェルガナの方に出る道があるようだ。どうせなら、3月にJTBのツアーで走ったタシュケント、ジャンプールを通る同じ道ではなく、そちらの道を行きたいと思ったら矢も盾もたまらなくなってしまった。しかし今日の泊まりのチャルクリクは、通信も不便で国際電話は掛けられない。結局、同じくガイドの李さんの会社である、中国甘粛国際旅遊総公司を通じて、Hさんにその旨のファクスを打って貰った。 
 Hさんも何を中国の僻地からわめいているのだと思うことだろうけれど、この半年のつき合いで、私のことはよくわかってくれているはずなので、Hさんを信じてファクスだけ打った。このあたり、信頼できる人を持っていると言うことはつくづくすばらしい。


8月15日木曜日


 今日の泊まりの和田(ホータン)からHさんに電話を掛けた。意外なほど近い電話の向こうに、Hさんの声が聞こえた。ファクスは届いている。このルートを通るには、オシとフェルガナの間でキルギスタンとウズベキスタンの国境を越えるので、ウズベキスタンのビザを予め取っておく必要があると言われた。しかし、ウズベキスタンの大使館は、日本にも近々できることになっているが、ビザの発給は早くても9月の末からになるという。その点は、こちらも何となく心当たりがあり、調べてみると返事をした。こちらで聞いた話では、北京には既にビザの発給活動をしている大使館があるらしいのだ。それはそうだろう。直接ではないが、両国はかなり接近しており、天然ガスと石油で、旧ソ連邦から独立した中央アジアの国々のうちでは比較的豊かなウズベキスタンからは、間違いなく沢山の人が物資の豊富な中国を訪れているはずだからだ。
 何とか、北京の大使館の電話を調べて問い合わせてみよう。今回の旅行では、会わせて1日半の北京での自由行動が設定されている。その間に、ビザがとれれば、万事OKである。もう少し時間を貰うことにして電話を切った。


8月16日金曜日


 ウズベキスタンのビザの件を甘粛海外旅遊総公司に問い合わせて貰ったが、返事がもらえないまま、週末の休みに入ってしまった。
 Hさんにもう一度国際電話。オシからフェルガナのルートはいいが、イシククルからオシまでの山の中の道が結構問題らしいと言う。キルギスタンの旅行社からは、あまり安全ではないし、このルートを取ることはすすめられないと返事が入ったという。道が悪いということもあるし、あまり安全ではないと言うのも、ある種微妙なニュアンスを含んでいる。このあたり、女は不利である。
 若い頃から、何度か個人で海外に出たことがあるが、黒い髪の毛が長く太っていて、目がアーモンド型で黒い私は、ある人々に取ってはとても魅力的らしく、結構危ない目にあっている。前回の旅行でも、トルコのハマムというトルコ特有の蒸し風呂では、垢すりの親父にえらい目に遭わされたし、昔々もっと若かった頃は、エジプトのアスワンでルームサービスの男におそわれて、大立ち回りをしたことがあるし、まあ、色々あるのだ。
 Hさんは、実にはっきりした人で、「危ない旅行でも、男の子ならまあいいかって手配しちゃったりする」と言っていたけれど、私には「危ないから、行かせたくないです。」と言ってくれる。どうしてもと言うなら手配するけど、やめてほしいなあと言われた部分もある。今回も、パミール越えのカラコルムハイウェーは、日本人でも沢山の人が個人で越えているといったのだが、それと私が一人でリュック背負って、パソコンとカメラを持って越えるなんてのは問題外とはなから取り合ってくれなかった。つい2、3年前に強盗がでて、日本人が殺されて谷に捨てられたと言う話もあるらしい。ちょうどよく、というか、西遊旅行さんのおかげで、ここは、個人では越えないで済んだ。
 私は、正直言って中国からキルギスタンからウズベキスタンへずっと陸地を走っていきたかった。しかし、Hさんの提示では、イシククル湖からビシュケクに出て、キルギスタンの国内線で、オシに飛んでそこから陸上をウズベキスタンに入るというルートだった。不満がないわけではないが、Hさんの気持ちも分かるのでこれはそのままお願いすることにした。
 また、このルートでは、ウズベキスタンの国境を陸路で越えるため、どうしてもウズベキスタンのビザを取得する必要がある。それができなければルートはもとのようにビシュケクからタシュケントの空路を使うしかなくなる。そう念を押されて私は電話を切った。


8月17日土曜日


 カシュガルの現地ガイドに話をして、来月ここに来たとき、中国パキスタンの国境を越えてすぐのタシュクルガンから、カラクリ湖を通ってカシュガルまでの1泊2日のルートを自己手配で走る為の車と通訳の手配を頼んだ。費用は、2000元くらいということだった。本当は、自分で手配などせず、ツアーと一緒に行動した方が安全なのだが、この区間にはたくさん美しい山があり、天気が良ければ写真を丁寧に撮りたい所なのだ。自分の止めたいところで、車を止め、写真を撮るには、車両とガイドを自己手配して、自分でそのコストを負担するのが一番だ。と言うわけで、毒を食らわば皿までというわけでもないが、個人行動の手配をしたのだった。
 カシュガルのホテルのロビーで、西遊旅行の添乗員さんの外岡さんとたまたま出会った。彼女は、私の9月に途中まで利用するツアーのお盆時の分に乗ってきたのだった。個人手配の話をすると、大丈夫でしょうと言う話だった。東京の西遊旅行のYさんによろしくと言って別れた。


8月19日月曜日


 月曜日の今日を待ちかねていた。アクスのホテルから添乗員の平山さんに御願いして北京のウズベキスタンの大使館の電話を調べていただいた。平山さんは堪能な中国語で北京の電話番号案内に問い合わせてくれたのだが、結局わからず、北京の日本大使館でやっと番号を探り当ててくれた。
 北京のウズベキスタンの大使館に電話してみると、インビテーションと全てのものをそろえてくれば、10分でビザを出して上げるけれども、そうでなければ1週間から10日かかるという。インビテーションとは、ウズベキスタンの政府が発行するもので、それはまず用意できない。どうすればいいのかは、プロのHさんと相談するしかないのでそれ以上食い下がれずに電話を切った。
 アクスのホテルからは国際電話は掛けられず、結局Hさんに連絡を取れるのは明日になってしまう。気持ちが激しく焦る。


8月20日火曜日


 朝、クチャからHさんに電話を掛け、インビテーションの話をする。やはり難しいという。北京のウズベキスタンの大使館の電話番号を伝え、後事を託して電話を切った。


8月22日木曜日


 トルファンからHさんに電話を掛ける。彼女の尽力で道が開かれた。Hさんが東京に9月末に開設予定のウズベキスタンの大使館のスタッフと連絡を取ってくれて、北京で何とかビザがとれるように北京の大使館に働きかけて貰ってくれたという。ただ、今日が22日の木曜日で、明日が金曜日、私が北京に着くのが26日の午後なので時間的に少し厳しいけれど、何とかしてくれそうだったという。感謝、感謝だ。
 明日、もう一度東京のウズベキスタンの大使館準備室に、手配の状況を聞いてくれると言うことだったので、又電話すると約束して電話を切った。


8月26日月曜日


 朝、敦煌の空港の公衆電話から日本に電話してHさんに結果を聞いた。北京のウズベキスタンの大使館で、ビザを出してもらえるように手配を完了したという話だった。「必ずビザを貰ってきて下さいよ、そうじゃないとコース変更で手配間に合いませんよ」と念を押されてしまった。


8月27日火曜日


 朝、9時にウズベキスタンの大使館へ。大使館は、北京の在外公館の集まっている塔苑と言うところにあった。タクシーで9時きっかりに行ったのに、ビザの仕事は10時からだという。なんと1時間しみじみと大使館のソファーで待つ羽目になってしまった。
 ビザ自体は簡単に出してもらえた。しかし、おおぼけの私は詳しい旅程の最終確認をするのを忘れていた。と言うわけで、カシュガルで聞いた日程の範囲に前後少しの余裕を付けて、ビザを出して貰ったのだった。やった。これで、9月の旅行も山はこえた。


8月29日木曜日


   昨日、タクラマカンから帰国。今朝、M旅行会社にパスポートを届けた。ロシアとキルギスタンのビザを取得するために。やっとこれで旅に出られる。目の玉の飛び出るような旅費さえ支払えれば。
 御徒町で、この次の旅行でつかう、いざとなったら自分で担いで運べるスキー用のカバンを買った。カラコルムハイウェーは崖崩れなども多く、車の通行が妨げられた場合、障害箇所を徒歩で越えることもあるとかで、自分で運べるカバンと西遊旅行から指定されている。近畿日本ツーリストなどでは、普通のトランクで大丈夫と言うことになっているらしいが、西遊からは強くトランクは遠慮してくれと話があったのだ。そのほか、大きめのコートと風を通さない登山用のジャケットも一緒に買った。本当にお金に羽が生えているみたい。
 夕方、西遊旅行に電話した。Yさんは、カシュガルで出会った添乗員さんから、個人手配の話を聞いたそうで、こちらから詳しく話をしたら、大丈夫という話だった。


8月31日土曜日


 西遊旅行から、手紙が届いた。タシュクルガンからカシュガルの自由行動中と離団後の責任の所在について誓約書の様なものに署名して送り返して欲しい、と言う手紙だった。気持ちが忙しく、そのまま、放置してしまった。


9月2日月曜日


 西遊旅行に提出する、誓約書を作った。担当のYさんは手紙を受け取る私の気持ちを慮って、はっきり書けなかったようだったが、西遊旅行の立場に立って、きちんとした誓約書をこちらで作り、返送するべく判をついて封筒にいれた。
 また、カシュガルの旅行会社に国際電話して、タシュクルガンからの手配の確認をした。最後まで気を抜かず手配を完璧にしよう。一人の旅行の手違いは、特に旅程を組んでの旅の場合、思わぬ事態を引き起こすのだ。念には念を入れよう。


9月3日火曜日


 カシュガルのガイドからファクスが入った。旅程の確認のため、書面が欲しいらしかった。一太郎で、ボールドの13の文字で打ち出してファクスした。


9月5日木曜日


 カシュガルから先の、個人手配の部分の旅行料金を報せてきた。目が剥けてしまったけれど。本当に毒を食らわば、皿までと言う気分が強いのだ。明日、パスポートと一緒にバウチャーを受け取ればそれで手配が終了する。いよいよ最後のシルクロードの旅に出発だ。


9月6日金曜日


 夕方、Hさんの所へパスポートとバウチャーを取りに行った。北京でビザをとり、必死の思いで手配をして、やっと出発にこぎ着けたとHさんと顔を見合わせてにっこり。さあ、後は準備だ。


9月8日日曜日


 午前3時前にホームページの作業は終了。それから、再度荷物を点検して、出発用意は、5時くらいに完了予定。くたびれたぜ。この慌ただしさだ。きっと忘れ物があるだろうなあ。


天山山脈を越えたい!準備日記


冒険者の宿 金の割り符亭


ニャーニーズ・アイランド