13.海 軍 病 院


    
門柱
何となく時代のにおいのするランタンと門柱
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 この横須賀基地が、大日本帝国海軍のものだったころから、ここには海軍病院が置かれていた。現在も、極東の医療の拠点として、歯科センターも併設されている。私たちのパーティにつきあってくださっているC氏の長女は、この病院で生まれたとかで、彼にとっても思い入れの深い病院らしい。
 私たちは、裏側から病院の敷地を抜けて、病院の正門から外に出た。この門の門柱自体も、旧日本海軍の海軍病院時代から今の場所にあるものだそうだ。門柱には、かわいいランタンがのっていた。このランタンは横浜のどこかにあったものを移設したということだったが、説明を聞き漏らしてしまった。しかし、今では見ることがない、何ともいえないかわいい形をしていたのが印象的だった。C氏は、C氏で、日本語が少しは分かるらしく、ボランティアの方の説明を聞いて、私に「明治って言った?」と尋ねてきた。明治時代に作られたもので、横浜のどこかにあったものを持ってきたという説明だったよ、と伝えると、「明治という言葉だけ、わかったんだ」とはにかんでいた。
 きっと、明治という時代に興味があるのかもしれない。考えてみれば、アメリカには、そういう意味での歴史的変遷は、南北戦争の前後、と言うくらいのものしかないのだろうから。そういう意味では、日本人にとっても、明治はちょっと特別な時代であるような気がする。

ミニコラム
震災の碑
関東大震災の碑
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 関東大震災は、この横須賀基地にも多大な被害をもたらしたという。特に、海軍病院を始め、明治時代の煉瓦づくりの建物はほとんど壊滅的な被害を被った。燃料タンクが爆発したり、艦船の火災もあり、多くの人命が失われた。この関東大震災の碑の上の球形の部分にある時計の針は、震災が発生した午前11時58分にちなんで、11時58分で止まっている。
 現在は、海軍病院を始めとし、新築の建物の多くが耐震設計になっているそうだ。また、防災訓練もきちんと行われ、関東大震災の教訓を活かして、安全の確保には力が注がれている。

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米海軍横須賀基地見聞記 目次


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