14.正面ゲート正面の丘の上の二つのきれいな建物


    
横須賀基地司令部 極東司令部
在日米海軍
横須賀基地司令部
米海軍第七艦隊
極東司令部
横須賀市HPより横須賀市HPより
ひらめく旗
横須賀基地司令部の前にひらめく旗
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 横須賀基地司令部が、向かって右のもと横須賀鎮守府の建物に置かれている。左は、第七艦隊の極東司令部が置かれているという。横須賀基地司令部の建物の前に、1998と1999の二つの年号の入っている旗がひらめいていた。何の旗なのかと聞いてみると、「この基地が、全ての海軍基地の中で一番だったんだ」とC氏が胸を張る。何が一番だったのかというと、住宅、保険、待遇、基地内の食物など、色々なチェックポイントで採点して、それぞれの基地を評価している中での1番に、しかも2年続けてなったのだという。これは、米海軍史上初の快挙だという。聞いてみたら、C氏は、人事部の人で、そういう意味では本当に鼻が高く思えるのだろう。なんでもいい、自分の職場に誇りを持ち、自慢できることを成し遂げている人の「高い鼻」は、なんだかちょっとうらやましく、くすぐったいものだ。
 基地司令部の中に入ってみると、いかにも記念品陳列棚というありがちなガラスケースがあった。中を覗いてみると、在日米軍基地対抗の各種スポーツ大会のカップやトロフィーが並べられている。驚いたのは、大きな杯と槍を持った黒田節を踊っているポーズの武士の博多人形があったこと。よくよく見たら、ソフトボール大会かなにかの優勝トロフィー。そばには、姫路城とおぼしきお城のデザインのトロフィーや、兜のかたちのトロフィーもある。大笑いしてしまった。これは、きっとアメリカ人から見ても十分変だと思うんだが、いかがであろうか。

ミニコラム 横須賀司令部は元横須賀鎮守府
鎮守府入り口
横須賀鎮守府の
表札の残る玄関
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 二つの美しい建物のうち、向かって右の横須賀司令部は、もと横須賀鎮守府の建物だった。
 鎮守府とは、各海軍区の警備・防御・所管の出征準備に関することを司り、所属の部隊を指揮・監督した海軍の機関。横須賀を始め、呉、佐世保、舞鶴の各軍港に置かれていた。横須賀鎮守府は明治17年(1884)に設置され、当初の庁舎は明治23年に完成したが、関東大震災で倒壊し、大正15年に再建された。
 優美な建物は、愛知県犬山の名鉄明治村に保存されている他の明治西洋建築と同じく、ゆったりした作りの建築物である。中は、そのとき、そのときで使いやすいように改築が施されているとは思うが、外見の立派さは、横須賀基地司令部の建物としての大任を立派に果たしている。

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米海軍横須賀基地見聞記 目次


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