15.いよいよお別れ


    
クリスマスツリー
私たちが訪れたのはちょうどクリスマスの直前だった。

この横須賀基地司令部の司令官室の前のクリスマスツリーからは、

小さな音で絶え間なくクリスマスのメロディーが流れていた。

その控えめで明るい小さな音楽は、

一日を一緒に過ごした、たくさんの人たちの善意のように

とろねこと私の心に心地よく残ったのだった。

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 ゲートを目前にした基地内労働者感謝の碑の前で説明を伺ったあと、解散ということになった。流れ解散になってしまったので、全部のボランティアスタッフの方々にお礼を申し上げたかったが、何人かはそれもできずにお別れしてしまった。もしこのホームページをご覧になることがあれば、この場を借りて心から感謝申し上げたい。
 ボランティアというと、よく私たちがメディアでお見かけするのは肩肘を張って意気込みも凄まじく...と言う人たちが多いが、今回のスタッフの方々は、本当に楽しそうに私たちをもてなし、楽しませてくださった。彼らが自然体で接してくださる結果、私たちも本来の自分で色々なものを見る事ができ、いつもの感受性で感じることができた。本当のボランティアというものについて、改めて考えさせていただいたいい経験になった。こういうプランの場合、スタッフに恵まれることは、第一の幸福であるとしみじみと感じた一日だった。
 ものすごいブロークンイングリッシュであちこちで人々に話しかける私を、そっとサポートしてくださった通訳の方々、迷子の羊を一匹も出さず、引率をしてくださったツアーリーダーさん、そして、ご自分の知識を惜しみなく分け与えてくださり、あまつさえ得体の知れない私たちの質問を丹念に基地の方たちに聞いてくださって逐一お答えくださった説明担当のおじさま方に、心から感謝をしたい。そして、一日、明るくおつきあいくださった、市の観光課の方にも。
 C氏も、私たちがゲートを出るまで、大きく手を振りながら見送ってくれた。ひとときだったが、本当に楽しかった。本当は、写真を送るのにアドレスを聞きたいなと思ったのだが、迷惑になってもと、言いだせないまま時間が過ぎてしまった。返す返すも残念である。

ミニコラム 最 後 に
 私自身は、国の存亡は真の一大事だと思うし、基本的には自らを守る力を持つというのは、確かに必要なことだと思う。しかし、軍のあり方、そして軍産複合体の機能、さらには国家間のパワーバランスなどや在日米軍基地問題などの政治問題を含めて難しい事に、言及するつもりはさらさらない。私が、このホームページを通じて伝えたいのは、今も昔も、(ちなみに私の父も、祖父も軍人だった)、軍隊や軍人と言うものは、ごく普通の人々がごく普通にしている仕事がたまたま軍隊の仕事なだけで、何も特別なことはないということ、そして、今回お世話になった何人かではあるが、それらの米軍の人たちは家族思いで、明るくて、ごく普通のアメリカ人だったということだ。
 私は戦争を知らない世代である。それは、ありがたいことだ。しかしながら、このところの不況続きで、「一発戦争でもやらかして、軍事景気を持ってきて、日本の経済をぱーっと立て直して...」などという物騒な話を聞くこともあったりする。しかし、その恐るべき戦争を遂行するのは、私たちを含めてごく普通の人々であり、そうなれば、あの人なつこい笑顔のセーラー服くんも戦闘に加わるであろう。彼らは国のために命を捧げて行くのかもしれないが、その彼らにも家族も大切なものもあるわけだし、彼らを愛する人もいるのが現実なのだ。
 兵器という人殺しの機械はこわい。確かに怖い。でも、人を殺す力があるのは、自動車でも原子力発電所でもそれは同じなのだ。本来の目的がたまたま戦争=人殺しだから兵器はこわいのだけれど、でも本当に恐れるべきなのは、その機械を人を傷つけるために使おうとする人間なのだと私は思う。
 私にだって、基地の人たちに対する漠然とした心理的な隔たりはあった。それが、5時間半のツアーを通じて人々とほんの少しふれあっただけで、少なくとも淡い親近感を持つようになった。お互い、人間なのだよ、と言うような親近感を。まず、ふれあってみることが何より大切だと私は感じている。
 最後に、クリスマス休暇の前の忙しい時期に、私たち見学者のために時間を割いてくださった、キティホークの乗員の皆さんと、在日米海軍横須賀基地の皆さんに心から感謝を捧げたい。本当に楽しく、意義深く、そして勉強になった一日をありがとうございました。

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