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1996年9月9日 いよいよ、出発。パキスタンへ。 |
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団体のチェックインカウンターで、添乗員さんに挨拶した。彼女とは、偶然前回のタクラマカン砂漠一周の時にカシュガルで出会っている。時間が来て集合してきた同じツアーの面々も、良さそうな人が多く、今回も楽しい旅になりそうな予感があった。
飛行機に乗る前に、非常食というか、ゲートの前の最後のお店で目に付いたアーモンドチョコレートを買った。食事が食べられなくなったとき用だ。なぜそんなことをするかというと、前回のタクラマカンにでる前から、少し調子の悪かったおなかが、11日薬を飲んだりしたにもかかわらず、直っていなかったからだ。
飛行機は成田を日本時間12時15分に飛び立った後、北京に降りて機内待機して、イスラマバードへ。途中、ウルムチとカシュガルの上空、それに、これから地上で越えるパミールの山の上を飛んできた。パミールの山を越えるとき外が見えたらK−2が見えるかもしれないと思って、パーサーと交渉して窓のそばの席に変えてもらったのだが、出発前のほぼ2晩の徹夜がきいて、眠りこけてしまった。結局このあたり旅の準備不足と言うことか。
パキスタンと日本の時差は4時間。現地時間の夜7時30分に着陸したから、11時間15分飛行機に乗っていたことになるわけだ。サービスはいまいちだったけれど、機内食は味付けがしつこくなく、おいしかった。量もむやみやたらと多くなかったし。いくらでも寝られるのだ。自慢じゃないが、二食の機内食の時には起こされたけれど、それ以外はほとんど眠っていた。困ったものだ。
イスラマバード国際空港は、ワラールピンディーの町にある。日本のかちっとした空港を見慣れていると、なんだかひどくのどかな気がした。どの人が係員で、どの人が旅客なのか判然としないような雰囲気があったのだ。
イスラマバードにつくとやはりむっとする暑さで、湿度があるのか、熱気が肌にまとわりつくようだ。イスラマバード国際空港には19人乗りのミニバス(これはちゃんとしたバス)が迎えに着ていた。見ていると、乗客昇降用のドアの脇の窓の縁に足をかけて、男が屋根に登り荷物を屋根の上に上げ始めた。なるほどこれが、テレビなどで見る屋根のせか、と感心して見ていた。
ホテルまでは車で15分ほどらしい。途中、パキスタン名物のデコレーションの限りを尽くしたトラックをみてびっくりする。夜の町にあの、メタルの輝きとライトで飾られたトラックは、まるで移動する何かの寺院のようだ。それががんがんとばしてくるのだからおそろしい。また、ミニバスも何台も見かけた。ミニバスはスズキの軽トラックを改造して後ろに10人、前にドライバーの他に2日の乗客が乗れるようになっている。走っているのを見たが、なんだか、人がこぼれてきそうで怖いものがあった。このミニバスはこちらでは、スズキと呼ばれている。
ホテルは、大変立派なホテルでヨーロッパ式のもてなし方のようだった。部屋は明るくきれいだった。部屋で一息いれてから、一階の売店で、カラコルムハイウェーの地図、山の絵はがき、切手などを買った。そして調子に乗って、そのとなりの店でラピスの猫の置物を、そして衣料のお店で辛いらしいケープとこちらの人が着ている長めのワンピースとズボンのセットの服を買った。明日からの暑さに備えて。
ホテルのロビーにいろいろな甘いお菓子の種のようなものを20種ほど、小皿に入れたものを並べて売っている男がいた。見ていると、小さな紙に客が選んだ材料をすこしずつ入れてクラッカーのように三角の形に巻いて売っている。じっと見ていたら、手招きして味見をしてみろという。誘われるまま味見をしてみると、ゴマが砂糖の服を着ているものでなかなかおいしかった。それにしても、私、よほど欲しそうに見えたのだろうか。材料はカラフルな色の付いたものやら、何かスパイスのようなにおいのするものまで、本当にいろいろあるようだった。よくわからないなりに興味をそそられたのだった。
さあ、今日は早く寝よう。明日からは山だ。
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