1996年9月16日
カラクリ湖〜カシュガル


    
カラコルムハイウェーの陰崩れ
カラコルムハイウェーの崖崩れは
ひどく当たり前に見えた。

 朝には37.4度まで熱が下がっていて、少し安心した。熱の名残でふらふらしながら、中国の朝御飯と言えばおなじみの中華粥(昨日から中国料理になったので)を2杯食べて10時にカラクリ湖を出発。昨夜からの発熱をよく知っているガイドのイミンジャンがまめに景色をチェックして、私に注意を促してくれる。何カ所かで、義務感だけに支えられて車からはいずり出て写真をとり、また車に潜り込む。その繰り返しをして、カシュガルについた。
 途中、オパールのバザールは普通の小さな食料品などの日用品中心のバザールだと聞かされたので、観光はさぼってしまった。
 ホテルに行く前に、薬屋と本屋とバザールに寄った。バザールでは、夏の旅の時に買って、好評だった、ミンクのしっぽの毛を玉にして、それをネットにくっつけた形のショールを買った。友だちに頼まれたからだ。
 ホテルにチェックインするころには、だいぶ体も楽になっていた。8月に泊まったのと同じホテルの同じ階、二つ手前の部屋にチェックイン。少しでも体を休めようと横になったら眠ってしまった。 
 夕方ふと気がついて階下に降りて、ツアーと離れてからの、トルガルト峠越えの手配について、カシュガル国際旅行社に確認をしたところ、全く手配がされていないことがわかった。まず、ツアーが出発した後、この色満賓館にもう1泊するのだが、その予約が取れていない。また、トルガルトの方に入るには、新彊ウイグル自治区の州都である、ウルムチで許可証を取得する必要があるのだが、それの申請がでているかどうかも確認できなかった。
 なんだか前途がとても心配だ。暗澹たる気分で、カシュガル国際旅行社と連絡を取ろうとしたが、今日はわかるものがツアーについて行ってしまっているので、何も確認できないという。このあたり、とても大陸的だ。
 フロントのところですったもんだしていたら、8月の末に出発したユーラシア横断バス旅行の人たちに出会った。長いバス旅のお供にと、ピーナッツと干しぶどうを差し入れた。夕食の時に、ふと思い立って、ホテルでいろいろ聞いたら、もう店はしまっているという。しかし、今までの経験で、露天のお店は、町のあちこちに出ている、お酒も飲める屋台の近くに、おつまみをうるようなかんじであるモノなので、ホテルの逆の側から外に出て、歩いてみた。案の定、10分もしないうちに露天の干しぶどう屋を見つけた。おじさんに軽く目で挨拶して、身振りで味見をしていいかどうか聞いて、5種類の中から2種類を選んで4キロほど買い、ついでに殻つきのピーナツを2キロ買ってホテルにもどった。買い  食事の後、部屋に帰るときに、バス旅行の人たちに行き会ったので、早速差し入れを渡した。ピーナッツはちょっと炒りがあまくて、渋みが残っていたが、干しぶどうはいつものおいしいもので、喜んでもらえてよかった。
 悪いことは重なるもので、夜、夏来たときに言い寄られたガイド(非常に失礼で、私はそのことで激怒したのだったが)が、部屋に押し掛けてきた。ドア越しに話をしたが、部屋に入れてくれと言う。何の用だと聞き返したが、理由ははっきり言わず、とにかく入れてくれとくり返している。この前の時の顛末もあり、「私はもう寝るから」といって、ドアの所を離れてしまったが、その後も、10分ほど名前を呼んだり、何かかき口説いたりしていたようだった。その声がいやなので、風呂に水をためて入った。出たら、声はしなくなっていた。ますます、気分がふさいでしまった。

シャングリラ日記 カシュガルの町でセンチになった
クリーム色の砂山とパオ
カシュガルに通じる
道の途中の景色。
後ろの山は砂山だそうで
きらきらと光っていた。
 カシュガルは2度目だが、この町には何となく果てまで来たなあというイメージがある。実際には全然果てではなくて、この先にはまだまだシルクロードは続いていて、最終的には、ローマまで行っている訳なのだが。ここから南にはクンジュラフを越えてパキスタン、へ、北にはトルガルトを越えてキルギスタンへ、そして昔は他にもミンタカ峠を越えるルートや、アフガニスタン、タジキスタンを抜けるルートなどがあったはずなのだ。それでも、砂埃にすすけたような色合いの妙にがらんとした町並みの部分と、バザールの周りの人いきれと喧噪にあふれた極彩色の部分のアンバランスさなどが、私に最果てを感じさせるのかもしれなかった。
 ひとりでふらふらとユーラシアのバスツアーの人たちにプレゼントする干しぶどうを探しに、夕暮れの町に出たそのときも、ロバ車も車も他の町と何もかわらないのに、なぜだか、とても人恋しくなった。明日あさってと2日をツアーの人たちと一緒に過ごしたら、あさっての晩から一人になり、トルガルト峠を越えてキルギスタン、ウズベキスタンへと入っていくことが、そういう気持ちにさせているのかもしれなかった。東京を出発して以来の楽しかった思い出が、よけいに心細さを加速させているようだった。でも、一人旅で最後に自分を助けるのは、自分自身だ。そのこともわかっているから、必死に自分を支えようとしたけれど、なんだか少しバランスを崩し始めているようだった。今にして思えば、その後のいろいろのアクシデントの予感があったのかもしれなかったのだが、そのときの私は、単に、カシュガルの手配にちょっと問題があった、くらいにしか思っていなかったのだった。

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