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1996年8月11日 敦煌〜花土溝 |
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| 山に寄り添うようにしてたつユルタ |
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朝、ホテルの玄関前に、三菱のパジェロが4台勢揃いした。この4台に、4人の運転手と9人のツアー客と、添乗員さん、それに中国のガイドが数人乗るのだ。1台につき4人ずつ、それに、トランクなどのかばん類の荷物を全て積み、飲料水、食料なども載せるので車は全てロングボディだ。車の人員の割付は、2日ずつで組替えがあるということだった。車相互間には無線の装備があって、緊急連絡や通常のガイド的なことまで大活躍した。
この敦煌は、北西から南東に細長い甘粛省の北西の端にあり、この町を出て西南に行けば陽関があり、北西に行けば玉門関があって、漢民族の世界からそれぞれ西域への出口となっている。人々はこの二つの門を出て砂漠のオアシス都市楼蘭を目指した。ここから本当の砂漠が始まるのだ。私たちの旅も、ここからいよいよ本番だ。
今日のルートは、約700キロの距離がある。道そのものは、砂漠に点在する油田の関係でかなり整備されており、それほどきつくはないようだ。朝8時50分、いよいよタクラマカン砂漠に出発。
午前中からアルキン山脈の端っこが左手に姿を見せ始めた。中国内のシルクロードは、大きく分けて3つのルートに分かれる。北から天山北路、天山南路(=西域北道)それに西域南道だ。天山の南北のルートは文字通り、それぞれに天山山脈の南と北の麓を走っており、西域南道はアルキン山脈とそれに続く崑崙山脈の北の麓を走っている。西域南路北路の間には、タクラマカンの砂漠が大きく横たわっているのだ。そもそもこれらのルートは点在するオアシスに沿って西を目指すもので、オアシスの命である水が豊富な場所は、高山の雪解け水をふんだんに利用できる山の麓という図式があるのだ。
今日の泊まりは、油沙山の油田の基地となっている花土溝。町のすぐ近くまでライトブラウンとベージュの間のきれいな色の砂山が迫っていた。車の中から見る分には、目の細かなクリーム状の砂に見えたが、確かめにはいけなかった。やんわりとホテルからの外出を止められたからだ。
ここいらへんはどうももう砂漠のようだ。高度が2900mもあるので、少し高山病が出た人もあった。私は高山病の予防で、深呼吸をしたり、水を飲んだりまめにしていたので症状は出なかったが、夜中からお腹が下って苦しい夜を過ごした。
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