1996年8月13日
チャルクリク〜チェルチェン


    
荒れ地の上の緑
ゴビ灘の緑

 朝、10時出発の予定と前日に聞かされていたが、ドライバー達が、悪路で問題が車に万が一のことがあってはいけないと、車両の点検をしたいと主張したとかで、出発が午後1時半にのびて、途中で食べるはずの昼食も出発前にホテルで食べることになった。
 今回の旅に使われている車は、敦煌の周囲の油田関係の会社などから、このツアーのためにドライバー付きで集められたものだ。こちらでは、ドライバーの仕事は整備まで含み、社会的地位も高い。本当のプロフェッショナルなのだ。どこから見ても、田舎のおじさん、お兄さん風なのだが、その技術の高さには恐れ入った。
 今日も朝、昼抜き。昨日よりずっといい。昨日、調子が悪い上に車で揺られて必要以上に痛めてしまった腸のために少し散歩をしてマッサージしようとチャルクリクの町を歩いた。
 賓館から、まず、ミーラン行きのバスの乗り場に行った。バスは見えなかったので、ガイドブックの場所から果たして本当にバスがでているかどうかはわからなかったけれど、とりあえず写真だけはとっておいた。そのまま、5角形になっている町の中心を一周した。人々はウイグル族が多く、漢民族の姿は少ない。
 町の市場には真っ赤なトマトやら30cmはありそうな長インゲン、各種スイカにウリ、ピーマンや巨大なシシトウなどにまじって、生きた鶏とウサギが売られていた。
 町のはずれで、10mほどの高い塀の4隅に望楼のある建物が建設されているのをみたが、何のための建物かはよくわからなかった。ただ、何となく中央アジアで見た隊商宿に似ていた。
 1時半に出発。まずは瓦石峡故城(ワッシャリ故城)を訪れた。このあたりの日干し煉瓦の故城は、みなひどく壊れていて、往時を忍ぶことは難しい。しかし、訪れることなしに想像力をかき立てることも難しい。結局、大切なのは、想像力だ。
 瓦石峡故城をでて、一路、今夜の宿泊地チェルチェンをめざした。道は昨日ほどのことはないが、洪水の影響は大きく、至る所で道が流されている。道路は、砂漠の上に土を盛り、その上に簡易舗装を施したものだ。所々に、万が一水がでたときに、水を通す橋のような構造の部分がある。その流された残骸をみると、金属のネットの中に石を詰めた土台の上に土を盛って、中国得意の人海戦術で固めているらしい。今年の洪水は半端ではなかったらしいから、まあ、流れても仕方ない構造だけれど、それでもやはり、自然の力にはつくづく驚かされた。その橋のような部分を流れるだけでは済まないような、ものすごい洪水だったということなのだろうけれど、それでも、人間がつくづくちっぽけに見えてならなかった。
 ロングボディのパジェロの後ろでは、トランクやら、予備のガソリンタンクやら色々なものが跳び上がってがたんがたんと音を立てている。
 途中、遠くに胡楊樹の林が見えた。見渡す限りの荒れ地に突然出現するその緑の集落はなんだか命の歌を聴かせてくれるようなすがすがしさを感じさせた。このあたりの胡楊樹が一つの見所である理由は、その印象にあるのだろう。
 道が悪く道の流されたところを迂回するにも、ゴビ灘にも深く洪水の水の流れた後が、筋になってうがたれている。それを時には、ひっくり返るかと思うほど、車を傾けながら、乗り越えたり、迂回したりしていく。しかも、相手は砂である。スタックしたらそれきりだ。そのため、危険が予測される所では、一台ずつ通過していくので、時間が猛烈に消費された。今日でもう2日この悪路で揺られている。岩出のじっちゃんは、「あんまり揺られて脳味噌が耳っからでちまって、砂と混じって固まってるみたい」と言っていたが、本当にそんな感じである。
 そして、昨日からはじまった、屋外トイレもすっかり、こつを思い出してきた。これは、一つの技術なのだが、人に伝授できる性質の技術ではないので、ここには書かない。ただ、日本で修行をするのは、どうぞ、やめておいていただきたい。
 今日、車の中でガイドの趙さんの持っていた地図で、9月の旅行のルートについて新しい情報がわかった。キルギスタンに入るルートに今までのものと違うルートがありそうだ。もちろん、土地は続いているので、ルートはあるのだが、空いているかどうか、現地の両国以外の外国人にひらかれているかどうかは、調べてもらう必要がある。早速、東京に連絡を入れた。さてどうなることだろう。
 夕食はチェルチェンでなんとか消化の良さそうなものを選んで食べた。昨日の夕方以降、丸一日お腹は下っていなかった。約2日ぶりの普通のごはんとなった。今日の宿は清潔そうだったので、壊れて使えないシャワーをものともせず、蛇口の下に頭をつっこんで髪を洗ったらすっきりした。
 ホテルの小さなショーケースの中に、猫の模様のついた細長い紙箱が一つ飾られていた。聞いてみるとお線香だという。箱の猫が可愛かったので、買ってしまった。香りは梅にミルク。どんな香りだろう。

タマリスク日記  砂漠の町チャルクリク、つちくれの遺跡
小さな猫が毛布の上にいる
中国で初めて見た猫
 途中ジュンガルサイというところを通った。ここは、予定通りならお昼ご飯を食べるはずの所だった。建物の表には清真と言う看板が上がっている。清真食堂というのは、「ここは豚肉は使わないで料理をしています」と言うことを表わしている。豚を食べないイスラム教徒には重要な意味がある。イスラム圏では、こうやって書かなければイスラム教徒は店に入ってこないというから、大きな看板が上がっていて当たり前というところか。別にトイレ休憩なので建物に用はなく(トイレは外の荒れ地でするのだ)車の所にいたら、中に入っていた添乗員さんが大きく手を振って私を呼んでいる。
 何かと思ったら、中に猫がいるという。車にとって返してカメラを鷲掴みにして走っていくと、3ヶ月くらいの子猫だった。模様はお腹が白く背中が虎縞のよくある模様だが、茶色の部分が非常に黄色みを帯びていて珍しい色だった。しかし前回の旅から通算で中国に何日いるか忘れたが、初めて見た生きた猫だった。しかも、こんな砂漠の真ん中の一軒家に。人間が生きていくのも大変だろうとおもうのに、初めて見た明らかにペットの猫は、なんだか、体が小さかったけれど、とても人になついていてかわいらしかった。幸せなのだろうかとおもったが、自然はいっぱいあるし、水さえあれば、すなとかげもいるかもしれない。それなりに生きていくのだろうと想像できた。
 水がふんだんにはないから、きっと腎臓が悪いだろうとはおもったけれど、でも、ここにいれば、まだ、何年かはいきるだろう。「幸せにね、ねこちゃん」と頭をなでて別れた。薄い毛並みだった。あついからねえ、何しろ。
 しかし、両面刺繍やお扇子の模様では見かけたことがあったが、生きたのは本当にお初だった。どうも食べられちゃったりするらしいし、この国の人々は動物をペットとして飼うという習慣がないのかも知れなかった。

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