1996年8月20日
クチャ〜コルラ


    
青空をバックに仏塔
スバシ故城の仏塔

 天気は少し回復してきている。と言っても朝は曇り空だった。一番最初にスバシ故城へ。クチャの北に30分ほど走ったところにある。別名しょうこり大寺。玄奘三蔵の『大唐西域記』にも記述があるという。西域最大の仏教遺跡で川を挟んで東寺と西寺がある。現在は西寺跡のみ見ることができる。門を入って左手奥の仏塔を目指す。広々として何とも寂しい。仏塔に上ると、上の入り口を入ったところに壁画の色が少し残っていると言う話だったが、うまく見つけられなかった。
 高い所から見渡すと東寺が遥か遠くの方に見えて、窟が岩壁にうがたれているのが見えた。
 つづいて、町の方に10分ほど戻ったところにあるクズルガハ烽火台へ。これは砂漠の中の小高い丘の上にある。烽火台は15キロごとに作られ、狼の糞や、牛の糞などを燃やしたという(動物の種類によって、糞の組成が違うため、あがる煙の色が違うのだそうだ。)
 烽火台は土の塔の上に松の木の材木が突き出ていて、そこに構築物を載せていた台らしかったが、どのようなものが乗っていたのかは知ることはできなかった。
 烽火台から塩水渓谷に入っていったところにあるクズルガハ千仏堂は、窟の外観が残っているだけだった。いくつか石窟に入ってみたけれど、何も感じるものはなかった。
 町中に戻って、クチャ大寺へ。これは明代から清代はじめ頃まで使われたモスクでクチャで最大のもの。煉瓦作りの大変美しい建物だ。一時は法廷として使われたこともあったということで、土地の人々の生活に密着している建物のようだった。
 ホテルの亀茲賓館に戻ってお昼ご飯を食べ、それからコルラに向かって出発した。夕方コルラが近づいてきた頃、鉄道の線路と出会った。南彊鉄道だ。今はコルラが終着駅だが、5年位の中期計画でカシュガルまで延長されると言う話だ。これが完成すれば、カシュガルへ列車で行けるようになるわけだ。汽車で旅するシルクロードと言うことだから、もっと沢山の喜びがあるかも知れない。また、違った形の。楽しみなことだ。
 ホテルについて、食堂に行く途中、楼蘭研究所という看板の出ている部屋があった。不思議に思ってコルラの現地ガイドに聞いてみたところ、楼蘭へのアクセスはここからすることになっているので、ここに研究所があるという。陸路大変でしょう、今は、観光はどうなっているのですかと聞くと、車やガイドのチャーター代金の他に、外国人は政府に一人60万円くらいの上納金を払わないと楼蘭には入れないと言う。だから、コルラから楼蘭に行くために必要なお金は一人当たりが100万円を超えるらしい。中国政府は、外貨がたりないのかしら。?
 私が興味を示すと、ガイドは私に自分の名前と会社の電話を書いた紙をくれて、楼蘭へ行くなら私たちが手配をします、といって、にっこり笑った。ありがとね。でもそんな大金、あるわけないでしょ。

タマリスク日記 
町の小道
緑が生い茂る昔の城壁
クチャを出発する直前に立ち寄ったバザールで、名物だという白アンズの干したものを1キロ買った。値段が15元(一元は約13円)。親友がアンズが好物なので、何よりの土産とおもったし、例によって、山と積み上げて売っているその品物を、味見してから買うことができるので、つまみ食いしたらおいしかったのだ。白いアンズってどんなものか分からなかったが。
 本日、又、男難の相が出ていたらしい。ビタミンの欠乏が起きているのか、車の揺れのせいか、背中から足にかけてむくんだ感じであまりにかったるかったので、バヤンゴレンホテルでマッサージを頼んだ。部屋に来たのは若い男性で、そのときに実はちょっとイヤな予感がした。
 1時間の約束で足中心にもんで貰って、55分が過ぎたところで、あんま氏の手が、妙なところにのびてきた。そんなところ揉んでも仕方ないんでないかい?と言うような所へ。もにょもにょと手を動かしながら、なにかを話しかけてきたが、なにしろ私は中国語にとても堪能なので、さっぱり分からない。
 カシュガルに続いて、まだもやめんどくさいことになっとるなと思いながら、やんわりと手を払いのけた。私にその気がないとわかると規定のお金を受け取ってあっさり引き上げていった。
 この前も思ったが、いったい日本人、海外で何してるんだ???

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