1996年4月1日(第2日)
イスタンブール


トプカプ宮殿の庭の白いデイジー
春まだ浅いイスタンブールの
トプカプ宮殿の庭の白いデイジー

 今朝も朝のうちは雨がぱらつきましたが、昼からはいい天気でした。明け方まで、通信と格闘しましたが結局、うまくいかず断念しました。それが、朝の6時すぎ。時差ボケの上にとんでもない苦労です。覚悟はしていたものの、なんだかくたびれてしまいました。とても前途多難な気がします。
 朝、出発前にのぞいてみたお店に猫がいました。あまりかわいらしかったので、写真をとりました。今日の観光地は、オスマントルコのサルタンの城である、トプカプ宮殿。ここにもあちこちに猫がいます。うちの3匹の猫が懐かしい。ついだっこしてしまいました。
 イスタンブールは、西半分がヨーロッパ大陸の端っこに、そして東半分がアジア大陸の端っこにあります。その間にマルマラ海とボスポラス海峡があるのです。そのトプカプ宮殿から、ボスポラス海峡越しに反対側が遠くに見渡せ、両側をつなぐガラタ橋とアタチュルク橋が見えます。ここで、東と西の文化はであいました。
 イスタンブールは三回その名前を変えています。ビザンチウムからコンスタンチノープルそしてイスタンブールへ。しかし、東西が出会う場所、『文明の坩堝』という地理上の位置づけは常に変わらなかったのです。宮殿の装飾にも、アジアの影響が見て取れますし、今朝、ホテルの朝御飯でバイキングのいろいろなアイテムが盛りつけらていたのは、見覚えのあるにぎり寿司の桶です。その雑多さ、図々しいまでの骨の太さにこの都市の底力を感じました。狭い道をむやみやたらととばしてあちらこちらで事故が起こる。私は今日一日で事故を3回みました。でも、それも、なんだか、ああイスタンブールらしいと感じさせる何かがあるのです。
 本当にこれから、アジアの中を東へ東へ、まるで、マルコポーロの様に西安を目指すのです。旅は始まったのです。

ミニコラム トプカプ宮殿といえばハーレム
ハーレムの内観
ひっそりと静まり返って
貴婦人の密かな息づかいが
聞こえてきそうだった。
 昨夜ホテルに着いたときにも降っていた雨が,朝になってもあがらず,憂鬱な観光第1日目になった。  今日の目的地は、トプカプ宮殿だ。15世紀半ばから20世紀初頭まで、オスマントルコの支配者である王、サルタンの居城だった。36人いたサルタンの半分ほどしか、ここでは暮らさなかったらしい。しかしながら、サルタンの権力を象徴するようなたくさんの宝石、衣服、美術品、イスラム教の宝物などが展示されている。
 特に、『トプカプの短剣』と、城の象徴とされる短剣は、3つの巨大なエメラルドが柄に埋め込まれ、ものすごい迫力だ。これは、イランの王様へのプレゼントとして作られたが、輸送の途中で先方が政変で失脚したため、サルタンの手元にもどり、以後ずっと、象徴の役割を果たしてきている。
 中でも、観光客の人気を集めているのは、ハーレムだ。ここには、サルタンの母、マザーサルタンを含む400人もの女性が暮らしていた。中に住んでいた男性は、サルタンその人と、その王子たち、そして、一時期から後は、サルタンの兄弟も一緒に暮らしていたようだ。一時期と書いたのは、それまでは、男兄弟のなかで誰がサルタンになるかが決定されると、残りの王子たちは殺害されたためである。その制度がなくなってからは、『黄金の牢屋』という部屋に閉じこめられて一生が終わったそうだ。なんだか、歴史が重く心に響くような気がする。
 昼過ぎから、空が晴れて日が射してきた。吐く息が白く見えるほど空気は冷たいのだが、春霞のかかったボスポラス海峡を行き交う船がまるで絵のように美しかった。

"前日"へ   "翌日"へ

ユーラシア大陸横断旅行日程


冒険者の宿 金の割り符亭


ニャーニーズ・アイランド