1996年4月2日(第3日) イスタンブール |
アヤ・ソフィア内のキリストと 聖母マリアのモザイク |
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今日は、朝からいい天気でした。昨夜は、もう一度トライしてみましたが3時頃あきらめて休みました。
今日は、アヤ・ソフィアとブルーモスクそれにバザールというメニューでした。
朝、ホテルをでる前に、アガサ・クリスティが『オリエント急行殺人事件』を執筆したという411号室を見学させてもらいました。私の泊まっているのは、ペラパラスというホテルですが、どうも由緒の正しいホテルのようです。あまり由緒正しすぎてあちこち結構ぼろっちいのですが。その411号室は極ふつうというか、私の部屋と同じくらいの大きさで、違うのは、彼女の著作の入った作りつけの本棚があることぐらい。でも、名作発祥の地ですから、一応押さえてみました。
ブルー・モスクは、スルタンアフメット・ジャミイというのが正式名称の1616年に建てられたモスクです。ブルーモスクの愛称の由来となっているのは、内部に使われているたくさんのブルーのタイルです。現在では、この青いタイルの作り方はわからなくなっているそうです。というのは、このタイルを作った職人が、そのブルーの色の原料を弟子に伝えずに亡くなったからだそうで、失われた色、とでもいうのでしょうか。現在でもこのモスクは一日5回の礼拝が行われており、その間約15分ほどは観光客は入れないのです。
アヤ・ソフィアはビザンチンの教会建築の傑作といわれた建物で、最初は東ローマ帝国のギリシャ正教の教会として建てられました。その後、コンスタンチノープルがオスマントルコに落とされ、イスラム教の支配下におかれたので、モスクにするために改造使用されました。今は博物館になっています。先ほどのブルーモスクもそうでしたが、石造りの建物の内部は冷え冷えとしています。この、ピーンと身の引き締まるような寒さが、祈りの場所には必要なのでしょうか。
お昼は、オリエント急行のイスタンブール駅を改造したレストランで。
午後は、渋滞に巻き込まれながら、昔エジプトから運ばれたものを売っていたという、食料品、香辛料中心のエジプトバザールと、何でもござれのグランドバザールに行きました。グランドバザールで小さな銀製の猫の置物が37米ドルというのを、27まで値切って買いました。しかし、なによりもツアーの仲間と分けて食べた、ざくろの甘さと、焼き栗が一番の思い出かもしれません。焼き栗は10個ほどで50000リラ(80円くらい)。ちょっと生なような、でも甘かったです。みんな「食べてみたいけど、ちょっとコワイ」という心境は一緒だったようで、私が一袋買って、「みんなで食べましょう」と振り返ったら、手がたくさん伸びてきて、あっと言う間になくなってしまいました。一つだけ私の分を残してくれる情けがあるだけ、いなごちゃんよりましでしたが、みんなが仲良く分け合って食べられたことが一番の思い出かもしれませんね。
夜は、トルコ政府観光局の人をお招きして、ビュッフェパーティでした。このところ睡眠時間が短いので私はそっと、2時間弱で失礼してきました。
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